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甲寅日・財を求むるを占う

清 · 程树勋 · 第43巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

丙辰年八月甲寅日巳將亥時,某己巳生四十八歲占求財。    口鑑  方本占案

丙辰年八月、甲寅日、月将は巳(太乙)で、亥時に課を起こす。占を求むる人は本命が己巳、この年四十八歳、財を求むるを占問した。本条は『口鑑』と『方本占案』に見え、断語は邵彦和から出る。

龍空 陳亥子丑寅虎 六戌 卯常 虎蛇虎蛇 兄 甲寅 虎 朱酉 辰玄 寅申寅申 鬼 庚申 蛇 蛇申未午巳陰 申寅申甲 兄 甲寅 虎 貴後

外圈の天盤十二支の乗ずる天将:未は「貴人」を乗せ、申は「螣蛇」を乗せ、酉は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、亥は「勾陳」(「陳」と写作す)を乗せ、子は「青竜」を乗せ、丑は「天空」を乗せ、寅は「白虎」を乗せ、卯は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、巳は「太陰」を乗せ、午は「天后」を乗せる。亥時は夜に属し、甲日は夜貴の未を用い、貴人は地盤の丑位に落ち、衆将は順行する。巳将を亥時に加うるに、天盤と地盤は正好く六位相隔え、支支相冲するは、「返吟」の局である。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に申を得、螣蛇を乗せる。第二課、申の上に寅を得、白虎を乗せる。第三課、日支の寅の上に申を得、螣蛇を乗せる。第四課、申の上に寅を得、白虎を乗せる。三伝:初伝の寅は遁干甲、兄弟と為り、白虎を乗せる。中伝の申は遁干庚、官鬼と為り、螣蛇を乗せる。末伝の寅は遁干甲、兄弟と為り、白虎を乗せる。

邵彥和曰:此乃反覆爭奪之財,甚薄。應在戊寅日得之。據課體本無財,蓋此人己巳乃是寅作德,又蛇制申金,行年財臨甲戌日得之也。此課又是論化氣,甲日己年,甲己化土也。

邵彦和が言うには:これは一筆の反復争奪してやっと手に到り得る銭財で、しかも甚だ薄い。戊寅日に應じて手を得る。課体に就いて看れば、もともと財なし:初伝・末伝はともに兄弟の寅で、兄弟はまさに銭財を劫奪することを主る。手を得し得る所以は、この人の本命が己巳で、寅の上に「徳」を作し、また螣蛇の火が申金を壓制しているにあり。さらに彼の四十八歳の行年が丑の上に落ち、丑土はまさに甲木の妻財なので、甲戌日に至ってやっと手に拿得した。(底本は前面に「戊寅日に應ず」と説き、後面にまた「甲戌日に之を得たり」と説く。両處の日辰が一ならず。)この課は還って化気を論ずるを要す:日干は甲で、本命の年は己に属し、甲と己は相合して土に化し、土はまさに甲木の財である。

甲寅日・郭御青が陽武で省城の安危を占う

崇正辛巳年十二月十三甲寅日丑將午時,在陽武縣占省城。    課經集

明思宗崇禎辛巳年(崇禎十四年、公元一六四一年)十二月十三日、甲寅日、月将は丑(大吉)で、午時に課を起こす。占者は当時河南開封府の陽武縣に人が在り、省城開封の安危のために課を起こした。「崇正」は則ち「崇禎」で、避諱により字を改めた。この年の年末、流寇はまさに第二回に開封を進逼していた。本条は『課經集』から出て、断語は郭御青の下した所である。

蛇貴后陰 子丑寅卯 玄勾玄勾 鬼 辛酉 勾 朱亥 辰玄 辰酉辰酉 財 丙辰 玄 合戌 巳常 酉寅酉甲 父 癸亥 朱 酉申未午 勾龍空虎

外圈の天盤十二支の乗ずる天将:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。午時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用う。丑将を午時に加うるに、天盤は地盤より七位を進み、貴人は丑を乗せて地盤の午位に落ちるので、衆将は逆行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に酉を得、勾陳を乗せる。第二課、酉の上に辰を得、玄武を乗せる。第三課、日支の寅の上に酉を得、勾陳を乗せる。第四課、酉の上に辰を得、玄武を乗せる。三伝:初伝の酉は遁干辛、官鬼と為り、勾陳を乗せる。中伝の辰は遁干丙、妻財と為り、玄武を乗せる。末伝の亥は遁干癸、父母と為り、朱雀を乗せる。課伝の中に見る酉・辰・亥の三支は、恰好みな自刑の支である。

郭御青曰:滿盤自刑,酉以破碎作勾陳全傷干支,又發用,城池最忌,危至九分。幸生起末傳育干支,危中有救。酉臨艮地,東北受傷。次日,乙卯巳時,因雪再占,得子乙一課,即得白虎作墓發用,墓亦鑿城掘坑之象也,亦賴末傳亥水育干支自墓傳生,先迷後醒,亦危中有救。

