康煕二十四年五月丙寅日に呉公望が終身を問う(残篇)
吳公望問終身,即以生年月日時演課斷之,康熙二十四年乙丑歲五月初七丙寅日申將酉時。殘篇
呉公望が来て一生の命運を問い、占者はすなわち彼の出生の年月日時を用いて課を排して断じた。時は康煕二十四年、歳次乙丑、五月初七丙寅日、申将を取り酉時に加えて課を起こした。この例は一部の残篇から出る。
龍勾合朱 辰巳午未 玄常空龍 官 甲子 玄 空卯 申蛇 子丑卯辰 官 亥 陰 ◎ 虎寅 酉貴 丑寅辰丙 子 戌 后 ◎⊙ 丑子亥戌 常玄陰后
課盤。申将を酉時に加えると、天盤は地盤より一位退し、天地盤の排布は前の例と同じ:辰が巳に加わり、巳が午に、午が未に、未が申に、申が酉に、酉が戌に、戌が亥に、亥が子に、子が丑に、丑が寅に、寅が卯に、卯が辰に加わる。異なるのはこの課が夜貴を用いることで、天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の戌位に臨み、陰に属すので逆行する:螣蛇は申に乗り、朱雀は未に、六合は午に、勾陳は巳に、青竜は辰に、天空は卯に、白虎は寅に、太常は丑に、玄武は子に、太陰は亥に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丙の寄宮は巳、第一課、巳の上に辰を見、青竜が乗る。第二課、辰の上に卯を見、天空が乗る。第三課、日支の寅の上に丑を見、太常が乗る。第四課、丑の上に子を見、玄武が乗る。右側の三伝:初伝は子で官鬼、遁干は甲、玄武が乗る。中伝は亥で、これも官鬼、太陰が乗り旬空。末伝は戌で子孫、天后が乗り旬空。日干上の辰・日支上の丑は皆水の墓庫で、官星が墓に入る——これがこの課で功名を論ずる鍵である。
黃斷曰:初傳旬儀,二十歲以前自在愉活之場,有無邊之樂事,干支上神雖係龍常各載鬼墓,鬼亦官也,官星入墓,功名有不蹭蹬者乎。宜其十赴?而悲於不遇到耳,況甲科最要廉幕貴人得力,中傳亥幕貴也,兼是官星,乃又旬空,空則無力也。欲填實除是有亥年之恩科則填補而可望,又或有巳年之恩科沖實亦可望,否則不能矣。末傳子息又空乃是天將后加後妻也,空而尚能育子乎,故須覓一肖夫之妾以填補之,鄧攸之哭,吾知其可免矣。
黄某が断じて言う:初伝は「旬儀」で、二十歳以前に身が安逸快活の地にあり、言い尽くせぬ楽事があることを主す。日干・日支上の神は青竜・太常の二つの吉将を分乗するが、各自鬼墓を載せている。鬼はすなわち官であり、官星が墓庫に入れば、功名がどうして坎坷でないことがあろうか。彼が十度赴考して(「十赴?」の「?」は底本の缺字)、いずれも遇わずに傷心したのも無怪である。いわんや甲科に考中するには「廉幕貴人」の得力が最も緊要で、中伝の亥はちょうど幕貴であり、同時にまた官星であるが、偏に旬空の中に落ち、空なれば力を使えない。この空を填実せんと欲すれば、亥年に恩科を開くに遇わなければ補実を望めず、あるいは巳年に恩科を開くに遇い、巳をもって亥を冲してこれを填実せしめるも、なお指望がある。さもなければ成らない。末伝は子孫爻で、また空亡に逢い、しかも天将は天后が天后に加わり、続娶の妻を主る。既に空に落ちて、まだ息子を生むことができようか。ゆえに必ず生肖が夫と同じ妾を一人求めてこの一つの空を填補せねばならない。こうすれば、晋の人鄧攸が子なくて痛哭した憾事は、見るに免れ得るであろう。
丁卯日
丁卯日に某が麦面を失ったことを占う(『方本占案』)
某占失麥面,丁卯日卯將戌時。
ある人の家で麦面を失い、丁卯日に卯将を取り戌時に加えて課を起こし、誰が偷んだかを占った。
蛇朱合勾 戌亥子丑 勾后常合 兄 己巳 常 貴酉 寅青 丑申巳子 子 戌 蛇 ◎ 后申 卯空 申卯子丁 父 丁卯 空 ⊙ 未午巳辰 陰玄常虎
課盤。卯将を戌時に加えると、天盤は地盤より五位進む:戌が地盤の巳に加わり、亥が午に、子が未に、丑が申に、寅が酉に、卯が戌に、辰が亥に、巳が子に、午が丑に、未が寅に、申が卯に、酉が辰に加わる。天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の辰位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は亥に、六合は子に、勾陳は丑に、青竜は寅に、天空は卯に、白虎は辰に、太常は巳に、玄武は午に、太陰は未に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丁の寄宮は未にあり、第一課、未の上に子を見、六合が乗る。第二課、子の上に巳を見、太常が乗る。第三課、日支の卯の上に申を見、天后が乗る。第四課、申の上に丑を見、勾陳が乗る。右側の三伝:初伝は巳で兄弟爻、遁干は己、太常が乗る。中伝は戌で子孫、螣蛇が乗り旬空。末伝は卯で父母爻、遁干は丁、天空が乗る。失物を占うには例に照らして玄武に責成するが、この課は玄武を用いず初伝から賊を取る——下文に称して古法に合すると言う処である。
