Libo

丁亥日・二月に生産を占う

清 · 程树勋 · 第21巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

二月丁亥日戌將亥時占生產。(直指引古鑑)

二月の丁亥日、戌月将を亥時の上に加えて課を起こし、生産を占った。この例は『六壬直指』に見え、『直指』はまた旧本『古鑑』から転引したものである。

龍勾合朱 辰巳午未 貴后勾合 子丙戌后 空卯 申蛇 酉戌巳午 財乙酉貴 虎寅 酉貴 戌亥午丁 財甲申蛇 丑子亥戌 常玄陰后

この盤は戌月将を亥時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位退く。天盤十二支の乗ずる天将は:子は玄武、丑は太常、寅は白虎、卯は天空、辰は青竜、巳は勾陳、午は六合、未は朱雀、申は螣蛇、酉は貴人、戌は天后、亥は太陰を乗せる。亥時は夜に属するので、丁日の夜貴である酉を用いる。四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に午を得、午は六合を乗せる。第二課、午上に巳を得、巳は勾陳を乗せる。第三課、日支の亥上に戌を得、戌は天后を乗せる。第四課、戌上に酉を得、酉は貴人を乗せる。三伝は初伝の戌で、遁干は丙戌、天后を乗せ、子孫である。中伝は酉で、遁干は乙酉、貴人を乗せ、妻財である。末伝は申で、遁干は甲申、螣蛇を乗せ、これも妻財である。戌・酉・申が一歩ずつ退くのは、退茹の格である。

邵彥和曰:占時與日比,用神克下,當生男。亥為頭,戌為足,鞏有倒生之象。末傳蛇對沖寅,寅作白虎為血忌(血忌當作血支)加卯上,卯日當生矣,果驗。

邵彦和が言う:課を起こした亥時は日支の亥と比和し、初伝の戌は亥の上に加わる。これは上神が下神を克するので、陽剛の象に属し、当に男子を生ずべき。亥は人身において頭であり、戌は人身において足である。今、足がかえって頭の上に圧するので(底本はここで「鞏」と作し、当に「恐」の字の訛であろう)、おそらく倒生、すなわち胎児が足を先に出す跡がある。末伝の申は螣蛇を乗せ、申は寅とまさに相沖し、寅上は白虎を乗せ、白虎は血忌の神である(原書の夾注:血忌は当に血支と作るべき)。そして寅はまた卯位の上に加わるので、卯日に当に生産すべしと断じた。後に果たして応験した。

丁亥日・七月に来意を占う(同一課盤で三人三断)

七月丁亥日巳將午時占來意。(一字訣玉連環)

七月の丁亥日、巳月将を午時の上に加えて課を起こし、「来意」を占う——すなわち来る人が口を開くを待たず、先に課の上から彼が何のために来たかを言い当てる。この例は『一字訣玉連環』に出る。以下、続けざまに三人が占いに来るが、用いたのは同一副の課盤である。年命が異なり、問う所の事が異なるので、取用の神も各々同じでなく、断り出すことは全く相干らない三つの事となった。

空虎 龍辰巳午未常 陰后空虎 子丙戌后 勾卯 申玄 酉戌巳午 財乙酉陰 合寅 酉陰 戌亥午丁 財甲申玄 朱丑子亥戌后 蛇貴

この盤は巳月将を午時の上に加えて起出し、天盤も地盤より一位退く。午時は昼に属し、丁日の昼貴である亥を用い、貴人は地盤の子位に臨んで順行する。故に天盤十二支の乗ずる天将は:亥は貴人、子は螣蛇、丑は朱雀、寅は六合、卯は勾陳、辰は青竜、巳は天空、午は白虎、未は太常、申は玄武、酉は太陰、戌は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に午を得、午は白虎を乗せる。第二課、午上に巳を得、巳は天空を乗せる。第三課、日支の亥上に戌を得、戌は天后を乗せる。第四課、戌上に酉を得、酉は太陰を乗せる。三伝は初伝の戌で、遁干は丙戌、天后を乗せ、子孫である。中伝は酉で、遁干は乙酉、太陰を乗せ、妻財である。末伝は申で、遁干は甲申、玄武を乗せ、これも妻財である。この課の四課・三伝は前の例の二月に生産を占ったものと寸分違わないが、ただあの課は亥時に起こして夜貴を用い、この課は午時に起こして昼貴を用いたので、一盤の天将がすっかり入れ換わった。昼夜の分が六壬において関係する所が極めて重いことが見える。

徐次賓曰:先一人五十四歲戊申生男子占來意,因其子在外飲酒過多,胃有宿食,冷氣得病。蓋時為日干六合,支上發用,本命上俱得子孫爻,乘休氣,故為子孫病,命上小吉太常為飲食,併發用,戌為脾胃,上得天后水為冷飲,又值事門得白虎為道路,故云因子孫在外飲食,傷脾胃得病,來占。

