Libo

丙子日

清 · 程树勋 · 第9巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

丙子日に辺事を占う(『一針見血』)

十月丙子日卯將申時上宣諭占邊事。一針見血

十月の丙子日、「卯」を以て月将とし、占時は申にあり、皇上が宣諭して垂問し、人に命じて課を起こして辺防の軍情を占問させた。この例は『一針見血』から採った。

蛇朱合勾  子丑寅卯 合常常蛇 官 丙子 蛇 貴亥  辰龍 寅未未子 子 癸未 常 后戌  巳空 未子子丙 父 戊寅 合  酉申未午  陰玄常虎

課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。卯将を申時に加え、天盤は地盤より五位退する:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の子・丑・寅・卯があり、それぞれ螣蛇・朱雀・六合・勾陳に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の酉・申・未・午があり、それぞれ太陰・玄武・太常・白虎に乗る。地盤辰上は「亥」で天乙貴人に乗り、地盤卯上は「戌」で天后に乗り、地盤酉上は「辰」で青竜に乗り、地盤戌上は「巳」で天空に乗る。占時の申は昼に属し、丙日の昼貴人は亥にあり、貴人は地盤の辰位に落ちる――ゆえに十二天将は順行に排列する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「子」を見て螣蛇に乗る。第二課、子上に「未」を見て太常に乗る。第三課、日支子上に「未」を見て太常に乗る。第四課、未上に「寅」を見て六合に乗る。日支は恰好日干上神と同じく「子」で、第二課と第三課は重出す――ゆえに四課は残缺して備わらない。右側の三伝:初伝「子」は官鬼、遁干は丙子、螣蛇に乗る。中伝「未」は子孫、遁干は癸未、太常に乗る。末伝「寅」は父母、遁干は戊寅、六合に乗る。

祝泌奏曰:臣詳此課,三上克下,日陰不備,日之支來就日之干,而有客來傷主,主乃藏伏,謂騰蛇在巳,為入穴故也。此課宜固守,若論四課不備,又皆克下,勢在再,惟勾陳是卯,與日干上子,不相傷,而元武屬金,反來克勾陳,又游都在日後,主?添兵未巳,卒戰未利,若固守二三日,無有解圍之期,臣曾占此事,皆見白虎,臨月建。

祝泌が奏を上して言う:臣は細かにこの一課を推すに、四課の中に三課は上神が下神を克し、日陰の一課は残缺して全からず、日支「子」は日干の頭上に跑って来る――第一課の丙火が寄宮する巳位の上に見るはちょうど日支の子――これは客が来て主を傷る象で、しかも主の一方はただ蔵伏するのみ。いわゆる螣蛇が巳に在りとは、すなわち螣蛇が子に乗りて丙の寄宮の巳の上に落ち、蛇は本穴に帰る――蛰伏して出ざるを主す。この一課は堅守するに宜しい。もし四課不備にしてまた皆上が下を克すると論ずれば、形勢はさらに反復あらん。幸い勾陳の乗ずるは「卯」で、日干上の「子」と水木相生して、並びに相傷せず。しかも玄武は金に属し、かえって勾陳の木を克住し得る。また「游都」は日の後位に落ち、敵方が兵を増し止まざるを主す(原文「未巳」の「巳」は応に「已」の字の訛、「?」は底本の缺字)――倉卒に接戦すれば利を得難い。もしただ二三日堅守すれば、まだ解囲の日を見えない。臣は従前この事を占って、皆白虎が月建の上に臨むを見た。

月建者,城邑也,即安豐之境土也。白虎為戎兵動擾,其所乘屬火。今日丙上見子,足以制之,雖錐危而安,惟固守勿輕出戰,遇此三四日,自可保全。若輕動則招憂也。

いわゆる月建は、城邑を指す――すなわち安豊の一帯の疆土。白虎は兵戎騒動を主り、それが乗ずる神は火に属す。いま丙の日干上に「子」を見る――子水はこの重火気を制するに足る。ゆえに処境は危殆なれど終に安に転ず(「錐」の字は疑わしく訛衍)。ただ堅守して軽易に出戦するなかれ――この三四天を挨え過ごせば、自然に保全し得る。もし軽挙妄動すれば、すなわち禍患を招来する。

愚按祝泌字子涇,善六壬,著有六壬大占,進呈。此課只雲祝氏占安知非祝泌也,故書其名焉。

程樹勳按:祝泌は字を子涇と言い、六壬に精通し、『六壬大占』一書を著わして朝廷に進呈した。この一課は原書はただ「祝氏」の占と言う――どう見てもすなわち祝泌ではないか。ゆえにここに径に彼の名字を写し出した。

丙子日に来意を占う(『一字玉連環』)

四月丙子日申將丑時占來意。一字玉連環

四月の丙子日、「申」を以て月将とし、占時は丑にあり、来た人の用意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。

合勾龍空  子丑寅卯 龍陰陰合 官 丙子 合 朱亥  辰虎 寅未未子 子 癸未 陰 蛇戌  巳常 未子子丙 父 戊寅 龍  酉申未午  貴后陰玄

課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を丑時に加え、天盤も同じく地盤より五位退する。ゆえに十二支の落つる宮位は前の一課と同じで、ただ一副の天将を換えたのみ:地盤巳・午・未・申上は天盤の子・丑・寅・卯で、順に六合・勾陳・青竜・天空に乗る。地盤寅・丑・子・亥上は天盤の酉・申・未・午で、順に天乙貴人・天后・太陰・玄武に乗る。地盤辰上は「亥」で朱雀に乗り、地盤卯上は「戌」で螣蛇に乗り、地盤酉上は「辰」で白虎に乗り、地盤戌上は「巳」で太常に乗る。占時の丑は夜に属し、丙日の夜貴人は酉にあり、貴人は地盤の寅位に落ちる――ゆえに天将は順行する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「子」を見て六合に乗る。第二課、子上に「未」を見て太陰に乗る。第三課、日支子上に「未」を見て太陰に乗る。第四課、未上に「寅」を見て青竜に乗る。右側の三伝:初伝「子」は官鬼、遁干は丙子、六合に乗る。中伝「未」は子孫、遁干は癸未、太陰に乗る。末伝「寅」は父母、遁干は戊寅、青竜に乗る。

徐次賓曰:來意主內外和合之事,又主添妾媵之喜。蓋丑時與日干三合,與日支六合,故言內外和合事也。日上神后水,時上天后水,不言鬼者,緣先鋒門得大吉土,值事門得勾陳土,為今日之子孫爻,以剋死絕之水,水豈能為鬼也。太陰主妾媵,六合主和合婚姻,青龍主喜慶,此課始末俱吉,豈不是和合添妾媵之象也。