郭御青が言うには:満盤みな自刑の象である。酉は「破碎」の凶煞を帯び、また勾陳を乗せ、日干の甲と日支の寅を一幷に傷し盡くし、偏偏それはなお發用の神である――城池を占うに最も忌避するはまさにこの一点で、危險はすでに九分に到った。所幸は課伝が能く末伝を生起し、末伝の亥水がまた頭を回らして日干日支を養育するは、危うき中に救いあり。酉は地盤の寅位の上に加わり、寅は艮方に属するので、傷を受けるは城の東北の一角である。第二天の乙卯日の巳時、雪が下るがためにまた一課を占い、得たるは日干の上神の子が乙に加わる一課で、まさに白虎が墓神を乗じて發用する――墓もまた城を鑿ち坑を掘るの象で、同じく多く末伝の亥水が干支を養育して、墓の中より生気を傳え出すを幸いに、先ず迷いて後に醒める、亦た危うき中に救いありと算づ。

二課游都皆空,交甲子旬俱實。亥水救神反空,所以預斷賊二十三日至。占時賊在汴東百餘里,餘在河北陽武縣以占稿具稟各院臺,彼時,督師丁公聖林、撫臺高公鷺機、按臺任公汶水急呼餘進汴,餘即於二十三日早入城,午後而賊至城下,即攻城東北角。二十餘日晝夜不息,危至萬分,後克保全,此丁公同事所親見者。

兩課の裏の「游都」はみな空亡に落ち、甲子旬に交り入るを待ってやっと填實する。亥水のこの救神を連ねてもまた反って空亡に落ちるので、我は預め賊兵が二十三日に到來すると断定した。課を起こした時、賊兵はなお開封より東の一百余里に在った。我は人が黄河より北の陽武縣に在り、占稿を具文して各位の院臺の大人に禀報した。当時督師の丁聖林公・巡撫の高鷺機公・巡按の任汶水公は急いで我を召して開封に進ませ、我は則ち二十三日の一早に城に入り、当日の午後に賊兵は便ち城下に到り、隨いで城の東北角を猛攻した。此の後二十余日昼夜に停まずに攻打し、危急は萬分に至るも、最後に終に保全し得た――これらはみな丁公と同事たちの親眼看る所である。

甲寅日・范玄同が射覆を占う(指南)

辛巳年八月甲寅日壬申時,浙紹範玄同占袖內帨包中何物。 指南

辛巳年八月の甲寅日壬申時、浙江紹興の人范玄同が來りて占を求め、占わんとするは彼の袖子の裏のあの帨包(手を拭く手巾の包み)の中に裹る何物なるかである。これは「射覆」の占――事ごとに先んじて占者に蔵する所の何物を告げず、全く課の上の五行の性・形色の象・器用の類に凭りて實物を推し出す。最も六壬の工夫を見る。この案は『六壬指南』から出る。

朱六 蛇寅卯辰巳勾 虎陰虎陰 財 丑貴 貴丑 午龍 申亥申亥 父 癸亥陰 后子 未空 亥寅亥甲 父 癸亥陰 陰亥戌酉申虎 玄常

これは円盤を展平して写したる課體の圖である。外圈は十二支の各自乗ずる所の天将:寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せ、丑は貴人を乗せる――甲日の申時は昼に属し、昼貴を用い、貴人は丑の上に落ち、十二天将はこれにより順行して排布す。中間の一欄は四課で、右より左へ數う:第一課、日干の甲(寄宮は寅に在る)の上に亥を見、亥は太陰を乗せる。第二課、亥の上に申を見、申は白虎を乗せる。第三課、日支の寅の上に亥を見、亥は太陰を乗せる。第四課、亥の上に申を見、申は白虎を乗せる。甲寅日の干支は同じく寅宮に在り、四課はただ兩樣を出ずるのみで、「八専」の課である。右邊の一欄は三伝:初伝の丑は妻財爻と為り、貴人を乗せる。中伝・末伝はともに亥で、旬干の癸を遁得し、父母爻と為り、太陰を乗せる。甲寅旬の中の子・丑の兩位は旬空なので、初伝の丑は遁干を標さない。

陳公獻曰:剛日發用,兼日上神射之發用,丑為牛,其色黃兼黑,亥為雙義,必是黃黑二件;又為日貴,必貴重之物,乘天醫必能治病,其數四八。範大服,開筒視之,是石黃二塊,每塊約重四分七八釐。

陳公献が言うには:甲は剛日(陽日)で、八専課は例により日干の上神より順に三位を數えて初伝を取るので、發用は丑に在り、さらに日干の上神の亥を合せて一幷に來りてこの覆物を射る。丑は十二屬相の中で牛で、牛の毛色は黃の裏に黑を帶びる。亥はまた成雙の義を含むので、蔵する所は必ず黃黑の兩件の東西と知るべし。丑は同時に甲日の貴人なので、この物件が貴重と知るべし。丑の上にまた天醫を乗せるので、それが能く病を治することを知るべし。丑の數は八、亥の數は四なので、分量の數は則ち四・八の上に落ちる。范玄同は大いに嘆服し、袖の中の小筒を開きて一看すれば、果たして石黃(雄黃)の兩塊で、每塊は約重四分七八厘であった。

甲寅日・王司法が前程を占う(口鑑・方本占案)

戊申年六月甲寅日未將戌時王司法乙亥生三十四歲占前程。 口鑑、方本占案

戊申年六月の甲寅日、「未」(小吉)を以て月将と為し、「戌」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は王司法で、乙亥年生まれ、この年三十四歳、己が仕途の前程を占問した。この案は『口鑑』と方本『占案』ともに收錄す。

