乾隆己巳年三月乙丑日に某が風水を占う(『牧夫占験』)
乾隆己巳年三月乙丑日酉將午時某占風水。《牧夫占驗》
乾隆己巳年三月乙丑日、酉将を取り午時に加えて課を起こす。某が一か所の墳地の風水の善悪を占った。この例は『牧夫占験』から採った。
貴后陰玄 申酉戌亥 蛇勾陰蛇 財 辛未 蛇 蛇未 子常 未辰戌未 財 戌 陰 ◎ 朱午 丑虎 辰丑未乙 財 乙丑 虎 ⊙ 巳辰卯寅 合勾龍空
課盤。酉将を午時に加えると、天盤は地盤より三位進む:申が地盤の巳に加わり、酉が午に、戌が未に、亥が申に、子が酉に、丑が戌に、寅が亥に、卯が子に、辰が丑に、巳が寅に、午が卯に、未が辰に加わる。天将は貴人が申に乗るところから起こる——申は地盤の巳位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は未に乗り、朱雀は午に、六合は巳に、勾陳は辰に、青竜は卯に、天空は寅に、白虎は丑に、太常は子に、玄武は亥に、太陰は戌に、天后は酉に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰、第一課、辰の上に未を見、螣蛇が乗る。第二課、未の上に戌を見、太陰が乗る。第三課、日支の丑の上に辰を見、勾陳が乗る。第四課、辰の上に未を見、螣蛇が乗る。右側の三伝:初伝は未で財爻、遁干は辛、螣蛇が乗る。中伝は戌で財爻、太陰が乗り旬空。末伝は丑で財爻、遁干は乙、白虎が乗る。未は乙木の墓で、丑はまた日支である。日干と日支の上にともに墓神を戴く——まさにこれが下文の断語の着眼処である。
王牧夫曰:此地無風水,純是粗石,不可買也。凡占風水以支辰為主,今支上戴墓。干上又戴墓,是前此已有墳墓,皆在平田處,因氣不足。今皆衰替,此占乃未葬而占風水,已有穴處,故以蛇而論之。未乘蛇坐辰上。辰為惡山,辰戌重見,為石,未又不務,何能求全。若必扦葬,人亦衰敗,安可買耶。後其人不信買之,開穴數處皆石,始棄也。
王牧夫が断じて言う:この地は風水と言うべきものがなく、一面粗石で、買うべからず。凡そ風水を占うには日支を主とする。いま日支の上に墓神を戴き、日干の上にも墓神を戴く——これ以前にここにすでに墳墓があったことが見え、しかも皆平田の処にあり、地気が足りないので、いま皆衰敗している。今回はまだ葬り下さず先に風水を占い、穴位はすでに選定されているので、螣蛇をもって地脉を論ずる:「未」の上に螣蛇が乗り、辰の上に坐す。辰は悪山で、辰・戌が両見すれば石となる。未はまた力を得ず、どうして周全を求め得ようか。もし必ず葬り下さんとすれば、人もまたこれに随って衰敗する。どうして買うことができようか。その後その人は信ぜず、やはり買い、幾ヶ所かの穴を開いたが皆石であったので、これにて罷んだ。
建炎己酉年九月乙丑日に沈保正が脱役を占う(『方本占案』・『口鑑』)
建炎己酉年九月乙丑日卯將戌時沈保正壬戌生四十八歲占脫役事。《方本占案》《口鑑》
南宋建炎己酉年九月乙丑日、卯将を取り戌時に加えて課を起こす。沈保正は壬戌年生まれで四十八歳、自分が保正という差役を卸し得るかを占った。この例は『方本占案』と『口鑑』に見える。
朱合勾龍 戌亥子丑 合陰空蛇 兄 丙寅 空 蛇酉 寅空 亥午寅酉 財 辛未 后 貴申 卯虎 午丑酉乙 父 甲子 勾 未午巳辰 后陰玄常
課盤。卯将を戌時に加えると、天盤は地盤より五位進む:戌が地盤の巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。天将は貴人が申に乗るところから起こる——申は地盤の卯位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は酉に乗り、朱雀は戌に、六合は亥に、勾陳は子に、青竜は丑に、天空は寅に、白虎は卯に、太常は辰に、玄武は巳に、太陰は午に、天后は未に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰、第一課、辰の上に酉を見、螣蛇が乗る。第二課、酉の上に寅を見、天空が乗る。第三課、日支の丑の上に午を見、太陰が乗る。第四課、午の上に亥を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は寅で兄弟爻、遁干は丙、天空が乗る。中伝は未で財爻、遁干は辛、天后が乗る。末伝は子で父母爻、遁干は甲、勾陳が乗る。寅は六壬の中で「功曹」と名づき吏胥を主る。酉は乙日の官鬼で、この刻ちょうど日干の上に加わる。
邵彥和曰:保正不能脫手,於道理上合當做此役也。酉加乙作蛇官鬼自纏其身,初傳功曹身已在公了,鄭云功曹為胥吏,保正亦胥吏之屬,為保正之後平安無此子事,汝若不認此役,須被監禁必待認了方釋。
