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屯卦・坎宮二世卦、消息内卦十一月・外卦十二月

清 · 惠栋 · 第2巻 / 53

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

屯元亨利貞。注:坎二之初,六二乘剛,五為上弇,故名屯。三動之正,成既濟定,故元亨利貞。勿用有攸往,利建侯。注:震一夫之行也,動而遇坎,小事不濟,故勿用有攸往。震為侯,建侯應四,往吉無不利矣。古諸侯不世,賢則建之,二之初,故云建。

経文:屯は、元・亨・利・貞である。恵棟の自注:この卦は『坎』卦の第二爻が初位に往きて生成したものである。六二が初九の剛爻を凌乗し、九五がまた上六に遮掩されるので、「屯」と名づく。第三爻が一動して正に帰れば『既済』の定局を成すので「元亨利貞」という。経文:往く所あるべからず、諸侯を分封するに利あり。恵棟の自注:震は一個の匹夫が独行するを象り、一動すれば坎険に撞当し、小事さえ成し得ないので「勿用有攸往」。震はまた諸侯を象り、諸侯を建立して第四爻と相応すれば、往けば必ず吉で利あらざるなし。古は諸侯の位は世襲せず、誰か賢能なればそれを立てた。この卦は二爻が初位に来るので「建」という。

疏:「坎二」至「利貞」。卦自坎來,故云坎二之初。之卦之說本諸彖傳,詳見於荀氏、虞氏、姚信、范長生、盧氏等注,而虞氏尤備。乾坤者,諸卦之祖。乾二五之坤成震坎艮,坤二五之乾成巽離兌,則六子皆自乾坤來也。

恵棟の疏証(自注「坎二之初」から「故元亨利貞」一段):この卦は『坎』より変じて来たので「坎二之初」という。いわゆる「之卦」――某爻が某位に往きて他の卦を生成する――の説は、『彖伝』に本づき、荀爽・虞翻・姚信・范長生・盧氏らの注の中に皆見え、虞翻のものが最も完備している。乾坤両卦は衆卦の祖宗である。乾の二・五両爻が坤中に往けば、震・坎・艮を生成し、坤の二・五両爻が乾中に往けば、巽・離・兌を生成する。よって六子卦は皆乾坤より来たことが分かる。

復、臨、泰、大壯、夬,乾息之卦;遘、否、觀、剝,坤消之卦。而臨觀二陽四陰,大壯四陽二陰,泰否三陽三陰,又以例諸卦。自臨來者四卦,明夷、解、升、震也;自來者五卦,訟、無妄、家人、革、巽也;自泰來者九卦,蠱、賁、恆、損、井、歸妹、豐、節、既濟也;自否來者九卦,隨、噬嗑、咸、益、困、漸、旅、渙、未濟也;自大壯來者五卦,需、大畜、暌、鼎、兌也;自觀來者四卦,蹇、萃、艮也。

『復』『臨』『泰』『大壮』『夬』は乾陽の生長する卦で、『遘』『否』『観』『剥』は坤陰の消退する卦である(底本はここに『遯』卦を脱す)。そして『臨』『観』は二陽四陰に属し、『大壮』は四陽二陰に属し、『泰』『否』は三陽三陰に属するので、それらを用いてその余の各卦を統例する。『臨』より変じて来たものに四卦あり、すなわち『明夷』『解』『升』『震』。『(底本は「遯」の字を脱す)』より変じて来たものに五卦あり、すなわち『訟』『无妄』『家人』『革』『巽』。『泰』より変じて来たものに九卦あり、すなわち『蠱』『賁』『恒』『損』『井』『帰妹』『豊』『節』『既済』。『否』より変じて来たものに九卦あり、すなわち『随』『噬嗑』『咸』『益』『困』『漸』『旅』『渙』『未済』。『大壮』より変じて来たものに五卦あり、すなわち『需』『大畜』『暌』『鼎』『兌』。『観』より変じて来たものに四卦あり、すなわち『蹇』『萃』『艮』(底本は三卦のみを列して一卦名を脱す)。

自乾坤來而再見者,從爻例也。卦無剝、復、夬、遘之例,故師、同人、大有、嗛從六子例,亦自乾坤來。小畜,需上變也;履,訟初變也。豫自復來,乃兩象易,非乾坤往來也。頤、小過,四之初、上之三也;大過、中孚,訟上之三、四之初也。此四卦與乾坤坎離反覆不衰,故不從臨觀之例。

それら乾坤より直接に変じて来て、また他処に重出する卦は、爻位の通例に依って按排する。卦変の例には『剥』『復』『夬』『遘』という一檔がないので、『師』『同人』『大有』『嗛』は六子卦の例に依り、これも乾坤より来たと算す。『小畜』は『需』の上爻の変、『履』は『訟』の初爻の変である。『豫』は『復』より来る、あれは「両象易」――上下両卦体が互いに対調する――であって、乾坤の往来ではない。『頤』『小過』は、四爻が初位に往き上爻が三位に往く。『大過』『中孚』は、『訟』の上爻が三位に往き四爻が初位に往く。この四卦は乾・坤・坎・離と同じく、卦形が翻転してもなお変わらないので、『臨』『観』の例に依らない。

師二升五成比,噬嗑上之三折獄成豐,賁初之四進退無恆而成旅,皆據傳為說,故亦從兩象易之例。因繫辭彖傳而復出者二:暌自無妄來,蹇自升來,皆二之五。

『師』の二爻が五位に昇れば『比』を成し、『噬嗑』の上爻が三位に往き、断獄の義を取って『豊』を成し、『賁』の初爻が四位に往き、進退無常の義を取って『旅』を成す――これらは皆『易伝』に依拠して説を立てるので、「両象易」の例に帰入する。『繫辞』『彖伝』のゆえに重複して現れるものに二卦あり。『暌』は『无妄』より来、『蹇』は『升』より来る、いずれも二爻が五位に往く。

此卦坎二之初,虞義也。案當從四陰二陽臨觀之例,而云坎二之初者,因彖傳「剛柔始交」,乃乾始交坤成坎,故知自坎來也。屯,難也,規固不相通之義。卦二五得正而名屯者,以二乘初剛,五弇於上,不能相應,故二有屯如之難,五有屯膏之凶,名之曰屯也。三變則六爻皆正,陰陽氣通,成既濟之世,故云元亨利貞。卦具四德者七:乾、坤、屯、隨、臨、無妄、革,皆以既濟言也。

