癸亥日、田百原が城に住むべきか郷に住むべきかを占う
順治乙酉年四月十一癸亥日酉將午時,淮安總漕部院田公百原占該城住鄉住?/合勾龍空/申酉戌亥 貴玄朱后 鬼丙辰後/朱未 子虎 巳寅未辰 鬼己未朱/蛇午 丑常 寅亥辰癸 鬼壬戌龍/巳辰卯寅/貴后陰玄
順治乙酉年四月十一の癸亥日に、月将「酉」を午時に加えて課を起こし、淮安の漕運を総督する部院の田百原公が、自分は城に住むべきか郷に移るべきかを占った。天盤は地盤に比べて三位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に辰を得て天后が乗る——第一課。辰の上に未を得て朱雀が乗る——第二課。日支の亥の上に寅を得て玄武が乗る——第三課。寅の上に巳を得て貴人が乗る——第四課。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる。天罡の辰が日干の上に加わって発用するのは「斬関」の象であり、三伝はまた全て土で、日支の上にはなお寅木があって以て守りを為し得る——去と留の取捨はこの数箇所に在る。
陳公獻曰:此課正宜歸隱住鄉安穩,住城雖有眾賊飛攻,亦不足畏。因遊子斬關(魁罡加日辰發用為斬關課,此正辰加日發用也;而遊子必三傳皆土,見天驛二馬方的,蓋此時仍在辰月,天馬在戌也),發用陽將傳入陰位,理應歸隱之象。住城雖有賊攻,賴支上寅木以敵之(正所謂一人當關,萬夫莫開也。),不若就西北水鄉卜居安穩。及到邦關,船被兵據,入城,史閣部命守西城,城破一家投水未死。
陳公献が言うには、この課はまさに帰り隠して郷に住むに宜しく、安穏を得る。城に住めば衆賊が飛ぶように攻めることはあっても、また畏るるに足らない。なぜなら課体は「游子斬関」だからである(天魁・天罡が日干・日支に加わって発用すればすなわち斬関課で、ここはまさに辰が日干に加わって発用している。游子に至っては必ず三伝が全土で、さらに天馬・駅馬の二馬を見てこそ確当である。この時はなお辰月に在るので、天馬は戌に在る)。発用は陽将で三伝は陰位に伝入するので、理に按ずればまさに帰隠の象である。城に住めば賊の攻めはあるが、日支の上に寅木があって以てこれを敵することができる(いわゆる一人が関に当たれば万夫も開く莫し、である)。ただし西北の水郷に就いて居を卜するのが安穏で勝る。後に彼が関に至った時、船は兵に据えられて、やむなく城に入り、史閣部が彼に西城を守らせた。城が破れた後、一家は水に投じたが死ぬことはなかった。
癸亥日、熊奮渭が戊寅命に代わって占う(『指南』)
崇正辛未年四月癸亥日酉將午時商城熊兵長垣奮渭為戊寅命人代占。 指南/合勾龍空/申酉戌亥 貴玄朱后 鬼丙辰後/朱未 子虎 巳寅未辰 鬼己未朱/蛇午 丑常 寅亥辰癸 鬼壬戌龍/巳辰卯寅/貴后陰玄
崇正辛未年四月の癸亥日に、月将「酉」を午時に加えて課を起こし、商城の兵長の熊某と長垣の奮渭が、一人の戊寅年命の人に代わって占った。この案件は『六壬指南』から出ている。天盤は同じく地盤に比べて三位順に進んでおり、得られた課式は前の例と同じである——「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課は、癸水が丑に寄宮して丑の上に辰を見て天后が乗り、辰の上に未を見て朱雀が乗り、日支の亥の上に寅を見て玄武が乗り、寅の上に巳を見て貴人が乗る。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる——全て癸水の官鬼である。代わって占われた人の本命は戊寅で、昼夜の両貴人がちょうど本命を中に挾み拱している——凶の中の救いはここに在る。