邵彦和が断じて言う:この保正の差役は卸し得ない。情理に按ずれば彼が当たるべきものでもある。酉が日干乙の上に加わり螣蛇に乗る——官鬼が蛇のように自らその身を纏う。初伝は「功曹」の寅で、人はすでに公門の中に陥っている——鄭体功が言うに、功曹は吏胥を主り、保正も吏胥の類に属す。保正を為した後はかえって平安で、これらの是非はない。もしこの差役を肯んじて認めなければ、関所に入れられ、必ず認めて初めて放される。
又行年與宅上午作太陰,有一人與爾家陰人是親眷,來為爾打關節,陰也又探爾口氣,午為言語。卻去報他為內鬼也,午遁庚為暗鬼,加支為內,蓋乙見酉為官,所制蛇是被監勒,初寅作天空,為官吏若不認,必入獄,辰加日本為天獄,中傳天后認了全賴寅制之,寅為吏,天空為役,故充了保正之後便不入獄卻無慮,末傳子未相穿,又作勾陳,斷然難脫,脫後又重做也。沈公之事果皆如其言,自後既脫,九年又做一次。
さらに行年と宅位の上の午が太陰に乗るのを見れば:一人の人があなたの家の女眷と親戚で、来てあなたのために関節を打ち通す——太陰は陰私を主り、同時にまたあなたの口風を探る。午は類神の上で言語を主る。ところが彼はかえってあなたを告発しに行き、内鬼と成った——午の遁干は庚で、まさに暗鬼、日支の上に加わればすなわち「内」である。乙が酉を見て官を為し、螣蛇に制されれば、監禁拘管を遭う。初伝の寅が天空に乗り、天空は官吏差役を主る。もしこの役を認めなければ、必ず獄に下される——辰が日辰の本位に加わればすなわち「天獄」である。中伝の天后はこの事を認めることを主り、全く寅に頼ってこれを制する。寅は吏を為し天空は役を為すので、保正を充てれば獄に入らず、慮るべきことがない。末伝の子は未と相穿し、また勾陳に乗る。この差役は断じて脱し得ず、たとえ脱しても後にまた一度当たらねばならない。沈保正のその後の遭遇は果たして全て断じた通りで、卸任の後九年を過ぎ、また一度当たった。
乾隆己巳年五月乙丑日に揚州の商人が監院の返任を占う(『牧夫占験』)
乾隆己巳年五月乙丑日未將丑時揚州商人占監院反任否。《牧夫占驗》
乾隆己巳年五月乙丑日、未将を取り丑時に加えて課を起こす。揚州の商人が来て占い、元任の監院官が帰って復任するかを問うた。この例は『牧夫占験』から採った。
合勾龍空 亥子丑寅 龍后常朱 財 戌 朱 ◎ 朱戌 卯虎 丑未辰戌 財 戊辰 常 ⊙ 蛇酉 辰常 未丑戌乙 財 戌 朱 ◎ 申未午巳 貴后陰玄
課盤。未将を丑時に加えると、月将と占時が相冲し、天盤は地盤より六位進み、「返吟」の課である:亥が地盤の巳に加わり、子が午に、丑が未に、寅が申に、卯が酉に、辰が戌に、巳が亥に、午が子に、未が丑に、申が寅に、酉が卯に、戌が辰に加わる。天将は貴人が申に乗るところから起こる——申は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は酉に乗り、朱雀は戌に、六合は亥に、勾陳は子に、青竜は丑に、天空は寅に、白虎は卯に、太常は辰に、玄武は巳に、太陰は午に、天后は未に乗る。中間の四課は右から左へ:日干乙の寄宮は辰、第一課、辰の上に戌を見、朱雀が乗る。第二課、戌の上に辰を見、太常が乗る。第三課、日支の丑の上に未を見、天后が乗る。第四課、未の上に丑を見、青竜が乗る。右側の三伝:初伝は戌で財爻、朱雀が乗り旬空。中伝は辰で財爻、遁干は戊、太常が乗る。末伝はまた戌で、依然として朱雀に乗り旬空。戌は火墓で旧を主り、辰は天罡で新を主る——一新一旧が対冲し、まさにこの課が新旧官員の去留を断ずる鍵である。
王牧夫曰:占此數新舊皆官,何以核實。因思數不妄傳。今戌辰,辰為新,戌為舊,今戌居始末實舊復蒞任也,夏占火墓發用,雖空然得時之旺氣,況反覆仍歸干上,干為外,故仍蒞外任也。貴居申上為刑慮,為往來又是日德,丑為揚州,未為太陽,丑見青龍,龍陽相遇亦無禍患,況丁神作日祿與馬作合。將來戌旺辰衰,則舊官至矣,來期其在夏秋之交乎,果於六月末旬,立秋前一日到。
王牧夫が断じて言う:この一課は新官も旧官も官である。どうしてどちらかを核定するか。思うに課数は乱れて伝わることはない:いま三伝は戌・辰・戌で、辰は新を主り戌は旧を主る。戌が首尾の両頭を占めるのは、実に旧官が帰って任に赴くことである。夏に占い、火墓の戌が発用し、空亡なれど時令の旺気を得る。いわんや反復往来して依然として日干の上に帰り、日干は外を主るので、彼は依然として外任の上に来る。貴人は申の上に居り、刑獄の慮を主り、また往来を主り、同時にまた日徳である。丑は揚州に対応し、未は太陽を為し、丑の上に青竜を見、竜と陽が相遇するも禍患なし。いわんや丁神が日干の禄を作し、また駅馬と相合する。将来戌の気が転じて旺しく辰の気が転じて衰えるとき、旧官が到る。その来る日はほぼ夏秋の交わりであろう。その後果たして六月末旬、立秋の前一日に任に到着した。