この卦は『坎』の二爻が初位に往く、これは虞翻の説である。理によればそれは四陰二陽の『臨』『観』の例に依るべきであるが、ここでは「坎二之初」というのは、『彖伝』が「剛柔始めて交合す」という、まさに乾が始めて坤に交して坎を成すを講じているので、それが『坎』より来たことを知る。「屯」は艱難で、拘執固塞して彼此通ぜざるの意を含む。この卦は二・五両爻とも正位を得るが、なお「屯」と名づくのは、六二が初九の剛を凌乗し、九五が上六に遮掩されて、二五が相応し得ないので、六二に「屯如」の艱難があり、九五に「屯其膏」の凶険がある。ゆえにこれを「屯」と命名する。第三爻が一変すれば六爻がすべて当位し、陰陽の気が貫通して『既済』の局面を成就するので「元亨利貞」という。卦辞に元亨利貞の四徳を具えるもの合計七卦ある。『乾』『坤』『屯』『随』『臨』『无妄』『革』で、いずれも『既済』を成すに就いて講じたものである。

「震一」至「云建」。卦內震外坎,震為夫,故曰一夫,言微也。動而遇坎,坎險在前,一夫舉事必不能成,故曰小事不濟也。《晉語》司空季子說此卦云:「小事不濟,壅也。」故曰「勿用有攸往,一夫之行也」,此注所據矣。

恵棟の疏証(自注「震一夫之行也」から「二之初故云建」一段):この卦は内卦が震、外卦が坎である。震は丈夫を象るので「一夫」といい、その力量の単薄を形容する。一動すればすぐ坎に遇い、坎険が前面に横たわるので、一個の匹夫が事を弁ずれば必ず成功し得ない。ゆえに「小事不済」という。『国語・晋語』に司空季子がこの卦を解説したのを記していう、「小事が成らないのは、壅塞されたからである。」ゆえに「往く所あるべからず、それはただ一個の匹夫が独行するに過ぎないから」という。これがまさに恵棟の注を為す時に依拠した所である。

震為侯,虞義也。後漢司徒丁恭曰:「古帝王封諸侯不過百里,故利以建侯,取法於雷。」逸《禮·王度記》曰:「諸侯封不過百里。」象雷震百里,故震為侯。初正應四,建侯則貴得正得民,故往吉無不利矣,謂初往也。

「震為侯」は虞翻の説である。後漢の司徒丁恭にいう、「古代帝王の諸侯分封は百里を超えず、ゆえに建侯に利あり、取法したのはまさに雷である。」逸『礼・王度記』にいう、「諸侯の封地は百里を超えず。」雷声が震動する範囲はまさに百里なので、震は諸侯を象る。初九は当位にして六四と相応し、諸侯を建立するはその正位を得その民心を得るを貴ぶので「往吉无不利」、初爻の往くを説く。

《禮運》孔子曰:「大道之行也,天下為公,選賢與能。」天下為公,如二升五之類也;選賢與能,如利建侯之類也。是說古侯不世,賢則建之之義也。昭八年《春秋傳》曰:「嗣吉何建,建非嗣也。」今二之初,故云建。《韓非子》曰:「樹禾有曼根,有直根,根者書之所謂柢也。柢也者,木之所以建生也。」初在下,故云建,是其義也。

『礼記・礼運』に孔子の言を記していう、「大道が通行する時、天下は公有であり、賢者を選挙し能者を任用した。」「天下為公」とは、二爻が五位に昇るといった類、「選賢与能」とは、建侯に利ありといった類である。これがまさに古代の諸侯が世襲せず、誰か賢能なればそれを立てる理を説明する。『春秋左伝』昭公八年にいう、「嫡嗣あって継ぐべきがあれば、何ぞ別に立てん。『建』は承嗣に非ず。」今この卦は二爻が初位に来るので「建」と称す。『韓非子』にいう、「庄稼を種すれば蔓生する根あり、直下する根あり。いわゆる根とは、古書のいう『柢』である。柢とは、樹木がこれに頼って立定して生長するものである。」初爻は最下にあるので「建」と称す、まさにこの意である。

初九般桓,利居貞,利建侯。注:應在艮,艮為石,震為阪,故般桓。艮為居,二動居初,故利居貞。震為諸侯,居正應四,故利建侯。六二屯如亶如,乘馬驙如,匪寇昏冓,女子貞不字,十年乃字。注:乘馬,乘初也。二乘剛,故屯如亶如。馬重難行,故驙如。匪,非也。五體坎,坎為寇,二應五,故匪寇。陰陽得正,故婚冓。字,許嫁也。二乘初馬,初非正應,故貞不字。坤數十,三動反正,陰陽氣通,故十年乃字。象曰:反常也。

経文:初九、盤桓して進み難く、安居して正を守るに利あり、諸侯を分封するに利あり。恵棟の自注:初九の応爻は艮体にあり、艮は石頭を象り、震は山坡を象るので「般桓」という――坡石の間に盤旋すること。艮はまた安居を象り、六二が一動して初位に居るので「利居貞」。震は諸侯を象り、初九は正に居り上へ六四に応ずるので「利建侯」。経文:六二、艱難遅疑して、馬に乗りて徘徊して前へ進まず。来たるは強盗に非ず、婚を求める者である。女子は正を守り嫁を許さず、十年を過ぎて乃ち嫁を許す。恵棟の自注:「乗馬」は初九を凌乗するを指す。六二が剛爻を凌乗するので「屯如亶如」。馬が重荷を負い行き難いので「驙如」。「匪」はすなわち非。九五は坎体の中にあり、坎は盗寇を象り、六二は九五と相応するので「匪寇」という。陰陽各々その正を得るので「婚冓」である。「字」は嫁を許すこと。六二は初九という馬を凌乗するが、初九はその正応ではないので「貞不字」。坤の数は十で、第三爻が一動して正位に返帰し、陰陽の気が貫通するので「十年乃字」。『象伝』にいう、これは常道に回復することである。

六三即鹿無虞,惟入于林中。注:即,就也。虞,山虞也。艮為山,山足曰鹿,鹿,林也。三變體坎,坎為藂木山下,故稱林中。坤為兕虎,震為麋鹿,艮為狐狼。三應上,上乘五馬,故無虞。三變禽入于林中,故即鹿無虞,惟入于林中矣。君子機不如舍,往吝。注:君子謂陽已正。機,虞機;舍,舍拔。上不應三,張機舍拔,言無所獲,往必吝也。

