壬午日に汪四公が家宅を占ふ
建炎己酉年閏八月壬午日,辰將申時,汪四公癸丑生,五十七歲,占家宅。(口鑑、方本占案)
南宋高宗建炎年號の下の己酉年(建炎三年)閏八月、壬午日に逢ひ、辰を以て月將と爲し申時に課を起こし、汪家四公が前に來りて家宅の吉凶を占問した。此の人は癸丑年に生まれ、占課の時五十七歲。本案は『口鑑』に見え、方本『占案』の中にもまた同じ一條を收む。
勾合朱蛇 丑寅卯辰 虎合朱陰 官 甲戌 虎 青子 巳貴 戌寅卯未 財 壬午 后 空亥 午后 寅午未壬 子 戊寅 合 戌酉申未 虎常玄陰
此の一行は六壬課盤を展平して抄錄した結果で、左・中・右の三部分に分かつ。左邊の一圈は十二地支の各自乘ずる所の天將:丑上「勾陳」、寅上「六合」、卯上「朱雀」、辰上「螣蛇」、巳上「貴人」、午上「天后」、未上「太陰」、申上「玄武」、酉上「太常」、戌上「白虎」、亥上「天空」、子上「青龍」――天將は貴人の巳に臨むより起こりて逆行して布列す。中間は四課で、例に依りて右から左へ讀む:第一課、日干壬の寄宮は亥に在り、亥上に未を見、太陰に乘る。第二課、未上に卯を見、朱雀に乘る。第三課、日支午上に寅を見、六合に乘る。第四課、寅上に戌を見、白虎に乘る。右邊は三傳:初傳戌、遁干は甲を爲し、六親は「官鬼」に屬し、白虎に乘る。中傳午、遁干は壬を爲し、六親は「妻財」に屬し、天后に乘る。末傳寅、遁干は戊を爲し、六親は「子孫」に屬し、六合に乘る。
邵彥和曰:水日火局,人皆曰財,不知反生日上未土,土反克水,是財化為鬼矣。然皆是眷屬未了,或男未娶,或女未嫁,使用太過。宅上子息不齊,堂屋棟樑,若不是蛇居木,即雷驚木,屢出作怪;否則是廟宇中木,主雷擊驚人,更十年,因訟而死。
宋代の六壬名家邵彦和が斷じて言う:日干壬は水に屬し、三傳寅午戌はまた結成して火局――一般人は火を見て水の財と爲し、皆これは發財の課と言ふ。知らずや此の火局は竝びに原處に停まらず、卻って頭を回らして去りて日干上神の未土を生じ、未土はさらに反つて壬水を克制す――そこで財は便ち轉化して身を克する「官鬼」を成した。ゆえに此の一家は必ず眷屬の大事まだ了斷せざるあらん――兒子のまだ親を娶らざるにあらざれば、すなわち女兒のまだ出嫁せざるならん――此れのために開銷花費が頭を過ぎた。宅第上に子嗣は參差不齊。堂屋の用ゐる所の棟梁の木は來歷不正――螣蛇の盤踞し過ぎた樹木にあらざれば、すなわち雷撃に遭ひて驚動せられた木料――屢屢妖を興し怪を作さん。さらに然らざれば便ち廟宇の中より拆み下した舊木――雷撃して人を驚かす事あるを主す。さらに十年を過ぎて、此人は將に一場の官司に因りて命を喪はんとす。
汪公家計,悉為扳高親費盡,甲寅年屋被雷震,戊午年因訟得病而死。蓋八月雷殺在戌(愚按:雷殺正月起卯,順十二辰),戌加寅,更見虎,自是雷驚;寅加午在高處也。故當是棟樑,自己酉至戊午恰是十年,甲木死於午,故此年死。愚按:甲木死於午,似指寅加午而言,然非日干之死地,何故以之斷死?愚窺邵公之意,蓋因戌為虎鬼,戌五數,兩戌則十年矣。況歲干得戊,與戌同類,戌為牢獄,財又生鬼,故斷其十年因訟而死。其甲木死於午句,殆及門之疏錯耶。
その後汪公の一家の産業は、全て高門に攀附して親を結ぶために耗光し、甲寅年に房屋は雷に撃たれて震壞し、戊午年に果たして訴訟に因りて病を得て身亡した。邵彦和の能く此の如く斷ずる所以は、八月の「雷殺」が戌位に落ち(編者程樹勳按:雷殺の神は正月より卯に起こり、十二辰に依りて順行して推排す)、天盤の戌は地盤寅木の上に加臨し、また白虎ありてそれに乘る――自然に木料を雷驚する事を主す。しかも寅は午の上に加はる――午は南方高明の處――ゆえに應じて堂屋高處の棟梁の上に在ると斷定す。課を起こしし己酉年より戊午年に數ふれば、ちょうど十年滿す。「甲木は午に於いて死す」に至っては、ゆえに應じて此の一年に死す。程樹勳また按:「甲木は午に於いて死す」の此の句話は、似かよって寅木の午上に加はるに就いて言ふらん。但し午は竝びに本課日干壬水の死地にあらず――どうしてそれを拿りて死期を斷ずるや。我は邵彦和の本意を揣摩すれば、大概は戌は白虎の乘ずる所の官鬼で、戌の數は五――兩個の戌は合してちょうど十年。いわんや此の一年の歲干は戊を得――戊と戌とは同じく土類に屬し、戌はまた牢獄を主り、財星は再去りて官鬼を生助す――ゆえに彼が十年の後訟に因りて死すと斷ず。あの句の「甲木は午に於いて死す」は、恐らくは及門弟子の傳錄する時の疏漏差錯ならん。
壬午日に孟承務が子の病を占ふ
己酉年三月壬午日,戌將丑時,孟承務占子病,己亥生,十一歲。(宋本邵案、方本占案、口鑑、一針見血)諸本皆遺去年命,今從《一針見血》書中補入。
