癸丑日・兵を占う(郭氏占案)
崇正丙子年七月癸丑日午將酉時占兵。(郭氏占案)
明崇禎丙子年七月の癸丑日、月将は午で正時は酉、兵事を占問した。案は『郭氏占案』から出る、郭御青の占験記録である。月将の午は酉時の上に加わり、天盤は地盤より順に九位進む。この課は三伝の戌・未・辰がみな官鬼で、もと極めて凶険だが、却って螣蛇と白虎が自ら相冲击するによって、凶神が彼此に牽制し、反って大害を成さない。
合朱蛇貴|寅卯辰巳 陰虎陰虎 鬼 庚戌 虎|勾丑 午后 未戌未戌 鬼 丁未 陰|龍子 未陰 戌丑戌癸 鬼 甲辰 蛇|亥戌酉申|空虎常玄
課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は六合、卯の上は朱雀、辰の上は螣蛇、巳の上は貴人、丑の上は勾陳、午の上は天后、子の上は青竜、未の上は太陰、亥の上は天空、戌の上は白虎、酉の上は太常、申の上は玄武。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に戌を見、戌の上に未を見、日支の丑の上に戌を見、戌の上に未を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・白虎・太陰。三伝は上より下へ:初伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は癸水を克して官鬼と為り、白虎を乗せる。中伝の未は旬遁して丁未、もまた官鬼で、太陰を乗せる。末伝の辰は旬遁して甲辰、同じく官鬼で、螣蛇を乗せる。第一課の「丑上見戌」は上神の戌土が下神を克し、上が下を克するに属し、戌を取って発用として元首課を成す。三伝は全土で鬼を成し、まさに「官鬼満目」の説に合す。しかも初伝の戌の上の白虎と末伝の辰の上の螣蛇は、辰戌が相冲して両凶が自ら闘うので、凶は極に至らない。申は游都の神で、七月の月建を乗じて旺相し、大軍の気勢がまさに盛んなるを主る。
郭御青曰:七月十一閏 ,大兵入寨之信。得此課,官鬼滿目,幸以凶制凶,蛇虎自沖,不為大害。申為游都,乘月建旺相,主大兵勢盛,至九月,申入墓則衰。時有會稽陶湛生社丈問八月科場移否?比時另占一課,不記,止記朱雀乘戌為九月,後大兵果於九月初三日東歸。文場移於九月二十九。
郭御青が言うには:七月十一日(原文のここに闕字あり)、大軍が進みて營寨に駐すの消息を傳來した。この課を得て、満盤みな官鬼なり、所幸は凶をもって凶を制する――螣蛇と白虎の乗ずる所の辰・戌が自ら相冲击するので、これにより大害を成さない。申は「游都」のこの兵象の神で、七月の月建を乗じて旺相し、大軍の声勢がまさに盛んなるを主る。九月に至り、申は墓庫に落入し、気勢は自然に衰减する。当時会稽の社友陶湛生が八月の科場考試は期を改めるかどうかを問い、我は別に一たび課を起こしたが、今課式を記えず、ただ断語は朱雀が戌を乗じて九月に応ずると記えるのみ。その後大軍は果たして九月初三に東に撤し、考場は則ち九月二十九日に改まった。(原文の「七月十一閏」の下は一字を空し、底本に闕あり。)
卷の六
甲寅日
甲寅日・陳龍正が京中で銭士升の入相を占う
崇正癸酉年七月甲寅日申時,浙嘉善諱龍正陳先生在京會試時,占同鄉少宗伯諱士升錢太史可能入相否。 指南
明思宗崇禎癸酉年(崇禎六年、公元一六三三年)七月甲寅日申時に課を起こす。「崇正」は則ち「崇禎」で、諱を避けるによって字を改めた。占者は浙江嘉善の人陳龍正先生(名の諱は龍正)で、彼は明末嘉善の著名な儒者で、東林領袖の高攀龍に師事し、崇禎七年甲戌科にやっと進士を成した。この時彼は京城に在って會試に応じており、便ち同郷の銭士升のために一課を起こし、この銭太史が入閣して相を拜し得るかを占問した。「少宗伯」は禮部侍郎の別称で、「太史」は翰林院史官の別称である。銭士升もまた嘉善の人で、萬曆四十四年丙辰科の状元で、当時はまさに禮部の職をもって朝に在った。本条は明代陳公献の『六壬指南』から出る。
朱六勾青 卯辰巳午 玄后玄后 財 壬戌 玄 蛇寅 未空 戌子戌子 鬼 庚申 虎 貴丑 申虎 子寅子甲 子 戊午 龍 子亥戌酉 后陰玄常
これは圓盤の課式を展き平して書き成した一行である。外圈は天盤の十二支と各支の乗ずる天将:卯の上に「朱雀」を乗せ、辰の上に「六合」を乗せ、巳の上に「勾陳」を乗せ、午の上に「青竜」を乗せ、未の上に「天空」を乗せ、申の上に「白虎」を乗せ、酉の上に「太常」を乗せ、戌の上に「玄武」を乗せ、亥の上に「太陰」を乗せ、子の上に「天后」を乗せ、丑の上に「貴人」を乗せ、寅の上に「螣蛇」を乗せる――申時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用うるので、衆将は順行する。中間の三行は四課で、右より左に向かって読む:第一課、日干の甲の寄宮は寅に在り、寅の上に子を得、天后を乗せる。第二課、子の上に戌を得、玄武を乗せる。第三課、日支の寅の上に子を得、天后を乗せる。第四課、子の上に戌を得、玄武を乗せる。最後の一列は三伝で、上より下へ初・中・末と為す:初伝の戌は遁干壬、甲木に於いて妻財と為り、玄武を乗せる。中伝の申は遁干庚、官鬼と為り、白虎を乗せる。末伝の午は遁干戊、子孫と為り、青竜を乗せる。
