蜀独同義
《爾雅·釋山》:「獨者蜀。」注云:「蜀亦孤獨。」《方言》:「一,蜀也,南楚謂之獨。」《管子》云:「抱蜀不言而廟堂既修。」半農人云:抱蜀即《老子》抱一。
『爾雅・釈山』に言う:孤零零として単独なる一座の山を「蜀」と謂う。郭璞注:「蜀」も孤独の義なり。『方言』に言う:「一」を「蜀」と謂い、南楚一帯は之を「独」と称す。『管子』に言う:君主は「蜀」を抱守して号令を発せず、朝廷政事自ら整粛す。恵棟半農人の説を引く:いわゆる「抱蜀」は、即ち『老子』の講ずる「抱一」なり。
始
《恆》初六:「浚恆貞凶無攸利。」象曰:「浚恆之凶,始求深也。」虞注云:「乾為始,故曰始求深也。」《乾·彖傳》曰:「大哉乾元,萬物資始。」荀注云:「謂分為六十四卦萬一千五百二十筴,皆受始於乾也。」
『恒卦』初六爻辞:一たび頭より深く恒久を求めれば、占問に凶を得て、益する所なし。『象伝』に言う:浚恒の凶なる所以は、一たび頭より求めて深きに在り。虞翻注に言う:乾は「始」を為す、ゆえに「始求深」と言う。『乾・彖伝』に言う:偉大なりや乾元、万物皆之に依りて始まる。荀爽注に言う:乾元分化して六十四卦・一万一千五百二十策と為り、皆乾より開端を領受す。
《繫上》曰:「原始反終,故知死生之說。」說,舍也。《大學》曰:「物有本末,事有終始。」《乾鑿度》曰:「乾漸九月。乾者天也,終而為萬物始,北方萬物所始也,故乾位在於十月。」注云:「乾御戌亥在於十月而漸九月也。」
『繋辞上伝』に言う:事物の開端を推原し、反りて其の終結を求む、故に死生の理を識る。恵棟夾注:ここの「説」は「舍」に通じ、生死の帰宿を指す。『大学』に言う:物に根本と末梢あり、事に終結と開端あり。緯書『乾鑿度』に言う:乾気漸く九月に及ぶ。乾は即ち天なり、其れ一年の終了の処に於て又万物の開端と為る。北方は正に万物の由りて始まる方位、ゆえに乾の卦位を十月に安んず。鄭玄注に言う:乾は戌・亥の两支を統御し、正位は十月に在り、而其の気已に九月に浸潤す。
又云:「乾位在西北,陽祖微據始也。」又云:「太初者氣之始也,太始者形之始也。」鄭注云:「形,見也,天象形見之所本始也。」案:太始生於戌仲。「太素者,質之始也。」
『乾鑿度』また言う:乾位は西北に在り、陽気の宗祖は此の一点の幽微に凭りて開端を拠有す。また言う:太初は気の開端、太始は形の開端なり。鄭玄注に言う:「形」は即ち顕現、天象の顕現する所の根源の開端を指す。恵棟按断す:太始は戌位の正中に生ず。『乾鑿度』続けて言う:太素は質の開端なり。
《周書·周祝》曰:「天為古,地為久,察彼萬物名於始。」《爾雅·釋詁》曰:「初、哉、首、基、肇、祖、元、胎、俶、落、權輿,始也。」《老子·道經》曰:「無名天地之始。」注云:「無名者謂道,道無形,故不可名也。始者,道本也,吐氣布化,出於虛無,為天地本始也。」
『逸周書・周祝』に言う:天は最も古く、地は最も久し。彼の万物を考察するに、皆其の開端の上に於て名を定む。『爾雅・釈詁』に言う:初・哉・首・基・肇・祖・元・胎・俶・落・権輿の一串の字、皆「始」と訓す。『老子』上篇『道経』に言う:無名は天地の開端なり。河上公注に言う:いわゆる「無名」は即ち道なり、道に形体なし、ゆえに命名するに由なし。「始」は道の本根、其れ元気を吐出し布散化育して、虚無の中より出で、天地の本始と為る。
《吳子》曰:「夫道者,所以反本復始。」吳起,曾申弟子,傳《左氏春秋》。《呂覽·召類》曰:「元者,吉之始也。」揚雄《羽獵賦》云:「於是玄冬季月,天地隆烈,萬物權輿於內,徂落於外。」注:《爾疋》曰:「權輿,始也。」《昏義》曰:「夫禮始於冠,本於昏。」鄭注云:「始猶根也,本猶乾也。」
『呉子』に言う:いわゆる道とは、以て根本に返回し開端に回復する者なり。恵棟夾注:呉起は曾申の弟子、嘗て『左氏春秋』を伝習せり。『呂氏春秋・召類』に言う:「元」は吉の開端なり。揚雄『羽猟賦』に言う:深冬の末月に至りて、天地厳寒酷烈、万物は内裏に於て萌動初生し、外面に於て凋零陨落す。李善注『爾雅』を引きて曰く:「権輿」は即ち開始なり。『礼記・昏義』に言う:礼は冠礼より始まり、婚礼を以て根本と為す。鄭玄注に言う:「始」は木の根に如く、「本」は木の幹に如し。
素
《乾鑿度》曰:「太素者,質之始也。」鄭注云:「地質之所本始也。」又云:「太素有質始形也。」案:太素生於亥仲。《文選》注:《方言》曰:「素,本也。」
『乾鑿度』に言う:太素は質の開端なり。鄭玄注に言う:これ大地の形質の根源する所の開端なり。また言う:太素に至りて始めて質あり、併せて形有るを始む。恵棟按断す:太素は亥位の正中に生ず。『文選』李善注『方言』を引きて曰く:「素」は即ち本なり。
