Libo

癸丑日

清 · 程树勋 · 第41巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

癸丑日・長老が休咎を占う(方本占案)

己丑年三月癸丑日酉將戌時,長老占休咎。(方本占案)

己丑年三月の癸丑日、月将は酉で正時は戌、一人の寺院長老が吉凶禍福を占問した。案は『方本占案』から出る。月将の酉は戌時の上に加わり、天盤は地盤より退く一位である。「休咎」は則ち吉凶:休は美善で、咎は災禍である。この課の關鍵は初伝の子水が玄武を乗ずるに在る――玄武は六壬の盗賊の類神で、また暗昧隠匿を主るので、邵彦和は一見して寺中に竊を遭うと断じ出した。

朱六|蛇辰巳午未陳|貴卯 申龍 常玄常玄 兄 壬子 玄|後寅 酉空 亥子亥子 兄 辛亥 常|陰丑子亥戌虎 子丑子癸 鬼 庚戌 虎|玄常

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:辰の上は螣蛇、巳の上は朱雀、午の上は六合、未の上は勾陳、卯の上は貴人、申の上は青竜、寅の上は天后、酉の上は天空、丑の上は太陰、子の上は玄武、亥の上は太常、戌の上は白虎。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に子を見、子の上に亥を見、日支の丑の上に子を見、子の上に亥を見る。四課の上神の乗ずるは依次に玄武・太常・玄武・太常。三伝は上より下へ:初伝の子は旬遁して壬子、癸水と同類で兄弟と為り、玄武を乗せる。中伝の亥は旬遁して辛亥、もまた兄弟で、太常を乗せる。末伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は癸水を克して官鬼と為り、白虎を乗せる。第三課の「丑上見子」は下神の丑土が反って上神の子水を克し、下が上を賊するに属し、子を取って発用として重審課を成す。子より一位を退けて亥を得、亥より一位を退けて戌を得る。三伝の子・亥・戌は一路相連して下り、六壬は「連茹」と称し、事情が一件一件を牽き人が一串一串に跟うを主る。末伝の戌の上は白虎を乗せてまた日干を克するので、人命の凶あると断じた。

邵彥和曰:子作元武加日相合,即作傳,加丑為陽刃大吉,又是僧寺,中傳亥加子作常,亥即元類,作常加子,又是勢害,末虎克日,此課凶矣。必旬日內盜欲入方丈不得,乃入庫下偷三人物,後來干三人命。蓋連茹體也。且損水姓人。果第七日賊入庫,偷監寺副典庫三人物,既覺行者尋蹤往,他客汪家捉獲。將汪氏一鐵椎擊死,因解行者至官獄死。三僧吃棒,一僧患杖死,皆因連茹在不明,末虎作鬼故也。庫中者,丑為庫也。

邵彦和が言うには:子の上に玄武を乗せて日干の上に加臨し、また日干と相合し、隨って発用して伝に入る。子の加わる所の丑は癸日の陽刃で、丑は六壬の裏で名を「大吉」とし、また僧寺を主る。中伝の亥は子の上に加わって太常を乗せ、亥の本身もまた玄武の類の水神に属し、今太常を乗せて子の上に加わり、また勢害を構成する。末伝の戌の上の白虎は直ちに日干を克する――この課は凶である。十天の内に、盗賊は必ず先ず方丈室に進み入りて竊を行わんと思うも未だ手を得ず、轉じて庫房の底下に進み入りて三人の物を偷み、後に還って三条の人命に牽連する。これは課体が「連茹」に属し、一環一環に扣る故である。しかも姓氏が水に属する一人を損傷する。その後果たして第七日に賊が庫に進み、監寺・副寺・典庫の三人の物件を偷んだ。事が發した後、寺中の行者が蹤を循りて追い往き、外來の客商の汪家に於いて賊を捉えたが、却って一柄の鐵椎を用いて汪氏を打ち死なせた。これにより行者は官に解送され、獄中に死した。三人の僧人は板子を喫し、その中の一僧は杖傷せられて死に致る。これらはみな連茹の体が牽連して清からず、末伝の白虎がまた化して官鬼と為った緣故である。庫房の裏に偷むと説くは、丑が物象の上でまさに倉庫を主るからである。

癸丑日・雨澤を占う(張本占案)

庚辰年浙江大旱,八月癸丑日辰將辰時占雨澤。(張本占案)

庚辰年、浙江が大旱し、八月の癸丑日、月将は辰で正時も辰、いつ雨が下るかを占問した。案は『張本占案』から出る。月将と正時がともに辰で、天盤地盤が重合するは伏吟課である。「雨澤」は則ち雨水の恩澤である。伏吟はもと停滯を主るが、この課は三伝の丑・戌・未が逓に相刑撃し、反って癸水を刑して開かせて下に注がしめるので、邵彦和は雨の來るが急でしかも風あると断じた。

貴后陰玄|巳午未申 勾勾勾勾 鬼 癸丑 勾|蛇辰 酉常 丑丑丑丑 鬼 庚戌 虎|朱卯 戌虎 丑丑丑癸 鬼 丁未 陰|寅丑子亥|合勾龍空

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:巳の上は貴人、午の上は天后、未の上は太陰、申の上は玄武、辰の上は螣蛇、酉の上は太常、卯の上は朱雀、戌の上は白虎、寅の上は六合、丑の上は勾陳、子の上は青竜、亥の上は天空。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上はなお丑、丑の上はまた丑、日支の丑の上は丑、丑の上はなおも丑――四課みな丑で、まさに伏吟である。四課の上神はみな勾陳を乗せる。三伝は上より下へ:初伝の丑は旬遁して癸丑、丑土は癸水を克して官鬼と為り、勾陳を乗せる。中伝の戌は旬遁して庚戌、もまた官鬼で、白虎を乗せる。末伝の未は旬遁して丁未、同じく官鬼で、太陰を乗せる。伏吟には克なく、日干の寄宮の丑を取って発用とす。丑は戌を刑し、戌は未を刑するは、まさに「三刑」全備である。ここの「未」は十二地支の一つで、すでに末伝の神と為すのみならず、下文の説く「未時に雲あり」もまた未時のこの時辰を指す。丑の納音は木に属し、木は風を主る。勾陳は土に属して木に克され、土が潰れば則ち水が漏るので、風雨が驟やかに至ると断じた。