凡占官以官星為主,馬附之,干為外任,支為內任,以新舊論,生氣為新,死氣為舊,天罡旺氣為新,河魁休囚為舊,長生為新,死墓為舊,推而廣之,干上為新,支上為舊,以職守而論,申為兵,亥子為?法。以貴而論,則晝貴晝占為現任,夜貴夜占為退休。以動而言,則斷關為動,返吟為動,馬作長生為動,貴臨傳送為動。
ここに付けて官を占う通則を言う:凡そ官职を占うには官星を主とし、駅馬を輔とする。日干は外任を代表し、日支は内任を代表する。新旧を分かつには:生気を新と為し、死気を旧と為す。天罡の辰が当旺なのを新と為し、河魁の戌が休囚なのを旧と為す。長生を新と為し、死墓を旧と為す。推し広めれば、日干上を新と為し、日支上を旧と為す。職守で分かつには:申は兵事を主り、亥・子は刑法の類を主る(「亥子為?法」の「?」は底本の缺字)。貴人で分かつには:昼貴人で昼に占えば現任を主り、夜貴人で夜に占えば退休を主る。動静で分かつには:斬関課は動を主り、返吟課は動を主り、駅馬が長生に乗れば動を主り、貴人が伝送の申に臨むも動を主る。
欽差則以馬為主祿次之以此類推無有不驗。
もし占うのが欽差なら、駅馬をもって主と為し、禄神をこれに次ぐ。この筋に照らして類推すれば、応験せざるなし。
丙寅日
天聖六年五月丙寅日に丁卯生まれの人が訟を占う(『一針見血』・『玉連環』末巻)
天聖六年戊辰五月丙寅日申將丑時丁卯人六十二歲占訟。《一針見血》《玉連環末卷》
北宋天聖六年、歳は戊辰、五月丙寅日、申将を取り丑時に加えて課を起こす。一人の丁卯年生まれ・六十二歳の人が官司を占った。この例は『一針見血』と『玉連環』末巻に見える。
合勾龍空 子丑寅卯 虎貴陰合 官 甲子 合 朱亥 辰虎 辰酉未子 子 辛未 陰 蛇戌 巳常 酉寅子丙 父 丙寅 龍 酉申未午 貴后陰玄
課盤。申将を丑時に加えると、天盤は地盤より七位進む:子が地盤の巳に加わり、丑が午に、寅が未に、卯が申に、辰が酉に、巳が戌に、午が亥に、未が子に、申が丑に、酉が寅に、戌が卯に、亥が辰に加わる。天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は亥に、六合は子に、勾陳は丑に、青竜は寅に、天空は卯に、白虎は辰に、太常は巳に、玄武は午に、太陰は未に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳にあり、第一課、巳の上に子を見、六合が乗る。第二課、子の上に未を見、太陰が乗る。第三課、日支の寅の上に酉を見、貴人が乗る。第四課、酉の上に辰を見、白虎が乗る。右側の三伝:初伝は子で日干丙の官鬼、遁干は甲、六合が乗る。中伝は未で子孫、遁干は辛、太陰が乗る。末伝は寅で父母、遁干は丙、青竜が乗る。河魁の戌は螣蛇に乗って地盤の卯位に立ち、天罡の辰は白虎に乗って地盤の酉位に立つ——卯酉はちょうど門戸の位で、下文はすなわちこれより門戸不寧を断ずる。
苗公達曰:主門戶不寧,卑幼為尊長所欺,反有詞訟,須坐獄,兩旬必有貴人釋罪。來日丁卯便見官入獄也。果是兄訟其弟得大尹勸和。
苗公達が断じて言う:この一課は門戸が安寧でなく、晩輩幼者が尊長に欺圧され、かえって詞訟を鬧し出し、さらに牢に坐することを主す。ただし二十日の内に必ず貴人が彼のために罪名を開脱する。明日の丁卯日に官に会い獄に下るであろう。その後果たして兄が弟を告げ、最後に府尹が出て勧め和して事を了した。
論曰:魁罡乘蛇虎立卯酉,故知門戶不寧,三上克下,為幼度厄,故主尊凌卑,神后加水為用,水在五月為囚氣,丙火正旺不受上神所制,則反起爭訟,年上見戌,戌為日墓,故主坐獄,發用神后為甲子旬首,年上河魁為甲戌旬首,應以兩旬為期,傳中合陰龍俱是吉神,又是比用課故主和允。酉作貴人臨日支,順行與用神金水相生,故得貴人釋罪,卯上見戌,戌為火墓,故在丁卯日見官入獄也。
その論断の理路は:河魁の戌と天罡の辰がそれぞれ螣蛇・白虎に乗り、卯・酉の二つの門戸の位に立つので、門戸が寧まらないと知った。四課の中に三課が上神が下神を克するのは、幼者が厄を受ける象で、ゆえに尊長が卑幼を欺凌することを主す。「神后」の子水が発用し、水は五月にちょうど囚気に当たり、丙火は却って当旺で、上神の制伏を受けようとせず、そこでかえって訟を争い起こした。行年の上に戌を見、戌は丙日の墓なので、牢に坐することを主す。発用の神后子は甲子旬の旬首で、行年上の河魁戌は甲戌旬の旬首なので、応期は両旬二十日に定まる。三伝の中の六合・太陰・青竜は皆吉将で、課体もまた比用課なので、和解允当を主す。酉が貴人に乗って日支上に臨み、貴人は順行し、用神と金水相生するので、貴人に罪名を開脱してもらい得る。卯の上に戌を見、戌は火の墓庫なので、丁卯日に官に会い獄に下ると断じた。
