戊子日・江西の五家魁が会試を占う
崇正丁丑年二月十八戊子日亥將子時江西五家魁孝廉占會試。(郭氏占案)
崇禎丁丑年(原書は「崇正」と作す)二月十八日戊子、亥月将を子時の上に加えて課を起した。占いに来たのは江西の挙人五家魁で、会試が中式し得るかを問うた。本例は『郭氏占案』に出る。亥将の子に加わるもなお天盤が地盤より一位退くので、この課は前の二課と同盤である。
合勾龍空 辰巳午未 玄陰朱合 兄丙戌玄 朱卯 申虎 戌亥卯辰 子乙酉常 蛇寅 酉常 亥子辰戊 子甲申虎 丑子亥戌 貴后陰玄
課盤は一に前の二例の如し:天盤は丑に貴人、寅に螣蛇、卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后を乗せる。四課は右から左へ辰が戊に加わり、卯が辰に加わり、亥が子に加わり、戌が亥に加わる。三伝は初の戌は玄武を乗せ、中の酉は太常を乗せ、末の申は白虎を乗せる。同じこの盤で、敵寇を卜れば三伝の退茹と游都の位を取り、刑獄を問えば申酉の金気を取り、科名を占えば専ら日干上の辰墓と行年・本命を看る——取用の神は問う所に随って転ずる。これが六壬の同課異断の根本である。
郭御青曰:此課墓祿覆日,雖初傳有戌沖之,奈年上又乘墓神?命上乘酉,合住辰墓,則戌墓不能沖開矣。大端不美,餘可不論。吳稼云曰:墓庫加干乃埋沒不得出頭之象。
郭御青が言う:この課は墓神が日禄と日干を圧し伏せた——戊土の寄宮は巳にあり、巳はすでに戊の禄位であるのに、その上に偏に辰のこの墓神が圧している。初伝の戌が辰墓を冲開し得るけれども、行年の上にまた墓神を乗せるのを如何ともし難い。本命上は酉を乗せ、酉は辰と相合し、辰墓を牢牢に合住させ、戌墓はもはや冲開できない。大体すでに佳くないので、其余の細節は論ずるに及ばない。呉稼云が言う:墓庫が日干の頭上に加われば、すなわち埋没されて出頭し得ない象である。
戊子日・高公のため功名を占う
崇正戊寅年正月二十四戊子日亥瘵酉時為高公占功名。(郭氏占案)
崇禎戊寅年(原書は「崇正」と作す)正月二十四日戊子、亥月将を酉時の上に加えて課を起し(底本は「将」の字を「瘵」に訛す)、高公のため功名を占った。本例は『郭氏占案』に出る。
貴后陰玄 未申酉戌 合龍陰貴 兄壬辰合 蛇午 亥常 辰寅酉未 父◎午蛇 朱巳 子虎 寅子未戊 子甲申后 辰卯寅丑 合勾龍空
この盤は亥月将を酉時の上に加えて起出し、天盤は地盤より二位進む。酉時は夜に属し、戊日の夜貴である未を用い、貴人は地盤の巳位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:未は貴人、申は天后、酉は太陰、戌は玄武、亥は太常、子は白虎、丑は天空、寅は青竜、卯は勾陳、辰は六合、巳は朱雀、午は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に未を得、未は貴人を乗せる。第二課、未上に酉を得、酉は太陰を乗せる。第三課、日支の子上に寅を得、寅は青竜を乗せる。第四課、寅上に辰を得、辰は六合を乗せる。三伝は初伝の辰で、遁干は壬辰、六合を乗せ、兄弟である。中伝は午で、螣蛇を乗せ、午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、盤上に「◎」を以て標し出す。午火は戊土を生ずるので父母である。末伝は申で、遁干は甲申、天后を乗せ、子孫である。辰・午・申が各々一位を隔てて順に進むのは、順間伝である。
郭御青曰:課名登三天,嫌中末空陷,祿傳墓神。乃正月,目下諸事不爽,未幾,果然有言,須屬犬之人沖之,到四五月方美。行年見白虎,必是臺中,但恐考不能待,孰知其果至期也乃五月中字填實,三天方可登,此番曠興乃真登三天也。與張坦之課俱奇中。(見辛卯日干上巳)