徐次賓が言う:先に来たこの方は五十四歳・戊申年生まれの男子で、来意を占った。断語は:彼の息子が外で飲酒が過ぎ、胃裏に宿食を積み、また冷気を受けて、因って病を得た。推断の筋道はこのようである:課を起こした午時は日干の丁の寄宮の未とまさに六合をなすので、問う所が自身の骨肉に関わると知れる。日支の亥上の戌が発用して初伝となる。この人の本命は申にあり、申上に未を得る——支上の戌と命上の未はいずれも丁火の生ずる所で、同じく子孫爻に属し、しかも七月は土気がちょうど休して力がないので、病むのは子孫の輩と断じた。命上の未はすなわち六壬十二神の「小吉」で、その上は太常を乗せ、太常は酒食・飲饌を主り、未はまた初伝と并見する。戌は人身において脾胃で、戌上は天后を乗せ、天后は水に属するので、冷飲が中を傷つけたのである。さらに値事門上に白虎を見る。白虎は道路を主り、外に在って奔走することを主る。合わせて言えば:息子が外で飲食が脾胃を傷つけて病を得たので、父が来て占ったのである。

一人三十五歲丁卯生男子占來意,因在外與二卑下婦人來往,得氣痞嗽血之病。蓋命上見六合為私門,天后主厭翳,中傳見太陰主伏匿,天魁從魁主奴婢,上得天后、太陰,故曰與二卑下婦人往來,天后剋日、末傳玄武又剋日,戌酉申俱是日干死墓之鄉,丁主心血,故得病嗽血也。

第二位は三十五歳・丁卯年生まれの男子で、同じく来意を占った。断語は:彼が外で二人の身分の卑下な婦人と往来して、因って気痞と咳血の病を得た。依拠は:彼の本命は卯にあり、卯上に六合を見る。六合は私門・暗昧の事を主る。天后は遮掩・蔽翳を主る。中伝にまた太陰を見、太陰は潜伏・隠匿を主る。戌は「天魁」と呼び、酉は「従魁」と呼び、二者はともに奴婢の一流の人物を主る。戌上は天后を乗せ、酉上は太陰を乗せ、二つの陰神が各々一支に拠るので、二人の卑下な婦人と往来するという。天后は水に属し、丁火の日干を克し、末伝の申は玄武を乗せ、玄武もまた水に属し、また来て日を克す。そして戌・酉・申の三支はまさに丁火の死地と墓地である。丁は人身において心と血を主り、日干はすでに水気の重ね重ねの克を受けるので、病は咳血を成す。

一人八十一歲來占辛巳生來,占來意,因家中走失奴婢兩口,得一姓馬人往西南追捕捉獲。蓋發用天魁主奴,從魁主婢,末得元武臨門,為窺戶,又值事門上見白虎主道路,卦得斬關主逃亡,今年老有官者來占,豈不是奴婢逃亡也。先鋒門勝光為今日等輩,又主姓馬人克玄武,故捉獲,言往西南追捕者,蓋元武陰神所居也。

第三位は八十一歳・辛巳年生まれの人で、来意を占いに来た。断語は:彼の家の中から二名の奴婢が走失し、まさに一人の馬姓の人に靠って西南方に追捕し、捉えて帰ることができる。依拠は:初伝の戌は「天魁」で奴僕を主り、中伝の酉は「従魁」で婢女を主り、末伝の申は玄武を乗せ、玄武が門に臨めばすなわち門戸を窺伺し盗み逃げする象である。値事門上にまた白虎を見、白虎は道路を主る。課体は「斬關」で、斬關はまさに逃亡を主る。今、占いに来たのは年高く官職ある人なので、家中で失われたのは自然自分の出走ではなく、まさに奴婢の逃亡である。先鋒門上は「勝光」の午火で、午は馬である。丁火の今日の同類の神であるとともに、また一人の馬姓の人を指す。午火は申金の玄武を克し得るので、捉えて帰れると断じた。西南方に追うと言ったのは、玄武の乗ずる申の陰神が未の上に落ち、未位がまさに西南にあるからである。

丁亥日・銭是奄が陳南洲の逮問を占う

崇正丁丑七月丁亥日甲辰時,太倉中翰錢是奄占常熟陳南洲逮問事。(指南)

崇禎丁丑年(原書は「崇正」と作す)七月丁亥日甲辰時、太倉籍の中書舎人銭是奄が、常熟人の陳南洲が逮捕され罪に問われる事について課を起した。本例は陳公献『六壬指南』に出る。

勾六 龍午未申酉朱 空巳 戌蛇 陰后朱六 財甲申六 虎辰 亥貴 丑子酉申 財乙酉朱 常卯寅丑子后 子亥申丁 子丙戌蛇 陰后

この盤は七月に巳月将を用いて辰時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位進む。辰時は昼に属し、丁日の昼貴である亥を用い、貴人は地盤の戌位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:亥は貴人、子は天后、丑は太陰、寅は玄武、卯は太常、辰は白虎、巳は天空、午は青竜、未は勾陳、申は六合、酉は朱雀、戌は螣蛇を乗せる。(底本の盤底の一行は「陰后」の二字のみを印し、位置が一位错落している。四課中の「丑上に太陰を乗ずる」および貴人逆行の序に拠れば、寅は当に玄武を乗せ、丑は当に太陰を乗せるべきで、今は四課に従う。)四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に申を得、申は六合を乗せる。第二課、申上に酉を得、酉は朱雀を乗せる。第三課、日支の亥上に子を得、子は天后を乗せる。第四課、子上に丑を得、丑は太陰を乗せる。三伝は初伝の申で、遁干は甲申、六合を乗せ、妻財である。中伝は酉で、遁干は乙酉、朱雀を乗せ、これも妻財である。末伝は戌で、遁干は丙戌、螣蛇を乗せ、子孫である。申・酉・戌が順次に進むのは、進茹の格である。

