Libo

癸卯日、王懐蔭が失馬を占う(『指南』)

清 · 程树勋 · 第35巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

順治庚寅十月癸卯庚申時王懷蔭占失馬。 指南/勾六/龍子丑寅卯朱 貴虎朱玄 子 癸卯 朱/空亥 辰蛇 巳戌卯申 官 戊戌 白/虎戌 巳貴 戌卯申癸 財 乙巳 貴/常酉申未午後/玄陰

順治庚寅年十月癸卯日庚申時、王懐蔭が失った馬を占問した。この例は『六壬指南』から出ている。十月は霜降の後に卯将を用い、この課はすなわち卯将を申時に加えたもの:天盤の子は地盤の巳に臨み、丑は午に、寅は未に、卯は申に、亥は辰に、辰は酉に、戌は卯に、巳は戌に、酉は寅に、申は丑に、未は子に、午は亥に臨む。十二天将は逆に布き、青竜が子を乗せ、勾陳が丑を乗せ、六合が寅を乗せ、朱雀が卯を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、貴人が巳を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は右から左へ:第一課は申が日干の癸に加わり(寄丑)玄武を乗せ、第二課は卯が申に加わり朱雀を乗せ、第三課は戌が日支の卯に加わり白虎を乗せ、第四課は巳が戌に加わり貴人を乗せる。第二課と第三課はともに下神が上神を賊し、二つの上神は卯が陰に属し戌が陽に属し、日干の癸は陰に属するので、陰支を取って用とし、だから発用は卯である。三伝は初伝が卯、遁干は癸卯で子孫で朱雀を乗せ、中伝は戌、遁干は戊戌で官鬼で白虎を乗せ、末伝は巳、遁干は乙巳で妻財で貴人を乗せる。巳は本旬の空亡であるとともに、まさに癸卯日の駅馬でもある。

陳公獻曰:此馬青黑色,在西北山崗,三日必獲。蓋因末傳之馬(此以驛馬為馬)而乘旬中之空,必俟出旬乙巳日填實,方能得馬也。何以知其色為青黑?因馬陰神見子乘青龍,故知色青黑。何以知其在西北山崗也?因馬居戌地故知在西北。果三日後自劉家集尋得。(陰神為形狀,地盤為方向。)

陳公献が言うには、この馬は青黑色で、西北方の山岡の上にあり、三日の内に必ず取り戻せる。末伝はまさに駅馬で(ここでは駅馬をもって馬として看る)、それは本旬の空亡を乗せているので、必ずこの旬を出て乙巳日に填実するのを待って、はじめて馬を取り戻すことができる。どうして馬の毛色が青黑と知ったか。駅馬の巳の陰神は子で、子の上に青竜が乗り、青竜は木に属して青、子は水に属して黑なので、青黑色と断じた。どうして西北の山岡にいると知ったか。駅馬の巳は地盤の戌位の上に落ち、戌は西北方にあるので、西北と断じた。その後果たして三日後に劉家集から尋ね帰した。(陰神は形状を主り、地盤は方向を主る。)

愚按:自干陰而傳歸支,自外入內之象,故尋得。

本書の編者按:この課は日干の陰神から発伝し、しかも三伝がまた日支の上に帰るので、まさに外から内に向かう象であり、だから馬を尋ね戻すことができたのである。

癸卯日、曹将仕が謀干を占う(『方本占案』)

乙酉年十月癸卯日寅將辰時曹將仕丙午生六十四歲占謀干。 方本占案/蛇貴/朱卯辰巳午後/六寅 未陰 空陳常空 官 辛丑 陳/陳丑 申玄 亥丑酉亥 兄 己亥 空/龍子亥戌酉常 丑卯亥癸 父 丁酉 常/空虎

乙酉年十月癸卯日、月将の寅を辰時に加え、曹将仕(丙午年生まれ、六十四歳)が事を謀り進を求めるを占問した。この例は『方本占案』から出ている。天地盤は寅将を時支の辰に加えて排定し、天盤の各支は順に地盤に臨む:寅は辰に臨み、卯は巳に、辰は午に、巳は未に、午は申に、未は酉に、申は戌に、酉は亥に、戌は子に、亥は丑に、子は寅に、丑は卯に臨む。十二天将は逆に布く:貴人が巳を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、六合が寅を乗せ、勾陳が丑を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は右から左へ:第一課は亥が日干の癸に加わり(寄丑)天空を乗せ、第二課は酉が亥に加わり太常を乗せ、第三課は丑が日支の卯に加わり勾陳を乗せ、第四課は亥が丑に加わり天空を乗せる。第三課と第四課はともに下神が上神を賊し、二つの上神の丑と亥はまたともに陰に属するので、ただ渉害法をもって用を取るしかない。丑は四仲の一つである卯の上に臨むので、発用は丑である。三伝は初伝が丑、遁干は辛丑で官鬼で勾陳を乗せ、中伝は亥、遁干は己亥で兄弟で天空を乗せ、末伝は酉、遁干は丁酉で父母で太常を乗せる。

邵彥和曰:支上丑作勾陳,自宜用舊,未利謀新。況三傳四課皆陰,豈宜進干?若陽則宜進干,豈不聞《心鏡》曰:大吉臨干為死舊,天罡加日是生新。《心鏡》全以陰陽二字,分別陽宜動,為生、為新、為德;陰宜靜,為殺、為舊、為刑也。

邵彦和が言うには、日支の上の丑が勾陳を乗せているので、自然に旧局を因循すべきで、別に新路を謀るに利しない。何况三伝と四課の上神がみな陰支なので、どうして出かけて干謁して進を求めるに適しようか。陽支であればこそ、進取に適する。聞かなかったか、『六壬心鏡』に講じているのを:大吉(丑)が日干の上に臨むは「死」であり「旧」であり、天罡(辰)が日に加わるのこそ「生」であり「新」である、と。『心鏡』の全書は陰・陽の二字をもって分別する:陽は動を主り、生・新・徳に属し、陰は静を主り、殺・旧・刑に属する。

癸卯日、第五直が逃を捕えるを占う(『方本占案』・『口鑑』・『張本占案』)

同年月日時第五直壬戌生四十八歲占捕逃有罪人同得此課。 方本占案 口鑑 張本占案/蛇貴/朱卯辰巳午後/六寅 未陰 空陳常空 官 辛丑 陳/陳丑 申玄 亥丑酉亥 兄 己亥 空/龍子亥戌酉常 丑卯亥癸 父 丁酉 常/空虎

同年・同月・同日・同時に、第五直(壬戌年生まれ、四十八歳)が逃げている罪人を捕拿するを占問し、得たのもこの課であった。この例は『方本占案』『口鑑』『張本占案』に見える。課盤は上の一条の曹将仕が謀干を占ったのと完全に同じ:寅将を辰時に加え、天盤の寅は地盤の辰に臨み、卯は巳に、辰は午に、巳は未に、午は申に、未は酉に、申は戌に、酉は亥に、戌は子に、亥は丑に、子は寅に、丑は卯に臨む。十二天将は逆に布き、貴人が巳を乗せ、螣蛇が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、六合が寅を乗せ、勾陳が丑を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が亥を乗せ、白虎が戌を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が申を乗せ、太陰が未を乗せ、天后が午を乗せる。四課は亥が日干の癸に加わり(寄丑)天空を乗せ、酉が亥に加わり太常を乗せ、丑が日支の卯に加わり勾陳を乗せ、亥が丑に加わり天空を乗せる。三伝は初伝が丑(辛丑)で官鬼で勾陳を乗せ、中伝が亥(己亥)で兄弟で天空を乗せ、末伝が酉(丁酉)で父母で太常を乗せる。

