Libo

辛卯日午将の寅時に宗開先が笠場の事を占う(指南)

清 · 程树勋 · 第25巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

崇正癸酉年七月辛卯日揚州明經宗開先同張向之來占笠場事,報寅時,以午將加寅。(指南)

崇禎癸酉年七月の辛卯日、揚州の明経の宗開先が張向之と同じくして前来り笠場の事を占った——下文の陳氏の断ずる所に由って知れば、問う所は実は科場に中式するや否やである。来人の報じたは寅時で、ここにおいて午将を寅の上に加えて課を起した。「明経」は貢生の別称で、「崇正」はすなわち明の崇禎の年号で、清人の刊本は諱を避けて字を改めた。本条は『六壬指南』より採り、陳公献の占う所である。

勾龍 六酉戌亥子空 龍蛇貴常 父乙未蛇 朱申 丑白 亥未午寅 子丁亥龍 蛇未 寅常 未卯寅辛 財辛卯玄 貴午巳辰卯玄 后陰

上排は「酉戌亥子」:六合が酉を乗せ、勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、「勾竜」の二字は戌亥の上に標す。左辺は朱雀が申を乗せ、螣蛇が未を乗せ、貴人が午を乗せる。右辺は白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せる。下排の巳・辰の两位は天后・太陰を配し、卯上は玄武を乗せる。貴人が午を乗せて十二将が順行する。午将の寅時に加わるは、天盤が地盤より四位進む。四課は右から左へ:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に寅を得るは第一課。寅上に午を得るは第二課。日支の卯上に未を得るは第三課。未上に亥を得るは第四課。四つの上神の寅・午・未・亥は順に太常・貴人・螣蛇・青竜を乗せる。三伝は初伝の未は父母爻で、遁干で乙を得、螣蛇を乗せ、未は辛卯日にまさに旬空に当たる。中伝の亥は子孫爻で、青竜を乗せる。末伝の卯は妻財爻で、玄武を乗せる。

陳公獻曰:即今中矣。曰:何以報一時即知其中。蓋因先鋒為幕貴(雖寅時,用晝貴,故寅時為幕貴),且臨日上。(寅加戌)月將官貴又加寅命(蓋命在寅,午為月將,乘貴神加之),是以必中無疑。然發用未作旬空,必俟未年太歲填實,方中甲榜。

陳公献が言う:この一科はすなわち中った。ある人が問う:どうして単に一つの時辰を報じ出すに凭って、彼が中ることを知れたのか。彼が言う:これは先鋒の一門が得たのは帘幕貴人だからである——報じたのは寅時であるけれども、この課は昼貴を取り、昼貴は午にあるので、寅はすなわち帘幕貴人の在る位となり——そしてそれはまた正に日干の頭上に臨む。すなわち寅は辛の寄する戌の上に加わる。さらに月将の午は貴神を乗せ、本命の寅上に加わる。すなわちこの人の本命は寅に在り、午は本課の用いる月将で、貴人を帯びてその上に加臨する。だから必ず中ること疑いなし。ただ発用の未の字は旬空に落ち、未年の太歳がそれを填実するを須ち待って、始めて甲榜に中り得る。

辛卯日寅時に角音の人が家宅を占う(一針見血)

元祐六年辛未九月辛卯日角音人戊子生四十四歲占家宅得寅時。(一針見血、玉連環末卷)

北宋の元祐六年辛未九月の辛卯日、一人の「角音」の人が家宅を占いに来り、報じたは寅時である。この人は戊子年生まれ、時年四十四歳。古人は納音の五音に按って姓氏を分配し、角は木に属するので、彼を「角音人」と称す。この類の人の宅神は卯位に落ち、下文で課を断ずるに便ちこの一条を用いた。本条は『一針見血』と『玉連環』の末巻に同じく見える。

龍勾合朱 酉戌亥子 合虎常貴 父 ◎未 虎 空申 丑蛇 亥未午寅 子 丁亥 合 虎未 寅貴 未卯寅辛 財 辛卯 后 午巳辰卯 常玄陰后

天盤の上排は「酉戌亥子」に「竜勾合朱」を配し、青竜が酉を乗せ、勾陳が戌を乗せ、六合が亥を乗せ、朱雀が子を乗せる。左辺は天空が申を乗せ、白虎が未を乗せる。右辺は螣蛇が丑を乗せ、貴人が寅を乗せる。下排は「午巳辰卯」に「常玄陰后」を配し、太常が午を乗せ、玄武が巳を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が卯を乗せる。貴人が寅を乗せて十二将が逆行するは、寅時は夜に属し、夜貴を用いる。四課は前の例と同じく「未卯寅辛」と作して「亥未午寅」に配す:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に寅を得、寅上に午を得、日支の卯上に未を得、未上に亥を得る。四つの上神の寅・午・未・亥は順に貴人・太常・白虎・六合を乗せる。三伝は初伝の未は父母爻で、白虎を乗せ、「◎」を加えてそれが旬空に落つるを標明す。中伝の亥は子孫爻で、六合を乗せる。末伝の卯は妻財爻で、天后を乗せる。三伝の亥・卯・未は三合して木局を成す、「曲直」の課である。