陳公獻曰:占訟最凶,全無救解。蓋因發用皇詔坐空,又蛇虎二墓加臨卯酉,此為冢墓門開,必主重重死喪也。又傳將純劫殺,丁火病死墓絕俱見,原何有救?且年上勾刃帶木,是用刑人執杖,定遭凶死。其後果奉旨廷杖,枷死二人。

陳公献が言う:この課で詞訟を占うは最も凶で、全く解救の路がない。原因は:初伝の申は「皇詔」の神で天子の旨意を主るが、偏に旬空の未位の上に坐し、恩命が空に落ちる。螣蛇は戌を乗せ、白虎は辰を乗せ、戌と辰はともに墓神で、また分かれて卯位・酉位の上に加わる——卯酉はもともと門戸で、二つの墓神が二扇の門を圧するのは、まさに墳墓の門が大きく開く様子で、必ず接続して断えない死喪を主る。三伝と天将が通りて体として劫殺を帯び、丁火の病・死・墓・絶の地が課伝の中に一斉に出現する。どうして救いがあろう。加えて行年の上は勾陳が木を帯び、勾陳は刑獄・杖責を主り、まさに刑を行う人が手に棍杖を執る形象で、このため必ず凶死に遭うと断じた。後に果たして旨を奉じて廷杖され、二人が枷号されて死に至った。

愚按:此課行年在午,則是酉生命,蛇墓加命,所以尤凶。年上勾刃帶木句,帶木二字不可解。以旬遁而言,則勾陳乘未,是空亡;以五子元遁而言,則未支遁得丁干,非乙干也。何以言其帶木耶?豈以未中藏有乙木,故耶?

我が按ずる:この課の当事人の行年は午にあり、行年より推し戻せば、本命は当に酉にあるべき。螣蛇の乗ずる戌墓はまさに本命の酉の上に加わるので、格別に凶険である。「年上に勾刃が木を帯びる」という一句について、「帯木」の二字は実に講じ通せない。もし旬遁に按して算えば、丁亥日は甲申旬に属し、行年の午上は未で、未は勾陳を乗せてちょうど旬空の裏に落ちる。もし五子元遁に按して算えば、丁日は庚子時から遁を起こし、未支の遁し出すのは丁干で、乙干ではない。何を以て木を帯びると言えよう。もしかして未の中に乙木を蔵するためであろうか。

丁亥日・毛主簿が前程を占う

戊申年五月丁亥日申將午時毛主簿乙亥生三十四歲占前程。(方本占案)

戊申年五月丁亥日、申月将を午時の上に加えて課を起した。占いに来たのは毛主簿で、乙亥年生まれ、三十四歳、問うたのは自分の今後の前程・官運である。本例は『方本占案』に出る。

勾合朱蛇 未申酉戌 常陰貴朱 財乙酉朱 龍午 亥貴 卯丑亥酉 鬼丁亥貴 空巳 子后 丑亥酉丁 子己丑陰 辰卯寅丑 虎常玄陰

この盤は申月将を午時の上に加えて起出し、天盤は地盤より二位進む。午時は昼に属し、丁日の昼貴である亥を用い、貴人は地盤の酉位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:亥は貴人、子は天后、丑は太陰、寅は玄武、卯は太常、辰は白虎、巳は天空、午は青竜、未は勾陳、申は六合、酉は朱雀、戌は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に酉を得、酉は朱雀を乗せる。第二課、酉上に亥を得、亥は貴人を乗せる。第三課、日支の亥上に丑を得、丑は太陰を乗せる。第四課、丑上に卯を得、卯は太常を乗せる。三伝は初伝の酉で、遁干は乙酉、朱雀を乗せ、妻財である。中伝は亥で、遁干は丁亥、貴人を乗せ、亥水は丁火を克するので官鬼である。末伝は丑で、遁干は己丑、太陰を乗せ、子孫である。酉・亥・丑が各々一位を隔てて順に進むのは、順間伝の格である。

邵彥和曰:日上破碎發用,中傳官星,即加其上,必因破財得官。三傳日辰,遍地貴人,主簿在任,須多差使,兼之權攝。但九丑在宅,主淫亂,在本命主貪色,末傳又見丑作太陰加官星上。太陰者,陰晦也,主在任因色而死。

邵彦和が言う:日干上の酉はまさに破碎煞で、しかもそれが発用して初伝を作した。中伝の亥は官星で、ちょうどこの破碎煞の上頭に加わる——先ず財を破り、後に官を得る。この官は金銭を使って換えて来たものである。三伝と日辰の上に貴人が処処に見えるので、主簿は任に到って後必ず差遣が繁多し、また別の職務を兼摂する。ただ九丑の神が宅位に落ちれば家中の淫乱を主り、本命の上に落ちればその人の好色を主る。末伝にまた丑が太陰を乗ずるを見、中伝の官星の上に圧する。太陰なるものは陰暗晦昧の神で、これに拠って彼が任上で女色に因って死すると断じた。

毛,鉅富,因此結納四方,乃得此任。任中盡將家財夤緣,故在任差使,更不曾停。家中果淫亂,毛最貪色,暱於婢妾,乙卯年死。蓋卯上有巳,會起酉丑合起破碎。九丑日上死神兼與中傳相沖,名沖起絕神。死與絕會,是以死也。大凡傳課,最畏遍地貴人,又畏行年上會起殺神。今丁亥日,有酉丑而欠巳,卯上見巳,所謂會起殺神也,故不能逃也。