邵彥和曰:此課干來加支,即發用,退歸西北,其人逃往買賣人汪家後空豬圈內藏匿,亥四丑八,去此三十二里,有婢在宅前著孝衣洗酒器,不在可問之,在崩敗東廁內,可往擒之。水日見亥,亥內有壬,壬加水,汪姓也。酉加亥為酒器,酉又為婢,作破碎,乘太常為孝服。七臺河陳剋日,追逃必獲也。此二句照張本補。

邵彦和が言うには、この課は日干の寄宮の丑が日支の卯の上に加わり、随って発用し、三伝は逆退して西北に帰向する。あの人は商売をする汪家の後ろの一つの空の豚圈に逃げて隠れている。亥の数は四、丑の数は八で、四八を相乗して、ここから三十二里である。そこに一人の婢女が宅の前で孝衣を着て酒器を洗っている。人がいなければ、彼女に問えばよい――人は坍塌して破敗した東厠の内にいるので、前進して擒拿することができる。どうして姓汪の家と断じたか。癸水日に亥を見れば、亥の中に壬が蔵され、「壬」の字に水旁を加えれば、まさに一つの「汪」字である。酉が亥の上に加わればすなわち酒器で、酉はまた婢女を代表し、兼ねて破碎の神を作し、太常を乗ずればすなわち孝服である。底本の次の一句は「七台河陳克日」と作るが、文字は明らかに訛脱がある(発用の丑はまさに勾陳を乗せて癸水日干を克する)。大意は勾陳が日を克すれば、逃げる人を追捕して必ず擒獲することができるということである。この二句は『張本占案』に照らして補入した。

愚按:當是天網課利於捕亡。

本書の編者按:この課は「天網課」と算すべきで、天網は四方を籠罩し、最も逃亡する人を捕捉するに利する。

巻之五

甲辰日

三月甲辰日に帰国を占う(『呉越春秋』)

三月甲辰日,酉將未時,越王占歸國。(《吳越春秋》)空、虎、常、玄。未、申、酉、戌;虎龍龍合;財,甲辰,合。龍——午,亥——陰;申午午辰;子,丙午,龍。勾——巳,子——後;午辰辰甲;鬼,戊申,虎。辰、卯、寅、丑;合、朱、蛇、貴。

三月甲辰日、月将の酉を占時の未に加えて課を起こし、越王勾践が本国に帰ることができるかを占問した。この例は『呉越春秋』から出ている。以下は課盤である。外圏は十二地支に按って排列し、各支の傍らにその乗ずる天将を記す:未の上に「天空」、申の上に「白虎」、酉の上に「太常」、戌の上に「玄武」、亥の上に「太陰」、子の上に「天后」、丑の上に「貴人」、寅の上に「螣蛇」、卯の上に「朱雀」、辰の上に「六合」、巳の上に「勾陳」、午の上に「青竜」。貴人は丑に落ち、十二天将はこれより順行する。中間の一欄は「四課」で、右から左へ読む:甲日の寄宮は寅にあり、寅の上に辰を得て六合を乗せ、第二課は辰の上に午を得て青竜を乗せ、第三課は日支の辰の上にも午を得て青竜を乗せ、第四課は午の上に申を得て白虎を乗せる。右辺の一欄は「三伝」:初伝は辰、旬遁して甲辰を得、六合を乗せ、辰土は甲木の「妻財」。中伝は午、旬遁して丙午を得、青竜を乗せ、午火は甲木の「子孫」。末伝は申、旬遁して戊申を得、白虎を乗せ、申金は甲木の「官鬼」。原刻本は天地盤・四課・三伝の三欄を並べて刻印し、文字に展平してからは行ごとに交錯するので、欄を分けて対読する必要がある。

吳王赦越王歸國,越王登車,范蠡執御,至三津之上,仰天嘆曰:「嗟乎!孤之屯厄,誰念復生渡此津也?」謂范蠡曰:「今三月甲辰,時加日昳,孤蒙上天之命,還歸故鄉,得無後患乎?」范蠡曰:「大王勿疑,直眡道行,越將有福,吳當有憂。」

呉王夫差は越王勾践を赦免し、放って国に帰らせた。越王は車に登り、范蠡が彼のために轡を執って車を駕し、三津の渡口まで行き着くと、越王は仰いで長嘆して言った:「ああ!私が困厄に身を陥れた時、誰が思い得たであろう、生きてまたこの渡口を渡れることを」彼はまた范蠡に言った:「今日は三月甲辰日で、時はちょうど日昳に当たる、すなわち未時、日の西に偏る際だ。私は天の眷顧を蒙り、故郷に帰ることを得たが、この行き先にまた後患があるだろうか」范蠡が答えた:「大王は疑慮するに及びません。ただまっすぐに道を見て進んで行かれよ。越国には福運があり、呉国にこそ憂患があるべきです」

筆塵解曰:按三月甲辰,酉將加未,乃「斬關課」,大利逃亡也。

『筆塵』に解説する:この課に按ずるに三月甲辰日で、酉将をもって未時の上に加えて起出し、得たのは「斬関課」である。斬関は関を斬り隘を奪い、阻碍を冲き開く義を取り、最も逃亡して身を脱する類の事に利するので、越王のこのたびは順利に呉国を脱出することができた。

愚按:斬關卦,諸書只雲利於逃亡及藏遁形跡等事,殊不知利於治國,亦利行師。觀越王此歸之後,終能霸越治吳,固為顯證。

程樹勲按:斬関のこの課、各家の書にはただそれが逃亡および行跡を藏匿する類の事に利すると説くだけで、それが同じく国家を治めるに利し、また兵を領して軍を行くに利することを知らない。越王の今回帰国した後、ついに越地に覇を唱え呉国を制服したのを見れば、これ自体が明白な証拠である。

嘗讀柳柳州《龍城錄》云:上皇始平禍亂,在宮所與道士馮存澄,因射覆,得卦曰「合因」,又得卦曰「斬關」,又得卦曰「鑄印乘軒」。存澄啟謝曰:「昔此卦,三靈為最善,黃帝勝炎帝而筮得之,所謂合因、斬關、鑄印乘軒,始當果斷,終得嗣天。」上皇掩其口曰:「止矣,默衰識之矣。」後即位,應其術焉(上皇即明皇也)。

私はかつて柳宗元の『竜城録』を読み、その中に記す所があった:唐玄宗が初めて禍乱を平定した時、宮中で道士の馮存澄とともに射覆して占卜し、先ず「合因」という一課を得、また「斬関」という一課を得、さらに「鋳印乗軒」という一課を得た。馮存澄が進言して道賀して言った:「昔、この三課は、三霊の中の最も吉いもので、あの年黄帝が炎帝に勝った時に占筮して得たのは、まさにこれらでした。いわゆる合因・斬関・鋳印乗軒とは、始めには果断に事を行うべく、終わりには天命を承継することができます」玄宗は急いで彼の口を掩って言った:「もうよい。おまえは心の中に黙って記しておけばよい」後に玄宗は果たして位に登り、彼の術数に応験した。(文中の「上皇」はすなわち唐明皇玄宗である。)

