Libo

乙未日馮允升が刑獄を占う(六壬指南)

清 · 程树勋 · 第30巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

丙子三月乙未日己卯時,御馬監太監馮允升被逮,刑部已定重闢,求占。指南。 后陰 貴子丑寅卯玄 六陰空蛇 子 甲午 空 蛇亥 辰常 酉寅午亥 財 辛丑 后 朱戌 巳虎 寅未亥乙 官 丙申 勾 六酉申未午空 勾龍

丙子年三月の乙未日己卯時、御馬監の太監の馮允升が逮捕せられ、刑部はすでに死罪を定め、吉凶を求めて占う。此の例は『六壬指南』より採る。この日は三月の戌将を卯時に加え、天盤の諸支は地盤より七位進む。卯時は昼に属し、乙日の昼貴は子で、貴人の乗ずる天盤の子は地盤の巳に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は天盤の子を乗せて地盤の巳に臨み、天后は丑を乗せて午に臨み、太陰は寅を乗せて未に臨み、玄武は卯を乗せて申に臨み、太常は辰を乗せて酉に臨み、白虎は巳を乗せて戌に臨み、天空は午を乗せて亥に臨み、青竜は未を乗せて子に臨み、勾陳は申を乗せて丑に臨み、六合は酉を乗せて寅に臨み、朱雀は戌を乗せて卯に臨み、螣蛇は亥を乗せて辰に臨む。四課は右から左へ:乙木の寄宮は辰に在り、辰上に亥を得るは第一課。亥上に午を得るは第二課。日支の未上に寅を得るは第三課。寅上に酉を得るは第四課。上神は依り次ぎて螣蛇・天空・太陰・六合を乗せる。三伝は午・丑・申:初伝の午火は天空を乗せ、遁干は甲で、「子孫」である。中伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛で、「妻財」である。末伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、「官鬼」である。

陳公獻曰:必遇恩宥,仍拔重用之兆。蓋以日主皇恩,支見天赦(春三月天赦在寅,此不必以太寅為天赦也),又太歲貴人生日,罪雖至重,亦能轉凶為吉。傳將遞生,初末引從子命(子命上見未,初末午申拱之),定主上臺推薦。果五月奉旨熱審,開豁謫戍,發京營立功,後監洪黑二將及予追剿,有功復職。

陳公献が言う:この人は必定恩赦に遇い、さらに起復・重用の兆あり。日干上に「皇恩」の神を帯び、日支の上神の寅はまた「天赦」(春季三月の天赦は寅に在り、此の処は太歳の寅を用いて天赦を当るに拘泥せず)に因る。加えるに丙子年の太歳の子は貴人を乗せて日干を生扶する。罪名は極めて重しといえども、また凶を転じて吉と為し得る。三伝は午火が丑土を生じ、丑土が申金を生じ、天将もまた順次に相生す。初伝の午と末伝の申は一前・一後に、彼の本命の子の上神の未を当中に夾拱す(本命の子上に未を見、初末の午申が恰好拱き住む)。「引従」の格を成し、必定上台の大員が出面して挙薦するあり。後に果たして五月に旨を奉じて熱審し、重罪を開釈して改めて謫戍に判じ、京営に発して功を立てしめた。此の後に彼は洪・黒の两位の将領を監領し、私と同じく追剿し、功に因って職に復した。

乙未日戚司宗が失機・重辟を占う(六壬指南)

登州戚都司諱司宗者因失機已定重闢八載,占吉凶若何,年月日時同。指南。 后陰 貴子丑寅卯玄 六陰空蛇 子 甲午 空 蛇亥 辰常 酉寅午亥 財 辛丑 后 朱戌 巳虎 寅未亥乙 官 丙申 勾 六酉申未午空 勾龍

登州の都司の戚司宗は軍機を貽誤したに因って死罪を定められ、すでに八年関押せられた。吉凶は如何と占い問うた。用いる所の年月日時は上の一課と同じ。此の例は『六壬指南』より採る。だから課式は一に前の例に如し:天盤の諸支は地盤より七位進み、貴人は天盤の子を乗せて地盤の巳に臨み、天后は丑を乗せて午に臨み、太陰は寅を乗せて未に臨み、玄武は卯を乗せて申に臨み、太常は辰を乗せて酉に臨み、白虎は巳を乗せて戌に臨み、天空は午を乗せて亥に臨み、青竜は未を乗せて子に臨み、勾陳は申を乗せて丑に臨み、六合は酉を乗せて寅に臨み、朱雀は戌を乗せて卯に臨み、螣蛇は亥を乗せて辰に臨む。四課は右から左へは亥が乙に加わり(乙の寄宮は辰)、午が亥に加わり、寅が未に加わり、酉が寅に加わり、上神は依り次ぎて螣蛇・天空・太陰・六合を乗せる。三伝は午・丑・申:初伝の午火は天空を乗せ、遁干は甲で、「子孫」と為る。中伝の丑土は天后を乗せ、遁干は辛で、「妻財」と為る。末伝の申金は勾陳を乗せ、遁干は丙で、「官鬼」と為る。

陳公獻曰:六月遇赦,轉凶為吉。緣長生臨身(亥為木長生,臨日故也,此不以長生坐墓看。),天赦加支,況太歲貴人俱作恩星,罪雖重,亦減輕矣。尤可喜者,傳將遞生,初末暗拱未命(此又不以拱上神論。),仍有公卿推薦,他日出仕之象也。果六月奉命熱審,豁罪謫戍,發京營立功處贖,後辛巳年升甘肅鎮中軍參將。

陳公献が言う:六月裏に赦免に遇い、凶を転じて吉と為す。長生の神が日身に臨むに因る(亥は木の長生で、また正に日干の上に臨む。ここは「長生が墓に坐す」のあの一層に照らして看ない)、天赦の神は日支に加わる。まして太歳と貴人とはみな恩星を充当する。罪名は重しといえども、また軽減するを要す。ことさら喜ばしいは三伝と天将とが層層に相生し、初伝の午と末伝の申とが暗暗に彼の本命の未を夾拱す(ここはまた上神を拱くのあの説に照らして論じない)。なお公卿の挙薦あり、日后に再度出仕するの象である。後に果たして六月に命を奉じて熱審し、罪名を開脱して改めて謫戍に判じ、京営に発して功を立てて罪を贖わしめた。さらに後に辛巳年に甘粛鎮の中軍参将に升任した。

丙申日

丙申日劉太史が枚卜を占う(六壬指南)

崇正丁丑八月丙申日巳將巳時,浣中劉太史占楚省袁副鯨及同鄉鄭大司空、玄嶽兩先生枚卜果否。指南。 虎常 空巳午未申玄 玄玄空空 比 乙巳 空 青辰 酉陰 申申巳巳 財 丙申 玄 勾卯 戌后 申申巳丙 父 壬寅 六 六寅丑子亥貴 朱蛇

