重刊人子須知資孝地理心学統宗 巻五下 徳興山人徐善継述同著
官鬼総論
此卷專論官鬼、禽曜。夫所謂官鬼、禽曜者,乃眞穴前後左右發出餘氣之山。在前者曰官星,在後者曰鬼星,在龍虎外左右者曰曜星,在明堂左右及水口間曰禽星,亦曰明曜,皆為富貴龍穴之證也。
本巻は専ら「官」「鬼」「禽」「曜」四種の砂を討論す。いわゆる官鬼禽曜とは、皆真穴の前後左右に余気の発泄して出ずる所の山なり。穴前に長ずるを「官星」と呼び、穴後に長ずるを「鬼星」と呼び、青龍白虎の外左右両側に長ずるを「曜星」と呼び、明堂左右および水口の間に長ずるを「禽星」と呼び、また「明曜」とも呼ぶ。此の四者皆富貴龍穴の憑証なり。
傅文懿公立《四靈歌》云:“禽曜星與官鬼,都是好龍生秀氣。穴前穴後龍虎旁,有此定為公相地。”卜氏云:“要識前官後鬼,方知結寔虛花。”又云:“禽星獸星居水口,身處翰林。”又云:“生曜主官,王謝之名可望。”此官鬼禽曜之所以不可無也。著其要於下。問君何者謂之官,朝山背後逆拖山。問君何者謂之鬼,穴山背後撐者是。問君何者謂之禽,龜魚生在水中心。問君何者謂之曜,龍虎肘後石尖生。
傅文懿公の作れる《四霊歌》にいわく、禽・曜二星と官・鬼二星は、皆好龍の生発して出ずる秀気なり。穴前・穴後および青龍白虎の両旁にそれらあれば、此の块の地は一定に公卿宰相を出す、と。卜応天のいわく、穴前の官星・穴後の鬼星を認得してこそ、始めて此の穴の結実なるか虚花なるかを分別し得べし、と。彼またいわく、禽星・獣星は水口に立ち、主人身翰林に列るを主る、と。またいわく、曜星を生出すは官を為るを主り、王氏・謝氏の如き門第声名を望むべし、と。これすなわち官鬼禽曜の欠くべからざるの緑故なり。下面に要点を列出す。問ふ、何をか「官」と呼ぶ。すなわち朝山背後に逆向に拖出する山なり。問ふ、何をか「鬼」と呼ぶ。すなわち穴山背後に穴場を撑住する山なり。問ふ、何をか「禽」と呼ぶ。すなわち水中央に生出する亀形魚形の石なり。問ふ、何をか「曜」と呼ぶ。すなわち青龍白虎の肘後に生出する尖利の石頭なり。
官星を論ず
官星者,龍虎橫抱,穴外背後有山拖向前去者也。子微云:“試問如何是官星?本命山前更有山。”此乃龍旺,秀氣融結包會不盡,故又發為官星也。龍之貴氣重大者,官星亦必重大;龍之貴氣輕小者,官星亦必輕小。所謂大小,非論形體,乃氣脈之力量也。
いわゆる「官星」とは、青龍白虎の横抱の外・案山の背後に別に山ありて前方へ拖り去るものなり。張子微のいわく、試に問ふ、何をか官星と為す。すなわち本命の山の前面に還た別に一座の山あるものなり。これは龍気旺盛にして、秀気の凝結包裹に余ありて、ゆえにまた発泄して官星を成るが故に。龍の貴気重大なれば、官星も亦た必ず重大。龍の貴気軽小なれば、官星も亦た必ず軽小。ここにいう大小は、山の形体を指すにあらずして、気脈力量の強弱を指すなり。
名為官星,有吉無凶。但恐龍穴不眞,縱有官星亦為無益。子微云:“大凡官星無凶惡,只恐似官非是官。”官星在橫山龍虎外,故多不見。亦有見者,謂之現世官、現面官。《經》云:“官星在前多不見,見者名為現世官。”若龍穴眞,主當代貴。大抵官星雖有吉無凶,亦必龍穴眞則吉。否則皆凶。且不必拘其形象,而為繁鎖之論雲。如京山王氏伯珍公地,官星格也,圖下。
既に名を官星となせば、それはただ吉有りて凶なし。ただ怕るは龍穴本身の真ならざること、然らば縦に官星あるも用なし。張子微のいわく、大凡官星皆凶悪ならず、ただ怕るは看て官星に似て、其実并びに官星ならざるを。官星は横列の龍虎の外に蔵れて、ゆえに多半穴上にて見えず。亦有りて見ゆるは、「現世官」「現面官」と呼ぶ。《撼龍経》にいわく、官星は前面に多半見えず、見ゆるは則ち現世官と呼ぶ、と。此の種の情形、若し龍穴真ならば、当代に顕貴するを主る。総じていえば、官星は吉ありて凶なしと雖も、亦た仍ほ龍穴真なりてこそ吉、否らざれば一概に凶なり。其の形状に至りては、必ずしも死死に拘泥せず、一堆の煩瑣なる名目を弄出することなかれ。京山王氏伯珍公のあの块の地の如きは、すなわち官星格にして、図は下面に列す。
下地在京山,土名接官廳新堰彎。其龍繫縣龍分幹,來歷甚遠,不及詳述。將入局,開帳重重,大斷起尖山,為廉貞火星。生出土星,土又生出金星,是為大月山。又自月山下連穿三峽過田,如拋球,如走馬,如梭帶線,如珠牽絲,龍氣旺盛,枝腳蕃衍,護從周密。正脈中出,為太陰星,串脈吐出微乳結穴。
下図この地は京山県に在り、小地名は接官庁新堰彎。その龍は県城主龍の分出する支干にして、来歴遠く、細講するに及ばず。入局せんと快くする時、重々帳幕を張開し、大に断つること一次して尖山を聳起す、是れ「廉貞」火星なり。火星は土星を生出し、土星また金星を生出す、これすなわち大月山なり。大月山より往下し、接続して三個の峡口を穿ち・田地を越え、行度の様子は抛球の如く・走馬の如く・梭子の線を帯びるが如く・珠子の糸を牽くが如し。龍気旺盛・枝脚繁多・護従の山周密。正脈は中間より出でて「太陰」星を為り、串脈一点微微の乳突を吐出して結穴す。
穴情甚秀,兩掬彎抱,寬暢有情。內堂融聚,外洋平衍。而右臂復大轉包裹,為玉帶砂,橫繞穴前。其餘氣復當面抽出,發為官曜,去三十餘里。兩畔枝腳回抱重疊,關顧有力,眞貴地也。只是官星去遠,此穴結於龍腰之間,山勢未止,孰識為此等大地?
穴情十分清秀、左右両掬彎抱して来たり、寛敞舒暢にして情あり。内明堂は気聚まりて散ぜず、外洋は平坦開闊。右臂また大幅に転じて来たりて穴場を包裹し、「玉帯砂」を成りて、穴前に横繞す。穴場多余の気は再び当面より抽出して、発泄して「官曜」を成り、一直に三十余里を伸出す。両旁の枝脚層層回抱し、関攔照顧甚だ力あり、確かに块の貴地なり。ただ官星去ること太も遠く、而して此の穴また龍腰中段に結び、山勢未だ止歇せざる、誰か此れ竟に此の如き一块の大地なるを認得せんや。
葬後出希且公,登進士,官僉憲。曰橋,進士,官方伯;曰格,進士,官少卿。方伯之子宗茂,進士,官侍御。今又池公宗載登進士,累官都憲;曰宗彥、宗蓁、宗楚、大本、大有,曰階諸公,連登科甲,人才迭出,富貴未艾。
安葬の後、王家は希且公を出し、進士に考中し、官は僉都御史を任ず。王橋は進士、布政使を任ず。王格は進士、少卿を任ず。布政使の児子王宗茂は進士、侍御史を任ず。近來また池公王宗載ありて進士に考中し、一路都御史に做到す。此外王宗彦・王宗蓁・王宗楚・王大本・王大有および王階諸位も、接続して科第に考中す。人才は一輩また一輩接いて出で、家門の富貴今に至るまで未だ尽きず。
按:是地餘氣去長,此圖不收餘氣篇內,直以官星取者,以去山在虎砂外,對穴穿田而去,是官星格耳。但穴左山勢太短,似與右氣不均。然既鋪氈作王氏陽基,又溢為靈泉於基前,則其氣以泉發,與右等也。此造化隱微,須詳審精察,未易入俗眼耳。
作者按語にいわく、此の块の地は余気の伸出去るや甚だ長しと雖も、本書は此の幅の図を「余気」一篇に収進めずして、直接官星と当作りて立論す。原因是那の道の去山白虎砂の外に落ちて、正対して穴場田地を穿ちて去る、正に官星の格式に合す。ただ穴場左辺の山勢太短く、看上去右辺の気と均衡せず。不過左辺既に毡褥を鋪出し・王氏の陽宅基地を成り、また基地前面に一道の霊泉を溢出せば、則ち左辺の気は泉水を借りて発泄し、右辺と其実相等し。これは造化の幽微の処にして、必ず仔細に審察せねばならず、一般人の眼光は容易に看懂し難し、と。
傳奇:王氏基前有靈泉,每虹氣現,則王氏有發科甲者,屢驗。王氏諸公號虹塘、虹泉、瑞地,咸取此耳。隆慶戊辰,虹現,王氏無會試者,人以為不驗。既而,是科翼軒李公維禎登第入翰林應之。蓋李公乃侍御虹塘公宗茂婿也。
伝奇一則。王家宅基の前面に一道の霊泉あり、泉上に虹気を現出するに逢ふ毎に、王家便ち人ありて科第に考中し、屢試爽ならず。王家諸位の号を取りて「虹塘」「虹泉」「瑞地」といふは、皆此の道の虹気より来たる。隆慶戊辰年虹気出現すれど、あの年王家に人の会試に参加するなく、衆人は以て此回は霊ならずと思ふ。久之しからずして、あの科の翼軒李維禎進士に考中し・翰林院に進入し、正好此の道の虹気に応ず。原来李公は侍御史虹塘公王宗茂の女婿なり。