劉日新曰:君家修造宅舍,不依方所,誤用日時,不知禁忌,故怪異駢集,頻有喪服哭泣之事,留滯月日。占人曰:實有此災怪喪病久矣,願求禳治之法。劉曰:必犯六神黑道,今已日月滋久,不須禳謝,只是君家井而相近,又廁畔有桃樹,葉落廁中,幫有此災怪,君當去此桃樹,移廁遠井,則災怪自消矣。

劉日新が言う:あなたの家は房舍を修造するに、方位の宜する所に按らず、また日辰・時辰を誤用して、避忌を解さないので、怪異が接続して来り、屡々孝を穿ち哭くの丧事があり、しかも拖延して日久しく了結し得ない。占を求める人が言う:確かにこれらの災怪と丧病があり、すでに久しい。願わくば一つの禳解の法子を求めん。劉日新が言う:これは必ず六神の黒道を触犯したのである。今や日子はすでに久しく、さらに禳謝を作すを須いない。ただあなたの家の井と厠との相隔たるが近すぎる——此の句の底本に脱字あり——厠の傍にまた一株の桃樹があり、桃葉が厠の中に落ち込む。だからこれらの災怪を生出したのである。あなたはただこの桃樹を去り、厠所を移して井より遠くせよ。災怪は自然に消えよう。

議曰:未加卯為用,上得白虎,其卯是久居之宅。又卯為門戶,兼角音之宅神在卯。中傳有丁神,乘六合,加太歲之上,行年上又是丑乘騰蛇,故云宅中有怪異。末傳天后乘卯加亥,亥為雙魚宮,即為陰怪。九月飛魂喪魄,同居未上乘白虎,故有喪病哭泣之事。九月以寅為月厭,以戌為天目,寅臨戌上乃是月厭加於天目也,所以怪異留滯月日。法以亥為廁,未為井,今相加為近,寅為桃,卯為樹,課得曲直屬木,木至秋則葉落,又六合加井廁上,雲桃葉落在井廁之中也。

議論に言う:三伝は未を以て卯の上に加わりて発用し、未上は白虎を乗せ、あの卯はまさに彼が久しく住む宅である。卯はまた門戸を主り、加えるに角音の人の宅神はもともと卯に在る。中伝の亥は丁神で、六合を乗せ、太歳の未の上に加わる。彼の行年上はまた丑が螣蛇を乗せる。だから宅中に怪異ありと言う。末伝は天后が卯を乗せて亥の上に加わる。亥は双魚の宮で、陰に属し、まさに陰邪の怪である。九月の飛魂・丧魄の両煞は同じく未の上に落ち、未上はまた白虎を乗せる。だから丧病・哭泣の事あり。九月は寅を以て月厭と為し、戌を以て天目と為す。寅は戌の上に臨み、すなわち月厭の天目に加わるので、怪異は月日を拖延して散ぜず。法に按って亥を以て厠と為し、未を以て井と為す。今、未は亥の上に加わるは井厠の相近し。寅は桃と為し、卯は樹と為し、課は曲直の木局を成し、木は秋に到れば便ち葉を落とす。また六合は井厠の上に加わる。だから桃葉が井厠の中に落ちると言う。

辛卯日子将の未時に葉助教が家宅を占う(方本占案)

戊申年正月辛卯日子將未時葉助教戊午生(生於二月十三日寅時)五十一歲占家宅。(方本占案、捷要、口鑑)

戊申年正月の辛卯日、子将を用いて未時に加えて課を起した。占を求めた人の葉助教は戊午年生まれで、二月十三日寅時の生人、時年五十一歳、家宅を占いに来た。「助教」は国子監の中の学官である。本条は『方本占案』『捷要』『口鑑』の三書に同じく見える。

龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 虎朱朱玄 財辛卯玄 朱申 卯玄 丑申申卯 兄甲申朱 蛇未午巳辰陰 申卯卯辛 父己丑虎 貴後

上排は「戌亥子丑」:勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、「竜空」の二字は亥子の上に標す。左辺は六合が酉を乗せ、朱雀が申を乗せ、螣蛇が未を乗せる。右辺は太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せる。下排の午・巳の两位は貴人・天后を配し、辰上は太陰を乗せる。貴人が午を乗せて十二将が順行し、未時は昼に属し、昼貴を用いる。子将の未時に加わるは、天盤が地盤より五位進む。四課は右から左へ:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に卯を得るは第一課。卯上に申を得るは第二課。日支の卯上に申を得るは第三課。申上に丑を得るは第四課。四つの上神の卯・申・申・丑は順に玄武・朱雀・朱雀・白虎を乗せる。三伝は初伝の卯は妻財爻で、玄武を乗せる。中伝の申は兄弟爻で、遁干で甲を得、朱雀を乗せる。末伝の丑は父母爻で、遁干で己を得、白虎を乗せ、そして丑はまさに辛日の墓神である。

邵彥和曰:此課支來就干為干所制,名曰贅婿。太歲入宅克宅,宅來就人又被人克,六年中家破屋拆,遂成墓地,必葬尊長在內。六年之前,四分五裂,門戶分張,主外姓或還俗僧人入撓,遂家破矣。