陳公獻曰:課象雖凶,終不為畏。曰:較張逢玄課何如?予曰:張公課好,太歲剋日,君上不喜,須得木姓人求解,方可釋荷也。三傳純官鬼,又關墓覆日,豈不為凶?喜兩貴拱身,福德儀神臨支;又丁馬貴德居命,且是皇恩天詔,定轉凶為吉。其後刑長垣諱覺斯李先生上疏救之,減死謫戍,後知為雲間錢相公也。
陳公献が言うには、課象は凶なりとはいえ、終には畏るべきでない。或る人が言うには、張逢玄の課に比べてどうか。私が言うには、張公の課の方が好いが、ただ太歳が日干を克傷して、君上の心が喜ばない。木の偏旁を姓とする人が出て情を解してもらわなければ、この荷を卸すことはできない。この課は三伝が清一色の官鬼で、また関煞と墓神が日干に覆圧しているので、どうして凶でなかろうか。喜ばしいのは昼夜の両貴人が身を挾み拱し、福徳と儀神がまた日支に臨み、さらに丁神・駅馬・貴人・徳神が皆、本命の上に聚まり、しかも皇恩・天詔の象を帯びているので、必ず凶を転じて吉と為し得る。後に長垣の諱が覚斯の李先生が疏を上げて彼を救い、死罪を減じて辺地に謫戍とした。後に知るに、中から力を出したのは松江の銭相公であった。
癸亥日、劉夢岩が任所を占う(『郭氏占案』)
崇正丁丑年八月癸亥日真定劉夢巖邦弼占任所報丑時。 郭氏占案/合勾龍空/申酉戌亥 貴玄朱后 鬼丙辰後/朱未 子虎 巳寅未辰 鬼己未朱/蛇午 丑常 寅亥辰癸 鬼壬戌龍/巳辰卯寅/貴后陰玄
崇正丁丑年八月の癸亥日に、真定の人の劉夢岩——字は邦弼——が将来どこに選ばれて官に赴くかを占い、報した時は丑時であった。この案件は『郭氏占案』から出ている。得られた課式は前の二例と同じである——「六合」が申に、「勾陳」が酉に、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未にある。四課は、癸水が丑に寄宮して丑の上に辰を見て天后が乗り、辰の上に未を見て朱雀が乗り、日支の亥の上に寅を見て玄武が乗り、寅の上に巳を見て貴人が乗る。三伝は、初伝が丙辰で天后を乗せ、中伝が己未で朱雀を乗せ、末伝が壬戌で青竜を乗せる。任所を占うには日支と行年がいずれの方位に落ちるかを見る——以下は天上の行年が酉に臨み、官星が丑に臨み、日支の上の寅が玄武を乗せる、この数箇所から具体的な県名を推し出す。
郭御青曰:據此課,天上行年臨酉,豈趙人選趙地乎?官星為用臨丑,北人難得吳越。驛馬不在傳,又臨燕,亦本地也。細詳干支上神,拱地盤子地,為山東。卯為草,必有草頭處也。查現缺,有莘縣、蓬萊二缺,必為蓬萊,以子為水鄉也。至十月乙亥日,果籤選蓬萊,信乎?食祿有方也。
郭御青が言うには、この課に拠れば、天上の行年は酉位に臨む——趙の人があえて趙の地に選ばれて官に赴くものか。官星が発用して丑に臨む——北人は呉越の辺に選ばれ難い。駅馬は三伝に入らず、また燕に臨む——これも本郷本土である。日干・日支の上の神を細かに推詳すれば、ちょうど地盤の子位を中に拱している——子は山東に対応する。卯はまた草木を主るので、地名には必ず草冠が帯びている。現在の欠員を調べるに、莘県と蓬萊の二欠があるのみ——必ず蓬萊である。子は水郷を主るからである。十月の乙亥日に至り、果たして籤を引いて蓬萊に選ばれた。信じられるか——禄を食むにそれぞれ定まる方があるのである。
愚嘗以支為任所,支上寅為山,玄武為草頭又為近水之處。寅加長生為道士,彼道家有蓬萊山在海中之說似與縣名符合焉。況木加長生則發生蓬勃,萊字亦有木字形也。
