貫
《離騷經》曰:「貫薜荔之落蘂。」王逸注云:「貫,累也。」《左傳》宣六年,中行桓子曰:「使疾其民以盈其貫。」以盈其貫,是其貫將滿,所謂惡積而不可弇,罪大而不可解也。《韓非子》曰:「是其貫將滿也。」貫皆有積義,道積於一。《論語》,子謂曾參曰:「吾道一以貫之。」《釋詁》云:「貫,習也。」習者重習,亦有積義。荀子曰:「服習積貫。」又曰:「貫日而治詳之。」
『離騒』に言う:薜荔の落てる花蕊を串連す。王逸注に言う:「貫」は即ち連綴累積なり。『左伝』宣公六年中行桓子の言を記す:暴君をして其の百姓を折磨せしめ、其の悪行をして彼の縄に串満せしめよと。恵棟解説す:いわゆる「盈其貫」は、其の悪を串る縄の将に満ちんとするを言い、即ち『繋辞』の講ずる悪積累して掩盖し難く、罪大きくして解脱し難しなり。『韓非子』も亦た言う:これ其の悪貫の将に串満せんとするなり。見るべし「貫」の字皆積累の意を含み、而して道は正に「一」の上に積累するなり。『論語・里仁』孔子の曾参に対するを記す:我が道は一個の物を以て之を貫穿す。『爾雅・釈詁』に言う:「貫」は即ち習なり。恵棟申す:いわゆる習とは、反復の練習、同様に積累の義を含有す。荀子に言う「服習積貫」、また言う「貫日而治詳之」、用うる所は皆此の意なり。
一貫
一貫之道,三尺童子皆知之,百歲老人行不得。宋儒謂唯顏子、曾子、子貢得聞一貫,非也。「吾道一以貫之」,自本達末,原始及終,老子所謂甚易知甚易行,天下莫能知莫能行也。下云「言有宗,事有君」,即一也。
いわゆる一貫の道は、三尺の高さの孩童も皆説出し得、百歳の老人は却て必ずしも為す能わず。宋代の儒者は唯だ顔回・曾参・子貢のみ乃ち「一貫」を聴聞することを得と言う、此の言対ならず。孔子の「我が道は一個の物を以て之を貫穿す」を講ずるは、正に根本より末梢に推し、開端より終結に推すなり。此れも亦た即ち『老子』の言う所、甚だ懂り易く甚だ行い易し、然るに天下偏偏として能く懂る者なく能く行う者なし。『老子』下文に「言語に宗旨あり、行事に主宰あり」と言う、彼の宗旨と主宰とは、即ち「一」なり。
忠即一也,恕而行之即一以貫之也。韋昭注《周語》:帥意能忠曰循己之意,恕而行之為忠。
恵棟断じて曰く:忠は即ち「一」、此の忠を推己及人に実行出来するは、即ち「一以貫之」なり。韋昭『国語・周語』に注して曰く:能く本心を率循して乃ち忠と謂い、即ち自らの本心に順て、再び推己及人に為すを去り、これ乃ち忠と算するに足る。
《論語》,子曰:「參乎,吾道一以貫之。」曾子曰:「唯。」子出,門人問曰:「何謂也?」曾子曰:「夫子之道,忠恕而已矣。」以忠行恕謂之一貫。
『論語・里仁』に記す:孔子言う、参や、我が道は一個の物を用いて貫穿するなり。曾子声に応えて曰く:是。孔子出去せし後、同門曾子に問う:これ如何なる意。曾子に言う:先生の道は、忠恕の両字のみ。恵棟按断す:忠を用いて恕を推行すれば、之を「一貫」と謂う。
《繫下》曰:「天下之動,貞夫一者也。」虞注云:「一謂乾元。」《論語》,子貢問曰:「有一言而可以終身行之者乎?」子曰:「其恕乎!己所不欲,勿施於人。」以忠恕之道終身行之,以絜矩之道平天下,所謂一以貫之也。《大學》言平天下而云明明德,《中庸》言至誠盡性而可以贊化育,皆所謂一以貫之者也。
『繋辞下伝』に言う:天下の運動は皆「一」に正定す。虞翻注に言う:此の「一」は乾元を指す。『論語・衛霊公』子貢の発問を記す:一字有りて以て終身奉行すべきや。孔子に言う:大概「恕」か——自ら願わざる所は、人の身上に加うる勿れ。恵棟申す:忠恕の道を用いて終身践行し、絜矩の道を用いて天下を平定す、これ即ちいわゆる一以貫之なり。『大学』は天下を平らぐを講じて帰結して光明の徳を彰明す、『中庸』は至誠性を尽すを講じて因りて能く天地の化育を赞助す、言う所は皆一以貫之の道理なり。