邵彥和曰:伏吟課,定是今日未時有云,一霎時起大風,又下小雨。明日甲寅,一日大風,下微雨。至乙卯日風止,大雨一日,水暴漲也。

邵彦和が言うには:これは伏吟課で、今日の未時(午後一時から三時)に則ち雲が起こり、霎時間に大風が刮り起こり、隨って小雨が落ちると断定する。明日の甲寅日は、整天に大風で、なおも小雨が點ずる。乙卯日に至って風はやっと停まり住み、一整天の大雨が下り、水勢は暴漲し起こるであろう。

蓋丑在癸上,即癸丑為初傳,而中戌、末未,疊疊刑開,使癸水下注。癸丑納音屬木,木主風,故未時兼有風,是八月十五日也。至十七日乙卯,是大溪水,故大雨水漲。由丑、寅二日,風以動之也。太陰月宿十五日在戌,十六、十七日在酉,乃是月宿離於畢,畢在酉宮也。十七日朱雀加卯,火敗於卯,而得月離於畢,故主大雨。雨常附陰而降,以酉為太陰之門,純陰之位。凡占雨,但用月宿到今日,看臨在酉,則是月離於畢也。癸丑納音木,克乘神勾陳土,土潰而水漏,故一霎時風雨。甲寅乘六合,木盛多風。至十八日丙火辰土,而納音又土,辰又為八月太陽,上乘螣蛇火神,至是雨霽而晴矣。

その理を細かく説く:丑は日干の癸の頭上に壓し、癸丑は便ち初伝と為る。中伝の戌・末伝の未が接続して相刑し、閉固した癸水を刑して開かせて下に向かって傾注せしめる。癸丑の納音は木に属し、木は風を主るので、未時にはすでに雲ありまた風を帯びる。この一天はまさに八月十五である。十七日の乙卯に至り、乙卯の納音は大谿水なので、大雨が下り水位が上漲する。丑日・寅日の両天より先に風が起こる所以は、風が前頭に在って気機を鼓動し起こすからである。太陰月亮の宿する位は、十五日は戌に在り、十六・十七の両日は酉に在る。まさに『詩経』のいわゆる「月、畢を離る」――畢宿は則ち酉宫に在る。十七日は朱雀が卯の上に加臨し、火は卯に於いて沐浴敗地で、火気は衰えてしかもまた月亮が畢宿に傍うに逢うので、大雨を主る。雨は総て陰気に依附して降るもので、酉は太陰の門・純陰の位なので、雨を占うにはただ月亮の当日に宿する位置を推算し、それが酉に臨み到るを見れば、則ち月が畢を離れたである。癸丑の納音は木に属し、木が来て乗ずる所の勾陳の土を克し、土が一たび潰散すれば水は則ち漏れ下るので、風雨がかくも突然に來る。甲寅日の上に六合を乗せ、木気が盛んなれば則ち風多し。十八日に至り、天干は丙火・地支は辰土で、納音はまた土に属する。辰はまた八月の太陽の在る宫で、上に螣蛇のこの火神を乗ずる――この時に至って雨は収まり晴れ放つ。

癸丑日・知縣が銀器衣物を失す(方本占案)

九月癸丑日卯將卯時,某知縣宴客失去銀器衣物,索占。(方本占案)

九月の癸丑日、月将は卯で正時も卯、ある知縣が宴を設けて客を請う時に銀器と衣物を失し、失物の下落を占を求めた。案は『方本占案』から出る。月将と正時が相同じく、依然として天地盤が重合する伏吟課で、上の一課の雨澤を占ったと同一課式である。伏吟は事物がかつて本處を離れないを主り、これがまさに邵彦和が贓物はなお衙門の裏に在り、帶び出されていないと断じた根拠である。

貴后陰玄|巳午未申 勾勾勾勾 鬼 癸丑 勾|蛇辰 酉常 丑丑丑丑 鬼 庚戌 虎|朱卯 戌虎 丑丑丑癸 鬼 丁未 陰|寅丑子亥|合勾龍空

十二宫の天将の分布は:巳は貴人を乗せ、午は天后を乗せ、未は太陰を乗せ、申は玄武を乗せ、辰は螣蛇を乗せ、酉は太常を乗せ、卯は朱雀を乗せ、戌は白虎を乗せ、寅は六合を乗せ、丑は勾陳を乗せ、子は青竜を乗せ、亥は天空を乗せる。四課は右より左へ:癸は丑に寄せ、丑の上は丑、丑の上は丑、日支の丑の上は丑、丑の上は丑、四課すべて同じで、伏吟である。四課の上神はみな勾陳を乗せる。三伝は初伝の丑(官鬼、勾陳を乗せる)、中伝の戌(官鬼、白虎を乗せる)、末伝の未(官鬼、太陰を乗せる)、丑が戌を刑し戌が未を刑して成る。盗を捕える占は専ら玄武と刑神を看る:玄武は申に落ち、申は物象の上で高処樓閣を主るので、賊は高処より下来ったと断ずる。日干の癸の寄する丑は戌を刑し、戌は人力差役を主り、また高樓の宿處を主る。末伝の未は木の墓庫で、未の中に鬼宿を蔵して上に太陰を乗せ、太陰は隠匿を主り、未はまた神廟に応ずるので、贓物は神廟の裏に蔵ると断ずる。丑はすでに官星でありまた刑を帯びるので、当日に則ち拿獲し得ると断じた。

邵彥和曰:賊從高處下來作竊,物必藏在神廟中,未出衙門,今日午時二姓徐王人敗。丁己在未,故主二姓人。癸為日主刑戌,戌為人力,又為高樓宿處,伏吟不離本家也。未為木墓,內有鬼宿乘太陰,主神廟,又為隱匿。丑為官星,勾作刑,故獲。果於本衙中神廟龕下尋見,乃是更樓上更夫偷也。人在高處者,元武在申,申為高處也。

