辛巳日・戊申年に邵三翁が宅を占う
戊申年十一月辛巳日寅將酉時,邵三翁癸亥生,邵三翁生於九月初四日亥時,四十六歲,占宅。口鑑。方本占案。
戊申年十一月、辛巳日、寅將を用い酉時に加えて課を起こす。占を求むるは邵三翁――癸亥年生まれ、九月初四日亥時に生まれ、四十六歲――住宅を占う。此の例は『六壬口鑑』と方本『占案』に見える。
勾合朱蛇 戌亥子丑 后勾空后 財 己卯 后 青酉 寅貴 卯戌申卯 兄 申 空 ◎ 空申 卯后 戌巳卯辛 父 丁丑 蛇 ⊙ 未午巳辰 虎常玄陰
天地盤の部分:貴人は寅に起き(辛日の夜貴人)、十二天將は逆行す――寅上「貴人」、丑上「螣蛇」、子上「朱雀」、亥上「六合」、戌上「勾陳」、酉上「青龍」、申上「天空」、未上「白虎」、午上「太常」、巳上「玄武」、辰上「太陰」、卯上「天后」。四課は右から左へ讀む:第一課、卯が辛に加わる(辛は戌に寄宮し、戌位上に卯を得)。第二課、申が卯に加わる。第三課、戌が巳に加わる(巳は日支)。第四課、卯が戌に加わる。四課上神の天將は依次は卯上天后・戌上勾陳・申上天空・卯上天后。三傳:初傳卯、遁干は己卯、妻財を為し、天后に乘る。中傳申、兄弟を為し、天空に乘り、「◎」を注して旬空に落つるを表示す(辛巳日は甲戌旬に屬し、空亡は申酉に在り)。末傳丑、遁干は丁丑、父母を為し、螣蛇に乘る――丑中の藏するはちょうど本旬の丁神。
邵彥和曰:此課財作天后,加干發用,乃妻為主。日去加辰,夫往就妻,妻為長,夫反為少也。然汝之妻,本兄之妻,而汝得之,日後只得九年相守。第八年因結生地,與兄弟不足生,雖得此地,而死不得葬也。目下主喪妻,緣是磨塞東門,所以有再娶之患。蓋申為磨,加卯為塞東門也。
邵彦和が言う:此の一課は妻財卯木上に天后に乘り、また日干の上に加わりて發用を作す――ゆえに妻子を以て主と爲す。日干は反ぎて去りて日支上に加わる――丈夫は去りて妻子に就く――妻は長に居りて丈夫は反つて少に居る。しかるにあなたの此の位の妻子は、本是あなたの兄長の妻子――後來あなたに歸した――今後ただ九年相守する能くのみ。第八年に到りて、一塊の墓地を經營する事に因りて兄弟と失和せん――此の塊の地を得たりと雖も、人は死して葬り入れ得ず。眼下は則ち妻を喪ふを主す――緣由は「磨」が東門を堵住するが故――ゆえに再娶の憂あり。申は石磨を爲し、申は卯の上に加わる――すなわち東門を堵塞する象(卯は正東に在り)。
辛以卯為妻。干又就支,反致勾留,上見勾陳故也。申加卯上作天空,申乃今日之同類,而加妻上,是兄之妻也。申同類為兄,加卯妻財上,是為兄之妻。然不加申本空亡,又作天空,必兄已亡過,遂有其妻,所以邵公敢開此口。若申不空,則不可亂斷。
辛金は卯木を以て妻財と爲す。日干は又去りて日支に就く――反つて牽絆拖延を招致す――日支戌上に勾陳を見るが故。申は卯の上に加わりてまた天空に乘る:申は辛日と同じく金に屬し、日干の同類――同類は妻財の上に加わるは、すなわち兄長の妻。申はすでに兄弟を爲し、卯の此の妻財の上に加わる――ちょうど「兄の妻」の象。加以申は本身空亡に落ち、上面にまた天空に乘る――兄長は必ず已に亡故し、弟弟は此れ纔かに彼の妻子を得たるを見べし。ゆえに邵彦和は敢へて話を此の如く直白に説いた。假如申は空亡に落ちざらば、便ち此の如く亂斷する可からず。
只得九年相守者,戌加巳,上五下四,共九數也。末丑為辛金之墓;丑土加申金長生上,故為生地。申為兄弟,而丑墓作蛇加之,故與兄弟不足。丑八數,故云八年也。直指雲丑為卯財故得此地,內遁丁鬼,主得此地而死。