徐次賓が言う:来た人の用意は、一桩の内外和合の事で、また侍妾を添置する喜慶を主す。占時「丑」は日干丙の寄宮する巳と合して巳酉丑の三合を成し、丑は日支子とまた子丑の六合――ゆえに内外和合の事と言う。日干上は「神後」(子の別名)で水に属し、占時の丑位の上には申が加わりて天后に乗り、天后もまた水に属す。水はもともと丙火の官鬼だが、ここでは鬼として看ない――「先鋒門」すなわち占時自体の得るは大吉(丑)の土で、「値事門」すなわち占時の支が天盤上に乗ずる天将の得るは勾陳の土。土はちょうど丙火の今日の子孫爻で、よくこのすでに死絶無気の水を克制し得る。水はすでに制せられ――どうしてなお鬼を作し得よう。太陰は侍妾を主り、六合は和合婚姻を主り、青竜は喜慶を主る――この一課は頭から尾まで皆吉。岂に内外和合・侍妾添置の象ならざらんや。

丙子日に癸巳命の人が来意を占う(『一字玉連環』)

四月丙子日申將酉時癸巳命人占來意。一字玉連環

四月の丙子日、「申」を以て月将とし、占時は酉にあり、一位の癸巳年生まれの人が来意を占問した。この例は『一字玉連環』から採った。

龍勾合朱  辰巳午未 后陰空龍 子 甲戌 后 空卯  申蛇 戌亥卯辰 財  酉 貴 ◎ 虎寅  酉貴 亥子辰丙 財  申 蛇 ◎⊙  丑子亥戌  常玄陰后

課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を酉時に加え、天盤は地盤より一位退する:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の辰・巳・午・未があり、それぞれ青竜・勾陳・六合・朱雀に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の丑・子・亥・戌があり、それぞれ太常・玄武・太陰・天后に乗る。地盤辰上は「卯」で天空に乗り、地盤卯上は「寅」で白虎に乗り、地盤酉上は「申」で螣蛇に乗り、地盤戌上は「酉」で天乙貴人に乗る。占時の酉は夜に属し、丙日の夜貴人はちょうど酉にあり、貴人は地盤の戌位に落ちる――ゆえに十二天将は逆行に排列する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「辰」を見て青竜に乗る。第二課、辰上に「卯」を見て天空に乗る。第三課、日支子上に「亥」を見て太陰に乗る。第四課、亥上に「戌」を見て天后に乗る。第二課は卯木が辰土を克し、第四課は戌土が亥水を克す――両重の上が下を克す。日干と同じく陽に属する「戌」を取りて発用す――これは比用課である。右側の三伝:初伝「戌」は子孫、遁干は甲戌、天后に乗る。中伝「酉」は妻財、天乙貴人に乗る。末伝「申」は妻財、螣蛇に乗る。丙子日は甲戌旬に属し、旬空はちょうど申・酉にあり、ゆえにこの两位の下はいずれも遁干を列せず旁に「◎」を標す。末伝の旁に別に一つの「⊙」記号あり――原書はその含義を説明していない。戌・酉・申は順次後退す――「退茹」の課である。

徐次賓曰:來意本人於家西耕荒地,種麥,至麥熟時,有帶官人來割麥,曰:“是我之地。”相爭到官,勸和,得麥一半,歸其地。

徐次賓が言う:来た人の用意はこういう一桩の事である――彼は自家の西辺に荒地を開墾して麦を種えたが、麦の熟する時に至り、人あるが官府の人を帶びて来て麦を割り、言うには「これは我の地である」。両下相争して官府に閙いだが、人を経て中から勧和し、麦は半分を分け得て、あの塊の地は依然として彼に帰した。

何以知之,緣酉時與日干三合,故言外。酉為西方,故言家西耕荒地也,酉為日下之財,不言金玉,而言麥者。若婦人占酉財為金玉首飾之類,今老農來占,酉主小麥,既為日下之財,故言麥也。值事門及中傳,上見天乙,故為帶官人。

これらはどう見出したか。占時「酉」は日干丙の寄宮する巳と合して巳酉丑の三合を成し、三合は外を主る――ゆえに事が門外に在ると断じた。酉は西方に属す――ゆえに自家の西辺で荒を開くと言う。酉は日干の下に臨む財爻で、それを金玉と言わず麦と言う道理はこれである:もし婦人が来て占えば、酉財は便ち金銀首飾の類を作す。いま来て占うは一位の老農で、酉はすなわち小麦を主る。それはすでに日の下の財――ゆえに麦と断じた。「値事門」――占時の支が天盤上に乗ずる天将――および中伝には、上に皆天乙貴人を見る――ゆえに来て麦を割る人は官府の人を帶びて来たと言う。

何知相爭到官,蓋日上見天罡,為自己怒惡。時為日貴,中傳又得天乙為動官之象。何知勸和得麥一半,蓋時與日合,卦又得比用,故主勸合。申酉為財而空亡,故主得一半矣。

どうして相争して官府に閙ぐと知ったか。日干の上に「天罡」(辰の別名)を見――自ら怒気を動かすを主す。占時はまたちょうど丙日の貴人の在る所で、中伝もまた天乙貴人を得――皆官司を驚動する象である。またどうして人を経て勧和してただ半分の麦を得たと知ったか。占時と日干とが相合し、課体はまた比用を取る――ゆえに人あるが中から説和するを主す。申・酉の两位はすでに財爻なれどまた皆空亡に落ち――空なればすなわち半分に減ず。ゆえにただ半分を得た。

丙子日に升遷を占う(『口鑑』)

