Libo

庚戌日の伏吟課で外処の飛蝗を占う(一針見血)

清 · 程树勋 · 第39巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

丑年庚戌日伏吟課占外處飛蝗。(一針見血)

丑年の庚戌日、伏吟課を得て、外地の飛蝗の災情を占問した。案は『一針見血』から出る。いわゆる「伏吟」とは、月将と正時が相同じく、天盤と地盤が完全に重合し、十二支が各々本位に帰する課式で、事情が停滞して動かず旧事が重ねて来ることを象徴する。「外処飛蝗」は外郡他県が奏報して上った蝗災を指す。これは宋代の祝泌が六壬をもって朝廷に奏対した占例である。

勾龍空虎|巳午未申 玄玄虎虎 兄 戊申 虎|合辰 酉常 戌戌申申 財 ◎寅 蛇|朱卯 戌玄 戌戌申庚 鬼 乙巳 勾|寅丑子亥|蛇貴后陰

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将は:巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、辰は六合を乗せ、酉は太常を乗せ、卯は朱雀を乗せ、戌は玄武を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、丑は貴人を乗せ、子は天后を乗せ、亥は太陰を乗せる。貴人は丑に落ち、衆将は丑より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の庚の寄宫は申に在り、申の上はなお申。申の上はまた申。日支の戌の上は戌。戌の上はなお戌――上下同位は、まさに伏吟の象である。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・白虎・玄武・玄武。三伝は上より下へ申・寅・巳:初伝の申は旬遁して戊申、庚金と同類で兄弟と為り、白虎を乗せる。中伝の寅は庚金の妻財で、頭上に「◎」を標して旬空の内に落ちることを示し、螣蛇を乗せる。末伝の巳は旬遁して乙巳、火が庚金を克して官鬼と為り、勾陳を乗せる。伏吟課は上下に克して取るべきがないので、故に日干の寄宫の申をもって発用とし、さらに申が寅を刑し寅が巳を刑する逓刑によって伝を成す。祝泌が蝗を論ずるは、まさに中伝の寅の上の螣蛇を抓住した――寅は火の長生の地で、螣蛇が地を得れば則ち蝗患は絶えない。

祝泌奏曰:謹按騰蛇與天空,主飛蝗之象。今此課次傳見之,乃騰蛇長生之地。凡騰蛇有氣,則為災蝗,而不能全消其害。方此久雨,自不容此物滋蔓。但在課傳,在生地未可撲絕,遺蝗再發,所乘白虎為德神,屬金,金主秋成,申主秔麥,二谷成熟,不如去歲之大歉。況貴人順行,臨於太歲,雖有遺蝗,不全然為災。

祝泌が上奏して言うには、謹んで六壬の旧法に按ずるに、螣蛇と天空のこの両位の天将はみな飛蝗の象を主ります。如今この課の中伝の寅の上はまさに螣蛇を乗せ、しかも寅はまた螣蛇の火の長生の地です。およそ螣蛇が気を得て力あれば、則ち蝗災の上に応じて、蝗害は便ち全然消除することができません。目下の連日の陰雨は、湿気が盛んで陽火が収斂し、理に照らせばこの物の滋生蔓延を容れません。けれども課伝の上から看れば、螣蛇はすでに長生の郷に落ち、則ちなお扑滅し尽くせず、残留の蝗蝻はなお再度孳生します。幸いに初伝の申の上の乗ずる白虎はここで徳神と為り、白虎は金に属し、金は秋收を主ります。申は物象の上でまた粳稲と麦子に対応し、両様の穀物はともに成熟し得、収成は去年のような大歉に至りません。何况貴人が順行して太歳の上に臨むは、政令が通達し上下が相順ずる象で、たとえ残蝗あっても、遍地の災荒を釀成しません。

庚戌日・揚州の陳道台の病を占う(指南)

順治六年六月庚戌日午將午時,陳惟一占揚州陳道臺病。(指南)

清順治六年六月の庚戌日、月将は午で正時もまた午の時、陳惟一が揚州の陳道台のために病情を占問した。案は『六壬指南』から出る、すなわち明末の陳公献の輯した占験の専書である。月将と正時がともに午で、天盤地盤が重合し、なお一課の伏吟で、前の例と同一の課式である。「道台」は明清に於ける分守道・分巡道員の俗称である。

勾龍空虎|巳午未申 玄玄虎虎 兄 戊申 虎|合辰 酉常 戌戌申申 財 ◎寅 蛇|朱卯 戌玄 戌戌申庚 鬼 乙巳 勾|寅丑子亥|蛇貴后陰

十二宫の天将の分布は:巳の上は勾陳、午の上は青竜、未の上は天空、申の上は白虎、辰の上は六合、酉の上は太常、卯の上は朱雀、戌の上は玄武、寅の上は螣蛇、丑の上は貴人、子の上は天后、亥の上は太陰。四課は右より左へ:庚の寄宫は申に在り、申の上に申を見、申の上に申を見、日支の戌の上に戌を見、戌の上に戌を見――天地盤が同位は、伏吟である。三伝は初伝の申(兄弟、白虎を乗せる)、中伝の寅(妻財、旬空の標記を帯び、螣蛇を乗せる)、末伝の巳(官鬼、勾陳を乗せる)。病を占うに最も要緊なのは禄馬と死絶の郷を看ることである:申はすでに庚日の禄神でありまた庚日の駅馬でもあり、もと安く守るべきなのに、今却って発用して伝に入る。中伝の寅はまさに庚金の絶地なのに、偏しくもまた空に落ちる。末伝の巳火は勾陳を乗せて直に来て身を克す。禄馬が動揺して空絶に投じ入り、鬼火が局を末に収める。これが陳公献の断じて不治とした全部の根拠である。

