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甲申日・景兄が府院試に入泮できるかを占う

清 · 程树勋 · 第17巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

庚寅七月甲申日丙寅時,宜陵景兄占府院試可入泮否?指南

庚寅年七月の甲申日丙寅時、宜陵の景兄が府試・院試に考取して進学できるか(入泮、すなわち生員に取られること)を占いに来た。『六壬指南』に出る。

勾六 龍申酉戌亥朱 后朱龍常 鬼甲申龍 空未 子蛇 寅亥申巳 父丁亥朱 虎午 丑貴 亥申巳甲 兄庚寅后 常巳辰卯寅后 玄陰

課盤は前の案と全く同じで、ただ青竜を「竜」と書く。天盤は地盤より順に三位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未を承け、乗ずる天将は順に青竜・勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空。四課:甲(寄宮は寅)の上に巳を見て太常を乗せ、巳の上に申を見て青竜を乗せ、日支の申の上に亥を見て朱雀を乗せ、亥の上に寅を見て天后を乗せる。三伝は申—亥—寅:初伝の申は官鬼で青竜を乗せ、中伝の亥は父母で朱雀を乗せ、末伝の寅は兄弟で天后を乗せる。

陳公獻曰:不但府試高取,院考定然首薦。蓋因月建旬首發用。龍朱乘旺相(龍乘申月建旺,朱乘亥相),現於初中,末傳德祿驛馬,又干支交車生合,傳將進引,斗罡天喜加行年(秋三月天喜在辰,加行年丑上),朱雀乘丁神進氣,文字必貼主司之意。且格合天心(年寅、月申、日申、時寅皆在四課之內),主非常喜慶,掀天揭地也,是以首薦無疑。又問:該就府送考,該就司送考?予曰:六合加於辰未酉籍穩妥,後果首進。

陳公献が言う:府試に取れるだけでなく高等に取れ、院試も必ず首薦に名を列ねる。なぜか。発用する申金は月建であるとともに甲申旬の旬首だからである。青竜・朱雀はいずれも旺相の気を乗せ(青竜は申を乗せ、申は七月の月建で当旺;朱雀は亥を乗せ、水は秋に相気)、それぞれ初伝・中伝に現れる。末伝の寅木は徳神・禄神と駅馬を兼ね、日干日支はまた交車して相生相合し、三伝と天将は節々に進み引き上げる。斗罡(辰)と天喜が行年の上に加わり(秋三月の天喜は辰にあり、行年の丑の上に加わる)、朱雀はまた丁神を乗せて進気に当たり、作る文章は必ず主考の心意に合う。加えて格局は「天心」に合する——太歳の寅・月建の申・日支の申・占時の寅がいずれも四課の内に現れる——非常の喜慶があって、声勢は天を掀き地を揭げるので、首薦は疑いない。彼はまた問うた:府から送考すべきか、それとも司から送考すべきか。私は言った:六合は辰・未・酉の一路に加わっているので、府学の名籍を行くのが穏当である。後に果たして第一名で進学した。

甲申日・元旦に雪があるかを占う

甲申十二月甲申日癸酉時,予往淮陰時,鳳陽施指揮使相召守歲,見天氣昏沉,占元旦有雪否,午未空、酉戌落空。  指南

甲申年十二月の甲申日癸酉時、私(陳公献)はちょうど淮陰へ行こうとしていたが、鳳陽の施指揮使が私を招いてともに守歳した。天色が陰っているのを見て、元旦の日に雪が降るかどうかを占った。旬空は午・未にあり、占時の酉・戌の两位は空に落ちる。『六壬指南』に出る。

朱六 蛇申酉戌亥勾 虎勾蛇陰 鬼 甲申 蛇 貴未 子青 寅亥申巳 父 丁亥 勾 后午 丑空 亥申巳甲 兄 庚寅 虎 陰巳辰卯寅虎 玄常

天盤は地盤より順に三位進み、前の二案の天盤と同じであるが、貴人が位置を変えたので諸将が異なる:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未を承け、乗ずる天将は順に螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人。貴人は天盤の未(地盤の辰)に落ち、順に布将する。四課は右から左へ:第一課、甲(寄宮は寅)の上に巳を見、太陰を乗ずる。第二課、巳の上に申を見、螣蛇を乗ずる。第三課、日支の申の上に亥を見、勾陳を乗ずる。第四課、亥の上に寅を見、白虎を乗ずる。三伝は申—亥—寅:初伝の申は官鬼で螣蛇を乗せ、中伝の亥は父母で勾陳を乗せ、末伝の寅は兄弟で白虎を乗せる。

