Libo

癸巳日李光倬が会場を占う(郭氏占案)

清 · 程树勋 · 第28巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

丁丑年二月癸巳日亥將卯時江右李君光倬占會場。 郭氏占案

丁丑年二月の癸巳日、「亥」(登明)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起した。占を求めた人は江右(江西)の李光倬で、会試の考場を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。

合朱 勾寅卯辰巳蛇 常勾貴常 財巳貴 龍丑 午貴 酉丑巳酉 鬼丑勾 空子 未后 丑巳酉癸 父酉常 虎亥戌酉申陰 常玄

展けて平らにした課体図。外圈の刻する所の天将は:寅は勾陳を乗せ、卯は六合を乗せ、辰は朱雀を乗せ、巳は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、未は天后を乗せ、申は太陰を乗せ、酉は玄武を乗せ、戌は太常を乗せ、亥は白虎を乗せ、子は天空を乗せ、丑は青竜を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の癸(丑に寄す)上に酉を見。第二課、酉上に巳を見。第三課、日支の巳上に丑を見。第四課、丑上に酉を見。天盤は地盤より順に八位進む。三伝:初伝の巳は妻財爻で貴人を乗せ、中伝の丑は官鬼爻で勾陳を乗せ、末伝の酉は父母爻で太常を乗せる。巳・丑・酉は正に巳酉丑の三合金局の逆序である。留意すべきは:四課と三伝の標する所の天将は、外圈の刻する所に比べて整整一位錯開する。四課・三伝は貴人が巳を乗ずるに按って排した——癸日の昼占は貴人は巳に在り、卯時はまた正に昼に属し、理は当にかくのごとし。外圈は却って貴人を午の上に刻したは、当に移位の誤りであろう。貴人の巳を乗ずるに依って逆布せば、すなわち卯は朱雀を乗せ、丑は勾陳を乗せ、酉は太常を乗せ、初めて下文の郭御青の言う所の「干上の酉が帘幕の朱雀を冲克す」と相合する。

郭御青曰:此課行年上得歲日二馬、發用月馬、日德貴人,本為吉課,奈合中犯煞不能會金局而生日。干上酉沖剋簾幕朱雀,四課不備,乃不完美之象,何能望中?

郭御青が言う:この課は行年上に太歳馬・日馬の両重の駅馬を得、発用はまた月馬で、さらに日徳と貴人あり。もともと一課の吉象である。無奈三合の中に煞を犯し、金局を凑りて日干を生ずるを成さない。日干上の酉はまた帘幕の神の朱雀を冲克し、四課はただ三位を得て斉備せず、一個の残缺的に完美ならざる象で、いずこになお考中を指望できよう。

巻之四・甲午日

甲午日客が占を索む(指南)

崇正壬午年七月甲午日巳將午時偶有一客至埂子街寓中坐定索占。 指南

崇正(すなわち崇禎)壬午年七月の甲午日、「巳」(太乙)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起した。当時偶然一人の客人が埂子街の寓所に来り到り、坐定して後に陳公献に一課を占わしめるを請うた。この案は『六壬指南』に出る。

勾龍 六辰巳午未空 六勾后貴 父 庚子 后 朱卯 申虎 辰巳子丑 父 己亥 陰 蛇寅 酉常 巳午丑甲 財 戊戌 玄 貴丑子亥戌玄 后陰

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せる——甲日の昼占は貴人は丑に在り、午時は昼に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に丑を見、丑は貴人を乗せる。第二課、丑上に子を見、子は天后を乗せる。第三課、日支の午上に巳を見、巳は勾陳を乗せる。第四課、巳上に辰を見、辰は六合を乗せる。三伝:初伝の庚子は父母爻で天后を乗せ、中伝の己亥は父母爻で太陰を乗せ、末伝の戊戌は妻財爻で玄武を乗せる。壬午年の太歳は午に在り、歳破は正に子に在り、そして子は恰恰初伝に発用す。三伝の子・亥・戌は位を逐って後退し、すなわち下文の言う「課伝の退茹」である。

陳公獻曰:公科第中人,非田姓即王姓也,然有朝廷事連累。蓋臨身貴人,必科甲中人;然貴被干克,歲破發用,課傳退茹,是以有獲罪朝廷事。喜初中後陰為恩赦,然而無大咎也。後知為荊州知府王承曾,甲戌進士,以失城逮問,賊破燕京始出。

陳公献が言う:あなたは科第の中の人で、姓は田でなければ王である。ただ朝廷方面の事に牽累されている。貴人が本身に臨むので、必ず科甲の出身の人である。しかし貴人は日干に克せられ、歳破はまた発用し、課伝は一路に退茹するので、朝廷に罪を獲る事ある所以である。喜ばしいは初伝・中伝上の天后と太陰とが恩赦の神を充作するので、大禍に至らない。後に初めてこの客人は荊州の知府の王承曽で、甲戌科の進士で、城池を失守したに因って逮捕されて罪を問われ、流寇が燕京を攻破するに至って初めて放さり出たと知った。

甲午日行人を占う(中黄経)

丁亥年十一月甲午日丑將寅時占行人其人甲寅生三十四歲。 中黃經

丁亥年十一月の甲午日、「丑」(大吉)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起し、門を出て外に在る人を占った。あの人は甲寅年生まれ、この年三十四歳である。この案は『中黄経』に出る。

