Libo

己亥日安豊の賊寇を卜る(一針見血)

清 · 程树勋 · 第32巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

十一月己亥日寅將申時卜安豐賊寇。一針見血。 蛇貴后陰 亥子丑寅 蛇虎龍后 父 ◎巳 虎 朱戌 卯玄 亥巳未丑 財 己亥 蛇 合酉 辰常 巳亥丑己 父 ◎巳 虎 申未午巳 勾龍空虎

十一月の己亥日、寅将を用いて申時に加えて課を起し、安豊の一帯の賊寇の事を卜った。此の例は『一針見血』より採る。天盤の諸支は地盤より六位進み、天・地の両盤は処処相冲するは、「返吟」課である。申時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の午に臨み、午は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は子を乗せて午に臨み、螣蛇は亥を乗せて巳に臨み、朱雀は戌を乗せて辰に臨み、六合は酉を乗せて卯に臨み、勾陳は申を乗せて寅に臨み、青竜は未を乗せて丑に臨み、天空は午を乗せて子に臨み、白虎は巳を乗せて亥に臨み、太常は辰を乗せて戌に臨み、玄武は卯を乗せて酉に臨み、太陰は寅を乗せて申に臨み、天后は丑を乗せて未に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に丑を得るは第一課。丑上に未を得るは第二課。日支の亥上に巳を得るは第三課。巳上に亥を得るは第四課。上神は依り次ぎて天后・青竜・白虎・螣蛇を乗せる。三伝は巳・亥・巳:初伝と末伝とはみな巳火で白虎を乗せ、旬空に落つ(己亥日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在る)、己土を生じて「父母」と為る。中伝の亥水は螣蛇を乗せ、遁干は己で、己土に克せられて「妻財」と為る。

祝泌奏曰:死氣十二月在巳,臨日支發用,將見白虎,殺氣頗重,虜賊未退,月破臨城,乘生旺之鄉,不至大害,亦在危疑之間,不至大害者,騰蛇能制白虎也。亦主危疑者,游都加人民也。臣以術測之,安豐必先敗而後勝。安豐受害之民必有損傷,然終可全保。

祝泌が奏上して言う:「死気」のこの凶煞は十二月に巳上に落ち、如今巳は正に日支の亥、すなわち安豊城の位置上に加臨して発用と為るに取られ、乗ずる所の天将はまた白虎で、殺気は相当に重し。敵寇は一時にまだ退走せず。月破の神は城池に加臨す。幸いなるに巳火は自身生旺の郷に処る。だから大害を醸成するに至らず、却ってなお危難・安からざるの間に在る。大害に至らずと言うは、中伝の亥上の乗ずる螣蛇は火に属し、火は金を克し得て、正に白虎を制し住め得るに因る。なお危疑を主ると言うは、「遊都」のこの兵寇を主る凶煞が百姓を代表する位置上に加わるに因る。臣は術数を以て推測すれば、安豊は必定先に敗れて後に勝たん。安豊の害を受くる百姓は損傷あるを免れざるも、終究保全し得べし。

己亥日盧承山が病を占う(指南)

順治己酉年正月己亥日子將巳時參將盧承山占病吉凶。指南。 后陰 貴子丑寅卯玄 后空六陰 父 甲午 空 蛇亥 辰常 丑午酉寅 兄 辛丑 后 朱戌 巳虎 午亥寅己 子 丙申 勾 六酉申未午空 勾青

順治己酉年正月の己亥日、子将を用いて巳時に加えて課を起し、参将の盧承山が病の吉凶を占った。此の例は『六壬指南』より採る。天盤の諸支は地盤より七位進む。巳時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の巳に臨み、巳は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は子を乗せて巳に臨み、螣蛇は亥を乗せて辰に臨み、朱雀は戌を乗せて卯に臨み、六合は酉を乗せて寅に臨み、勾陳は申を乗せて丑に臨み、青竜は未を乗せて子に臨み、天空は午を乗せて亥に臨み、白虎は巳を乗せて戌に臨み、太常は辰を乗せて酉に臨み、玄武は卯を乗せて申に臨み、太陰は寅を乗せて未に臨み、天后は丑を乗せて午に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に寅を得るは第一課。寅上に酉を得るは第二課。日支の亥上に午を得るは第三課。午上に丑を得るは第四課。上神は依り次ぎて太陰・六合・天空・天后を乗せる。第三課は亥水が午火を克し、下が上を賊す。午を取って発用す:初伝の午火は天空を乗せ、遁干は甲で、己土を生じて「父母」と為る。中伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛で、己と同類にして「兄弟」と為る。末伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、己土の生ずる所を受けて「子孫」と為る。

陳公獻曰:脾土受症,目今無慮。蓋木為官鬼,則脾經受症矣。以平清肺心為上,切勿健脾理肺,七月恐有不測。蓋祿臨絕地,馬入墓鄉,且子巳相加為陽(生)臨陽絕,又卯臨申位是木被金離,病人非宜,且年帶二死剋日,故斷其七月必死。已而果然。

陳公献が言う:これは脾土が病を受けたで、眼下はなお憂慮するを用いず。木は土を克する官鬼で、木は一たび来て克すれば、脾経は自然に症を受く。薬を用うるは当に肝を平げ肺を清め、心気を調理するを以て上と為し、切に一味に脾を健し肺を理するべからず。七月に到って恐らくは不测の禍あらん。己日の禄神は午であるのに、午は却って亥上に加わり、火は亥に絶するは、禄が絶地に臨むなり。日支の亥は亥卯未の木局に属し、木局の駅馬は巳に在り、巳はまた戌のこの火墓の上に加わるは、馬が墓郷に入るなり。加えるに天盤の子水は地盤の巳上に加わり、子は陽水の生気の神で、巳は却って水の絶地で、「陽生が陽絶に臨む」を成した。さらに天盤の卯は地盤の申位に加わり、卯木は申金に克せられて離析す。病人に対してみな相宜ならず。まして行年上はまた両重の死神を帯びて来て日干を克す。だから彼の七月に必ず死すと断ず。後に果たして応験した。

己亥日馬を売るを占う(郭氏占案)

己亥日占賣馬。郭氏占案。 后陰 貴子丑寅卯玄 后空六陰 父 甲午 空 蛇亥 辰常 丑午酉寅 兄 辛丑 后 朱戌 巳虎 午亥寅己 子 丙申 勾 六酉申未午空 勾青

己亥日に馬を売るを占う。此の例は郭御青の占案より採る。課盤は上の一例と全く同じ:天盤の諸支は地盤より七位進み、貴人は子を乗せて巳に臨み、巳は陰方に属し、天将は逆布す——貴人は子を乗せて巳に臨み、螣蛇は亥を乗せて辰に臨み、朱雀は戌を乗せて卯に臨み、六合は酉を乗せて寅に臨み、勾陳は申を乗せて丑に臨み、青竜は未を乗せて子に臨み、天空は午を乗せて亥に臨み、白虎は巳を乗せて戌に臨み、太常は辰を乗せて酉に臨み、玄武は卯を乗せて申に臨み、太陰は寅を乗せて未に臨み、天后は丑を乗せて午に臨む。四課は右から左へ:己は未に寄し、未上に寅を得るは第一課。寅上に酉を得るは第二課。日支の亥上に午を得るは第三課。午上に丑を得るは第四課。上神は依り次ぎて太陰・六合・天空・天后を乗せる。三伝は午・丑・申:初伝の午火は天空を乗せ、遁干は甲で、「父母」と為り、午はまた己日の禄神である。中伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛で、「兄弟」と為る。末伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、「子孫」と為る。午は十二支の中で正に馬を主り、この一占の類神で、而してそれは日支の亥のこの宅位上より発用した。

