戊申日・晴雨を占う(十二月、方本占案)
十二月戊申日子將申時某占晴雨。方本占案 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇貴陳 兄 甲辰 玄 空未 寅后 辰子丑酉 子 戊申 龍 虎午巳辰卯陰 子申酉戊 財 壬子 蛇 常玄
十二月戊申日、月将の子を用いて申時の上に加えて課を起こし、ある人が来て晴雨を占った。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「陳(勾陳)酉、戌、亥、子、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)申」で右側の「丑、貴(貴人)」に対し、「空(天空)未」は「寅、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)午、巳、辰、卯、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「子申酉戊」で、上神は「辰子丑酉」で、各々「玄、蛇、貴、陳」を乗せ、すなわち第一課は酉が戊に加わり、第二課は丑が酉に加わり、第三課は子が申に加わり(日支の申の上に子を見る)、第四課は辰が子に加わる。三伝は辰・申・子で、ちょうど申子辰の水局の逆布である:初伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。末伝の子は妻財爻で、遁干は壬、螣蛇を乗せる。
邵彥和曰:潤下課,元臨子作用,中傳龍又乘申,末又是夜青龍。若春占主水漲,今冬占必有大雪。果辛亥日雨,丙辰日大雪,戊午日晴而起風。
邵彦和が言うには、これは「潤下課」で、玄武が水位の上に臨んで発用し、中伝の青竜はまた申を乗せ、末伝はまた夜占の青竜の位に落ちる――満課みな水気である。倘もし春に占い得たならば、河水の暴漲を主る。今は冬の占なので、則ち必ず一場の大雪がある。その後果たして辛亥日に雨が降り、丙辰日に大雪が降り、戊午日に晴に転じて風が起こった。
戊申日・劉将仕が宅を占う(乙酉年六月、宋本邵案・口鑑)
乙酉年六月戊申日未將卯時劉將仕庚午生四十歲占宅。宋本邵案 口鑑 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇貴陳 兄 甲辰 玄 空未 寅后 辰子丑酉 子 戊申 龍 虎午巳辰卯陰 子申酉戊 財 壬子 蛇 常玄
乙酉年六月戊申日、月将の未を用いて卯時の上に加えて課を起こした。劉将仕は庚午年生まれ、四十歳で、住宅を占問した。この条は宋本『邵案』から出て、また『口鑑』に見える。用いた課式は上の一則の晴雨を占ったのと同じである。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「陳(勾陳)酉、戌、亥、子、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)申」で右側の「丑、貴(貴人)」に対し、「空(天空)未」は「寅、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)午、巳、辰、卯、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「子申酉戊」で、上神は「辰子丑酉」で、各々「玄、蛇、貴、陳」を乗せる。三伝は辰・申・子:初伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。末伝の子は妻財爻で、遁干は壬、螣蛇を乗せる。
邵彥和曰:即戀一舊妾,又討一新妾,精氣衰耗,漸不支持。三傳皆財為家賊所偷,宅上子作騰蛇,主子外橫,乃宅中水不合被長生耗去,故多招是非,常不安妥。今年太歲值水敗尚可,明年不利;本身有臟毒,終為所苦,溝渠為土淤塞,子作溝渠,上加辰作武,故主土注淤塞,坤申方有澗水來克,子必不肖,而婢為宅主也。劉將仕果有新舊二龐,蓋因酉作勾陳加行年又在日上,是有兩婢也。破碎來勾,主舊事擾攘。戊日局局,財氣太盛,自庫傳出,又傳出去。只因庫中有鬼賊,辰比劫財,又元盜神故也。所以偷去。子作蛇加申,主子息非理廢用。至丁巳年退至八分,庚申年退盡。巳上見酉為破碎,故丁巳退八分。申上見子作蛇撓之,故退盡。辛酉年四月臟毒死矣。蓋酉為臟毒,臨巳為四月,又遇酉年,破碎重見故也。