又讀歐陽公《五代史》賀環傳云:事鄆州朱宣,為都指揮使。梁太祖攻朱瑾於兗州,宣遣環與何懷寶、柳存等,以兵萬人救兗州。環趨待賓館,欲絕梁餉道。太祖略地至中都,得降卒,言環等趨待賓館矣,以六壬占之,得「斬關」以為吉,乃選精兵,夜急馳百里,期先至待賓以逆環。而夜黑兵失道,旦至鉅野東,遇環兵擊之,環兵大敗。環走,梁兵急追之。環顧路窮,登塚上大呼曰:「我賀環也,可弗殺我!」太祖馳騎取之。凡此皆足資考證。是此兩課,皆不載月將日時,無式可演,特因論斬關卦,而附載之於此。

また欧陽脩の『五代史』の賀環伝を読むに、説かれている:賀環は鄆州の朱宣の手下で都指揮使をしていた。梁太祖の朱温が兗州に行って朱瑾を攻撃すると、朱宣は賀環と何懐宝・柳存らを派して一万の兵を帯びさせて兗州を救いに行かせた。賀環は待賓館に急ぎ赴き、梁軍の運粮の通路を切断しようと図った。梁太祖は地方を攻取して中都に至り、降した士卒を捉え、賀環らがすでに待賓館に奔ったことを知ると、六壬で課を起こし、「斬関」を占い得て、吉と認め、そこで精兵を選び、夜を徹して百里を急行し、先んじて待賓館に着き賀環を迎え撃とうとした。ところが夜色が黒すぎて、隊伍は道に迷い、明け方に鉅野城の東まで行くと、ちょうど賀環の兵に出遭い、一たび交戦して賀環は大敗した。賀環は逃げ走り、梁兵は追って放さなかった。賀環は振り返ってすでに走る路がないのを見て、一つの墳頭に這い上がり大声で叫んだ:「私は賀環だ、殺すな!」梁太祖は馬を策して前に進み彼を擒獲した。以上これらは、みな斬関課の用法を引き証するに足る。ただこの二条の記載はいずれも月将と日辰時刻を明記していないので、拠って課式を排する由がない。私はただちょうど斬関課を論じているので、それらをここに附記したのである。

甲辰日、辰将寅時に信を占う(『玉連環』末巻)

甲辰日,辰將寅時,占信。(《玉連環》末卷)貴、後、陰、玄。未、申、酉、戌;後蛇蛇合;財,甲辰,合。蛇——午,亥——常;申午午辰;子,丙午,蛇。朱——巳,子——虎;午辰辰甲;鬼,戊申,後。辰、卯、寅、丑;合、勾、龍、空。

甲辰日、辰将を用いて寅時の上に加えて課を起こし、書信の消息を占問した。この例は『玉連環』の末巻から出ている。課盤:未の上に「貴人」、申の上に「天后」、酉の上に「太陰」、戌の上に「玄武」、亥の上に「太常」、子の上に「白虎」、丑の上に「天空」、寅の上に「青竜」、卯の上に「勾陳」、辰の上に「六合」、巳の上に「朱雀」、午の上に「螣蛇」。貴人は未に落ち、十二天将はこれより逆行する。四課は右から左へ読む:甲日の寄宮は寅にあり、寅の上に辰を得て六合を乗せ、第二課は辰の上に午を得て螣蛇を乗せ、第三課は日支の辰の上にも午を得て螣蛇を乗せ、第四課は午の上に申を得て天后を乗せる。三伝:初伝は辰、旬遁して甲辰を得、六合を乗せ、甲木の妻財である。中伝は午、旬遁して丙午を得、螣蛇を乗せ、子孫である。末伝は申、旬遁して戊申を得、天后を乗せ、官鬼である。

雪心曰:三傳日同初,辰同中。占望信,責朱雀。今朱雀乘巳臨印,名「朱雀臨門」,又曰「雀騰空」。巳為子孫,是卑小信來,應在乙巳、戊申日到。蓋巳乃朱雀神,申乃朱雀之六合也。

雪心が言うには、この課は、日干の上の神と初伝が同じで、ともに辰である。日支の上の神と中伝が同じで、ともに午である。およそ書信を望むを占うには、専ら「朱雀」という類神を看るべきである。朱雀は文書音信を主るからである。今朱雀は巳の上に乗り印位に臨み、課格を「朱雀臨門」といい、また「雀騰空」ともいう。巳火は甲日にとっては子孫爻なので、来るのは卑幼の小輩の信である。応期は乙巳日・戊申日に届くはずである。巳はまさに朱雀の本家(朱雀は火に属し巳に寄す)であり、申と巳は相六合して、朱雀の合神だからである。

甲辰日、未将丑時に父が子を占う(張本占案)

甲辰日,未將丑時,父占子。(張本占案)勾、龍、空、虎。亥、子、丑、寅;玄合虎蛇;兄,◎寅,虎。合——戌,卯——常;辰戌寅申;鬼,戊申,蛇。朱——酉,辰——玄;戌辰申甲;兄,◎寅,虎。申、未、午、巳;蛇、貴、後、陰。

甲辰日、未将を用いて丑時の上に加えて課を起こし、父となる者が息子に代わって占問した。この例は張本占案に見える。課盤:亥の上に「勾陳」、子の上に「青竜」、丑の上に「天空」、寅の上に「白虎」、卯の上に「太常」、辰の上に「玄武」、巳の上に「太陰」、午の上に「天后」、未の上に「貴人」、申の上に「螣蛇」、酉の上に「朱雀」、戌の上に「六合」。貴人は未に落ち、十二天将は順行する。四課は右から左へ読む:甲の寄宮は寅で、寅の上に申を得て螣蛇を乗せ、第二課は申の上に寅を得て白虎を乗せ、第三課は日支の辰の上に戌を得て六合を乗せ、第四課は戌の上に辰を得て玄武を乗せる――四課の上下は互いに加臨し、まさに「返吟課」である。三伝:初伝は寅で白虎を乗せ、寅木は甲木の兄弟で、寅の上に「◎」を標し、本旬(甲辰旬)の空亡が寅卯にあること、この寅が空に落ちることを示す。中伝は申、旬遁して戊申を得、螣蛇を乗せ、官鬼である。末伝はまた空に落ちた寅に戻り白虎を乗せ、首尾が往返して定まらない。

苗公達曰:甲木旬空,巳為朽木,申金又克之,此子七歲以前,主驚風或起或僕,不能自立。寅數七,被申克,故主風。白虎亦主風。七歲以後,又申加寅,寅上亦作白虎,寅逢旬空,當是在前山七株樹下,遇一戲猴人,引索而走,受了一驚,害病幾死。猴,申也,蛇空故為斷索。辰投入宅,與申三合,拱生甲木,頗有生意。寅申七,辰戌俱五,蓋至二十四歲,人頗精彩。宅上見戌為財,辰戌沖斷,又為斬關,遂出外買賣。