己酉年十月丙子日卯將丑時馮知丞戊辰生四十二歲占升遷。口鑑 方本占案

己酉年十月の丙子日、「卯」を以て月将とし、占時は丑にあり、馮知丞――戊辰年生まれ、時年四十二歳――が升遷を占問した。この例は『口鑑』と『方本占案』から採った。

朱蛇貴后  未申酉戌 青虎貴朱 子 庚辰 青 合午  亥陰 辰寅酉未 兄 壬午 合 勾巳  子玄 寅子未丙 財  申 蛇 ◎  辰卯寅丑  青空虎常

課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。卯将を丑時に加え、天盤は地盤より二位進む:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の未・申・酉・戌があり、それぞれ朱雀・螣蛇・天乙貴人・天后に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の辰・卯・寅・丑があり、それぞれ青竜・天空・白虎・太常に乗る。地盤辰上は「午」で六合に乗り、地盤卯上は「巳」で勾陳に乗り、地盤酉上は「亥」で太陰に乗り、地盤戌上は「子」で玄武に乗る。占時の丑は夜に属し、丙日の夜貴人は酉にあり、貴人は地盤の未位に落ちる――ゆえに十二天将は逆行に排列する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「未」を見て朱雀に乗る。第二課、未上に「酉」を見て天乙貴人に乗る。第三課、日支子上に「寅」を見て白虎に乗る。第四課、寅上に「辰」を見て青竜に乗る。第四課は寅木が辰土を克し、下が上を賊る――重審課に依って「辰」を取りて発用す。右側の三伝:初伝「辰」は子孫、遁干は庚辰、青竜に乗る。中伝「午」は兄弟、遁干は壬午、六合に乗る。末伝「申」は妻財、螣蛇に乗る。申は旬空に落ち、故に遁干を列せず旁に「◎」を標す。辰・午・申は一位を隔てて順次に進む――ちょうど断語にいう「登三天」である。

邵彥和曰:登三天,本主升遷之象,但嫌登不過關。關者,日干是也。既不過關,難以升遷。若跳過,則又進銳退速。白虎入宅臨父母,目下必因丁艱而阻。愚按六害主阻隔,課得交車害白虎為喪服之神加於父母之上,故云因丁艱而阻也,況干上又是弔客。且主父母棺內白蟻食壞,以致不利子孫,遂成災咎。服滿之後,雖得一任差遣,恐不能終任矣。

邵彦和が言う:三伝の辰・午・申は位を隔てて逓進し、名づけて「登三天」――本は升遷の象だが、惜しいことにそれが「関」を登り過ごせない。いわゆる関は、すなわち日干を指す(丙は巳に寄宮する)。すでにこの一関を過ぎ得なければ、升遷し難い。たとえ勉强に跳び越えても、進むは速く退くも速い。白虎が寅に乗りて日支の宅位に入り、また父母爻の上に臨む――眼下必ず父母の喪に居るによって阻まれる。程樹勳按:六害は阻隔を主る。この一課は日干上神の未と日支の子とが相害し、日支上神の寅と日干寄宮の巳とが相害して「交車相害」を成す。白虎はまた喪服の神で、ちょうど父母爻の上に加わる――ゆえに丁憂によって阻まれると言う。いわんや日干上の「未」はさらに己酉年の弔客である。しかも父母の棺木の内が白蟻に蛀壊されて子孫に不利となり、終に災咎を醸成することを主す。服喪が期満した後、なお一任の差遣を得ることは能くも、任満を為すには到らないを恐れる。

乎服滿得一任者,青龍發用也,不能終任者,中傳得陽刃,末傳即空亡也知丞乃機宜之弟,課象主服不利,彼此相同,機宜課見丙子日干上戌果因阻服未升遷。及舉母棺,欲與父合葬,因起父墳視之,盡為泥水白蟻傷壞,遂不敢葬。續有堪輿人,言此地本吉,因葬高露風不利,若葬低便發。知丞又來占,極斷其不可,而知丞不聽,竟合葬焉。及服滿,授黃州推官,赴任數月,因病假歸,十二月卒。

服満してなお一任の差遣を得ると言うに至っては、青竜が発用するからである。任満を為す能わざると言うのは、中伝が陽刃を得、末伝がまたちょうど空亡に落ちるからである(句首の「乎」は応に「夫」の字の訛)。この知丞は馮機宜の弟で、両人の課象はともに居喪不利を主り、彼此相同じ――機宜のあの一課は丙子日の干上に戌を見るもので、後に果たして喪を守るに阻まれて升遷し得なかった。母親の棺木を起こし出し、父と合葬しようと欲して、それによって父墳を掘り開いて一見すると、棺木は全て泥水と白蟻に毀壊されていた。そこで敢えて下葬しなかった。随後また堪輿先生あるが言うには:この地は本は吉地で、ただ葬るが高過ぎて風に当り外露したために不利なので、もし低く葬れば便ち発達する。知丞はまた来て占問し、私は力を極めて不可と断じたが、知丞は聴かず、終に合葬した。服満に及び、黄州推官に授けられ、赴任してまだ数ヶ月で、病によって假を請い家に帰り、十二月の裡に去世した。

夫日干是丙,即身也。辰、午登天,至撞巳而止;末傳雖透過已去,卻是空亡,所謂登不過關,及身而止也。行年未上見酉,再作空亡,逢空則止,運亦盡矣。

日干は丙――代表するはすなわち本人自身である。三伝の辰・午は一路天に登って上り、撞いて「巳」――丙の寄宮――に着けば便ち停住した。末伝は巳位を透過して去るも、偏偏空亡の上に落ちる:これがすなわちいわゆる関を登り過ごせず、自身に至って止まるである。彼の行年は未にあり、未上に酉を見、酉はまた空亡に落ちる――空に逢えば便ち止まり、運数もまたこれに至って頭に尽きる。

鄭云正時太常遁丁主孝服,正時主目下,上見卯為丙之母,故知其母孺人難久遠也。白虎主喪,寅為丙之父,加子子神后,斷母亦碓究竟寅為父儀墓覆其上,白虎乘之。白虎主白蟻,是父墳內有白蟻滿蝕,不利子孫者,子又為子息,子水病在寅,帶白虎加之故也。

鄭氏が言う:正時(占時の丑)は太常に乗り、丑の本旬中の遁干は丁――丁は孝服を主る。正時の主するは眼前当下である。丑位の上に見るは「卯」――卯木は陰に属して丙火を生ず――丙の母親である。ゆえに彼の母親という孺人は世に在ること久しくないと知る。白虎は喪事を主る。寅木は陽に属し、丙の父親である。寅は「子」の上に加わり、子はすなわち「神後」。此の下の「断母亦碓究竟寅為父儀墓覆其上」の一句は底本が訛脱して通じ難いが、大意は依然として寅はすでに父親を代表し、その上にまた墓神が覆い圧し、白虎はちょうどこの位置に乗ると言う。白虎はまた白蟻を主る――ゆえに父親の墳中に満ちるは白蟻の蛀蝕と断じた。子孫に利ならざると言うのは、「子」が同時にまた子息を代表し、しかも子水の病地はちょうど寅にあり、寅の上には偏偏白虎を帶びて加臨する故である。

丙子日に失賊を占う(『玉連環』末巻)