愚按:私は常に日支を以て任所を表すとする。この課は日支の上の寅が山を象り、玄武は草冠を主るとともにまた水に近い所を主り、寅がまた長生の位に加われば道士を象る——あの道家には蓬萊山が海中にあるという説があり、ちょうど県名と符合する。況んや木が長生に加われば草木は蓬勃して生発するので、「萊」の字にも木の字形が含まれている。
癸亥日、丑命人が赴試を占う(『直指』)
八月癸亥日辰將子時丑命人占赴試。 直指/空虎常玄/酉戌亥子 勾貴空朱 父辛酉空/龍申 丑陰 未卯酉巳 鬼◎丑陰/勾未 寅后 卯亥巳癸 財丁巳朱/午巳辰卯/合朱蛇貴
八月の癸亥日に、月将「辰」を子時に加えて課を起こし、一人の丑年命の人が赴考を占った。この案件は『六壬直指』から出ている。天盤は地盤に比べて四位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「天空」が酉に、「白虎」が戌に、「太常」が亥に、「玄武」が子に、「太陰」が丑に、「天后」が寅に、「貴人」が卯に、「螣蛇」が辰に、「朱雀」が巳に、「六合」が午に、「勾陳」が未に、「青竜」が申にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に巳を得て朱雀が乗る——第一課。巳の上に酉を得て天空が乗る——第二課。日支の亥の上に卯を得て貴人が乗る——第三課。卯の上に未を得て勾陳が乗る——第四課。三伝は、初伝が辛酉で天空を乗せ、中伝が丑で太陰を乗せるが丑は旬空に落ち、末伝が丁巳で朱雀を乗せる。末伝から数えて返して見れば、巳火は丑土を生じ、丑土は酉金を生じ、酉金はまた癸水の日干を生ず——一路逐い生じて日干に至る。子時は夜に属して夜貴の卯を用い、昼貴の巳はすなわち帘幕貴人となってまさに日干に臨み、昼夜の両貴がまた天罡の辰を中間に挾んでいる。
邵彥和曰:三傳遞生生日,簾幕貴人臨干,更兼干支兩貴拱定行年上神,又係天罡,必中高魁。中末雖空,卻是本命,不以空論。
邵彦和が言うには、三伝は一路逐い生じ養い、最後に日干に生じ至る。帘幕貴人はまたまさに日干の上に臨んでいる。加えて日干・日支の上の昼夜両位の貴人が行年の上の神を挾み拱して定め、その神はまたまさに天罡の辰なので、必ず高魁に中る。中伝は空に落ちるとはいえ、それはまさに占者の本命の丑であり、本命は空亡として論じられない。
癸亥日、周延儒が弾劾を占う(『指南』)
崇正癸酉年四月癸亥日酉將辰時宜興周首輔延儒因陳科長彈論,命醫者周誠生來占。 指南/空虎/龍戌亥子丑常 勾后空蛇 財戊午蛇/勾酉 寅玄 酉辰亥午 兄癸亥空/六申 卯陰 辰亥午癸 官丙辰後/朱未午巳辰後/蛇貴
崇正癸酉年四月の癸亥日に、月将「酉」を辰時に加えて課を起こした。宜兴出身の首輔の周延儒が、姓が陳の科道官に弾劾されたため、医者の周誠生を遣わして来て占わせた。この案件は『六壬指南』から出ている。天盤は地盤に比べて五位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「青竜」が戌に、「天空」が亥に、「白虎」が子に、「太常」が丑に、「玄武」が寅に、「太陰」が卯に、「天后」が辰に、「貴人」が巳に、「螣蛇」が午に、「朱雀」が未に、「六合」が申に、「勾陳」が酉にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に午を得て螣蛇が乗る——第一課。午の上に亥を得て天空が乗る——第二課。日支の亥の上に辰を得て天后が乗る——第三課。辰の上に酉を得て勾陳が乗る——第四課。三伝は、初伝が戊午で螣蛇を乗せ、中伝が癸亥で天空を乗せ、末伝が丙辰で天后を乗せる。癸水の徳神は巳にあり、刑神は亥にある。いま亥水がかえって来て巳を克し、徳は刑を圧えられない——これが全篇の退位の断の鍵である。