邵彦和が言うには:賊は高処より下来って竊を行ったのだ。贓物は一定に神廟の裏に蔵れており、まだ衙門に帶び出されていない。今日の午時に則ち敗露し、牽連するは徐・王の両姓の人である。丁と己がともに未の上に遁ずるので、一位の上に二つの天干が現出し、故に二つの姓氏の人を主る。日干の癸の寄する丑が来て戌を刑し、戌は物象の上で役使に供する人力を主り、また高樓の住宿の處を主る。これはまた伏吟課で、東西がかつて本家を離れないを主る。未は木の墓庫で、裏頭に二十八宿の中の鬼宿を蔵し、上にまた太陰を乗せ、太陰は神廟を主り、また隠匿蔵掖を主る。丑はすでに官星であり、また勾陳の刑を帯びるので、拿獲し得ると断定した。その後果たして本衙門の内の神龕の底下で失物を見出した。もとよりより樓の上で更を打つ更夫の偷んだ所であった。人が高処に在ると断じたは、玄武が申の上に落ち、申は物象の上でまさに高処を主るからである。

癸丑日・鄭宣義が家宅を占う(方本占案)

戊申年八月癸丑日巳將丑時,鄭宣義己亥生(生於五月六日酉時)七十歲,占家宅。(方本占案)

戊申年八月の癸丑日、月将は巳で正時は丑、鄭宣義――己亥年生まれ・五月初六酉時生・時年七十歳――が家宅を占問した。案は『方本占案』から出る。「宣義」は宋代の宣義郎の省称で、文散官に属する。月将の巳は丑時の上に加わり、天盤は地盤より順に四位進む。この課は三伝が湊って巳酉丑の金局を成し、八月はまた金気が令に当たる時なので、人丁が極めて盛んにして宅気は反って泄薄せられると断ずる。

虎常|空酉戌亥子玄|龍申 丑陰 空朱空朱 父 己酉 空|陳未 寅后 酉巳酉巳 鬼 癸丑 陰|六午巳辰卯貴 巳丑巳癸 財 乙巳 朱|朱蛇

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:酉の上は天空、戌の上は白虎、亥の上は太常、子の上は玄武、申の上は青竜、丑の上は太陰、未の上は勾陳、寅の上は天后、午の上は六合、巳の上は朱雀、辰の上は螣蛇、卯の上は貴人。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に巳を見、巳の上に酉を見、日支の丑の上に巳を見、巳の上に酉を見る。四課の上神の乗ずるは依次に朱雀・天空・朱雀・天空。三伝は上より下へ:初伝の酉は旬遁して己酉、酉金は癸水を生じて父母と為り、天空を乗せる。中伝の丑は旬遁して癸丑、丑土は癸水を克して官鬼と為り、太陰を乗せる。末伝の巳は旬遁して乙巳、癸水の妻財で、朱雀を乗せる。巳・酉・丑の三字は合して金局を成し、八月は金が旺し、金が来て日干の水を生ずるので、人丁が興盛を主る。ただ日支の丑はもと房宅を主るのに、今金局の中に落ちて一味に気を泄するので、宅は反って狭窄替敗を顕す。巳は物象の上で厨竈を主り鍋を主り店業を主り、酉は酒と婢女を主る。下面の断語はまさにこの幾つかの物象の上より層層に推し出したのである。

邵彥和曰:此課人盛宅狹,人與宅替;不出四年,必主修造酒房,廚下一婢酒中死;不要買叔婆之產,必有退悔;又主有三所店,先開二所見財,後開一所主敗;宅前不合置淘鍋,主八年內淘鍋屋下必停喪,是時其家四分矣。鄭兄弟十人,共四十餘口,未曾分;至辛亥年,公果造酒房;十二月婢盜酒飲,醉死。己酉年與叔婆交易,叔婆有子二人,年幼不曾預名,後果退悔。又丙辰戊午二年兩店興旺,己丑又開淘鍋,正對門前,至乙卯二月弟婦死,殯於內。

邵彦和が言うには:この課は人丁が興旺して宅基は逼仄で、人と宅は此れ消え彼れ長ず。四年を出ずして、必ず酒房を蓋し起こし、厨房の底下に一人の婢女が酒の上で死す。婶婆の家の産業を買うなかれ、買えば必ず反悔退還の事あり。また三處の店鋪を開くを主り、先に開く兩處は財を見る能くし、後に開く一處は却って虧敗する。屋前に淘米の鍋竈を安放すべきでない。安ずれば則ち八年の内に淘鍋のあの間の屋の下に必ず靈柩を停放し、その時他家はすでに四房に分かれている。当時鄭家は兄弟十人・合家四十余口で、まだ分家していなかった。辛亥年に至り、鄭公は果たして酒房を蓋した。十二月の裏、一人の婢女が酒を偷んで飲み、酔い死した。己酉年に婶婆と産業の交易を為し、婶婆に二つの息子ありて年紀はなお小さく契の上に署名せず、後に果たして反悔して退した。丙辰・戊午の両年、兩處の店鋪は興旺した。己丑年にまた正対門前の地方に淘鍋を支え起こし、乙卯年二月に至り弟媳が去世し、則ちあの間の屋の裏に靈を停めた。

蓋謂人盛者,癸日遇巳酉丑,八月旺金來生也。宅狹宅替者,丑為宅,值金局而脫氣也。丑為八月死氣,加於酉婢之上,丑上見巳,巳為廚灶,癸水見酉,乃酒也,故主婢死於酒房廚下。三店者,日上、支上、傳上見三個巳,巳為店業。一所敗者,癸水絕於巳故也。又為巳為鍋,值癸水乃淘鍋也。八年者,雙巳四數也。支上巳,末傳巳,皆為日財,故二所見財。日上巳獨不以財爻論,乃絕神加日也,故主敗,丑為宅,上加巳,是必宅前置淘鍋也。

その理を細かく説く:人丁が興盛と説くは、癸日が巳酉丑に遇いて合して金局を成し、しかも八月は金気まさに旺で、旺金が来て日干の水を生ずるからである。宅基が狭窄で宅気が替落すると説くは、丑はもと房宅を代表するのに、却って金局の裏に陥りて一味に気を泄するからである。丑は八月の死気で、また婢女を主る酉の上に加わる。丑の上に巳を見、巳は物象の上で厨房灶台である。癸水が酉に遇えば、酉は則ち酒である――だから婢女が酒房厨下に死すと断じた。三處の店鋪と説くは、日干の上・日支の上・三伝の上に共に三つの巳を見、しかも巳は物象の上で店業を主るからである。その中の一處が敗することを説くは、癸水が巳に於いて絶するからである。巳はまた鍋と看作すことができ、鍋が癸水に遇えば便ち淘米の鍋である。八年と説くは、二つの巳・毎の巳の数は四で、合わせて八である。日支の上の巳と末伝の巳はともに日干の財爻なので、あの兩處の店鋪は財を見る。ただ独り日干の上の巳は財爻として看る能わざる。それは日干に加臨する絶神なので、敗を主る。丑は房宅で上に巳を加えるので、必ず屋前に淘鍋を安じたと見える。