《中庸》曰:「忠恕違道不遠,施諸己而不願,亦勿施於人。子曰:君子之道四,丘未能一焉:所求乎子以事父未能也,所求乎臣以事君未能也,所求乎弟以事兄未能也,所求乎朋友先施之未能也。」
『中庸』に言う:忠恕は道より距ること遠からず、凡そ己の身上に加えて情願せざるは、亦た人の身上に加うる勿れ。孔子に言う:君子の道に四条あり、我孔丘は一条も為し得ず——児子に如何に父を侍奉するを要求するを、我拿りて自らの父を侍奉するも尚お能わず。臣下に如何に君主を事奉するを要求するを、我拿りて自らの君主を事奉するも尚お能わず。弟弟に如何に兄長を事奉するを要求するを、我拿りて自らの兄長を事奉するも尚お能わず。朋友に先に己に施予するを要求するを、我先に朋友に施予するも尚お能わず。
《大學》曰:「所惡於上毋以使下,所惡於下毋以事上,所惡於前毋以先後,所惡於後毋以從前,所惡於右毋以交於左,所惡於左毋以交於右,此之謂絜矩之道。」荀子曰:「五寸之矩盡天下之方也。」
『大学』に言う:上級の我を待つが如くなるを悪惡すれば、則ち同様の方式を用いて下級を役使する勿れ。下級の我を待つが如くなるを悪惡すれば、則ち同様の方式を用いて上級を事奉する勿れ。前人の我を待つが如くなるを悪惡すれば、則ち同様の方式を用いて後人を帯領する勿れ。後人の我を待つが如くなるを悪惡すれば、則ち同様の方式を用いて前人を追随する勿れ。右辺の人の我を待つが如くなるを悪惡すれば、則ち同様の方式を用いて左辺の人と交往する勿れ。左辺の人の我を待つが如くなるを悪惡すれば、則ち同様の方式を用いて右辺の人と交往する勿れ。これを絜矩の道と謂う。恵棟荀子を引きて証と為す:一把の五寸の長さの矩尺は、則ち能く天下所有の方形を量尽す。
右、忠恕の義を申す
《堯典》曰:「克明俊德,以親九族。」
『尚書・尭典』に言う:尭は能く崇高の徳行を彰明し、因りて同宗九族を親睦す。此の句は本片の末尾に於て別に一条を起し、其の引発する議論は已に本分片の外に在り、下の一片に由りて承接す。
九族既睦,平章百姓。孔注:百姓,百官。百姓昭明,協和萬邦,黎民於變時雍。
『尚書・尭典』続けて言う、九族已に和睦せば、乃ち百官の職守を分辨彰明す。孔安国此の句に注解して曰く、経文の裏の「百姓」は「百官」を指すと。百官の徳行既に昭然顕明せば、天下万邦便ち協調和睦し、黎民百姓も随て感化改変し、風気は寛厚雍容に帰す。
《大學》曰:知止而後有定,定而後能靜,靜而後能安,安而後能慮,慮而後能得。物有本末,事有終始,知所先後則近道矣。釋格物。
『大学』に言う:「何処に止まるべきを知りて、然る後に心志乃ち定向あり。定向ありて、然る後に心境乃ち宁静すること能くす。心境宁静なりて、然る後に処身乃ち安穏すること能くす。処身安穏なりて、然る後に思慮乃ち周詳すること能くす。思慮周詳なりて、然る後に乃ち得る所有らん。万物皆根本と枝末あり、万事皆終結と開端あり、先後の次第を明白すれば、亦た道に接近せん。」恵棟ここに注明す:以上の此の一節は『大学』の以て「格物」を解釈する文字なり。
古之慾明明德於天下者,先治其國;欲治其國者,先齊其家;欲齊其家者先修其身;欲修其身者先正其心;欲正其心者先誠其意;欲誠其意者先致其知。致知即《中庸》之明善。致知在格物。《蒼頡篇》:格,量度之也。