陳公獻曰:發用干支旬空日敗,本不許入相。然餘終以入相許之。因中傳驛馬皇詔,末傳月將青龍,又歲建乘太常作官星加臨年命。經曰:太常入官鄉當朝執政,月將乘青龍片言入相。非宰執而何?嫌龍神克歲君(龍乘午克太歲酉),將來未必不獲意於君上而退位。後如其占。
陳公献が言うには:この課の發用は干支の上神の身より出るが、しかも日干・日支の上神はともに子――子はすでに甲寅旬の旬空の裏に落ち、またまさに甲木の沐浴敗地で、常理に按じてもと彼に入閣して相を拜することを許すべからず。しかるに我は最終に依然として彼が相に入り得ると断定する。理由は三あり:中伝の申はすでに寅日の駅馬にして、また皇家の詔命を主る。末伝の午はまさに当月の月将で、上にまた青竜を乗ずる。さらに太歳の酉が「太常」を乗ずるに、酉金は甲木に対して則ち官星であり、しかもそれは占う所の人の年命の上に加臨する。壬經に説く:「太常が官郷に入れば、便ち当朝の執政なり。月将が青竜を乗ずれば、片言の間に相に入る。」このような課象ありて、宰輔を為さずしてなお何を為せられんか。嫌う所はただ青竜のこの一将が反って去りて太歳を克する――青竜は午火を乗せ、午火は太歳の酉金を克する――將來はただ難きを免れず君上のあそこに於いて意を失い、因りて位を退かんことを恐る。その後の事は、果たして彼の占ったと同じであった。
按鑑:士升癸酉年九月入閣,丙子年九月罷歸。因前獻寬簡虛平四箴,後言不可括,江南富戶輸官,帝皆不悅,故引罪而去也。
編者が史鑑に按じて核対する:銭士升は癸酉年(崇禎六年)九月に閣に入り、丙子年(崇禎九年)九月に至り便ち官を罷めて鄉に還った。緣由は彼が先前に皇帝に「寛・簡・虚・平」の四箴を進呈したことがあり、後にまた疏を上して民財を搜括すべからずと説き、江南の富戸に迫って銭糧を輸納して餉を助けしむるに反対した。崇禎帝はこの両件の事にいずれも喜ばず、彼は咎を引いて職を辭し去るほかなかった。占辞の説く所の「必ずしも君上に意を獲せずして位を退くことなからん」は、まさにここに応ずる。
甲寅日・王牧夫が小児の天花を出るを占う
乾隆戊辰年戌月甲寅日卯將辰時,占天花。 牧夫占驗
清乾隆戊辰年(乾隆十三年、公元一七四八年)戌月、甲寅日、月将は卯(太冲)で、辰時に課を起こす。占う所は小児の天花を出る、すなわち痘疹である。本条は王牧夫の『占験』から出る。
合勾龍空 辰巳午未 后貴后貴 父 ◎子 后 朱卯 申虎 子丑子丑 父 癸亥 陰 蛇寅 酉常 丑寅丑甲 財 壬戌 玄 丑子亥戌 貴后陰玄
外圈の天盤十二支は各々天将を乗せる:辰は「六合」を乗せ、巳は「勾陳」を乗せ、午は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、申は「白虎」を乗せ、酉は「太常」を乗せ、戌は「玄武」を乗せ、亥は「太陰」を乗せ、子は「天后」を乗せ、丑は「貴人」を乗せ、寅は「螣蛇」を乗せ、卯は「朱雀」を乗せる。辰時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用い、諸将は順行する。卯将を辰時に加うるに、天盤は地盤より退く一位。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に丑を得、貴人を乗せる。第二課、丑の上に子を得、天后を乗せる。第三課、日支の寅の上に丑を得、貴人を乗せる。第四課、丑の上に子を得、天后を乗せる。三伝は初より末へ:初伝の子は父母と為り、天后を乗せ、傍らの「◎」はそれが旬空に落ちるを標す(甲寅旬の中で子・丑は空亡)。中伝の亥は遁干癸、父母と為り、太陰を乗せる。末伝の戌は遁干壬、妻財と為り、玄武を乗せる。
王牧夫曰:此課占子出痘無礙,課無鬼克而子孫又立嚮明之方。天喜亦臨生地,三傳生干,貴後會合於干支之上,又甲祿在寅。父問子,支為卑幼,支旺亦無傷也。貴丑在前,戌支在後夾住子亥克子孫者,皆吉象也。三傳退入夜,先水末土帶玄武血厭之神,已結痂矣。後果驗。
王牧夫が言うには:この課は息子の痘を出るを占うに、妨げなし。課の裏に官鬼が来て日干を克するを見ず、しかも子孫の一爻はまた南方向明の方位に立つ。「天喜」の神もまた生気の地に臨む。三伝の中の子・亥の両水はみな日干の甲木を生ずる。貴人と天后はまた日干・日支の上神の上に會合する。何况甲木の禄はまさに寅に在り、寅は則ち本日の日支である。これは父を為る者が息子を問うで、日支は卑幼を代表し、日支はすでに旺気を得たので、息子は則ち傷なし。さらに貴人の乗ずる丑が前面に在り、戌のこの一支が後面に在り、子孫を克し得る子・亥の両水を中に夾み、みな吉象である。三伝の子・亥・戌は位を逐うて後退し、また夜分に向かって退き去る。前の両伝は水に属し末伝は土に属し、末伝の戌の上に玄武を乗せ、還って「血厭」の凶神を帯びる――水気が退いて土が来て収結するは、まさに痘瘡がすでに痂を結んだ様子である。その後果たして応験した。