五月丙子日申將午時二十六歲人占失賊。玉連環末卷

五月の丙子日、「申」を以て月将とし、占時は午にあり、一位の二十六歳の人が賊に遭い失竊した事を占問した。この例は『玉連環』末巻から採った。

勾合朱蛇  未申酉戌 虎玄朱勾 子 庚辰 虎 龍午  亥貴 辰寅酉未 兄 壬午 龍 空巳  子后 寅子未丙 財  申 合 ◎  辰卯寅丑  虎常玄陰

課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。申将を午時に加え、天盤もまた地盤より二位進む。ゆえに十二支の落つる宮位は前の一課と同じで、ただ一副の天将を換えたのみ:地盤巳・午・未・申上は天盤の未・申・酉・戌で、順に勾陳・六合・朱雀・螣蛇に乗る。地盤寅・丑・子・亥上は天盤の辰・卯・寅・丑で、順に白虎・太常・玄武・太陰に乗る。地盤辰上は「午」で青竜に乗り、地盤卯上は「巳」で天空に乗り、地盤酉上は「亥」で天乙貴人に乗り、地盤戌上は「子」で天后に乗る。占時の午は昼に属し、丙日の昼貴人は亥にあり、貴人は地盤の酉位に落ちる――ゆえに天将は逆行する。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「未」を見て勾陳に乗る。第二課、未上に「酉」を見て朱雀に乗る。第三課、日支子上に「寅」を見て玄武に乗る。第四課、寅上に「辰」を見て白虎に乗る。右側の三伝:初伝「辰」は子孫、遁干は庚辰、白虎に乗る。中伝「午」は兄弟、遁干は壬午、青竜に乗る。末伝「申」は妻財、六合に乗る。申は旬空に落ち、故に遁干を列せず旁に「◎」を標す。

苗公達曰:主爾父及兄弟度關而遭賊失財,兄被賊傷左目,其賊不能捕也。

苗公達が言う:あなたの父親と兄弟が関口を過ぐる時に賊に遭い銭財を失い、兄長はまた賊人に左眼を傷られたことを主す――しかもこの伙の賊は捉え得ない。

議曰天乙臨酉門戶不寧,丙以寅為日本,白虎加之,是長上驚危,寅為天梁,卯為天關,惡人在上自然?關,而財遭賊劫,丙以巳為兄,午為弟,日上勾陳為?敵?月作四月節。大殺月厭俱在未。未臨巳主損左目,法以四孟為頭目,寅巳為左,申亥為右,元武上下不戰,又青龍六合飛騰萬里,主賊有庇佑,必難獲也。

議論に言う:天乙貴人は亥に乗りて地盤の酉位に臨む――酉は門戸を主る。ゆえに門戸が寧ならず。丙は「寅」を以て立日の本と為し、白虎が辰に乗りてその上に加臨す――これは尊長が驚を受け険に渉る象である。寅の名は「天梁」、卯の名は「天関」――悪人は応に関梁の上に当るべく、自然に関口の上で事を生ず(ここに底本は一字缺く)――銭財はすなわち関を過ぐる時に賊劫に遭う。丙は「巳」を以て兄と為し「午」を以て弟と為す。日干上の勾陳は対敵の象を作す(原文の両処の「?」は皆底本の缺字)。この一課は五月に占うも、節気はなお四月の節内に算する:四月の大殺と月厭はともに「未」にあり、しかも天盤の未はまたちょうど地盤の巳上に臨む――ゆえに左眼を傷損するを主す。その法は寅・巳・申・亥の四孟の位を以て人の頭面眼目に配し、寅・巳は左に属し、申・亥は右に属す。玄武の乗ずる神とその下の地盤の神とは上下相生して相戦せず、青竜・六合はまた万里を飛騰す――賊人は別に人あるに庇護されるを主す。ゆえに必ず擒獲し難い。

丙子日に前程を占う(『口鑑』)

己酉年十一月丙子日卯將戌時馮機宜丁亥生二十三歲占前程。口鑑 方本占案 當是寅將酉時,不然即非十一月也。

己酉年十一月の丙子日、「卯」を以て月将とし、占時は戌にあり、馮機宜――丁亥年生まれ、時年二十三歳――が自分の前程を占問した。この例は『口鑑』と『方本占案』から採った。程樹勳原注:ここは応に寅将を酉時に加えるべし――さもなくば十一月の月将に合わない。

蛇朱合勾  戌亥子丑 蛇常空蛇 兄 辛巳 常 貴酉  寅青 戌巳卯戌 子 甲戌 蛇 后申  卯空 巳子戌丙 父 己卯 空  未午巳辰  陰玄常虎

課盤を平らに展開して行を成せば上の通り。卯将を戌時に加え、天盤は地盤より五位進む:地盤巳・午・未・申上に順に天盤の戌・亥・子・丑があり、それぞれ螣蛇・朱雀・六合・勾陳に乗る。地盤寅・丑・子・亥上に順に天盤の未・午・巳・辰があり、それぞれ太陰・玄武・太常・白虎に乗る。地盤辰上は「酉」で天乙貴人に乗り、地盤卯上は「申」で天后に乗り、地盤酉上は「寅」で青竜に乗り、地盤戌上は「卯」で天空に乗る。占時の戌は夜に属し、丙日の夜貴人は酉にあり、貴人は地盤の辰位に落ちる――ゆえに天将は順行する。程樹勳のいう所の「応に寅将酉時」とは、寅を酉に加えるも卯を戌に加えるも同じく五位を進み、天盤の排布はこれによって改変しない。中間の三行は四課で、右から左へ読む:第一課、日干丙(寄宮は巳)の上に「戌」を見て螣蛇に乗る。第二課、戌上に「卯」を見て天空に乗る。第三課、日支子上に「巳」を見て太常に乗る。第四課、巳上に「戌」を見て螣蛇に乗る。第三課は子水が巳火を克し、下が上を賊る――重審課に依って「巳」を取りて発用す。右側の三伝:初伝「巳」は兄弟、遁干は辛巳、太常に乗る。中伝「戌」は子孫、遁干は甲戌、螣蛇に乗る。末伝「卯」は父母、遁干は己卯、天空に乗る。丙の禄はちょうど巳にあり、しかも巳は日支の子の上に臨む――すなわち断語にいう「禄臨支」である。

邵彥和曰:此課前程未通愚按支為任,太常破碎加之故云阻服,鄭云陰神見戌,戌是正時,主目下即見喪服,是任必見迴避,定是阻服,服滿後得差,尚有九年端坐,方得出頭,數已盡矣愚按巳為德祿。太常與丑三合,故癸丑年州添差通判,無如仰丘俯仇,故又迴避。