崇禎丁丑年八月の丙申日、巳将を用いて巳時に加えて課を起し、浣中の劉太史が湖広の袁副鯨および同郷の鄭大司空(工部尚書)・玄岳の两位先生が廷推して閣に入りて事を成し得るかを占った。此の例は『六壬指南』より採る。月将と時辰とが同位で、天盤と地盤とが完全に相重なるは、「伏吟」課である。巳時は昼に属し、丙日の昼貴は亥で、貴人は地盤の亥に臨みて陽方に属し、天将は順布す:貴人は亥を乗せ、螣蛇は子を乗せ、朱雀は丑を乗せ、六合は寅を乗せ、勾陳は卯を乗せ、青竜は辰を乗せ、天空は巳を乗せ、白虎は午を乗せ、太常は未を乗せ、玄武は申を乗せ、太陰は酉を乗せ、天后は戌を乗せる。天盤がすでに地盤と相同じれば、各将もまた各々本支に臨む。四課は右から左へ:丙火の寄宮は巳に在り、巳上はなお巳で、第一課。巳上に巳を得るは第二課。日支の申上はなお申で、第三課。申上に申を得るは第四課。上神は依り次ぎて天空・天空・玄武・玄武を乗せる。三伝は巳・申・寅で、伏吟の自刑を取って成る:初伝の巳火は天空を乗せ、丙の「比肩」で、また丙日の禄神で、恰恰旬空に落つ(丙申日は甲午旬に属し、空亡は辰巳に在る)。中伝の申金は玄武を乗せ、遁干は丙で、「妻財」である。末伝の寅木は六合を乗せ、遁干は壬で、「父母」で、寅はまた申日の駅馬である。

陳公獻曰:兩公俱不能入相,且主臺省彈劾而回。何也?蓋三傳遞互刑剋,全無和洽之氣,剛日伏吟見馬,歸象已現。此非臺省有言而何?後兩公枚卜不果,袁公當被參去,鄭公為欽仵 獄擬罪而歸。因鄭命見地網日墓,是以罹禍尤重。

陳公献が言う:两位はともに閣に入り得ず、しかも主に科道・台省に参劾せられて回るべし。何を以て見えるか。三伝は巳が申を刑し、申が寅を刑し、遞相に刑克して、全く和洽の気なし。丙は剛日でまた伏吟に逢い、課中にまた駅馬を現出す。帰去の象はすでに顕露した。これは台省が話すべきあるにあらずしてまた何ぞ。後に两位の廷推は果たして成功せず、袁公は参劾せられて職を去り、鄭公は欽案に因って獄に下り、罪を拟して帰った。鄭公の本命上に地網を見また日墓を見るに因り、遭う所の禍はことさら重し。

凡占仕,三傳遞克是大凶之象。此課縱發用德祿月將,但旬空乘空,空之極矣。此太陽又非在夜方,但竟一毫無用,可見月將不空之說,大謬也,切記,切記!由課推論鄭率嶽為戌年生,陰神戌乘天后,戌為地獄,戌為陰暗滯凝之神,黑暗何如之也。

およそ仕途を占うに、三伝が遞相に克伐するはみな大凶の象である。この課の発用は日徳・日禄にして兼ねて月将であるけれども、巳はすでに旬空に落ち、また天空を乗せ、空は極処に到った。この時太陽は並みに夜方に行らず、却って竟に一点の用処もなし——「月将は空に落ちず」の説の大いに錯り誤れるを見べし。切に記れ、切に記れ。さらに課象に由って推論す:鄭率岳(すなわち前の言う所の玄岳先生)は戌年の生まれで、本命の陰神の戌上は天后を乗せ、戌は地獄の位で、また陰暗にして凝滞する神で、あの一份の黑暗は想い知るべし。

丙申日伊秀才が父の病を占う(方本占案・口鑑)

建炎己酉年十月丙申日寅將寅時,伊秀才占父病,父丙辰生六十四歲。方本占案 口鑑。 六朱 陳巳午未申蛇 龍辰 酉貴 蛇蛇陳陳 兄 空巳 陳 空卯 戌后 申申巳巳 財 丙申 蛇 虎寅丑子亥陰 申申巳丙 父 壬寅 虎 常玄

建炎己酉年十月の丙申日、寅将を用いて寅時に加えて課を起し、伊秀才が父親の病を占った。父は丙辰年生まれ、六十四歳。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。月将と時辰とが同位で、天盤と地盤とが相重なり、なお「伏吟」課である。寅時は夜に属し、丙日の夜貴は酉で、貴人は地盤の酉に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せ、螣蛇は申を乗せ、朱雀は未を乗せ、六合は午を乗せ、勾陳は巳を乗せ、青竜は辰を乗せ、天空は卯を乗せ、白虎は寅を乗せ、太常は丑を乗せ、玄武は子を乗せ、太陰は亥を乗せ、天后は戌を乗せる。各将はみな本支に臨む。四課は右から左へ:丙の寄宮は巳で、巳上はなお巳で、第一課。巳上に巳を得るは第二課。日支の申上はなお申で、第三課。申上に申を得るは第四課。上神は依り次ぎて勾陳・勾陳・螣蛇・螣蛇を乗せる。三伝は巳・申・寅:初伝の巳火は勾陳を乗せ、正に旬空に落ち、「兄弟」である。中伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「妻財」である。末伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、「父母」である。

邵彥和曰:此課自本身傳歸妻宮,妻宮又傳歸父母,六旬向上人,占病不宜見父母。蓋父母既故,故是下世重見父母也。行年與本身並(六十四歲行年在巳,巳既丙,丙為本身,故云行年與本身並。然則的是六十四歲)。

邵彦和が言う:この課は日干の本身より妻宮に伝わり、妻宮はまた父母爻に伝わり帰る。六十歳より上の人が病を占うは、最も父母爻を見るを忌む——父母はすでに早く亡故したれば、さらに父母爻を見れば、すなわち陰間に到りて父母と重逢するの意である。彼の行年はまた本身と相并す(六十四歳の行年は正に巳に在り、巳は丙の寄宮で、丙はすなわち本身。だから行年が本身と相并すと言う。これに由ってもまた確かに六十四歳と断じ得る)。

因財上及舊事不足,酉年以申財為病符,病符主舊事,的是己酉年占,其本命定丙午年。以致傷心。中間又是財爻入課,必是財切,兼與妻不足,遂激成病。末傳生氣,此課本主未死,緣父母宮艮山墳,左邊地風吹骨轉,右邊白蟻又入棺,若急移墳,可以延年。否則歸冥矣。

病根は銭財と旧事の上の心に遂わざるに出ず:酉年は申中の財を以て「病符」と為し、病符は旧事の牽纏を主る。確かに己酉年の占したであるを見べく、彼の父親の本命は当に丙午年に定まるべし。これらの事のために心を傷めた。課中にまた財爻が課に入るを見るは、必ず銭財が喫緊し、兼ねて妻子と和せず、おって激して疾病を成した。末伝の寅木は丙火の生気で、この課はもともと死に至らざる。ただ父母の墳が艮方の山上に在り、左辺に地風ありて骸骨を吹きて転覆せしめ、右辺にまた白蟻ありて棺木に進んだ。もし肯んで趕緊に墳を遷さば、なお年を延ばすべし。否ずればすなわち陰に帰せんと要す。