毛某はもともと巨富で、銭財に靠って四方と交結し、ようやくこの職位を謀り得た。任に到って後はまた家産をことごとく持ち出して鑚営・請託に用いたので、任上で差使が一刻も停まなかった。家中は果たして淫乱し、毛某は最も女色を貪り、婢妾を寵溺し、乙卯年に至って身が死した。課理を追窮するに:乙卯年の卯上は巳があり、巳は課中の酉・丑と会して三合金局を成し、まさに破碎煞を会して起した。九丑はすでに日上の死神であり、また中伝と相沖する。これを「絶神を冲して起す」と呼ぶ。死神と絶神が一ヶ所に会したので、人はついに死した。およそ課伝を見るに、最も貴人が全局に遍布するを恐れ、また行年の上が殺神を会合するを恐れる。丁亥のこの日は、課中にもともと酉あり・丑あり、ただ巳の一つを欠くのみであったが、偏に乙卯年の卯上に巳が見えて三合を補斉した。これがすなわちいわゆる「殺神を会して起す」で、このため逃れ切れなかった。

丁亥日・戴洋が毛宝の叛兵の武昌攻めを占う

晉元帝五年十月丁亥日寅將子時,聞毛寶叛兵,當來攻武昌城,戴洋占之。(晉書戴洋傳)戴洋字國流,吳興長城人,為晉相,解占侯術數、風角,不但知六壬而已。

晋元帝五年十月丁亥日、寅月将を子時に加えて課を起した。当時、毛宝の叛兵がまさに武昌城を攻めに来ると聞え、戴洋がこのため一課を占った。この例は『晋書・戴洋伝』から採る。戴洋は字を国流、呉興長城の人、官は晋朝の宰輔に至り、占候・術数と風角の学に精通し、長じる所は六壬の一門に止まらない。(按するに史書では、邾城の役は晋成帝咸康五年にあり、ここの紀年は当に出入があろう。)

蛇貴 朱未申酉戌后 空常陰貴 財乙酉貴 六午 亥陰 卯丑亥酉 鬼丁亥陰 勾巳 子玄 丑亥酉丁 子己丑常 青辰卯寅丑常 空虎

この盤は寅月将を子時の上に加えて起出し、天盤は地盤より二位進む。子時は夜に属し、丁日の夜貴である酉を用い、貴人は地盤の未位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:酉は貴人、戌は天后、亥は太陰、子は玄武、丑は太常、寅は白虎、卯は天空、辰は青竜、巳は勾陳、午は六合、未は朱雀、申は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に酉を得、酉は貴人を乗せる。第二課、酉上に亥を得、亥は太陰を乗せる。第三課、日支の亥上に丑を得、丑は太常を乗せる。第四課、丑上に卯を得、卯は天空を乗せる。三伝は初伝の酉で、遁干は乙酉、貴人を乗せ、妻財である。中伝は亥で、遁干は丁亥、太陰を乗せ、亥水は丁火を克するので官鬼である。末伝は丑で、遁干は己丑、太常を乗せ、子孫である。この課の四課・三伝は前の毛主簿が前程を占った一課と全く同じ——いずれも丁亥日、天盤が二位進む——ただあの課は午時に起こして昼貴を用い、この課は子時に起こして夜貴を用いたので、満盤の天将は別に一採に換わり、断り出す事も一は官運・一は兵事となった。

戴洋曰:十月丁亥夜半時得賊問。干為君,支為臣。干為征西府,亥為邾城,功曹為賊神,加子時,十月水旺木相。旺相氣合,賊必來。寅數七,子數九,賊高可九千人,下可七千人。從魁為貴人加丁,下克上有空亡之事,不敢進武昌也。賊果陷邾城而去。

戴洋が言う:十月丁亥日の夜半に賊兵の消息を得た。課中、日干は君上を代表し、日支は臣属を代表する。具体的に目下に即せば、日干は征西将軍府で、日支の亥はすなわち邾城である。寅は「功曹」で、ここでは賊神として看る。今、寅将が子時の上に加わる。十月は水が旺で木が相の時節で、賊神はすでに旺相の気を得また時辰と相合するので、賊兵は必ず来る。寅の数は七、子の数は九なので、賊の衆は多ければ九千人、少なければ七千人。酉は「従魁」で、貴人を乗せて丁の寄宮の上に加わり、下神が上神を克し、また旬空の事に牽連するので、賊兵は敢えて武昌に進逼しないことが見える。後に賊兵は果たしてただ邾城を攻め陥れただけで退き去った。

陳公獻曰:賊自西南而來,城必無虞。曰:游都離日辰甚遠,何以知賊之必來?曰:酉貴臨干發用,故知其來而自西南也。曰:有眾幾何?曰:游都臨日辰遠,干上貴又空,惟以正時上下合斷,約有七九六千三百。曰:城無虞者何?蓋貴臨干受克,故知賊不攻城而退也。

