陳公献が言うには、太夫人的病は心腹の間にあるが、他の病ではない。日支の上と干の上が互いに加わり、ともに辰戌を帯びているので、事は腹痛に留まらず、切迫して危急である。いま初伝は「日墓」と「破刑」を帯び、地盤の内に入っているので、課にはすでに往むことができない徴がある。ただすぐには滅しない。中伝の戌は「両岐の神」であり、かつ日墓を帯びて課の中に居るので、死の瀬にあって蘇生する人を主る。まだ太夫人の本命は生年が乙未なのに、未は課の中で天后を乗せ、天后は太陰に次ぐ——陰気の極まる處である。末伝は寅で、ちょうど寅は「死門」をなし、しかも寅に居るのは勾陳の神なので、回生するのが難しい。まだ行年の神は太常に臨み、太常はまた孝服の神をなし、死の服を見る——母の命は過ぎて去るのである。
元祐六年六月初二日在楚州天慶觀道士費知祥,年四十二歲云夜夢不吉,卜之。己未日未將未時伏吟。 玉連環末卷 一針見血
庚申日、何葵蓋が所占を占う(『指南』)
龍空虎常/巳午未申 虎虎虎虎 兄 己未 虎/勾辰 酉玄 未未未未 兄 ◎丑 蛇/合卯 戌陰 未未未己 兄 壬戌 陰/寅丑子亥/朱蛇貴後
崇正丁丑年七月の庚申日子時に、安庆の一路で発令する(原文「安庆发令一路」は文脈上「発令の一人」である)何葵蓋(何葵蓋は原文が「何葵蓋」で、いわゆる「葵蓋」は蓋という字の異体であろうが、姑く原のままに留める)が、人家に課を求め、何事を占うかを明かさなかった。この案件は『六壬指南』から出ている。
劉日新曰:事起吾師,不可飲醉,今夜若聞犬吠,不可看視,恐牆崩地陷。更忌井邊行,道士以為戲耳,不復記念。至晚大醉,忽聞犬吠,驚起見本房光怪如火,恐遺漏盜賊,披衣出逃,觀中人亦皆驚起,事止,獨不見費師,人憶餘言,向井中尋之,則費師已墜井中而死矣。論曰:三傳未丑戌三刑,月日辰皆是未並,而為刃又乘白虎,故凶。費公行年又在未,故應在費公自己。未為酒,為井,故云莫飲酒、莫井邊行。又未為六丁,為天目,為光怪,中丑乘蛇受虎刑,故發聲。末戌乘陰,受蛇刑戌為犬吠。三傳墓殺,課無生意,故主死也。
天盤の諸将は、太陰が申に、玄武が酉に、太常が戌に、白虎が亥に、天空が子に、青竜が丑に、勾陳が寅に、六合が卯に、朱雀が辰に、螣蛇が巳に、貴人が午に、天后が未に乗ずる。子時は夜に属し、庚日の夜貴は午なので、貴人は午に臨む。四課は右から左へ、日干の庚は申に寄宮し、申の上に申を得て太陰が乗る——第一・第二課は同じ。日支の申の上も申を得て太陰が乗る——第三・第四課は同じ。これが伏吟課の定式である。三伝は、初伝が申で太陰を乗せ、遁干は甲申、兄弟となる。中伝は寅で勾陳を乗せ、遁干は戊寅、寅木は妻財となる。末伝は巳で螣蛇を乗せ、遁干は辛巳、巳火が庚金を克するので官鬼となる。
陳公献が言うには、これは伏吟の課であり、干支はともに本位にあるので、何事も動かないことを主る。干上・支上はともに申を重ね、申は庚金の禄徳である。禄徳に臨むのに官は動かず、必ず恩命のあることを主る。ただ初伝の甲申はちょうど旬首で、日・月の徳を帯び——七月の月建は申なので——また青竜に臨まず太陰を帯びる。太陰は陰私・隠匿の神なので、日禄・日徳を帯びながらも官は恩によって得るものの、内に暗昧の事があることを主る。中伝の寅は馬を帯び——申子辰の日は馬が寅にあり——妻財でもある。末伝の巳は官鬼で、巳申は刑合するので、官は動いて動く、寅巳申は三刑を循環するので、反覆遷移することを主る。およそ恩を蒙って動き、動いてまた生ずる——官の遷改・刑名の事はこの課の中に具わっている。のちに果然としてその通りであった。
乾隆甲子年六月己未日未將未時占陰晴。 牧夫占驗
庚申日、徽商の某氏が子の病を占う(『牧夫占験』)
龍空虎常/巳午未申 虎虎虎虎 兄 己未 虎/勾辰 酉玄 未未未未 兄 ◎丑 蛇/合卯 戌陰 未未未己 兄 壬戌 陰/寅丑子亥/朱蛇貴後
乾隆甲子年の庚申日に、月将「酉」を巳時に加えて課を起こし、徽商の某氏が子の病を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。
王牧夫曰:天雖晴明,午後主有大風,當拔木號空。風止有小雨,雨止天陰,不久即晴朗。蓋未為風伯,踞於干支主風盈宇宙。乘虎主有力而大,故曰拔木號空。中傳丑,末傳戌相刑,土氣不和,主有小雨。太陰在末,主天陰。三傳純土制水,故不久而晴朗也。午與未合,午后陰生,故驗於午後,一一皆應。凡渡江河咸池殺亦主大風,不可不知。