陳公獻曰:不但元旦有雪,今晚亦雪。因斗罡加丑陰象也。況申為水母發用,生中傳亥水,又乘蛇,乃雙雪頭彎曲之形,是以斷今晚、明日有雪。果然。

陳公献が言う:元旦に雪があるだけでなく、今晩にも降る。斗罡(辰)が丑位に加わっているのは、純陰の象だからである。まして発用する申金は水の母で、中伝の亥水を生ずることができ、申の上にまた螣蛇を乗せ、蛇の形は曲がりくねり、まさに雪片が両頭に蜷曲する状に似る。だから今晩と明日に雪があると断じた。後に果たしてその通りであった。

甲申日・王知県が新しい県令の着任時期を占う

己丑年十二月甲申日子將申時王知縣占新宰何時至  方本占案

己丑年十二月の甲申日、子将を申時に加え、王知県が新任の県令がいつ着任するかを占った。方氏本『占案』に出る。

六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇六虎 財 壬辰 玄 空未 寅后 辰子戌午 鬼 甲申 龍 虎午巳辰卯陰 子申午甲 父 戊子 蛇 常玄

天盤は地盤より順に四位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申を承け、乗ずる天将は順に勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜。四課は右から左へ:第一課、甲(寄宮は寅)の上に午を見、白虎を乗ずる。第二課、午の上に戌を見、六合を乗ずる。第三課、日支の申の上に子を見、螣蛇を乗ずる。第四課、子の上に辰を見、玄武を乗ずる。三伝は辰—申—子:初伝の辰は壬を遁して妻財、玄武を乗せ、中伝の申は甲を遁して官鬼、青竜を乗せ、末伝の子は戊を遁して父母、螣蛇を乗せる。申子辰の三合で水局を成すので「潤下課」である。

邵彥和曰:冬占得潤下課,正及時也。新官今已至潤州,值水淺來遲耳。果第三日得信云,已至潤州,水淺不能前。蓋發用辰加子,作玄武。子江也,上得辰土克之,故淺。甲日子加申,子乃十二月太陽,加支為臨任所,月內必到也。果應。

邵彦和が言う:冬に事を占って「潤下」の水課を得るのは、ちょうど時令に合う。新しい県令は今すでに潤州に到着しているが、ただ水が浅いために遅れて来るのである。三日目に果たして知らせを得て、彼がすでに潤州に到り、水が浅く船が前に進めないと言った。このように断じた道理は:発用する辰土が子水の上に加わって玄武を乗せている。子は江河で、上を辰土に克されるので水が浅い。甲申日に子が日支の申の上に加わり、子は十二月の太陽(月将)で、日支に加臨すればすなわち任所に到るので、今月内に必ず到着すると断じた。後に果たして応験した。

甲申日・趙景皋が会試を占う

崇正丁丑年二月十四日甲申日亥將未時,趙景皋兄占會試  占案

崇禎丁丑年二月十四日甲申日、亥将を未時に加え、趙景皋兄が会試を占った。『占案』に出る。

六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇六虎 財 壬辰 玄 空未 寅后 辰子戌午 鬼 甲申 龍 虎午巳辰卯陰 子申午甲 父 戊子 蛇 常玄

課盤は前の案と全く同じで、同じ甲申日・天盤が順に四位進む盤である。地盤の巳から辰までの十二位に順に天盤の酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申を承け、乗ずる天将は順に勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜。四課:甲の上に午を見て白虎を乗せ、午の上に戌を見て六合を乗せ、日支の申の上に子を見て螣蛇を乗せ、子の上に辰を見て玄武を乗せる。三伝は辰(妻財、玄武)—申(官鬼、青竜)—子(父母、螣蛇)で、申子辰で水局を合成する。

郭御青曰:干支各自乘死氣,又各脫耗,不利場屋明矣。且四課天將不正,三傳水局,天將又皆水,雖能生日,不敵自受脫耗。凡水局見武蛇,主夢幻鬼魅,安能中乎?放榜果不中。

郭御青が言う:日干と日支はそれぞれ死気を乗せ、またそれぞれ脱泄耗散されており、科場に利がないのは明らかである。しかも四課の上の天将はいずれも端正ではなく、三伝は水局を合成して乗ずる天将もみな水に属する。水は甲木の日干を生ずることができるが、日干自身が脱耗されるのに敵わない。およそ水局の上に玄武・螣蛇を見るのは、夢幻鬼魅の事を主る。どうして試験に及第できようか。放榜の後、果たして中らなかった。

