Libo

易簡

清 · 惠栋 · 第52巻 / 53

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

《老子道德經》曰:「為之於未有,治之於未亂。合抱之木生於毫末,九層之臺起於累土,千里之行始於足下。」《荀子·大略》曰:「夫盡小者大,積微者著,德至者色澤洽,德潤身,行盡而聲聞遠。小人不誠於內而求之於外。」《文子》曰:「積道德者,天與之,地助之。」《文選注》廿九。

『老子道徳経』に言う:事の未だ発生せざるの時に於て動手し、禍乱の未だ形成せざるの時に於て整治せよ。合抱の粗さの大樹は、毫毛の如く細の芽より長じ起る。九層の高さの台は、一筐々々の土より堆み起る。千里の遠行は、脚下の第一步より開始す。『荀子・大略』に言う:小処を尽くす者は大を成就し、細微の処を積み起す者は顕著す。德行は家に到る者は、気色は潤沢にして通体見るべし、即ち『大学』の言う所の「徳は身を潤す」なり。操行は尽処に做到せば、名声自然に遠くに伝う。小人は内裏に誠実を肯んぜずして、却て一味に外面に往きて名を求む。『文子』に言う:道徳を積累する者は、上天は彼に給与し、大地は彼を扶助す。此の条は『文選注』巻二十九の引く所に見ゆ。

張衡《東京賦》曰:「堅冰作於履霜,尋木起於櫱栽。」薛綜注云:「言事皆從微至著,不可不慎之於初,所以尋木起於牙櫱,洪波出於涓泉。」呂東萊曰:「乾之初九曰乾龍勿用,坤之初六曰履霜堅冰至。陽者善之類也,坤者惡之類也。善端初發,且要涵養;惡念初生,便須翦除。」

張衡『東京賦』に言う:堅氷は霜に履むの彼の一天より結成を始め、参天の大木は一株の小苗より長じ起る。薛綜注を作りて曰く:これは事の皆細微より顕著に走向するを講ず、ゆえに起頭の処に於て謹慎せざるべからず。正に此に因りて、参天の大木は一点の嫩芽に起り、滔天の洪波は一線の細泉より出づ。南宋呂祖謙に言う:乾卦初九爻辞は「潜竜勿用」と言う(底本は「潜」の字は「乾」と訛作す)、坤卦初六爻辞は「履霜堅氷至」と言う。陽は善の此の一類に属し、坤陰は悪の此の一類に属す。善の苗头は剛に発動せば、則ち好く之を涵養せんと要す。悪の念頭は剛に萌生せば、則ち必ず立刻に之を剪除せんと要す。

天地は積を尚ぶ

京房《易傳》曰:「積陽為天,積陰為地。」《中庸》曰:「天地之道可一言而盡也,其為物不貳。」不貳,一也。荀子曰:「並一而不貳,所以成積也;並一而不貳則通於神明,參於天地矣。」案:積善成德而神明自得,故通於神明。「則其生物不測」,詳下文。「天地之道,博也,厚也,高也,明也,悠也,久也」,覆出以起下文,「今夫天」以下言積。

京房『易伝』に言う:陽気は積累して起りて天と為り、陰気は積累して起りて地と為る。『中庸』に言う:天地の道は一句の言を以て説き尽くすべし、其れ物を為すは専一不二なり。いわゆる「不貳」は、即ち純一なり。荀子曰く:心を専ら一に帰して而も三心二意せざるは、積累を成就するの弁法なり。心を専ら一に帰して而も三心二意せざれば、則ち能く神明に通じ、天地と并列して三と為す。恵棟按す:善は積み多くして德行を成就せば、神明の境界は自然に獲得す、ゆえに神明に通ずと曰う。『中庸』下面の「則ち其の物を生ずるや測るべからず」の一句は、詳しく後文に見よ。「天地之道は、博なり、厚なり、高なり、明なり、悠なり、久なり」の此の幾句は、上文の意思を重ねて提する一遍にして、以て下文を引起すを用いとす。「今夫天」以下より、講ずる所は皆一個の「積」の字なり。

「斯昭昭之多」,鄭注:「昭昭猶耿耿,小明也。」「及其無窮也,日月星辰繫焉,萬物覆焉。今夫地,一撮土之多,及其廣厚,在華嶽而不重,振河海而不洩,萬物載焉。今夫山,一卷石之多,及其廣大,草木生之,禽獸居之,寶藏興焉。今夫水,一勺之多,及其不測,黿鼉蛟龍魚鱉生焉,貨財殖焉。」鄭注云:「此言天之高明本生昭昭,地之博厚本由撮土,山之廣大本起卷石,水之不測本從一勺,皆合少成多,自小致大,為至誠者亦如此乎。」

『中庸』に言う:此の天は不過一点々々の微弱の光明の聚まりて成るなり——鄭玄注:「昭昭」は「耿耿」の如く、是れ小小の光亮なり——其の広大無窮に到るを待てば、日月星辰は皆其の上に懸係し、万物は皆其れに覆蓋せらる。再び地を看れば、不過一撮々々の土の聚まりて成るなり、其れの又広く又厚きに到るを待てば、華山を承載して亦た重しと覚えず、江河大海を収納して亦た渗漏せず、万物は皆其れに由りて載負せらる。再び山を看れば、不過一塊々々の拳頭大の石頭の聚まりて成るなり、其の広大なるに到るを待てば、草木は其の上に生長し、禽獣は其の中に棲息し、宝蔵も亦た其の中より開発し出す。再び水を看れば、不過一勺々々の聚まりて成るなり、其の深さ測るべからざるに到るを待てば、黿・鼉・蛟・竜・魚・鱉は皆其の中に生じ、貨財も亦た其れに由りて繁殖す。鄭玄注して曰く:これは天の高明は本より一点の小光に生じ、地の博厚は本より一撮の泥土に由り、山の広大は本より一塊の拳石に起り、水の深さ測るべからざるは本より一勺の水より来るを講ず、皆是れ少を合して多を成し小に由りて大を致すなり。至誠の人と為らんと要するも、正に此の如し。

《詩》曰:「維天之命,於穆不已。」蓋曰天之所以為天也。「於乎不顯,文王之德之純。」蓋曰文王之所以為文也,純亦不已。鄭注云:「天所以為天,文王所以為文,皆由行之不已,為之不止,如天地山川之雲也。《易》曰君子以慎德,積小以成高大,是與。」《正義》曰:「此一節明至誠不已則能從微至著,從小至大。」

『詩経・周頌・維天之命』に言う:「維天之命、於穆不已。」『中庸』解釈して曰く:これは天の其の天と為る所以の縁故を講ずるなり。『詩』また言う:「于乎不顕、文王之徳之純。」『中庸』解釈して曰く:これは文王の諡して「文」と為る所以の縁故を講ず、其の純徳は同じく永く停息せざるなり。鄭玄注して曰く:天の天と為る所以、文王の文と為る所以は、皆為し続けて停まらず行い続けて止まざるに由り、恰も上文の講ずる所の天地山川の彼の様に一点々々積累して起るが如し。『升』卦大象は君子の徳を慎修し細小を積累して以て高大を成就するを要するを言う、正に此の意なり。孔穎達『正義』に言う:此の一節は至誠にして停息せざれば、則ち能く細微より顕著に走向し小より大に走向するを説明す。