《履》初九曰:「素履往無咎。」述云:初為履始,故云素。疏云:《乾鑿度》曰:「太索者,質之始。」鄭注《尚書大傳》云:「素猶始也。」初為履始,故云素,素亦始也。《象上傳》曰:「素履之往,獨行願也。」述云:初微謂之獨。
『履卦』初九爻辞に言う:素朴に行い、前往に過ちなし。恵棟『周易述』申す:初爻は『履』卦の開始、ゆえに「素」と称す。疏文『乾鑿度』の「太素は質の開端」を引き(源文は「素」を「索」と作る)、又鄭玄注『尚書大伝』の「素」は「始」に如くを引く。初爻は既に『履』の開始なれば、ゆえに「素」と称し、「素」は即ち「始」なり。『象伝』上篇に言う:素履の往くことを得る所以は、独り自らの心願を践行するなり。恵棟『周易述』に言う:初爻幽微、ゆえに之を「独」と称す。
張衡《靈憲》注曰:「太素之前,幽清玄靜,寂寞冥默,不可為象,厥中惟靈,厥外惟無。如是者永久焉,斯為冥莖」——一作涬——「蓋乃道根。道根既建,由無生有,太素始萌,萌而未兆,並體同色,坤屯不分。」原注云:「坤屯音渾沌。」《御覽》一。
張衡『霊憲』及び其の注に言う:太素の前は、一片の幽清玄静、寂寞として声なく、晦暗にして明らかならず、形象を以て描摹すること能わざるなり。其の中には唯だ霊妙あるのみ、外には唯だ虚無あるのみ、此の状態極めて久しく延続す、これを「冥茎」と謂う——恵棟夾注:一本に「涬」と作る——即ち道の根柢なり。道根既に立定すれば、便ち無より有を生出し、太素萌動を始む。萌動して尚お征兆なく、渾然一体・通体同色にして、「坤屯」未だ分け開くこと能わず。原注に言う:「坤屯」は「渾沌」と読む。此の条は『太平御覧』巻一の引く所に見ゆ。
深
《恆》初六:「浚恆貞凶。」象曰:「浚恆之凶,始求深也。」虞注云:「浚,深也。莊九年《公羊傳》曰:浚之者何?深之也。初下稱浚,故曰浚恆。乾初為淵,故深矣。失位變之正,乾為始,故曰始求深也。」乾為始,亦據初。初為始為元,「大哉乾元,萬物資始」,故乾為始也。
『恒卦』初六爻辞:一たび頭より深く恒久を求めれば、占問に凶を得。『象伝』に言う:浚恒の凶は、頭より起りて求めて深きに在り。虞翻注に言う:「浚」は深なり。荘公九年『公羊伝』「浚之とは何ぞ」と問い、答えて「深くするなり」、見るべし浚は即ち加深なり。初爻は最下に在り、ゆえに「浚」と称し、爻辞始めて「浚恒」と曰う。乾の初爻は本より深淵を象る、ゆえに「深」と言う。初六は位を失い、変動の後正に帰し、而して乾は「始」を為す、ゆえに「始求深」と言う。恵棟補して言う:乾の「始」と為る所以も、亦た初爻に就いて言うなり。初爻は既に「始」にして又「元」なり、『彖伝』に「偉大なりや乾元、万物皆之に依りて始まる」と講ず、ゆえに乾は即ち「始」なり。
《繫上》曰:「無有遠近幽深。」虞注云:「遠謂天,近謂地,深謂陽,幽謂陰。」又曰:「夫易,聖人之所以極深而研幾也。」又曰:「鉤深致遠。」虞注云:「初深故曰鉤深,致遠謂乾。」又曰:「精義入神。」姚信注云:「入在初也。陰陽在初,深不可測,故謂之神。」
『繋辞上伝』に言う:遠近幽深を論ぜず、『易』は皆通達すること能くす。虞翻注に言う:「遠」は天を指し、「近」は地を指し、「深」は陽を指し、「幽」は陰を指す。また言う:『周易』は聖人の以て幽深を窮め幾微を研求する書なり。また言う:幽深を鉤取し、遠処を招致す。虞翻注に言う:初爻最も深し、ゆえに「鉤深」と曰う。「致遠」は乾に就いて言うなり。また言う:義理を精研して神境に入る。姚信注に言う:いわゆる「入」とは、初爻に入るなり。陰陽皆初爻に始まり、深くして測るべからず、ゆえに「神」と称す。
《論語》子貢曰:「夫子之言性與天道,不可得而聞已矣。」何晏注云:「性者,人之所受以生也。天道者,元亨日新之道,深微故不可得而聞之。」
『論語・公冶長』子貢の言を記す:先生の人性と天道とを談ずる言論は、我ら之を聞くことを得ず。何晏『論語集解』注に言う:「性」は人の禀受して以て生成することを得る物、「天道」は元亨日新の道、深邃幽微を以てのゆえに、聞くことを得ず。
《後漢·陳忠傳》:自順帝即位,盜賊並起,郡縣更相飾匿,莫肯糾發——更相文飾,隱匿盜賊——忠上疏曰:「臣聞輕者重之端,小者大之源,故堤潰蟻孔,氣洩針芒」——揚雄語——「是以明者慎微,智者識幾。《書》曰:小不可不殺」——《康誥》——「《詩》云:無縱詭隨,以謹無良」——《大雅》——「蓋所以崇本絶末,鉤深之慮也。」棟案:慮之初,故曰鉤深,此與仲翔義合。