郭御青が言う:この課の課体の名は「登三天」で、ただ中伝・末伝がともに空陥の地に落ち、日禄がまた墓神に伝入したのを嫌う。当時は正月で、目下の諸事は誤りなく見えた。程なくして、果たして話の端があった:須らく一人の狗に属する人を得てそれを冲開させ、四五月の間に至って転じて好くなる。行年上に白虎を見るので、将来必ず御史台の一路にあり。ただ考選がその時まで待てないのを恐れる。誰が知ろう、竟に真にあの日まで待ち得たのを——五月に至り、午の字が填実し(底本は「中」と作し、当に「午」の訛であろう)、三天に登り得た。このたびの破格の起用こそ、真の「登三天」というべきである。この課は張坦公のあの課とともに断って奇准である(張坦公の一課は辛卯日「干上巳」の条に見る)。
戊子日・姚博が家の訟を占う
己酉年閏八月戊子日辰將子時姚博戊辰生四十二歲占家訟。(方本占案)
己酉年閏八月戊子日、辰月将を子時の上に加えて課を起した。占いに来たのは姚博で、戊辰年生まれ、四十二歳、問うたは一場の家財に因って起きた官司である。本例は『方本占案』に出る。
朱合勾龍 酉戌亥子 蛇玄空朱 兄壬辰玄 蛇申 丑空 申辰丑酉 子甲申蛇 貴未 寅虎 辰子酉戊 財戊子龍 午巳辰卯 后陰玄常
この盤は辰月将を子時の上に加えて起出し、天盤は地盤より四位進む。子時は夜に属し、戊日の夜貴である未を用い、貴人は地盤の卯位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:未は貴人、申は螣蛇、酉は朱雀、戌は六合、亥は勾陳、子は青竜、丑は天空、寅は白虎、卯は太常、辰は玄武、巳は太陰、午は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に酉を得、酉は朱雀を乗せる。第二課、酉上に丑を得、丑は天空を乗せる。第三課、日支の子上に辰を得、辰は玄武を乗せる。第四課、辰上に申を得、申は螣蛇を乗せる。三伝は初伝の辰で、遁干は壬辰、玄武を乗せ、兄弟である。中伝は申で、遁干は甲申、螣蛇を乗せ、子孫である。末伝は子で、遁干は戊子、青竜を乗せ、子水は戊土において妻財である。申・子・辰が合して水局を成すのは、まさに財局である。
邵彥和曰:訟因後一項財,卻爭先一項財起。喜得有舊文書為證。姚曰:果是收得伊父筆據,候到宣先將出。曰:今日有一人,面黑有痣,狀貌魁肥,來控爾口中言語,爾可設酒款待,卻將此筆據出看,訟可便止。蓋三傳無官鬼財,在今日之長生上,所以不失財,故與此人說即止也。
邵彦和が言う:この官司は名義上は後の一筆の銭のためだが、実際は先の一筆の銭を争ったことから引き起こされた。幸いなことに手裏に旧文書があって憑証と為し得る。姚博が言う:果たして彼の父親が親筆で書いた字拠を収めている。官府に到ったら先に取り出そう。邵彦和が言う:今日一人の人が来る。面色が黒く、顔に痣があり、身材が魁梧にして肥壯で、来てあなたが口の中で言った言葉を当面質問する。あなたはただ酒を備えて彼を款待し、さらにこの字拠を取り出して彼に見せれば、官司は即刻止められる。三伝の中に官鬼が財を克しに来ることがなく、しかも財爻が今日の長生の位の上に落ちるので、銭財は失われない。まさにこのため、この人と言い開きさえすれば、事が停まるのである。
姚博昔與何知鎮干財,知鎮赴任時,姚博將帳簿來呈知鎮於簿內,批判請訖二字。其子名於九者,卻不知及知鎮卒後二年,姚博再向何宅借錢三百貫,何宅將與之,而宅前有沈姓者開店,其人身肥,面黑有痣,卻與何宅說知鎮在日姚博欠錢未還,其子遂欲進狀來追。姚博因來占課,及占後回家,沈姓果來相探,姚博遂置酒相待,將知鎮批據與看,沈乃向何宅言之,遂止。
事の原委は:姚博はその年に何知鎮に代わって銭財を経営管理し、何知鎮が赴任する時、姚博は帳簿を呈上し、何知鎮は簿の中に「請訖」の二字を批して、すでに結清したことを表した。しかし彼の于九という名の息子は情を知らなかった。何知鎮が死して二年の後、姚博はまた何家に三百貫銭を借りに向かい、何家はもともと許諾した。何家の門の前に沈という姓の店が開いてあり、この人は身材が肥壯し、面が黒く痣があるが、何家に対して言った:何知鎮が在世の時に姚博が欠けた銭は還っていない。何家の息子はここにおいて状子を出して追討しようとした。姚博はこれに因って前来り課を占った。占い終わって家に帰ると、沈姓は果たして門に上って探問に来た。姚博はすなわち酒を擺して相待ち、何知鎮の当年の批拠を取り出して彼に見せた。沈某は振り返って何家に説明し、この事はこれに就いて了結した。