又一人論曰:癸絕於巳,似矣。然予猶有說焉,丑生於申,寧不絕於巳乎?則絕巳云云者,非其至也。其或癸水克巳,巳為店受克,則自敗。庶幾近是。此二論不知何人之筆,附錄於此,以便對考。要知先開二所見財,似指干支上二巳而言也。後開一所主敗,似指末傳上巳而言也。末傳為歸計,不宜逢絕也。一得之愚,附此備改。

また一人の議論して言う:癸水が巳に絶すると講ずるは、理あるかのようだが、ただ我はなお一層の説法あり――丑土の長生は申に在るのに、豈に巳に絶せざらんか。然らば則ち単に「巳に絶す」云云を講ずるは、なお点子上に講じ到らざる。或いは当に癸水が巳を克し、巳はすでに店業にして克を受ければ、自然に則ち虧敗する、かく説くこそ比較的貼切なるべし。程樹勲が言う:以上の両段の議論はいずれも誰の手筆より出るかを知らず、姑くここに附録して、讀者に対照参考せしめる。要するに、先に開く兩處が財を見るは、似たるかな日干の上・日支の上のあの二つの巳を指し、後に開く一處が敗を主るは、似たるかな末伝の上のあの一つの巳を指す。末伝は一事の帰宿結局で、最も絶地に落ちるを宜しとしない。これは我の一得の見に過ぎず、ここに附して改正を待つ。

癸丑日・葉助教が家宅を占う(方本占案)

己酉年二月初四癸丑日亥將午時,葉助教丙辰生,生於四月初九寅時,五十四歲,占家宅。(方本占案)

己酉年二月初四の癸丑日、月将は亥で正時は午、葉助教――丙辰年生まれ・四月初九寅時生・時年五十四歳――が家宅を占問した。案は『方本占案』から出る。「助教」は國子監・州縣学の中の学官である。月将の亥は午時の上に加わり、天盤は地盤より順に五位進む。この課は専ら宅中の水道の壅塞の引き起こす種種の病症を断ずる、六壬が課象をもって陽宅の形勢を推す名例である。

空虎|龍戌亥子丑常|陳酉 寅玄 空蛇空蛇 財 丙午 蛇|六申 卯陰 亥午亥午 兄 辛亥 空|朱未午巳辰后 午丑午癸 鬼 甲辰 後|蛇貴

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:戌の上は青竜、亥の上は天空、子の上は白虎、丑の上は太常、酉の上は勾陳、寅の上は玄武、申の上は六合、卯の上は太陰、未の上は朱雀、午の上は螣蛇、巳の上は貴人、辰の上は天后。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に午を見、午の上に亥を見、日支の丑の上に午を見、午の上に亥を見る。四課の上神の乗ずるは依次に螣蛇・天空・螣蛇・天空。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、癸水の妻財で、螣蛇を乗せる。中伝の亥は旬遁して辛亥、癸水と同類で兄弟と為り、天空を乗せる。末伝の辰は旬遁して甲辰、辰土は癸水を克して官鬼と為り、天后を乗せる。第一課の「丑上見午」は下神の丑土(日干の寄宮)が反って上神の午火を克し、下が上を賊するに属し、午を取って発用として重審課を成す。午より五位を進めて亥を得、亥より五位を進めて辰を得る。末伝の辰は天罡の土で、正好く中伝の亥水を堵住し、水路が一たび塞がれば、人身の血脈もまた隨って通ぜず、これが全課の病を断ずる樞紐である。

邵彥和曰:主宅後東廁水溝不通,一主人患眼疾,二主人常有腸風瀉痢之疾,三主婦人血脈不通,四主人浮腫而死,只因西北水路閉塞,所以如此。若不開通,定主婦人癲狂重病也。葉家果有人常患眼,兼婦人有病。蓋因西北水溝為人所塞,凡雨後東廁及後屋常為水浸,助教自有腸風疾,妻妾每患吐瀉。

邵彦和が言うには:この課は屋後の東側の廁所の水溝が通ぜないを主る。第一に主人に眼疾あり、第二に主人は常に腸風下血・腹瀉痢疾を患い、第三に婦人の血脈が通ぜないを主り、第四に人の浮腫を得て死するを主る――みなただ西北方の水路が堵塞するため、やっとこの地步に落ちる。もし疏通を加えなければ、一定になお婦人の癲狂の重病を得ることがある。その後葉家に果たして人の常に眼病を鬧す者あり、婦人もまた病あり。もとより西北方の水溝が人に堵住され、雨に逢う毎に、東側の廁所と後屋は常に水に浸され、助教自身は腸風の疾を患い、妻妾もまた常常に吐瀉した。

蓋三傳辰土塞亥水,亥克午火,午卻逃臨身宅,身雖制得他,宅卻為他所害,故宅被害而反害人也。干屬水,支屬土,土來克水,中傳又是水,末傳天罡截住,壅塞亥水,故水不通,血脈不行,致生諸病。至戊午年婦人產後遂患癲病,蓋為騰蛇所撓耳。午為心,血脈不通而克心,故有是病。

その理を細かく説く:三伝の末伝の辰土が中伝の亥水を堵住し、亥水はまた去りて初伝の午火を克し、午火は却って日干と日支の上に逃げる――自身はなおそれを制住し得るとはいえ、房宅はすでにそれに害され、だから宅は先に害を受け、反ってまた人を害する。日干の癸は水に属し、日支の丑は土に属し、土が来て水を克する。中伝はまた水で、末伝の天罡の辰土がそれを腰を攔えて截断し、亥水を壅塞せしめるので、水路は通ぜない。水が通ぜなければ則ち人身の血脈もまた行われず、各種の病はみな出る。戊午年に至り、婦人は産後に便ち癲狂の病を得た。あれは螣蛇に攪擾された緣故である。午は人身に於いて心を主り、血脈が通ぜずして反って心に克し到るので、この病を生じ出した。