邵彦和が言うには、この主人はちょうど一人の旧妾に恋い着き、また新たに一人の新妾を討い入れ、精気が日に日に衰耗し、漸々支撑し難い。三伝はみな財爻で、家財が家賊に偷り去られることを主る。宅位の上の子は螣蛇を乗せ、息子が外で横行することを主る――これは宅中の水気が長生の神に耗散されるべきでなく、だから家の裏には多く是非を招き、常常に安穏を得ない。今年の太歳はちょうど水の敗地に値り、なお過ごせると算する。明年は利あらず。主人の本身は痔漏の類の臓毒の病を患え、終にその苦を受ける。溝渠は泥土に淤塞される:子は溝渠を主り、上に辰を加えてまた玄武を乗ずるので、泥土が灌注して淤塞することを主る。西南の坤申の方に澗水が冲して来て相克するので、息子は必ず不肖で、かえって婢女がこの家を当っている。劉将仕は果たして新旧二人の寵妾があった――酉が勾陳を乗せてすでに行年の上に加わりまた日干の上にあるので、二人の婢妾である。破碎の神はまた勾陳とともに来るので、旧事が紛擾して休まないことを主る。戊日はこの財局を得て、財気が過盛で、庫の中から伝出し、また一路に伝わり出て行った。ただ庫の裏に鬼賊を蔵するがため――辰は比肩劫財であり、また玄武という盗神でもある――だから財はみな偷り去られた。子が螣蛇を乗せて申の上に加わるは、息子が胡乱に家産を糟蹋することを主る。丁巳年に至り家業は八成退き、庚申年に退き尽くした。巳の上に酉を見るは破碎なので、丁巳年に八成退き。申の上に子を見てまた螣蛇を乗せて来攪擾するので、庚申年に至って退し尽くした。辛酉年四月、彼は臓毒の病によって死した:酉は臓毒を主り、巳の上に臨んで四月に応じ、また酉年に遇い、破碎の神が重複して現れた故である。
戊申日・劉一純が病を占う(崇正辛未年正月、指南)
崇正辛未年正月戊申日亥將未時劉一純占病。指南 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄蛇貴陳 兄 甲辰 玄 空未 寅后 辰子丑酉 子 戊申 龍 虎午巳辰卯陰 子申酉戊 財 壬子 蛇 常玄
崇正辛未年正月戊申日、月将の亥を用いて未時の上に加えて課を起こし、劉一純が疾病を占問した。この条は『六壬指南』から出ている。用いた課式はなお前の二則と同じである。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「陳(勾陳)酉、戌、亥、子、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)申」で右側の「丑、貴(貴人)」に対し、「空(天空)未」は「寅、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)午、巳、辰、卯、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「子申酉戊」で、上神は「辰子丑酉」で、各々「玄、蛇、貴、陳」を乗せる。三伝は辰・申・子:初伝の辰は兄弟爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。末伝の子は妻財爻で、遁干は壬、螣蛇を乗せる。
陳公獻曰:病起少陰,目今無慮,但綿纏難脫體。微獨病也,且防賊至。病起少陰者何?從魁臨干為日之敗氣,是因少陰而敗身也。病難脫體者何?傳將合成敗局,生起日之官鬼也。占病而言賊至者何?玄武發用傳歸支上,主賊人入我內室也。醫當如何?木為官鬼,火作白虎,心脾二經受症,當覓東方之醫,理肝清心,切勿健脾補肺。何時當愈?甲戌流年方且不保,遑問愈乎?緣戊日玄墓發用,是為收魂殺。又純財生卯木,死氣剋日,故是年冬可慮乎?果後三月一賊入室,劉復來言及。餘乃以原數斷云:賊北方道路往來,陳姓年少人也。作賊無伴一人耳,然必告官方獲,玄辰乘相氣,主年少,在子為道路,辰與陳姓同音,玄陰生水,水合一數也。官鬼遙克玄武,公命上神又制盜神,必告官然後捕捉也。何日可獲?告官三日即獲。果陳忠也。
陳公献が言うには、この病は少女の身より起こったもので、目下は憂うるに及ばないが、ただ纏綿して脱すること難い。しかも病ばかりでなく、なお賊が来ることを提防すべき。どうして病が少陰より起こったと言うか。従魁(酉)が日干の上に臨み、まさに日干の敗気なので、少女によって身を敗したのである。どうして病が体を脱し難いと言うか。三伝の諸神が一つの敗局を合成し、かえって往きて日干の官鬼を生ずるからである。病を占って賊が来ると説くのは、何を凭りにするか。玄武が発用して三伝が日支の上に帰るので、賊人が我の内室に進み入ることを主る。どう医すべきか。木は官鬼、火は白虎を作す、心・脾の両経が病を受けたので、当に東方の医師を請うて、疏肝清心の法を用いるべく、切に健脾補肺すべからず。いつ癒えるか。甲戌の流年に至っては命さえも保ち難いのに、なにが痊愈を問わんか。戊日は玄武の乗ずる墓神をもって発用とし、これを「収魂殺」という。又是一片の純財が往きて卯木を生じ、死気が来て日干を克するので、あの年の冬は甚だ慮るべきである。その後果たして三ヶ月後に賊が室に入り、劉一純はまた来て説き起こした。私は便ち元の課数に按じて断じて言うには、この賊は北面の路より往来し、一個の陳と姓する年軽い人で、作案に同夥なく、ただ一人である。ただ必ず官に報じてこそ捉え得る。なぜか。玄武の乗ずる辰は相気を帯びるので、年軽を主る。辰は子の位置に在りて道路を主る。「辰」と「陳」姓は同音。玄武は陰に属して水を生じ、水の成数は一に合するので、一人である。官鬼が遥かに玄武を克住し、主人の本命の上の神はまた盗神を制住するので、必ず官に報じて然る後に捕獲し得る。どの日に捉え得るか。官に報じて三日で則ち捉え得る。その後抓到したのは果たして陳忠であった。
戊申日・李載溪の座中に占を索む(崇正戊辰十二月、指南)
崇正戊辰十二月戊申庚申時,予在燕京會高仁齋、夏客還、張環玉邀,蜀中禮部李載溪先生座索占。指南 朱蛇 六戌亥子丑貴 白貴陰六 官 乙卯 陰 勾酉 寅后 午丑卯戌 子 戊申 龍 龍申 卯陰 丑申戌戊 兄 癸丑 貴 空未午巳辰玄 虎常