天盤の諸将は、天空が午に、青竜が未に、勾陳が申に、六合が酉に、朱雀が戌に、螣蛇が亥に、貴人が子に、天后が丑に、太陰が寅に、玄武が卯に、太常が辰に、白虎が巳に乗ずる。巳時は昼に属し、庚日の昼貴は丑なので、昼貴は丑に臨むべきだが、図は夜貴の子を用いて逆に布している——源文がこうなっているので、そのまま留めて改めない。四課は右から左へ、日干の庚は申に寄宮し、申の上に未を得て青竜が乗る。未の上に戌を得て朱雀が乗る。日支の申の上に未を得て青竜が乗る。未の上に戌を得て朱雀が乗る。三伝は、初伝が戌で朱雀を乗せ、遁干は丙戌、戌は土を主り庚金において父母となる。中伝は丑で貴人を乗せ、遁干は丁丑、父母となる。末伝は辰で太常を乗せ、遁干は庚辰、父母となる。戌・丑・辰はともに土に属する。土は金を生ずるが、その力が強すぎると土が多くて金が埋まる虞もあるので、断語の根拠はここにある。
昔在淮陰六月間,偶至大字店程雨宸世兄處,示以占遇返吟一數問陰晴。余曰:今日未時,西南上雲起有雷聲,風大雨大,一時而至。乃海鹽宗兄仲箎所起之數,斷以明日餘不知也。宗兄雲來日始有風雨,雨宸兄雲存以為驗。今日不驗,則來日以驗。先生一咲而起。餘歸飯後,聞雷聲,雲果起西南,風大於雨,一時而霽。諸人歎服。仲篪兄亦服。問余何以應今日?余曰:此返吟課,其應甚速。
王牧夫が言うには、子の病は危急だが命は害されない。三伝はともに厚い土気を帯びるので、病が脾経に属し、食傷・停滞の患を主る——この課は三伝が全て父母の爻で、父母は飲食・脾土を主るからである。四課はみな干支が重なり重疊しており、積滞の象がある。幸いにも末伝の辰は太常を帯びるが、ちょうど日禄・日徳が破を受ける——「太常が医を主る」に依って、得られたのは良医である。用药して通暢させればすぐ癒える。のちに果然として消積の药で通暢させて全快した。
辛酉日
崇正丁丑年八月己未日辰時經筵講官安慶阮允平太史雲先日吳門申相公以八年講官拜相吾今亦八年枚卜若何? 指南
辛酉日、程閣学が差遣を占う(『口鑑』『方本占案』)
空虎常玄/午未申酉 玄 常 玄 常 兄 己未 虎/青巳 戌陰 酉 申 酉 申 子 庚申 常/勾辰 亥后 申 未 申 己 子 庚申 常/卯寅丑子/合朱蛇貴
建炎戊申年十月初十は辛酉日で、月将「卯」を辰時に加えて課を起こし、程閣学——諱は瑀、籤州人——が差遣を占った。この案件は『口鑑』と『方本占案』の両方に収められている。
陳公獻曰:太史雖有公卿推薦,恐不能也。蓋因日比虎刃自他處發用,突有秦人,任風憲兵刑之職者,不由詞館入閣;且中末干支年命俱見羅網,是秦晉梁益之人在中阻隔。又夜貴居本命,太史必賦歸來矣。後果黜。秦中薛國觀先生、蜀中劉宗伯入閣。
天盤の諸将は、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が寅に、螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が未に乗ずる(源文の諸将の位置は実際には六合が未に居るとして、巳時とではない——ここは源文通りに記す)。辰時は昼に属し、辛日の昼貴は寅なので、貴人は寅に臨む。四課は右から左へ、日干の辛は戌に寄宮し、戌の上に午を得て青竜が乗る。午の上に申を得て白虎が乗る。日支の酉の上に未を得て天空が乗る。未の上に酉を得て太常が乗る。三伝は、初伝が未で天空を乗せ、遁干は乙未、未土は辛金において父母となる。中伝は酉で太常を乗せ、遁干は丁酉、酉金は比和するので兄弟となる。末伝は亥で太陰を乗せ、遁干は己亥、亥水は辛金がこれを生ずるので子孫となる。
邵彦和が言うには、この課は名を「斫輪」といい、官吏の赴任を占うにはまことに吉である。干支はそれぞれ旺気を帯び、日の辰もまた年の神(行年)と合する。およそ巳午は辛金の貴人であり官星でもある。いま太常が日支の上に臨んでいるので、必ず酒食の懇親がある。ただ嫌なのは日辰が自ら旺して互いに損することがなく、度々の象はむしろ軽く済ませたいことを主る——頻々にして去ることを主るが、まだすぐには離れない。来たる差遣はけっして美しくない——太常が臨んで、空・亡・破刑を帯びるからである。程氏が言うには、いま太常が酉金の上に臨み、課の中で日禄を帯びるので、酒食の供饋を得るがごときである。未戌酉亥は「回還」と名づくので、去るとはいっても離れない。後年、程閣学は果たして大理寺丞に除授され、赴任するや直ちに勅旨で徽猷閣待制に転じた。
乾隆庚申年五月己未日申將未時占雲起有雨否? 牧夫占驗/空虎常玄/午未申酉 玄常玄常 兄己未虎/青巳 戌陰 酉申酉申 子庚申常/勾辰 亥后 申未申己 子庚申常/卯寅丑子/合朱蛇貴
辛酉日、徐聴雨が兄の病を占う(『牧夫占験』)
王牧夫曰:此課主今日午後風雨雷電俱大。蓋八專為體,不辨干支,而水母重重見於其上。未為風伯,又乘白虎劫煞。卯為雷,勾陳加之。巳為電,丁神附之。是以主四者俱大也。主本日者,本日之支發動,未中有丁,主迅疾倏發。是日午後果大風雨雷電至申時止,傳中申不足故耳。再視貴登天門,龍神昇天,丙丁逢空,亦主雨之象。