乾隆甲戌年六月丙寅日に楊商が散輪を占う(『牧夫占験』)
楊商占散輪否,乾隆甲戌年六月丙寅日午將酉時。《牧夫占驗》
楊姓の塩商が「散輪」を占った——すなわち淮南塩務において各旗が次序に従って輪番で塩を売る班次が打ち散らされるかどうか。時は乾隆甲戌年六月丙寅日、午将を取り酉時に加えて課を起こした。この例は『牧夫占験』から採った。
合勾龍空 寅卯辰巳 玄貴貴合 官 亥 貴 ◎ 朱丑 午虎 申亥亥寅 財 壬申 玄 ⊙ 蛇子 未常 亥寅寅丙 兄 己巳 空 亥戌酉申 貴后陰玄
課盤。午将を酉時に加えると、天盤は地盤より九位進む:寅が地盤の巳に加わり、卯が午に、辰が未に、巳が申に、午が酉に、未が戌に、申が亥に、酉が子に、戌が丑に、亥が寅に、子が卯に、丑が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は丑に、六合は寅に、勾陳は卯に、青竜は辰に、天空は巳に、白虎は午に、太常は未に、玄武は申に、太陰は酉に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に寅を見、六合が乗る。第二課、寅の上に亥を見、貴人が乗る。第三課、日支の寅の上に亥を見、貴人が乗る。第四課、亥の上に申を見、玄武が乗る。右側の三伝:初伝は亥で日干の官鬼、貴人が乗り旬空で「◎」を標す。中伝は申で財爻、遁干は壬、玄武が乗り、申はまた本日の駅馬である。末伝は巳で兄弟爻、遁干は己、天空が乗る。初伝の亥と末伝の巳が相冲する——これがこの課で「終に必ず散ず」と断ずる根拠である。
王牧夫曰:此占惟淮南鹽務中有之,古之所無,故無成斷模楷。夫輪之為象,循序動而不息,中傳傳送,乃其象也,申又乘馬,其象更的,貴人乘亥發用貴為官,亥為監鹽官司,之首先發用用不務是鹽不足也,而貴為之,躊躇也,申在中末巳合之,金火相合,有疑而未決之象,然初末相沖終必散也,散而不久,又必合也。其散期在秋後,果驗。口岸之鹽各旗挨次輪賣,散輪則有人越次而。
王牧夫が言う:この類の占問は淮南塩務の中にのみあり、古書にはなく、したがって循うべき既成の断法がない。「輪」の象は順に転じて循環し息まないことで、中伝の「伝送」申はちょうどこの象に合する。申の上にまた駅馬が乗れば、象はいっそう貼切になる。貴人が亥に乗って発用し、貴人は官を為し、亥は塩を管する官署を主る。それが最も前に排して発用するのに用神が力を得ないのは、塩貨が足りず、それによって官府が迟疑不決するためである。申が中伝に落ち、末伝の巳がそれと合し、金火相合するのは、心に疑虑を存し懸けて未だ決せざる様子である。しかし初伝と末伝は相冲し、最終的に必ず散ず。散じても久しくはなく、日後にまた再び合する。散ずる時期は秋の後である。その後果たして応験した。淮南各口岸の塩は、各旗が次序を挨拶して輪番で売るのであり、いわゆる「散輪」とは、人が次を越えて競い売ることである(この句は底本がここで中断し、下文が脱落している)。
九月丙寅日卯将卯時に行人を占う(『玉連環』末巻)
九月丙寅日卯將卯時占行人。《玉連環末卷》
九月丙寅日、卯将を取り卯時に加えて課を起こす——月将と占時が同じで「伏吟」の課である。占ったのは外に出ている人が到るかどうか。この例は『玉連環』末巻から採った。
空虎常玄 巳午未申 合合空空 兄 己巳 空 龍辰 酉陰 寅寅巳巳 財 壬申 玄 勾卯 戌后 寅寅巳丙 父 丙寅 合 寅丑子亥 合朱蛇貴
課盤。卯将を卯時に加えると、天盤と地盤は完全に重合し、十二支は各々本位に帰る——伏吟課である。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥はちょうど地盤の亥位にあり、陽に属すので順行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は丑に、六合は寅に、勾陳は卯に、青竜は辰に、天空は巳に、白虎は午に、太常は未に、玄武は申に、太陰は酉に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳にあり、第一課、巳の上に依然として巳を見、天空が乗る。第二課、巳の上に巳を見、天空が乗る。第三課、日支の寅の上に寅を見、六合が乗る。第四課、寅の上に寅を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は巳で兄弟爻、遁干は己、天空が乗る。中伝は申で財爻、遁干は壬、玄武が乗る。末伝は寅で父母爻、遁干は丙、六合が乗る。伏吟課は四課が二二相同じなので、刑を取って発用し、ゆえに三伝は巳・申・寅と成る——ちょうど寅申巳亥の四孟の地である。