陳公献がこの課を評論して言う:賊兵は西南方から来るが、武昌城は必ず恙がない。ある人が問う:寇盗を代表する「游都」は日と辰からともに遠いのに、何を以て賊兵が必ず来ると知ったか。答えて言う:酉が貴人を乗せて日干の上に臨んで発用して初伝をなし、酉位は西方に偏して南にあるので、賊兵が来ること、しかも西南方から来ることを知った。又问う:賊はどれほどいるか。答えて言う:游都は日辰から遠すぎ、日干上の貴人はまた空に落ちる。ただ課の正時の上下神を取り起して合算するほかなく、およそ七千から九千の間にあり、その中数を取れば六千三百上下である。また問う:なぜ城に恙がないと言うか。答えて言う:貴人が日干の上に臨んでかえって克制を受け、来勢が逞しゅうできないので、賊兵が城を攻めずして退き去ると知った。

此課乃晉元帝時因毛寶叛兵屯邾城,命宰相戴洋占後載之於史。予初不知,不意斷法竟與古事相合,然純陰之課,子之陰神魯都剋日,主賊有埋伏,又支為城,上神克之,而上神又被陰神所克,主居守不仁且欲自相攻擊。又末傳生合初貴,主內有暗降之人,此數事皆前人未盡之秘,予不惜筆之於書,以授後之學者。

この課はもともと晋元帝の時に毛宝の叛兵が邾城に屯駐したため、朝廷が宰輔の戴洋に命じて占問し、後に史册に載ったものである。私は初めこの段の史事があることを知らなかったが、意外にも自分の断法が古人の占った旧事と一々に符合した。さらに幾層か補う:この課は通体が純陰の局で、子の陰神の上は「魯都」を乗せて日干を克し、賊兵が埋伏を設けることを主る。日支は城池を代表し、支上の神がそれを克し、しかもこの上神がまた反って自分の陰神に克される。城を守る人が信義を講ぜず、かつ内部が自ずから相攻撃することを主る。末伝はまた初伝の貴人を生合し、城中に暗地に投降する人がいることを主る。この幾層はいずれも前人の言い透さなかった秘訣で、私は惜しまずに書の中に写し、後の学者に留める。

丁亥日・傅清卿が平生を占う

己酉年八月丁亥日辰將丑時傅清卿壬申生三十八歲占平生。(方本占案)

己酉年八月丁亥日、辰月将を丑時の上に加えて課を起した。占いに来たのは傅清卿で、壬申年生まれ、三十八歳、問うたのは平生の総体的な際遇である。本例は『方本占案』に出る。

後陰 貴申酉戌亥玄 勾虎常后 兄甲午六 蛇未 子常 巳寅丑戌 子丙戌后 朱午 丑虎 寅亥戌丁 印庚寅虎 六巳辰卯寅空 勾青

この盤は辰月将を丑時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位進む。丑時は夜に属し、丁日の夜貴である酉を用い、貴人は地盤の午位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:酉は貴人、戌は天后、亥は太陰、子は玄武、丑は太常、寅は白虎、卯は天空、辰は青竜、巳は勾陳、午は六合、未は朱雀、申は螣蛇を乗せる。(底本の方図中の天将の一圈は刻み誤って一位ずれている。今は四課・三伝に標する天将を以て准とする。)四課は右から左へ:第一課、日干の丁は寄宮が未、未上に戌を得、戌は天后を乗せる。第二課、戌上に丑を得、丑は太常を乗せる。第三課、日支の亥上に寅を得、寅は白虎を乗せる。第四課、寅上に巳を得、巳は勾陳を乗せる。四課の上下に克なく、日干と上神とにもまた遙克がないので、「昴星」の法を用いる。丁は陰日なので、天盤の酉の臨む地盤の位である午を取って初伝とし、中伝は日干の上神の戌を取り、末伝は日支の上神の寅を取る。だから初伝の午は六合を乗せ、兄弟である(底本の遁干は「甲午」と作すが、しかし午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、次の課の程翔云がすなわち明らかに「午未空」と言うので、ここは当に空亡を以て論ずべき)。中伝は戌で、遁干は丙戌、天后を乗せ、子孫である。末伝は寅で、遁干は庚寅、白虎を乗せ、印綬である。寅・午・戌の三支は合して火局を成し、これを「炎上」と為す。

邵彥和曰:自有隨身庫,何必求財?傅曰:隨身庫,主何也?曰:只利書會,此是隨身庫,餘不利。蓋父母在鬼鄉,又作虎,才討生涯,便生不足。初祿加卯,又是空亡,故只好書會為活計耳。

邵彦和が言う:あなた自身の上に一座の庫を帯びているのに、どうしてさらに外に向かって財を求めるのか。傅清卿が問う:いわゆる随身庫とは、何を主るのか。答えて言う:ただ文墨・筆札に靠って生を謀るに利あるのみ。これがすなわちあなたの随身庫で、この外はいずれも利がない。末伝の父母・印綬が官鬼の郷に落ち、また白虎を乗せ、白虎は驚扰・阻碍を主るので、あなたがちょうど一門の生計を張り羅しようとすれば、不足と阻滞を生ずる。さらに日干の丁の禄神は午にあり、初伝の午はちょうど卯位の上に加わり、しかも午はまたちょうど旬空である——禄はすでに空に落ちれば、大財を発し得ない。ただ書写・講授の類の文墨の行業を以て日を過ごすほかない。