聖学は積を尚ぶ

《詩·敬之》曰:「日就月將,有緝熙於光明。」鄭箋云:「日就月行,言當習之以積漸也。」《學記》曰:「古之教者,比年入學,中年考校:一年視離經辨志,三年視敬業樂群,五年視博習親師,七年視論學取友,謂之小成;九年知類通達,強立而不反,謂之大成。夫然後足以化民易俗,近者悅服而遠者懷之,此大學之道也。《記》曰:蛾子時術之。其此之謂乎。」注云:「蛾,蚍蜉也。蚍蜉之子,微蟲耳,時術蚍蜉之所為,其功乃復成大垤。」

『詩経・周頌・敬之』に言う:「日就月将、有緝熙于光明。」鄭玄箋注して曰く:一天に一天の成就有り、一月に一月の進展有り、是れ学習は当に日積月累に靠るべきを言うなり。『礼記・学記』に言う:古代は学を辦し、隔年に学生を招收して入学せしめ、一年を隔てて一回考核す。入学一年は、彼の能く経文の章句を分析し自らの志向を辨明するや否やを考察す。三年は、彼の能く学業を専心し同学と相处を楽しむや否やを考察す。五年は、彼の能く広博に学習し師長を親近するや否やを考察す。七年は、彼の能く学理を討論し善を擇び友を交るや否やを考察し、これを「小成」と曰う。九年に到りて、能く類に触れて旁通し、事に遇いて主見有りて而も師教に背違せず、これを「大成」と曰う。此の様にして然る後に乃ち以て百姓を教化し風俗を移易するに足り、近処の人は心悦誠服し、遠方の人も亦た来りて帰附す、これ即ち大学の人を教うるの道理なり。古『記』は「蛾子は時に之を術う」と言う、講ずる所は即ち此の個ならん。注文に言う:「蛾」は即ち蚍蜉なり。蚍蜉の幼虫は不過極小の虫にして、而も時時に蚍蜉の土を啣えるの作為を效法し、日子久しければ竟に能く大蟻封を堆成す。

又曰:「三王之祭川也,皆先河而後海,或源也,或委也,此之謂務本。」鄭注云:「源,泉所出也;委,流所聚也。」始出一勺,卒成不測。《正義》曰:「猶學,初為積漸後成聖賢也。」《大戴勸學》曰:「積土成山,風雨興焉;積水成淵,蛟龍生焉;積善成德」,乾初為善,乾三成德,「而神明自得,聖心循焉。故不積蹞步無以至千里,不積小流無以成江河。騏驥一躍不能十步,駑馬十駕,功在不舍。鍥而舍之朽木不折,鍥而不舍金石可鏤。」荀子同。

『学記』また言う:夏・商・周三代の君王は河川を祭祀するに、皆先ず河を祭りて而る後に海を祭る、河は源頭にして海は帰聚の処に因る、これを「務本」と曰う。鄭玄注して曰く:「源」は泉水の湧出する処、「委」は水流の汇聚する処なり。水は最初に湧出する時は不過一勺にして、最後は却て深さ測るべからざるの大海に汇成す。孔穎達『正義』に言う:これは譬えば学問を為すが如し、起初は只だ一点々々の積累にして、後来は乃ち成就して聖賢と為るなり。『大戴礼記・勧学』に言う:土は積みて山と成れば、風雨は便ち彼処より興起す。水は積みて深淵と成れば、蛟竜は便ち彼処に生長す。善は積みて德行を成就せば——恵棟ここに夾注す:乾卦初爻は善を為し、第三爻に到りて徳を成す——是に於て神明の境界は自然に獲得し、聖人の心地も亦た便ち完備す。ゆえに一歩一歩に積累せざれば、則ち千里之外に走到する能わず。細小の水流を積み起さざれば、則ち江河を汇成する能わず。駿馬は身を縦りて一躍すとも、亦た十歩を超過する能わず。駑馬は車を拉きて十天を走上れば、成功は停下来を肯んぜざるに在り。物を刻むに両下刻みて則ち丢開せば、朽木も亦た刻断する能わず。一直に刻み下りて手を放さざれば、金石も亦た花紋を雕出する能くす。此の幾句は『荀子・勧学』は之と相同じ。

《荀子·儒效》曰:「人無師法則隆情矣,有師法則隆性矣。而師法者,所得乎積」,原本作情,注云當作積,「非所受乎性,不足以獨立而治。性也者,吾所不能為也,然而可化也;積也者,非吾所有也,然而可為乎。」注:「錯習俗所以化性也。」「並一而不貳,所以成積也」,與《中庸》「其為物不貳」義同。

『荀子・儒效』に言う:人は師法教導無ければ、則ち情欲を抬高す。師法教導有れば、則ち本性を抬高す。而して所謂師法は、積累の中より得る所の者なり——「積」の字は原本は「情」と作る、注の中に当に「積」と作るべしと言う——并せて天性の裏より承受して来たるに非ず、天性は自ら独立に人を治理し好くするに足らざるなり。本性の此の物は、我の造作する能わざる所なり、然れども之を改変するを得。積累の此の物は、本より我の固有する所に非ず、然れども人為に靠りて之を成就するを得。楊倞注して曰く:人を良善の習俗の裏に安置するは、即ち以て本性を改変するの弁法なり。荀子また「心を専ら一に帰して而も三心二意せざるは、積累を成就するの弁法なり」と言う、これは『中庸』の講ずる「其れ物を為すに貳ならず」と同一個の意思なり。

「習俗移質,並一而不貳則通於神明,參於天地矣。」積善成德而神明自得,故通於神明。「故積土而為山,積水而為海,旦暮積謂之歲,至高謂之天,至下謂之地,宇中六指謂之極」,六指,上下四方,盡六指之遠則為六極,言積近以成遠。「塗之人百姓積善而全盡謂之聖人。彼求之而後得,為之而後成,積之而後高,盡之而後聖,故聖人也者,人之所積也。」《性惡》曰:「積善而不息則通於神明,參於天地矣,故聖人者,人之所積而致也。」《尸子》曰:「水積則生吞舟之魚,土積則生豫章之木,學積亦有生焉。」

『儒效』続けて言う:習俗は能く人の資質を改変し、心を専ら一に帰して而も三心二意せざれば、則ち能く神明に通じ、天地と并列して三と為す。恵棟夾注:善は積み多くして德行を成就せば、神明の境界は自然に獲得す、ゆえに神明に通ずと曰う。荀子また言う:土は積みて山と為り、水は積みて海と為り、早々晚々積みて一年と曰い、最も高きを天と曰い、最も低きを地と曰い、宇宙の内の六方の極まる所を「極」と曰う。恵棟解釈す:「六指」は即ち上下四方にして、六方の遠きを窮尽すれば便ち六極なり、これは近処を積累して以て遠処を成就するを言うなり。荀子曰く:路上の普通百姓は善行を積累して而も円満無缺に做到せば、則ち之を聖人と曰う。彼らは先ず追求に往きて而る後に所得有り、先ず実践に往きて而る後に所成有り、先ず積累に往きて而る後に高処に到達し、先ず窮尽に做到りて而る後に聖人と為る。ゆえにいわゆる聖人は、即ち人の一点々々積累して出る所の者なり。『性悪』篇も亦た言う:善行を積累して而も停息せざれば、則ち能く神明に通じ、天地と并列して三と為す。ゆえに聖人は、人の積累に靠りて達成する所の者なり。『尸子』に言う:水は積みて深ければ則ち能く船を吞むの大魚を生出し、土は積みて厚ければ則ち豫章の如きの大樹を長出す、学問は積みて多ければ同じく成果を生出して来らん。