邵彥和曰:據此課象是人力勾引來偷去,後知果是人力與對門面店博士合偷。蓋巳為爐灶,又鑄印課,太常為博士,亦主酒食,中傳戌為人力,末傳天空,亦是人力,是兩人力合偷也。申為麥面,陰神丑土墓之,而作勾陳,故主勾引也。《方本》。愚按:此課不用元武斷賊而以初傳斷賊,兼以中末?之,最合古法。
邵彦和が断じて言う:この課象に照らして見れば、自家の雇工が外人を勾引して偷み去ったのである。後に查明すると、果たして雇工が対門の麺店の夥計と合夥して偷んだのであった。道理は:巳は類神の上で炉竈を為し、課体もまた「鋳印」課である。太常は夥計を主り、また酒食を主る。中伝の戌は雇工を主り、末伝の天空もまた雇工なので、二人の雇工が合夥して偷んだのである。申は類神の上で麦面を為し、その陰神の丑土がこれを墓住し、丑はまた勾陳に乗り、勾陳は牽引勾連を主るので、勾引来して偷んだと言ったのである。この条は『方本占案』から出る。程樹勳按:この課は玄武を用いずに賊を断じ、初伝から賊を断じ、さらに中伝・末伝を合わせて参証した(「兼以中末?之」の「?」は底本の缺字)——最も古法に合する。
己巳年五月丁卯日に某が訟を占う(『牧夫占験』)
某占訟己巳年五月丁卯日未將丑時乙酉生四十五歲。《牧夫占驗》
某が官司を占い、時は己巳年五月丁卯日、未将を取り丑時に加えて課を起こした。占を求めた人は乙酉年生まれで四十五歳。この例は『牧夫占験』から採った。
朱合勾龍 亥子丑寅 空貴陰勾 父 丁卯 空 蛇戌 卯空 卯酉未丑 財 癸酉 貴 貴酉 辰虎 酉卯丑丁 父 丁卯 空 申未午巳 后陰玄常
課盤。未将を丑時に加えると、月将と占時が相冲し、天盤は地盤より六位進み、「返吟」の課である:亥が地盤の巳に加わり、子が午に、丑が未に、寅が申に、卯が酉に、辰が戌に、巳が亥に、午が子に、未が丑に、申が寅に、酉が卯に、戌が辰に加わる。天将は貴人が酉に乗るところから起こる——酉は地盤の卯位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は戌に乗り、朱雀は亥に、六合は子に、勾陳は丑に、青竜は寅に、天空は卯に、白虎は辰に、太常は巳に、玄武は午に、太陰は未に、天后は申に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丁の寄宮は未にあり、第一課、未の上に丑を見、勾陳が乗る。第二課、丑の上に未を見、太陰が乗る。第三課、日支の卯の上に酉を見、貴人が乗る。第四課、酉の上に卯を見、天空が乗る。右側の三伝:初伝は卯で父母爻、遁干は丁、天空が乗る。中伝は酉で財爻、遁干は癸、貴人が乗る。末伝はまた卯で、依然として遁干は丁で天空が乗る。卯と酉が往来して相冲する——まさに下文にいう「反復して止まらない」の象である。
王牧夫曰:此訟乃見貴而起罪重落獄遣戌也。蓋發用天空,天傳反覆是卯酉。卯酉乃私門也,貴人坐此一官未了,又換一官,反覆不止一次。喜太歲上神亥克丁,乃是今日德神,年上辰戌為牢獄,乘白虎,故主落獄,陰神戌與命作合,罪止遣戌而已,且貴臨卯酉,占訟多牽他人,後果一一如占。
王牧夫が断じて言う:この官司は官に見えることによって起こったもので、罪名は軽くなく、獄に下されさらに発配される。発用は天空に乗り、三伝は往复してただ卯・酉の間にあるのみ。卯酉は私門の位で、貴人がここに坐する——一人の官員がまだ審結せぬうちに、また一人を換えて審し、反復して一回に止まらない。幸い太歳上の神の亥は日干の丁を克し得、亥はちょうど本日の徳神である。行年上の辰・戌は牢獄を主り、また白虎に乗るので、獄に下ることを主す。戌という陰神は本命と相合するので、罪名は発配までに止まる。さらに貴人が卯酉の私門に臨むので、凡そ訟を占うには多く他人に牽連する。その後果たして一々占った通りであった。
正月丁卯日に某が家宅を占う(『方本占案』)
某占家宅正月丁卯日子將卯時。《方本占案》
某が家宅の吉凶を占い、時は正月丁卯日、子将を取り卯時に加えて課を起こした。この例は『方本占案』に見える。
合勾龍空 寅卯辰巳 陰蛇朱龍 官 甲子 蛇 朱丑 午虎 酉子丑辰 財 癸酉 陰 蛇子 未常 子卯辰丁 兄 庚午 虎 亥戌酉申 貴后陰玄