右地在南昌,土名馬鞍溪。其龍起自帳幕嶺,正脈穿田至朱坊,橫開平崗大帳。帳中出脈,迢遞二十餘里。將入首,又大斷過峽,起三臺,垂乳開窩結穴。前吐餘氈,後拖鬼撐。第青龍直硬竄堂,下關低陷,不入俗眼。不知回龍顧祖,骨肉一家,青龍雖竄,是為明曜。又拖官星,適足為貴證。
右図この地は南昌に在り、小地名は馬鞍溪。その龍は帳幕嶺より起こり、正脈田地を穿ちて朱坊に到り、横向に一座の平岡大帳を張開す。脈は帳中より出で、迢迢二十余里を走る。「入首」せんと将にする時、また大に断つること一次して峡を過ぎ、「三台」を聳起し、乳突を垂下し・窩形を開出して結穴す。穴前に余気を吐出して毡を成り、穴後に鬼星を拖出して撑托す。ただ青龍の一辺笔直生硬に明堂に竄進し、下関また低陥、俗人の眼光に合せず。彼らはこれが「回龍顧祖」の格局なるを解せず、祖孫骨肉本に一家にして、青龍竄出すと雖も、那は正に「明曜」。況んやまた官星を拖出す、恰好貴気の憑証を成す。
葬後,諸公季清進士,子肅進士,伯躍侍郎,伯秀副憲,廷重進士,廷梅副憲,廷悰、廷膏、廷寶、廷楫俱鄉科。仕賢進士,仕階進士,仕慎、仕松、仕泰俱鄉科。曰睿,進士,御史;曰材,佈政;曰桂,進士;曰椲、曰淑、曰場、一龍、一鵬、一爌俱鄉科,封蔭應例,衣冠百餘人,人丁大旺,富貴鼎盛未艾。
安葬の後、此の一族の出す人物あり。季清は進士、子粛は進士、伯躍官は侍郎に至り、伯秀官は副都御史に至る。廷重は進士、廷梅は副都御史、廷悰・廷膏・廷宝・廷楫は皆郷試に中る。仕賢は進士、仕階は進士、仕慎・仕松・仕泰は皆郷試に中る。另有りて名は睿、進士、官は御史。名は材、官は布政使。名は桂、進士。名は椲・淑・場および一龍・一鵬・一爌、皆郷試に中る。加えて封贈・蔭襲・納例により出身を憑る者、全族冠を戴き帯を束ぬるの士人百余位あり、人丁大旺・富貴鼎盛、今に至るまで未だ衰えず。
鬼星を論ず
鬼星者,穴後拖撐之山,枕樂穴場者也。楊公云:“問君如何謂之鬼,鬼在後頭撐者是。”蓋撞背來龍結穴則無鬼。惟是橫龍結穴,必須有鬼星撐在穴後,方證得穴之眞寔。廖氏謂“橫龍結穴必須鬼”者是也。以其在穴後分洩本身之氣,故取義於竊,而名之曰鬼。
いわゆる「鬼星」とは、穴後に拖出して撑托する山にして、穴場の為に枕頭依靠に当つ。楊筠松のいわく、汝に問ふ、何をか鬼と呼ぶ。穴後頭にて撑住するあの座の山即ち是れ、と。凡そ来龍直撞して穴背に結穴するは、鬼星なし。ただ横龍結穴のみ、必ず鬼星あって穴後に撑せてこそ、始めて此の穴の真実なるを証明することを得。廖金精のいわく「横龍結穴は必ず鬼を須う」、正に此の意なり。何となれば、それは穴後に長じて、本身の気を一部分分走すれば、ゆえに「窃盗」の意を取りて、それに名を起こして「鬼」と曰ふ。
吳香山云:“鬼於地理中不在屈指言不在算數也,亦不在星辰之例。凡論地理,只看來龍入穴,左右龍虎,朱雀前砂,及山水大情交會與不交會,四維八峙缺折與不缺折,鬼置之不論可也。但穴有偏斜處,卻有借鬼為證者。”此說最善。蓋鬼不必於有為吉,亦不必於無為凶,特以偏斜之穴,須用鬼證耳。如此則鬼何關於地之大小輕重耶?
呉香山のいわく、鬼星は地理の中に於いて屈指細数するの項目と算するに足らず、亦た星辰体系の内に列せず。凡そ地理を論ずるは、ただ来龍如何に穴に入るか・左右青龍白虎如何・前面朱雀の砂如何・および山水の大情勢交不交会・四維八方の山峙缺口断折有無を看るのみ。鬼星に至りては、一辺に搁いて談ぜざるも妨なし。ただ穴場偏斜の処に遇ふにありてこそ、始めて鬼星を借りて以て憑証を作るの者あり。此の番の話説き得るや最好。これを見れば鬼星は有れば即ち吉・無ければ即ち凶にあらず、不過偏斜の穴它を靠りて以て印証するを要するのみ。既然此の如くなれば、鬼星また何れの処にか能く一块の地の大小軽重を決定せんや。
前輩亦有言:“鬼者,詭也。奇異變幻,不可盡信,豈有專取的於鬼?亦有有鬼不可當穴者,又宜於穴法通變,不可盡泥於鬼。”又云:“鬼者,詭也。詭異奇怪之穴,須用鬼證之。觀鬼之脈,知穴之情。”又曰:“鬼是漏竊眞龍之氣,大地必無鬼。”又曰:“大地眞龍,氣盛而旺,故有鬼山或去數里。”又曰:“鬼奪我氣,不宜高大。”又曰“屏帳鬼星高大,使相紛紜”之說不一,要之,至理必以龍穴為主。
前輩も亦た幾種の説法あり。一にいわく、鬼即ち是れ詭、奇異変幻にして全信すべからず、何ぞ能く専ら鬼星を靠りて以て穴を定めんや。亦有りて鬼星ありと雖も以て穴を定めるに据る能わざるは、還た当に穴法上に於いて霊活変通し、一味に死守して鬼星を守るべからず。又一にいわく、鬼即ち是れ詭、詭異奇怪の穴こそ鬼星を用ゐて以て印証するを須う。鬼星の脈絡を看れば、便ち穴の情態を知るを得。又一にいわく、鬼は真龍の気を漏窃する、大地一定に鬼なし。又一にいわく、大地真龍気盛にして旺なれば、ゆえに鬼山時に伸出して幾里の遠に至る。又一にいわく、鬼星は我が穴中の気を奪取す、高大なるを宜しとせず。又一にいわく、屏帳の如き鬼星高大なるは、宰相の類を出すを主る。諸家議論一ならざれど、根底に帰結すれば、最も正確の道理は還た必ず龍穴を以て主と為すべし。
龍穴貴秀,則鬼為吉;龍穴假偽,則鬼為凶。譬猶世有鬼祟,若人氣盛旺,家道興隆,則鬼獻禎祥,反為兆福;若人氣萎薾,家道復替,則鬼出妖怪,能為我禍。取義一同,全以龍氣為主,而後論鬼。龍穴不眞,生氣散漫,則鬼為禍賊矣。若徒以鬼星形狀決貴賤禍福,而不論龍穴之根本,則失之矣。
龍穴貴にして清秀なれば、鬼星即ち是れ吉。龍穴虚假にして真ならざれば、鬼星即ち是れ凶。これは好比世間の鬼祟。若し人の精気旺盛・家道興隆なれば、鬼は反って祥瑞を献上し、福気の先兆を成す。若し人の精気萎靡・家道衰敗なれば、鬼は則ち妖怪を鬧出し、能く人の為に禍を招く。取義完全に一様にして、皆須くまず龍気を以て主と為し、然る後に鬼を論ずべし。龍穴若し真ならざれば、生気散漫して、鬼星便ち作祟して人を害するの賊を成す。倘若ただ鬼星の形状を憑りて以て貴賤禍福を断じ、却って龍穴此の根本を追究せざれば、那すなわち大錯なり。
且鬼星亦惟可以理盡,不可以形拘。只欲其光彩渾厚、秀麗尊重、中方中圓、或直或橫、或雙或三,重重彎抱,貼衛本身,不散漫奔竄,不醜惡可嫌,則得其妙,奚必瑣瑣論其形狀,至百二十之多哉!今以橫、直、雙、邊、高、長、短數格具圖為式,觸類而長之。
而且鬼星はただ道理を用ゐて以て講通すべく、形状を拿りて以て死套すること能わず。ただそれ光彩渾厚・秀麗荘重・或いは方或いは円にして不偏不倚・或いは直或いは横・或いは双を成し或いは三を成し・重々彎抱し・緊貼して穴の本身を護衛し・散乱して外竄せず・丑悪にして人をして嫌わしめざれば、便ち其の妙処を得たりと算す。何ぞ必ずしも瑣瑣碎碎として形状を分辨し、一直に一百二十種の多さに分出せんや。今ただ横・直・双・辺・高・長・短此の幾種の格式に按じて図を画いて例と為す、読者は類に依りて推広する即ち是れ。
右地在婺源縣,土名大田寺,乃諸汪始祖願公墓也。其龍勢甚長,不及詳述。入首平岡,結穴精巧。龍虎彎抱,餘氣悠衍。明堂平廣,內氣融聚,外洋寬暢。但結穴處龍脈未盡,橫受之穴。正當穴後,一脈穿田,頓起鬼星,橫枕抱衛有力,證得穴星尊貴,此所以為美地也。葬後鼎盛,出科甲數十人,尚書亦數人。若中丞、侍御、方面郡邑守佐,難以悉舉。至今子孫蕃衍,富貴齊美。雖汪氏諸派佳地尤多,此其發源,鍾秀為最雲。