経文:六三、山麓に追い至るも虞人の導きなく、ただ空しく林中に入る。恵棟の自注:「即」は近づく・追逐すること。「虞」は山林を掌る山虞の官を指す。艮は山を象り、山脚を「鹿」(即ち「麓」)といい、山脚に林があるので「鹿」はすなわち林である。第三爻が一変すれば下体は坎を成し、坎は山下にあって叢生の樹木を象るので「林中」と称す。坤は兕と虎を象り、震は麋鹿を象り、艮は狐狼を象る。六三は上へ上六に応ずるが、上六はまた九五という馬を凌乗するので「无虞」。六三が一変すれば禽獣は皆林中に逃げ入るので「即鹿无虞、惟入于林中」という。経文:君子が弩機を張るは、いっそ放り捨てるに如かず、往けば必ず憾惜あり。恵棟の自注:「君子」はすでに変じて正を得た陽爻を指す。「機」は虞人が射猟に用う弩機、「舎」は箭尾を放つこと。上六は六三と相応せず、たとえ弩機を張り箭括を放っても、これも一獲なく、往けば必ず憾惜を致す。

六四乘馬班如,求昏冓,往吉無不利。注:乘初也。班,別也。求,初求四也。之外稱往,四正應初,初建侯,故往吉無不利。九五屯其膏,小貞吉,大貞凶。注:屯者,固也。坎雨稱膏。二五貞也而皆屯,二之屯,女子之貞也,故小貞吉;五陽也,陽主施,五之屯,膏澤不下於民,故大貞凶。上六乘馬班如,泣血如。注:乘五也。上於五非昏因之正,初雖乘馬,終必泣血。三變體離,離為目,坎為血,艮為手,弇目流血,泣之象也。

経文:六四、馬に乗りて徘徊して分かれ行かんとし、前へ婚を求め、往けば吉利で利あらざるなし。恵棟の自注:「乗」は初九を凌乗するを指す。「班」は分別である。「求」とは、初九が来て六四を求めること。内卦より外卦へ往くを「往」という。六四は初九と正しく相応し、初九にまた建侯の象があるので「往吉无不利」。経文:九五、己の膏沢を屯積し、小さく正を守れば吉、大きく正を守れば凶。恵棟の自注:「屯」とはすなわち固守して通して通ぜざること。坎は雨を為す、ゆえに「膏」と称す。二・五両爻とも正を得て「貞」と称するが、皆「屯」に陥る。六二の屯は、女子が身を守るの貞なので「小貞吉」。九五は陽爻で、陽は施与を主る。九五の屯は、膏沢が百姓に下達し得ないことなので「大貞凶」。経文:上六、馬に乗りて徘徊して分かれ行かんとし、泣血漣漣たり。恵棟の自注:「乗」は九五を凌乗するを指す。上六の九五に対するは礼に合う婚配に非ず、初めは馬に乗りて来たれども、終わりには必ず泣血に至る。第三爻が一変して離体を成し、離は眼目を象り、坎は血を象り、艮は手を象り、手をもって目を掩いて血が流るるは、まさに哭泣の象である。爻辞の「泣血如」に按ずるに、底本は「漣」の字を脱す。

疏:「應在」至「建侯」。般桓,馬融以為旋也。應在艮,四體艮,艮為石。《說卦》曰:「震為阪生。」阪,陵阪也,故震為阪。古文《尚書·禹貢》曰:「織皮西傾因桓是來。」鄭玄彼注云:「桓是隴阪名,其道盤旋曲而上,故名曰桓。」此經般桓亦謂陵阪旋曲,故云般桓也。

恵棟の疏証(自注「応在艮」から「故利建侯」一段):「般桓」は、馬融は盤旋と解す。初九の応爻は艮体にあり――六四のある上体は互出して艮を成し、艮は石頭を象る。『説卦伝』に「震為阪生」といい、「阪」はすなわち丘陵の斜面なので、震は山坡を象る。古文『尚書・禹貢』にいう、「織皮の貢は西傾山より桓水に沿いて来る。」鄭玄がそこに注していう、「桓は隴地の山坡の名で、あの道は盤旋曲折して上るので、名づけて桓という。」ここの経文の「般桓」も、丘坡に沿い盤旋曲折するをいうので「般桓」という。

二失位,動居初得正,故利居貞。震,諸侯象,得正應四,以貴下賤,大得民,故利建侯也。荀氏以為般桓者,動而退也,謂陽從二動而退居初,義亦通也。

六二は位を失い、一動して初位に居ればその正を得るので「利居貞」。震は諸侯の象で、初九は正を得て上へ六四に応じ、尊貴の身をもって卑下に屈居し、大いに民心を得るので「利建侯」。荀爽は「般桓」を動にして後退とし、陽爻が二位より発動して初位に退居するをいうとし、このように講じても意は通ずる。

「乘馬」至「常也」。陰陽相求,有昏冓之道。二、四、上,陰爻,故皆言乘馬。虞氏亦謂二乘初,故曰乘馬也。鄭《箴膏肓》曰:「天子以至大夫皆有留車反馬之禮。」又云《士昏禮》云:「主人爵弁纁裳緇衣乘車,從車二乘,婦車亦如之。」此婦車出於夫家,則士妻始嫁乘夫家之車也。

恵棟の疏証(自注「乗馬、乗初也」から「反常也」一段):陰と陽とは互いに追求し、もとより婚配の道がある。二・四・上三爻はいずれも陰爻なので、皆「乗馬」を説く。虞翻もまた六二が初九を凌乗すると認め、ゆえに「乗馬」という。鄭玄『箴膏肓』にいう、「上は天子より下は大夫に至るまで、皆留車・返馬の礼あり。」また『儀礼・士昏礼』を引いていう、「主人は爵弁を戴き浅紅の下裳と黒色の上衣を着け、車に乗り、従者の車両二乘、新婦の車もまたこれに照らして弁ず。」この新婦の車は夫家より出る、よって士人の妻は初嫁の時に夫家の車に乗ることが分かる。

注以乘馬為乘初者,亦是乘初之車。但二與初非昏因之正,故云屯如亶如、乘馬驙如。馬氏云:「亶如,不進之貌。」《說文》曰:「驙者,馬重難行。」震為馬馵足,故驙如也。「坎為寇」,虞義也,《說卦》云「坎為盜」,故為寇。「匪,非」,虞義也,匪與非古今字。應在坎,故匪寇。陰陽得正,故昏冓。