陳公獻曰:朝官占此,必主去位。蓋因傳將遞克,德不勝刑(德在巳而刑在亥,亥克巳太耳。),主小人進用而君子退位。且貴祿財馬俱逢空陷(貴、財、馬俱在巳,臨子落空;祿子旬空,臨未非落空。),豈能善後乎。又夜貴臨行年(行年必在戌,卯臨之。),即不仕閒官也。六月後,年上日祿天馬沖動身命,是其行期矣。喜四墓覆生,仍有復起之象。果六月準辭,馳驛回里。
陳公献が言うには、朝の官がこの課を占い得れば、必ず位を去ることを主る。なぜなら三伝の天将は逐い相い克伐し、徳は刑に勝たないからである(徳は巳に在り刑は亥に在り、亥水は巳火を克すること甚だしい)。小人が進み用いられて君子が退位することを主る。加えて貴人・禄・財・馬がことごとく空陷に遭う(貴人・財・馬は皆、巳に在り、巳は地盤の子に臨んで落空し、禄の子は旬空なりとはいえ、未に臨むので真に落空とは言わない)——どうして善い収場があろうか。また夜貴人がまさに行年の上に臨む(行年は必ず戌に在り、卯がこれに臨む)——たとえ位を去らなくても、ただ閑散の官を為すのみである。六月の後、年の上の日禄と天馬が彼の身命を冲動する——それが行く期日である。喜ばしいのは四墓が反転して生扶するので、なお東山再起の象がある。後に果たして六月に辞するを準され、駅を馳せて郷里に帰った。
癸亥日、応秀才が出行を占う(『方本占案』『口鑑』)
己酉年九月癸亥日卯將酉時應秀才丙子生三十四歲占出行。 方本占案 口鑑/六朱/陳亥子丑寅蛇/龍戌 卯貴 陳陰朱常 財丁巳陰/空酉 辰后 亥巳丑未 兄癸亥陳/虎申未午巳陰 巳亥未癸 財丁巳陰/常玄
己酉年九月の癸亥日に、月将「卯」を酉時に加えて課を起こし、応秀才——丙子年生まれ三十四歳——が遠出を占った。この案件は『方本占案』と『口鑑』に見える。月将と占時がまさに相冲し、天地の両盤が六位互いに冲する——「返吟」の課である。各位の天将が臨む神は、「勾陳」が亥に、「六合」が子に、「朱雀」が丑に、「螣蛇」が寅に、「貴人」が卯に、「天后」が辰に、「太陰」が巳に、「玄武」が午に、「太常」が未に、「白虎」が申に、「天空」が酉に、「青竜」が戌にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に未を得て太常が乗る——第一課。未の上に丑を得て朱雀が乗る——第二課。日支の亥の上に巳を得て太陰が乗る——第三課。巳の上に亥を得て勾陳が乗る——第四課。三伝は、初伝が丁巳で太陰を乗せ、中伝が癸亥で勾陳を乗せ、末伝が丁巳で太陰を乗せる——巳が去って亥が回り、亥が去って巳が回る。一往一返が皆、元の處に落ちる——出行の成否はこの一往一返の間にある。
邵彥和曰:此課出行,當主半路歸家。何也?蓋自支發出,少間復回,末又歸支,當主一骨肉有喪,遂遣人邀歸。應曰:何故?先生曰:初以巳發用,中傳復回,末傳又見巳,如何去得?應恐家中有事,先生曰:非也。應遂行,欲往袁州岳丈任中,次至撫州,卻有一親戚,乃伊親姐,在信州玉山縣,赴任病重,遂遣人趕應回,親姐死,應遂不得袁州。
邵彦和が言うには、この課で出行を占えば、半路で家に帰ることを主る。何故か。発用が日支から出て、間もなく復び回り、末はまた日支に帰るので、骨肉の一人に喪があることを主り、ついに人を遣わして招いて帰らせる。応秀才が問うには、何故ですか。先生が言うには、初伝は巳から発用し、中伝はまた折り返し、末伝もまた巳を見る——どうして行くことができようか。応秀才は家中に事があるのを恐れたが、先生が言うには、家ではない。応秀才はついに路に上がり、もとより袁州の岳父の任所に往こうとしたが、撫州に至った時、或る親戚——まさに彼の親の姉——が信州玉山県への赴任の途中で病が重くなり、ついに家人が駆けつけて応を呼び戻した。親の姉はついに亡くなり、応秀才もまた袁州に到ることができなかった。