伊父之病,因為子娶婦囊空,不順意、煩心,遂心熱致渴成病,日漸狼狽,兼子又無書舍,愈增煩悶。先生令其移墳,渠及移利方,移意遂決。及開棺視之,則地風吹棺中骸骨顛倒,白蟻滿棺,泥土淤塞,於是易棺移葬,病日漸退,從此安好。次年其子又得一好書舍,雍容而過,安樂八十歲方卒。

伊秀才の父親の病は、起因は息子に嫁を娶るに替わりて銭囊を花空したことで、事事順わず、心中煩悶し、おって心火が上炎し、口渴して病を成し、一日ごとに狼狽した。加えるに息子にまた読書の屋舎なきは、さらに煩悩を添えた。邵先生が彼に墳を遷せと叫ぶと、彼は便ち墳を有利の方位に遷し往き、遷葬の主意はおって定まった。棺を開いて一看するを待ちて、果たして地風が棺中の骸骨を吹きて顛倒せしめ、白蟻は棺に満ち、泥土は淤塞した。おって棺を換え改葬し、病は一日ごとに退き去り、これに従い安好した。第二年に彼の息子はまた一処の好き書房を得、日を過ること従容にして、老人は安楽に八十歳に到って初めて去世した。

愚蓋丙日寅為父母爻,上見白虎,定是父母墳不安。六旬人見父爻,本不利。然寅為丙之長生,故得不死,而以父母墳斷也。白蟻之凶,乘白虎也。此伏吟上下皆父母,非他占可單用也。余按寅木主風,故云風吹骨轉。因占病又占出墳墓不吉之論,論得病源由。說出墳墓之災。

程樹勲が按ずる:丙日は寅を以て父母爻と為し、寅上にまた白虎を見るは、父母の墳墓が安からざると断定す。六十歳以上の人が父母爻を見るはもともと不利であるけれども、しかし寅は正に丙火の長生なので、なお死に至らず。因りて転じて父母の墳上より断ず。白蟻のこの凶象は、寅上の乗ずる白虎より来る。此の課は伏吟で、上下みな父母爻で、他の占法のごとく単に一処を取りて用いるべきに似ず。私は別に按ず:寅木は風を主る。だから地風が骸骨を吹きて転覆せしむと言う。病を占うに因って連帯して墳墓の不吉を占い出すの議論は、すでに病を得る根由を論明し、また墳墓の災患を説き出す。

丙申日祝泌が国事・辺事・歳事を奏卜す(一針見血)

淳祐壬寅年正月丙申日,宣諭卜今年國事、邊事、歲事。一針見血。 六朱 陳巳午未申蛇 龍辰 酉貴 蛇蛇陳陳 兄 空巳 陳 空卯 戌后 申申巳巳 財 丙申 蛇 虎寅丑子亥陰 申申巳丙 父 壬寅 虎 常玄

淳祐壬寅年正月の丙申日、皇帝の宣諭を奉じ、今年の国事・辺事と年成とを占卜した。此の例は『一針見血』より採る。課式は前の例と同じく、なお天地盤の相重なる「伏吟」課である:貴人は酉を乗せ、螣蛇は申を乗せ、朱雀は未を乗せ、六合は午を乗せ、勾陳は巳を乗せ、青竜は辰を乗せ、天空は卯を乗せ、白虎は寅を乗せ、太常は丑を乗せ、玄武は子を乗せ、太陰は亥を乗せ、天后は戌を乗せる。各将はみな本支に臨む。四課は右から左へは巳が丙に加わり(丙の寄宮は巳)、巳が巳に加わり、申が申に加わり、申が申に加わり、上神は依り次ぎて勾陳・勾陳・螣蛇・螣蛇を乗せる。三伝は巳・申・寅:初伝の巳火は勾陳を乗せ、旬空に落ち、「兄弟」と為る。中伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「妻財」と為る。末伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、「父母」と為る。

祝泌奏曰:伏吟主靜中有動者,大類去年如宰執之除及邊郡之驚。太乙為月德、日德,六陽既極之地,應有變,而二德神在焉,比國之有道也?次傳今日支上見騰蛇,屬丁為正月天德,臣今為國家占課,則日支為宅,乃宮禁所也。天德之神未奏福,宜有喜慶事。終傳功曹,即今歲之君,其位為今日之日本,主事之先兆。

祝泌が奏上して言う:伏吟の課は静中に動あるを主り、よく去年のよう、すでに宰執大臣の任免あり、また辺郡の驚擾あり。初伝の巳(十二神の中で「太乙」と名づく)はすでに月徳でまた日徳で、巳は六六陽の窮極の地に居り、もともと変を生ずべきところ、而して両重の徳神が恰恰ここに落つるは、国家に道あるの象に比す。中伝は今日の日支の申で、上は「螣蛇」を乗せる。螣蛇は丁を配し、丁は正月の天徳である。臣は如今国家のために課を起こすに、日支はすなわち宅で、指す所は正に宮禁の在る所である。天徳の神はなお福慶を呈露して出さず、正に喜慶の事あるべし。末伝の寅(十二神の中で「功曹」と名づく)はすなわち今年壬寅の太歳の君で、その位置はまた正に今日の丙火の本根の長生で、事を主るの先兆である。

白虎為兵撓,臣言兵來有驚亦與此合,然白虎之金安能當丙午之火?宜可屈折不為害。申主粟麥,巳主禾三谷,有德神臨之,當收成。寅主荳,不能免白虎之災恐收少薄耳。

白虎は兵戈の擾動を主り、臣の言う所の兵が来て驚あるも、またこれと相合す。しかし白虎の属する金は、いずくんぞ丙午の火に当り得ん。当にそれを挫折して下すべく、害を成すに致らず。申は類神の裏で粟麦を主り、巳は禾稲などの三穀を主り、みな徳神の臨照あり。今年は当に収成あるべし。寅は豆類を主る。白虎の災を免れず、恐らくは収ること少なく薄きのみ。

丙申日阮実夫の燕京の索占(六壬指南)

崇正丁丑四月丙申日酉將酉時,阮實夫在燕京索占,不言所事。指南。 六朱 勾巳午未申蛇 蛇蛇勾勾 兄 乙巳 勾 青辰 酉貴 申申巳巳 財 丙申 蛇 空卯 戌后 申申巳丙 父 壬寅 虎 虎寅丑子亥陰 常玄

崇禎丁丑年四月の丙申日、酉将を用いて酉時に加えて課を起し、阮実夫が北京に在りて占を求めたが、却って問う所の何事かを説かなかった。此の例は『六壬指南』より採る。月将と時辰とが同位で、天盤と地盤とが相重なるは、「伏吟」課である。酉時は夜に属し、丙日の夜貴は酉で、貴人は地盤の酉に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せ、螣蛇は申を乗せ、朱雀は未を乗せ、六合は午を乗せ、勾陳は巳を乗せ、青竜は辰を乗せ、天空は卯を乗せ、白虎は寅を乗せ、太常は丑を乗せ、玄武は子を乗せ、太陰は亥を乗せ、天后は戌を乗せる。各将はみな本支に臨む。四課は右から左へは巳が丙に加わり(丙の寄宮は巳)、巳が巳に加わり、申が申に加わり、申が申に加わり、上神は依り次ぎて勾陳・勾陳・螣蛇・螣蛇を乗せる。三伝は巳・申・寅:初伝の巳火は勾陳を乗せ、丙の「兄弟」で、また丙日の禄神であるが、却って正に旬空に落つ(丙申日は甲午旬に属し、空亡は辰巳に在る)。中伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「妻財」である。末伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、「父母」で、寅はまた申日の駅馬である。

