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癸未日、方五解元が子の病を占う

清 · 程树勋 · 第16巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

己酉年閏八月癸未日,辰將子時,方五解元己未生五十一歲,占子病,其子壬辰生十八歲。(一針見血)

己酉年閏八月の癸未日、辰を月将として子時に課を起こした。方家の五解元が息子に代わって疾病を占問した。方解元は己未年生まれで、占課の時五十一歳。この息子は壬辰年生まれで、当時十八歳である。本例は『一針見血』に見える。

空虎常武 酉戌亥子 貴常空朱 父 酉 空 ◎ 龍申 丑陰 卯亥酉巳 官 丁丑 陰 ⊙ 陳未 寅后 亥未巳癸 財 辛巳 朱 午巳辰卯 合朱蛇貴

課盤を平らに展開すると次のようになる。ここで「武」は玄武の略称、「陳」は勾陳の略称、「竜」は青竜の略称である。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が卯に臨むところから順に布列する:酉に天空、戌に白虎、亥に太常、子に玄武、丑に太陰、寅に天后、卯に貴人、辰に螣蛇、巳に朱雀、午に六合、未に勾陳、申に青竜。四課は右から左へ:第一課、日干の癸の寄宮は丑にあり、丑の上に巳を見、朱雀を乗ずる。第二課、巳の上に酉を見、天空を乗ずる。第三課、日支の未の上に亥を見、太常を乗ずる。第四課、亥の上に卯を見、貴人を乗ずる。三伝:初伝は酉で「父母」に属し、天空を乗せ、傍注の「◎」は旬空に落ちることを示す——癸未日は甲戌旬に属し、申・酉が空亡で、空亡の支は遁干を配することができないので、遁干の欄は空欄である。中伝は丑、遁干は丁で「官鬼」に属し、太陰を乗せ、傍に「⊙」の記号を加える。原書はこの記号の体例を説明していないので、ここではそのまま写して憶測の解釈を加えない。末伝は巳、遁干は辛で「妻財」に属し、朱雀を乗ずる。

邵彥和曰:日上見巳,巳者嗣也。宅上見亥,亥者孩也。孩與嗣自是相同。奈癸水絕在巳,是嗣自絕也。日上既見絕,而初中空亡。末傳仍歸於此,且帶驛馬,主死後再來,來了又死。故令政不宜懷孕,若懷孕,是此子託生也。此時若出繼與人,即非他絕,或可不死。

邵彦和が断じて言う:日干の上神に巳を見る。巳は「嗣」と同音で、子嗣を表す。日支の宅の上に亥を見る。亥は「孩」と同音で、孩児を表す。孩と嗣はもともと同じことである。惜しいことに癸水の十二長生はちょうど巳に絶する。これが子嗣自身が断絶する象である。日干の上にすでに「絶」を見、初伝はまた空亡に落ち(中間の一層も空に牵连する)、末伝はなおもこの巳の位に帰り、しかも駅馬を帯びている。駅馬は奔走往来を主る。合わせて見れば、この子は死んだ後また投生しに来て、来てはまた死ぬ。だから令夫人は懐妊すべきではない。もし懐妊すれば、まさにこの子が胎を借りて托生するのである。この時もし彼を他家に出継させれば、自家のこの一脈が絶えるのではないので、あるいは死なずに済むかもしれない。

愚按即非他絕四字,殊不可解。蓋出繼與人,以應己與嗣絕之意雲而。方解元之次子名寄哥,往年一病,死而復生,今又病,故來占,解元之妻鍾愛,不肯繼與弟家。八日外果死,半日又甦。至十一月二十三日,再病而死。其時方妻已懷孕十月。當日未時即差一男,揣其事蹤,似乎寄哥之託也。

編者の程樹勲が按ずる:原文の「即非他絶」という四字はとても説きにくい。おそらくは、子を他家に出継して、これをもって自家がこの子嗣と断絶するという意に応えさせるだけの意味であろう。方解元の次男は幼名を寄哥といい、先年大病をして、一度死んでまた生き返ったことがある。今回また病に罹ったので課を占いに来た。解元の妻はこの子を可愛がって、弟の家に出継させることを肯んじなかった。八日後に果たして息絶えたが、半日過ぎてまた蘇生した。十一月二十三日に至って、再び発病して死んだ。その時方解元の妻はすでに十月を懐妊していて、ちょうどこの日の未時(午後一時から三時)に男子を産んだ。この事の来龍去脈を推し究めると、まさに寄哥が転生して托生したようである。

夫初傳空亡是先來空也,遇日二課為傳是去空也,末傳又來干上是復來投胎也,不合日上見巳為嗣,支上又見亥為孩,是重來為嬰孩也。

課理をもう一層透徹して言う:初伝が空亡に落ちるのは、前の一度が来てまた空しく去ったことである。中間に日干の二課の神を取って伝に入れるのは、その空の状態を送り出すことである。末伝がまた日干の頭上に帰るのは、まさに再び投胎しに来る象である。折あしく日干の上神に巳を見、巳は「嗣」に諧音して子嗣を主り、日支の上にまた亥を見、亥は「孩」に諧音して孩児を主る——二つが相合して、死んだあの子が再び帰って来て嬰孩となるのである。

癸未日、葉秀才が交易を占う

庚戌年八月癸未日,辰將戌時,葉秀才乙亥生三十六歲,占交易。(一針見血)

