Libo

丁巳(丁巳)日

清 · 程树勋 · 第45巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

丁巳日・某が病を占う(方本占案)

五月丁巳日未將寅時某占病。 方本占案

五月の裏の丁巳日、五月の行う所の月将「未」を用いて占時の寅の上に加えて天盤を排出し、某人が前來して疾病を占問した。ここの「未」は月将の小吉の未で、当月の太陽の在する所の宮位を指し、「寅時」はやっと課を起こす時辰で、兩者の相加してやっと天盤の位置を定出す。この案は『方本占案』より録す。

朱六/蛇戌亥子丑陳/貴酉 寅龍 空蛇常六 兄 丁巳 常/後申 卯空 卯戌巳子 子 壬戌 蛇/陰未午巳辰虎 戌巳子丁 父 乙卯 空/玄常

天盤の十二天将の分布は:螣蛇は戌を乘じ、朱雀は亥を乘じ、六合は子を乘じ、勾陳は丑を乘じ、青竜は寅を乘じ、天空は卯を乘じ、白虎は辰を乘じ、太常は巳を乘じ、玄武は午を乘じ、太陰は未を乘じ、天后は申を乘じ、貴人は酉を乘ず。課式の裏に用うる簡稱は、「朱」は朱雀、「六」は六合、「蛇」は螣蛇、「陳」は勾陳、「貴」は貴人で、此の課の中にそれらは分かれて亥・子・戌・丑・酉の這幾個の地支の上に臨む。その余の簡稱の通例は:常は太常、后は天后、玄は玄武、空は天空、陰は太陰、虎は白虎、龍は青竜。四課は右より左に數う:日干の丁は未に寄り、未の上に子を得て六合を乘ずるは、第一課。子の上に巳を得て太常を乘ずるは、第二課。日支の巳の上に戌を得て螣蛇を乘ずるは、第三課。戌の上に卯を得て天空を乘ずるは、第四課。三伝は初伝の巳が太常を乘じ、旬遁して丁巳を得、丁火に在って兄弟と為り。中伝の戌は螣蛇を乘じ、旬遁して壬戌を得、子孫と為る。末伝の卯は天空を乘じ、旬遁して乙卯を得、父母と為る。

邵彥和曰:主病人狂言發喘而死,巳作常為用,主言語。丁日巳用皆火,中又蛇乘戌加巳,是火加旺地,故主發狂。火墓戌,陰氣盡也。凡人以內陰氣為主,陰日養陽,今已絕,則陽氣上攻,而不能生陰,陰絕陽弱,更主發喘,果狂言發喘而死。

邵彦和が言うには:この課は病人が胡話を説き氣喘して死するを主る。初伝の巳が「太常」を乘じて發用す。太常は言語聲音を主るので、病象は先ず口舌の上より顯れ出る。丁日の日干は火に属し、發用の巳もまた火に属す。中伝はまた「螣蛇」が戌を乘じて巳の上に加わる――螣蛇はもと火神で、戌はまた火の墓庫で、今火の最も旺なる巳位の上に加わるは、等しく火の上に火を添う。火氣は逼進して極旺の地に至るので、病人の狂亂語を發することを主る。火は戌に墓し、火が一たび墓に入れば、便ち陰氣の収盡するの象。人身は内在の陰氣を以て根本と為し、全く陰氣に一天一天陽氣を涵養するを頼む。今陰氣はすでに絶し、陽氣は収斂する所なく、ただ上に向かって冲逆する能く、また頭を回らして陰氣を滋生するに過ぎ難し。陰はすでに斷絶し陽はまた孤弱なれば、さらに氣喘の接が來らざるを主る。その後果たして狂言し喘を發して死した。

丁巳日・涂松亭が彭南溟の升遷を占う(指南)

崇正丁卯年正月丁巳日子將卯時京營參將塗松亭先生占彭南溟升遷。 指南

崇正(即ち崇禎)丁卯年正月の丁巳日、月将「子」を用いて卯時の上に加えて課を起こす――正月の裏の中氣雨水は未だ節を交えざれば、ゆえに依然として大寒より後の子将の神后を沿用す――京營參將の涂松亭先生が彭南溟のために升遷の事を占問した。この案は『六壬指南』から出る。

勾青/六寅卯辰巳空 貴六常青 鬼 癸亥 貴/朱丑 午虎 亥寅丑辰 財 庚申 玄/蛇子 未常 寅巳辰丁 兄 丁巳 空/貴亥戌酉申玄/後陰

天盤の諸将は:螣蛇は子を乘じ、朱雀は丑を乘じ、六合は寅を乘じ、勾陳は卯を乘じ、青竜は辰を乘じ、天空は巳を乘じ、白虎は午を乘じ、太常は未を乘じ、玄武は申を乘じ、太陰は酉を乘じ、天后は戌を乘じ、貴人は亥を乘ず。丁日の貴人は昼は亥に在り夜は酉に在り、卯時は白昼に属するので、亥の上の昼貴を取る。貴人の臨む所の地盤は寅で、順行の位に属し、その余の諸将は便ち依次に順布す。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に辰を得て青竜を乘じ、辰の上に丑を得――ここは源文は太常と標して、天将の圈の中の丑の上の乗ずる朱雀と合わず、訛字あるを疑う――日支の巳の上に寅を得て六合を乘じ、寅の上に亥を得て貴人を乘ず。三伝は初伝の亥が貴人を乘じ、遁干は癸亥、亥水は丁火を克して、日干に於いて官鬼と為り。中伝の申は玄武を乘じ、遁干は庚申、妻財と為る。末伝の巳は天空を乘じ、遁干は丁巳、兄弟と為る。升遷を占うに最も官星を重んず。此の課は官鬼が頭に當りて發用するは、まさに著眼處なり。

陳公獻曰:太歲月建生日,目今必然遷擢,多是山環水繞之地。蓋支為任所,寅艮為山,與亥水相合,故應此也。蒿矢逢金即箭有簇,又貴德驛馬入傳,財官城吏全逢,催官迅速之象。但忌日之陰陽制官,須防陳王田姓人為祟。癸亥日隨授南京巡捕營都司,未幾田大司馬以添注參將罷之。