陳六 龍寅卯辰巳朱 空丑 午蛇 后常后常 財 空丑 空 虎子 未貴 申亥申亥 父 癸亥 常 常亥戌酉申后 亥寅亥甲 父 癸亥 常 玄陰

展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:寅は青竜を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は貴人を乗せ、申は天后を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太常を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は天空を乗せる――戌時は夜に属し、甲日は夜貴を用い、貴人は未の上に落ち、十二天将はこれにより逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅に在る)の上に亥を見、亥は太常を乗せる。第二課、亥の上に申を見、申は天后を乗せる。第三課、日支の寅の上に亥を見、亥は太常を乗せる。第四課、亥の上に申を見、申は天后を乗せる。甲寅日の干支は同宮で、依然として「八専」の課である。三伝:初伝の丑は妻財爻と為り、天空を乗せ、丑字の前に一個の「空」を標すは、それが甲寅旬の中にまさに旬空に落ちるを説く。中伝・末伝はともに癸亥で、父母爻と為り、太常を乗せる。

邵彥和曰:亥是本命,加支干相生極好。只不合是旬末為閉口,主父母閉口,兼行年又在其上,而父母上見公婆,是父母見公婆也。空丑又乘天空作初傳,虛墓已動。更加辰為鍬鋤殺,當主十月亡母,次年正月亡父。本人須入學館,歷臺諫侍從,只不守土,至戊子年七十四或七十八死矣。王當年十月丁母憂,次年正月丁父憂,三十七得溫州法司,三十九得太常學錄,又遷司業正言,不曾守土。七十八卒。

邵彦和が言うには:亥はまさに王司法の本命で(彼は乙亥年生まれ)、亥は日干日支の上に加わり、干支と相生して、もともと極めて好い。ただ惜しむべくは亥が甲寅旬の旬末で、「閉口」の神に属し、父母の一方が口を閉じて言わざるを主り、すなわち喪事ある。何况彼の行年がまたまさに亥の上に落ち、しかも父母爻の上にまた公婆の神を見るは、父母が往きて公婆(尊長)に見ゆるで、まさに亡故の象である。丑はすでに旬空に落ちまた天空を乗せて初伝と作るは、虛耗と墓庫の氣がすでに發動した。さらに辰が鍬鋤殺(動土埋葬を主る)と為るを加うるは、当に本年十月に母を喪い、第二年正月に父を喪するを主るべし。この人は日後必ず學館に入りて讀書し、歷任して臺諫・侍従のこの一類の言官近臣を為るも、ただ終身外に放たれて土を守る地方官を做さず。戊子年に至り、七十四歳あるいは七十八歳の上に世を過ぎる。その後果たして:王司法は当年十月に母のために丁憂し、次年正月に父のために丁憂し、三十七歳に温州法司の職を得、三十九歳に太常寺學錄を得、また遷りて國子監司業・正言と為り、一生曾て土を守らず、七十八歳に去世した。

此課旬末加旬首,父母加主父母亡,自身閉口,仕途不通。然既言七十四,又言七十八,何也?亥加寅,亥四寅七,乃七十四也。亥有四個,又添四數,七十八也。況甲與寅上兩個亥,故云。

この課は旬末の亥が旬首の寅の上に加わる:父母爻がこのように加臨するは、父母の亡故を主る。自身はまた閉口に逢うので、仕途は始終通達する能わざる。すでに七十四を断じて、また七十八を説くは、この兩個の歳數はどこより來るか。亥は寅の上に加わり、亥の數は四、寅の數は七で、合せて起これば則ち七十四。課の中の亥字は一共に四個で、さらに一個の四數を添うれば則ち七十八。何况日干の甲の上と日支の寅の上に各々一個の亥あり、ゆえに兩説を竝存す。

又云,亥乃父母爻,作真閉口,作太常,陰神又見申金乘後,而與亥六害,無惑乎父母之亡也。初丑,土也;空上乘空,故終身不能守土。亥乃天門,又是長生學堂,中末都是,所以入學館也。

また一説あり:亥は父母爻で、旬末に落ちて真の閉口と成り、また太常を乗せる(太常は孝服を主る)。その陰神の上に申金が天后を乗ずるを見、申と亥は正好く相害するならば、父母の亡は更に疑うを須いざる。初伝の丑はもと土に属すに、偏偏すでに旬空に落ちまた天空を乗じ、空の上に空を加うるので、彼は一輩子に土を守る地方官を做り成さざる。亥は天門の位で、また甲木の長生の地・文章學堂の在る所で、中伝末伝はともに亥なので、彼が能く學館に入り、讀書より出身するを断ず。

乙卯(乙卯)日

乙卯日・劉運干が前程を占う(方本占案・口鑑)

建炎戊申年十月乙卯日卯將未時劉運干丁卯生四十二歲占前程。 方本占案、口鑑

宋高宗建炎戊申年十月の乙卯日、「卯」(太冲)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は劉運干(運司幹辦公事)で、丁卯年生まれ、この年四十二歳、己が前程を占問した。この案は方本『占案』と『口鑑』に見ゆ。