庚戌年八月の癸未日、辰を月将として戌時に課を起こし、葉秀才が一件の交易が成就するかどうかを占問した。この人は乙亥年生まれで、占課の時三十六歳。本例は『一針見血』に見える。

空虎常玄 亥子丑寅 朱常常朱 官 癸未 朱 龍戌 卯陰 未丑丑未 官 丁丑 常 勾酉 辰后 丑未未癸 官 癸未 朱 申未午巳 合朱蛇貴

月将の辰を戌時に加えると、天盤と地盤はちょうど六位で相冲し、「返吟」課である。課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が巳に臨むところから順に布列する:亥に天空、子に白虎、丑に太常、寅に玄武、卯に太陰、辰に天后、巳に貴人、午に螣蛇、未に朱雀、申に六合、酉に勾陳、戌に青竜。四課は右から左へ:第一課、日干の癸の寄宮は丑、丑の上に未を見、朱雀を乗ずる。第二課、未の上に丑を見、太常を乗ずる。第三課、日支の未の上に丑を見、太常を乗ずる。第四課、丑の上に未を見、朱雀を乗ずる。未と丑は互いに对冲して往復して加臨し、まさに返吟の往返の象である。三伝:初伝は未、遁干は癸で「官鬼」に属し、朱雀を乗ずる。中伝は丑、遁干は丁で「官鬼」に属し、太常を乗ずる。末伝は未、遁干は癸で「官鬼」に属し、朱雀を乗ずる。三伝はすべて身を克する官鬼である。

邵彥和曰:辰來就日,日去就辰,來來往往,三傳行年又在此上,但以多者為議事之處。末傳更歸行年,又在日上。初間文書自我處發去不遂了,卻又發來。我今又從整頓去,今取入手。雖然成就,畢竟內有弊病,不合又作太常。鬼並在此,又防有反覆,然必竟無害。

邵彦和が断じて言う:これは返吟課で、日支の神が来て日干に就き、日干の神がまた去って日支に就き、両方が往来する。三伝と占者の行年もみなこれらの字の上に落ちている。およそこのような情形に遇えば、出現回数の多いその字をもって議事の所とする。末伝はまた行年に帰り、同時にすなわち日干の上神の位置でもある。だから断じる:初めは契約文書は我が方から発出され、事は成らず、相手方はまた文書を返して来た。今我が方が再び整え直して送れば、これで事を手に入れる。交易は成し遂げられるとはいえ、結局のところ中に瑕疵が隠れている——折あしくあの字の上にまた太常が乗り、太常は契券財帛を主り、官鬼もまたここに並ぶので、途中に反復があることをなお防がなければならない。ただし帰根すれば実質的な損害はない。

葉十七秀才,與李宅對換交易。葉宅先印契,李家退悔。葉宅又將別項田產賠,再做契據。前印契不用,卻印後來換者,所謂辰來就日,日去就辰。雖然反覆,畢竟事有濟也。

後に果たして応験した:葉家の排行十七のこの秀才は、李家と田産を交換する交易をした。葉家が先に契約に官印を用いたが、李家は反悔して認めなかった。葉家はやむなく別に一項の田産を出して補い、改めて契据を立てた。先に印を用いたあの契約は作廃して用いず、後で換えたこの一部を用いた。この一来一往は、まさに「支神が来て日干に就き、日干が去って支神に就く」という返吟の象に応えた。事は一再反復したが、最後には結局成し遂げられた。

丁丑、庚寅、甲申、癸未返吟,皆是辰來加日,日去就辰。惟此課皆是初末在日,偶然行年又並在日,一起有四事。他只有二件從我者是也。我遂終得此物,若其餘日辰及八專之類。從所乘者斷之,此又名上門亂首。大不利占病,初末並太常剋日,若占尊長病,是宅中已掛孝矣。不可救無疑。占訟乃彼來值我,若我是卑下,卻好攻之,不利尊長先起也。

付帯して返吟の類の課体の通例を説明する:丁丑・庚寅・甲申・癸未のこれらの日に返吟課を起こすのは、みな日支の神が日干の上に加わり、日干の神がまた去って日支に就く。ただ本課の特殊な点は、初伝と末伝がいずれも日干の頭上に落ち、また行年もたまたまいっしょに日干の上に落ちて、一ヶ所に四つの事が揃ったことである。他人が来て占えば、往々にして二件だけが我が方に順うのである。まさにこのため、我が方は最終的に争うこの物を得ることができる。その他の日辰や「八専」といった課体に至っては、その乗ずる天将を見て吉凶を断ずる。この種の課はまた「上門乱首」ともいい、病を占うには最も不利である:初伝・末伝が太常とともに日干を克すれば、もし尊長の病を占うなら、それは宅中にすでに孝布が掛かったのに等しく、疑いなく救い戻せない。もし官司を占うに用いれば、相手方が門を尋ねて来て我に撞見する。もし我が方の身分が卑下していれば、かえって主動して進攻するのに宜しいが、ただ尊長の一方が先に発難するには利しない。

癸未日、揚州の商人が部への赴きの吉凶を占う

乾隆己巳年巳月癸日,申將戌時,揚商因借河餉事赴部,戊子命人占吉凶。(牧夫占驗)

清乾隆の己巳年(乾隆十四年)巳月の癸日——本巻の体例に照らせばすなわち癸未日で、原文は一「未」字を脱している——申を月将として戌時に課を起こした。揚州の商人が河工の餉銀を借用した件で部に伝えられて対質することになり、戊子年生まれの人が彼のためにこの行の吉凶を占問した。本例は王牧夫の占験記録に出る。