苗公達が言うには、甲木は本旬に落ち、巳は甲木の病地で朽木を成し、申金はまた来てそれを克するので、この子は七歳以前に、驚風の病を犯し、時に起ち時に倒れて立ち居が定まらない。寅は数に於いて七であり、また申金に克されるので、風疾を主る。白虎もまた風を主る。七歳以後、申はまた寅の上に加わり、寅の上に同じく白虎を乗せ、しかも寅はちょうど旬空に逢う。これに拠って推し断する:彼はかつて村の前の山の七棵の樹の下で、猿を弄する人に遭い、猿が縄索を脱して躍り出て、子は一場の大驚を受け、病を害してほとんど命を送った。猿はすなわち申で、螣蛇はまた空亡に落ちるので、縄索が断脱する象を取る。後に辰土が宅位に投じ入り、申金と三合を結んで、甲木を拱扶して生起し、日はやや起色があった。寅・申の数は各々七であり、辰・戌の数は各々五で、合算して二十四歳に及び、人は甚だ精神を有するようになった。宅位の上に戌を見るは財爻で、辰戌が相冲してそれを冲開し、また「斬関」の格を構成するので、彼は外に出て商売を始めた。

戌上又見辰,為武合相併,主有陰私。一邊三個財,財多身弱,武為盜神,武乘辰龍則能變幻光怪,化為美婦,盜其精血,日後貪淫,一十五年。中傳申化為鬼,日夜跟隨,不離夢醒。寅為夜時,為夢醒。又見蛇虎纏繞。如此七年,三傳返吟來來往往,不得斷絕。申月寅日因天風吹倒大樹,壓在門前,中風而死,魂無所歸,安望歸乎?父子至情,徒生悲切耳。

戌の上にまた辰が見え、玄武と六合が併せて一処に臨むのは、暗昧な私情があることを主る。一辺に三重の財爻を排し、財多くして身が弱く、担い負うことができない。玄武は盗賊の神で、玄武が辰を乗せてまた青竜を見れば、光怪陸離の形象を変幻し出し、美貌の婦人と化して、暗に彼の精血を盗取する。これより後、彼は淫欲に沉溺し、前後十五年におよんだ。中伝の申金は官鬼と化して、日夜随い伴って去らず、夢の中から醒めても振り脱ぐことができない――寅は夜間の時辰であり、また夢の醒める際を主る。課の中にまた螣蛇・白虎が纏繞して休まないのが見える。このようにしてさらに七年を過ごし、三伝が返吟を作し、来たり往きたり、纏絡して断絶することができない。申月寅日に至り、天上の大風が一棵の大樹を吹き倒して門前に圧し、彼は中風して死に、魂魄は帰る処なく、どうして家に帰るなど言えようか。父子の間の至情は、結局ただ徒らに悲傷するに落ちるばかりである。

丁卯年五月甲辰日に子息を占う(牧夫占験)

丁卯年五月甲辰日,未將丑時,甲戌命,五十四歲,占子息。(牧夫占驗)勾、龍、空、虎。亥、子、丑、寅;玄合虎蛇;兄,◎寅,虎。合——戌,卯——常;辰戌寅申;鬼,戊申,蛇。朱——酉,辰——玄;戌辰申甲;兄,◎寅,虎。申、未、午、巳;蛇、貴、後、陰。

丁卯年五月甲辰日、未将を用いて丑時の上に加えて課を起こし、占を求める人は本命甲戌・五十四歳で、子嗣を占問した。この例は王牧夫の占験記録に属する。課盤は前の例と同じ:亥の上に「勾陳」、子の上に「青竜」、丑の上に「天空」、寅の上に「白虎」、卯の上に「太常」、辰の上に「玄武」、巳の上に「太陰」、午の上に「天后」、未の上に「貴人」、申の上に「螣蛇」、酉の上に「朱雀」、戌の上に「六合」。貴人は未に臨み十二天将は順行する。四課は右から左へ読む:甲の寄宮は寅で、寅の上に申を得て螣蛇を乗せ、申の上に寅を得て白虎を乗せ、日支の辰の上に戌を得て六合を乗せ、戌の上に辰を得て玄武を乗せる。四課の上下は互換する、「返吟課」である。三伝:初伝は寅で白虎を乗せ、また旬空に逢い(「◎」はすなわち空亡の標記)、兄弟爻である。中伝は申、旬遁して戊申を得、螣蛇を乗せ、官鬼である。末伝はまた空に落ちた寅で白虎を乗せる。

王牧夫曰:此課占子息,主有子不育,直到五十六歲。偏胎之一子可許也。此課三傳無子,惟有遁出丙火子孫,又為日鬼克絕,木受金傷,則子孫何以托以為體?丙受克,則子孫何處以為生?此三傳之現在者,不得有所存也。支乘六合,六合乃子孫類神,居於沖墓之地,不得為旺,然五月火司其正,戌乃火墓,子孫臨庫旺鄉,尚有一子可許。若非五月火有氣,則支上之重土乃丘墳重累,主孤寡也。己巳之歲,胎見長生,又與命上生氣作合,酉為妾,卯為長子,故主是年偏胎生一子也。後果驗。

王牧夫が言うには、この課は子嗣を占うに、子を生んでも養い大きくできないことを主り、ずっと五十六歳に至るまで、やっと偏房より一子を生むことを彼に許すことができる。この課の三伝の中には子孫爻がなく、ただ旬遁して遁出した丙火が子孫と算するが、丙火はまた日上の官鬼に絶地で克される。木はすでに金に傷を受け、子孫は何をもって身を托して形を成さんか。丙火が克を受け、子孫はまたどこから生気を得るか。目の前三伝が顕現する所を見れば、留め置くことができないものである。日支の上に六合を乗せ、六合はまさに子孫の類神であるが、冲墓の地に坐し、旺と算することができない。幸いに五月はちょうど火令が権を当て、戌はまた火の墓庫で、子孫は庫地の旺郷に臨むので、まだ一子を彼に許すことができる。もし五月の火に気があるでなければ、支上の重畳した土は墳丘が層々に堆積する象となり、孤寡無後を主るところであった。己巳のあの年に至り、胎神に長生を見、また本命の上の生気と相合し、酉は妾室の象を取り、卯は長子の象を取るので、この年に偏房が一子を生むと断じた。その後果たして応験した。

甲辰日、寅将申時に官訟を占う(『一針見血』)

甲辰日,寅將申時,占官訟。(《一針見血》)朱、蛇、貴、後。亥、子、丑、寅;玄合後龍;兄,◎寅,後。合——戌,卯——陰;辰戌寅申;鬼,戊申,龍。勾——酉,辰——玄;戌辰申甲;兄,◎寅,後。申、未、午、巳;龍、空、虎、常。

甲辰日、寅将を用いて申時の上に加えて課を起こし、官司訴訟を占った。この例は『一針見血』から出ている。課盤:亥の上に「朱雀」、子の上に「螣蛇」、丑の上に「貴人」、寅の上に「天后」、卯の上に「太陰」、辰の上に「玄武」、巳の上に「太常」、午の上に「白虎」、未の上に「天空」、申の上に「青竜」、酉の上に「勾陳」、戌の上に「六合」。貴人は丑に落ち、十二天将は逆行する。四課は右から左へ読む:甲の寄宮は寅で、寅の上に申を得て青竜を乗せ、申の上に寅を得て天后を乗せ、日支の辰の上に戌を得て六合を乗せ、戌の上に辰を得て玄武を乗せる――月将と占時は六位を隔て、四課の上下は互加し、なお「返吟課」である。三伝:初伝は寅で天后を乗せ、甲木の兄弟で、また甲辰旬の空亡に逢うので「◎」を標す。中伝は申、旬遁して戊申を得、青竜を乗せ、官鬼である。末伝はまた空に落ちた寅に戻り天后を乗せる。