右図この地は婺源県に在り、小地名は大田寺、是れ汪氏各支共同始祖願公の墓なり。その龍勢甚だ長く、細講するに及ばず。入首の処是一片の平岡にして、結穴精巧。青龍白虎彎抱し、余気悠長舒展。明堂平坦寛広、内気凝聚し、外洋開闊。ただ結穴の処は龍脈未だ走完せず、横向承受の穴に属す。正対穴後に一条の脈ありて田地を穿ち、猛然として鬼星を聳起し、横に枕托し・抱衛力ありて、穴星の尊貴を証するや明明白白、此れ正にそれが美地を成るの緑故なり。安葬の後家門鼎盛し、数十位の科第出身の人を出し、尚書も亦た好幾位あり。中丞・侍御史・および各地方郡県の守令佐貳に至りては、更に数え勝べからず。今天に到りて子孫繁衍し、富貴斉美。汪氏各支の好地は甚多しと雖も、此の一処は却是発源の所にして、鍾聚の霊秀最も盛んなり。
左地在吉水縣文昌鄉,土名夏郎,狀元劉文介公儼祖地也。其龍來脈甚遠,不詳述。入局開大帳,連穿數峽,走閃翻身,轉盤屈曲,為蘆鞭格。入首頓起金星開鉗,中垂小乳,乳下平坦,穴結乳頭。兩掬彎抱有情,內堂緊聚,外洋開暢,前朝秀麗,後障高聳。坐枕鬼星,直撐有力。大溪後緾,四從稠疊,水口交鎖。塟後出鼎實公,登進士,官副憲。曰庸性,發高科。文介公儼,正統壬戌狀元,官至少卿,贈禮部左侍郎。又嘗觀其鳯形,亦美地也。今福祉未艾。
左図この地は吉水県文昌郷に在り、小地名は夏郎、是れ状元劉文介公劉儼家の祖墳なり。その来脈甚だ遠く、細講せず。本局に進入し後大帳を張開し、接続して幾個の峡口を穿ち、左走右閃・翻身転折・盤旋屈曲して、「蘆鞭」格を成す。入首の処猛然として金星を聳起し、鉗口を開出し、中間に一个小の乳突を垂下し、乳下地面平坦、穴即ち乳頭上に結ぶ。左右両掬彎抱して情あり、内明堂緊聚し、外洋開闊、前面朝山秀麗、後面屏障高聳。坐山は鬼星を枕し、笔直撑托甚だ力あり。大溪は背後に纏繞し、四面随従の山稠密重畳し、水口交鎖す。安葬の後鼎実公を出し、進士に考中し、官は副都御史を任ず。又有りて名は庸性、高科に中る。文介公劉儼は正統壬戌科状元にして、官は少卿に至り、礼部左侍郎を追贈せらる。我ら還た彼の家の另一処の鳳形の地を看過す、亦た美地なり。如今劉家の福沢仍未だ終止せず。
豐城雷尙書祖地。葉氏始祖地。右地在浮梁縣南五里,土名毛嶺。遠龍不詳述。入首大斷開帳,落脈結咽,起金星,轉面結橫腰穴。龍氣奔走六七里不住。只是穴後短鬼,撐貼甚奇,證得穴眞。其去勢乃餘氣長,力量大。自方氏葬後,奕世科甲。
接下両条はただ図題のみ余す。一は「豊城雷尚書祖地」、一は「葉氏始祖地」にして、正文と図形皆已に亡佚し、只存標題のみ。第三条はなお説明あり。右図この地は浮梁県城南五里に在り、小地名は毛嶺。遠処の来龍は細講せず。入首の処大に断つること一次して帳幕を張開し、落脈咽喉を収成し、金星を聳起し、面を転じて来たりて横腰穴を結成す。龍気継続して奔走し六七里にして還た停止せず。全靠穴後一段短短の鬼星にして、撑貼すること十分奇特、穴の真実を証明出来す。それ一路奔去の勢い、正に余気長く力量大なるを説明す。自ぞ方家葬入し後、世世代代皆人ありて科第に考中す。
禽星を論ず
禽星者,水口中之石也,亦謂之落河火星。楊公云:“問君如何謂之禽,龜魚生在水中心。”或如筍、如笏、如游魚、龜蛇、飛鳧、金箱、玉印、蓮花、筆架,森森疊疊,磊磊落落,或高或下,或長或尖,或圓或方,或散或聚,如此禽曜,極為貴秀。若見高昂二丈三丈,主為官入朝,極品之貴。州省城垣水口中多有之。
いわゆる「禽星」とは、すなわち水口当中の石頭、亦た「落河火星」と呼ばる。何となれば、此の類の石頭は本是火星龍の余気の河裏に落到して化する所にして。楊筠松のいわく、汝に問ふ、何をか禽と呼ぶ。すなわち水中央に生出する亀形・魚形の石なり。それら或いは竹笋の如く・朝笏の如く・游魚・亀蛇・野鴨の如く・金箱・玉印・蓮花・筆架の如し。森然重畳・磊落分明、或いは高或いは低・或いは長或いは尖・或いは円或いは方・或いは散布・或いは聚拢。此の如き禽曜極めて尊貴清秀。若し両三丈の如く高高昂起せるを見れば、官を為りて朝に入り、位人臣を極むるを主る。州城・省城の水口当中は、此の類の石頭甚多し。
若小小石頭,依山傍水,浮石無根者,謂之稱官不見祿,終是假官人。必有根盤結水中,聳起高昂為美。凡入鄉村,水口間、溪河中見有此奇異之石,必有大貴之地,宜尋取龍穴,不可忽也。如福建甌寧李天官及泰和蜀口歐陽氏祖地,皆河中石曜挺然奇異而應貴穴,此禽星之驗也。吾邑瑤溪張氏海蝦戲珠形,一印石當前,亦其格也,見下。
もし只是小小の石頭にして、山に靠り・水に貼り、彼処に浮びて根基なからば、則ち「官を称して禄を見ず」と呼び、終究ただ個の假官人なり。必ず根あって水底に盤結し、高高聳起してこそ、始めて美と算す。凡そ郷村に走进り、水口一帯・溪河当中に於いて此の種の奇異の石を見れば、附近に必ず大貴の地あり、当に往きて龍穴を尋るべく、軽易に放過すべからず。福建甌寧李天官家・泰和蜀口欧陽氏家の祖墳の如きは、皆河中の石曜挺然奇異にして、而して貴穴に応ず、此れすなわち禽星の験証なり。我ら徳興本県瑶溪張氏のあの块の「海蝦戯珠」形の地は、穴前正当着一块の印石、亦た此の一格に属し、図は下面に列す。
左地在建寧府南七里,土名裡街。其龍開帳撒落平陽,順水而下。入首翻身逆水,突起高墩,成太陽金星結穴。右畔石曜浮於水中,貼身照穴有力,且以關內堂,塞填外堂,迥然獨異,是為貴應。後樂撐天高帳二重,而本身一字文星橫攔穴前,以收內氣。而外洋寬暢,大溪之水特朝數里,眞貴地也。乃翠屏名柟號翠屏,自擇以葬其父巖叟。葬後數年而尚書公生名默,號古沖,登正德辛巳進士,官至吏部尚書。至今富貴未艾。俗呼為上水魚形。以愚觀之,當作蟠龍戲珠形。
左図この地は建寧府城南七里に在り、小地名は里街。その龍は帳幕を張開し、平阳の地に撒落し、水に順い往下に走る。「入首」の処に到りて翻身して水に逆らい、突然として一座の高墩を隆起し、「太陽金星」を成りて結穴す。右辺に石曜ありて水中に浮び、穴場に貼近して照応力あり、既に内明堂を関攔し、また外明堂を填塞し、迥然として衆と同じからず、正に貴気の応証なり。穴後の楽山は両重の撑天大帳にして、本身また「一字文星」ありて穴前に横攔し、以て内気を収住す。外洋寛敞開闊、大溪の水専程朝来して好幾里、確かに块の貴地なり。此の地は名は柟・号は翠屏なる人自ら相中し、以て父の岩叟を安葬す。下葬幾年の後、尚書公出生す、名は黙・号は古冲、正德辛巳科進士に考中し、官は吏部尚書に至り、今に至るまで家門富貴衰えず。俗人此の块の地を称して「上水魚」形と為す、我が看るに依れば、当に「蟠龍戯珠」形と呼ぶべし。
右地在泰和縣西南十里,地名蜀口。其龍與縣龍同祖,至武山,又迢遞三十餘里,與縣龍分脈,不詳述。入局開帳過峽,頓起御屏。中垂一脈結穴,穴情甚巧。兩畔重重包裹,前鋪氈褥,下關有力。穴當逆朝大局,羅城垣聚,遠秀拱揖,贛河特朝,與小源合會,遶青龍,纏玄武。而河中巨石、禽曜關鎖水口,以為貴證。左手一穴,俗呼水推羅磨形,亦美地。其陽基正坐御屏,亦具此局此曜陽基得水,陰穴藏風,故歐陽氏人丁大旺,鉅富、顯貴、高壽,諸福咸集,皆此陰陽二地所鍾也。繫孚先、覺先二公自卜。今兩房富貴皆均,茲特詳於下。
右図この地は泰和県西南十里に在り、地名は蜀口。その龍は県城主龍と同一個の祖山にして、武山に走り至り、また迢迢三十余里、方に県龍と分開来る、ここに細説せず。本局に進入し後帳幕を張開し・峡口を越え、猛然として「御屏」を聳起し、正中に一脉を垂下して結穴す、穴情非常に精巧。両旁重々包裹し、穴前に毡褥を鋪出し、下関力あり。穴場正対して逆朝の大格局、羅城垣墻の如く聚拢し、遠処秀峰拱手作揖し、贛江の水専程朝来し、小溪源頭と会合し、青龍を繞り・玄武に纏り。河中の巨石と禽曜は水口を関鎖し、以て貴気の憑証と為す。左手辺還た一穴あり、俗称「水推羅磨」形、亦た美地なり。彼の家の陽宅基地正に御屏の下に坐し、同様に此の局・此の如き曜星を具備す。陽宅水を得、陰穴穴風を蔵す、ゆえに欧陽氏人丁大旺・巨富・顕貴・高寿、各様の福気斉集す、皆此の一陰一陽両块の地の鍾聚して出づる所なり。此の両処の地は孚先・覚先両位先生の自ら相定せる所なり。如今両房の富貴上下相まさず、下面特地に彼らの世系を詳列す。
