庚辰日に陳主簿が官任の吉凶を占う(『口鑑』・『方本占案』)
己酉年十月庚辰日寅將辰時,陳主簿戊寅生,三十二歲,占官任吉凶,及問升遷。(口鑑 方本占案)
己酉年十月の庚辰日、月将寅を以て占時辰の上に加えて課を起こし、陳主簿(戊寅年生まれ、時年三十二歳)が来て現任官职の吉凶を占い、併せて升転し得るや否やを問うた。「主簿」は県衙の文書簿籍を掌る属官。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。
朱合勾青/卯辰巳午 后蛇合青 官壬午青⊙/蛇寅 未空 子寅辰午 父庚辰合/貴丑 申虎 寅辰午庚 財戊寅蛇/子亥戌酉/後陰玄常
展平の課盤。天地盤:寅将を辰に加え、天盤は地盤より二位退する――地盤巳上に天盤の卯を得て「朱雀」に乗る。午上は辰で「六合」。未上は巳で「勾陳」。申上は午で「青竜」。酉上は未で「天空」。戌上は申で「白虎」。亥上は酉で「太常」。子上は戌で「玄武」。丑上は亥で「太陰」。寅上は子で「天后」。卯上は丑で「貴人」。辰上は寅で「螣蛇」。庚日の昼貴は丑にあり、辰時は昼に属し、「貴人」は天盤丑に落ちる。丑は地盤卯に坐し、順行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に午を得――第一課、午が庚に加わりて「青竜」に乗る。第二課、辰が午に加わりて「六合」に乗る。第三課、日支辰上に寅を得て「螣蛇」に乗る。第四課、子が寅に加わりて「天后」に乗る。三伝:初伝午、遁干は壬午、官鬼爻を為し、「青竜」に乗る。中伝辰、遁干は庚辰、父母爻を為し、「六合」に乗る。末伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「螣蛇」に乗る。午辰寅は逐位倒退す――「退茹」――六壬はまた「顧祖」と呼ぶ。升遷を占うは最もこの種の一路後ろに縮む伝法を忌む。
邵彥和曰:日上發傳,退入支上,又是顧祖,末又見本命入宅,須是差出,經過鄉里而有是非(寅為支馬,故主經過;又是本命,所以主自蒙差出,而後經鄉里也)。不然須是有甚不到處,不合日上退歸本命入宅,為蛇所擾,又是共屋人之事也。蓋主簿族大房多,因爭分家產財,遂告臺部。十一月文書下,令知州差人押歸,分折後再赴任。陳被押歸,分未及半,因占房產又入狀監司,奏罷管押,始分成。
邵彦和が言う:初伝は日干上神から発出し、中伝は日支の上に退回する――これは「顧祖」。末伝にまた本人の本命寅が宅位に落ち入るを見――これすなわち必ず差遣せられて外出し、途中家郷を経過して是非を生出す(寅は日支辰の属する申子辰水局の駅馬――駅馬は行動を主る。ゆえに途経と言う。寅はまた本命――ゆえに彼本人が差え出され、それから郷里を路過す)。さもなくば、も必ず何か辦じて周到ならざる処あらん。日干上神が一路退帰し、本命はまた宅位に落ち入り、さらに「螣蛇」に纏扰せらるるは応にあらざれば、すなわち同屋に居住する人の惹き出す事である。もとはこの位の主簿は家族龐大にして房分衆多――家産銭財を争分するために、竟に台部に告ぐるに至った。十一月に公文下り、知州に命じて人を派して彼を押送して郷に帰らしめ、分割清楚して後再び任に回らしめんとす。陳主簿は押送せられて帰り、家産は半分に到らずして分かれ、また房産を争う事によって再び監司に状を遞し、奏請して押送を免ずるに至って、やっと家産を分かち成した。
蓋日上午為堂屋,又為官鬼,乘龍加申為退鱗,主歡中生悲,退財損身之兆。初午已是不好,末寅又生午火,只管克庚;命又戊寅,是我反去生火,畢竟自己不是,致令如此。青龍為官品,午乃官星,宜乎極利,不知午入空亡,不能作官;寅本助官,今作地帶馬克宅,及宜斷不吉,不宜作助官斷也。況在任只要升轉,今初傳自上降下,中末又自外回家,豈不倒退?又名顧祖,夫復何疑?況庚以寅為財,是爭財也;本命作財,我與彼爭也;蛇在寅,我被撓也。行年乘夜貴,晝作天空閉口,是官未可告也。夜貴廢職也;未為眷屬,天空主爭,是因眷屬而爭也;貴人閉口,告貴無用也。
日干上神の午は宅象の上では正堂屋で、六親の上ではまた官鬼。午は「青竜」に乗りて地盤申位に加わる――竜は西方に行きて鱗甲に逆らう――これを「退鱗」と呼ぶ――歓喜の中に悲事を生出すを主り、財を退し身を損する兆頭である。初伝は午にしてすでに好からず、末伝の寅木はまた来て午火を生じ、只管庚金を克しに往く。いわんや彼の本命はすなわち戊寅――我自己がかえって去りてあの我を克する火を生ずるに等しい――説き尽くせば自己の不対、やっとこの如くの局面を招致した。「青竜」は官品の神で、午はまた官星――理に照らせば応に大いに利あるべし。知らずや午は申の上に加わり、申はちょうど本旬の空亡――官星は空に坐すれば官を做り成さず。寅はもともと官星を生助し得べしも、いまそれは地盤の上に落ちて駅馬を帶びて来て宅を克す――応に不吉と断ずべく、生助官星に按じて断ずべからず。いわんや任に在る人はただ升転を求む――いま初伝は日上から支上に降り、中末両伝はまた外頭から家裡に回る――岂に倒退ならざらんや。これを「顧祖」と呼ぶ――さらに何の疑う可きかあらん。さらに言えば庚は寅を以て妻財と為す――いま争う所はちょうど財。本命はすなわち財爻を作した――我が人と争うを説明す。「螣蛇」は寅の上に乗る――我が人に糾纏せらるるを説明す。彼の行年は酉に落ち、酉上に未を得――未は庚日の夜貴人。しかし白天に課を占うに、未上に乗ずるは却って「天空」――「貴人閉口」を成した。ゆえにこの場の官司はなお告げ得べからず。夜貴人は職任を失した。未は六親の上で眷属を主り、「天空」は争奪を主る――合わせればちょうど眷属のために争端を起こす。「貴人閉口」は、すなわち貴人の処に告げても用なし。