陳公獻曰:此課不利占病,丁巳日必死。蓋因祿馬(申為驛馬日祿)發用入傳,中空絕之鄉(庚絕於寅),病人見驛馬,乃神氣出遊象。課傳玄胎,主別處投胎之象。虎鬼臨處為畏期。傳既無天醫而末傳巳火剋日,故以日決之。

陳公献が言うには、この課をもって病を占うは最も不利で、丁巳日に至り必ず死亡する。原因は禄神と駅馬(申はすでに庚日の禄であり、また庚日の駅馬でもある)が一同に発用して伝に入り、しかも中伝の寅は旬空でありて兼ねて絶地(庚金は寅に絶する)。病人の課の中に駅馬の発動を見るは、精神魂魄が外に游んで肯んじて舍を守らない象である。課伝はまた「玄胎」の格を現し、魂魄が別の処に往きて投胎せんとすることを主る。白虎と官鬼の臨む処は、則ち応凶の畏るべき日期である。三伝の中にはすでに天医の類の解救の神がなく、末伝の巳火はまた直に日干の庚金を克するので、則ち巳のこの字を用いて応期を定め、丁巳のこの日に断じた。

庚戌日・久雨にいつ晴朗するかを占う(牧夫占験)

乾隆己亥年六月庚戌日未將未時,久雨占何日晴朗。(牧夫占驗)

乾隆己亥年六月の庚戌日、月将は未で正時もまた未なので、久雨が止まないために、いつの日にかやっと放晴するかを占問した。案は『牧夫占験』から出る、清人王牧夫の占験実録である。月将と正時がともに未で、天地盤が重合し、また一課の伏吟である。ここの二つの「未」はいずれも十二地支の一つで、前の一つは六月に用いる未将を指し、後の一つは未時のこの時辰を指し、いずれも否定詞として読むべきではない。

勾龍空虎|巳午未申 玄玄虎虎 兄 戊申 虎|合辰 酉常 戌戌申申 財 ◎寅 蛇|朱卯 戌玄 戌戌申庚 鬼 乙巳 勾|寅丑子亥|蛇貴后陰

十二宫の天将:巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せ、未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、辰は六合を乗せ、酉は太常を乗せ、卯は朱雀を乗せ、戌は玄武を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、丑は貴人を乗せ、子は天后を乗せ、亥は太陰を乗せる。四課は右より起こる:庚の寄宫は申、申の上に申を見、申の上に申を見、日支の戌の上に戌を見、戌の上に戌を見、上下全く同じく、伏吟疑いなし。三伝は初伝の申(兄弟、白虎を乗せる)、中伝の寅(妻財、旬空、螣蛇を乗せる)、末伝の巳(官鬼、勾陳を乗せる)、申が寅を刑し寅が巳を刑する逓刑によって成る。晴雨を占うには水火の消長と風門の動静を看るべきである:初伝の申金は水の長生の地で、また白虎を乗せ、白虎は風を主る。中伝の寅・末伝の巳は六壬の裏でいずれも風門に属し、寅の上は螣蛇、巳の上は勾陳でいずれも纏綿牽扯を主る。金水が一路に勢を得て火気が制を受ける。王牧夫はこれに拠ってこの場の雨は一時に収まらないと断定した。

王牧夫曰:是年自五月二十日雨起,終日聞簷溜聲,悶甚,占之。余謂日干刑長生,一時難晴,至七月始能晴。豈知至九月初一,始晴不雨。是歲卑下之工,皆為水淹。三伏熱氣,為雨淋盡,竟不知有暑月也。三月間,九頭鳥盤旋鳴號不去。此鳥屬陰,故能預知天時也。余斷即不驗,則復細視之。三傳申為水母,乘虎,水乘旺氣。寅巳為風,乘勾陳纏綿而久。秋金旺,故不晴。至九月晴者巳火受戌墓也。

王牧夫が言うには、この年は五月二十日より雨が降り、整日屋簷の滴水の声響を聞き、人は悶えて難受し、則ちこの課を起こした。我は当時に言った、日干の寄宫の申は三伝に刑せられ、しかも申はまた水の長生の地なので、雨は一時に停まることができず、七月に至ってやっと放晴し得る、と。誰が知ろうや、ずっと九月初一まで拖して、やっと真に雨が止み天が開いた。この年は地勢の低窪の処の工事屋舍は全て水に淹れられた。三伏天の暑気はみな雨に澆し尽くされ、竟に夏天を過ごしたことがないかのようであった。早くも三月の裏に、すなわち九頭鳥が空中に盤旋して鳴叫し、久久に去らなかった。この種の鳥は陰に属するので、能く預め天時の変化を感知する。我の断語はすでに応験しなかったので、課を把りて重ねて細かに看一遍した:三伝の初伝の申金は水の母で、また白虎を乗せ、等しく水が旺気を得た。中伝の寅・末伝の巳はみな風門に属し、また勾陳を乗せ、牽纏して日久きを主る。さらに秋天の金気の当令を加え、金は旺して水を生ずるので、久久に晴れなかった。九月に至ってやっと放晴したのは、末伝の巳火が戌墓に落ち込み、火気が収蔵され、雨勢がやっと収まったからである。

愚按:巳火受戌墓,牽強之極。況九月壬申朔,尚未交寒露,豈戌建乎?