朱蛇 合辰巳午未貴 合朱虎空 父 庚子 虎 勾卯 申后 辰巳子丑 父 己亥 常 龍寅 酉陰 巳午丑甲 財 戊戌 玄 空丑子亥戌玄 虎常

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:未は貴人を乗せ、申は天后を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太常を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は螣蛇を乗せる——甲日の夜占は貴人は未に在り、寅時は夜に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寅に寄す)上に丑を見、丑は天空を乗せる。第二課、丑上に子を見、子は白虎を乗せる。第三課、日支の午上に巳を見、巳は朱雀を乗せる。第四課、巳上に辰を見、辰は六合を乗せる。四課の支神は前の一案と同じで、ただ一套の天将を換えた。三伝:初伝の庚子は父母爻で白虎を乗せ、中伝の己亥は父母爻で太常を乗せ、末伝の戊戌は妻財爻で玄武を乗せる。行人は三十四歳で、行年は亥に在り、亥は子上に臨む。下文で去向・帰期・路程を推すは、全て行年のこの一位より算を起こす。

斷曰:三十四歲行年在亥,亥臨子,其人正北為客去矣,卻從西北還家,何也?經曰:以行年立處為去方,行年上神為還家方位。是以合正北子方去,西北方還家。若問財,其人無財。以日上財坐天空,末傳與行年財又被玄武奪,是以無財。問在外有病否?主無病。以行年立處不見白虎克,故無病。問遠近路程。行二千二十里則還。以行年上下相乘,亥四子九得三十六,又加遁干乙作丙七並之得五十一,遠行人十則言百,合得五百一十里。又亥子水旺於冬,當加一倍,得一千二十里入加一千之數,是以合主二千二十里。問有阻隔否?曰:無,以行年日上不見關格,故無阻也。

断語に言う:三十四歳の行年は亥に落ち、亥は子上に臨むので、この人は正北方に向かって客と為りに往き、却って西北方より家に帰ると知れる。何の故に。経の上に言う:行年の立つ所の地盤の位置を以て去る方向と為し、行年の上神を以て家に帰る方位と為す。だから合して正北の子方より出でて、西北方より帰るを主る。もし銭財を問えば、この人に財なし。日干上の財爻は天空の上に坐し、末伝と行年上の財はまた玄武に奪わる。だから財なし。外に在りて病みたるやを問えば、病なきを主る。行年の立つ所の位置の上に白虎の来て克するを見ざるに因る。路程の遠近を問えば、二千零二十里走ればすなわち帰る。算法は行年の上下の两位を相乗するを把る:亥の数は四、子の数は九、四九は三十六を得、さらに遁干の乙が丙を作し丙の数は七を加え、并せて五十一を得る。遠行の人は、一つの「十」を「百」と作して言うを要し、合して五百一十里を得、また亥・子は水に属し冬令に旺すれば、当に一倍を加うべく、一千零二十里を得、さらに一千の数を加える。だから合して二千零二十里を主る(この一段の推算の文字は脱訛あるに似たり)。路上に阻隔あるやを問えば、答えて言う:なし。行年と日干上にいずれも関格を見ざるに因り、だから阻なし。

若關格上神乘玄武主盜賊、江河水漲之隔;乘六合、太陰、天后主婦人之隔;乘青龍主財帛之隔;乘貴人主官長之隔;乘太常主酒食稽留之隔。問何月日還家?乃戊子年二月還家。非二月則四月決來,謂寅是十一月之天馬信神,臨卯為到門,二月建卯主二月有信。四月來以辰為十一月之戲神,辰臨巳主動是以主四月還家,四月建巳故也。

假如関格の上神が玄武を乗ずれば、盗賊あるいは江河の水が漲るの阻隔あるを主る。六合・太陰・天后を乗ずれば、婦人の阻隔あるを主る。青竜を乗ずれば、財帛の阻隔あるを主る。貴人を乗ずれば、官長の阻隔あるを主る。太常を乗ずれば、酒食に留連して擱擔するに因るを主る。いずれの月いずれの日に家に帰るかを問えば、答えて言う:戊子年二月に家に帰る。二月でなければ、四月もまた必ず来る。寅は十一月の天馬信神で、卯上に臨めば便ち門に到る。二月の月建は正に卯なので、二月に音信あり。四月に来ると言うのは、辰は十一月の戯神で、辰は巳上に臨んで動を主る。だから四月に家に還るを主る——四月の月建は正に巳である。

甲午日何人の門を扣くかを占う(張本占案)

十月甲午日寅將丑時占何人扣門。 張本占案

十月裏の甲午日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「丑」時の上に加えて課を起し、何の人が来て門を敲くかを占った。この案は張本の『占案』に出る。

貴后 蛇午未申酉陰 后貴合勾 財 ◎辰 合 朱巳 戌玄 申未辰卯 子 ◎巳 朱 合辰 亥常 未午卯甲 子 甲午 蛇 勾卯寅丑子虎 龍空

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:未は貴人を乗せ、申は天后を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太常を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は勾陳を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は螣蛇を乗せる——甲日の夜占は貴人は未に在り、丑時は夜に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に卯を見、卯は勾陳を乗せる。第二課、卯上に辰を見、辰は六合を乗せる。第三課、日支の午上に未を見、未は貴人を乗せる。第四課、未上に申を見、申は天后を乗せる。三伝:初伝の辰は妻財爻で六合を乗せ、中伝の巳は子孫爻で朱雀を乗せ、末伝の甲午は子孫爻で螣蛇を乗せる。辰・巳の两字上の「◎」は旬空の記号——甲午日は甲午旬に属し、旬空は正に辰・巳に在る。日干上の卯は羊刃を挾みて勾陳を乗せるは、下文で来人は僧人でしかも人の来て拘捕するあるを断ずる根拠である。