郭御青曰:餘親有馬二匹,一大一小,問皆出否?課果傳類神午字,時旁有人斷為皆不得賣。以午為日祿也。又一人斷為賣出大馬,以大馬捷足先出也。余斷日馬,馬為日祿,惟賣出乃得價為祿,賣出小馬,以午自刑,大刑出小,小刑不能出大也。馬即從宅上發用,明乎一馬在宅,一馬出外,且馬有戀主之意,凡賣皆不願出。今一馬出 ,必大刑小出也。果賣小馬。

郭御青が言う:私の親戚に両匹の馬あり、一大・一小で、ことごとく売り出し得るか否かを問い来た。課中に果たして馬の類神の午の字を伝え出した。当時旁辺に人ありて両匹とも売り得ざると断ず。理由は午は正に己日の禄神で、禄は外出に宜しからざると。また一人ありて大馬は売り得ると断ず。理由は大馬は脚快く先に門を出ると。私は断じて曰う:午馬はすなわち己日の禄神で、ただ売り出して価銭を換い得て初めて禄を得と算す。売り出し得るは小馬である——午と午とが自刑して、大は小を刑出し、小は却って大を刑し動かさざるに因る。馬はまた宅爻(日支の亥)上より発用した。一馬は家に在り一馬は外に在るを見べし。まして馬に主に恋する心有り。およそ売らんと要すれば、それはみな門を出るを願わず。如今ただ一匹を走らせば、必定は大が小を刑し小馬が出る(ここに底本は一字缺失あり)。結果は果たして小馬を売り掉了。

己亥日王米山の索占(指南)

崇正壬午年十月己亥日卯將未時山東明經王米山索占。指南。 朱六 蛇丑寅卯辰勾 六虎后六 兄 未 虎 貴子 巳龍 卯未亥卯 鬼 卯 六 后亥 午空 未亥卯己 財 亥 后 陰戌酉申未虎 玄常

崇正壬午年十月の己亥日、卯将を用いて未時に加えて課を起し、山東の明経(貢生)の王米山が前に来りて占を求めた。此の例は『六壬指南』より採る。天盤の諸支は地盤より八位進む。未時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の辰に臨み、辰は陽方に属し、天将は順布す:貴人は子を乗せて辰に臨み、螣蛇は丑を乗せて巳に臨み、朱雀は寅を乗せて午に臨み、六合は卯を乗せて未に臨み、勾陳は辰を乗せて申に臨み、青竜は巳を乗せて酉に臨み、天空は午を乗せて戌に臨み、白虎は未を乗せて亥に臨み、太常は申を乗せて子に臨み、玄武は酉を乗せて丑に臨み、太陰は戌を乗せて寅に臨み、天后は亥を乗せて卯に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に卯を得るは第一課。卯上に亥を得るは第二課。日支の亥上に未を得るは第三課。未上に卯を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・天后・白虎・六合を乗せる。三伝は未・卯・亥で、正に亥卯未の木局を倒れて逆行したるなり:初伝の未土は白虎を乗せ、己土と同類にして「兄弟」と為る。中伝の卯木は六合を乗せ、己土を克して「官鬼」と為る。末伝の亥水は天后を乗せ、己土に克せられて「妻財」と為る。

陳公獻曰:王米山攜子某,來謁陳東明求官,過小齋訪道。余曰:先生少間,須臾有三客至,內必楊姓者。果如言。余曰:干神歸支,傳將逆行,郎君宜回東省取功名。且貴地不日兵動,且有攻城破邑之事,眷屬宜遷他處避之。曰:祝老母九十壽,方可遷也。曰:尊堂壽止八十有九,因乙發用與地盤己字合斷為八九之數也。此皆日後事,目今須防失脫也。

陳公献が言う:王米山は息子を帯び、来て陳東明に拝謁して官職を謀求し、路に順いて私の小書斎に来て道を訪えた。私は言う:先生は稍く待て、一忽して三位の客人の到らんあり、その中に必定一位の楊と姓するあるべし。後に果たして私の言う所に如し。私はまた言う:日干の上神は日支に帰して到り、三伝と天将とはみな逆行の中に在る。令郎は当に山東に回りて功名を取るべし。しかも貴処は日ならずして便ち兵動せんと要し、さらに城を攻め邑を破るの事あらん。家眷は別処に遷して避くるに宜し。王米山が言う:老母親に替わりて九十歳の寿を為し過ぎて、初めて搬遷するを好しとす。私は言う:令堂の寿数はただ八十九に到るのみ——初伝の未は発用し、旬中に乙を遁じ得、地盤の己の字と相配し、乙の数は八、己の数は九、合して八九の数を成す。これらはみな日后の事である。眼下は先に窃盗・走失を防ぐを得す。

米山接住灣子街舊同寅陳宅書房,果被盜。復來,余曰:玄武脫氣居丑命,所盜者郎君物耳。曰:然。還防賊復來。果三日又來,將物盡盜去,曰:何以明其然也?余曰:課傳回環,故知其改之復來。米山問曰:山東兵動者何?蓋因三傳純官鬼,又魯都虎鬼克支,賊符將星克干,是以知貴省中外兵動,攻城破邑也。果冬月一一如占。米山遷居淮安新安鎮,其母未度九十而終。

王米山は湾子街の旧日の同僚の陳家の書房に借住し、果たして賊に遭った。彼はさらに来て私を尋ぬ。私は言う:玄武は酉のこの我の気を泄る子孫を乗せ、正に令郎の本命の丑上に落つる。偷まれたは令郎の東西のみ。彼は言う:正に是れ。私はまた言う:なお賊のさらに来らんを防ぐを得す。果たして三天の後に賊はさらに来り、東西を全部盗み走った。彼は問う:貴下は何を拠ってこのようを看出したか。私は言う:この一課の四課・三伝は首尾相接して循環・回環す。だから賊は去りてさらに回り来るを知る。王米山はまた問う:山東に兵動せんと要すは、どう看出したか。あれは三伝の亥卯未が合して木局を成し、全て身を克する官鬼で、「魯都」のこの兵寇の煞が白虎・官鬼と一同に来て日支を克し、「賊符」「将星」がまた来て日干を克するに因る。だから貴省の内外ともに兵動し、城を攻め邑を破るの事あるべきを知る。冬月に到って、果たして一一占に如し。王米山は後に遷居して淮安の新安鎮に至り、彼の母親は九十歳を活け過ぐる能わずして去世した。

己亥日韓省幹が子の病を占う(方本占案・口鑑)

庚戌年七月己亥日午將未時韓省干占子病丙午生五歲。方本占案 口鑑。 龍空 陳辰巳午未虎 六卯 申常 玄陰龍空 兄 戊戌 陰 朱寅 酉玄 酉戌巳午 子 丁酉 玄 蛇丑子亥戌陰 戌亥午己 子 丙申 常 貴後