癸丑日・姜伯達が前程を占う(宋本邵案・口鑑・捷要)

己酉年六月初六癸丑日未將寅時,姜伯達丁卯生四十三歲,占前程。(宋本邵案、口鑑、捷要)

己酉年六月初六の癸丑日、月将は未で正時は寅、姜伯達――丁卯年生まれ・時年四十三歳――が前程を占問した。案は宋刻本『邵彦和占案』・『六壬口鑑』と『六壬捷要』の三書に見える。ここの「未将」は六月に用いる未月将を指し、地支の一つである。月将の未は寅時の上に加わり、天盤は地盤より順に五位進む。四課三伝は上の一課の葉助教の占ったと完全相同なのに、ただ課を起こした昼貴が同じでないため、貴人の臨む位は便ち異なり、天将もまたこれに隨って一套を換え、断語は是において大いに相同じない――これはまさに下文の程樹勲按語の辨明せんとする所である。

陳六|龍戌亥子丑朱|空酉 寅蛇 陳玄陳玄 財 丙午 玄|虎申 卯貴 亥午亥午 兄 辛亥 陳|常未午巳辰后 午丑午癸 官 甲辰 後|玄陰

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:戌の上は青竜、亥の上は勾陳、子の上は六合、丑の上は朱雀、酉の上は天空、寅の上は螣蛇、申の上は白虎、卯の上は貴人、未の上は太常、午の上は玄武、巳の上は太陰、辰の上は天后。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する――これは夜貴で、葉助教の一課の昼貴を用いたと同じからず。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に午を見、午の上に亥を見、日支の丑の上に午を見、午の上に亥を見る。四課の上神の乗ずるは依次に玄武・勾陳・玄武・勾陳。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、癸水の妻財で、玄武を乗せる。中伝の亥は旬遁して辛亥、兄弟と為り、勾陳を乗せる。末伝の辰は旬遁して甲辰、官星と為り、天后を乗せる。午は人身に於いて心を主り、物象に於いて目と屋を主る。今初伝の午は日干の癸水に克される。中伝の亥は勾陳を乗せて宅位に臨み、勾陳は専ら争闘訴訟を主る。末伝の辰は癸日の墓庫で天后を乗せ、天后は女人の血気を主る。この三層はまさに邵彦和の説く所の屋苦・妻苦・心苦に対応する。

邵彥和曰:吾子平生有三苦:一為屋苦,二為妻苦,三為心所苦。初午被癸克,婦人常患心血不寧;中亥為同類,臨屋上,主官訟爭產;愛函析曰:勾陳主爭也。此惟夜貴則乘勾,若作亥將午時,則用晝貴,亥乃乘天空,何從而斷其官訟爭屋乎?末墓作天后,主女人血氣之災。自身隨傳入墓,必是公姑干亥山之墳內,有泥水侵棺,走獸入內為穴,所以前程不通。九年心病,又四年遭同族爭產,又五年死。若不動移,必然喪身也。

邵彦和が言うには:足下の一生に三樣の苦あり。一は房屋に苦しめられるを為し、二は妻室に苦しめられるを為し、三は心病に苦しめられるを為す。初伝の午は日干の癸水に克され、家中の婦人が常に心血に安寧ならざるを患うを主る。中伝の亥は日干と同類で、また房屋を代表する日支の上に臨み、官司訴訟・家産を争奪することを主る(愛函の分析に説く:これは勾陳が争闘を主るため。しかも勾陳が亥の上に乗ずる所以は、ただ夜貴を用いたためで、仮使亥将午時に照らして課を起こせば、用うるは便ち昼貴で、亥の上に乗ずるは天空と成れば、あれはまた何を凭って彼の官訟争屋を断ぜんか)。末伝の辰は癸日の墓庫で天后を乗せ、家中の女人に血気の災あるを主る。自身は三伝に隨って墓の中に落ち込み、必ず公婆が亥山に葬られた墳塋の裏に泥水が進み棺を浸し、また野獸が鑽り進み入りて窩を為すがあるので、前程は通じ得ない。頭の九年は心病で、さらに四年を過ぎて同族に産を争われ、さらに五年を過ぎて身亡する。もし祖墳を遷動せざれば、必ず命も連れて保つ能わざる。

伯達乃士人,占課之時,殊不為意,其後宅宇摧損,拆而再造畢,遂心氣發作,日夜呻吟,財物耗散,妻亦心血不安,此九年午所管也。第十年兄弟日夜爭吵,或塞東廁,或開西庫,又爭三處店房,遂致興訟,此四年亥所管也。末辰卻管五年,二年女人血病死,三年自身大病,遂移公婆之墳,啟攢視之,泥土淤塞,除泥改喪,後乃安穩。

姜伯達は読書人で、課を起こした時は全く意に介さなかった。その後房屋が損壊し、拆いて重建し、剛く建し了えるや彼は則ち心気が發作し、日夜に呻吟し、銭財は耗散し、妻子もまた心血不安の症を犯した――これは初伝の午の管する九年である。第十年の上、兄弟の間は日夜に争吵し、一會には東辺の廁所を堵し、一會には西辺の庫房を開き、また三處の店房のために相争い、終に官司を打つに鬧じ到った――これは中伝の亥の管する四年である。末伝の辰は後頭の五年を管する:頭の両年に家中の女人が血病を得て死し、第三年に彼自身が大病を害し、是において公婆の墳を遷移した。墳穴を啓き開いて一看すれば、果たして泥土が淤塞しており、積泥を清除し改葬した後、やっと安穩した。

蓋午受癸克,走回本家,又受亥克,雖虎賁之勇,亦不能當,所以見諸般不利。午為目、為屋、為妻,故皆不安也。

その理を細かく説く:午火は先ず日干の癸水に克を受け、本家の午位に逃げ帰るも、却ってまた中伝の亥水に克を挨る。たとえ虎賁武士のような勇力あっても、両面の夾攻に架け堪えられないので、各樣の事情はみな順利でない。午は物象の上で兼ねて眼目・房屋と妻室を主るので、これによりこの三樣は則ちみな安寧を得られない。