劉公日新指一沙門曰:此來捕汝也。蓋甲上卯挾刃太旺,卯為沙門,勾陳臨之之故。然陳土為木所克,不妨。未上見申天后,甲己非正合,帶奸門,曾犯強姦。宅上陰神申克甲是宅人不容,拒還而敗。卯克辰為財,甲又克之,是偷師傅之銀兩而走。辰數五,午數九,銀共一百四十兩。有汪姓人,藏他家中時果來搜尋,指他走南方,有少女隨之可脫,至北河可以活命。以中偉主巳作朱雀為飛騰之象也。果逃至溪邊,有少女洗菜,見和尚來,驚走和尚隨之果往南脫去。少女者巳也,利北河者,水能生甲木也。

劉日新先生が一人の和尚を指して言う:これはあなたを捉えに来たものである。甲干上の卯は羊刃を挾みて気勢は太旺で、卯は僧人を代表し、勾陳はまたその頭上に臨むに因る。ただ勾陳は土に属し、木に克せられるので、妨げる事なし。未上に申を見て天后を乗せ、甲と己はもともと正合ならず、奸門を帯びる。この和尚は曽て強姦を犯したと知れる。宅上の陰神の申は来て甲を克するは、宅裏の人が彼を容れず、彼を拒み還して敗露せしめたに致る。卯は辰を克し、辰は財で、甲はまた来てそれを克する。彼が師父の銀両を偸みて逃げ走ったと知れる。辰の数は五、午の数は九、合わせて銀子は共に一百四十両。一人の汪姓の人が彼を家中に蔵め、当時果たして人の来て捜索するあり。劉先生は彼に南方に向かって走れと指点した。少女に跟えば便ち脱げ身し得て、北辺の河のあそこに到れば活命し得る——中伝の巳は朱雀を乗せ、飛騰の象なので。彼は果たして渓辺に逃げ到り、正に一人の少女が菜を洗うに碰上り、少女は和尚の過ぎ来るを見て嚇して跑開し、和尚は彼女に跟えば、果たして南辺に向かって脱げ身して去った。いわゆる少女はすなわち巳である。北河に利ありと言うのは、水が甲木を生じ得るに因る。

甲午日管学正が貴を謁するを占う(方本占案・口鑑)

建炎己酉年十月甲午日寅將戌時管學正辛酉生四十九歲占謁貴。 方本占案、口鑑

建炎己酉年十月の甲午日、「寅」(功曹)を以て月将と為し、「戌」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の管学正は辛酉年生まれ、この年四十九歳、往きて貴人に謁見するを占った。この案は方本の『占案』と『口鑑』に見える。

六陳 朱酉戌亥子龍 蛇申 丑空 虎六六后 兄 壬寅 虎 貴未 寅虎 寅戌戌午 子 甲午 后 后午巳辰卯常 戌午午甲 財 戊戌 六 陰玄

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:未は貴人を乗せ、申は螣蛇を乗せ、酉は朱雀を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は青竜を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は白虎を乗せ、卯は太常を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せ、午は天后を乗せる——甲日の夜占は貴人は未に在り、戌時は夜に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に午を見、午は天后を乗せる。第二課、午上に戌を見、戌は六合を乗せる。第三課、日支の午上に戌を見、戌は六合を乗せる。第四課、戌上に寅を見、寅は白虎を乗せる。三伝:初伝の壬寅は兄弟爻で白虎を乗せ、中伝の甲午は子孫爻で天后を乗せ、末伝の戊戌は妻財爻で六合を乗せる。寅・午・戌は凑りて三合の火局を成し、火は甲木の生ずる所で、十足の盗気の象を成し、課の名は「炎上」。

邵彥和曰:吾兄若欲行正道,則不必見之。若行邪道,見之不妨。愛函曰:此四句當有訛錯。蓋寅午戌相習而為狂黨,天后六合不正之神,又為失友,主下稍埋怨不足,互相冤抑。夫甲日火局,十二分盜氣,支又來耗我,大有所費。吾兄縱有所得,左手得錢,右手便送娼家,被官知覺,亦輕視不肯惠矣。管笑曰:楊尹有書來,安得無利:遂往,楊尹大喜,所贈甚厚,管竟入娼家,楊察知之,曰:吾多方照顧,欲爾收拾養家,如此胡為,枉做人情矣。遂不想信,僅與盤纏而歸。