己酉年三月の壬午日、戌を以て月將と爲し丑時に課を起こし、孟承務が兒子に替はりて疾病を占問した。此の子は己亥年に生まれ、占課の時十一歲。本案は宋本『邵案』・方本『占案』・『口鑑』・『一針見血』に皆收録あり。各種の本子は皆「年命」の此の一項を漏掉したり――いま『一針見血』の一書に依據して補入す。
蛇貴后陰 寅卯辰巳 合貴陰虎 財 辛巳 陰 ⊙ 朱丑 午玄 子卯巳申 子 戊寅 蛇 合子 未常 卯午申壬 兄 乙亥 勾 亥戌酉申 勾青空虎
課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の卯に臨むより起こりて逆行して排布す:寅上螣蛇・卯上貴人・辰上天后・巳上太陰・午上玄武・未上太常・申上白虎・酉上天空・戌上青龍・亥上勾陳・子上六合・丑上朱雀。四課は右から左へ:第一課、日干壬の寄宮は亥、亥上に申を見、白虎に乘る。第二課、申上に巳を見、太陰に乘る。第三課、日支午上に卯を見、貴人に乘る。第四課、卯上に子を見、六合に乘る。三傳:初傳巳、遁干は辛、「妻財」に屬し、太陰に乘る――原文は旁に別に一つの「⊙」記號を加ふ――その體例は書中に交代を作さず、ここに照錄して臆解せず。中傳寅、遁干は戊、「子孫」に屬し、螣蛇に乘る。末傳亥、遁干は乙、「兄弟」に屬し、勾陳に乘る。
邵彥和曰:此課主病,上熱下冷,上膈雖熱而不渴,中間風氣相擊,下部不通,因食冷咸物損肺,遂下痞上滿,今宜補肺通腸。蓋曾寄出家,未曾還願之故。今若寄出家,可以免災,終是柔弱,二十一歲後,狀如老人,皮膚消瘦,若癆病狀;二十八歲,不能過也。
邵彦和が斷じて言う:此の一課の主る所の病情は上身は熱を發し下身は冷を發す。上膈は熱象あれど竝びに口渴せず、中焦に風氣ありて衝撞相撃し、下部は壅塞して通ぜず。病因は生冷鹹腥の物を喫して肺を傷り、そこで下は痞結し上は脹滿す――眼下應に肺を補ひ腸を通ずるの法子を用ゐて醫治すべし。此の子は從前曾て願を許して名を寄せて出家すと言ひ、卻って一直に願を還さず――纔かに此の場の病を招き來たり。如今もし真に彼を名を寄せて出家せしめば、眼前の災を免れ得べし。但し彼の體質は終に柔弱――二十一歲以後は便ち形容は老人の如く、皮膚は乾瘦し、一副の癆病模樣ならん。二十八歲の上に到れば、此の一關は過ぎ去り得ざらん。
其子病症,果是上熱下冷,因食冷鯗魚湯與麻參,遂得此病。昔日舍在淨安寺,繼又贖歸,遂不安,常若癆怯狀;寄在外祖家養育,瘦弱益甚,不曾娶妻,至紹興十六年丙寅四月三日,病故,果二十八歲也。
此の子の病症は、果たして上身は熱・下身は冷――起因は冷を放ちた鯗魚の湯と麻參とを喫し、そこで此の病を得た。彼は早年に曾て身を捨て淨安寺に寄養せられ、後來家はまた彼を贖ひ回り、此より身子は一直に安寧ならず、常常癆怯虚損の樣子を顯す。後來外祖父の家中に寄放して撫養せしめ、人は反つて更加に瘦弱し、一輩子に妻を娶らず。南宋高宗紹興十六年丙寅四月初三日に到りて病故し、一算すれば果たして二十八歲。
夫日上長生是空亡,申為寺院,虛生是寄舍也。壬受申之虛生,卻去生寅木,木生巳火,克申金,申金受克,走來壬上避之,非本意來生也,故終身瘦弱。申數七,亥數四,四七二十八也。初巳火主上熱,末亥水主下冷,初傳巳火上下皆金,故雖上膈在熱而不渴,中間寅木,主風氣相擊,末傳水作勾陳,故下部不通。又巳火傷申金,肺喘必矣。
細かに説くその中の道理:日干上神は申――申は壬水の長生の地。偏偏申はまた空亡に落ち――長生は虚生を成した。申は類象の上で寺院を代表す――虚假の長生はちょうど名を寄せ身を捨てて寺院する象。壬水は申金の此の一層の虚生の氣を承受すれど、卻って頭を轉じて去りて寅木を生じ、寅木はまた巳火を生じ、巳火は反つて申金を克す。申金は克制を受け、逃げて日干壬水の此の邊に來りて躲避するよりほかなし――竝びにそれが本心より來て壬を生ずるにあらず。ゆえに此人は一生瘦弱す。さらに數を看れば:申數は七、亥數は四、四に七を乘じて二十八を得――ちょうど彼の壽數に合す。病位に就きて言へば、初傳の巳火は上身の發熱を主り、末傳の亥水は下身の發冷を主る。初傳の巳火の上下は皆金氣に包夾せられ――ゆえに上膈は雖も熱なれど口渴せず。中傳の寅木は風に屬し、風氣が中焦に在りて衝撞相撃するを主る。末傳の亥水はまた勾陳に乘る――勾陳は壅滯を主る――ゆえに下部は通ぜず。加以巳火は申金を克傷し、申金は肺に屬し、肺は火に傷られ――氣喘咳嗽は免れざるなり。
壬午日に遂安の宮人が失馬を占ふ
十一月壬午日,丑將卯時,遂安宮人占失馬。(方本占案)
十一月の壬午日、丑を以て月將と爲し卯時に課を起こし、遂安縣の宮人が走失した馬を占問した。本案は方本『占案』に見える。