愚按:此課與葉助教占宅之課同,然彼是亥將午時,故邵公之斷語不同,不知何人將二課皆作亥將午時占,而入於一課二事各斷式例內,剛錯課多矣。今得宋本改正。

程樹勲按:この課と前面の葉助教が宅を占ったあの一課は、四課三伝が完全相同である。ただあの一課は亥将午時より起こり、昼貴を用いたので、邵公の断語は両樣である。誰かがこの両課をともに亥将午時に占ったと写作し、「一課二事各断」の體例の裏に編し入れたかを知らず、錯課の甚だ多いに致る。今宋刻本に依據して改正し來れる。

癸丑日・婚姻を占う(牧夫占験)

乾隆丙子年十二月癸丑日丑將申時占婚姻。男辛卯生四十六歲,女壬子生二十五歲。(牧夫占驗)

乾隆丙子年十二月の癸丑日、月将は丑で正時は申、一桩の婚事を占問した。男方は辛卯年生まれ・四十六歳、女方は壬子年生まれ・二十五歳。案は『牧夫占験』から出る。月将の丑は申時の上に加わり、天盤は地盤より順に五位進み、前の両課と同一天地盤で、ただ乗ずる所の天将が昼夜に隨って変わる。

陳六|龍戌亥子丑朱|空酉 寅蛇 陳玄陳玄 財 丙午 玄|虎申 卯貴 亥午亥午 兄 辛亥 陳|常未午巳辰后 午丑午癸 官 甲辰 後|玄陰

十二宫の天将の分布は:戌は青竜を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、酉は天空を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、申は白虎を乗せ、卯は貴人を乗せ、未は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せ、辰は天后を乗せる。四課は右より左へ:癸は丑に寄せ、丑の上に午を見、午の上に亥を見、日支の丑の上に午を見、午の上に亥を見る。上神の乗ずるは依次に玄武・勾陳・玄武・勾陳。三伝は初伝の午(妻財、玄武を乗せる)、中伝の亥(兄弟、勾陳を乗せる)、末伝の辰(官星、天后を乗せる)。婚を占うに財爻をもって妻とし官星をもって夫とす:本課の午財は発用するとはいえ、絶地に落ちる――癸水は巳に絶し、午と巳は同じく火位に属して気を泄して根無しなので、夫妻は白頭し得ず家道は貧寒を主る。末伝の辰はすでに癸日の墓庫にしてまた化して官鬼と為り、その上に乗ずる天后は老年陰人の象なので、成婚の後に一人の年老いた女性の親長が家中を攪りて寧からざると断ずる。辰の数は五で、癸の天干の数もまた五なので、五年の内は一場の空と断じた。

王牧夫曰:此婚必成。成後有老陰人不能安靜。然財臨絕地,不能齊眉,亦主貧窮。五年之內一夢醒矣。老陰人者,天后作墓鬼也。五年者,辰數五,癸干亦五數也。婚成後,岳母隨女居子婿家,年老瑣碎,吵鬧無時,三年而卒。妻懷孕,得病分娩,至次年卒。一夢醒矣,五年之內拮据異常,亦主妻家窮極。

王牧夫が言うには:この門の親事は一定に成る。成親の後、家の裏に一人の年老いた女性の長輩あり、鬧して安寧を得させない。然るに財爻は絶地に落ち、夫妻は白頭偕老し得ず、また家境の貧窮を主る。五年の内に、この場の婚姻は一場の夢のように醒める。いわゆる「老陰人」は、末伝の辰の上に天后を乗せしかも辰はまた化して墓鬼と為るを指す。いわゆる「五年」は、辰が六壬の裏で数が五であり、日干の癸の天干の数もまた五である。その後婚事は成り、岳母は女児に跟い随いて女婿の家に住み、年紀大きく性情は瑣碎で、吵闹に停歇の時なく、三年後に去世した。妻子は孕を懐き、臨産に病を得て、第二年に至りもまた死した。いわゆる一夢醒め來るは、まさにこの五年の内に家計が異常に拮据し、同時にまた妻家の窮困が極点に到ったを主る。

癸丑日・何知丞が赴任を占う(方本占案)

戊申年十二月癸丑日丑將未時,何知丞丙寅生,生於二月初三日酉時,四十三歲,占赴任。(方本占案)

戊申年十二月の癸丑日、月将は丑で正時は未、何知丞――丙寅年生まれ・二月初三酉時生・時年四十三歳――が赴任の事を占問した。案は『方本占案』から出る。ここの「未時」は十二時辰の一つで、すなわち午後一時から三時である。「知丞」は知縣・縣丞の類の佐貳官の通称である。月将の丑は未時の上に加わり、天盤と地盤は六位相違するは、まさに返吟課である。返吟は往復反復・去りてまた回るを主るので、この課は彼が遲遲として任に到り得ないと断ずる。

虎常|空亥子丑寅玄|龍戌 卯陰 常朱常朱 鬼 丁未 朱|陳酉 辰后 丑未丑未 鬼 癸丑 常|六申未午巳貴 未丑未癸 鬼 丁未 朱|朱蛇

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:亥の上は天空、子の上は白虎、丑の上は太常、寅の上は玄武、戌の上は青竜、卯の上は太陰、酉の上は勾陳、辰の上は天后、申の上は六合、未の上は朱雀、午の上は螣蛇、巳の上は貴人。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に未を見、未の上に丑を見、日支の丑の上に未を見、未の上に丑を見る。上下は彼此に対冲するは、返吟である。四課の上神の乗ずるは依次に朱雀・太常・朱雀・太常。三伝は上より下へ:初伝の未は旬遁して丁未、未土は癸水を克して官鬼と為り、朱雀を乗せる。中伝の丑は旬遁して癸丑、もまた官鬼で、太常を乗せる。末伝はまた未で、依然として官鬼で、朱雀を乗せる。三伝はただ丑・未の両字の間に在って来たり回り、みな官鬼である。未は神煞の上で病符で、また癸日の官鬼なので、邵彦和はそれを「舊政」と称す――舊任の官任の官職が糾纏して去らず、新差は自然に遲遲として上手し得ない。