陳公獻曰:仕途得此,主有臺省參劾,秋解任去,然繫何命?曰癸酉。此公必居相位,但不久矣。以太陽日貴臨命(月將從魁乘貴人居酉命),非相而何?獨嫌遞克伏吟丁馬,定有參劾行動之事。況太陽西墜,揮戈返景有幾人乎:後知為烏程溫首揆,占後果被論,秋月準馳驛而歸。(任信丁馬須言動,三傳遞克眾人欺,所以斷為參劾行動。)

陳公献が言う:官を為る人がこの一課を得るは、主に科道・台省の参劾あり、秋天に任を解きて去らんと要す。また何の本命かと問う。答えて癸酉と曰う。この公は必定身に相位に居るが、ただ坐すること長久からざるのみ。太陽の月将と日貴とがみな彼の本命上に臨むに因る(月将の酉は十二神の裏で「従魁」と名づき、貴人を乗せて正に酉の命に居る)。宰相にあらずしてまた何ぞ。ただ三伝の遞相克伐を嫌い、また伏吟に逢い、なお丁神と駅馬とを帯び、必定参劾と行動との事あるべし。まして太陽はすでに西に墜ち、魯陽の戈を揮い日を返照せしむる能くするはまた幾人か。後に初めて占う所は烏程の温体仁首輔と知り、占い過ぐる後に果たして弾劾せられ、秋天に乘駅して郷に還るを獲准した。(およそ丁神・駅馬に遇えば便ち動の象を断ずるを須い、三伝が遞克すればすなわち衆人が相欺く。だから参劾・行動と断ず。)

戊日伏吟,三傳遞克而克干。丙日伏吟,三傳遞克卻不克干。惟丙申日,從干上發傳遞克至寅,實沖申支。干為我,支為人,此旬欲參人之象,應在溫體仁與張漢儒密謀卸錢謙益、瞿式耜也。錢有金傍,耜亦金器,皆應申金之支,故也。體仁擬旨逮治,謙益求解於大司禮監曹化淳。體仁知之,遂並罪化淳,此應寅為曹姓也。

戊日が伏吟を得るは、三伝は遞相克伐し并且日干に克して到る。丙日が伏吟を得るは、三伝は遞克するといえども日干に克して到らず。ただ丙申日のみ、日干の寄宮上より伝を発し、一路に遞克して末伝の寅に到り、而して寅は恰好日支の申を冲す。干は自己を代表し、支は他人を代表す。この一旬は正に自己が他人を参劾せんとするの象で、温体仁と張漢儒とが密謀して銭謙益・瞿式耜を排擠したこの事の上に応ず。銭の字は金旁を帯び、耜もまた金属の農具で、いずれも申金の日支上に応ず。温体仁は旨を拟して逮捕して罪を治め、銭謙益は司礼監の大太監の曹化淳に向かって解を求め、温体仁は之を知って、便ち曹化淳を一倂に罪に加えた。これは寅が曹姓を主る上に応ず。

殊不知,寅乘白虎及遁壬水克干,此應化淳自請案治,得溫張密謀伏上之,帝命漢儒立枷死。六月,體仁乃引疾歸。踰年,太歲在寅,體仁亦死。此虎乘遁鬼之為害大也。況日祿既空,青龍又空,安得不罷?欲害人而適以害之,觀此課象,可以知成也。夫六壬之細微曲中,有如是神奇也。

却って知らず寅上は白虎を乗せ、遁ずる所の壬水はまた頭を回らして日干を克す。これは曹化淳が反過って自らこの案を査辦せんことを請い、温・張の密謀の実情を査り得て皇上に呈報し、皇帝が下令して張漢儒を枷を立てて処死せしめた上に応ず。六月裏に温体仁は便ち病を称して郷に還った。一年を過ぎて、太歳は寅に行り到り、温体仁もまた死した。これがすなわち白虎が遁干の鬼を乗せて為害の極めて大なるの例である。まして日禄の巳はすでに空亡に落ち、青竜の乗ずる辰もまた空亡に落つ。どうして官を罷めざるを得よう。もともと人を害せんと欲して、恰恰自分を害した。この一課の課象を看れば、成敗はみな預知すべし。六壬の学の入微・曲尽すること、竟にこのような神奇あり。

丙申日施主簿が前程を占う(口鑑・方本占案)

建炎戊申年九月十五丙申日辰將丑時,施主簿(乙亥年七月初二日亥時生,三十四歲)占前程。口鑑 方本占案。 貴后 蛇申酉戌亥陰 朱未 子玄 虎陰陰蛇 財 丙申 蛇 六午 丑常 寅亥亥申 鬼 己亥 陰 陳巳辰卯寅虎 亥申申丙 父 壬寅 虎 龍空

建炎戊申年九月十五日の丙申、辰将を用いて丑時に加えて課を起し、施主簿(乙亥年七月初二日亥時生まれ、三十四歳)が前程を占った。此の例は『口鑑』と『方本占案』より採る。天盤の諸支は地盤より三位進む。丑時は夜に属し、丙日の夜貴は酉で、貴人は天盤の酉を乗せて地盤の午に臨みて陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せて午に臨み、螣蛇は申を乗せて巳に臨み、朱雀は未を乗せて辰に臨み、六合は午を乗せて卯に臨み、勾陳は巳を乗せて寅に臨み、青竜は辰を乗せて丑に臨み、天空は卯を乗せて子に臨み、白虎は寅を乗せて亥に臨み、太常は丑を乗せて戌に臨み、玄武は子を乗せて酉に臨み、太陰は亥を乗せて申に臨み、天后は戌を乗せて未に臨む。四課は右から左へ:丙火の寄宮は巳に在り、巳上に申を得るは第一課。申上に亥を得るは第二課。日支の申上に亥を得るは第三課。亥上に寅を得るは第四課。上神は依り次ぎて螣蛇・太陰・太陰・白虎を乗せる。三伝は申・亥・寅:初伝の申金は螣蛇を乗せ、遁干は丙で、「妻財」である。中伝の亥水は太陰を乗せ、遁干は己で、丙火を克して「官鬼」と為る。末伝の寅木は白虎を乗せ、遁干は壬で、「父母」である。日支の申は日干の寄宮の巳の上に加え到るは、支が来て干に就くで、課の名は「贅婿」である。