劉日新曰:此乃貴人占從人到否,須責天空,其人已動在路,巳乃地足,為用,更在日辰上,主亥日當到,末寅作六合,乃船車動也。又寅申巳亥乃傳終也。凡天?二馬加日辰發用,定主行人至,更傳盡處定歸,或傳送在日辰之後,陰神在日辰之後,未到也。
劉日新が断じて言う:これは貴人が随従の人が到るかを占ったもので、専ら天空の一将に責めるべきである。その人はすでに身を動かして路上にいる:巳は「地足」で、また発用であり、さらに日干の上に落ちるので、亥日に当たり到ると断じた。末伝の寅が六合に乗るのはちょうど船車が行動する象である。いわんや寅・申・巳・亥は三伝の終点である。凡そ天馬・駅馬の二馬が日辰上に加わって発用すれば、必ず行人が到ることを主す。さらに三伝の終点の処を見て帰期を定める。もし伝送の申が日辰の後に落ち、陰神もまた日辰の後にあれば、それは人がまだ到っていないことである(「天?二馬」の「?」は底本の缺字)。
建炎戊申年六月丙寅日に徐経幹が赴任を占う(『口鑑』)
徐經干辛酉生三月二十日巳時生四十八占赴任,建炎戊申年六月丙寅日巳時未將。《口鑑》
徐経幹は辛酉年三月二十日巳時の生まれで四十八歳、外地に赴任するのが可行かどうかを占った。時は南宋建炎戊申年六月丙寅日、未将を取り巳時に加えて課を起こした。この例は『口鑑』に見える。
勾合朱蛇 未申酉戌 龍虎朱勾 子 戊辰 虎 龍午 亥貴 午辰酉未 兄 庚午 龍 空巳 子后 辰寅未丙 財 壬申 合 辰卯寅丑 虎常玄陰
課盤。未将を巳時に加えると、天盤は地盤より二位進む:未が地盤の巳に加わり、申が午に、酉が未に、戌が申に、亥が酉に、子が戌に、丑が亥に、寅が子に、卯が丑に、辰が寅に、巳が卯に、午が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の酉位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は酉に、六合は申に、勾陳は未に、青竜は午に、天空は巳に、白虎は辰に、太常は卯に、玄武は寅に、太陰は丑に、天后は子に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に未を見、勾陳が乗る。第二課、未の上に酉を見、朱雀が乗る。第三課、日支の寅の上に辰を見、白虎が乗る。第四課、辰の上に午を見、青竜が乗る。右側の三伝:初伝は辰で子孫、遁干は戊、白虎が乗る。中伝は午で兄弟、遁干は庚、青竜が乗る。末伝は申で財爻、遁干は壬、六合が乗る。三伝は辰・午・申と一路高く登る——すなわち「登三天」の課である。
邵彥和曰:辰午申登三天課,因前高峻而至危險。占行人不歸,占疾病不起,今經干占赴任得此,萬不可往,恐有去無回來。年行年到寅正是登三天,尤不可往也。經干不信於己酉年七月動身赴任,八月到京西,庚戌年五月病死,自後子孫家眷俱不得歸,以飛廉作白虎故也。
邵彦和が断じて言う:辰・午・申は「登三天」の課で、一路前へ攀り高め、終に危険に至る。この種の課で行人を占えば帰らないことを主り、疾病を占えば起きないことを主る。いま徐経幹が赴任を占ってこの課を得た——千万行くべからず、ただ行って帰らざることを恐れる。彼の行年はちょうど寅の上に走到し、恰も登三天の位置にあり、殊に往くべからず。徐経幹は信ぜず、己酉年七月に身を発して赴任し、八月に京西に到り、庚戌年五月に病で死んだ。その後子孫家眷は皆帰って来られなかった——これは飛廉の神が白虎に乗った故である。
《口鑑》。愚按:六月飛廉在卯,不在辰。
以上は『口鑑』から出る。程樹勳按:六月の飛廉は卯位にあり、辰位にあらず。原書のここの説法は飛廉の起例と合わない。
建炎戊申年二月丙寅日に徐教授が前程を占う(『口鑑』)
建炎戊申年二月丙寅日亥將申時徐教授丙子命三十三歲十一月二十一日丑時生占前程。《口鑑》
南宋建炎戊申年二月丙寅日、亥将を取り申時に加えて課を起こす。徐教授は丙子年十一月二十一日丑時の生まれ、本命は子に属し、三十三歳、功名前程を占問した。この例は『口鑑』に見える。
合朱蛇貴 申酉戌亥 合空貴合 財 壬申 合 勾未 子后 申巳亥申 官 亥 貴 ◎ 青午 丑陰 巳寅申丙 父 丙寅 玄 ⊙ 巳辰卯寅 空虎常玄