朱蛇貴后 卯辰巳午 朱貴常空 財 辛巳 貴 合寅 未陰 卯巳酉亥 子 己卯 朱 勾丑 申玄 巳未亥癸 官 丁丑 勾 子亥戌酉 龍空虎常

課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が巳に臨むところから逆に布列する:卯に朱雀、辰に螣蛇、巳に貴人、午に天后、未に太陰、申に玄武、酉に太常、戌に白虎、亥に天空、子に青竜、丑に勾陳、寅に六合。四課は右から左へ:第一課、日干の癸の寄宮は丑にあり、丑の上に亥を見、天空を乗ずる。第二課、亥の上に酉を見、太常を乗ずる。第三課、日支の未の上に巳を見、貴人を乗ずる。第四課、巳の上に卯を見、朱雀を乗ずる。三伝:初伝は巳、遁干は辛で「妻財」に属し、貴人を乗ずる。中伝は卯、遁干は己で「子孫」に属し、朱雀を乗ずる。末伝は丑、遁干は丁で「官鬼」に属し、勾陳を乗ずる。

王牧夫曰:上明下暗,半路必回,天上好音?去吉來後果至半路得恩旨釋回。蓋癸為旬盡,亥為支盡,二盡相交,主災晦,癸即丑,丑乘勾陳,主身被留滯,喜太歲作德神發傳,占訟得此最美。

王牧夫が断じて言う:この課は上が明るく下が晦い。この人は半道まで行って必ず引き返し、天上から伝わる吉報がある(ここで底本は一字欠く)。行く時は凶険で帰りは平安である。後に果たして半道まで行って恩旨を受けて釈放されて帰った。このように断じたのは、癸は十干の最後の一位、亥は十二支の最後の一位で、二つの「尽きる」端が交わり、災厄晦気を主るからである。癸の寄宮はすなわち丑で、丑の上に勾陳を乗せ、勾陳は牽纏拘係を主るので、身が拘留されて滞ることを主る。喜ぶべきは太歳が化して徳神となって伝に入り発用したことで、官司を占ってこの種の格局に遇うのは最上である。

自己傳丑,乃自明傳夜,故曰上明下暗,丑卯巳為出戶,今自巳傳丑乃入戶之象。故主半路必回,太歲貴人作德神,故曰天上好音,又卯為朱雀作子孫救神也。其後果然,推而言之。癸未乃旬盡之日。明日甲申又即申將管事,時上見之申為儀神救解百事,況發用與之作合乎。四月巳為皇詔,又為德神,年上見之,吉無疑矣。

さらに細かく言う:三伝は巳から丑に伝わる(原文「自己伝丑」の「己」は「巳」の誤りであろう)。巳は白昼の位に属し、丑は夜半の位に属し、明から暗に入るので「上明下暗」と言う。丑・卯・巳が順に進むのは出門の象だが、今は反対に巳から丑に伝わるので、家に帰って門に入る象となる。だから半道で必ず引き返すと断じた。太歳と貴人が化して徳神となり、徳神は天から降るので「天上好音」と言う。中伝の卯にまた朱雀が乗り、朱雀は音信文書を主り、卯は癸日にとって子孫で、子孫は厄を解く救神である。後に果たしてその通りになった。さらに推し広める:癸未は一旬の最後の日で、翌日はすなわち甲申であり、申はまたまさに当令して事を主る月将である。時辰の上に見る申は「儀神」で、百事を救解できる。まして初伝の巳と申はまた巳申の合を結んでいる。四月の巳は類象の上で皇帝の詔書を主り、同時にまた徳神である。年の上にこれを見れば、吉利は疑いない。

巻之三・甲申日

甲申日、婚を占う

乾隆丙子年十月,甲申日寅將辰時,占婚。因路遇疑即此女,故占之。(牧夫占驗)

清乾隆の丙子年十月の甲申日、寅を月将として辰時に課を起こし、婚事を占問した。起因は占者が路上で一人の女子に遇い、彼女が家で議定したあの新婦ではないかと疑ったので、課を起こして測った。本例は王牧夫の占験記録に出る。

朱合勾龍 卯辰巳午 合龍玄后 子 ◎午 龍 蛇寅 未空 辰午戌子 財 壬辰 合 貴丑 申虎 午申子甲 兄 庚寅 蛇 子亥戌酉 后陰玄常

課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する:卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后、丑に貴人、寅に螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干の甲の寄宮は寅にあり、寅の上に子を見、天后を乗ずる。第二課、子の上に戌を見、玄武を乗ずる。第三課、日支の申の上に午を見、青竜を乗ずる。第四課、午の上に辰を見、六合を乗ずる。三伝:初伝は午で「子孫」に属し、青竜を乗せ、傍注の「◎」は旬空に落ちることを示す——甲申日は甲申旬に属し、午・未の二支が空亡で、空亡には遁干を配することができないので遁干の欄は空いている。中伝は辰、遁干は壬で「妻財」に属し、六合を乗ずる。末伝は寅、遁干は庚で「兄弟」に属し、螣蛇を乗ずる。

王牧夫斷曰:所遇之人在道路上,以子午辰戌干支並見也。書云:子午為道路,辰戌為倉卒,急遽之見也。午乘青龍,其女身長膚融赤而整齊,誠美婦耳,彼有夫,乃歸母家。所遇非是所定之女,然所定之女亦美而賢。以冬占,天后加子水色白而旺,故美;生干,故賢。