歐陽孚先。以定、以信。琳。和、仁、賢、清。浚、澗、哲、漴。鵬、寧、熙、勉。誥、讓、庸。塾、昱、德。銑、紹慶、餘慶。歐陽覺先。以吾、以忠。子廉、子宗、子詹。正、庸、俊。洛、洙、湧、湯、涇。瑎、升、憲、說。古、鶴、鶚、廷臣、雍。衢、鐸、席、昆、嵩、雲。獻、幹貞、幹利、幹亨、乾元。
ここは原是蜀口欧陽氏の両幅の世系表にして、如今名字を連接するの図線已に存せず、只剩下輩分に按じて排列せる人名のみ。孚先一房は自上而下依次に、欧陽孚先。下一輩以定・以信。再下一輩琳。再下一輩和・仁・賢・清。以下各輩依次に、浚・澗・哲・漴、鵬・寧・熙・勉、誥・譲・庸、塾・昱・徳、銑・紹慶・余慶。覚先一房は自上而下依次に、欧陽覚先。下一輩以吾・以忠。再下一輩子廉・子宗・子詹。再下一輩正・庸・俊。以下各輩依次に、洛・洙・涌・湯・涇、瑎・升・憲・説、古・鶴・鶚・廷臣・雍、衢・鐸・席・昆・嵩・雲、献・干貞・干利・干亨・干元。両房子孫一様に繁盛し、正好前面のいう富貴均等の話を印証す。
右地在吾邑二十九都水南。其龍來脈發自港頭松山,分幹甚遠,不詳述。奔騰百餘里,起歸仙火星作少祖。又磊磊落落數十里,開帳過峽重疊。比入局,展帳轉身,飛蛾降勢,結回龍顧祖之穴。龍勢躍踴,穴情清巧。左右迴環,堂局團聚,四勢和平,前朝秀異,一峰侵云,尖麗可愛。穴下石印,圓平當前,以為貴證。
右図この地は我ら徳興本県二十九都の水南に在り。その来脈は港頭松山より発し、干龍を分出すや已に遠く、ここに細説せず。一路奔騰一百余里、「帰仙」火星を聳起して少祖山を作る。また磊磊落落として数十里を走り、帳を開き峡を過ぎ、重々畳畳。本局に進入するを等って、帳幕を張開し身を転じて来たり、「飛蛾」の形を以て勢頭を降下し、「回龍顧祖」の穴を結成す。龍勢跳躍踊動し、穴情清秀精巧。左右環抱回旋し、堂局团聚して散ぜず、四面形勢平和、前面朝山秀異、其中一峰高く雲霄に挿し、尖秀可愛。穴下に一块の石印あり、円にして平、正当穴前に在り、以て貴気の憑証と為す。
艮龍入首,扦癸山丁向兼丑未,繫廖金精下。取作海蝦戲珠形,以禽星石印為征也。葬後,出兄弟四神童澤公、湖公及蒙泉、蒙正公,皆以兄弟登神童科、一駙馬尚宋理宗公主,入翰林者四:淋公、顯忠公、仲□公俱翰林修職郎、式公國朝檢討,理學二秋谷先生清溪先生、進士數十人,封蔭奏名登仕版者又百餘人,世宦蟬聯。
龍は艮方より入首し、癸山丁向を立て丑未を兼ぬ、是れ廖金精の点ずる所。喝形は「海蝦戯珠」、すなわち禽星石印を拿りて以て験証と当作る。安葬の後、張家は兄弟四位の神童を出す。沢公・湖公および蒙泉公・蒙正公は、皆兄弟の身份を以て神童科に考中す。又一位の駙馬を出し、宋理宗の公主を娶る。翰林院に進入せる者四人あり。淋公・顕忠公・仲某公——底本此処名字一字を缺く——三人皆翰林修職郎を任じ、式公は本朝に於いて検討を任ず。理学を研治する者両位あり、即ち秋谷先生と清溪先生。進士数十人。封贈・蔭襲・奏名に靠りて官籍に列入せる者また一百余人、世代官を為し、連綿として断えず。
以石印當前,亦懷內圓墩,主貴人出繼,故秋谷公嘉善以侄繼姑,為徐知州從龍公子。懷內圓墩自本身生者,主出繼外姓;自外山生者,主外姓入繼。此蓋本身生者耳。至今三族繁盛不替。
石印正当穴前に在るに由りて、同時にまた「懐内円墩」に属し、家中の貴人の過継出去するを主る、ゆえに秋谷公張嘉善は侄子の身份を以て姑母に過継し、徐知州張従龍の児子を成せり。「懐内円墩」若し是れ本身龍脈上に生出せるは、自家子弟の外姓に過継するを主る。若し是れ外来の山の生出せるは、外姓子弟の過継して進入するを主る。ここは本身生出の一種に属す。今天に到りて張氏三族依然として繁盛して衰えず。
曜星を論ず 一
曜星者,亦是龍之貴氣旺盛發洩而出者也。凡龍虎肘外、龍身枝腳、穴前左右之砂、明堂下開水口,及龍身隨帶之間,但有尖利巨石,皆為曜星。凡地貴必有曜。楊筠松云:“龍眞穴眞只無曜,空有星峰重疊照。縱饒積玉與堆金,兒孫終主登科少。”是言有曜方有貴氣。又宜長大。
いわゆる「曜星」も、亦た是れ龍の貴気旺盛・発泄して出でて形成せる所。凡そ青龍白虎の肘外・龍身の枝脚上・穴前左右の砂上・明堂下方に開出する水口の処・および龍身随帯の部位に在りて、ただ尖利の巨石あれば、皆曜星と算す。凡そ貴地、必ず曜あり。楊筠松のいわく、龍真穴真にして偏偏曜なからば、空しく星峰重畳して照着するも、縦に家裏金を堆み玉を積むも、児孫終究登科する少なし。これは曜ありてこそ貴気あるを説く。曜は還た当に長大なるべし。
楊公云:“曜星短小隻些兒,簿尉丞叅品位卑。科第縱饒僥倖得,終歸夭折少年時。”故曜若長大,則貴亦遠大,曜短小則貴亦短小。又宜近穴。故云:“曜星若現石尖生,貼身橫過面前平。伸手若還拈得著,少年一紀狀元名。”蓋遠則見效遲,近則可以催官速發矣。此皆確論。
楊筠松のいわく、曜星短小なること只有あの一点々、出すは不過主簿・県尉・県丞・参軍一類の低微官職。科第たとえ僥倖に考上するも、人終帰少年夭折す。ゆえに曜若し長大なれば、貴気も亦た遠大。曜若し短小なれば、貴気も亦た短小。曜は還た当に穴場に靠近すべし。ゆえにいう、曜星顕現して尖利の石頭を為し、穴身に貼りて横過し・穴前に平鋪す。手を伸出して去れば幾乎として便ち摸着することを得ば、則ち少年人十二年の内に便ち状元の名を博得することを得。何となれば、離るること遠ければ応験便ち慢く、離るること近ければ便ち能く官を催して速発す。これら皆確切の議論なり。
但其所謂“或如刀,或如劍,隨水順飛俱冉冉。庸師只斷定離鄉,不知內有眞龍占。”此則必以龍穴決其吉凶。蓋來龍是祖宗、父母,穴是主人,曜星乃是客,必先以本身龍穴為祖,而後可以定其吉凶。果龍穴眞貴,則如大貴人,必有軍將兵衛,或左或右,或出或入,或來或去,皆是奔走服役,故順去者亦無所畏。若龍穴假賤,則為離鄉退田刑殺之砂矣。
不過彼のいう「或いは刀の如く・或いは剣の如く、水に随いて順流して飛去り、一条々緩緩伸展す。庸師ただ断じて離郷の兆と作し、裏面正に真龍占拠するを知らず」は、これすなわち必ず龍穴を拿りて以て吉凶を判定せねばならず。何となれば、来龍是れ祖宗父母・穴是れ主人にして、曜星只是客なり。必ずまず本身の龍穴を以て根本と為し、然る後にこそ其の吉凶を定め得。もし龍穴確実に真貴なれば、那すなわち好比一位の大貴人、身辺に必ず将領兵衛あり、或いは左或いは右・或いは出或いは入・或いは来或いは去、全是それの奔走服役に替る人なれば、ゆえに曜星水に順いて去るも亦た必ずしも害怕せず。反対に、もし龍穴虚假低賤なれば、それ便ち主離郷・退田・刑殺の凶砂を成す。
張子微謂:“順水去曜,必要外面有遮攔裹截則吉。若一向蕩然無收,乃是離鄉之砂,而不可為曜。”固為有理,終不若以龍穴為主,而兼之子微遮攔裹截之說,則盡善矣。楊公云:“龍山雙管進田筆,進契年年吉。右邊尖射便為凶,千萬莫相逢。”或疑其說,以為虎山帶曜者不可用。
張子微のいわく、水に順いて去る曜は、必ず外面別に山ありて遮攔包截してこそ始めて吉と算す。もし一路荡然として収なくば、那すなわち離郷の砂にして、曜と算すべからず。此の話固より理あると雖も、終究龍穴を以て主と為すに如かず、再び兼ねて張子微の遮攔包截の説法を采れば、那すなわち周全なり。楊筠松のいわく、青龍一辺双双管出するは「進田筆」、年年皆田契を添置するの吉兆あり。右辺若し尖石ありて射来たらば便ち凶、千万に碰上するなかれ、と。或る人此の話を懐疑し、以て白虎一辺帯曜の地は便ち用ふべからずと為す。
殊不知前輩教人,各隨意所寓。虎尖誠有不可用者。若龍穴貴,則彼為眞曜,又與刑殺不同。進田、退田二筆,不可全以在龍虎者為是,只以上水、下水取之為當。若在龍而順水帶殺,亦為退筆;在虎而逆水有情,亦為進筆。此亦姑就進退二筆言之。若推其至,必以龍穴為主。苟龍穴既眞,所謂“隨水順飛俱冉冉”者,皆貴曜矣,何分青龍白虎?何分順水逆水哉!