『大学』また言う:「古代に光明の徳性を天下に彰顕せんと欲する者は、先ず自らの邦国を治めよ。邦国を治めんと欲する者は、先ず自らの家族を整粛せよ。家族を整粛せんと欲する者は、先ず自身を修養せよ。自身を修養せんと欲する者は、先ず自らの心を端正せよ。心を端正せんと欲する者は、先ず意念を真実無妄ならしめよ。意念を真実ならしめんと欲する者は、先ず自らの知を極処に推せ。」恵棟ここに夾注す:いわゆる「致知」は、即ち『中庸』の裏の言う「明善」なり。経文続けて言う:「致知の功夫は格物の上に落つ。」恵棟『蒼頡篇』を引きて「格」の字を訓釈して曰く:「格とは、丈量・忖度の義なり。」
物格而後知至,知至而後意誠,意誠而後心正,心正而後身修,身修而後家齊,家齊而後國治,國治而後天下平。自天子以至於庶人,壹是皆以修身為本。天下之動貞夫一。
『大学』続けて言う:「事物一たび格量せられれば、知便ち極処に推致さる。知極処に推致せられれば、意念便ち真実となる。意念真実なれば、心便ち端正となる。心端正なれば、自身便ち修美となる。自身修美なれば、家族便ち整粛となる。家族整粛なれば、邦国便ち治理を得。邦国治理を得れば、天下便ち太平となる。上は天子より、下は平民に至るまで、一概に皆修身を以て根本と為す。」恵棟随って『周易・繋辞下』の「天下之動貞夫一」を引きて印証す:天下万般の変動は、最終に皆彼の一個の根本に正定すべし。
其本亂而末治者否矣。不明俊德而欲親九族,其所厚者薄而其所薄者厚。不親九族而欲平章百姓,未之有也。此謂知本,此謂知之至也。釋致知。
『大学』に言う:「根本已に乱れて、枝末反りて治理するを得は、有ることなし。」恵棟ここに『尭典』の次第を插入して解説す:能く先ず自らの大徳を彰明せずして、九族を親睦せんと往かば、則ち彼れ厚く待つべき処に於て反りて軽薄し、軽く処すべき処に於て反りて加厚す、正に『大学』の言う所の「其所厚者薄而其所薄者厚」なり。恵棟再び一句を接ぐ:能く先ず九族を親睦せずして、百官を分辨彰明せんと往かば、『大学』のいわゆる「未之有也」は、言う所は正に此の種の事は従来有らざるなり。経文最後に言う:「これを本を知ると謂い、これを知の極処に達するを謂う。」恵棟注明す:以上の此の一節は『大学』の以て「致知」を解釈する文字なり。
右、一貫の道を申す
《堯典》之克明俊德,《大學》之慾明明德,即一也。明俊德以及九族、百姓、萬邦、黎民,明明德以修身、齊家、治國、平天下,即一以貫之也。一即本也,故云壹是皆以修身為本。
恵棟按断して曰く:『尚書・尭典』の講ずる「克明俊徳」と『大学』の講ずる「欲明明徳」とは、其の実は同一の事なり。大徳を彰明する一路より九族・百官・万邦・黎民に推広し、明徳を彰明する一路より修身・斉家・治国・平天下に落実す、これ即ち孔子の言う所の「一以貫之」なり。此の「一」は即ち「本」、ゆえに『大学』乃ち「上は天子より下は庶人に至るまで、一概に修身を以て根本と為す」と言う。
物有本末,事有終始,由本達末,原始及終,一貫之義也。忠,一也。以忠行恕即一以貫之也。以忠行恕即《中庸》《大學》所陳是也。
万物に根本と枝末あり、万事に開端と終結あり。根本より枝末に貫通し、開端より終結に推究す、これ即ち「一以貫之」の意なり。いわゆる「忠」とは、正に此の「一」なり。忠を以て本体と為し恕道を推行すれば、便ち「一以貫之」なり。而以て忠を以て恕を行う具体の条目は、即ち『中庸』と『大学』の陳述する彼の一整套の功夫なり。
《繫下》曰:天下之動貞夫一者也。虞注云:一謂乾元。萬物之動各資天一陽氣以生,故天下之動貞夫一者也。
『周易・繋辞下』に言う:「天下万物の一切の変動は、皆彼の『一』に正定す。」虞翻注解す:ここの「一」は乾元を指す。万物の運動は、上天の彼の一点の陽気に凭藉せずんば生発する能わざるなし、ゆえに天下の変動は皆「一」に正定すと言う。