崇正戊辰年十二月戊申日庚申時、私は燕京で高仁斎・夏客還に会見し、張環玉に相邀えられ、蜀中の礼部の李載溪先生の座上で課を起こすを請われた。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「朱、蛇」(朱雀、螣蛇)。一列は「六(六合)戌、亥、子、丑、貴(貴人)」。左側は「勾(勾陳)酉」で右側の「寅、后(天后)」に対し、「龍(青竜)申」は「卯、陰(太陰)」に対する。下の列は「空(天空)未、午、巳、辰、玄(玄武)」で、末に「虎、常」(白虎、太常)を綴る。四課の下神は右から左へ「丑申戌戊」で、上神は「午丑卯戌」で、各々「白、貴、陰、六」を乗せ、すなわち第一課は戌が戊に加わり、第二課は卯が戌に加わり、第三課は丑が申に加わり(日支の申の上に丑を見る)、第四課は午が丑に加わる。三伝は卯・申・丑:初伝の卯は官星で、遁干は乙、太陰を乗せる。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、青竜を乗せる。末伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、貴人を乗せる。
高仁齋曰:卯與戌合,為大六合,六合加戌為小六合,喜末傳月將貴人,定然片言入相。予反其意曰:太陰臨卯,空即不能成名,此乃舊事又舉行者,二月還宜慎重。曰:何以知其舊事?曰:舊太歲發用,且四墓覆生,主已廢復行,沉而又舉也。嫌初中龍官空戰,朱雀陰見玄墓(亥乘朱陰神見辰也),若上疏,旨意不佳。果後以改授上疏見駁,幾至察處。
高仁斎が言うには、卯と戌が相合するは「大六合」で、六合の将がまた戌の上に加わるは「小六合」で、さらに喜ばしいのは末伝が月将と貴人を乗ずること――この先生は定めて一言の間に閣に入り相に拝せられる。私は却って反して説いた:太陰が卯の上に臨み、卯はまた空に落ちるので、則ち名を成すことができない。この事は乃ち旧事を重ねて提するので、二月に至ってなお謹慎すべき。ある人が問うには、どうして旧事と知ったか。私が言うには、上一年の太歳をもって発用とし、これに四墓が反覆して相生することを加えれば、もとすでに廃棄された事がまた新たに推行され、沈んでいたのがまた挙げられることを主る。嫌うべきは初伝・中伝の青竜と官星が空に落ちて相戦することで、朱雀の陰神にまた玄武の墓を見(亥の上に朱雀を乗せ、その陰神に辰を見る)、假令上疏すれば、旨意は必ず好からず。その後果たして授務を改めるために上疏して、駁し返され、ほとんど査処に遭った。
戊申日・劉乾運が前程を占う(己酉年六月、方本占案・口鑑・宋本邵案)
己酉年六月戊申日未將寅時劉乾運丙寅生四十四歲占前程。方本占案 口鑑 宋本邵案 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后空常六 鬼 空卯 常 蛇申 卯常 午丑卯戌 子 戊申 蛇 貴未午巳辰玄 丑申戌戊 兄 癸丑 空 后陰
己酉年六月戊申日、月将の未を用いて寅時の上に加えて課を起こした。劉乾運は丙寅年生まれ、四十四歳で、前程を占問した。この条は『方本占案』から出て、また『口鑑』と宋本『邵案』に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「陳、龍」(勾陳、青竜)。一列は「六(六合)戌、亥、子、丑、空(天空)」。左側は「朱(朱雀)酉」で右側の「寅、虎(白虎)」に対し、「蛇(螣蛇)申」は「卯、常(太常)」に対する。下の列は「貴(貴人)未、午、巳、辰、玄(玄武)」で、末に「后、陰」(天后、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「丑申戌戊」で、上神は「午丑卯戌」で、各々「后、空、常、六」を乗せ、すなわち第一課は戌が戊に加わり、第二課は卯が戌に加わり、第三課は丑が申に加わり、第四課は午が丑に加わる。三伝は卯・申・丑:初伝の卯は官鬼爻で、太常を乗せ、源文は卯の前に「空」を標し、卯が旬空に落ちることを示す。中伝の申は子孫爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。末伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天空を乗せる。四課三伝は上の一則の李載溪の座中の占と同じで、ただ天将が各々異なる。
邵彥和曰:此課無造化,戊以卯為官星,甲辰旬空亡也。戊以申為長生學堂,入在空亡,只有末傳是丑,丑又來刑日上戌,且作天空,晝貴人空耗,是貴而無位也。晚年孤獨,只與奴婢過殘生,俱不見妻子續。後果然。
邵彦和が言うには、この課は毫も造化の言うべきがない。戊日は卯をもって官星とし、しかも卯は甲辰のこの一句の裏でまさに空亡である。戊はまた申をもって長生・学堂とするが、も空亡に落ち込んだ。残るはただ末伝の丑なのに、丑は却って来て日干の上の戌を刑し、しかも天空を乗せ、白天の貴人は空耗し尽くされる――これは則ち貴気あるも実位なしである。この人は晚年孤独で、ただ奴婢とともに残生を過ごすだけで、妻子児女はみな接続を見ることができない。その後果たしてこの通りであった。