ただ九年相守するのみと言うは、第三課の戌が巳の上に加わり、戌數は五、巳數は四――上五下四は合して九數を成すが故。末傳の丑は辛金の墓庫。丑土は申金の長生の位の上に加わる――ゆえに「生地」――すなわち墳地と作し得べし。申はまた兄弟を主り、しかも丑の此の墓庫は螣蛇に乘りてその上に加臨す――ゆえに兄弟と失和す。丑數は八――ゆえに第八年と言う。『六壬直指』は則ち言う:丑は能く卯の此の妻財を生ず――ゆえに此の塊の地を得べし。但し丑中に遁得するは丁鬼――ゆえに此の塊の地を得て人は已に死去するを主す。
辛巳日・己酉年に何上舍が前程を占う
何上舍丁丑生三十三歲,於己酉年五月辛巳日申將寅時占前程。口鑑。方本占案。
何上舍(太學上舍生)、丁丑年生まれ、三十三歲、己酉年五月の辛巳日に、申將を用い寅時に加えて課を起こし、自己の功名前程を占った。此の例は『六壬口鑑』と方本『占案』に見える。
合朱蛇貴 亥子丑寅 玄合勾陰 官 辛巳 玄 勾戌 卯后 巳亥戌辰 子 乙亥 合 青酉 辰陰 亥巳辰辛 官 辛巳 玄 申未午巳 空虎常玄
天地盤の部分:貴人は寅に起き、十二天將は逆行す――寅上「貴人」、丑上「螣蛇」、子上「朱雀」、亥上「六合」、戌上「勾陳」、酉上「青龍」、申上「天空」、未上「白虎」、午上「太常」、巳上「玄武」、辰上「太陰」、卯上「天后」。天盤は地盤より六位進む――「返吟」の格局。四課は右から左へ讀む:第一課、辰が辛に加わる(辛は戌に寄り、戌位上に辰を得)。第二課、戌が辰に加わる。第三課、亥が巳に加わる(巳は日支)。第四課、巳が亥に加わる。四課上神の天將は依次は巳上玄武・亥上六合・戌上勾陳・辰上太陰。三傳:初傳巳、遁干は辛巳、官鬼を為し、玄武に乘る。中傳亥、遁干は乙亥、子孫を為し、六合に乘る。末傳はまた巳、遁干は辛巳、官鬼を為し、玄武に乘る。三傳の巳亥巳は往返不定――ちょうど返吟課の樣子。
邵彥和曰:此課日上見辰,乃濁氣所生,非秀麗也。長生學堂陷入鬼地,來去皆絕,此不是及第課。主三番讀書,四番廢業,少學無成,頭不應尾。五年後做東不成,又去做西,喪妻娶妻,十六年內家計蕩盡,妻嫁武官,子無頭尾。
邵彦和が言う:此の一課の日干上神は辰土――辰は濁氣の生ずる所の地――清秀の象にあらず。文を主る長生・學堂はまた官鬼の地に陷落し、去來の兩頭は皆絕に逢う――これは能く擧に中り第に及ぶ課にあらず。此人が三番書を讀み四番業を廢し、年少にして學を求めて學に成す所なく、事を爲すに頭有りて尾無きを主す。五年の後、東に往きて經營して成らず、また轉じて去りて西に往き、先に妻を喪いて再び妻を娶り、十六年の內に家業は蕩盡し、妻子は武官に改嫁し、兒子もまた頭有りて尾無し。
何上舍發解後,妻家以一莊贈之。己酉年至乙卯年尚如意,乙卯後便不濟,考試皆不利。癸亥年喪妻飲酒無度,家計蕩盡,子留外家,再娶一妻,第十六年上舍死。後妻嫁一武進士。
その後の事實は:何上舍は鄕試發解の後、妻家が彼に一處の莊園を送った。己酉年から乙卯年に至るまでは還算順遂なれど、乙卯年以後は便ち行かず、歷次の考試は皆利ならず。癸亥年に妻子は去世し、彼は飲酒無度し、家業は蕩盡し、兒子は外祖の家に留め、自己は別に一妻を娶った。第十六年の上に至り、何上舍は去世した。彼の後妻は一位の武進士に改嫁した。
大凡巳亥巳,惟壬日最得便宜,他來我處絕,又是財,只不利占病。丙戌日我往克處逢絕,凡事不利,若占病亦死,行人不來,謀事不遂。若辛巳日,辛生於巳,巳絕於亥,初絕尚可,末又臨絕,長生尚自受克絕,我何望生乎?即不可望生,卻就辰之生,為失十得一,豈不費力耶?