蓋酉作朱雀,為舊文字,陽主新,陰主舊也。辰加子作玄武臨財,是財上之庫也,庫鬼即沈也。申臨庫地,所以便了,財臨生地,所以不失財也。
課理を細かく究めるに:日干上の酉は朱雀を乗せ、朱雀は文書を主る。酉は陰に属し、陽は新を主り陰は旧を主るので、一件の旧文書と断じた。初伝の辰は子の上に加わって玄武を乗せ、玄武は財爻に臨み、辰はまさに水庫で、まさに財の上に圧する庫である。この庫中の鬼とは、指す所は沈姓のあの人である。中伝の申は庫地の上に臨むので、事が即刻に了し得る。末伝の財爻の子は長生の地に落ちるので、銭財はついに失われない。
戊子日・何承務が家宅を占う
己酉年三月戊子日戌將巳時何承務丁巳生五十三歲占家宅。(一針見血、方本占案、口鑑)
己酉年三月戊子日、戌月将を巳時の上に加えて課を起した。占いに来たのは何承務で、丁巳年生まれ、五十三歳、問うたは家宅である。この例は『一針見血』『方本占案』『口鑑』の三書にいずれも収録されている。
朱蛇 六戌亥子丑貴 六常陰六 父癸巳常 勾酉 寅后 戌巳卯戌 比丙戌六 龍申 卯陰 巳子戌戊 官辛卯陰 空未午巳辰玄 虎常
この盤は戌月将を巳時の上に加えて起出し、天盤は地盤より五位進む。巳時は昼に属し、戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の申位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は天后、卯は太陰、辰は玄武、巳は太常、午は白虎、未は天空、申は青竜、酉は勾陳、戌は六合、亥は朱雀、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に戌を得、戌は六合を乗せる。第二課、戌上に卯を得、卯は太陰を乗せる。第三課、日支の子上に巳を得、巳は太常を乗せる。第四課、巳上に戌を得、戌は六合を乗せる。三伝は初伝の巳で、遁干は癸巳、太常を乗せ、巳火は戊土を生ずるので父母である。中伝は戌で、遁干は丙戌、六合を乗せ、比肩である。末伝は卯で、遁干は辛卯、太陰を乗せ、卯木は戊土を克するので官鬼である。
邵先生曰:此課日往加辰,是人廣而宅狹也。宅上發用,傳出日上,是宅居不得許多人而後出也。末傳歸第二課,又見宅不納人。然非宅克人,是人多欲自出也(若丙子日,人來就宅,為宅所克,是宅不容人,居必生災也)。若移出各人自為活計,將因太陰擾動而興詞訟,太陰乘卯為今日鬼,故就卯上論之,在末傳,故至十三年後。十三年後見之後,人財亦興旺。
邵先生が言う:この課は日干の寄宮の巳が日支の子の頭上に走って行ったので、人が多く宅が小さい象である。宅位の上の巳が発用して初伝を作し、中伝はまた日干の上神の戌に伝わる。これは宅裏にこんな多くの人が住めず、ついに人が出て引っ越すことになる。末伝は第二課の卯に帰り、また宅が人を容れ切れない意である。ただ宅が来て人を克するのではなく、人が多くて自分から外に走るのである(もし丙子日に換えれば、すなわち人が宅に就いてかえって宅に克され、あれこそ宅が人を容れず、住んで行けば必ず災禍を生ずる)。もし各々出て行って自ら生計を謀れば、将来太陰の一系の事の扰動に因って詞訟を興起する。太陰は卯を乗せ、卯はまさに今日の官鬼なので、卯に就いて推算する。卯は末伝にあるので、十三年後に至って発する。十三年後にこの官司が過ぎても、人丁と財運はなお興旺である。
先生愚按:何居祖宅,狹仄人眾,此是日來加宅相逼,又作破碎也。本年十一月移出店房居住,自做經營,亦應初傳巳為店業,妙!妙!前原是兄嫂家掌家,後十三年,歲在甲子,果因家財爭訟,是以加子,人宅相剋也。巳四子九,併成十三年也。其壬戌年有卯制,故不動。癸亥年天罡壓之,亦不動。甲子年人宅相逼,所以至此方爭也。訟起於甲子之春,至乙丑四月方止,宅上見祿神,尚自興旺,人財尚可旺發也。