程樹勲按:「巳火が戌墓に入る」を拿って九月の放晴を解釈するは、実に牽強の極致である。何况この年の九月初一は壬申日で、あの時まだ寒露の節気に交わらず、月建は根本としてまだ戌に輪らず、どうして戌墓が火を収めるというこの層に談じ得られようか。

庚戌日・六甲を占う(牧夫占験)

庚辰年九月庚戌日辰將辰時占六甲,丁酉命四十四歲。(牧夫占驗)

庚辰年九月の庚戌日、月将は辰で正時もまた辰、一人の丁酉年生まれ・時年四十四歳の婦人のために「六甲」、すなわち懐孕生産の事を占問した。案は『牧夫占験』から出る。月将と正時が相同じく、なお天地盤が重合する伏吟課である。いわゆる「丁酉命」は問事人が出生したあの年の干支で、六壬が人の身の吉凶を断ずるには必ず本命と行年の両項を参看すべきである。

勾龍空虎|巳午未申 玄玄虎虎 兄 戊申 虎|合辰 酉常 戌戌申申 財 ◎寅 蛇|朱卯 戌玄 戌戌申庚 鬼 乙巳 勾|寅丑子亥|蛇貴后陰

この課の天将の布置:巳の上は勾陳、午の上は青竜、未の上は天空、申の上は白虎、辰の上は六合、酉の上は太常、卯の上は朱雀、戌の上は玄武、寅の上は螣蛇、丑の上は貴人、子の上は天后、亥の上は太陰。四課は右より左へ:庚は申に寄せ、申の上は申。申の上は申。日支の戌の上は戌。戌の上は戌。四課が両両重出するは、伏吟である。三伝は申(兄弟、白虎を乗せる)、寅(妻財、旬空、螣蛇を乗せる)、巳(官鬼、勾陳を乗せる)、申が寅を刑し寅が巳を刑する逓刑によって成る。胎産を占うに専ら妻財と子孫の両爻を看る:本課の中伝の寅木はまさに庚日の妻財なのに、却ってすでに旬空に落ちまた申金に刑せられ、妻財は刑せられて乾乾浄浄である。辰・戌は天羅地網で、しかも年・月・日・時と月将を連ねてみな辰戌の間に困する。問事の婦人の本命は丁酉で、酉はまた庚日の天網の在る所。凶徵が重重に相畳する。これが王牧夫の母子ともに保全し難いと断じた根拠である。

王牧夫曰:此課甚奇,乃是雙胎,然母子俱不能保。何也?年月日時,月將俱是羅網魁罡,何由得出此難?況三傳刑盡妻財,夫占更為不吉。何以知是雙胎?月建重疊,故也。女命丁酉,酉是庚日之網,重重凶徵,故於次年二月。先生一女,腹仍未消,子母俱不能保也。

王牧夫が言うには、この課は甚だ奇特で、看出すに双胎だが、然るに母子ともに保つことができない。なぜか。太歳・月建・日辰・正時と月将を連ねて、全て辰戌の羅網と魁罡の地に落ち、かくの如く重重に網せられて、どうしてこの場の難関を脱し開くことができようか。何况三伝の申が寅を刑し寅が巳を刑して、妻財の寅木を刑すること乾浄である。この課はまた丈夫が妻子のために代わりに占いに来たので、妻財が傷を受ければさらに不吉である。どうして双胎と知ったか。月建と正時がともに辰で、重叠して双と成すので、二つを主る。婦人の本命は丁酉で、しかも酉はまさに庚日の天網の在る所、凶象が一層一層壓する。だから第二年二月に至り、先ず一人の女嬰を産み下したが、肚子は却って依然として消えず、母子は終にいずれも保つことができなかった。

庚戌日・家宅を占う(牧夫占験)

甲戌年亥月庚戌日卯將寅時占家宅。(牧夫占驗)

甲戌年亥月(十月)の庚戌日、月将は卯で正時は寅、家宅の安否を占問した。案は『牧夫占験』から出る。月将の卯は寅時の上に加わり、天盤は地盤より順に一位進み、前面の幾課の伏吟と異なる。六壬が家宅を占うに、日干をもって居住する人を代表し、日支をもって房宅を代表し、人と宅の両辺の旺衰生克が如何なるかを看る。

蛇貴后陰|午未申酉 虎常玄陰 子 辛亥 常|朱巳 戌玄 子亥戌酉 子 壬子 虎|合辰 亥常 亥戌酉庚 父 癸丑 空|卯寅丑子|勾龍空虎

十二宫の地支と乗ずる天将は:午の上は螣蛇、未の上は貴人、申の上は天后、酉の上は太陰、戌の上は玄武、亥の上は太常、子の上は白虎、丑の上は天空、寅の上は青竜、卯の上は勾陳、辰の上は六合、巳の上は朱雀。貴人は未に落ち、衆将は未より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の庚の寄宮は申に在り、申の上に酉を見、酉の上に戌を見、日支の戌の上に亥を見、亥の上に子を見る。四課の上神の乗ずる天将は依次に太陰・玄武・太常・白虎。三伝は上より下へ亥・子・丑:初伝の亥は旬遁して辛亥、庚金の生ずる子孫で、太常を乗せる。中伝の子は旬遁して壬子、もまた子孫で、白虎を乗せる。末伝の丑は旬遁して癸丑、丑土は庚金を生じて父母と為り、天空を乗せる。四課の中でただ第三課「亥上見戌」の一処が下神の戌土が反って上神の亥水を克し、下が上を賊するに属するので、亥を取って発用とし、重審課を成し、三伝の亥・子・丑は順次連珠する。日干と日支の上神はともに酉・戌のこの一帯の羅網の地に落ち、末伝の丑はまた庚金と房宅の共同の墓庫で、これはまさに王牧夫がこの宅を晦滞と断じた着眼の処である。

王牧夫曰:干支皆乘羅網,人宅俱晦。傳見脫氣,不見晝神,全無發旺之氣,越居越寂寞也。況末歸丑土墓人刑宅乎,宜速遷移為要。此課金寒水冷,日就蕭條,不至凶咎,以子孫能制鬼耳。

王牧夫が言うには、日干と日支の上神はともに辰戌の天羅地網の内に落ち、人と宅の両頭がともに晦暗で明らかでない。三伝の中の亥・子はともに庚金の生ずる子孫で、我を泄する気に属する。課の裏にまた昼貴の類の陽明の将を見ず、全く生発興旺の気機がなく、住むこと久しければ久しいほど冷落を見る。何况末伝の丑土はすでに庚金の墓庫であり、丑はまた戌を刑するは、まさに人が来て宅を刑する象なので、当に急いで遷居するこそ要着である。ただこの課は金寒水冷で、ただ家道が日に日に蕭條し下るのみで、まだ凶禍災咎を招くに至らない。原因は三伝の子孫の亥・子が官鬼を制住し得、凶神が壓せられたことに在る。