王者は積を尚ぶ

《詩·皇矣序》曰:「《皇矣》,美周也。天監代殷莫若周,周世世修德莫若文王。」《家語·好生》曰:「周自后稷積行累功以有爵土,公劉重之以仁,及至大王亶父敦以德讓,其樹根置本,備豫遠矣。」《漢書·婁敬傳》:敬曰:「周之先自后稷,堯封之邰,積德累善十餘世。」

『詩経・大雅・皇矣』の小序に言う:『皇矣』の此の首の詩は周朝を贊美するなり。上天は天下を察看し殷商に取代せんと要するに、周に比するを得る一家無し。周家は世々代々德行を修養し、又た文王に比するを得る一位無し。『孔子家語・好生』に言う:周家は始祖后稷より起りて便ち善行を積累し功労を累聚し、因りて爵位封土を獲得す。公劉に到りて又た仁厚を加え、太王亶父に到りて更に徳行謙譲を以て風俗を敦厚す。彼らは根を扎根し本を立て、預め準備するは実に長遠なり。『漢書・婁敬伝』に婁敬の言を記す:周家の先祖は后稷より開始し、尭は邰地を彼に封じ、此の後徳を積み善を行うこと十几代なり。

《荀子·強國》曰:「積微,月不勝日,時不勝月,歲不勝時。」愚謂此言積微,自日而月,自月而時,自時而歲,不從微始非積也,故曰不勝。「凡人好敖慢小事,大事至然後興之務之,如是則常不勝夫敦比於小事者矣」,以小至大,故月不勝日。原本作熟,先子從宋本改。

『荀子・強国』に言う:細微を積累するに講じて、一個月は一天に比せず、一季は一個月に比せず、一年は一季に比せず。恵棟自ら謂う:これは積累は細微より入手し、日より月に由り、月より季に由り、季より年に由るを言う。細微の処より起頭せざれば則ち積累と算するに足らず、ゆえに「勝たず」と曰う。荀子続けて言う:一般人は小事を軽慢するを喜好し、大事の臨頭に及びて乃ち発憤して之を办りに往く、此の様にすれば則ち常に彼の小事の上に敦厚に力を用いる人に比せざるなり。小より積みて大に到る、ゆえに一個月は一天に比せずと曰う。(「敦」の字は原本は「熟」と作る、先父は宋本に依りて改正す。)

「是何也?則小事之至也數,其縣日也博,其為積也大。」楊注:「博謂所縣繫時日多也。大謂積小以成大,若蟻蛭然也。」「大事之至也希,其縣日也淺,其為積也小。」愚按:此所謂月不勝日,時不勝月,歲不勝時也。

荀子自問す:これは何の故ぞや。小事は来ること頻繁にして、其の牽係する時日は便ち多く、積み起る分量は便ち大なり。楊倞注して曰く:「博」は牽係する所の時日の多きを指し、「大」は小を積みて大を成すを指し、恰も螞蟻の一点々々堆みて蟻封を成すが如し。荀子続けて言う:大事は来ること稀少にして、其の牽係する時日は便ち短く、積み起る分量は便ち小なり。恵棟按す:これ正にいわゆる一月は一日に比せず、一季は一月に比せず、一年は一季に比せずの道理なり。

「故善日者王,善時者霸。」善日謂敦化,比於小事者也,月不勝日,故善日者王;善時謂興務於大事者也,時不勝月,故善時者霸。「補漏者危」,楊注:「不能累功累業,至於幣漏然後補之也。」「大荒者亡」,楊注:「都荒廢不治者。」「故王者敬日,霸者敬時。」「一日二日萬機」,王者敬日也;聲色化民,霸者敬時也。敬日者在隱微幽獨,敬時者在政教號令。

荀子曰く:ゆえに每一天を抓住するに善き者は能く王業を成し、每一季を抓住するに善き者は只だ能く霸業を成すのみ。恵棟解釈す:いわゆる「善日」は、教化を敦厚にし小事の上に於て一件々々力を用いる人なり。一月は一日に比せず、ゆえに每一天を抓住するに善き者は能く王業を成す。いわゆる「善時」は、只だ大事の上に於てのみ乃ち発憤して従事する人なり。一季は一月に比せず、ゆえに每一季を抓住するに善き者は只だ能く霸業を成すのみ。荀子は「漏を補う者は危なし」と言い、楊倞注す:肯んじて一点々々功業を積累せずして、破敝漏損するに到りて乃ち縫補に往く者を指す。「大きく荒るる者は亡ぶ」と言い、楊倞注す:整個に荒廃して而も治理を加えざるを指す。ゆえに王者は每一天を珍重し、霸者は每一季を珍重す。『尚書・皐陶謨』は「一日二日万幾」と言う、彼れは王者の每一天を珍重するなり。声威色令に靠りて百姓を駆使するは、彼れは霸者の每一季を珍重するなり。每一天を珍重するは、功夫は隠微独処の地に下る。每一季を珍重するは、功夫は只だ政教号令の上面に落つるのみ。

「僅存之國危而後戚之,亡國至亡而後知亡,至死而後知死,亡國之禍敗,不可勝悔也。霸者之善著焉,可以時托也;王者之功名,不可勝日志也。」善積成名,故功名不可勝日志也。「財務貨寳以大為重,政教功名反是,能積微者速成。《詩》曰:德輶如毛」,毛猶微也,「民鮮克舉之,此之謂也。」楊注引之以明積微至著之功也。以《易》言之,微即乾之初九也,乾元用九而天下治,故「德輶如毛,民鮮克舉」。

荀子曰く:勉强して保存する国家は、危亡即ち在りに及びて乃ち発愁し、亡国の君は、国家の亡びるに到りて乃ち亡びを知り、自ら死するに到りて乃ち死を知る。亡国の禍敗は、后悔するも及ばざるなり。霸者の善行は顕眼にして、以て時節に按りて寄托計量すべし。王者の功名は却て細密にして按日に一々記録する能わざるなり。恵棟按す:善は積み多ければ自然に名を成す、ゆえに功名多くして逐日に記載する可からざるに至ると曰う。荀子続けて言う:銭財貨物は数量の大を以て貴重と為し、政教功名は恰恰相反し、能く細微の処に積累する者は反りて成功するの快し。『詩経』は「徳は輶きこと毛の如し」と言う——「毛」は即ち極微の意なり——「民鮮く克く之を挙ぐ」、講ずる所は正に此の道理なり。楊倞は此の両句の詩を引きて、是れ以て積微に由りて顕著に至るの功効を説明するを用いとす。『周易』を以て講ずれば、此の「微」は即ち乾卦初九の彼の一爻なり。乾元は九徳の用を貫徹して而も天下治を得す、ゆえに徳は軽きこと一根の毛の如くにして、而も百姓は鮮く能く之を挙げ得る者と曰う。