朱六 蛇丑寅卯辰陳 貴子 巳龍 虎后常貴 財 己未 虎 后亥 午空 未亥申子 兄 乙卯 六 陰戌酉申未虎 亥卯子乙 父 癸亥 后 玄常

展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せ、子は貴人を乗せる――未時は昼に属し、乙日は昼貴を用い、貴人は子の上に落ち、天将はこれにより順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰に在る)の上に子を見、子は貴人を乗せる。第二課、子の上に申を見、申は太常を乗せる。第三課、日支の卯の上に亥を見、亥は天后を乗せる。第四課、亥の上に未を見、未は白虎を乗せる。三伝:初伝の己未は妻財爻と為り、白虎を乗せる。中伝の乙卯は兄弟爻と為り、六合を乗せる。末伝の癸亥は父母爻と為り、天后を乗せる。未・卯・亥は湊りて三合の木局を成し、乙木は未に墓し卯に旺し亥に長生す。走るは自ら墓より旺に傳え、再び長生に傳ずるの路。乙卯日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑の兩位に在る。

邵彥和曰:此課身坐貴人,又來生日,三傳又是木局,乙木生亥、旺卯、庫未,自墓傳旺,自旺傳出亥,必由窮途漸至榮顯至侍從。先喪妻害眷屬,而先納兄弟一子,後一小妻大有財物,壽近九十矣。錢此時為朝議郎,辛亥喪妻,乙卯喪子,繼兄子為子,庚申又娶妻,其時年五十四,妻三十九,有數萬貫錢來嫁,後直至吏部侍郎,八十七而終。

邵彦和が言うには:この課は日干の上に貴人が坐り、貴人はまた頭を回らして來りて我が日干を生ず。三伝は合成して木局と為り、乙木は亥に長生し卯に帝旺し未に入庫す。墓庫より帝旺に傳え、再び帝旺より傳え出して長生の亥に至るは、この人は必ず窮困の境より一歩々々榮顯に走向し、直に侍従の官に至るまで做る。ただ要に先ず妻を喪い眷属に損及し、先ず兄弟の一個の兒子を過繼せしめ、後に娶る小妻は多くの財物を帶びて來る。壽數は將に九十に近し。彼は当時官は朝議郎に任じ(下文はこの人の姓を錢と稱し、題頭の「劉運干」と合わず、当に傳寫に異あり)、辛亥年に妻を喪い、乙卯年に子を喪い、則ち兄長の子を以て嗣と為し、庚申年に再び娶る。その年彼は五十四歳・妻は三十九歳で、數萬貫の錢財を帶びて門を過ぐ。後來一直に吏部侍郎に至るまで做り、八十七歳に去世した。

蓋乙卯皆本亥子並生,曲直又助,自墓傳生,一則有壽,二則自微至顯。末亥為天門,木局為持臺,故主侍郎也。此課本主父子同類作六合,是納兄弟之子,妻財空墓乘虎,主先喪偶,卯祿加未,末傳天后長生,歸於祿地,後妻乃未卯祿加之,是後妻財物旺也。又曰:天后是妻,歸卯地也。未財為前妻,乘白虎,陰神卯木克之,故喪也。天后為後妻,為長生而臨日祿,故後妻財物旺也。

その中の道理を細説すれば:乙と卯はもとみな亥・子の水に生ぜらる。三伝はまた結成して曲直の木局と為りて來りて幫扶し、墓庫より長生に傳向するは、一に長壽を主り、二に微賤よりして顯達に至るを主る。末伝の亥は天門の位で、木局はまた臺閣を執掌することを主るので、彼が官侍郎に至るを断ず。この課はもと父と子が同類にして六合を乗ずるを以てなり、まさに兄弟の子を過繼して嗣と為すの象。妻財爻はすでに空に落ちまた墓に入り、還って白虎を乗ずるは、先ず配偶を喪することを主る。卯は乙木の禄神にして未の上に加わり、末伝の天后はまた長生の神で、歸りて禄地に到る。後に娶る妻はまさに未の上に禄を加うるこの一層に應ずるので、後妻の財物は豐厚なり。もう一種の説法是:天后は則ち妻で、歸りて卯地に到る。未は財と為り、前妻を代表し、白虎を乘せ、その陰神の卯木がまた來りてそれを克すので、妻を喪することを主る。天后は後妻を代表し、長生の位に居りて日干の禄神に臨むので、後妻の財物は旺盛なり。

乙卯日・甲申命の人が訟を占う(中黄經)

十一月乙卯日丑將巳時甲申命人占訟。 中黃經

十一月の乙卯日、「丑」(大吉)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は甲申年生まれの人で、一桩の官司訴訟を占問した。この案は『中黄經』から出る。

朱六 蛇丑寅卯辰陳 貴子 巳龍 虎后常貴 財 己未 虎 后亥 午空 未亥申子 兄 乙卯 六 陰戌酉申未虎 亥卯子乙 父 癸亥 后 玄常

刻する所の課體は上の一案と完全に相同じ:丑将を巳時に加うるは、前案の卯将を未時に加うるに推し出す天地盤と正好く同一個である。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せ、子は貴人を乗せる。四課は右より左へ:日干の乙の上に子を見、子は貴人を乗せる。子の上に申を見、申は太常を乗せる。日支の卯の上に亥を見、亥は天后を乗せる。亥の上に未を見、未は白虎を乗せる。三伝:初伝の己未は妻財爻にして白虎を乗せ、中伝の乙卯は兄弟爻にして六合を乗せ、末伝の癸亥は父母爻にして天后を乗せる。未卯亥は依然として三合の木局。下文の説く所の「申命」は、占を求むる人が甲申年生まれで本命が申に在るを指す。申位の上に見る所は辰で、辰は勾陳を乗せ、まさに断語の處置せんとするあの一層である。