又曰:《易》曰「憧憧往來,朋從爾思」,子曰:天下何思何慮,天下同歸而殊途,一致而百慮。劉熙曰:慮,旅也。旅,眾也。一致百慮,慮及眾物以一定之也。
『繋辞下』また言う:「『周易』咸卦九四爻辞に『心思往来定まらず、朋友只だ汝の思う所の彼の一点に順従す』と講じ、孔子解釈して曰く:天下に何の思うべき何の慮るべきかあらん。天下人は道路同じからずして帰宿相同じ、思慮百端にして致す所一に帰す。」劉熙『釈名』訓釈して曰く:「慮」は即ち「旅」、「旅」は即ち衆多の義。いわゆる「一致而百慮」とは、思慮の衆多の事物に遍及するも、彼の「一」を用いて之を定住するを言う。
天下何思何慮。韓伯注云:夫少則得,多則惑,塗雖殊,其歸則同;慮雖百,其致不二。苟識其要,不在博求,一以貫之,不慮而盡矣。
「天下何思何慮」の一句に就て、韓康伯注解して曰く:守る所少なければ則ち得る所有り、求むる所多ければ則ち迷惑を生ず。道路は分岐すと雖も、帰宿は却て同一なり。思慮は百端有ると雖も、致する所は却て一個のみ。只だ彼の綱要を認清すれば、則ち四処に広く求むるを必せず、一個の根本を用いて万事を貫穿すれば、思慮を費尽せずして万事已に尽く其の中に在り。
子曰:賜也,女以予為多學而識之者與?對曰:然。多原於一,故曰然。非與?一以貫多,故曰非。曰:非也。蒙上非與。予一以貫之。何晏曰:善有元,事有會,天下殊途而同歸,百慮而一致,知其元則眾善舉矣。
『論語・衛霊公』孔子の問を記す:「賜や、汝は我を博学多聞にして一々に記住する者と以為するか。」子貢回答して曰く:「是の如し。」恵棟夾注:衆多は一に本原す、ゆえに子貢は一個の「然」の字を答う。孔子また問う:「然らざるか。」恵棟夢注:一を以て衆多に貫通す、ゆえに下文始めて「非」と言う。孔子に言う:「然らず。」恵棟夾注:此の句は上文の「非与」に承接して言うなり。孔子続けて言う:「我は一個の根本を以て之らを貫穿するなり。」何晏『論語集解』に言う:善に其の元始あり、事に其の会帰あり、天下は道路同じからずして帰宿相同じ、思慮百端にして致する所一に帰す、彼の元始を認清すれば、衆善も亦た一斉に挙起さる。
《孟子》曰:博學而詳說之,將以反說約也。
『孟子・離婁下』に言う:「広博に学習し詳尽に解説するは、回頭して彼の簡約の要の要領を講説する為なり。」博学は只だ手段、帰約乃ち目的なり。
《孝經》:仲尼曰,先王有至德要道,以順天下,民用和睦,上下無怨。殷仲文注云。《孝經疏》:窮理之至,以一管眾為要。
『孝経・開宗明義章』仲尼の言を記す:「先王に至高の徳行・精要の道理あり、之を用いて天下を順治すれば、百姓因りて和睦し、上下の間怨恨なし。」殷仲文此の為に注解を作りしことあり、恵棟其の説の『孝経疏』に見ゆるを注明す、殷氏に言う:義理を極処に窮究して、能く一個の綱領を以て衆多を統摂す、これを「要」と謂う。
《荀子·不苟》曰:君子位尊而志恭,心小而道大,所聽視者近而所聞見者遠,是何耶?是操術然也。故千人萬人之情,一人之情是也。是以君子有絜矩之道。
『荀子・不苟』篇に言う:君子は地位愈々尊貴にして心志愈々恭敬し、用心愈々細密にして行う所の道愈々宏大なり。親しく耳の聴く所・眼の看る所は不過近処なれども、而して実際に聴聞見識する所は却て極めて深遠なり、これ何の故ぞや。是れ其の掌握する方法の致す所なり。ゆえに千人万人の情状は、一個の人の情状の裏頭に在り。正に此に因りて、君子乃ち「絜矩」の此の己を以て人を度り推己及人の準則有るなり。