邵彦和が言う:この課は日支の神が走って来て日干に就き、かえって日干に制せられる。「贅婿」課と名づく。太歳は宅位の上に入って来て宅を克し、宅はまた走って来て人に就き、また人に克せられる。これに拠って断ずる:六年の内に家破・屋を拆き、あの土地はついに墓地に変じ、必ず尊長がその裏に葬られる。六年に至らずして、家中はすなわち四分五裂して門戸が分張し、また外姓の人あるいは還俗の僧侶が入って来て攪擾することを主り、ここにおいてこの一家は便ち破れる。

蓋末傳丑為辛日之墓神,臨太歲上,太歲為其所墓,遂來宅上而克宅,宅被克,走回日上,又為日所克,宅既不留,屋何存立?又自身上發傳入宅,又逢太歲來加,又太歲上見今日之墓神丑,丑土生申金,是申金之尊長,庚辛墓於丑,是尊長葬埋之處。卯數六,故不出六年。申為僧,辛與申同類,還俗僧也。或乙酉見辛卯,或辛酉見乙酉,皆係還俗僧。乙為沙門,辛為僧舍也。卯上見元武,故主門戶分張。

もとより末伝の丑は辛日の墓神で、それは太歳の申上に臨み、太歳はそれに墓せられ、ここにおいて転じて来て宅位上で宅を克する。宅は克を受けて、また走って日干上に帰り、再び日干に克せられる。宅はすでに留めえず、房屋はどうしてなお立ち得よう。さらに自身の上より三伝を発して出て宅に入り、宅上にさらに太歳の加臨に逢い、太歳上にまた本日の墓神の丑を見る。丑土は申金を生じ得るので、申金の尊長である。庚辛の金はまた正しく丑に墓す。これがすなわち尊長の葬埋する処所である。卯の数は六なので、六年を出ないと断じた。申は僧侶を主り、辛と申は同じく金類に属するので、すなわち還俗の僧侶である。あるいは乙酉が辛卯を見、あるいは辛酉が乙酉を見、みな還俗僧の象に属する。乙は沙門と為し、辛は僧舎と為す。卯上に玄武を見るので、門戸が分張することを主る。

後癸丑年其叔死,遂殯於內。叔有三子,一子為僧,還族歸分家產,助教不肯,經官斷定作諸子分家,與叔共五子,作六分分矣,助教止得一分。戊申至癸丑乃六年,若不是太歲入宅克宅,又不可如此斷。當年又死一男一女,乃太歲克宅故也。其經官者,亦太歲入宅克宅也。卯為沙門,申為僧之申與辛同類,今從外退回宅上,是僧還俗也。乙亦沙門,辛為僧舍,申,辛之兄也。

後に癸丑年に到り、彼の叔父が世を去り、すなわちこの地の裏に殯葬された。叔父に三人の息子があり、その中の一人は出家して僧侶と為ったが、如今は還俗して宗に帰り、帰り来て家産を分けようとする。葉助教は肯んじず、官府に鬧い、官が断じて諸子に按り家を分ける:叔父のこの一房を連ねて合わせて共に五人の息子があり、家産は六份に分かれ、葉助教はただ一份を得たのみ。戊申より癸丑に至るはまさに六年。もし太歳が宅に入り宅を克するのでなければ、こうは断じえなかった。あの年、家中にまた一男一女が死んだが、これもまた太歳が宅を克する所以である。官府に鬧ぐに至ったのも、同じく太歳が宅に入り宅を克するが致す所である。卯は沙門を主り、申は僧侶を主り、申と辛は同類である。今、外より退いて宅上に帰るは、まさに僧侶が還俗する象である。乙もまた沙門を主り、辛は僧舎と為し、申はすなわち辛の兄輩である。

辛卯日酉将の辰時に僧侶が失せた度牒を占う(方本占案)

三月辛卯日酉將辰時僧人占失度牒。(方本占案、張本占案)

三月の辛卯日、酉将を用いて辰時に加えて課を起し、一人の僧侶が失った度牒を占った。度牒は官府が僧道に発給する憑証で、それに憑って初めて剃度・出家し得て、賦役を免除される。一旦遺失すれば極めて要緊な事である。本条は『方本占案』と『張本占案』に同じく見える。

龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 虎朱朱玄 財辛卯玄 朱申 卯玄 丑申申卯 兄甲申朱 蛇未午巳辰陰 申卯卯辛 父己丑虎 貴後

課体は前の一例と同じ。酉将の辰時に加わるは、天盤が同じく地盤より五位進む:勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せる。四課は辛が戌に寄り、戌上に卯を得、卯上に申を得、日支の卯上に申を得、申上に丑を得る。三伝は初伝の卯は妻財爻で玄武を乗せ、中伝の申は兄弟爻で朱雀を乗せ、末伝の丑は父母爻で白虎を乗せる。失物を占う時、朱雀は文書憑証の類神で、玄武は盗を主る凶将である。この課は両者ともに見える。まさに下文の断語の着眼処である。

邵彥和曰:被親偷去,火焚了,其人腳跛,手指缺。蓋度牒以朱雀為類神,申為僧人,而元武乘卯合辛,故為親人,辛克卯,故卯遂偷去。知乃是外弟偷去,手足有疾不謬。

邵彦和が言う:度牒は親戚に偸去られ、すでに火を用いて焼き掉てられた。偸ったあの人は脚が跛み、手指はまた殘欠がある。度牒は朱雀を以て類神とし、申は僧侶を主る。すなわち失主の自分である。玄武は卯を乗せ、卯は辛日の寄する戌と相合するので、親人と断じた。辛金が卯木を克するので、卯はすなわち物を偸み去った。これに由って表弟が偸んだと知れ、彼の手脚に毛病あると言うも言い誤らなかった。