庚戌日・汪解元が宅墓を占う(宋本邵案・口鑑)

己酉年二月初一庚戌日亥將酉時,汪解元丁卯生四十三歲,占宅墓。(宋本邵案、口鑑)

己酉年二月初一の庚戌日、月将は亥で正時は酉、汪解元――丁卯年生まれ・時年四十三歳――が自家の宅基と墳塋の吉凶を占問した。案は宋刻本『邵彦和占案』と『六壬口鑑』の両書に見える。「解元」は郷試の第一名の称呼である。月将の亥は酉時の上に加わり、天盤は地盤より順に二位進む。宅墓を占うは六壬の中で最も形勢を重んずる一類に属し、須く日干をもって人を代え日支をもって宅を代え、さらに天将の主る物象に配合して屋後の山岡・屋前の水路の形局を推す。

虎常|空未申酉戌玄|龍午 亥陰 蛇后后玄 子 壬子 後|陳巳 子后 寅子子戌 財 空寅 蛇|六辰卯寅丑貴 子戌戌庚 父 甲辰 六|朱蛇

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:未の上は天空、申の上は白虎、酉の上は太常、戌の上は玄武、亥の上は太陰、子の上は天后、丑の上は貴人、寅の上は螣蛇、卯の上は朱雀、辰の上は六合、巳の上は勾陳、午の上は青竜。貴人は丑に落ち、衆将は丑より起こり順行する。中間の八字は四課で、右より左に向かって読む:日干の庚の寄宮は申に在り、申の上に戌を見、戌の上に子を見、日支の戌の上に子を見、子の上に寅を見る。四課の上神の乗ずる天将は依次に玄武・天后・天后・螣蛇。右列の三伝は上より下へ:初伝の子は旬遁して壬子、庚金の生ずる子孫で、天后を乗せる。中伝の寅は「空寅」を標して旬空に落ちることを示し、庚金の妻財で、螣蛇を乗せる。末伝の辰は旬遁して甲辰、辰土は庚を生じて父母と為り、六合を乗せる。四課の裏でただ「子上見戌」のこの一処が下神の戌土が反って上神の子水を克し、下が上を賊するに属するので、故に子を取って発用として重審課を成し、さらに子の上に寅を得、寅の上に辰を得る。戌は山岡で宅の後に在り、子は水で天后を乗せて宅に臨み、寅木が冲破して水はその上より直に去る――邵彦和が宅後の逼山・宅前の逼水を判ずるは、全くこの幾つかの字の上より得たのである。

邵彥和曰:宅後逼山,宅前逼水,水雖東流過宅,反直去。若為宅基,主女多男少,子為吏人,孫為軍卒僕從,財退人散。蓋四陽雖臨東南,無關格拘檢,日後主水壞宅。因身役而盡敗也。此宅基乃庚兌山行龍,坎山為主,蓋緣逼迫,遂欲鑿山為之。果是後逼山,前近水,次年建造,不過十年,連產四女。男作縣吏,自後諸孫為屠兒,又為僕從,又有投軍者。此宅因為公人押網,折破敗壞。後卒為水沖基也。

邵彦和が言うには、この地は屋後が山に緊逼し、屋前が水に緊逼している。水は東辺より横流して宅を過ぐるが、一去して回頭しない直流水である。もしこれを拿って宅基と作すならば、家中は女多く男少なく、息子はただ胥吏を当るのみで、孫輩は則ち軍卒と僕従に淪落し、銭財は退散し人丁は離析することを主る。四陽の気は東南方に臨むとはいえ、関格の類の拘束収攝がなく、日後に必ず水が来て宅を壊し、全家は差役徭役によって敗し尽くすことを主る。この宅基は庚兌の方より龍が来て、坎方の山をもって主山とするのだが、ただ地勢が逼仄なので、主人は便ち山を鑿って営建せんと思った。後に査看すれば、果たして後は山に逼り前は水に近かった。第二年に工を動かし建造し、十年に過ぎず、接続して四人の娘を生んだ。息子は縣の裏の胥吏を為し、この後幾人かの孫は屠戸を当る者有り、僕従を為す者有り、また軍に投ずる者有った。この戸の人家は官府の差人に押されて服役したために、家業は折損敗壊し、最後に宅基は終に水に冲毀された。

蓋為宅來加申,戌為山崗,是後逼山也。宅上子作天后,是前逼水也。水橫過,寅為直去,東南兩處風路,為騰蛇所撓,故主吏人。又主失陷財物,兼木敗壞在子故也。末傳辰為軍卒僕從,六合加之故也。

その理を細かく説く:日支の戌はもと房宅なのに、今戌は日干の寄宮の申の頭上に加わる(第一課は戌が上に申に見える)、しかも戌は物象の上で則ち山岡なので、これが屋後に山が緊逼するである。日支の戌の上に見えるは子水で、子はまた天后を乗せ、天后は水を主るので、これが屋前に水が緊逼するである。水はすでに横流して過ぎ、中伝の寅木はまた直行して回らないことを主るので、水は一去して返らない直去水だと説く。東南方の寅・巳の両処はまさに風路の経る所なのに、偏しくも螣蛇に擾され、螣蛇は文書の曲折・纏繞して安からぬを主るので、故に子孫はただ胥吏を作すのみと断ず。また財物の失陥を主るは、妻財の寅木が子水の上で敗絶する(木は子に於いて沐浴する)ため、財爻が自ら壊れる故である。末伝の辰は六合を乗せ、辰は物象の上で軍卒僕從に応じ、六合はまた結聚して群を成すを主るので、故に孫輩の裏に軍卒と僕從が出ると断ずる。