庚戌年七月の己亥日、午将を用いて未時に加えて課を起し、韓省幹が息子の病を占った。息子は丙午年生まれ・五歳。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より一位退く。未時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の丑に臨み、丑は陽方に属し、天将は順布す:貴人は子を乗せて丑に臨み、螣蛇は丑を乗せて寅に臨み、朱雀は寅を乗せて卯に臨み、六合は卯を乗せて辰に臨み、勾陳は辰を乗せて巳に臨み、青竜は巳を乗せて午に臨み、天空は午を乗せて未に臨み、白虎は未を乗せて申に臨み、太常は申を乗せて酉に臨み、玄武は酉を乗せて戌に臨み、太陰は戌を乗せて亥に臨み、天后は亥を乗せて子に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に午を得るは第一課。午上に巳を得るは第二課。日支の亥上に戌を得るは第三課。戌上に酉を得るは第四課。上神は依り次ぎて天空・青竜・太陰・玄武を乗せる。三伝は戌・酉・申で、位を逐いて後退す:初伝の戌土は太陰を乗せ、遁干は戊で、己と同類にして「兄弟」と為る。中伝の酉金は玄武を乗せ、遁干は丁で、己土の生ずる所を受けて「子孫」と為る。末伝の申金は太常を乗せ、遁干は丙で、また「子孫」である。亥は天門で、戌は河魁と名づき、戌は亥上に加わるは、正に「魁が天門を度る」の象である。

陳公獻曰:此病至危,宅中謝神請醫,費盡千萬錢,而不知病在目前。今主至困而又發吊,手足拳束,口眼歪邪,還是風症否?曰:然。若作風病,其病必死。其病因親王價領出,與冷粽子吃,及歸又吃冷淘面,二物積中,遂發熱,積緊腸塞,致令手足拳束耳。可依此治即安也。韓丈之子,因七月十五僕家裹粽燒紙,遂與食之,歸又吃令淘面,晚遂得病,困重求重請醫,費千萬錢不效,聞先生言,醫遂以陳皮、青皮、烏藥湯治之,便覺身輕,下黑糞三五塊而全愈。

陳公献が言う:この病はすでに極めて危険に到り、家裏はまた神に謝しまた医を請じ、千万の銭を花掉したれども、却って病根は眼前に在るを知らず。如今孩子は困頓して極処に到り、また抽搐を発起し、手脚は蜷曲・拘挛し、口眼は歪斜す——貴下らはこれを風症と当て治して居るか。答えて言う:正に是れ。私は言う:もし風病と当て来りて治せば、この病は必ず死せん。彼のこの病は親戚家の僕人に領せられて出で去り、彼に冷たい粽子を喰わせ、回り来りてまた水を過した冷淘麺を喰い、両様の東西が腹中に積み、おって熱を発し、積滞は壅緊し腸道は堵塞し、初めて手足を拘挛せしめ弄到した。この路子に照らして往きて治せば、立刻に安好し得ん。韓丈の息子は、正に七月十五のあの日に僕人の家で粽子を裹き紙銭を焼き、すなわち拿げて喰わせ、回り来りてまた冷淘麺を喰い、当夜にすなわち病み倒れ、病勢は沈重し、一再に医を請じ、千万の銭を花去してもみな効を見ず。陳先生の話を聴きて、医生は便ち陳皮・青皮・烏薬湯を用いて治し、孩子は当に身上に軽松を覚え、三五塊の黒糞を瀉し下して、便ち痊愈した。

蓋己日見戌為同宗,日上見午,火中之物也。巳乃未形似米,以來配宗字,象粽子,加亥水故曰冷粽。太陰老婦,乃僕人之母與之也。酉麥申面,故曰面,玄武主過水,是以為冷淘也。

象を取るの道理は:己日に戌を見るに、戌と己とは同じく土で、同宗の義で、一個の「宗」の字を取る。日干の上神に午を見、午は火に属し、火裏に煮出して来た東西と見べし。己土の寄宮の「未」の字は、字形は「米」の字と相似る。拿げて来て「宗」の字と相配すれば、正に合して一個の「粽」の字を成す。だから象を粽子と為して取る。戌はまた亥水の上に加わる。だから冷たい粽と言う。戌上は太陰を乗せ、太陰は老年の婦人を主る。僕人の母親が拿げて彼に喰わせたと見べし。酉は麦を主り申は麺を主る。だから麺食と言う。玄武は水を過るを主る。これに因って涼水を過した冷淘麺と断定す。

吳稼云曰:魁渡天門知其為積案,中卻不肯說破,此古人秘密藏也。

呉稼雲が言う:単に戌が亥に加わるの「魁が天門を度る」の一象より、便ちこれは积食の一類の病案と知り得る。陳公献は断辞の裏に却ってこの一層を点破せんと肯んぜず。これは正に古人の秘して宣せざるの処である。

己亥日来意を占う(指南)

癸未年正月己亥日亥將未時事來意。指南。 朱蛇 六酉戌亥子貴 龍玄玄蛇 比 乙未 青 勾申 丑后 未卯卯亥 財 己亥 蛇 龍未 寅陰 卯亥亥己 鬼 癸卯 玄 空午巳辰卯玄 虎常

癸未年正月の己亥日、亥将を用いて未時に加えて課を起し、来人の来意を占った(底本は「事来意」と作すも、「事」は当に「占」の字の誤りならん)。此の例は『六壬指南』より採る。天盤の諸支は地盤より四位進む。未時は昼に属し、己日の昼貴は子で、貴人は天盤の子を乗せて地盤の申に臨み、申は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は子を乗せて申に臨み、螣蛇は亥を乗せて未に臨み、朱雀は戌を乗せて午に臨み、六合は酉を乗せて巳に臨み、勾陳は申を乗せて辰に臨み、青竜は未を乗せて卯に臨み、天空は午を乗せて寅に臨み、白虎は巳を乗せて丑に臨み、太常は辰を乗せて子に臨み、玄武は卯を乗せて亥に臨み、太陰は寅を乗せて戌に臨み、天后は丑を乗せて酉に臨む。四課は右から左へ:己土の寄宮は未に在り、未上に亥を得るは第一課。亥上に卯を得るは第二課。日支の亥上に卯を得るは第三課。卯上に未を得るは第四課。上神は依り次ぎて螣蛇・玄武・玄武・青竜を乗せる。三伝は未・亥・卯で、正に合して亥卯未の木局を成す:初伝の未土は青竜を乗せ、遁干は乙で、己土と同類にして「比肩」と為る。中伝の亥水は螣蛇を乗せ、遁干は己で、己土に克せられて「妻財」と為る。末伝の卯木は玄武を乗せ、遁干は癸で、己土を克して「官鬼」と為る。木局はすでに官局を成すれば、だから功名の事を主る。

陳公獻曰:予在金陵卞聖瑞書房,偶有兩客進坐索占。余曰:龍神發用,傳課結成官局,來意必占今年功名事。六月即有欽召之應。蓋春得進旺之木,遇夏則枝葉茂密,將來事業遠大。早:六月之說何也?緣歲建皇恩發用,中傳天詔,是以六月定有佳音。後知來占者即趙忻城昆弟也。果於是月奉詔進京授京營提督,甲申又升京營戎政。

陳公献が言う:私は金陵の卞聖瑞の書房裏に在り、偶然に两位の客人ありて進み入りて坐して占を求めた。私は言う:青竜は初伝を乗せて発用し、四課・三伝はまた結びて官局を成す。来意は必定今年の功名を占うで、六月に便ち旨を奉じて召見するの応験あらん。春天は正に木気の進旺する時で、夏天に到って枝葉は自然に茂密し、将来の事業は遠大ならん。客人が問う:六月のこの説法は何処より来るか。私は言う:初伝の未はすでに癸未年の歳建で、また「皇恩」の煞を帯びて発用し、中伝の亥はまた「天詔」で、だから六月に一定佳音あらん。後に初めて知るに、来て占うは正に忻城伯の趙家の兄弟であった。結果は果たして便ちこの月に詔を奉じて京に進み、京営の提督に授けられ、甲申年にまた京営の戎政に升任した。