乾隆戊辰年十一月の辛酉日に、月将「寅」を巳時に加えて課を起こし、徐聴雨が兄の病を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。
天盤の諸将は、白虎が酉に、天空が戌に、青竜が亥に、勾陳が子に、六合が丑に、朱雀が寅に、螣蛇が卯に、貴人が辰に、天后が巳に、太陰が午に、玄武が未に、太常が申に乗ずる。巳時は昼に属し、辛日の昼貴は寅なので、図は昼貴の寅を用い……(図では貴人が辰に臨み、これは昼貴の寅の順布ではなく、庚日の夜貴の午でもない——源文の排式にはおそらく誤りがあるが、姑く原のままに記す)。四課は右から左へ、日干の辛は戌に寄宮し、戌の上に巳を得て天后が乗る。巳の上に亥を得て青竜が乗る。日支の酉の上に午を得て太陰が乗る。午の上に子を得て勾陳が乗る。三伝は、初伝が亥で青竜を乗せ、遁干は己亥、亥水は子孫となる。中伝は卯で螣蛇を乗せ、遁干は辛卯、卯木は辛金の妻財である。末伝は未で玄武を乗せ、遁干は乙未、未土は父母となる。亥卯未の三合は木局を成し、事象は食傷・子孫の象に集まる。
建炎己酉年九月己未日卯將寅時顧孔目甲子生四十六歲占終身。 方本占案/蛇貴/朱午未申酉後/六巳 戌陰 后貴后貴 兄己未蛇/陳辰 亥玄 酉申酉申 子庚申貴/龍卯寅丑子常 申未申己 子庚申貴/空虎
王牧夫が言うには、兄の病は危急で、きっとよくならない。課式を見ると、三伝は木局に合し、六合は棺を主り、戌亥の天罡は「墓門」となし(戌は天罡、亥は地戸、戌亥は天門・地戸の間にあって死喪の徴となる)、凶象が甚だ明白である。行年の神は午に臨み、午火はまた木局を生じて財爻を化し、ただ病人に利があるだけである。およそ十一月中旬、酉・戌・亥の時月に忌み憂うべきである——酉は日支、戌は干の寄宮、亥は初伝である。この後、果たして亥月に没した。
邵彥和曰:己去就祿,便就上作初傳,若貴人相委財賦,須是仔細,不得走作財物,及非理飲酒,與親戚婦人交往,交主杖責,杖責了卻得垂顧帶去,終有名目相呼,此長生貴人垂顧之力也。顧緣初太守委提點財賦,後用官錢失檢,杖八十,月餘又與婦人在酒店飲酒,被仇人翁中達理論,太守勘無贓,杖一百,又二月鄭仕郎上任,顧甚得龐,遂成家計,得本州島參軍,後隨鄭去五年,大得意歸。
辛酉日、衛党衙が蔵物を占う(『指南』)
蓋己祿在午,刃在未作蛇,主非橫得罪,未為眷屬酒漿,蛇主棒,故見之,且不合在初傳也。中末皆長生貴人,可以立身。鄭貪賄,顧與他經畫,因得意。蓋土生金,申又作貴,為日長生,中末皆是故以此終。
崇正壬申年十二月初三は辛酉日で、月将「子」を卯時に加えて課を起こした。衛党衙——名は宋啓運——は、物が失われて見つからないことを問いに来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
天盤の諸将は、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に、貴人が巳に、螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に乗ずる。卯時は夜に属し、辛日の夜貴は巳なので、貴人は巳に臨み、諸将は逆に布せられる。四課は右から左へ、日干の辛は戌に寄宮し、戌の上に申を得て六合が乗る。申の上に卯を得て太陰が乗る。日支の酉の上に戌を得て青竜が乗る。戌の上に辰を得て天后が乗る。三伝は、初伝が辰で天后を乗せ、遁干は戊辰、辰土は辛金の父母である。中伝は申で六合を乗せ、遁干は丙申、兄弟となる。末伝は子で白虎を乗せ、遁干は戊子、子水は子孫となる。辰・申・子が三合して水局を成し、水は辛金の子孫をなす。
乾隆甲戌年亥月己未日寅將丑時,辛未人六十四歲占失賊。 牧夫占驗/朱蛇貴後/午未申酉 后貴后貴 兄己未蛇/合巳 戌陰 酉申酉申 子庚申貴/勾辰 亥玄 申未申己 子庚申貴/卯寅丑子/青空虎常
陳公献が言うには、物が失われて、必ず「金」の字を帯びた「孝服」の子女の手に取られている。支上・干上はともに「父母」が重なり、父母は日の「長上」であり衣帛・資財を主るので、蔵した物に間違いない。中伝・末伝はともに天將が日禄を帯び——六合は禄存を主り、白虎は血支・血忌を帯び、血支は血光・孝服を主る——だから孝服の子女の手に落ちた。日支の辰が「金の墓」となし、墓は墳墓の位で、子女はちょうど水局に属し、水は墓神をなす。つまり失われた物は、水道・墓側の近くにある。彼の物が果たして水道傍の墓側で拾得された。彼は私に深く謝して帰った。
王牧夫曰:八專之課,干支不別,一派寒金,自身又作螣蛇,事由自己疏懶致有此也。財失五百金,必非一人。以玄武論之,乘亥,陰見子,乃少年也。亥數四,當主四人。玄武臨戌,當在西北近水之地。子乘太常,勾陳制之;太陽之陰,又與相刑,告官必為捕役所獲。果於辛酉日因包課之布為認記,因是而獲。同夥者共四人。