大凡そ三傳が巳・亥・巳のこの一格は、ただ壬日に占えば最も便宜を占む:來て我を克するものが我が処に到りてちょうど絕に逢ひ、しかも巳はさらに壬日の妻財――ただ病を占ふは宜しくならざるのみ。丙戌日に占えば則ち我が去りて人を克する處が反つて絕に逢ふ――凡事不利、病を占ふもまた死を主り、行人は來らず、事を謀るも成らず。辛巳日に至っては:辛金の長生は巳に在り、しかも巳はまた亥において絕す。初傳が絕に逢ふは還算可なれど、末傳にまた絕地に落つ――長生の地の本身までも克を受け絕に逢ふに至つては、我はさらに何の生機を指望せんや。すでに長生を指望し得ざれば、便ち去りて辰土の生に就くよりほかなし――あれは十分を失して一分を撈り回すのみ、豈に費力ならざらんや。
愚按:家計蕩盡者,亥水加支克支絕支也。子無頭尾者,六合臨沖地也。十六年內者,亥四巳四,四四一十六也。惟喪取妻嫁武官不知何故。
程樹勳案:家業蕩盡と言うは、亥水が日支巳の上に加わり、日支を克すると同時に日支をして絕に逢はしむるが故。兒子は頭有りて尾無しと言うは、子孫を主る六合が相冲の地に落つるが故。十六年の内と言うは、亥數は四、巳數は四――四に四を乘じて十六を得るが故。ただ妻を喪ひし後に妻子が武官に改嫁するの此の一條のみ、邵彦和が何に根據して斷出したかを知らず。
辛巳日・天聖九年に李都尉の家が盜に遇ひ賊を占ふ
天聖九年辛未歲閏九月初間,李都尉家被賊從後花園入堂內,偷去金銀財物,辛巳日請元軫占之,卯時未將。玉連環末卷。說約。
宋仁宗天聖九年・干支は辛未のあの年(「未」は太歲の地支)の閏九月初、李都尉の家に賊が進み、賊人は後花園より堂內に潛入し、金銀財物を偸み去った。辛巳日に元軫を請ひて課を起こして占問せしめ、用ゐるは卯將・未時(源文は「卯時未將」と作る――下の課盤に按じて天盤は地盤より八位進むと推算すれば、ちょうど卯將を未時に加ふるに合し、閏九月の用ゐる所の月將もまたちょうど卯――「時」「將」の二字は傳寫互に倒れたるを知るべし)。此の例は『一字玉連環』の末卷と『六壬說約』とから出る。
龍勾合朱 丑寅卯辰 玄龍勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 父 甲戌 常 戌酉申未 常玄陰后
天地盤の部分:貴人は午に起き(辛日の晝貴人)、十二天將は逆行す――午上「貴人」、巳上「螣蛇」、辰上「朱雀」、卯上「六合」、寅上「勾陳」、丑上「青龍」、子上「天空」、亥上「白虎」、戌上「太常」、酉上「玄武」、申上「太陰」、未上「天后」。四課は右から左へ讀む:第一課、午が辛に加はる(辛は戌に寄り、戌位上に午を得)。第二課、寅が午に加はる。第三課、丑が巳に加はる(巳は日支)。第四課、酉が丑に加はる。四課上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳:初傳午、遁干は壬午、官鬼を為し、貴人に乘る。中傳寅、遁干は戊寅、妻財を為し、勾陳に乘る。末傳戌、遁干は甲戌、父母を為し、太常に乘る。三傳の午・寅・戌は合して寅午戌火局を成す――「炎上」課である。
元軫斷曰:賊有五人,當是年及五旬婦人,原是婢女出身,一目有疾,在郊外東北方五十里墳墓間居住。依此捕之無。後李又索占,元軫曰:不必再占,只能前課推之可。於丙丁日令捕人出東門,轉北伺之,有兩婦人,穿緋衣,負薪而來者詢之,必得賊蹤。
元軫が斷じて言う:賊は共に五人――首を為すは應に一人の年近五十の婦人――本是婢女の出身、一隻の眼睛に毛病あり、城郊の東北方五十里の外の墳地の間に住す。李家は此の話に照らして去りて捕ふも、捉へ得ず。その後李都尉はまた別に一課を占ふを要求し、元軫が言う:再び占ふに及ばず、ただ前面の此の一課を用ゐれば便ち推し出し得べし。彼は捕役をして丙日或は丁日に東門を出で、再び折れて北方に向ひて守候せしめ、もし兩個の紅衣を穿き柴を負ひて走來る婦人を見ば、一たび問へば便ち賊の蹤迹を問ひ出し得べしと命じた。
如言於丁巳日,捕人伺至午間,果有兩婦人穿紅裙負薪而至。捕人近前,婦人惶遽欲逃,拿住搜其身,上藏有金銀釵釧。切究之,雲伊之鄰婦本是李都尉家舊婢,近因貧困,同其夫與子共五人至李家作賊,二婦知覺,被二婦知覺故分給釵釧。捕人遂押二婦至東北五十里蘇相公墳後,拘獲正賊真贓。其婦果患目也。