邵彦和が言う:老兄がもし正道を走らんとすれば、すなわち彼に見えに往くを要しない。もし邪路を走るを肯んずれば、見えに往くも妨げなし。愛函が言う:この四句は当に訛誤あるべし。寅午戌は相習い相聚まりて狂放の一党を結ぶ。天后・六合はみな端正の神ならず、また損友を代表し、到頭来に彼此埋怨して足らず・互相に冤屈を壓制するを主る。甲日に火局を結ぶは、十二分の盗気で、日支はまた来て我を耗し、破費は一定甚だ大きい。老兄は縱い得る所有りとも、左手に銭を拿到すれば、右手にすなわち娼家に送り入る。官長に察覚せられれば、またあなたを軽看し、肯んじてさらに好处を与えざらん。管学正が笑って言う:楊府尹は書信の来るあり、どうして好处なかるべき。すなわち就いて往いた。楊府尹は十分に歓喜し、饋贈は甚だ豊厚であった。管学正は却ってついに娼家に钻り込み、楊府尹はこの事を査知して言った:私が多方に照顧するは、あなたに收拾して家を養わしめんと欲するなり。あなたはこのように胡来するので、私のこの場の人情は算めて白く為した。これに従いさらに彼を信任せず、ただ盤纏を給して彼を打発して帰らしめた。

愚按:蓋炎上課,甲日自是不利,又午來蝕甲,天后六合皆不正之神,主酒色蠱惑,四課不足,雖厚本亦主消折,況赤手空拳乎?

愚かに按ずる:これは炎上課で、甲日に落つるはもともと不利である。さらに午火の来て甲木を蝕耗するあり、天后・六合はみな端正の神ならず、酒色に蠱惑せられるを主る。四課は残缺的に足らず、たとい本銭が雄厚なるも消折を主り、まして赤手空拳で往くをや。

甲午日熊司馬の功名を占う(指南)

崇正壬午年十二月甲午日子將未時占熊司馬功名。 指南

崇正(すなわち崇禎)壬午年十二月の甲午日、「子」(神后)を以て月将と為し、「未」時の上に加えて課を起し、熊司馬の功名を占った。この案は『六壬指南』に出る。

朱蛇 六戌亥子丑貴 玄朱蛇空 父庚子蛇 勾酉 寅后 辰亥子未 子乙巳常 青申 卯陰 亥午未甲 財戊戌六 空未午巳辰玄 虎常

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は貴人を乗せ、寅は天后を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太常を乗せ、午は白虎を乗せ、未は天空を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は朱雀を乗せ、子は螣蛇を乗せる——甲日の昼占は貴人は丑に在り、未時は昼に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に未を見、未は天空を乗せる。第二課、未上に子を見、子は螣蛇を乗せる。第三課、日支の午上に亥を見、亥は朱雀を乗せる。第四課、亥上に辰を見、辰は玄武を乗せる。三伝:初伝の庚子は父母爻で螣蛇を乗せ、中伝の巳は子孫爻で太常を乗せ、末伝の戊戌は妻財爻で六合を乗せる。壬午年の太歳は午に在り、歳破は正に子に在り、初伝の庚子はすなわち歳破である。中伝の巳は甲午旬の裏で本当は旬空に属するのに、図上はなお遁干を標出して「乙巳」と作すは、旬空の例と合わず。姑く原様に照らして保留す。

陳公獻曰:江西南大司馬熊潭石先生因河北聲息緊迫,急聘予上金陵熊大司馬占得此課。熊司馬功名非久遠之象,來年秋初必解任去。蓋初傳歲破內戰,命上龍馬克下,必因宰執招非,上臺不足,燕京有奏,自欲請退。且斗繫日本,幕貴臨干,為仰丘俯仇,干墓支絕,種種不佳。喜奇儀天赦發用,朱雀皇詔作恩,定然好旨歸里。後果如所占。

陳公献が言う:江西南昌の大司馬の熊潭石先生は、河北の軍情の消息が喫緊するに因り、急いで私を金陵に聘いて到らせ、熊大司馬のためにこの一課を占い得た。熊司馬の功名は久遠の象ならず、明年の秋初に必ず任を解きて去るを要す。初伝は歳破にして日干と内戦し、本命上の青竜・駅馬はまた下を克するので、必ず宰輔の執政する所以に因って是非を招惹し、上頭の台閣は彼に対して満意せず、燕京には奏章の上去するあり、彼は自分でも引退を請求せん。加えるに斗宿は日の本位に係り、帘幕貴人は日干の上に臨み、「仰丘俯仇」の象を成し、日干は墓に入り日支は絶に臨む。種種みな佳からず。喜ばしいは奇儀と天赦とが発用し、朱雀はまた皇詔の恩神を充作するで、必ず一道の好き旨意が彼を准じて家郷に帰らしめん。後に果たして占するが如し。

甲午日馮幹辦が前程を占う(張本占案)

己酉年正月甲午日子將午時馮幹辦丁卯年八月十七日辰時生占前程。 張本占案

己酉年正月の甲午日、「子」(神后)を以て月将と為し、「午」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の馮幹辦は丁卯年八月十七日辰時生まれ、前程を占った。この案は張本の『占案』に出る。

蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 虎蛇后龍 兄 壬寅 后 陳酉 辰玄 午子寅申 鬼 丙申 龍 龍申未午巳常 子午申甲 兄 壬寅 后 空虎

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は貴人を乗せ、寅は天后を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太常を乗せ、午は白虎を乗せ、未は天空を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は朱雀を乗せ、子は螣蛇を乗せる——甲日の昼占は貴人は丑に在り、午時は昼に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に申を見、申は青竜を乗せる。第二課、申上に寅を見、寅は天后を乗せる。第三課、日支の午上に子を見、子は螣蛇を乗せる。第四課、子上に午を見、午は白虎を乗せる。天盤の各位は地盤と全都相冲するは、返吟課である。三伝:初伝の壬寅は兄弟爻で天后を乗せ、中伝の丙申は官鬼爻で青竜を乗せ、末伝はまた壬寅の兄弟爻で天后を乗せる。申は甲木の絶地で、寅申の一冲は、まさに下文の言う「徳絶禄丧」「日上駅馬が交馳す」の由来である。