斷曰:凡寅申入傳,多應舊事發動,雖有凶,結末小也。如秋冬占之,在正月方入;若春夏占之,在七月方出。其凶解者,德神在寅乘天后也。凡見德神,更行年有氣,空亡在傳,主無害矣。

断語に言うには、およそ寅・申の二支が三伝に入ると、多くは旧事が新たに翻動することに応ずる。凶を帯びるとはいえ、収場は大きくない。もし秋冬にこの課を占い得たなら、来年の正月に至って官事が進身して受理される。もし春夏に占い得たなら、七月に至ってやっと脱し出ることができる。この凶の化じ解け得る所以は、「徳神」がまさに寅の上に落ちて天后を乗ずることに在る――甲日の日徳はすなわち寅に在る。およそ課の中に徳神を見ることに加えて、占を求める人の行年に気があって衰えず、また空亡が三伝の中に落ちるならば、害を受けないことを主るのである。

二月甲辰日に失狗を占う(方本占案)

二月甲辰日,戌將寅時,某占失狗。(方本占案)虎、常。空——丑、寅、卯、辰——玄。龍——子,巳——陰;蛇龍后六;財,庚戌,六。陳——亥,午——後;申子午戌;子,丙午,後。六——戌、酉、申、未——貴;子辰戌甲;兄,空寅,虎。朱、蛇。

二月甲辰日、戌将を用いて寅時の上に加えて課を起こし、ある人が失った狗を占った。この例は方本占案に見える。この一幅の課盤は方框の形状に刻まれ、四辺と四角に各々地支を列べ、傍らにその乗ずる天将を書く:丑の上に「天空」、寅の上に「白虎」、卯の上に「太常」、辰の上に「玄武」、巳の上に「太陰」、午の上に「天后」、未の上に「貴人」、申の上に「螣蛇」、酉の上に「朱雀」、戌の上に「六合」、亥の上に「勾陳」、子の上に「青竜」。貴人は未に臨み、十二天将は順行する。四課は右から左へ読む:甲の寄宮は寅で、寅の上に戌を得て六合を乗せ、戌の上に午を得て天后を乗せ、日支の辰の上に子を得て青竜を乗せ、子の上に申を得て螣蛇を乗せる。三伝:初伝は戌、旬遁して庚戌を得、六合を乗せ、戌土は甲木の妻財である。中伝は午、旬遁して丙午を得、天后を乗せ、子孫である。末伝は寅で白虎を乗せ、兄弟で、「空」の字は寅が甲辰旬の中でちょうど空亡に落ちることを表明する。

邵彥和曰:尋狗不見矣。蓋戌為類神,加日雖主自歸,奈何戌與寅雖作三合,又作六合,而寅反作虎在未傳克戌,故尋不得,定被殺矣。後知被木排上人殺而烹之。寅作虎克戌,寅木也,遂應木排上人,奇妙至此。蓋卯為排,夾克戌土故也。

邵彦和が言うには、この狗は探し戻せない。戌は狗の類神で、それが日干の上に加臨するのは、もともとそれが自ら帰って来ることを主る。無奈、戌と寅は三合を結ぶとはいえ、また六合を結ぶとはいえ、寅は偏しくも白虎を乗せて末伝(原文は「未伝」と作るが、当に「末伝」、第三伝を指す)に落ちて戌を克しに行くので、尋ね得られず、必ずすでに人に殺されたであろう。後に果たして知ることとなり、狗は木排の上の人に殺され煮て食われた。寅が白虎を乗せて戌を克しに行き、しかも寅は木に属するので、則ち「木排上人」の身に応じた。推し断が精妙でこの地に至る。卯もまた木に属するので、ちょうど木筏木排の象を取り、寅卯の両木が戌土を挟み制するので、この一応がある。

乙巳日

天啓丁卯年八月乙巳日に両子の武郷試を占う(『指南』)

天啟丁卯年八月乙巳日申時,金華何伴鶴訪陳公獻於揚州,陳母托占兩子武鄉試。(《指南》)朱、六。蛇——丑、寅、卯、辰——勾;玄蛇常貴;鬼,己酉,玄。貴——子,巳——青;酉丑申子;子,乙巳,龍。後——亥,午——空;丑巳子乙;財,癸丑,蛇。陰——戌、酉、申、未——虎。玄、常。

天啓丁卯年八月乙巳日申時、金華人の何伴鶴が揚州に行って陳公献を訪ね、陳公献の母が彼に二人の息子の武挙郷試を占わせた。この例は『六壬指南』から出ている。課盤:子の上に「貴人」、丑の上に「螣蛇」、寅の上に「朱雀」、卯の上に「六合」、辰の上に「勾陳」、巳の上に「青竜」(原刻は「青」と簡写)、午の上に「天空」、未の上に「白虎」、申の上に「太常」、酉の上に「玄武」、戌の上に「太陰」、亥の上に「天后」。貴人は子に落ち、十二天将は順行する。八月の月将は辰で、辰を申時に加え、天盤は地盤より八位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に子を得て貴人を乗せ、第二課は子の上に申を得て太常を乗せ、第三課は日支の巳の上に丑を得て螣蛇を乗せ、第四課は丑の上に酉を得て玄武を乗せる。三伝:初伝は酉、旬遁して己酉を得、玄武を乗せ、酉金は乙木の官鬼で、武試はまさに官星を取って用とする。中伝は巳、旬遁して乙巳を得、青竜を乗せ、子孫である。末伝は丑、旬遁して癸丑を得、螣蛇を乗せ、妻財である。

何伴鶴曰:昆弟皆中,午命在前,亥命在後。蓋因蒿矢見金,如箭有簇,自四發用,箭數合式。朱雀翱翔,文事武備皆得之矣。且貴臨貴位,必得兩貴周旋推薦。後果前後一一不爽。問何以分前後,因三傳逆合,又午命甲寅、亥命丁未,故知之。(《畢法》云:「兩貴相逢求兩貴。」誠不虛也。)

何伴鶴が言うには、兄弟の二人とも考中することができ、本命が午に属する者の名次は前にあり、本命が亥に属する者は後にある。この課は「蒿矢課」で三伝に金を見るので、矢に鉄鏃を装えたようなもので、また第四課から発用し、箭の数目はちょうど課式に合する――蒿矢は射を主り、武試の象を取るに最も切実である。朱雀は高く翔け、文才と武備の二様がともに占め揃った。何况貴人が貴人の位に臨むので、必ず二人の貴人がその中で周旋して挙薦するのを得る。その後果たして名次の先後が一々違わなかった。ある人がどうして先後を分けたかと問うと、答えて曰く:三伝が逆行して相合することに加えて、午に属するあの者の生年は甲寅、亥に属するあの者の生年は丁未であるので、これによって推し知る。(『畢法賦』に「両貴相逢求両貴」と説く。この言葉は確かに虚しくない。)

建炎己酉年三月乙巳日、邵百一が家宅を占う(宋本邵案・『口鑑』)

