戊申年七月乙巳日、沈四公が事の保正を占う(『口鑑』・方本占案)
戊申年七月二十三乙巳日,午將亥時,沈四公庚戌生,五十九歲,占事保正。(《口鑑》、方本占案)龍、空。陳——子、丑、寅、卯——虎。六——亥,辰——常;後陳陰六;子,丙午,陰。朱——戌,巳——玄;未子午亥;財,癸丑,龍。蛇——酉、申、未、午——陰;子巳亥乙;鬼,戊申,貴。貴、後。
戊申年七月二十三日乙巳、午将を用いて亥時の上に加えて課を起こした。占を求める人は沈四公で、庚戌年生まれ、五十九歳、「保正」に争い充てるという事を占った――保正は郷里の差役の頭目である。この例は『口鑑』と方本占案に見える。課盤:子の上に「勾陳」、丑の上に「青竜」、寅の上に「天空」、卯の上に「白虎」、辰の上に「太常」、巳の上に「玄武」、午の上に「太陰」、未の上に「天后」、申の上に「貴人」、酉の上に「螣蛇」、戌の上に「朱雀」、亥の上に「六合」。この課は夜貴を用い、貴人は申に落ち、十二天将は逆行し、午を亥に加え、天盤は地盤より七位進む。四課は右から左へ読む:乙日の寄宮は辰にあり、辰の上に亥を得て六合を乗せ、第二課は亥の上に午を得て太陰を乗せ、第三課は日支の巳の上に子を得て勾陳を乗せ、第四課は子の上に未を得て天后を乗せる。三伝:初伝は午、旬遁して丙午を得、太陰を乗せ、子孫である。中伝は丑、旬遁して癸丑を得、青竜を乗せ、妻財である。末伝は申、旬遁して戊申を得、貴人を乗せ、申金は乙木の官鬼であるとともに、またまさに乙木の絶地でもある。
邵彥和曰:課名重審,末本絕神,不合亥子又來生日,絕中又起。奈何你母勸你休爭,你女又勸,俱不聽,下稍自做,雖得財不善可惡,後有悔。所得之物,可以移翁棺葬此內,必陋貴子,為大和尚,汝葬祖側也。
邵彦和が言うには、この課の課名は「重審」で、末伝はもと絶神だが、偏しくも亥・子の水がまた来て日干を生ずるので、絶処にまた機会が生まれる。ただおまえの母が争いに行くなと勧め、おまえの娘もまた勧めたが、おまえはいずれも聞かず、末にはやはり自ら行って事を成した。財を得はしたが、来路が正しくなく人に厭われ、日後必ず懊悔がある。その得たこの産業は、公公の棺柩をその中に遷葬することができ、日後必ず貴子を蔭出し、一人の大和尚を為し、おまえ自身は祖墳の傍らに葬られる。(「必陋貴子」の「陋」の字は義に於いて通じ難く、文意に拠れば当に「蔭」一类の字の訛写とすべきで、ここは底本に照らして録存する。)
沈母乃童氏,其女亦嫁童家。童家服滿,沈公欲爭保正,母與又勸不聽,乃自做了。後童分家,請沈公作主,沈卻於公共內,取一生墳安葬。四年生一兒,為大和尚於廣教寺。
沈四公の母は童家の人で、彼の娘もまた童家に嫁いでいた。童家の喪服の期が満ち、沈四公は保正に争い充てようと思い、母と娘がともに来て勧め阻んだが、彼は聞かず、やはり自ら行って成し遂げた。後に童家が家を分ける時、沈四公を請して主持させ、沈四公は却って公共の産業の中から一塊の地を画し出し、生墳として安葬した。これより後の四年に一子を生み、この子は後に広教寺で大和尚となった。
愚按:蓋乙以子為母,午為女,亥為父,申為翁,丑為墓,申加之,是為翁墓也。本命庚戌,庚金墓丑,是自亦墓此矣。申為僧,丑為賢,上見貴,是大和尚也。
程樹勲按:この課は、乙木は子水をもって母とし、午火をもって娘とし、亥水をもって父とし、申金をもって公公とし、丑土をもって墓とする。申が丑の上に加臨するは、まさに公公の墳墓の象である。沈四公の本命は庚戌で、庚金の墓もまた丑にあるので、彼自身も日後ここに葬られることが見える。申は僧人の象を取り、丑は賢徳の象を取り、丑の上にまた貴人を見るので、一人の大和尚が出ると断じ出したのである。
丙午日
建炎己酉年丙午日、伊伯廷が宅を占う(方本占案)
建炎己酉年丙午日,卯將申時,伊伯廷甲戌生,三十六歲,占宅。(方本占案)朱、六。蛇——子、丑、寅、卯——陳。貴——亥,辰——龍;玄朱常蛇;鬼,壬子,蛇。後——戌,巳——空;申丑未子;子,丁未,常。陰——酉、申、未、午——虎;丑午子丙;父,空寅,六。玄、常。
建炎己酉年丙午日、卯将を用いて申時の上に加えて課を起こした。占を求める人は伊伯廷で、甲戌年生まれ、三十六歳、住宅を占問した。この例は方本占案に見える。課盤:子の上に「螣蛇」、丑の上に「朱雀」、寅の上に「六合」、卯の上に「勾陳」、辰の上に「青竜」、巳の上に「天空」、午の上に「白虎」、未の上に「太常」、申の上に「玄武」、酉の上に「太陰」、戌の上に「天后」、亥の上に「貴人」。この課は夜貴を用い、貴人は亥に落ち、十二天将は順行し、卯を申に加え、天盤は地盤より七位進む。四課は右から左へ読む:丙日の寄宮は巳にあり、巳の上に子を得て螣蛇を乗せ、第二課は子の上に未を得て太常を乗せ、第三課は日支の午の上に丑を得て朱雀を乗せ、第四課は丑の上に申を得て玄武を乗せる。三伝:初伝は子、旬遁して壬子を得、螣蛇を乗せ、子水は丙火の官鬼である。中伝は未、旬遁して丁未を得、太常を乗せ、子孫である。末伝は寅で六合を乗せ、父母印綬で、寅は甲辰旬の中で空亡に落ちるので、「空」の字を標出する。
邵彥和曰:子與丑合,末又長生,雖子克丙,得丑寅引鬼為生,初中雖六害,可望先凶後吉。奈何寅是空亡,所以不能引進,見生不生,反成凶咎。甲寅必有大災,子丑年多事,急移可免。伊為人狂妄自高,甲寅年與大辟人過財,干人命入獄百餘日,幾死。子丑多事,己未妻母皆喪;庚申喪子,後移居始免災。
邵彦和が言うには、子と丑は相合し、末伝の寅はまた丙火の長生の地なので、子水は丙火を克するといっても、丑土・寅木があってこの官鬼を生気に引化する。初伝と中伝は六害を結ぶとはいえ、もともと先ず凶で後に吉と望むことができた。無奈寅はまさに空亡の上に落ちて、引化が成らず、生があるように看えて生じ起こすことができず、かえって凶咎を成した。甲寅のあの年に必ず大災があり、子年・丑年に事多く、急いで家を搬してこそ躱し過ごし得る。伊伯廷は人となりが狂妄自大で、甲寅年に一人のすでに死罪に判せられた人と銭財の往来があり、人命官司に牽連し、百余日も牢に坐り、ほとんど性命を送った。子・丑の両年は果たして事多く、己未年に妻と母がともに亡故し、庚申年にまた息子が死に、後に家を搬してやっと災禍を免れた。
愚按:大凡干支見合,須有副則為好課。今甲辰旬卻入見寅,進則空亡,退又子克,所以災起子丑之年,死亡於甲寅之歲也。夫以旬末而又引入空亡,故即以其年分言之。