朱蛇貴后 卯辰巳午 合蛇陰常 子 戊寅 合 合寅 未陰 寅辰未酉 兄 丙子 青 勾丑 申玄 辰午酉壬 官 甲戌 虎 子亥戌酉 青空虎常
課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の巳に臨むより起こりて逆行して布列す:卯上朱雀・辰上螣蛇・巳上貴人・午上天后・未上太陰・申上玄武・酉上太常・戌上白虎・亥上天空・子上青龍・丑上勾陳・寅上六合。四課は右から左へ:第一課、日干壬の寄宮は亥、亥上に酉を見、太常に乘る。第二課、酉上に未を見、太陰に乘る。第三課、日支午上に辰を見、螣蛇に乘る。第四課、辰上に寅を見、六合に乘る。三傳:初傳寅、遁干は戊、「子孫」に屬し、六合に乘る。中傳子、遁干は丙、「兄弟」に屬し、青龍に乘る。末傳戌、遁干は甲、「官鬼」に屬し、白虎に乘る。四課の上神は寅・辰・未・酉、三傳は寅・子・戌――馬を代表する午はただ日支の下神位置に出現するのみで、竝びに課傳に進入せず。
邵彥和曰:午為馬,不入課傳,此馬不見矣。午加申道路之上,正行也,被人騎去矣。果然不見。吳稼云曰:寅為天馬,傳入青龍萬里之翼,故被人騎去也。
邵彦和が斷じて言う:午は六壬の裡に馬を代表す。此の一課の四課上神と三傳の中とに皆午の出現なく――此の匹の馬は尋ね回り得べからずと見べし。天盤の午は地盤申の上に加臨す――申は道路を主る――ちょうど馬が路上を行走する象――已に人に騎し去られた。その後果たして找回し得ず。呉稼雲が補充して言う:寅は「天馬」――本課の寅は三傳に入り、また青龍に乘る。青龍は奔行萬里の翼あり――一馬一龍は皆動象の上に在り――ゆえに此の馬は人に騎し去られたと斷定す。
壬午日に或る人が失船を占ふ
同月丑時,或占失船。愚按:斷語中有「初八日內見」之句,壬午當是月朔也。(方本占案)
同じ一箇月の丑時、別に人ありて來りて走失した船を占問した。編者程樹勳按:斷語の裡に「八天の內に見る可し」の此の句あり――これに由りて此の壬午日は應にすなわち當月の初一ならんと推知す。本案は方本『占案』に見える。
朱蛇貴后 卯辰巳午 合蛇陰常 子 戊寅 合 合寅 未陰 寅辰未酉 兄 丙子 青 勾丑 申玄 辰午酉壬 官 甲戌 虎 子亥戌酉 青空虎常
此の一課は上の一條の失馬を占ふ者と完全に同じ――課盤を展平して後は依然として:地支の乘ずる天將は貴人の巳に臨むより逆行す――卯上朱雀・辰上螣蛇・巳上貴人・午上天后・未上太陰・申上玄武・酉上太常・戌上白虎・亥上天空・子上青龍・丑上勾陳・寅上六合。四課は右から左へ:日干壬の寄宮は亥、亥上に酉を見て太常に乘る。酉上に未を見て太陰に乘る。日支午上に辰を見て螣蛇に乘る。辰上に寅を見て六合に乘る。三傳は:初傳寅、遁干は戊、「子孫」に屬し、六合に乘る。中傳子、遁干は丙、「兄弟」に屬し、青龍に乘る。末傳戌、遁干は甲、「官鬼」に屬し、白虎に乘る。
邵彥和曰:此船往東南方尋之,初八日內即見,船在旱地上,所以不進耳。蓋六合為船,來寅發用,而加於辰上,船在旱地之象。辰為東南方也,寅木三數,辰土五數,故初八日內果然。
邵彦和が斷じて言う:此の條の船は須く東南方向に往きて尋ぬべし――八天の內に便ち見るを得べし。船は旱地の上に擱ぎ――ゆえに一直に開き走らざりき。推斷の依據は:六合は類象の上で舟船を主る――本課の寅は六合に乘りて發用して初傳と爲し、しかも寅はまた辰土の上に加臨す――ちょうど船が旱地の上に擱淺する象。辰位は東南方に在り――ゆえに東南に往きて尋ぬべしと指明す。さらに數を看れば:寅は木に屬しその數は三、辰は土に屬しその數は五、三に五を加へて八を得――ゆえに八天の內に消息を得べしと斷定す。後來果たして應驗した。
壬午日に邵三公が終身を占ふ
己酉年正月壬午日,子將子時,邵三公壬申生,三十八歲,占終身。(宋本邵案、口鑑)
己酉年正月の壬午日、子を以て月將と爲し子時に課を起こし、邵三公が一生の命運を占問した。此の人は壬申年に生まれ、占課の時三十八歲。本案は宋本『邵案』と『口鑑』とに見える。
朱合勾青 巳午未申 合合常常 兄 乙亥 常 蛇辰 酉空 午午亥亥 財 壬午 合 貴卯 戌虎 午午亥壬 兄 丙子 玄 寅丑子亥 后陰玄常
月將と時辰とは同じく子――天盤と地盤とは重疊して動かず――「伏吟」課である。課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の卯に臨むより起こりて逆行して布列す:巳上朱雀・午上六合・未上勾陳・申上青龍・酉上天空・戌上白虎・亥上太常・子上玄武・丑上太陰・寅上天后・卯上貴人・辰上螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干壬の寄宮は亥、亥上に依然として亥を見、太常に乘る。第二課、亥上にまた亥を見、太常に乘る。第三課、日支午上に依然として午を見、六合に乘る。第四課、午上にまた午を見、六合に乘る。亥と亥と・午と午とは皆本支自見――「自刑」の象を構成す。三傳:初傳亥、遁干は乙、「兄弟」に屬し、太常に乘る。中傳午、遁干は壬、「妻財」に屬し、六合に乘る。末傳子、遁干は丙、「兄弟」に屬し、玄武に乘る。