凡占痘不宜太陽過旺兼有刑剋,痘乃先天火溼,故畏之。
およそ痘疹を占うに、「太陽」(則ち太陽の臨む所の神)の過ぎて旺盛なるを忌み、また兼ねて刑克を帯びるを忌む。痘瘡はもともと胎の裏より帶来した先天の火湿の毒で、火気が一たび旺せば則ち發作して起こるので、最もこの種の課象に遇うを怕れる。
甲寅日・郭徳音が家宅を占う
建炎己酉年六月甲寅日未將午時,郭德音壬申生三十八歲占家宅。 方本占案 口鑑
宋高宗建炎己酉年(建炎三年、公元一一二九年)六月、甲寅日、月将は未(小吉)で、午時に課を起こす。占を求むる人は郭徳音といい、壬申年生まれ、この年三十八歳で、家宅を占問した。本条は『方本占案』と『口鑑』の両書に見え、断語は宋代の六壬名家邵彦和から出る。
空虎 龍午未申酉常 勾巳 戌玄 六朱六朱 財 丙辰 六 六辰 亥陰 辰卯辰卯 子 丁巳 陳 朱卯寅丑子后 卯寅卯甲 子 戊午 龍 蛇貴
外圈は天盤の十二支と乗ずる所の天将:丑は「貴人」を乗せ、寅は「螣蛇」を乗せ、卯は「朱雀」を乗せ、辰は「六合」を乗せ、巳は「勾陳」を乗せ、午は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、申は「白虎」を乗せ、酉は「太常」を乗せ、戌は「玄武」を乗せ、亥は「太陰」を乗せ、子は「天后」を乗せる。午時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用い、衆将は順行する。未将を午時に加うるに、天盤は地盤より一位を進む。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に卯を得、朱雀を乗せる。第二課、卯の上に辰を得、六合を乗せる。第三課、日支の寅の上に卯を得、朱雀を乗せる。第四課、卯の上に辰を得、六合を乗せる。三伝:初伝の辰は遁干丙、甲木に於いて妻財と為り、六合を乗せる。中伝の巳は遁干丁、子孫と為り、勾陳を乗せる(三伝の一列の「陳」は則ち勾陳)。末伝の午は遁干戊、子孫と為り、青竜を乗せる。
邵彥和曰:人宅皆逢旺神,今六月占非本姓之旺,乃守東方之旺,只宜守分,不宜運用。若安分則自享福,一運用便有艱辛。辰加卯六害,六合又鎖之,巳加辰作勾地網,又逢勾陳鎖之,迤邐傳出子息,火為子息,破費錢物,因此衰敗。子又個個多病,費盡卻死,是取債之子,來年後年行年到處,子愈取債也。
邵彦和が言うには:人(日干)と宅(日支)の上神はみな当旺の神に遇う。今は六月に課を起こし、この股の旺気は彼の本姓の主る五行に属せず、ただ東方木の旺気を守るのみなので、彼はただ本分を安守するを宜しく、營運する所有るを宜しくしない。分に安んずれば則ち自然に福を享け、一たび動き起こして經營すれば則ち苦頭を喫する。天盤の辰が地盤の卯の上に加わり、卯と辰は相害し、辰の上にまた六合を乗ずるは、等しくさらに一道の鎖を加えた。天盤の巳が地盤の辰の上に加わり、辰は地網の位で、巳の上にまた勾陳を乗ずるは、等しくさらに一道の鎖を加えた。三伝は則ちこのように一路に輾轉し、伝じ出して子孫を為す――火は甲木の子孫で、銭財を破費することを主り、家道はこれにより衰敗する。子女はまた個個に病多く、銭財は耗し尽くして人はなお死去する。これは債を討ちに来る児女である。明年・後年に行年の到る所は、子女が債を索むはたださらに厲しきのみである。
甲寅日・揚州の宅中に於いて怪異を占う
己巳年五月甲寅日申將未時,占怪異。 牧夫占驗
己巳年五月、甲寅日、月将は申(傳送)で、未時に課を起こし、家中に忽然と生じ出た怪異の事を占う。本条は王牧夫の『占験』から出る。
空虎 龍午未申酉常 勾巳 戌玄 六朱六朱 財 丙辰 六 六辰 亥陰 辰卯辰卯 子 丁巳 陳 朱卯寅丑子后 卯寅卯甲 子 戊午 龍 蛇貴
申将を未時に加うるに、天盤は同じく地盤より一位を進むので、排出したる天地盤と四課三伝は、上の一条の郭徳音が宅を占った課と完全に同じである。外圈:丑は「貴人」を乗せ、寅は「螣蛇」を乗せ、卯は「朱雀」を乗せ、辰は「六合」を乗せ、巳は「勾陳」を乗せ、午は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、申は「白虎」を乗せ、酉は「太常」を乗せ、戌は「玄武」を乗せ、亥は「太陰」を乗せ、子は「天后」を乗せる。四課は右より左へ:甲の寄宮は寅に在り、寅の上に卯を得、朱雀を乗せる。卯の上に辰を得、六合を乗せる。日支の寅の上に卯を得、朱雀を乗せる。卯の上に辰を得、六合を乗せる。三伝:初伝の辰は遁干丙、妻財と為り、六合を乗せる。中伝の巳は遁干丁、子孫と為り、勾陳を乗せる。末伝の午は遁干戊、子孫と為り、青竜を乗せる。