程樹勲按:およそ干支が相合するには、なお輔佐が相幇うことを須い、はじめて好い課と算する。今これは甲辰の一句で、末伝は偏しくも寅の上に落ちる:前に進めばすなわち空亡、後に退けばまた子水に克される。だから災禍は子・丑の年に起こり、人は甲寅の歳に亡くする。すでに一句の末尾に在ってまた空亡に引き入るので、則ち直ちにこの幾つかの年分を按じて応期を断じたのである。
丙午日に夷寇を占う(『一針見血』)
丙午日占夷冦。(《一針見血》)合、勾、龍、空。寅、卯、辰、巳;蛇勾貴合;鬼,壬子,蛇。朱——丑,午——虎;子卯亥寅;財,己酉,陰。蛇——子,未——常;卯午寅丙;兄,丙午,虎。亥、戌、酉、申;貴、後、陰、玄。
丙午日に外族が入侵する事を占った。この例は『一針見血』から出ている。課盤:寅の上に「六合」、卯の上に「勾陳」、辰の上に「青竜」、巳の上に「天空」、午の上に「白虎」、未の上に「太常」、申の上に「玄武」、酉の上に「太陰」、戌の上に「天后」、亥の上に「貴人」、子の上に「螣蛇」、丑の上に「朱雀」。貴人は亥に落ち、十二天将は順行する。この課は月将と占時を記していないが、四課に拠り推算すれば、天盤は地盤より九位進む。四課は右から左へ読む:丙日の寄宮は巳にあり、巳の上に寅を得て六合を乗せ、第二課は寅の上に亥を得て貴人を乗せ、第三課は日支の午の上に卯を得て勾陳を乗せ、第四課は卯の上に子を得て螣蛇を乗せる。三伝:初伝は子、旬遁して壬子を得、螣蛇を乗せ、子水は丙火の官鬼である。中伝は酉、旬遁して己酉を得、太陰を乗せ、妻財である。末伝は午、旬遁して丙午を得、白虎を乗せ、兄弟である。三伝の子・酉・午に第三課の卯を加えれば、ちょうど子午卯酉の「四仲」交互の象を湊する。
祝泌奏曰:四課皆無克,辰之陰神子,剋日為用。日丙也,辰外也,外來克內,夷來侵擾之象。遙克謂之無刑,幸而游都與貴人,皆在三傳之外,主虜目今在境矣。
祝泌が上奏して言うには、四課の上下はともに克を成さないので、やむを得ず日支の陰神の子水を取って日干を克して発用とした。日干の丙火は本方を代表し、日支は外方を代表する。外が来て内を克するのは、まさに外族が前に来て侵擾する象である。この種の位を隔てて相克するを「無刑」と呼ぶ。幸いに「游都」という兵寇を主る神煞と貴人がともに三伝の外に落ち、敵虜が目下すでに辺境の上に進んでいることを主る。
此課,蛇虎在傳,四仲相交,歌曰:「今日辰當為子午,傳中四仲類相因,三交家隱奸私客,不是逃亡將避迍。」推目今邊境,想巳被來冦來侵,不利而去。但課之始終,吉氣少而凶氣多,未能免冦之患。目今之吉者,發用落空,游都在三辰之外也;未能免冦者,四仲續蛇虎為初終也;不至大害者,太陰在傳,貴順而加日本也。
この課は、螣蛇と白虎がともに三伝に進み入り、また四仲の支が交互に相加する。歌訣に説く:「今日の日辰はまさに子・午に当たり、三伝の中に四仲一類が相因す。三交の課は、家の中に姦私の客を蔵し、人の逃亡あるか、さもなくば人の難を避くるか」と。これに拠って目下辺境の情形を推算すれば、想来すでに一度来犯を遭い、敵は便宜を討ち得ずして退き去ったのであろう。ただこの課は始めから終わりまで、吉気少なく凶気多く、なお寇患を免れない。目下の吉と算する所以は、発用が空亡に落ち、游都がまた三辰の外にあるからである。免れられないと言う所以は、四仲が相続いで、しかも螣蛇・白虎が分かち初伝と末伝を占めているからである。大害を釀すに至らないと言う所以は、太陰が三伝に入り、貴人が順行して日干の本位の上に加臨しているからである。
丙午日・辺境の寇警を占う(前の案を承く、課盤残行)
貴后陰玄
この一行は、上の一則の占例の課盤が一行に圧された後に残留した天将の排列で、四字はみな天将の簡称である:「貴」は天乙貴人、「后」は天后、「陰」は太陰、「玄」は玄武。それらはもと各々一つの地盤位の上に圧され、その位の天盤神の乗ずる天将を標明するのに用いられた。今これと相配する地支・四課・三伝はすでにこの一行の外に散らばり、僅かにこの四将を凭りにしては完整な課式を復元することができないので、源文の原様のまま保留し、補綴を作さない。下文の祝泌の奏断は、まさにこの課について立説したのである。
祝泌奏曰:四課皆無克,辰之陰神子,剋日為用。日丙也,辰外也,外來克內,夷來侵擾之象。遙克謂之無刑,幸而游都與貴人,皆在三傳之外,主虜目今在境矣。此課,蛇虎在傳,四仲相交,歌曰:「今日辰當為子午,傳中四仲類相因,三交家隱奸私客,不是逃亡將避迍。」推目今邊境,想巳被來冦來侵,不利而去。但課之始終,吉氣少而凶氣多,未能免冦之患。目今之吉者,發用落空,游都在三辰之外也。未能免冦者,四仲續蛇虎為初終也。不至大害者,太陰在傳,貴順而加日本也。
祝泌が上奏して言うには、この課の四課の上下神はみな相克せず、ただ日支辰位の陰神の子水が来て日干を克するので、それを取って「発用」(初伝)とする。日干は丙火で、自分を代表し、辰は外事の位で、外方を代表する。外位が来て内位を克するは、まさに外族が入侵し辺境が擾される象である。四課に克なくして陰神を取って遥かに来克せしめるを、術家は「無刑」と呼ぶ。幸いに盗賊兵寇を主る「游都」の神と「天乙貴人」がともに三伝の外に落ちているので、敵虜は目下ただ辺境一帯で活動していることを説明する。この課は螣蛇・白虎の二つの凶将がともに三伝に入り、子・午・卯・酉の四仲の神が彼此に交加する。歌訣に説く:「今日辰は当に子午と為り、伝中の四仲は類相因じ、三交は家に姦私客を隠し、逃亡なからずんば将に迍を避けん」と――四仲が交互して「三交課」を成し、家の中に姦私の外人を蔵することを主り、逃亡でなければ禍を避けるである。これに拠って目下の辺境を推断すれば、想来すでに来犯する者に一陣侵擾され、便宜を討ち得ずして退き去ったのであろう。だが全課の首尾を通観すれば、吉気少なく凶気多く、辺患はまだ解除と算することができない。目下の吉と算する所以は、発用の神が旬空に落ち、游都がまた三辰の外にあるからである。辺患が免れられないと説くのは、四仲の神が螣蛇・白虎を連れて初伝と末伝を作したからである。大害を釀すに至らないと説くのは、隠蔽を主る太陰が三伝の中に在り、貴人はまた順行して日干の本位の上に加わるからである。
丙午日・一句の陰晴を占う(乾隆己巳年二月、牧夫占験)
乾隆己巳年二月丙午日戌將子時占陰晴。牧夫占驗 空虎常玄 卯辰巳午 龍虎勾空 子 癸丑 勾 龍寅 未陰 寅辰丑卯 鬼 辛亥 朱 勾丑 申后 辰午卯丙 財 己酉 貴 子亥戌酉 合朱蛇貴