先生が自ら按ずる:何承務が住んでいたのは祖上の老宅で、房子は窄く人口は多かった。これはまさに日干の神が来て宅位の上に加圧する相逼の象で、しかも巳はなお破碎煞を帯びていた。当年十一月に彼は出て来て店房に住み、自分から売買を始めた。これもまた初伝の巳が店業を主る象に応じ、妙の極みである。従前は家裏でもともと兄嫂が家を当たっていた。此の後第十三年、歳が甲子に次ぎ、果たして家産のために官司を打った。これがすなわち巳が子の上に加わり、人と宅とが相克することに応じた。巳の数は四、子の数は九で、合わせてまさに十三年である。壬戌のあの年は卯が来て制約したので動かなかった。癸亥年は天罡の辰がそれを圧して、これも動かなかった。甲子年に至って人と宅とが正面から相逼したので、ここに引き延ばして争い起こった。官司は甲子年の春に起こり、乙丑年四月に至ってやっと停まった。宅位の上に禄神を見るので、家道は依然として興旺し、人丁・財物はなお発し得る。
戊子日・胡・尹二兄が淮揚巡按の差を占う
順治辛卯年二月戊子日亥將午時胡尹二兄占淮揚巡按差可復,吏書缺可照舊否?(指南)
順治辛卯年二月戊子日、亥月将を午時の上に加えて課を起した。胡・尹の両位が占いに来た:淮揚巡按のこの差使は回復し得るか。吏書の員缺は旧のまま設置し得るか。本例は『六壬指南』に出る。亥将の午に加わると前の課の戌将の巳に加わると、天盤が同じく地盤より五位進むので、二課の盤は寸分違わない。
朱蛇 六戌亥子丑貴 六常陰六 父癸巳常 勾酉 寅后 戌巳卯戌 比丙戌六 龍申 卯陰 巳子戌戊 官辛卯陰 空未午巳辰玄 虎常
課盤は前の例と同じ:天盤は丑に貴人、寅に天后、卯に太陰、辰に玄武、巳に太常、午に白虎、未に天空、申に青竜、酉に勾陳、戌に六合、亥に朱雀、子に螣蛇を乗せる。四課は右から左へ戌が戊に加わり(戊は巳に寄す)、卯が戌に加わり、巳が子に加わり、戌が巳に加わる。天将は順に六合・太陰・太常・六合。三伝は初伝の巳は太常を乗せて父母、中伝の戌は六合を乗せて比肩、末伝の卯は太陰を乗せて官鬼。前の例の何承務は家宅を問い、看たのは人宅の相逼・末伝の官鬼が訟を主ること。こんどの例は官差の存廃を問い、看るのは初伝の日禄の支に臨むこと・末伝の卯がまさに辛卯年の太歳で官星を作すこと——問う所すでに殊なれば、取る神もまた異なる。
斷曰:巡方官可復,吏缺未能如舊也。何也?蓋因鑄印乘軒,主遷官轉職而啟奏事。喜日祿臨支發用,末傳太歲作官,定有差遣,代天子巡狩之官也,且官居奎婁,是鳳廬有官之兆。又格合迴環,四墓加生,去而復來、已廢復興之象,未幾工科上疏題復。不復吏書者,以課不全,故占二得一也。
断語に言う:巡方御史のこの差使は回復し得るが、吏書の員缺は旧のままにできない。なぜか。課体は「鋳印乘軒」で、官职の遷転ならびに上奏の事があることを主るからである。喜ばしいのは日干の禄が日支の上に臨んで発用して初伝を作すこと。末伝の卯はまさに辛卯年の太歳で、また官星である。必ず差遣があり、しかも天子に代わって四方を巡狩する官と断じた。加えて官星の居る所がまさに奎・婁の二宿の次に当たる。これは鳳陽・廬州一帯に官ある徴である。課格はまた回環に相合し、四つの墓神がことごとく長生の上に加わる。まさに去ってまた来り、すでに廃れてまた興る象である。程なくして、工科は果たして疏を上げて回復を題請した。吏書が回復できないのは、この課が周全でないからで、二つの事がただ一件に応じただけである。
戊子日・傅鼎臣が会試を占う
丁丑年二月戊子日亥將巳時江西傅鼎臣孝廉占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月戊子日、亥月将を巳時の上に加えて課を起した。占いに来たのは江西の挙人傅鼎臣で、会試が中式し得るかを問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
朱蛇貴后 亥子丑寅 蛇虎常朱 父◎午虎 合戌 卯陰 子午巳亥 財戊子蛇 勾酉 辰玄 午子亥戊 父◎午虎 申未午巳 龍空虎常