甲申日・陳学諭が前程を占う

建炎戊申年九月甲申日辰將亥時陳學諭辛未生三十八歲(生於十二月二十八日)占前程。  方本占案

南宋建炎戊申年九月の甲申日、辰将を亥時に加え、陳学諭(辛未年生まれ、三十八歳、十二月二十八日に生まれる)が自分の前程を占った。方氏本『占案』に出る。

陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后空龍貴 父 戊子 龍 蛇申 卯常 午丑子未 子 癸巳 陰 貴未午巳辰玄 丑申未甲 財 丙戌 六 后陰

天盤は地盤より順に五位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、乗ずる天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は右から左へ:第一課、甲(寄宮は寅)の上に未を見、貴人を乗ずる。第二課、未の上に子を見、青竜を乗ずる。第三課、日支の申の上に丑を見、天空を乗ずる。第四課、丑の上に午を見、天后を乗ずる。三伝は子—巳—戌:初伝の子は戊を遁して父母、青竜を乗せ、中伝の巳は癸を遁して子孫、太陰を乗せ、末伝の戌は丙を遁して妻財、六合を乗せる。

邵彥和曰:干支皆墓主前程遲滯,凡事不通。今喜甲申旬,未乃空亡。本身之墓既空,漸次脫去,次第亨通。初傳與貴人云害,不利考試,巳作太陰為閉口,主偏堂不利,終為疾擾。妻宮加閉口子孫上,主無子,今年防被醫人所誤。

邵彦和が言う:日干と日支はいずれも墓に入り、前程が遅滞して事事通じないことを主る。幸いにこの日は甲申旬の中にあり、未はちょうど旬空に当たる。自身の墓はすでに空に落ちたので、次第に脱け出して、後日に順に亨通することが望める。初伝は貴人と相害し、試験に利がない。巳は太陰を乗せて「閉口」の神で、偏房に利がなく、終に疾病に纏扰されることを主る。妻財の宮は閉口の子孫の上に加わり、息子がいないことを主り、今年はまた医者に誤治されることを防がねばならない。

本命是木墓,本身上貴人又空亡,乃是虛貴,宅上又帶墓,宅既不顯,人亦不興。三十發解便不濟,如處雲霧中。妻亦不利,其人果受乳母氣,得心病,九年而卒。妻血病五年,本年又患痢。醫人誤作熱症治之,幾死。庚申年亡。

彼の本命は木に属して墓に入り、本命の上に乗ずる貴人はまた空亡に落ちて虚貴である。宅の上にまた墓神を帯び、宅は顕達せず人も興旺しない。三十歳で郷試に中式して以後は振るわず、雲霧の中に身を置くようである。妻子も利がない。この人は後に果たして乳母の気を受けて心病を得て、九年後に世を去った。妻は血病を患うこと五年、この年にまた痢疾を患い、医者が誤って熱症として治してほとんど命を失い、庚申年に世を去った。

甲申日・某が家宅を占う(墳が宅の下にあり)

戊申年九月甲申日辰將亥時某占家宅  方本占案  口鑑

戊申年九月の甲申日、辰将を亥時に加え、ある人が家宅を占った。方氏本『占案』と『六壬口鑑』に出る。

陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后空龍貴 父 戊子 龍 蛇申 卯常 午丑子未 子 癸巳 陰 貴未午巳辰玄 丑申未甲 財 丙戌 六 后陰

課盤は前の案と同じである。天盤は順に五位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は甲の上に未を見て貴人を乗せ、未の上に子を見て青竜を乗せ、日支の申の上に丑を見て天空を乗せ、丑の上に午を見て天后を乗せる。三伝は子(父母、青竜)—巳(子孫、太陰)—戌(妻財、六合)。

邵彥和曰:此宅原是墳,因墓神作梗,宅內常有聲,見一人裹帽而行,乃六十老人葬於內,沿有遊尸,所以出來作怪。每主克子,因灶下墳更多,移灶則無聲。更第三間閣下,是此裹帽老人葬處,掘下五尺便見,遷去即安矣。試之果然,因丑為裹帽老人也。