彼の話に照らして辦じ、丁巳の此の天に捕役は午時まで守り、果たして兩個の紅裙を穿き柴を背負ふ婦人が走來した。捕役は上前して、婦人は驚慌して逃げんと想ふも、拿住せられて搜身すれば、身上に金に金銀の釵釧を藏したり。嚴かに追問すれば、彼女らが言う:鄰家のあの婦人は本是李都尉の家の舊婢で、近來窮困し、丈夫と兒子とを伙同して一共に五人李の家に到りて行竊し、彼女ら兩人に察覺せられ、彼女らに察覺せられたに因りて、そこで彼女らに釵釧を分け與へて口を封口した。捕役はそこで兩個の婦人を押して東北五十里の蘇相公の墳の後面に到り、正賊と贜物とを一併に拿獲した。あの首を為す婦人は果たして眼睛に病あり。
議曰:經旬只於元武臨處責之,今元武臨丑,故言東北。武之陰神酉,從丑至酉為五辰,故云五人。三傳逆治,其賊不遠。江村張鋐云:武乘酉,酉陰見巳,巳陰見丑,丑陰又見酉,不能遠遁。酉丑相乘四八之數,故不出五十里。酉金臨丑墓,故云伏墳所。
推論は下の如し:賊を捕ふの法は、歷來ただ玄武の臨む所の處において追究す。此の課は玄武は酉に乘りて地盤丑の上に落つ――丑は東北に在り――ゆえに賊は東北に在りと言う。玄武の陰神は酉――丑より酉に數ふれば共に五辰――ゆえに賊は五人と言う。三傳は逆行して推治す――賊は藏れて遠からざるを説明す。江村の人張鋐が言う:玄武は酉に乘り、酉の陰神は巳を見、巳の陰神は丑を見、丑の陰神はまた酉に回る――三者は輾轉相繞り、賊は逃げて遠からず。酉數は四、丑數は八、四八相乘の數――ゆえに五十里を出でず。酉金は丑の此の金墓の上に落つ――ゆえに賊は墳地の裡に伏すと言う。
愚按:酉為婢,陰見螣蛇巳火,故是婢而有目疾。酉六,丑八,四十八歲,故云年近五旬耳。炎上火局剋制元武,而元武又被陰神巳火所克,故丙丁日必敗露。巳為雙女,乘蛇,故云兩婦穿緋衣。火本無體,因木而發,故因負薪人而敗。
程樹勳案:酉は婢女を主り、酉の陰神は螣蛇巳火を見――火は目を傷る――ゆえに婢女の出身にしてしかも眼病を患ふと斷ず。酉數は六、丑數は八、六八四十八――ゆえに彼女は年を五旬に近しと言う。三傳の寅午戌炎上火局は能く玄武を克制し、しかも玄武の陰神の巳火はまた反つてそれを克す――ゆえに丙日・丁日に必ず敗露すと斷定す。巳は星象の上で「雙女」に屬し、また螣蛇に乘る――蛇の色は赤――ゆえに兩個の婦人が紅衣を穿くと言う。火は本身に形體なく、木を靠りてやっと燃へ起る――ゆえに此の案子は背柴する人に因りて破るべしと斷定す。
愚按:張江村說約云,巳乘蛇,蛇性易驚,故兩婦一見捕人即欲逃也。巳陰見龍,龍屬木,木見火為薪,故皆負薪。巳酉丑三合,輾轉不能相離,故於東北伺之而獲也。其於丁巳日午時者,酉陰見巳、用神午俱克元武也。此解明晰,故備錄之。
程樹勳また案:張江村の『六壬說約』は講ること更に細し――巳上は螣蛇に乘る、蛇の性は驚き易し――ゆえに兩個の婦人は一たび捕役を見れば便ち逃げんと想ふ。巳の陰神は青龍を見――青龍は木に屬し、木は火に遇へば便ち柴薪を成す――ゆえに兩人とも柴を背負ふ。巳・酉・丑は三合成局、彼此輾轉して糾纏して分かれ開かず――ゆえに東北方に守候すれば便ち一網に拿獲し得べし。丁巳日の午時に應ずるに至っては、酉の陰神は巳、發用の神は午――巳と午とは皆能く玄武を克するが故。此の一段の解釋は最も明白――ゆえに我はそれを全くここに錄す。
辛巳日・己酉年に趙監務が赴任を占ふ
己酉年正月辛巳日子將辰時,仍是戊申太歲。趙監務丁丑生,生於九月十日丑時,三十二歲,占赴任。宋本邵案。口鑑。
己酉年正月、辛巳日、子將を用ゐ辰時に加へて課を起こす。此の時はまだ立春せず――ゆえに當令するは依然として戊申年の太歲。占を求むるは趙監務――丁丑年生まれ、九月十日丑時に生まれ、三十二歲――赴任の事を占ふ。此の例は宋本『邵彦和占案』と『六壬口鑑』に見える。
龍勾合朱 丑寅卯辰 玄龍勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 父 甲戌 常 戌酉申未 常玄陰后