この盤は亥月将を巳時の上に加えて起出し、月将と時辰はまさに相沖し、天盤は地盤より六位進む。「返吟」の局である。巳時は昼に属し、戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の未位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は天后、卯は太陰、辰は玄武、巳は太常、午は白虎、未は天空、申は青竜、酉は勾陳、戌は六合、亥は朱雀、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に亥を得、亥は朱雀を乗せる。第二課、亥上に巳を得、巳は太常を乗せる。第三課、日支の子上に午を得、午は白虎を乗せる。第四課、午上に子を得、子は螣蛇を乗せる。三伝は初伝の午・中伝の子・末伝はまた午で、初末の両伝の午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、盤上に「◎」を以て標し出す。午火は戊土を生ずるので父母、子水は妻財である。初伝の午は白虎を乗せ、中伝の子は螣蛇を乗せ、末伝の午はなお白虎を乗せる。子午が往復して相沖するは、まさに返吟で定まらない象である。
郭御青曰:三傳俱空,天將皆凶,日克朱雀,大不美課。凡諸同袍求占者,餘皆含糊應之,獨此課餘面直千,傅君變色。餘心不安,後果不中。
郭御青が言う:三伝はことごとく空に落ち、天将もまた全て凶将で、日干はさらに文書を主る朱雀を克している。実に一副の大いに好くない課である。およそ同輩の友が占いを求めに来れば、私は一向に含含糊糊に応じ誤摩化して来たが、ただこの課だけは私が当面に直に言った(底本は「余面直千」、「千」の字は当に「言」あるいは「告」の訛であろう)。傅君は聞いて顔色を変えた。私は心の中で甚だ不安であった。後に彼は果たして考中しなかった。
己丑日
己丑日・祝謙吉が会試を占う
崇正丁丑年二月十九己丑日亥將午時六安祝謙吉孝廉字尊光者占會試。(郭氏占案)
崇禎丁丑年(原書は「崇正」と作す)二月十九日己丑、亥月将を午時の上に加えて課を起した。占いに来たのは六安の挙人祝謙吉で、字は尊光、会試を問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
朱蛇貴后 戌亥子丑 蛇空虎貴 父癸巳虎 合酉 寅陰 亥午巳子 兄丙戌朱 勾申 卯玄 午丑子己 鬼辛卯玄 未午巳辰 龍空虎常
この盤は亥月将を午時の上に加えて起出し、天盤は地盤より五位進む。午時は昼に属し、己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の未位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は天后、寅は太陰、卯は玄武、辰は太常、巳は白虎、午は天空、未は青竜、申は勾陳、酉は六合、戌は朱雀、亥は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未にあり、未上に子を得、子は貴人を乗せる。第二課、子上に巳を得、巳は白虎を乗せる。第三課、日支の丑上に午を得、午は天空を乗せる。第四課、午上に亥を得、亥は螣蛇を乗せる。三伝は初伝の巳で、遁干は癸巳、白虎を乗せ、巳火は己土を生ずるので父母である。中伝は戌で、遁干は丙戌、朱雀を乗せ、兄弟である。末伝は卯で、遁干は辛卯、玄武を乗せ、卯木は己土を克するので官鬼である。
郭御青曰:簾幕臨行年亦為吉,但申臨胎地,無力,況了午相沖而空陷,傳課全無馬。時即未敢深許。祝君精於五星,亦自知不第,後果落孫山。
郭御青が言う:帘幕貴人が行年の上に臨むはもともと吉と算えるが、申は胎養の類の気なき地に落ち、力量が足りない。まして子午が相沖し(底本の「了」の字は当に「子」の訛であろう)、午はまた旬空の裏に落ちる。課伝の中はさらに駅馬が一つもない。だから当時私は敢えて彼の高中を請け合わなかった。祝君は五星の学に精通し、自分でも考え中れないことを知り、後に果たして名が孫山に落ちた。
己丑日・朱西昆が入覲し考選に何の官かを占う
崇正庚午年十一月己丑日寅將未時富平朱西昆占入覲考選何官?(指南)
崇禎庚午年(原書は「崇正」と作す)十一月己丑日、寅月将を未時の上に加えて課を起した。富平人の朱西昆が京に入り朝見して、このたびの考選に将に何の官职を得るかを占った。本例は『六壬指南』に出る。