陳公献が言うには:太歳と月建はみな來りて日干を生扶し、眼下必ず升遷し、しかも新の任所は多半は山環水繞の地方。因りて日支は任する所の地を代表し、支の上に寅を得、寅は八卦に於いて艮に属し、艮は山と為る。寅はまた亥水と相合し、山と水は交會するので、應じてこのような去處を出す。此の課の課體は「蒿矢」に属し、蒿矢はもと鏃なきの箭で、今金氣に逢い、就好比く箭の上に箭鏃を裝め、力量はやっと實處に落つ。さらに貴人・天徳・驛馬が一齊に三伝に入り、妻財・官星と主管する城邑と吏職の諸神を連ねて全く湊齊するは、みな官を催す神の催する緊く、升遷の來る快きの徵象。忌む所は日干の陰神・陽神が反って來りて官星を克制する――姓が陳・姓が王・姓が田の人が中より梗を作るを須く提防せよ。その後癸亥日に至り、彭南溟は隨いで南京巡捕營都司に授けられ。幾ほどなくして、田大司馬は便ち「添注參將」の名義を以て彼を罷免した。

丁巳日・童保儀が宅を占う(口鑑・方本占案)

建炎戊申年六月丁巳日未將酉時童保儀丁巳生五十二歲占宅。 口鑑 方本占案

建炎戊申年、即ち南宋高宗建炎二年、六月の丁巳日、月将「未」を用いて酉時の上に加えて課を起こす――六月の中氣大暑は還って到らざれば、ゆえに仍うとして夏至より後の未将を沿用す。占者の童保儀は丁巳年生まれの人で、この年五十二歳、來りて自家の住宅の吉凶を占問した。この案は『口鑑』と『方本占案』ともに收錄す。

虎常/空卯辰巳午玄/龍寅 未陳 陰空空常 子 空丑 陳/陳丑 申丑 丑卯卯巳 鬼 癸亥 朱/六子亥戌酉貴 卯巳巳丁 財 辛酉 貴/朱蛇

天盤の諸将は:天空は卯を乘じ、白虎は辰を乘じ、太常は巳を乘じ、玄武は午を乘じ、貴人は酉を乘じ、螣蛇は戌を乘じ、朱雀は亥を乘じ、六合は子を乘じ、勾陳は丑を乘じ、青竜は寅を乘ず。未の上・申の上の兩位は源文の標した字に訛誤あり、貴人の順行の次第に按じて推算すれば、應当に太陰が未を乘じ天后が申を乘ずべし。酉時は夜に属し、丁日の夜貴は酉に在るので、貴人は酉の上に臨む。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に巳を得て太常を乘じ、巳の上に卯を得て天空を乘じ、日支の巳の上に同じく卯を得て天空を乘じ、卯の上に丑を得――ここは源文は太陰と標して、三伝の中の丑の乗ずる勾陳と一致せず、姑く幷存して改めず。三伝は初伝の丑が勾陳を乘ず――丁巳日は甲寅旬の中に在り、子・丑の二支はまさに旬空に當るので、ただ「空丑」と写して遁干なし――丑土は丁火に在って子孫と為る。中伝の亥は朱雀を乘じ、遁干は癸亥、官鬼と為る。末伝の酉は貴人を乘じ、遁干は辛酉、妻財と為る。

邵彥和曰:此課六陰相繼,更無陽神,更六月建未,又是陰月,丁巳又是陰,命從此衰敗不振;兼婢不測,殞命於廁;丁巳二火,自旺方遞歸死絕之地,宅前有大樹枯朽,若不去之,閒事相擾;主有一子患腹氣,又不合將後閣為豬圈,豬盛克人;四年敗,六年敗盡也。

邵彦和が言うには:この課は陰神が一位に接いで一位、六位が相連なり、中間に竟に一個も陽神なし。また六月の月建が未に逢う――未月はもと陰月に属し、日辰の丁巳の丁と巳はまたみな陰に属す――陰氣は堆疊してこの般の地步に至れば、この一家の氣數はこれより便ち衰敗して振わざらんとす。還って家中の婢女が意外に遭い、廁所の裏に殞命するを主る。丁と巳の兩重の火は、各自に最も旺なる地より一路に遞退して、死絶の郷に歸入す。宅前に大樹の枯朽あるに應ず。あの樹はもし砍り去らざれば、閑雑の是非が接連して門に找め來る。また一個の兒子が腹中の氣疾を患えるを主る。さらに後面の閣樓を改めて猪圈と作す可からず。猪の養う越旺なれば、越家裏の人を克傷せんとす。この課に照らして推算すれば、第四年の上に敗落を始め、第六年の上に敗れて乾淨ならん。

童保儀因地方寇發,遂得名目,自後成家興旺;及先生與占,卻雲四年敗,六年敗盡也,彼不深信。本年十月一婢上廁,不覺墜死廁中。宅前有二百年大楓樹,已枯朽大半,繫族人祖墳。閱此更妙,卯陰上得丑為墓,日治得朱,暮治得勾,且又發用,是以主閒事相擾。十二月外鄉一人來樹下自縊。其第二子常患疝氣,其家屋寬,兄弟分出,去後無人居住,遂以後閣養豬。第四年拆四邊屋賣,六年果敗盡。僅存五口,移出店屋居住。

童保儀は早年に地方の上で盗賊が事を起したがために、軍功に靠りて一個の名分を得、此の後產を置き家を成し、甚だ興旺なり。邵先生が彼のためにこの課を代占するに及んで、却って彼が四年の上に敗れ六年の上に敗れ盡くすと断ずるに、彼は心の裏に幷ら甚だ信ぜず。則ち当年の十月に、一名の婢女が廁所に上り、一たび足を失して跌き入りて廁の中に淹れ死した。宅前のあの株の二百年の大楓樹は、早已大半が枯朽し、樹の下はまさに族人の祖墳。ここに看てさらにこの課の精妙なるを覺えた:卯の陰神の上に丑を得、丑は木の墓庫。この一位は白天に課を起こす時は朱雀を乘じ、夜裏に課を起こす時は勾陳を乘じ、朱雀は口舌文書を主り勾陳は爭鬪官非を主る。偏にまたまさに發用の初伝なので、閑雑の是非が接連して來りて擾るあるを斷定す。十二月に至り、外郷の人が走って來りてあの株の樹の下に上弔した。彼の第二個の兒子は常年に疝氣を患う。彼の家の屋宇は寛敞で、兄弟が家を分けて搬り出し去り、空き下りて人居る者なしに、則ち後閣を拿りて來りて猪を養う。第四年の上に四邊の房屋を拆き掉して變賣し、第六年に果たして敗れて精光なり。全家はただ五口の人を剩して、臨街の店屋の裏に搬りて往きて住んだ。