《大戴禮·禮察》曰:「凡人之知,能見已然,不能見將然。禮者禁於將然之前,而法者禁於已然之後。禮云禮云,貴絕惡於未萌,而敬起於微眇」,敬起當從《治安策》作起敬,「使民日徙善遠罪而不自知也。孔子曰:聽訟吾猶人也,必也使無訟乎。此之謂也。」

『大戴礼記・礼察』に言う:一般人の見識は、只だ已に発生した事を見るを得、将に発生せんとする事を見る能わず。礼は事情の将に発生せんとするの前に於て之を禁止を加え、法は事情の已に発生したの後に於て之を懲治を加う。ゆえに礼や礼やと曰う、可貴の処は正に悪を尚お未だ萌芽せざるの時に断絶し、而も敬慎を極細微の処に発動するに在り。(「敬起」の二字は当に賈誼『治安策』に依りて「起敬」と作るべし。)此の様にすれば則ち百姓をして一日々々善良に遷り罪過に遠離せしめて而も自ら察覚せざらしむ。孔子曰く:訴訟を審理するは、我は別人と差不多なり。必ず何の不同有りと言わば、則ち是れ訴訟を根本に発生せしめざらんか。講ずる所は正に此の意なり。

「為人主計者,莫如安審取舍」,所謂辨之早,「取舍之極定於內,安危之萌應於外也」,師古曰:「極,中也;萌,始生也。」「安者非一日而安也,危者非一日而危也,皆以積然」,《治安策》云「皆以積漸然」,「不可不察也。善不積不足以成名,惡不積不足以滅身,而人之所行各在其取舍。」

『礼察』に言う:君主の為に謀劃する者は、最も要紧は安定に審察取舍するに過ぎず——これ即ちいわゆる辨察するの早きなり。取舍の準則は心の裏に確定し、安と危の苗头は便ち外面に応験す。顔師古注して曰く:「極」は中正の準則、「萌」は剛に萌生するなり。安定は、一天の間に安定するに非ず。危亡も亦た、一天の間に危亡するに非ず、皆是れ積累して成る所なり——賈誼『治安策』此処は「皆以積漸然」と作る——ゆえに明察せざるべからず。善は積累せざれば以て名声を成就するに足らず、悪は積累せざれば以て自身を毀滅するに足らず、而して人の作為する所は、全く其の何を取り何を捨つるに在り。

「以禮義治之者積禮義,以刑罰治之者積刑罰。刑法積而民怨倍,禮義積而民和親。古世主欲民之善同,而所以使民之善者異:或導之以德教,或驅之以法令。導之以德教者,德教行而民康樂;驅之以法令者,法令極而民哀慼。哀樂之感,禍福之應也。」

『礼察』続けて言う:礼義を用いて国を治するは、積み起るは礼義なり。刑罰を用いて国を治するは、積み起るは刑罰なり。刑法は積み多ければ、百姓の怨恨は便ち加倍す。礼義は積み多ければ、百姓は便ち和睦親附す。古来君主の百姓の善に向かうを希望するや、此の願望は相同じき也、然れども以て百姓を善に向かわしむる手段は却て同じからず。或るは道徳教化を用いて引導し、或るは法令刑罰を用いて駆迫す。道徳教化を用いて引導するは、教化施行して百姓安楽す。法令を用いて駆迫するは、法令は極処に用到して百姓哀傷す。百姓の哀と楽の感受は、正に禍と福の応験の所在なり。

「我以為秦王之慾尊宗廟而安子孫,與湯武同,然湯武能廣大其德,久長其後,行五百歲而不失;秦王亦欲至是,而不能持天下十餘年,即大敗之。此無他故也,湯武之定取舍審,而秦王之定取舍不審也。」此即積善積惡之應,而其原皆在於微眇。《易》曰:「君子慎始,差若毫釐,繆以千里。」取舍之謂也。

『礼察』に言う:我は以為す、秦始皇は宗廟を尊崇し子孫を安定せんと欲す、此の願望は商湯・周武王と一様なり。然れども湯・武は能く自らの德行を拡大して、後代を長久ならしめ、五百年を伝えて而も天下を失わず。秦始皇も亦た此の歩に做到せんと欲し、却て十几年の天下も保ち得ず、則ち一敗塗地す。これは別の縁故無く、只だ湯・武は取舍を確定するに審慎にして、而して秦始皇は取舍を確定するに審慎ならざるに因る。恵棟按す:これ即ち積善と積悪の各々の応験にして、而して彼らの源頭は皆極細微の処に在り。『易』に曰く:「君子は始を慎む、差は毫厘の若く、謬は千里を以てす。」講ずる所は正に取舍の此の件の事なり。

《淮南·繆稱》曰:「君子不謂小善不足為也而舍之,小善積而為大善;不謂小不善為無傷也而為之,小不善積而為大不善。是故積羽沉舟,群輕折軸,故君子禁於微。壹快不足以成善,積快而為德;壹恨不足以成非,積恨而成怨。故三代之善,千歲之積譽也;桀紂之謗,千歲之積毀也。」

『淮南子・繆称』に言う:君子は小の善事を以て為すに値せざると為して便ち其れを放過せず、小善は積み起れば則ち大善と為るに因るなり。亦た小の不善を以て妨害無しと為して便ち其れを為さず、小の不善は積み起れば則ち大悪と為るに因るなり。ゆえに羽毛は積み多ければ能く船を圧沈し、軽の物は装み多ければ能く車軸を圧断す、此に因りて君子は細微の処に於て便ち禁絶を加う。一回の快意は以て善行を成就するに足らず、快意は積み多くして乃ち徳と為る。一回の怨恨は以て過錯を構成するに足らず、怨恨は積み多ければ則ち仇怨に結成す。ゆえに夏・商・周三代の美名は、千年積累して起るの讃誉なり。桀・紂の悪名は、千年積累して起るの毀謗なり。

孟子の積善を言う

《孟子·公孫丑篇》曰:公孫丑問曰:「何為浩然之氣」云云,至「而又害之」。「是集義所生者,非義襲而取之也」,朱注集義由言積善,此語最當。「非義襲而取之也」,襲與習同,襲,重習也,義須積如苗之長。「義襲而取」猶助長也,故下言助長之害。故下言助長之害:「必有事焉,而勿正心,勿忘,勿助長也。」顧氏炎武謂「正心」,「心」乃「忘」字之並也,謂「必有事焉而勿忘」,申之曰「勿忘勿助長也」,當從其讀。

『孟子・公孫丑上』に記載す:公孫丑は「何を浩然の気と謂う」云々と問い、一直に「反りて之を害す」の彼の一段に講じ到る。其の中に「此の股の気は義を集めて産生する所にして、偶に義に合する挙動に靠りて外面より襲取して来るに非ず」と言う。朱熹は「集義」を注解し、正に積善を用いて講ず、此の説法は最も恰当なり。「非義襲而取之也」の一句に至りては、「襲」は「習」と相同じく、「襲」は反復練習にして、義は必ず禾苗の生長する彼の様に一点々々積累して起るを須らん。いわゆる「義襲而取」は、等しく苗を抜きて長を助くるが如し、ゆえに下文は続けて助長の害処を講ず。下文は助長の害を講じて曰く:「必ず事有りて、而も正心せず、忘れず、助長せざるなり。」顧炎武は「正心」の「心」の字は「忘」の字の写し壊れたる後に并入する者と以為し、原文は当に「必有事焉而勿忘」と作るべく、下面は再び一句を申説して「勿忘勿助長也」なり、当に彼の此の読法に依るべし。