王牧夫曰:其人居揚州舊城,忽生怪異,滿屋灰塵,居人晝夜不安。余曰:門戶口舌不寧,卯是陽刃,帶朱雀皆由人心失和所致。天目在未,未加午為堂屋,其怪異當在堂屋之內。經云:卯為狐,卯為大火心星。火主禮,失禮則失其常,故異物能侮之矣。然亦無礙,不久自退。蓋發用天罡乘六合,辰由卯上發用,中見巳為勾陳,主勾留四十日自消滅。凡天目並月厭丁神主怪異,此課見矣。然此課發用為財,而末傳青龍應之又帶財在門戶間,其餘不合,故亦不言也。巳午為灰塵其家甚的。
王牧夫が言うには:この人は揚州の舊城に住み、家の裏に忽然と怪異を生じ、満屋子みな灰塵で、一家人は昼夜に安寧を得ない。我が言うには:これは門戸の間に口舌が寧からざるの象である。卯は甲木の陽刃で、上にまた朱雀を乗せて口舌を主るので、みな人心の失和の引き起こす所と見える。「天目」の神は未に在り、天盤の未は地盤の午の上に加わり、午は堂屋の象なので、怪異は当に堂屋の裏面に出るべきである。壬經に説く:卯は狐狸と為す。卯はまた二十八宿の中の大火の次の心宿に当たる。火は五常の中で禮を主り、禮数を失えば則ちその常度を失うので、異物がやっと人に欺侮し得る。ただこれもまた大きな礙はなく、久しからずして自ら退去する。發用の辰は「天罡」で、上に六合を乗せ、しかも辰はまた卯の上より取り出したるからである。中伝に巳が勾陳を乗ずるを見、勾陳は勾連滯留を主り、四十天の後に自ら消滅する。およそ「天目」と「月厭」「丁神」が同時に出現するは、みな怪異を主り、この課は恰好みな見えた。この課の發用は妻財に至っては、末伝の青竜が来てそれに應じ、また財を帯びて門戸の間に在る――その余の課象はこれと相配合しないので、我はまたそれを説きに往かない。巳・午は火に属し、まさに灰塵の象で、彼の家の情形と非常に吻合する。
甲寅日・官人が寺に寓して婢を失したを占う
九月甲寅日卯將丑時,官人寓寺中失婢而求占。 方本占案
九月、甲寅日、月将は卯(太冲)で、丑時に課を起こす。ある官人が寺廟の裏に寄居し、一人の婢女を走失させたので、因りて占を求めた。本条は『方本占案』から出て、断語は邵彦和の下した所である。
後陰 貴未申酉戌玄 蛇午 亥常 蛇六蛇六 財 丙辰 六 朱巳 子虎 午辰午辰 子 戊午 蛇 六辰卯寅丑空 辰寅辰甲 鬼 庚申 后 陳龍
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:未は「貴人」を乗せ、午は「螣蛇」を乗せ、巳は「朱雀」を乗せ、辰は「六合」を乗せ、卯は「勾陳」(「陳」と写作す)を乗せ、寅は「青竜」を乗せ、丑は「天空」を乗せ、子は「白虎」を乗せ、亥は「太常」を乗せ、戌は「玄武」を乗せ、酉は「太陰」を乗せ、申は「天后」を乗せる。丑時は夜に属し、甲日は夜貴の未を用い、貴人は地盤の巳位の上に落ちるので、衆将は逆行する。卯将を丑時に加うるに、天盤は地盤より兩位を進む。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に辰を得、六合を乗せる。第二課、辰の上に午を得、螣蛇を乗せる。第三課、日支の寅の上に辰を得、六合を乗せる。第四課、辰の上に午を得、螣蛇を乗せる。三伝:初伝の辰は遁干丙、妻財と為り、六合を乗せる。中伝の午は遁干戊、子孫と為り、螣蛇を乗せる。末伝の申は遁干庚、官鬼と為り、天后を乗せる。
邵彥和曰:此婢走不遠,被一兇徒藏在西南閣子上,只在今日敗矣。辰加寅作六合,甲寅日納音屬水,水墓辰,人皆言斬關課。辰上見魁罡,必主動。近者遠去。殊不知甲寅水墓辰,辰初為傳午為陰婦人,在辰上曰阻關,所以不進。末申作後,是女鬼,加午道路路上,被鬼阻不行。天后主厭翳藏匿。又勾在卯,午乘戌。戌為樓閣,故藏高處閣上,主敗者,內戰也。果次日於寺西南人家閣上擒之。
邵彦和が言うには:この名の婢女は幷ら遠く走らず、一人の凶徒に西南方の閣樓の上に蔵され、則ち今天要に敗露する。天盤の辰は地盤の寅の上に加わり、辰と寅は相合して六合と為る。甲寅日の納音は水に属し、水の墓庫は辰に在るので、人人みなこれを「斬關課」と説き、また辰のこの「魁罡」が發用するを見れば、必ず人がすでに出走し、近處のもまた遠く去ることを主る。彼らは却って知らない:甲寅の納音の水はまさに辰に墓し、辰はすでに初伝と作り、中伝の午はまた陰柔婦人の象で、午が辰の上に加わるを「阻關」と叫ぶので、人は反って走り出る能わざる。末伝の申は天后を乗せ、女鬼の象で、申はまた午の上に加わり、午は道路と為るは、まさに路上に於いて鬼に阻まれて前に行く能わざる。天后はもともと遮蔽藏匿を主る。さらに勾陳が卯の上に乗じ、午の上にまた戌を見るを看れば――戌は樓閣の象なので、彼女が高處の閣樓の上に蔵ると断定する。今日に則ち敗露すると説くに至っては、課の中に「内戰」の象あるが故である。(底本の「午乘戌」の三字の叙述は極めて簡で、未だ拠る所を細説せず。いわゆる「西南」は、戌の加わる所の地盤の方位に就いて言う。)その後果たして第二天に、寺廟の西南辺の一戸の人家の閣樓の上で彼女を捉えた。
甲寅日・元軫が召に奉じて京城の雨期を占う
明道癸酉年京城自三月不雨以至六月,仁宗召元軫占之,甲寅日未將辰時。 玉連環末卷