邵彦和が言う:この宅はもともと墳地であった。墓神が邪魔をするので、宅内にはいつも響き動く音があり、また頭巾を裹んだ一人の人が歩き回るのが見えた。それは六十歳の老人が中に葬られているのに加え、さらに流散の尸骨があるので、出て来て怪を為すのである。この宅は常に子嗣を克傷することを主る。灶の下の墳がとりわけ多いので、灶を移せばもう音響はしない。さらに第三間の屋子の楼の板の下は、まさにこの帽を裹んだ老人の埋骨のところで、下へ五尺掘れば見える。遷した後は平穏になった。彼の言う通りに掘ると、果たしてその通りであった。このように断じたのは、丑(第三課の上神)が裹頭巾の老人の象を取るからである。

甲申日・張鋐が甥を迎えて署に赴き館を得ることを占う

乙卯年閏二月初二甲申日亥將午時占館  說約

乙卯年閏二月初二の甲申日、亥将を午時に加え、教館を謀る事を占った。『壬学説約』に出る。

陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后空龍貴 父 戊子 龍 蛇申 卯常 午丑子未 子 癸巳 陰 貴未午巳辰玄 丑申未甲 財 丙戌 六 后陰

課盤はなお前の二案と同じ:天盤は順に五位進み、地盤の巳から辰までに順に天盤の戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉を承け、天将は順に六合・勾陳・青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀。四課は甲の上に未(貴人)、未の上に子(青竜)、日支の申の上に丑(天空)、丑の上に午(天后)。三伝は子—巳—戌で、それぞれ青竜・太陰・六合を乗せ、六親は順に父母・子孫・妻財である。

江村張鋐曰:六壬占一事而相因之事牽連出現者,此時時有之。特人多忽而不經意耳。乙卯春間,舍弟在山東平州署館況頗佳,因占何時來接舍侄赴署,得甲申日干上未,三傳子巳戌。餘看課傳全無來接之象,此本事也。又干上雖逢未貴,但干視未為財,為墓。貴視干為鬼,為寇讐,賓主豈能相安?兼子為敗氣發用而與貴人六害,似已分手。寅加酉主酉日到家也,果於次日乙酉舍弟回家。

江村の張鋐が言う:六壬で一事を占うと、それに連なる別の事をいっしょに牽き出してしまう。この種の情形は常にあるが、ただ人は多くは忽略して留意しないだけである。乙卯年の春、舎弟は山東の平州の衙署で館に坐り、境況はかなり良かった。そこで彼がいつ舎甥を迎えに来て署中に連れて行くかを占ったところ、甲申日・日干の上神が未・三伝が子—巳—戌の課を得た。私は課体の三伝に全く迎えに来る気配がないのを見た——これは問うた本事である。さらに日干の上は未の上の貴人に逢うが、日干から見れば未は妻財でありまた墓神である。貴人から日干を見れば官鬼であり寇仇である。賓主がどうして相安できようか。加えて子水は敗気で発用し、また貴人と六害するのは、すでに別れ分かれた象のようである。寅が酉の上に加わるのは酉日に家に到ることを主る。果たして翌日の乙酉日に舎弟は帰って来た。

回後一月舍弟索卜何時得館?餘即以前課推之,命在未上見子水生干,主有人作薦。子與丑夜貴作合,主有官相延,俟子丑月可以得館。後至十一月,由沈湘葵薦就江蘇布臬臺之招。蓋丑貴臨申,申主刑釘,故為臬司,然丑遭太歲剋制,亦不能久於此任。(此課一課與二課相害,三課與四課相害,此賓主不投之象也何況末傳之戌與一課之未,三課之丑共作三刑,為得不分手乎?但一課與四課合,二課與三課合,恰好二課之子發用,與三課支上之丑相合,是失於此者而得於彼也。)

家に帰って一ヶ月後、舎弟はまた私にいつ館席を得られるかを卜させた。私はすなわち前のあの課を用いて推した:彼の本命は未にあり、未の上に子水が日を生ずるのを見、人の擧薦があることを主る。子はまた丑の上の夜貴人と相合し、官員が来て延請することを主り、子月・丑月を待てば館を得ることができる。後に十一月に至って、沈湘葵の推薦により、江蘇の布政・按察の両司の聘に応じた。これは丑の上の貴人が申位に臨み、申は刑獄钉械を主るので、按察司となったのである。しかし丑は太歳に克制され、この館席も長くは続かない。(原注:この課は第一課と第二課が相害し、第三課と第四課が相害し、まさに賓主が投じない象である。まして末伝の戌と第一課の未・第三課の丑が三刑を合成するのでは、どうして別れ分かれずにいられようか。ただ第一課と第四課は相合し、第二課と第三課は相合し、ちょうど第二課の子が発用し、また第三課の日支の上の丑と相合する。これがここに失い彼に得る所以である。)