斷曰:初傳用起支陰,未乘白虎,似乎虎墓為用,可畏。喜三傳會木局助日。又未乃十一月解神,虎雖乘之而臨亥,主爪牙無用,不足畏也。更申命上雖是辰作勾陳,乙干自能制之,此辰即日干本位。辰遁建者庚,乙從化於庚,有妻從夫之義,夫戀妻之仁成仁義之風,此合之至篤者,不相賊而相成,所以為善。況三合木局行傳,乙得其助,勾成受制,白虎失勢,自墓傳歸長生,豈不美哉?

断語に説く:初伝は日支の陰神より發用し、未はまた白虎を乗ずるは、看るに白虎と墓神が當權するに似て、甚だ畏る可し。所幸は三伝が會成して木局と為りて來りて日干を幫扶す。さらに未は十一月の解神で、白虎は未の上に乗ずといえども、却って亥位に臨み、等しく爪牙の施展する處なきにして、畏るに足らざる。本命の申の上に雖も辰が勾陳を乗ずるを見るに至っても、乙木は自ら能く辰土を制するを得、何况この辰はまさに乙日干の寄宮本位なる。辰の中に遁する天干は庚で、乙と庚は相合して化し、妻の夫に従うの意あり、夫はまた妻の仁厚を眷戀し、一段の仁義の風を成就す。これは相合の最も親篤なる一種で、兩下に相賊害せずして相成全するが故に、反って吉事と為る。何况三合の木局が三伝の中に流行し、乙木は幫扶を得、勾陳は制伏を受け、白虎は威勢を失い、また墓庫より傳歸して長生に至るは、豈に一課の好象ならざらんか。

乙卯日・楚衍が李都尉の公主の病を占う(一針見血)

皇祐元年有李都尉公主,年三十三歲忽於五月初間染患不安,至下旬,病危。醫官擬議,不敢下藥。於當月二十三日奉旨遣楚衍至李宅占課,立等回奏。當日乙卯得亥時,月將小吉加亥。 一針見血

宋仁宗皇祐元年、李都尉の家の公主は年方三十三歳で、五月初に忽然として病に染み不適し、下旬に到って病勢は危重なり。太醫たちは商議再三して、敢えて藥を下さず。当月の二十三日、皇帝の旨意を奉じて楚衍を李家に遣わし課を起こせしめ、地に就いて回奏を待たせた。その日は乙卯日・亥時で、「小吉」(未)を以て月将と為し、亥時の上に加えて課を起こした。この案は『一針見血』から出る。

龍空虎常 丑寅卯辰 后合貴勾 財 己未 后 勾子 巳玄 未亥申子 兄 乙卯 虎 合亥 午陰 亥卯子乙 父 癸亥 合 戌酉申未 朱蛇貴後

展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:丑は青竜を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は白虎を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太陰を乗せ、未は天后を乗せ、申は貴人を乗せ、酉は螣蛇を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は六合を乗せ、子は勾陳を乗せる――亥時は夜に属し、乙日は夜貴を用い、貴人は申の上に落ち、天将はこれにより順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙の上に子を見、子は勾陳を乗せる。第二課、子の上に申を見、申は貴人を乗せる。第三課、日支の卯の上に亥を見、亥は六合を乗せる。第四課、亥の上に未を見、未は天后を乗せる。三伝:初伝の己未は妻財爻と為り、天后を乗せる。中伝の乙卯は兄弟爻と為り、白虎を乗せる。末伝の癸亥は父母爻と為り、六合を乗せる。三伝は依然として未・卯・亥の三合木局なり。ただこの課が用うるは夜貴なるがゆえに、乗ずる所の天将は便ち前の兩案と全く相同じからず。

衍具奏云:公主所患,因食冷物,被白獸動至,驚風透入經絡,日中則發搐搦,入夜剛稍定。此病肝膽之下,隱伏不見。當於今夜子時,有神醫入夢,覺即吐逆至晚脈息應至,自後即安,乞今醫官預備調和之藥。果於當晚三更四點,公主夢一紫衣和尚,手執楊柳帶水灑身,驚覺汗流而吐,便覺漸安。上知甚悅,遂遣中使至李宅,令供病回依左奏答。公主雲重午日申時以來與都尉飲酒,吃冷粽子,之間有本宅白獅貓跳上桌子,觸倒酒器,即時便不快。上一見回奏因依,便令宣衍至便殿,診詢昨日之課,何故應驗如此?勅令敷奏。

