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人心道心附

清 · 惠栋 · 第53巻 / 53

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

人心之危,《中庸》所謂誠之者也,所謂慎獨也;道心之微,《中庸》所謂誠者也,荀子所謂獨也。

『尚書・大禹謨』は「人心惟危」を講ず、彼れは正に『中庸』の言う所の「之を誠にする者」にして、即ちいわゆる慎独の工夫なり。「道心惟微」を講ず、彼れは正に『中庸』の言う所の「誠なる者」にして、即ち荀子の講ずる所の「独」の境界なり。恵棟は「危」と「微」とを分かちて工夫と本体とに属す、宋儒の人心を以て人欲・道心を以て天理と為すの講法と并せて相同じからず。

誠独の辨附

誠之者,功之始也;獨者,功之全也。故荀子曰:「不誠則不能獨。」

「之を誠にす」は、工夫の起点なり。「独」は、工夫の完全成就なり。ゆえに荀子曰く:誠ならざれば則ち「独」の歩に到達する能わず。恵棟はここに二者の先後次第を辨明す:先ず「之を誠にす」の着力有りて、然る後に乃ち「慎独」の円成有り、両者を以て混為一談する能わざるなり。

生安の学附

後人談孔學者止及困勉之學,未嘗不親切而有味,以示學者則善,以之訓詁六經則離者多矣。此七十子喪而大義乖之故,非後人之過也。

後来孔門の学を講ずる者は、只だ「困にして之を知り、勉强にして之を行う」の此の一層に講じ到り、講じて未だ嘗て親切有味ならざらず、之を拿りて以て初学者を指点するも亦た好し。然れども之を用いて六経を訓釈せば、経義と相離するの処は便ち多し——六経の説く所は、本より尚お「生まれて之を知り、安んじて之を行う」の一層在るなり。これは孔門七十弟子の亡故するの後、微言大義も亦た之に随りて乖違するの縁故にして、并せて後人の過失に非ず。

精一の辨附

精者精微,一者道本。得一而加功焉,然後精。偽《尚書》「惟精惟一」,此誤解荀子也。吾聞一而後精,不聞精而始一,蓋後人以為精察之精,故誤耳。

「精」は精微を指し、「一」は道の根本を指す。先ず其の一を得て、再び此の上頭に於て加工用力し、然る後に乃ち精を談ずるを得。偽古文『尚書・大禹謨』は「惟精惟一」と言う、「精」を「一」の前頭に摆く、これは荀子の説法を誤解するなり。我は只だ先ず一を得て而る後に能く精するを聞く有り、先ず精して而る後に乃ち一を得るを聞く無し。概ね後人は此の「精」を以て精細察辨の「精」と当成せば、ゆえに弄錯するなり。

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