天地始者,今日是也。百王之道,后王是也。君子審后王之道而論於百王之前,若端拜而議。百王謂堯舜禹湯。后王謂文武。端,玄端,朝服也。
『不苟』篇続けて言う:天地開闢の起始は何の様子なるかは、則ち今日に於て看ることを得。歴代帝王の治道は何の様子なるかは、則ち近世の君王の身上に於て看ることを得。君子は近世君王の道を審察し、再び之を拿りて上古百王以前の事を評論するに往けば、恰も斉整に穿戴して拱手端坐して従容として議論するが一般なり。恵棟夾注:いわゆる「百王」は、尭・舜・禹・湯を指す。いわゆる「后王」は、文王・武王を指す。「端」は即ち「玄端」、即ち朝会の時に穿する礼服なり。
推禮義之統,統,本。分是非之分,總天下之要,治海內之眾,若使一人。故操彌約,約,要。而事彌大。五寸之矩盡天下之方也。《大學》絜矩義疏。故君子不下室堂,堂,明堂。而海內之情舉。積此者則操術然也。
『不苟』篇また言う:礼義の統系を推明す——恵棟夾注「統」は即ち根本なり——是非の界限を剖分し、天下の綱要を総覧し、海内の衆人を治理すること、恰も一人を指使するが如く従容なり。ゆえに執守する所愈々簡約にして——恵棟夾注「約」は即ち綱要なり——而して成就する事愈々宏大なり。五寸の長さの曲尺は、以て天下一切の方形を量尽すべし。恵棟注明す:此の句は正に『大学』「絜矩」の義の疏解なり。ゆえに君子は足堂を下らず——恵棟夾注此の「堂」は明堂を指す——而して海内の情状已に尽く掌握の中に在り。能く此の歩に積累するは、仍お其の操持する方法の致す所なり。
《非相》曰:以近知遠,以一知萬,以微知明。
『荀子・非相』篇に言う:眼前切近の事に由りて遥遠の事を推知し、一個の道理に由りて千万件の事を推知し、細微隠約の処に由りて昭然顕明の理を推知す。
《儒效》曰:道出乎一。曷謂一?曰:執神而固。曷謂神?曰:盡善浹洽之謂神,萬物莫足以傾之之謂固。神固之謂聖人。聖人也者,道之管也。天下之道管是矣,百王之道一是矣。
『荀子・儒效』篇に言う:道は「一」に出づ。何をか「一」と謂う。回答して曰く:「神」を持守して而も堅固にして移らざるなり。何をか「神」と謂う。回答して曰く:善を極処に致して周遍浹洽なれば、之を「神」と謂う。天下万物一様として能く彼を動揺するなきを、「固」と謂う。既に神にして且つ固なる人を、聖人と謂う。聖人の此の人は、道の総枢紐なり。天下の道は皆此の枢紐に由りて統摂せられ、歴代百王の道は皆此に於て統一す。
又曰:以淺持博,以古持今。注云:當作以今持古。以一持萬云云。是大儒者也。
『儒效』篇また言う:浅近を用いて広博を把握し、古代を用いて当今を把握す。楊倞注に言う:「以古持今」は「以今持古」と作るべし。原文の下に尚お「以一持万」等の語あり。荀子に言う、能く此の様に到達する者乃ち大儒と称するに足る。
《莊子·天地》曰:記曰,通於一而萬事畢,無心得而鬼神服。郭注云:一無為而群理都舉。記,書名也,雲老子所作。案:此論一貫與宋儒同,與孔子異。道家以一為終,故莊子曰得其一而萬事畢;聖人以一為始,故夫子曰吾道一以貫之。此儒與道之別也。
『荘子・天地』篇に言う:古『記』の裏に講ずる、通達を「一」に於てすれば、万事便ち皆完備す。無心にして自ら得る所有れば、鬼神も亦た帰服せんと。郭象注解して曰く:彼の「一」を守りて為す所無ければ、衆理自然に皆成立す。恵棟夾注:ここの「記」は一部の書名、相伝えて老子の作と為す。恵棟按断して曰く:此の一段は「一貫」を談ず、宋儒の講法と相同じく、而も孔子の講法とは不同なり。道家は「一」を終点と為す、ゆえに荘子は「其一を得れば万事畢わる」と言う。聖人は「一」を起点と為す、ゆえに孔子は「我が道一を以て之を貫く」と言う。これ即ち儒家と道家の分別する所なり。