楚衍は本を具して上奏して言うには:公主のこの場の病は、起因は生冷の物を喫し、また一隻の白色の獸類に驚動せられ、驚風が經絡に透入したが故に、白天の裏に抽搐を發し、夜に入りてやっと稍稍安定す。病位は肝膽の下に在り、隱伏して看え出さず。今夜の子時に当に神醫が夢に入るべく、醒めれば則ち嘔吐し、晚間に到って脉息は便ち回り來り得、これより則ち平安ならん。太醫に請いて預め調和の藥を備え置かしめよ。当晚の三更四點、公主は果たして一位の紫衣の和尚を夢見、手に楊柳枝を拿りて水を蘸して彼女の身の上に灑き、驚き醒めた後汗流れて注ぐが如くしかも嘔吐し、隨いで漸漸好轉するを覺えた。皇帝は知り得て大いに喜び、則ち内使を李家に派して、彼らに發病の經過を據實に回奏せしめた。公主が言うには:端午のあの日の申時以後に都尉と同じく酒を飲み、冷たい粽子を喫し、その間家の裏の白獅猫が桌子の上に跳び上がり、酒器を撞き倒し、彼女は当時に則ち不舒服であった。皇帝は回奏の原委を看て、便ち楚衍を便殿に宣し、昨日のあの一課が何を以てかこの地步に應驗したかを問い、彼に詳細に陳奏するを敕令した。

議曰:昨日乙卯得亥時,月將小吉加亥,就作發用,上得天后,中傳太沖加未,白虎。終傳登明加卯,六合。此課正元首之課,白虎凶神不來剋日,則占病無憂。發用未,是木墓,加於亥上,亥是陰極之位,重於冷。又未中有丁,乙以丁為食神,故言曾食冷物。中傳太沖加未,得白虎乘卯木來制初傳未土,故有白獸驚恐。法以丑未為經絡,巳亥為氣管,故驚風透入經絡。課變曲直,木乘則風。發用月建為太陽,所以日中搐搦。又木屬肝膽,未為木墓,一為隱藏,故病在肝膽之下,隱伏不見。五月天醫在申,今加子上,行年是子,今得傳送乘之。申是木絕之地,法謂:木絕則魂貴天,遊行年之陰,上得天罡,為夢神,所以感夢。申是今日貴人,有天醫乘之,故有神醫入夢。日上有勾陳入水本主吐逆。臣供是實,謹奏。

楚衍が議奏して言うには:昨日の乙卯日は亥時を得、小吉の未を以て月将と為して亥の上に加え、未は則ち初伝と作して上に天后を乘せた。中伝は太冲の卯が未の上に加わり、白虎を乘せた。末伝は登明の亥が卯の上に加わり、六合を乘せた。此の課はまさに「元首課」で、白虎のこの凶神は幷ら來りて日干を克せず、病を占うに大礙なし。初伝の未は木の墓庫で、亥の上に加わり、亥は陰氣極盛の位で、重寒重冷を主る。未の中にまた丁火を藏し、乙木は丁を以て食神と為し、食神は飲食を主るので、彼女が曾て生冷の物を喫したるを断ず。中伝の太冲の卯が未の上に加わり、白虎は卯木を乘じて來りて初伝の未土を制するので、白色の獸類の驚嚇の事あり。法は丑・未を以て經絡と為し、巳・亥を以て氣管と為すので、驚風が經絡に透入すと説く。全課は變じて曲直の木局と為り、木氣は旺を乘ずれば則ち風を主る。初伝の未はまた五月の月建・太陽の在る所なので、發作は白天に在る。木は肝膽に属し、未は木の墓庫で、墓は隱藏の義あり、ゆえに病は肝膽の下に在り、隱伏して査し出す能わざる。五月の天醫は申に在り、今申は子の上に加わり、公主の行年はまさに子で、また傳送の申がその上に乘ずるを得る。申は木の絶地で、術法の上に説く木が絶すれば則ち魂氣は上に歸りて天に至ると。さらに行年の陰神を看れば、その上に天罡の辰を得、辰は夢神と為るので、能く夢を感ず。申はまた今日の貴人で、天醫がそれに乘ずるので、夢見る所は神醫なり。日干の上に勾陳が水中に落入するあり、もとより嘔吐を主る。臣の奏する所はみな實情なり、謹んでこれを上聞す。

乙卯日・管輅が風の來りて何事に應ずるを占う(直は三国志管輅傳を引く)

七月乙卯日巳將午時占風來應候。 直指引三國志管輅傳

七月の乙卯日、「巳」(太乙)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起こし、占うは一陣の風の刮り來るを、何の事に應ずるべきを要すと。この案は『六壬直指』に見え、轉引するは『三国志・管輅傳』の舊事である。

勾龍空虎 辰巳午未 蛇朱朱合 財 ◎丑 蛇 合卯 申常 丑寅寅卯 父 ◎子 貴 朱寅 酉玄 寅卯卯乙 父 癸亥 后 丑子亥戌 蛇貴后陰

展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せ、子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せる――午時は昼に属し、乙日は昼貴を用い、貴人は子の上に落ち、天将はこれにより順行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰に在る)の上に卯を見、卯は六合を乗せる。第二課、卯の上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。第三課、日支の卯の上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。第四課、寅の上に丑を見、丑は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の丑は妻財爻と為り、螣蛇を乗せる。中伝の子は父母爻と為り、貴人を乗せる。末伝の癸亥は父母爻と為り、天后を乗せる。丑・子の兩字は各々一個の「◎」を標すは、乙卯日が甲寅旬に属し、子・丑の兩位がまさに旬空に當るを説く。三伝の丑・子・亥は一路に後退するは、「退茹」の象である。