邵彥和曰:此課德絕祿喪,婦人主家,干支盡傷,病符臨身,不久主癱瘓風疾之憂,生氣作蛇入宅,主生男子,見此子後,其病便生,須是珍重,不可貪色也。甲寅年尤甚,其宅十八年變為溪溝也。馮受轉運司幹辦公事,有三年缺,上任一歲中風,自後癱瘓更不動,止因壬子得子,賀喜過飲,遂成風疾,解任歸日,食自費兩千餘,雖臥病不起,其食自倍。至甲子歲大水,宅為水所沖損壞,果作溪溝矣。

邵彦和が言う:この課は徳神が絶せられ、禄神は喪失し、家裏は婦人に由って権を当て、日干・日支はみな傷を受け、病符はまた本身に臨む。久しからずして癱瘓・風疾の憂患あるべし。生気の神は螣蛇を乗せて宅位に進入し、男児を生ずるを主る。この息子を見て以後、彼の病は便ち来る。務めて保重し、色を貪ってはならない。甲寅年に到って病はことさら勢い甚しく、彼のあの宅子は十八年の後に一条の渓溝に変じん。後の情形は:馮某は転運司の幹辦公事に接任し、任期は三年、任に上がりて一年にしてすなわち中風して、これに従い癱瘓して動く能わず。起因はまさに壬子年に息子を得、賀喜の時に酒を飲むこと量を過ぎて、おって風疾を落下した。任を解きて家に帰って以後、飲食の一項のみで自費にて二千余。病みて臥して起きえないけれども、飯量はかえって加倍した。甲子年に到り大水を発し、宅子は水に冲壊され、果たして一条の渓溝と成った。

甲午日某人が出行を占う(宋本邵案)

某人丁巳生五十歲占出行同得此課。 宋本邵案

さらに一人の丁巳年生まれ、この年五十歳の人が出行を占った。得た所もまた同じ一課であった。この案は宋本の『邵案』に出る。

蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 虎蛇后龍 兄 壬寅 后 陳酉 辰玄 午子寅申 鬼 丙申 龍 龍申未午巳常 子午申甲 兄 壬寅 后 空虎

課体は前の一案と全く同じ。外圈:丑は貴人を乗せ、寅は天后を乗せ、卯は太陰を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太常を乗せ、午は白虎を乗せ、未は天空を乗せ、申は青竜を乗せ、酉は勾陳を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は朱雀を乗せ、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:日干の甲(寅に寄す)上に申を見て青竜を乗せ、申上に寅を見て天后を乗せ、日支の午上に子を見て螣蛇を乗せ、子上に午を見て白虎を乗せる——天・地の両盤は処処相冲し、なお返吟である。三伝:初伝の壬寅は兄弟爻で天后を乗せ、中伝の丙申は官鬼爻で青竜を乗せ、末伝はまた壬寅の兄弟爻で天后を乗せる。寅・申はみな駅馬の地にして彼此交冲し、出行を占うは正にこの一層を取るので、下文で一動すれば必ず遠く走ると断ずる所以である。

邵彥和曰:主有三千里之動,七年八年方歸也。七月果隨一官員到廣,二千三百里,至八年方歸。蓋日上驛馬交馳,寅申各七數,故有七年之測。行年亥加巳,天門地足,主動必遠也。

邵彦和が言う:主に三千里の遠行あり、七八年を要して初めて帰り得る。後に七月裏に彼は果たして一人の官員に跟い広南に到り、路程は二千三百里で、第八年に至って初めて家に帰った。日干上に駅馬が交々馳騁し、寅・申は各々七数を得るので、七年の説を推し出した。行年の亥は巳上に加わり、一頭は天門、一頭は地足で、一動すれば必ず遠く走るを主る。

甲午日赴任を問う(郭氏占案)

戊寅年巳月甲甲午日酉將寅時問赴任。 郭氏占案

戊寅年巳月の甲午日(原文は「甲甲午日」と作し、「甲」の字が重出す)、「酉」(従魁)を以て月将と為し、「寅」時の上に加えて課を起し、赴任を占った。この案は郭氏の『占案』に出る。

空虎 龍子丑寅卯常 蛇空玄朱 鬼 丁酉 朱 勾亥 辰玄 申丑辰酉 財 ◎辰 玄 合戌 巳陰 丑午酉甲 父 己亥 勾 朱酉申未午后 蛇貴

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:未は貴人を乗せ、申は螣蛇を乗せ、酉は朱雀を乗せ、戌は六合を乗せ、亥は勾陳を乗せ、子は青竜を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は白虎を乗せ、卯は太常を乗せ、辰は玄武を乗せ、巳は太陰を乗せ、午は天后を乗せる——甲日の夜占は貴人は未に在り、寅時は夜に属し、正に合す。天将は逆行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に酉を見、酉は朱雀を乗せる。第二課、酉上に辰を見、辰は玄武を乗せる。第三課、日支の午上に丑を見、丑は天空を乗せる。第四課、丑上に申を見、申は螣蛇を乗せる。三伝:初伝の丁酉は官鬼爻で朱雀を乗せる。中伝の辰は妻財爻で玄武を乗せ、「◎」は辰が旬空に落つるを表す(甲午日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在る)。末伝の己亥は父母爻で勾陳を乗せる。官鬼が朱雀を乗せて日干上に発用するは、まさに下文で彈劾の章奏を提防する根拠である。末伝の亥は父母の印綬で、官鬼を化開し得る。