辛卯日亥将の辰時に張縉彦が功名を占う(郭氏占案)

崇正戊寅年卯建辛卯日亥將辰時新卿張坦公縉彥占功名。(郭氏占案)

崇禎戊寅年二月(月建は卯にある)の辛卯日、亥将を用いて辰時に加えて課を起した。新たに卿職に升任した張坦公——名は縉彦、坦公は彼の号——が功名を占いに来た。「崇正」はすなわち崇禎で、清人の刊本の避諱の写法である。本条は『郭氏占案』より採る。

空虎常玄 子丑寅卯 后勾空后 父 丙戌 勾 龍亥 辰陰 巳戌子巳 鬼 癸巳 后 勾戌 巳后 戌卯巳辛 子 戊子 空 酉申未午 合朱蛇貴

天盤の上排は「子丑寅卯」に「空虎常玄」を配し、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せる。左辺は青竜が亥を乗せ、勾陳が戌を乗せる。右辺は太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せる。下排は「酉申未午」に「合朱蛇貴」を配し、六合が酉を乗せ、朱雀が申を乗せ、螣蛇が未を乗せ、貴人が午を乗せる。貴人が午を乗せて十二将が順行し、辰時は昼に属し、昼貴を用いる。亥将の辰時に加わるは、天盤が地盤より七位進む。四課は右から左へ:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に巳を得るは第一課。巳上に子を得るは第二課。日支の卯上に戌を得るは第三課。戌上に巳を得るは第四課。四つの上神の巳・子・戌・巳は順に天后・天空・勾陳・天后を乗せる。三伝は初伝の戌は父母爻で、遁干で丙を得、勾陳を乗せる。中伝の巳は官鬼爻で、遁干で癸を得、天后を乗せる。末伝の子は子孫爻で、遁干で戊を得、天空を乗せる。辛卯日は午・未が空亡するので、貴人を乗せた午は旬空の神である。そして地盤の亥位は天門で、その上に正にこの貴人を乗せた午を得る。すなわち下文の言う所の「貴登天門」である。

郭御青曰:本命上貴登天門,行年上青龍乘月將,斷斷乎青華一席矣。張公謙讓不自信,後有民部之轉。餘細詳課體,只嫌貴午旬空,然年上月將作青龍上吉,極難得之課,豈終空乎?至四月,聞有通選之命。餘大喜曰:若至五月,午字填實,坦公翰院無疑。其後果應如響。

郭御青が言う:彼の本命上はまさに「貴登天門」——地盤の亥位は天門で、その上に貴人を乗せた午を得る。行年上はまた青竜が月将の亥を乗せる。この二条に凭って、彼が必ず翰苑の清華の一席を得ると断じた。張公は謙譲して、自分では信じなかったが、後に倒れ転じて戸部に到った。私は課体を細かく看て、嫌う所はただ貴人を乗せた午が旬空に落ちるのみ。しかし行年上に月将が青竜を作すは、上々の吉で、このように得難い課が、いずくんぞついに空に落ちよう。四月に到り、朝廷に通選の命令あるを聞いて、私は大いに歓喜して言った:五月に到りさえすれば、午の字が填実して、坦公が翰林院に進むは疑問なし。後に果たして応験すること響の如し。

奇哉,餘於壬數,習之已久,不意其神妙包藏至此。從來考選無此曠典。方為真貴登天門,必至五月而成者,午字填實方得天門有貴,不然其貴沿虛也。初傳戌作天喜,帶勾陳,即稽留遲滯之象,至五月與太歲寅字三合,乃成官星,余初斷亦不知此神妙也。

まことに奇なり。私が六壬を学んで久しいのに、それが神妙なること竟にここまで包蔵していると思わなかった。歴来の考選にかつてこのような曠世の恩典がなかった。これぞまさに真の「貴登天門」と算えられる。この事は必ず五月に至って初めて成るのは、午の字が填実するを待つべく、天門上の貴人が始めて実処に落ちるからで、さもなければあの貴人はただ虚しく懸かっているのみ。初伝の戌は天喜の神であるけれども、勾陳を帯びる。まさに稽留・遅滞の象である。五月に到って太歳の寅の字と会して三合を成し、始めて転じて官星と為る。私が当初課を断じた時も、なおこの一層の神妙を知らなかった。

愚按:三傳回環,官星臨干,亦吉,不但貴登天門,加命,月將乘青龍加年而已也。五月官星旺,故應。

程樹勲が按ずる:この課は三伝の首尾が回環し、官鬼星はまた日干の上に臨む。本身すでに吉象で、ただ「貴登天門」が本命に加臨し、月将が青竜を乗せて行年に加臨するのこの二条の好处のみではない。五月に到って火が旺しく、官星は令を得るので、あの時に応ずる。

辛卯日丑将の巳時に葉八郎が行医を占う(捷要)

戊申年十二月辛卯日丑將巳時葉八郎癸亥生四十六歲占行醫。(捷要、口鑑)