己酉日
己酉日・謀生を占う(乾隆己巳年三月、牧夫占験)
乾隆己巳年三月己酉日戌將奪及時雨辛巳人四十九歲占謀生。牧夫占驗 蛇貴后陰 亥子丑寅 合玄龍后 鬼 ◎卯 玄 朱戌 卯玄 酉卯未丑 子 己酉 合 合酉 辰常 卯酉丑己 鬼 ◎卯 玄 申未午巳 勾龍空虎
乾隆己巳年三月己酉日、月将の戌を用いて課を起こした(源文のここは「戌将奪及時雨」と作るが、「奪及時雨」の四字は当に占時の字様が伝写の中で誤り致したもので、すでにどの時辰かを確指する由がない)。占者は辛巳年生まれ、四十九歳で、謀生の計を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「亥子丑寅」で、その上に「蛇、貴、后、陰」(螣蛇、貴人、天后、太陰)を乗せる。左側は「朱(朱雀)戌」「合(六合)酉」、右側は「卯、玄(玄武)」「辰、常(太常)」、下に排するは「申未午巳」で、その下は「勾、龍、空、虎」(勾陳、青竜、天空、白虎)。四課の下神は右から左へ「卯酉丑己」で、上神は「酉卯未丑」で、各々「合、玄、龍、后」を乗せ、すなわち第一課は丑が己に加わり、第二課は未が丑に加わり、第三課は卯が酉に加わり(日支の酉の上に卯を見る)、第四課は酉が卯に加わる。三伝は卯・酉・卯:初伝の卯は官鬼爻で、玄武を乗せ、前に標す「◎」は旬空の記号。中伝の酉は子孫爻で、遁干は己、六合を乗せる。末伝はなお空に落ちた卯で、玄武を乗せる。
王牧夫曰:夫婦商量,欲為門戶計乎?其人曰:何以知之?余曰:此課龍后相交,故知為夫婦商量也。卯酉相沖,故知為門戶計也。曰:將來如何?余曰:看來此課大不美。不惟門戶不振,猶懼申酉之年,有死亡之憂。蓋酉為敗金,卯為死木,死敗相乘豈能越申酉年乎?且玄合為不正,占亦丑矣。
王牧夫が言うには、これは夫妻の二人が商量して門戸の生計の打算を為そうとしているのでしょう。その人が問うには、あなたはどうして知ったのか。私が言うには、この課は青竜と天后が交互相加臨し、龍は夫・后は妻なので、夫妻の商量だと知った。卯と酉はまさに相冲し、卯酉は門戸の神なので、商量する所が門戸の計だと知った。その人はまた問うには、将来は如何か。私が言うには、この課を看るに甚だ好くない。門戸が振作し起こらないばかりでなく、なお申年・酉年の上に死亡の憂いがある恐れがある。酉は敗地の金、卯は死地の木で、死気と敗気が交相乗凌するので、どうして申酉の両年を熬り過ごせようか。何况玄武と六合が相値するは、行事が正しくなく、占う事の本身もまた光彩でないことを主る。
己酉日・陳秋桃が出獄を占う(崇正丙子三月、指南)
崇正丙子三月己酉丁卯時,粵東少伯陳秋桃太史,為宗藩建言被逮刑部,占出獄。指南 后陰 貴子丑寅卯玄 蛇常六陰 財 辛亥 蛇 蛇亥 辰常 亥辰酉寅 印 丙午 空 朱戌 巳虎 辰酉寅己 兄 癸丑 后 六酉申未午空 勾龍
崇正丙子年三月己酉日丁卯時、広東の少伯陳秋桃太史は宗室の藩王のために進言したために逮せられ刑部に入り、いつ出獄するかを占問した。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「后、陰」(天后、太陰)。一列は「貴(貴人)子、丑、寅、卯、玄(玄武)」。左側は「蛇(螣蛇)亥」で右側の「辰、常(太常)」に対し、「朱(朱雀)戌」は「巳、虎(白虎)」に対する。下の列は「六(六合)酉、申、未、午、空(天空)」で、末に「勾、龍」(勾陳、青竜)を綴る。四課の下神は右から左へ「辰酉寅己」で、上神は「亥辰酉寅」で、各々「蛇、常、六、陰」を乗せ、すなわち第一課は寅が己に加わり、第二課は酉が寅に加わり、第三課は辰が酉に加わり(日支の酉の上に辰を見る)、第四課は亥が辰に加わる。三伝は亥・午・丑:初伝の亥は妻財爻で、遁干は辛、螣蛇を乗せる。中伝の午は印綬爻で、遁干は丙、天空を乗せる。末伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天后を乗せる。
陳公獻曰:目今不能脫難,交四月甲戌日巳時方出獄。同難諸縉紳皆曰:指日即出,余曰:不然,發用驛馬坐墓(驛馬亥坐辰上也),且赤鳥犯歲君(朱雀戌克太歲子也),如上疏旨意必駁。眾不然其說,三月馮大司寇上疏,旨意駁下,四月上疏,依擬脫離。因四月建沖初傳墓中驛馬,方有出獄之應也。可見脫難之事,馬星十分重要,以其亦逃脫之意也。凡坐墓則不能動也,合亦然;受沖為動機。
陳公献が言うには、目下はまだ難を脱することができず、四月甲戌日巳時に至ってやっと獄を出得る。同案で下獄した幾人かの縉紳はみな言った:日を指してすぐ出られる、と。私が言うには、然らず。発用の駅馬は墓の上に坐し(駅馬の亥は辰の上に坐す)、これに朱雀のこの赤鳥が太歳を冒犯することを加え(朱雀の乗ずる戌が来て太歳の子を克す)、倘もし上疏すれば、旨意は必ず駁回する。衆人は然りと為さなかった。三月の裏に馮大司寇が上疏し、旨意は駁し下された。四月に再上疏して、やっと擬する所に照らして身を脱した。これは四月の月建が初伝の墓中の駅馬を冲開したために、やっと出獄の応験があったのである。脱難の類の事は、馬星が十分に要緊であることが見える。駅馬は本身に逃脱の意を含んでいるからである。およそ墓の上に坐すれば則ち動くことができず、合せ住されるも同様に動くことができない。ただ冲を受けるのみ、これが発動の契機である。