郭御青曰:戊寅年用奇門,擬於四月初一甲午日寅時到任,偶於先一日,再查六壬,得此課,鬼作朱雀,干上發用,有官音,防彈章。喜中末傳空陷,然行年在辰,為填空,亦喜初鬼生末傳育干,印能化煞。月將作雀鬼,亦日邊之象,得此課,心甚疑懼,不便再更。果於到任之時,聞阺報,真奇事也。

郭御青が言う:戊寅年に私は奇門を用いて推算し、四月初一の甲午日寅時に任に到らんと打算した。偶然前の一日にまた六壬を用いて一辺復査し、この一課を得た。官鬼は朱雀を作して日干上に発用するは、官府の声息ある象で、彈劾の章奏を提防すべし。喜ばしいは中伝・末伝がともに空陥の地に落つること。しかし行年は正に辰の上に在り、填空を成した。また喜ぶは初伝の官鬼が末伝を生じ、末伝がさらに日干を生じて、印綬が凶煞を化解し得る。月将は朱雀・官鬼を充当するも、また天子の身辺の象である。この一課を得て、私の心裏は甚だ疑懼したけれども、ただすでにさらに期を改めるに便ならず。任に到る時、果たして邸報の伝え来る消息を聞いた。まことに一件の奇事である。

甲午日傅大禄が平生を占う(宋本邵案・口鑑)

己酉年正月十五甲午日子將卯時,傅大祿己巳生四十歲,占平生。 宋本邵案、口鑑

己酉年正月十五日の甲午日、「子」(神后)を以て月将と為し、「卯」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の傅大禄は己巳年生まれ、この年四十歳、一生の休咎を占った。この案は宋本の『邵案』と『口鑑』に見える。

朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 后朱虎陰 鬼 丙申 虎 后子 未空 子卯申亥 子 空巳 陳 陰亥戌酉申虎 卯午亥甲 兄 壬寅 蛇 玄常

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:丑は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せる——甲日の昼占は貴人は丑に在り、卯時は昼に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の甲(寄宮は寅にあり)上に亥を見、亥は太陰を乗せる。第二課、亥上に申を見、申は白虎を乗せる。第三課、日支の午上に卯を見、卯は朱雀を乗せる。第四課、卯上に子を見、子は天后を乗せる。三伝:初伝の丙申は官鬼爻で白虎を乗せる。中伝の巳は子孫爻で勾陳を乗せて旬空に値い、甲午日は甲午旬に属し、空亡は辰・巳に在るので、「空巳」と標す。末伝の壬寅は兄弟爻で螣蛇を乗せる。卯は甲木の羊刃で、朱雀を乗せて宅位の午上に臨むは、下文で家中に事を起こすを断ずる根拠である。

邵彥和曰:此課亥來生日,是官星垂顧,太陰神佑之象,但羊刃作雀入宅,乃本家之朱雀,恐目下本家有事起,初虎作鬼,亡祟暗害,是家中人所為,從此遂自生事,末寅加巳,遠則四年,近則四月,被事牽纏。若見金司年入訟,其身不便無疑。傅後與弟不足,挾恨告其子違法事,巳乃子也,第四年八月配英州死。

邵彦和が言う:この課は亥水が来て日干を生ずるは、官星が顧を垂れ、太陰の神が庇佑する象である。ただ羊刃の卯が朱雀を乗せて宅位に進んだは、これは本家の自分の朱雀で、ただ眼下に家裏がすなわち事端を生じ出さんとするを恐れるのみ。初伝の白虎は官鬼を充作するは、亡故した者の祟りを為して暗中に害を加えるが、其の実は自家の人の為し出したので、これに従い彼は自分で事を惹き起こす。末伝の寅は巳上に加わり、遠ければ四年、近ければ四個月に、事に牽纏せられん。たとい金に属し刑を主る年分に碰上って官司に入れば、彼の本人は一定脱け身し得ない。後に傅大禄は弟と和せず、弟は恨みを懐いて往きて彼の息子の違法の事を告発した——巳は正に息子を代表す——第四年八月、彼は英州に発配せられて死した。

蓋第四年太歲在子,子上得酉,乃己酉太歲得助,故為禍百端,八月者復助酉也。

推断の根拠は:第四年の太歳は子に在り、子上に酉を得るは、正に己酉の太歳がまた幇助を得たので、禍事は百端となる。八月に応ずるは、八月がまた来て酉金を幇扶するに因る。

甲午日何子重が平生を占う(同課)

何子重壬戌生四十八歲占平生,同得此課。

何子重は壬戌年生まれ、この年四十八歳、一生の休咎を占い、得た所もまた同じ一課であった。

朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 后朱虎陰 鬼 丙申 虎 后子 未空 子卯申亥 子 空巳 陳 陰亥戌酉申虎 卯午亥甲 兄 壬寅 蛇 玄常