宋仁宗明道癸酉年(明道二年、公元一〇三三年)、京城は三月より一直に雨が下らず、一直に旱して六月に至る。仁宗は術士の元軫を召し來りてこのために課を起こして占問せしむ。課を起こした日子は甲寅日、月将は未(小吉)、時辰は辰時に在る。本条は『玉連環』の末卷から出る。
龍勾合朱 申酉戌亥 龍常龍常 鬼 庚申 龍 空未 子蛇 申巳申巳 父 癸亥 朱 虎午 丑貴 巳寅巳甲 兄 甲寅 后 巳辰卯寅 常玄陰后
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。辰時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用う。未将を辰時に加うるに、天盤は地盤より三位を進み、貴人は丑を乗せて地盤の戌位に落ちるので、衆将は逆行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に巳を得、太常を乗せる。第二課、巳の上に申を得、青竜を乗せる。第三課、日支の寅の上に巳を得、太常を乗せる。第四課、巳の上に申を得、青竜を乗せる。三伝:初伝の申は遁干庚、官鬼と為り、青竜を乗せる。中伝の亥は遁干癸、父母と為り、朱雀を乗せる。末伝の寅は遁干甲、兄弟と為り、天后を乗せる。
元軫奏曰:今日申時,風雲大作,雷聲進發,酉時收斂,至庚申日午時,風雨大作,其勢雖急,洪澍一時,自茲風雨數至甲子日,雷電風暴,大雨滂沱。後俱一一不爽。
元軫が上奏して言うには:今日は申時に至れば則ち風雲が大いに起こり、雷声が迸發し、酉時に至って収まり住む。庚申日の午時を待って、風雨は大作し、來勢は急驟とはいえ、大雨もただ一個の時辰を傾注するのみ。これより風雨は接連して断えず、甲子日に至って必ず雷電風暴あり、大雨が盆を傾けるが如く下る。その後これらの言葉は、一件一件みな落空しなかった。
論曰:發用青龍乘申加巳名為龍跨虎,當有風雨。中傳朱雀乘亥加申名為水火交戰,主發雷。日上有巳火乘太常土神,故不降雨。登明為水神加申,故應庚申日。午為陰盛,故曰午時。中傳亥是白虎之陰(申為白虎本家),其來迅速。乘朱雀主滂霈。末傳寅加亥乘天后為雲神,故云起西北。甲子日卯加子,雲雷相加,夏為雷電風暴,上得太陰金神,金能生水,故雨大作。恰一伏時,緣太陰臨至本家,酉上卻是神后故也。
下面は彼の断理である:發用の申の上に青竜を乗せ、申はまた地盤の巳の上に加わり、しかも申はもと白虎の本家なので、これを「龍が虎を跨ぐ」と叫び、当に風雨あるべきを主る。中伝の亥の上に朱雀を乗せ、亥はまた地盤の申の上に加わり、朱雀は火に属し亥は水に属するので、これを「水火交戰」と叫び、雷を打つを主る。日干の上神は巳火なのに、却って太常のこの土神を乗じ、火は土を生じて火気を泄すので、雷あるのみで雨を降らせない。「登明」は則ち亥で、水神と為し、それが申の上に加わるので、庚申日に應験する。午は一陰の始めて生ずる位なので、午時に應ずると説く。中伝の亥はまた申の陰神で(申は白虎の本家)、これにより來勢が迅速である。亥の上に朱雀を乗せ、大雨の傾注を主る。末伝の寅は亥の上に加わり、寅はまた天后を乗せ、天后は雲神で、亥は西北に居るので、雲は西北方より昇る。甲子日に至り、天盤の卯は地盤の子の上に加わり、雲と雷が相疊して、夏令に在っては便ち化して雷電風暴と為る。卯の上にまた太陰のこの金神を得、金は能く水を生ずるので、大雨が滂沱する。恰好に一伏時(一昼夜)を下し滿たすは、太陰がすでにその本家の酉位に回り帰り、しかも地盤の酉の上に臨む所は却って神后の子水なる緣故である。
甲寅日・王牧夫が胎産を占う
己卯年七月甲寅日巳將寅時占胎產,男命辛亥二十九歲,女命戊午二十二歲。 牧夫占驗
己卯年七月、甲寅日、月将は巳(太乙)で、寅時に課を起こす。占う所は胎産の事である。男方の本命は辛亥、二十九歳。女方の本命は戊午、二十二歳。本条は王牧夫の『占験』から出る。
龍勾合朱 申酉戌亥 龍常龍常 鬼 庚申 龍 空未 子蛇 申巳申巳 父 癸亥 朱 虎午 丑貴 巳寅巳甲 兄 甲寅 后 巳辰卯寅 常玄陰后
巳将を寅時に加うるに、天盤は同じく地盤より三位を進むので、排出したる天地盤と四課三伝は、上の一条の元軫が雨を占った課と完全に同じである。外圈:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。四課は右より左へ:甲の寄宮は寅に在り、寅の上に巳を得、太常を乗せる。巳の上に申を得、青竜を乗せる。日支の寅の上に巳を得、太常を乗せる。巳の上に申を得、青竜を乗せる――四課はただ兩課を出ずるのみで、日干と日支の上神が彼此分かたず、これはまさに「八専」の課である。三伝:初伝の申は遁干庚、官鬼と為り、青竜を乗せる。中伝の亥は遁干癸、父母と為り、朱雀を乗せる。末伝の寅は遁干甲、兄弟と為り、天后を乗せる。
王牧夫曰:占胎而得閉口,又係八專。胎神作鬼,此私胎也。凡蕪淫之課,多主淫亂,因干支不分,內外無別耳。況行年男交女命,女交男命,此豈夫婦之道乎?況明日七夕日,近巧期。卯酉私門往來,無忌,幸見老陰人救解耳。後知為苟合之胎,辛亥命非其夫也,神不可欺如此。