邵彥和曰:此課本身有自然祿,又有持服人相助,一生守己,衣食自如,但雖為六親,並妻妾子女。干支上本身自刑。自身若得殘疾壓之,方吉。宅上主添造,造後卻進人口。蓋乘六合故也。後被子孫出來使錢。初因豬上發,後因豬上敗。妻能起家,生子又多,午乃妻財,故起家,兼作六合故多子。愚按起家生多子者,午臨旺地也。但刑傷太多,恐九年之上,患癆病,連克子孫矣。
邵彦和が斷じて言う:此の一課は占者本身は自から天然の祿氣あり、また守喪服孝する人の幫襯を得――一生安分守己し、衣食は愁へず。ただ此の份の福氣は雖も六親の上に落つるも、も妻妾子女に連牽して一併に累を受けしむ。日干と日支の上とは皆本支自見――「自刑」を構成す――占者本身は須く些かの残疾ありて此の股の刑氣を壓制してやっと吉利と算すべし。宅第上は房屋を添造する事あるを主す――造り好て後また人口を添進せん――支上に六合に乘り六合は增益を主るが故。往後は則ち子孫に拿げ出されて銭を花せられん。彼は起初は猪に靠りて家を發し、後來もまた猪に因りて家を敗す。妻子は能く家を興し業を立て、生む子はまた多し――午は妻財――ゆえに能く妻に靠りて家を起こす。午はまた六合に乘る――六合は生育繁衍を主る――ゆえに子女衆多なり。編者程樹勳按:能く家を起こしてまた子女を多生するは、午火が自己の旺地に臨むに因る。ただ此の課中は刑傷太重し――恐らく九年の後に癆病を患上し、さらに連累して子孫を克傷せん。
邵三公十七歲喪父,自起家,一生守己,養豬成家,妻有才幹,生男女十二人,存三男二女。本身有偏僻疾,因娶婦造屋。壬子年娶次媳,乃宦家女,費月數倍。又因豬瘟死,食其肉,舉家病,妻成癆,至癸亥年僅存一女而己。蓋日上自刑,乃人刑人也。宅上自刑,宅不居人也。末傳子作元武,子者子息也,元武為費用之神,元武便是本身之亥,我去刑他,元武便走在子息上,故主子息使錢也。己巳年家退盡。
後來果たして應驗した:邵三公は十七歲の上に父親が死し、白手して家を起こし、一生安分守己し、猪を養ふに靠りて家業を立てた。妻子は甚だ才幹あり、前後して男女十二人を生み下し、養活して下来しは三男二女。彼は自己身上に偏枯の類の痼疾あり。兒子のために媳婦を娶るに因りて新房を蓋ひ、壬子年に第二房の兒媳を娶るは、官宦の人家の女兒――花費は原先より幾倍を多出した。その後家裡の猪は瘟疫を染めて死し、全家は病猪の肉を喫して、一家の人は皆病み倒れ、妻子は轉じて癆病を成し、癸亥年に到りてただ一個の女兒を餘るのみ。此れらの應驗の道理は:日干上神の自刑は、人が人を刑する――家裡人の自相損傷を主る。日支宅上の自刑は、宅が宅を刑する――房子が人を留め得ざるを主る。末傳の子は玄武に乘る――子は六親の上で子息を代表し、玄武は耗費を主る神。邵彦和はまた指出して言う、此の玄武は便ち占者自身の在る所の亥水と等同し、我は此の一邊に在りて去りてそれを刑克すれば、玄武は便ち轉じて子息位の上に到る――ゆえに子孫が銭を拿げ出して花用するを主す。己巳年に到りて、家業は便ち敗盡した。
壬午日に龔縣尉が前程を占ふ
己酉年十月壬午日,寅將寅時,龔縣尉辛巳生二十九歲,占前程。(方本占案、口鑑)
己酉年十月の壬午日、寅を以て月將と爲し寅時に課を起こし、龔縣尉が自己の仕途前程を占問した。此の人は辛巳年に生まれ、占課の時二十九歲。本案は方本『占案』と『口鑑』とに見える。
朱合勾青 巳午未申 合合常常 兄 乙亥 常 蛇辰 酉空 午午亥亥 財 壬午 合 貴卯 戌虎 午午亥壬 兄 丙子 玄 寅丑子亥 后陰玄常
月將と時辰とは同じく寅――天盤は地盤の上に壓して動かず――依然として「伏吟」課。課式は前面の邵三公が終身を占ふあの一課と相同じ。課盤の展平は下の如し:十二地支の乘ずる天將は、「貴人」の卯に臨むより起こりて逆行して布列す――巳上朱雀・午上六合・未上勾陳・申上青龍・酉上天空・戌上白虎・亥上太常・子上玄武・丑上太陰・寅上天后・卯上貴人・辰上螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干壬の寄宮は亥、亥上に依然として亥を見、太常に乘る。第二課、亥上にまた亥を見、太常に乘る。第三課、日支午上に依然として午を見、六合に乘る。第四課、午上にまた午を見、六合に乘る――干支の上下は皆本支自見――「自刑」の象を成す。三傳:初傳亥、遁干は乙、「兄弟」に屬し、太常に乘る。中傳午、遁干は壬、「妻財」に屬し、六合に乘る。末傳子、遁干は丙、「兄弟」に屬し、玄武に乘る。