「義襲而取」猶一蹴而至聖人之域。夫子曰:「非求益者也,欲速成者也。」即助長之義。集義之功,《中庸》所謂不息也,「不息則久,久則徵,征則悠遠,悠遠則博厚,博厚則高明」。「維天之命,於穆不已」,在聖人為不已,在學者為勿忘。「必有事焉而勿正」,朱注謂預期也,引《公羊傳》曰「戰不正勝」,此言良是。

いわゆる「義襲而取」は、便ち譬えば一歩に聖人の境地に跨進せんと欲するが如し。孔子かつて言いたり:「彼は長進を求める人に非ずして、速成せんと欲する人なり。」講ずる所は正に助長の此の毛病なり。集義の功夫は、即ち『中庸』の言う所の「不息」なり。停息せざれば則ち能く長久し、長久なれば則ち験証有り、験証有れば則ち悠远、悠远なれば則ち博厚、博厚なれば則ち高明なり。『詩』は「維天之命、於穆不已」と言う、これは聖人の身上に於ては「不已」と表現し、学者の身上に於ては「勿忘」と表現す。「必有事焉而勿正」に至りては、朱熹は「正」を注解して預先期待と為し、并せて『公羊伝』の「戦い正勝せず」を引きて証と為す、此の講法は甚だ対なり。

三五

《繫上》曰:「大衍之數五十。」《述》云:大衍之數五十,三才五行之數也。三才者,日十、辰十二、星二十八,凡五十。日合於天統,月合於地統,星主斗合於人統,故曰三才五行之數。五行者,天地之數五十有五,土生數五,成數五,五十有五減五,故五十,此五行之數。

『繋辞上伝』に言う:「大衍の数は五十。」恵棟『周易述』に言う:大衍の数五十は、三才と五行の両路より合して出る数なり。三才に就きて言えば:太陽は十日に配し、月亮は十二辰に配し、恒星は二十八宿有り、合して起りて正に五十なり。日は天統に応じ、月は地統に応じ、星は北斗を以て主と為して人統に応ず、ゆえに是れ三才五行の数と曰う。五行に就きて言えば:天地の数は総じて五十有五、土の生数は五、成数もここに亦た五と挙げ、五十有五の中より此の五を減ずれば、五十を残す、これ即ち五行より推して出る数なり。

又曰:「參伍以變。」《尚書大傳》曰:「天地人之道備而三五之運興矣。」《春秋合誠圖》曰:「至道不遠,三五而反。」宋均注云:「三,三正也;五,五行也。三正五行,王者改代之際會也,能於此際自新如初,則道無窮也。」

『繋辞』また言う:「参伍以て変ず。」『尚書大伝』に言う:天・地・人三者の道は斉備すれば、三と五の運数は便ち興起す。緯書『春秋合誠図』に言う:至高の道は并せて遥遠ならず、「三五」に走到せば則ち回還す。宋均注を作りて曰く:「三」は三正を指し、「五」は五行を指す。三正と五行とは、正に王朝更代交接の関口にして、能く此の関口の上に於て当初の如く自我更新せば、道は窮尽するの時無し。

《春秋保乾圖》曰:「陽起於一,天帝為北辰,氣成於三以立五神,三五展轉,機以運動,故三百歲斗歷改憲也。」應劭《風俗通》曰:「三統者,天地人之始,道之大綱也;五行者,品物之宗也。道以三興,德以五成,故三皇五帝、三王五伯,至道不遠,三五復反,譬若循連鐶,順鼎耳,窮則反本,終則復始也。」《史記·天官書》曰:「天數者必通三五。」《索隱》云:「三辰五行。」

緯書『春秋保乾図』に言う:陽気は「一」に起り、天帝は北辰に居り、気は「三」に到りて成る、之に拠りて五方の神を確立す。三と五とは輾転推移して、枢機の如く運転停まらず、ゆえに三百年毎に北斗と暦法と便要ちて一回法度を改む。応劭『風俗通』に言う:いわゆる三統は、天・地・人の開端にして、道の大綱なり。いわゆる五行は、万類品物の宗主なり。道は「三」に靠りて興起し、徳は「五」に靠りて成就す、ゆえに三皇五帝・三王五伯の目有り。至道は并せて遥遠ならず、三と五とは周りて而も復た始まり、譬えば連環に順りて転じ鼎耳に順りて遶るが如く、尽頭に走到すれば則ち根本に返回し、終結の処は又た開始なり。『史記・天官書』に言う:天数を講ずる者は必定に三と五とを貫通せんと要す。司馬貞『索隠』解釈して曰く:三は日月星の三辰を指し、五は五行を指す。

《三統曆》曰:「三代各據一統,明三統常合而迭為首,登降三統之首,周還五行之道也。故三五相包而生。天統之正始施於子半」,蘇林曰:「子之西,亥之東,其中閒也。」「地統受之於丑初,人統受之於寅初,孟仲季迭用事為統首。三微之統既著而五行自青始,其序亦如之。五行與三統相錯。」

『漢書・律暦志』の載する所の『三統暦』に言う:夏・商・周三代は各々一統を据守す、見るべし三統は総じて相合して輪流して首に居る。三統の首に升降するは、正に五行の道に循环するなり。ゆえに三と五とは彼此包含して生々已まず。天統の「正」は、起始は子時の正中に施行す——蘇林注して曰く:彼れは子位の西、亥位の東にして、両者の間の当中なり——地統は丑の初刻に承接し、人統は寅の初刻に承接し、孟・仲・季は輪流して当令し、各々統首を作す。三統の微陽は既に顕著せば、五行は便ち青色の木徳より開始し、次序も亦た三統と相仿ぶ。五行と三統とは就中此の様に交錯配合す。

「傳曰:天有三辰,地有五行。然則三統五星可知也。《易》曰:參伍以變,錯綜其數。太極運三辰五星於上,而元氣轉三統五行於下。其於人,皇極統三德五事。故三辰之合於三統也,日合於天統,月合於地統,斗合於人統;五星之合於五行,三辰五星而相經緯也。」

『三統暦』続けて言う:『左伝』は天上に日月星の三辰有り、地上に金木水火土の五行有りと講ず。則ち三統と五星の配合も亦た以て推知すべし。『繋辞』は「参伍以変、錯綜其数」と言う。太極は上に於て三辰五星を運転し、元気は下に於て三統五行を推移す。人事の上に落とせば、『洪範』の皇極は三徳と五事とを統摂す。ゆえに三辰は三統に配合す。日は天統に配し、月は地統に配し、北斗は人統に配す。五星は則ち五行に配合す。三辰と五星とは縦横交織し、互いに経緯を為す。