大凡丑亥酉卯此四支,先生皆以極陰;丁巳日又傳歸陰方絕地,宅上卯,末傳酉,俱六數,故主六年敗盡。此斷家宅,故取宅上神,酉為歸計門,是以取此二處決之也。加於巳亥上,亦四年之數。甲寅旬乙卯為真木一作卯加巳為真木,故有大樹在門。天空主朽;丑為閣,亥加丑上,故養豬;酉加亥為今日死神,酉為婢,亥為廁,故主婢死於廁也。丑為墳墓,卯為門樹,亥是樓閣。

大凡に丑・亥・酉・卯の這四個の地支は、邵先生は一概に極陰の支と看作す。丁巳日の三伝はまた一路に陰方の絶地に歸入す。宅の上に卯を得、末伝に酉を得、卯より酉に數うはまさに六位の數なので、六年の上に敗れ盡くすを断ず。この課の断ずる所は家宅なれば、ゆえに宅の上の神を取りて看るを要す。酉はまた「歸計門」と叫び、収束歸結を主るので、宅の上と末伝の這兩處を拿りて來りて決斷す。これ兩位を分かれて巳・亥の上に加えて推算すれば、また四年の數を得出す。丁巳日は甲寅旬に属し、旬の中の乙卯は真木なり(一本は卯が巳に加わるを真木と作す)。ゆえに門前に大樹あり。天空の神は朽壞を主り、あの樹は便ち枯朽のなり。丑は閣樓と為り、亥は丑の上に加わるので、後閣を用いて猪を養う。酉は亥の上に加わるは、当日の死神。酉は婢女を主り、亥は廁所を主るので、婢女が廁の中に死するを主る。總じて言えば、丑は墳墓を主り、卯は門前の樹を主り、亥は樓閣を主り、一一にみな著落あり。

丁巳日・風燭を占う(一針見血)

二月初五丁巳日亥將子時占風燭。 一針見血

二月初五のこの天は丁巳日、月将「亥」を用いて子時の上に加えて課を起こす――二月の中氣春分は未だ節を交えざれば、ゆえに仍うとして雨水より後の亥将の登明を用う――風災火患を占問した。この案は『一針見血』から出る。

龍勾合朱/辰巳午未 空龍勾合 父 乙卯 空/空卯 申蛇 卯辰巳午 父 甲寅 虎/虎寅 酉貴 辰巳午丁 子 ◎丑 常/丑子亥戌/常玄陰后

天盤の諸将は:青竜は辰を乘じ、勾陳は巳を乘じ、六合は午を乘じ、朱雀は未を乘じ、螣蛇は申を乘じ、貴人は酉を乘じ、天空は卯を乘じ、白虎は寅を乘じ、太常は丑を乘じ、玄武は子を乘じ、太陰は亥を乘じ、天后は戌を乘ず。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に午を得て六合を乘じ、午の上に巳を得て勾陳を乘じ、日支の巳の上に辰を得て青竜を乘じ、辰の上に卯を得て天空を乘ず。三伝は初伝の卯が天空を乘じ、遁干は乙卯、中伝の寅が白虎を乘じ、遁干は甲寅、兩伝は丁火に於いてみな父母に属す。末伝の丑は太常を乘じ、丁巳日は甲寅旬に属し、子丑は旬空に當るので、丑の上に一個の「◎」を加えてそれが空亡なるを記す。丑土は丁火に於いて子孫と為る。卯・寅・丑の三位は一路に後退するは、「退茹」の象。下文が新氣は舊氣に異ならざるを断ずるは、まさにここより看て出したる。

祝泌奏曰:三傳卯寅丑,以往之生氣加於來,主新至之氣不殊於舊日。此課之數,終於季春,不能知九夏之事。謂傳至三月建辰而退歸太歲之上,無四月以後之支也。天空之神發用歸墓,則主京都平靜。三傳無屬火,天官地將並無風燭之災,但是白虎臨城門,白虎主驚擾,今日干是丁火生於寅,而白虎乘之,亦漸有驚,而不至於蔓延,亦不傷動,只應在此月。所損不過寬一二家而已。

祝泌が上奏して言うには:三伝は卯・寅・丑で、旺より一路に衰に向かって退くは、等しくすでに過ぎ去った生氣を新たに來る氣の上に加うる。ゆえに新たに到った氣象は従前と幷ら兩樣なし。この課の含む數はただ季春の三月に至るまで管え、夏季の三個月の事を看ず――意は三伝が三月の月建の辰の上に退けば、則ち太歳の位に折り返し、課の裏に再び四月以後の地支なし。發用の初伝は天空の神で、天空は墓地に歸入し、京城の一帯が平静無事を主る。三伝の中に一位も火に属するなく、天上の神と地下の将はみな火氣を帯びざれば、幷ら風災火患なきを見る可し。慮る可きはただ白虎が城門の位に臨むのみ:白虎は驚擾を主り、今日の日干は丁火で、丁火は寅に長生し、偏偏白虎は則ち寅の上に乘ずる。ゆえに漸漸に些かの驚動あるも、蔓延して災を成すに至らず、また人物を傷損するに至らず、しかもただ本月の内に應ずるのみ。受ける所の損失は、過ぎず一兩家の人家のみ。

丁巳日・童七秀才が前程を占う(口鑑・方本占案)

建炎戊申年六月丁巳日未將未時童七秀才壬申生命九月十四日巳時生三十七歲占前程。 口鑑 方本占案

建炎戊申年六月の丁巳日、月将「未」を用いて未時の上に加えて課を起こす――月将と占時は同じく一位に在るは、まさに「伏吟」の課。占者の童七秀才は壬申年生まれ、本命の生辰は九月十四日の巳時で、この年三十七歳、來りて己が功名の前程を占問した。この案は『口鑑』と『方本占案』ともに載有す。