辛酉日、官職を占う(『牧夫占験』)
乾隆庚午年正月の辛酉日に、月将「亥」を午時に加えて課を起こし、官職を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。
建炎戊申年八月己未日巳將卯時何解元癸酉生三十六歲占子嗣。 口鑑 捷要 方本占案/陳六/龍未申酉戌朱/空午 亥蛇 蛇六蛇六 子辛酉六/虎巳 子貴 亥酉亥酉 子辛酉六/常辰卯寅丑后 酉未酉己 子辛酉六/玄陰
天盤の諸将は、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に、貴人が午に、螣蛇が未に乗ずる。午時は昼に属し、辛日の昼貴は寅なので、貴人は寅に臨むべきだが、図では貴人が午に臨んでいる——これは辛日ではなく壬・癸日の昼貴である午を用いたもので、源文の排式におそらく誤りがあるが、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の辛は戌に寄宮し、戌の上に亥を得て青竜が乗る。亥の上に申を得て朱雀が乗る。日支の酉の上に午を得て貴人が乗る。午の上に丑を得て白虎が乗る。三伝は、初伝が亥で青竜を乗せ、遁干は己亥、亥水は子孫となる。中伝は寅で太常を乗せ、遁干は壬寅、寅木は妻財となる。末伝は巳で天后を乗せ、遁干は癸巳、巳火が辛金を克するので官鬼となる。
邵彥和曰:課名獨足,若傳飛散,便不應也。何兄此占,當有五女,若要得子,除非過房。行年在丑,酉為六合,而沖卯之玄武,畢竟男胎不成也。本身有腸風痔病,乃好色得之,不利成名,成名則不過四十八矣。
王牧夫が言うには、官星が初伝・中伝を経て末伝に落ち、亥・寅・巳が順に相い生ずる——亥水は寅木を生じ、寅木は巳火を生じる——青龍・太常・天后の吉將を帯び、官職は必ず転じて良いがある。ただし日干の上に青竜が坐し、日支の上に貴人が坐し——貴人は官星でもある。干支は刑を交わし——寅巳申の三刑、巳申は刑合——だから職を推すには必ず刑獄・訟獄の處に関わる。「刑を交わして合を帯び」、転職のために刑部の署に委ねられることが分かる。彼は後に果然として刑部江西司に推転された。
蓋身宅三傳俱是酉,酉為兌,兌為少女,六合乘酉,亦是女,三傳日辰俱見酉,故主五女也。行年上見卯,為震,為長男,酉來合丑,而卯相沖,上見玄武盜耗,所以不成胎也。酉金為大腸,又酉為血,故為腸風臟毒也。酉為脫氣,又為色慾,六合為女,故主好色也。酉六未八,乃六八四十八也。
壬戌日
壬戌日、徐氏が夫の行方を占う(『指南』)
張世南同日時得此課占訟。 口鑑 直指/陳六/龍未申酉戌朱/空午 亥蛇 蛇六蛇六 子辛酉六/虎巳 子貴 亥酉亥酉 子辛酉六/常辰卯寅丑后 酉未酉己 子辛酉六/玄陰
崇正癸酉年十二月初五は壬戌日で、月将「丑」を子時に加えて課を起こし、徽商の徐氏が夫の行方を占った——夫は術數を学んでおり、湖南に遊んで帰らない。この案件は『六壬指南』から出ている。
邵彥和曰:兩邊行不得,只好從中自後行。若兩邊爭時不知寧息,公潛地用轎自走去地頭。定解,果如其說。直指引口鑑云:兩邊俱不得力,官當自行,干貴無益,後果縣宰潛往定驗矣。
天盤の諸将は、太陰が酉に、玄武が戌に、太常が亥に、白虎が子に、天空が丑に、青竜が寅に、勾陳が卯に、六合が辰に、朱雀が巳に、螣蛇が午に、貴人が未に、天后が申に乗ずる。子時は夜に属し、壬日の夜貴は卯なので、貴人は卯に臨むべきだが、図では貴人が未に臨んでいる——これは夜貴ではなく昼貴の巳と混同したものか、あるいは別の讹りである。源文の通りに留めて改めない。四課は右から左へ、日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に申を得て天后が乗る。申の上に丑を得て天空が乗る。日支の戌の上に寅を得て玄武が乗る。寅の上に亥を得て太常が乗る。三伝は、初伝が寅で玄武を乗せ、遁干は甲寅、寅木は壬水がこれを生ずるので子孫となる。中伝は亥で太常を乗せ、遁干は癸亥、兄弟となる。末伝は申で天后を乗せ、遁干は庚申、申金は壬水を生ずるので父母となる。
陳公献が言うには、あなたの夫は南方の僧寺にいて、門下に弟子があって占を行っている。彼の処には既に疾病があるが、命はまだ保たれる。行年の上の神は天后で臨む——天后は水を主り、水は南を向いているので南方である——申金は壬水を生じ、申はまた「婬私」を主り天后と合す。門下の弟子は「僧尼」の象で、玄武が「釈」の類を主る。寅は「功曹」の位で、もともと老僧の坐す所である。支の上に寅が臨み寅は子孫をなし玄武を帯び——玄武は「盗贼」を主る——これは彼の僧寺が既に盗賊に破られて残せる弟子がいない徴である。夫婦は丑・寅・申に落ち、申は天后を帯び「水に臨む」象をなす。来たる正月には夫はきっと帰って来る。果たして翌年正月に帰宅した。