甲申日・馬氏兄弟の会試を占う

崇正丁丑年二月十四日亥將巳時占馬氏兄弟會試中否?  郭氏占案

崇禎丁丑年二月十四日、亥将を巳時に加え、馬氏兄弟が会試に中るかどうかを占った。郭御青『占案』に出る。

朱蛇貴后 亥子丑寅 龍后后龍 兄 庚寅 后 合戌 卯陰 申寅寅申 鬼 甲申 龍 勾酉 辰玄 寅申申甲 兄 庚寅 后 申未午巳 龍空虎常

この盤は「返吟」で、天盤は地盤より順に六位進み、各支が両々相冲する:地盤の巳・午・未・申の上は天盤の亥・子・丑・寅。地盤の酉・戌の上は卯・辰。地盤の亥・子・丑・寅の上は巳・午・未・申。地盤の卯・辰の上は酉・戌。乗ずる天将:亥は朱雀を乗せ、子は螣蛇を乗せ、丑は貴人を乗せ、寅は天后を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太常を乗せ、午は白虎を乗せ、未は天空を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は六合を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅)の上に申を見、青竜を乗ずる。第二課、申の上に寅を見、天后を乗ずる。第三課、日支の申の上に寅を見、天后を乗ずる。第四課、寅の上に申を見、青竜を乗ずる。三伝は寅—申—寅:初伝と末伝の寅は庚を遁して兄弟で天后を乗せ、中伝の申は甲を遁して官鬼で青竜を乗せる。

郭御青曰:餘為陳留馬君惕中諱孔健占會場,初嫌其返吟,德祿受克,未敢深許。其胞弟本命在未,行年在申,貴人驛馬並值似勝於惕中。及榜放,獨惕中及第。後詳課情三傳,俱孟吉,應長者何須簾幕貴人也?

郭御青が言う:私は陳留の馬惕中(名は孔健)のために会試を占った。初めはこの課が返吟であり、徳神・禄神がまた克を受けることを嫌って、彼に必ず中るとは請け合えなかった。彼の実弟は本命が未にあり、行年が申にあり、貴人と駅馬がいっしょに値したので、見たところ惕中に勝るようであった。放榜に至ると、ただ惕中だけが考中した。事後に課情を細かく見れば、三伝の寅・申・寅はいずれも四孟の位に居て吉に属し、もともと年長の一人に応ずべきものであった。どうして必ず帘幕貴人がなければならなかったか。

愚按:登科者,祿馬扶會。此課祿馬如此,且乘天后恩澤之神,青龍吉將相併,安得不中?獨無奈其相沖也,凡相沖者必須合。惕君之命在午,午與寅三合;午上見子,子與申三合。是以中也。若其弟命上見丑,行年上見寅,皆不會合,雖為貴人驛馬,何益之有?郭君以惕中命上子為本日福星,作騰蛇而臨午,為飛空進用卦爻應題,不必多求,此郭君事後之言,似是而非。餘故刪之。又吾郡吳稼雲先生曰:此返吟課幫年命吉者而不中,而中者反作年命不吉者也。此論太奇,附之。

程樹勲が按ずる:登科の課は、いつも禄神・駅馬が会合扶助することを要する。この課の禄馬はまさにそうであり、また天后という恩沢の神を乗せ、青竜という吉将が並び列する。どうして中らないことがあろうか。惜しまれるのはただ寅申の相冲だけである。およそ相冲するものは、必ず別に相合があって解く。惕中の本命は午にあり、午は寅と三合する。午の上に子を見、子はまた申と三合するので、彼が中ったのである。彼の弟に至っては、本命の上に丑を見、行年の上に寅を見て、いずれも会合を成さない。貴人・駅馬があるとしても、また何の用があろうか。郭君はまた惕中の本命の上の子が本日の福星で、螣蛇を乗せて午に臨むのは「飛空進用」で、卦爻が題に応じるので、多くを求める必要はないと言う——これは郭君の事後の附会の詞で、似て是ならずなので、私はそれを删めた。また、わが郡の呉稼雲先生が言うには:この返吟課は、年命が吉なのにかえって中らず、中ったのはかえって年命が不吉な者である。この論はあまりに奇なので、姑くここに附記する。