丁亥日・程翔云が甲申歳内の吉凶を占う

甲申正月丁亥己酉時,程翔雲居廣陵,聞兵警,占歲內吉凶。昴星、炎上,午未空,酉戌落空。

甲申年正月丁亥日己酉時、程翔云が広陵に住んでいて、兵乱の警報を聞き、この一年の内の吉凶について一課を起した。正月は立春の後もなお子月将を用い、子将を酉時に加え、天盤は地盤より三位進み、得た所は前の例の傅清卿が平生を占ったのと全くの同一副の盤である。課体は「昴星」で、三伝の寅・午・戌は合して火局を成し、「炎上」と呼ぶ。午・未の二支はまさに甲申旬の旬空に当たり、しかも天盤の酉・戌がまたちょうど地盤の午・未のこの二つの空位の上に落ちるので、「酉戌落空」と言う。

後陰 貴申酉戌亥玄 勾虎常后 兄甲午六 蛇未 子常 巳寅丑戌 子丙戌后 朱午 丑虎 寅亥戌丁 印庚寅虎 六巳辰卯寅空 勾青

課盤は前の例と全く同じ:天盤各支の乗ずる天将は酉に貴人、戌に天后、亥に太陰、子に玄武、丑に太常、寅に白虎、卯に天空、辰に青竜、巳に勾陳、午に六合、未に朱雀、申に螣蛇。四課は右から左へ戌が丁に加わり(丁は未に寄す)、丑が戌に加わり、寅が亥に加わり、巳が寅に加わる。天将は順に天后・太常・白虎・勾陳。三伝は初伝の午は六合を乗せ(旬空)、中伝の戌は天后を乗せ、末伝の寅は白虎を乗せ、寅午戌が火局を成す。前の例の傅清卿はこの盤を以て一生の窮通を問い、看たのは禄神の落空・印綬の虎を乗ずること。こんどの例の程翔云は同じ盤を以て一年の兵禍を問い、看たのは却って墓神の日を覆うこと・喪吊の伝に入ること・游都の歳を刑すること——問う所が異なれば、取る神と論ずる事とが判然として二途に分かれる。

程翔云曰:墓神覆日,虎符朝支,又喪吊入傳,末見歲刑白虎,定有兵喪不測事。勾陳游都入辰陰幽燕之地,又見死神陰煞,是以兵戈難免,且干支乘脫,內外空虛,支陰游都刑剋太歲,於君不利,日陰克辰,西北有兵變急進之虞,支又克辰陰,城東邊將兵民必生離異。其後賊果犯燕京,城中內變,而有三月十九日之事。

程翔云が言う:墓神が日干の上に圧し、白虎の帯びる虎符がまた日支に向かい、喪門・吊客が一ならびに三伝に入り、末伝はさらに太歳の刑と白虎とが同じ一支に処る。この一年に必ず兵乱・喪亡の意外の事があると断じた。勾陳と「游都」が日支の陰神の位に落ち、その一位はまさに幽燕の地に応じ、その上にまた死神と陰煞を見るので、兵戈は避け難い。加えて日干・日支がともに脱気の神を乗せ、朝廷の内外は一片に空虚である。日支の陰神と游都はまた太歳を刑克し、これは君王に不利である。日干の陰神は日支を克し、西北方向に兵変が急進する憂いがあることを主る。日支はかえって日支の陰神を克し、城東一一帯の辺将と兵民が必ず離心を生ずることを主る。後に賊兵は果たして燕京に進犯し、城中に内変が発し、ここにおいて三月十九日のあの事があった——甲申年三月十九日は、まさに崇禎帝が国に殉じ京城が陥落した日である。

戊子日

戊子日・三月に失せた羊を占う

三月戊子日酉將寅時占失羊。(方本占案)

三月の戊子日、酉月将を寅時の上に加えて課を起し、失われた羊がどこにあるかを占った。本例は『方本占案』に出る。

貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后空空蛇 財戊子蛇初 六戌 巳常 寅未未子 兄空未空中 陳酉申未午虎 未子子戊 鬼庚寅後末 龍空

この盤は酉月将を寅時の上に加えて起出し、天盤は地盤より七位進む。本課は戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の午位に臨んで逆行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は天后、卯は太陰、辰は玄武、巳は太常、午は白虎、未は天空、申は青竜、酉は勾陳(盤中は「陳」と書く)、戌は六合、亥は朱雀、子は螣蛇を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳にあり、巳上に子を得、子は螣蛇を乗せる。第二課、子上に未を得、未は天空を乗せる。第三課、日支の子上に未を得、未は天空を乗せる。第四課、未上に寅を得、寅は天后を乗せる。三伝は初伝の子で、遁干は戊子、螣蛇を乗せ、子水は戊土の日干において妻財である。中伝は未で、まさに甲申旬の旬空に当たり、天空を乗せ、兄弟である。末伝は寅で、遁干は庚寅、天后を乗せ、寅木は戊土を克するので官鬼である。盤中の三伝の傍の「初」「中」「末」はすなわちその次序を標明する。

邵彥和曰:子作騰蛇,加日為用,主非橫之事,中傳未加子,未羊也,加子為六害。羊非水中物,不宜臨子,況作天空,天空是戌,戌刑未,戌是犬,子為水,此羊被犬趕入水中,而被人烹宰,盛於甕器中而去,藏於廁屋中。蓋天空無氣為器物又為汙穢,故為甕器、為廁屋。末傳寅即白虎,加未故主傷羊,不出今日當捉獲,果然。