虎常/空巳午未申玄/龍辰 酉陰 空空常常 兄 丁巳 空/陳卯 戌后 巳巳未未 財 庚申 玄/六寅丑子亥貴 巳巳未丁 父 甲寅 六/朱蛇

天盤の諸将は:天空は巳を乘じ、白虎は午を乘じ、太常は未を乘じ、玄武は申を乘じ、太陰は酉を乘じ、天后は戌を乘じ、貴人は亥を乘じ、螣蛇は子を乘じ、朱雀は丑を乘じ、六合は寅を乘じ、勾陳は卯を乘じ、青竜は辰を乘ず。未将を未時の上に加うるに、天盤と地盤は完全に重合し、十二支は各々本位に歸するので、「伏吟」と叫ぶ。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に依然として未を得て太常を乘じ、未の上にまた未を得て太常を乘じ、日支の巳の上に巳を得て天空を乘じ、巳の上はなお巳で天空を乘ず――四課はただ兩組を成すのみで、まさに伏吟課の樣子。三伝は初伝の巳が天空を乘じ、遁干は丁巳、兄弟と為り。中伝の申は玄武を乘じ、遁干は庚申、妻財と為る。末伝の寅は六合を乘じ、遁干は甲寅、父母と為る。伏吟の課は本身動かず、全く刑冲に頼りて發動す。巳は申を刑し、申は寅を刑す。三伝は則ちこのように遞り出す。

邵彥和曰:此課主來年發解,只是不及第,又妻為猿猴所迷,四年後移居妻家,因妻家子死,併為一家住。又合主科第,授推官將滿,喪妻,再授財賦,再至任七月而終於奴婢之手,不見子息,一邊動哀,一邊子息喜事至。

邵彦和が言うには:この課は童七秀才が明年の鄉試に中式し、解送して省試に應ずるの資格を取得するを主るも、ただ會試には榜に上らず。また彼の妻子が猿猴に迷わされるを主る。四年の後に妻家に遷りて往きて住むは、因りて妻家の獨子が亡故し、兩家は便ち合して一家と為して同住す。此の後依然として当に科第あるべく、第に登った後に推官の職を授けられ、任期が將に滿つ時に妻子が亡故し、再び財賦を掌管する官を授けられ、任に到ってやっと七個月にして、人は奴婢の手の裏に死し、臨終に兒子が側に在るを見ず。一邊は家中に哀を擧げ、一邊は兒子の喜信が恰好傳わり來る。

童果次年得解,至今赴省,其家近山,妻為猿猴所迷,終日歌咲不已,鄰人記得先生言治之而愈,四年遂移妻家居七年,妻父母止一子,亡,遂與童共居。戊辰科及第,授南安州司李,任滿妻葉氏亡,再授臨安樓務官,到任七月,二子歸秋試,童死。只有五六奴婢措置後事,及子息來扶喪,次子得第七名解矣。

童七は果たして第二年に中式して發解し、接いで便ち省城に赴きて試に應じた。彼の家は山に靠近し、妻子は猿猴に迷わされ、整天はまた唱いまた笑いて停める能わず。隣居の人は邵先生が曾てこの段の話を説いたを記え、彼の説法に依りて醫治すれば、病は則ち好した。四年の後に妻家に遷りて七年住んだ。妻子の父母はただ一個の兒子有りのみで、あの兒子が亡故し、岳家は則ち童家と合住した。戊辰のこの科に童七は第に登り、南安州司李を授けられた。任滿の時に妻子の葉氏が亡故した。再び臨安樓務官を授けられ、任に到ってやっと七個月にして、兩個の兒子は郷に回りて秋試に應じ、童七は便ち死した。身邊にはただ五六名の奴婢が彼のために後事を料理するのみ。兒子が趕き回りて柩を扶し喪に奔るを待つ時、次子は恰好鄉試の第七名に考中し、解送の名額を得た。

蓋丁以末傳寅為學堂,末寅行年卯扶,故次年發解舉。又曰上常為職,初傳臨官天空,主聲譽也,充解。中傳妻宮,元武乘之,並光怪殺,申為猿,武為賊,主猿迷;歸妻家者,日止一丁,巳有兩丁,支上初傳也,皆生於寅。宅為妻,故主入妻家,丁生於寅,故同居,充解及第,皆末傳寅也。死不見子干,傳中無子爻也。

推斷の道理は:丁火は末伝の寅を以て「學堂」と為し、末伝の寅はまた本年の行年の卯が來りて扶助するを得るので、第二年に則ち中式して發解す。さらに日干の上に太常を乘ずるを看れば、太常は職任衣禄を主る。初伝の巳は丁火の臨官の地で、上に天空を乘じ、天空は虛名聲譽を主る。合せてまさに解送の資格を取得するに應ず。中伝の申は妻宮で、玄武が上に乘り、また光怪の殺を幷る:申は猿猴に属し、玄武は盗賊精魅と為るので、妻子が猿猴に迷わされるを主る。歸りて妻家に入るの道理に至っては:日干はただ一個の丁ありのみで、巳位の上に却って兩重の丁あり――日支の上と初伝はみな巳――兩處の丁火はみな寅に長生す。宅は妻に属するので、妻家に搬り入るを主る。丁はまた寅に長生するので、兩家が合住す。中式發解と登第は、もみな末伝の寅の上に應ず。臨終に兒子が傍に在るを見ざるは、因りて三伝の中に幷ら子孫爻なれば。

丁巳日・張江村が幕館を占う(説約)

乾隆甲寅年四月初一丁巳日酉將申時占幕館。 說約

乾隆甲寅年四月初一は丁巳日で、月将「酉」を用いて申時の上に加えて課を起こす――四月の中氣小滿は未だ節を交えざれば、ゆえに仍うとして立夏より後の酉将を用う――「幕館」を占問す、すなわち能く人の幕府に入りて幕友を充當し、一處の館地を得るか否か。この案は『説約』から出る。

龍勾合朱/午未申酉 勾龍朱合 財 庚申 合/空巳 戌蛇 未午酉申 財 辛酉 朱/虎辰 亥貴 午巳申丁 子 壬戌 蛇/卯寅丑子/常玄陰后

天盤の諸将は:青竜は午を乘じ、勾陳は未を乘じ、六合は申を乘じ、朱雀は酉を乘じ、螣蛇は戌を乘じ、貴人は亥を乘じ、天后は子を乘じ、太陰は丑を乘じ、玄武は寅を乘じ、太常は卯を乘じ、白虎は辰を乘じ、天空は巳を乘ず。申時は昼に属し、丁日の昼貴は亥に在るので、貴人は亥に臨む。四課は右より左へ:日干の丁の寄宮は未に在り、未の上に申を得て六合を乘じ、申の上に酉を得て朱雀を乘じ、日支の巳の上に午を得て青竜を乘じ、午の上に未を得て勾陳を乘ず。三伝は初伝の申が六合を乘じ、遁干は庚申、中伝の酉が朱雀を乘じ、遁干は辛酉、申金酉金は丁火に於いてみな妻財。末伝の戌は螣蛇を乘じ、遁干は壬戌、子孫と為る。申・酉・戌の三位は順次に前進するは、「進茹」の象で、事情が節節に前に向かうを主る。