『後漢書・陳忠伝』に記す:順帝即位より以来、盗贼紛紛として起り、郡県は互相いに掩飾包庇して、掲発する肯んずる者なし——恵棟夾注:即ち彼此文過飾非にして盗贼を隠匿するなり。陳忠此の為に疏を上りて曰く:臣聞く、軽は重の開端、小は大の源頭、ゆえに堤壩は蟻穴に於て潰え、気は針尖の大さの孔より泄尽すと——恵棟夾注:此の両句は本より揚雄の言なり——故に明白の人は幽微の処に於て謹慎し、智慧の人は幾微の処に於て察覚す。『尚書』に言う、小悪も誅せざるべからず(恵棟注:語は『康誥』に出づ)。『詩経』に言う、詭詐随和の徒を放縦するなかれ、以て不良の人を防範せよ(恵棟注:語は『大雅』に出づ)。此れら皆崇本絶末・幽深を鉤取する深謀遠慮なり。恵棟按断す:思慮は最初の処に下すべし、ゆえに「鉤深」と曰う。これ虞翻(字は仲翔)の解釈と正に相合す。
《老子·道經》曰:「古之善為士者,微妙玄通,深不可識。」《德經》曰:「玄德深矣遠矣。」《莊子·天地》曰:「視乎冥冥,聽乎無聲,冥冥之中獨見曉焉,無聲之中獨聞和焉。故深之又深而能物焉」——窮其原而後能物物——「神之又神而能精焉。」
『老子』上篇『道経』に言う:古の善く道を為す士は、精微玄妙にして幽深に通達し、深くして人をして測識せしめ難し。下篇『徳経』に言う:玄徳深きかな、遠きかな。『荘子・天地』に言う:幽暗の中に於て看、無声の処に於て聴く。幽暗の中に独り光明を見る能くし、無声の中に独り和音を聞く能くす。ゆえに深くしてまた更に深くして、乃ち万物を生成すること能くし——恵棟夾注:本原に窮究して、然る後に万物を主宰すること能くす——神にしてまた更に神にして、乃ち精純に達すること能くす。
《繕性》曰:「當時命而大行乎天下則反一無跡,不當時命而大窮乎天下則深根寧極而待,此存身之道也。」《繫下》曰:「龍蛇之蟄以存身也。」虞注云:「潛藏也。龍潛而蛇藏,陰息初巽為蛇,陽息初震為龍。十月坤成,十一月復生,遘巽在下,龍蛇俱蟄。初坤為身,故龍蛇之蟄以存身。」莊子言存身之義通於易。
『荘子・繕性』に言う:時運に遇い天下に大行すれば、則ち渾一に返帰して形跡を留めず。時運に遇わず天下に困窮すれば、則ち根柢を深固にし、極処に安守して時を待つ。これ即ち自身を保全する弁法なり。『繋辞下伝』に言う:龍蛇の冬眠蟄伏するは、以て自身を保存するなり。虞翻注に言う:「蟄」は即ち潜蔵、龍は潜、蛇は蔵なり。陰気消息して初爻に至り巽を成し、巽は蛇を為す。陽気消息して初爻に至り震を成し、震は龍を為す。十月坤卦は純陰にして成り、十一月『復』卦一阳復生し、『姤』卦の巽体下に居り、龍と蛇皆蟄伏の中に在り。初爻は坤に属し、坤は身を為す、ゆえに龍蛇の蟄は以て身を存すると言う。恵棟按す:荘子の存身を講ずる意は、『周易』と正に相貫通す。
《天下》曰:「以深為根。」注云:「理根為太初之極,不可謂之淺也。」《釋言》曰:「潛,深也。」初為深,《易》潛龍勿用亦在初。《太玄》曰:「夫一一所以摹始而測深也。」
『荘子・天下』に言う:深を以て根柢と為す。旧注に解す:此の理の根柢は即ち太初の極致、之を浅しと謂う能わず。『爾雅・釈言』に言う:「潜」は即ち深なり。恵棟按す:初爻は正に「深」、『周易』乾卦の「潜龍勿用」も初爻に落つ。揚雄『太玄』に言う:彼の「一」は、以て開端を摹写し幽深を測度する者なり。
初
《易上經》曰:「初九,潛龍勿用。」述云:易氣從下生,故以下爻為始。乾為龍,潛藏在下,故曰潛龍。其初難知,故稱勿用。太衍之數虛一不用,謂此爻也。又曰:「初六,履霜堅冰至。」
『周易』上経『乾卦』に言う:初九、潜伏の龍、暫く施用せず。恵棟『周易述』申す:易の気は下より上に生長す、ゆえに最下の一爻を以て開端と為す。乾は龍を為し、此の時下に潜蔵す、ゆえに「潜龍」と曰う。其れ最初に処り、知ること難し、ゆえに「勿用」と言う。大衍の数の一策を虚去して用いざるは、此の一爻を指す。『坤卦』また言う:初六、脚下に霜を踩むれば、則ち堅氷の将に至らんとするを知る。
《繫上》曰:「其初難知,其上易知,本末也。初辭擬之,卒成之終。」《繫下》曰:「小人以小善為無益而弗為也,以小惡為無傷而弗去也。」虞注云:「小善謂復初,小惡謂遘初。」《公羊》隱五年傳云:「初者何?始也。」
『繋辞上伝』に言う:一卦の初爻は知ること難く、上爻は知ること易し、これ根本と末梢の分別なり。初爻の爻辞は只だ開端を擬議し、上爻に至りて始めて最終に完成す。『繋辞下伝』に言う:小人は小善に益なしと謂いて為さず、小悪は大雅を傷つけずと謂いて除くに肯んぜず。虞翻注に言う:「小善」は『復』卦初爻一阳の始生を指し、「小悪」は『姤』卦初爻一陰の始生を指す。『公羊伝』隠公五年問を設く:「初」とは何ぞ。答えて曰く:即ち開始なり。