恵棟の注は「乗馬」を初九を凌乗すると講じ、すなわち初九の車に乗ることである。ただ六二と初九は礼に合う婚配に非ず、ゆえに「屯如亶如、乗馬驙如」という。馬融にいう、「亶如とは、前進を肯んぜざるの貌である。」『説文解字』にいう、「驙とは、馬が重荷を負い行き難きこと。」震は後左足の白き馬を象るので「驙如」という。「坎為寇」は虞翻の説で、『説卦伝』に「坎為盗」というので、引き申して寇と為す。「匪を非と訓ず」も虞翻の説で、「匪」と「非」とは古今字である。六二の応爻は坎体にあるので「匪寇」といい、陰陽各々その正を得るので「昏冓」である。

虞氏又謂字,妊娠。案妊娠為已嫁,虞氏非也。《曲禮》曰:「女子許嫁,笄而字。」是字為許嫁,故易虞義也。二不許初,故貞不字。《繋》上曰:「天九地十。」故云坤數十。三動成既濟,故陰陽氣通。虞氏曰:「三動反正,故十年乃字。」謂成既濟定是也。

虞翻はまた「字」を怀孕と講じた。怀孕はすでに出嫁した後の事なので、虞翻のこの説は当たらない。『礼記・曲礼』にいう、「女子は婚を定めれば、笄礼を行い表字を取る。」よって「字」はすなわち嫁を許すことなので、恵棟は虞翻の解釈を改易した。六二は初九に応ぜないので「貞不字」。『繫辞上伝』に「天の数は九、地の数は十」というので、坤の数は十である。第三爻が一動すれば『既済』を成し、よって陰陽の気が貫通する。虞翻にいう、「第三爻が一動して正位に返帰するので、十年にして乃ち嫁を許す。」まさに『既済』の定局を成就するを指す。

「即就」至「中矣」。此虞義也。《論語》曰:「亦可以即戎矣。」包咸注云:「即,就也。」《儀禮·鄉飲酒禮》曰:「眾賓序升即席。」《王制》:「必即天倫。」鄭氏皆訓為就,故云即,就也。《周禮》地官有山虞,掌山林之政令及弊田,植虞旗於中,致禽而珥焉。虞氏謂虞,虞人,掌禽獸者,即山虞也。

恵棟の疏証(自注「即、就也」から「惟入于林中矣」一段):これは虞翻の説である。『論語』に「もって彼らを戦わしむる可し」といい、包咸が注していう、「即とは、すなわち走向である。」『儀礼・郷飲酒礼』に「衆賓は次いで堂に登り席に就く」といい、『礼記・王制』に「必ず天倫に依循す」といい、鄭玄は皆「即」を「就」と訓ずるので、「即」は近づく・走向である。『周礼』の地官の属に「山虞」を設け、山林の政令を掌らしめ、田猟の終わるに至り、猟場の中央に虞旗を樹てて、猟獲の禽獣を聚集し左耳を割取して功を計る。虞翻のいう「虞」とは虞人を指し、すなわち禽獣を掌る官、すなわち山虞である。

鹿,王肅本作麓,故云山足曰鹿,鹿、麓古今字。山足有林,故云鹿,林也。三變下體成坎,九家《說卦》曰:「坎為叢棘。」故曰叢木。木在山足,故稱林中。兕,野牛也。坤為牛,為虎,故為兕虎。麋鹿善驚,震者震驚,故為麋鹿。京房《易傳》曰:「震遂泥,厥咎國多麋。」九家《說卦》曰:「艮為狐。」狐狼皆黔喙之屬,故為狐狼也。

「鹿」の字は、王粛本は「麓」と作る、ゆえに山脚を「鹿」といい、「鹿」「麓」は古今字である。山脚に樹林があるので、「鹿」はすなわち林である。第三爻が一変すれば下体は坎を成し、九家本『説卦伝』に「坎為叢棘」というので「叢木」と称す。樹木は山脚に生ずるので「林中」という。「兕」は野牛である。坤は牛を象り、また虎を象るので、兕虎の象がある。麋鹿は驚き易く、震はまさに震動驚駭なので、震は麋鹿を象る。京房『易伝』にいう、「雷震して泥淖に陥るは、その咎征は国中に麋鹿多きこと。」九家本『説卦伝』に「艮為狐」といい、狐と狼は皆黒嘴の猛獣の類に属するので、艮に狐狼の象がある。

三體震互坤艮,艮為山,三變體坎,坎為叢木,艮象不見,故曰林中,又無震坤,禽皆走入于林中矣。「君子」至「吝也」。《乾鑿度》九三為君子,三變之正,故曰君子,此虞義也。機,一作幾,鄭本作機,雲弩也,故曰機,虞機。荀氏曰:「震為動。」故為機。

六三は震体の中に処り、また互出して坤・艮を成し、艮は山を象る。第三爻が一変すれば坎体を成し、坎は叢木を為し、艮象はもはや見えないので「林中」という。この時震・坤の象もなくなり、禽獣は皆林中に逃げ込む。恵棟の疏証(自注「君子謂陽已正」から「往必吝也」一段):『乾鑿度』は九三をもって君子と為し、六三が変じて正を得れば陽爻を成すので「君子」と称す、これは虞翻の説である。「機」の字は一本は「几」と作り、鄭玄本は「機」と作り、弩と解するので「機」はすなわち虞人の弩機である。荀爽は「震為動」というので、震に弩機の象がある。

《緇衣》引逸書《太甲》曰:「若虞機張,往省括於厥度則釋。」鄭彼注云:「虞人之射禽,弩已張,從機間視括與所射,參相得乃後釋。」釋,古文作舍,故云舍,舍拔。《詩·駟鐵》曰:「舍拔則獲。」毛傳云:「拔,矢末也。」上乘五馬,故不應三。凡爻相應而相得者稱獲、稱得。今君子張機不能獲禽,不如舍者舍拔而已,言無所獲。無獲而往必困窮矣,故云往吝也。

『礼記・緇衣』に逸『書・太甲』を引いていう、「虞人が弩機を張り、まず箭括が法度に合するかを察看し、然る後に箭を放つがごとし。」鄭玄がそこに注していう、「虞人が禽を射るに、弩はすでに張られ、弩機の缺口より望み出でて、箭括と射る所の物を察看し、三者が対準し得て然る後に放つ。」「釈」の字は古文は「舎」と作るので、「舎」はすなわち箭括を放つことである。『詩経・駟鉄』に「一たび箭括を放てば猟獲あり」といい、毛伝にいう、「抜とは、箭の末端である。」上六は九五という馬を凌乗するので、六三と相応しない。およそ両爻が相応して彼此合を得るを、初めて「獲」と称し「得」と称す。今君子は弩機を張るも禽獣を射得ず、いっそ箭括を放り捨てるに如かず、意は一獲もなしということ。すでに獲る所なくしてなお往かんとすれば、必ず困窮に陥るので「往吝」という。