乾隆己巳年二月丙午日、月将の戌を用いて子時の上に加えて課を起こし、この一句の陰晴を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。以下は一行に圧した課盤である。天地盤の一圏:上に排するは「卯辰巳午」で、その上に順に「空、虎、常、玄」(天空、白虎、太常、玄武)を乗せる。左側は「龍(青竜)寅」「勾(勾陳)丑」、右側は「未、陰(太陰)」「申、后(天后)」、下に排するは「子亥戌酉」で、その下に順に「合、朱、蛇、貴」(六合、朱雀、螣蛇、天乙貴人)――十二天将は貴人より起こって順行し排布し、貴人はまさに天盤の酉の上に落ちる。四課の下神は右から左へ「辰午卯丙」で、上神は「寅辰丑卯」で、各々「龍、虎、勾、空」を乗せ、すなわち第一課は卯が丙に加わり、第二課は丑が卯に加わり、第三課は辰が午に加わり(日支の午の上に辰を見る)、第四課は寅が辰に加わる。三伝は丑・亥・酉:初伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、勾陳を乗せる。中伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、朱雀を乗せる。末伝の酉は妻財爻で、遁干は己、貴人を乗せる。
王牧夫曰:課名極陰,初用土空,中傳朱雀,又臨亥位,丑為雨師,亥為水神,酉為兌澤,而水墓又在支,俱主陰雨之象,今日上卯乘天空生日,主無雨。丁未戊申己酉三日,未土上巳為風,陰神卯木亦為風,是日主風晴。申日午受克,玄武制陰神白虎天罡,主陰晦。酉日未乘太陰,亦主陰晦。庚戌上申為水母,乘天后相生,主雨。酉為貴人加亥,亥主大雨。壬子日方晴。晴而未融,以蛇居太陽上也。丑日始為正晴,此擬一旬之內,陰晴如此。
王牧夫が言うには、この課の名は「極陰課」という。初伝の丑土は旬空の内に落ち、中伝は朱雀を乗せてまた亥位の上に臨む。丑は神煞の中で「雨師」で、亥は水神、酉は兌卦に属して沢水で、これに加えて水の墓庫の辰がまた日支の午の上に圧する――これらはみな陰雨の象である。ただ今日の日干の丙の上の卯木は天空を乗せ、卯木がかえって来て丙火を生ずるので、当日は晴れを主り雨は降らない。丁未・戊申・己酉の三日に至って:未土の上は巳で、巳は風を主り、未の陰神の卯木もまた風を主るので、この三日は風が刮き晴れることを主る。申日は午火が克を受け、玄武が陰神の白虎の乗ずる天罡の辰を圧し、天色が陰沈することを主る。酉日は未の上に太陰を乗せ、これも陰晦を主る。庚戌日は戌の上に申を見、金は水を生じ能くし、申はすなわち水の母で、また天后を乗せてそれと相生するので、雨が降ることを主る。酉は貴人として亥の上に加わり、亥は大雨を主る。壬子日に至ってやっと晴に転ずるが、しかし晴れても透亮せず、螣蛇がまさに太陽(月将)の上に圧しているからである。丑日に至るまではじめて真に放晴する。以上が彼のこの一句の内の陰晴変化を推算した全部の結論である。
丙午日・病を占う(十二月、方本占案)
十二月丙午日子將亥時某占病。方本占案 朱蛇 六午未申酉貴 陳巳 戌后 蛇朱朱六 財 戊申 蛇 龍辰 亥陰 申未未午 財 己酉 貴 空卯寅丑子玄 未午午丙 子 庚戌 后 虎常
十二月丙午日、月将の子を用いて亥時の上に加えて課を起こし、ある人が来て疾病を占った。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)。一列は「六(六合)午、未、申、酉、貴(貴人)」。左側は「陳(勾陳、本書は勾・陳の両字が通用し、いずれも勾陳を指す)巳」で右側の「戌、后(天后)」に対し、「龍(青竜)辰」は「亥、陰(太陰)」に対する。下の列は「空(天空)卯、寅、丑、子、玄(玄武)」で、末尾に「虎、常」(白虎、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「未午午丙」で、上神は「申未未午」で、各々「蛇、朱、朱、六」を乗せ、すなわち第一課は午が丙に加わり、第二課は未が午に加わり、第三課は未が午に加わり(日支の午の上に未を見る)、第四課は申が未に加わる。三伝は申・酉・戌:初伝の申は妻財爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。中伝の酉は妻財爻で、遁干は己、貴人を乗せる。末伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、天后を乗せる。
邵彥和曰:定是咳嗽狂言,見鬼見神之狀。蓋三傳金,主肺主嗽,而午火又加丙,午火盛發,心神散亂,故主發躁狂言。鬼神之狀者,申加未,未臨宅,未主鬼神之狀。其人死者,傳歸死墓也。未中有鬼宿。
邵彦和が言うには、この病は必ず咳嗽に胡言乱語を兼ね、神を見鬼を見るような一副の模様である。三伝の申・酉・戌が金に属し、金は人身に於いて肺に応じ、咳嗽を主るからである。しかも第一課はまた午火が日干の丙火の上に加わり、午火が焼くこと甚だ旺んで、心神はこれによって散乱するので、煩躁して狂いを発し、口に乱語を出すことを主る。彼が神を見鬼を見ると言うのは、第四課の申が未の上に加わり、しかも支上神の未がまた宅位に臨むからである。未のこの一支は六壬の中でまさに鬼神怪異の象を主る。この人が死ぬと断じたのは、三伝が最後に戌に帰するからで、戌は丙火の死墓である。何况未宮の分野の内にはなお二十八宿の中の「鬼宿」があり、さらにこの一層の鬼神の象に応じた。
丙午日・陳貴妃の分娩を占う(皇祐三年三月、一針見血・玉連環末巻)
皇祐三年辛卯歲三月丙午日仁宗皇帝宣楚衍,立夏日占課,衍依課奏對罷,帝又占陳貴妃六甲,年二十二歲姙身十月未產,得未時以月將從魁加未。一針見血 玉連環末卷 勾合朱蛇 未申酉戌 蛇合朱勾 財 戊申 合 龍午 亥貴 戌申酉未 子 庚戌 蛇 空巳 子后 申午未丙 鬼 壬子 后 辰卯寅丑 虎常玄陰