《淮南·泰族》曰:「昔者五帝三王之蒞政施教,必用參五。何謂參五?仰取象於天,俯取度於地,中取法於人。乃立明堂之朝,行明堂之令,明堂布令之宮有十二月之政令,以調陰陽之氣,以合四時之節,以闢疾病之菑。俯視地理,一制度量,察陵陸水澤肥墽高下之宜,立事生財以除飢寒之患。」

『淮南子・泰族』に言う:従前五帝三王の政事を処理し教化を施行するや、必定に「参五」の法を用いたり。何を参五と謂う。即ち頭を抬げて天に向かって法象を取り、頭を低れて地に向かって法度を取り、中に居りて人に向かって準則を取るなり。是に於て明堂の朝会を設立し、明堂の政令を頒行す——明堂は政を布き令を発するの宮室にして、其の中に十二個月各々の政令を排定す——以て陰陽の気を調和し、四時の節候に配合し、疾病災害を避除す。頭を低れて地理を考察し、制度量衡を統一し、丘陵・平陸・水沢及び土地の肥瘠高低各々适宜の用途を勘察し、事業を興辦し財貨を生産して、以て百姓の飢寒の患を消除す。

「中考乎人德以制禮,行仁義之道以治人倫而除暴亂之禍。乃澄列金木水火土之性,故立父子之親而成家,別清濁五音六律相生之數以立君臣之義而成國,察四時季孟之序以立長幼之禮而成官,此之謂參制。君臣之義,父子之親,夫婦之辨,長幼之序,朋友之際,此之謂五。」

『泰族』続けて言う:中に居りて人の徳性を考察して以て礼儀を制定し、仁義の道を推行して以て人倫を整治し、従りて以て暴乱の禍を消除す。是に於て金・木・水・火・土五者の性質を澄清排列す。此に拠りて父子の間の親愛を確立して而も家庭を組成す。清濁・五音・六律相生の数理を分辨し、此に拠りて君臣の間の道義を確立して而も国家を組成す。四時の孟・仲・季の次序を考察し、此に拠りて長幼の間の礼節を確立して而も官守を組成す。これを「参制」と曰う。君臣の道義・父子の親愛・夫婦の分別・長幼の次序・朋友の交際に至りては、此の五項は便ち「五」と曰う。

乾元九を用いて天下治の義

《周易述疏》云:《易》者五經之原也,孔子修《春秋》「元年春王正月」,蓋用乾元用九之義。故董子《繁露》曰:「《春秋》何貴乎元而言之?元者始也,言本正也。道,王道也;王者,人之始也。王正則元氣和順,風雨時,景星見,黃龍見;王不正則上變,天賊並見。」

恵棟『周易述』の疏文に言う:『周易』は五経の本原なり、孔子は『春秋』を修し、巻を開く便ち「元年春王正月」と写す、用いる所は正に乾元九を用うの意なり。ゆえに董仲舒『春秋繁露』に言う:『春秋』は何の故に「元」を看重して而も特地之を標挙するや。「元」は即ち開始にして、是れ根本を端正せんと要するを言うなり。ここに講ずる「道」は、王道を指す。いわゆる王は、人事の開端なり。君王端正なれば、元気は便ち和順し、風調雨順し、景星出現し、黄竜出現す。君王端正ならざれば、天上は便ち変異を現出し、妖気は一并に出現す。

「五帝三皇之治天下,不敢有君民之心,什一而稅,教以愛,使以忠,敬長老,親親而尊尊,不奪民時,使民不過歲三日,民家給人足,無怨望忿怒之患、強弱之難,無強賊姤疾之人,民修德而美好,被髮銜哺而遊,不慕富貴,恥惡不犯,父不哭子,兄不哭弟。」

『繁露』続けて言う:五帝三皇の天下を治理するや、敢えて百姓を以て臣属と為して役使するの念頭を存せず。只だ十分の一の賦税を抽き、仁愛を用いて彼らを教導し、忠信を用いて彼らを使喚し、年長の人を尊敬し、親しむべきを親しみ尊崇すべきを尊崇し、百姓の耕作の農時を侵占せず、每年勞役を征発するは三天を超過せず。是に於て家毎に自足し人毎に豊裕し、怨恨憤怒の禍患無く、亦た強凌弱の争闘無く、強横劫奪・忌妬害人の人無し。百姓は德行を修養して而も風俗美好し、頭髪を披散し食物を含みて悠然に游楽し、富貴を羨慕せず、悪を為すを以て恥と為して而も触犯せず。父親は児子を哭するを必とせず、哥哥は弟弟を哭するを必とせず。

「毒蟲不螫,猛獸不搏抵,不觸蟲。故天為之下甘露,朱草生,醴泉出,風雨時,嘉禾興,鳳皇麒麟遊於郊,囹圄空虛,畫衣裳而民不犯,四夷傳譯而朝,民情至樸而不文。郊天祀地,秩山川以時至,封於泰山,禪於梁父,立明堂宗祀,先帝以祖配天,天下諸侯各以其職來祭,貢土地所有,先以入宗廟,端冕盛服而後見,先德恩之報,奉元之應也。」

『繁露』に言う:毒虫は人を螫さず、猛獣は人を撲咬せず、角有る虫豸も亦た角を用いて頂撞せず。ゆえに上天は此に因りて甘露を降下し、朱草は生長し、甜泉は湧出し、風雨は調勻し、嘉禾は茂盛し、鳳凰麒麟は近郊に遊走し、牢獄は一人無きに空し。只だ衣裳の上に刑罰の標記を画出せば、百姓は便ち触犯せず。四方の遠族は輾転翻訳して前き来りて朝見し、民情は質朴にして文飾を須らず。是に於て郊外に天を祭り地を祀り、次序に按り時節に按りて山川を祭祀し、泰山に壇を筑きて天を封し、梁父に場を辟きて地を禅し、明堂を建立して宗祀を挙行し、先帝の祖を以て上天に配享す。天下の諸侯は各々自らの職分に按りて前来りて助祭し、本地の土産を進貢し、先ず宗廟に送進し、然る後に礼冠を戴き盛服を着して天子に朝見す。此らは皆先ず徳恩有りて乃ち報答を得るにして、亦た正に「元」を尊奉するの感召して来るの応験なり。

董子對策曰:「臣謹案《春秋》謂一元之意:一者,萬物之所從始也;元者,辭之所謂大也。謂一為元者,視大始而欲正本也。《春秋》深探其本而反自貴者始。故為人君者正心以正朝廷,正朝廷以正百官,正百官以正萬民,正萬民以正四方。四方正,遠近莫敢不一於正,而亡有邪氣奸其間者。」

董仲舒の対策に言う:臣謹みて『春秋』の「一元」を講ずるの用意に按す:「一」は、万物の以て開始する所の者なり。「元」は、文辞の上は大の意なり。「一」を「元」と称するは、宏大の開端に着眼して而も根本を端正せんと要するなり。『春秋』は此の根本を深入追究し、反りて先ず最も尊貴の人の自身より做起す。ゆえに君主を為す者は、先ず自らの心念を端正し、之を以て朝廷を端正し、朝廷を端正して、之を以て百官を端正し、百官を端正して、之を以て万民を端正し、万民を端正して、之を以て四方を端正す。四方端正なれば、遠近は敢えて正に帰せざる者無く、亦た邪気の其の中に夾雑する有らざるなり。