課盤。亥将を申時に加えると、天盤は地盤より三位進む:申が地盤の巳に加わり、酉が午に、戌が未に、亥が申に、子が酉に、丑が戌に、寅が亥に、卯が子に、辰が丑に、巳が寅に、午が卯に、未が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の申位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は酉に、六合は申に、勾陳は未に、青竜は午に、天空は巳に、白虎は辰に、太常は卯に、玄武は寅に、太陰は丑に、天后は子に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に申を見、六合が乗る。第二課、申の上に亥を見、貴人が乗る。第三課、日支の寅の上に巳を見、天空が乗る。第四課、巳の上に申を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は申で財爻、遁干は壬、六合が乗る。中伝は亥で日干の官鬼、貴人が乗り旬空で「◎」を標す。末伝は寅で父母爻、遁干は丙、玄武が乗る。亥は既に二月の月将であり、また天門の位である——下文の断語は反復してここから象を取る。
邵彥和曰:申本時臨日,為日所克,丙為夫,申為妻。既從日上發用,空亡又臨妻宮,必主克妻,亥數四主克四妻,中年子息亦克,以六合不得地也。申為西南之金,到巳之爐冶上,必有聲名於西北也。申乘今日之馬,干又坐本命之馬而得長生,主為官至老不倦也。宅上丙火受寅而生,不可以外內言也。年將四旬必遇曹姓人而顯官亦終於六曹,亥為月將不論空亡,但時少遲耳。
邵彦和が断じて言う:申は本来占時の神でありながら日干の上に臨み、日干に克される。丙は夫を為し、申は妻を為す。日干上から発用し、空亡がまた妻宮に落ちる——必ず妻を克することを主す。亥の数は四で、四人の妻を克することを主す。中年の時、子嗣にも損傷あり——六合が所を得ずに落ちるからである。申は西南の方の金で、巳という炉冶の上に落ちて鍛錬を受ける。将来必ず西北一帯に声名がある。申はまた本日の駅馬に乗り、日干はまた本命の駅馬の上に坐して長生を得る——官を為して老いて倦まないことを主す。宅位上の丙火は寅木の相生を受ける。この一層は内外をもって分かち説くことはできない。年近く四十にして必ず一人の姓曹の人に遇いて顕達し、官职も最終的に六曹の内にある。亥は当月の月将で、空亡を論ぜず、ただ応期がやや遅いだけである。
月將貴人入傳四年之後,便顯自絳帳,從此達於天庭。又寅來生身,十一月天馬在寅,寅臨天門,元武歸本家,為黑煞,黑煞為刑職,中傳既有天門,寅又在天門上,以天見天,必出疆見諸侯,然後入奉天子,處六曹中帶刑職者。寅申巳亥為四維,主代天子而守四方,必四任也。
月将と貴人が三伝に入れば、四年の後に顕達する。まず書を教える講席から家を起こし、これにより朝廷に上達する。さらに寅が来て日干を生助するのを見れば、十一月の天馬はちょうど寅にあり、寅はまた天門の亥位に臨む。玄武は本家に回って黒煞と成り、黒煞は刑名の職を主る。中伝はすなわち天門の亥で、寅はまた天門の上に圧する。天をもって天に見ゆ——この人は必ずまず外郡に出使して諸侯に見え、然る後に朝に入り天子に侍奉し、六曹の中で刑名を帯びた職務に就く。寅・申・巳・亥は四維の位で、天子に代わって四方を鎮守することを主るので、彼は必ず四任の外官を歴る。
徐君當年服滿得江州德化縣令,次年二月赴任,五月喪妻楊氏,庚戌正月再娶李氏,辛亥年宣撫使劉大中保舉,得諸王府教授,李氏又亡,又娶毛氏,此應中傳之亥,自絳帳而入絳帳,從此達於天庭也,果然四年自諸王教授,出為饒州通判,丁母憂服,再得宣州通判,是時知州曹泳,乃秦太師上客,曹赴京因薦之,徐隨赴召,毛氏又卒,再娶江氏,轉知江陰州軍,召為監察御史,又除殿中侍御史,七月除吏部侍郎,出作奉使兼樞密院承旨,八十六矣。
後の事実はこうである:徐教授は当年に守喪期が満ち、江州徳化県令の授けを得、第二年二月に赴任し、五月に妻の楊氏が逝去した。庚戌年正月に李氏を続娶した。辛亥年に宣撫使劉大中の保挙により諸王府教授の任を得、李氏もまた逝去し、再び毛氏を娶った——これはちょうど中伝の亥に応じ、講席から入りて講席に入り、これより朝廷に上達したのである。果たして四年の後、諸王府教授から外に放たれて饒州通判となり、母の喪に遭い守制し、服が満ちて再び宣州通判を得た。当時の知州曹泳は秦檜の座上客で、曹泳が京に入る時に彼を推薦し、徐教授はすなわち応召し、毛氏もまた亡くなり、再び江氏を娶った。江陰州軍知州に転任し、監察御史に召され、また殿中侍御史に拜し、七月に吏部侍郎を除し、外に放たれて奉使兼枢密院承旨となり、八十六歳を享けた。
愚按:內有十一月天馬在寅之句,今繫二月,豈用其生用乎。
程樹勳按:断語の中に「十一月天馬在寅」の一句があるが、この課は二月に占ったもので、どうして十一月の天馬をもって用神と為し得ようか。ここは起例に合わない。
戊申年六月丙寅日に何三公が身位を占う(『口鑑』・『方本占案』)