蓋宅上見巳,初末皆巳,巳乃癸之絕神,雖為絕神,卻是三層驛馬,又以旬丁,所以主動。但中即傳宅陰,所以半路歸也。日上未鬼作太常,主親戚眷屬之服。日主外故主外服,發用太陰,主陰人喪,所乘之巳為妻,是妻之祖也。巳火亥水去了又來,互換相沖,不得不動,既動彼此俱絕,所以止也。
これは、宅の上に巳を見るからである。初伝も末伝も皆巳であり、巳は癸水の絶神である——絶神ではあるが、また三重の駅馬であり、加えて旬中の丁神を帯びるので、動身を主る。ただし中伝はすなわち住宅の陰神に伝い帰るので、半路で帰るのである。日干の上の未は官鬼でまた太常を乗せるので、親戚・眷属の喪服を主る。日干は外を主るので外姓親属の喪を主り、発用の太陰は陰人の喪を主る——その乗ずる巳はもともと妻を表すが、ここでは妻族の長輩を指すべきである。巳火と亥水は去ってまた来、互いに換わり相冲するので、動かざるを得ない。既に動けば彼此ともに絶地に落ちるので、半路で止まるのである。
癸亥日、伊知県が前程と赴任を占う(宋本『邵案』『口鑑』)
己酉年六月十六癸亥日未將亥時伊知縣丙寅生四十四歲占前程及赴任。 宋本邵案 口鑑/蛇貴/朱丑寅卯辰後/六子 巳陰 貴常陰空 鬼己未常/陳亥 午玄 卯未巳酉 子乙卯貴/龍戌酉申未常 未亥酉癸 兄癸亥陳/空虎
己酉年六月十六の癸亥日に、月将「未」を亥時に加えて課を起こし、伊知県——丙寅年生まれ四十四歳——が前程と赴任を占った。この案件は宋本『邵案』と『口鑑』に見える。天盤は地盤に比べて四位退いている。各位の天将が臨む神は、「朱雀」が丑に、「螣蛇」が寅に、「貴人」が卯に、「天后」が辰に、「太陰」が巳に、「玄武」が午に、「太常」が未に、「白虎」が申に、「天空」が酉に、「青竜」が戌に、「勾陳」が亥に、「六合」が子にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に酉を得て天空が乗る——第一課。酉の上に巳を得て太陰が乗る——第二課。日支の亥の上に未を得て太常が乗る——第三課。未の上に卯を得て貴人が乗る——第四課。三伝は、初伝が己未で太常を乗せ、中伝が乙卯で貴人を乗せ、末伝が癸亥で勾陳を乗せる——未・卯・亥が合して木局を成す。癸亥は六十甲子の末の一日であり、日干と日支はまたともに酉の上で敗を受け、酉は色欲を主る——これが以下に寿数を論ずる根柢である。
邵彥和曰:公既貪女色,又貪男色,若能調攝,可以赴任。若不節慾,必入泉鄉。近日飲酒不得,漸欲嘔吐,伊曰:果然。先生曰:此乃醉飽之後,鬱氣積聚,五臟走作,故嘔逆也。子息加太陽,公子清貴過於公。伊曰:得子強我尤妙,但我壽若何?先生曰:壽盡於今年八月,因公避妻並母,在灶後與婢行淫,灶君申奏於天,遂折公壽矣。伊大驚泣曰:為之奈何?何以懺悔否?先生曰:須是露天謝罪,如此七夜方可少延也。伊遂每夜拜天謝過,不入寢室,八月初一夢神告知曰:汝知過修德,增壽一紀。伊後竟不仕,至庚申年八月十六日而歿。有三子,長早喪,次子戊辰科及第,少子甲戌科及第。