張江村曰:占此事又現他事者,又有為他人占,牽連及我者,此間或有之,真變幻之極,非明眼人不能見也。餘占幕館,甲寅四月初一丁巳日申時酉將,三傳申酉戌,申為道路神,主有行動;酉為月將作長生,乘朱雀,主途次有大力人詡薦。酉一亥貴,薦必允從,此本指也。又看申為妻,乘六合內戰,主妻患病。申遁庚,庚而為重金,主患腹疾;陰見太陰,不致傷生。後於七八月間妻果大病,始瘧後痢,幾幾不保。

張江村が言うには:占う所はもとこの一件の事なのに、課の裏に却又もう一件の事を現出す。またもと人のために代占するに、却って自家の身上に牽連するあり。この種の情形は壬課の中に時時に碰會し、變化は實に極處に到り、眼力の明亮なる人に非ざれば看て出す能わざる。我は自ら己が幕館を占うに、甲寅年四月初一の丁巳日の申時・酉将を用いて課を起こし、三伝は申・酉・戌。申は道路の神で、出行走動あるを主る。酉は当月の月将で、またまさに丁火の長生の地で、上に朱雀を乘じ、朱雀は文書薦擧を主る。ゆえに途中に力量ある人が我のために譽を延びて推薦するあるを斷定す。酉のこの一位はまた亥の上の貴人と相接するは、薦擧は必ず允准せられん――これは占う所の本事に就いて説く。さらに一層を換えて看れば:申は同時にまた妻宮で、六合を乘じて内戰相刑するは、妻子が病を生ずるを主る。申の旬遁は庚を得、庚金は申金の上に加わるは、重金の象で、腹中の疾病を患うを主る。好い在るは陰神の上に太陰を見、太陰は陰柔覆護を主り、性命に傷及するに至らざる。その後七八月の間、妻子は果たして大病し、起先は瘧を發し、後に轉じて痢疾と成り、幾ほどか保ち難きに至った。

又妻病重時為占死生,七月二十七日,壬子酉時午將,三傳午卯子,午為妻乘天后外戰,幸午為太陽,病雖重無妨,此本指也,又看干為我,申作長生臨干,主有人作薦,巳作貴人臨申六合,餘亦有館矣。旋於八月初九日癸亥由沈湘葵薦熊臬臺來延,此皆占此而現出他事也。

その後妻子の病が重しとて、また彼女のために死生を代占す:七月二十七日の壬子日の酉時、午将を用いて課を起こし、三伝は午・卯・子。午は妻位で、上に天后を乘じ、外來の神と相戰す。幸いに午は太陽と為り、陽氣は足りて身を護るを以て、ゆえに病は雖も沉重なるも大礙なし――これは占う所の本事に就いて説く。さらに一層を換えて看れば:日干は我が自らを代表し、申は壬水の長生で、まさに日干の上に臨むは、人が我のために薦擧するあるを主る。巳の上に貴人を作して申と相合する位に臨むは、我もまた館地あるべきを見る可し。幾ほどなくして八月初九の癸亥日に至り、果たして沈湘葵より引薦せられ、熊臬臺が人を派して來りて延聘した。これらはみなこの一件の事を占うて課の中に別件の事を現出するの例子である。

丁巳日・某が終身を占う(青錢祕訣)

宣和辛丑年十二月丁巳日子將申時某丁丑生二十五歲占終身。 青錢秘訣

宣和辛丑年、即ち宋徽宗宣和三年、十二月の丁巳日、月将「子」を用いて申時の上に加えて課を起こす。來りて占う人は丁丑年生まれで、この年二十五歳、一生の休咎を占問した。この案は『青錢祕訣』から出る。

朱蛇貴後/酉戌亥子 陰朱常貴 財 辛酉 朱/合申 丑陰 丑酉卯亥 子 ◎丑 陰/勾未 寅玄 酉巳亥丁 兄 丁巳 空/午巳辰卯/龍空虎常

天盤の諸将は:朱雀は酉を乘じ、螣蛇は戌を乘じ、貴人は亥を乘じ、天后は子を乘じ、太陰は丑を乘じ、玄武は寅を乘じ、太常は卯を乘じ、白虎は辰を乘じ、天空は巳を乘じ、青竜は午を乘じ、勾陳は未を乘じ、六合は申を乘ず。申時は昼に属し、丁日の昼貴は亥に在るので、貴人は亥に臨む。四課は右より左へ:日干の丁は未に寄り、未の上に亥を得て貴人を乘じ、亥の上に卯を得て太常を乘じ、日支の巳の上に酉を得て朱雀を乘じ、酉の上に丑を得て太陰を乘ず。三伝は初伝の酉が朱雀を乘じ、遁干は辛酉、妻財と為り。中伝の丑は太陰を乘じ、丁巳日は甲寅旬に属し、子丑は旬空に當るので、一個の「◎」を標してそれが空亡なるを記す。丑土は子孫と為る。末伝の巳は天空を乘じ、遁干は丁巳、兄弟と為る。酉・丑・巳は恰好合して巳酉丑の三合金局を成すに、偏偏この金局はまた旬空と破碎の上に落ち、下文が彼の家財田宅が終に他人に歸するを断ずるは、根子は則ちここに在る。

邵彥和曰:丁日貴人作鬼,切不可近貴人,當為所害。以丁火又絕在亥也。支為宅,見破碎,又作陰貴人乘朱雀丁巳二火皆以酉為財,財既破碎又是陰貴人,切忌與貴人交財。日後宅子及財物皆為人所有,當主為陰人所壞。中傳丑作太陰加酉上丑是空亡,中間家資必喪盡,有老陰人守寡,田地皆盡。末傳巳即宅神,臨丑下是空亡,田園屋宇安能存留也?三十歲其不免乎?後果一一不爽。