《參同契》曰:「元精雲布,因氣托初。」《乾鑿度》曰:「太初者,氣之始也。」鄭注云:「元氣之所本始。太易既是寂然無物矣,焉能生此太初哉?則太初者亦忽然而自生。」又曰:「太初之氣,寒溫始生也。」案:太初生於酉仲。
魏伯陽『周易参同契』に言う:元精は雲の如く布散して、気に憑藉して開端に寄托す。『乾鑿度』に言う:太初は気の開端なり。鄭玄注に言う:これ元気の根源する起点、太易は本より寂然として物なし、何ぞ能くこの太初を生出せん。見るべし太初も亦た忽然として自生するなり。『乾鑿度』また言う:太初の気は、寒と温と此より分化を始む。恵棟按断す:太初は酉位の正中に生ず。
京房雜試對(《後漢·律曆志》)曰:「宓犧作易,紀陽氣之初以為律法。建日冬至之聲,以黃鍾為宮,大蔟為商,姑洗為角,林鍾為徵,南呂為羽,應鍾為變宮,蕤賓為變徵,此聲氣之元,五音之正也。」
京房『雑試対』に於て言う(此の条は『後漢書・律歴志』の引く所に見ゆ):伏羲『易』を創作し、陽気初生の節点を記録して定律の法則と為す。冬至の日に建つる声音を以て基準と為し、黄鐘を用いて宮と為し、太簇を商と為し、姑洗を角と為し、林鐘を徴と為し、南呂を羽と為し、応鐘を変宮と為し、蕤賓を変徴と為す。これ即ち声気の本元、五音の正準なり。
《淮南·俶真》曰:「聖人之學也,欲以反性於初。」高誘注云:「人受天地之中以生。孟子曰:性無不善而情慾害之,故聖人能反其性於初。」
『淮南子・俶真訓』に言う:聖人の学問を為すは、本性を以て最初の様子に返回せんと欲するなり。高誘注に言う:人は天地中和の気を禀受して生ず。孟子は人性に善ならざるなしと講ず、只だ情欲の之を損害するのみ、ゆえに聖人は能く本性を最初に返回せしむ。
本
《易·大過》:「棟橈。」彖傳曰:「棟橈,本末弱也。」虞注云:「初上陰柔本末弱,故棟橈也。」《繫下》曰:「復,德之本也。」虞注云:「復初乾之元,故德之本也。」
『周易・大過』卦辞に言う:棟梁彎曲す。『彖伝』解す:棟梁の彎曲する所以は、根本と末梢と皆虚弱なるを以てなり。虞翻注に言う:『大過』の初爻と上爻は皆陰柔、一頭一尾皆弱し、ゆえに棟梁彎曲す。『繋辞下伝』に言う:『復』卦は徳の根本なり。虞翻注に言う:『復』卦初爻は即ち乾の元気、ゆえに其れ徳の根本と言う。
又曰:「其初難知,其上易知,本末也。」侯果注云:「本末,初上也。」《周禮》師氏以三德教國子,一曰至德以為道本,鄭注云:「至德,中和之德,覆燾持載含容者也。」孔子曰:「中庸之為德,其至矣乎!」
『繋辞下伝』また言う:初爻は知り難く、上爻は知り易し、これ本と末の分別なり。侯果注に言う:いわゆる本末とは、即ち初爻と上爻なり。『周礼』に記す、師氏は三種の徳を以て貴族子弟を教育す、第一を「至徳」と曰い、之を以て道の根本と為す。鄭玄注に言う:「至徳」は即ち中和の徳、天の覆い地の載せるが如く一切を包容すること能くす。孔子に言う:中庸の徳と為すは、殆ど最高なるか。
《詩·簡兮》曰:「執轡如組。」毛傳曰:「組,織組也。御眾有文章,言能治眾。」動於近,成於遠也。正義曰:「御者,執轡於此,使馬騁於彼;織組者,總紕於此,而成文於彼;皆動於近成於遠。」《呂覽·先己》曰:「百仞之松,元傷於下而末槁於上;商因之困,謀失於胸,令困於彼。《詩》曰:執轡如組。孔子曰:審此言也可以為天下。子貢曰:何其躁也。孔子曰:非謂其躁也,謂其為之於此而成文於彼也,聖人組修其身而成文於天下矣。」高誘曰:「胸猶內,彼亦外也。」《大戴禮·保傅》曰:「《易》曰:正其本,萬物理。」本謂初。
『詩経・邶風・簡兮』に言う:手に缰繩を握ること、絲帯を編むが如し。毛亨『毛伝』解す:「組」は編み成せる絲帯、衆馬を駕御して条理文采あるは、其の衆を治むる能くするを言う。恵棟一句の断語を加う:これ近処に於て発動し、遠処に於て成就す。孔頴達『正義』に言う:車を駕る者は此の頭に於て缰繩を握るも、馬をして彼の頭に於て奔馳せしむ。帯を織る者は此の頭に於て絲縷を理順するも、花紋をして彼の頭に於て成形せしむ——皆近処に動きて遠処に成るなり。『呂氏春秋・先己』に言う:百仞の高さの松樹は、根部一たび傷を受ければ梢頭即ち枯萎す。商朝此に因りて困頓し、謀画は胸中に於て失当し、政令は外面に於て窘迫す。其れ『詩』の「執轡如組」を引き、又孔子の言を引く:此の句を明白すれば、以て天下を治むることを得。子貢に言う:これ未免性急に過ぎざらんや。孔子に言う:我は急を講ずるにあらず、此処に功夫を下して彼処に文采を成就するを講ずるなり。聖人は絲帯を編むが如く自身を修治し、文采便ち天下に於て成就す。高誘注に言う:「胸」は即ち内、「彼」は即ち外なり。『大戴礼記・保傅』に言う:『易』に講ず、其の根本を端正すれば、万物則ち皆条理あり。恵棟按す:ここの「本」は初爻を指す。