此以神煞斷,可見靈機通變,在乎一心。

この一例は全て歳建・皇恩・天詔のこれらの神煞を拠って立断した。六壬の霊機・変通の妙は、終究に占者の一心の領会と運用とに在るを見べし。死して成法を守るの能く得る所にあらず。

庚子日

庚子日曹作が屋に進むを占う(方本占案・直指)

建炎己酉年十月二十五庚子日寅將未時曹作秀才癸酉生三十七歲占進屋。方本占案 直指。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后空六陰 父 戊戌 六 六戌 巳常 寅未戌卯 官 空巳 常 陳酉申未午虎 未子卯庚 子 庚子 蛇 龍空

建炎己酉年十月二十五日の庚子、寅将を用いて未時に加えて課を起し、曹作秀才は癸酉年生まれ・三十七歳、新屋に搬り進むを占った。此の例は『方本占案』と『直指』より採る。天盤の諸支は地盤より七位進む。未時は昼に属し、庚日の昼貴は丑で、貴人は天盤の丑を乗せて地盤の午に臨み、午は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は丑を乗せて午に臨み、螣蛇は子を乗せて巳に臨み、朱雀は亥を乗せて辰に臨み、六合は戌を乗せて卯に臨み、勾陳は酉を乗せて寅に臨み、青竜は申を乗せて丑に臨み、天空は未を乗せて子に臨み、白虎は午を乗せて亥に臨み、太常は巳を乗せて戌に臨み、玄武は辰を乗せて酉に臨み、太陰は卯を乗せて申に臨み、天后は寅を乗せて未に臨む。四課は右から左へ:庚金の寄宮は申に在り、申上に卯を得るは第一課。卯上に戌を得るは第二課。日支の子上に未を得るは第三課。未上に寅を得るは第四課。上神は依り次ぎて太陰・六合・天空・天后を乗せる。三伝は戌・巳・子:初伝の戌土は六合を乗せ、遁干は戊で、庚金を生じて「父母」と為る。中伝の巳火は太常を乗せ、正に旬空に落つ(庚子日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在る)、庚金を克して「官鬼」と為る。末伝の子水は螣蛇を乗せ、遁干は庚で、庚金の生ずる所を受けて「子孫」と為る。

邵彥和曰:斫輪課,須仔細,後必爭競。支受干制之課,犯者畜產不生,宅上天空作害,主有幼小;干上互換羅網,必有小擾大之事。太陰宅母不明,兼行年湊成羅網,定是不足。末蛇乘子絕了又生,生了又絕,切不可居。庚以酉為天羅,卯為地網。

邵彦和が言う:これは「斫輪」課で、須く仔細なるべし。日后に必定争訟あらん。この課は日支が上神に制せられ、それを犯る人は牲畜が繁息せず。宅爻(日支の子)上は天空を乗せて来て害を作す。家中の年幼の人が累を受くるを主る。日干の上下は互いに換わりて湊りて羅網を成す。必定小を以て大に擾るの事あらん。日干の上神の卯は太陰を乗せ、太陰は宅中の女主人を主る。昏暗にして明ならず。さらに加えるに曹作の三十七歳の行年は寅に在り、寅上に酉を得、酉は正に庚金の天羅で、日干上の地網の卯と湊りて一副の羅網を成す。家裏は定めて欠缺・不足あらん。末伝の螣蛇は子水を乗せ、子は庚金の死地で、而して子水は自身また旺気を当たる。おって絶えてまた生じ、生じてまた絶え、反覆として常なし。この屋子は切に搬り進みて住むべからず。庚金は酉を以て天羅と為し、卯を以て地網と為す。

庚子日、甲子命の婦人が来意を占う(『一字訣』『玉連環』)

十月庚子日卯將未時甲子命婦人占來意。一字訣玉連環。 貴后陰玄 丑寅卯辰 玄龍蛇玄 子 庚子 蛇 ⊙ 蛇子 巳常 辰申子辰 兄 丙申 龍 朱亥 午虎 申子辰庚 父 辰 玄 ◎ 戌酉申未 合勾龍空

十月の庚子日に、卯将を未時に加えて課を起こし、甲子を本命とする婦人が来意を占った。この例は『一字訣』と『玉連環』から採られている。天盤の諸支は地盤より八位進む。未時は昼に属し、庚日の昼貴は丑にある。貴人は天盤の丑を乗せて地盤の巳に臨み、巳は陰方に属するので天将は逆に布く:貴人が丑を乗せて巳に臨み、螣蛇が子を乗せて辰に臨み、朱雀が亥を乗せて卯に臨み、六合が戌を乗せて寅に臨み、勾陳が酉を乗せて丑に臨み、青竜が申を乗せて子に臨み、天空が未を乗せて亥に臨み、白虎が午を乗せて戌に臨み、太常が巳を乗せて酉に臨み、玄武が辰を乗せて申に臨み、太陰が卯を乗せて未に臨み、天后が寅を乗せて午に臨む。四課は右から左へ:庚金の寄宮は申にあり、申の上に辰を得るのが第一課、辰の上に子を得るのが第二課、日支の子の上に申を得るのが第三課、申の上に辰を得るのが第四課で、上神は順に玄武・螣蛇・青竜・玄武を乗ずる。三伝の子・申・辰は申子辰の水局を合成し、「潤下」課である:初伝の子水は螣蛇を乗せ、遁干は庚で、庚金に生ぜられて「子孫」となり、子は別名「神后」;中伝の申金は青竜を乗せ、遁干は丙で、庚と同類で「兄弟」となり、申は別名「伝送」;末伝の辰土は玄武を乗せ、旬空に落ち(庚子日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳)、庚金を生じて「父母」となる。

徐次賓曰:來意因三月胎氣不安,而有驚恐,至十一月喜見生子,子母俱慶。蓋發用起神后,為今日之子孫,上見螣蛇,為日下之鬼。下臨辰墓而為三月,故胎氣不安而有驚恐之象。至十一月見喜生男者,中傳送為嗣,卻上得青龍吉慶,下臨子,故應在十一月。又天罡所繫與日比陽,三傳日辰俱陽,故生男也。子母俱慶者,三傳與日辰為三合,雖有螣蛇剋日,卦得潤下屬水,又日上有玄武水,其四水乘旺相氣而為救神,其蛇不能害也。

徐次賓が言うには、彼女の来意は三月に胎気が安らかでなく心中に惊恐があったこと、十一月になれば喜びがあって男児を産み、母子ともに平安を得るということであった。発用の初伝が子であり、子は「神后」という名で、まさに庚金の生ずる子孫だからである。子の上に螣蛇が乗り、螣蛇は火に属して日干を克する鬼神であり、子はまた下に地盤の辰に臨み、辰は水の墓庫で、辰はまた三月にちょうど当たるので、三月に胎気が安まらず惊恐の象があったのである。十一月に喜びがあり男を産むと断じたのは、中伝の申が「伝送」という名で、嗣として承継することができ、申の上にまた青竜という吉慶の神を得て、下に地盤の子に臨み、子は十一月に当たるので、応期が十一月に落ちたのである。さらに天罡の辰が係るところと庚日はともに陽に属し、三伝の子・申・辰と日干・日支もすべて陽なので、生まれたのは男児である。母子ともに慶ぶと言ったのは、三伝と日辰が申子辰の三合水局を合成したからである。螣蛇が日干を克するといっても、全課が潤下の象を得て水に属し、日干の上神の辰も水に属する玄武を乗せ、この四重の水がいずれも旺相の気を乗せて救神となるので、螣蛇の火はもはや傷つけることができない。