庚辰日に劉監倉が年内の事を占う(『宋本邵案』・『口鑑』)
己酉年正月初一庚辰日子將寅時,劉監倉庚午生,三十九歲,生於庚午年四月二十九日。(本邵案 口鑑)愚按:正月初一未交己酉年春,故作三十九歲占年內事。
己酉年正月初一は庚辰日、月将子を以て占時寅の上に加えて課を起こし、劉監倉(庚午年四月二十九日生まれ、時年三十九歳)が来て占った。「監倉」は倉廩を掌管する監当官。この例は『宋本邵案』と『口鑑』に見える。程樹勳按:正月初一のこの天はまだ己酉年の立春に交えず――ゆえに年歳は依然として上一年に按じて三十九歳と算す。占う所は本年の内の事。
勾合朱蛇/卯辰巳午 虎青合蛇 官壬午蛇⊙/青寅 未貴 子寅辰午 父庚辰合/空丑 申后 寅辰午庚 財戊寅青/子亥戌酉/虎常玄陰
展平の課盤。天地盤:子将を寅に加え、天盤は地盤より二位退する――十二支の排布は上の一課の陳主簿のあの一課と完全に同じ。ただ占時が昼から夜に転じ、天将は一套を換えた――地盤巳上に天盤の卯を得て「勾陳」に乗る。午上は辰で「六合」。未上は巳で「朱雀」。申上は午で「螣蛇」。酉上は未で「貴人」。戌上は申で「天后」。亥上は酉で「太陰」。子上は戌で「玄武」。丑上は亥で「太常」。寅上は子で「白虎」。卯上は丑で「天空」。辰上は寅で「青竜」。庚日の夜貴は未にあり、寅時は夜に属し、「貴人」は天盤未に落ちる。未は地盤酉に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:午が庚に加わりて「螣蛇」に乗り、辰が午に加わりて「六合」、日支辰上の寅は「青竜」、子が寅に加わりて「白虎」。三伝:初伝午、遁干は壬午、官鬼爻を為し、「螣蛇」に乗る。中伝辰、遁干は庚辰、父母爻を為し、「六合」に乗る。末伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「青竜」に乗る。三伝は依然として午辰寅の「退茹顧祖」――しかも初伝の鬼は中伝の宅上に落ち、末伝の寅木はまた頭を回らして鬼を生ず――これが本課の立断の関鍵である。
邵彥和曰:日鬼傳歸宅上,宅上卻又生鬼。一防倉庫有火,二防當直人走或非理死,三防妻有暴風之疾。正月小子防有飛災退失,二月因省墓起山林之擾,三月妻擾,四月官長追迫,五月當直人有失,六七月防火,八月因閒聞貴內擾,九月進橫財,財中有失,十月婢妾陰私酒色上有失,十一月僕走,十二月媳婦有服。
邵彦和が言う:日干の官鬼は宅位の上に伝わり、宅位上の末伝の寅木は却ってまた頭を回らしてこの鬼を生ず。これに拠りて三件の防ぐべきあり:一には倉庫の失火を防ぎ、二には当値の差役が逃走し或は非命に死するを防ぎ、三には妻子が暴発の中風の疾を得るを防ぐ。さらに月に按じて分かちて言う:正月上旬は小心して飛来の災禍と破財とあり、二月は掃墓によって山林上の紛扰を惹起し、三月は妻子に事を出し、四月は上司に催逼せられ、五月は当値の差役が岔子を出し、六月七月は須く火を防ぐべし、八月は閑話が貴人の耳中に伝わるによって内扰を生じ、九月は一笔の横財を進めて財裡にまた損失あり、十月は婢妾の私情と酒色との上に損失あり、十一月は僕人が逃走し、十二月は児媳に喪服の事あり。
果本年七月二十三日倉鄰失火,竟焚倉。經曰:火鬼春歸午,夏月逐雞飛,三秋尋鼠穴,冬月免相期。今本身值火星(愚按:未交立春,何故以午為火星),又傳從火上起,支上與末傳寅又生火也。五月十四夜一當直人差去捉人,暗中墮深坑死。三月初七日妻偶中風,遂成重疾。其餘十二月分,禍福悉應。蓋午為倉庫火鬼,來乘克身,故應。九月妻之兄弟爭分家財,劉在官處請假半月,為伊調停,分得田產財物二千餘緡,遣人往行內買米,為賊所劫,始信數有前定如此。
その後果たして本年七月二十三日に、倉庫の隣家が失火し、倉をも焼いた。経書の上に言う:火鬼は春天は午位に帰し、夏天は鶏(酉)に随いて飛び、秋三月は須く鼠(子)の穴裡に到りて尋ぬ、冬天は則ち兔(卯)と相約す。いま彼の本身はちょうど火星に値う(程樹勳按:正月初一はまだ立春に交えず、どうして便ち午を用いて火星と為すや――ここに疑を存す)、三伝はまた火の上から発起し、日支上神と末伝の寅木とはさらに皆来て火を生ず。五月十四日の夜、一名の当値差役は派せられて人を抓りに往き、黑暗中に深坑に掉ち入りて摔死した。三月初七日、妻子は偶然中風し、これに就いて重症を成した。その余の各月の禍福もまた一一応験した。このように応ずる所以は、午はちょうど倉庫の火鬼で、来て凌克して日干本身を傷るが故。九月の裡に妻子の兄弟は家産を争分し、劉監倉は衙門に半月の假を請い、彼らに替わりて中から調停し、これによって田産財物両千余緡を分け得た。彼は人を派して牙行に到りて米を買わしめ、半路にて賊に劫し去られた。この時に至りてやっと命数は真に早已に定められしと相信した。
庚辰日に趙将仕が武職前程を占う(『口鑑』・『朱本邵案』)
己酉年正月初一庚辰日子將子時,趙將仕丁巳命,生於六月初七日亥時,五十二歲,占武職前程。(口鑑 朱本邵案)
己酉年正月初一の庚辰日、月将子を以て占時子の上に加えて課を起こし、趙将仕(丁巳年六月初七日亥時生まれ、時年五十二歳)が来て武職の前程を占った。「将仕」はすなわち将仕郎――文散官の最低一階。月将と占時とは同位――天盤と地盤とは重疊して動かず――これを「伏吟」課と呼ぶ。この例は『口鑑』と『朱本邵案』に見える。
朱蛇貴後/巳午未申 合合後后 兄 申後◎⊙/合辰 酉陰 辰辰申申 財戊寅青/勾卯 戌玄 辰辰申庚 官辛巳朱/寅丑子亥/青空虎常