己酉日・病を占う(乾隆乙卯年正月)
乾隆乙卯年正月己酉日子將丑時戌人占病。 勾龍空虎 辰巳午未 虎常龍空 兄 庚戌 陰 合卯 申常 未申巳午 父 丙午 空 朱寅 酉玄 申酉午己 子 戊申 常 丑子亥戌 蛇貴后陰
乾隆乙卯年正月己酉日、月将の子を用いて丑時の上に加えて課を起こし、本命が戌に属する人が来て病を占った。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「辰巳午未」で、その上に「勾、龍、空、虎」(勾陳、青竜、天空、白虎)を乗せる。左側は「合(六合)卯」「朱(朱雀)寅」、右側は「申、常(太常)」「酉、玄(玄武)」、下に排するは「丑子亥戌」で、その下は「蛇、貴、后、陰」(螣蛇、貴人、天后、太陰)。四課の下神は右から左へ「申酉午己」で、上神は「未申巳午」で、各々「虎、常、龍、空」を乗せ、すなわち第一課は午が己に加わり、第二課は巳が午に加わり、第三課は申が酉に加わり(日支の酉の上に申を見る)、第四課は未が申に加わる。三伝は戌・午・申:初伝の戌は兄弟爻で、遁干は庚、太陰を乗せる。中伝の午は父母爻で、遁干は丙、天空を乗せる。末伝の申は子孫爻で、遁干は戊、太常を乗せる。
張江村曰:冬蛇掩目,占病不起。然午加干,雖係死氣,卻作日祿生干;酉加命,雖值四廢,卻作干之長生,因此時少延,至三月辰日卯時必死。以辰上見卯,卯沖酉、破午也。後果然。
張江村が言うには、これは「冬蛇掩目」の課体で、病を占えば一病して起たないことを主る。ただ午が日干の上に加わるは、死気に属するとはいえ、却ってまさに己日の禄神が来て日干を生ずる。酉が本命の上に加わるは、四廃の地に値するとはいえ、却ってまた日干の長生である――だから病勢はなお一時拖延し得る。三月の辰日卯時に至り、この人は必ず死する。辰の上に卯を見、卯はすでに酉を冲し掉し、また午を破し掉したので、あの一点の生機は則ち断たれた。その後果たしてこの通りであった。
大凡占病,色色皆凶。尚有一點生意者,視此一點生意。有力者,可救無力者。視此一點生意盡於何時,以決死期,此課可為隅及。
およそ病を占うに、もし課の中に様様みな凶象なのに、なお一点の生機を留めているならば、則ち専らこの一点の生機を看るべきである:この点の生機が力あるは、人はなお救い帰せられる。力なきは、則ちただこの一点の生機がいつ耗尽するかを看て、これをもって死期を判定する。この課はまさに一を挙げて三を反るの例と為し得る。
己酉日・失婢を占う(三月、方本占案)
三月己酉日酉將未時某占失婢。方本占案 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 后蛇蛇六 兄 癸丑 后 虎巳 子貴 丑亥亥酉 鬼 空卯 玄 常辰卯寅丑后 亥酉酉己 父 乙巳 虎 玄陰
三月己酉日、月将の酉を用いて未時の上に加えて課を起こし、ある人が来て走失した婢女を占った。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「陳、六」(勾陳、六合)。一列は「龍(青竜)未、申、酉、戌、朱(朱雀)」。左側は「空(天空)午」で右側の「亥、蛇(螣蛇)」に対し、「虎(白虎)巳」は「子、貴(貴人)」に対する。下の列は「常(太常)辰、卯、寅、丑、后(天后)」で、末に「玄、陰」(玄武、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥酉酉己」で、上神は「丑亥亥酉」で、各々「后、蛇、蛇、六」を乗せ、すなわち第一課は酉が己に加わり、第二課は亥が酉に加わり、第三課は亥が酉に加わり(日支の酉の上に亥を見る)、第四課は丑が亥に加わる。三伝は丑・卯・巳:初伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天后を乗せる。中伝の卯は官鬼爻で、玄武を乗せ、源文は「空」を標して卯が旬空に落ちることを示す。末伝の巳は父母爻で、遁干は乙、白虎を乗せる。
邵彥和曰:此婢不失,但往來處尋之,六里內必見也。日辰三傳俱在陰位,陰主伏匿,巳作虎臨門戶上,其人入門去便止也。蓋己日為尊,酉辰為婢,今加日上,是婢來就尊,日辰相加,所以不走。酉六故不出六里必見。果往東方六里內尋見,乃失路不能歸也。
邵彦和が言うには、この婢女は失えない。ただ平日に往来する処で探せば、六里の内に必ず見着ることができる。日干・日支と三伝がみな陰位の上に落ち、陰は藏匿を主る。巳が白虎を乗せて門戸の神の上に臨むは、あの人が一たび門に入ればすなわち停まって去らない。己日は主人の尊長を代表し、酉のこの日支は婢女を代表し、今酉が日干の上に加わるは、婢女が自ら帰って来て主人に近づくことである。日と辰が彼此に相加するので、彼女は遠く走れない。酉の数は六なので、六里を出ずに必ず見着ると説いた。その後果たして東辺の六里の内で見つけた。もとは路に迷って帰れなかったのである。