《大學》曰:「物有本末,事有終始,知所先後則近道矣。古之慾明明德於天下者,先治其國。」《虞夏書·堯典》曰:「克明俊德,以親九族;九族既睦,平章百姓;百姓昭明,協和萬邦,黎民於變時雍。」由本達末,原始及終,一以貫之之道也。「欲治其國者先齊其家,欲齊其家者先修其身,欲修其身者先正其心,欲正其心者先誠其意。」荀子曰:「養心莫善於誠。」「欲誠其意者先致其知。」鄭注云:「知謂知善惡吉凶之所終始也。」「致知在格物。」《倉頡篇》曰:「格,量度之也。」棟案:此謂知所先。
『大学』に言う:物に根本と末梢あり、事に終結と開端あり、何をか先に為し何をか後に為すを知れば、則ち道に近づく。古の天下に於て光明の徳を彰明せんと欲する者は、先ず自らの国を治めよ。恵棟ここに『尚書・虞夏書・尭典』を插引す:尭は能く崇高の徳行を彰明し、因りて九族を親睦す。九族和睦の後、則ち百官の職分を辨明す。百官の職分昭然たれば、万邦便ち協調和洽し、百姓も随て和睦と変ず。恵棟断じて曰く:これ正に根本より末梢に推及し、開端より終結に推及する、一以貫之の路数なり。『大学』続けて言う:国を治めんと欲すれば、先ず自らの家を斉しくせよ。家を斉しくせんと欲すれば、先ず自身を修養せよ。身を修めんと欲すれば、先ず自らの心を端正せよ。心を正さんと欲すれば、先ず意念を誠実ならしめよ。恵棟荀子の言を引く:心性を修養するに誠より善きは莫し。『大学』に言う:意を誠にせんと欲すれば、先ず自らの知を推致せよ。鄭玄注に言う:此の「知」は、善悪吉凶の何処より起り何処に止まるを知るなり。『大学』に言う:知を致すは物を格するに在り。恵棟『蒼頡篇』を引く:「格」は即ち量度なり。恵棟按断す:以上講ずる所は皆「知所先」なり。
「物格而後知至,知至而後意誠,意誠而後心正,心正而後身修,身修而後家齊,家齊而後國治,國治而後天下平。」棟案:此謂知所後。「自天子以至於庶人,壹是皆以修身為本。」朱子曰:「正心以上皆所以修身也。」「其本亂而末治者否矣,其所厚者薄而其所薄者厚,未之有也。此謂知本,此謂知之至也。」棟案:物有本末,事有終始,格物之事也;知所先後,致知之事也;此謂知本,物格知止之事也。
『大学』続けて言う:物の量度清楚せられて、知乃ち推致して極処に至る。知極処に至りて、意念乃ち誠実となる。意念誠実なりて、心乃ち端正となる。心端正なりて、身乃ち修まる。身修まりて、家乃ち斉う。家斉いて、国乃ち治まる。国治まりて、天下乃ち太平となる。恵棟按断す:此の一串は「知所後」を講ず。『大学』また言う:天子より一直に平民百姓に至るまで、一概に皆修身を以て根本と為す。朱熹に言う:心を正す以上の工夫は、全て皆修身の為に設く。『大学』最後に言う:根本乱れて末節の治まるを得るは、有ることなし。厚く待つべきを反りて薄く待ち、薄く待つべきを反りて厚く待つも、亦た従来有らざるなり——これを本を知ると謂い、これを知の極処に至ると謂う。恵棟按断す:「物有本末、事有終始」は格物の事に属し、「知所先後」は致知の事に属し、「此謂知本」は則ち物格・知止の事なり。
《孟子》曰:「人有恆言,皆曰天下國家。天下之本在國,國之本在家,家之本在身。」又曰:徐子曰:「仲尼亟稱於水,曰水哉水哉,何取於水也?」孟子曰:「原泉混混,不舍晝夜,盈科而後進,放乎四海。有本者如是,是之取爾。苟為無本,七八月之閒雨集,溝澮皆盈,其涸也可立而待也。故聲聞過情,君子恥之。」又曰:「有大人者,正己而物正者也。」
『孟子・離婁上』に言う:人の常に嘴边に挂くる言は、皆「天下国家」と曰う。其の実天下の根本は国に在り、国の根本は家に在り、家の根本は自身に在り。『孟子・離婁下』また徐辟の発問を記す:孔子は屢々水を称賛して「水よ水よ」と曰う、彼は到底水の何の点を取るや。孟子答えて曰く:源頭の泉水は滚滚として涌出し、昼夜停まらず、一々の坑洼を注満して乃ち往前に流れ、最終に四海に流る。本源有る物は即ちかくの如し、孔子の取る所は正に此の一点なり。假如本源なければ、七八月の間雨水一たび集まれば、大小の沟渠皆灌満すと雖も、其の干涸するも亦た片刻の間なり。ゆえに名声の実情に超過するは、君子之を以て恥と為す。『孟子』また言う:一種の大人あり、只だ自らを端正すれば、万物則ち随て端正す。
仲舒對策曰:「臣謹案《春秋》謂一元之意,一者萬物之所從始也,元者辭之所謂大也。謂一為元者,視大始而欲正本也。《春秋》探其本而反自貴者始,故為人君者正心以正朝廷,正朝廷以正百官,正百官以正萬民,正萬民以正四方。四方正,遠近莫敢不壹於正而亡有邪氣奸其閒者。」