此の一課の課盤は前面の李都尉が賊を占ふ一課と完全に同じ:貴人は午に起きて逆行し、午貴人・巳螣蛇・辰朱雀・卯六合・寅勾陳・丑青龍・子天空・亥白虎・戌太常・酉玄武・申太陰・未天后。四課は右から左へは午が辛に加はり、寅が午に加はり、丑が巳に加はり、酉が丑に加はる。四課上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳は午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、戌(甲戌、父母、太常に乘る)――寅午戌は合して火局を成し、炎上課である。
邵彥和曰:主今年二月上任。蓋日上官星作貴人,會火局,金被火官逼,行年又來添一層官星來趕,必然動身。須見尊長病酒幾死,即應矣。宅上丁神已動,臨交代之時,必有所阻,得十六個月遭父喪而回。
邵彦和が言う:彼が今年二月に上任するを主す。日干上神の午は官星にして、また貴人に乘り、しかも合して火局を成す――辛金は火官に逼迫せられ、行年上にさらに一層の官星を添へて來て催趕す――ゆえに必定に身を動かす。尊長が醉酒に因りて幾ほども命を喪はんとする事を見るに及んで、すなわち應期が到る。住宅上の丁神は已に發動し、任務を交接する時に到れば必定に阻碍あり。上任して十六箇月滿して後に父喪に遭ひて鄉に返らん。
趙因前任填補,遂於二月催赴任。二月二日父大醉幾死,越七日而文字果至。八月方交割,以前任官要趙認虧空,方得交代,是以遲至八月也。次年十一月丁父憂歸,共十六個月也。大凡平人怕官鬼劈頭來克,主有官事喪禍;惟仕官赴任,須要官星旺,即赴任也。辛長生於巳,巳為父,巳加酉上見蛇,酉為酒,蛇撓之,所以為病酒。巳午相連,巳應了午便應也。
その後趙監務は前任の缺を補するに因りて、二月の裡に便ち催されて赴任した。二月初二に彼の父親は大醉して幾ほども死せんとし、七天を過ぎて、赴任を催す公文は果たして到着した。八月に至りてやっと交接を辦じた――前任官が趙監務に虧空を認め下させてやっと交割せむと欲したに因りて、そこで八月に拖き延ばした。第二年十一月に父喪に因りて鄉に回り、前後ちょうど十六箇月。大凡そ平常の人は最も官鬼が頭に當りて來て克するを怕る――それは官司と喪禍とあるを主す。ただ官を做る人が赴任するは、ちょうど官星の旺相を須とす――官星は一たび旺なれば便ち身を動かすを得。辛金の長生は巳に在り、巳はまた父親を主る。巳は酉の上に加はりて螣蛇を見――酉は酒を主り、螣蛇はそれを攪扰す――ゆえに父親が酒に醉ひて病を得るなり。巳と午とは相連なり――巳は一たび應驗すれば、午は跟んじて就きて應ず。
愚按:遭父喪而回者,因喪吊全入三傳,末為歸計門,作太常,為孝服也。惟十六月字不可解,且何以知為十六個月而非十六年乎。
程樹勳案:彼が父喪に遭ひて回ると斷ずるは、喪門・弔客の兩神が全て三傳に進み、末傳はまた「歸計門」にして上は太常に乘る――太常は孝服を主るが故。ただ「十六箇月」の此の數目は講じ通らず、しかも何に憑りて十六箇月にして十六年にあらざるを知るや。此の一點は邵彦和は竝びに交代せず。
辛巳日・辛卯年に曹丙道が來年の釋褐を占ふ
辛卯年正月辛巳日亥將卯時,曹丙道占在京來年釋褐。一針見血。
辛卯年正月、辛巳日、亥將を用ゐ卯時に加へて課を起こし、曹丙道が自己在京城に來年「釋褐」し得るや否やを占ふ――すなわち布衣を脫去して登第授官する。此の例は『一針見血』から出る。
龍勾合朱 丑寅卯辰 玄龍勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 父 甲戌 常 戌酉申未 常玄陰后
課盤は前面の兩課と相同じ:貴人は午に起きて十二天將は逆行す――午上「貴人」、巳上「螣蛇」、辰上「朱雀」、卯上「六合」、寅上「勾陳」、丑上「青龍」、子上「天空」、亥上「白虎」、戌上「太常」、酉上「玄武」、申上「太陰」、未上「天后」。四課は右から左へは午が辛に加はり、寅が午に加はり、丑が巳に加はり、酉が丑に加はる。上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳は午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、戌(甲戌、父母、太常に乘る)――寅午戌は合して火局を成し、炎上課である。