戊申年十二月の辛卯日、丑将を用いて巳時に加えて課を起した。占を求めた人の葉八郎は癸亥年生まれ、時年四十六歳、行医のこの一門の生計を占いに来た。本条は『捷要』と『口鑑』に同じく見え、課盤と断語は下に見る。

辛卯日葉八郎が行医を占う(捷要・口鑑)

陳六 龍丑寅卯辰朱 空子 巳蛇 后虎陳貴 父 空未 后 虎亥 午貴 未亥寅午 財 辛卯 六 常戌酉申未后 亥卯午辛 子 丁亥 虎 玄陰

これは円盤を展けて平らに書き成した課体図である。外圈は十二地支の各々の乗ずる天将:丑は青竜を乗せ、寅は勾陳を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は朱雀を乗せ、巳は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、未は天后を乗せ、申は太陰を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は白虎を乗せ、子は天空を乗せる——貴人が午の上に落ち、十二天将はこれに由って逆行して排布す。中間の一欄は四課で、右から左へ数る:第一課、日干の辛(寄宮は戌にあり)上に午を見、午は貴人を乗せる。第二課、午上に寅を見、寅は勾陳を乗せる。第三課、日支の卯上に亥を見、亥は白虎を乗せる。第四課、亥上に未を見、未は天后を乗せる。右辺の一欄は三伝:初伝の未は父母爻で、天后を乗せ、「空」の字はそれが旬空に落つるを表す。中伝の辛卯は妻財爻で、六合を乗せる。末伝の丁亥は子孫爻で、白虎を乗せる。辛卯日は甲申旬に属し、旬空はまさに午・未の两位に在る。三伝の亥・卯・未は凑り合して三合の木局を成し、木は辛金の財なので、下文に「満盤ことごとく財」と言う。

邵彥和曰:金日得木,滿盤皆財,不合午來化許多敗氣,木又死於午,作貴人偏不利醫貴人,卻有天醫在中傳,地醫在末傳,能制午火,貴人管事,是臨危之病,方來相請。有一婦人害反胃者,醫肝不醫胃;有一小兒中風氣者,通水臟不得治風,依此行人,可以取效也。汝屋上不合著一獸頭東立,人家亦有一獸頭相觸百達人,故財不入耳。葉八郎醫道不甚興,治小兒有效,才治大家便不效,其先人因對面有破山頭,遂以獸頭屋上鎮之,西北之家亦然。在葉氏屋前對沖。

邵彦和が言う:辛金の日干は三伝の木局を得て、満盤はみな財爻であるのに、偏に巧まず午火が跑って来てこれらの財を化して一片の敗気と為した——木は十二長生の裏で正しく午に「死」する。午上にまた貴人を乗せるは、これはかえって彼が貴人の一流の人物のために病を看るに利あらざらしむ。好在、天医は中伝に落ち、地医は末伝に落ち、午火を制し得て、加えるに貴人が当値して主事するので、来て彼を請うはみな病が危急の関頭に到った人である。譬えばある婦人が反胃に患う(食べ下せばすなわち吐く)は、彼女の肝を治して胃を治しないことを要す。ある小児が風気に中るは、水臓を疏通し小便を通利せねばならず、風を治しに往ってはならない。この路数に照らして行医すれば、すなわち効を見ることができる。あなたの家の屋上に偏に一つの朝東の獣頭が立ち、対面の人家にもまた一つの獣頭があってそれと相冲・相対する(「相触百達人」の一句は文義が費解で、刻誤あるを疑う)。だから銭財が門に入れない。葉八郎の行医は一向に甚だ興旺せず、小児を治すにはなお効験があるが、一たび大戸人家を治せばすなわち霊でない。彼の先人は対面に一座の破碎の山頭あるに因り、すなわち屋上に獣頭を安じてそれを鎮め、西北のあの戸人家もまた同様の做法で、正しく葉家の屋前に対して相冲する。

蓋以白虎立亥在卯之上,是本家屋上之獸頭也。亥本宮上見未,有夜之白虎,是西北鄰家之獸頭也。葉因先生之言,而去之,次年正月初七日,楊七小娘子患翻胃,前請數十醫,經年不效,是日請葉治之,葉思先生之言,遂調治肝經即效,得錢二十餘緡。至三月十八日,徐參議之孫六歲,中風四五日瞑目不動,來請。葉又思先生之言,遂以瀉藥利其水臟,六七日能行,脫然無虞。

獣頭を断出した根拠は:白虎が亥を乗せて日支の卯の上に加わる(第三課)。これがすなわち彼の自家の屋上のあの獣頭である。そして亥の本宮の位上にまた未を見(第四課)、夜占の白虎はここに在り、これがすなわち西北の隣家の獣頭である。葉八郎は邵先生の話を聞いて、獣頭を拆掉した。第二年の正月初七、楊家の七小娘子が反胃に患い、先前に幾十位の大夫を請うても、一年効なく、この日葉を請じて看に往かせた。葉は先生の話を想起し、すなわち肝経に照らして調治し、立刻に効を見、診金二十余緡を得た。三月十八日に到り、徐参議の孫は六歳で、中風して四五日、眼を閉じて一動せず、来て葉を請うて往かせた。葉はまた先生の話を想起し、すなわち瀉薬を用いて彼の水臓を疏利し、六七日で子どもは便ち走動し得て、完全に険を脱した。