王牧夫が言うには:胎孕を占うに却って「閉口課」を得、また「八専」に属す。胎神は化して官鬼と為り、これは私胎である。およそ蕪雜淫佚の課体は、多半は淫亂を主る。ただ日干と日支が分かたず内外に界限なき緣故による。何况両人の行年は還って彼此に交錯する:男子は二十九歳で、行年はまさに午に在り、恰も女方の戊午の本命である。女子は二十二歳で、行年はまさに亥に在り、恰も男方の辛亥の本命である――各人の行年がみな相手方の本命の上に踏んで、これはどうしてなお夫婦の道ならんか。さらに明日は則ち七夕で、まさに乞巧の期に近い。卯・酉はまた「私門」で、両下の往來は毫も顧忌なし。所幸は課の中に年長の陰人が出て來て救解するを見るのみ。その後やっとこれが果たして苟合して成った胎で、あの辛亥命の男子は彼女の丈夫ではなかったことを知った――神機は欺瞞すべからず、竟にこの種の地步に到る。
甲寅日・王縣丞が病を占う
戊申年六月甲寅日未將卯時,王縣丞甲戌生三十五歲占病。 口鑑 方本占案
戊申年六月、甲寅日、月将は未(小吉)で、卯時に課を起こす。占を求むるは王縣丞で、甲戌年生まれ、この年三十五歳、疾病を占問した。本条は『口鑑』と『方本占案』に見え、断語は邵彦和から出る。
六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 六虎六虎 鬼 庚申 龍 空未 寅后 戌午戌午 子 戊午 虎 虎午巳辰卯陰 午寅午甲 子 戊午 虎 常玄
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」(「陳」と写作す)を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。卯時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用う。未将を卯時に加うるに、天盤は地盤より四位を進み、貴人は丑を乗せて地盤の酉位に落ちるので、衆将は逆行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に午を得、白虎を乗せる。第二課、午の上に戌を得、六合を乗せる。第三課、日支の寅の上に午を得、白虎を乗せる。第四課、午の上に戌を得、六合を乗せる。三伝:初伝の申は遁干庚、官鬼と為り、青竜を乗せる。中伝の午は遁干戊、子孫と為り、白虎を乗せる。末伝の午は遁干戊、子孫と為り、白虎を乗せる――中伝と末伝は同一の午で、干支の上神を連ねて、全課に共に四つの午を見る。
邵彥和曰:此課日辰皆見午,甲寅二木,皆死於午,那堪中末又是午,初傳又是絕神,六月午為月病符,旺火蝕休木,本宮又克父母,既無父母,亦難為子息,及自身。幸行年在子上燒不盡,三十七行年到寅,鞏難。三十九行年到辰見申,尤難過矣。須先克了子,便乃心病,且作廢人也。王縣丞授邵武軍,是年遭喪男女四人,果成心病不赴任,恣狂而走,至三十七癲痴不知人事,亦不飲食,幾兩月方瘥。三十九上,又復如此,卻不死,四十歲上,太歲到寅死。
邵彦和が言うには:この課は日干と日支の上神がみな午を見る。甲と寅のこの二つの木は、みな午の上に死すれば、どうしてなお中伝・末伝がまたみな午なるに禁じ堪えられよう。初伝の申はさらに甲木の絶神である。六月の裏で午は「月病符」で、旺火が休囚の木を蝕し盡くす。本宮はまた父母爻を克し、すでに父母を保つ能わずして子女をも保ち難く、自身をも保ち難い。所幸は彼の行年が子水の上に落ちて、なお燒き盡くされざる。三十七歳に至り行年が寅に行き到れば、則ち艱難である。三十九歳に行年が辰に行き到り、辰の上にまた申を見るは、さらに過ぎ難い。必ず先ず子女を克して死なせ、接いで則ち心病を得、しかも廢人と為る。その後王縣丞は職を授けられて邵武軍に往き、則ちあの一年に四人の児女を喪い、果たして心病を得、赴任に往かず、狂を發して來りて處處に亂走した。三十七歳の上に至り痴呆して人を認識せず、また喫せず飲まず、將近に兩個月にしてやっと好轉した。三十九歳の上にまた一たび發作したが、却って死せず。四十歳の上に至り、太歳が寅に行き到れば、人は則ち死した。
蓋上午、辰上午、中傳午、末傳午,共四午來蝕甲寅,是四個月病符、四個天鬼。天鬼常傳四仲神,建寅居酉逆相巡,行年日上如遭著,災禍刑傷病擾人。四個天地轉殺春卯夏午秋酉冬子、四個白虎,所以喪四子,午為心,遇虎故主顛狂。木死於午,故為廢人。
これは次のためである:日干の上の午・日辰の上の午・中伝の午・末伝の午、一共に四つの午が來りて甲寅の木を蝕傷するは、すなわち四つの「月病符」・四つの「天鬼」である。天鬼のこの神煞はただ子・午・卯・酉の四仲の上に於いて行走するのみで、歌訣に説く「建寅すれば酉に居りて逆に相巡る」――正月に寅を建つる時に天鬼は酉に在り、此の後月を逐うて四仲の上に於いて逆行す。また説く「行年日上にもし遭着すれば、災禍刑傷病に人を擾る」。本課は六月に在り、六月は未を建て、天鬼は恰好午に落ちる。この四つの午は同時にまた四つの「天地轉殺」(春は卯に在り、夏は午に在り、秋は酉に在り、冬は子に在る)で、さらに四重の白虎を加えるので、四人の子女を喪するを要す。午は人身の上で心を主り、午はまた白虎に遇うので、狂を發することを主る。木は午に死するので、彼が廢人と成ると断じた。(底本の「蓋上午」の句首は一字を脱し去り、指す所は当に日干の上の午なり。)