甲申日・王知県が身位を占う

戊申年五月甲申日申將丑時王知縣己未生(生於二月九日午時)五十歲占身位  方本占案

戊申年五月の甲申日、申将を丑時に加え、王知県(己未年生まれ、二月初九日午時に生まれる、五十歳)が自分の身位官運を占った。方氏本『占案』に出る。

空虎 龍子丑寅卯常 陳亥 辰玄 六常玄朱 財 丙戌 六 六戌 巳陰 戌卯辰酉 子 癸巳 陰 朱酉申未午后 卯申酉甲 父 戊子 龍 蛇貴

天盤は地盤より順に七位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を承け、乗ずる天将は順に青竜・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳。四課は右から左へ:第一課、甲(寄宮は寅)の上に酉を見、朱雀を乗ずる。第二課、酉の上に辰を見、玄武を乗ずる。第三課、日支の申の上に卯を見、太常を乗ずる。第四課、卯の上に戌を見、六合を乗ずる。三伝は戌—巳—子:初伝の戌は丙を遁して妻財、六合を乗せ、中伝の巳は癸を遁して子孫、太陰を乗せ、末伝の子は戊を遁して父母、青竜を乗せる。

邵彥和曰:日上破碎作鬼克身,主與陰人具訟,官但不明。來年八月,事起必相擾。干支羅網,不可受財,定被貶謫。更老陰人,因有一子不成器。用度不足,心常怏怏,但難開口。四月十一日,必進人口。來年己酉太歲,防謫為曹屬也。庚戌則大數莫逃矣。

邵彦和が言う:日干の上神は「破碎」を帯びて官鬼を作して身を克する。婦人と官司をすることと、官位も含糊として明らかでないことを主る。明年の八月に至って事が発作し、必ず牽擾を受ける。日干・日支はいずれも天羅地網の中に陥っており、財物を収受してはならない。さもなければ必ず貶謫される。また別に年老いた婦人がいて、成器しない一人の息子のために用度が足りず、心の中は常に怏怏として楽しまず、しかも口に出しがたい。四月十一日に、家中に必ず人口を添える。明年の己酉太歳には、曹司の属官に貶められることを防がねばならない。庚戌年に至っては、すなわち大限で逃れられない。

王知縣次年受鄉紳徐知府長子錢五百緡,被知府恭人所揭,王被責勘。蓋徐長子為義子,與次子爭分家財。次子,徐親生子也。王受賄,判與長子,故至此。庚戌在任,不得意而終。

王知県は第二年に郷紳の徐知府の長男の五百緡の銭を収受し、徐知府の夫人に告発され、これによって追究訊問された。もともと徐家の長男は養子で、次男と家財を分け争い、次男こそ徐知府の実子であった。王知県は賄を受けて家財を長男に判じ与えたので、この地歩に落ちた。庚戌年に至って彼はなお任にあり、鬱鬱として志を得ずして死んだ。

蓋陽曰:酉為陰官作雀,故本身有訟,官位不明。酉為兌,兌為澤,故因恩澤受財。初傳在日之前,甲克戌為財,卯與之合,又得六合,是暗受財。被追擾者,干支羅網不可脫也。己酉遭謫,是酉克甲也。酉加寅上,故曰曹屬。庚戌年死者,己加戌,用申未旬末,故閉口不能言也。庚戌行年在巳,本宮為子所克,巳又加戌入墓,故閉口而銕也。

蓋陽が解説して言う:酉は陰金の官で朱雀を乗せ、朱雀は口舌文書を主るので、本人に官司があり、官位が明らかでない。酉は八卦において兌に属し、兌は沢である。だから「恩沢」によって金銭を収受したのである。初伝の戌は日辰の前にあり、甲木が戌を克して財とし、卯は戌と相合し、また六合を乗せるのは、まさに暗に財を受ける象である。追究纏擾されたのは、日干・日支が羅網の中に陥って脱け出せないからである。己酉年に貶謫に遭ったのは、酉金が甲木を克するからである。酉が寅(甲の寄宮)の上に加わるので、曹司の属官に貶めると言った。庚戌年に死んだのは、己土が戌の上に加わり、用神が申・未の旬末の空亡の地に落ちたので、閉口してものが言えなくなったからである。庚戌年に彼の行年は巳にあり、本宮は子水に克され、巳はまた戌の上に加わって墓に入ったので、閉口して亡くなった(底本は「銕」作、当に「斃」の字の訛であろう)。