建炎己酉年三月乙巳日,戌將亥時,邵百一秀才癸丑生,生於閏月十二日辰時,五十七歲,占家宅。(宋本邵案、《口鑑》)六、朱。陳——辰、巳、午、未——蛇。龍——卯,申——貴;龍陳空龍;財,甲辰,陳。空——寅,酉——後;卯辰寅卯;兄,空卯,龍。虎——丑、子、亥、戌——陰;辰巳卯乙;兄,空寅,空。常、玄。

建炎己酉年三月乙巳日、戌将を用いて亥時の上に加えて課を起こした。占を求める人は邵百一秀才で、癸丑年生まれ、閏月十二日辰時に生まれ、時年五十七歳で、家宅を占問した。この例は宋本の邵彦和占案と『口鑑』に見える。課盤:辰の上に「勾陳」、巳の上に「六合」、午の上に「朱雀」、未の上に「螣蛇」、申の上に「貴人」、酉の上に「天后」、戌の上に「太陰」、亥の上に「玄武」、子の上に「太常」、丑の上に「白虎」、寅の上に「天空」、卯の上に「青竜」。この課は夜貴を用い、貴人は申に落ち、十二天将は逆行する。戌将を亥に加え、天盤は地盤より一位退く。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に卯を得て青竜を乗せ、第二課は卯の上に寅を得て天空を乗せ、第三課は日支の巳の上に辰を得て勾陳を乗せ、第四課は辰の上に卯を得て青竜を乗せる。三伝:初伝は辰、旬遁して甲辰を得、勾陳を乗せ、妻財である。中伝は卯で青竜を乗せ、末伝は寅で天空を乗せる。両支はともに乙木の兄弟で、しかも寅・卯はともに甲辰旬の中の空亡なので、「空」の字を標出する。

邵彥和曰:凡傳用,若干支陰陽已先據其位,只以不備推測,不可重複取用。今第一課卯加辰,卯木辰內乙亦木,不克;第二課寅加卯,第三課辰加巳,俱不克;第四課卯加辰,乙已為干先據,何得重傳?是支課不足用也,當以日遙克為用,卦名「彈射」。如此占之主應。術人多以第四課發用為「元首」,傳用已差,占何得應?皆由用術不精,反雲六壬不靈,豈不誣哉?

邵彦和が言うには、およそ用を取り伝を発するに、もし干支の陰陽神がすでに先んじてその位置を占めていたなら、ただ「不備」の路数に按って推し測るだけで、重複して取用することはできない。目の前のこの課を見よ:第一課は卯が辰の上に加わり、卯は木、辰宮の中に寄する乙もまた木で、克を成さない。第二課は寅が卯に加わり、第三課は辰が巳に加わり、いずれも克を成さない。第四課はまた卯が辰に加わるが、乙木はすでに早くも日干に先んじてこの位置を占めており、どうしてなお重複して取って伝を発することができようか。支上の諸課がみな用に足らないことが見え、当に「日遥克」を改め取って発用とすべきで、課名を「弾射」という。このように課を起こして占って、はじめて応験がある。術士らは多く第四課を取って発用とし、「元首課」と当てるが、発用が一たび誤れば、占断はどこに応ずることがあろうか。これはみな術を用いるに精しくなく、かえって六壬が霊でないと言うので、六壬を冤ざんやとするではないか。

愚按:此課乙木克土,卯來害日,宅不容人。初傳辰,自宅上傳出,中仍歸卯位,此乃奪父之財祿。三傳不離支干,乙以卯為祿,寅為同類,必有兄弟出去了,後復歸來。辰為勾陳,主爭訟。課中不見父母,止同類自相吞併。占者與父母各居十六七年,至五十九、六十,行年到亥子,上見父母,則有服矣。後一一不爽。

程樹勲按:この課は乙木が辰土を克し、卯木がまた来て日干を害するので、住宅が人を容れることができない象である。初伝の辰は宅位から伝わり出たもので、中伝はまた卯位に戻る。これがすなわち父輩の財禄を奪い去る象である。三伝は始めから終わりまで日干と日支を離れない:乙木は卯をもって禄神とし、寅をもって同類の兄弟とするので、必ず兄弟が家を離れて出て行ったことがあり、後にまた帰って来た。辰の上に勾陳を乗せるのは争闘訴訟を主る。課の中に父母爻を見ることができず、ただ同類の間で自ら吞併するだけである。占者は父母と分かれて居住すること十六七年、五十九・六十歳に至り、行年が亥・子に走り至り、あの上にやっと父母爻を見るので、喪服の事があるべきである。その後は一つ一つが違わなかった。

乙巳日に家宅を占う(『一針見血』)

乙巳日占家宅。(《一針見血》)朱、蛇、貴、後。午、未、申、酉;蛇朱朱合;財,丁未,蛇。合——巳,戌——陰;未午午巳;鬼,戊申,貴。勾——辰,亥——玄;午巳巳乙;鬼,己酉,後。卯、寅、丑、子;龍、空、虎、常。

乙巳日に家宅を占う。この例は『一針見血』から出ている。課盤:午の上に「朱雀」、未の上に「螣蛇」、申の上に「貴人」、酉の上に「天后」、戌の上に「太陰」、亥の上に「玄武」、子の上に「太常」、丑の上に「白虎」、寅の上に「天空」、卯の上に「青竜」、辰の上に「勾陳」、巳の上に「六合」。貴人は申に落ち、十二天将は逆行し、天盤はただ地盤より一位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に巳を得て六合を乗せ、第二課は巳の上に午を得て朱雀を乗せ、第三課は日支の巳の上にも午を得て朱雀を乗せ、第四課は午の上に未を得て螣蛇を乗せる。三伝:初伝は未、旬遁して丁未を得、螣蛇を乗せ、妻財である。中伝は申、旬遁して戊申を得、貴人を乗せる。末伝は酉、旬遁して己酉を得、天后を乗せる。申酉の両金はともに乙木の官鬼である。

劉日新曰:四課純是火神,三、四課且乘蛇、朱,不免火災怪異,及出口眼有疾之人。巳支臨日而作六合,主進外口分食,及遇房不定、小口逃亡之事。未蛇加午,小口落井,蛇為怪異。陰神見申貴,是神佛為災。末財化鬼,主損妻。酉作天后,主以婢為妻,並刑及死,出寡婦人也。原本句法多顛倒,愚略為潤色之,文理較順。

劉日新が言うには、四課の上神は純に火神で、巳・午・未が連なり一片の火を成し、第三・第四課はまた螣蛇・朱雀を乗せるので、火災と怪異の事が免れず、家中にも口舌の疾と眼の疾の人が出る。日支の巳が日干の上に臨んで六合を結ぶのは、外姓の人口を添え入れて食を分かたせることを主り、また房舎が定まらず幼小の人が逃亡する事にも遭う。未が螣蛇を乗せて午の上に加わるのは、小孩が井に落ちることを主り、螣蛇はもともと怪異を主る。陰神の上に申が見え貴人を乗ずるのは、神仏が祟りをなして災を為すことである。末伝は妻財より官鬼と化し、妻室を損傷することを主る。酉の上に天后を乗ずるのは、婢女をもって妻室に充てることを主り、しかも刑克して死に至り、家中に寡婦が出る。(原書のこの段は句法に多くの顛倒があり、私が略々潤色を加えたので、文理は通順となった。)

八月乙巳日、辰将寅時に来意を占う(『指帰霊文論』)