邵彥和曰:此課本身,現在戴祿,又作太常,必有兼職之事,俸祿亦增。若論升轉則未。蓋支干自刑,日後因得寵,遂做不廉之事,又因納一美妾,貪色尋醫而治,欲解任不能,幸遇一外路監司經過,為公懇告,遂得解任。但伏吟時下未發,只等替時自見耳。
邵彦和が斷じて言う:此の一課は占者自身はちょうど祿氣を戴き、祿上にまた太常に乘る――太常は職掌を主る――ゆえに必定に別職を兼攝する事あらん、俸祿もまた之に隨いて增加せん。但しもし升遷調轉を問はば、すなわち還ら談ずるに及ばず。日干と日支とは皆自刑するが故――往後彼は上司の寵信を受くるに因りて不廉潔の事を做出せん。また一房の美妾を納れ、女色を貪戀して病に致りて醫を求めん。任を卸き差を交はらんと欲するも身を脫し得ず――幸に一位の外路の監司が路過するに碰上して、彼に替はりて懇切に情を説き、やっと解任し得るを以てす。ただ眼下此の課は伏吟――氣機は伏して發せず――ただ任滿して人を換ふる時を等つ――此れらの事は自然に一一顯現せん。
蓋干支自刑,主自滿,月建前一辰,子上是元武,為天醫(愚按:月建前二辰為天醫,今以前一辰為天醫何也),沖起行年上午之六合,晝貴又乘天后,為干之偏財,乃妾也。元武六合皆不正之神,故貪色而淫泆過度,致得病而求醫。子午為官員往來之所,道路神也。月建前神是外監司,必外除方解。
細かに講るその中の道理:日干と日支とは皆自刑す――自刑は自滿驕矜を主る。十月の月建は亥に在り、月建より前に一辰を數ふれば子――子上は玄武に乘る――取りて「天醫」と爲さる(編者程樹勳按:通例に照らせば月建より前に兩辰を數ふるは纔かに天醫――ここに何を以てか前一辰を以て天醫と爲すや――疑を存す)。子は來て行年上の午位の六合を衝動す――白晝に課を起こして晝貴人を取り、また兼ねて天后の象――天后と六合とは皆女子を主る――午火はちょうど日干壬水の「偏財」――偏財は人事の上ではすなわち妾室。玄武と六合とは皆不正の神に屬す――ゆえに彼が女色を貪戀し淫佚過度して、病に致りて醫を求むるを主す。子と午とは官員往來の地――皆道路の神に屬す。月建前一位の神は外路の監司を代表す――ゆえに必ず外任の差遣の下来るを待ちてやっと、眼前の困局は纔かに解け得べしと斷定す。
龔尉因主簿壞去,遂權署其印,得太守寵,遂傍若無人,又納一妾,頗多淫樂,其後龔尉滿替。因前看騐事受賄,被人論告,欲去不能。州縣又不與批結,遂求湖北運司胡某。胡向與龔父交好,又與天守是往日同寅官。因經過見太守。為龔力肯,遂準放行,乃得歸也。
後來果たして應驗した:主簿は過に因りて免ぜられ、龔縣尉は便ち代理して主簿の印信を兼掌し、甚だ太守の寵信を得――そこで驕橫して旁に人なきが若し。また一房の妾を納れ、情を縱して樂を享した。龔尉が任滿して應に人の接替ある時に及んで、先前に案件を勘驗して賄賂を收受したに因りて、人に告發せられ、走らんと想ふも走り成らず。州縣衙門はまた彼に結案の批文を出具するに肯んぜず。彼は湖北轉運司の胡某を求むるよりほかなし――胡某は從前龔尉の父親と交好し、また太守と當年の同僚。胡某は公務に因りて路過し、去りて太守に見へ、龔尉に替はりて極力して懇求し、太守は此れ纔かに放行を准許し、龔尉は終に身を脫して家に回るを得た。
癸未日
癸未日に來意を占ふ
四月癸未日,申將午時,占來意。(指歸靈文論)
四月の癸未日、申を以て月將と爲し午時に課を起こし、來人の問ふ所の何事を射測した。本案は『指歸』『靈文論』から出る。
朱合勾龍 未申酉戌 空勾貴陰 財 辛巳 貴 蛇午 亥空 亥酉巳卯 官 癸未 朱 貴巳 子虎 酉未卯癸 父 酉 勾 ◎ 辰卯寅丑 后陰玄常
課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の巳に臨むより起こりて順行して布列す:未上朱雀・申上六合・酉上勾陳・戌上青龍・亥上天空・子上白虎・丑上太常・寅上玄武・卯上太陰・辰上天后・巳上貴人・午上螣蛇。四課は右から左へ:第一課、日干癸の寄宮は丑に在り、丑上に卯を見、太陰に乘る。第二課、卯上に巳を見、貴人に乘る。第三課、日支未上に酉を見、勾陳に乘る。第四課、酉上に亥を見、天空に乘る。三傳:初傳巳、遁干は辛、「妻財」に屬し、貴人に乘る。中傳未、遁干は癸、「官鬼」に屬し、朱雀に乘る。末傳酉、「父母」に屬し、勾陳に乘る――旁に「◎」を注して旬空を表示す――癸未日は甲戌旬に屬し、申酉の兩支は空亡に落ち、酉はすでに空亡なれば便ち配る可き遁干なし――ゆえに遁干の一欄は空す。