課盤。子将を卯時に加えると、天盤は地盤より九位進む:寅が地盤の巳に加わり、卯が午に、辰が未に、巳が申に、午が酉に、未が戌に、申が亥に、酉が子に、戌が丑に、亥が寅に、子が卯に、丑が辰に加わる。天将は貴人が亥に乗るところから起こる——亥は地盤の寅位に臨み、陽に属すので順行する:螣蛇は子に乗り、朱雀は丑に、六合は寅に、勾陳は卯に、青竜は辰に、天空は巳に、白虎は午に、太常は未に、玄武は申に、太陰は酉に、天后は戌に乗る。中間の四課は右から左へ:日干丁の寄宮は未、第一課、未の上に辰を見、青竜が乗る。第二課、辰の上に丑を見、朱雀が乗る。第三課、日支の卯の上に子を見、螣蛇が乗る。第四課、子の上に酉を見、太陰が乗る。右側の三伝:初伝は子で日干の官鬼、遁干は甲、螣蛇が乗る。中伝は酉で財爻、遁干は癸、太陰が乗る。末伝は午で兄弟爻、遁干は庚、白虎が乗る。子が日支の卯の上に加わり、午はまた酉の上に落ちる——螣蛇・白虎の二つの凶将がちょうど卯・酉の門戸の位に圧する。
愚按:鄭本雲正月占不宜出路,似此方於子午道路之神句有著落,鄭云子酉午皆屬婦人,子午為道路,酉為天鬼,恐是婦人在道路中染了疫氣至家,以致滿門受傷也。愚按邵公最嫌天鬼,鄭君補出此層甚是。
程樹勳按:鄭体功の本に言うには、正月にこの課を占い得ては外に出ておるべきでない。こうであってこそ、邵彦和の「子午は道路の神」という言葉が落着を得る。鄭氏はまた言う、子・酉・午はいずれも婦人を主り得、子午は道路を主り、酉は天鬼である。おそらく家中の婦人が路上で疫気を染めて家に持ち帰り、満門が害を受けたのであろう。我再び按ずる:邵彦和は最も天鬼を忌み、鄭君がこの一層を補出したのは説いて正しい。
邵彥和曰:此課占宅,主門戶幽暗,有重喪。又陰小有災,蓋子作蛇入宅為用,午作虎在酉上為末。以子午道路之神而作蛇虎臨卯酉之上,是蛇虎加二八門也,故主重喪。又子加卯相刑也,午作虎死氣也,安得不凶乎,當年其人果死,其孫又亡。
邵彦和が断じて言う:この一課で宅を占えば、門戸が幽暗で、家中有重喪、婦女幼小にもまた災あることを主す。子が螣蛇に乗って宅位に入り発用し、午が白虎に乗って酉の上に落ちて末伝を作すからである。子・午は本来道路の神で、いま螣蛇・白虎に乗って卯・酉の上に臨む——すなわち蛇虎が二月・八月の門戸の位に加臨するので、連続する喪事を主す。さらに子が卯に加わるは相刑であり、午が白虎に乗るはまた死気である。どうして凶でないことがあろうか。当年その人は果たして死に、その孫も後に亡くなった。
丁卯日に盧雅雨が遷官を占う(『牧夫占験』)
乾隆丙子年九月丁卯日辰將丑時,都轉盧雅雨先生辛未生,六十六歲,占遷官否。牧夫占驗。
清の乾隆二十一年丙子(一七五六年)九月、丁卯日に逢い、辰を月将とし丑時に課を起こした。占を求めたのは両淮都転塩運使・盧雅雨先生——「都転」は「都転運塩使司運使」の略称、すなわち塩運使である。彼は辛未年生まれで、この年六十六歳。問うたのは自分が升遷し得るかどうかである。本案は王牧夫の占験記録から録した。
蛇貴后陰 申酉戌亥 貴合常后 財 癸酉 貴 朱未 子玄 酉午丑戌 官 甲子 玄 合午 丑常 午卯戌丁 父 丁卯 空 巳辰卯寅 勾龍空虎
この一行は課盤を平らに展開した後の文字である。天地盤は辰将を丑時に加えて起こり、天盤の各神はいずれも地盤の各支より三位進む:地盤の巳上に天盤の申を得、午上に酉を得、未上に戌を得、申上に亥を得、酉上に子を得、戌上に丑を得、亥上に寅を得、子上に卯を得、丑上に辰を得、寅上に巳を得、卯上に午を得、辰上に未を得る。十二天将は順に:螣蛇は申に乗り、貴人は酉に、天后は戌に、太陰は亥に、玄武は子に、太常は丑に、白虎は寅に、天空は卯に、青竜は辰に、勾陳は巳に、六合は午に、朱雀は未に乗る。貴人が酉の上に落ちて逆行するのは、丁日の夜貴である。四課は右から左へ見る:第一課、日干丁の寄宮は未にあり、未上に戌を得、戌は天后に乗る。第二課、戌上に丑を得、丑は太常に乗る。第三課、日支の卯上に午を得、午は六合に乗る。第四課、午上に酉を得、酉は貴人に乗る。三伝は初伝酉・中伝子・末伝卯:初伝の酉の遁干は癸で、丁火日には妻財、貴人に乗る。中伝の子の遁干は甲で官鬼、玄武に乗る。末伝の卯の遁干は丁で父母、天空に乗る。酉金が子水を生じ、子水が卯木を生じ、卯木がまた頭を回らして日干の丁火を生ず——三伝が一路相生するのが、いわゆる「逓生」である。
王牧夫曰:憲臺不能升遷,安榮此任甚久。公曰:三傳遞生人舉薦,何故不能?曰:遞生雖屬舉薦,但是閉口不能顯薦,況公年命皆空,不能著實。三傳是大概之象,年命方切於己耳。且丁神心動身動,實有所望,奈自乘墓,又與支神作合,所以安榮此任不能?遷者也。後果不能升遷,壬午冬告休而回。