天鬼多生於疫病,故死者非二四即五六也。用五月祿說神煞用六月以得節論。此處論生死,太歲到寅,上見午,為日之死神。四午字,為死神、天鬼、病神、白虎加之,為脫耗日干甲木之休氣。午為心作昏迷煞,白虎為道路神,故狂而走。
天鬼は多半は疫病の上より發生するので、死する人数は兩個・四個でなければ、則ち五個・六個である。神煞の取法に至っては、「禄」は五月に按じて推し、その余の神煞は六月に按じて推す。これはすでに節氣を交えたか否かに依って定めたる(底本の此の句の文字は極めて簡で、大意は此の如し)。ここにさらに生死を論ずる:太歳が寅に行き到れば、寅の上に午を見、午はまさに日干の死神である。あの四つの午の字は、兼ねて死神・天鬼・病神と作り、上にまた白虎を加え、日干の甲木のもとより休囚の気を脱泄して一空せしむる。午は人身の上で心と為り、「昏迷煞」を作す。白虎はまた道路の神なので、この人がやっと狂を發して奔走した。
甲寅日・鳩の鳴くを聞いて雨を占う
庚寅年五月甲寅日申將卯時,因天氣亢旱聞鳩鳴,遂占一課看有雨否? 指南
庚寅年五月、甲寅日、月将は申(傳送)で、卯時に課を起こす。天氣が大旱なるがために、忽然として斑鳩の鳴叫を聞き(俗に傳えるに鳩の鳴くは雨を喚ぶの兆)、便ち一課を起こし、究竟雨の有るか無きかを看た。本条は『六壬指南』から出て、断語は陳公献の下した所である。
朱蛇 六戌亥子丑貴 勾酉 寅后 蛇空蛇空 父 甲子 蛇 龍申 卯陰 子未子未 子 丁巳 虎 空未午巳辰玄 未寅未甲 財 壬戌 六 虎常
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:丑は「貴人」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、未は「天空」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、寅は「天后」を乗せる。卯時は昼に属し、甲日は昼貴の丑を用う。申将を卯時に加うるに、天盤は地盤より五位を進み、貴人は丑を乗せて地盤の申位に落ちるので、衆将は逆行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に未を得、天空を乗せる。第二課、未の上に子を得、螣蛇を乗せる。第三課、日支の寅の上に未を得、天空を乗せる。第四課、未の上に子を得、螣蛇を乗せる。三伝:初伝の子は遁干甲、父母と為り、螣蛇を乗せる。中伝の巳は遁干丁、子孫と為る。末伝の戌は遁干壬、妻財と為り、六合を乗せる。ここに須く説明を要す:中伝の巳の乗ずる所の天将は、底本は三伝の一列に「虎」(白虎)と標し、しかも外圈は却って白虎を午の上に排し太常を巳の上に排す。両處が合わず、下文の陳公献の断語は「中伝の白虎風殺」と説くは、三伝の一列の標する所の白虎に依って論を立つ。
陳公獻曰:鳩雖喚雨,此課乃風大雨小之象。蓋以神后發用旬空,中傳白虎風殺旬丁,又風伯臨干支、會寅,寅中有箕宿好風。豈不今日有風?夜子時填實旬空,豈不微雨?因休廢空亡,故略灑塵而已。未為風伯者,亦干支本象也。論神煞,五月風伯在辰,風煞在戌。
陳公献が言うには:斑鳩は雨を喚ぶ者とはいえ、この課は却って風大きく雨小さきの象である。發用の「神后」の子が旬空の中に落ちるからである。中伝は白虎を乗じ、白虎はまさに風殺で、しかも巳はまた甲寅旬の裏の「旬丁」(丁巳)である。さらに「風伯」が日干・日支の上神に臨み、また寅と相會し、寅宮の裏にもと好く風の箕宿あり。このように看れば、今日どうして風なからんか。夜裏の子時に至り、旬空が填實すれば、またどうして一点の雨もなからんか。ただ課神が休廢しまた空亡に逢うがために、過ぎず畧ほ幾點を灑し下り塵土を壓するのみ。未を「風伯」と説くも、また日干日支の本身の象である。もし神煞を論ぜば、五月の風伯は辰に在り、風煞は戌に在る。
甲寅日・辰命の人が首尾を占う
丙子年亥月甲寅日卯將戌時,辰命人占首尾。 牧夫占驗
丙子年亥月(十月)、甲寅日、月将は卯(太冲)で、戌時に課を起こす。占を求むる人は本命が辰に属し、一桩の事情の首尾始末を占問した。本条は王牧夫の『占験』から出る。
合朱蛇貴 戌亥子丑 蛇空蛇空 父 ◎子 蛇 勾酉 寅后 子未子未 子 丁巳 常 龍申 卯陰 未寅未甲 財 壬戌 合 未午巳辰 空虎常玄