邵彥和曰:支來就干,為干所克,其人無正宅,多在寺觀及外處居住,或在妻家。蓋課名贅婿,所以無正居也。傳見蛇虎必多喪服,將來終於曹職。末傳寅作虎,終於水邊作州府職官而已。其後果丁父母四喪,果於甲子年授江陰軍知錄,己巳有事矣。

邵彦和が言う:日支が来て日干に就き、また日干に克せられる。この人は正経の住宅なく、多半は寺観あるいは外郷に寄居し、然らざればすなわち妻家に住む。課の名が「贅婿」と名づくに因り、だから固定の居所なし。三伝の裏に螣蛇と白虎とを見るは、必定多く丧服を穿く。将来の官職は終究ただ曹掾の一類の属官に過ぎず。末伝の寅木は白虎を乗せ、最後はただ水に臨む州府の裏で一個の職事官を為すのみ。後に彼は果たして父母などの四場の丧事に遭遇し、果たして甲子年に江陰軍の知録に授せられ、己巳年に到って便ち事を出した。

愚按:蓋宅加日受克,宅上見亥,金反去生亥,安得正宅?末寅生於亥,丙生於寅,為水邊州府也。寅為曹職,今知錄亦然。大凡占官,寅申為遷轉之神,既為蛇虎所撓,故止於知錄。

程樹勲が按ずる:宅爻(日支)が日干の上に加わりてまた日干に克せられ、宅上に見ゆるは亥水で、申金は反して亥を生ず。いずくんぞなお正経の住宅あらん。末伝の寅木は亥に長生し、丙火はまた寅に長生するので、水に臨む州府と言う。寅は類神の裏で曹掾の職を主り、知録の一職もまたこの一類に属す。大抵官を占うに、寅・申は遷転を主る神で、ここはすでに螣蛇・白虎に撓せられたれば、だから官位はただ知録に到って止まる。

丁酉日

丁酉日劉経歴が梁大司馬の冢宰に推せんことを占う(六壬指南)

崇正辛未三月丁酉日卯時,劉經歷占梁大司馬推冢宰可允否。指南。 朱六 蛇子丑寅卯勾 貴龍陰六 鬼 己亥 貴 貴亥 辰青 亥辰酉寅 比 甲午 虎 后戌 巳空 辰酉寅丁 子 辛丑 朱 陰酉申未午虎 玄常

崇禎辛未年三月の丁酉日卯時、劉経歴が梁大司馬(兵部尚書)が冢宰(吏部尚書)に推挙せられて獲准し得るかを占った。此の例は『六壬指南』より採る。三月は戌将を用いて卯時に加え、天盤の諸支は地盤より七位進む。卯時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の辰に臨みて陽方に属し、天将は順布す:貴人は亥を乗せて辰に臨み、螣蛇は子を乗せて巳に臨み、朱雀は丑を乗せて午に臨み、六合は寅を乗せて未に臨み、勾陳は卯を乗せて申に臨み、青竜は辰を乗せて酉に臨み、天空は巳を乗せて戌に臨み、白虎は午を乗せて亥に臨み、太常は未を乗せて子に臨み、玄武は申を乗せて丑に臨み、太陰は酉を乗せて寅に臨み、天后は戌を乗せて卯に臨む。四課は右から左へ:丁火の寄宮は未に在り、未上に寅を得るは第一課。寅上に酉を得るは第二課。日支の酉上に辰を得るは第三課。辰上に亥を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・太陰・青竜・貴人を乗せる。三伝は亥・午・丑で、位を逐いて退行す:初伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、丁火を克して「官鬼」と為る。中伝の午火は白虎を乗せ、遁干は甲で、丁と同類にして「比肩」と為り、午はまた丁の禄神である。末伝の丑土は朱雀を乗せ、遁干は辛で、「子孫」である。

陳公獻曰:不惟不遷,尋常退位。蓋日馬坐墓庫,祿神臨絕地,傳將又逆行故耳。況命上官貴履天羅,年上蛇做日鬼,交夏月應有一番風波。幸官鬼俱空,官祿退位卻無大咎。後以浙省大行水公參劾,請告而退。東省萬公名應斗者,在辰時壬申又占此,亦逮問擬罪而回。

陳公献が言う:但だ升って上がり得ざるのみならず、なお平白に位を退かん。日辰の駅馬の亥が墓庫の辰上に坐し、禄神の午が絶地の亥上に臨み、三伝と天将とがまたみな逆行するの縁故である。まして本命上の官星と貴人とが「天羅」の地に踏み、行年上は螣蛇を乗せてまた日鬼を充当する。一たび夏月に交ればすなわち一番の風波あるべし。幸いなるに官爻・鬼爻はみな空亡に落つる。官禄は位を退くといえども、倒れて大禍なし。後に浙江の大行の水公の参劾に因って、彼は假を請いて引退した。山東の万公・名は応斗は、辰時の壬申にまたこの一課を占い得て、また逮問せられて罪を拟して帰るを被った。

丁酉日曽応遴が明日雪あるか否かを占う(六壬指南)

丁丑年十二月丁酉日卯時,曾應遴先生,因雪後天氣昏沉,占明日有雪否。指南。 青空 勾卯辰巳午虎 六寅 未常 空常勾空 子 辛丑 朱 朱丑 申玄 巳未卯巳 比 乙巳 空 蛇子亥戌酉陰 未酉巳丁 比 乙巳 空 貴後

丁丑年十二月の丁酉日卯時、曽応遴先生は雪後に天色が昏沈するに因り、明天さらに雪が落ちるか否かを占った。此の例は『六壬指南』より採る。十二月は丑将を用いて卯時に加え、天盤の諸支は地盤より両位退く。卯時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の丑に臨みて陽方に属し、天将は順布す:貴人は亥を乗せて丑に臨み、螣蛇は子を乗せて寅に臨み、朱雀は丑を乗せて卯に臨み、六合は寅を乗せて辰に臨み、勾陳は卯を乗せて巳に臨み、青竜は辰を乗せて午に臨み、天空は巳を乗せて未に臨み、白虎は午を乗せて申に臨み、太常は未を乗せて酉に臨み、玄武は申を乗せて戌に臨み、太陰は酉を乗せて亥に臨み、天后は戌を乗せて子に臨む。四課は右から左へ:丁火の寄宮は未に在り、未上に巳を得るは第一課。巳上に卯を得るは第二課。日支の酉上に未を得るは第三課。未上に巳を得るは第四課。上神は依り次ぎて天空・勾陳・太常・天空を乗せる。第一課と第四課とが重複し、四課はただ三課を成す。おって「別責」の法を取りて伝を立つ:初伝の丑土は朱雀を乗せ、遁干は辛で、「子孫」で、丑はまた正に本月の月将の太陽である。中伝・末伝はみな干の上神の巳を取り、天空を乗せ、「比肩」である。

斷曰:明日無雪且有日色。太陽發用,乘朱雀乃南方火之精也。且三傳四課純陰,陰極陽生,必有日所;至庚日未時有暴風起,酉為風殺,未為風伯,酉與未會故也。又日祿乘白虎加庚,上下克戰,故有此應。