又云:一老陰人,因子用度不足,心中常怏怏者,用王知縣有弟不才而窘,母深憐惜,王不垂顧,母常怏怏。蓋巳為閉口乘太陰,故老陰人怏怏不言也。巳下人者,甲以巳為子弟也。

また言う:いわゆる「一人の老婦人が息子の用度不足のために心中怏怏」とは、王知県に成材せず窘迫した弟があり、母が彼をいたく憐れんだが、王知県は肯んじて照顧せず、母がこれによって常に怏怏として楽しまなかったことに応ずる。これは巳が「閉口」の神で太陰を乗せ、太陰は老年の婦人を主るので、老婦人が怏怏として声を出さないことに応ずる。巳の下の主する人は、甲木がその生ずる巳をもって子弟の義と取るのである。

乙酉日

乙酉日・馮爾忠が六甲を占う

崇正丁丑年四月乙酉日乙酉時,嘉興馮爾忠占六甲,重審、斬關、伏吟,午未空、午未落空。指南

崇禎丁丑年四月の乙酉日乙酉時、嘉興の馮爾忠が「六甲」、すなわち懐孕生産の事を占った。課体は重審・斬関・伏吟である。甲申旬には午・未が旬空で、占時の午・未の两位も空に落ちる。『六壬指南』に出る。

朱蛇 六巳午未申貴 后后勾勾 財 壬辰 勾 勾辰 酉后 酉酉辰辰 鬼 乙酉 后 青卯 戌陰 酉酉辰乙 兄 辛卯 青 空寅丑子亥玄 虎常

この盤は天盤と地盤が同位で、「伏吟」課である:地盤の巳の上は依然天盤の巳、午の上は午、未の上は未、申の上は申で、以下十二位は一つも移動しない。乗ずる天将:巳は六合を乗せ、午は朱雀を乗せ、未は螣蛇を乗せ、申は貴人を乗せ、酉は天后を乗せ、戌は太陰を乗せ、亥は玄武を乗せ、子は太常を乗せ、丑は白虎を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は青竜を乗せ、辰は勾陳を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰)の上に辰を見、勾陳を乗ずる。第二課、辰の上に辰を見、勾陳を乗ずる。第三課、日支の酉の上に酉を見、天后を乗ずる。第四課、酉の上に酉を見、天后を乗ずる。三伝は辰—酉—卯:初伝の辰は壬を遁して妻財、勾陳を乗せ、中伝の酉は乙を遁して官鬼、天后を乗せ、末伝の卯は辛を遁して兄弟、青竜を乗せる。

陳公獻曰:產必雙胎,一男一女,然男必生,女必死。何也?酉為日之胎鬼死氣,偏房婢室之孕不言矣。但末傳卯作支之胎神生氣,中傳酉兌為少陰,末傳卯震為長男;其男子生者,胎財生氣也;女子死者,作死氣日鬼也。

陳公献が言う:この胎は必ず双生で、一男一女である。ただ男の児は養いおさめられるが、女の児は夭折する。なぜか。酉は乙日の胎神で、また官鬼であり、また死気に属し、偏房婢妾の懐孕の象である。この層は多くを言う必要はない。末伝の卯は日支の胎神で生気に属する。中伝の酉は八卦において兌で少女、末伝の卯は八卦において震で長男である。男の児が生まれて来られるのは、末伝の胎神が生気を乗せるからである。女の児が夭死するのは、中伝が死気に日鬼を兼ねるからである。

乙酉日・祝秀才が訟を占う

建炎己酉年閏八月乙酉日辰將卯時祝秀才壬辰生三十八歲占訟   方本占案  張本占案

建炎己酉年閏八月の乙酉日、辰将を卯時に加え、祝秀才(壬辰年生まれ、三十八歳)が官司を占った。方氏本『占案』と張氏本『占案』に出る。

虎常 空午未申酉玄 龍巳 戌陰 后陰空龍 父 丁亥 后 陳辰 亥后 亥戌午巳 父 戊子 貴 六卯寅丑子貴 戌酉巳乙 財 己丑 蛇 朱蛇

天盤は地盤より順に一位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳を承け、乗ずる天将は順に天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后・貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜。四課は右から左へ:第一課、乙(寄宮は辰)の上に巳を見、青竜を乗ずる。第二課、巳の上に午を見、天空を乗ずる。第三課、日支の酉の上に戌を見、太陰を乗ずる。第四課、戌の上に亥を見、天后を乗ずる。三伝は亥—子—丑:初伝の亥は丁を遁して父母、天后を乗せ、中伝の子は戊を遁して父母、貴人を乗せ、末伝の丑は己を遁して妻財、螣蛇を乗せる。亥・子・丑が魚貫して相連なるのは「連茹課」である。