展平の課盤。子将を子に加え、天盤の各支は皆地盤の同名の支の上に圧す――「伏吟」である:地盤巳上は巳で「朱雀」に乗る。午上は午で「螣蛇」。未上は未で「貴人」。申上は申で「天后」。酉上は酉で「太陰」。戌上は戌で「玄武」。亥上は亥で「太常」。子上は子で「白虎」。丑上は丑で「天空」。寅上は寅で「青竜」。卯上は卯で「勾陳」。辰上は辰で「六合」。庚日の夜貴は未にあり、子時は夜に属し、「貴人」は未上に落ちる。未は地盤未に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に依然として申を得――第一課、申が庚に加わりて「天后」に乗る。第二課、申が申に加わりて「天后」に乗る。第三課、日支辰上に辰を得て「六合」に乗る。第四課、辰が辰に加わりて「六合」に乗る。三伝:初伝申、旬空に落ちゆえに遁干なし、旁注の「◎」は旬空を表す――兄弟爻を為し、「天后」に乗る。中伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「青竜」に乗る。末伝巳、遁干は辛巳、官鬼爻を為し、「朱雀」に乗る。申寅巳は互いに三刑を成す――伏吟課が刑を取りて発用する常法である。庚の禄は申にあり、如今の天盤地盤の両個の申は皆空亡に落ち――この一点は下に武職成らざるを断ずる根拠である。
邵彥和曰:將仕之祿,乃虛祿也。夫武職兵權,惟要金盛,無金何武?此課無武有文,今任必不赴,必改岳廟之職,就彼處宜讀書取科第,本年中舉,來年庚戌及第,二甲二十一名。蓋武職主兵,金旺為宜,今天地盤之申俱空,是武職無位也,而申祿又虛,太常又不入傳,故不可為武。寅上青龍入廟,天后為恩澤之神,故宜習文。末傳巳作朱雀為長生,學堂又為官星,故主科甲。宜岳廟者,宅上見辰,辰為山崗,寅為廟,故宜就岳廟讀書而取功名也。趙不信,後果不能赴廣南任,遂授潭州岳廟,因邀數人同讀書,本年投國子監中舉,庚戌年登科。
邵彦和が言う:将仕郎のこの份の禄位は虚なり。大凡そ武職は兵権を掌る――ただ金気旺盛なるを要す。金気なければどうして武を談じ得んや。この一課は文あれど武なし――眼下この任所は必ず去り成さず、必ず岳廟の祠禄閑職に改授せん。かそこに到れば正に宜しく書を読み挙に応ずべし――本年に挙人に中り、第二年庚戌年に及第し、二甲第二十一名に名列せん。このように断ずる所以:武職は兵戈を主り、宜しく金旺ならんと欲す。如今の天盤地盤の両個の申は皆空亡に落ち――武職は便ち立足の位なし。日禄の申はまた虚――印綬爵禄を主る「太常」もまた三伝に進入せず。ゆえに武官を做り得べからず。寅上は「青竜」に乗りて青竜は木に属し、寅は木の本位――これを入廟と呼ぶ。初伝はまた「天后」に乗る――「天后」は恩沢の神――ゆえに文を習うに宜しい。末伝の巳上は「朱雀」に乗る――「朱雀」は文章を主り、巳はまた庚金の長生と学堂――同時にまた官星――ゆえに科甲を得るを主す。彼が岳廟に往くべしと断ずるは、宅位上に辰を見――辰は山崗を為し、寅は廟宇を為す――山中に廟あり。ゆえに岳廟に到りて書を読み功名を求むるに宜しい。趙将仕は当時信時信ぜざりしが、後に果たして広南の任に赴く能わず、そこで潭州岳廟の祠禄に改授せられ、これによって幾人かを邀えて一同に書を読み、本年に国子監に由りて挙に応じて中式し、庚戌年に登科した。
庚辰日に唐丞務が一年の事を占う(『口鑑』・『宋本邵案』)
同年月日時唐丞務占一年事,亦得此課。(口鑑,宋本邵案)
同年同月同日同時に、唐丞務が来て一年の内の事を占い、起こし出したるもまたこの一課。「丞務」はすなわち承務郎――もまた文散官。同課にして人を異にし断ずる所同じからず――ちょうど六壬が人事に随いて象を取る例である。この例は『口鑑』と『宋本邵案』に見える。
朱蛇貴後/巳午未申 合合後后 兄 申後◎⊙/合辰 酉陰 辰辰申申 財戊寅青/勾卯 戌玄 辰辰申庚 官辛巳朱/寅丑子亥/青空虎常
課盤は趙将仕のあの一課と一字差なからず:伏吟盤上は巳は「朱雀」に乗り、午は「螣蛇」、未は「貴人」、申は「天后」、酉は「太陰」、戌は「玄武」、亥は「太常」、子は「白虎」、丑は「天空」、寅は「青竜」、卯は「勾陳」、辰は「六合」に乗る。四課は申が庚に加わりて「天后」に乗り、申が申に加わりて「天后」、日支辰上の辰は「六合」、辰が辰に加わりて「六合」。三伝は申(兄弟、「天后」に乗る、旬空に落ち)、寅(妻財、「青竜」に乗る)、巳(官鬼、「朱雀」に乗る)。上の一課の問うは武職前程――ゆえに着眼は申禄の空亡に在り。この一課の問うは一年内の家事――着眼は便ち発用の「天后」の上に転ず――「天后」は妻室を主り、それは空亡に落ち――妻位は便ち先に動く。
邵彥和曰:天后發用而空亡,主喪妻;中傳得妻財爻,主又娶妻;妻財作青龍,後妻必有財也。末傳巳為店,作朱雀為爭,官鬼爻為訟,主爭店事而起訟,有四人遭刑,以巳之數四,三傳成三刑也。巳為長生,又為尊長,巳又為廚屋,主與尊長爭廚屋地基,亦以巳作朱雀故也。唐於三月果喪妻,十一月再娶,乃客人之妻,甚有財,遂以財開店,與原欠債人相打官司,四人杖二十,次年七月與叔爭廚屋地,卻得理。
邵彦和が言う:「天后」は妻室を主る。いま「天后」は発用して空亡に落ち――妻を喪うを主す。中伝に得るは妻財爻――さらに一房を再娶するを主す。妻財は「青竜」に乗る――「青竜」は財帛を主る――後に娶る妻子は必ず銭あると見える。末伝の巳は類神の上では店舗――巳上に「朱雀」に乗るは口舌争執を主り、巳はまた官鬼爻にして官鬼は官訟を主る――合わせればすなわち店舗の事のために官司を打つ。四人の刑を受くる者あらん――六壬の用数は巳を四と為し、しかも申寅巳の三伝は恰好互いに三刑を成すが故。巳はすでに庚金の長生にしてまた尊長を主り、巳はさらに厨屋を代表す――ゆえにまた長輩と厨屋の地基を争うを主す――これは依然として巳上に「朱雀」に乗るが故。唐丞務は果たして三月の裡に妻子が死し、十一月に再娶し、娶るは一位の客商の遺孀で、甚だ銭財あり――そこでこの筆の銭を拿りて店を開いた。その後もとの欠債する人と官司を打起し、四人は各々杖責二十を被った。第二年七月に叔父と厨屋の地基を争い、却って打ち贏った。