二月己未日亥將酉時張克用商人占遠方買賣。 口鑑 捷要/陳六/龍未申酉戌朱/空午 亥蛇 蛇六蛇六 子辛酉六/虎巳 子貴 亥酉亥酉 子辛酉六/常辰卯寅丑后 酉未酉己 子辛酉六/玄陰
壬戌日、上苑中允が夫人の懐妊を占う(『指南』)
邵彥和曰:酉為兌,兌為澤,六合為船隻,利船行。獨足止一足,不利陸行,若船行獲加倍得利。
崇正丁丑年九月の壬戌日に、月将「辰」を寅時に加えて課を起こした。洧川の上苑中允が夫人の懐妊を占いに来て、胎の男女を占い、懐妊の徴候もあわせて問うた。この案件は『六壬指南』から出ている。
天盤の諸将は、太陰が酉に、玄武が戌に、太常が亥に、白虎が子に、天空が丑に、青竜が寅に、勾陳が卯に、六合が辰に、朱雀が巳に、螣蛇が午に、貴人が未に、天后が申に乗ずる。寅時は夜に属し、壬日の夜貴は卯なので、貴人は卯に臨むべきだが、図では貴人が未に臨んでいる——源文がこうなっているので、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に申を得て天后が乗る。申の上に丑を得て天空が乗る。日支の戌の上に寅を得て玄武が乗る。寅の上に亥を得て太常が乗る。三伝は、初伝が申で天后を乗せ、遁干は庚申、父母となる。中伝は巳で朱雀を乗せ、遁干は乙巳、妻財となる。末伝は寅で玄武を乗せ、遁干は甲寅、子孫となる。
杭州學橋水漲,太尉重起府門及造賃屋房廊請陳相干天民占問己未日戌將申時辛亥命。 一針見血 張本作邵彥和占/陳六/龍未申酉戌朱/空午 亥蛇 蛇六蛇六 子辛酉六/虎巳 子貴 亥酉亥酉 子辛酉六/常辰卯寅丑后 酉未酉己 子辛酉六/玄陰
陳公献が言うには、太夫人は必ず男子を孕む——三伝は全て陽神・陽位を帯びるからである。ただし胎位が弱いので、産後に必ず損傷を受ける——日干の上に「父母」が重なり、父母は胎神を剋する。末伝の寅はまた「功曹」の位で、遁干に「甲」を帯びる——甲木は十干の長である。だからこの児は必ず長男である。「青竜が胎の徳」を帯び——寅は青竜を帯び、青竜は財禄を主る——この児は生まれて必ず貴い。のちに果たしてその通りであった。
陳天民曰:獨足課,即亥酉未,辛命得三個酉是三重天祿,三重帝旺,主富貴兩全,官至一品。依朝廷之威勢起造昌盛,尚有三十年大發,太尉大喜。天民退而告人曰:此獨足課,課既不足,傳又不行,終無百年久遠。將來太尉歿後,命既不存,祿旺何在?恐其子孫不肖犯法,此屋沒入官矣。果然。
壬戌日、楚中有声が子を求める(『指南』)
崇正己巳年二月の壬戌日に、月将「亥」を辰時に加えて課を起こし、楚中有声——名は権——が子を求めて来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
建炎己酉年九月己未日卯將丑時陸孔目己巳生四十一歲占官事。 方本占案/貴後/蛇未申酉戌陰/朱午 亥玄 玄后玄后 子辛酉後/六巳 子常 亥酉亥酉 子辛酉後/陳辰卯寅丑虎 酉未酉己 子辛酉後/龍空
天盤の諸将は、螣蛇が巳に、貴人が午に、天后が未に、太陰が申に、玄武が酉に、太常が戌に、白虎が亥に、天空が子に、青竜が丑に、勾陳が寅に、六合が卯に、朱雀が辰に乗ずる。辰時は昼に属し、壬日の昼貴は巳なので、昼貴は巳に臨むべきだが、図は夜貴の午を用いて逆に布している——源文がこうなっているので、そのまま留めて改めない。四課は右から左へ、日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に卯を得て六合が乗る。卯の上に午を得て貴人が乗る。日支の戌の上に申を得て太陰が乗る。申の上に亥を得て白虎が乗る。三伝は、初伝が酉で太陰を乗せ、遁干は己酉、父母となる。中伝は辰で朱雀を乗せ、遁干は庚辰、父母となる。末伝は亥で白虎を乗せ、遁干は辛亥、兄弟となる。
邵彥和曰:己巳生人,見酉為破碎。今日又是巳日,未即是己,支干又皆敗於酉,酉合巳,象配字,行年便作背後懸針殺,一因奸事,二防官錢,三防酒,必配本州島。蓋獨足不行也。配後當再配西北牢城方止耳。陸漫應之,月餘太守差沽酒,渠夾帶劉宅私酒,又與二夫娘何盼盼憑照,因太守轎出,見他在麵店,太守即搜尋他事蹟,互用官錢五十多貫,及招認奸事,配本州島牢城,後即在通判廳,累與他作鬧,再與何盼盼往來,通判大怒,稟過太守,斷配潤州。
陳公献が言うには、子を求めるには妻妾の腹を占うべきだが、この課は妻に子がない。日干の上に「六合」が臨み、六合は子女を主るが、六合の神は卯を帯びて空亡に落ちる——卯は辛酉日の空亡——だから腹があっても全く空である。末伝の亥は「子」を帯び、白虎を帯びて「敗神」をなす——亥は水で、水は子孫を主るが、白虎は「兇残」を主るので、子があっても必ず損される。さらに三伝は全て「父母」を帯び、父母は子孫を剋するので、腹はあってもただ流空を産する——種はあっても実らない。後に果然として果たさなかった。