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:戌は「六合」を乗せ、亥は「朱雀」を乗せ、子は「螣蛇」を乗せ、丑は「貴人」を乗せ、寅は「天后」を乗せ、卯は「太陰」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、巳は「太常」を乗せ、午は「白虎」を乗せ、未は「天空」を乗せ、申は「青竜」を乗せ、酉は「勾陳」を乗せる。卯将を戌時に加うるに、天盤は地盤より五位を進み、天地盤は上の一条の鳩を聞きて雨を占った課と相同じ。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に未を得、天空を乗せる。第二課、未の上に子を得、螣蛇を乗せる。第三課、日支の寅の上に未を得、天空を乗せる。第四課、未の上に子を得、螣蛇を乗せる――日干と日支の上神は同じく未で、依然として「八専」の課である。三伝:初伝の子は父母と為り、螣蛇を乗せ、「◎」はそれが旬空に落ちるを標す。中伝の巳は遁干丁、子孫と為り、太常を乗せる。末伝の戌は遁干壬、妻財と為り、六合を乗せる。
王牧夫曰:此課可咲你的財是他的財,他的財是你的財。又兩人各自誤,到後你哄他,他哄你,遂致不清。可是否?曰:然。蓋八專之課,彼此不別,各各戴墓,陰神自相穿害,其象如此。命上勾陳,年上丑貴,幾至起訟。末傳幸得六合在戌,尚有模範可以免強結局。太歲作恩星可以化解,朱雀又生日,不然纏繞不清也,來年春二月可了,木絕於申加於卯也。驗。
王牧夫が言うには:この課は実に可笑しい――あなたの銭財は彼の銭財で、彼の銭財はまたあなたの銭財。両人は各自に算盤を打ち錯り、後來に至ってあなたが彼を鬨し彼があなたを鬨し、是において糾纏して清からず。そうでないか。その人が回答して言うには:まさに此の如くです。これは「八専」の課が彼此分かたず、両辺がまた各自に墓神を頂き、陰神が互いに穿害するので、象は則ちこの樣子である。彼の本命の辰の上神は酉で、酉の上に勾陳を乗ずる。行年の上の丑はまた貴人を乗せ、幾ほどか官司を打つに鬧じ到らんとす。所幸は末伝の戌の上に六合を得、なお一点の規矩を留めて、勉强して收場し得、太歳はまた恩星と作してその中より化解し得、朱雀は還って來りて日干を生ずる。然らざれば則ち纏繞して清からざるに至る。明年の春天二月に至って了結し得べし。木は申に絶し、しかも申はまさに卯の上に加わるからである。その後應験した。
甲寅日・郭仲起が宅を占う
己酉年六月甲寅日未將寅時,郭仲起辛未生三十九歲占宅。 宋本邵案 口鑑
己酉年六月、甲寅日、月将は未(小吉)で、寅時に課を起こす。占を求むる人は郭仲起といい、辛未年生まれ、この年三十九歳、住宅を占問した。本条は『宋本邵案』と『口鑑』に見え、断語は邵彦和から出る。
陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 龍貴龍貴 父 空子 龍 蛇申 卯常 子未子未 子 丁巳 陰 貴未午巳辰玄 未寅未甲 財 壬戌 六 后陰
外圈の天盤十二支の乗ずる天将:未は「貴人」を乗せ、申は「螣蛇」を乗せ、酉は「朱雀」を乗せ、戌は「六合」を乗せ、亥は「勾陳」(「陳」と写作す)を乗せ、子は「青竜」を乗せ、丑は「天空」を乗せ、寅は「白虎」を乗せ、卯は「太常」を乗せ、辰は「玄武」を乗せ、巳は「太陰」を乗せ、午は「天后」を乗せる。寅時は夜に属し、甲日は夜貴の未を用う。未将を寅時に加うるに、天盤は地盤より五位を進み、貴人は未を乗せて地盤の寅位に落ちるので、衆将は順行する。四課は右より左へ:第一課、甲の寄宮は寅に在り、寅の上に未を得、貴人を乗せる。第二課、未の上に子を得、青竜を乗せる。第三課、日支の寅の上に未を得、貴人を乗せる。第四課、未の上に子を得、青竜を乗せる。三伝:初伝の子は父母と為り、青竜を乗せ、傍らの「空」の字はそれが旬空に落ちるを標す。中伝の巳は遁干丁、子孫と為り、太陰を乗せる。末伝の戌は遁干壬、妻財と為り、六合を乗せる。
邵彥和曰:本命墓身,名天網自裹。子作空亡,又從 上發用。中傳又臨空,乃子息上又見子息,主克子退子,定是星運不利。青龍既空,雖登仕路,亦無寸進。末又見妻財,必是再娶,晚年始亨。未為井墓,干支宅中有井,不吉。若不遷移,必主十六年而死。未乃八數,二八一十六也。次年郭即遷居,其凶乃免。
邵彦和が言うには:彼の本命は辛未で、未はまさに甲木の墓で、墓が来て身を覆うは、これを「天網自裹」と叫ぶ。初伝の子はまた空亡で、しかも「 」の上より取り出して發用としたる(底本のここに一字を缺く。課式に按ずれば、子は日干・日支の上神の未の上より取り出したる)。中伝の巳はまた空亡の地に臨み、等しく子孫の上にまた子孫を見てみな空に落ち、子を克し子を退くるを主り、命中の星運は一定に不利である。青竜はすでに空に落ちたので、彼はたとえ仕途に踏み入っても、寸進あることをなさざる。末伝にまた妻財を見るは、必ず再び一たび娶るを要し、晚年に至ってやっと亨通に轉ずる。未はまた井の墓象で、日干日支の上神がみな未なので、宅中に井ありて、幷ら吉利ならず。もし家を搬せざれば、必ず十六年の後に則ち死すを要す。未は壬数の中で八に属し、二八の相乘は正に一十六。第二年に郭仲起は果たして遷居し、この場の凶禍はこれをもってやっと免れた。