邵彥和曰:炎上主文明,貴人乘相氣為用。吾丈是午生人,今午作貴人為用。末見太常乘天魁為印綬,又是天喜神六儀吉將在辰上。行年得天后恩神,炎上三傳相氣。想只是中傳勾陳乘寅加本命上,主遲慢,來年定及第矣。果驗。
邵彦和が言う:三傳は合して炎上火局を成す――火は文采光明を主る。貴人はまた相氣に乘りて發用を作す。あなたは午年生まれの人――如今午はちょうど貴人を作して發用と爲す。末傳に太常が天魁(戌)に乘るを見――戌は印綬の神、天喜・六儀の此の類の吉將もまた皆あの一辰の上に落つ。行年上に天后の此の恩神を得、炎上の三傳はまた皆相氣に當る。想ふに欠く所はただ中傳の勾陳が寅に乘りて本命の上に加はる――延遲緩慢を主るのみ。來年に到れば必ず能く及第せん。その後果たして應驗した。
辛巳日・崇禎丙子年に陸金吾が陳東明の出師を占ふ
崇正丙子年二月辛巳日辛卯時,湖州陸金吾占總鎮陳東明奉命出師江東。指南。
崇正(すなわち明の崇禎)丙子年二月、辛巳日辛卯時、湖州の陸金吾が總鎮陳東明が命を奉じて兵を出して江東に往く一事を占った。此の例は『六壬指南』から出る。
勾六 青丑寅卯辰朱 玄青勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 印 甲戌 常 常戌酉申未后 玄陰
此の一幅の課盤の寫法は前の幾幅と稍異なり、天將は分注して天盤の各支の兩側と上下とに在り、讀み出せば依然として:丑上「青龍」、寅上「勾陳」、卯上「六合」、辰上「朱雀」、巳上「螣蛇」、午上「貴人」、未上「天后」、申上「太陰」、酉上「玄武」、戌上「太常」、亥上「白虎」、子上「天空」――依然として貴人は午に起きて十二將は逆行す。四課は右から左へ:第一課、午が辛に加はる。第二課、寅が午に加はる。第三課、丑が巳に加はる。第四課、酉が丑に加はる。上神の天將は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳:初傳午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、中傳寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、末傳戌(甲戌、此の本は印綬と標し、太常に乘る)。寅午戌は合して火局を成し、炎上課である。
斷曰:春得炎上進氣,又合元首三奇,高爵宰官不復言矣。但干敗支墓且乘火鬼,天魁合中犯煞,《易》旅九三「旅焚其次,喪其童僕,貞厲」,不惟興師無濟,且有他虞。即官至卯年亦不見利,由卯上乘白虎驛馬,名為回馬,雖是剝官之煞,幸結貴木局生起初傳官星,故僅撤回討賊。庚辰太歲受克,子水司令制傷火局退位俱驗。
斷じて言う:春天に炎上課を占得すれば、火局はちょうど進氣に當り、また「元首」の課體と三奇の吉とに合す――高官顯爵は説くに及ばず。但し日干辛金は二月にちょうど敗地に當り、日支巳はまた金の墓鄕にして、しかも上は火鬼に乘る。天魁戌は合局の中に在りてまた凶煞を犯す。これはちょうど『周易・旅卦』の九三爻辭の言ふ所の「旅人は自己の客舍を燒き、童僕を失掉し、正を守るも危厲」に合す――ただ出兵功なきのみならず、さらに別に別の憂患あり。卽ち官を做して卯年に做り到るも、好處を見ざらん:卯上は白虎驛馬に乘るが故――これを「回馬」と名づく――本是官職を剝奪する凶煞。幸に卯は亥・未と木局を結成し、能く初傳の官星を生起す――ゆえにただ兵を撤して回り、賊を討つは中止するに落ち着くのみ。庚辰年に到りて太歲は克を受け、子水は當令して火局を制傷してそれを退位せしむるも、此れらもまた一一應驗した。
辛巳日・順治己丑年に大同姜總兵の亂を占ふ
順治己丑年正月辛巳日辛卯時,榆林王總兵諱樸者,其子金吾官在揚,聞大同姜總兵亂。指南。
順治己丑年(順治六年)正月、辛巳日辛卯時。楡林の王總兵の名は朴、彼の兒子は金吾の職に任じ、人は揚州に在り、大同の姜總兵が亂を作すと聞き、これに因りて課を起こして吉凶を占問した。此の例は『六壬指南』から出る。
勾六 青丑寅卯辰朱 玄青勾貴 官 壬午 貴 空子 巳蛇 酉丑寅午 財 戊寅 勾 虎亥 午貴 丑巳午辛 印 甲戌 常 常戌酉申未后 玄陰