皇祐三年辛卯歳三月丙午のこの日、宋仁宗は楚衍を召見し、彼に命じて立夏の日に課を起こさせた。楚衍は課に依り奏対し終わり、皇帝はまた彼に陳貴妃の胎産を占わせた:貴妃は二十二歳、胎に懐くことすでに満十月なのにまだ臨盆が見えない。占時はちょうど未時に当たり、則ち月将「従魁」(酉)を用いて未の上に加えて課を起こした。この条は『一針見血』から出て、また『玉連環』の末巻に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「未申酉戌」で、その上に「勾、合、朱、蛇」(勾陳、六合、朱雀、螣蛇)を乗せる。左側は「龍(青竜)午」「空(天空)巳」、右側は「亥、貴(貴人)」「子、后(天后)」、下に排するは「辰卯寅丑」で、その下は「虎、常、玄、陰」(白虎、太常、玄武、太陰)。四課の下神は右から左へ「申午未丙」で、上神は「戌申酉未」で、各々「蛇、合、朱、勾」を乗せ、すなわち第一課は未が丙に加わり、第二課は酉が未に加わり、第三課は申が午に加わり(日支の午の上に申を見る)、第四課は戌が申に加わる。三伝は申・戌・子:初伝の申は妻財爻で、遁干は戊、六合を乗せる。中伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、螣蛇を乗せる。末伝の子は官鬼爻で、遁干は壬、天后を乗せる。
楚衍奏曰:此課占產,臣不敢言。帝曰:但實言課意。衍奏云:於今月二十三庚戌日,辰時,降生一公證,必失左目,生後五日恐有不測,雖產危而無損,宜預備之。上云:有禳法否?衍云:無法禳之,臣當萬死。上當日漸有怒色,云:出外聽旨。即時差人臨守楚衍。至二十三日庚戌辰時,降生一公證,貴妃產生時甚艱難,至當日晚,公主忽發搐搦,遂損左目,至二十七日公主死。即時賜楚衍御酒香藥。次日引見,乞恩謝罪。上云:應驗如神。
楚衍が上奏して言うには、この課が占うは生産で、臣は直ちに言うことを敢てしません。仁宗が言うには、ただ課の中の意を如実に講じ出せばよい。楚衍はこれでやっと奏した:本月二十三日庚戌、辰時に一人の公主(原文は「公証」と作るが、当に「公主」の訛)が降誕し、この女は必ず左の眼を壊す。出生して五日の内に、恐らくなお性命の憂いがある。生産は兇険だが、母は損を受けないので、当に預め準備すべき。皇帝が問うには、禳解の法はあるか。楚衍が言うには、禳むべき法なく、臣は万死に当たるべきです。仁宗は当日に面色が漸々怒に転じて、言うには、外に出て旨を聴け、と。即ち人を派して楚衍を看守せしめた。二十三日庚戌辰時に至り、果たして一人の公主を生んだ。貴妃は臨産すること極めて艱難で、その日の晩に至り、公主は忽然として抽搐が発作し、左眼はこれに就いて損壊し、二十七日に至って公主は夭亡した。仁宗はすぐに楚衍に御酒と香薬を賜り、翌日彼を召して入見せしめ、楚衍は叩謝して罪を請うた。仁宗が言うには、おまえの算したことは応験して神の如し、と。
議曰:母行年立亥上,見丑加之,丑與子合,庚戌日辰時生午火旺,申金死,下勝於上,故生女。申金乘六合內戰外傷六合之木,木屬眼,申屬陽,陽主左,故損左目。生後五日見寅,寅是金絕之地,以日干為子,則庚戌自絕於寅,寅上又天罡白虎,故五日後子死無疑。變入亂首,故母有產危,支本屬母,午火四月正旺,建上有天醫乘青龍吉神,故母產後無恙。
評議に言うには、母の行年は亥の上に落ち、亥の上にまた丑が来て加臨するのが見え、しかも丑は子と相合する。庚戌日辰時に出生し、その時午火が旺に当たり申金は死地に処し、下神が上神に勝つので、生まれたのは女の子である。申金は六合を乗せ、内戦外傷の勢いを形成し、傷つくは六合の属する木である。木は人身に於いて眼に応じ、申は陽に属し、陽は左辺を主るので、壊れたのは左眼である。出生して第五日はちょうど寅日に逢い、寅は金の絶地である。日干をこの子と看為せば、則ち庚戌は寅に於いて自ら絶し、寅の上にまた天罡の辰と白虎が坐するので、五日の後に子が死ぬは必死で疑いない。全課は「乱首」の体に変入するので、母は難産の険がある。しかも日支はもともと母を代表し、午火は四月に於いてまさに旺相に当たり、月建の上にまた天医という吉神が青竜を乗せるので、母は産後平安無事である。
丙午日・風水を占う(四月、張本占案)
四月丙午日申將午時占風水。張本占案 勾合朱蛇 未申酉戌 蛇合朱勾 財 戊申 合 龍午 亥貴 戌申酉未 子 庚戌 蛇 空巳 子后 申午未丙 鬼 壬子 后 辰卯寅丑 虎常玄陰
四月丙午日、月将の申を用いて午時の上に加えて課を起こし、墳宅の風水を占問した。この条は『張本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「未申酉戌」で、その上に「勾、合、朱、蛇」(勾陳、六合、朱雀、螣蛇)を乗せる。左側は「龍(青竜)午」「空(天空)巳」、右側は「亥、貴(貴人)」「子、后(天后)」、下に排するは「辰卯寅丑」で、その下は「虎、常、玄、陰」(白虎、太常、玄武、太陰)。四課の下神は右から左へ「申午未丙」で、上神は「戌申酉未」で、各々「蛇、合、朱、勾」を乗せ、すなわち第一課は未が丙に加わり、第二課は酉が未に加わり、第三課は申が午に加わり、第四課は戌が申に加わる。三伝は申・戌・子:初伝の申は妻財爻で、遁干は戊、六合を乗せる。中伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、螣蛇を乗せる。末伝の子は官鬼爻で、遁干は壬、天后を乗せる。この課は上の一則の楚衍が貴妃の分娩を占ったのに用いた課式と完全に同じで、ただ占う事が異なるだけである。
劉日新曰:干為龍,干上未,是朱龍偏斜不正。支為穴,支上申是穴居高地,朱雀臨酉作夜貴,前砂圓正。青龍臨午加辰,左砂尖利有餘。白虎臨辰加寅,洩氣受克,為不足於右砂也。朱旺作丁未向,若戌則為火墓,不可用。三傳為涉三淵,初主買賣破財,兼傷小口。中蛇乘墓,主喪妻。末居子加戌,又因婦人敗家,損害家長。
劉日新が言うには、風水を占う時は日干をもって来龍を代表し、干上神は未で、未土が斜めに出るので、この来龍は紅黄の土が偏斜して端正でない。日支をもって穴場を代表し、支上神は申で、申は高亢に属するので、穴位は高地の上に座落する。朱雀が酉に臨むのは、酉はまさに本日の夜貴人で、穴の前の案砂が圓潤で端正であることを主る。青竜は天盤の午を乗せて地盤の辰の上に加わり、左辺の砂手が尖利して余りあることを主る。白虎は天盤の辰を乗せて地盤の寅の上に加わり、辰土が寅木を生じて泄気し、また寅木に克されるので、右辺の砂手は足りない。朱雀の気はまさに旺んで、丁未向を立てるに宜しい。もし戌向を立てれば、戌は火の墓庫で、用いるべからざるである。三伝の申・戌・子は水気が逓に進む、「渉三淵」の課体で、凶を主る:初伝は商売をして財を破ることを主り、また家の中の小口を傷る。中伝の戌は螣蛇を乗せてまた墓神で、妻を喪うことを主る。末伝の子は戌の上に加わり、また婦人によって家を敗することを主り、一家の主に累連する。