八月乙巳日,辰將寅時,占來意。(《指歸靈文論》)龍、勾、合、朱。未、申、酉、戌;合龍勾空;鬼,戊申,勾。空——午,亥——蛇;酉未申午;財,庚戌,朱。虎——巳,子——貴;未巳午乙;父,壬子,貴。辰、卯、寅、丑;常、玄、陰、後。

八月乙巳日、辰将を用いて寅時の上に加えて課を起こし、来る人の為する事を占った。この例は『指帰霊文論』から出ている。課盤:未の上に「青竜」、申の上に「勾陳」、酉の上に「六合」、戌の上に「朱雀」、亥の上に「螣蛇」、子の上に「貴人」、丑の上に「天后」、寅の上に「太陰」、卯の上に「玄武」、辰の上に「太常」、巳の上に「白虎」、午の上に「天空」。貴人は子に落ち、十二天将は逆行し、辰を寅に加え、天盤は地盤より二位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に午を得て天空を乗せ、第二課は午の上に申を得て勾陳を乗せ、第三課は日支の巳の上に未を得て青竜を乗せ、第四課は未の上に酉を得て六合を乗せる。三伝:初伝は申、旬遁して戊申を得、勾陳を乗せ、申金は乙木の官鬼である。中伝は戌、旬遁して庚戌を得、朱雀を乗せ、妻財である。末伝は子、旬遁して壬子を得、貴人を乗せ、子水は乙木を生ず、父母印綬である。

斷曰:來意是起官人道路往來,欲合婚姻,奈有所隔,而終不成。蓋申為夜貴,故云官人;申為道路,既作勾陳,則勾留不定,往往來來。乙日為占人,庚寄在申,乙與庚合,巳與申合,干支俱與初傳合,豈非欲合婚姻?中傳戌作朱雀,為奴婢,是官人慾買一妾,故道路往來也。奈申金畏干上午火,其妾家畏而不允,故終隔而不成也。

断語に言うには、来る人の意思は、一人の官人のために路上に往来奔走し、一門の婚事を言い成そうとしたが、無奈中間に阻隔があり、ついに成らなかったということだ。なぜこのように断じたか。申は乙日の夜貴人なので、官人と言ったのだ。申はまた道路を主り、今勾陳を乗せているので、則ち勾牽して滞留し、来たり去ったりして定まらない。乙日は占問する人を代表し、庚金の寄宮は申にあり、乙と庚は相合し、巳はまた申と相合し、日干と日支がともに初伝と相合するので、これはまさに一門の婚姻を合成しようとしたのではないか。中伝の戌が朱雀を乗せ、奴婢の象を取るので、あの官人が一名の妾を買おうとしたことが見え、このために人が路上に往来奔走したのである。無奈申金は日干の上の午火が来て克することを怕れ、あの女家は心に畏懼を存して肯んじ応じないので、最終に阻隔して成らなかった。

崇正己巳二月乙巳日に差を占う(『指南』)

崇正己巳二月乙巳日辛巳時,楚黃洪半石先生占差,出一成課,已為何姓者批定大同餉部。(《指南》)蛇、貴。朱——戌、亥、子、丑——後;玄朱陰六;兄,甲寅,陰。六——酉,寅——陰;卯戌巳酉;財,丁未,龍。勾——申,卯——玄;戌巳酉乙;父,壬子,貴。龍——未、午、巳、辰——常。空、虎。

崇禎己巳年二月乙巳日辛巳時(原刻の「崇正」はすなわち崇禎)、楚地の黄岡人洪半石先生が自分がどんな差使に派せられるかを占問した。これより前にすでに一課を排しており、ある何姓の術士に「大同餉部」の差と批定されていた。この例は『六壬指南』から出ている。課盤:戌の上に「朱雀」、亥の上に「螣蛇」、子の上に「貴人」、丑の上に「天后」、寅の上に「太陰」、卯の上に「玄武」、辰の上に「太常」、巳の上に「白虎」、午の上に「天空」、未の上に「青竜」、申の上に「勾陳」、酉の上に「六合」。貴人は子に落ち、十二天将は逆行する。二月の月将は戌で、戌を巳時に加え、天盤は地盤より五位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に酉を得て六合を乗せ、第三課は日支の巳の上に戌を得て朱雀を乗せ、第四課は戌の上に卯を得て玄武を乗せる。第二課は原刻に巳が酉に加わると作るが、戌将を巳時に加えるに依り推算すれば、酉の上は寅を得るはずである。しかも原刻がこの課の天将を記すはまさに太陰で、太陰はこの刻ちょうど寅の上に臨み、三伝の初伝もまた寅なので、「巳」の字は「寅」の誤りと疑われる――この所はなお底本に照らして録し出し、擅りに改めない。三伝:初伝は寅、旬遁して甲寅を得、太陰を乗せ、兄弟である。中伝は未、旬遁して丁未を得、青竜を乗せ、妻財である。末伝は子、旬遁して壬子を得、貴人を乗せ、父母である。

陳公獻曰:此南行數也。彼以祿臨戌上,故云北差;不知守土官則論祿,欽差官只論馬。今驛馬長生居午,必是南差。曰:明日堂上該先拈、後拈?予云:後拈得利。蓋以初傳、中傳空亡,末見貴人生日故也。次早關中張主政先拈得大同差,暴存九江鈔關洪先生得之。

陳公献が言うには、これは南に走る数である。あの術士は禄神が戌の上に臨むために、北方の差と説いたが、守土の官のみが禄神を論じ、欽差の官はただ駅馬を論ずることを知らない。今駅馬はまさに午の上に落ち、午はまた乙木の長生の地なので、必ず南差である。洪先生が問うには、明日堂上で鬮を拈るが、私は先んじて拈るべきか、後ろに待って拈るべきか。私が言うには、後に拈るが利を得る――初伝・中伝が空亡に落ち(本旬の空亡は寅卯にあり、初伝の寅はちょうどその位に当たる)、末伝にやっと貴人が来て日干を生ずるのが見える故。その翌日の朝、関中の張主政が先に拈り、大同の差を拈り得た。九江鈔関のこの一差は、果たして洪先生に帰して拈り得た。(「暴存」の二字は文義が解し難く、底本に訛脱があると疑い、姑く原文に依って録存する。)

建炎五年正月乙巳日、周氏が羅氏との交易を占う(方本占案)

建炎五年正月乙巳日,亥將巳時,周氏占與羅氏交易。(方本占案)貴、後。蛇——亥、子、丑、寅——陰。朱——戌,卯——玄;虎蛇常朱;子,乙巳,虎。六——酉,辰——常;巳亥辰戌;父,辛亥,蛇。陳——申、未、午、巳——虎;亥巳戌乙;子,乙巳,虎。龍、空。

建炎五年正月乙巳日、亥将を用いて巳時の上に加えて課を起こし、周家が羅家と一筆の交易をするを占った。この例は方本占案に見える。課盤:亥の上に「螣蛇」、子の上に「貴人」、丑の上に「天后」、寅の上に「太陰」、卯の上に「玄武」、辰の上に「太常」、巳の上に「白虎」、午の上に「天空」、未の上に「青竜」、申の上に「勾陳」、酉の上に「六合」、戌の上に「朱雀」。貴人は子に落ち、十二天将は逆行する。亥将を巳に加え、天盤と地盤はちょうど六位を隔て、四課の上下は互いに加臨し、「返吟課」である。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に戌を得て朱雀を乗せ、第二課は戌の上に辰を得て太常を乗せ、第三課は日支の巳の上に亥を得て螣蛇を乗せ、第四課は亥の上に巳を得て白虎を乗せる。三伝:初伝は巳、旬遁して乙巳を得、白虎を乗せ、子孫である。中伝は亥、旬遁して辛亥を得、螣蛇を乗せ、父母である。末伝はまた巳で白虎を乗せ、来去して往返し定まらない。