課盤は上の一條と完全に同じ:丑上青龍・寅上勾陳・卯上六合・辰上朱雀・巳上螣蛇・午上貴人・未上天后・申上太陰・酉上玄武・戌上太常・亥上白虎・子上天空――貴人は午に起きて十二將は逆行す。四課は右から左へは午が辛に加はり、寅が午に加はり、丑が巳に加はり、酉が丑に加はる。上神の天將は依次は酉上玄武・丑上青龍・寅上勾陳・午上貴人。三傳は午(壬午、官鬼、貴人に乘る)、寅(戊寅、妻財、勾陳に乘る)、戌(甲戌、印綬、太常に乘る)――寅午戌は火局を成し、炎上課である。
斷曰:游都居支前,賊符侵酉地,且貴人克干發用,又合中犯煞,西北兵動,據城無疑。初傳旺相生合末傳,定主內外奸人勾連;中傳月建克末傳,必然破城殺將。又旬遁丁神臨辰陽入辰陰,更有當地邊界盜賊蜂起,後來終於歸降,蓋因游都臨合處也。但火局旺相於春夏,死於秋冬,又大吉日墓臨支,是主受客愚而墜客計,交秋事敗歸降矣。
斷じて言う:兵を主る「游都」は日支の前の一位に落ち、「賊符」は酉の此の西方の地に侵入し、加以貴人は日干を克して發用を作し、合局の中にまた凶煞を犯す――西北方に將に兵を動かさむとし、賊人が城に據るは疑ひなしと斷じ得べし。初傳は旺相にして末傳を生合す――必ず内外の奸人が互相勾結するならん。中傳は月建にして末傳を克す――必然に城を破り將を殺さん。また旬中に遁出する丁神は陽辰より陰辰に臨み入る――當地の邊界の一帶はさらに盜賊の蜂起することを知るべし、しかも後來は終に歸降せん――これは游都が合局の處に落つるが故。但し火局は春夏は旺相にして秋冬に到れば便ち死絕し、加以大吉丑は日干辛金の墓神にして日支上に臨む――客方の愚弄を受け、客方の算計に落ち入るを主す――ゆえに一たび秋に交はれば事情は便ち敗れ、降するよりほかなし。
辛巳日・戊申年に邵三翁が宅を占ふ(別本)
戊申年十一月辛巳日寅將酉時,邵三翁癸亥生,四十六歲,占宅。口鑑。
戊申年十一月、辛巳日、寅將を用ゐ酉時に加へて課を起こす。邵三翁、癸亥年生まれ、四十六歲、住宅を占ふ。此の例は『六壬口鑑』から出る。此の一條は前面に收めたる「戊申年十一月辛巳日寅將酉時邵三翁が宅を占ふ」と本是同一の課――ただ據る所の本子が同じからざるのみで、文字は互に出入あり――程樹勳は兩存して對校に便す。
六朱 陳戌亥子丑蛇 龍酉 寅貴 後陳空后 財 己卯 后 初 空申 卯后 卯戌申卯 兄 空申 空 中 虎未午巳辰陰 戌巳卯辛 父 丁丑 蛇 末 常玄
此の一幅の課盤は前の一本の寫法と同じからざれど内容は相同じ:「陳」はすなわち勾陳、「龍」はすなわち青龍、三傳の旁には直接に初・中・末を標出し、中傳は「空申」と寫す――すなわち申は旬空に落つ。天地盤:貴人は寅に起きて十二天將は逆行す――寅上「貴人」、丑上「螣蛇」、子上「朱雀」、亥上「六合」、戌上「勾陳」、酉上「青龍」、申上「天空」、未上「白虎」、午上「太常」、巳上「玄武」、辰上「太陰」、卯上「天后」。四課は右から左へ:第一課、卯が辛に加はる。第二課、申が卯に加はる。第三課、戌が巳に加はる。第四課、卯が戌に加はる。上神の天將は依次は卯上天后・戌上勾陳・申上天空・卯上天后。三傳:初傳卯(己卯、妻財、天后に乘る)、中傳申(空亡に落ち、兄弟、天空に乘る)、末傳丑(丁丑、父母、螣蛇に乘る)。
邵彥和曰:此課乃妻為主,日去加辰,夫去脫妻,妻為長,夫反為少也。然汝之妻,本兄之妻,而汝得之,日後只得九年相守。第八年因作生地,與兄弟不足,生難得此地,而死不得葬也。目下主喪妻,緣是磨壓東門,所以有再娶之患也。
邵彦和が言う:此の一課は妻を以て主と爲す。日干は去りて日支に加はる――丈夫は去りて妻子を脫耗す。妻は長に居りて丈夫は反つて少に居る。しかるにあなたの此の位の妻子は本是兄長の妻子――後來あなたに歸した――今後ただ九年相守するを得のみ。第八年に到りて、墓地を營治する事に因りて兄弟と失和し、生きては勉强して此の塊の地を得たりと雖も、死して後は葬り入れ得ず。眼下は妻を喪ふを主す――緣由は石磨が東門を壓住す――ゆえに再娶の憂あり。(此の本は「夫は去りて妻を脫す」「磨は東門を壓す」と作り、前の一本は「夫は往きて妻に就く」「磨は東門を塞ぐ」と作る――兩本の用字は互に異なる。)