丙午日・真定城池の安危を占う(順治甲申年三月十八、指南)
順治甲申年三月十八丙午日酉將午時卞孟井聞真定被圍,占城池安危。指南 朱蛇 六申酉戌亥貴 后朱貴六 財 戊申 六 勾未 子后 子酉亥申 官 辛亥 貴 青午 丑陰 酉午申丙 父 甲寅 玄 空巳辰卯寅玄 虎常
順治甲申年三月十八日丙午、月将の酉を用いて午時の上に加えて課を起こした。卞孟井が真定が囲まれたと聞き、この城池の安危を占問した。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)。一列は「六(六合)申、酉、戌、亥、貴(貴人)」。左側は「勾(勾陳)未」で右側の「子、后(天后)」に対し、「青(青竜)午」は「丑、陰(太陰)」に対する。下の列は「空(天空)巳、辰、卯、寅、玄(玄武)」で、末に「虎、常」(白虎、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「酉午申丙」で、上神は「子酉亥申」で、各々「后、朱、貴、六」を乗せ、すなわち第一課は申が丙に加わり、第二課は亥が申に加わり、第三課は酉が午に加わり(日支の午の上に酉を見る)、第四課は子が酉に加わる。三伝は申・亥・寅:初伝の申は妻財爻で、遁干は戊、六合を乗せる。中伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、貴人を乗せる。末伝の寅は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。
陳公獻曰:不惟真定內變城破,即燕京亦有他虞。蓋因初傳財爻內戰,又乘相氣沖剋旬空之末傳,干支又被兩陰神所克,支又克支上神,主居民心散,兵馬為錢糧內變,左右獻城弒主之象。且末傳寅為幽燕,被初傳申馬沖剋,燕京安能無虞?即此日京城亦被賊所破,月餘聞報,餘言皆驗矣。
陳公献が言うには、真定ばかりでなく内変によって城が破れ、燕京にもさらに別の禍患がある。初伝の申が妻財爻で内戦の勢いを形成し、また当令の相気を乗せて旬空に落ちる末伝を冲克しに行く。日干日支の両辺はまたいずれも各自の陰神に克され、日支はさらに反り返って支上の神を克する――これらはみな城中の居民の人心が渙散し、兵馬が銭粮のために内変を生じ、部下が城を献じ主将を弑殺する凶象が現れることを主る。何况末伝の寅は分野の上でまさに幽燕の地に対し、しかも初伝の申という駅馬の神に冲克されるので、燕京はまたどうして安然無事であれようか。この日に就いて、京城もまた流寇に攻め破られ、一ヶ月余りの後に消息が伝わって来て、私の言ったことはみな応験した。
丙午日・睢州の被囲の吉凶を占う(順治乙酉年正月、指南)
順治乙酉年正月丙午日丙申時,總漕部院白公百原聞高鎮睢州被許定國圍困,占吉凶若何。指南 蛇貴 朱酉戌亥子后 玄蛇陰朱 財 己酉 朱 六申 丑陰 寅戌丑酉 子 癸丑 陰 勾未 寅玄 戌午酉丙 比 乙巳 空 青午巳辰卯常 空虎
順治乙酉年正月丙午日丙申時、総漕部院の白百原公が高鎮が睢州で許定国に囲困されたと聞き、吉凶は如何と占問した。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「蛇、貴」(螣蛇、貴人)。一列は「朱(朱雀)酉、戌、亥、子、后(天后)」。左側は「六(六合)申」で右側の「丑、陰(太陰)」に対し、「勾(勾陳)未」は「寅、玄(玄武)」に対する。下の列は「青(青竜)午、巳、辰、卯、常(太常)」で、末に「空、虎」(天空、白虎)を綴る。四課の下神は右から左へ「戌午酉丙」で、上神は「寅戌丑酉」で、各々「玄、蛇、陰、朱」を乗せ、すなわち第一課は酉が丙に加わり、第二課は丑が酉に加わり、第三課は戌が午に加わり(日支の午の上に戌を見る)、第四課は寅が戌に加わる。三伝は酉・丑・巳で、巳酉丑の金局を結成する:初伝の酉は妻財爻で、遁干は己、朱雀を乗せる。中伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、太陰を乗せる。末伝の巳は比肩爻で、遁干は乙、天空を乗せる。
陳公獻曰:興平公必被戮。課傳從革,合中刑干害支。春占金局為返射肅殺之氣;戌命長生被其克盡,全無一點化解,況干乘死氣,支乘干支之墓,不惟主墮客計,而主亦自被其愚矣。又干支命年上神俱遭刑剋墓害,死又何疑乎?三日後果應。
陳公献が言うには、興平伯の高傑は必ず殺される。三伝の巳・酉・丑は金局を結成し、「従革」の課で、三合の中にまた暗に日干を刑し日支を害する凶機を蔵する。春に金局を占い得れば、金気は当令の木気に逆らって来る、反射して帰る粛殺の気である。本命の戌が対応する長生の地はこの金気に克されて乾乾浄浄で、全く一点の化解の路がない。何况日干は死気を乗せ、日支は日干日支の墓神を乗せ、これはただ相手の圈套に中ることを主るだけでなく、主将自身もまた人に愚弄されたのである。さらに日干・日支・本命・行年の上の神将を看れば、みな刑に遭い・克に遭い・墓に入り・害を受け、死はなんの疑いがあろうか。三日の後、果たして応験した。
丙午日・呉淞総戎が任を得可き否かを占う(崇正戊寅年二月、指南)
崇正戊寅年二月丙午日戌將巳時,淮安蔡熙陽任北中府時占推吳淞總戎可得否。指南 貴后 蛇戌亥子丑陰 白貴常蛇 子 甲辰 白 朱酉 寅玄 辰亥卯戌 財 己酉 朱 六申 卯常 亥午戌丙 父 甲寅 玄 勾未午巳辰虎 龍空
崇正戊寅年二月丙午日、月将の戌を用いて巳時の上に加えて課を起こした。淮安人の蔡熙陽は当時北中府の職に任じ、呉淞総兵の一缺を推補できるかどうかを占問した。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)戌、亥、子、丑、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)酉」で右側の「寅、玄(玄武)」に対し、「六(六合)申」は「卯、常(太常)」に対する。下の列は「勾(勾陳)未、午、巳、辰、虎(白虎)」で、末に「龍、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥午戌丙」で、上神は「辰亥卯戌」で、各々「白、貴、常、蛇」を乗せ、すなわち第一課は戌が丙に加わり、第二課は卯が戌に加わり、第三課は亥が午に加わり(日支の午の上に亥を見る)、第四課は辰が亥に加わる。三伝は辰・酉・寅:初伝の辰は子孫爻で、遁干は甲、白虎を乗せる。中伝の酉は妻財爻で、遁干は己、朱雀を乗せる。末伝の寅は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。