邵彦和が言うには、あなたは女色を貪り、また男色をも貪る。もし調摂・節制し得れば、なお赴任してもよい。もし欲を節さなければ、必ず泉郷に帰する。近頃あなたは酒も飲めず、だんだん嘔吐しようとしている。伊知県が言うには、果たしてその通りです。先生が言うには、これは酔い飽きた後、欝積の気が中に結び、五臓が錯乱するので、嘔逆するのである。子孫爻は太陽の上に加わる——令郎は将来、清貴があなたに過ぎる。伊知県が言うには、子が私に勝るのはなおさら好いことだが、ただ私の寿数はどうですか。先生が言うには、寿数は今年の八月に尽きる。あなたが妻と母を避けて、竈の後ろで婢女と淫を行ったので、竈君がこの事を天に奏上し、ついにあなたの陽寿を折ったのである。伊知県は大いに驚き、涙を流して言うには、どうすればよいのか、懺悔はできるか。先生が言うには、必ず露天にて罪を謝し、これを七夜満たしてこそ、少しばかり延命できる。伊知県はついに毎夜天を拝して過を謝し、寝室に入らなかった。八月初一の夜、夢に神明が告げて言うには、あなたは過を知り徳を修めたので、寿一紀を増やそう。伊知県はその後ついに仕えず、庚申年八月十六日まで生きてから没した。彼には三子があり、長は早く喪われ、次子は戊辰科に及第し、少子は甲戌科に及第した。
蓋癸上見酉作天空,干支皆敗於酉,陰陽俱敗,故主女色男色。酉為色故也。癸見酉為酒,天空主吐逆,故漸不納酒。此課六陰俱備,且癸亥為六甲極日,癸亥俱敗於酉,死於卯,那更水日又得木局。陰中逢脫,自然暗消。內既空虛,外徒形體。巳為丁神而臨行年,又作太陰,巳為灶,太陰為陰私,酉為婢,是於灶間行淫,以致酉來敗損。況又是破碎,破碎者,色與酒病俱發也。水日木局,故主子位,太陽發傳,又子爻加太陽之上,故顯。
これは、癸の寄宮の上に酉を見て酉の上に天空が乗り、干と支がともに酉において敗を受け、陰陽両面がともに敗損するので、女色と男色を兼ねて貪ると断ずる——酉はまさに色欲を主るからである。癸が酉を見るのはまた酒を主り、天空は嘔吐・反胃を主るので、だんだん酒を受け付けなくなる。この課は六つの陰神が全て備わり、しかも癸亥は六甲の極日で、癸と亥がともに酉において敗れ卯において死す。況んや水日がまた木局を結び、陰の中にまた泄脱に遭うので、元気は自ずから暗く消え尽き、内はすでに空虚で、外はただ形体のみである。巳は旬中の丁神を帯びて行年の上に臨み、また太陰を乗せる——巳は竈を主り、太陰は陰私を主り、酉は婢女を主る。合わせればまさに竈の間で淫を行い、以て酉の敗損を招いたのである。況んやまた破碎煞であり、破碎が一動すれば色病と酒病がともに発する。水日に木局を成すのは子孫に位あることを主り、木局はまた太陽から発伝し、子孫爻はまた太陽の上に加わるので、息子は後日顕達する。
巳為日德,故改過修德尚可延年也。
巳はまさに癸日の徳神の在る所である。課の上の凶象は天の定める数であるが、徳は人の己の手に握られている。だから言うのである——ただ過を知り改め、徳を修めて自ら守れば、もとより折り尽くされた寿算もなお延長することができる、と。
癸亥日、徐八公が家宅を占う(『方本占案』『口鑑』)
戊申年六月初十癸亥日未將本百徐八公甲寅生五十五歲占家宅。 方本占案 口鑑/蛇貴/朱卯辰巳午後/六寅 未陰 陰常常空 鬼己未陰/陳丑 申玄 未酉酉亥 財丁巳貴/龍子亥戌酉常 酉亥亥癸 子乙卯雀/空虎
戊申年六月初十の癸亥日に、月将「未」を用いて課を起こした(占時は原文で「本百」と作るが、字に訛脱があり、盤式に按ずるに、天盤は地盤に比べて二位退いている)。徐八公——甲寅年生まれ五十五歳——が家宅を占った。この案件は『方本占案』と『口鑑』に見える。各位の天将が臨む神は、「朱雀」が卯に、「螣蛇」が辰に、「貴人」が巳に、「天后」が午に、「太陰」が未に、「玄武」が申に、「太常」が酉に、「白虎」が戌に、「天空」が亥に、「青竜」が子に、「勾陳」が丑に、「六合」が寅にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に亥を得て天空が乗る——第一課。亥の上に酉を得て太常が乗る——第二課。日支の亥の上に酉を得て太常が乗る——第三課。酉の上に未を得て太陰が乗る——第四課。三伝は、初伝が己未で太陰を乗せ、中伝が丁巳で貴人を乗せ、末伝が乙卯で朱雀を乗せる——未・巳・卯が一路陰より退いて陽位に向かうので、課の名は「迎陽」である。