王牧夫が言う:憲台大人は升遷せず、現任の上で安穏として久しく留まるであろう。盧公が問う:三伝が一路相生するのはまさに人の挙薦ある象なのに、なぜかえって升れないのか。王牧夫が答える:逓生は固より挙薦の象だが、生気が口を閉じて通ぜず、ただ暗中に提挈し得るのみで、公開して保薦することはできない。いわんやあなたの本命と行年はともに空亡の上に落ちる——本命は辛未で、六十六歳の行年もちょうど未に走到し、未上に乗ずるのは戌で、戌は恰も甲子旬の旬空。虚にして実ならず、実処に落ちない。三伝は事の大きな輪郭に過ぎず、本命・行年こそ占者本人に真に貼り付くものである。さらに言えば、日干丁が遁ずる「丁神」は心も動き身も動き、あなたの心には確かに指望が存する。あいにく日干自身は墓神に乗る——丁火の墓はまさに干上神の戌にあり、戌はまた日支の卯と六合を結び、合われて動かせない。ゆえにただこの任を安享し得るのみで、遷転して出られない(「不能」の下に底本は一字缺く)。その後果たして升遷せず、乾隆二十七年壬午(一七六二年)の冬に老を告げて退休し郷に帰った。
丁卯日に督院の文書批发を占う(『牧夫占験』)
乾隆乙亥年八月丁卯日辰將子時,占督院文書批發何如。牧夫占驗。
清の乾隆二十年乙亥(一七五五年)八月、丁卯日に逢い、辰を月将とし子時に課を起こした。占ったのは総督衙門(「督院」はすなわち総督)が呈上した文書を批復して発下した結果がどのようになるかである。本案は王牧夫の占験記録から録した。
貴后陰玄 酉戌亥子 陰朱空陰 官 亥 陰 ◎ 蛇申 丑常 亥未卯亥 父 丁卯 空 ⊙ 朱未 寅虎 未卯亥丁 子 辛未 朱 午巳辰卯 合勾龍空
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は辰将を子時に加えて起こり、天盤は地盤より四位進む:地盤の巳上に酉を得、午上に戌を得、未上に亥を得、申上に子を得、酉上に丑を得、戌上に寅を得、亥上に卯を得、子上に辰を得、丑上に巳を得、寅上に午を得、卯上に未を得、辰上に申を得る。十二天将は:貴人は酉に乗り、天后は戌に、太陰は亥に、玄武は子に、太常は丑に、白虎は寅に、天空は卯に、青竜は辰に、勾陳は巳に、六合は午に、朱雀は未に、螣蛇は申に乗る。子時は夜に属し、丁日の夜貴は酉にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、日干丁の寄宮は未にあり、未上に亥を得、亥は太陰に乗る。第二課、亥上に卯を得、卯は天空に乗る。第三課、日支の卯上に未を得、未は朱雀に乗る。第四課、未上に亥を得、亥は太陰に乗る。三伝は亥・卯・未で、ちょうど亥卯未の三合木局を凑える:初伝の亥は官鬼で、甲子旬の旬空の中に落ちるので遁干を帯びず、そばに「◎」で空亡を標出し、太陰に乗る。中伝の卯の遁干は丁で父母、天空に乗り、そばに「⊙」を標す。末伝の未の遁干は辛で子孫、朱雀に乗る。
王牧夫曰:省中文字不能如意,鹽窩當大退。丙丁之日批成,戊巳之日到。果於丁日批,巳日到。批語與生意甚無益也,連日大退數錢,甚驗。凡占??大位,俱以歲破為用。歲破之上生酉,正沖木局,故不能如意也。正時與朱雀六害,與卯相刑,何能有望,??是以必退耳。朱雀為批辭,遁辛克支,為??受墓受克,安得有好語乎。丙丁之日批者,未即丁,又辛與丙合,以丙丁而為期。戊己之日到者,馬帶巳又合戊也。
王牧夫が言う:省のこの公文は意に称せず、塩場の商いは大きく落ち込む。丙日・丁日に批され出て、戊日・己日に送られて来る。その後果たして丁日に批下され巳日に送達し、批語は商いに少しも益なく、連日値段が大きく数銭落ち、応験が極めて准であった。凡そ占うに(底本ここに二字缺く)大位の類の事は、皆「歳破」を取って用神と為す:乙亥年の歳破は巳にあり、地盤の巳上はちょうど天盤の酉で、酉金が三合木局の中神卯を冲克し、木局が冲散させられるので、事が意の如くにならない。占時の子と朱雀の乗ずる未は六害を構成し、子はまた日支の卯と相刑する——どこに指望があろうか(底本ここに二字缺く)。ゆえに商いは必ず退く。朱雀は文書の批語を主り、末伝の未の遁干は辛で、辛金は日支の卯木を克す。未はまた木の墓庫で(底本ここに二字缺く)、墓困を受けまた克制を受け、どうして好言があろうか。丙丁の日に批下すると言うのは、日干丁の寄宮が未にあり、未がすなわち丁を代表し、末伝の遁干辛がまた丙と相合するので、丙・丁を取って応期と為したのである。戊己の日に送到すると言うのは、駅馬が巳にあり、巳の中に戊を蔵し、また戊と相合するからである。
丁卯日に阮帝臣が委買の事を占う(残編)
雍正乙卯年五月丁卯日未將卯時,阮帝臣老占求孔公司委買之事允否。殘編。
清の雍正十三年乙卯(一七三五年)五月、丁卯日に逢い、未を月将とし卯時に課を起こした。阮帝臣老先生が占ったのは:孔公に主管の委派采買という差事を求め、獲准し得るかどうかである。本条は一部の残編から採った。
朱蛇貴后 酉戌亥子 貴勾常貴 官 亥 貴 ◎ 合申 丑陰 亥未卯亥 父 丁卯 常 ⊙ 勾未 寅玄 未卯亥丁 子 辛未 勾 午巳辰卯 龍空虎常