其実前輩の人を教ふるや、各各その用意の寄する所有り。白虎一辺の尖石確実に用ふべからざるありと雖も、ただ龍穴貴ならば、那の尖石すなわち真曜にして、刑殺の砂と完全に同じからず。「進田筆」「退田筆」此の両個の名目は、完全にそれ青龍に長ずるか白虎に長ずるかに按じて判定すべからずして、而当にそれ上水一辺か下水一辺かに按じて以て取るべし。若し青龍に長じて而して水に順いまた殺気を帯ば、同様に是れ退田筆。若し白虎に長じて而して水に逆らいまた情あれば、同様に是れ進田筆。これも亦た不過進・退両種の筆に就きて姑く立説するのみ。若し極処に推せば、仍ほ必ず龍穴を以て主と為すべし。ただ龍穴是れ真ならば、則ちいわゆる「水に随い順に飛ぶ俱に冉冉」の尖石は、全是貴曜にして、何れの処にか還た何の青龍白虎・何の順水逆水を分たんや。
但刑殺有似於曜,各要分別。楊公云:“或如鑽,或如針,兩邊相指穴前尋。非惟子息多清貴,更須積玉與堆金。”又云:“圓峰連堆堆又跌,射到穴前尖又劣。兄弟父子慶同年,紫綬黃麻朝玉闕。”又云:“或斗射,或交鋒,尖尖有石在其中。賢良科甲渾閒事,三臺八座及神童。”此皆有口訣傳授。
只是刑殺の砂は形状甚だ曜星に似て、各自分辨清楚を要す。楊筠松のいわく、或いは鑽子の如く・或いは針の如く、両辺彼此相い指し、要して穴前に到りて尋るべし。此の如き地は但し子孫清貴多きのみならず、還た必ず金を堆み玉を積む、と。彼またいわく、円峰接続して堆起し・堆いてまた跌落し、穴前に射到るの石頭また尖また峭。此の如き地は兄弟父子同年に得中し、身紫綬を佩び・手に黄麻詔書を捧げて天子に朝見す、と。またいわく、或いは互相斗射の如く・或いは交鋒対刺の如く、尖尖の中に石頭を夾む。此の如き地は賢良を出し・中科甲するは不過尋常の事、還た三公八座と神童を出す能し、と。これら皆是れ口訣師承ありて、口を随いて乱講するにあらず。
不然,尖尖相射相指相鬥之砂,皆為刑殺,主兄弟相箋,及遭軍配、殺戮、凶禍,烏可為貴?張子微以兩尖相射者,必要以遜讓迴避為吉。射到穴前者,以橫直別之。橫者為吉,直射向穴為凶。誠確論也。蓋此等貴曜,亦與凶殺頗為同形,毫釐之間,便分吉凶。苟無眞見,未有不畏懼者。
若し口訣なくして依拠を作らば、則ち尖尖相い射・相い指・相い闘ふの砂は、就ち統々是れ刑殺にして、兄弟互相残害および充軍発配・殺戮と種種の凶禍に遭受するを主る、怎んぞ能く貴格ならんや。張子微は認めて、両尖相い射するは、必ず彼此譲譲回避してこそ始めて吉と算す。穴前に射到るは、則ち要して横向か直向かに按じて分別すべし。横に来るを為して吉、笔直に穴に射向するを為して凶。此の話確実に中肯なり。何となれば、此の一類の貴曜と凶殺は形状甚だ相近く、相差毫厘の間にして、吉凶便ち完全に同じからず。倘若真本事真見識なからば、見て害怕せざるなし。
故楊公云:“禽曜星,貴無價,生在穴前形丑怪丑怪即下文順水之說,非巉巖惡陋凶形之丑怪也。尖尖順水或斜飛,世俗庸師見即怕。”誠以曜星尖利,亦有順水,亦有斜飛者。自常格論之,為退田筆、離鄉砂,寔有可畏。高人見得龍穴眞貴,故不以為嫌。苟龍穴不眞,則為刑殺而凶矣。
ゆえに楊筠松のいわく、禽星曜星は貴重なること估价する法なし、それら穴前に生じて、形状「丑怪」——ここにいう丑怪すなわち下文の講ずる所の順水斜飛の意思にして、并びに嶙峋悪陋の凶形を指すにあらず——一条々尖利にして水に順いて去り、或いは斜斜飛出す、世俗の庸師は一看見すれば便ち害怕す。確実に、曜星尖利にして、順水のあり・亦た斜飛のあり。常規格局を照らして以て論ずれば、那是退田筆・離郷砂にして、実在可畏。但し高明の人は看出し龍穴確実に真貴なるを、ゆえに并びにそれを嫌棄せず。倘若龍穴真ならざれば、それ便ち変りて刑殺と為りて凶を主る。
《玉峰寶傳》云:“不遇刑殺,大官不發。大煞大刑,高科魁名。”或疑其說,以為如此則亦無所畏刑煞耶。是不然。世人以曜星為刑煞,故其辭曰:“若要大官高科,除非世俗所謂刑煞也。”又云:“刑不刑,煞不煞,秀在尖拔。”其意謂世人所謂刑,寔非刑,所謂煞,實非煞也,其秀意全在於尖拔處。除非遇此,然後謂之遇刑煞,非世人之所謂刑煞也。如浮梁李侍郎、豐城黃尚書、樂邑沐國公,及吾邑張尚書諸祖地,皆見有尖利順竄之砂。以常見論之,則為不吉。只是龍眞穴的,乃為明曜,適是貴地之證,是其格也。諸圖具列於下:
《玉峰宝伝》にいわく、刑殺に遇上せざれば、大官発起せず。大煞大刑ありて、方に高科魁首を出す、と。或る人此の話を懐疑し、以て照此の説かば、刑煞豈に完全に怕れずして可ならんや。其実然らず。世人曜星を以て刑煞と当成す、ゆえに書上方に那の様に措辞す、無非これはいう、若し大官を出し・高科に中らんと欲せば、世俗のいわゆる刑煞有るに非ざれば不可なりと。書上またいわく、いわゆる刑其実刑にあらず、いわゆる煞其実煞にあらず、秀気全在那の尖鋭挺拔の処に在り、と。也就是いう、世人の刑と叫作るは并びに真に是れ刑にあらず、煞と叫作るは并びに真に是れ煞にあらず、それの秀気は尖抜上に在り。一定要此の種の尖抜の形に遇上してこそ、方に書中の講ずる刑煞に遇上せりと算し、而して世人の講ずる刑煞にあらず。浮梁李侍郎・豊城黄尚書・楽平沐国公・および我ら本県張尚書此の幾家の祖墳の如きは、皆尖利順竄の砂を看ることを得。常規に按じて以て論ずれば即ち不吉、ただ因に龍真穴的にして、それら便ち「明曜」を成り、恰好是れ貴地の憑証、正に此の一格に属す。下面に各図を一々列出す。
左地在浮梁東鄉義倉塢,乃大龍翻身朝祖,穴在窮源。且右砂竄下明堂,尖利順水,前砂尖利向穴,局又迫狹,無一可入俗眼。國師吳景鸞為李氏下後,出侯二、侍郎五、神童四、開國食邑者一、學士三。
左図この地は浮梁県東郷の義倉塢に在り、大龍の翻身して来たり祖山に朝拜するに属し、穴は水源の尽頭に点ず。而且右辺の砂一路明堂に竄下し、尖利にして水に順いて去り、前面の砂また尖利にして穴に対し、格局還た逼仄狭窄にして、一処も俗人の眼光に合上するなし。国師呉景鸞李家の為に此の穴を点下し後、此の一家は両位の侯爵・五位の侍郎・四位の神童・一位の開国受封食邑の功臣・三位の学士を出す。
蓋其龍以火星三臺中落,飛揚頓伏,翻身起頂,降勢垂脈,成金星開窩之穴,皆是貴格。下關一臂有力。前面砂雖可畏,乃是明曜,如大貴人必有披堅執銳侍從之人為我所用,何畏之有?其水尾源頭局面雖窄,然顧祖之穴,骨肉一家。況是大龍翻身入塢,非比小龍山腳小穴。卜氏謂:“窮源僻塢,豈有眞龍?”蓋恐人以山腳無龍處扦地耳。
原来此の条の龍は火星「三台」の正中より落下し、一路飛揚起伏し、身を翻して来たり重新に頂を起こし、再び勢頭を降下して脈絡を垂出し、金星開窩の穴を結成し、様々皆是れ貴格。下関あの一臂甚だ力あり。前面の砂人をして畏を生ぜしむと雖も、其実是れ「明曜」——就好比大貴人の身辺に必ず甲を披き鋭を執れる侍従ありて供さるる其の駆使、何の可怕あらん。ここ水尾源頭に在り・局面狭窄と雖も、可も是れ「顧祖」の穴にして、祖孫骨肉本に一家。況んや是れ大龍翻身して山塢に進入し、小龍山脚の小穴と比すべからず。卜応天のいわく「窮源僻塢、豈に真龍あらん」、那是怕る人々の山脚無龍の処に跑りて穴を点せんことを、并びに一概に源頭山塢を否定するにあらず。
右地在豐城,土名浣江犬眠岡。其龍自兩髻山作祖,行度甚遠,不及詳述。比入局,橫列九腦芙蓉闊帳,正脈中落,重穿九腦,復作工字,復大斷過峽,頓起直三臺入首,為天財土星,擔凹中結垂珠穴。穴情甚巧,氣蹙於前,後宮仰瓦,而明堂緊巧。下手有力,後有帳幕撐樂,前有群峰呈秀,近有獅象鎮塞,遠有日月捍門,眞吉地也。