王牧夫が断じて言う:遇ったこの人は道路上で遇ったものである。課中の干支の上に子・午・辰・戌の四字がいっぺんに現れたからである。壬書に言う:子と午は道路を主り、辰と戌は倉促を主る。合わせればまさに匆促の間の一面の遇である。午の上に青竜が乗り、青竜は形貌端正を主るので、この女子は背が高く、肤色は紅潤で光があり、体態は整っていて、確かに美しい婦人である。しかし彼女にはすでに夫があり、この行は実家に帰るところである。こう見れば、路上で遇ったのは家で議定したあの女子ではない。ただ議定したあの一人も同じく美しくかつ賢い。冬月に課を起こすので論ずれば、天后が子水に加臨し、子は冬令に当たって旺し、水は白色を主り、色白くして気旺なので、彼女が美しく生まれたと断じる。子水はまた日干の甲木を生ずることができ、我を生ずる者は賢を主るので、彼女が賢恵だと断じる。

後娶歸,果非所遇者。何以知所遇之女有夫?午坐官鬼上耳。何以知其回母家?課得顧主,自內傳外。甲之寅,即干之身也。干支互乘三合,故因遇此婦。而後成婚,此婦乃引入桃源之仙客也。支上午為遇,申為道路,午加申為疑惑,以支神測之,亦如是也。

後に娶り入れたのは、果たして路上で遇ったあの一人ではなかった。何によって路上のあの女子にすでに夫があると知ったか。彼女を代表する午が官鬼の上に坐しているからで、官鬼は女命においてすなわち夫星である。何によって彼女が実家に帰ると知ったか。この課は「顧祖」の体を取り、気機が内から外へ伝わるのではなく本源に帰る象だからである。甲木の寄宮は寅にあり、寅はすなわち日干自身である。干と支が互いに三合の気を乗じているので、この路遇があった。そしてこの婚事はまさにこの婦に遇って後に成ったのであり、これでこの婦人は彼を桃源の仙境に導き入れる引路の仙客であったと分かる。さらに日支の上からもう一度験すれば:支の上の午は相遇を主り、申は道路を主り、午が申の上に加わればすなわち疑惑の象である——彼はまさに路上のこの女子が未婚妻かどうかを疑って課を起こしに来たのである——支神で測っても、得た結論は同じである。

甲申日、袖中の物を射覆する

順治庚寅年五月甲申日,未將酉時,司化南問袖中何物?射之。(指南)

清順治の庚寅年五月の甲申日、未を月将として酉時に課を起こした。司化南が物を袖の中に蔵し、袖の中に何を入れているかを問い、人に射覆の法で測らせた。本例は『指南』に見える。

朱合勾龍 卯辰巳午 合龍玄后 子 ◎午 龍 蛇寅 未空 辰午戌子 財 壬辰 合 貴丑 申虎 午申子甲 兄 庚寅 蛇 子亥戌酉 后陰玄常

未を酉に加えるのは前の課の寅を辰に加えるのと同じく天盤が地盤より二位退くので、課式は前条の婚を占った者とまったく同じである。課盤を平らに展開すると次のようになる:十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する——卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后、丑に貴人、寅に螣蛇。四課は右から左へ:日干の甲の寄宮は寅、寅の上に子を見て天后を乗ずる。子の上に戌を見て玄武を乗ずる。日支の申の上に午を見て青竜を乗ずる。午の上に辰を見て六合を乗ずる。三伝:初伝は午で「子孫」に属し、青竜を乗せ、傍注の「◎」は旬空の記である。中伝は辰、遁干は壬で「妻財」に属し、六合を乗ずる。末伝は寅、遁干は庚で「兄弟」に属し、螣蛇を乗ずる。

斷曰:此必文書之類。化南云:何以知之是文書,乞講一理。予曰:用東方朔射覆斷本課。三傳純陽,取遁申丁卯仰視丑字,陰神是亥,故取亥為初傳,三傳亥酉未,亥主圖書,又甲日文書爻。果透易書一冊。予曰:八十四頁。果然。袁天罡本課法斷:亦當以易書斷,青龍主文書,子又為文書,子午為易氣,即易書也。東方朔射覆之法,其書名為無移集,恐是後人託名耳。

断語に言う:袖の中に蔵したのは必ず文書の類の物である。司化南が問う:何によって文書と断定するのか、道理を一つ言ってほしい。私が答えて言う:ここで用いたのは東方朔に托名した射覆の断法である。本課の三伝・午・辰・寅は純粋に陽支なので、射覆の法に従って別に遁干と陰神を取って伝を起こす——遁により申・丁・卯を得、仰視して丑の字を得、丑の陰神は亥なので、改めて亥を取って初伝とし、射覆の三伝はすなわち亥・酉・未となる。亥は類象において図書典籍を主り、甲日はまた亥をもって文書の爻とする。後に開いて見ると、果たして一冊の『易』の書を抽き出した。私はまた言った:この書は八十四頁である。数えると果たして違わなかった。もし袁天罡の本課の断法に従って推しても、同じく『易』の書と断ずべきである:青竜は文書を主り、子もまた文書を主り、子と午が合して「易」の気機となる。まさに『易』の書である。東方朔の射覆の法について言えば、その書の名は『無移集』といい、おそらく後人が彼の名を仮託して書いたものであろう。