課体は前の一案と全く同じ。外圈:丑は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:日干の甲(寅に寄す)上に亥を見て太陰を乗せ、亥上に申を見て白虎を乗せ、日支の午上に卯を見て朱雀を乗せ、卯上に子を見て天后を乗せる。三伝:初伝の丙申は官鬼爻で白虎を乗せ、中伝の巳は子孫爻で勾陳を乗せて旬空に落ち、末伝の壬寅は兄弟爻で螣蛇を乗せる。白虎が官鬼の申を乗せて発用するは、下文で彼が刑を受けるを断ずる根拠である。巳の数は四、亥の数は七、相加えて十一を得るは、すなわち下文の「十一年の寛余」の算法の本とする所である。

邵彥和曰:來年行年到寅,因人喪亡,水邊得物,十有一年之寬餘,往後依舊不足,犯刑,刑後做爐匠,被姓陳人壞了。次年果有一僧過水而死,身邊有銀四錠,被何子重拾得,作小買賣,果有十一年寬餘。第十二年又在此溪邊,卻因傷人受刑,後作坑冶匠人,未足四年,被陳生人告搶踏作賊,配池州。巳四加亥七,乃十一年也。白虎作馬鬼故凶也。

邵彦和が言う:明年の行年は寅上に走り到り、他の人の死亡に因って、水辺で物を捡い得、十一年の寛裕あり。此の後はなお拮据に依り、さらに刑を犯さん。刑を受けて後に炉匠と為り去り、最終に一人の陳姓の人に敗壊せられん。第二年に果たして一人の和尚が河を過りて淹れ死し、身辺に四錠の銀子を帯び、何子重に捡い取られ、小売買を為し起こし、果たして十一年の寛裕あり。第十二年に到り、またこの渓辺に在り、却って人を傷るに因って刑を受けた。後に坑冶の匠人と為り、なお四年に満たざるに、一人の陳姓の人に、彼が搶奪して凶を行い、賊を当って辦と為すと告発せられ、池州に発配せられた。巳の数の四に亥の数の七を加うは、正に十一年である。白虎は駅馬を充作しまた官鬼なので、凶である。

乙未日

乙未日呉一山が天寧寺の夜驚を占う(指南)

順治己丑年六月乙未日未將亥時揚州天寧寺半夜內外人驚,吳一山占主何應候。 指南

順治己丑年六月の乙未日、「未」(小吉)を以て月将と為し、「亥」時の上に加えて課を起した。当時揚州の天寧寺は半夜裏に内外の人がみな驚を受け、呉一山が来てこの何の応験を主るかを占った。この案は『六壬指南』に出る。

空虎 青丑寅卯辰常 六白貴勾 鬼 癸卯 白 勾子 巳玄 亥卯申子 父 己亥 六 六亥 午陰 卯未子巳 財 乙未 后 朱戌酉申未后 蛇貴

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:申は貴人を乗せ、酉は螣蛇を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は六合を乗せ、子は勾陳を乗せ、丑は青竜を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は白虎を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太陰を乗せ、未は天后を乗せる——乙日の夜占は貴人は申に在り、亥時は夜に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰にあり)上に子を見、子は勾陳を乗せる。第二課、子上に申を見、申は貴人を乗せる。第三課、日支の未上に卯を見、卯は白虎を乗せる。第四課、卯上に亥を見、亥は六合を乗せる。両処の説明を要す:其一、四課の最下行の最右の一字は原刻は「巳」と作するも、課例に按って此の処は当に日干の「乙」であるべく、両字は形近して誤りを致す。其二、初伝の卯は原図は「鬼」と標すも、卯木は乙木と同気で、日干に対しては当に兄弟爻であるべく、疑うらくはまた刻誤ならん。三伝は:初伝の癸卯は白虎を乗せ、中伝の己亥は父母爻で六合を乗せ、末伝の乙未は妻財爻で天后を乗せる。

陳公獻曰:主有賊船東來,無攻城破邑之虞。蓋因游都賊符臨干支,自支發用,故主東有賊船至。初中二傳休囚,末傳太陽月建,故主城邑無虞。己亥日報賊自東方來,水陸並進,人民驚走,餘以申時占課,三傳戌酉申為返駕,初旺生末,雖有奸人勾引,不戰自退。官兵出,賊遂奔散。

陳公献が言う:主に賊船が東辺より過り来るあるも、城を攻め邑を破るの禍患なし。游都・賊符の両個の凶神が日干・日支上に臨み、また日支より発用するに因り、だから東辺に賊船の到るあるを主る。初伝・中伝はともに休囚にして力なく、末伝は却って太陽と月建との在る所なので、城邑が事なきを主る。後に己亥日に果たして賊が東方より来り、水陸に并进し、百姓は驚慌して奔走すと報じた。私はまた申時に一課を占い、三伝の戌・酉・申は返駕して回頭する象で、初伝は旺じて末伝を生ずる。奸人が裏面に在りて勾引するありといえども、また戦わずして自ら退けん。官兵が一たび出づれば、賊衆は便ち四散して奔逃した。

乙未日童秀才が宅を占う(方本占案・口鑑)

建炎戊申年三月十一乙未日戌將丑時童秀才庚辰生二十九歲占宅。 方本占案、口鑑

建炎戊申年三月十一日の乙未日、「戌」(河魁)を以て月将と為し、「丑」時の上に加えて課を起した。占を求めた人の童秀才は庚辰年生まれ、この年二十九歳、家宅を占った。この案は方本の『占案』と『口鑑』に見える。