庚子日に行人を占う(『一針見血』・『玉連環』末巻)

天聖二年歲在甲子四月庚子日申將子時丁卯年生命五十八歲來占丙申命二十九歲行人。一針見血 玉連環末卷。 空虎常玄 丑寅卯辰 玄蛇龍玄 子 庚子 龍 龍子 巳陰 辰申子辰 兄 丙申 蛇 勾亥 午后 申子辰庚 父 ◎辰 玄 戌酉申未 合朱蛇貴

天聖二年、歳は甲子、四月の庚子日に、申将を子時に加えて課を起こした。丁卯年生まれで五十八歳の人が来て、丙申を本命とする二十九歳の出門人を占った。この例は『一針見血』と『玉連環』末巻から採られている。天盤の諸支は地盤より八位進む。子時は夜に属し、庚日の夜貴は未にある。貴人は天盤の未を乗せて地盤の亥に臨み、亥は陽方に属するので天将は順に布く:貴人が未を乗せて亥に臨み、螣蛇が申を乗せて子に臨み、朱雀が酉を乗せて丑に臨み、六合が戌を乗せて寅に臨み、勾陳が亥を乗せて卯に臨み、青竜が子を乗せて辰に臨み、天空が丑を乗せて巳に臨み、白虎が寅を乗せて午に臨み、太常が卯を乗せて未に臨み、玄武が辰を乗せて申に臨み、太陰が巳を乗せて酉に臨み、天后が午を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:庚は申に寄り、申の上に辰を得るのが第一課、辰の上に子を得るのが第二課、日支の子の上に申を得るのが第三課、申の上に辰を得るのが第四課で、上神は順に玄武・青竜・螣蛇・玄武を乗ずる。三伝の子・申・辰もやはり水局を合成して「潤下」である:初伝の子水は青竜を乗せ、遁干は庚で「子孫」、中伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で「兄弟」、末伝の辰土は玄武を乗せ、旬空に落ちて「父母」となる。

苗公達曰:子去萬里,音信不通。資財大獲,出門迎歸。其人云:某有一子,於天喜元年正月間,因言語不足,將些財物往歧路與販一去八年,不知音信,何能望見之?苗曰:當於乙巳日早晨可出北門外候之。有行李籠其數擔,後有二人騎馬,爾子衣白騎青馬隨一婦人衣紫騎赤馬,得意而歸。本人云:八年音信不通,安能便歸?時有同來人云苗公之術如神可至。是日往伺之,果於是日出城外三里見籠具十餘擔遠來。先一人著白衣乘青馬,一見之便下馬泣拜,乃是其子自陝西得利而歸。

苗公達が言うには、あなたの息子は万里の外に出て音信が通じていないが、今や資財を大いに得たので、出かけて行って彼を迎えて帰りなさい、と。その人が言うには、私に一人の息子がいて、天喜元年の正月に、言葉が合わないことがあって、いくらかの財物を持って別の路へ商いに行き、行ってから八年、音信がまったくなく、どうしてまた彼に会えることを望めましょうか、と。苗公達が言うには、乙巳日の早朝に北門の外に出て待つべきです。荷物を詰めた箱籠が何担かあり、あとに騎馬の者が二人続きます。あなたの息子は白衣を着て青馬に乗り、随伴の婦人は紫衣を着て赤馬に乗り、意気揚々と帰って来ます、と。その人が言うには、八年も音信が通じないのに、どうして帰ると言えば帰れるでしょうか、と。当時一緒に来た人が、苗公の術数は神のごとく必ず応えると言った。その日が来ると彼は本当に出かけて待ち受け、果たして城外三里のところで十余担の箱籠が遠くから来るのを望見し、先頭を行く一人が白衣を着て青馬に乗っていた。その人は彼を見るとすぐ馬を降りて泣いて拝した――まさに彼の息子で、陝西で利を得て帰ったのだった。

議曰:課屬斬關,發用神后,是今日庚金之子孫,加辰為空亡,以下賊上,為用將得青龍飛騰萬里,又傳入玄武乘空亡,主失信,故云:子云萬里,音信不知。行人年上乘寅木,是今日之財,加在旺方故云資財大獲。課值日辰相加其見必速而近。又庚德自處加子上申本數七,當囚死,法以折半求之。本人五十八歲,行年在亥,臨卯,卯為門將,勾陳家在戊辰,辰為門外之路,發用水旺於北方,坆雲出北門三里之外候之。

推論していうには、この課は「斬関」に属する。発用の子は「神后」という名で、庚金の生ずる子孫であり、まさに息子を代表する。子は地盤の辰の上に加わり、辰はまた空亡に落ち、下が上を賊して初伝に取られた。初伝の乗ずる天将は青竜で、青竜は飛騰して万里を行くことができる。三伝はまた末伝の辰に伝わり玄武を乗せ、玄武が空亡を乗ずれば失信を主するので、息子は万里に遠く音信が通じないと言ったのである。出門人は二十九歳で、行年は午にあり、午の上に寅木を乗せ、寅木はまさに庚金の克する妻財で、また旺相の方に加わるので、資財を大いに得たと言ったのである。この課は日干と日支の神が互いに加わり就くので、相見ることは必ず速く近いことが分かる。さらに庚金の寄宮は申にあり、申の本数は七だが、この時ちょうど囚死の気に当たるので、法に照らして半分に折って取り、三の数を得る。占を求めた本人は五十八歳で、行年は亥にあり、亥は地盤の卯に臨み、卯は「太冲」という名で門戸を主る将である。勾陳の本家は辰にあり、辰は門外の道路である。発用の子水はまた北方で旺である――だから北門の三里の外に出て待つべしと言ったのである。

行年有天驛二馬,乘寅,寅木青色,將得白虎金白色,故主白衣乘青馬。天上行年午加戌作天后,戌是火墓,天后水乘午火,水黑火赤相合而成紫色。天后婦人,故言婦人紫衣乘赤馬。課變潤下水之象,見巳為絕,絕為至之兆。又行年臨戌以午為至期,午上見寅,寅中有甲申與巳合。四月建巳又庚與乙合,數取四月乙巳日歸。

出門人の行年の上には天馬・駅馬の二重の馬星を帯び、乗ずるところは寅である。寅は木に属し、色は青である。寅の上の天将はまた白虎で、白虎は金に属し、色は白である。だから白衣に青馬に乗ると断じた。天盤の行年の午は地盤の戌の上に加わり、乗ずるは天后である。戌は火の墓庫で、天后は水に属しながら午火を乗せ、水の色は黒、火の色は赤で、黒と赤が合わさって紫色となる。天后はまた婦人を主るので、一人の婦人が紫衣を着て赤馬に乗ると言ったのである。全課は申子辰の潤下の水象に変じ、水は巳を見れば絶地であり、絶のところはまさに行き尽き到達の兆である。また行年が戌の上に臨むので、午をもって到達の期とする。午の上に寅が見え、寅の中に甲が蔵され、申はまた巳と合する。四月の月建はまさに巳であり、庚もまた乙と合するので、四月の乙巳日に帰ると取り定めたのである。