董仲舒対策の中に言う:臣謹んで『春秋』の「一元」を講ずる用意を按ず——「一」は万物の由りて始まる所、「元」は字義の上に於て即ち「大」なり。「一」を「元」と称するは、人をして彼の大いなる開端を看重し根本を端正せしめんと欲するなり。『春秋』は根本を探求し、しかも最も尊貴の人の自身より做起せねばならず、ゆえに君主たる者は、自らの心を端正して以て朝廷を端正し、朝廷を端正して以て百官を端正し、百官を端正して以て万民を端正し、万民を端正して以て四方を端正す。四方一たび正しければ、遠近に敢えて正に帰せざる者なく、亦た再び邪気の中間に夾雑するあらざるなり。
《呂覽·孝行》曰:「凡為天下治國家,必務本而後末。」詹何曰:「身治而國不治者未之有也。」故曰必務本。「所謂本者,非耕耘種植之謂,務其人也。」務猶求也。「務其人,非貧而富之,寡而眾之」——眾,多也——「務其本也。務本莫貴於孝。」孝為行之本,故聖人貴之。「夫孝,三皇五帝之本務而萬事之紀也。」紀猶貫也。「夫執一術而百善至,百邪去,天下從者其惟孝也。」一術,孝術。「故論人必先以所親而後及所疏」——先本後末,先近後遠——「必先所重而後及所輕。」所重謂其親,所輕謂他人。「今有人於此,行於親重而不簡慢於輕疏」——孝於親以及人之親——「則是篤謹孝道」——厚慎孝道——「先王之所以治天下也。」先王以孝治天下。「故愛其親不敢惡人,敬其親不敢慢人。愛敬盡於事親,光耀加於百姓」——加,施也——「究於四海,此天子之孝也。」此《孝經》義疏也。《聖治章》曰:「聖人因嚴以教敬,因親以教愛。聖人之教不肅而成,其政不嚴而治,其所因者本也。」注:本謂孝也。
『呂氏春秋・孝行覧』に言う:凡そ天下国家を治理するは、必ず先ず根本に致力して、然る後に末節に及ぶ。恵棟詹何の言を插引す:自身修治して国家の治まらざるは、従来有ることなし。ゆえに必ず先ず本を務むべしと曰う。『呂覧』続けて言う:いわゆる根本とは、田を耕し地を種ぐを指すにあらず、「人」の上に功夫を下すを指す。高誘注:「務」は即ち求なり。原文に言う:人の身上に功夫を下すは、窮きを富に変え少なきを多きに変ずるに並ならず——高誘注:「衆」は即ち多なり——而して其の根本を務むるを要とす。本を務むるに孝より貴きは莫し。恵棟断語を加う:孝は一切の徳行の根本、ゆえに聖人は之を看重す。『呂覧』に言う:孝は三皇五帝の最も根本の事務にして、亦た万事の綱紀なり。高誘注:「紀」は貫串に如く。原文また言う:此の一門の方術を掌握すれば、百善皆来り、百邪皆去り、天下人の随従する者は、唯だ孝のみ。高誘注:此の「一術」は即ち孝の一門の方術なり。原文に言う:ゆえに一人を品評するに、必ず先ず其の親近する者に対するを看、再び其の疎遠する者に対するを看る——恵棟注:これ先本後末・先近後遠なり——必ず先ず其の分量重き者に対するを看、再び其の分量軽き者に対するを看る。高誘注:重んずる所は其の双親、軽んずる所は別人なり。原文に言う:假使此の如き一人あり、親近厚重の者に心を尽し、疎遠軽微の者に対しても怠慢せず——恵棟注:これ即ち自らの双親を孝敬するを別人の双親に推及するなり——これ即ち篤実にして謹守孝道するなり(高誘注:厚重にして謹慎に孝道を守る)、亦た正に先王の以て天下を治めし弁法なり。恵棟注:
《呂覽·執一》曰:「楚王問為國於詹子。」詹何,隱者。「詹子對曰:何聞為身,不聞為國。」詹子豈以國可無為哉?以為為國之本在於為身。「身為而家為,家為而國為,國為而天下為。故曰以身為家,以家為國,以國為天下。此四者異位同本。故聖人之事,廣之則極宇宙窮日月」——窮亦極也——「約之則無出乎身者也。」
『呂氏春秋・執一』に言う:楚王詹子に治国の如何を請教す。恵棟夾注:詹何は一位の隠士なり。詹子回答して曰く:我只だ自身の修治するを聞けり、治国を聞かず。恵棟按す:詹子は豈に国家は治めずして可なりと謂わんや。彼は治国の根本即ち治身に在りと謂うなり。原文続けて言う:自身修治すれば家則ち随て修治し、家修治すれば国則ち随て修治し、国修治すれば天下則ち随て修治す。ゆえに言う、治身の法を以て家の上に用い、治家の法を以て国の上に用い、治国の法を以て天下の上に用いよ。此の四者は位置同じからずして根本相同なり。ゆえに聖人の為す所の事は、铺开せば能く宇宙を窮め日月を窮め(高誘注:「窮」も亦た極の義なり)、收攏すれば則ち自身の一処に出でず。
《老子·德經》曰:「善建者不拔。」《文言》初九曰:「確乎其不可拔。」《屯》初九曰:「利建侯。」虞仲翔引《老子》為證。又曰:「修之於身,其德乃真。」《淮南·道應》曰:「楚莊王問詹何曰:治國奈何?對曰:何明於治身而不明於治國。楚王曰:寡人得立宗廟社稷,願學所以守之。對曰:臣未嘗聞身治而國亂者也,未嘗聞身亂而國治者也。故本任於身,不敢對以末。楚王曰:善。故《老子》曰:修之身,其德乃真也。」