邵彥和曰:此課舊政上又見舊政,不知已有幾年。何曰:有三年。先生曰:以此觀之,第六年方得赴任。何以為不然。蓋何欲歸安縣,被吏部差一考,果六年至任。先生曰:知丞終此任矣。果六年至任,八年喪歸。

邵彦和が言うには:この課は舊任の上にまた舊任を畳み、あなたがすでにこのように耽擱して幾年になるかを知らない。何知丞が答えて言うには:すでに三年。先生が言うには:このように照らして看れば、第六年に至ってやっと赴任し得る。何知丞は然りと為さなかった。もとより彼は本來歸安縣に任職せんと思ったが、吏部に別に一たびの考績を派せられ、結果は果たして第六年に至ってやっと任に到った。先生はまた言うには:この知丞は則ちこの一任の上に死す。その後果たして六年にしてやっと任に到り、第八年に至るを為し、家人は柩を扶して帰った。

蓋戊申年未為舊政(愚按:未為病符,故為舊。作日之官鬼,故為舊政也),初末日辰皆見,又十二月月建丑,又加於舊上,來往皆是舊人,故不能速。六故斷其八年扶喪而歸。

その理を細かく説く:戊申年の未正は舊任の職を代表する(程樹勲按:未は神煞の上で病符なので、「舊」と称す。未はまた癸日の官鬼なので、「舊政」と称す)。この未は初伝・末伝および日干・日支の上に処処に出現する。また十二月の月建が丑に値り、丑はさらに舊任の未の上に壓し到り、來り去るに碰う所はみな舊人舊事なので、事情は快くなり得ない。すでに応期が第六年に落ちたので、これにより彼は第八年を為すと便ち家人が柩を扶して帰ると断じた。(原文の「六故斷其八年」の句の中の「六」の字の下に脱文あらんことを疑う。)

癸丑日・壬辰の老人が病を占う(一字訣玉連環)

六月癸丑日巳將亥時,壬辰老人占。(一字訣玉連環)

六月の癸丑日、月将は巳で正時は亥、一人の壬辰年生まれの老人が来て課を起こして占問した。案は『一字訣玉連環』から出る。月将の巳は亥時の上に加わり、天盤と地盤は六位相違し、依然として返吟課で、四課三伝は上の一課の何知丞の占ったと相同じく、ただ夜間より起こって夜貴を用いたため、天将はまた一套である。老人の問う所は未だ明言せないが、課の上から看れば病を問うで、下文の徐次賓は便ち径りに彼の飲食が病を致し旦夕に亡なんとするを断ずる。

勾合朱蛇|亥子丑寅 朱常朱常 官 丁未 常|龍戌 卯貴 丑未丑未 官 癸丑 朱|空酉 辰后 未丑未癸 官 丁未 常|申未午巳|虎常玄陰

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:亥の上は勾陳、子の上は六合、丑の上は朱雀、寅の上は螣蛇、戌の上は青竜、卯の上は貴人、酉の上は天空、辰の上は天后、申の上は白虎、未の上は太常、午の上は玄武、巳の上は太陰。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行し、用うるは夜貴である。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に未を見、未の上に丑を見、日支の丑の上に未を見、未の上に丑を見る。上下は相冲するは、返吟である。四課の上神の乗ずるは依次に太常・朱雀・太常・朱雀。三伝は上より下へ:初伝の未は旬遁して丁未、官星と為り、太常を乗せる。中伝の丑は旬遁して癸丑、官星と為り、朱雀を乗せる。末伝はまた未で、依然として官星で、太常を乗せる。未は六壬の裏で別名を「小吉」といい、物象の上で羊肉と酒を主る。太常は筵席飲宴を主る。未は土に属して脾胃を主る。三伝は全土で癸水を囲み、水は流行を得ないので、酒食が脾を傷り二便が通ぜないの症と断じた。

徐次賓曰:此人因酒食過多,傷損肝胃,並下孟血痢;又小腸不通,添心腹脹滿,用藥不效,飲食不進,旦暮而死。蓋日上小吉主羊酒,太常主筵宴,土主脾胃,各乘休氣,故言酒食傷於脾胃也。癸水受未土制,故下痢。三傳皆土,癸水不能流行,故小腸不通。心腹脹滿者,癸亥水不能外行也。蓋小吉為藥,太常為飲食,既為日鬼,故藥不效,食不進矣。且時為日馬,卦得返吟遊子,未遁丁神,老病得之,豈能出入?當是陽魂乘天馬、馭六丁,遊於天涯地角之外,其病身一虛殼耳。又命上乘喪魄,與三傳俱是日鬼,以四鬼守虛殼,豈不應旦墓而死者乎?

徐次賓が言うには:この人は酒肉の喫し過ぎたため、肝胃を傷り、また下痢便血し、これに小腸の通ぜざるを加え、心腹脹満を添え出し、藥を喫しても効を見ず、飲食もまた喫し下る能わず、旦夕の間に則ち死せんとする。日干の上神の未が六壬の裏で名を「小吉」といい、物象の上で羊肉と酒を主るからである。未の上に乗ずる太常は宴席を主り、未は土に属して脾胃を主り、これらはまたみな休囚の気を乗ずるので、酒食が脾胃を傷ったと説く。癸水は未土に制され、これにより下痢する。三伝はみな土で、癸水に流行する路無しなので、小腸は通ぜない。心腹脹満は、癸亥のこの一路の水気が外に向かって排泄し得ない緣故である。小吉の未は物象の上でまた藥を主り、太常は飲食を主るが、今それらはすでにみな化して日干の官鬼と為ったので、藥は効を見ず飯もまた喫し下る能わざる。さらに正時の亥は癸日の駅馬で、課体はまた返吟の中の「游子」の格で、未の上に還って丁神を遁出する――一個の老病の人がこのような課に碰上して、なお何の出入行動を談ぜられようか。これは分明に陽魂が天馬を乗じ六丁を駕して、天涯地角の外に游蕩して去ったで、留め置く病身は過ぎず一個の空殻である。何况彼の本命の上に喪魄の神を乗じ、三伝と同じくみな日干の官鬼で、四重の官鬼を用いて一個の空殻を守れば、どうして旦夕の間に死去するに応ぜざることがあろうか。

癸丑日・東宫田妃の六甲を占う(指南)