庚戌日・胎産を占う(牧夫占験)

辛巳年五月庚戌日申將午時占胎產。男己卯生六十三歲,女丙戌生五十六歲。(牧夫占驗)

辛巳年五月の庚戌日、月将は申で正時は午、胎孕生産の事を占問した。男方は己卯年生まれ・六十三歳、女方は丙戌年生まれ・五十六歳。案は『牧夫占験』から出る。月将の申は午時に加わり、天盤はなお地盤より順に二位進み、前の一課の天地盤と同じである。両人の年紀はすでに老大しており、この一点が下面の断語の裏でまさに關鍵である。

虎常|空未申酉戌玄|龍午 亥陰 蛇后后玄 子 壬子 後|陳巳 子后 寅子子戌 財 空寅 蛇|六辰卯寅丑貴 子戌戌庚 父 甲辰 六|朱蛇

十二宫の天将の分布は:未は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、酉は太常を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太陰を乗せ、子は天后を乗せ、丑は貴人を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は朱雀を乗せ、辰は六合を乗せ、巳は勾陳を乗せ、午は青竜を乗せる。四課は右より左へ:庚の寄宮は申、申の上に戌を見、戌の上に子を見、日支の戌の上に子を見、子の上に寅を見る。四課の上神は分かれて玄武・天后・天后・螣蛇を乗せる。三伝は初伝の子(子孫、天后を乗せる)、中伝の寅(妻財、旬空に落ち、螣蛇を乗せる)、末伝の辰(父母、六合を乗せる)。胎産を占うの關鍵は胎神と血気の神に在る:子水はまさに日支の戌の胎神で、また本課の正時の化する神であり、しかもそれが発用する時に冲破される。中伝の寅は螣蛇を乗せてまた空に逢う。末伝の辰は六合を乗せ、六合はもと子息の神なのに、偏しくもまた日辰に破される。天后は血を主り、寅木は肝を主り、肝は血を蔵する臓で螣蛇を乗せるは、血分の不足を主る。三伝は処処に冲破し空に落ちるので、故に王牧夫は断じて「胎に似て胎に非ず」とした。

王牧夫曰:占胎當以支位之胎神為類用。六十三歲人,血氣已衰,不當以干之胎神論也。今正時即支之胎神,發用天后沖破。中見蛇,又逢空。末見六合子息之神,又為日破,此似胎而非胎也。午於五月為月厭殺,天后為血,寅木為肝,肝乃藏血之臟,帶蛇,主不足,此主氣旺血不足,似胎而非胎,不能產也。後竟不產面腹自消。又初傳子沖時,中傳寅沖申,末傳辰沖支,其氣散矣。

王牧夫が言うには、胎孕を占うには当に日支の位の胎神を拿って類神として用いるべきである。男方はすでに六十三歳で、血気は衰竭し、もはや日干の胎神に按じて論ずべきではない。今正時の午の対応するは、まさに日支の胎神の子水で、しかもこの子水は一たび発用すれば則ち冲破される。中伝の寅の上は螣蛇を乗せ、また旬空の裏に落ちる。末伝の辰の上は六合を乗せ、六合はもと子息の神なのに、偏しくもまた日辰に破される――これは胎象あるも実は真の胎に非ずである。午は五月に於いて月厭の殺で、天后は人身の血を主り、寅木は人身の肝を主り、肝はまさに血を蔵する臓腑で、今寅木は螣蛇を帯びるは、血分の虧損不足を主る。合わせて看れば、気は有余りて血は足らず、看るに孕あるかのようで、実はそうでなく、則ち生産と謂うべきがない。その後果たして生産せず、肚子は自ら消え下った。さらに初伝の子は正時の午を冲し、中伝の寅は日干の寄宮の申を冲し、末伝の辰は日支の戌を冲し、三伝は処処に冲散して、胎気は早くから散じ尽くした。(原文の「后竟不産面腹自消」の「面」は当に「而」と読むべし。)

庚戌日・友人の病を占う(牧夫占験)

己巳年三月庚戌日戌將申時占友人病。(牧夫占驗)

己巳年三月の庚戌日、月将は戌で正時は申、朋友のために疾病を占問した。案は『牧夫占験』から出る。月将の戌は申時の上に加わり、天盤は依然として地盤より順に二位進み、前の二課と同一天地盤である。病を占うには病位と病性を辨ずべきである:六壬は日支の臨む神をもって患処を定め、天将の性をもって病因を定め、さらに三伝の生克をもって治し得るか否かを定める。

虎常|空未申酉戌玄|龍午 亥陰 蛇后后玄 子 壬子 後|陳巳 子后 寅子子戌 財 空寅 蛇|六辰卯寅丑貴 子戌戌庚 父 甲辰 六|朱蛇

十二宫の天将は:未の上は天空、申の上は白虎、酉の上は太常、戌の上は玄武、亥の上は太陰、子の上は天后、丑の上は貴人、寅の上は螣蛇、卯の上は朱雀、辰の上は六合、巳の上は勾陳、午の上は青竜。四課は右より左へ:庚は申に寄せ、申の上に戌を見、戌の上に子を見、日支の戌の上に子を見、子の上に寅を見る。上神の乗ずるは依次に玄武・天后・天后・螣蛇。三伝は初の子(子孫、天后を乗せる)、中の寅(妻財、旬空、螣蛇を乗せる)、末の辰(父母、六合を乗せる)。病症に就いて看れば:日支の戌は日干の寄宮の申の上に加わるは「支が干に加わる」で、戌は人身に於いて足に応ずるので、病は下肢に在る。戌の上に玄武を乗せ、玄武は暗昧不正を主るので、故に病は不正の事より来ると断ず。発用の子水はまた天后を乗せ、天后は血を主り、この瘡は必ず頭を出して膿血を見ることを主る。中伝の寅は螣蛇を乗せ、螣蛇は形状の盤曲を主り瘡頭の突起を主る。末伝の辰は六合を乗せ、六合は収合を主るので、瘡口は終に長じ攏ることができる。