虎常 空寅卯辰巳玄 龍丑 午陰 龍常朱龍 財 辛丑 龍 陳子 未后 丑辰戌丑 財 戊戌 朱 六亥戌酉申貴 辰未丑乙 財 乙未 后 朱蛇

展けて平らにした課体図。外圈の十二支の乗ずる天将:申は貴人を乗せ、酉は螣蛇を乗せ、戌は朱雀を乗せ、亥は六合を乗せ、子は勾陳を乗せ、丑は青竜を乗せ、寅は天空を乗せ、卯は白虎を乗せ、辰は太常を乗せ、巳は玄武を乗せ、午は太陰を乗せ、未は天后を乗せる——乙日の夜占は貴人は申に在り、丑時は夜に属し、正に合す。天将は順行して排布す。四課は右から左へ:第一課、日干の乙(寄宮は辰にあり)上に丑を見、丑は青竜を乗せる。第二課、丑上に戌を見、戌は朱雀を乗せる。第三課、日支の未上に辰を見、辰は太常を乗せる。第四課、辰上に丑を見、丑は青竜を乗せる。四課の上神は辰・戌・丑・未の四土が斉備し、すなわち下文の言う所の「四土倶備」である。三伝:初伝の辛丑、中伝の戊戌、末伝の乙未は、全て妻財爻で、依り次ぎて青竜・朱雀・天后を乗せる——三伝は純財で、まさに下文で田荘を進むを断じ、また「全財化鬼」を断ずるの由来である。

邵彥和曰:此課人來就宅,正是求新宅之課。夫宅不可無土,今四土俱備,是前後左右皆有山也。主山太高來逼宅,山有新墳欲開闢,定與墳主爭競。宅左青龍帶破碎,此云宅左青龍是以支陰論,不以天盤論。惟斷墳墓方用天盤看坐山朝山等。家宅則止就四課言。邵公諸案皆然也。

邵彦和が言う:この課は人が来て宅に就くで、まさに新宅を求め置くの課である。宅は土なかるべからず、如今辰戌丑未の四土が斉備するは、前後・左右にみな山あるを説明する。主山は太高く、逼壓して宅子に及ぼす。山上に一座の新墳ありて動土し開辟せんとす。必ず墳主と争執を起こさん。宅子の左辺の青竜はまた破碎煞を帯びる。(ここに「宅左の青竜」と言うは、日支の陰神に按って論ずるので、天盤に按って論じない。ただ墳墓を断ずる時にのみ天盤を用いて坐山・朝山のこれらを看る。家宅を論ずればすなわちただ四課に就いて講ず。邵公の各個の占案はみなこのようである。)

須用土填,將來必富,青龍加丑雖云破碎,卻又不備,故左必不完,宜用土填也。但無清秀之士。初傳青龍,妻為之主,中傳戌作朱雀,主家西北界未偹,因與人爭界。末財作天后,主婦人守寡;未財作後,何以便曰婦人守寡?蓋財妻也,後女也,未婦人也。未又今日乙未之墓,卻來刑日上之丑,刑則克,故主婦人皆寡。

必ず土を用いて填補せねばならず、将来は一定富まん。青竜は丑上に加わるは破碎を帯ぶといえども、却ってまた完備せざるなので、左辺に一定缺口あり、当に土を用いて往きて填むべし。ただ家裏に清秀の読書人を出し得ない。初伝は青竜で、妻子に由って家を当るを主る。中伝の戌は朱雀を乗せ、家宅の西北の地界が修斉していないを主り、これに因って人と界を争わん。末伝の財爻は天后を乗せ、家中の婦人が寡を守るを主る。人の問うあり:未上の財爻が天后を乗ずるに、何を以てすなわち婦人が寡を守ると言うか。財はすなわち妻で、天后はすなわち女で、未のこの一位はまた婦人を代表するに因る。未は同時にまた今日の乙未日の墓庫で、却ってかえって日干上の丑を刑する。刑はすなわち克なので、家中の婦人はみな寡を守るを主る。

未為年之寡宿殺,故邵公敢如此斷。又主家西北界未修,主與人爭界,西北當作東北,愛函見數本皆作西北,玩味爭界二字,似指戌乘朱雀而言,戌為西北,雀主爭也。奈何都無水出,主出人重濁。乙以土為財,又臨旺地,天將更無凶神,故主其家大發。又緣初財爻,兼得青龍財星也。造宅二十年,應未八戌五,五八相乘得四十,春木旺土死,當折半,故二十年而應也。

未はまたこの一年の寡宿煞なので、邵公は敢えてこう断じた。また家宅の西北の地界が修斉せず、人と界を争わんと言う——「西北」は当に「東北」と作るべし。愛函の見た幾個かの本子はみな西北と作す。「争界」の两字を玩味すれば、あたかも戌が朱雀を乗ずるを指して言うに似たり:戌は西北に在り、朱雀は争闘を主る。惜しいかな四囲はみな水の流出するなきは、この一家の出ずる人の性情が重濁なるを主る。乙木は土を以て財と為し、土はまた旺地に臨み、乗ずる所の天将の裏にもまた凶神なし。だからこの家は大いに発するを主る。また初伝がすなわち財爻で、兼ねて青竜のこの財星を得るに因る。宅を造って後に二十年にして応験す:未の数は八、戌の数は五、五八が相乗じて四十を得、春天は木旺じて土死すれば、当に半を折るべく、だから二十年の上に応験する。

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