《後漢書·范升傳》:升奏曰,孔子曰「博學約之,弗叛矣夫」。夫學而不約必叛道也。顏淵曰「博我以文,約我以禮」。孔子可謂知教,顏淵可謂善學矣。老子曰「學道日損」,損猶約也。又曰「絶學無憂」,絶末學也。
『後漢書・范升伝』に記す、范升上奏して曰く:孔子かつて講じたり「広博に学びて礼を以て之を約束せば、正道に背離せざらん」と。恵棟ここに夾注す:学を為して簡約に帰すること能わざれば、必ず大道に背離せん。范升また顔淵の言を引きて曰く:「夫子は文献典籍を以て我を博学ならしめ、また礼節を以て我を帰約ならしむ。」范升因りて評論して曰く、孔子は教を解すると謂うべく、顔淵は学に善しと謂うべしと。恵棟続けて『老子』を引きて「学道日に損す」と言い、并せて此の「損」は即ち「約」に相当すと注明す。『老子』また「絶学无忧」と言い、恵棟彼れは枝末の学を断絶するを要すと注明す。
又曰:天下之事所以異者以不一本也。《易》曰:天下之動貞夫一也。又曰:正其本,萬事理。五經之本,自孔子始。
范升の奏疏また言う:天下の事の紛歧不同なる所以は、一個の根本に統一する能わざるに因るなり。『周易・繋辞下』に言う:「天下の一切の変動は、皆彼の『一』に正定す。」『易』また言う:「其の根本を端正すれば、万事自然に条理分明なり。」而して五経の根本は、正に孔子の所より始めて確立す。
《說文》士字下云:數始於一,終於十,從一從十。孔子曰:推十合一為士。案:一,道也。一以貫之,故推十得合一也。
『説文解字』「士」の字の下に言う:数は一より始まり、十に至りて終結す、「士」の字の構形は便ち一より従り十に従う。書中并せて孔子の言を引きて曰く:「能く十を推究して一に帰併するを、士と曰う。」恵棟按断して曰く:ここの「一」は即ち道なり。一を以て衆多を貫穿す、ゆえに推究して十に至り終に能く一に合帰す。
《法言·吾子》曰:多聞則守之以約,多見則守之以卓。寡聞則無約也,寡見則無卓也。此《論語》義疏,即顏子之一貫也。
揚雄『法言・吾子』篇に言う:聴聞多ければ、則ち簡約を以て之を守らんと要す。見識多ければ、則ち卓立の識見を以て之を守らんと要す。聴聞少なき者は「約」を談ずるに足らず、見識少なき者も「卓」を談ずるに足らず。恵棟按断して曰く:此の幾句は其の実は『論語』文義の疏解にして、講ずる所は正に顔淵の彼の種の「一以貫之」の功夫なり。
《春秋繁露》曰:古之造文者三畫而連其中謂之王。三畫者天地與人也,而連其中通其道也。取天地與人之中以為貫而參通之,非王者孰能當是。
董仲舒『春秋繁露』に言う:古時字を造る者、三横を画き、再用び一竪を以て其の中間を連貫す、此の字を「王」と曰う。三横は天・地・人を代表し、三者の中間を貫連するは、之らを貫通する道を表示す。天・地・人三者の中道を取りて彼の一竪と為し三方通達す、王者に除きて、尚お誰か此の字を担当するに足らんや。
《淮南·俶真》曰:夫道有經紀條貫,得一之道,連千枝萬葉。高誘注云:一者道之本也,得其根本,故能連千枝萬葉,以少正多也。
『淮南子・俶真』篇に言う:道は自ら其の綱紀条貫あり、此の「一を得」の道理を掌握すれば、便ち千枝万葉を貫連するを能くす。高誘注解して曰く:「一」は道の根本なり。此の根本を得、ゆえに能く千枝万葉を貫連す、これ即ち少数を以て多数を統正する道理なり。
子
《易》上經曰:乾初九潛龍勿用。馬融曰:初九建子之月,陽氣始動於黃泉,故曰潛龍。
『周易』上経に言う:乾卦初九の爻辞は「潜竜勿用」なり。馬融解釈して曰く:初九は建子の月に配当す、即ち夏暦十一月なり、此の時陽気剛に地下黄泉の中に於て萌動を始め、尚お潜伏して未だ出ざらず、ゆえに之を「潜竜」と称す。