邵彦和が言う:この一課は前程が通ぜない。程樹勳按:日支は任ずる官职を代表し、太常はまた破碎煞を帶びてその上に加臨す――ゆえに喪によって阻まれると言う。鄭氏が言う:陰神に「戌」を見――戌はちょうど占時――眼下立刻に喪服に碰上することを主す。この職任は必ず回避せねばならず、喪によって阻まれると断ず。服満の後一つの差遣を得る能くも、此の後さらに九年枯坐してやっと出頭し得、しかも寿数もまたここに至って止まる。程樹勳按:「巳」はすでに丙の日徳でありまた丙の日禄である。太常は巳に乗り、巳は丑と三合を成す――ゆえに癸丑年に州は彼を添差して通判と為さしめた。あいにく「仰丘俯仇」――上下ともに須回避すべき干渉あり――ゆえにまたただ回避するのみ。

鄭云初傳是兄弟同官一處,例當迴避,正應畢法所講,權攝不正祿臨支也。蓋卯來克戌,戌去墓丙,丙即巳遂走入宅,為宅所克,此亂首自下犯上,照管堂上孺人,既有大災難治,皆自己命滯,所以如此。

鄭氏が言う:初伝は兄弟爻――兄弟が同一処に在りて官を為すは、例に按じて応に回避すべし。これちょうど『畢法賦』の講じる所の「権攝不正、禄臨支」の一条に応ずる。もとは卯木が来て戌土を克し、戌土は又去りて丙火を墓住せしめ、丙は巳に寄宮し、そこで日支の宅位に走り入り、かえって宅に克される。これは禍乱の首が下から上を犯し、さらに堂上の老夫人の身に牽連した。すでに大災難あって救治し得ず、皆彼自身の命数が滞塞するがため、やっとこの如くに落ちたのである。

夫丙火敗於卯,墓於戌,敗神逼克戌墓,戌墓遂來墓日,日遂奔入宅被克,去住不容。日上戌五,宅上巳四,共九數,故主九年。九年後卯主事,卯敗丙,加丙墓上,即是敗木,乃棺槨入墓,自然死也。然卯為今日之母,母先入墓,次及我身矣。

丙火は卯位において沐浴敗地で、戌位において墓庫である。敗神の卯が逼り上って戌墓を克すれば、戌墓は便ち頭を回らして日干を墓住せしめ、日干は宅位に奔入せざるを得ず、宅に入ってまた宅に克される――走るもそう、留まるもそうではない。日干上の「戌」の数は五、宅上の「巳」の数は四――合わせて九。ゆえに九年を主す。九年の後は卯が当事する――卯は丙の敗神で、また丙の墓神の上に加われば、すなわち敗木を成す。敗木が墓に入るは、ちょうど棺椁が土に下る象――自然に死すべし。しかも卯はまた本日の母親爻――ゆえに母親が先に墓に入り、それから後に自身に輪が到る。

馮乃待制之子,授江州安撫,十二月母死阻服,癸丑年再授洪州差通判,因妹丈除江西運使,遂迴避,得台州崇道觀,二十個月得病,戊午年卒。

馮機宜は待制の兒子で、江州安撫に授職し、十二月の裡に母親が去世し、居喪によって職を去った。癸丑年に再び洪州添差通判に授けられたが、また妹夫が江西転運使に出任するによって、ただ例に依って回避し、改めて台州崇道観の祠禄の閑職を得、二十ヶ月後に病を患い、戊午年に至り去世した。

丁丑日

丁丑日

丁丑日に王得俊が前程を占う(『口鑑』)

建炎己酉年閏八月丁丑日,己將酉時,王得俊,辛巳生,二十九歲,占前程。(口鑑)/勾龍空虎/丑寅卯辰 常貴朱空 兄辛巳常⊙/合子 巳常 巳酉亥卯 子丁丑勾/朱亥 午玄 酉丑卯丁 財酉貴◎/戌酉申未/蛇貴后陰

南宋建炎己酉年閏八月の丁丑日、月将を以て占時に加えて課を起こした(原書は「己将」と写す――応に「巳将」の訛)、酉時の上に加え、王得俊(辛巳年生まれ、二十九歳)が来て自分の仕途前程を占った。この例は『口鑑』から出る。以下は展平して排印した課盤:巳将を酉に加え、天盤は地盤より四位退する――地盤巳上は天盤の丑で「勾陳」に乗る。午上は寅で「青竜」。未上は卯で「天空」。申上は辰で「白虎」。酉上は巳で「太常」。戌上は午で「玄武」。亥上は未で「太陰」。子上は申で「天后」。丑上は酉で「貴人」。寅上は戌で「螣蛇」。卯上は亥で「朱雀」。辰上は子で「六合」。丁日の寄宮は未にあり、未上に卯を得――ゆえに第一課は卯が丁に加わりて「天空」に乗る。第二課は卯上に亥を得て「朱雀」に乗る。第三課は日支丑上に酉を得て「貴人」に乗る。第四課は酉上に巳を得て「太常」に乗る。三伝は:初伝巳(遁干は辛、兄弟爻、「太常」に乗る)、中伝丑(遁干は丁、子孫爻、「勾陳」に乗る)、末伝酉(妻財爻、「貴人」に乗る)――巳酉丑はちょうど合して金局を成す。丁丑日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉にあり、ゆえに末伝の酉財は恰好空亡に落ちる――原書は旁に「◎」を打って標記と為す。

邵彥和曰:卯木生丁火,而不知火敗於卯,又天空乘之,是虛生也,虛生不足,而實脫有餘。此下稍功名,不就之象也。卯木不足生丁火,而丁火卻克巳酉丑金為財。初不知巳火兄弟占,酉為財發用則非丁所得也。中傳雖是財庫,無奈酉財在末傳而空,是庫中無財也。末見酉作貴人加宅上,只是下稍買一武官,作名目耳。

邵彦和が言う:表面上見れば卯木が丁火を生ず――しかし人は知らない、丁火は卯の位置でちょうど「敗」地に落ちる。いわんや卯の上にまた「天空」に乗る――これは名あれど実なき虚生である。虚生の力量は足らず、しかも実実在在の脱泄がかえって余あり――これちょうど一生の功名が末に到っても成り得ない象である。卯木はすでに丁火を生じ起こすに足らず、丁火はかえって去りて巳酉丑の三合の金を克し、この金を以て自己の財と為す。始め旁人は明白ならず:初伝の巳火は兄弟爻――兄弟は劫奪分財を主る。末伝の酉金は妻財で発用するも、丁日主の得る所能ならず。中伝の丑は金庫なれど、本なら財を蔵住し得べきも、あいにく酉財は末伝に落ちまたちょうど空亡を犯す――庫房の裡に根本に財ないに等しい。末伝の酉はまた「貴人」に乗りて日支の宅位の上に加わる――説き尽くせば、ただ晚年に銭を花して一つの武職を捐し、名目を挂するに過ぎぬ。