「乘初」至「不利」。四與初應,故乘初,謂乘初車也。馬將行,其群分乃長鳴,故襄十八年《春秋傳》曰「有班馬之聲」,班猶分別也。昏禮男先於女,初以貴下賤,故云求,初求四也。「之外稱往」,虞義也。許慎《五經異義》曰:「《春秋》公羊說云:自天子至庶人,娶皆親迎,所以重昏禮也。」《禮戴記》:「天子親迎。」初求四,行親迎之禮,故往吉無不利也。

恵棟の疏証(自注「乗初也」から「往吉无不利」一段):六四は初九と相応するので「乗初」といい、すなわち初九の車に乗ること。馬が出発に臨み、同群の馬が離れんとすれば長声嘶鳴するので、『春秋左伝』襄公十八年に「班馬の声を聞く」の説あり、「班」とはすなわち分別である。婚礼は男が先に女に求む。初九は尊貴の身をもって卑下に屈居するので「求」といい、初九が来て六四を求めること。「内卦より外卦へ往くを往という」は虞翻の説である。許慎『五経異義』にいう、「『春秋』公羊家の説は、上は天子より下は庶人に至るまで、妻を娶れば皆親迎して、もって婚礼を重んずるを表す。」『大戴礼記』にも「天子親迎」という。初九が来て六四を求むるは、まさに親迎の礼を行うなので「往吉无不利」。

「屯者」至「貞凶」。閔元年《春秋傳》曰:「初,畢萬筮仕於晉,遇屯之比,辛廖占之曰:屯固比入,吉孰大焉。」固者,規固。《曲禮》曰:「毋固獲。」鄭注云:「欲專之曰固」是也。卦之所以名屯者以二五:二貞不字,五屯其膏,皆有規固之義,故云屯者固也。

恵棟の疏証(自注「屯者、固也」から「故大貞凶」一段):『春秋左伝』閔公元年にいう、「初め、畢万が晋国に出仕するのを占筮して、『屯』の『比』を得た。辛廖が占断していう、屯は穏固、比は親附、これより大きなる吉利あらんや。」いわゆる「固」とは、すなわち拘執固守である。『礼記・曲礼』に「固執して猟獲を独占する勿れ」といい、鄭玄が注していう「独占せんと欲するを固という」、まさにこの義である。この卦の「屯」と名づく所以は、二・五両爻を取る。六二は正を守りて嫁を許さず、九五は膏沢を屯積し、いずれも拘執固守の意を含むので「屯はすなわち固」という。

坎雨稱膏,虞義也。又虞引《詩》曰:「陰雨膏之。」膏者,膏潤,雨以潤之,故稱膏也。二五得正,故云貞;而皆固,故云屯。陰稱小,二乘初,守貞不字,女子之貞,故小貞吉。陽稱大,天施地生,故陽主施。孟康釋此爻曰:「大貞,君也,遭屯難饑荒,君當開倉廩振百姓,而反吝則凶。」膏澤不下於民,屯膏之象也。

「坎為雨、故稱膏」は虞翻の説で、虞翻はまた『詩経』の「陰雲雨を降らしてこれを潤沢す」を引いて証と為す。「膏」とはすなわち膏潤で、雨水が万物を滋潤するので「膏」と称す。二・五両爻とも正位を得るので「貞」と称し、そして両爻はともに固塞して通ぜないので「屯」と称す。陰は「小」と称す。六二は初九を凌乗し、貞正を守りて嫁を肯んぜざるは、これ女子の貞なので「小貞吉」。陽は「大」と称す。天は施与し地は化生するので、陽は施与を主る。孟康がこの一爻を解していう、「いわゆる大貞とは、君主を指す。屯難饑饉に遇うに、君主は倉廩を開いて百姓を賑済すべきに、反って吝惜して発せざれば、すなわち凶である。」膏沢が百姓に下達し得ないは、まさに「屯其膏」の象である。

「乘五」至「象也」。上乘五馬,故云乘。五上體坎,《說卦》震坎皆有馬象,故皆云乘馬也。上不應三而乘五馬,故云非昏因之正。桓寛《鹽鐵論》曰:「小人先合而後忤。」初雖乘馬,後必泣血,是其義也。《說文》曰:「泣,下也。」離為目以下,九家義也。虞氏曰:「三變時離為目,坎為血,震為出,血流出目,故泣血如。」義略同也。

恵棟の疏証(自注「乗五也」から「泣之象也」一段):上六は九五という馬を凌乗するので「乗」という。九五のある上体は坎で、『説卦伝』の中で震と坎は皆馬の取象があるので、これらの爻は皆「乗馬」という。上六は六三と相応せずに九五の馬を凌乗するので、これは礼に合う婚配に非ずという。桓寛『塩鉄論』にいう、「小人は初めは相合し、後には抵触す。」初めは馬に乗りて来たれども、後には必ず泣血に至るは、まさにこの意である。『説文解字』にいう、「泣とは、眼涙の流下である。」「離為目」以下は九家易の説である。虞翻にいう、「第三爻が変ずる時、離は眼目を象り、坎は血を象り、震は出を象り、血が眼中より流出するので、泣血如という。」意はおおむね同じである。

蒙卦・離宮四世卦、消息正月

蒙亨。注:艮三之二,六五為童蒙,體艮,故云蒙。蒙,物之穉也。五應二,剛柔接,故亨。匪我求童蒙,童蒙求我。注:我謂二,艮為求。五應二,故匪我求童蒙,童蒙求我。禮,有來學無往教。虞氏以二體師象,坎為經,謂二為經師也。初筮告,再三瀆,瀆則不告。注:初筮謂初,再三謂三四,二之正故不告。利貞。注:二五失位,利變之正,故利貞。