蓋獨足課,故在本州,來歲行年加日辰之上,與日辰並聚,凡並聚者,必飛散,既飛散,必再出外方。(若何解元占子嗣課行年不加故不飛散)。兼有二巳字,豈一番可了?(不合是己巳生),酉上見亥不離西北,亥乃江海,必潤州矣。況亥為點水,酉為門,酉上見丑土,似玉字,合之成潤字也。
壬戌日、呉興沈氏が陸君宝の子を占う(『指南』)
崇正丙子年十二月の壬戌日午時に、吳興の沈氏が陸君宝の子を占い、懐妊したことを祝いに来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
己未日子將戌時某占婢走失。 方本占案/貴後/蛇未申酉戌陰/朱午 亥玄 玄后玄后 子辛酉後/六巳 子常 亥酉亥酉 子辛酉後/陳辰卯寅丑虎 酉未酉己 子辛酉後/龍空
天盤の諸将は、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に、貴人が午に、螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に乗ずる。午時は昼に属し、壬日の昼貴は巳なので、貴人は巳に臨むべきだが、図では貴人が午に臨んでいる——源文がこうなっているので、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に子を得て天空が乗る。子の上に巳を得て天后が乗る。日支の戌の上に寅を得て太常が乗る。寅の上に亥を得て青竜が乗る。三伝は、初伝が午で貴人を乗せ、遁干は丙午、午火は壬水において妻財となる。中伝は巳で天后を乗せ、遁干は乙巳、妻財となる。末伝は寅で太常を乗せ、遁干は甲寅、子孫となる。
邵彥和曰:酉為婢,加干支上,是不離身宅矣。兼之獨足課,一足焉能逃也,不須尋,當日自歸矣。果然。
陳公献が言うには、この胎は必ず男子である——三伝は全て陽神・陽位を帯び、末伝は「功曹」の寅を帯びるからである。ただし懐妊はすでに日が足り、産期は遠くない——干の上に「天空」が臨み、天空は「虚胎」を主るので、これは児を生んだというのではなく、むしろ「虚胎」の象である。ただし末伝の寅は妻財を帯び、また「子孫」でもあるので、ただ虚胎ではない。だからこの児は生まれて、ただ一ヶ月に留まるだけである。彼は果然として生まれて間もなく亡くなった。
癸亥日
崇正辛未年四月己未日辰時東省兵長垣仇庸足先占功名。 指南/朱蛇/六酉戌亥子貴 玄蛇玄蛇 財癸亥蛇/勾申 丑后 卯亥卯亥 鬼乙卯玄/青未 寅陰 亥未亥己 兄己未龍/空午巳辰卯玄/虎常
癸亥日、張次公有が官職を占う(『指南』)
陳公獻曰:此課占功名,將來遠大,非常格也。傳將木局,官星崢嶸,喜本命丁馬恩星以化之,為逢凶化吉也。且木逢初夏,正在榮旺之時,又蛇化為龍,將來事業日新,功名顯赫,不待言矣。後歷任通州,擢南大司農、大司馬,請告歸里。
崇正己巳年四月の癸亥日酉時に、南城の張次公有——名は維世——が官職を占いに来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
天盤の諸将は、太陰が寅に、玄武が卯に、太常が辰に、白虎が巳に、天空が午に、青竜が未に、勾陳が申に、六合が酉に、朱雀が戌に、螣蛇が亥に、貴人が子に、天后が丑に乗ずる。酉時は夜に属し、癸日の夜貴は巳なので、貴人は巳に臨むべきだが、図では貴人が子に臨んでいる——これは昼貴の卯でもなく夜貴の巳でもなく、源文の排式におそらく誤りがあるが、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の癸は丑に寄宮し、丑の上に戌を得て朱雀が乗る。戌の上に卯を得て玄武が乗る。日支の亥の上に戌を得て朱雀が乗る。���の上に卯を得て玄武が乗る。三伝は、初伝が戌で朱雀を乗せ、遁干は壬戌、戌土は癸水において官鬼となる。中伝は丑で天后を乗せ、遁干は癸丑、官鬼となる。末伝は辰で太常を乗せ、遁干は戊辰、官鬼となる。戌・丑・辰はともに土に属する——土は水を剋するので、官鬼をなす。
陳公献が言うには、この官は占いれば必ず得られるが、任上で長く居られない——三伝は全て「官鬼」の爻を帯び、官は多くて乱雑であり、また干支の上が互いに加わって「交克」し——干の上に戌、支の上に戌、戌土が壬水を剋する——これは任が難しく官が辱められる象である。だが彼はもうすでに得て、ただ去るに堪えない——初伝の戌は「河魁」を帯びて崑門をなし——戌は天罡の地で、崑門をなす——だから去るに堪えない。後に果然として、彼は得て直ちに廃された。
崇正甲申年四月初三庚申日酉將辰時如皋銓部李大生先生占燕京安危。 指南/朱蛇/六戌亥子丑貴 白貴白貴 財乙卯陰/勾酉 寅后 午丑午丑 父乙丑貴/青申 卯陰 丑申丑庚 父乙丑貴/空未午巳辰玄/虎常