甲申日、官訟を占う

甲申日□將□時,占官訟。(一針見血)

ある甲申日に官司を占問した。原書のこの条は月将と時辰の二ヶ所がいずれも空白を留め、記していない。課盤から推算すると、天盤は地盤より二位進んで排布されている。本例は『一針見血』に見える。

空虎常玄 未申酉戌 后玄龍合 財 壬辰 合 龍午 亥陰 子戌午辰 子 ◎午 龍 勾巳 子后 戌申辰甲 鬼 甲申 虎 辰卯寅丑 合朱蛇貴

課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する:未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后、丑に貴人、寅に螣蛇、卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜。四課は右から左へ:第一課、日干の甲の寄宮は寅にあり、寅の上に辰を見、六合を乗ずる。第二課、辰の上に午を見、青竜を乗ずる。第三課、日支の申の上に戌を見、玄武を乗ずる。第四課、戌の上に子を見、天后を乗ずる。三伝:初伝は辰、遁干は壬で「妻財」に属し、六合を乗ずる。中伝は午で「子孫」に属し、青竜を乗せ、傍注の「◎」は旬空を示す。甲申旬に午・未が空亡なので遁干はない。末伝は申、遁干は甲で「官鬼」に属し、白虎を乗ずる。

斷曰:此課因爭產致訟,今又和而不解也。謂辰為日之財,上見六合夾克,必是同類爭競,又傳見午火青龍以制末傳申金白虎之日鬼,其事雖可了,奈申上戌作玄武,為午火所畏,而白虎後旺,其事必又發矣,戌乃寅之親,主親戚為害,寅加子,課傳有寅午戌,申子辰,一火一水爭鬥不已。其實合非全,故不能解也。

断語に言う:この官司は産業を争奪したために起こったので、目下は講和するとは言うものの、実はまだ真に了結していない。理由は:辰は日干の甲木の妻財で、辰の上にまた六合が来て夾克する。六合は我と同類で、必ず同宗同輩の人が財産を争奪しているのである。三伝の中に午火があって青竜を乗せ、午火は末伝の申金の白虎を克制することができる——申金はまさに日干の官鬼で、訟事の神である——だからこの案件は表面上は了結できるのである。奈何せん申の上にまた戌を見て玄武を乗せ、玄武は水に属し、まさに午火の畏れるところである。そして白虎の気は後ろで転じて旺となるので、この事は必ずまた再び発作する。戌は寅の親属の支で、親戚が中で横槍を入れて害を為すことを主る。寅はまた子の上に加わり、課伝の中に寅午戌の火局をも湊り出し、また申子辰の水局をも湊り出し、一火一水が互いに争闘して休まない。しかもこの二つの三合局は実はいずれも完全ではなく、合して全ならないので、事は結局解きほぐせない。

甲申日、王県丞が官職を占う

建炎戊申年五月初一甲申日,申將巳時,王縣丞丙寅生四十三歲,占官職。(口鑑、方本占案、捷要)

南宋高宗の建炎年号の下の戊申年(建炎二年)五月初一、ちょうど甲申日に当たり、申を月将として巳時に課を起こし、王県丞が自分の官職の前程を占問した。この人は丙寅年生まれで、占課の時四十三歳。本例は『口鑑』、方本『占案』と『捷要』に見える。

勾六 青申酉戌亥朱 后朱龍常 鬼 甲申 龍 空未 子蛇 寅亥申巳 父 丁亥 朱 虎午 丑貴 亥申巳甲 兄 庚寅 后 常巳辰卯寅后 玄陰

課盤を平らに展開すると次のようになる。ここで「六」は六合の略称、「青」「竜」はいずれも青竜を指す。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する:申に青竜、酉に勾陳、戌に六合、亥に朱雀、子に螣蛇、丑に貴人、寅に天后、卯に太陰、辰に玄武、巳に太常、午に白虎、未に天空。四課は右から左へ:第一課、日干の甲の寄宮は寅にあり、寅の上に巳を見、太常を乗ずる。第二課、巳の上に申を見、青竜を乗ずる。第三課、日支の申の上に亥を見、朱雀を乗ずる。第四課、亥の上に寅を見、天后を乗ずる。三伝:初伝は申、遁干は甲で「官鬼」に属し、青竜を乗ずる。中伝は亥、遁干は丁で「父母」に属し、朱雀を乗ずる。末伝は寅、遁干は庚で「兄弟」に属し、天后を乗ずる。

邵彥和曰:日上見巳作太常主兼職而費力。初傳官星主官職,中傳長生臨宅上,主上人垂顧而加俸,末傳寅臨亥名聲必達天庭,是費力而得便宜,勞苦中得遷轉,任滿入朝面君有內絳帳之榮矣。

宋代の六壬の名家・邵彦和が断じて言う:日干の甲木の上神は巳で、巳の上に太常を乗ずる。太常は職掌俸禄を主り、しかも甲木が巳火を生ずるのは、我が去ってそれを生ずるので、彼が別の差事を兼摂するとともに、このために気力を多く費やすと断じる。続いて三伝に従って層ごとに推断する:初伝は申で、申金が甲木を克するのはまさに日干の官星であり、官星は官爵職位を主るので、彼が必ず実缺の職任を得ると断じる。中伝は亥で、亥は甲木の長生の地であり、また日支の宅位の上に臨む。長生の気が宅に臨むので、上司が目をかけて庇護し、さらに俸禄を加えて発給することを主る。末伝は寅で、寅はすなわち甲木自身であり、それは亥位の上に臨む。亥はまた天門と称し、自身が天門に登るので、彼の名声が必ず朝廷に上達すると断じる。三伝を合わせて見れば、気力を尽くして費やして終に便宜を得て、労苦の中で遷転を得る。任が満ちた後に朝に入って天子に面見し、さらに宮禁の内で講学授徒して高く「絳帳」を設ける栄誉がある。