邵彦和が言うには:丁日の貴人は亥の上に乘り、亥水はまさに丁火の官鬼なので、此人は千萬に貴人に親近する可からず。終竟貴人に害せられるを要す。何况丁火はまたまさに亥地に絶す。日支は住宅を代表し、宅の上に「破碎」の殺を見、また陰貴人と作して朱雀を乘ず。丁と巳の兩重の火はみな酉金を以て妻財と為し、財位はすでに破碎を帶び、また陰貴人に歸りて當權す。ゆえに最も貴人と錢財を往來することを忌む。日後に房産と財物はみな別人の所有に歸さんとし、しかも事を壞するは陰人婦女。中伝の丑は太陰を作して酉の上に加わり、丑はまたまさに旬空に當る。中途に家産は必ず喪盡し、家中有年老婦人の守寡し、田地もまた全部を失去するを見る可し。末伝の巳は則ち宅神で、旬空の丑の下に臨むは、田園屋宇はどうしてなお保ち得られん。恐らく三十歳に活き到らざらん。その後一桩一桩みな應驗し、一處も落空せざるなし。

人問其故,先生曰:餘與此人占時乃宣和三年十二月二十七日,十二月二十一日立春則作壬寅歲占也。占人二十五歲,行年在寅見午,午為日之祿神並干支旺相,故無恙。至二十八歲,其人為本處徐參議兜盡家財、田宅。是歲行年在巳,巳上酉乃破碎,雀乃文書,是必陰貴人文書兜羅卷盡也。三十歲其人身亡乃靖康元年丙午也。其母守寡,其屋零落,不久必賣,何也?丁干見亥是干支之絕氣,巳支見酉是干支之死神,故主此人不長。況三十歲行年在未,又見亥水,是身與年俱絕,所以死也。大凡占人不見死墓絕,未可言死,既見休囚死墓絕,行年又臨此地,鮮有能逃者矣。

ある人が彼に何を凭りてかこのように準を斷し得たかを問えば、邵先生が言うには:我がこの人のために課を起こしたるは、宣和三年十二月二十七日。この年の十二月二十一日にすでに立春したれば、ゆえに壬寅年の運に按じて推するを要す。占う人は二十五歳で、行年は寅に在り、寅の上に午を見、午は日干の禄神で、また干支と同じく旺相の氣を得る。ゆえに当時は安然として事なし。二十八歳のあの年に至り、彼は本地の徐參議に家財田宅を席捲して一空せられた――この一年の行年は巳に在り、巳の上に酉を得、酉は破碎の殺を帶び、朱雀はまた文書を主る。必ず陰貴人が一紙の文書に凭りて彼の産業を整個に卷き去るを見る可し。三十歳の上に此人は身亡せり、まさに靖康元年の丙午なり。彼の母の守寡し、房屋の凋零し、久しからずして必ず變賣するを断ずるに至っては、またどこより看て出したか。日干の丁は亥を見、亥は干支の絶氣。日支の巳は酉を見、酉は干支の死神。ゆえに此人の壽數の長からざるを主る。何况三十歳のあの年の行年は未に在り、未の上にまた亥水を見るは、本身と行年が一齊に絶地に落ちる。ゆえに死すべきに應ず。大凡に人の壽夭を占うは、課の中に死・墓・絶を見ざれば、死亡を輕言する可からず。一旦休・囚・死・墓・絶を見、行年がまたまさにこれらの位の上に臨めば、逃げ過ぐるを得るは則ち甚だ少なし。

丁巳日、黄秀才が庚午の命の行人を占う(『口鑑』『方本占案』)

戊申年二月丁巳日亥將未時黃秀才占庚午命行人。 口鑑 方本占案

戊申年二月の丁巳日に、月将「亥」を未時に加えて課を起こし、黄秀才が庚午年生まれの人のために、旅に出ている行人がいつ帰って来るかを占った。この案件は『口鑑』と『方本占案』の両方に収められている。

朱蛇貴後/酉戌亥子 陰朱常貴 財 辛酉 朱/合申 丑陰 丑酉卯亥 子 ◎丑 陰/勾未 寅玄 酉巳亥丁 兄 丁巳 空/午巳辰卯/龍空虎常

この課の課式は前の案件とまったく同じである。亥将を未時に加えるのも子将を申時に加えるのも、天盤が順にずれる位数は同じなので、排出される天盤・四課・三伝に少しの違いもない。諸将は、朱雀が酉に、螣蛇が戌に、貴人が亥に、天后が子に、太陰が丑に、玄武が寅に、太常が卯に、白虎が辰に、天空が巳に、青竜が午に、勾陳が未に、六合が申に乗ずる。未時も白昼に属するので、やはり丁日の昼貴である亥を取る。四課は右から左へ、日干の丁は未に寄宮し、未の上に亥を得て貴人が乗る。亥の上に卯を得て太常が乗る。日支の巳の上に酉を得て朱雀が乗る。酉の上に丑を得て太陰が乗る。三伝は、初伝が酉で朱雀を乗せ、遁干は辛酉、妻財となる。中伝は丑で太陰を乗せ、旬空にあたるので「◎」を標す、子孫となる。末伝は巳で天空を乗せ、遁干は丁巳、兄弟となる。行人を占うには日干と行人の年命を最も重く見るが、この課では貴人の亥水が日干に加わり臨んでおり、まさに以下の論の根拠となる。

邵彥和曰:此課亥作貴人加丁,是絕神。亥又來克我,本主行人來,奈緣所幹事未遂,兼以宅上財作文書乘破碎,文書次第未備,尚有更改之意。行年在辰,辰上見申,亥水又生在申,絕神帶生,目下未歸,在三月子日至也。

邵彦和が言うには、この課は亥が貴人を乗せて日干の丁に加わっており、亥はちょうど丁火の絶神である。亥水はまた来て我を克する。常例では日干を克しに来れば行人が来ると主するが、なんとも彼が外で取りかかっている事がまだ成就していない。しかも宅の上では財爻が文書の象をなして破碎の殺を帯びており、文書の手続きがまだ整っておらず、なお変更の意がある。行人の行年は辰にあり、辰の上に申が見え、亥水はまた申で長生する。絶神の中に生気を帯びているので、目下のところ帰って来られず、三月の子日に至ってやっと家に着く。