癸亥日、呉振之が兄の科名を占う(『指南』)
陳公獻曰:賊自西山出奇,用騾車木韞,先攻西南後攻東北,且有凶變之虞。蓋因賊符自戌發用,克中末干支貴人,而天空臨寅(愚按:寅為燕之分野),此地疏虞,賊必乘虛而入,兩陰神虎鬼克干支及歲君,左右獻城之象。後聞李賊明攻張掖,暗逾東直,城中鼎沸,開門出降,先帝自縊。愚按:虎鬼並顯亦殺克太歲,故主懷宗自縊。
崇正庚午年十二月の癸亥日戌時に、奉新の呉振之が兄の科名を占いに来た——彼の兄はすでに頼を帯びて待っていた。この案件は『六壬指南』から出ている。
天盤の諸将は、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に、貴人が未に、螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に乗ずる。戌時は夜に属し、癸日の夜貴は巳なので、貴人は巳に臨むべきだが、図では貴人が未に臨んでいる——源文がこうなっているので、姑く原のままに記す。四課は右から左へ、日干の癸は丑に寄宮し、丑の上に午を得て天后が乗る。午の上に亥を得て勾陳が乗る。日支の亥の上に戌を得て六合が乗る。戌の上に卯を得て太常が乗る。三伝は、初伝が卯で太常を乗せ、遁干は乙卯、卯木は癸水がこれを生ずるので子孫となる。中伝は子で青竜を乗せ、遁干は壬子、比和するので兄弟となる。末伝は酉で朱雀を乗せ、遁干は癸酉、酉金は癸水を生ずるので父母となる。
庚寅年五月初八庚申日申將丑時徐盟鹿占得此課問遠行攜有妻子同往,看吉凶若何? 指南/貴後/蛇子丑寅卯陰 六陰六陰 父壬戌六/朱亥 辰玄 戌卯戌卯 官丁巳常/六戌 巳常 卯申卯庚 子◎子蛇/勾酉申未午虎/青空
陳公献が言うには、兄の科名は必ず成るが、いま成らない。日支の上に「六合」が臨み、六合は科名を主り、戌は「河魁」を帯びて「喜神」をなす——戌は秋冬の天喜で「喜神」である——だから科名は必ず成る。ただし中伝の子は「旬空」を帯び——癸亥日は子丑が旬空——だからいま成らない。末伝の酉は「父母」を帯び、朱雀を帯びて文書・科名を主る。酉は「勝光」の地で、また日支の「敗神」を帯びる——酉は亥水にとって「敗神」——だから敗してまた成る。兄の科名は「二番に得る」ことを主る。後に果然として、彼は「二番目」に推挙されて江西県令に授かり、直ちにまた「三番目」に改められた。
陳公獻曰:男女遠行俱不得意,中途被劫,死於他鄉,有沉溺破舟之虞。蓋因男干女支行入空墓之地,中傳劫煞旬丁刑剋支干,末傳日死加巳,是陽生臨陽絕,合為死字。且壬戌加卯發用,是河井相加,卯受干克,主車船破壞,其禍必矣。近江西百餘里,男女五人被盜而死。
癸亥日、塗心見が兄の差遣を占う(『指南』)
崇正壬申年十二月の癸亥日子時に、南昌の塗心見——名は仲登——が兄の差遣を占いに来た。この案件は『六壬指南』から出ている。
乾隆己巳年五月庚申日未將子時,女命丁丑生五十三歲占流年。 牧夫占驗/青空虎常/子丑寅卯 合常合常 父壬戌合/勾亥 辰玄 戌卯戌卯 官丁巳陰/合戌 巳陰 卯申卯庚 子◎子青/酉申未午/朱蛇貴後
乾隆己巳年五月の庚申日に、月将「未」を子時に加えて課を起こし、丁丑年生まれ五十三歳の女性が流年を占った。この案件は『牧夫占験』から出ている。天盤の諸神が乗る天将は、「青竜」が子に、「天空」が丑に、「白虎」が寅に、「太常」が卯に、「玄武」が辰に、「太陰」が巳に、「天后」が午に、「貴人」が未に、「螣蛇」が申に、「朱雀」が酉に、「六合」が戌に、「勾陳」が亥にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に卯を得て太常が乗る——第一課。卯の上に戌を得て六合が乗る——第二課。日支の申の上に卯を得て太常が乗る——第三課。卯の上に戌を得て六合が乗る——第四課。三伝は、初伝が壬戌で六合を乗せ、中伝が丁巳で太陰を乗せ、末伝が子で青竜を乗せるが子は旬空に落ちる。戌は庚金の官鬼の墓であり、三伝の中に正官が現れず、末伝の子孫もまた空破に遭う——これが以下に寡居と家業の衰落を断ずる根拠である。
王牧夫曰:婦人占,用起鬼墓,不見官星,乃寡婦也。家本富厚,有模範,因婦人用事,先業漸虧,今便改削愈見衰落不振也。其人云彼夫家夫亡後,尚有數萬金為此婦用,費將盡矣。問流年者,看將來若何耳。余曰:末見青龍子孫為月破,又為囚水,聊且度日而已。蓋戌巳子,亦鑄印也。子去刑卯,卯為日財,乃先成後敗之體,故鑄印以巳戌卯三字為有成也。今得戌巳子,安能有興象乎?故曰不振。干支同體而財無分別,是人用我,我用人,俱不論也。我之財,為他人之財,亦可也。外用內用,終日斧削,豈能不耗?庚與申,內外皆斧也。其象如此,能不衰乎?