経文:蒙は、亨る。恵棟の自注:この卦は『艮』の第三爻が二位に往きて生成したものである。六五は幼稚の童蒙で、卦体はまた艮を含むので「蒙」と称す。「蒙」は万物の幼嫩なる時である。六五は九二と相応し、剛柔が交接するので「亨」。経文:我が童蒙を求むるに非ず、童蒙が我を求む。恵棟の自注:「我」は九二を指し、艮に求の意象がある。六五は九二と相応するので、我が童蒙を求むるに非ず童蒙が我を求むという。礼によれば、学生が来り就学するのみあって、先生が上门して教を施すの理はない。虞翻は二より五に至り互出して『師』卦の象を為し、坎はまた経書を象るので、九二を「経師」というと考えた。経文:初めて占問すればこれに告げ、二度三度と問うはすなわち瀆、瀆すればすなわち告げず。恵棟の自注:「初筮」は初爻を指し、「再三」は三・四両爻を指す。九二は変じて正を得るので告げず。経文:正を守るに利あり。恵棟の自注:二・五両爻はともに位を失い、変じて正に帰るに利あるので「利貞」という。

疏:「艮三」至「故亨」。卦自艮來,九三之二,此虞義也。此亦當從四陰二陽臨觀之例,而云艮三之二者,以六五童蒙,二以亨行時中,故知自艮來也。名蒙者,以六五童蒙體艮,艮為少男。鄭氏云:「蒙,幼小之貌。」故名蒙。「蒙,物之穉也」者,《序卦》文,鄭氏謂孩稚也。

恵棟の疏証(自注「艮三之二」から「故亨」一段):この卦は『艮』より変じて来た、九三が二位に往く、これは虞翻の説である。理によればそれもまた四陰二陽の『臨』『観』の例に依るべきであるが、ここに「艮三之二」というのは、六五が童蒙で、九二はまた亨通の道をもって「時中」を推行するので、それが『艮』より来たことを知る。「蒙」と名づく所以は、六五が童蒙で卦体が艮を含み、艮は少年男子を象るからである。鄭玄にいう、「蒙とは、幼小の貌である。」ゆえに名づけて「蒙」という。「蒙とは、万物の幼嫩なる時」の句は『序卦伝』に出、鄭玄は孩童稚幼と解す。

卦之所以亨者有兩義焉:當其為師,則二剛五柔,以志相應;當其為婦,則五剛二柔,以禮相接。皆有亨道,故云亨。傳曰「以亨行時中」,兼兩義也。「我謂」至「師也」。二五相應,五求二,故我謂二。艮兌同氣相求,故艮為求。以取女言,則陽求陰,咸彖傳「男下女」是也;以發蒙言,則陰求陽,此經「匪我求童蒙,童蒙求我」是也。

この卦が亨通する所以は、二層の意を含む。師弟の義に就いて講じれば、九二は剛で六五は柔で、両者は心志が相応ず。夫婦の義に就いて講じれば、二五が変正した後に五剛二柔を成し、両者は礼をもって相接す。二層ともに亨通の道があるので「亨」という。『彖伝』に「亨通の道をもって時中を行う」というは、まさにこの二層を兼括する。恵棟の疏証(自注「我謂二」から「謂二為経師也」一段):二・五が相応し、六五が来て九二を求むるので、「我」は九二を指すという。艮と兌は同気相求なので、艮に「求」の意象がある。女を娶るに就いて言えば、陽が往きて陰を求むるで、『咸』卦の『彖伝』のいう「男が身を降して女に下る」がそうである。啓蒙に就いて言えば、則ち陰が来て陽を求むるで、ここの経文の「我が童蒙を求むるに非ず、童蒙が我を求む」がそうである。

禮有來學無往教,虞氏據《曲禮》釋經也。二至五有師象,故二體師。《乾鑿度》曰:「坎離為經,震兌為緯。」故坎為經。虞謂二為經師,經者六經,師者師長,六經取義於經緯,故《周書·諡法》曰「經緯天地曰文」是也。

「学生が来り就学するのみあって、先生が上门して教を施すなし」は、虞翻が『礼記・曲礼』に依拠して経を解するものである。二より五に至り互出して『師』卦の象を為すので、九二は「師」の体の中に処るという。『乾鑿度』にいう、「坎離は経線、震兌は緯線である。」ゆえに坎は経を象る。虞翻は九二を「経師」という。「経」は六経を指し、「師」は師長を指す。六経の名は織物の経緯に義を取るので、『周書・謚法』に「天地を経緯しうるを文という」という、まさにこの意である。

《周禮·小司徒》云:「五旅為師。」與易師卦同義。《太宰》九兩:一曰牧,以地得民;二曰長,以貴得民;三曰師,以賢得民。師與牧長同稱,教人以道可為民長,亦猶師之丈人,丈有長義,故經師之師亦得是稱。漢時通經有家法,故五經皆有師,謂之經師,虞氏以二為經師,借漢法為況也。

『周礼・小司徒』に「五旅を編して一師と為す」といい、『易』の『師』卦と意義同じ。『周礼・太宰』に「九両」の九種の民心を維繋する法を講じる。第一は「牧」、土地をもって民を得、第二は「長」、尊貴をもって民を得、第三は「師」、賢徳をもって民を得る。「師」は「牧」「長」と並称し、道をもって人を教えうる者は民衆の長たりうる、またまさに『師』卦のいう「丈人」――「丈」はもと長者の義を含むので、「経師」の「師」もまたこの称呼に当たる。漢代は経を通ずるに家法を重んじたので、五経各々師承があり、「経師」と称す。虞翻が九二を経師というは、漢代の制度を借りて喩と為す。

「初筮」至「不告」。三之二據初,初發成兌,兌為講習,故告。「再三謂三四」,荀義也。五應二,有求之之道,故童蒙吉;二據初,有告之之義,故初筮告;三四非應非據,故瀆。瀆,古文黷也。二之正除師學之禮,故不告,詳彖傳疏也。「二五」至「利貞」。此虞義,說見上也。

恵棟の疏証(自注「初筮謂初」から「二之正故不告」一段):九三が二位に来て初爻を据有し、初爻が発動すれば兌体を成し、兌に講習の象があるので「告」。「再三は三・四両爻を指す」は荀爽の説である。六五は九二と相応し、来て教を求むるの途があるので、童蒙は吉を得る。九二は初爻を据有し、告教の意義があるので「初筮告」。三・四両爻は九二と相応せず、また九二の据有する所でもないので「瀆」という。「瀆」とはすなわち古文の「黷」である。九二が一旦変じて正を得れば、師弟受学の礼はすなわち完畢するので、もはや相告げない、詳しくは『彖伝』の疏に見よ。恵棟の疏証(自注「二五失位」から「故利貞」一段):これは虞翻の説で、解釈はすでに前文に見えた。