後陰 貴子丑寅卯玄 玄勾六陰 官辛卯六 蛇亥 辰常 卯申酉寅 兄丙戌朱 朱戌 巳虎 申丑寅己 父癸巳虎 六酉申未午空 勾龍
この盤は寅月将を未時の上に加えて起出し、天盤は地盤より七位進む。未時は昼に属し、己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の巳位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は天后、寅は太陰、卯は玄武、辰は太常、巳は白虎、午は天空、未は青竜、申は勾陳、酉は六合、戌は朱雀、亥は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に寅を得、寅は太陰を乗せる。第二課、寅上に酉を得、酉は六合を乗せる。第三課、日支の丑上に申を得、申は勾陳を乗せる。第四課、申上に卯を得、卯は玄武を乗せる。三伝は初伝の卯で、遁干は辛卯、卯木は己土を克するので官鬼である。中伝は戌で、遁干は丙戌、朱雀を乗せ、兄弟である。末伝は巳で、遁干は癸巳、白虎を乗せ、父母である。(底本の三伝の首行の天将は「六」と刻するが、しかし四課に明らかに卯が玄武を乗ずると標し、下文の陳公献もまた「発用の卯は玄武を乗せて官と為る」と言うので、当に「玄」と作るべきと知れる。)
陳公獻曰:考選不得銓部詞林,定是風憲言官,且有貴子由科甲入翰院。蓋因日上天吏官德空墓,陰神又制之,必有明暗相攻不得銓部也。發用卯乘玄武為官,中傳朱雀,末見白虎,是以主黃門金瑣、風憲言官。果後考入垣中,歷轉山海巡撫,都御史。因支上子乘幕貴,貴人又作長生學堂,應子由科甲入翰院也。
陳公献が言う:このたびの考選は吏部と翰林院の職位を得られず、必ず御史・給事中の類の言官で、しかも彼には一つの好い息子があって科挙から翰林院に進む。日干上の「天吏」と官星の徳がすでに空に落ちまた墓に入り、その陰神がまた来て克制するので、必ず明の処・暗の処の攻訐があり、だから吏部に進めない。初伝の卯は玄武を乗せて官星を為し、中伝は朱雀、末伝に白虎を見るので、主る所は黄門の禁署・風憲言官の一路である。後に果たして言路に考進し、山海巡撫を歴任し、官は都御史に至った。日支上の子孫爻の申は帘幕貴人を乗せ、貴人はまた長生・学堂の位に坐するのは、まさに彼の息子が科甲から翰林院に進むに応じる。
銓部,吏部;詞林,翰林院;皆文職也。風憲,御史;言官,六科給事中,掌風紀糾察,屬秋官,有肅殺之威,以虎類之。可見德者,文官也。德主生而刑主殺,宜深思之。
ここで幾つかの名目を解釈する:「銓部」はすなわち吏部で、「詞林」はすなわち翰林院で、いずれも文職に属する。「風憲」は御史を指し、「言官」は六科給事中を指し、風紀の糾察を掌り、六官の中で秋官に属し、肅殺の威を帯びるので、白虎を以て象を取る。これによって見れば、「徳」のこの類の神は文官を代表する。徳は生養を主り刑は誅殺を主る。この一層の道理は深く思うに値する。
己丑日・陳名夏が会試を占う
丁丑年二月己丑日亥將炳時陳名夏孝廉字百史者占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月己丑日、亥月将を丙寅時の上に加えて課を起した(底本の「炳」の字は当に「丙」の訛であろう。課盤に由って推せばまさに寅時である)。占いに来たのは挙人の陳名夏で、字は百史、会試を問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
朱合勾龍 寅卯辰巳 虎陰蛇勾 財戊子貴 蛇丑 午空 未戌丑辰 兄壬辰勾 貴子 未虎 戌丑辰己 兄丙戌陰 亥戌酉申 后陰玄常