何三公丙午生六十三歲占身位,戊申年六月丙寅日未將寅時。《口鑑》《方本占案》
何三公は丙午年生まれで六十三歳、自身の安危を占った。時は戊申年六月丙寅日、未将を取り寅時に加えて課を起こした。この例は『口鑑』と『方本占案』に見える。
蛇朱合勾 戌亥子丑 合陰空蛇 官 甲子 合 貴酉 寅青 子未卯戌 兄 己巳 常 后申 卯空 未寅戌丙 子 戌 蛇 ◎ 未午巳辰 陰玄常虎
課盤。未将を寅時に加えると、天盤は地盤より五位進む:戌が地盤の巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の辰位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は亥に、六合は子に、勾陳は丑に、青竜は寅に、天空は卯に、白虎は辰に、太常は巳に、玄武は午に、太陰は未に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に戌を見、螣蛇が乗る。第二課、戌の上に卯を見、天空が乗る。第三課、日支の寅の上に未を見、太陰が乗る。第四課、未の上に子を見、六合が乗る。右側の三伝:初伝は子で日干の官鬼、遁干は甲、六合が乗る。中伝は巳で兄弟、遁干は己、太常が乗る。末伝は戌で子孫、螣蛇が乗り旬空で「◎」を標す。日干と日支の上はともに墓神を帯び、第四課の子鬼が発動して三伝がまた日干に帰る——これが下文で伏屍の祟を断ずる根拠である。
邵彥和曰:干支帶墓,第四課見子鬼發動,卻又傳歸日上,六月死神在戌作蛇,主有伏尸,帶迷惑煞,殃及於人,因宅中皆是舊墓,前後俱有尸骸,鬼入四課,在內之鬼也。傳出日上,漸次侵害於人也。主不出八年,癆病相纏,當死五人,中傳雖有生氣,受克化而為鬼,是以不利。戌年戌月難以救也。考何三公宅內原是舊冢,聞此言,乃掘之,共掘得十四穴,皆無主之墓。庚戌年九月未日,何公不祿,七年之中,果喪五人。
邵彦和が断じて言う:日干・日支ともに墓神を帯び、第四課上の子鬼が発動し、また伝わって日干の上に回る。六月の死神は戌にあり螣蛇に乗る——宅下に埋まる屍骨があり、また迷惑煞を帯び、活人に殃及することを主す。原因は宅の下に全て旧墳があり、前後に屍骸があることである。鬼が四課に入るのは屋内の鬼、伝出して日干の上に至るのは次第に人身を侵害することである。八年を出ずして家中に労病が纏身し、死すべきは五口と主す。中伝は生気を帯びるが、克を受けて化して鬼と為るので不利である。戌年戌月に至ればなお救い難い。考査すれば、何三公の宅はもともと旧墳地であった。これを聞いて挖掘に往き、全部で十四個の穴を掘り出し、皆無主の墳であった。庚戌年九月の未日に何三公は逝去し、七年の中に果たして五口が死んだ。
畢法賦云,兩蛇夾墓凶難免,此課凶矣,再()其山之所自( )發用見子水()為鬼出迤邐歸()干上未為天()殺加宅主有()尸侵害人也。
『畢法賦』に「両蛇が墓を夾めば、凶事免れ難し」と言う——この一課はまさに凶象である。以下の一段は底本が残缺し、括弧の処は皆脱字で、強いて読める大意は:さらにその山勢の来処を推すに、発用に子水を見て鬼を為し、鬼気は一路蔓延して日干の上に帰り、未は天殺を為し、宅位の上に加わるので、屍骨が活人を侵害することを主す。缺文の処は臆して補うことを敢てせず、謹んで原様のまま保留する。
丁卯年未月丙寅日に某が宅内の鬼哭を占う(『牧夫占験』)
某占宅內鬼哭丁卯年未月丙寅日未將寅時。《牧夫占驗》
ある人が家中の夜中に鬼の哭く声があるのは何の故かを占った。時は丁卯年未月(六月)丙寅日、未将を取り寅時に加えて課を起こした。この例は『牧夫占験』から採った。
蛇貴后陰 戌亥子丑 后勾常蛇 官 甲子 后 朱酉 寅玄 子未卯戌 兄 己巳 空 合申 卯常 未寅戌丙 子 戌 蛇 ◎ 未午巳辰 勾龍空虎
課盤。未将を寅時に加えると、天地盤は前の例と同じで、天盤は地盤より五位進む:戌が巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。異なるのはこの課が夜貴を用いることで、天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の午位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は酉に、六合は申に、勾陳は未に、青竜は午に、天空は巳に、白虎は辰に、太常は卯に、玄武は寅に、太陰は丑に、天后は子に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に戌を見、螣蛇が乗る。第二課、戌の上に卯を見、太常が乗る。第三課、日支の寅の上に未を見、勾陳が乗る。第四課、未の上に子を見、天后が乗る。右側の三伝:初伝は子で官鬼、遁干は甲、天后が乗る。中伝は巳で兄弟、遁干は己、天空が乗る。末伝は戌で子孫、螣蛇が乗り旬空。天后は哭泣を主り婦人を主り、子はまた半夜に当たるので、夜半の女鬼の啼哭と断じた。