己酉日・行人を占う(己巳年五月、牧夫占験)
己巳年五月己酉日申將午時占行人。牧夫占驗 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 后蛇蛇六 兄 癸丑 后 虎巳 子貴 丑亥亥酉 鬼 空卯 玄 常辰卯寅丑后 亥酉酉己 父 乙巳 虎 玄陰
己巳年五月己酉日、月将の申を用いて午時の上に加えて課を起こし、出門して外に在る人を占問した。この条は『牧夫占験』から出ている。用いた課式は上の一則の失婢を占ったのと同じである。天地盤の一圏:起首は「陳、六」(勾陳、六合)。一列は「龍(青竜)未、申、酉、戌、朱(朱雀)」。左側は「空(天空)午」で右側の「亥、蛇(螣蛇)」に対し、「虎(白虎)巳」は「子、貴(貴人)」に対する。下の列は「常(太常)辰、卯、寅、丑、后(天后)」で、末に「玄、陰」(玄武、太陰)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥酉酉己」で、上神は「丑亥亥酉」で、各々「后、蛇、蛇、六」を乗せる。三伝は丑・卯・巳:初伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、天后を乗せる。中伝の卯は官鬼爻で、玄武を乗せて旬空に落ちる。末伝の巳は父母爻で、遁干は乙、白虎を乗せる。
王牧夫曰:行人已出戶外,到期不遠。丙辰日驗,其人果於丙辰日到。此在外望宅中行人之占,故以支加干為宅就人。酉乘六合,門戶動,課名出戶。馬帶蛇逢沖,俱是來象。動爻丑土,乘後作合,中見官鬼,末見白虎,皆遠到也。故即以馬為應期。馬亥臨支又與末沖,歸著當在馬,馬帶辛,丙與辛合,遁丙在辰,故斷丙辰日也。
王牧夫が言うには、出門した人はすでに身を動かして戸を出ており、家に到る日は遠からず、丙辰日に応ずる。その人はその後果たして丙辰日に到着した。これは身が外地に在って家中の人が帰り来るを望む占法なので、日支を日干の上に加え、宅が人に就くと看為すのである。酉が六合を乗ずるは、門戸が発動するので、課名を「出戸」という。駅馬が螣蛇を帯びまた冲に逢うは、いずれも来る象である。発動の爻は丑土で、天后を乗せてそれと相合し、中伝に官鬼を見、末伝に白虎を見、いずれも遠処より赶え至ることを主る。だから則ち駅馬を取って応験の日期とする。駅馬の亥は日支の上に臨み、また末伝と相冲し、帰結の処は当に駅馬の上に落ちるべきである。亥の中の帯びる天干は辛で、丙と辛は相合し、しかも遁干して丙を得るはまさに辰である――だから丙辰日に断じたのである。
己酉日・姜子昭が向後如何を占う(建炎己酉年九月、方本占案)
建炎己酉年九月己酉日卯將丑時姜子昭庚午生四十歲占向後如何。方本占案 貴后 蛇未申酉戌陰 朱午 亥玄 虎玄玄后 兄 癸丑 虎 六巳 子常 丑亥亥酉 鬼 空卯 龍 陳辰卯寅丑虎 亥酉酉己 父 乙巳 六 龍空
建炎己酉年九月己酉日、月将の卯を用いて丑時の上に加えて課を起こした。姜子昭は庚午年生まれ、四十歳で、今後の休咎を占問した。この条は『方本占案』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)未、申、酉、戌、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)午」で右側の「亥、玄(玄武)」に対し、「六(六合)巳」は「子、常(太常)」に対する。下の列は「陳(勾陳)辰、卯、寅、丑、虎(白虎)」で、末に「龍、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「亥酉酉己」で、上神は「丑亥亥酉」で、各々「虎、玄、玄、后」を乗せ、すなわち第一課は酉が己に加わり、第二課は亥が酉に加わり、第三課は亥が酉に加わり、第四課は丑が亥に加わる。三伝は丑・卯・巳:初伝の丑は兄弟爻で、遁干は癸、白虎を乗せる。中伝の卯は官鬼爻で、青竜を乗せ、源文は「空」を標して旬空に落ちることを示す。末伝の巳は父母爻で、遁干は乙、六合を乗せる。
邵彥和曰:支來加干敗,又作天后,一主不能讀書,二不得妻子力,三宅氣衰敗,走失財物,四墳中滿棺是水,又有泥並白蟻。吾丈又貪色,夫妻一味嬌態,不管家務,今六陰皆備,不即日為泉下人矣。若改干亥山向,決宅水東流,戒酒色,猶可延,否則死無日矣。姜好酒色,後月餘吐紅,遂成反胃,小腸刺痛,大腸結,十月死矣。
邵彦和が言うには、日支が日干の上に加わって敗地に落ち、また天后を乗ずるので、これによって四件事を断じ得る:一は書を読み成さず、二は妻子児女の助力を得られず、三は宅中の気数が衰敗して財物が走失し、四は祖墳の裏に満棺みな水で、さらに淤泥と白蟻を夾む。おまえ老人はまた女色を貪り好み、夫妻は整日ただ纏綿して態を作すことのみ顧みて、家務を理しない。今六陰の象が様様斉く備わり、日ならずして泉下の人を為そうとしている。倘もし住宅を乾亥の山向に改め、宅の前の水を東流に導き、さらに酒色を戒めれば、なお一陣拖延し得る。然らざれば、死期は眼前に在る。姜子昭は素から酒色を好み、一ヶ月余り後に血を吐き始め、続いて反胃の症を成し、小腸が刺痛し大腸が結閉し、十月の裏に則ち死んだ。