右図この地は豊城に在り、小地名は浣江犬眠岡。その龍は両髻山を以て祖と為し、行度甚だ遠く、細講するに及ばず。本局に進入するを等って、横向に一座の「九脳芙蓉」寛帳を排開し、正脈中より落下し、再次九脳を穿過し、接続して「工」字形を作出し、また大に断つること一次して峡を過ぎ、猛然として笔直の「三台」を聳起して入首し、「天財」土星を為りて、担凹の中に「垂珠」穴を結出す。穴情十分精巧、気は穴前に聚まり、後宮仰放の瓦片の如く微微凹下し、明堂緊凑巧妙。下手一辺力あり、背後に帳幕ありて楽山を撑作し、前面に群峰ありて秀色を呈献し、近処に獅形象形の山ありて鎮守堵塞し、遠処に日月両山ありて門戸を把守す、確かに块の吉地なり。
葬後出徽猷、煥章二學士名疇若得禮,掌銓曹紹宗,厯秋官彥平,及曰明、曰穎、曰彥輔、曰元之、曰子文,並列朝議,一時九貴,乃龍格九腦穿心,及砂法九曜之應。以有壻登臺座,故今傳為十尚書云。繫王點腳所下。其龍盡處,又結小地。以俗眼觀之,小地齊整可取,此穴龍穴不聚,前砂順水,決在所棄矣。王君果然明師也。
安葬の後、此の家は徽猷閣・煥章閣両位の学士を出し、名は畴若と得礼。吏部銓選を掌管せる紹宗あり。刑部の職を歴任せる彦平あり。此外還た名は明・頴・彦輔・元之・子文の幾位あり、一同朝議大夫に位列し、一時の間に九位の顕貴を出す。此れ正に龍格上の「九脳穿心」と砂法上の「九曜」の数に応ず。また因に一位の女婿亦た台閣高位に登上する有りて、ゆえに如今民間は「十尚書」と伝作す。此の块の地は王点脚の点ずる所。あの条の龍の尽頭の処別に還た一块の小地を結ぶ。俗人の眼光を照らして看れば、小地斉整にして取るべく、而して此の穴は龍脈聚まらず・前砂水に順ふ、一定会捨棄せらん。これを見れば王君真に一位の高明の地師なり。
右地在樂平治南九十里,土名高橋。其龍來遠,不詳述。入局落平岡,開帳穿峽,起華蓋,中出結穴。兩掬有情,穴前氈褥平坦,明堂融注,前朝奇峰羅列,取作胡僧禮佛形,以群秀當前也。只白虎巨石長出,如笏順水。繫緣督趙仙翁為程氏下。曰:“曜星現,笏砂斜,出貴當出外甥家。”主人嘆曰:“奈何?”翁曰:“休嗟!休嗟!還是自家!”後果生女適藍杭黃氏。女回省母而喪子,因抱弟子歸黃為已子,即尚書公也。果符仙翁之言。
右図この地は楽平県城南九十里に在り、小地名は高橋。その来龍甚だ遠く、細講せず。本局に進入し後平岡に落成し、帳幕を張開し・峡口を穿過し、「華蓋」を聳起し、正中より脈を出して結穴す。左右両掬抱えて情あり、穴前毡褥平坦、明堂の水汇聚して散ぜず、前面朝山奇峰羅列し、此に因りて喝形を「胡僧礼仏」と為す、取るは群峰秀麗にして前列に羅列するの意。只是白虎一辺に一块の巨石を伸出し、形状朝笏の如く、水に順いて去る。此の地は趙縁督仙翁程家に替りて点ず。彼いわく、曜星顕現し、笏形の砂斜出す、出すの貴人当に外甥家に出ずべし。主人嘆気して道ふ、那可怎麼辦。仙翁のいわく、嘆気するな・嘆気するな、底を説き極めれば還た是自家人。後來程家果然として女儿を生じ、藍杭黄家に嫁す。女儿娘家に帰りて母を探る時儿子を喪ふ、ここにおいて弟弟の児子を抱養して黄家に帰入して亲生児子と当作す、那すなわち後來の尚書公なり。果然として仙翁の話に応ず。
左地在樂平縣,地名大汾潭又名鵝塘。其龍來歷甚遠。吳公《鉗記》只以王大山為祖,蓋指切近者言之。自王大山分兩龍,一枝逆水而上,去結明溪許氏陽基;一枝順水而下。比入局,翻身逆當大河洋朝以結此穴。將入首,大斷出帳度峽,連起貪狼,卓拔飛揚,形勢雄偉。復頓玉枕土星,結咽束氣,起凹腦土星,垂短乳,乳復開窩。
左図この地は楽平県に在り、地名は大汾潭、また鵞塘と呼ぶ。その来龍の歴程甚だ遠し。呉景鸞の《鉗記》はただ王大山を以て祖山と当作る、那是就近処を言うなり。王大山より両条の龍を分出す。一枝は水に逆らい上走り、往きて明溪許家の陽宅基地を結ぶ。一枝は水に順い下走す。本局に進入するを等って、此の一枝は身を翻して来たり、逆向に大河の浩蕩の来朝に面して此の穴を結成す。「入首」せんと快くする時、大に断つること一次して帳を出で峡を過ぎ、接続して「貪狼」星を聳起し、卓抜飛揚、形勢雄偉。接続して頓として「玉枕」土星を起こし、咽喉を収成して気脈を束住し、再び「凹脳」土星を起こし、一段の短乳を垂下し、乳頭上また窩形を開出す。
窩之左右兩石鉗甚巧。窩中平坦天然,僅可容棺。穴下餘氣則陡峻頑硬,而龍虎兩山,頭雖高昂,腳卻俯伏插落,拱抱有情。大河水自辰巽轉午,當面陽朝,繞流腳下。河中巨石磷磷,如獸如禽。朝山數十里外聳入雲霄,如褰旗、展帳、帶甲馬、招軍旗、兜鍪、劍戟、金甲、金鼓、御傘、將臺、屯兵、列陣,貴應重疊。
窩の左右に両块の石頭ありて鉗口を形成し、十分精巧。窩中の地面天然平坦、剛好一口の棺材を容下することを得。穴下の余気は則ち陡峭頑硬。青龍白虎両山は頭部高昂と雖も、山脚は俯伏挿落し、拱抱するや甚だ情あり。大河の水は辰巽方より午方に転じ、明亮として当面朝来し、穴脚の下に繞流す。河中巨石嶙峋、或いは走獣の如く・或いは飛禽の如し。幾十里外の朝山は高聳して雲に入り、形状は撩起の旗・張開の帳の如く・披甲戦馬・招軍大旗・頭盔・剣戟・金甲・金鼓・御傘・将台の如く、また屯駐の軍隊・排列の陣勢の如く、貴気の応験層層重畳す。
右畔隔河一山,千里大會,至此卓立,端拱如侍臣焉,眞公侯之地也。惟是武曜發露,巨石巉巖,青龍順飛,白虎昂雄。穴前陡峻,元辰水傾,怪異驚人,莫能測識吳廖讖贊。李氏葬後,遷定遠,生黔寧王英。值元末天下大亂,我太祖起義師,英累建大功,封西平侯,卒贈黔寧王,配享太廟,贈三代皆王爵。四子:長春襲侯,次晟以功封定遠王,次昂任都督搃兵,次昕尚公主,授駙馬都尉。至今子孫襲黔國公爵,世鎮雲南。
右辺河を隔てて還た一座の山あり、是れ千里山脈の大会聚の処、ここに到りて卓然挺立し、端荘拱手して一位の侍臣の如し、実在是れ公侯級の地。只是ここ武曜外露・巨石嶙峋・青龍水に順い飛出し・白虎高昂雄壮。穴前陡峻・元辰水傾瀉して下り、形貌怪異にして人を驚かし、一般人根本に看懂せず、ただ呉景鸞・廖金精の讖語と贊詞のみそれを説破せり。李家葬入の後、定遠に遷往し、黔寧王沐英を生ず。適逢元末天下大乱、我朝太祖義軍を興起し、沐英屢大功を建て、西平侯を封ぜられ、去世の後黔寧王を追贈し、太廟に配享し、三代皆王爵を追贈す。彼に四個の児子あり。長子沐春侯爵を承襲し、次子沐晟軍功を以て定遠王を封ぜられ、三子沐昂都督総兵を任じ、四子沐昕公主を娶りて駙馬都尉を授けらる。今天に到るまで、彼の子孫仍ほ黔国公の爵位を承襲し、世代雲南を鎮守す。
按:此地後龍雖美,至結穴處,山峻星粗,全身惡石。白虎雄昂,青龍順竄,砂飛穴陡。橫龍入首,落脈模糊。其直串龍勢而去之山,似乎不住。況穴星而無頂,坐當凹處,後無樂山,元辰又傾,水口低遠,無一可入俗眼者,初見莫不驚駭。
作者按語にいわく、此の块の地後面の来龍美なりと雖も、可是結穴の処に到りて、山勢峻急・星体粗頑、通身皆看難きの悪石なり。白虎高昂雄壮・青龍水に順い外竄し、砂脚飛散して而して穴場陡峭。それ是れ横龍入首にして、落脈模糊不清。あの条直串して龍勢に従い往く山は、看上去好像根本に停止せんと肯ぜず。況んや穴星頂なく、凹陷の処に坐し、背後楽山なく、元辰水また傾瀉し、水口既に低くまた遠く、一様も俗人の眼光に合上するなく、初見する人驚駭せざるなし、と。
不知大幹龍地,稟氣厚,力量大,山峻星粗,與之稱也;全身惡石,威武應也;白虎昂雄,殺伐權也;青龍順竄,離鄉貴也;星無正頂,凹腦格也;龍勢不住,餘氣旺也;穴陡水傾,先凶兆也;後樂無山,水口低遠,幹龍護從,隔州隔縣,不取近也。諸般丑拙,總為吉用。但未葬時,梁公有曰“福在三十年後,禍在初葬之時。”苟非李公有高出尋常萬倍之見,豈能葬之哉?蓋積善之報,冥冥中必有主之者耳。篤生黔寧,輔我皇明,為開國元勳,世享爵祿,豈偶然哉!