王牧夫曰:此毒瘡生於下部,由不正而起。將來必出頭,血膿行遇,方得全好。其瘡當在左足腿義,與腎相關處。喜是順症可治,不致喪命。所病之處,果然絲毫不差,一一如所占。蓋支加干,戌為足,玄武為不正,用見天后,故必要出頭,見膿血也。庚乃戌之左,子臨戌上,故斷以鬱鬱蔥蔥足腿義,近腎也。子為血汙,寅乘蛇,知其必出頭耳。末辰帶六合尚得收口,寅數七至有七十餘日痛楚也。後果然。

王牧夫が言うには、これは下身に長ずる毒瘡で、不正當な事に起因する。将来必ず膿頭を鼓し出し、膿血が排し尽くされるのを待って、やっと痊愈し得る。瘡の位置は当に左腿の腿丫の処に在り、腎と相關聯する地方である。喜ばしいのはこれが順症に属し、医し治し得て、命を丢すに至らないことである。その後病処を査看すれば、果たして分毫も差せず、様様みな占いと同じであった。道理は:日支の戌が日干の上に加わり、戌は人身に於いて足に応ずる。戌の上に玄武を乗せ、玄武は不正を主る。発用の子水はまた天后を乗せ、天后は血を主るので、瘡は必ず頭を出し必ず膿血を見ると断定した。庚金の寄宮の申は戌の左側の一位に在り、しかも子水はまた戌の上に臨むので、左側の腿丫・腎位に逼近する地方に断じた。子は汚血と為し、寅の上に螣蛇を乗せ、螣蛇は起伏鼓突を主るので、瘡頭が必ず頂き出ると知った。末伝の辰は六合を帯び、六合は斂合を主るので、瘡口は終究収め攏る。寅は六壬の中で数が七なので、痛楚すること七十多天を推し得た。その後果たしてこの通りであった。

辛亥日

辛亥日・斉を伐つを卜う(呉越春秋)

七月辛亥日巳將寅時卜伐齊。(吳越春秋)

七月の辛亥日、月将は巳で正時は寅、兵を出して斉を伐つの一事を占卜した。案は『呉越春秋』から出る、講ずるは呉王夫差が伍子胥の諫を聴かず執意して斉を伐った旧事である。月将の巳は寅時の上に加わり、天盤は地盤より順に三位進む。これは『壬占匯選』の中で年代最も早い一則の占例で、六壬家は歴來これを経典として奉ずる。

朱合勾龍|申酉戌亥 后常陰虎 鬼 乙巳 後|蛇未 子空 巳寅辰丑 兄 戊申 朱|貴午 丑虎 寅亥丑辛 子 辛亥 龍|巳辰卯寅|後陰玄常

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:申の上は朱雀、酉の上は六合、戌の上は勾陳、亥の上は青竜、未の上は螣蛇、午の上は貴人、子の上は天空、丑の上は白虎、巳の上は天后、辰の上は太陰、卯の上は玄武、寅の上は太常。貴人は午に落ち、十二天将は午より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に丑を見、丑の上に辰を見、日支の亥の上に寅を見、寅の上に巳を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・太常・天后。三伝は上より下へ:初伝の巳は旬遁して乙巳、巳火は辛金を克して官鬼と為り、天后を乗せる。中伝の申は旬遁して戊申、辛金と同類で兄弟と為り、朱雀を乗せる。末伝の亥は旬遁して辛亥、辛金の生ずる子孫で、青竜を乗せる。四課の上下はみな相克なく、ただ巳火が外より遥かに日干の辛金を克するので、巳を取って発用とする。下文の伍子胥の説く「大吉」は則ち丑の六壬の別名、「功曹」は則ち寅の別名である:丑は白虎を乗せて日干の寄宮の戌の上に臨み、寅は太常を乗せて日支の亥の上に臨むは、まさにこの盤と相合する。

吳王從勾踐之師伐齊,子胥聞之,諫曰:竊觀金匱第八,其可傷也。吳王曰:何謂也。子胥曰:今年七月辛亥平旦,大王以首事。辛,歲位也,亥,陰前之辰也,合壬子歲,前合也。利以行武,武決勝矣。然德在合,斗擊丑。丑,辛之本也,大吉為白虎而臨辛,功曹為太常而臨亥。大吉得辛為九丑,又與白虎並重,有人若以此首事,前雖小勝後必大敗。天地行殃,禍不久矣。吳王不聽,次年復伐齊,勾踐使范蠡伐庸,率師以絕吳路,遂入。

呉王は越王勾践の派して来た軍隊を帯びてともに斉を伐とうとし、伍子胥はこれを聞き、進諫して道く:臣が私かに『金匱』第八篇に按じて推算するに、この事は実に可悲しい。呉王が問うには、この言葉はどう講ずるか。子胥が言うには、今年七月辛亥日の平旦の時分、大王はこの時辰に於いて事を起こそうとします。辛は歳位の在る所で、亥は陰気の前の辰位で、壬子の歳と相合し、在前の合に属し、もともと兵を用うるに利あり、兵を用いても勝を取り得ます。然るに徳神は六合の位に落ち、しかも斗柄の撃つ所はまさに丑の上に在ります。丑は辛金の本墓で、今大吉の丑は白虎を乗せて辛の寄宮に臨み、功曹の寅は太常を乗せて日支の亥に臨みます。大吉の丑が辛に遇うは、「九丑」のこの凶格を構成し、また白虎と重畳して一處に在ります。誰にせよもしこのような日子を揀んで事を起こせば、前頭にはたとえ小勝あっても、後來は必ず大敗します。天地はともに災殃を降しており、禍事は太く遠からないでしょう。呉王は勧を聽かず、第二年にまた斉を伐った。勾践は便ち范蠡を派して兵を出して庸地を攻め打たせ、親ら大軍を率いて呉国の帰路を截断し、隨って呉境に攻め入った。