又獲錢三百餘緡,自此醫道大行,遂緣天后在未來加亥,卯來克未,未遂克亥,故主反胃,先因卯克之,卯屬肝經,所以當治肝也。亥為幼子,亥水生木不成局,則生風。叵導水使行,則風自息矣。未為亥胃覆生在下,故翻胃。一作覆在卯下,故主反胃。愛函按:未加亥並非受生,則覆在卯下為是。三傳木局,木克土,故治肝木而不治胃土。辛日亥為幼子,加卯六數,是六歲。亥水生木,木主風,故理水臟而不治風木也。白虎在亥,通之為佳,故宜瀉也。

この一回にまた三百余緡の銭を得て、これに従い彼の医道は大いに通行した。その中の道理は:天后が未を乗せて亥の上に加わり、卯はまた来て未を克し、未は転頭して来て亥を克する。だから反胃の症を主る。そして禍根は先に卯の克に在り、卯は肝経に属するので、当に肝を治すべし。亥は幼小の息子を代表し、亥水は木を生ずるけれども局を結び成さないので、すなわち風を生ぜんとする。ただ水気の流通を引き導けば、風は自然に平息する。未は亥の胃で、翻覆して下に生ずるので、翻胃と名づく——もう一つの説は卯の下に覆すと言い、だから反胃を主る。愛函が按ずる:未が亥の上に加わるは生を受けるではなく、これによって「卯下に覆す」の講法が初めて対であることが見える。三伝は木局を成し、木は土を克するので、肝木を治して胃土を治しない。辛日は亥を以て幼子と為し、亥は卯の上に加わり、卯の数は六なので、あの子が六歳と断じた。亥水は木を生じ、木は風を主るので、ただ水臓を調理して風木を治しに往かない。白虎は亥に在り、それを通暢せしめるを好しとするので、宜しく瀉法を用いるべし。

年月日時俱以前二辰為天醫,對沖為地醫。日地醫從子起順行十二辰。午剋日,故寅卯為日財,午耗之,亥乘虎自刑又傷午貴。未乘天后為婦人,未又為胃,卯克之,制倒木局,故翻胃。卯為肝,治肝不克胃,六合為小兒。

天医・地医の起法は:太歳・月建・日辰・占時はみなそれの前の第二位の地支を取って「天医」と為し、天医と相対沖するあの一位を「地医」と為す。日上の地医は、すなわち子位より起こり、順行して十二辰を数って往く。本課に就いて言えば:午火は辛金の日干を克し、寅・卯の木はもともと日干の財であるのに、却って午火に耗泄される。亥は白虎を乗せ、亥と亥とは自刑して、また午上の貴人を傷る。未は天后を乗せ、婦人を代表し、未は同時にまた胃を主り、卯が来て未を克し、木局を反覆して圧するので、反胃の病を主る。卯は肝で、肝を治せば胃を傷らずに至る。六合はすなわち小児を代表する。

辛卯日林丈が官訟を占う(口鑑・方本占案)

戊申年七月辛卯日午將戌時林丈丙辰生五十三歲占官訟。 口鑑、方本占案

戊申年七月の辛卯日、「午」(勝光)を以て月将と為し、「戌」時の上に加えて課を起した。来て問うは林丈で、丙辰年生まれ、この年五十三歳、一棟の官司・訴訟を占った。この案は『口鑑』と方本の『占案』に見える。

貴后 蛇丑寅卯辰陰 朱子 巳玄 陳六貴常 父 空未 虎 六亥 午常 未亥寅午 財 辛卯 后 陳戌酉申未虎 亥卯午辛 子 丁亥 六 龍空

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は螣蛇を乗せ、寅は貴人を乗せ、卯は天后を乗せ、辰は太陰を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太常を乗せ、未は白虎を乗せ、申は天空を乗せ、酉は青竜を乗せ、戌は勾陳を乗せ、亥は六合を乗せ、子は朱雀を乗せる——貴人が寅の上に落ち、天将はこれに由って逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に午を見、午は太常を乗せる。第二課、午上に寅を見、寅は貴人を乗せる。第三課、日支の卯上に亥を見、亥は六合を乗せる。第四課、亥上に未を見(この一位の天将は原図に「陳」と書してすなわち勾陳で、外圈・三伝の標す白虎と合わないので、当に刻本の誤りであろう)。三伝:初伝の未は父母爻で白虎を乗せ、未は正に旬空に落つ。中伝の辛卯は妻財爻で天后を乗せる。末伝の丁亥は子孫爻で六合を乗せる。辛卯日は甲申旬に属し、午・未の两位はともに空なので、後文に「午空で刃なし」の説あり。三伝の亥・卯・未はなお三合の木局である。

邵彥和曰:主有服人爭訟,挾起卑幼,遂乃動眾。夜貴加在日貴,宜暗計囑託,庶可。傳財太盛反化鬼,若要此事了,須至貼幼小財物自止。徒爾有眾,不能成事也。林兄弟三人,又叔伯兄弟四人,分產時,諸弟皆小,所分不均,後兄死,嫂與小弟論他不當,叔伯兄弟從之。