邵彦和が言う:子が螣蛇を乗せ、日干の上に加わって発用する。螣蛇は驚怪を主るので、問う所が一椿の意外に横生した事と知れる。中伝の未は子の上に加わり、未は十二属相の中ではすなわち羊で、子と未とは相害し、まさに羊に傷損あるに応ずる。羊はもともと水中の物でなく、子水の位に臨むを宜しくしない。まして未上に乗ずるは天空で、天空のこの天将の本家は戌にあり、戌はまた未を刑し、そして戌は属相の中では犬で、子は五行の中では水である——合わせて看れば、すなわちこの羊が犬に追われて水の中に進み、随って人に宰殺・烹煮され、瓮器に盛って持ち去られ、厕屋の中に蔵せられたのである。天空は気無く、象を取れば器皿で、また汚穢の処を主るので、瓮器と断じ・厕屋と断じた。末伝の寅は属相の中で即ち虎で、虎が羊の上に加わるので、羊が傷害を受けることを主る。今日を出ずして追査し得ると断じたが、後に果たしてそのようになった。

戊子日・甲戌年元日に陰人の病を占う

甲戌年元旦戊子日子將卯時占陰人病。(郭氏占案)

甲戌年正月初一、戊子日、子月将を卯時の上に加えて課を起し、一人の女子の病情を占った。「陰人」はすなわち婦人である。本例は郭御青『郭氏占案』に出る。

蛇朱合勾 寅卯辰巳 龍常陰蛇 鬼庚寅蛇 貴丑 午龍 午酉亥寅 財丁亥陰 后子 未空 酉子寅戊 子甲申虎 亥戌酉申 陰玄常虎

この盤は子月将を卯時の上に加えて起出し、天盤は地盤より三位退く。卯時は昼に属し、戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の辰位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は螣蛇、卯は朱雀、辰は六合、巳は勾陳、午は青竜、未は天空、申は白虎、酉は太常、戌は玄武、亥は太陰、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に寅を得、寅は螣蛇を乗せる。第二課、寅上に亥を得、亥は太陰を乗せる。第三課、日支の子上に酉を得、酉は太常を乗せる。第四課、酉上に午を得、午は青竜を乗せる。三伝は初伝の寅で、遁干は庚寅、螣蛇を乗せ、寅木は戊土を克するので官鬼である。中伝は亥で、遁干は丁亥、太陰を乗せ、妻財である。末伝は申で、遁干は甲申、白虎を乗せ、子孫である。三伝の寅・亥・申は歩ごとに三位後退する。

郭御青曰:餘況占陰人病。此病已至危急無望。今課得干上寅鬼,三傳自下遞生克干,支上酉乃旬乙,末傳申乃旬甲,純木克土,誠為難當,然病危不死。畢法云:“鬼賊當時無畏忌。”至初八立春,木旺貪榮,上生枝葉,下不克土,漸有生意。果至初八日漸愈。凡占列愚囚鬼反可畏,若鬼得時反不傷人,不足畏矣。雖然,惟木則如此,凡木性克土,全在秋冬,若金水火土旺愈傷人,不可以一例而論。

郭御青が言う:私は一人の婦人のために病を占った。病情はすでに危急で望みなき地步に至っていた。この課は日干の上は寅木の官鬼で、三伝はまた下から上へ層層に相生してさらに来て日干を克す。日支上の酉は甲申旬の中で乙干を遁し、末伝の申は甲干を遁し、甲乙は皆木で、純一に木気が来て戊土を克する。実に当たり難い。しかし病は危いけれども死なない。『畢法賦』に言う:「鬼賊は時に当たれば畏忌なし」——官鬼がまさに時令に当たって勢いを得る時は、かえって畏れるに足りない。正月初八に立春に至ると、木気は転じて旺となって向栄に貪り、気力はみな上に向かって枝葉を生発するに用いられ、もはや下の土を克しない。ここにおいて漸々に生機があった。果たして初八日に至って病情は逐日に好転した。およそ病を占うに、官鬼が衰弱して囚徒の如きはかえって畏るべく、官鬼が令に当たり時を得れば、かえって人を傷らず畏るるに足らない。ただ話を返せば、木性のみがこのようである。木が土を克する最も狠い時は全て秋冬の木気が勢いを得ぬ際にある。もし金・水・火・土に換えれば、すなわち愈々旺なれば愈々人を傷る。一概に論じてはならない。

愚按:此課之所以病癒者,實賴申酉二金,克寅木之鬼也。初八日後,申酉二金值日,自當漸愈。予不知郭公何故不引“制鬼之位乃良醫”之句耶?

我が按ずる:この課の病が能く好けた所以は、実は申・酉の二つの金神が反って寅木の官鬼を克制したことに靠る。初八日より後は申酉金が日に値って権を当たり、病は自然に一日一日軽減した。私は郭公がなぜ『畢法賦』の「鬼を制する位はすなわち良医」のあの一句を引いて解釈しないのか分からない。

戊子日・十一月に安豊の敵寇を卜う

十一月戊子日寅將卯時卜安豐敵寇。(一針見血)

十一月の戊子日、寅月将を卯時の上に加えて課を起し、安豊一帯の敵寇の動静を卜問した。安豊はすなわち宋代の安豊軍で、当時北方の兵馬に抵禦する前線であった。本例は『一針見血』に出る。