《明夷》六五曰:其子之明夷,利貞。《象》曰:其子之貞,明不可息也。述曰:其讀曰亥。坤終於亥,乾出於子,故明不可息。
『明夷』卦六五の爻辞に言う:「箕子之明夷、利貞。」『象伝』に言う:「箕子之貞、明不可息也。」恵棟『周易述』の裏に解説す:此の「箕」の字は「亥」と読むべし。坤の気は亥に終結し、乾の気は子に生出す、亥尽きて子起こり、光明前後相続いて断えず、ゆえに「明不可息」と曰う。
《參同契》曰:含元虛危,播精於子。
魏伯陽『周易参同契』に言う:元気は虚宿・危宿の間に涵蓄し、而して精気を子位の上に播布す。虚・危二宿は正に北方子位に当たり、一陽初生の所在なり。
《廣雅·釋天》曰:太初,氣之始也,生於酉仲,清濁未分也。太始,形之始也,生於戌仲。八月酉仲為太初,屬雄;九月戌仲為太始,屬雌;清者為精,濁者為形。太素質之始也,生於亥仲,已有素樸而未散也。三氣相接至於子仲,剖判分離,輕清者上為天,重濁者下為地,中和為萬物。
張揖『広雅・釈天』に言う:「太初」は気の開端にして、酉月の中に産生す、彼の時清と濁と尚お分かたず。「太始」は形の開端にして、戌月の中に産生す。恵棟ここに夾注す:八月の酉仲を太初と為し、雄に属す。九月の戌仲を太始と為し、雌に属す。清の一面は精に凝り、濁の一面は形に凝る。『広雅』続けて言う:「太素」は質の開端にして、亥月の中に産生す、彼の時已に素朴の質地有りて而も未だ散らず。此の三種の気は彼此銜接し、子月の中に到りて、始めて剖判分離す。軽清の者は上昇して天と成り、重濁の者は下沉して地と成り、中に居りて調和する者は便ち化して万物と成る。
《說文》包字下云:元氣起於子。子,人所生也。
『説文解字』「包」の字の下に言う:元気は子位より興起す。而して「子」また正に人の生ずる所由の開端なり。
《三統曆》曰:太極元氣含三為一。孟康曰:元氣起於子,未分之時,天地人混合為一,故子數獨一也。
『漢書・律暦志』の載する所の『三統暦』に言う:太極の元気は、天・地・人三者を包含して渾然として一と為る。孟康注解して曰く:元気は子位より興起し、未だ剖分せざるの時、天・地・人三者は混合して一体と為す、ゆえに「子」の数は単に一のみ。
又曰:陰陽合德,氣鍾於子,化生萬物。虞注《易》曰:陰陽合德謂天地雜,保太和,日月戰。
『三統暦』また言う:陰陽両気は其の徳を合同し、気は子位に聚鍾し、此に由りて万物を化生す。虞翻『周易』に注して曰く:いわゆる「陰陽合徳」は、天地の気交相錯雑して太和を保守し、日月の気交相薄戦するを指す。
又曰:天統之正始施於子半。蘇林曰:子之西,亥之東,其中間也。案:子半猶子仲也。
『三統暦』また言う:天統の定むる所の正月は、最初に「子半」に於て施化す。蘇林注解して曰く:いわゆる子半は、子位の西・亥位の東に在り、正に両者の中間に当たる。恵棟按断して曰く:「子半」は即ち前面『広雅』の言う所の「子仲」なり。
《易緯稽覽圖》曰:甲子卦氣起中孚,六日八十分日之七。鄭注云:六以候也。八十分為一日,日之七者,一卦六日七分也。
『易緯・稽覧図』に言う:甲子の此の日、卦気は『中孚』卦より起算し、毎卦六日又八十分の七日を分かち得。鄭玄注解して曰く:此の「六」は六個の物候に就きて言うなり。一日を分かちて八十分と為す、いわゆる「日之七」は、即ち一卦六日零七分を占むるを言うなり。
《乾鑿度》曰:中孚為陽,貞於十一月子。
『易緯・乾鑿度』に言う:『中孚』卦は陽に属し、十一月の子位の上に正定す、これ正に一陽来復・卦気起始の処なり。