王得俊家富而好學,人頗推重佃,惟以功名是望。及聞此斷,伊不信,曰我自有抝命文章,誰知後過三五舉並無寸進。始覺此課有驗,遂罄帑庫之財,買一副尉,欲圖試,又不中。徐侍郎在?州與他權監洄縣後,因呼為有干,終於此而己。大幾卯木加丁,是真生也,卯木卻有敗火之意,是木太旺,火不能勝,反被木壓滅也。如木敗子,子乃太盛之水反將木泛起,泛則根浮,又何生之有。酉財是空亡,是竭財而買小武官也,但貴在宅,是不仕之官也。

王得俊は家境富裕にしてまた書を読むに肯じ、郷里は彼に対して甚だ推重し、彼自身もまた一心にただ功名を指望した。この番の断語を聴いて、彼は信じ肯んぜず、我は自ら人に過ぐる文章あると言った。誰が知らん、此の後連々三五科を考えるも、一点の長進もなかった。これに至ってやっとこの一課が確かに応験すると覚え、そこで家中の積蓄を傾け尽くして、一個の副尉の武階を捐買し、それに憑りて一つの出身を謀ろうとしたが、銓試に参加してまた中らなかった。その後徐侍郎が某州(源文ここに一字缺く、「?州」と作る)で彼に洄県を代管させ、彼の事を弁ずるに幹才あるを称許し――彼の一生の仕途もまたここに至って止まった。一般人は皆卯木が丁の上に加わるは真の相生と言う――実は卯木はかえって丁火を敗壊する意ある:木は旺盛に過ぎ、火は承受し得ず、かえって木に圧滅せられる。譬えば木が子位に落ちれば「敗」を為す――子は極盛の水で、かえって木を漂浮せしめ、木根は一たび浮べば、まだ何の生扶を談ぜん。酉財が空亡に落ちるは、ちょうど彼が家財を耗尽してやっと一つの小武官を換え得たに応ずる。貴人が宅の上に落ちるは、これがただ真には出仕せざる虚銜なるを説明す。

丁丑日に応貢元が前程を占う

應貢元,丁卯生,四十二歲,占前程,戊申年六月丁丑日午將未時。/青空虎常/辰巳午未 貴蛇空虎 官丙子蛇/勾卯 申玄 亥子巳午 官乙亥貴/合寅 酉陰 子丑午丁 子甲戌後/丑子亥戌/朱蛇貴後

応貢元(丁卯年生まれ、四十二歳)が来て仕途前程を占った。時は戊申年六月の丁丑日、午将を用い未時に加えて課を起こした。天盤は地盤より一位退する:地盤巳上は天盤の辰で「青竜」に乗る。午上は巳で「天空」。未上は午で「白虎」。申上は未で「太常」。酉上は申で「玄武」。戌上は酉で「太陰」。亥上は戌で「天后」。子上は亥で「貴人」。丑上は子で「螣蛇」。寅上は丑で「朱雀」。卯上は寅で「六合」。辰上は卯で「勾陳」。丁日の寄宮は未にあり、未上に午を得――ゆえに第一課は午が丁に加わりて「白虎」に乗る。第二課は午上に巳を得て「天空」に乗る。第三課は日支丑上に子を得て「螣蛇」に乗る。第四課は子上に亥を得て「貴人」に乗る。三伝は:初伝子(遁干は丙、官鬼爻、「螣蛇」に乗る)、中伝亥(遁干は乙、官鬼爻、「貴人」に乗る)、末伝戌(遁干は甲、子孫爻、「天后」に乗る)。子・亥・戌は一路逆退し――「退連茹」の格局である。丁丑日は甲戌旬に属し、戌はちょうど本旬の「六儀」で、それが亥の上に加わる――すなわち下文にいう河魁が天門に加わるである。

邵彥和曰:令弟年久而得朝郎,奈後不永,吾文雖未第而前程未易量也。此實陰德所至,日後必然位至郎官。應曰何以言之。邵曰此課雖魁杜天門,不作阻隔論,乃六儀扶護,三奇拱秀,小則郎官,大則侍從。因有活人之功,故上天降福,北斗扶身,三光拱照,祿神催逼,即日食祿矣。人見此課,捋謂退連茹不利,殊不知甲戌旬,戌為六儀,戌加亥謂之朝天,亥屬干,干為天,謂之六儀朝天。亥子丑遁得乙丙丁,謂之三奇拱照,午乃丁祿臨干,謂之日祿扶身,且行年並逼白虎,為催官符使,貴人在三奇之中,而前後拱之,此蛇為吉將,名前一先鋒,高甲無疑矣。丁德在亥,戌亥子俱屬陰,故知陰德洪大,神明福佑也。亥為上帝,子為紫微,丑為北斗,是以得上天之降福也。

邵彦和が言う:あなたの弟弟は久しく熬えてやっと朝郎の官职を得たが、惜しいことに後に寿数長からず。あなた自身はまだ登第せぬも、前程は未だ限量すべからず。これ実に陰徳を積んだ結果で、日後必ず郎官まで為し得る。応貢元が問う:何に凭ってこのように言うか。邵彦和が言う:この一課は「魁罡が天門に加わる」の堵塞の象を出現するも、阻隔に按じて断ずべからず――それは同時に「六儀」の護衛と「三奇」の拱抱あるが故。小さく言えば郎官、大きく言えば侍従の臣を為し得る。あなたには人命を救い活かした功徳あり――ゆえに上天が福を降し、北斗星があなたの本身を扶助し、日月星の三光が環拱し、禄神がまた後ろに在りて催逼す――眼見てすなわち禄を食まんとする。旁人はこの一課を看て、皆「退連茹」は不利と言う。知らずや本日は甲戌旬に属し、戌は本旬の「六儀」――戌が亥の上に加わるを「朝天」と呼ぶ。亥は乾に属し、乾はすなわち天――ゆえに「六儀朝天」と呼ぶ。亥・子・丑の三位は乙・丙・丁を遁出し――ちょうど「三奇」の拱照である。午は丁日の禄神で、恰好日干の上に臨む――これを「日禄扶身」と呼ぶ。加うるに行年が緊く白虎に逼る――白虎はここに催官の符使を充当す。貴人はまた三奇の当中に坐し、前後三奇に拱護せられる。ここの螣蛇もまた転じて吉将と為り、名づけて「前一先鋒」。この如く看れば、甲科に高中するは疑問なし。丁の天徳は亥にあり、戌・亥・子の三位は皆陰に属す――ゆえに彼の陰徳が深厚で、神明の保佑を得たと知る。亥は上帝を為し、子は紫微を為し、丑は北斗を為す――ゆえに彼は上天の降福を得と言う。