辛亥日・僧が州中の文字が到るか否かを占う(方本占案)

四月辛亥日申將巳時僧占舉請長老望州中文字到否。(方本占案)

四月の辛亥日、月将は申で正時は巳、一人の僧人が寺中で長老を擧薦延請する一事のために、盼む所の州府の公文が到り得るかを占問した。案は『方本占案』から出る、すなわち邵彦和占案の方氏伝本である。月将の申は巳時の上に加わり、天盤は地盤より順に三位進み、前の一課の天地盤と同じである。「州中の文字を望む」は則ち州府より下る任命文書を等候することである。

朱合勾龍|申酉戌亥 后常陰虎 鬼 乙巳 後|蛇未 子空 巳寅辰丑 兄 戊申 朱|貴午 丑虎 寅亥丑辛 子 辛亥 龍|巳辰卯寅|後陰玄常

十二宫の乗ずる天将は:申は朱雀を乗せ、酉は六合を乗せ、戌は勾陳を乗せ、亥は青竜を乗せ、未は螣蛇を乗せ、午は貴人を乗せ、子は天空を乗せ、丑は白虎を乗せ、巳は天后を乗せ、辰は太陰を乗せ、卯は玄武を乗せ、寅は太常を乗せる。四課は右より左へ:辛は戌に寄せ、戌の上に丑を見、丑の上に辰を見、日支の亥の上に寅を見、寅の上に巳を見る。上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・太常・天后。三伝は初伝の巳(官鬼、天后を乗せる)、中伝の申(兄弟、朱雀を乗せる)、末伝の亥(子孫、青竜を乗せる)。文書が到るか否かを占うに、最も重ずるは駅馬と月建である:巳はまさに亥日の駅馬で、また四月の月建であり、しかも月建は州府の出す文書を主管する。巳はすでに天后を乗せ、天后は恩澤の神であり、またちょうど本課の正時なので、文書は当時に則ち到る。長老自身の災に至っては、則ち丑の上の白虎を看る――丑は辛金の墓庫で、白虎が墓を乗せて日干の寄宮の戌に加臨するは、身を傷る象である。

邵彥和曰:定得文字,目下便至。蓋初傳日馬乘後,為恩澤神。又月建主州府文字。巳時為用,故不出時見之也。只是長老得了,自卻有災,宜保重。乃虎乘墓加身也。果當日文字至,長老交割了,卻謝州府,中路門轅拱柱顛下,手廢而成疾矣。

邵彦和が言うには、必ずこの紙の文書を拿得することができ、目下則ち送り届けられる。初伝の巳は亥日の駅馬で、また天后のこの恩澤の神を乗ずるからである。巳は同時に四月の月建で、しかも月建は州府の發出する文書を主管し、巳はまたまさに課を起こした時辰なので、この時辰を出ずに則ち見ることができる。ただ長老は任命を得たとはいえ、自身に災禍があり、当に多く保重を加えるべきである――これは白虎が辛金の墓庫の丑を乗せて、日干の身に加臨した故である。その後果たして当日に文書は則ち到り、長老は交割を辦し了え、前に往きて州府に道謝し、半路上で門前の車轅の拱柱の上より跌り落ち、手を摔壊し、これより病根を落とした。

辛亥日・黄虎山の功名を占う(指南)

順治甲申十月辛亥日丁亥時,公明長兄占黃虎山功名。(指南)

清順治甲申年(明崇禎十七年)十月の辛亥日、丁亥時、公明の長兄が黄虎山のために功名前程を占問した。案は『六壬指南』から出る。「黄虎山」は明末の総兵黄得功を指し、虎山は彼の号である。この時はちょうど明亡清興の際に当たり、下文に断ずる所はまさに彼が南明弘光朝に江北四鎮総兵を任じ、次年に兵敗れて自刎した結局である。この課の原文はただ時辰を記すのみで月将を載せず、四課より推算すれば、天盤は地盤より順に四位進む。

勾六|青酉戌亥子朱 虎后常貴 父 丁未 虎|空申 丑蛇 未卯午寅 子 辛亥 六|虎未 寅貴 卯亥寅辛 財 乙卯 後|常午巳辰卯後|玄陰

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:酉の上は青竜、戌の上は勾陳、亥の上は六合、子の上は朱雀、申の上は天空、丑の上は螣蛇、未の上は白虎、寅の上は貴人、午の上は太常、巳の上は玄武、辰の上は太陰、卯の上は天后。貴人は寅に落ち、衆将は寅より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に寅を見、寅の上に午を見、日支の亥の上に卯を見、卯の上に未を見る。四課の上神の乗ずるは依次に貴人・太常・天后・白虎。三伝は上より下へ:初伝の未は旬遁して丁未、未土は辛金を生じて父母と為り、白虎を乗せる。中伝の亥は旬遁して辛亥、辛金の生ずる子孫で、六合を乗せる。末伝の卯は辛金の妻財で、天后を乗せる(源文は遁干を「乙卯」と写作するが、下面の断語は明らかに「支上の卯は空」と説くので、この課は実に卯をもって旬空とし、遁干の一項は当に訛誤あるべき)。四課の中で第四課の「卯上見未」は、上神の未土が反って下神の卯木を克し、上が下を克するに属し、未を取って発用として元首課を成す。未・亥・卯の三字は湊って木局を成し、まさに断語の説く「木局を破壊する」のあの木局である。