斷曰:來意事起官員出行,道路必遠,行至中途,逢改差。權監酒稅文字,又主本家二婦人,蒙蔽不睦。婢落井內死。因此不滿任而回。
斷語が言う:來人の問ふ所の事は官員の出行より起こり、路途は必定に甚だ遠し。半途に走り至りて改派差遣に遇上し、改めて往きて酒税の文書事務を代理監管せん。また彼の家中有二個の婦人ありて互相蒙蔽し彼此不和睦なるを主す。家中の婢女は井の裡に掉ち入りて淹死せん。亦此れらの緣故に因りて、彼は此の一任を做り滿さずして便要回らん。
何以見之,蓋天乙為官員,乘巳加卯,主門戶,又傳陰出陰,主出行赴外任。卦名遙克,主道路。中傳未乘朱雀,主改差,下臨巳月建上,主權。末為酒,朱雀主文字,故云,權監酒稅文字。日上卯作太陰,主婦人。末傳酉亦為婦人,故云二婦人,太陰為妾,又為蒙蔽。酉為婢,作勾陳,主口舌爭訟。酉臨未,未有井宿。甲戌旬,酉為空亡,四月酉為死氣,故云落井而死。初傳克末傳又空,故不滿任而回也。
何に憑りて此の如く斷ずるや。天乙貴人は官員を代表す――それは巳の上に乘りて巳はまた卯位に加臨す――卯は門戶を主る――官員が門を出づる象。三傳は陰支より陰支に傳はる――外に出づて任に赴くを主す。此の課の課體の名は「遙克」――遙克は道路遠行を主る。中傳の未は朱雀に乘る――朱雀は文書號令を主る――ゆえに改派差遣と斷ず。未はまた下に四月月建の巳の上に臨む――月建に臨めば則ち代理して權を掌るを主す。末傳の酉は類象の上で酒に屬し、朱雀は文書を主る――兩者を合看すれば、ちょうど酒税文書を代理監管する職。日干上神の卯は太陰に乘る――太陰は婦人を主る。末傳の酉もまた婦人を代表す――ゆえに家中有二個の婦人と言う。太陰はすでに妾室を主り、また遮蔽隱瞞を主る――故に二婦は蒙蔽して不和と斷ず。酉はまた婢女を代表す――それは勾陳に乘る――勾陳は口舌爭訟を主る。酉は未の上に臨み、未の此の一宮の分野は「井宿」あり。癸未日は甲戌旬に屬し、酉はちょうど空亡に落ち、しかも四月の裡に酉金は死氣の地に處る――ゆえに婢女が井に落ちて死すと斷定す。初傳の巳火は末傳の酉金を克し、末傳はまた空亡に逢ふ――ゆえに彼は此の一任を做り滿さずして便ち回る要あらんと斷ず。
癸未日に劉判官が前程を占ふ
戊申年七月初一癸未日,午將卯時,劉判官己未生五十歲,占前程。(捷要、口鑑)
戊申年七月初一、ちょうど癸未日に逢ひ、午を以て月將と爲し卯時に課を起こし、劉判官が仕途前程を占問した。此の人は己未年に生まれ、占課の時五十歲。本案は『捷要』と『口鑑』とに見える。
合勾青空 申酉戌亥 常青朱后 官 庚辰 后 朱未 子虎 丑戌未辰 官 癸未 朱 蛇午 丑常 戌未辰癸 官 甲戌 青 巳辰卯寅 貴后陰玄
課盤の展平は下の如し。十二地支の乘ずる所の天將は、「貴人」の巳に臨むより起こりて順行して布列す:申上六合・酉上勾陳・戌上青龍・亥上天空・子上白虎・丑上太常・寅上玄武・卯上太陰・辰上天后・巳上貴人・午上螣蛇・未上朱雀。四課は右から左へ:第一課、日干癸の寄宮は丑、丑上に辰を見、天后に乘る。第二課、辰上に未を見、朱雀に乘る。第三課、日支未上に戌を見、青龍に乘る。第四課、戌上に丑を見、太常に乘る。三傳:初傳辰、遁干は庚、「官鬼」に屬し、天后に乘る。中傳未、遁干は癸、「官鬼」に屬し、朱雀に乘る。末傳戌、遁干は甲、「官鬼」に屬し、青龍に乘る。辰・未・戌は皆土――土は水日を克す――ゆえに三傳は純に官鬼のみ。
邵彥和曰:日上見墓神,天后又是滯神,今方自墓中脫去。中傳未是旬末,末傳歸家,卻見旬首,旬首加旬尾,做官方做起,卻又早歸家,如何得改官遷轉?不如治生,何以見之?本命在中傳,甲戌旬末是癸未,未土癸水,為三傳全鬼,卻變成財,若要求官仍復為鬼,所以治生,必然興發,為甚佳也。
邵彦和が斷じて言う:日干上神の辰は水の墓庫の神――辰上にまた天后に乘る――天后は停滯を主る神――如今此の股の氣は纔かに剛く墓中より脫身して出づ。中傳の未は甲戌の一旬の末位――末傳の戌は本家に回るも、卻ってちょうど此の一旬の旬首――旬首は旬尾の上に壓す――意思は官は剛く做り起こせど、人は早早家に回る――此の如くにて怎んぞ能く官を改め遷升せんや。回りて生計を經營するに如かず。何に憑りて此の如く斷ずるや。彼の本命の未は中傳の上に落つ。甲戌旬の末位はちょうど癸未――未は土に屬し癸は水に屬し、三傳の辰未戌は全て身を克する官鬼。しかし買賣を做る人に對しては、官鬼は反つて轉化して財と爲る。もし一心に官を求めに往かば、それは就きて依然として鬼の凶相を現ず。ゆえに彼に勸めて改行して生計を經營せしめば、必定に興旺發達し――それは纔かに最も好き路子ならん。