邵彥和曰:反吟體見凶將,必難成;又日上見財乘雀,必見爭鬧而後成。只是兩家俱有孝服。後來周姓果喪母,羅姓亦喪妻。又至後有三人來作鬧,丁丑日事成。其鬧者,乃過房子也。蓋乙以巳為兒,巳中丙戌,二姓主過房子來爭也。

邵彦和が言うには、返吟の課体にまた凶将を見るので、この商売は必ず成り難い。さらに日干の上に妻財が見えて朱雀を乗ずるのを看れば、それでは必ず一場の喧閙をして後に成り得る。ただ両家ともに喪服の事がある。その後周家は果たして母が死に、羅家もまた妻が死んだ。さらに後にまた三人が来て喧閙し、丁丑日に至ってやっと事が成った。来て喧閙したのは、もとは過継ぎして来た息子であった。乙木は巳火をもって子とし、巳の中に蔵するは丙・戊の両干なので(原刻は「丙戌」と作るが、「戌」は当に「戊」の訛)、両姓ともに過房の子が出て争奪することを主ったのである。

七月乙巳日、辛酉人が来意を占う(『一字訣』『玉連環』)

七月乙巳日,亥將巳時,辛酉人占來意。(《一字訣》《玉連環》)合、勾、龍、空。亥、子、丑、寅;玄合常朱;子,乙巳,玄。朱——戌,卯——虎;巳亥辰戌;父,辛亥,合。蛇——酉,辰——常;亥巳戌乙;子,乙巳,玄。申、未、午、巳;貴、後、陰、玄。

七月乙巳日、亥将を用いて巳時の上に加えて課を起こし、一人の辛酉年生まれの人が「来意」を占いに来た。すなわち来る人の何事のために来たかを占うので、この例は『一字訣』『玉連環』に見える。課盤:亥の上に「六合」、子の上に「勾陳」、丑の上に「青竜」、寅の上に「天空」、卯の上に「白虎」、辰の上に「太常」、巳の上に「玄武」、午の上に「太陰」、未の上に「天后」、申の上に「貴人」、酉の上に「螣蛇」、戌の上に「朱雀」。この課は夜貴を用い、貴人は申に落ち、十二天将は順行する。亥将を巳に加え、天盤と地盤は六位を隔て、「返吟課」である。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に戌を得て朱雀を乗せ、第二課は戌の上に辰を得て太常を乗せ、第三課は日支の巳の上に亥を得て六合を乗せ、第四課は亥の上に巳を得て玄武を乗せる。三伝:初伝は巳、旬遁して乙巳を得、玄武を乗せ、子孫である。中伝は亥、旬遁して辛亥を得、六合を乗せ、父母である。末伝はなお巳で玄武を乗せる。

徐次賓曰:來意家中內屬雞小兒病,心腹疼痛、血痢頻並,脈氣相反,病症反覆,身體羸弱,只得脾胃氣壯,而善進飲食,至九月節病勢反增,至甲子日,脾胃因不能進食不可救也。

徐次賓が言うには、来る人の意思は、家に一羽の鶏に属する小孩が病気でいるということだ:心口が肚腹に連なり疼痛し、また頻々と血痢を便下し、脈象は病情と相違し、病勢は反反復復で、身は羸弱である。幸いに脾胃の気はなお壮んで、飯食は食べ下ることができる。九月の節令に至ると、病勢はかえって加重し、甲子のあの日に至り、脾胃が敗壊して物を食べ入れることができなくなれば、救うべからずである。

何知家內屬雞小兒病?蓋時為日支沖剋,主內動;又用起子孫爻死臨絕,故主小兒病。白虎臨酉,故知家內屬雞小兒病也。

どうして病気なのが家のあの鶏に属する小孩だと知ったか。占時と日支が相冲相克するので、家内に動象があることを主る。発用はまた子孫爻から起こり、しかも子孫は死絶の地に落ちるので、小孩が病気だと断じたのである。さらに白虎がまさに酉の上に臨み、酉は生肖において鶏に属するので、病気なのが家中の鶏に属する子だと知ったのである。

何知心腹疼痛、血痢頻並?以巳為心胞絡,上得元武水,克於火,故知心腹疼痛也。巳主血應赤色,水主黑色,水火相雜故曰血痢。末傳又得巳,故知血痢頻並。脈氣相反者,用起火,故脈氣相反也。病症反覆者,卦得返吟也。身體羸困者,以值事門與中傳是亥,亥為幼子,見六合為棺財,又用起死氣,故知羸困也。

どうして心腹が疼痛し、血痢が頻りに作すと知ったか。巳は人身に心包絡の象を取り、その上に乗ずるは玄武(原刻は「元武」)で、玄武は水に属し、水が来て火を克するので、心腹が痛み作すと断じ出した。巳は血を主り、その色は赤に応ずる。水の色は黑で、水火が雑り合うので、「血痢」と呼ぶのである。末伝はまた巳の上に落ちるので、血痢が一たび犯し再び犯すと知ったのである。「脈気相反」というのは、発用が火より起こり、火の性は上炎して、病位と相違するからである。「病症反復」というのは、課体が得る所が返吟だからである。「身体羸弱困頓」というのは、値事の門と中伝がともに亥に落ち、亥は幼小の子の象を取り、また六合を見て、棺材の象を取り(原刻の「棺財」はすなわち棺材)、発用はまた死気を帯びるので、彼の形体が羸困だと断じたのである。

得脾胃氣吐壯而進飲食者,緣日上戌土,上得朱雀火,火生土,土主脾胃,故壯而進飲食也。何知九月病勢反覆增,緣中傳亥八月為解神,九月則非解故也。甲子日胃困不能飲食者,緣日上戌土主脾胃,甲子旬空亡而脾敗而無力也。言不可救者,所賴解神與胃氣,今既無解神,又脾胃氣落空亡,故云不可救也。

「脾胃の気なお壮んで、なお飲食を進めることができる」というのは、日干の上は戌土で、戌の上にまた朱雀が乗って火に属し、火が来て土を生じ、土は脾胃を主るので、脾胃が壮健で飯が食べられるからである(原刻の「気吐壮」の「吐」の字は衍文と疑われる)。どうして九月に至ると病勢がかえって加重すると知ったか。中伝は亥で、亥はただ八月に於いてのみ「解神」を当てるが、ひとたび九月になるともはや解神ではなくなるからである。甲子のあの日に胃気が困頓して飲食できないというのは、日干の上の戌土が脾胃を主り、しかも甲子のこの旬に至ると戌はちょうど空亡の上に落ち、脾土が敗壊して力がないからである。「救うべからず」というのは、倚仗し得るのはただ解神と胃気の二様で、今解神はすでに時を過ぎ、脾胃の気はまた空亡の中に落ち込んだので、救いようがないと言うのである。

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