断辞に言う:明天は雪を下さず、しかも太陽を出さん。発用の初伝の丑は正に月将の太陽で、上にまた「朱雀」を乗せ、朱雀は南方の火の精気である。加えるに三伝・四課はみな陰神で、陰は極処に到れば便ち転じて陽を生じ、必定日頭を見ん。庚日の未時に到りて一陣の暴風を起こさん。酉は風殺で未は風伯で、酉と未とが相会するの縁故である。また丁日の禄神の午は白虎を乗せ、申(庚金の位)の上に加わり、上下相克して交戦す。だからこの一応験あり。

丁酉日郭御青が子息を占う(郭氏占案)

壬申年 月丁酉日  將占子息。郭氏占案。 青空 勾卯辰巳午虎 六寅 未常 空常勾空 子 辛丑 朱 朱丑 申玄 巳未卯巳 比 乙巳 空 蛇子亥戌酉陰 未酉巳丁 比 乙巳 空 貴後

壬申年某月の丁酉日、某将を時に加えて子嗣を占う(底本は月份と月将との両処に空缺を留め、填めず)。此の例は『郭氏占案』より採る。課式は前の一例と同じ:貴人は天盤の亥を乗せて地盤の丑に臨み、螣蛇は子を乗せて寅に臨み、朱雀は丑を乗せて卯に臨み、六合は寅を乗せて辰に臨み、勾陳は卯を乗せて巳に臨み、青竜は辰を乗せて午に臨み、天空は巳を乗せて未に臨み、白虎は午を乗せて申に臨み、太常は未を乗せて酉に臨み、玄武は申を乗せて戌に臨み、太陰は酉を乗せて亥に臨み、天后は戌を乗せて子に臨む。四課は右から左へは巳が丁に加わり(丁の寄宮は未)、卯が巳に加わり、未が酉に加わり、巳が未に加わり、上神は依り次ぎて天空・勾陳・太常・天空を乗せる。四課は全からず、なお「別責」の法を取り、初伝の丑土は朱雀を乗せ、遁干は辛で、「子孫」で、中・末の両伝はみな干の上神の巳を用い、天空を乗せ、「比肩」である。

郭御青曰:壬申年,東鹿李望川者,為餘占子息,是年餘傷子即己巳所生者。李斷此課巳空,即主所傷之子。天上日寄未臨酉,土金相生,又遁干丁,巳火土相生,乃真父子相見。酉年必得子。果於癸酉年十一月得子,李斷亦奇妙矣,附此。且課名別責,亦棄先而科後望之意。愚按:中末空亡,生子不能長大,此前人所未發。余屢回試驗知之,幫特附記於此。

郭御青が言う:壬申年、東鹿の李望川が私のために子嗣を占った。この年に私は一人の息子を丧い、すなわち己巳年に生ずる所のあれである。李望川はこの課の巳が空亡に落つるを断じ、正に丧う所のこの息子の身上に応じた。天盤上の日干の寄宮の未は地盤の酉上に臨み、土金は相生し、未はまた丁干を遁じ得、巳火・土と層層に相生す。正に父子が真個に相見るの象で、酉年に必定子を得ん。後に果たして癸酉年十一月に子を得、李望川の断じたもまた奇妙と算うべく、これに因ってここに附記す。まして課の名が「別責」と名づくも、また先に在るを捨棄して指望を後頭に放くの意を含む。程樹勲が按ずる:中伝・末伝はみな空亡に落つ。生み下る孩子は養い大きくし得ず。この一層は前人の曾て説き破らざる所で、私は屢次試験して初めて知り、だから特にここに附記す。

丁酉日甲申生まれの人が求財を占う(方本占案・口鑑)

丙辰年五月十八日丁酉日申將未時甲申生人三十三歲占求財。方本占案 口鑑。 常玄 虎午未申酉陰 空巳 戌后 貴蛇朱六 鬼 己亥 貴 龍辰 亥貴 亥戌酉申 鬼 庚子 后 陳卯寅丑子蛇 戌酉申丁 子 辛丑 陰 六朱

丙辰年五月十八日の丁酉、申将を用いて未時に加えて課を起し、甲申年生まれ・三十三歳の人が財を求めるを占った。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より一位進む。未時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の戌に臨み、戌は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は亥を乗せて戌に臨み、天后は子を乗せて亥に臨み、太陰は丑を乗せて子に臨み、玄武は寅を乗せて丑に臨み、太常は卯を乗せて寅に臨み、白虎は辰を乗せて卯に臨み、天空は巳を乗せて辰に臨み、青竜は午を乗せて巳に臨み、勾陳は未を乗せて午に臨み、六合は申を乗せて未に臨み、朱雀は酉を乗せて申に臨み、螣蛇は戌を乗せて酉に臨む。四課と三伝とに注する所の天将は正にこの一套で、盤図上の標出する天将の次序は却ってこれと相反す。当に四課・三伝および断語を以て準と為すべし。四課は右から左へ:丁の寄宮は未で、未上に申を得るは第一課。申上に酉を得るは第二課。日支の酉上に戌を得るは第三課。戌上に亥を得るは第四課。上神は依り次ぎて六合・朱雀・螣蛇・貴人を乗せる。三伝は亥・子・丑で順次に相連なるは、「進茹」である:初伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、丁を克して「官鬼」と為る。中伝の子水は天后を乗せ、遁干は庚で、また「官鬼」である。末伝の丑土は太陰を乗せ、遁干は辛で、「子孫」で、丑はまた財神の申金の墓庫である。

邵彥和曰:進連茹三傳皆鬼,只喜日上人財,而辰上作六害。日上申加丁作六合,支上戌加酉作蛇,六合乃卯,蛇乃巳,此是卯與戌合,巳與申合,又末見財之庫,三傳雖鬼,只是少阻無妨,此是來往故事,再三方得。本命行年俱在傳課,又本命作財,必主喜兆非鬼兆也。

邵彦和が言う:三伝の亥子丑は「進連茹」で、三伝はまたみな官鬼を作す。幸いなるに日干の上神は財爻で、日支上は則ち六害を構成す。日干上の申金は丁上に加わりて「六合」を乗せ、日支の酉上の戌は「螣蛇」を乗せる。六合は地支で卯に属し、螣蛇は地支で巳に属し、正好卯と戌とが相合し、巳と申とが相合す。末伝の丑はまた財神の申金の墓庫である。だから三伝は鬼といえども、また過ぎて略く阻滞するのみで、大局を妨げず。これは旧有の往来の老事で、再三に張羅して初めて手に到るを得す。彼の本命の申と行年の戌とはみな課伝の中に落ち、本命の申はまた正に財爻で、必定は喜兆にして鬼兆にあらず。

丁酉日江文老が家宅を占う(方本占案・口鑑)

建炎戊申年七月十五丁酉日午將辰時,江文老占家宅。方本占案 口鑑。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 陰貴貴朱 財 丁酉 朱 空巳 子后 丑亥亥酉 官 己亥 貴 虎辰卯寅丑陰 亥酉酉丁 子 辛丑 陰 常玄