初六發蒙,利用刑人,用說桎梏,以往吝。注:發蒙之正體兌,兌為刑人,坤為用,故曰利用刑人。坎為桎梏,初發成兌,坎象毀壞,故曰用說桎梏。之應歴險,故以往吝。九二包蒙,納婦吉,子克家。注:九居二據初應五,故包蒙。伏巽為婦,二本陰位,變之正,故納婦吉。五體艮,艮為子,二稱家,故子克家也。

経文:初六、蒙昧を啓発し、人に刑罰を施用して彼に脚鐐手銬を解脱せしむるに宜し。もし一味に往かんとすれば憾惜あり。恵棟の自注:初六は啓蒙してかつその正を得、下体は兌を成し、兌に行刑の人の象があり、坤は「用」を象るので「利用刑人」という。坎は桎梏を象り、初爻が一発動して兌を成せば、坎象は随いて毀壊するので「用説桎梏」という。しかしそれが応爻に往けば坎険を経歴するので「以往吝」。経文:九二、蒙昧を包容し、婦を納れれば吉、子は家業を撑持しうる。恵棟の自注:陽爻が二位に居り、下に初六を据え上に六五に応ずるので「包蒙」。震の下に巽が潜伏し、巽は婦を象る。二はもと陰位で、変じて正を得るので「納婦吉」。六五は艮体にあり、艮は子を象り、二位は「家」と称すので「子克家」という。

六三勿用娶女,見金夫不有躬,無攸利。注:誡上也。初發成兌,故三稱女。兌為見,陽稱金,震為夫,坤身稱躬。五變坤體壞,故見金夫不有躬。失位多凶,故無攸利。六四困蒙吝。注:遠於陽故困,困而不學,民斯為下,故吝。六五童蒙吉。注:蒙以養正,故吉。上九擊蒙,不利為寇,利禦寇。注:擊,三也。體艮為手,故擊。謂五已變,上動成坎,稱寇而逆乘陽,故不利為寇。御,止也。上應三,三體坎,行不順,故利禦寇。《明堂月令》曰:「兵戎不起,不可從我始。」

経文:六三、この女子を娶る勿れ。彼女は金ある男子を見れば自身を失い、益ある所なし。恵棟の自注:これは上九を告誡する。初爻が発動して兌を成すので、第三爻は「女」と称す。兌に顕現の象があり、陽爻は「金」と称し、震は丈夫を象り、坤は身体を象って「躬」と称す。六五が一変すれば坤体は毀壊するので「見金夫不有躬」という。六三は位を失い凶多し、ゆえに「无攸利」。経文:六四、蒙昧に困り、憾惜あり。恵棟の自注:六四は陽爻より最も遠いので困む。困頓してなお学ばんと肯んぜざれば、斯かる人は下等に落ちるので憾惜あり。経文:六五、童蒙が来て教を求む、吉。恵棟の自注:蒙昧の時にその純正を培養するので吉。経文:上九、蒙昧を撃破す。劫寇を為すに宜しからず、劫寇を御ぐに宜し。恵棟の自注:撃つ所は六三である。上九は艮体にあり、艮は手を象るので「撃」という。これは六五がすでに変じ、上九が一動すれば坎を成し、坎は寇と称し、それがまた逆に陽爻を凌乗するので「不利為寇」。「御」は制止である。上九は六三と相応し、六三は坎体の中にあり、行事順ならざるので「利御寇」。『明堂月令』にいう、「兵戎を挑起するを得ず、我より先に手を動かすべからず。」

疏:「發蒙」至「往吝」。此虞義也。初,蒙也。《文言》曰:「六爻發揮。」《說卦》曰:「發揮於剛柔。」虞注云:「發,動也。」動之正,故曰初發成兌,二陽為兌也。兌正秋,《周書·小開武》曰:「秋以紀殺。」故為刑人。「坎為桎梏」,九家《說卦》文,虞氏謂震足艮手,互與坎連,故稱桎梏。兌成則坎毀,故云坎象毀壞,用說桎梏之義也。坎為險,初應四,四困蒙,故之應歴險則吝也。

恵棟の疏証(自注「発蒙之正体兌」から「故以往吝」一段):これは虞翻の説である。初爻はまさに蒙昧である。『文言伝』に「六爻発揮変化」といい、『説卦伝』に「剛柔の間に発揮す」といい、虞翻が注していう、「発とは、すなわち動である。」動にして正を得るので、初爻が一発動すれば兌体を成すという――両陽一陰はすなわち兌である。兌は正秋の位に当たり、『周書・小開武』に「秋は刑殺を主管す」というので、兌は行刑の人を象る。「坎為桎梏」は九家本『説卦伝』に出る。虞翻は震が足を象り艮が手を象り、互体がまた坎と相連なるので桎梏と称すると考えた。兌が一たび成れば坎象はすなわち毀すので「坎象毀壊」といい、これがまさに「用説桎梏」の意である。坎は険を象り、初六は上へ六四に応ずるが、六四はまさに蒙昧に困るので、応爻に往けば険難を経歴する、ゆえに憾惜あり。

「九居」至「家也」。九居二,有師道;據初,故初發蒙;應五,故五童蒙吉:包蒙之象也。巽伏震下,故伏巽為婦也。彖曰利貞,以二五失位變之正,則五剛二柔,故納婦吉,子克家。婦謂二,子謂五也。《文言》稱陰為妻道也,臣道也,蓋言妻臣一例也。

恵棟の疏証(自注「九居二據初応五」から「故子克家也」一段):陽爻が二位に居り、師たるの道を具える。それは初六を据有するので、初六は「発蒙」しうる。また上へ六五に応ずるので、六五は「童蒙吉」――これがすなわち「包蒙」の象である。巽は震の下に潜伏するので、伏巽は婦を象るという。『彖伝』に「利貞」というは、二・五がともに位を失い、変じて正に帰した後に五剛二柔を成すので「納婦吉、子克家」。ここの「婦」は二爻を指し、「子」は五爻を指す。『文言伝』は陰を妻道・臣道と称す、よって妻道と臣道はもと一つの道理であることが分かる。

高誘注《呂覽》曰:「師道與天子遭時見尊,不可常也。」師道無常,故有臣而為師者,亦有師而為臣者。《學記》曰:「君之所不臣於其臣者二,當其為師則弗臣也。」是臣而為師也。《孟子》曰:「湯之於伊尹,學焉而後臣之。」是師而為臣也。二五之正則蒙反為聖,師反為臣,妻臣一例,故五始求師而繼納婦也。