黃占友人過浙幹事,行人是庚午命,午加寅,是行人腳下生氣,蹤跡不定,又過東北幹事也。亥為絕神臨日剋日,主必歸。行年上見申又來生,故不歸。又不合初傳自宅上發用出來,又歸今日支神,在東北上作末傳,宅神反出在彼,是二不歸。日上亥水,病於東北,巳乃水絕,支去彼絕,其人在彼,是三不歸也。後果於三月初九戊子至。

黄秀才が占ったのは、友人が浙江に出て事を執ることであった。この行人は庚午年生まれで、午が寅に加わるのは、寅がちょうど午火の長生なので、行人の足元に生気を帯び、行方が定まらず、また東北の方へ向かって事を執っているのである。亥は絶神で、日に臨んで日を克するので、本当なら必ず帰って来るはずである。しかし行年の上に申が見え、申がまた返って亥水を生ずるので、生気が尽きず、だからまだ帰らない。さらに、初伝が宅の上から発用して出て、また今日の日支の神に帰り、東北の方にあって末伝となるので、宅神がかえってあちらへ出て行った。これが帰らない第二の理由である。日干の上の亥水は、病地がちょうど東北にあり、巳はまた水の絶地である。日支があちらへ行って絶するので、その人もあちらに滞在する。これが帰らない第三の理由である。のちに行人は果たして三月初九の戊子日に家に着いた。

同是占行人,又是一樣論應期,乃是論三合在行年上下。/亥作貴,又作絕,加未即是加丁,是亥絕來克我。本主克干則行人來就我,奈緣所事未遂者,丁干為我,巳支為後,支亦為他,人則所干,為他人之事。巳臨丑位入陷,主事未成,兼以宅上加酉字,乘雀為文書。孟月酉為破碎,則文書不備。酉為干陰之卯所沖,尚有改意。行年在辰,辰上見申生亥水,絕神變生,現尚未歸,而申辰三合,只少子字,故此定辰月子日歸也。以申為太歲,主年內三合全逢即驗。

同じく行人を占い、また同じように応期を論ずるのは、三合が行年の上下でどう配合するかを見るからである。亥は貴人を乗せ、また丁火の絶神でもある。亥が未に加わるのは、未が丁の寄宮なので、未に加わればすなわち日干の丁に加わるのと同じで、これは絶神が来て我を克することである。常例では日干を克しに来れば行人が帰って我に就くと主するが、なんとも彼の執る事がまだ成就していない。ここで日干の丁は我を表し、日支の巳は相手を表す。日支はまた他人と見ることもでき、執っているのはちょうど他人の事である。巳が丑の位に臨んで陥るので、事が成らないと主する。しかも宅の上に酉の字が加わり、酉が朱雀を乗せるのは文書の象である。孟月に酉は破碎を帯びるので、文書が備わらず残欠である。酉はまた日干の陰神である卯に冲されるので、なお改める意がある。行年は辰にあり、辰の上に申が見えて亥水を生ずるので、絶神が返って生気に変わり、目下は当然まだ帰れない。そして申と辰はすでに半合を成しており、三合の中で子の一字だけが欠けているので、辰月の子日に帰ると断ずる。さらに申を太歳として推せば、一年の内に三合がそろい揃う時に応験すると主する。

戊午日

戊午日、王牧夫が射覆(『牧夫占験』)

甲戌年酉月戊午日奪巳時射覆。 牧夫占驗

甲戌年酉月の戊午日に、巳時を取って課を起こした(源文は「奪巳時」と作り、占者が臨機に時辰を奪って定めるという言い方である)。射覆の戯れをして、覆われているものが何かを当てて験した。酉月には月将の天罡辰を用い、辰将を巳時に加えれば、下の課式が排出される。この案件は『牧夫占験』から出ている。

合勾龍空/辰巳午未 合勾朱合 鬼 乙卯 朱/朱卯 申虎 辰巳卯辰 鬼 甲寅 蛇/蛇寅 酉常 巳午辰戊 兄 ◎丑 貴/丑子亥戌/貴后陰玄

天盤の諸将は、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が丑に、螣蛇が寅に、朱雀が卯に乗ずる。巳時は昼に属し、戊日の昼貴は丑なので、貴人は丑に臨む。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に辰を得て六合が乗る。辰の上に巳を得て勾陳が乗る。日支の午の上に巳を得て勾陳が乗る。巳の上に辰を得て六合が乗る。三伝は、初伝が卯で朱雀を乗せ、遁干は乙卯。中伝は寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅。卯木・寅木ともに戊土を克するので、ともに官鬼となる。末伝は丑で貴人を乗せる。戊午日は甲寅旬に属し、子丑が旬空なので「◎」を標し、丑土は兄弟となる。射覆で物を断ずるには、すべてこの一気に連なる茹の形から象を取る。

王牧夫曰:陽日視干上,天罡乃堅剛之物,六合又相合之形,又兼為手。再視發用卯乘朱雀,一氣連茹,乃長形金一體堅剛。兼傳見艮止,有斷止之義,出之乃解手刀也。

王牧夫が言うには、陽日の射覆はまず日干の上を見る。干の上に辰を得、辰はすなわち「天罡」で、堅く剛強な物を象徴する。その上に六合が乗り、六合は開けたり合わせたりできる形であり、六合はまた手を主る。さらに発用の初伝を見ると卯が朱雀を乗せ、卯・寅・丑が一気に連なって茹を成す。これは細長くて全体が堅い金属の象である。三伝の中にまた寅が見え、寅は艮卦に属し、艮は止なので、畳んで止められるという義を含んでいる。取り出して見れば、果たして折り畳める解手刀であった。

戊午日、宣谕して泰州の守か攻かを卜す(『一針見血』)

十月初九萬千日卯將卯時上宣諭卜泰州依咎事或守或攻。 一針見血

十月初九日、月将「卯」を卯時に加えて課を起こした——将と時が同じ位にあるので、伏吟の課である——皇上が宣谕され、泰州の事について守るべきか攻めるべきかを卜問した。源文の日辰は「万千日」と作るが字に訛りがあり、課中の日干が戊、日支が午であることから見れば、戊午日であろう。この案件は『一針見血』から出ている。