庚子日、董兌之が大宗伯の辞職を占う(『指南』)

崇正癸酉年七月庚子日午將戌時雲間董兌之占乃祖元宰太史辭大宗伯允否?指南。 空虎常玄 丑寅卯辰 龍子 巳陰 玄蛇龍玄 子 庚子 龍 勾亥 午后 辰申申子 兄 丙申 蛇 戌酉申未 申子辰庚 印 甲辰 玄 六朱蛇貴

崇正癸酉年七月の庚子日に、午将を戌時に加えて課を起こした。雲間(松江華亭)の人董兌之が、元宰・太史を務めた祖父である老先生が大宗伯(礼部尚書)の職を辞したことについて、朝廷が許すかどうかを占った。この例は『六壬指南』から採られている。天盤の諸支は地盤より八位進む。戌時は夜に属し、庚日の夜貴は未にある。貴人は天盤の未を乗せて地盤の亥に臨み、亥は陽方に属するので天将は順に布く:貴人が未を乗せて亥に臨み、螣蛇が申を乗せて子に臨み、朱雀が酉を乗せて丑に臨み、六合が戌を乗せて寅に臨み、勾陳が亥を乗せて卯に臨み、青竜が子を乗せて辰に臨み、天空が丑を乗せて巳に臨み、白虎が寅を乗せて午に臨み、太常が卯を乗せて未に臨み、玄武が辰を乗せて申に臨み、太陰が巳を乗せて酉に臨み、天后が午を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:庚は申に寄り、申の上に辰を得るのが第一課、辰の上に子を得るのが第二課、日支の子の上に申を得るのが第三課、申の上に辰を得るのが第四課で、上神は順に玄武・青竜・螣蛇・玄武を乗ずる――底本は四課の上神の一行を「辰申申子」と印しているが、本課の天地盤に合わず、盤に照らせば「辰申子辰」とすべきで、伝写の誤りであろう。三伝の子・申・辰もやはり潤下の水局である:初伝の子水は青竜を乗せて「子孫」、中伝の申金は螣蛇を乗せて「兄弟」、末伝の辰土は玄武を乗せて「印綬」すなわち父母であり、辰はちょうど旬空に落ちるので、下文のいう「印綬逢空」はこれを指す。

陳公獻曰:此課不能升遷,請告亦不能退位,卻有加銜恩蔭之兆,何用辭為?蓋因三傳全脫,遞生空亡,雖有公卿推薦,不受已頭虛譽,且日祿歸支,印綬逢空,故不得掌篆正官;惟喜皇詔德祿居中乘旺,必有加銜恩蔭之徵。又課傳回環,進旺之氣,豈退位之象,明年春末龍祿傳墓,則當請告。次年春,晉宮銜,馳驛歸里。

陳公献が言うには、この課は官も昇らず、上疏して辞を請うても退くことができず、かえって官銜を加え子孫に蔭のある兆があるので、どうして辞する必要があろうか、と。三伝がすべて我の気を泄し、層々相生してついに空亡の辰に帰するので、たとえ公卿の挙薦があっても、自分のほうは受けきれない虚名に落ちるだけである。加えて庚金の禄は申にあり、申は日支の上に加わるので日禄が支に帰し、辰という印綬はまた空亡に逢うので、正印の実職を掌ることができない。喜ばしいのは「皇詔」と徳禄が中伝に居り旺気を乗せていることで、必ず銜を加え恩蔭する応験がある。さらに四課三伝が首尾回環してすべて進旺の気なので、どこが退位の象であろうか。来年の春末になって、青竜と禄神が墓郷に伝入して、その時やっと上疏して辞を請うべきである。その後第二年の春に、果たして宮銜に進み、駅馬に乗って郷里に帰った。

庚子日、劉漢式が来意を占う(『指南』)

順治乙酉七月庚子日甲申時,揚州兵鹽道諱漢式劉公祖占,占來意。指南

清の順治二年乙酉(1645年)七月、庚子日甲申時に、揚州の兵塩道劉漢式が占いを請いに来た。「兵塩道」は分巡兵備を兼ねて塩政を管する道員であり、「漢式を諱す」の「諱」はその名を直に呼ぶに忍びないことを示し、「公祖」は明清の士民が知府以上の地方長官を尊ぶ呼称である。占った項目は「来意」――これは六壬の中の一つの専門の占法で、来る人は問うところの事を説明せず、術者がまず課体・天将によってその心に問おうとすることを推し断し、言い当ててからさらに吉凶を断ずる。この例は『六壬指南』から出ている。

六勾 朱卯辰巳午龍 白玄六龍 鬼 甲午 龍 蛇寅 未空 申戌辰午 父 甲辰 六 貴丑 申虎 戌子午庚 財 壬寅 蛇 后子亥戌酉常 陰玄

これは一行に圧して印出された課式で、実際には三つの塊に分かれる。左の塊は天地盤:地盤の十二支は固定して動かず、天盤は月将を占時に加えて排定する。この課は午(勝光)を申時に加えるので、天盤の各支はすべて後ろへ二位の地盤に落ちる――天盤の卯は地盤の巳に加わり、辰は午に、巳は未に、午は申に、未は酉に、申は戌に、酉は亥に、戌は子に、亥は丑に、子は寅に、丑は卯に、寅は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:朱雀が卯を乗せ、六合が辰を乗せ、勾陳が巳を乗せ、青竜が午を乗せ、天空が未を乗せ、白虎が申を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が戌を乗せ、太陰が亥を乗せ、天后が子を乗せ、貴人が丑を乗せ、螣蛇が寅を乗せる。庚日の申時は昼占に属し、天乙貴人は丑にあるべく、丑はこの時地盤の卯の上に落ちるので、十二天将は順行して排布される。中の塊は四課で、右から左へ数える:第一課は日干の庚(寄宮は申)の上に午が見え、第二課は午の上に辰が見え、第三課は日支の子の上に戌が見え、第四課は戌の上に申が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に青竜(午)・六合(辰)・玄武(戌)・白虎(申)である。右の塊は三伝:初伝は午、遁干は甲、青竜を乗せ、午火は庚金を克し、日干に対して官鬼となる。中伝は辰、課上は甲辰と標し、六合を乗せて父母となる。末伝は寅、遁干は壬、螣蛇を乗せて妻財となる。

陳公獻曰:勝光同天馬,來意問行人,過月望赤龍,眷屬到門庭。曰:然。蓋因中末空亡,是以月內不來,過月驛馬臨辰,故應丙辰日。

陳公献(明末の六壬名家、『六壬指南』の作者)が断じて言うには、初伝の午は十二神の中の「勝光」であり、またちょうど七月の天馬に当たるので、これは来る人が行人(外出して帰らない人)を問う課象である。今月はまだ望めず、この月を過ぎて、午火が青竜を乗ずる(火の色は赤なので「赤竜」と称す)期を待って、家族が門に至るであろう、と。劉公祖が答えて、まさにその通りだと言った。今月来ないのは中末が空に逢うからで――庚子日は甲午旬に属し、本旬の空亡は辰・巳にあり、中伝の辰はまさに空中に落ちる(末伝の寅は本旬の遁干壬に照らせばもともと空に落ちないが、原文が「中末空亡」と連称するのは、中伝の落空について立論したものである)。空なれば人は至らず事は成らない。この月を過ぎれば、日の駅馬(申子辰日の馬は寅にあり)が地盤の辰位に行くので、応期は丙辰日に落ちる。