邵彥和曰:癸亥是六甲極日,陰長陽消,而此課又為六陰相繼,宅勢到此極矣。然物極必變,今宅中現在六分共居,而甲寅人多是從門側出入。本命寅,天上寅,卻作合,為私門。又在卯側,故主從門側出入。來年有陰人死,各自東西南北去,必升進,頗勝於前。時有陰貴人,乃守缺貴人,後時必做成家計也。其子又好,必晚年亨福,壽又高,得貴家陰人力,做成家業也。徐八公弟兄六分共居,果是窄狹,常從便路出入到店,多是後邊過。次年太孺人故,八公即出外去住。
邵彦和が言うには、癸亥は六甲の極日で、陰が長して陽が消え、この課はまた六つの陰が相い継いでいるので、宅勢は此に至って極まった。しかし物は極まれば必ず変わる。いま宅の中には現に六房が共に居り、甲寅年生まれのこの人は多くは門の側から出入りする。本命は寅であり、天上の寅はまたこれと合して私門を為し、また卯の側に在るので、門の側から出入りすることを主る。来年、家に陰人の一人が死に、各房は東西南北それぞれ散って往き、その時に必ず升進して、前に顧みて遥かに勝る。いま坐する陰貴人は守缺して補を待つ貴人で、後日必ず成家計を為し得る。その子もまた好く、必ず晚年に福を亨いて、寿もまた高く、貴家の陰人の力を得て家业を成す。徐八公は兄弟が六房で共に居り、果たして甚だ窄狹で、平日出入りして店に往くのは、常に便路を行き、多くは後ろから過ぎる。次年に家の太孺人が亡くなり、八公はすなわち外に出て住んだ。
蓋癸亥是極日,亥來加癸,又極。卻自北復轉至西,自西投東南,見卯,自半夜亥至黃昏酉,自酉至未,自未至巳接卯,謂之迎陽課。中末傳見貴人,用並太陰,故徐公續娶,得某先待制之妾,帶二千貫財物嫁來。蓋癸以巳為妻財,而太陰作貴人之側室,故有龐人嫁他。其子又乘夜貴臨日貴人財上(卯子息爻,乘夜貴加巳妻財之上,則上子為待制妾所生可知)。徐公委其管干,自此發跡,終身享福,八十四壽終。言六分者,酉為破碎入宅,而敗癸水,酉乃六數也。
癸亥はもとより極日であり、亥がまた癸に加わるので、さらに極の中の極である。しかし北からまた転じて西に至り、西から投じて東南に向かって卯を見る——夜半の亥から黄昏の酉に至り、酉から未に至り、未から巳に至って卯を接ぐ——これを「迎陽」の課と言う。中伝も末伝も貴人を見、発用もまた太陰を併せているので、徐公が弦を継いで、或る前任の待制の侍妾を娶ったのである——二千貫の財物を帯びて嫁いで来た。癸は巳を以て妻財とし、太陰はちょうど貴人の側室をなすので、寵ある婦人が彼に嫁いだのである。その子はまた夜貴を乗せて日貴と妻財の上に臨む(卯は子息爻で、夜貴を乗せて巳という妻財の上に加わる——上の子が待制の妾の生んだ子であることが分かる)。徐公は家事をこの夫人に委ねて管轄させ、此れより発跡して、終身福を享け、八十四歳で寿終した。六房と言うのは、酉という破碎煞が住宅に入って癸水を敗損し、酉はまさに六の数だからである。
癸亥日、徐承務が生地を占う(『一針見血』)
建炎己酉年九月癸亥日卯將亥時徐承務丁未生六十三歲占生地。 一針見血/空虎常玄/酉戌亥子 勾貴空朱 父辛酉空/龍申 丑陰 未卯酉巳 鬼◎丑陰/勾未 寅后 卯亥巳癸 財丁巳朱/午巳辰卯/合朱蛇貴