「是以陰陽調而風雨時,群生和而萬民殖,五穀樹而草木茂,天地之間被潤澤而大豐美,四海之內聞盛德而皆徠臣。諸福之物,可致之祥,莫不畢至,而王道終矣。孔子曰:鳳鳥不至,河不出圖,吾已矣夫。」自卑可致此物而身卑賤不得致也。

対策続けて言う:ゆえに陰陽は協調して而も風雨時に及び、衆生は和楽して而も万民繁衍し、五穀は種植して而も草木茂盛し、天地の間は普く潤沢を受けて而も大いに豊美し、四海の内は盛徳を聞いて而も皆来りて帰附称臣す。各種の福瑞の物・招致すべきの祥兆は、斉備せざるの一様無く、王道も亦た便ち完成す。孔子曰く:「鳳鳥は飛来せず、黄河は図を出さず、我の此の一生は概ね完了せんか。」恵棟按す:孔子はこれ自謙の辞にして、意思は其の位に居れば便ち此らの祥瑞を招来すべく、只だ自身の地位卑賤なるに因りて、ゆえに招来する能わざるなり。

大

乾《彖》曰:「大哉乾元,萬物資始,乃統天。」《老子道德經》曰:「有物混成,先天地生,不知其名,字之曰道,強為之名曰大。」

乾卦『彖伝』に言う:偉大なるかな乾元、万物は皆其れに倚靠して開始し、其れは整個の天道を統摂す。『老子道徳経』に言う:一個の渾然一体の物有りて、天地の形成するの前に於て便ち已に存在す。其の何の名と叫ぶを知らず、勉强して其れに一個の表字を取りて「道」と曰い、再び勉强して其れに一個の名号を起して「大」と曰う。恵棟は此の両条を「大」の此の一目の下に并列す、正に『周易』の乾元と『老子』の強めて名づくる所の「大」とは、同じく万物の本始に就きて立言するを顕出せんと欲するなり。

理

理字之義,兼兩之謂也。人之性秉於天,性必兼兩:在天曰陰與陽,在地曰柔與剛,在人曰仁與義,兼三才而兩之,故曰性命之理。《樂記》言天理,謂好與惡也。好近仁,惡近義,好惡得其正謂之天理,好額失其正謂之滅天理,《大學》謂之拂人性。

「理」の字の意義は、是れ兼ねて両端を有るに就きて言うなり。人の性は天に禀受し、性は必定に両端を兼含す。天に在りては陰と陽と曰い、地に在りては柔と剛と曰い、人に在りては仁と義と曰う。三才を兼備して而も每一才は又た各々両に分かつ、ゆえに「性命之理」と曰う。『礼記・楽記』は「天理」を講ず、指す所は好と悪の此の一対なり。好は仁に接近し、悪は義に接近す。好悪は皆正に合せば、則ち之を天理と曰う。好悪は正を失えば(「額」の字は当に「悪」の訛と為すべし)、則ち之を天理を滅すと曰い、『大学』は則ち之を「人の性に拂う」と称す。

「天命之謂性」,性有陰陽、剛柔、仁義,故曰天理。後人以天人理欲為對待,且曰「天即理也」,尤謬。格物致知,窮理之事;正心誠意,進行之事。性盡理窮,乃天下至誠也,故至於命,「上天之載,無聲無臭,至矣」是也。

『中庸』は「天命の性と謂う」と言う、性の裏は陰陽・剛柔・仁義の此らの両両相対する内容を含有す、ゆえに之を天理と称す。後人は却て天と人・理と欲とを対立し起りて講じ、甚至りては「天は即ち理なり」と説く、則ち更に荒謬なり。格物致知は、事理を窮究するの工夫なり。正心誠意は、体認を踐行するの工夫なり。性を尽処に発揮し理を究底に窮究して、乃ち是れ天下の至誠にして、ゆえに能く「命に至る」、即ち『中庸』末章の引く所の「上天之載、無声無臭、至矣」の彼の境地なり。

《繫辭上》曰:「易簡而天下之理得矣,天下之理得而易成位乎其中矣。」又曰:「仰以觀於天,俯以察於地理。」《說卦》曰:「窮理盡性以至於命。」虞注云:「以乾推坤謂之窮理。」「俯以察於地理」,故坤為理。案:「易簡而天下之理得」,此述天命而及中和;「窮理盡性以至於命」,此由中和而遡天命。

『繋辞上伝』に言う:乾坤は易知簡能にして、天下の道理は便ち皆掌握す。天下の道理を掌握すれば、易道も亦た天地の中に於て自らの位置を確立す。また言う:頭を抬げて天上の文象を観察し、頭を俯して地上の紋理を考察す。『説卦伝』に言う:「理を窮め性を尽くして以て命に至る。」虞翻注を作りて曰く:乾を用いて坤に推及するを、則ち「窮理」と曰う。『繋辞』は「俯して以て地理を察す」と講ずるに因りて、理は地に属す、ゆえに坤は理を為す。恵棟按す:「易簡にして天下の理を得」は、天命より講じ下りて而も中和に説き到る。「理を窮め性を尽くして以て命に至る」は、則ち中和より上溯して而も天命に帰す。

又曰:「昔者聖人之作《易》也,將以順性命之理,是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義。」述曰:陰與陽、柔與剛、仁與義,所謂理也。《中庸》曰:「文理密察,足以有別也。」理者,分別之意。《樂記》曰:「音者,生於人心者也;樂者,通倫理者也。」鄭注:「理,分也。」

『説卦』また言う:従前聖人の『周易』を創作するは、是れ性と命の道理に順応せんと要し、此に因りて天の道を確立するを陰と陽と曰い、地の道を確立するを柔と剛と曰い、人の道を確立するを仁と義と曰う。恵棟『周易述』に言う:陰と陽・柔と剛・仁と義の此の三対は、即ちいわゆる「理」なり。『中庸』に言う:「条理は細密にして明察、以て事物を分別するに足る。」ここの「理」は、正に分別の意なり。『楽記』に言う:音は、人の内心に産生す。楽は、則ち人倫の理に貫通す。鄭玄注して曰く:「理」は即ち分際なり。

又曰:「人生而靜,天之性也;感於物而動,性之慾也。」欲,《史記》作頌,徐廣讀為容。「物至知知,然後好惡形焉。好惡無節於內,知誘於外,不能反躬,天理滅矣。夫物之感人無窮,而人之好惡無節,則是物至而人化物也,滅天理而窮人慾者也。」

『楽記』また言う:人は生まれ下るに本より静なり、これは天賦の本性なり。外物に触動せられて活動し起るは、これは本性の発出する欲求なり。「欲」の字は、『史記・楽書』は「頌」と作り、徐広は「容」と読作す。外物は眼前に来りて、人の知覚は往きて之を認知し、然る後に好悪は便ち顕形す。内心の好悪は節制無く、認知は又た外物に引誘せられ、能く反りて自らを省察する能わざれば、天理は便ち泯滅す。外物の人を感動するの途徑は無窮無尽にして、而して人の好悪は又た毫も節制無き時は、則ち成りて外物一たび来れば人は反りて物に同化せらる、これ正に天理を泯滅して人欲を窮極するなり。