陳公獻曰:據此課,藩臺不得善後矣。蓋課中干乘絕氣,支見死神,兩貴空亡,祿神受制,功名安得久長。且官得空矣,誰與居位?營壘空矣,(支上卯空)誰與禦侮?財星空矣,誰與生官?況太陽西墜,桑榆之返照無多。冬木逢空,腐朽之折傷必應;歲在大梁,餘言必驗。何故也?明歲行年酉為自刑,破壞木局,次年五月御敵自刎。

陳公献が言うには、この課に照らして看れば、この藩台大人は好い収場があるまい。日干の寄宮の上に乗ずるは絶気で、日支の上に見えるは死神で、両位の貴人はともに旬空の中に落ち、禄神はまた制伏を受けるので、功名はどうして長久を保ち得ようか。さらに言えば、官星はすでに空に落ちたので、誰が来てこの位置に坐るか。營壘もまた空で(日支の上の卯は旬空の裏に落ち)、誰が来て外侮を抵禦するか。財星もまた空で、誰が来て官星を生養するか。何况太陽はすでに西に沈み、晚年の余暉は幾多もない。冬天の木は旬空に遇えば、朽壊折断の応験は必ず来る。太歳が大梁の次(酉)に行き到るを待てば、我のこの番の言葉は必ず応験する。なぜか。明年彼の行年はまさに酉に走り到り、酉は自刑を為し、また未亥卯のこの木局を冲破するからである。第二年五月に至り、彼は則ち敵を御ぐ時に自刎して死した。

乙酉五月初十福王出奔,授黃得功。劉良佐追至,伏弩射中得功喉得功,嘆曰:我無能為矣。歸營拔劍自刎。

乙酉年五月初十、弘光帝福王は出逃し、兵權を黄得功に託付した。清に降した劉良佐が兵を率いて追い到り、埋伏の弩箭は黄得功の咽喉を射中した。黄得功は長歎して説いた:我はもはや為す力がない。営中に帰るや便ち劔を拔いて自刎した。(原文の「射中得功喉得功」の一句は「得功」の二字が重出し、当に刻本の衍文とすべき。)

辛亥日・婚姻を占う(壬帰)

辛亥日 將 時占婚姻。壬歸。(愚按:此課不載月將、正時,未知壬歸所引何書。)

辛亥日、ある月将・ある時辰、婚姻を占問した。案は『壬帰』から出る。原文は「日」と「将」の間、「将」と「時」の間にいずれも空白を留め、月将と正時はともに缺記で、ここは底本の闕文に照らして録し、補填しない。程樹勲の自注に説く:この課は月将と正時を記さず、また『壬帰』の一書がどの一部の書より轉引して来たかも知らない。四課より推算すれば、この盤の天盤は地盤より順に八位進む。

龍勾合朱|丑寅卯辰 合後勾貴 父 丁未 後|空子 巳蛇 卯未寅午 財 ◎卯 合|虎亥 午貴 未亥午辛 子 辛亥 虎|戌酉申未|常玄陰后

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:丑の上は青竜、寅の上は勾陳、卯の上は六合、辰の上は朱雀、子の上は天空、巳の上は螣蛇、亥の上は白虎、午の上は貴人、戌の上は太常、酉の上は玄武、申の上は太陰、未の上は天后。貴人は午に落ち、十二天将は午より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に午を見、午の上に寅を見、日支の亥の上に未を見、未の上に卯を見る。四課の上神の乗ずる天将は依次に貴人・勾陳・天后・六合。三伝は上より下へ:初伝の未は旬遁して丁未、未土は辛金を生じて父母と為り、天后を乗せる。中伝の卯は頭に「◎」を標して旬空に落ちることを示し、辛金の妻財で、六合を乗せる。末伝の亥は旬遁して辛亥、辛金の生ずる子孫で、白虎を乗せる。未・卯・亥の三字は合して木局を成し、しかも天后はまた未に於いて発用する。これは断語の説く「三陰自旺・偏く母家を旺する」の根拠である。ここの「未」は地支で、すでに初伝の神であり、また数理の上で八を取る。下文の「未数八」は則ちこれを指す。

斷曰:姻事必成,但嫌不旺夫家,偏旺母家,八年之後,妻必改嫁,非吉象也。

断語に説く:この門の親事は一定に成る。ただそれが夫家を旺せず、かえって偏しく女方の娘家を旺することを嫌う。八年の後、妻子は必ず改嫁し、終究吉利の象ではない。

蓋干支之上,午未作合,故主必成。凡天后發用,而三傳自合成局者,謂三陰自旺,得天后臨支,支繫母家,故主偏旺母家。後之所乘,明生暗鬼,而三傳木局,又生起干上之鬼以克干,故不旺夫家。未數八,八年之後,丁動而中空橋斷,卯即辛之妻星,其象若此,尚可成乎?婚姻之占,關係甚大,其可忽乎?

その理を細かく説く:日干の上神は午、日支の上神は未で、午と未は正好く相合するので、親事は必ず成ると断ず。およそ天后が発用し、しかも三伝がまた自ら行きて一局を湊成するを、「三陰自旺」と叫ぶ。この課は天后がまさに日支の未の上に臨み、日支は女方の娘家を代表するので、偏く母家を旺することを主る。天后の乗ずる未土は、表面上は日干の辛金を生ずる父母だが、暗裏には却って鬼気を蔵している。しかも三伝の未亥卯は合して木局を成し、木はまた日干の上神の午火という官鬼を生起して辛金を克するので、夫家を旺せないと説く。未のこの地支は六壬の裏で数が八で、八年の後、未の中に遁する丁火が発動し、しかも中伝の卯はまた旬空の中に落ちるは、譬えるに橋梁が中断して両頭が接がらないが如し。卯はまさに辛金の妻星で、妻星はすでに空でありてまた断なので、卦象がかくの如き様子を弄すれば、この門の親事はなお長久に成全し得るか。婚姻の占は一生に關係する。どうして草率に看過し得られようか。

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