『老子』下篇『徳経』に言う:善く建立する者は、立てる所の物は拔き難し。恵棟『周易』を以て相比証す:『乾・文言』に初九の「堅確にして動揺すべからず」を講じ、『屯卦』初九に「侯を建てるに利し」を講ず、虞翻(字は仲翔)の此に注するや則ち『老子』の此の句を引きて証と為す。『徳経』また言う:道を自身の上に修めれば、其の徳乃ち真実なり。『淮南子・道応訓』に言う:楚荘王詹何に問う、国は何の様にか之を治めん。詹何答えて曰く:我只だ身を治むるを懂り、国を治むるを懂らず。楚王に言う:寡人幸いに宗廟社稷を立てることを得、学ばんと欲するは正に其れを守るの弁法なり。詹何答えて曰く:臣未だ嘗て自身修治して国家反りて乱るるを聞かず、亦た自身混乱して国家反りて治まるを聞かず。ゆえに根本は自身に在り、臣敢えて末節を以て回答せず。楚王に言う:講ぶこと善し。ゆえに『老子』に言う、道を自身の上に修めれば、其の徳乃ち真実なり。
徐乾《修本》篇曰:「孔子之制《春秋》也,詳內而略外,急己而寛人,故於魯也小惡必書,於眾國也大惡始筆。夫見人而不自見者謂之蒙,聞人而不自聞者謂之瞶,慮人而不自慮者謂之瞀。故明莫大乎自見,聰莫大乎自聞,睿莫大乎自慮。此三者舉之甚輕,行之甚邇而莫之知也。故知者舉甚輕之事以任天下之重,行甚邇之路以窮天下之遠。故德彌高而基彌固,勝彌眾而愛彌廣。《易》曰:復亨,出入無疾,朋來無咎。其斯之謂歟!」
徐幹『中論・修本』篇(源文は「徐乾」と題す)に言う:孔子『春秋』を編訂す、内に対しては記して詳しく、外に対しては記して略しく、己を責むるに厳にして人を待つに寛し。ゆえに魯国を写るに小過失に連なりても必ず記下し、各国を写るに唯だ大悪のみ落筆す。能く別人を見て自らを見る能わざるを「蒙」と謂い、能く別人を聞きて自らを聞く能わざるを「聵」と謂い、能く別人の為に考慮して自らの為に考慮せざるを「瞀」と謂う。ゆえに最大の明は自らを看清し、最大の聡は自らを聴清し、最大の叡は自らを省察す。此の三事は之を為すに極めて軽省、之を行うに極めて切近なれども、明白する者なし。ゆえに智慧有る者は、正に此の極めて軽省の事を拿して以て天下の重任を担当し、此の極めて切近の路を走りて以て天下の遠処を窮む。因りて徳愈々高くして根基愈々牢く、勝る人愈々多くして愛心愈々広し。『周易・復卦』卦辞に言う:復、亨通し、出入に疾患なく、朋類前来して過ちなし——講ずる所は大概此の理か。
《法言·吾子》曰:「請問本。曰:黃鍾以生之,中正以平之,確乎鄭衛不能入也。」以樂喻本,堅樹在始,故云確乎。《法言·先知》曰:「或曰:齊得夷吾而霸,仲尼曰小器,請問大器。曰:大器其猶規矩凖繩乎,先自治而後治人之謂大器。」吳秘注云:「規矩先自方圓,凖繩先自平直,然後能為器,器出於是,大器者也。管子不知禮,安能以禮正國哉!」
『法言・吾子』篇に言う:請う、何をか「本」と為す。揚雄答えて曰く:黄鐘の律を用いて之を生出し、中正の音を用いて之を調平し、堅定して鄭・衛の靡靡の音の如きも侵し入ること能わざらしむ。恵棟解説す:これ音楽を拿して以て根本に比喻す、樹立堅固を要すれば則ち開頭に於て着手すべし、ゆえに「確乎」と言う。『法言・先知』篇に言う:或る人講ず、斉国は管夷吾を得て則ち称覇し、孔子は却て管仲を「小器」と言う、然らば請う、何をか大器と為す。揚雄答えて曰く:大器は大概規・矩・準・縄の如くか。先ず自らを修治して、然る後に人を治む、これを大器と謂う。呉秘注に言う:円規方矩は先ず自身の方円に合せ、水準墨縄は先ず自身の平直に合せ、然る後に能く以て器を制す。器物は此に由りて産生す、これ乃ち大器なり。管仲は礼を懂らず、何ぞ能く礼を用いて国家を端正せんや。
「堯舜性之也,湯武身之也」,此先自治而後治人者也。「五霸假之也」,故器小,此王霸之辨也。以《大學》言之,誠意正心修身,規矩準繩也,所謂先自治也;齊家治國平天下,所謂治人也。先誠意正心修身而後齊家治國平天下,所謂先自治而後治人也。由本達末,原始反終,一以貫之之道也。《莊子·天地》曰:「以本為精,以物為粗。」關尹、老耼之學。
恵棟『孟子』の成句を引きて以て申説す:尭・舜は本性の中に自ら仁義を具備し、湯・武は身を親しくして仁義を践行す、此れ皆先ず己を修治して後に人を治むるに属す。五覇は只だ仁義の名を假借するのみ、ゆえに器量狭小なり——これ即ち王道と覇道の分別なり。『大学』の条目を用いて対照す:意を誠にし心を正しくし身を修むるは、即ち彼の規・矩・準・縄にして、即ちいわゆる先に自治なり。家を斉え国を治め天下を平らかにするは、即ちいわゆる人を治むるなり。先ず誠意正心修身し、然る後に斉家治国平天下す、正に先に自治して後に人を治むるなり。根本より末梢に推して、開端より反りて終結を求む、これ即ち一以貫之の路数なり。『荘子』に言う:根本を以て精微と看、外物を以て粗跡と看る(此の語は実に『天下』篇に出づ、源文は『天地』と題す)。恵棟注:これ関尹・老聃一派の学問なり。