此課占功名能復舊缺否?余曰:顧祖中末空,有初必無終。龍化為蛇例,請告始得榮。蓋因初龍末蛇,止於兵憲,龍神克下,上官不足,復任月餘,被劾逮問。詳此課,占官之事分為二段:月將龍神作官星發用,官職必遷之象,以月將為當時之主宰也。此官不為長久,以課得顧祖且中末空亡也。此過程之法甚是精妙,宜詳思之。

続いてまたこの課で功名を問うた:官に復して元の欠に戻れるか。陳公献が答えて言うには、この課は「顧祖」という名で、中末の両伝がまた空亡に逢い、古歌にいわゆる「顧祖中末空、有初必無終」――始めがあれば必ず終わりがない。三伝は初めに青竜を乗せ末に螣蛇を乗せ、まさに「竜が化して蛇となる」格例であり、古歌にまた「請告始得栄」――自ら病を告げて官を辞してこそ、体面を保つことができる、と。初伝が青竜で末伝が螣蛇なので頭が大きく尾が小さく、官位は「兵憲」(兵備道の別称)までである。青竜の乗ずる午火がまたその下の地盤の申金を克するのは上が下を克することで、上の後ろ盾は倚り頼むに足らないことを説くので、復任して一箇月余りで、弾劾され逮問された。この課を細かく見れば、官職の事を占うには二つの断片に分けて言うべきである:月将が青竜を乗せて官星を作して発用するのは、官職が必ず遷升を得る象で、月将は当時の主宰だからである。この官はしかし長く続かない。課が「顧祖」を得て、しかも中末が空に逢うからである。このように分段して推し断する手法は極めて精妙で、細かく味わうに値する。

庚子日、李日成が揚州城の安危を占う(『指南』)

順治甲申五月庚子日辛巳時,高兵自黃河北來,圍困揚城近半月,江都令諱日成李父師占城池安危,五月十三庚子日申將巳時。指南

清の順治元年甲申(1644年)五月庚子日辛巳時、高傑の軍隊が黄河以北から南下し、揚州城を囲んで半月近くになった。江都県令の李日成が城池の安危を占いに来た。「父師」は当時の士民が県令を敬う呼称で、「諱」はその名を直に呼ばないことを示す。起課の時間は五月十三日の庚子で、申将(伝送)を巳時に加えた。この例は『六壬指南』から出ている。

勾六 青申酉戌亥朱 白陰后朱 鬼 甲午 白 空未 子蛇 午卯寅亥 兄 丁酉 勾 虎午 丑貴 卯子亥庚 子 庚子 蛇 常巳辰卯寅后 玄陰

左の塊は天地盤:申(伝送)を巳時に加えるので、天盤の各支はすべて前へ三位の地盤に落ちる――天盤の申は地盤の巳に加わり、酉は午に、戌は未に、亥は申に、子は酉に、丑は戌に、寅は亥に、卯は子に、辰は丑に、巳は寅に、午は卯に、未は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:青竜が申を乗せ、勾陳が酉を乗せ、六合が戌を乗せ、朱雀が亥を乗せ、螣蛇が子を乗せ、貴人が丑を乗せ、天后が寅を乗せ、太陰が卯を乗せ、玄武が辰を乗せ、太常が巳を乗せ、白虎が午を乗せ、天空が未を乗せる。庚日の巳時は昼占で、天乙貴人は丑にあり、この時丑は地盤の戌の上に加わり、貴人は陰位に落ちるので、十二天将は逆行して排布される。中の塊の四課は右から左へ数える:第一課は日干の庚(寄宮は申)の上に亥が見え、第二課は亥の上に寅が見え、第三課は日支の子の上に卯が見え、第四課は卯の上に午が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に朱雀(亥)・天后(寅)・太陰(卯)・白虎(午)である。右の塊の三伝:初伝は午、遁干は甲、白虎を乗せ、火は庚金を克して日干に対し官鬼となる。中伝は酉、遁干は丁、勾陳を乗せ、庚と同類で兄弟となる。末伝は子、遁干は庚、螣蛇を乗せ、金は水を生じて子孫となる。

陳公獻曰:凶必無虞,不日圍困可解。蓋因干支休囚,旺氣在內故也。格合羅網,初傳魯都虎鬼月建,彼兵雖凶,然末傳遊者將星,又係蛇沖剋初傳,此為以凶制凶,不過虎頭蛇尾,故不日圍解。

陳公献が断じて言うには、見たところ凶険だが、実は憂慮するに足らず、数日も経たずに包囲は解ける。日干・日支がともに休囚の地に処するのに、旺気はかえって内に収まっており、守る側は外力に圧倒されていない。この課の格局は「羅網」(天羅地網課)に合する。初伝の午は六壬で賊寇を占う専用の神煞「魯都」であり、また白虎を乗せ、また日干の官鬼であり、さらにちょうど五月の月建に当たるので、来犯の兵は確かに凶悍である。しかし末伝の子は「游都」一路の神煞であり、また申子辰三合局の将星でもあり、しかも螣蛇を乗せ、子水は初伝の午火を冲しまた克する。これを凶をもって凶を制すといい、来勢は虎頭蛇尾に過ぎないので、数日を出ずに包囲は解けるのである、と。

《明史》:京師陷,(高)傑南走,福王封傑興平伯,列於四鎮,領揚州,駐城外。傑固欲入城,揚州民畏傑不納。傑攻城急,日掠廂村婦女,民益惡之。知府馬鳴騄、推官湯來賀堅守月餘。傑知不可攻,意稍怠。閣部史可法議以瓜州予傑,乃止。九月命傑移駐徐州,以左中允衛胤文兼兵科給事中監其軍西討。羅網課最宜捕盜尋失,兵戰亦是吉象。

『明史』に記すには、北京が陥落した後、高傑は南に逃れ、福王(弘光帝)は彼を興平伯に封じ、江北四鎮の一つに列し、揚州を割いて彼の統轄に帰させ、城外に駐屯させた。高傑は強いて城に入ろうとし、揚州の百姓は彼を恐れて入れようとしなかった。高傑は城池を猛攻し、日々に城厢の村落の婦女を掠め取ったので、百姓はいよいよ彼を憎んだ。知府の馬鳴騄・推官の湯来賀は一箇月余り堅く守った。高傑は攻め落とせないと知って、攻勢はやっとやや緩んだ。督師大学士の史可法が出面して調停し、瓜州を高傑に割くと議定して、城を囲むことはこれでやんだ。九月、朝廷は高傑に徐州へ移駐するよう命じ、左中允の衛胤文を遣わして兵科給事中を兼務させ、彼の軍隊の西征を監督させた。これより見れば、「羅網課」は最も盗を捕え失せ物を尋ねるに宜しく、兵戦に用いても吉象である。

辛丑日

辛丑日、汪淑儀が訴訟を占う(『方本占案』『口鑑』)

建炎戊申年三月辛丑日戊將巳時汪淑儀壬戌生四十七歲占訟。方本占案 口鑑

南宋の建炎二年戊申(1128年)三月辛丑日に、「戊将」(原文は「戌将」すなわち河魁、二月の将と作るべし)を巳時に加えた。占う者は汪淑儀で、壬戌年生まれ、当時四十七歳、一件の官司を占いに来た。この例は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。課式の排する所に照らせば、天盤の戌はまさに地盤の巳の上に加わるので、原文の「戊」は「戌」の字の誤りと証される。

龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 龍貴朱玄 財 癸卯 玄 朱申 卯玄 亥午申卯 兄 丙申 朱 蛇未午巳辰陰 午丑卯辛 父 辛丑 虎 貴後

左の塊は天地盤:戌将を巳時に加えるので、天盤の各支はすべて前へ五位の地盤に落ちる――天盤の戌は地盤の巳に加わり、亥は午に、子は未に、丑は申に、寅は酉に、卯は戌に、辰は亥に、巳は子に、午は丑に、未は寅に、申は卯に、酉は辰に加わる。十二天将は天盤の支に随って排定される:勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せ、十二将は順行する。中の塊の四課は右から左へ数える:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に卯が見え、第二課は卯の上に申が見え、第三課は日支の丑の上に午が見え、第四課は午の上に亥が見える。四課の上神の乗ずる将は、第一課から順に玄武(卯)・朱雀(申)・貴人(午)・青竜(亥)である。右の塊の三伝:初伝は卯、遁干は癸、玄武を乗せ、辛金は卯木を克して妻財となる。中伝は申、遁干は丙、朱雀を乗せ、辛と同類で兄弟となる。末伝は丑、遁干は辛、白虎を乗せ、土は辛金を生じて父母となる。

邵彥和曰:干上旬尾,支上旬首,為一旬周遍格。又名周而復始格。來了又去,去了又來。日上我也,支上彼也,我見卯旬尾,是事了畢。彼見午旬首,其事又起。末傳丑與支上午六害,卯財又乘玄武,到了翻論,才輸財,又被人誆賺。辛墓於丑,丑墓於申,主在外州入獄而羈絆也。他是午火,反生他州獄神,我是卯木,能克獄神。翻至二次,卻能勝也。

邵彦和(北宋の六壬大家)が断じて言うには、日干の上神は卯で、ちょうど本旬の旬尾に当たる。日支の上神は午で、ちょうど本旬の旬首に当たる――辛丑日は甲午旬に属し、旬首は甲午、旬尾は癸卯である。だからこの課を「一旬周遍格」といい、また「周而复始格」ともいい、事が来ては去り去っては来て、反復してやまないことを主る。日干は自己を代表し、日支は相手を代表する:我がほうは卯を見るので旬尾であり、事はもともとすでに結了していた。相手のほうは午を見るので旬首であり、官司はまた新たに挑み起こされる。末伝の丑は日支の上の午と六害をなし、初伝の卯財はまた玄武を乗せるので、案が翻って重審される時、まず財を破り、また人に誆騙された。辛金は丑に墓し、丑はまた申に墓すので、当事者は外州に至って獄に入り、羈押され牽絆されることを主る。相手のほうは午火で、午火はかえって丑土という獄神を生ずる。我がほうは卯木で、卯木は丑土の獄神を克することができる。だから第二回に翻って、ついに勝つことができるのである。

汪與張氏爭山起訟,汪氏初入狀果勝,張氏翻論至州,汪又上司入狀,送隨州。張又上司翻,告送嚴州司理獄,又入州縣獄,方得了絕。

後の応験は:汪家と張家が山地を争って官司を起こし、汪家が先に状子を提出して、果たして勝訴した。張家は服せず、案を翻して州に告げた。汪家はまた一つ上の衙門に状子を提出し、案は随州に発せられた。張家はさらに上へ翻案し、官司は厳州司理院の獄に発せられて審理され、汪淑儀もまた州・県二箇所の牢獄に入り、この案はこれでようやく最終的に結了した。

蓋午作貴人,作日鬼臨支,卻是六害,故彼自然失理也。汪氏被人啜了銀一百兩,乃卯作元武臨干也。卯乃閉口,說不得,又不敢問。凡人不識課名,此為一旬周遍格,若辛未日卯加未,午加辛亦然。謀諸事作吉成凶,作凶成吉,惟訟要散,不要關鎖也。

このようになったのは、午の上に天乙貴人が乗り、午火はまた辛金日干の官鬼であり、日支の上に臨みながら、末伝の丑と六害をなすので、相手は来勢こそ汹汹たるものの、ついに理に亏いたのである。汪家が人に誆られて百両の銀子を失ったのは、卯財が玄武を乗せて日干の上に臨んだからで――玄武は暗に侵奪することを主る。卯はまた「閉口」の神なので、損をしても言い出すことができず、また追問することも敢えてしなかった。一般の人は課名を認められないが、この局は「一旬周遍格」と呼ぶ。辛未日に卯が未に加わり午が辛に加わるのも、同じ格である。この格で事を謀るを占えば、もと吉のものは凶に転じ、もと凶のものは吉に転ずる。ただ官司を占うに限っては、まさに散じて結了することを要し、最も関鎖して放さないことを忌む。

辛丑日、某が米銭を欠く人を打ち死なせて官に解かれるを占う(『方本占案』)

二十月辛丑日子將未時某占因人打死欠米錢人解官。方本占案

「二十月」は原文の紀時の訛字で、某年某月二十日の類とすべきである。辛丑日、子将(神后)を未時に加え、ある人が来て占った:米銭を欠く人を打ち死なせたために、官府に解送されて究办されようとしているが、吉凶はいかに、と。この例は『方本占案』から出ている。天地盤に照らして算すれば、子を未に加えるのは上の課の戌を巳に加えるのと同じ一局なので、課式は上の課と完全に同じである。

龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 龍貴朱玄 財 癸卯 玄 朱申 卯玄 亥午申卯 兄 丙申 朱 蛇未午巳辰陰 午丑卯辛 父 辛丑 虎 貴後

課式は上の課と同じ:天盤の各支は前へ五位の地盤に加わり、天盤の戌は地盤の巳に、亥は午に、子は未に、丑は申に、寅は酉に、卯は戌に、辰は亥に、巳は子に、午は丑に、未は寅に、申は卯に、酉は辰に加わる。十二天将は順行し、勾陳が戌を乗せ、青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せ、太常が寅を乗せ、玄武が卯を乗せ、太陰が辰を乗せ、天后が巳を乗せ、貴人が午を乗せ、螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せる。四課は右から左へ:第一課は日干の辛(寄宮は戌)の上に卯が見え、第二課は卯の上に申が見え、第三課は日支の丑の上に午が見え、第四課は午の上に亥が見える。上神の乗ずる将は順に玄武・朱雀・貴人・青竜である。三伝:初伝は卯、遁干は癸、玄武を乗せて妻財。中伝は申、遁干は丙、朱雀を乗せて兄弟。末伝は丑、遁干は辛、白虎を乗せて父母。

邵彥和曰:天乙作鬼加丑支而六害,玄武乘卯加辛干而發用卻被中傳申作朱雀來克(稼云曰:朱雀克干上神猶之克干也)。末傳又是白虎乘墓,恐其人入獄而鮮紅。果二月死於獄中。

邵彦和が断じて言うには、天乙貴人の乗ずる午はまさに辛金日干の官鬼で、日支の丑の上に加わり、午と丑はまた六害をなす。玄武が卯を乗せて日干の辛の上に加わり発用して初伝となったが、中伝の申の上の朱雀に克される(稼雲の按語:朱雀が日干の上神を克するのは、日干そのものを克するに等しい)。末伝の丑はまた白虎が墓神を乗ずるもので、おそらくこの人は獄に入って血を見るであろう。その後果たして二月に獄中で死んだ。

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