建炎戊申年七月十五日の丁酉、午将を用いて辰時に加えて課を起し、江文老が家宅を占った。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。天盤の諸支は地盤より両位進む。辰時は昼に属し、丁日の昼貴は亥で、貴人は天盤の亥を乗せて地盤の酉に臨み、酉は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は亥を乗せて酉に臨み、螣蛇は戌を乗せて申に臨み、朱雀は酉を乗せて未に臨み、六合は申を乗せて午に臨み、勾陳は未を乗せて巳に臨み、青竜は午を乗せて辰に臨み、天空は巳を乗せて卯に臨み、白虎は辰を乗せて寅に臨み、太常は卯を乗せて丑に臨み、玄武は寅を乗せて子に臨み、太陰は丑を乗せて亥に臨み、天后は子を乗せて戌に臨む。四課は右から左へ:丁火の寄宮は未に在り、未上に酉を得るは第一課。酉上に亥を得るは第二課。日支の酉上に亥を得るは第三課。亥上に丑を得るは第四課。上神は依り次ぎて朱雀・貴人・貴人・太陰を乗せる。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は朱雀を乗せ、遁干は丁で、「妻財」である。中伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、丁火を克して「官鬼」と為る。末伝の丑土は太陰を乗せ、遁干は辛で、「子孫」である。

邵彥和曰:汝家中所奉之神非正,乃邪也。是獨足五通之類。與正神相反,獨足亦是自為禍,侵淫了少女,又壞你一缸醬,兼蛇入宅也。是時江氏供一五通神,損折一足,只一足在。

邵彦和が言う:なんじの家裏の供奉する神は正神にあらず、邪神で、独脚の「五通」のこの一類に属す。それは正神と相反し、独脚は本身すなわち自ら禍祟を作し得る:すでに家中の少女を侵擾し、またなんじの一缸の醤を壊し、さらに蛇の屋に進んだことあり。当時江家は果たして一尊の五通神を供え、神像は一只の脚を折損し、ただ一足のみ残す。

蓋酉為五通,丁只一足,雀乃午也。七月尚是午將,將下見酉,乃醬也。丁主怪異壞物,課中有酉丑會起巳,巳臨門,故主蛇入宅。酉又為兌,兌少女也。故主侵淫少女。丁以酉為妻,丁主獨足,故主妻生獨足兒。

酉が類神の裏で五通を主り、丁の字はただ一足のみ有り、朱雀の配する所の地支は午であるに因る。七月はなお午将を用い、午将の下に酉を見、酉は醤を主る。丁神は怪異を主り、器物を毀壊するを主る。課中に酉と丑とが相会して巳を引動し、巳は門戸に臨む。だから蛇が宅に進むを主る。酉は八卦で兌に属し、兌は少女と為る。だから少女を侵擾するを主る。丁は酉を以て妻と為し、丁はまた独足を主る。だから妻子が独脚の孩子を生み下るを主る。

丁酉日童秀才が官訟を占う(方本占案・口鑑)

童秀才壬戌生四十七歲占官訟同得此課。方本占案 口鑑。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 陰貴貴朱 財 丁酉 朱 空巳 子后 丑亥亥酉 官 己亥 貴 虎辰卯寅丑陰 亥酉酉丁 子 辛丑 陰 常玄

童秀才は壬戌年生まれ・四十七歳、官司を占い、またこの一課を得た。此の例は『方本占案』と『口鑑』より採る。課式は前の例と同じ:貴人は天盤の亥を乗せて地盤の酉に臨み、螣蛇は戌を乗せて申に臨み、朱雀は酉を乗せて未に臨み、六合は申を乗せて午に臨み、勾陳は未を乗せて巳に臨み、青竜は午を乗せて辰に臨み、天空は巳を乗せて卯に臨み、白虎は辰を乗せて寅に臨み、太常は卯を乗せて丑に臨み、玄武は寅を乗せて子に臨み、太陰は丑を乗せて亥に臨み、天后は子を乗せて戌に臨む。四課は右から左へは酉が丁に加わり(丁の寄宮は未)、亥が酉に加わり、亥が酉に加わり、丑が亥に加わり、上神は依り次ぎて朱雀・貴人・貴人・太陰を乗せる。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は朱雀を乗せ、遁干は丁で、「妻財」と為る。中伝の亥水は貴人を乗せ、遁干は己で、「官鬼」と為る。末伝の丑土は太陰を乗せ、遁干は辛で、「子孫」と為る。

邵彥和曰:晝貴在夜,夜貴在晝,謂之貴人失位,不宜訟,必主斷理不明。今貴人差迭,主以財結托,及暗通貴人關節。酉作雀,徒然結托,必主又換衙門。行年寅,又為今日父母,主吏人及尊長為鬼。蓋不合寅反加鬼鄉故也。官斷不明,末傳太陰故也。以後彼必葬老陰人於內,太陰作丑為墓故也。童有房賣田並山,其兄應分取贖,弟反增高價,遂訟於官,買主繫童秀才之姑,自戊申至辛亥六月姑死,彼家果扛姑葬於內,而贖不得。

邵彦和が言う:昼貴人は却って夜間に現出し、夜貴人は却って白天に現出す。これを「貴人の位を失う」と名づく。訟を興すに宜しからず、必定理を断ずること明ならず。如今貴人は錯雑し、銭財を用いて往きて結托し、暗に貴人の関節に通ずるを主る。酉上は朱雀を乗せ、白々しく結托の一場で、必定さらに衙門を改換せんと要す。行年は寅に在り、寅はまた今日の父母爻で、吏員と尊長とが反って鬼と成るを主る——寅はもともと反して鬼郷の上に加わるべからざるに因る。官司の断じ明ならざるは、末伝の太陰の縁故である。此の後に彼の家は必定一位の年老いた婦人をあの塊の地裏に葬らん。太陰の乗ずる丑が正に墓庫なので。童家に房ありて連れて田と山とを売り出さんと要し、彼の哥哥はもともと産を分けて贖を取るべきところ、弟弟は反って価銭を抬高し、おって官府に告げた。買主は童秀才の姑母で、戊申年より辛亥年六月に姑母は死し、あの家の人は果たして姑母を抬げて往きて裏面に葬り、房産もまた贖い回る能わず。

丁酉日事を占う(指帰霊文論)

五月丁酉日午將辰時占事。指歸靈文論。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 陰貴貴朱 財 丁酉 朱 空巳 子后 丑亥亥酉 官 己亥 貴 虎辰卯寅丑陰 亥酉酉丁 子 辛丑 陰 常玄

五月の丁酉日、午将を用いて辰時に加えて課を起し、来人の為す所の何事かを占った。此の例は『指帰霊文論』より採る。課式は前の両例と同じ:貴人は天盤の亥を乗せて地盤の酉に臨み、螣蛇は戌を乗せて申に臨み、朱雀は酉を乗せて未に臨み、六合は申を乗せて午に臨み、勾陳は未を乗せて巳に臨み、青竜は午を乗せて辰に臨み、天空は巳を乗せて卯に臨み、白虎は辰を乗せて寅に臨み、太常は卯を乗せて丑に臨み、玄武は寅を乗せて子に臨み、太陰は丑を乗せて亥に臨み、天后は子を乗せて戌に臨む。四課は右から左へは酉が丁に加わり、亥が酉に加わり、亥が酉に加わり、丑が亥に加わり、上神は依り次ぎて朱雀・貴人・貴人・太陰を乗せる。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は朱雀を乗せて「妻財」と為り、中伝の亥水は貴人を乗せて「官鬼」と為り、末伝の丑土は太陰を乗せて「子孫」と為る。貴人の在る所を以て界と為し、初伝の酉は貴人の前に在り、末伝の丑は貴人の後に在る。