輅在典農王宏直所,有飄風從申上來,占曰:日辰乙卯斗建申,申破寅,死喪之候也。時加午而風發,馬之候也。未在申為虎,虎為大人,父之候也。東方當有馬吏至,恐父哭子。明日膠東吏到,其子果亡。

管輅は典農校尉の王宏直の官署の裏に在りて、一陣の旋風が申の方位より刮り來るあり。彼が占断して言うには:今日の日辰は乙卯で、斗建は申に在り、申は寅を冲破す。これは死喪の徵候である。風は午時に刮り起こり、午は馬と為る。これは馬の徵候である。未は申の上に落ちて白虎と為り、白虎は大人を主る。これは父輩の徵候である。合せて看れば、東方に当に馬に騎る吏員が前來すべく、恐らくは父親たる者が兒子を哭せんとする。第二天に膠東より來る吏員が到り、王宏直の兒子は果たして死した。

按:此占,原屬風角,然有未在申為虎一言,則仍參之六壬矣。風從申來,故當觀申上之神將。

程樹勳が按ずるに:この占はもともと「風角」の一術に属し、すなわち風向・風聲を聽きて吉凶を占候する。ただその中の「未の申に在るを虎と為す」の一句は、依然として六壬の天将の説を參用した。風はすでに申の方位より刮り來るならば、則ち申位の上に乗ずる所の神と将を看るべく、断法の著眼する處はまさにここに在る。

乙卯日・鄭子云が前程を占う(方本占案・口鑑)

戊申年十月乙卯日卯將辰時鄭子云乙亥生三十四歲占前程。 方本占案、口鑑

戊申年十月の乙卯日、「卯」(太冲)を以て月将と為し、「辰」時の上に加えて課を起こす。占を求むる人は鄭子云で、乙亥年生まれ、この年三十四歳、己が仕途の前程を占問した。この案は方本『占案』と『口鑑』に見ゆ。

勾龍空虎 辰巳午未 蛇朱朱合 財 ◎丑 蛇 合卯 申常 丑寅寅卯 父 ◎子 貴 朱寅 酉玄 寅卯卯乙 父 癸亥 后 丑子亥戌 蛇貴后陰

刻する所の課體は前の一案と相同じ――卯将を辰時に加うるは巳将を午時に加うると、推し出す天地盤はまさに同一個である。外圈:辰は勾陳を乗せ、巳は青竜を乗せ、午は天空を乗せ、未は白虎を乗せ、申は太常を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は天后を乗せ、子は貴人を乗せ、丑は螣蛇を乗せ、寅は朱雀を乗せ、卯は六合を乗せる。四課は右より左へ:日干の乙の上に卯を見、卯は六合を乗せる。卯の上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。日支の卯の上に寅を見、寅は朱雀を乗せる。寅の上に丑を見、丑は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の丑は妻財爻にして螣蛇を乘せしかも旬空に值り、中伝の子は父母爻にして貴人を乘せ同じく旬空、末伝の癸亥は父母爻にして天后を乘せる。乙木の禄はまさに卯に在り、しかも卯はすでに日干の上に在り、また本日の日支なり。これは下文の断語が説を立つるの根基である。

邵彥和曰:此課主來年再舉,亥年及第高甲,迤邐在朝,更不外任,直至八座位了,卻貶降終不得地,無正宅而居。鄭子云二十九歲發解,三十五又發解,三十七登第,初任臨安教授,歷太學秘書郎司業、工刑二部,皆京官,因與秦檜一言不合而罷。

邵彦和が言うには:この課は彼が明年に還って再び一たび擧に應じ、亥年に至ってやっと第に登り、しかも名は高甲に列することを主る。此の後一路に朝中に任職し、外に放たれず、直に八座(尚書一級)の位子に至るまで做るも、末了に却って貶降に遭い、終竟實地を得ず、一處の正經なる住宅をも有さず。その後鄭子云は二十九歳に鄉試に擧を中し、三十五歳に又一次發解し、三十七歳に進士の第に登った。初任は臨安府教授、歷任して太學祕書郎・司業および工部・刑部の兩部の職を為るも、みな京官である。後來一語を以て秦檜と合わざるがために罷免せられた。

蓋乙祿在卯,迤邐歸亥長生之地,自亥至卯,一帶生旺,地支相連,祿神作太陽,朱雀作儀神,中末若不空,則五府之課,今既迤邐入近天門,故在朝八座也。子為紫微宮,亥為遠穹宮,亦主八座,退入空亡,主晚年謫降矣。

推斷の根據は:乙木の禄神は卯に在り、一路に退歸して亥のこの長生の地に至る。亥より卯に至るまで、一帯みな生旺の氣で、地支はまた相連なって断えず。禄神はまさに太陽の臨む所で、朱雀はまた儀仗の神と作す。中伝末伝もし空に落ちざれば、これはもと「五府」の貴格。今それは一路に退いて天門に臨近の位置に至るので、彼が朝中に於いて八座の官に至るまで做るを断ず。子は紫微宮で、亥は遠穹宮で、もみな八座の位を主る。ただ惜しむべくは退進して空亡の裏に去った――ゆえに彼の晚年に貶降に遭うを主る。

乙卯日・三義閣の棹面の響裂するを占めて何事に應ずるか(郭氏占案)