この盤は亥月将を寅時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位退く。己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の卯位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は螣蛇、寅は朱雀、卯は六合、辰は勾陳、巳は青竜、午は天空、未は白虎、申は太常、酉は玄武、戌は太陰、亥は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に辰を得、辰は勾陳を乗せる。第二課、辰上に丑を得、丑は螣蛇を乗せる。第三課、日支の丑上に戌を得、戌は太陰を乗せる。第四課、戌上に未を得、未は白虎を乗せる。四課の上下は俱に土神が比和して一つも相剋するものがないので、「昴星」の法を用いる。己は陰日なので、天盤の酉の臨む地盤の子を取って初伝とし、中伝は日干の上神の辰を取り、末伝は日支の上神の戌を取る。だから初伝の子は、遁干が戊子、貴人を乗せ、子水は己土において妻財である。中伝の辰は、遁干が壬辰、勾陳を乗せ、兄弟である。末伝の戌は、遁干が丙戌、太陰を乗せ、これも兄弟である。
郭御青曰:課得昴星已為不美,況發用貴人作財又為中傳所墓,干上辰墓,雖戌能沖之,奈辰作勾陳,是又一辰也,似非戌所能沖矣。課傳並無簾幕驛馬,命乘朱雀,嫌克太歲,安能中乎?陳君為海內名宿,後果抱屈。信乎人遇全有時。
郭御青が言う:得たのは昴星課で、本身すでに佳くない。まして発用の貴人はまた財爻を作し、かえって中伝の辰に墓せられる。日干上の辰は水墓で、末伝の戌がそれを冲開し得ると言うけれども、無奈この辰はまた勾陳を乗せ、勾陳の本位もまた辰にあるので、また一重の辰土を添えたに等しい。一つの戌はおそらく二つの辰を冲し動かせない。課伝の中には帘幕貴人もなく、また駅馬もなく、本命上は朱雀を乗せながらそれが太歳を克するのを嫌う。どうして中り得よう。陳君は海内に名高い宿学で、後に果たして屈せられて落第した。これによって人の際遇は果たして時数があることが見える。
吳稼云曰:命上朱雀、日德、月德是即名士之應。
呉稼云が言う:本命上に同時に朱雀と日徳・月徳が坐する。これはまさに彼が一名の名士であることに応ずる——朱雀は文章を主り、徳神は声望を主る。中式しなくても名声はおのずから存する。
己丑日・郭御青が自ら明年に子を得るかを占う
壬申年十月己丑日寅將巳時自占明年得子否?(郭氏占案)
壬申年十月己丑日、寅月将を巳時の上に加えて課を起し、郭御青が自分のために明年に息子を得ることができるかを占った。本例は『郭氏占案』に出る。寅将の巳に加わると前の課の亥将の寅に加わるとは、天盤が同じく地盤より三位退くので、二課は同盤である。前の課で看たのは昴星と墓神で、こんどの課で看るのは却って三伝の中に「子」の字があるかどうかである。
朱合勾龍 寅卯辰巳 虎陰蛇勾 財戊子貴 蛇丑 午空 未戌丑辰 兄壬辰勾 貴子 未虎 戌丑辰己 兄丙戌陰 亥戌酉申 后陰玄常
課盤は前の例と同じ:天盤は子に貴人、丑に螣蛇、寅に朱雀、卯に六合、辰に勾陳、巳に青竜、午に天空、未に白虎、申に太常、酉に玄武、戌に太陰、亥に天后を乗せる。四課は右から左へ辰が己に加わり(己は未に寄す)、丑が辰に加わり、戌が丑に加わり、未が戌に加わる。天将は順に勾陳・螣蛇・太陰・白虎。三伝は初伝の子は貴人を乗せて妻財、中伝の辰は勾陳を乗せて兄弟、末伝の戌は太陰を乗せてこれも兄弟。なお昴星の課である。
郭御青曰:壬申餘因傷子,偶動意占明年得子否,意中不論課體吉凶,但傳出子字,即取為子。果傳出子字,乘貴人且發用,三奇旺相,後果於癸酉年甲子月戊戌日庚申時生子不字。甲戊庚三奇與課同,何其神符也?
郭御青が言う:壬申年、私は息子を亡くしたため、偶然思い立って一課を占い、明年にまだ子を得ることができるかを問うた。当時、心の中では課体の吉凶を論じず、ただ三伝の中に一つの「子」の字が伝出すれば、それを取って息子と為そうと思った。結果、果たして子の字が伝出し、しかも貴人を乗せて発用し初伝を為し、甲・戊・庚の三奇の気はまさに旺相していた。後に果たして癸酉年甲子月戊戌日庚申時に息子を生んだが、養い止めることができなかった(「不字」はすなわち育たない)。あの生辰の中の甲・戊・庚の三奇は課中に見えたものと全く同じで、なんと神験なことか。
愚按:子貴發用,眾土克之,此應生而不育之象。觀丁丑年十月戊申日子時占夢一課,而知此子不育。郭君雖不論課體吉凶,但六壬神應,無微不到,吉凶何嘗虛報耶?