劉判官三十八上及第,到五十歲,方受第一任,緣是庶出,丁了三服,服闋,方做判官。任滿,不得改官,任中文字又多不足,遂思先生之言,歸家治生,開雜賣鋪,販賤鬻貴,資財日旺,初開店時,止有三千餘貫,後十二年,共發主三十五萬貫,造屋買田,如法做起,信知先生之言不妄也。
その後果たして應驗した:劉判官は三十八歲に進士に考え中り、五十歲に到るまでやっと第一個の實缺を領した。彼は庶出なるが故、相繼いで三次の喪服を守り、服喪期滿を等ちて、やっと判官を做り上げた。任滿して後は官を改め升轉を得ず、任中に經手した文書はまた多く合格せざる處あり。彼は此れ纔かに邵彦和先生の話を想起し、家に回りて生意を做し起こし、一家の雜賣鋪を開き、賤く進め貴く鬻ぎ、資財は一天一天旺んなり。剛く店を開く時は不過三千余貫の本銭――此の後十二年の間、前後共に三十五萬貫を賺り、房屋を起造し田産を購置し、一樣一樣規矩に照らして置辦した。これに由りて先生の斷語は虚言にあらざるを知るべし。
癸未日に劉一翁が代はりて身位を占ふ
同年月日時,劉一翁代丙辰生人,五十三歲,占身位,同此數。
同じ年・同じ月・同じ日・同じ時辰に、劉一翁が一位の丙辰年生まれ・五十三歲の人に替はりて自身の境遇を占問し、起こし出した課は上の一條と完全に同じ。
合勾青空 申酉戌亥 常青朱后 官 庚辰 后 朱未 子虎 丑戌未辰 官 癸未 朱 蛇午 丑常 戌未辰癸 官 甲戌 青 巳辰卯寅 貴后陰玄
課盤は上の一條の劉判官の占ふ所と一字差なからず:十二地支の乘ずる天將は「貴人」の巳に臨むより順行す――申上六合・酉上勾陳・戌上青龍・亥上天空・子上白虎・丑上太常・寅上玄武・卯上太陰・辰上天后・巳上貴人・午上螣蛇・未上朱雀。四課は右から左へ:日干癸の寄宮は丑、丑上に辰を見て天后に乘る。辰上に未を見て朱雀に乘る。日支未上に戌を見て青龍に乘る。戌上に丑を見て太常に乘る。三傳:初傳辰、遁干は庚、「官鬼」に屬し、天后に乘る。中傳未、遁干は癸、「官鬼」に屬し、朱雀に乘る。末傳戌、遁干は甲、「官鬼」に屬し、青龍に乘る。差別はただ事を問ふ人の年命の同じからざるに在るのみ――上の一位は己未に生まれ、本命の未は中傳に在り。此の一位は丙辰に生まれ、本命の辰は初傳に落つ。
邵彥和曰:此人不長久,目下如雲霧中行耳。明年五十四歲,行年在未,見戌加之為閉口,戌為九月,其人九月間,患積塊疼痛,氣塞脹蠱而終。
邵彦和が斷じて言う:此の人は活きること長久ならず――眼下の處境は好比ば雲霧の裡に行くが如く、前路は一片迷茫なり。明年に到りて彼は五十四歲――行年は未の上に落ち、未上にまた戌の來て加臨するを見――戌は未に加はるは「閉口」の象――氣機の閉塞不通を主る。戌はまた九月を代表す。ゆえに此人は九月の間に腹中結塊して痛を作すの病を患上し、氣機壅塞し腹は脹れて蠱の如くして死すると斷定す。
或問:此人與劉判官,同月將日時,同得此課,何故前言治生,此言就死?邵彥和曰:前是己未生,中傳得本命,自墓引生來,末傳見旬首,周而復始,三傳全鬼,卻化為財,所以治生發旺也。此是丙辰生,他的本命自來墓身,既來添墓,如何去得?
人ありて問ふて曰く:此の人と劉判官とは同じ一個の月將・同一日同一時辰を用ゐ、起こし出した課も一模一樣――何を以てか前面は劉判官の改行經商して家を發すと斷じ、ここに卻って此の人は便ち死せんと斷ずるや。邵彦和が回答して曰く:前の一位は己未年に生まれ、本命の未は中傳に落ち、氣は墓庫の裡より引き生じ出され、末傳にまた旬首の戌を見――一周の後重ねて開始す――三傳は雖も全て官鬼なれど、經商する人に對しては轉化して財と成る――ゆえに彼の生計を經營すれば能く興旺せんと斷ず。此の一位は丙辰年に生まれ、彼の本命の辰は本身就是水の墓庫――如今また主動して跑り來りて自身の上に加はる――墓の上にさらに墓を添ふ――人は怎んぞ身を脫し得んや。
邵彥和先生嘗謂門人曰,古次客之法,因數人同時來占,乃用前五後三,換將不換時之例,試之每不驗。蓋燭照禍福,全賴太陽之光明,故以正將正時為最,其次則換時不換將耳。今餘以各人年命為主,課雖同而理則異。區別懸殊,十不失一。愚按邵公此論誠為正理。故從張繼唐先生本內,而摘錄之,於此。至於出自何書,則未之也。近見張星源所注河棹,以一時而演五十七課,以為出於中黃經,為次客之秘法。支離穿?誠堪捧腹,況中黃經內,並無此條。殆張星源之杜撰,欲未可知也。