邵彦和が言う:この場の官司は孝服を戴く人が出面して争訟することを主り、家中の卑幼の一輩を挾帯して、ここにおいて一大群の人を牽動する。夜貴人は日貴人の位の上に加わるので、私裏に設けて請託・関説するに宜しく、事が初めて転圜の余地あり。三伝の財爻は旺すぎて、かえって化して我を克する官鬼と為る。この事を了結しようと欲せば、幼小の一方に幾らかの財物を貼補せざるをえず、紛争が初めて自ら停下する。相手方は空しく人多く勢い衆しでも、事を成し得ない。後に果たしてこのようであった:林家の親兄弟は三人、別に叔伯の兄弟が四人あり、当年に家産を分けた時、幾人かの弟はみななお小さくて、分け得たが均ならず。後に兄が死に、嫂子が小さい弟と同じく出面して彼の分け得たが当でないと言い、叔伯の兄弟たちもまた附和した。

蓋木局生干上午火,火來剋日,行年上又見寅,日貴午雖是關切,又是鬼。寅木又生鬼,故有事。貼幼子即止者,因宅見亥為幼子,亥水能制午火。然諸木又生於亥,故住與不住,皆由於亥,故必貼幼小方得止也。後果貼幼弟物,諸人皆散。

推断の根拠は:三伝の木局は日干上の午火を生起し、午火は回頭して来て辛金の日干を克する。占を求めた人の行年上にまた寅木を見る。午は辛日の貴人で、本身と関係が密切であるけれども、同時にまた我を克する官鬼である。寅木がさらに往きてこの鬼を生ずるので、だから事端を惹き出した。貼補して幼小に与えればすなわち止められると言う所以は、宅上(日支の一辺)に亥を見て幼子と為し、亥水は午火を制し得るからで、そして三伝の諸木はまたことごとく亥に長生する。事が停まるか否かは、ことごとく亥のこの一位に係るので、必ず幼小の一方に貼補して初めて了結し得る。後に果たして小さい弟に財物を貼えば、衆人もまた散じた。

又論曰:日上太常,是服也。午則婦人,故因嫂而動也。三傳生鬼,動眾之兆。寅加午上,貴人差迭,宜告貴人矣。挾起卑幼,亥水又作六合也。午空無刃,故不必貼婦人。亥能制午,是以貼幼子耳。

さらに一層の議論があって言う:日干上は太常を乗せ、太常は孝服を主るので、孝を戴く人あると断じた。午はまた婦人を代表するので、この場の風波は嫂子に由って挑起された。三伝は官鬼を生出するは、衆人を驚動する徴である。寅は午の上に加わり、両重の貴人が交錯して相加わるので、往きて官長・貴人の処に告し訴えるに宜しい。彼が「卑幼を挾げ起こす」と言うのは、亥水がまた六合を乗せ、六合はまさに卑幼の一輩を主るからである。午は旬空に落ち、羊刃の凶勢がないので、婦人に貼補するを須いない。午を制し得るは亥なので、ただ幼子に貼補すれば便ち足りる。

辛卯日蘇孝廉が会試を占う(郭氏占案)

崇正丁丑年二月二十七辛卯日亥將卯時常熟蘇孝廉祖蔭占會試。 郭氏占案

崇正(すなわち崇禎、本書は諱を避けて改称す)丁丑年二月二十七日辛卯日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は常熟の挙人蘇祖蔭で、この一科の会試に考中し得るかを占った。この案は郭氏の『占案』に出る。

貴后 蛇丑寅卯辰陰 朱子 巳玄 陳六貴常 父 空未 虎 六亥 午常 未亥寅午 財 辛卯 后 陳戌酉申未虎 亥卯午辛 子 丁亥 六 龍空

刻する所の課体は前の一案と全く同じ。外圈:丑は螣蛇を乗せ、寅は貴人を乗せ、卯は天后を乗せ、辰は太陰を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太常を乗せ、未は白虎を乗せ、申は天空を乗せ、酉は青竜を乗せ、戌は勾陳を乗せ、亥は六合を乗せ、子は朱雀を乗せる。四課は右から左へ:日干の辛上に午を見て太常を乗せ、午上に寅を見て貴人を乗せ、日支の卯上に亥を見て六合を乗せ、亥上に未を見(この位の天将は原図に「陳」と作し、外圈および三伝の標す白虎と合わないので、当に刻誤に属す)。三伝:初伝の未は父母爻で白虎を乗せしかも旬空に値い、中伝の辛卯は妻財爻で天后を乗せ、末伝の丁亥は子孫爻で六合を乗せる。下文の郭御青の言う所の「命上太歳」は、丁丑年の太歳の丑を指し、丑上に正に螣蛇を乗せる。

郭御青曰:幕貴覆干並行年,本吉,嫌其剋日又是空亡,馬少,末傳丁神,命上太歲作騰蛇,極為不美。後果未中。

郭御青が言う:帘幕貴人は日干の上に覆壓し、また行年に并臨するは、もともと吉象である。惜しいかなそれはかえって我が日干を克し、しかも旬空に落ち、駅馬はまた少なく、末伝は丁神のこの動揺の神で、本命上の太歳はなお螣蛇を乗せる。種種みな甚だ好く見えない。後に果たして考中しなかった。

辛卯日李四官が失せた銭穀を占う(方本占案)

十月辛卯日寅將巳時李四官占失錢穀。 方本占案

十月裏の辛卯日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「巳」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の李四官は、失った銭と穀子を占った。この案は方本の『占案』に出る。