己巳年辰月乙卯日酉將未時在三義閣棹面忽響裂占應何事。 郭氏占案

己巳年辰月の乙卯日、「酉」(従魁)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起こす。当時人は三義閣の中に在り、桌面に忽然として一聲響き、裂け開いたので、因りてこの異兆が何の事に應ずるべきかを占問した。この案は郭氏『占案』から出る。

龍勾合朱 未申酉戌 龍虎勾空 鬼 庚申 勾 空午 亥蛇 未巳申午 財 壬戌 朱 虎巳 子貴 巳卯午乙 父 ◎子 貴 辰卯寅丑 常玄陰后

展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:未は青竜を乗せ、申は勾陳を乗せ、酉は六合を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は螣蛇を乗せ、子は貴人を乗せ、丑は天后を乗せ、寅は太陰を乗せ、卯は玄武を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は白虎を乗せ、午は天空を乗せる――未時は昼に属し、乙日は昼貴を用い、貴人は子の上に落ち、天将はこれにより逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰に在る)の上に午を見、午は天空を乗せる。第二課、午の上に申を見、申は勾陳を乗せる。第三課、日支の卯の上に巳を見、巳は白虎を乗せる。第四課、巳の上に未を見、未は青竜を乗せる。三伝:初伝の庚申は官鬼爻と為り、勾陳を乗せる。中伝の壬戌は妻財爻と為り、朱雀を乗せる。末伝の子は父母爻と為り、貴人を乗せ、「◎」は子が甲寅旬の中にまさに旬空に落ちるを表示す。

王牧夫曰:初德末貴,不是凶咎。當主有官人過,恐有火徵,少頃,左衛街南失火,運司出署救火,已驗。蓋申為官為風憲與支作合,主門外見也。干支皆火神,干乘火鬼,故主火。次日,僧人斗打,亦以申為僧,末見子與支成無禮刑,三傳知三事,已應二事。亦當測之,中傳火墓,支干皆火,亦主火也,初傳劫殺,事主迅速。

王牧夫が言うには:初伝の上に月徳を見、末伝の上に貴人を見るは、この一聲の響裂は凶咎ではなく、当に官員の經過するあるを主るべく、恐らくはなお火警の兆を帯ばん。一會を過ぐると、左衛街の南邊で火を失し、運司の衙門が署を出して火を救い、すでに應驗した。その中の道理は:申はすでに官人を主り、また風憲の職を主り、申は日支と相合するので、門外に見ると断ずる。日干日支の両邊はみな火神に属し、日干の上にまた火鬼を乘ずるので、火を主る。第二天に僧人が打架したも、また申を取りて僧と為す。末伝の子は日支の卯と無禮の刑を構成す。三伝はもともと三桩の事を預知し得、今兩桩に應じ、残る一桩もまたこの路數に照らして測るべし。中伝の戌は火の墓庫で、干支はまたみな火に属し、同じく火を主る。初伝の申は劫殺と為り、事情の來る迅急を主る。

乙卯日・捕捉を占う(直指)

正月乙卯日亥將申時占捕捉。 直指

正月の乙卯日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「申」時の上に加えて課を起こし、占うは賊人を捉え得るか否かである。この案は『六壬直指』から出る。

勾合朱蛇 申酉戌亥 合空朱龍 鬼 辛酉 合 龍未 子貴 酉午戌未 父 ◎子 貴 空午 丑后 午卯未乙 兄 乙卯 玄 巳辰卯寅 虎常玄陰

展平したる課體の圖。外圈は十二支の乗ずる所の天将:申は勾陳を乗せ、酉は六合を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は螣蛇を乗せ、子は貴人を乗せ、丑は天后を乗せ、寅は太陰を乗せ、卯は玄武を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は白虎を乗せ、午は天空を乗せ、未は青竜を乗せる――申時は依然として昼に属し、乙日は昼貴を用い、貴人は子の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右より左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰に在る)の上に未を見、未は青竜を乗せる。第二課、未の上に戌を見、戌は朱雀を乗せる。第三課、日支の卯の上に午を見、午は天空を乗せる。第四課、午の上に酉を見、酉は六合を乗せる。三伝:初伝の辛酉は官鬼爻と為り、六合を乗せる。中伝の子は父母爻と為り、貴人を乗せ、「◎」は旬空を表示す。末伝の乙卯は兄弟爻と為り、玄武を乗せる。玄武はまさに盗賊の神で、それが末伝の卯の上に落ちるは、この課が賊を断ずるの著眼處である。

邵彥和曰:卯為玄武,上見午。賊自正東轉正南。卯六午九,此去五十四里。卯主樹木墳塋,稈上天空主藏窯穴中,中傳子克午,初傳酉克卯,必主擒獲。遇酉子日,即其期也。果驗。

邵彦和が言うには:卯の上に玄武を乘せ、卯の上神は午なので、賊は正東方より正南方に轉じて往った。卯の數は六、午の數は九で、六九の相乘、ここを離る五十四里。卯は樹木と墳塋を主り、その上にまた天空を乘ずるは、彼が身を窯洞土穴の中に蔵るを主る。中伝の子水が來りて午火を克し、初伝の酉金が來りて卯木を克すれば、賊は必ず擒獲せられる。應期は則ち酉日・子日に遇う時に在る。その後果たして應驗した。

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