後王縣丞因知縣緣恩澤受財事發,遂得縣印,兩項職事悉皆了辦。見知上司,列薦奉旨。任滿日引之,遂得諸王官教授。

後に果たして応験した:王県丞のいる県の知県は、朝廷の恩沢の名目を借りて金銭を収受した事が露発して罷められ、王県丞はそこで県印を接管し、県丞と知県の二つの荷担をいずれも彼一人でちゃんと勤め上げた。彼はこのため上司に賞識され、名を列ねて保挙され、皇帝の旨意の嘉許を得た。任満の日に引見されて朝に入り、即座に諸王府の官学教授に任命された。

緣日上見巳,是甲木生巳火,故費力也,太常為職,巳為雙女,故曰兼職。申官臨於雙女之上,亦為兼職。青龍主喜慶,中傳亥與行年上亥,緣是長官之屬,亥為天庭,朱雀為舉薦,末傳寅為己身,下臨於長生之地,又登天門上,乘天后恩澤之神,同生甲與寅木,甲以亥為學堂,故為絳帳之職,在天門則為內絳帳也。甲木生巳火雖云費力,卻引出天后水及亥水之生,申官居巳長生上,又作青龍,所以費力中而內升也。

逐句その所以然を説明する:日干の上神が巳で、甲木が巳火を生じに行くのは我の気を泄すので、費力と言う。太常は職任を主り、巳は星次において「双女」宮に属し、一宮に双数を含むので、兼職と言う。初伝の申という官星はまたちょうど双女の巳の上に臨み、同じく兼職の象である。申の上に青竜を乗せ、青竜は喜慶陞遷を主る。中伝の亥は彼の行年の上の亥と同じで、亥は長官の類に属し、亥はまた天庭であり、亥の上に朱雀を乗せ、朱雀は章奏挙薦を主るので、上司の保薦があると断じる。末伝の寅は彼自身を代表し、下は亥という長生の地に臨み、また天門に登るので、寅の上に天后を乗せ、天后は恩沢を主る神で、甲木・寅木と同気相生する。甲木は亥をもって「学堂」とし、学堂は講授の職を主るので、「絳帳」の任と断じる。絳帳が天門の上に設けられれば、すなわち宮禁の内の絳帳となり、諸王府の教授の職である。甲木が巳火を生ずるのは費力とは言うものの、これによって天后の水と亥水を牽引し出して来て日干を回生し、官星の申はまた巳という自身の長生位に坐し、しかも青竜を乗ずるので、彼が費力の中で内擢陞遷を得ると断じたのである。

甲申日、汪五公が売買を占う

汪五公丁未生(生於七月初八日子時)六十二歲,占買賣,同得是課。(六壬斷案)

汪家の五公は丁未年生まれ(生辰は七月初八日の子時)、当時六十二歳で、売買の商いを占問し、起き出たのはちょうど前条の王県丞と同じこの課であった。本例は『六壬断案』に見える。

勾六 青申酉戌亥朱 后朱龍常 鬼 甲申 龍 空未 子蛇 寅亥申巳 父 丁亥 朱 虎午 丑貴 亥申巳甲 兄 庚寅 后 常巳辰卯寅后 玄陰

課盤は前条の王県丞が占ったものと一字も違わない。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が丑に臨むところから逆に布列する:申に青竜、酉に勾陳、戌に六合、亥に朱雀、子に螣蛇、丑に貴人、寅に天后、卯に太陰、辰に玄武、巳に太常、午に白虎、未に天空。四課は右から左へ:日干の甲の寄宮は寅、寅の上に巳を見て太常を乗ずる。巳の上に申を見て青竜を乗ずる。日支の申の上に亥を見て朱雀を乗ずる。亥の上に寅を見て天后を乗ずる。三伝:初伝は申、遁干は甲で「官鬼」に属し、青竜を乗ずる。中伝は亥、遁干は丁で「父母」に属し、朱雀を乗ずる。末伝は寅、遁干は庚で「兄弟」に属し、天后を乗ずる。両案で異なるのはただ年命だけである:王県丞は丙寅生まれで、本命の寅は末伝の長生の地に落ちる。汪五公は丁未生まれで、本命の未は空亡の天空位に落ち、行年はまた別に一重の耗気を添える。

邵彥和曰:如休染得許多紅紫,今已發變斑點,只好染皂青耳。汪公尚不覺,及開包裹看之,果然紅紫皆變色。汪公大驚曰:為之奈何?邵曰:不妨,十月染皂不折本,但滯得半年耳。

邵彦和が断じて言う:あなたが染め出したこれだけ多くの紅紫色の布帛(「如休」の二字は底本に誤りがあるらしい)は、今すでに斑点が泛き出て色が変わり、黒青系の皂色に染め直すほかない。汪公は初めはまだ異変を感じなかったが、包みを解いて見ると、果たして紅紫の品が全部変わっていた。汪公は大いに驚いて言った:これはどうしたらよいか。邵彦和が言うには:差し支えない、十月に皂色に染め直せば元を割ることはなく、ただ品が半年滞留するだけである。