崇正丁丑年十月癸丑日酉時,太監陳國用占東宮田妃六甲。(指南)

明崇禎丁丑年十月の癸丑日、酉時、太監の陳國用が東宫田妃の胎孕を占問した。案は『六壬指南』から出る。「崇正」は則ち崇禎で、清人が諱を避けて字を改めた。「六甲」は懐孕を指す。原文はただ正時を記すのみで、四課三伝は前の一課と相同じく、依然として返吟の課で、天将もまた依然として夜貴を用う。田妃は則ち崇禎朝の寵妃田貴妃で、下文に断ずる第六子の夭折は、明宮の中の実事である。

勾合朱蛇|亥子丑寅 朱常朱常 官 丁未 常|龍戌 卯貴 丑未丑未 官 癸丑 朱|空酉 辰后 未丑未癸 官 丁未 常|申未午巳|虎常玄陰

十二宫の天将の分布は:亥は勾陳を乗せ、子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、戌は青竜を乗せ、卯は貴人を乗せ、酉は天空を乗せ、辰は天后を乗せ、申は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、午は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せる。四課は右より左へ:癸は丑に寄せ、丑の上に未を見、未の上に丑を見、日支の丑の上に未を見、未の上に丑を見る。上神の乗ずるは依次に太常・朱雀・太常・朱雀。三伝は未・丑・未で、みな日干の官星で、天将は依次に太常・朱雀・太常。胎孕を断ずるに陰陽を看る:この課は丑・未がともに陰支に属すとはいえ、却って返吟が往復するによって陰より陽に轉じ、日支の上神と日支の本身とまた同気で相比するので、必ず男胎と断ずる。夭折の期に至っては、則ち胎神を看る:胎神は前後に夾克されて気無く、末伝の臨む所の卯は東宫の子宿の位で、偏しくも課を起こした酉将と陰殺に冲克されるので、故に卯年に応ずると断じた。

陳公獻曰:此男子之祥也,然生而難育,應在卯年。蓋因純陰返陽,支上神與支相比,故主男必矣。然而卯年不育者何也?胎神夾克無氣,此追魂之魔,卯為東宮子宿,受酉將陰殺沖剋,是以知其卯年不育。未幾田妃生第六子,卯年命殞。

陳公献が言うには:これは男孩を生ずる吉兆だが、ただ生し下来っても養い大きくし難く、卯年に応ずべき。この課は純陰の象が反って陽に轉じ、日支の上神はまた日支と同気で相比するので、必ず男胎と断定する。然らばどうして卯年に養い活かさざるか。胎神が前後に夾住して克制されて全く生気無く、これは魂を勾し命を索る凶魔だからである。卯はまた東宫太子の属する星宿の位で、偏しくも課を起こしたに用いた酉将と陰殺の冲克を受けるので、これに拠って卯年に養い成らざるを知る。久しきことなかりて、田妃は果たして第六個の息子を生し下り、卯年に至りこの子は則ち夭亡した。

癸丑日・僕の病の吉凶を占う(牧夫占験)

戊辰年寅月癸丑日亥將辰時,餘思五兄占僕病吉凶。(牧夫占驗)

戊辰年寅月(正月)の癸丑日、月将は亥で正時は辰、余思五の兄が家中の僕人の病情の吉凶を占問した。案は『牧夫占験』から出る。月将の亥は辰時の上に加わり、天盤は地盤より順に七位進む。僕人の病を占うに、須く日支をもって奴僕の位とし戌をもって奴僕の類神とし、さらに類神に生路の有無を看る。

合朱蛇貴|子丑寅卯 貴虎貴虎 子 ◎卯 貴|勾亥 辰后 卯申卯申 鬼 庚戌 龍|龍戌 巳陰 申丑申癸 財 乙巳 陰|酉申未午|空虎常玄

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:子の上は六合、丑の上は朱雀、寅の上は螣蛇、卯の上は貴人、亥の上は勾陳、辰の上は天后、戌の上は青竜、巳の上は太陰、酉の上は天空、申の上は白虎、未の上は太常、午の上は玄武。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の癸の寄宮は丑に在り、丑の上に申を見、申の上に卯を見、日支の丑の上に申を見、申の上に卯を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・貴人・白虎・貴人。三伝は上より下へ:初伝の卯は「◎」を標して旬空に落ちることを示し、癸水の生ずる子孫で、貴人を乗せる。中伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は癸水を克して官鬼と為り、青竜を乗せる。末伝の巳は旬遁して乙巳、癸水の妻財で、太陰を乗せる。第二課の「申上見卯」は下神の申金が反って上神の卯木を克し、下が上を賊するに属し、卯を取って発用として重審課を成す。日干・日支の上はともに申金で、申金は初伝の卯木を克し、卯木は物象の上でまさに棺椁である。戌は奴僕の類神で、末伝の巳はまた棺椁の内に困るので、王牧夫はこの僕は必ず死すと断じた。

王牧夫曰:此課占僕病,大凶不治,必死。來日寅沖去支上長生是凶期耳。蓋主占僕,干支乘金克卯木為棺槨,為鑄印,為煉尸。而戌為僕之類神,巳在棺槨之內,安能望其生乎?至死日果死。占病五十以上,亦不宜得顧祖課。餘首為程姑母占,斷以必不能起。蓋顧祖乃返本殺也,後為人得此屢驗,附記於此。

王牧夫が言うには:この課は僕人の病を占うに、大いに凶で治せず、必ず死すること疑いなし。明日は寅日で、寅が來て日支の上の長生の申金を冲し去れば、あれは則ち凶に応ずる日子である。これは主人が僕人のために占うので、日干・日支の上はともに申金を乗せ、申金は卯木を克する。卯木は物象の上で棺椁で、この格はまた「鑄印」「煉尸」の称がある。しかも戌はまさに僕人の類神で、末伝の巳はまた棺椁の中に困るので、どうしてなお彼が活きるを指望し得られようか。あの一日に至り、果たして死した。病を占う人が五十を過ぎたるも、また「顧祖」の課を得るを宜しとしない。我が第一次に程姑母のために病を占いしとき、則ち彼女が必ず起き來る能わざると断じた――顧祖は則ち返本の殺である。その後別人のために占い、この課を得るに屢々応験し、一併にここに記す。

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