陳公獻曰:先推吾兄後推翁也。何以見之?蓋因亥貴作官星臨支,亥乃吾兄之命,辰乃翁之命,辰入辰陰發用,是以先推亥命者,且辰自亥發傳,與陳同姓同音,故知如此。果未及旬日推吾兄吳淞總鎮,兩月後,推蔡狼山提督。
陳公献が言うには、この缺は先ず私の兄に推され、それから後にやっとあなたに輪番が来る。何を凭りにこのように看るか。亥の上に貴人を乗せて官星を作し、日支の上にまさに臨み、亥はちょうど私の兄の本命である。辰は則ちあなたの本命である。今辰は辰の陰神に入って発用するので、かえって亥命が先に推挙されるのである。さらに言えば、三伝の辰はもともと亥位の上から発したもので、しかも「辰」と「陳」は同音同姓なので、この結果だと知ったのである。その後果たして十日もたたずに、私の兄が呉淞総鎮を推補された。二ヶ月後に、やっと蔡熙陽を推して狼山提督とした。
丙午日・殿上の老鶴がいつ飛び去るかを占う(嘉祐四年三月、苗公達断経)
嘉祐四年己亥歲三月十三日老鶴在殿上,奉御旨宣苗公達,問此鶴何時飛去?後往何方?死在何年月日時?當日丙午,正辰時占,酉將。苗公達斷經 貴后 蛇戌亥子丑陰 白貴常蛇 子 甲辰 白 朱酉 寅玄 辰亥卯戌 財 己酉 朱 六申 卯常 亥午戌丙 父 甲寅 玄 勾未午巳辰虎 龍空
嘉祐四年己亥歳三月十三日、一羽の老鶴が殿の上に止まり、皇帝が旨を下して苗公達を召して進見させ、この鶴がいつ飛び去り、以後どこへ飛んで行き、どの年のどの月のどの日のどの時に死ぬかを問うた。この日はまさに丙午で、ちょうど辰時に課を起こし、月将の酉を用いた。この条は『苗公達断経』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)戌、亥、子、丑、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)酉」で右側の「寅、玄(玄武)」に対し、「六(六合)申」は「卯、常(太常)」に対する。下の列は「勾(勾陳)未、午、巳、辰、虎(白虎)」で、末に「龍、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥午戌丙」で、上神は「辰亥卯戌」で、各々「白、貴、常、蛇」を乗せる。三伝は辰・酉・寅:初伝の辰は子孫爻で、遁干は甲、白虎を乗せる。中伝の酉は妻財爻で、遁干は己、朱雀を乗せる。末伝の寅は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。この課は上の一則の蔡熙陽が総戎を占ったのに用いた課式と同じである。
苗公達曰:卦名斬關,此鶴今日未時起去,飛正南方,不出一里,卻望回正西方去。今年九月壬寅日辰時此鶴在水邊被軍人將青黑食,用羅網而獲,見血而死。上曰:何也?奏曰:正時加太歲,逢白虎,不出時下起。丙午日並在天網,擇旺處,故望南方飛。不出一里回望正西者,天乙太歲並立,故回兌上。酉為朱雀,陰是從魁,更與生氣並也。今年九月壬寅日辰時,被軍人於水邊所獲者,朱雀被日辰所制,日上見戌,應於九月。終於寅,為玄武,故壬寅日,辰加亥兼亥加支上,則主近水。玄黑色食,天罡是軍人,為大殺(大殺正月起戌行四季)並死氣又見白虎,行年又值天罡,日上又見騰蛇,故及時見血死也。
苗公達が奏して言うには、この課の名は「斬関」です。この鶴は今日の未時に飛び起き、先ず正南の方に向かい、一里も飛ばずに、また頭を掉して正西の方へ望んで行きます。今年の九月壬寅日辰時に、この鶴は水辺で軍士に青黒色を帯びた餌食で誘われ、羅網を張られて捕えられ、血を見て死にます。皇帝が問うには、何を凭りにこのように断じるか。苗公達が奏して言うには、課を起こした正時の辰が太歳の上に加わり、また白虎に逢うので、鶴はすなわちこの時辰の下に飛び起きます。丙午日は両位とも「天網」の内に落ち、鶴は必ず旺気の方を択んで去るので、先ず南に向かって飛びます。一里も飛ばずに折り返して正西に戻ると言うのは、天乙貴人と太歳が併び一処に立つので、兌位(西方)に帰るためです。酉の上は朱雀で、その陰神はまた従魁(酉)で、さらに生気と併び臨みます。今年の九月壬寅日辰時に軍士に水辺で捕えられると断じたのは:朱雀が日辰に制され、日の上に戌を見、戌は九月に応じます。三伝は寅に終わり寅は玄武を乗ずるので、壬寅日に定めました。辰は亥の上に加わり、亥はまた日支の上に加わるので、事が近水の処に発することを主ります。玄武は黒色で、あの青黒色の餌食に応じます。天罡の辰は軍士を主り、また「大殺」(大殺の神は正月に戌より起こり、四季の支に依って輪行する)を併せて死気を帯び、これに白虎を加えます。行年はまたちょうど天罡に値り、日の上にはなお螣蛇が見える――だから時が至ればこの鶴は必ず血を見て死ぬのです。
丁未日
丁未日・寇を占う(辛丑年九月廿三、一針見血)
辛丑年九月二十三丁未日卯將戌時占冦。一針見血 蛇貴后陰 戌亥子丑 空后空后 兄 乙巳 空 朱酉 寅玄 巳子巳子 子 庚戌 蛇 合申 卯常 子未子丁 父 ◎卯 常 未午巳辰 勾龍空虎
辛丑年九月二十三日丁未、月将の卯を用いて戌時の上に加えて課を起こし、賊寇の事を占問した。この条は『一針見血』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「戌亥子丑」で、その上に「蛇、貴、后、陰」(螣蛇、貴人、天后、太陰)を乗せる。左側は「朱(朱雀)酉」「合(六合)申」、右側は「寅、玄(玄武)」「卯、常(太常)」、下に排するは「未午巳辰」で、その下は「勾、龍、空、虎」(勾陳、青竜、天空、白虎)。四課の下神は右から左へ「子未子丁」で、上神は「巳子巳子」で、各々「空、后、空、后」を乗せる――丁未は八専の日で、干と支が同宮なので、四課の上下が重出する。すなわち第一課は子が丁に加わり、第二課は巳が子に加わり、第三課は子が未に加わり、第四課は巳が子に加わる。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳は兄弟爻で、遁干は乙、天空を乗せる。中伝の戌は子孫爻で、遁干は庚、螣蛇を乗せる。末伝の卯は父母爻で、太常を乗せ、その前の「◎」は源文が旬空を標す記号で、卯が空亡に落ちることを示す。