王牧夫が言うには、婦人が占いに来て、発用が官鬼の墓庫から起こり、課全体に正官が現れない——これは寡婦である。彼女の家はもともと殷実で富み、家風にも規範があったが、ただ婦人が家の事を取り仕切ったために先祖の産業が徐々に損なわれ、いまさらに削減されて衰落して振るわなくなった。その人が言うには、彼女の夫の家は夫が亡くなった後、なお数万両の銀を残してこの婦人の費用に充てていたが、いまはほとんど使い尽くそうとしている。流年を問うのは、ただ将来がどうなるかを見たいだけである。私が言うには、末伝の青竜・子孫は月破の上に落ち、また囚気の水なので、ただ日を凌ぐのみである。三伝の戌・巳・子はもとより「鋳印」の格に似ている——子が卯を刑し、卯は日干の財爻で、これは先に成して後に敗れる体段である——鋳印課は巳・戌・卯の三字が揃ってこそ有成とするのに、いま得たのは戌・巳・子である。どうして興隆の気象があろうか。だから不振と言う。日干と日支が同体で財爻に分別がないのは、人が我を用い、我が人を用いるのと同じで、いずれも論ずるに足りない。我の財が他人の財となることもまた可なり。外に用い内に用い、終日斧で削り続けるのだから、どうして耗費せずにいられようか。庚と申は内外ともに斧である。その象がこのようであれば、どうして衰えずにいられようか。
庚申日、夢を占う(『張本占案』)
九月庚申日卯將未時占夢。 張本占案/貴后陰玄/丑寅卯辰 蛇玄蛇玄 子◎子蛇/蛇子 巳常 子辰子辰 兄庚申龍/朱亥 午虎 辰申辰庚 父丙辰玄/戌酉申未/合勾龍空
九月の庚申日に、月将「卯」を未時に加えて課を起こし、夢の兆しを占った。この案件は『張本占案』から出ている。天盤の諸神が乗る天将は、「貴人」が丑に、「天后」が寅に、「太陰」が卯に、「玄武」が辰に、「太常」が巳に、「白虎」が午に、「天空」が未に、「青竜」が申に、「勾陳」が酉に、「六合」が戌に、「朱雀」が亥に、「螣蛇」が子にある。四課:庚金は申に寄宮し、申の上に辰を得て玄武が乗る——第一課。辰の上に子を得て螣蛇が乗る——第二課。日支の申の上に辰を得て玄武が乗る——第三課。辰の上に子を得て螣蛇が乗る——第四課。三伝は、初伝が子で螣蛇を乗せるが子は旬空に落ち、中伝が庚申で青竜を乗せ、末伝が丙辰で玄武を乗せる。申・子・辰が会して水局を成し、課体の名は「潤下」である。
斷曰:此課潤下,值時冬旺,吉。蛇主奇怪驚恐,乘子為半夜之神發用,是夢感於三更時候。子在十月為天馬,為游神,為咸池,令人精神恍惚也。然太歲之位,即係萬盛之尊,申祿臨之,上乘青龍,雖有驚夢,不成凶。
断語に言う。この課は「潤下」で、時節は冬にあたり水気が旺である——吉である。螣蛇は奇怪・驚恐を主り、それが乗る子は夜半の神であり、いまここから発用するので、この夢は三更の時分に感応して成ったものと見える。子は十月において「天馬」であり、また「游神」であり、「咸池」でもあるので、人の精神を恍惚とさせる。ただし太歳の居る位はすなわち至尊至盛の地であり、庚金の禄神である申がまさにそこに臨み、上にまた青竜を乗せているので、驚きの夢を見てもついに凶とはならない。
愚按:此課似為祝氏元氏苗姑關氏為宋主占者,然他本未見姑關,疑焉。
愚按:この課は、祝氏・元氏・苗姑・関氏の数家が宋の君主のために占った課例のように見えるが、他の本には「姑関」の二字が見えないので、疑いを存して考証を待つ。