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は未将を卯時に加えて起こり、天盤は同じく地盤より四位進み、前の案の天地盤と完全に同じ:地盤の巳上に酉を得、午上に戌、未上に亥、申上に子、酉上に丑、戌上に寅、亥上に卯、子上に辰、丑上に巳、寅上に午、卯上に未、辰上に申を得る。天将の排布は前の案と異なる:朱雀は酉に乗り、螣蛇は戌に、貴人は亥に、天后は子に、太陰は丑に、玄武は寅に、太常は卯に、白虎は辰に、天空は巳に、青竜は午に、勾陳は未に、六合は申に乗る。卯時は昼に属し、丁日の昼貴は亥にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、丁の寄宮は未にあり、未上に亥を得、亥は貴人に乗る。第二課、亥上に卯を得、卯は太常に乗る。第三課、日支の卯上に未を得、未は勾陳に乗る。第四課、未上に亥を得、亥は貴人に乗る。三伝は亥・卯・未で木局を合成す:初伝の亥は官鬼で旬空に落ち、「◎」を標し、貴人に乗る。中伝の卯の遁干は丁で父母、太常に乗り、「⊙」を標す。末伝の未の遁干は辛で子孫、勾陳に乗る。官を求め貴を謀るには本来貴人を見るべきなのに、貴人は偏に空亡の亥の上に乗る。
黃斷曰:求貴不宜貴空,空則無力。且夏令得木局,乃休氣。休氣者,廢也,不成之象。果於七月另委他人矣。
黄氏が断じて言う:貴人の提挈を謀るには、最も貴人が空に落ちることを忌む。貴人が一空すれば力を使えない——この課の初伝の亥はちょうど旬空に当たり、貴人は恰恰その上に乗る。さらに五月はちょうど夏令で火気が権を当るのに、三合が凑え成したのは木局である。木は火を生じ、我を生ずる者は「休」で、木は夏天に休気に属す。休気はすなわち廃気で、事を办成し得ない象である。その後果たして七月に至り、この差事は別に他人に委派された。
戊辰日
戊辰日に揚州某氏の子が父柩の所在を占う(『王氏占験』)
揚州某氏子求占父柩在何處,己巳年巳月戊辰日酉將丑時。
揚州某家の息子が来て占を求めた:父の霊柩はどこに停放されているか。時は己巳年巳月の戊辰日、酉を月将とし丑時に課を起こした。
空虎常玄 丑寅卯辰 蛇龍朱空 財 甲子 龍 龍子 巳陰 申子酉丑 子 壬申 蛇 勾亥 午后 子辰丑戊 兄 戊辰 玄 戌酉申未 合朱蛇貴
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は酉将を丑時に加えて起こり、天盤は地盤より八位進む:地盤の巳上に丑を得、午上に寅を得、未上に卯を得、申上に辰を得、酉上に巳を得、戌上に午を得、亥上に未を得、子上に申を得、丑上に酉を得、寅上に戌を得、卯上に亥を得、辰上に子を得る。十二天将は:天空は丑に乗り、白虎は寅に、太常は卯に、玄武は辰に、太陰は巳に、天后は午に、貴人は未に、螣蛇は申に、朱雀は酉に、六合は戌に、勾陳は亥に、青竜は子に乗る。丑時は夜に属し、戊日の夜貴は未にあり、貴人は順行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に丑を得、丑は天空に乗る。第二課、丑上に酉を得、酉は朱雀に乗る。第三課、日支の辰上に子を得、子は青竜に乗る。第四課、子上に申を得、申は螣蛇に乗る。三伝は初伝子・中伝申・末伝辰:初伝の子の遁干は甲で、戊土日には妻財、青竜に乗る。中伝の申の遁干は壬で子孫、螣蛇に乗る。末伝の辰の遁干は戊で兄弟、玄武に乗る。子・申・辰の三字はちょうど申子辰の三合水局である。
王牧夫曰:尊人之柩在北門寺庵中,庵前有河一條,詢之僧人便知。此占因柩失,非問墓也,不可以墓論。發用青龍子水在申,申乃死氣,而蛇居之。子由辰上發用,子為北,辰為關,故曰北門外。龍丑辰上,主寺觀。申與僧同音,故曰詢之僧人。前有河一條者,申子辰合成水局也。
王牧夫が言う:令尊の霊柩は北門外の一ヶ所の寺庵の中にある。庵の前に一条の河が横たわり、庵の中の僧人に問えばすなわち知れる。この一占は霊柩の行方が明らかでないためで、墳墓を問うのではない。ゆえに墓を占う法に按じて論ずることはできない。発用(初伝)は青竜の乗ずる子水で、子上は申を得る。申は水の死気の地で、また螣蛇が申の上に居る。子は地盤の辰上から発用し、子は方位で北に属し、辰は関隘門戸を主るので、北門の外と言ったのである。青竜が丑・辰と連なる一路の象は皆寺廟庵観を主る。「申」と「僧」は同音なので、僧人に問うべきと言った。庵の前に一条の河があると言うのは、申・子・辰の三字が合して水局を成したからである。
占者父亡,時只數歲,後隨姐遷於他處。及長,因母亡,欲逄柩合葬,其父柩在北門外庵中,只一姐夫知之,而庵中柩累累。詢之僧人,乃得其父柩,即逄合殯。占者得此數甚異之。王氏占驗。愚按:王公不責白虎而論三傳,極?邵公之法合。