王牧夫曰:鬼由四課發用,乃宅內之鬼,天后主哭泣,子屬半夜,後為女鬼,儀神為尊長,當自東北而依西北哭去,主家中有月厭氣事。此來警覺耳。於人無傷也,中傳作天空,天空乃奏事之神,又為月厭煞,又是生氣,家中恐有糊塗不明事,不然何自宅內傳歸戌地,乃是日墓又歸干上,以墓丙火支辰又乘墓。人宅招晦,不得分明當慎之也。夫事見理明尚義體仁關照大局,棄小遇內外整則可讓而禍自可遠矣。
王牧夫が断じて言う:鬼が四課の内から発用する——屋の中の鬼であることが見える。天后は哭泣を主り、子は半夜に当たり、天后はまた女鬼の象である。儀神は尊長を主る。この鬼は東北の方から来て、西北の方に依って哭き過ぎ去ったのであろう。家中に月厭の気の事があることを主し、それが来るのはただ示警するのであって、人に対して傷害はない。中伝は天空に乗り、天空は奏事の神であり、また月厭煞であり、同時にまた生気である。ゆえに家の中におそらく糊塗して明白でない事がある。さもなければ、なぜ三伝が宅内から戌の地に伝わるのか——戌は既に丙日の墓であり、また日干の上に帰り、墓が丙火を圧し、日支上にも墓が乗る。人と宅とともに晦気を招き、事が説き分明せず、謹慎すべきである。凡そ事に遇うには、ただ理を見ること明白に、道義を崇び、仁厚を存心し、大局を顧全し、小処を舎てて内外を整粛することを肯んじ、一歩譲ることができれば、禍患は自ずから遠のく。
六月丙寅日午将未時に来意を占う(『一字玉連環』)
六月丙寅日午將未時占來意。《一字玉連環》
六月丙寅日、午将を取り未時に加えて課を起こし、「来意」を占い、来人の心中の問いを推しはかる。この例は『一字玉連環』から採った。
龍空虎常 辰巳午未 蛇朱勾龍 官 甲子 蛇 勾卯 申玄 子丑卯辰 官 亥 貴 ◎ 合寅 酉陰 丑寅辰丙 子 戌 后 ◎⊙ 丑子亥戌 朱蛇貴後
課盤。午将を未時に加えると、天盤は地盤より一位退する:辰が地盤の巳に加わり、巳が午に、午が未に、未が申に、申が酉に、酉が戌に、戌が亥に、亥が子に、子が丑に、丑が寅に、寅が卯に、卯が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の子位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は丑に、六合は寅に、勾陳は卯に、青竜は辰に、天空は巳に、白虎は午に、太常は未に、玄武は申に、太陰は酉に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳にあり、第一課、巳の上に辰を見、青竜が乗る。第二課、辰の上に卯を見、勾陳が乗る。第三課、日支の寅の上に丑を見、朱雀が乗る。第四課、丑の上に子を見、螣蛇が乗る。右側の三伝:初伝は子で日干の官鬼、遁干は甲、螣蛇が乗る。中伝は亥で、これも官鬼、貴人が乗り旬空。末伝は戌で子孫、天后が乗り、同じく旬空。六壬では子の名は「神后」、亥の名は「登明」、戌の名は「天魁」、辰の名は「天罡」で、下文の断語は皆これらの神名を用いる。
徐次賓曰:來意主北面近水酒莚,間與額尖眼小之人相爭,又一貴人與彼相助照,乃息怒而欲見官,卻得一姓王人勸合無事也。蓋值事門上見太常主酒食,發用亥子為北面又臨亥為近水,神后為日之鬼,見蛇為眼小額尖之人,中傳登明亦為日鬼,上見貴人,穩中有降與彼相助照緣。日上見天罡土能制亥子水,又主怒惡,故知息怒,惡而欲見官,卦體比且主和,合末傳天魁亥主王字,故云姓王人勸合也。
徐次賓が断じて言う:来人の心事は、北面の水に倚る所で酒席に赴き、席間に一人の額が尖り目の小さい人と争い起こしたことである。また一人の貴人が相手を助け、そこで彼は怒気を圧して官に見えて告げようと思い、後に一人の姓王の人がその中から勧め和し、ようやく事には至らなかった。道理は:値事門上に太常を見、太常は酒食を主る。発用の亥・子は方位の上で北面に属し、また亥に臨んで水に近い。「神后」の子は日干丙の鬼で、上に螣蛇が乗る——まさに目が小さく額の尖った人の象である。中伝「登明」の亥もまた日干の鬼で、上に貴人を見るので、貴人が相手を助けると言った。日干上に「天罡」の辰を見、辰土は亥子の水を制し得、また憤怒を主るので、彼が怒気を圧し留めたと断じた。怒り極まって官に見えようと思ったが、課体は比用課で和解を主る。末伝「天魁」の戌は亥の上に臨み、亥の字形は「王」の字に関聯するので、姓王の人が出面して勧め和したと言ったのである。