申為磨,中卯為壓東門也。辛以卯為妻,上見天后,妻為主。干又就支,反致勾留,上見勾陳故也。申加卯上作天空,申乃今日之同類,而加妻上,是兄之妻也。申同類為兄,加卯妻爻上,是為兄之妻。
申は石磨――卯の上に壓すれば便ち東門を壓住するを成す(卯は正東に居る)。辛日は卯木を以て妻財と爲し、卯上にまた天后を見――ゆえに妻を以て主と爲す。日干は又去りて日支に就く――反つて牽絆拖延を招き來る――日支上に勾陳を見るが故。申は卯の上に加はりて天空に乘る:申は本日と同じく金に屬し、日干の同類――同類は妻財の上に加はるは、すなわち兄長の妻。申はすでに兄弟を爲し、卯の此の妻爻の上に加はる――ちょうど「兄の妻」の象。
然不加申酉空亡,又作天空,必兄已亡過,遂有其妻,所以邵公敢開此口。若申不空,則不可亂斷。末丑,辛之墓;加於同類之上,並蛇丑八數,是以八年因開生地,與兄弟不和,丑土生申金,乃生地也。九年死者,戌加巳,上五下四,共九數也。
加以申・酉はちょうど空亡に落ち、申上にまた天空に乘る――兄長は必ず已に亡故し、弟弟は此れ纔かに彼の妻子を得たるを見べし。ゆえに邵彦和は敢へて話を此の地步に説き到った。假如申は空に落ちざらば、便ち亂斷する可からず。末傳の丑は辛金の墓庫――同類の申金の上に加はり、また螣蛇を帶び、丑數は八――ゆえに第八年に墳地を開闢するに因りて兄弟と不和す――丑土は能く申金を生ず――ゆえに「生地」と呼ぶ。九年の上に死すと言うは、第三課の戌が巳の上に加はり、上五下四は合して九數を成すが故。(此の本は「丑土は申金を生ず、乃ち生地なり」と作り、前の一本は「丑土は申金の長生上に加はる故に生地と爲す」と作る――説法は小異あり。)
辛巳日・四月に越王が范蠡を召して鄭妃の六甲を占はしむ
四月辛巳日越王召范蠡占鄭妃六甲。心鏡注引越覆經。
四月の辛巳日、越王は范蠡を召して課を起こし、鄭妃に孕あるや否やを占はしめた(「六甲」はすなわち懷胎)。此の例は『六壬心鏡』の注文の引く所の『越覆經』に見える。
蛇貴后陰 丑寅卯辰 龍蛇貴常 鬼 壬午 常 朱子 巳玄 酉丑寅午 財 戊寅 貴 合亥 午常 丑巳午辛 父 甲戌 勾 戌酉申未 勾龍空虎
天地盤:貴人は寅に起きて十二天將は逆行す――寅上「貴人」、丑上「螣蛇」、子上「朱雀」、亥上「六合」、戌上「勾陳」、酉上「青龍」、申上「天空」、未上「白虎」、午上「太常」、巳上「玄武」、辰上「太陰」、卯上「天后」。天盤の排布(天盤は地盤より八位進む)は前面の李都尉が賊を占ふ一課と相同じく、四月の用ゐる所の月將は申――此の盤と相合するはちょうど申將を子時に加ふる。子時は夜に屬す――ゆえにここに用ゐるは夜貴人の寅にして、しかもあの一あの一課は晝貴人の午を用ゐたり――故に天將は全然同じからず。四課は右から左へ:第一課、午が辛に加はる。第二課、寅が午に加はる。第三課、丑が巳に加はる。第四課、酉が丑に加はる。上神の天將は依次は酉上青龍・丑上螣蛇・寅上貴人・午上太常。三傳:初傳午(壬午、此の本は官鬼と標し、太常に乘る)、中傳寅(戊寅、妻財、貴人に乘る)、末傳戌(甲戌、父母、勾陳に乘る)。
范蠡對曰:今課上勝光克下,產男矣。後鄭妃果產男也。
范蠡が回答して言う:如今此の一課は上神の勝光(午火)が下神を克す――上強く下弱し――男を生ずる象なり。その後鄭妃は果たして男孩を生んだ。
愚按:越覆經久已遺失,今課經集載丁丑日酉將子時,巳加酉為用,上是旺火克下死金,上強下弱,故決生男。如秋占,火囚氣,課皆陰,則未然也。予不知御青先生所集出於何書。至袖中經所引,日辰、月將、正時與心鏡注同,至以巳加酉為用,則又錯也,餘不敢以之為據,而附塔式之於此。
程樹勳案:『越覆經』は早已に亡佚した。如今『課經集』の載する所は丁丑日・酉將子時で、巳を以て酉に加へて發用と爲し、上神は旺火・下神は死金――上強く下弱し――ゆえに男を生ずと斷定す。倘くし秋天に占はば、火は囚氣に處り、四課はまた皆陰に屬す――すなわち此の如く斷ずべからず。我は郭御青先生の輯したる此の一條は究竟どの部の書より出づるかを知らず。『袖中經』の引く所に至っては、日辰・月將・正時は皆『心鏡』の注文と相同じなれど、それは巳を以て酉に加へて發用と爲す――それはまた錯れり。我は敢へてそれを拿りて依據と爲さず、姑く此の課式をここに附錄す。