合勾龍空 辰巳午未 玄陰朱合 兄丙戌玄 朱卯 申虎 戌亥卯辰 子乙酉常 蛇寅 酉常 亥子辰戊 子甲申虎 丑子亥戌 貴后陰玄

この盤は寅月将を卯時の上に加えて起出し、天盤は地盤より一位退く。卯時は昼に属し、戊日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の寅位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は螣蛇、卯は朱雀、辰は六合、巳は勾陳、午は青竜、未は天空、申は白虎、酉は太常、戌は玄武、亥は太陰、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の戊は寄宮が巳、巳上に辰を得、辰は六合を乗せる。第二課、辰上に卯を得、卯は朱雀を乗せる。第三課、日支の子上に亥を得、亥は太陰を乗せる。第四課、亥上に戌を得、戌は玄武を乗せる。三伝は初伝の戌で、遁干は丙戌、玄武を乗せ、兄弟である。中伝は酉で、遁干は乙酉、太常を乗せ、子孫である。末伝は申で、遁干は甲申、白虎を乗せ、これも子孫である。戌・酉・申が一歩ずつ退くのは、退茹の格である。

祝泌奏曰:三傳戌酉申,連續而退,乃寇漸退之象。所占安豐,彼地受敵日多,今臣敢忘國家之憂,即以自占,亦到宥府卜之,得數課,皆是臨日辰月建,月建乃侯伯之權,即所卜安豐之郡也。游都為寇,即棲其位,是虜寇迫城之象。今之所占,游都在日干前四位,在日支後三位,占法云:二三依次須防禦,若臨前四不侵圍。則可知,虜寇已退矣。第末去,蓋游都猶在日支第三位也,初傳天魁,未免失利。又占戌亥,日間動為信喜,兩三日內音信當至矣。

祝泌が上奏して言う:三伝の戌・酉・申が一路後退するのは、まさに寇兵が漸々退き去る象である。占う所の安豊は、あの地が敵を受けてすでに多日である。臣はあえて国家の憂いを忘れず、身を以て一課を起し、また枢密院に至って卜し、数課を得て、いずれも日辰と月建に臨んだ。月建は侯伯の権を代表し、指す所はまさに卜う安豊のこの一郡である。「游都」のこの神は寇盗を代表し、今まさにあの位置に栖むは、虜寇が城に逼る様子である。目下のこの課に就いて看れば、游都は日干の前の第四位・日支の後の第三位に落ちる。占法に言う:「二三は依次に須らく防御し、若し前四に臨めば侵囲せず」——前の四位に落ちれば合囲しないので、これによって虜寇がすでに退いたと知れる。ただまだ退き浄まらない。游都がなお日支の第三位にあるからであり、初伝はまた天魁の戌なので、幾らかの折損を免れない。さらに占って到った戌・亥の二支を看れば、白日に発動するのは音信の喜びを主り、二三日の内に消息が到るべきである。

戊子日・庚寅年に一吏が事を犯して自ら占う

庚寅年十一月戊子日丑將寅時一吏犯事占此。(一針見血)

庚寅年十一月戊子日、丑月将を寅時の上に加えて課を起した。占者は一名の事を犯した吏員で、自分の官司のためにこの一課を起した。本例は『一針見血』に出る。丑将の寅に加わるは前の課の寅将の卯に加わると、天盤が同じく地盤より一位退くので、二課の盤は全く同じで、ただ問う所が軍情から刑獄に換わっただけである。

合勾龍空 辰巳午未 玄陰朱合 兄丙戌玄 朱卯 申虎 戌亥卯辰 子乙酉常 蛇寅 酉常 亥子辰戊 子甲申虎 丑子亥戌 貴后陰玄

課盤は前の例と同じ:天盤は丑に貴人、寅に螣蛇、卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后を乗せる。四課は右から左へ辰が戊に加わり(戊は巳に寄す)、卯が辰に加わり、亥が子に加わり、戌が亥に加わる。天将は順に六合・朱雀・太陰・玄武。三伝は初伝の戌は玄武を乗せて兄弟、中伝の酉は太常を乗せて子孫、末伝の申は白虎を乗せてこれも子孫で、通体退茹である。前の課で看たのは退茹が寇の退を主ることで、こんどの課で看るのは却って申酉金が刑傷・獄死を主ること——同一副の退茹の盤で、兵を問えば吉、獄を問えば凶である。

斷曰:此事帶眾難了,出一獄,入一獄。初傳戌加亥,戌是天空,戊子日納音屬火,戌是火墓。中傳酉作太常,加戌六害。未臨申作白虎,加酉旺地,邊茹傳陰,陰主殺。申酉臨金,主傷、主獄死。以戊子火克申酉金,故出一獄,入一獄,帶眾難了。況又見辰戌兩墓乎後主壬辰年正月配在本州。

断語に言う:この事は牽連する人が多く、了結し難く、一重の牢獄を出て、また一重の牢獄に進む。初伝の戌は亥の上に加わり、戌はもともと天空のこの天将の本家である。戊子の一日の納音は霹靂火に属し、戌はまさに火の墓庫である。中伝の酉は太常を乗せ、戌の上に加わり、酉と戌は相害する。末伝(底本は「未」と作し、当に「末」の字の訛であろう)の申は白虎を乗せ、酉のこの金気がちょうど旺する地に加わる。連茹の伝は陰位に帰し、陰は肅殺を主る。申・酉はともに金に属し、刑傷を主り、獄中に死することを主る。戊子の納音の火を以て申酉の金を克すれば、一獄を出てまた一獄に入り、牽連が衆多で断ち了え難い。まして課中にまた辰・戌の両重の墓庫を并見する。後にこの人は壬辰年正月に流配に判せられ、本州に配された。

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