日上見巳蝕甲,寅往亥上受生,未甚費力。今又添得行年上午火,便是兩火蝕一甲木,雖寅受生於亥,費有餘而得不足也。太常為繡綵衣帛,乘巳火為赤色,便是紅紫之類,太常乘巳加於寅,寅為虎,主斑點,作天后為改色。初傳官鬼破身傷財又立於耗盜之上,好在中傳亥來生甲,只宜染皂。以北方主黑,亥加申上,白而生黑,故為皂色。

道理を細かく言う:日干の上神に巳を見る。巳火は甲木の気を盗泄する、火が来て木を蝕むのである。末伝の寅は亥の上に至って生を受け、もともとそれほど費力ではない。今また彼の行年のある午火を添えれば、二重の火が一株の甲木を蝕むことになる。寅は亥から生を得てはいるが、終に花費が余って収穫が足りない。太常は類象において刺繍彩帛の衣料を主り、それは巳火を乗せ、巳火は赤色で、まさに紅紫の類の染め物である。太常が巳を乗せて寅の上に加臨し、寅は虎に属し、虎皮には紋があり斑点を主る。寅の上にまた天后を乗せ、天后は変改を主る。だから彩帛に斑点が起きて色が変わると断じた。初伝の申は官鬼で、身を破り財を傷つけ、しかも耗盗の神の位に立つ。幸いに中伝の亥水が帰って来て甲木を生ずるので、ただ皂色に染め直すのがよい——亥は北方に属し、北方は黒色を主る。亥はまた申の上に加わり、申は白である。白から黒を転じて生じるのはまさに皂色である。

州人仿他鋪,染暗青黑綠都不好,八九月亦不翻騰,汪公至十月染皂,市中頗有行情,果不折本。蓋末傳有寅生於亥上,中傳亥卻為旬丁主變動之神,末傳天后亦為皂色,又為婦人,以此,女人俱重此色衣服。亥為十月,信知造物亦有時也!可見六壬點驗之神與造物無間矣。

後に州の別の店が彼を真似て、暗青・黒・緑の幾色に染め替えたが、販路はいずれも良くなかった。八九月の間も市場にはずっと起色が見えなかった。汪公は十月まで待って皂を染め始め、市にはちょうど相場ができて、果たして元を割らなかった。その中の道理は:末伝の寅は亥の上で生じ、中伝の亥はまた本旬の「旬丁」で、旬丁は変動を主る神である。末伝の乗ずる天后も同じく黒皂の色を主り、天后はまた婦人を代表する。このため婦女たちはみなこの色の衣料を重視した。亥は月份の上でまさに十月である。天時造化にはおのずからその定期があることが分かる。これによっても、六壬の占験の神妙は造化の運行と毫も隔たりがないことが見える。

或問王縣丞與汪五公同月將日時,同得此課,何以王縣丞許其升遷,汪五公卻說絲帛變色?先生答曰:縣丞本命寅下臨長生,得恩澤之神,行年即是官星,在任者宜見之,必然升遷。汪公本命下臨魁罡,上得虛誕之神,行年添一盜氣,經濟者忌見之,必然敗壞,幸得寅加亥上,中傳亥又來生身,為不折本耳。

人が問うた:王県丞と汪五公は同じ月将・同じ日時を用い、起き出た課も全く同じなのに、なぜ王県丞には昇官と断じ、汪五公には絲帛の変色と断じたのか。邵彦和先生が答えて言う:王県丞は本命が寅にあり、寅は亥という長生の地に下臨し、また天后という恩沢を主る神を得ている。彼の行年はちょうど官星のあるところである。在任の官員がこの種の格局を見るのは最も相応しく、必ず陞遷する。汪五公の本命の未は魁罡の位に下臨し、上には天空という虚妄不実を主る神を得て、行年にまた一重の盗泄の気を添える。売買をする人が最も忌むのがこの種の格局を見ることで、必ず敗壊する。幸いに寅はなお亥の上に加わり、中伝の亥はまた帰って来て日干自身を生扶するので、到底元を割ることはないだけである。

甲申日・汪五公が売買を占う(前の課盤を承ける)

常巳辰卯寅后 玄陰

この二行は前の課盤を平らに展開した後に残った末尾で、天盤の上半と四課・三伝はいずれもこの段の前にある。地盤の寅・丑・子・亥の四位の上には順に天盤の巳・辰・卯・寅があり、巳の上に「太常」を乗せ、寅の上に「天后」を乗せる。末の一行の「玄」「陰」は辰・卯の二字の下に圧しており、すなわち辰の上に「玄武」を乗せ、卯の上に「太陰」を乗せる。この課は甲申日で、天盤は地盤より順に三位進む:四課は甲(寄宮は寅)の上に巳を見て太常を乗せ、巳の上に申を見て青竜を乗せ、日支の申の上に亥を見て朱雀を乗せ、亥の上に寅を見て天后を乗せる。三伝は申—亥—寅で、初伝の申は甲を遁して官鬼で青竜を乗せ、中伝の亥は丁を遁して父母で朱雀を乗せ、末伝の寅は庚を遁して兄弟で天后を乗せる。汪五公が六十二歳のこの年に売買を占って得たのはまさにこの課である。