庚辰日に韓省干が赴任および歳中の事を占う(『宋本邵案』・『口鑑』)
己酉年正月初一庚辰日子將亥時,韓省干乙亥生,三十四歲,占赴任及歲中事。(宋本邵案 口鑑)
己酉年正月初一の庚辰日、月将子を以て占時亥の上に加えて課を起こし、韓省干(乙亥年生まれ、時年三十四歳)が来て赴任の事および本年の内の吉凶を占った。「省干」は尚書省諸司の干辦公事の職。この例は『宋本邵案』と『口鑑』に見える。
蛇貴后陰/午未申酉 蛇朱玄陰 官壬午蛇/朱巳 戌玄 午巳戌酉 父癸未貴/合辰 亥常 巳辰酉庚 兄 申後◎/卯寅丑子/勾青空虎
展平の課盤。天地盤:子将を亥に加え、天盤は地盤より一位進む――地盤巳上に天盤の午を得て「螣蛇」に乗る。午上は未で「貴人」。未上は申で「天后」。申上は酉で「太陰」。酉上は戌で「玄武」。戌上は亥で「太常」。亥上は子で「白虎」。子上は丑で「天空」。丑上は寅で「青竜」。寅上は卯で「勾陳」。卯上は辰で「六合」。辰上は巳で「朱雀」。庚日の夜貴は未にあり、亥時は夜に属し、「貴人」は天盤未に落ちる。未は地盤午に坐し、逆行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に酉を得――第一課、酉が庚に加わりて「太陰」に乗る。第二課、戌が酉に加わりて「玄武」に乗る。第三課、日支辰上に巳を得て「朱雀」に乗る。第四課、午が巳に加わりて「螣蛇」に乗る。三伝:初伝午、遁干は壬午、官鬼爻を為し、「螣蛇」に乗る。中伝未、遁干は癸未、父母爻を為し、「貴人」に乗る。末伝申、旬空に落ち遁干なし、「◎」を注して旬空を表し、兄弟爻を為し、「天后」に乗る。日支は辰・日干寄宮は申――三伝の午未申は恰好この一支一干の間に挟まる――これすなわち下文にいう所の「支干夾定三伝」である。
邵彥和曰:支干夾定三傳,更三四課及初傳俱是鬼,有官人慾赴任,為催官符,上任必在三月盡四月初。奈何末祿卻空亡,上任不久,必主尊堂服動,子又病。蓋日辰夾定,凡事皆緊,只不合夾鬼與空亡耳。韓乃運使之子,授得鹽倉官,果於三月文字來催,四月赴任,韓信先生言不去,六月十七日丁母憂,二月子大病。《玉成歌》曰“日鬼加臨辰兩位,門中官病兩相侵”,占赴任人卻名催官符,只不合日辰夾住,又空亡臨身,太陰乘之,所以喪母。愚按:干支乘羅網,有官人占之亦主丁艱。庚以子為子息,為虎所逼,又加子息亥上,故主只病,幸不刑傷,所以不死(愚按:子不入課傳,何得斷及之,邵公蓋因其加命故耳)。大凡日辰夾定有鬼,鬼應有空,空應俱有則俱應矣。
邵彦和が言う:日支と日干とが三伝を中間に挟み、加うるに第三課・第四課と初伝とは皆官鬼――官职を身に在る人が来て占えば、これを「催官符」と呼ぶ――上任は必ず三月末四月初に在らん。あいにく末伝の日禄はまた空亡に落ち――上任して久しからざるに、必ず母親の喪事あり、兒子はさらに病を生ぜん。日支日辰の夾定するが故――凡事は皆緊迫して放さず。ただ惜しむべくは挟み住するは鬼と空亡なるのみ。韓省干は運使の兒子――鹽倉官に授けられ、果たして三月の裡に任を催す公文は来り、四月に赴任した――韓省干は邵先生の話を信服した(原文の「不去」の二字は文義に属せず、疑わしく訛脱あり)――六月十七日に母喪に遭い丁憂し、二月の裡に兒子は一大病した。『玉成歌』に言う「日鬼は辰の両位に加臨し、門中は官と病と両相侵む」――赴任を占う人はこれを得てかえって「催官符」と呼ぶ。ただ惜しいことに日干日支に挟まれ、また空亡が自身に臨み、空亡の上はさらに「太陰」に乗る――ゆえに母を喪うを主す。程樹勳按:日干日支上は天羅地網の神に乗る――官职ある人が占得すればもまた丁憂守制を主す。庚金は子水を以て子息と為し、子上は「白虎」に乗りて逼迫を受く。子はまた同じく水に属する亥の上に加わる――亥はちょうど韓省干の本命――ゆえにただ病を生ずるを主るのみ。幸いに刑傷なく、これを以て死に至らず(程樹勳また按:子は並びに四課三伝に進入せず、何に凭りてそれに断ずるや――想うに邵公はそれが本命に加臨する故によるらん)。大凡そ日干日支の夾定の中に鬼あれば、鬼はすなわち応ぜん。空亡あれば、空亡はすなわち応ぜん。両樣ともにあれば、すなわち両樣皆応ぜん。
庚辰日に何省干が応試を占う(『宋本邵案』・『方本占案』・『口鑑』・『捷要』)
何省干己未生,生於閏月十三日丑時,五十一歲,於建炎己酉年正月庚辰日占應試,子將酉時。(宋本邵案 方本占案 口鑑 捷要)
何省干(己未年閏月十三日丑時生まれ、時年五十一歳)が南宋建炎己酉年正月の庚辰日に科挙に応考せんとするを占問し、月将子を用い占時酉の上に加えて課を起こした。この例は四書に併載し、『宋本邵案』『方本占案』『口鑑』と『捷要』に見える。
蛇朱合勾/申酉戌亥 合貴虎勾 財戊寅虎/貴未 子青 戌未寅亥 官辛巳陰/後午 丑空 未辰亥庚 兄 申蛇◎/巳辰卯寅/陰玄常虎
展平の課盤。天地盤:子将を酉に加え、天盤は地盤より三位進む――地盤巳上に天盤の申を得て「螣蛇」に乗る。午上は酉で「朱雀」。未上は戌で「六合」。申上は亥で「勾陳」。酉上は子で「青竜」。戌上は丑で「天空」。亥上は寅で「白虎」。子上は卯で「太常」。丑上は辰で「玄武」。寅上は巳で「太陰」。卯上は午で「天后」。辰上は未で「貴人」。庚日の夜貴は未にあり、酉時は夜に属し、「貴人」は天盤未に落ちる。未は地盤辰に坐し、順行に属し、盤面と相合す。四課は右から左へ:庚の寄宮は申、申上に亥を得――第一課、亥が庚に加わりて「勾陳」に乗る。第二課、寅が亥に加わりて「白虎」に乗る。第三課、日支辰上に未を得て「貴人」に乗る。第四課、戌が未に加わりて「六合」に乗る。三伝:初伝寅、遁干は戊寅、妻財爻を為し、「白虎」に乗る。中伝巳、遁干は辛巳、官鬼爻を為し、「太陰」に乗る。末伝申、旬空に落ち遁干なし、「◎」を注して旬空を表し、兄弟爻を為し、「螣蛇」に乗る。応試を占うは須く文章を主る爻神と日干の気とを看るべし。本課の日干上神は庚金の気を泄する亥水で、また遅滞を主る「勾陳」に乗る――これが本人は中らざるを断ずる着眼処である。