考之貢元三十八歲時為徽宗宣和七年乙巳北虜犯邊,伊在東京挾友三十餘人,庇護李家宅眷七十餘口,兼不識姓名者三十七人;又以所乘舟及朋友舟載渡諸人,自率友沿岸西走,此所以感動上天,現之於課象也。後貢元庚戌科及弟,授吳縣尉,辛酉除左司郎官,樹禮部郎官。郊祀庚午年五月卒於官,享年六十三歲。

査考すれば:応貢元三十八歳のあの年はちょうど宋徽宗宣和七年乙巳で、北方の金兵が境を犯し、彼は東京で三十余位の朋友を聯合し、李家の宅内の七十多口の人を保護し、また別に三十七人の姓名をも知らぬ人を護った。さらに自己の乗る船と朋友の船を以てこれらの人を一一渡し去らせ、自己は朋友を帶びて岸に沿って西へ走った。まさにこのような天を感動する作為あるがゆえに、課象の上に福報を顕出した。その後応貢元は庚戌科に登第し、呉県尉に授けられた。辛酉年に左司郎官に除授し、また礼部郎官に転じた。郊祀を挙行する庚午年五月に至り、任上で死した。享年六十三歳。

丁丑日に応寺簿が前程を占う(『口鑑』・『方本占案』)

建炎己酉年六月丁丑日午將辰時,應寺簿甲戌生三十六歲占前程。(口鑑 方本占案)/勾合朱蛇/未申酉戌 空常貴朱 財酉朱◎/青午 亥貴 巳卯亥酉 官乙亥貴⊙/空巳 子后 卯丑酉丁 子丁丑陰/辰卯寅丑/虎常玄陰

建炎己酉年六月の丁丑日、午将を用い辰時に加えて課を起こし、応寺簿(甲戌年生まれ、三十六歳)が来て前程を占った。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。午将を辰に加え、天盤は地盤より二位進む:地盤巳上は天盤の未で「勾陳」に乗る。午上は申で「六合」。未上は酉で「朱雀」。申上は戌で「螣蛇」。酉上は亥で「貴人」。戌上は子で「天后」。亥上は丑で「太陰」。子上は寅で「玄武」。丑上は卯で「太常」。寅上は辰で「白虎」。卯上は巳で「天空」。辰上は午で「青竜」。丁日の寄宮は未にあり、未上に酉を得――第一課は酉が丁に加わりて「朱雀」に乗る。第二課は酉上に亥を得て「貴人」に乗る。第三課は日支丑上に卯を得て「太常」に乗る。第四課は卯上に巳を得て「天空」に乗る。三伝は:初伝酉(妻財爻、「朱雀」に乗り、空亡に落ち、原書は「◎」を打つ)、中伝亥(遁干は乙、官鬼爻、「貴人」に乗る)、末伝丑(遁干は丁、子孫爻、「太陰」に乗る)。丁丑日は甲戌旬に属し、旬空は申酉にあり、ゆえに初伝の酉財は空である。

邵彥和曰:寺簿中年,水作官星,宜為朝郎,人所難及。奈何滿局皆貴人,貴多不貴。而且身與初中貴人皆空,是慕十不得一,徒費心力也。日上發用歸亥官星,末傳丑支為宅神又加亥上,是日去投絕,支來迎絕,兼支上得卯木,丁火敗於卯,丑土死於卯,此非酒色之故。只緣日上太歲作雀,是欲上書言事,然日貴作鬼加歲剋日,上書何益,徒貶竄耳。

邵彦和が言う:寺簿はちょうど中年に当る。課中は水を以て官星と為し――本なら朝郎の一類の京官を為すべく、他人の比ぶ所ではない。あいにく満盤みな貴人――貴神は一たび多ければかえって貴ならず。しかも日主自身と初伝・中伝の貴人が全て空に落ち――十件を盼望してただ一件を得るに等しく、心力を白費す。日干上の酉が発用し、一路亥の官星の上に帰す。末伝の丑は日支、すなわち宅神で、また亥の上に加わる――これは日干が自ら去りて絶地に投じ、日支がまた絶地を迎えて来るである。加うるに日支上に卯木を得:丁火は卯において「敗」、丑土は卯において「死」――この一層はしかし酒色の成す所ではない。ただ日干上の太歳が「朱雀」に乗るがため――彼が上書して時政を議論せんと欲するを主す。しかしながら日上の貴人は官鬼と化し、また太歳に加臨して日を克す――上書して何の用かあらん、白く貶謫流放を招来するのみ。

寺簿驚曰現修書十條欲上,非因此乎。曰獻上即海外客也。寺簿曰某不上此書,其它有何禍福。曰寺簿生平其所虧有二,故滅前程,其一不孝母與母各居,其二寵妾而賤妻,若能改過,則吉,否則壽不永矣。應嘿嘿而去,蓋其所上書中內有一條言內張相劉四相等,或死或竄,實無辜。此時黃太師正忌此言,若上此書竄貶不免矣。夫丁日以卯為母,而酉制之,是不孝母也,本宮見巳,會起酉丑,是與母隔而不同居也。丁日申為妻,臨於午火受制之地,酉為妾反加日發用,而作貴人,是寵妾而賤妻也。丁自敗卯、死酉、絕亥,虧倫傷本,造物不容,何問前程耶。愚按應寺簿想是應貢元之弟,蓋寺薄先占而貢元后占也。

寺簿は驚きて言う:私はいまちょうど十条の奏議を擬し上せんと欲す――岂に説くはこの事ならんや。邵彦和が言う:奏し上げればすなわち海外の流放客を為さん。寺簿が言う:私はこの道の書を上せざらん――別の方面にまた何の禍福かある。邵彦和が言う:寺簿は平生両件の欠き負う所あり――まさにこれによって前程を毀す:一には母に孝順せず、母と分かれて別に住む。二には妾室を寵愛して正妻を軽賤す。もし改過すればすなわち吉、さもなくば寿数もまた長からざらん。応寺簿は黙然として去った。もとは彼の上す奏書の中に一条ありて、張相・劉四相らの或は死し或は流放するは実に冤枉なるを説いた。当時黄太師が最もこの種の話を忌諱した――この道の書は一たび上れば、貶謫流放は免れぬ。課理に就いて言えば:丁日は卯を以て母と為し、しかも酉が来て卯を克制す――これすなわち母に孝ならず。本宮に巳を見――巳は酉・丑を会合して局を成す――母と隔てて同住せざるである。丁日は申を以て妻と為し、申は午火に臨みて制せらるる所に在り。酉は妾――かえって日干の上に加わりて発用し、さらに貴人に乗る――これすなわち妾を寵みて妻を賤しむ。丁火は自ら卯において「敗」、酉において「死」、亥において「絶」――人倫を欠き根本を傷り、天地も容れず、まだ何の前程を問わんや。(程樹勳按:この応寺簿は思うに応貢元の弟ならん――寺簿が先に占い貢元が後に占うが故に。)