占卜した人は父が逝した時まだ数歳で、後に姉に随って別の所に遷った。長じて後に母もまた亡くなり、父の霊柩を起こし出して合葬しようと欲した。父柩はもともと北門外の庵の中にあり、ただ一人の姉夫のみが知っていた。しかし庵の中に停放する棺柩は一具一具に接して並び、弁認する術がなかった。王牧夫の言に依って僧人に問うと、果たして父の霊柩を見つけ、すなわち柩を起こして合殯した。占者はこの課を手にして、その准確さに大いに驚異した。この条は王氏の占験から出る。編者按:王公は白虎を責問せず(喪事を占う慣例はまず白虎を見る)、却って三伝から立論した——極めて邵彦和先生の法門と相合する(「極」の下に底本は一字缺く)。
戊辰日に葉某が宅を占う(『口鑑』)
葉某庚戌生,五十九歲,占宅。建炎戊申年六月戊辰日未將酉時。口鑑。
葉某は庚戌年生まれ、時年五十九歳で、自家の宅第を占いに来た。時は南宋高宗建炎二年戊申(一一二八年)六月の戊辰日、未を月将とし酉時に課を起こした。本案は邵彦和の『口鑑』から出る。
勾合朱蛇 卯辰巳午 虎青空勾 兄 乙丑 空 青寅 未貴 子寅丑卯 財 亥 常 ◎ 空丑 申后 寅辰卯戊 子 癸酉 陰 ⊙ 子亥戌酉 虎常玄陰
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は未将を酉時に加えて起こり、天盤は地盤より二位退する:地盤の巳上に卯を得、午上に辰を得、未上に巳を得、申上に午を得、酉上に未を得、戌上に申を得、亥上に酉を得、子上に戌を得、丑上に亥を得、寅上に子を得、卯上に丑を得、辰上に寅を得る。十二天将は:勾陳は卯に乗り、六合は辰に、朱雀は巳に、螣蛇は午に、貴人は未に、天后は申に、太陰は酉に、玄武は戌に、太常は亥に、白虎は子に、天空は丑に、青竜は寅に乗る。酉時は夜に属し、戊日の夜貴は未にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に卯を得、卯は勾陳に乗る。第二課、卯上に丑を得、丑は天空に乗る。第三課、日支の辰上に寅を得、寅は青竜に乗る。第四課、寅上に子を得、子は白虎に乗る。三伝は初伝丑・中伝亥・末伝酉:初伝の丑の遁干は乙で、戊土日には兄弟、天空に乗る。中伝の亥は甲子旬の旬空の中に落ちるので遁干がなく「◎」を標し、妻財で太常に乗る。末伝の酉の遁干は癸で子孫、太陰に乗り「⊙」を標す。丑・亥・酉と一路逆退し、尽く西北の陰地に入る——下文にいう「極陰課」である。
邵彥和曰:丑亥酉為極陰課,幸中末旬空,故雖有災危,尚不至不測。只是子孫多門戶事擾,遂消折財本,晚年主不得意而死。不合土塞東門,壁外又不合堆木板;太陰乘酉加亥,敗處乘空,母患酒病死,家業衰矣。
邵彦和が言う:丑・亥・酉の三伝は「極陰課」と呼ぶ。幸い中伝・末伝ともに旬空を帯びるので、災危あれど、不測の禍を出すには至らない。ただ子孫が多く門戸が雑で、家事の紛擾が絶えず、それによって本銭を耗折し、晩年は鬱鬱として意を得ず終わる。偏にまた泥土が東門を堵し、墙壁の外に偏に木板を堆している。太陰が酉に乗り亥の上に加わり、土は酉に敗れ、酉はまた空亡の亥の上に坐す——母親が酒病を害して死に、家業がこれより衰敗することを主す。
葉宅東邊有門,果有泥土,乃戊辰干支皆土,丑土又加卯門之上發用,故主土塞東門。二木克干支二土,故知壁外有木板。課得極陰,主災變,最喜空亡可解。今中末空,不入亥地陰極之處,故不至大災。然畢竟陰耗財物也。
葉家の宅は東の方に確かに門があり、門口に果たして泥土が堆んでいた:これは本日の干支戊・辰がともに土に属し、初伝の丑もまた土で、また地盤の卯という東方の門の上に加わって発用するので、泥土が東門を堵すと断じたのである。四課の中の寅・卯二つの木神が日干支の二つの土神を克しているので、墙壁の外に木板が堆んでいると知った。課体が極陰を成したのは本なら災変を主り、最も空亡の来て化解することを喜ぶ。いま中伝・末伝ともに空を帯び(中伝の亥は自体が旬空、末伝の酉はまた旬空の亥の上に加わる)、亥地という陰極の処に沈み込まないので、大災を醸すには至らなかったが、終に暗中に財物を耗損する。
子孫眾多者,戊辰一帶皆是東方,丑寅卯之旺氣也。甲子旬中乙丑丙寅丁卯乃真三奇,所以無災。不合退歸亥酉西北方,土敗於酉,三奇亦暗,夫日月星辰傾於西北,自然消折也。母患酒病,死於辛亥年者,太陰老婦象母,酉乘亥為酒,太歲填實,亥仍入極陰不空也。男女七人婚嫁所費,家業消缺乏矣。