祝泌奏曰:謹詳此課,是八專課。有克為用,用起游都者,正主戎冦之神孔。丁日天空在巳,巳火神臨子,被下賊上,今秋冬火無氣。心鏡曰:游神旺相支干損,賊勢憑凌難守持。今游都無氣,傳歸己土,見戌為火墓,則游都立位也。乃受抑塞,其神騰蛇歸家。搓蛇亦賊神也,主賊狐疑而遁。此課於月將加戌,戌月建也。月建為城府,其將見天空,天空卒位也,今天空又歸家,主兵卒武戰者已歸城壁。此戌時課,三傳之占也。臣之算術,曾言九十月之交,有小冦。易曰:自我致冦,敬慎不敗。即而參之,此課當主丑類,一時干犯,隨即逃去。游都在日辰五位,貴人在日辰三位,虜已退矣。太常發用,是郡城拆搭未峰之占。然據此處,恐深冬虜再來。又宜戒飭守臣,無弛預備為主。
祝泌が上奏して言うには、謹んでこの課を細かく推詳すれば、これは「八専課」である。四課の中に克があれば則ち克する者を取って発用とし、しかも発用の位はまたまさに「游都」から起こり、游都はもともと兵戎盗寇を主る神である。丁日の天空は巳に落ち、巳のこの火神は子水の上に臨み、下神に賊害される。何况秋に入り冬に入れば、火気はすでに力がない。『心鏡』に説く:「游神旺相支干損、賊勢凭凌難守持」と。今游都は気なく、三伝はついに己土に帰し、また戌が火の墓庫であるのを見れば、游都は便ちただ原処に停まって抑塞を受けるしかない。螣蛇のこの神もまた自分の本家に帰った。螣蛇は同じく賊神で、それが家に帰れば則ち賊人が心に狐疑を懐いて退遁することを主る。この課は月将を戌の上に加えて起こしたので、戌はまさに本月の月建である。月建は城池官府を代表し、その上に見えるは天空で、天空は兵卒の位を主り、如今天空もまた本家に帰ったので、城を守る兵卒武士がすでに城牆の内に退いたことを主る。これは戌時に起こした課で、以上はみな三伝について論を立てたのである。臣の推算の術では、先に九月十月の交に小股の賊寇があると曾て説いた。『周易』に説く:「自我致寇、敬慎不敗」――賊寇を招くは己より起こり、ただ敬慎すれば敗に至らない、と。合わせて参看すれば、この課は当に丑一類の小敵が、一時来犯し、随って逃走することを主る。游都は日辰の第五位に落ち、貴人は日辰の第三位に落ちるので、敵虜がすでに退いたことが見える。太常が発用するは、郡城の修拆・未峰一帯の占象である(この句の文字は訛脱があると疑われ、その義は確かに解し得ない。謹んで原文に依って存録する)。ただ目下の形勢に就いて看れば、恐らく深冬に敵虜がまた再来し、なお辺を守る臣に戒告して、戒備を鬆弛すべからずとすべきである。
丁未日・童巡検が前程を占う(建炎己酉年八月、方本占案)
建炎己酉年八月丁未日午將子時童巡檢丁卯生四十三歲占前程。方本占案 六陳 朱亥子丑寅龍 蛇戌 卯空 陰陳陰陳 兄 乙巳 常 貴酉 辰虎 未丑未丑 子 癸丑 陳 后申未午巳常 丑未丑丁 子 癸丑 陳 陰玄
建炎己酉年八月丁未日、月将の午を用いて子時の上に加えて課を起こした。童巡検は丁卯年生まれ、四十三歳で、前程を占問した。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「六、陳」(六合、勾陳、本書の「陳」はすなわち勾陳)。一列は「朱(朱雀)亥、子、丑、寅、龍(青竜)」。左側は「蛇(螣蛇)戌」で右側の「卯、空(天空)」に対し、「貴(貴人)酉」は「辰、虎(白虎)」に対する。下の列は「后(天后)申、未、午、巳、常(太常)」で、末に「陰、玄」(太陰、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「丑未丑丁」で、上神は「未丑未丑」で、各々「陰、陳、陰、陳」を乗せ、八専日に干支同宮で上下が重出する様子である。三伝は巳・丑・丑:初伝の巳は兄弟爻で、遁干は乙、太常を乗せ、巳はまた未日の駅馬である。中伝の丑は子孫爻で、遁干は癸、勾陳を乗せる。末伝はなお丑で、遁干は癸、勾陳を乗せる。
邵彥和曰:一火生四土,行年雖有木,又不得地,如何救我?次第須有舊事牽絆。初驛馬動,便見起程,不是六十里,即一百二十里,後來降官壞任之憂,不是一件,定是二件。若止一件,必有大災,只願壽永也。是大幸不可別圖遷擢也。重重丑土作勾,豈是一件可了?童十月起程,過信州,果一百餘里,驀見追回,究前任不了事,遂不赴任,被拘四個月,得赦回家,方欲再去,被差保正。及分析了,又被侄兒爭分,留連半年,竟失此任。又過母墳,被山人誑開穴犯地道,次年六月遂死。
邵彦和が言うには、一つの火神が四重の土を生じに行き、行年の上に木が来て相救うがあるとはいえ、木はまた地を得ないので、どうして日干を救い得ようか。次序に照らして推せば、必ず先ず旧事が人を纏い着かせる。初伝の駅馬が一たび動けば、則ち身を動かして起程すべく、路程は六十里でなければ、便ち一百二十里である。この後に降職し任所を壊す憂患があり、しかも一ならず、必ず二桩である。假令ただ一桩のみならば、それはかえって必ず大災がある――ただ寿命を保てることを求めるばかりで、これはすでに大幸と算し、さらに別に昇遷を図るべからず。重重の丑土がまたみな勾陳を作すのに、どうして一件事で了結できようか。その後童巡検は十月に身を動かし、信州を過ぎ、果たして一百余里走り出て、忽然として追い返され、彼の前任にて了結しなかった公事を追査され、ここに於いて任に赴くことができず、四ヶ月拘押され、赦に遭ってやっと家に帰った。剛くまた行こうと思うと、また保正に派充され、分派し終わるを待って、また甥に家産を争い分けられ、半年牽扯して、ついにこの官職を失った。彼はまた母の墳地を路過し、術士に騙されて穴を開き、地脈を冲犯し、翌年六月に則ち死んだ。
蓋火生四土四勾,豈不脫氣?丑為舊事,又為今日子孫勾,主後必被諸事脫耗財物也。
その中の道理を推究するに:一つの火神が四重の土・四重の勾陳を生ぜんとし、日干の気はどうして泄脱されない理があろうか。丑はこの課の中で旧事を代表し、同時にまた本日の子孫爻で併せて勾陳を乗ずるので、彼が日後必ず種種の雑事に拖累され、財物を一點ずつ耗脱し尽くすと断じたのである。
丁未日・董晋侯の病を占う(辛卯二月、指南)
辛卯二月丁未癸卯時占董晉侯病。指南 朱六 蛇子丑寅卯勾 陰六陰六 財 己酉 陰 貴亥 辰龍 酉寅酉寅 子 甲辰 青 后戌 巳空 寅未寅丁 鬼 辛亥 貴 陰酉申未午虎 玄常