邵彥和曰:何丈已兩次赴試,今次卻又不中,惟令郎中二十八名。吾丈暮秋雖有喜,又有悲,十月防有炊血之夢,及至五十七歲後方能得官,然過一二年便當壽阻,不能度甲子一周矣。何當時望中甚切,臨場病阻;其子入場,將舊文雜湊而成,全不得意,及放榜,果中二十八名。蓋日上亥是庚之子孫,來奪庚之氣,又作勾陳,不落第矣,所以子得中式。亥四申七,四七二十八也。亥為水道,勾乃滯神,加日上,故本身痢病。庚以寅為妻,加盜氣上,臨於十月,又作白虎,所以喪妻。寅財加亥,雖脫氣,卻六合而長生,不合作白虎,故邵公開此口。
邵彦和が言う:何丈はあなたはすでに両次試に赴いた――この一次も依然として考え中らず、ただ令郎のみ能く第二十八名に中らん。あなたは深秋に喜事あるも、同時にまた悲事あり。十月の裡に血を見るの凶夢を為すを防ぐを要す。須く五十七歳以後に到ってやっと官を得べく、しかしさらに一両年過ぎれば寿数はすなわち阻を受け、一個の甲子六十年に満たずして活きざらん。何省干は当時功名への期望は極めて切なるも、誰が知らん場に臨みて却って病によって阻まれた。彼の兒子は場に入りて試に応じ、従前の旧文章を拼凑して篇を成し、自己は全く満意せざりしが、榜を放するに及び、果たして第二十八名に中った。このように断ずる道理は:日干上神の亥水は庚金の子孫爻で、来て庚金の気を奪泄し、亥上にまた遅滞を主る「勾陳」に乗る――本人は落第を免れず(原文は「不落第矣」と作る――文義の上では応に「岂不落第」の意)。しかも子孫爻はすでに現れて得力――ゆえに兒子はかえって中式した。名次は亥数四・申数七を取り、四七相乗じてちょうど二十八。亥は水道、「勾陳」は滞塞の神で、日干の上に加わる――ゆえに彼本人の患うるは痢疾。庚は寅木を以て妻と為し、寅は泄気の亥の上に加わり、また十月亥月に臨み、寅上はさらに「白虎」に乗る――ゆえに妻を喪うを主す。ただ寅財が亥に加わるは、泄気と説くも、寅亥は却って六合で、亥はまた木の長生の地――本は応に白虎の凶と断ずべからず――ちょうど寅上に確実に白虎に乗るがため、邵公はやっとこの口を開き敢えてした。
愚按:庚辰日己酉年元旦尚未立春,仍是戊申太歲,己未生人止作得五十歲,行年在卯,上得午為弔客;本命未上得戌為喪門,喪吊全逢,主孝服。寅作妻財,乘虎,弔客上又作天后,故即以喪妻斷之。夜貴在宅乘未閉口,恰是本命,故將來雖得官,不久即死。愚按:申祿空,雖有官而不能享祿。後何公五十七歲登科,五十九歲死矣。未雖夜貴加宅,然其子既中則宅於先矣,而邵公復云何君自中,何也,蓋未繫何公本命故耳,不可不知。
程樹勳按:この庚辰日は己酉年の元旦で、まだ立春に交えず――太歳は依然として戊申と算し、己未年生まれの人はただ五十歳と算するのみ。五十歳の男子の行年は卯に在り、卯上に午を得――午は戊申太歳に対して言えばちょうど「弔客」。彼の本命未上に戌を得――戌はちょうど「喪門」――喪門弔客は全て碰上す――孝服の事あるを主す。寅は妻財で「白虎」に乗り、しかも弔客の午上にまた「天后」に乗る――「天后」は妻室を主る。ゆえに徑直に妻を喪うと断ず。庚日の夜貴人は未――未は日支辰(宅)の上に加わりて「貴人閉口」の象を成す――この未はまた恰恰彼の本命。ゆえに彼が将来官を得るといえど、まもなく死せんと断ず。程樹勳また按:日禄の申は空亡に落ち――ゆえに官职あれど俸禄を享けず。その後何公は果たして五十七歳に登科し、五十九歳に去世した。未は夜貴人たりといえど宅上に加臨するに至っては、しかも彼の兒子はすでに考え中ったれば、あの份の宅上の貴は便ち先に兒子の身上に応じた。邵公は却ってまた何君は自己もまた中り得と言う――これは何か、ただ未はちょうど何公の本命なるのみ――この一層は知らざるべからず。
庚辰日に應秀才が前程を占う(『一針見血』)
己酉年七月初四庚辰日午將卯時,應秀才乙亥生三十五歲占前程。(一針見血)
己酉年七月初四は庚辰日、月将午を以て占時卯の上に加えて課を起こし、應秀才(乙亥年生まれ、時年三十五歳)が来て前程を占った。この例は『一針見血』の一書から出る。この一課の年月と課時とは、別本の記載は互いに出入あり――下文の程樹勳の案語は専ら考訂を作した。
庚辰日・應秀才が前程を占う(程樹勳の課時を考正する按語)
此課《口鑑》《捷要》俱有而錯,作己酉元旦。餘向喜疑之。今丙子年?日,借得揚州張繼唐先生《一針見血》書,始知是己酉年午將卯時,占乙亥命三十五歲,心始渙然。謹誌之不忘所自。程樹勳識。
これは編者程樹勳の案語である。上面のこの一課は、『六壬口鑑』と『六壬捷要』の両書ともに収めたれど、時間を記錯して、己酉年元旦(正月初一)に占いしと寫した。我は一向にこの記載を懷疑した。丙子年の某日に至り(源文ここに一字缺く、「?」を以て疑を存す)、揚州張繼唐先生の藏する『一針見血』の一書を借り得て、やっと実は己酉年、午将を以て卯時に加えて課を起こし、占う所は乙亥年生まれ・時年三十五歳のあの人なるを知り、心裡の疑團はこれにやっと渙然氷釋した。我は謹んでこの事を記し、それが來歷を忘れず。程樹勳記。
蛇朱合勾 申酉戌亥 六空后朱 財 戊寅 后 貴未 子青 戌未寅亥 官 辛巳 常 后午 丑空 未辰亥庚 兄 申 青 ◎ 巳辰卯寅 陰玄常虎