彼らは懂らず、大干龍の結ぶ所の地は稟受する気厚く力量大にして、山勢峻急・星体粗頑なるは、正にその分量と相称す。通身悪石なるは、是れ威武の応験。白虎高昂雄壮なるは、是れ殺伐の権を掌る。青龍水に順い外竄するは、是れ離郷顕貴。星体正頂なきは、那本是「凹脳」一格。龍勢停住せんと肯ぜざるは、是れ余気旺盛。穴陡く水傾くは、是れ先凶後吉の預兆。背後楽山なく・水口低遠なるは、那是因に干龍の護従の山遠く隔州隔県に在り、本来就不に近処を取らざるなり。種種の丑陋笨拙の処、合起せば全是吉用。只是下葬の前、梁公便ち説過せり、福気は三十年以後、禍事は剛に葬下の時、と。倘若李公常人に高出する万倍の見識なからば、怎んぞ敢えて葬せんや。这大概是積善の報応、冥冥の中に自主宰あり。此の块の地黔寧王を生出し、我朝を輔佐して、開国元勲を為り、世代爵禄を享受す、何れの処にか偶然の事ならんや。
傳疑宋末,丞相馬碧梧廷鸞慕其地,不能識穴,請張眞人降,神筆神批云:“吾是鵝塘之土地,丞相問吾求大地。相地之師未降生,得地之人未了未。”丞相喜曰:“吾夫人未生,未了未,其吾夫人壽藏乎?”神復批云:“丞相好不安分!此李國公葬祖母地也。”丞相乃止。
伝疑一則。南宋末年、丞相馬碧梧馬廷鸞此の块の地を看中すれども、穴の何処に在るかを認出せず、便ち張真人を請ひて神を降さしむ。神霊扶乩の筆を用ゐて批していわく、我是鵞塘の土地神。丞相は我に向かい大地を求む、可是此の地を相する師父未だ出生せず、此の地を得る人は「未了未」なり、と。丞相高興して道ふ、我夫人未だ過世せず、「未了未」、莫非是説我夫人の寿穴をいうか、と。神霊又批していわく、丞相真是太不安分。これ是李国公祖母を安葬するの地、と。丞相此に於いて方に作罷す。
大汾有李公者,家世積德,生五子,好施與,作小舟渡人。吾邑地師梁饒與之善,因遠回求渡。時歲暮矣,且雪。李公曰:“天寒如此,何不止宿吾家,待霽而行?”梁遂宿焉。明日,天又雪。又明日,雪甚,路無行人。公待之愈厚。至元旦,始霽。梁求行,公又固留,因款待舟中,且以同日之慾渡者飲。
大汾に一位の李公あり、家中世代徳を積み、五個の児子を生み、為人楽善好施、還た一条の小船を備へて免費に人を渡して河を過らしむ。我ら本県の地師梁饒彼と交好せり。一次梁饒遠行より帰りて河を過ぎんとす、当時已に年底、天また雪を下す。李公のいわく、天此の如く冷なるに、何ぞ我家に住下し、天晴するを等って走らざる、と。梁饒便ち住下す。第二天、天また雪を下す。第三天、雪下ること更に大、路上一個の行人なし。李公彼を招待するや越発周到。正月初一に到りて、天方に放晴す。梁饒走らんとす、李公また極力挽留し、就ち船上に酒を擺して彼を款待し、還た同一天河を過ぎんと思ふ人皆請来して一起に喝さしむ。
至酣,梁乃乘醉大呼曰:“世上何人能識我,今日時師後代仙。吾所下地非貴即富。”李公因曰:“願公賜我吉地!”梁嘆曰:“此間誠有大地,但恐公無此福耳!”李公曰:“據吾先世積德,吾生平好善,除卻天子之外,任是將相王侯地,吾可當之。”梁壯其言,令畫字拆。公乃用舟篙於土上書一“一”字,曰:“當報我第一等地。”梁曰:“土上加一乃王字也!”知其福厚,遂報之,指陳先代明師鉗贊。公大喜。
喝到興頭上、梁饒酒意を借りて大声に喊道していわく、世上有誰我を認得せん。今天的時師就是後代的神仙。凡我点過の地、貴人を出ずざれば富家を出す、と。李公便ちいわく、但願先生我に賜らん一块の吉地。梁饒嘆じていわく、此の一帯確実に大地あり、只怕您没有那份福気。李公のいわく、我祖上の積徳・我平生の行善を憑れば、天子の地を除いて不敢当とする外、任憑将相王侯の地も、我都担当得起。梁饒彼の此の番の豪気を佩服し、便ち彼をして随に字を手書きして来て拆算せしむ。李公船篙を用ゐて地上に一個の「一」字を書き、いわく、該当我に報ずべし一块の第一等の地、と。梁饒いわく、土上に一を加ふれば、那正是個「王」字なり。由此彼の福沢の深厚なるを知り、便ち此の块の地を指し点して彼に与え、還た一々説明す前代名師の留下せる鉗記と贊語を。李公大喜す。
梁復謂曰:“此地曜氣發露,令人可畏,初葬未免無凶,人丁家產皆須有損。禍後而福始應,其貴又當從武功中來。”公曰:“果有後福,先凶勿恤也。但非已業,乃吾宗富侄之山,恐未易圖。”後數年,樂平明師彭大雅已報其侄。侄不之信。公因以基地易之,以葬其妻。初果勿利,公尋卒以時疫。五子亡其四,其一子又因爭水利傷人,戌定遠。後於定遠生黔寧王英。
梁饒また彼に対していわく、此の块の地曜気外露し、看着人をして畏を生ぜしめ、剛に下葬せば難免凶ありて、人丁と家産皆受損せん。禍事過去し後福気方に応験を開始し、而且その貴是要従武功上に得来せん、と。李公のいわく、只要求後來真有福ならば、先に些の凶を受くるも亦た必ずしも顧慮せず。只是此の块の山地不是我家自の産業、属于我族中富裕の侄児、恐怕不容易弄到手、と。過了幾年、楽平の名師彭大雅已經此の块の地を指し点して彼侄児に与えたれど、侄児却不相信。李公便ち自家の宅基地を用ゐて彼と換過し、用ゐて亡妻を安葬す。起初果然不順、李公不久就死于時疫、五個児子死了四個。剩下的一個児子又因為争水利傷了人、被発配到定遠戍守。後來就在定遠生下黔寧王沐英。
元末,天下大亂,我太祖起兵黎陽。于田野中,前軍報稱虎睡當道上。命勿放箭,但鳴鼓以進。及進則非虎,乃一童睡耳,童即英也。上喜曰:“此虎將也!”乃育之軍中,賜以國姓。洪武初,複姓。上令姓木,劉伯溫曰:“英鎮雲南,火戰之地,以木生火,當濟以水。”又賜點水,故令姓沐。神所以“未了未”者,其“木李”二字乎?