邵彦和先生は曾て門下の弟子に對して言う:舊傳は「次客」(同一の時辰に接續して幾人か來て占ふ)を處理する辦法に、幾人か同時に來て問ふに遇へば、便ち前に五辰を推し後に三辰を退げ、ただ月將を換へて時辰を換へざるの成例を用ゐる。我は試すこと多次なれど、往往靈驗せず。占卜の能く禍福を照見する所以は、全く太陽の光に靠る――月將はすなわち太陽の在所――ゆえに本時の正將正時を以て最上と爲し、一步退ぐもただ時辰を換へて月將を換へざるのみ。如今我は改めて各人の年命を以て主と爲す――課式は雖も相同じく、推斷の道理は卻って各々相同じからず、區別は十分懸殊なり。用ゐるに十次も難く一次錯らず。編者程樹勳按:邵先生の此の一番の議論は實在に正理――ゆえに張繼唐先生の本子の裡よりそれを摘錄してここに至る。本來どの部の書より出づるかに至っては、便ち査考するに由なし。近來張星源の注する所の『河棹』を見るに、竟に一個の時辰を用ゐて五十七課を演出し、『中黃經』より出づと説し、次客を處理する祕法と爲す。あの説法は支離附會して、實に人をして捧腹せしむ。いわんや『中黃經』の裡に根本此の一條なきや――多くは張星源の自己杜撰し出したる――亦た知るべからず。
癸未日、楚衍が年成の豊歉を占う
慶曆八年戊子,楚衍因到雍邱,知縣張邴邀衍至廳。正月十四日,占今年豐歉。是日癸未,得申時。(一針見血)
北宋の仁宗・慶暦八年、歳は戊子。天文暦算家の楚衍が用事で雍邱県に赴き、知県の張邴が彼を県庁に招いて会見した。正月十四日に、本年の年成の豊歉について課を起こした。この日はちょうど癸未日で、申時を取って課を起こした。本例は『一針見血』に見える。
勾龍空虎 酉戌亥子 陰空勾貴 父 酉 勾 ◎ 合申 丑常 卯亥酉巳 官 丁丑 常 ⊙ 朱未 寅玄 亥未巳癸 財 辛巳 貴 午巳辰卯 蛇貴后陰
課盤を平らに展開すると次のようになる。十二地支の乗ずる天将は、「貴人」が巳に臨むところから順に布列する:酉に勾陳、戌に青竜、亥に天空、子に白虎、丑に太常、寅に玄武、卯に太陰、辰に天后、巳に貴人、午に螣蛇、未に朱雀、申に六合。四課は右から左へ:第一課、日干の癸の寄宮は丑、丑の上に巳を見、貴人を乗ずる。第二課、巳の上に酉を見、勾陳を乗ずる。第三課、日支の未の上に亥を見、天空を乗ずる。第四課、亥の上に卯を見、太陰を乗ずる。三伝:初伝は酉で「父母」に属し、勾陳を乗せ、傍注の「◎」は旬空を示す。癸未日は甲戌旬に属し、申・酉が空に落ちるので遁干はない。中伝は丑、遁干は丁で「官鬼」に属し、太常を乗せ、傍に「⊙」の記号を加える。その体例は原書に説明がなく、ここではそのまま写す。末伝は巳、遁干は辛で「妻財」に属し、貴人を乗ずる。
楚衍曰:今日申初二刻,立春,卻得申時,以月將神后加申。三下賊上俱比,以涉害從魁加巳為用,將得勾陳,中傳大吉加酉,太常。終傳太乙加丑,貴人。太歲上得天罡,乘天后。此年宜麥宜麻之稔。其餘?米不豐。西南半熟,東北全荒。米?湧貴金銀銅錢,物賤,人民饑荒。仍有疾疫,及盜賊驚恐,其年一一應驗。
楚衍が言うには:今日は申の初二刻に立春を迎え、課を起こすのもちょうど申時を得たので、正月の月将「神后」(子)を申の位に加えて盤を排した。本課には下神が上神を克する箇所が三ヶ所あり、しかもいずれも日干と比和(陰陽が同じ)なので、例に従って「渉害」で用を定め、「従魁」(酉)が巳の上に加わったものを初伝とし、勾陳を乗せる。中伝は「大吉」(丑)が酉の上に加わり、太常。末伝は「太乙」(巳)が丑の上に加わり、貴人。太歳の子位の上には「天罡」(辰)を得て、辰は天后を乗ずる。これによって今年は麦と麻を植えるのに適し、麦と麻は豊作が望めると断じる。その他の(一字欠く)米穀は豊かではない。西南は半熟、東北は全く荒れる。米価は(一字欠く)急騰して高騰し、金銀銅銭などの物はかえって安くなり、人民は飢饉に遭う。さらに疫病の流行と、盗賊の驚擾の事がある。その年は果たして一つ残らず応験した。
議曰,太歲上神,與初傳從魁為合,是金土相生,所以宜麻麥金銀銅錢物賤,太歲臨空,又天罡加臨歲上,故主人民饑荒、盜賊、疾疫。西南方有亥子水神加之,與立春日干無傷,為吉將,得天空白虎凶神,故得半熟。東北方位,有巳午未火神加之,與立春日干克戰為凶,又將得蛇雀凶神,故主全荒也。
評議して言う:太歳の子位の上の神は辰で、辰は初伝「従魁」の酉と合し、辰土と酉金は相生するので、麻・麦が得宜となり、金銀銅銭の類の物価はかえって低くなることを主す。太歳の子が加臨する地盤は申で、申はちょうど旬空の位に落ち、天罡の辰がまた歳の上に加臨するので、人民の飢饉・盗賊・疾疫を主す。西南の方角には亥・子の水神が加わり、水は立春日の日干の癸水と同気で傷つくところがなく、吉将となる。しかし天空・白虎という二つの凶神を得たので、吉凶相まじり、半分しか熟さない。東北の方位には巳・午・未の火神が加わり、火は立春日の日干の癸水と互いに克戦して凶となり、乗ずるのもまた螣蛇・朱雀という凶神なので、東北全域が荒れると断じたのである。