南宋建炎己酉年九月の癸亥日に、月将「卯」を亥時に加えて課を起こし、徐承務——丁未年生まれ六十三歳——があらかじめ擇定した葬地を占った。この案件は『一針見血』から出ている。天盤は地盤に比べて四位順に進んでいる。各位の天将が臨む神は、「天空」が酉に、「白虎」が戌に、「太常」が亥に、「玄武」が子に、「太陰」が丑に、「天后」が寅に、「貴人」が卯に、「螣蛇」が辰に、「朱雀」が巳に、「六合」が午に、「勾陳」が未に、「青竜」が申にある。四課:癸水は丑に寄宮し、丑の上に巳を得て朱雀が乗る——第一課。巳の上に酉を得て天空が乗る——第二課。日支の亥の上に卯を得て貴人が乗る——第三課。卯の上に未を得て勾陳が乗る——第四課。三伝は、初伝が辛酉で天空を乗せ、中伝が丑で太陰を乗せるが丑は旬空に落ち、末伝が丁巳で朱雀を乗せる——巳・酉・丑が合して金局を成して日干を生ずる。丑はもともと墓田の神だが、いま空に落ちまた天空を帯びているので、ちょうど以下の言う空墳・虚塚に応ずる。
邵彥和曰:前後左右皆有空墳,穴主山山側又是一陰人墳,若不去此墳,如何葬得?徐曰:此地若何?先生曰:甚好。以干支上皆貴人也。且金局又生日干。有何不利?但丑為墓田空亡,則是虛墓。兼有天空,亦是虛墳。必須去此,然後可以論生而葬,日後必出貴人。最好是水路合星辰,文筆雙峰,出人清秀也。徐問汪家買山,汪兄弟三分,只賣出二分,其長兄一分,故將空棺葬於內。其先前亦有三四個虛塚,皆葬不著。徐乃倍價向汪家長兄買之。
邵彦和が言うには、この地の前後左右には皆、空墳があり、穴の主山の山側にはまた一つの陰人の墳がある。もしこの墳を去らなければ、どうして葬ることができようか。徐が問うには、この地はいかがですか。先生が言うには、甚だ好い。日干・日支の上に皆、貴人が坐するからである。しかも金局がまた日干を生ず——何の不利があろうか。ただし丑はもとより墓田であってまた空亡に落ちるので、虚墓であり、兼ねて天空を帯びるので、また虚墳である。必ずまずこれらの墳を去らなければならず、しかる後に生気を論じて葬ることができる——後日必ず貴人が出る。最も好いのは水路が星辰と合し、前案に文筆の双峰があることで、清秀の人が出る。徐は汪家に山を買うを問い、汪の兄弟は三股に分かれ、ただ二股を売るを肯んじ、その長兄の一股は売らず、そこで空棺をその内に葬った。その先にも三四座の虚塚があり、皆、葬り着かなかった。徐はすなわち倍の価を出して汪家の長兄にその一股を買った。
庚戌年七月葬妻,壬子年徐宅三房媳婦兩房得二男。至五六歲聰明,日讀百餘字,二歲五經讀盡,十六歲入試場,十九歲發科舉,二十二歲兄又發舉,二十六歲及第,想此地應矣。
庚戌年七月に彼はここに妻を葬り、壬子年に徐宅の三房の嫁の中から二房が各々男児を一人得た。二人の子は五六歳になると甚だ聡明で、一日に百餘字を読み、二年の内に五経を読み尽くした。十六歳で試場に入り、十九歳で科挙に発し、二十二歳で兄もまた挙に発し、二十六歳で及第した——思うにまさにこの地が応じたのである。
蓋巳加癸作朱雀,巳主雙,故有文筆雙峰高起,支上又見貴人,癸見卯不可謂之脫氣,乃子孫秀貴也。申酉為今日水母,故水來去皆合星辰,巳為雙,故出雙貴也。
これは、巳が癸の寄宮の上に加わって朱雀を乗せるからである——朱雀は文章を主り、巳はまた双を主るので、案前に二座の文筆の峰が高く聳え起きている。日支の上にはまた貴人が坐する。癸が卯を見るのはここでは泄脱の気と言うべからず、まさに子孫の清秀・顕貴の象である。申と酉はこの日の水源の母なので、来水・去水ともに星辰の方位と合する。巳はすでに双を主るので、出るのは一対の貴人である。