大凡六陰,自是不利,自夜傳出日尚可,日傳入夜,其陰愈甚。今干生支酉,酉金生亥水,更行年上未,六陰俱全,本命又見脫盜,且迄邐傳出寅卯,自敗傳死,自死傳絕,行年又加絕上,即是巳祿本身與行年,相繼投絕,安得不喪?日上酉為血,天后厭穢,自內傳出,是吐血也。武亥加血上,亥本宮被丑克,故反胃。丑作虎,故小腸痛,大腸結也。巳作六合,絕處入廟鎖定,兼六陰相繼,所以不通,傳絕而死。
およそ六陰の象はもともと吉利でない:もし夜将から昼将に伝わるならば、なお好いと算する。もし昼将から夜将に伝入すれば、陰気はさらに重い。今日干は日支の酉を生じ、酉金はまた亥水を生じ、これに行年が未の上に落ちることを加え、六陰の神は様様斉全である。本命の上にまた脱気と盗気を見、しかも一路に寅・卯に逓伝し、敗地から死地に伝わり、また死地から絶地に伝わり、行年もまた絶地の上に加わる――これは則ち巳のこの禄神が本身と行年を連れて、接続して絶郷に投じ入るので、どうして命を喪わないことがあろうか。日干の上の酉は血を主り、天后はまた穢濁の気を主り、内裏より伝わり出るは、まさに吐血の象である。玄武の乗ずる亥は血を主る酉の上に加わり、亥の本宮はまた丑に克されるので、反胃を成した。丑は白虎を乗ずるので、小腸が刺痛し大腸が結閉する。巳は六合を乗せ、絶処に於いてまた廟に入り鎖され、これに六陰の接続不断を加えるので、気機は通せず、絶地に伝わって死す。
己酉日・張澹寧が病を占う(己卯年六月、指南)
己卯年六月己酉日未將奪及時雨杭州張澹寧相會占病。指南 六朱 勾申酉戌亥蛇 玄貴辰朱 鬼 乙卯 玄 龍未 子貴 卯子丑戌 父 丙午 空 空午 丑后 子酉戌己 子 己酉 六 虎巳辰卯寅陰 常玄
己卯年六月己酉日、月将の未を用いて課を起こした(源文のここもまた「未将奪及時雨」と作るが、「奪及時雨」の四字は前の一則と同様に占時の字様が伝写して誤り致したもので、確指する由がない)。杭州で張澹寧と相会した時に彼のために病を占った。この条は『六壬指南』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「六、朱」(六合、朱雀)。一列は「勾(勾陳)申、酉、戌、亥、蛇(螣蛇)」。左側は「龍(青竜)未」で右側の「子、貴(貴人)」に対し、「空(天空)午」は「丑、后(天后)」に対する。下の列は「虎(白虎)巳、辰、卯、寅、陰(太陰)」で、末に「常、玄」(太常、玄武)を綴る。四課の下神は右から左へ「子酉戌己」で、上神は「卯子丑戌」で、すなわち第一課は戌が己に加わり、第二課は丑が戌に加わり、第三課は子が酉に加わり(日支の酉の上に子を見る)、第四課は卯が子に加わる。乗ずる天将は源文に「玄貴辰朱」と作るが、その中の第三位の「辰」は天将の名ではなく、当に伝刻の誤りとすべく、謹んで原様に依って保留する。三伝は卯・午・酉:初伝の卯は官鬼爻で、遁干は乙、玄武を乗せる。中伝の午は父母爻で、遁干は丙、天空を乗せる。末伝の酉は子孫爻で、遁干は己、六合を乗せる。
陳公獻曰:當年病無妨,何須再三詳,黑馬自夷來,跨上往酉方,早覓玄空徑,教爾接命長,宅上見胎喜,一陰並兩陽。蓋太歲發用作日破,勾空目今無妨,但嫌醫神發用剋日,主醫人用藥不當,但木火為虎鬼,脾肺受病,未能脫體,須東南錢劉之醫,平肝清心,其病漸愈。曰:何以言?玄門卯乃死,我門酉為生,我乘玄空,長生在傳,宜避初鬼就末生,須向玄空之門求接命延年之術。否則,壬午春必有他慮矣。曰:有胎者何?余曰:支上見胎神。曰:三兒婦俱懷妊矣。余曰:試言何命。曰:丁未、壬子、甲寅,餘以行年推之,丁未生女,餘二皆男。後果然,澹寧壬午春死。
陳公献は先ず一首の断語をもって答えとした:当年のこの場の病はなお妨げず、何ぞ必ずしも再三推詳せん。一匹の黑馬が遠処より来り、それに騎りて西方に往け。早く玄門空門のあの路を尋ね行けば、纔に命を接続することを教う。宅位の上に胎神の喜を見るは、一陰が両陽を帯びる。続いて解説する:太歳が発用して日破を成し、勾陳はまた空に臨むので、目下は妨げない。可嫌いなのは医神が発用して却って来て日干を克することで、医師が薬を用いるに当たらないことを主る。木と火は白虎と官鬼を作し、脾・肺の両経が病を受け、一時に身を脱し得ない。須く東南方の銭・劉の両家の医師を請い、平肝清心の法を用いれば、病はやっと漸々好く見える。ある人が問うには、この言葉はどう講ずるか。答えて曰く:玄門の在る卯は死地で、我門の在る酉は生地である。我はまた玄門空門を乗じ、長生はまさに三伝の中に在るので、宜しく初伝の官鬼を避けて末伝の長生に就くべく、須く玄門空門に向かって命を接ぎ年を延すの術を求むべきである。然らざれば、壬午年の春に至り必ず別に大変がある。又問うには、胎があると説くはまたどこから看出したか。私が言うには、日支の上に胎神が見える。張澹寧が言うには、三人の児媳がみな身孕を懐いている。私が言うには、試しに各人の本命を講じてみよ。答えて曰く:丁未・壬子・甲寅。私は行年に按じて推算した:丁未は女を生み、その余の二人はみな男を生む。その後果たしてこの通りであった。張澹寧は則ち壬午年の春に去世した。
己酉日・姜子安が前程を占う(己酉年九月、方本占案)