元朝末年天下大乱、我朝太祖黎陽に於いて起兵す。行軍田野を経過する時、前鋒来たり報じていわく、一只の老虎路当中に睡在り、と。太祖下令して放箭するを許さず、只鼓を擂りて前進す。走近して一看すれば、不是老虎、而是一個睡着的孩童、那孩童就是沐英。太祖高興して道ふ、这是員虎将。於是把彼養在軍中、賜姓朱。洪武初年恢復本姓、太祖使彼姓「木」。劉伯温説、沐英要鎮守雲南、那是用火作戦之地、以木生火、応当用水去調剤、と。於是又賜彼加上三点水、所以定姓為「沐」。当年神霊所批の「未了未」三字、指的莫非就是「木」「李」二字嗎。
宋國師吳景鸞鉗記云:“王大山前兩條龍,百里隱其蹤。直奔萬歲地名過金充地名,方始認雌雄。神后行來龍百里,三度失其蹤。恰如龍虎亂縱橫,眞個得人驚。要知此龍為官位,一一為君指。勝光神后列其方,世代貴朝郎。貪狼文曲現童子,出雙選功曹。傳送水來雄,清秀出神童。
宋代国師呉景鸞の鉗記にいわく、王大山前面に両条の龍あり、走了上百里都把蹤跡蔵了起來。一直奔到万歳此の地方、経過金充此の地方、才分得出哪条是雌・哪条是雄。従「神后」方位行来の龍走了上百里、三次失去蹤影。山形好像龍虎乱縦横、真够叫人吃惊。要知道此の条の龍能出什麼官位、我一条条為你指明。「勝光」「神后」両個方位各有山排列、主世代出朝廷顕貴。「貪狼」「文曲」両星現出童子之形、主一門出两位功曹。「伝送」方位有水雄壮而來、水清而秀、主出神童。
寅申相對便封侯,官職在梁州今雲南乃梁州分野。三座祿存高照,才子文章好。不以文章達御科,久遠管山河。山連天乙並太乙,本出侍朝職。為逢驛馬太雄高,所以管山河。雌雄欲遇要妍對,所以不行文。寅申巳亥有來蹤,所以出神童英童年統兵。此地為官世代深,莫惜與千金。”
寅方与申方両山相対、便主封侯、做官的地方在梁州——今天的雲南正属于古梁州的分野。三座「禄存」高高照臨、主出才子・文章写得好。但不靠文章去応科挙、而是長久執掌一方山河。山勢連着「天乙」「太乙」両星、本該出侍奉朝廷的文職。只因遇上「駅馬」之星太过雄高、所以改為執掌山河。雌雄二龍相遇本要形態相配才好、这裡配得不盡妍美、所以不走文途。寅申巳亥四方都有来脈的蹤影、所以出神童——沐英正是少年就統領兵馬。此の块の地做官的福分世代深厚、就算花千金去求也不該吝惜。
自吳公記後,鄉人皆知為大地,而不能識穴。廖金精至此,亦無從下手,盤桓月餘,晝夜思索,乃得之。喜甚,作贊刻石以埋於其穴中。廖禹贊曰:“二龍爭顧勢如何?恰似江豚拜浪波。四水俱朝龍足下,官居上將管山河。”
自従呉景鸞写下此篇鉗記以後、郷里人都知道这裡有大地、却誰也認不出穴在何処。廖金精到了这裡、一時也无従下手、盤桓了一個多月、日夜苦苦思索、才終於找到。他高興極了、写了一篇贊語刻在石上、埋進穴中。廖禹的贊語説、両条龍争相回顧、那気勢是什麼様子。恰像江豚在波浪中起伏叩拜。四面的水都朝到龍脚之下、主人做官能当上大将、執掌一方山河。
左地在臺州府治南五里,地名紫紗岙。其龍發自望海峰,辭樓下殿,精神雄猛,骨脈清奇。比入局,復大斷束脈,頓起高巒,成大陽金星結穴。穴甚精巧,但左臂直硬,竄入明堂。內局偏斜,既逼且窄。登穴觀之,不見外洋。只是龍氣甚旺,穴星甚尊,藏風聚氣,乃為眞美。外陽一字文星暗拱,水口交固。葬後出七進士、二太守、一侍郎、四文魁,人丁大旺。一房離鄉,今居江西,亦出兩進士。但不利長房耳。按:是地乃侍郎敬所王公宗沐祖地也,發福悠久,英才疊出,富貴鼎盛,不偶然也。
左図此の块地在台州府城南五里、地名紫紗岙。它的龍発自望海峰、一路辞別楼台・走下殿宇、精神雄猛、骨脈清奇。等到進入本局、又大断一次収束脈気、猛然聳起高巒、結成「太陽金星」之穴。穴很精巧、只是左臂笔直生硬地竄進明堂、内局偏斜、既逼仄又狭窄。登上穴場看、望不見外洋。全靠龍気極旺・穴星極尊、能蔵風聚気、才成為真正的美地。外面明亮処有「一字文星」暗暗拱護、水口交鎖牢固。安葬之后出了七位進士・两位太守・一位侍郎・四位文科魁首、人丁大旺。有一房離郷、如今住在江西、也出了两位進士。只是対長房不太有利罷了。作者按語説、此の块の地就是侍郎敬所王公王宗沐家的祖墳、発福長久、英才輩出、富貴鼎盛、絶不是偶然的。
右地在治南二十里,土名桃枝源。其龍即吳國師仲祥所下十院張氏倒騎龍穴之餘氣山發來者。只此盤旋又五里,開帳中落。入首復大斷,起飛蛾束氣,結穴尊重。但上手砂直硬順水,下臂短縮,收乘不過為異耳。此貴地之曜也。葬後出省齋公憲,官禮部尚書。外一穴俗呼蛇形,富地耳。
右図此の块地在府城南二十里、小地名叫桃枝源。它的龍就是国師呉仲祥所点十院張氏「倒騎龍」穴的余気山伸展過来的。只在此の一帯又盤旋了五里、張開帳幕、従正中落脈。入首処再大断一次、聳起「飛蛾」形星峰束住気、結穴荘重。只是上手的砂笔直生硬順水而去、下臂短縮、兜収不過上手、这是它与常格不同之処。而这正是貴地的曜。安葬之后出了省斎公張憲、官任礼部尚書。旁辺另有一穴、俗称蛇形、不過是块富地而已。
傳疑董公見此有內外二穴,內穴最貴,卻怪異殊常。龍山直硬順水,下關短縮,局逼窄,不見明堂,又是窮源僻塢。外穴龍虎齊整,明堂寛平,易入俗眼。公自度,若先點外穴,則內穴必棄。乃先點內穴。葬畢,又指外穴。人果皆以外穴為美,而嫌內穴。豐城何巡宰見而奇之,曰:“內穴雖丑,可出尚書。”後果驗。
伝疑一則。董公看出这裡有内外两个穴。内穴最貴、可是形貌怪異反常。青龍一辺笔直生硬順水而去、下関短縮、局面逼窄、看不見明堂、又処在水源尽頭的偏僻山塢裡。外穴則龍虎斉整、明堂寛平、容易討俗人的眼。董公心裡盤算、若先点外穴、内穴必定被人捨棄。於是先点内穴、葬完之后、才又指出外穴。衆人果然都覚得外穴好、而嫌内穴不佳。豊城的何巡宰見了内穴却大為称奇、説、这個穴雖然丑、能出尚書。後來果然応験。
曜氣亦有出於水口者,如臨海謝皇后祖地,其格也。左地在臺州府治北八十里,地名黃砂。其龍發自天姥,歷仙居,奔行百餘里。中間換剝、過脈、開帳,蓋莫能盡悉。將作穴,星峰精秀,五星、九星皆全。而起者沖天,伏者入地;大者橫開闊帳,動十餘里;小者如絲如線,如拳如杯,至於無形。曲者如生蛇,方者如屏臺,尤皆奇巧。
曜気也有発泄在水口上的、比如臨海謝皇后家的祖墳、就属于此の一格。左図此の块地在台州府城北八十里、地名黄砂。它的龍発自天姥山、経過仙居、奔行一百多里、中間換骨剥皮・過脈・開帳的変化、実在説不盡。快要結穴時、星峰個個精致清秀、金木水火土五星和九星的形体全都具備。起来的直衝霄漢、伏下的像沈入地裡。大的横向張開寛帳、動輒十几里。小的細如糸・細如線、或像一只拳頭・一只杯子、小到几乎没有形状。弯曲的像一条活蛇、方正的像屏風高台、样样都奇巧。
入首帳中落脈,垂頭作穴,而本身帳角兩肩包來,右邊微薄,而左砂太長,沖過穴前,順水無情為異耳。然大勢團聚,眾山環繞,水口重重,華表、捍門、禽星、獸星迥然奇異,故其課云:“水口豹尾一山,封王駐節。”葬後,出一後宋理宗皇后,封侯王我朝謝文正公遷,乃其裔也。
到「入首」処、脈従帳中落下、垂頭結穴。本身帳幕的两角像肩膀一様包抱過来、只是右辺略显単薄、左辺的砂又太長、衝過穴前順水而去、显得無情、这是它異于常格的地方。不過整体大勢团聚、衆山環繞、水口層層関鎖、華表・捍門・禽星・獣星都格外奇異、所以断語説、水口有一座豹尾形的山、主封王・開府駐節。安葬之后、出了一位皇后、就是宋理宗的皇后、家中也有封侯封王的。本朝的謝文正公謝遷、正是此の一族的後裔。
右地在臺州府治東南四十里,地名水家洋錢岙。其龍自星海峰發祖,五十餘里,至黃土嶺過脈,疊起大帳,連過數峽。乃頓御屏,屏中落脈,翻身面南,頓伏逶迤,成走馬串珠入穴。穴甚奇秀,亥龍入首,作丙相。龍身分出一枝,送至近穴,成太陰文星,以為正案。
右図此の块地在台州府城東南四十里、地名水家洋銭岙。它的龍以星海峰為祖山、走了五十多里、到黄土嶺過脈、層層張開大帳、接連穿過幾個峡口。接著頓起「御屏」、脈従屏風正中落下、翻過身來朝南、一起一伏逶迤前行、成「走馬串珠」之形而入穴。穴很奇秀、龍従亥方入首、立丙向。龍身另外分出一枝、一路護送到穴場近旁、形成「太陰文星」、充当正案。