これは展平して一行を成す課盤で、三塊に分かつ。第一塊は天地盤で、十二天将を天盤十二支の上に安ず:未上は「貴人」、申上は「螣蛇」、酉上は「朱雀」、戌上は「六合」、亥上は「勾陳」、子上は「青竜」、丑上は「天空」、寅上は「白虎」、卯上は「太常」、辰上は「玄武」、巳上は「太陰」、午上は「天后」――これは貴人を未に起こし十二将を順行して排出した一套である。第二塊は四課で、右から左へ読む:第一課、亥が庚に加わる(庚日の寄宮は申にあり、申位上に亥を得)。第二課、寅が亥に加わる。第三課、未が辰に加わる(辰は日支)。第四課、戌が未に加わる。四課上神の乗ずる所の天将は依次は戌上の六合・未上の天空・寅上の天后・亥上の朱雀。第三塊は三伝:初伝寅、遁干は戊寅、庚日において妻財、天后に乗る。中伝巳、遁干は辛巳、官鬼を為し、太常に乗る。末伝申、兄弟を為し、青竜に乗り、旁に「◎」を注してそれが旬空に落つるを表示す(庚辰日は甲戌旬に属し、空亡は申酉に在り)。注意すべきは:四課三伝の注する所の天将は、貴人を丑上に起こして逆行に排したもので、前面の天地盤のあの一套(貴人は未に在りて順行)と並び相合せず。下文の邵彦和の断語の依拠する所は四課三伝のこの一套――前面天地盤の天将は応に訛誤あるべし。
邵彥和曰:先失後得,先虛後實,耗廢盡了,卻得妻財來助起家。因水利中得財,不可不知。若求功名,不可得也。須是敗盡再發,兄弟並星散,所可喜者,妻與子成家,末年享福有壽,就店房居住,宅舍無氣也。蓋日上見亥,金生水而脫氣,自身受脫不能發也。
邵彦和が言う:この一課の格局は先に失し後に得、先に虚し後に實――先に家業を耗散し乾淨にして、それから後妻子の帶び來る財物に靠りて幇けられ重ねて家を起こす。この份の財は水と関わりある営生の裡から得來した――この一点は留意せざるべからず。もし功名を問えば、則ち求め得られず。必ず徹底して敗光するに至って待ちてやっと再び発起せん。兄弟は星散して各々東西に奔り、喜ぶ可きは妻と子とが能く家を成し業を立つること。晩年は福ありて壽あり――人は街に臨む店房の裡に住み、正宅はかえって生氣なし。この如くなる所以は、日干庚金の上神は亥水――金は水を生じ、日干の氣は泄し走られ、本身は泄を受く――自己は便ち発起し得ないが故。
愚按:朱雀乘脫氣,故不能得名。又寅財在脫上發用,脫上逢脫,必詩書荒廢,家道空虛。初見妻宮,引歸中傳長生,中又引歸末傳,卻見本身,是破敗後方得妻子起家,因之有福。應一心只思及第,自後讀書不成,家計敗盡,方得妻家做酒生意,果然諧子皆好,日漸豐足,遂享福而壽終。
程樹勳案:文名を主る朱雀は泄氣の亥水の上に乗る――ゆえに功名を求め得られず。さらに初伝の寅木妻財はまた泄氣の處から發用した――泄の上に再び泄に逢う――必然に詩書は荒廢し家道は空虚なり。三傳の次第は:先に妻財の宮を見(初傳寅)、引きて中傳巳火に至る――巳は庚金の長生――中傳はまた引きて末傳申金に至る――申はちょうど日干庚金の本身。これすなわち先に破敗を經て、それから後やっと妻子兒女に靠りて家を起こして福を得るを説明す。この人は當初は一心にただ科舉及第を想うのみ――後に書は讀み成さず、家業は敗し盡くし、やっと妻家の酒を做す生意に靠り、果たして妻と子とは皆好く、家道は一天天豐足し、終に福を享けて壽終した。
蓋日上初傳俱脫,卻得妻爻引歸生路;寅上巳乃庚金長生也。末傳申加巳,是得生路在末傳,故主晚年亨福也。愚按:巳為店,作太常為酒食,既為長生又有日祿加其上,故因做酒生意而起家,因之享福。申祿不論空者,以得未建之生也。
日干上神と初傳とは皆泄氣の地なれど、却って妻財の一爻に靠りて氣を引きて生路に回らす:寅木の上はすなわち巳火――巳はちょうど庚金の長生。末傳の申金は巳の上に加わる――生路は末傳に落つるに等し。ゆえに晩年に福を享くるを主す。程樹勳案:巳は店鋪を主り、巳上に太常に乗るはまた酒食を主る。巳はすでに庚金の長生にして、また日祿(庚の祿は申に在り)がその上に加臨す――ゆえに此人はやっと酒を做す生意に靠りて家を起こし、これによって福を享く。末傳の申は雖も日祿なれど空亡に落ちて依然として照日祿に論ずるは、それが未月月建の土を得て來て生ずるが故(此の課は午將を用い、ちょうど六月に當り、月建は未に在り)。
庚辰日・未年四月に來意を占う(苗公達が飛禽を斷ず)
未年四月庚辰日申將酉時占來意。苗公達斷經。
未年四月、庚辰日、申將を用い酉時に加えて課を起こし、來人の心裡に問う所の何事を占う(「未」は太歲の地支、「申」は四月の用いる所の月將)。此の例は『苗公達斷經』から出る。
合勾龍空 辰巳午未 蛇朱龍空 財 己卯 朱 朱卯 申虎 寅卯午未 財 戊寅 蛇 蛇寅 酉常 卯辰未庚 父 丁丑 貴 丑子亥戌 貴后陰玄
天地盤の部分:貴人は丑に起き、十二天將は順行す――丑上「貴人」、寅上「螣蛇」、卯上「朱雀」、辰上「六合」、巳上「勾陳」、午上「青龍」、未上「天空」、申上「白虎」、酉上「太常」、戌上「玄武」、亥上「太陰」、子上「天后」。四課は右から左へ讀む:第一課、未が庚に加わる(庚の寄宮は申に在り、申位上に未を得)。第二課、午が未に加わる。第三課、卯が辰に加わる(辰は日支)。第四課、寅が卯に加わる。四課上神の天將は依次は寅上の螣蛇・卯上の朱雀・午上の青龍・未上の天空。三傳:初傳卯、遁干は己卯、妻財を為し、朱雀に乘る。中傳寅、遁干は戊寅、妻財を為し、螣蛇に乘る。末傳丑、遁干は丁丑、父母を為し、貴人に乘る。三傳の卯・寅・丑は逐位後退してまた彼此相連なり――「連茹」にして退する樣子。この一課の天地盤と四課三傳の注する天將とは完全に吻合す。
苗公達斷曰:據來意必有飛禽受不足之憂,目下已飛了,其飛卻不去,只在東南樹間住。本時有貴人將同一飛禽往來此處,二禽相見飛下相鬥捉得;其禽亦是好鬥之禽。何以言之?蓋發用見朱雀,又所居辰與生氣併,故知飛活之物。