邵彥和曰:如休染得許多紅紫,今已發變斑點,只好染皂青耳。汪公尚不覺,及開包裹看之,果然紅紫皆變色。汪公大驚曰:為之奈何?邵曰:不妨,十月染皂不折本,但滯得半年耳。日上見巳蝕甲,寅往亥上受生,未甚費力。今又添得行年上午火,便是兩火蝕一甲木,雖寅受生於亥,費有餘而得不足也。

邵彦和が言う:あなたはこれ以上あのような紅紫色の綢帛を染めてはいけない。今すでに斑点が起きて変色し、皂青に染め直すほかない。汪五公は初めは気づかなかったが、包みを開いて見ると、紅紫の生地は果たして全部色が変わっていた。汪公は大いに驚いて問うた:これはどうしたらよいか。邵彦和が言うには:差し支えない、十月に皂色に染め直せば損はせず、ただ半年品を滞留させるだけである。このように断じたのは:日干の上に巳火を見、巳は甲木の生ずるところで、反って甲木を泄耗する。末伝の寅木は中伝の亥水に至って生を受け、もともとそれほど費力ではない。しかし占者の行年の上にまた一重の午火を添え、二重の火が一株の甲木を消耗することになった。寅木は亥水の上で生を得てはいるが、終に花費が余って収得が足りない。

太常為繡綵衣帛,乘巳火為赤色,便是紅紫之類,太常乘巳加於寅,寅為虎,主斑點,作天后為改色。初傳官鬼破身傷財又立於耗盜之上,好在中傳亥來生甲,只宜染皂。以北方主黑,亥加申上,白而生黑,故為皂色。

「太常」という天将はもともと繍彩・衣帛を主り、それが巳火を乗せればすなわち赤色で、まさに紅紫の類の色に対応する。太常が巳を乗せて寅位に加わり、寅は虎に属し、虎紋は斑点を主り、寅の上にまた「天后」を乗せ、天后は水に属して来て火色を染めるので、変色を主る。初伝の申金は甲日の官鬼で、身を破り財を傷つけ、しかも耗盗の神の位に立つ。幸いに中伝の亥水が頭を回して来て甲木を生ずるので、ただ皂色に染め直すのがよい。皂色は北方の黒に属し、亥水が申金の上に加わり、金は白く水を生じて黒となるので、皂色と定めた。

甲申日・両父師が代わって陞遷を占う

辛未三月甲申日辛未時,萊陽運芝萊、吉安王旋官兩父師代占升遷,重審、玄胎,午未空、酉戌落空。   指南

辛未年三月の甲申日辛未時、莱陽の運芝莱と吉安の王旋官という両先生が人に代わって陞遷を占った。課体は「重審」に「玄胎」を兼ねる。甲申旬には午・未が旬空で、占時の酉・戌の两位も空に落ちる。この例は陳公献の『六壬指南』に出る。

勾六 青申酉戌亥朱 后朱龍常 鬼 甲申 龍 空未 子蛇 寅亥申巳 父 丁亥 朱 虎午 丑貴 亥申巳甲 兄 庚寅 后 常巳辰卯寅后 玄陰

この段は課盤を平らに展開した後の残留である:もともと円形の天地盤が、四課・三伝の三ブロックとともに一行に圧されて書かれている。天盤は地盤より順に三位進む——地盤の巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の上には順に天盤の申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未があり、乗ずる天将は順に青竜・勾陳・六合・朱雀・螣蛇・貴人・天后・太陰・玄武・太常・白虎・天空である。四課は右から左へ:第一課、日干の甲の寄宮は寅にあり、寅の上に巳を見、太常を乗ずる。第二課、巳の上に申を見、青竜を乗ずる。第三課、日支の申の上に亥を見、朱雀を乗ずる。第四課、亥の上に寅を見、天后を乗ずる。三伝は申—亥—寅:初伝の申は遁干が甲で、甲日には「官鬼」で青竜を乗ずる。中伝の亥は遁干が丁で「父母」、朱雀を乗ずる。末伝の寅は遁干が庚で「兄弟」、天后を乗ずる。

陳公獻曰:此課大吉,推升官爵必的。何以言之?課中龍常並見,城吏全逢,初傳青龍內戰,必有奇遇趨遷。中傳朱雀生日,公卿交譽。末傳驛馬德祿俱入天門,居官定然顯赫。寅為天吏,天后為恩澤,非天官而可?後屢旨另推七次,終點閔總憲為冢宰。然式中貴履地網,龍神下賊,主自欲退位,次年果請旨歸田。

陳公献が言う:この課は大吉で、彼が昇官進爵するのは必ず応験すると断じる。何によってこのように言うか。課中に青竜・太常が並んで現れ、「城」「吏」の両象が備わっている。初伝の申金は青竜を乗せて日干と内で相戦し、意外な機遇があって遷転を得ることを主る。中伝の亥水は日干の甲木を生扶し、公卿が口を揃えて称誉することを主る。末伝の寅木は駅馬であるとともに徳神・禄神を帯び、いっしょに亥位の天門に入る。官を為す者は必ず顕赫である。寅は「天吏」で、天后は恩沢の神である。これは朝廷の除授の官職でなくて何であろう。後に朝廷はたびたび旨を下して別に推挙させ、前後七回、最終的に総憲の閔某を点じて冢宰とした。しかし課式の中で貴人は地盤の戌位「地網」の上を踏み、青竜の乗ずる申金はまた下の巳火に克賊され、本人が自ら退位を望むことを主る。第二年に彼は果たして疏を上して旨を請い、老を告げて郷に帰った。

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