高誘が『呂氏春秋』に注していう、「師たるの道と天子の尊とは、いずれも時機に逢うて初めて尊崇されるので、永久に変わらざるは能わず。」師たるの道はすでに常ならざれば、身は臣子にして師を為す者もあり、もと師にして臣子を為す者もある。『礼記・学記』にいう、「君主が臣子を臣子として見做さざる情形に二種あり、その一つは彼が己の師を為す時である。」これは臣子にして師を為す。『孟子』にいう、「商湯は伊尹に対して、まず彼に学び、然る後に彼を臣として用いた。」これは師にして臣子を為す。二・五両爻が各々その正に帰れば、蒙昧は聖明に転じ、老師は臣子に転ず。妻道と臣道はもと一例なので、六五は初めは師を求め、続いてはすなわち納婦となる。

五體艮,艮少男,故稱童,又稱子,子與童皆未成君之稱。「二稱家」,虞義也。《乾鑿度》曰:「二為大夫。」鄭注《禮記》曰:「大夫稱家。」又在內,《雜卦》曰:「家人,內也。」故二稱家。五應二,故子克家也。

六五は艮体にあり、艮は少年男子を象るので「童」と称し、また「子」と称す。「子」と「童」とは、いまだ君主と為らざる時の称呼である。「二位称家」は虞翻の説である。『乾鑿度』に「二位は大夫に相当す」といい、鄭玄が『礼記』に注していう「大夫の封邑を家と称す」。二爻はまた内卦に居り、『雑卦伝』に「家人とは、内を講じたもの」というので、二位は「家」と称す。六五は九二と相応するので「子克家」という。

「誡上」至「攸利」。三應上,三不正,故誡上。兌為少女,故稱女。《雜記》曰:「兌,見。」虞注云:「兌陽息二,故兌為見。」陽稱金者,兌之陽爻稱金也。坤為身,荀子引逸詩云:「妨其躬身。」躬身同物,故又為躬。此皆虞義也。三體坤,五之正坤體壞,故見金夫不有躬。三多凶,六居三為失位,故云失位多凶,無攸利也。

恵棟の疏証(自注「誡上也」から「故无攸利」一段):六三は上九と相応し、そして六三は当位せざるので、これは上九を告誡する。兌は少女を象るので「女」と称す。『雑記』(『雑卦伝』の「兌見而巽伏」を指すべし)に「兌とは、顕現である」といい、虞翻が注していう、「兌は陽気が第二爻に生長して成るので、兌に顕現の象がある。」陽爻を「金」と称すといい、指す所は兌卦の陽爻を金と称す。坤は身を象り、荀子が逸詩を引いていう「彼の躬身を妨害す」、「躬」と「身」とはもと一つの事なので、坤はまた躬を象る。以上は皆虞翻の説である。六三は坤体の中に処り、六五が変じて正を得れば坤体は毀壊するので「見金夫不有躬」という。三爻は凶多く、陰爻が三位に居るはまた位を失うに属するので、位を失い凶多く益ある所なしという。

「遠於陽」至「故吝」。陽謂二,二包蒙,四獨遠之,故困。二之正,再三瀆,故吝。「困而不學,民斯為下」,《論語》文。「蒙以」至「故吉」。二之正,五變應之,蒙以養正,優入聖域,故吉也。變應者,由不正而之正也。二五失位,二之正,五變應之,則各得其正。《荀子·不苟篇》曰:「詩曰:左之左之,君子宜之;右之右之,君子有之。此言君子能以義詘信變應故也。」是變應之義矣,易之例也。

恵棟の疏証(自注「遠于陽故困」から「故吝」一段):「陽」は九二を指し、九二は群蒙を包容するが、独り六四のみそれより最も遠いので困む。九二は変じて正を得、六四は却って二度三度と来て問うて瀆を成すので、憾惜あり。「困頓してなお学ばんと肯んぜざれば、斯かる百姓は下等に落ちる」は『論語』に出る。恵棟の疏証(自注「蒙以養正」から「故吉」一段):九二は変じて正を得、六五もまた随いて変じてそれに応ずる。蒙昧の時に純正を培養し、従容として聖人の境地に入るので吉。いわゆる「変応」とは、不正より変じて正に帰ること。二・五はもと皆位を失い、九二が変じて正を得、六五も変じてそれに応ずれば、両爻はすなわち各々正を得る。『荀子・不苟篇』にいう、「『詩』にいう、左に往けば左に、君子は適わざるなく、右に往けば右に、君子は具わらざるなし。これは君子が義理に依って或いは屈し或いは伸び、時に随いて変応しうるを説く。」これがまさに「変応」の意、また『易』の通例である。

「擊三」至「我始」。上應三,三行不順,故擊三也。艮為手,《說卦》文。坎為寇,三體坎,五上變亦為坎,故爻辭有二寇,一謂上,一謂三也。五變上動乘之,是乘陽也,乘陽為逆,故曰逆乘陽。韋注《魯語》曰:「御,止也。」《釋詁》曰:「御,禁也。」禁有止義。此上皆虞義也。御,御三也。上應三,三行不順,是寇也,非昏冓也,故利御之。引月令者,蒙於消息為正月卦,《月令》孟春令曰:「兵戎不起,不可從我始。」是不利為寇、利禦寇之事也。

恵棟の疏証(自注「撃、三也」から「不可従我始」一段):上九は六三と相応し、六三は行事順ならざるので、撃つ所は六三である。「艮為手」は『説卦伝』に出る。坎は寇を象り、六三は坎体の中にあり、六五と上九が一変すればまた坎を成すので、この爻辞には二つの「寇」あり、一つは上九を指し、一つは六三を指す。六五が変じた後に上九が発動してその上を凌乗する、これがすなわち陽を乗ずる。陽を乗ずるは逆に属するので「逆乗陽」という。韋昭が『国語・魯語』に注していう、「御とは、制止である。」『爾雅・釈詁』にいう、「御とは、禁止である。」禁は止の意を含む。以上は皆虞翻の説である。いわゆる「御」とは、六三を抵御すること。上九は六三と相応し、六三は行事順ならざれば、あれは寇であって婚配に非ず、ゆえにそれを御ぐに宜し。恵棟が『月令』を引くは、『蒙』が消息の序において正月の卦に属し、『月令』孟春の令に「兵戎を挑起するを得ず、我より先に手を動かすべからず」というによる。これがまさに「不利為寇、利御寇」の事である。

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