苗公達が斷じて言う:來人の心中に問う所に按れば、必定に一隻の飛禽ありて差錯を出した――眼下鳥は已に飛掉したれど、飛びて遠からず、ただ東南方の樹林の間に停まる。すなわち本占時に、一位の貴人ありて同類の飛禽を帶びて此の處に往來し、兩隻の鳥は一たび照面すれば便ち飛び下りて相鬥し、勢いに乘じて便ち捉へ得べし。この隻の鳥は本身もまた好鬥の禽なり。何に憑りて此の如く言うや。發用(初傳卯)の上に朱雀に乘るが故――朱雀は飛鳥の象、しかも卯の臨む所の地支はまた「生氣」と相併するが故――斷じて問う所は能く飛ぶ活物と爲す。
其禽受不足之憂者,以卦名天獄也;今飛了,為正時得鈅神也;其禽卻不去者,為日上見太歲,又年上見天地獄神也;更在朱雀之方,故不能去也。在東南樹間者住,蓋生氣之下是寅卯樹木之鄉也。有一貴人至本時,將同類物從此過者,二飛禽卻相爭飛去致斗,卻捉得此禽者,為日上見月厭,又為相生,又沖末傳,得貴人帶天殺也。斗本時者,發用辰上,更三傳連併,皆主疾速往來之象也。
此の隻の鳥に缺失の憂あるを言うは、課名が「天獄」と呼ばれ、牢籠拘禁の義あるが故。それが眼下已に飛走したと言うは、正時上に「鑰神」を得――鑰は能く鎖を開くが故。それが飛びて去らざるを言うは、日干上に太歲の未を見、年命上にまた天獄・地獄の兩個の凶神を見、しかも它の停まる處はまたちょうど朱雀の在る所の方位に在り――ゆえに逃脫し得ず。それが東南の樹林の間に停まるを言うは、生氣の下はちょうど寅卯の木鄉――木はすなわち樹。本占時に一位の貴人ありて同類の鳥を帶びてここより經過し、兩鳥相爭飛して相鬥に致り、終に人に捉へらるるを言うは、日干上神の未はちょうど四月の「月厭」――未土はまた庚金と相生し、しかも能く末傳の丑を衝動し、しかも末傳丑上に乘る貴人はまた「天殺」を帶ぶが故。すなわち本占時に相鬥すと言うは、發用の卯はちょうど地盤辰の上に加わり、加以三傳は逐位相連なりて、皆往來急速の象なるが故。
辛巳日
辛巳日・元豐乙丑に李明が省試を占う
東京有僧仲褒,精通六壬。元豐八十年乙丑二月十七辛巳日,太學同人李明癸未生,四十三歲,求占,得申時亥將。一針見血。
東京汴梁に一位の僧人ありて仲褒と叫び、六壬に精通す。元豐乙丑年(元豐八年、公元一〇八五年;源文の「八十年」は應に「八年」の訛)二月十七日の辛巳、太學の同學の李明、癸未年生まれ、四十三歲、來て占を求め、課を起こして申時亥將を得(亥將を以て申時に加う)。此の例は『一針見血』から出る。
愚按:元豐為神宗年號,是知仲褒在邵彥和先生之前也。
程樹勳案:元豐は宋神宗の年號――これに由りて僧人仲褒の年代は邵彦和の前に在るを知るべし。
朱合勾龍 申酉戌亥 龍朱陰虎 兄 申 朱 ◎ 蛇未 子空 亥申辰丑 子 乙亥 龍 ⊙ 貴午 丑虎 申巳丑辛 財 戊寅 常 巳辰卯寅 后陰玄常
天地盤の部分:貴人は午に起き、十二天將は順行す――午上「貴人」、未上「螣蛇」、申上「朱雀」、酉上「六合」、戌上「勾陳」、亥上「青龍」、子上「天空」、丑上「白虎」、寅上「太常」、卯上「玄武」、辰上「太陰」、巳上「天后」。四課は右から左へ讀む:第一課、丑が辛に加わる(辛日の寄宮は戌に在り、戌位上に丑を得)。第二課、辰が丑に加わる。第三課、申が巳に加わる(巳は日支)。第四課、亥が申に加わる。四課上神の天將は依次は亥上の青龍・申上の朱雀・辰上の太陰・丑上の白虎。三傳:初傳申、兄弟を為し、朱雀に乘り、「◎」を注して旬空に落つるを表示す(辛巳日は甲戌旬に屬し、空亡は申酉に在り)。中傳亥、遁干は乙亥、子孫を為し、青龍に乘る。末傳寅、遁干は戊寅、妻財を為し、太常に乘る。此の課の天地盤と四課三傳の注する天將とは完全に相合す。
仲褒曰:若占省試必主高中,只是不承恩命。省榜了,當殿試為犯御諱,遂不及第。李君再謂褒曰:春前之數己驗,不知異日如何?褒曰:且待別占。議曰:發用朱雀,傳入龍常,三傳皆臨長生,行年又得青龍,傳入太常,正屬省府。所乘功曹,本是青龍,春占為旺氣,與月建上神三合,貴人順冶發用在前,故主省試高發。以太歲為殿試,太歲不入傳,青龍正臨空亡,天罡加太歲,太歲加日上,作白虎,為墓庫,來刑日,故不承恩命也。
仲褒が言う:もし禮部省試を問はば、必定に高中す――ただ朝廷の恩命を承受し得ざるのみ――省榜發出して後、殿試に到りて皇帝の名諱を觸犯するに因りて、終に及第せず。李明はその後また仲褒に對して言う:春天以前あなたの言うは皆應驗した――往後は如何なるか知らず。仲褒が言う:それは須く別に一課を起こすべし。彼の推斷は:發用の申金は朱雀に乘り、中傳・末傳は青龍と太常とに轉入し、三傳は皆長生の地に臨み、行年上にまた青龍を得、再び傳入して太常――太常はちょうど省府の一類の職任を管す。乘ずる所の功曹寅木は、もともと青龍の本位(青龍の五行は木に屬す)――二月に占するはちょうど木の旺氣に當り、また月建卯の上神の午と寅午戌の三合を結成し、加以貴人は順行してしかも發用はまた貴人の前に在り――ゆえに省試高發を主す。殿試に至っては、則ち太歲を以て憑と爲す:本年太歲の丑は竝びに三傳に入らず、青龍はまた恰好空亡の地に臨み、天罡辰は太歲丑の上に加わり、太歲丑はまた日干辛の上に加はり、上は白虎に乘る――丑は金の墓庫にして、しかも丑は辛金の寄る所の戌宮を刑す――ゆえに恩命を承受し得ず。
辛巳日・辛卯年に曹丙道が再び來年の省試を占う
辛卯年正月辛巳日亥將申時,曹丙道再占來年省試。一針見血。
辛卯年正月、辛巳日、亥將を用い申時に加えて課を起こし、曹丙道が再一次來年の省試を占う。此の例は『一針見血』から出る。
愚按:辛卯當是徽宗政和元年,稱再占者,是日卯時己占過來年釋褐課也。