至
《坤·文言》曰:「至哉坤元,萬物資生,乃順承天。」《晉語》曰:「民之疾心固皆至矣。」韋昭云:「至,深也。」《繫辭上》曰:「顯諸仁,藏諸用,鼓萬物而不與聖人同憂,盛德大業至矣哉!」又曰:「易其至矣乎!」
『坤』卦伝文に言う:至極なりや坤元、万物は之に依靠して生成し、其れ順従して天を承接す(此の語は実に『彖伝』に出づ、源文は『文言』と題す)。『国語・晋語』に言う:百姓の痛恨の心は本より已に極めて深し。韋昭注に言う:「至」は即ち深なり。『繋辞上伝』に言う:道は仁愛の中に顕現し、功用の内に隠蔵し、万物を鼓動して生長せしめて聖人の如く憂労せず、かくの如き盛徳大業は真に至極なり。また言う:『易』は大概至極なるか。
襄二十九年《春秋傳》曰:季札觀樂,見舞《韶》樂者,曰:「德至矣哉!」云云。《大學》曰:「在止於至善。」《表記》曰:「道有至,至道以王。」
襄公二十九年の『左伝』に記す:呉国の季札魯国に到りて楽舞を観賞し、『韶』楽を跳ぶを見て、讃嘆して曰く:徳極処に到れり。下に尚お一大段の議論あり、恵棟略して録せず。『大学』に言う:大学の道は至善に止まるに在り。『礼記・表記』に言う:道に至極の一層あり、至道を凭れば則ち天下に王たることを称すること能くす。
《孔子閒居》:孔子曰:「以致五至而行三無。」子夏曰:「敢問何謂五至?」孔子曰:「志之所至,詩亦至焉;詩之所至,禮亦至焉;禮之所至,樂亦至焉;樂之所至,哀亦至焉。哀樂相生,是故正明目而視之不可得而見也,頃耳而聽之不可得而聞也,志氣塞乎天地,此之謂五至。」
『礼記・孔子閒居』に記す:孔子言う、「五至」を致して「三無」を実行すべしと。子夏問う:請う、何をか五至と謂う。孔子に言う:心志の至る所、詩も亦た至る。詩の至る所、礼も亦た至る。礼の至る所、楽も亦た至る。楽の至る所、哀も亦た至る。哀と楽と互相いに生発す。ゆえに眼を大きく睁らして看るも見えず、耳を側かしめて聴くも聞こえず、而して此の股の志気は天地の間に充塞す——これを五至と謂う。
賈誼《新書·修政語》曰:「帝顓頊曰:至道不可過也,至義不可易也。」《孝經》,子曰:「先王有至德要道以順天下,民用和睦,上下無怨。」注云:「孝者,德之至,道之要也。」
賈誼『新書・修政語』に言う:帝顓頊嘗て講じて曰く、至極の道は超越すべからず、至極の義は更改すべからず。『孝経』孔子の言を記す:先王に至高の徳・扼要の道あり、之を以て天下を順理すれば、百姓因りて和睦し、上下の間怨恨なし。注文に解す:孝は即ち徳の中最も至極・道の中最も扼要なり。
《周禮》師氏以三德教國子,一曰至德以為道本,鄭注云:「至德,中和之德,覆燾持載含容者也。」孔子曰:「中庸之為德,其至矣乎!」《論語》,子曰:「中庸之為德,其至矣乎!民鮮久矣。」《中庸》曰:「子曰:中庸具至矣乎!民鮮能久矣。」
『周礼』師氏の三徳を以て貴族子弟を教育するを記す、第一は至徳にして、以て道の根本と為す。鄭玄注に言う:「至徳」は中和の徳、天の覆い地の載せるが如く一切を含容す。孔子に言う:中庸の此の徳は、殆ど最高なるか。『論語・雍也』孔子の言を記す:中庸の此の徳は、殆ど最高なるか、惜しむべし百姓の之を缺乏すること已に久し。『中庸』の載する所は略しく異文あり:孔子曰く、中庸真に至極なり、惜しむべし百姓の能く長久に之を実行する者少なし。
《中庸》曰:「苟不至德,至道不凝焉。」《荀子·君道》曰:「至道大形,百姓易俗,小人變心,奸怪之屬莫不反愨,夫是之謂政教之極。故天子不視而見,不聽而聰,不慮而知,不動而功,塊然獨坐而天下從之如一體,如四支之從心,夫是之謂大形。」《司馬法》:「有虞氏不賞不罰而民可用,至德也。」
『中庸』に言う:若し至極の徳なければ、至極の道は凝聚せず。『荀子・君道』に言う:至道充分に顕形したる後、百姓は風を移し俗を易え、小人は心術を改変し、奸邪怪僻の輩誠朴に回帰せざるなく、これを政教の極致と謂う。ゆえに天子は看ずして見え、聴かずして聴き清め、思慮せずして知り、行動せずして功あり。安然として独坐し、天下の彼に追随すること一身の如く、四肢の心に聴命するが如し、これを「大形」と謂う。『司馬法』に言う:有虞氏は奨賞を用いず刑罰を用いず、百姓照様に駆使に供す、これ即ち至徳なり。