子孫が衆多だと言うのは、戊辰のこの一帯の地支が皆東方に属し、ちょうど丑・寅・卯の旺気に当たるからである。甲子旬中の乙丑・丙寅・丁卯は真正の三奇で、三奇の護持があるので大災がない。偏に三伝が亥・酉という西北一路に退回し、土は酉に敗れ、三奇の光もこれに随って暗淡となる。古人がいう天が西北に傾き日月星辰が皆西北に移るが如く、家業は自ずから折損する。母親が辛亥年に酒病を害して死んだのは、太陰は本来老婦の象で、もって母親に取り得るからである。酉が亥の上に乗り、亥は酒を為す。辛亥年に至って太歳がこの空亡を填実し、亥はもはや空ならず、依然として極陰の地に落ちるので、その年に応じたのである。七人の児女の婚嫁の花費もまた家業を耗し尽くした。
戊辰日に程桐江が月建の休咎を占う(『牧夫占験』)
乾隆戊辰年九月戊辰日卯將寅時,程桐江甲申命,四十五歲,占月建休咎。牧夫占驗。
清の乾隆十三年戊辰(一七四八年)九月、戊辰日に逢い、卯を月将とし寅時に課を起こした。占を求めたのは程桐江で、甲申年生まれ、時年四十五歳、本月の吉凶禍福を問うた。本案は王牧夫の占験記録から録した。
蛇貴后陰 午未申酉 蛇朱貴蛇 官 丙寅 龍 朱巳 戌玄 午巳未午 父 庚午 蛇 合辰 亥常 巳辰午戊 父 庚午 蛇 卯寅丑子 勾龍空虎
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は卯将を寅時に加えて起こり、天盤はただ地盤より一位進むのみ:地盤の巳上に午を得、午上に未を得、未上に申を得、申上に酉を得、酉上に戌を得、戌上に亥を得、亥上に子を得、子上に丑を得、丑上に寅を得、寅上に卯を得、卯上に辰を得、辰上に巳を得る。十二天将は:螣蛇は午に乗り、貴人は未に、天后は申に、太陰は酉に、玄武は戌に、太常は亥に、勾陳は卯に、青竜は寅に、天空は丑に、白虎は子に、朱雀は巳に、六合は辰に乗る。寅時は夜に属し、戊日の夜貴は未にあり、貴人は逆行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に午を得、午は螣蛇に乗る。第二課、午上に未を得、未は貴人に乗る。第三課、日支の辰上に巳を得、巳は朱雀に乗る。第四課、巳上に午を得、午は螣蛇に乗る。第一課と第四課はともに午が巳に加わり、四課は実際に三課しか成らないので、「別責」の法を用いて伝を発する:陽日は日干の合神の寄る宮の上神を取って初伝と為す——戊は癸と相合し、癸は丑に寄り、地盤の丑上に寅を得るので、初伝は寅である。中伝・末伝はいずれも日干上神の午を用いる。初伝の寅の遁干は丙で、戊土日には官鬼、青竜に乗る。中・末の両伝の午の遁干はいずれも庚で父母、螣蛇に乗る。
王牧夫曰:此課平看,不過鬼克不利而已,然關係甚大。何以見之?今茲九月火潛之時,安得有此一派炎炎之氣?午為陽刃羅網纏身,疊見必有大纏繞事來累身。彼雲目下無甚事,那得至此。曰:本月內要見,然終無礙,先凶後吉。彼雲禍應主何人。曰:發用別責,青龍作鬼,乃由別事而起;青龍為官位,木為舟車之官,必因此而起事也。
王牧夫が言う:この課を平々に見れば、官鬼が身を克してやや不利があるだけのようだが、実際には関係が極めて大きい。どう見出したか。いまは九月で、ちょうど火気が潜蔵する時節に当たる。どこにこのような一片の炎炎たる火勢があるべきか——四課三伝の中に巳・午が群を成して畳み出ている。午は戊日の陽刃で、日支の辰はまた地網である。刃と羅網が日身を纏い、火神が再三重ねて見える——必ず一桩の大きな糾纏の事が本人に牽累する。程桐江は目下何の事もないのに、どうしてこの地步に至るかと言った。王牧夫が言う:本月の内に分晓を見る。ただ終に碍なく、先に凶で後に吉である。程桐江がまた禍事は誰の身に応ずべきかと問うた。王牧夫が言う:発用に取ったのは「別責」で、青竜はまた官鬼を充当する——禍は別の事から牽引して出たことが見える。青竜は官位を主り、木はまた舟車の類の職務を主る——必ずこの一路の事によって惹かれ出す。
不數日,果為借河晌事波累及身,數月因審實無事。次年春月復占月建,獨未吉,囑慎防。後復為漕替所奏,幾付部讞,仲賴恩旨半路赦回。此課事關重大者,以太歲干支為日辰故也。火雖炎上,而火虛誕,中末相併不足,又兼生干,故有始無終,不須慮耳。凡螣蛇太旺則主驚疑,此以陽刃羅網為利害也。
数日を経ずして、程桐江は果たして河工銀両を挪借した事に牽連して身に及び、数ヶ月後に審明して属実でなく無事となった。第二年春、彼はまた来て本月の吉凶を占い、あの一月だけが不吉で、王牧夫は彼に小心して提防するよう嘱した。後に果たしてまた漕運の方面に参奏され、ほとんど部に交して審議し罪を定めるところとなったが、全く恩旨が半路で彼を赦免し召回して頼みとなった。この課の関係が重大な所以は、太歳の干支が恰も日辰と同じ(乾隆戊辰年が戊辰日に遇う)で、事が太歳の頭上に応じて行ったからである。火は炎上で勢い盛んなれど、虚火である:中伝末伝が並びて同じ一つの午を成すので力が足りない。いわんや午火はまた頭を回らして日干の戊土を生ず——ゆえに始めあって終わりなく、慮り過ぎるに及ばない。大凡そ螣蛇が旺き過ぎれば人の驚疑不安を主る。この一課の利害は陽刃と羅網の上に落ちたのである。