斷曰:初傳在天乙前,末傳在天乙後,此名傳陽入陰必主旦暮有奴僕,附書信而至,何也?酉在天乙前為奴,在天乙後為婢(愚按:此論諸家所無)。今酉在天乙前又並朱雀,故也。天乙在酉主門戶動搖,又得傳陽入陰,故主外來書信立至。

断辞に言う:初伝は天乙貴人の前に在り、末伝は天乙貴人の後に在る。これを「伝陽して陰に入る」と名づく。必ず早晚の間に奴僕が書信を帯びて到来するを主る。何故か。酉は天乙の前に在れば奴を主り、天乙の後に在れば婢を主る(程樹勲が按ずる:この一説法は各家にみななし)。如今酉は天乙の前に在り、また朱雀のこの文書を主る神を併せる。だからこのよう。天乙は酉位に落つるは、門戸の動揺を主る。また伝陽して陰に入るを得る。だから外来の書信の立刻に到るを主る。

丁酉日郭彦和が継子を占う

己酉年十月二十二丁酉日寅將子時,郭彥和壬午生二十八歲占繼子。 蛇貴 朱未申酉戌后 六午 亥陰 常陰陰龍 財 丁酉 貴 陳巳 子玄 丑亥亥酉 鬼 己亥 陰 龍辰卯寅丑常 亥酉酉丁 子 辛丑 常 空虎

己酉年十月二十二日の丁酉、寅将を用いて子時に加えて課を起し、郭彦和は壬午年生まれ・二十八歳、過継ぎして来た息子を占った。天盤の諸支は地盤より両位進む。子時は夜に属し、丁日の夜貴は酉で、貴人は天盤の酉を乗せて地盤の未に臨み、未は陰方に属し、天将は逆布す:貴人は酉を乗せて未に臨み、天后は戌を乗せて申に臨み、太陰は亥を乗せて酉に臨み、玄武は子を乗せて戌に臨み、太常は丑を乗せて亥に臨み、白虎は寅を乗せて子に臨み、天空は卯を乗せて丑に臨み、青竜は辰を乗せて寅に臨み、勾陳は巳を乗せて卯に臨み、六合は午を乗せて辰に臨み、朱雀は未を乗せて巳に臨み、螣蛇は申を乗せて午に臨む。四課は右から左へ:丁の寄宮は未で、未上に酉を得るは第一課。酉上に亥を得るは第二課。日支の酉上に亥を得るは第三課。亥上に丑を得るは第四課。上神は依り次ぎて貴人・太陰・太陰・太常を乗せる(四課の処の第一課の天将は底本は「竜」と刻するも、盤図・三伝および断語の言う所の「酉は貴人を作す」と合せず、当に貴人を以て是と為すべし)。三伝は酉・亥・丑:初伝の酉金は貴人を乗せ、遁干は丁で、「妻財」である。中伝の亥水は太陰を乗せ、遁干は己で、丁火を克して「官鬼」と為る。末伝の丑土は太常を乗せ、遁干は辛で、「子孫」である。

邵彥和曰:三傳干支,皆是貴人,此子恐日後必不服,而心有回家之意。酉作貴人,內中有丁,終主動。宅上又作中傳,丁絕於亥,丑權住腳,似乎尊閫不看顧他,惟有老陰人撫卹,終老陰人之世,他必去也。然此子不貴,吾兄年三十二上,自有子,三傳貴人太多,所以貴多不貴,兩頭不得也。

邵彦和が言う:三伝と日干・日支上とが処処みな貴人で、この過継ぎの息子は恐らく日后に一定管束に服さず、心裏に本家に回るの念頭を存する。酉上は貴人を乗せ、その中にまた丁神を蔵するは、終究に動を主る。日支の宅上の神はまた中伝を作した。丁火は亥に絶し、丑上に到って初めて勉强に脚を站まらせ得る。看れば家中の主母が彼を照管せんと肯んぜず、ただ一位の年老いた婦人が撫恤するに似たり。この老婦人が一たび過世すれば、彼は必定走らん。ただこの孩子もまた顕貴せざらん——なんじの兄長は三十二歳の上に、自然に親生の息子あるべし。三伝の貴人は太多く、貴が多すぎればかえって貴ならず、両頭ともに空に落つる。

子就父作貴人,支投干作貴人,可見此子不合留。丁以酉為妻,妻後自有子,故不看管他。彼乃去也酉乃丁之妻,亥乃酉之子,亥加酉上,故曰妻有子,三十二歲行年到酉乃應也。

息子が来て父に就きて貴人を作し、日支が日干に投向してもまた貴人を作す。この息子は留まるべからざるを見べし。丁は酉を以て妻と為し、妻子は日后に自ら子を生ぜん。だから彼を照管せず、彼はすなわち去る。酉は丁の妻で、亥は酉の生ずる所の子で、亥は酉上に加わる。だから妻子が息子あるべしと言う。三十二歳に到って行年は酉に走り到るは、正に応期である。

然宅中有上穹像,不合觸穢,所以缺子。又兼主山不合造豬圈,辱主氣,故不得子也。果有干亥山來近相沖,正是右脅下,主婦人墮胎,故無子。

しかし宅裏に上天の神像を供うるに、汚穢の冲犯を受くべからず。だから子を缺く。また主山の上に猪圈を修造すべからざるを加え、主気を褻瀆した。これに因って息子を得ず。後に查看すれば、果たして乾亥方の山の来ること太近くして相冲し、正に右脇の下に対し、婦人の胎を堕とすを主る。だから子なし。

蓋酉為貴人,一則支來就干,主子顯父母,二則遍地乃貴人,今亥為元穹,主觸穢;三乃鬼入宅,是主山來處不合豬圈汙穢,乃太陰為鬼也。丑為墓,加亥及干,丑乃丁之子孫,作土犯亥,故墓不利。若移了豬圈,及供上聖,自然有子矣。後果如所占。

酉上は貴人なので:一は日支が来て日干に就けば、息子が父母を顕耀するを主る。二は満盤みな貴人で、如今亥は上天を主り、汚穢に触犯せらるるを主る。三は鬼が宅に入るで、主山の来脈の処に猪圈の汚穢あるべからざるを指す。これは正に太陰が鬼を作す。丑は墓庫で、亥上に加わりてまた日干の上に加え到る。丑はもともと丁の子孫爻で、土に属して亥水を冲犯す。だから墳墓の上に不利である。ただ猪圈を移し去り、さらに上天の神像を供奉して妥当なれば、自然に息子あらん。後に果たして占う所と一様であった。

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