「樂由天作」,「樂者,通倫理者也」,故謂之天理。理,分也,猶節也。漢律「逆節絕理謂之不道」。康成、子雍以天理為天性,非是。理屬地,不屬天,一闔一闢、一靜一動謂之天理。上云「人生而靜,天之性;感於物而動,性之容也」,是之謂天理。

『楽記』は「楽は天に由りて作る」と言い、また「楽とは、倫理に通ずる者なり」と言う、ゆえに之を天理と称す。「理」は分際の意にして、即ち節度なり。漢代の律令は「節度に悖逆し倫理を断絶するを不道と曰う」の条文有り。鄭玄と王粛とは「天理」を天性と解作す、是れ対ならざるなり。理は地に属し、天に属さず。一合一開・一静一動して、乃ち之を天理と曰う。上文は「人は生まれ下るに本より静、これは天賦の性なり。外物に触動せられて動くは、これは性の容態なり」と言う、これ乃ちいわゆる天理なり。

《韓非子》曰:「凡物之有形者易裁也,易割也。何以論之?有形則有短長,有短長則有大小,有大小則有方圓,有方圓則有堅脆,有堅脆則有輕重,有輕重則有黑白。短長、大小、方圓、堅脆、輕重、黑白之謂理,理定而物易割也。故欲成方圓而隨於規矩,則萬事之功形矣,而萬物莫不有規矩。聖人盡隨於萬物之規矩,則事無不事,功無不功。」此釋理字最分明。

『韓非子・解老』に言う:凡そ形体有るの物は皆裁断するに易く、分割するに易し。何に凭りて此の様に講ずるや。形体有れば則ち長短有り、長短有れば則ち大小有り、大小有れば則ち方円有り、方円有れば則ち堅脆有り、堅脆有れば則ち軽重有り、軽重有れば則ち黒白有り。長短・大小・方円・堅脆・軽重・黒白の此らの分際を、則ち之を「理」と曰う。理確定すれば、物は便ち分割するに易し。ゆえに方円を做出せんと想えば、只だ規と矩とに依れば、万事の功効は便ち皆成形し、而して万物は自らの規矩無きの一様無し。聖人は処処に万物の規矩に依循し、是に於て成せざるの事無く、立てざるの功無し。恵棟按す:此の一段は「理」の字を解釈するに最も分明なり。

又曰:「道者,萬物之所然也,萬麗之所稽也。理者,成物之文也。」《易》陰陽剛柔為性命之理,兼三才而兩之,故易六位而成章,所謂「成物之文」也。「道者,萬物之所以成也。萬物各異理」,萬物各異理而道盡,「稽萬物之理,故不得不化;不得不化,故無常操。是以生死氣稟焉,萬智斟酌焉,萬事廢興焉。」

『解老』また言う:道は、万物の此の如くなる所以の総拠にして、一切の事類の稽考するを得るの準則なり。理は、則ち具体事物を構成するの紋理条貫なり。恵棟按す:『周易』は陰陽剛柔を以て性命の理と為し、三才を兼備して而も每一才は又た両に分かつ、ゆえに六爻の位は交錯して而も文章を成す、これ正にいわゆる「物を成すの文」なり。『解老』続けて言う:道は万物の以て生成するの拠にして、万物は各々各自の理有り。恵棟按す:万物は各々其の理有りて、而して道は此の一切の理を皆包み尽くす。『解老』に言う:道は万物の理を稽考す、ゆえに之に随りて変化せざるを得ず。変化せざるを得ざれば、ゆえに固定不変の操守無し。此に因りて生と死とは皆其れに由りて気数を禀受し、一切の智慮は皆其れに由りて斟酌し、一切の事情の興と廃とは皆其れに由りて決定す。

「天得之以高,帝得之以藏」,坤以藏之。「維斗得之以成其威」,斗有威儀。「日月得之以恆其光,五帝得之以常其位,列星得之以端其行,四時得之以御其變氣,軒轅得之以擅四方,赤松得之與天地統,聖人得之以成文章。凡道之情,不制不形,柔弱隨時,與理相應。」

『解老』に言う:天は道を得て而も高遠なり、帝は道を得て而も深蔵す——恵棟夾注:坤は含蔵の義有り、ゆえに「蔵」と曰う——北斗は道を得て而も其の威厳を成就す——恵棟夾注:北斗は自ら其の威儀有り——日月は道を得て而も光明恒久なり、五帝は道を得て而も各々常位を守り、衆星は道を得て而も運行乱れず、四時は道を得て而も其の節気変化を駕馭し、黄帝軒轅は道を得て而も四方を拠有し、仙人赤松子は道を得て而も天地と其の統緒を同じくし、聖人は道を得て而も礼楽文章を成就す。大凡そ道の本相は、裁制を受けず形体を顕さず、柔弱にして時に随りて変通し、万物の理と彼此相応す。

又曰:凡理者,方圓、長短、麤靡,靡,細也,堅脆之分也,故理定而後物可得道也。道理二字說得分明。宋人說理與道同,而謂道為路,只見得一偏。《管子·君臣》曰:「別交正分之謂理,順理而不失之謂道。」注:「別上下之交,正君臣之分。」

『解老』また言う:いわゆる理は、即ち方と円・長と短・粗と細(「靡」は細の意なり)・堅と脆の此の一類の分際なり。理確定して、然る後に事物は乃ち道に循りて把握せるべし。恵棟按す:此の幾句は「道」と「理」の両個の字を説くや甚だ分明なり。宋人は理を講じて、理と道とを一個の事と説成し、又た道を道路と解作す、只だ一辺を看たるのみ。『管子・君臣』に言う:交接を分別し名分を端正するを「理」と曰い、理に順りて而も失当せざるを「道」と曰う。注文に言う:上下の間の交接を分別し、君臣の間の名分を端正す。

《心術》曰:「德者,道之舍,物得以生。德者,得也。以無為之謂道,舍之之謂德,故道之與德無間,故言之者不別也。閒之理者,謂其所以舍也。道德之理可問者,則以有所舍,所以舍之異也。義者,謂各處其宜也。理者,因人之情、緣義之理而為之節文者也,故禮者謂有理也。理也者,明分以諭義之意也。故禮出乎義,義出乎理,理因乎宜者也。」

『管子・心術』に言う:徳は道の居所にして、万物は其れに依靠して乃ち能く生成す。「徳」は即ち「得」なり。無為の方式を以て存在するを道と曰い、万物をして各々安頓有り各々所得有らしむるを徳と曰う、ゆえに道と徳との間は間隔無く、講じ起りても亦た分別を加えず。其の中の分際の理を問わば、講ずる所は正に道の以て万物を安頓するの方式なり。道と徳の道理の追問すべき所以は、正に其の安頓する所有るに因りて、而して安頓の方式は各々相同じからず。義は、各々合宜の位置の上に処るを言うなり。理は、人情に依り義に順りて之が為に節度文飾を制定するの条貫なり、ゆえに礼は即ち「理有り」と曰う。いわゆる理は、名分を弄明白にして、以て義の意旨を暁喩するを用いとす。ゆえに礼は義より出で、義は理より出で、而して理は一個の「宜」の字に本る。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.