邵彥和曰:主子偷物,出外賣之,陰人乘勢爭財,少女從而應之,迤裡閒氣成訟。蓋因連茹課,故遂連綿起事,卻幸我之行年自前截住,終為我所遏。何也?自酉支上見戌,連接戌亥子丑,卯為行年,加寅截住,此名挫鋒,眾議俱解,但前進俱解,畏怕則被攻不止矣。祝有子將公眾之物偷賣,其嫂與其弟之女說之,遂經官具訟。祝秀才凂公人陳姓者調停,其事遂息。

邵彦和が言う:家中の息子が物を盗んで外に持ち出して売り、婦人が勢に乗じて来てこの財を争い、また少女が傍から附和して、牽牽連連と閑気を鬧らせて官司となったことを主る。「連茹」課なので、事が一件また一件と接する。幸いに占者の行年が前でそれを截き留め、終に我が方が遏止する。何によってこのように言うか。日支の酉の上に戌を見ることから起って、戌・亥・子・丑と一路に相接する。行年の卯が寅の上に加わり、ちょうど截断するのを「挫鋒」といい、衆人が一議論すればみな化解する。ただ前へ一歩出て始めて解ける。もし畏怯の心を存すれば、攻訐されて已まない。後に祝秀才は果たして一人の息子が公衆の物を盗んで売り、彼の嫂と弟の娘が中でせん動し、そこで官府に告げた。祝秀才は陳姓の一人の公差に頼んで間に立って調停させ、事はやっと平息した。

乙酉日・出師を占う(南都の帰順)

順治乙酉年五月乙酉日申將辰時占出師   指南

順治乙酉年五月の乙酉日、申将を辰時に加え、出師用兵を占った。『六壬指南』に出る。

朱蛇 六酉戌亥子貴 虎后貴勾 官 甲申 勾 勾申 丑后 巳丑子申 父 戊子 貴 龍未 寅陰 丑酉申乙 財 壬辰 常 空午巳辰卯玄 虎常

天盤は地盤より順に四位進む:地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上に順に天盤の酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申を承け、乗ずる天将は順に六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空・青竜・勾陳。四課は右から左へ:第一課、乙(寄宮は辰)の上に申を見、勾陳を乗ずる。第二課、申の上に子を見、貴人を乗ずる。第三課、日支の酉の上に丑を見、天后を乗ずる。第四課、丑の上に巳を見、白虎を乗ずる。三伝は申—子—辰:初伝の申は甲を遁して官鬼、勾陳を乗せ、中伝の子は戊を遁して父母、貴人を乗せ、末伝の辰は壬を遁して妻財、太常を乗せる。申子辰の三合水局、すなわちいわゆる「潤下」である。

陳公獻曰:乙酉五月初四日,予避難福緣庵同盟副帥予避難於福終庵,同盟副師楊九苞督舟師隨徵時,修書差官相召同事,予因幼兒隨身固辭,乃占一課寄之,元首、九丑、潤下,午未空、戌亥落空。南都定然歸順,放心前行,但防東南有兵變之虞。蓋因末傳旺相,財爻生合初傳官貴,且結水局生日,又合中無煞,是為主者必歸順而貢降也。且干支休囚,則旺氣在內,其城不可拔,亦無屠戮之慘,辰陰見太乙白虎建旺合克酉支,因而提防東南兵變也。後果如所占。

陳公献が言う:乙酉年五月初四日、私は福縁庵に難を避けていた(底本はこの句を重出し、また「予避難于福終庵」と作す。伝写の重複である)。同盟の副帥・楊九苞が水師を統率して軍に従って出征し、信を書して官員を派して招き、私に同行して事を共にせよと言った。私は身辺に幼児を帯びているため、固く辞して行かず、一課を占って彼に寄せた。課体は元首・九丑・潤下で、旬空は午・未にあり、占時の戌・亥は空に落ちる。断語に言う:南京は必ず帰順する。放心して前行するがよい。ただ東南に兵変の憂いがあることを防げ。このように断じたのは、末伝の辰が旺相に当たり、財爻が初伝の官鬼貴神を生合し、三伝はまた水局を結んで日干を生じ、会合の中に凶煞がないので、事を主る一方が必ず帰順納降するからである。さらに日干・日支はいずれも休囚で、旺気はかえって城内にあり、その城は強攻すべきでないが、屠戮の惨事もない。辰の上の陰神に太乙・白虎を見て建旺し日支の酉を合克するので、東南方の兵変を防がねばならない。後に果たして占の通りであった。

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