六朱 陳寅卯辰巳蛇 龍丑 午貴 玄空朱后 子 戊子 空 空子 未后 酉子辰未 父 空未 后 虎亥戌酉申陰 子卯未辛 子 戊子 空 常玄

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:寅は勾陳を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は朱雀を乗せ、巳は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、未は天后を乗せ、申は太陰を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は白虎を乗せ、子は天空を乗せ、丑は青竜を乗せる——貴人が午の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に未を見、未は天后を乗せる。第二課、未上に辰を見、辰は朱雀を乗せる。第三課、日支の卯上に子を見、子は天空を乗せる。第四課、子上に酉を見、酉は玄武を乗せる。四課の上下に一処も相克なきは、「昴星課」に属す。三伝:初伝の戊子は子孫爻で天空を乗せ、中伝の未は父母爻で天后を乗せて旬空に値い、末伝はまた戊子の子孫爻で天空を乗せる。辛卯日は甲申旬に在り、旬空は午・未なので、未の字の上に一つの「空」を標す。

邵彥和曰:辛卯日,三傳不行,單只在支干上,初傳是支上之子,中傳是干上之未,末傳又歸支上子。子未相害,雖喜未能制子,無奈未乃旬空,不能剋制,徒作干上空亡,自合失脫也。未空不能生辛金,而辛金反能生支上子水,為之脫氣,故捉賊不得,但初傳自宅發用,末傳又歸宅上,是賊不出門也。當主本家眷屬為腳耳。後卻知是大兄二兄之子,偷回房中,三日後方攜出使用。李四官失錢穀二物。

邵彦和が言う:辛卯のこの一日は、三伝が外に走り往かず、ただ日干・日支の両処で転ずる——初伝は日支上の子、中伝は日干上の未、末伝はまた日支上の子に帰る。子と未は相害し、もともとなお未土が子水を制し得るを喜ぶべきところ、無奈未は旬空に落ち、制し動かせず、徒らに日干の上に一つの空亡を擺る。これは本身すでに失脱を主るべき。未はすでに空亡なので、辛金を生じ得ず、辛金はかえって往きて日支上の子水を生じて、脱気の象を成す。だから賊は捉えられない。ただ初伝は宅上より発用し、末伝はまた宅上に帰すので、賊は門を出ていないことを説明し、当に自家の眷属の為す内応であろう。後に果たして査り出したは大哥・二哥の息子が偸み去って房裏に蔵め、三日を過ぎてやっと取り出して花用した。李四官のこの回に失ったは銭と穀の両様の物であった。

大凡占賊,日傳歸日,辰傳歸辰,皆不是外人,況辛卯日,三傳皆在干支上耶。若末傳出去,庶可向外尋耳。占人行年又在卯上,乃家賊無疑耳。

大凡盗難を占うに、日干より発した三伝がまた日干に帰し、日支より発したがまた日支に帰すは、いずれも外人の為す所でない。まして辛卯のこの課は、三伝がことごとく日干と日支の两位の上に落つ。たとい末伝が走り出て行かばこそ、外面に向かって尋ね覓むべし。占者の行年はまた正に卯(日支)の上に落つるは、家賊であること疑いなし。

辛卯日張一公が公文がいずれの日に到るかを占う(方本占案)

二月辛卯日亥將寅時張一公占州中相論文字何日到? 方本占案

二月裏の辛卯日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の張一公は、州衙の裏で議定したあの公文がいずれの日に送り到えるかを問うた。この案は方本の『占案』に出る。

後陰 貴寅卯辰巳玄 蛇丑 午常 龍朱陰虎 子 戊子 朱 朱子 未虎 酉子辰未 父 空未 虎 六亥戌酉申空 子卯未辛 子 戊子 朱 陳龍

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:寅は貴人を乗せ、卯は天后を乗せ、辰は太陰を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太常を乗せ、未は白虎を乗せ、申は天空を乗せ、酉は青竜を乗せ、戌は勾陳を乗せ、亥は六合を乗せ、子は朱雀を乗せ、丑は螣蛇を乗せる——貴人が寅の上に落ち、天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の辛(戌に寄す)上に未を見、未は白虎を乗せる。第二課、未上に辰を見、辰は太陰を乗せる。第三課、日支の卯上に子を見、子は朱雀を乗せる。第四課、子上に酉を見、酉は青竜を乗せる。四課の上下に克なきは、なお昴星課である。三伝:初伝の戊子は子孫爻で朱雀を乗せ、中伝の未は父母爻で白虎を乗せて旬空に値い、末伝はまた戊子の子孫爻で朱雀を乗せる。子上に朱雀を乗せてまた日支の卯に臨むは、まさに下文で「文書立ち至る」と断ずる根拠である。

邵彥和曰:文字今日必來,果應。蓋昴星課,卯日子加卯,朱雀臨門,主文字立至。又子卯相刑,主其來緊速也。又三傳俱在日辰之上,自主日下必然到也。果然。

邵彦和が言う:あの公文は今日必ず到る——後に果たして応験した。これは昴星課で、卯日にして子が卯の上に加わり、朱雀は正に門戸(日支)の位に臨む。文書が立刻に到るを主る。子と卯はまた相刑して、それが急速に来るを主る。さらに三伝はみな日干・日支の上に落つるので、自然に眼下に送り到るを主る。結果果たしてこのようであった。

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