我が按ずる:初伝の子水は貴人を乗せて発用したけれども、課中の衆多の土神に囲まれてそれを克された。これはまさに「生みはしたが養い活かせない」の象に応ずる。さらに丁丑年十月戊申日子時のあの一課の夢を占ったのを看ればも、この子が養い大きくならないことを知り得た。郭君は自分で課体の吉凶を論じないと言うけれども、六壬の感応は微細に至らぬ所なく、吉凶がいつ虚しく報じたことがあろうか。
己丑日・十一月に児の病を占う
十一月己丑日丑將辰時某占兒病。(方本占案)
十一月己丑日、丑月将を辰時の上に加えて課を起し、ある人が息子の病を占った。本例は『方本占案』に出る。丑将の辰に加わるは、天盤がなお地盤より三位退き、四課・三伝は前の二課と全く同じ。ただあの二課は昼貴の子を用い、この課は夜貴の申を用いたので、満盤の天将は一套に換わり、断法もこれに随って全く変わった。
虎常 空寅卯辰巳玄 龍丑 午陰 后朱龍常 財戊子陳 陳子 未后 未戌丑辰 兄壬辰常 六亥戌酉申貴 戌丑辰己 兄丙戌朱 朱蛇
この盤は丑月将を辰時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位退く。本課は己日の夜貴である申を用い、貴人は地盤の亥位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:申は貴人、酉は螣蛇、戌は朱雀、亥は六合、子は勾陳(盤中は「陳」と書く)、丑は青竜、寅は天空、卯は白虎、辰は太常、巳は玄武、午は太陰、未は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に辰を得、辰は太常を乗せる。第二課、辰上に丑を得、丑は青竜を乗せる。第三課、日支の丑上に戌を得、戌は朱雀を乗せる。第四課、戌上に未を得、未は天后を乗せる。三伝はなお昴星の法に循る:初伝の子で、遁干は戊子、勾陳を乗せ、妻財である。中伝は辰で、遁干は壬辰、太常を乗せ、兄弟である。末伝は戌で、遁干は丙戌、朱雀を乗せ、これも兄弟である。
斷曰:昴星課陰掩其陽,是無陽氣也。辰作常覆日,陰神來破之,末傳戌加丑,被丑相刑,是陰氣陽氣將盡,病人當氣促而喘死。外應虛熱煩躁,又主熱渴,其人果先熱渴而後喘死。
断語に言う:昴星課は陰気が陽気を掩うので、人身にすでに陽気がないに等しい。日干上の辰は太常を乗せて日干を圧覆し、その陰神がまた来てそれを破る。末伝の戌は丑の上に加わり、丑に刑せられる——丑戌が相刑するは、まさに陰気・陽気がともに将に尽きようとする象で、病人は当に気促に喘ぎ急いで死すべき。外の証候はすなわち虚熱・煩躁で、また渇きて発熱することを主る。この子は果たして先に燥渇・発熱し、後に気喘して死んだ。
己丑日・虞大定が会試を占う
丁丑年二月己丑日亥將子時金壇虞大定孝廉占會試。(郭氏占案)
丁丑年二月己丑日、亥月将を子時の上に加えて課を起した。占いに来たのは金壇の挙人虞大定で、会試を問うた。本例は『郭氏占案』に出る。
勾龍空虎 辰巳午未 后貴龍空 財戊子貴 合卯 申常 亥子巳午 財丁亥后 朱寅 酉玄 子丑午己 兄丙戌陰 丑子亥戌 蛇貴后陰
この盤は亥月将を子時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位退く。己日の昼貴である子を用い、貴人は地盤の丑位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:子は貴人、丑は螣蛇、寅は朱雀、卯は六合、辰は勾陳、巳は青竜、午は天空、未は白虎、申は太常、酉は玄武、戌は太陰、亥は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の己は寄宮が未、未上に午を得、午は天空を乗せる。第二課、午上に巳を得、巳は青竜を乗せる。第三課、日支の丑上に子を得、子は貴人を乗せる。第四課、子上に亥を得、亥は天后を乗せる。三伝は初伝の子で、遁干は戊子、貴人を乗せ、妻財である。中伝は亥で、遁干は丁亥、天后を乗せ、これも妻財である。末伝は戌で、遁干は丙戌、太陰を乗せ、兄弟である。子・亥・戌が一歩ずつ退くのは、退茹の格である。
郭御青曰:此課干上命上,祿作天空,無簾幕貴人。宅上雖貴人發用,上下夾克,為逼迫枃。貴人入廟,吉不為吉。天空雖在日相對,入廟則不見面,天空高惡矣。
郭御青が言う:この課は日干の上と本命の上で、禄神はともに天空を乗せ、しかも全課に帘幕貴人を見ない。宅位の上に貴人が発用して初伝を作すけれども、上下の両辺に夾まれて来てそれを克し、逼迫の格を成す。貴人は在るけれども、却って自分の廟宮に入り、吉神はかえって吉し得ない。天空は日干と正相対するけれども、廟に入って後は彼此照らし見え合わないので、この天空は格別に可悪に顕れる。
吳稼云曰:貴人入廟為陷而不出之象。
呉稼云が言う:貴人が廟に入るは、裏に陥って出て来られない象——貴人はもともと出て来て提携すべきところ、今は本宮に困守して、援手が目前に到らない。