程樹勳案:此の辛卯年は應に宋徽宗政和元年(公元一一一一年)ならん。「再占」と稱する所以は、同じ日の卯時に已に一課の來年の「釋褐」(布衣を脫去し登第授官する)の事を占過ぐるが故――すなわち本書下文の載する所の「曹丙道が在京の來年釋褐を占う」のあの一課である。
朱合勾龍 申酉戌亥 龍朱陰虎 兄 申 朱 ◎ 蛇未 子空 亥申辰丑 子 乙亥 龍 ⊙ 貴午 丑虎 申巳丑辛 財 戊寅 常 巳辰卯寅 后陰玄常
此の一課は前面の李明が省試を占う一課と月將・占時・日干支全く同じ――ゆえに課盤は一模一樣:貴人は午に起きて順行し、午貴人・未螣蛇・申朱雀・酉六合・戌勾陳・亥青龍・子天空・丑白虎・寅太常・卯玄武・辰太陰・巳天后。四課は右から左へは丑が辛に加わり、辰が丑に加わり、申が巳に加わり、亥が申に加わる。四課上神の天將は依次は亥上青龍・申上朱雀・辰上太陰・丑上白虎。三傳は申(兄弟、朱雀に乘り、旬空に落ち)、亥(乙亥、子孫、青龍に乘る)、寅(戊寅、妻財、太常に乘る)。
邵彥和曰:三傳始末見天城天吏,作朱雀、太常,又是驛四馬,又朱雀火克身,本傳俱在長生學堂之上,定然得官。果次年壬辰三月榜出高甲及第。
邵彦和が言う:三傳の首尾に「天城」「天吏」の兩神を見――分別に朱雀と太常とに乘り、中間にまた驛馬を帶び(辛巳日の驛馬は亥に在り、ちょうど中傳)、朱雀は火に屬し能く辛金の身を克す――文名が身に逼る象。三傳はまた皆長生・學堂の此の類の吉位上に落つ――ゆえに必定に官を得べし。その後果たして第二年壬辰(政和二年)三月に榜を放する時、甲科に高列して及第した。
辛巳日・己酉年に時監院が動遷轉を謀るを占う
己酉年正月辛巳日子將酉時,時監院庚午生,四十歲,占謀動遷轉。宋本邵案。口鑑。
己酉年正月、辛巳日、子將を用い酉時に加えて課を起こす。占を求むるは時監院――庚午年生まれ、四十歲――調動升遷を謀求することを占う。此の例は宋本『邵彦和占案』と『六壬口鑑』に見える。
空虎常玄 申酉戌亥 玄空朱后 兄 申 空 ◎ 青未 子陰 亥申辰丑 子 乙亥 玄 ⊙ 勾午 丑后 申巳丑辛 財 戊寅 貴 巳辰卯寅 合朱蛇貴
天地盤の部分:貴人は寅に起き(辛日の夜貴人)、十二天將は順行す――寅上「貴人」、卯上「螣蛇」、辰上「朱雀」、巳上「六合」、午上「勾陳」、未上「青龍」、申上「天空」、酉上「白虎」、戌上「太常」、亥上「玄武」、子上「太陰」、丑上「天后」。天盤の排布は前一課と相同じ(皆天盤は地盤より三位進む)――ただ夜貴人を用いしに因り、天將は之に隨いて全く換はる。四課は右から左へ:第一課、丑が辛に加わる。第二課、辰が丑に加わる。第三課、申が巳に加わる。第四課、亥が申に加わる。四課上神の天將は依次は亥上玄武・申上天空・辰上朱雀・丑上天后。三傳:初傳申、兄弟を為し、天空に乘り、旬空に落ち。中傳亥、遁干は乙亥、子孫を為し、玄武に乘る。末傳寅、遁干は戊寅、妻財を為し、貴人に乘る。
邵彥和曰:此課守妻家,卒未能動身。今喜日墓帶丁,遂有變動之意。臨廟滿後,必得京局監當差遣,多是藥院之類。末傳寅在前引動墓,遂得出去。又是夜貴人,乃久困之貴人,今得起用於朝,因此可以引之。若見廚灶煮麵,僕子為湯所傷,即是喜事到之期。又主小兒落佛堂外水坑亦應也。
邵彦和が言う:此の一課は此人が一直に妻子の娘家に守り、終に身を動かし得ざるを主す。眼下喜ぶ可きは日墓丑中が旬遁の丁神を帶び、そこで變動の意思あるに至りし。今の此の祠廟の差事の任滿して後を等てば、必定に京城局務監當の一類の差遣を得べし――多くは藥院の類ならん。末傳寅木は前面に在りて墓神を引動す――ゆえに走り出で得べし。本課の用いる所はまた夜貴人――それは久困して用ゐられざる貴人――如今は朝廷に起用せらるるを得――これに因りて彼の力を借りて引拔する可し。將來もし厨の房の麵を煮、僕人が熱湯に燙傷せらるるを見ば、すなわち喜事が門に臨むの日子なり。また別に小孩が佛堂外の水坑に掉ち入るを主す――これもまた同時に應驗する事なり。
時自二十三上就寄居妻家,是年欲謀動,占得此課。庚戌七月嶽祠滿,討得監和劑局,因乃嶽徐侍郎在九宮觀,遂得台州差遣。所云夜貴久困,即此人也。辛亥其女生日,廚下煮麵,其僕子托面出,被人沖在身,而被湯所傷。又宴客更深,親戚小兒戲於佛堂外,失足墜小池中,次日早文字來催赴任。
此の位の時監院は二十三歲より起こりて便ち妻子の娘家に寄居し、此の年に調動を謀求せんと想ひ、此の一課を占得した。庚戌年七月、彼の領する所の岳祠差遣は任滿し、監和劑局の職務を謀得し、また岳父徐侍郎が九宮觀に任職するに因りて、そこで台州の差遣を得た。前面の言う所の「夜貴人久困」とは、指すは此の位の徐侍郎である。辛亥年に彼女兒の生日のあの天、厨下は麵を煮、僕人は麵を端し出づるや、人に身上に撞つけられ、熱湯に燙傷せられた。また一回客を宴して深夜に至り、親戚の家の小孩は佛堂外に玩耍し、失足して小池塘の裡に掉ち入った。第二天の一早、彼の赴任を催す公文は便ち到着した。
蓋丑加辛作墓神,天后又是滯神,丑中有旬丁為搖動移換,申為醫藥加巳,巳為廚灶,申又為面,天空為僕,亥加申為元武,武乃水神為池,元武又為墮水,辛以亥為子息,主孩童墮此池中。末卻見貴人乘天門,便是赴任之期也。
その中の道理は:丑は日干辛の上に加わりて墓神を作し、丑上にまた天后に乘る――天后は滯留の神――ゆえに困守して動かず。丑中には旬內の丁神を藏し――丁は搖動遷換を主る――ゆえにまた變動あり。申は醫藥を主り、巳の上に加わる――巳は厨灶――申はまた麵食を主る――ゆえに藥局と煮麵とに應ず。天空は僕人を爲す――ゆえに僕人が傷を受くるなり。亥は申の上に加わりて玄武に乘る――玄武は水神――池塘を主り、また墜水を主る。辛日は亥を以て子息と爲す――ゆえに孩童が此の水池に掉ち入るを主す。末傳寅上に却って貴人を見――しかも寅はちょうど地盤亥(天門)の上に加わる――それはすなわち赴任の日期なり。