辛卯年二月丁未日癸卯時、董晋侯の病を占った。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、六」(朱雀、六合)。一列は「蛇(螣蛇)子、丑、寅、卯、勾(勾陳)」。左側は「貴(貴人)亥」で右側の「辰、龍(青竜)」に対し、「后(天后)戌」は「巳、空(天空)」に対する。下の列は「陰(太陰)酉、申、未、午、虎(白虎)」で、末に「玄、常」(玄武、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「寅未寅丁」で、上神は「酉寅酉寅」で、各々「陰、六、陰、六」を乗せ、なお八専日の上下重出の格局である。三伝は酉・辰・亥:初伝の酉は妻財爻で、遁干は己、太陰を乗せる。中伝の辰は子孫爻で、遁干は甲、青竜を乗せる。末伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、貴人を乗せる。
陳公獻曰:此病主手足不舉,全無一點生氣,因日祿臨絕地(日祿午加亥為絕地),驛馬投墓鄉(巳為馬臨戌入墓也),又行年游魂,子巳相加,合為死字,三傳死墓絕,安能有救乎?蓋因卯加申、戌加卯,故知主風癲發搐之症。在何日?久病,應卯加申申日子時死矣。
陳公献が言うには、この病は手脚が抬い上がらず、通身に一点の生気もないことを主る。日干の禄が絶地に臨むからである(丁日の禄は午にあり、午は亥の上に加わり、亥はまさに火の絶郷である)。駅馬はまた墓庫に投じ入り(巳は未日の駅馬で、戌の上に臨んで墓に入る)、これに加えて行年が游魂の位に落ち、子と巳が相加して、合わさってちょうど一つの「死」字を成す。三伝の中に死・墓・絶の三様が斉く備わり、どうしてなお救い帰せられようか。又、卯が申の上に加わり、戌が卯の上に加わるので、風癲抽搐の類の病症だと知った。どの日に応ずるかと問えば、これは久病で、則ち卯が申に加わる申日の子時に死すべきである。
丁未日・盛順白が逮され京に入るを占う(崇正癸未七月、指南)
崇正癸未七月丁未日未時,丹陽葺村盛順白被逮進京,舟泊邦關請占。指南 勾龍 六寅卯辰巳空 朱龍朱龍 鬼 辛亥 貴 朱丑 午虎 丑辰丑辰 子 甲辰 龍 蛇子 未常 辰未辰丁 子 甲辰 龍 貴亥戌酉申玄 后陰
崇正癸未年七月丁未日未時、丹陽葺村の人盛順白が逮解されて京に入り、船が邦関に停泊して、人に課を起こさせた。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「勾、龍」(勾陳、青竜)。一列は「六(六合)寅、卯、辰、巳、空(天空)」。左側は「朱(朱雀)丑」で右側の「午、虎(白虎)」に対し、「蛇(螣蛇)子」は「未、常(太常)」に対する。下の列は「貴(貴人)亥、戌、酉、申、玄(玄武)」で、末に「后、陰」(天后、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「辰未辰丁」で、上神は「丑辰丑辰」で、各々「朱、龍、朱、龍」を乗せ、やはり八専の課である。三伝は亥・辰・辰:初伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、貴人を乗せる。中伝の辰は子孫爻で、遁干は甲、青竜を乗せる。末伝はなお辰で、遁干は甲、青竜を乗せる。
陳公獻曰:其事定然辯雪,到京公訟前休。蓋因月將青龍加臨干支(八專課,月將辰乘龍臨干支),勾陳生日(勾乘卯生日干丁),官鬼空陷(亥子官鬼臨寅卯落空也),是以公訟辯雪白休息矣。
陳公献が言うには、この案件は必ず弁白して昭雪できる。京城に至ると、官司は審を開く前に了結する。月将が青竜を乗せて日干日支の上に加臨するからである(これは八専課で、月将の辰が青竜を乗せて干支に臨む)。勾陳はまた来て日干を生じ(勾陳は卯を乗せ、卯木は丁火を生ず)、官鬼は則ち空陥に落ちる(亥・子の官鬼は寅・卯の上に臨んで旬空に落ちる)――だからこの場の官司は弁明し白されて止息するのである。
自為周相公占課何如,手取棋子三十二枚,以十二除之,餘八枚,亦是此課。曰:己丑命見日墓(丁墓戌臨丑),年乘三刑(命上戌,太歲未,三刑故也),與寅命相去甚遠,烏能無罪?後相國賜死,李賊破北京,盛脫自歸。
彼はまた周相公のために自ら一課を起こして如何かを看て、手りで棋子三十二枚を抓取し、十二をもって除し、八枚余り、起き出たのもまたちょうどこの課であった。ここにおいて言うには、己丑の本命の上に日干の墓が見える(丁火の墓は戌にあり、戌はまさに丑の上に臨む)。行年はまた三刑を乗じ(本命の上は戌で、太歳は未にあり、戌未は相刑する)、寅命とは相去ることまた遠く、どうして罪なきことが得られようか。その後周相国は死を賜り、李自成が北京を攻め破ると、盛順白はかえって身を脱して自ら家に帰った。
丁未日・郷試を占う(乾隆己卯年八月、牧夫占験)
乾隆己卯年八月丁未日辰將未時癸卯人三十七歲占鄉試。牧夫占驗 勾龍 六寅卯辰巳空 朱龍朱龍 鬼 辛亥 貴 朱丑 午虎 丑辰丑辰 子 甲辰 龍 蛇子 未常 辰未辰丁 子 甲辰 龍 貴亥戌酉申玄 后陰
乾隆己卯年八月丁未日、月将の辰を用いて未時の上に加えて課を起こした。占者は癸卯年生まれ、三十七歳で、郷試を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。用いた課式は上の一則の盛順白の占と完全に同じである。天地盤の一圏:起首は「勾、龍」(勾陳、青竜)。一列は「六(六合)寅、卯、辰、巳、空(天空)」。左側は「朱(朱雀)丑」で右側の「午、虎(白虎)」に対し、「蛇(螣蛇)子」は「未、常(太常)」に対する。下の列は「貴(貴人)亥、戌、酉、申、玄(玄武)」で、末に「后、陰」(天后、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「辰未辰丁」で、上神は「丑辰丑辰」で、各々「朱、龍、朱、龍」を乗せる。三伝は亥・辰・辰:初伝の亥は官鬼爻で、遁干は辛、貴人を乗せる。中伝と末伝はともに辰で、子孫爻、遁干は甲、青竜を乗せる。
王牧夫曰:貴德官星發傳,青龍天喜太陽墜末,氣雖不足,卻是功名之吉神,然今科主不得中。以年命逢空,誰為而受之乎?故占事年命亦不可逢空。初七日榜發果不中。
王牧夫が言うには、貴人・日徳と官星がともに三伝に入り、青竜・天喜・太陽はまた末伝の上に墜ち、気は足りないとはいえ、統べて功名を主る吉神である。しかしこの一科はなお考中しないことを主る。なぜか。行年と本命がともに旬空に落ちるので、功名はたとえ至っても、誰がそれを承受しようか。だから事を占う時、行年・本命もまた空に落ちてはならない。初七日の榜の発するに至り、果たして考中しなかった。