戊辰日に徐将仕が前程を占う(『口鑑』)
建炎戊申年六月戊辰日未將巳時,徐將仕辛卯命,三月三十日巳時生,一十八歲,占前程。口鑑。
南宋建炎二年戊申(一一二八年)六月の戊辰日、未を月将とし巳時に課を起こした。占を求めたのは徐将仕(「将仕」はすなわち将仕郎、文散官の階名)で、辛卯年三月三十日巳時生まれ、時年十八歳。一生の仕途の前程を占問した。本案は邵彦和の『口鑑』から出る。
空虎常玄 未申酉戌 虎青常空 子 壬申 虎 青午 亥陰 申午酉未 兄 戌 玄 ◎ 勾巳 子后 午辰未戊 財 甲子 后 ⊙ 辰卯寅丑 合朱蛇貴
課盤を平らに展開すれば上の通り。天地盤は未将を巳時に加えて起こり、天盤は地盤より二位進む:地盤の巳上に未を得、午上に申を得、未上に酉を得、申上に戌を得、酉上に亥を得、戌上に子を得、亥上に丑を得、子上に寅を得、丑上に卯を得、寅上に辰を得、卯上に巳を得、辰上に午を得る。十二天将は:天空は未に乗り、白虎は申に、太常は酉に、玄武は戌に、青竜は午に、勾陳は巳に、太陰は亥に、天后は子に、六合は辰に、朱雀は卯に、螣蛇は寅に、貴人は丑に乗る。巳時は昼に属し、戊日の昼貴は丑にあり、貴人は順行する。四課は右から左へ:第一課、日干戊の寄宮は巳にあり、巳上に未を得、未は天空に乗る。第二課、未上に酉を得、酉は太常に乗る。第三課、日支の辰上に午を得、午は青竜に乗る。第四課、午上に申を得、申は白虎に乗る。三伝は初伝申・中伝戌・末伝子:初伝の申の遁干は壬で、戊土日には子孫、白虎に乗る。中伝の戌は甲子旬の旬空の中に落ち、遁干がなく「◎」を標し、兄弟で玄武に乗る。末伝の子の遁干は甲で妻財、天后に乗り「⊙」を標す。申・戌・子が一路順に西北へ推して行く——下文にいう「渉三淵」である。
邵彥和曰:涉三淵課,主跋涉奔波,勞力無成。干支上午與未合,出身甚妙,歷事三授,兩丁上服。申為子孫,居午火陽刃上,而受下克,且乘白虎,主難為子息。中傳同類為兄弟,加子息上,日後當以弟為子。末傳妻爻坐空,天后?神加之,妻因產而亡。
邵彦和が言う:これは「渉三淵」の課で、一生跋涉奔波し、力を出して成らないことを主す。日干上神の未と日支上神の午とが相六合して、出身はとてもよく、一生に三次の授官を歴任し、二度父母の喪によって丁憂服制する。申は子孫爻だが、午火陽刃の上に居り、下の火から克を受け、また白虎に乗る——子嗣が艱難であることを主す。中伝の戌は日干の戊と同じく土に属して兄弟爻で、子孫の申の上に加わる——後日弟を以て過継して兒子と為す。末伝の子は妻財爻で、空亡の戌地に坐し、天后がまたその上に乗る(「天后」の下に底本は一字缺く)——妻子が難産によって亡くなることを主す。
涉三淵數一傳遂一傳,又入空亡上去,主所授之差,一任遠,一任勞。戊辰年干支皆東南神,辛卯命又是東方,三傳反流入西方,那更涉三淵陷於西北,必主死於外州。傳既不回,即子亦不能歸也。四十五六歲行年到子丑,為過三淵之外,然而落空,雖過得此年,亦不濟事也。
いわゆる「渉三淵」は、一伝が一伝に接して下へ渉り、また一路空亡の中へ渉り入る——彼の受ける差事が、一任は遠方にあり、一任は極めて労苦することを主す。戊辰という日の干支——戊の寄宮は巳にあり、日支は辰——はいずれも東南の神で、本命辛卯もまた東方に属すが、三伝はかえって西方に流れ入り、加うるに「渉三淵」が西北に陥落する——必ず外州に客死することを主す。三伝はすでに一去して回らず、息子もまた帰って来られない。四十五、六歳の時、行年が子・丑に走到して、三淵の外を過ぎたと算えられるが、しかしまた空亡の中に落ちる——たとえこの年を熬え抜いても、終に事に済むことはない。
徐二十五歲銓試中,當年授嶽州尉;二十七丁父憂,二十九授渾州尉,三十歲丁母憂,三十三授?州司戶,當年冬赴任;三十四妻因產亡,止有四女,而以小弟為子;任滿再授廣西提學干官,又授廣州東莞縣令,四十五歲終於任,繼子遂家於彼而不歸。
その後、徐某は二十五歳で銓選の考試に通り、当年岳州尉に授けられた。二十七歳で父が去世し丁憂し、二十九歳で渾州尉に授けられ、三十歳で母が去世し丁憂し、三十三歳で某州(州名は底本に一字缺く)司戸に授けられ、当年の冬に赴任した。三十四歳で妻子が難産で去世し、四人の女児を残すのみで、そこで末弟を過継して兒子と為した。任が満ちた後また広西提学の幹官に授けられ、再び広州東莞県令に授けられ、四十五歳で任上で死んだ。過継した息子はすなわち当地に家を安めて、郷に帰らなかった。