丁丑日に王子進が宅を占う(『一針見血』)

己酉年閏八月丁丑日巳將卯時王子進庚午生四十歲占宅。(一針見血)/勾合朱蛇/未申酉戌 空常貴朱 財酉朱◎/青午 亥貴 巳卯亥酉 官乙亥貴⊙/空巳 子后 卯丑酉丁 子丁丑陰/辰卯寅丑/虎常玄陰

己酉年閏八月の丁丑日、巳将を用い卯時に加えて課を起こし、王子進(庚午年生まれ、四十歳)が来て住宅を占った。この例は『一針見血』から出る。巳将を卯に加えるも同じく天盤は二位進む――ゆえに天地盤は上の一課と完全に同じ:地盤巳上に天盤の未は「勾陳」に乗り、午上の申は「六合」、未上の酉は「朱雀」、申上の戌は「螣蛇」、酉上の亥は「貴人」、戌上の子は「天后」、亥上の丑は「太陰」、子上の寅は「玄武」、丑上の卯は「太常」、寅上の辰は「白虎」、卯上の巳は「天空」、辰上の午は「青竜」。四課は:第一課、酉が丁に加わりて「朱雀」に乗る。第二課、酉上の亥は「貴人」に乗る。第三課、日支丑上の卯は「太常」に乗る。第四課、卯上の巳は「天空」に乗る。三伝は初伝酉(妻財、「朱雀」に乗り、空亡)、中伝亥(官鬼、「貴人」に乗る)、末伝丑(子孫、「太陰」に乗る)。以下の断語はちょうど四課の両両相冲と初中両伝の空亡のこの二点から手を入れる。

邵彥和曰:第一課與第三課沖,第二課與第四課沖,一課作初傳,二課作中傳,三課作宅,四課作行年。初中又是空亡,主所居之宅,乃五露無環抱之處,前後有路,沖射又有新喪之門在前,東主漏風,西主水直去,多招公事破財,風聲是非,男子先喪,婦人在家,主眾讀書不成,何不急就西方近陰人墳,靠山而居,不然則一紀之內,屋敗絕,人星散矣。

邵彦和が言う:第一課と第三課と相冲し、第二課と第四課と相冲す。第一課は取って初伝と為し、第二課は取って中伝と為し、第三課は住宅を看、第四課は行年を看る。初伝・中伝はまた皆空亡に落ち――住む所の宅子が四面遮なく毫も環抱なき地に処るを説明す。屋前屋後ともに道路が直ちに冲し、しかも前面にさらに一家の新たに喪事を辦した門戸あり。東辺は風が漏り、西辺は水流が笔直に泻走す。これを以て常に官司を招惹し銭財を破耗し、風言風語と是非とを閙出す。男主人は先に亡故し、ただ婦人が家を守るのみ。一家子は書を読むも皆名堂を読み出せず。どうして速やかに西辺に搬って亡者の墳地に靠り背後に山あって依る可きの処に往きて住まざるか。さもなくば、十二年の内に房屋は敗壊し家人は星散せん。

王是秀才,其宅果在田坡中,一大路自南直下,渠乃騎路?宅。果是前後相剋,東邊曠蕩,更無收束。風不可當,西邊裡辛水,迢迢直去,自入此屋,只是破財,六畜不留,奴婢長走,婦人且有不良之名。占後見斷語切當,遂移過北方,近母墳而居。蓋四課相剋,相沖,更無一行不然此名空沖,主在五露之間居止。卯酉加在南北出入,主沖,行年上巳為風門,中傳亥為水路,末傳在西北角,丑為墳墓,惟此可居,前新喪之門,乃太常加卯也,因乳母死,將丑艮方開門出。一雲丑為墳墓,加亥,丁干見壬德合,故西北言近陰人之墓可居。鄭云丑帶丁,亥沖有壬,丁壬化木,生丁干,又壬為丁之德,故此處可選。愚按此課惟卯丑二支不空,但卯為敗神,不可居,惟丑為日支,支為宅加亥上,故西北可居。

王子進は秀才で、彼の家の宅子は果たして田坡の当中にあり、一条の大路が南面から直ちに冲り下り、房子はちょうど路の上に騎る(源文ここに一字缺く)。四面は確かに前後相克し、東辺は空曠遼闊で、一点の収束遮拦もなく、風は大きくて挡不住。西辺の辛方の水は遥かに笔直に流れ走る。自らこの所の房子に搬り入ってより、ただ財を破するのみ――六畜は養い活かさず、奴婢は総じて逃走し、婦人はさらに好からぬ名声を落下した。占い過ぎた後、彼は断語が句句切中するを見て、北面に搬りて母親の墳地に靠る処に往きて住んだ。もとは四課がすでに相克しまた相冲し、一行としてこの如くならざるなし――これを「空冲」と呼ぶ。主人が四面遮なき処に住むを主す。卯・酉は分かれて南北の出入の処に加わり、冲射を主す。行年上の巳は風門、中伝の亥は水路。末伝は西北角に落ち、丑はまた墳墓――ただこの方位のみ居住し得べし。いわゆる前面に新喪の門あるは、「太常」が卯の上に加わるが故――彼の家の乳母が去世し、丑・艮の方から門を開きて抬し出したが故。もう一つの説は:丑は墳墓を為し、亥の上に加わる――丁干は壬に遇えば天徳相合す。ゆえに西北に亡者の墳墓に靠る処に住み得べしと言う。鄭氏が言う:丑の中に丁を帶び、亥冲の中に壬あり――丁壬は木に化して帰り来て丁干を生ず。加うるに壬は丁の天徳――ゆえにこの方位は選び得べし。(程樹勳按:この一課はただ卯・丑の両支のみ空ならず。しかし卯は敗神――居住すべからず。ただ丑は日支――日支はすなわち宅――それが亥の上に加わる。ゆえに西北方に住み得べし。)

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.