勾龍空虎/巳午未申 龍龍勾勾 父 丁巳 勾/合辰 酉常 午午巳巳 子 庚申 虎/朱卯 戌玄 午午巳戊 鬼 甲寅 蛇/寅丑子亥/蛇貴后陰

天盤の諸将は、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が丑に、螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に乗ずる。卯将を卯時に加えれば十二支が各々本位に帰るので、「伏吟」と呼ぶ。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に仍お巳を得て勾陳が乗る。巳の上にまた巳を得て勾陳が乗る。日支の午の上に午を得て青竜が乗る。午の上は仍お午で青竜が乗る。三伝は、初伝が巳で勾陳を乗せ、遁干は丁巳、父母となる。中伝は申で白虎を乗せ、遁干は庚申、子孫となる。末伝は寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅、官鬼となる。巳が申を刑し、申が寅を刑し、伏吟の課はそれ自体では動かないので、もっぱらこの一層の三刑によって発動する。用兵の守と攻もここから分かれる。

祝泌奏曰:課得伏吟,巳申寅靜中有動,守中有戰,圍中有攻之應也。勾陳頌曰:勾陳前四大將軍,兵災兩聞訟留連。此課勾陳為用,雖主戰而今日干為戊,勾陳乃是德神,與日干支不相剋制,是寇來向我,未至攻戰也。申為游都,來往在傳亦不能制日辰,其神乘白虎歸家,不來用事,當是寇兵已合而未臨城。況泰州城守見太陰厭翳之神,亦未易動兵。有自刑臨,恐人民驚動有傷,尚不至於大傷。蛇在末傳,恐未寧靜,只是未免憂疑。

祝泌が奏上して言うには、この課は伏吟を得ており、巳・申・寅の三刑が次々に発するので、静の中に動があり、守の中に戦があり、囲まれた中に攻める応がある。『勾陳頌』に言う、勾陳から前へ数えて第四位は大将軍で、兵災と訟事が相半ばして連なり留まると主する。この課は勾陳をもって発用とする。主戦を主するとはいえ、今日の日干は戊であり、勾陳は戊日においては徳神と見なされ、日干・日支と相克しないので、これは寇が我に向かって来るのであって、まだ攻戦に至っていない。申は「遊都」で、兵馬の往来を主り、三伝に入ったとはいえ日干・日辰を制することができない。この神はまた白虎を乗せて本家に帰り、出て来て事を執ろうとしないので、寇兵はすでに集結したものの、まだ城下に逼っていないことが分かる。さらに泰州の城守の一面には太陰という厭翳の神が見えており、容易に兵を動かすこともできない。課中に自刑が位に臨んでいるので、人民がおそらく驚動して傷を受けるだろうが、まだ大きな傷には至らない。末伝に螣蛇が乗り、おそらくしばらく安寧を得ず、ただ憂疑が免れないのみである。

戊午日、可翁が久雨のいつ晴れるかを占う(『残編』)

雍正十二年六月十六日在海寧之夫山公署可翁命占久雨何日晴,戊午日卯將卯時。 殘編

雍正十二年六月十六日、海寧の夫山の公署において、可翁が連日の雨がいつの日に晴れるか占わせた。この日は戊午日で、月将「卯」を卯時に加えて課を起こし、将と時が同じ位にあって、依然として伏吟の課である。この案件は『残編』から出ている。

勾龍空虎/巳午未申 龍龍勾勾 父 丁巳 勾/合辰 酉常 午午巳巳 子 庚申 虎/朱卯 戌玄 午午巳戊 鬼 甲寅 蛇/寅丑子亥/蛇貴后陰

課式は前の案件と同じである。勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に、貴人が丑に、螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に乗ずる。卯将を卯時に加えれば天盤と地盤が重なり合い、伏吟である。四課は右から左へ、日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に巳を得て勾陳が乗る——第一・第二課は同じ。日支の午の上に午を得て青竜が乗る——第三・第四課は同じ。三伝は、初伝が巳で勾陳を乗せ、遁干は丁巳、父母となる。中伝は申で白虎を乗せ、遁干は庚申、子孫となる。末伝は寅で螣蛇を乗せ、遁干は甲寅、官鬼となる。晴雨を占う規矩は、日干が白昼を司り日支が夜間を司る。この課では干の上に勾陳、支の上に青竜が乗っており、以下の断語はすべてこの二つの上に着眼する。

斷曰:自十二甲寅日落起,連日日晴夜雨者,干為日間,支為夜間。日干上勾,宜日晴,支上龍,宜夜雨,湛湛不休也。況青龍昇天,海水空地,自然久雨而又大也。問晴期在何日,查雨雖甲寅日落起,其實乙卯傾注大下,庶幾在十九辛酉日方可晴耳,果於十九日大晴。有質餘:何以斷十九日大晴之故?余曰:乙卯為雨之頭,干支皆木,至十九日辛酉干支皆金,兩相剋制,而雨不復猖狂,其勢一也。又卯酉者乃日月之門也,今太陽卯是也,久為雲雨遮蔽,得酉一沖,推蕩其云。月主水,水入酉戶也。日主火,火升卯門也。一輪紅日皎皎而出,安有不晴者哉?

断語に言う。この雨は十二日の甲寅日に降り始めてから、連日、昼は晴れて夜は雨であった。その縁は、日干が日中を司り、日支が夜間を司るからである。日干の上に勾陳が乗り、勾陳は土に属するので昼は晴れるのが宜しい。日支の上に青竜が乗り、青竜は木に属して雨沢を主るので夜は雨が宜しく、ひと夜ひと夜降りやまない。さらに青竜が天に昇り、海水が地に漫ずれば、自然と雨が久しく、しかも大きい。放晴の日を問うに、雨は甲寅日に降り落ち始めたとはいえ、実際には乙卯日に至って傾注して大いに降った。ほぼ十九日の辛酉日に至ってようやく晴れられるであろう。果たして十九日に大いに晴れた。ある人が私に質した、何をもって十九日に大晴と断じたのか。私が言うには、乙卯はこの雨の頭で、干支ともに木に属する。十九日の辛酉に至れば干支ともに金に属し、金木の両方が相克制するので、雨勢はもはや猖狂を続けられない。これが第一層の道理である。さらに卯と酉は日月の出入する門戸である。いま太陽はちょうど卯の位に行き当たり、久しく雲雨に遮蔽されていたが、酉の一冲を得てその雲気が推し蕩かれる。月は水を主り、水は酉の戸に帰入する。日は火を主り、火は卯の門に昇る。一輪の紅日が皎皎として出るのに、晴れない道理があろうか。

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