己酉年九月己酉日卯將子時姜子安壬申生二十八歲占前程。方本占案 壬申生二十八歲占課當是己亥年,占此己酉年占又當是壬午年生也或是壬申年三十八歲 后陰 貴申酉戌亥玄 蛇未 子常 龍常虎陰 官 空卯 龍 朱午 丑虎 卯子丑戌 父 丙午 朱 六巳辰卯寅空 子酉戌己 子 己酉 后 陳龍
己酉年九月己酉日、月将の卯を用いて子時の上に加えて課を起こした。姜子安は壬申年生まれ、二十八歳で、前程を占問した。この条は『方本占案』から出ている。原書はここに一条の校記を附す:壬申年生まれで二十八歳にして来て課を占うは、あの年は当に己亥年であるべきだ。今すでに己酉年に占ったと説く以上、則ちこの人はあるいは壬午年生まれか、あるいは壬申年生まれで、すでに三十八歳か――すなわち年歳と干支の間に自相矛盾があり、編者は疑いを存して考を待つ。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「后、陰」(天后、太陰)。一列は「貴(貴人)申、酉、戌、亥、玄(玄武)」。左側は「蛇(螣蛇)未」で右側の「子、常(太常)」に対し、「朱(朱雀)午」は「丑、虎(白虎)」に対する。下の列は「六(六合)巳、辰、卯、寅、空(天空)」で、末に「陳、龍」(勾陳、青竜)を綴る。四課の下神は右から左へ「子酉戌己」で、上神は「卯子丑戌」で、各々「龍、常、虎、陰」を乗せ、すなわち第一課は戌が己に加わり、第二課は丑が戌に加わり、第三課は子が酉に加わり、第四課は卯が子に加わる。三伝は卯・午・酉:初伝の卯は官星で、青竜を乗せ、源文は「空」を標して旬空に落ちることを示す。中伝の午は父母爻で、遁干は丙、朱雀を乗せる。末伝の酉は子孫爻で、遁干は己、天后を乗せる。
邵彥和曰:吾丈闇昧,亦不永遠。惟令郎好,與老陰人可享此。今則福謝災生,身宮不明,何望顯達?須管一有福之子,喪則君不祿矣。況初中空亡,惟末撞在日之後,作敗神,主酒色傷身夭壽,三年半期,恐難過也。姜子安好奇異,聞言哂而不信。至壬子年一子果死,其子溫厚。姜氏悲愴,日夜追思,相繼而亡。果三年半也。
邵彦和が言うには、おまえ老人の運途は昏暗で、寿数もまた長久ではない。倒れて令郎が好い。将来一人の年長の女性とともにこの福を享ける。今は福気が凋謝し災禍が滋生し、命宫が明らかでなく、なお何の顕達を指望するか。おまえの手裏は福気ある一人の息子を管しており、この息子が一たびなくなれば、おまえもまた人世に在らない。何况初伝・中伝はともに空亡に落ち、ただ末伝が日干の後位に撞え着き、また敗神を作し、酒色によって身を傷り寿を折ることを主る。三年半のこの期限は、恐らく過ごせない。姜子安は素から奇异を好び立て、聞いてただ笑うのみで、并びに信じなかった。壬子年に至り果たして一人の息子が死に、あの子は性情が温厚で、姜家は悲痛して日夜思念し、父も隨い後に去世し、前後ちょうど三年半であった。
蓋己酉日見支前之太陰,是闇昧也。宅上子作常,己以子為財,財來此敗,太常己未土,亦隨此敗。初上見卯,土死於卯,卯又空亡,是空亡死也。初中即空,只在末酉,又在日後。日干之後也。己日在未,申為前,而午為後,酉加午,故曰在日後也。夫太常到酉上敗,是進敗也。酉在日後,是退敗也。太陰即酉,又來日上敗我,進亦敗,退亦敗,現在亦敗,豈得不死?壬子年子上卯宅自子引入本宮,己土至彼敗且死,人寧不亡歟?
以下は邵彦和が自ら彼が必ず死すると断定した推演を述べたものである。己酉日にこの課を占い得て、「太陰」が日支の前に落ち、太陰はもともと陰晦隠蔽を主るので、主人が「暗昧」だと説く。宅爻の子の上に「太常」を乗せ、己土は子水をもって財とするが、財爻は却って敗地に坐し、太常は五行に於いて己未の土に属し、もまた財に随ってともに落败する。初伝の上に卯を見、土の長生が申、沐浴(すなわち「敗」)が酉、死が卯という次序に按れば、卯はまさに土の死地で、しかも卯はまた空亡に逢うので、「空亡死」と叫ぶ。初伝・中伝はともに空に落ち、残るはただ末伝の酉のみで、しかも酉はまた日干の後に在る――いわゆる「日后」とは、己日の禄が未に在り、申をもって前とし午をもって後とし、本課の酉が午に加わるので、故に日の後に在ると称す。太常が行きて酉の上に至るは「敗」で、これは前に往きても敗である。酉が日后に落ちるは、これは後に退きても敗である。しかも太陰は恰もすなわち酉で、また一たび日の上に来て日干を克敗する。前進するも敗・後退するも敗・当下も敗、三面みな敗なので、どうして死なないことがあろうか。壬子年に至り、子の上の卯宅は子によって引かれて本宫に入り、己土はあそこに到ればすでに敗しかつ死す。人はまたどうして亡びないことがあろうか。――この套の推演は「敗」(沐浴の地)と「死」(十二長生の死位)を畳ね加え、さらに空亡と太陰の暗昧の象を配し、層層に鎖し死めるは、まさに邵彦和の断法の典型である。
庚戌日
庚戌日・伍七二秀才が家宅を占う(建炎己酉年七月、一針見血)
建炎己酉年七月庚戌日巳將丑時伍七二秀才辛未生三十九歲占家宅。一針見血 朱合勾龍 酉戌亥子 后虎玄龍 父 甲辰 玄 蛇申 丑空 午寅辰子 兄 戊申 蛇 貴未 寅虎 寅戌子庚 子 壬子 龍 午巳辰卯 后陰玄常
建炎己酉年七月庚戌日、月将の巳を用いて丑時の上に加えて課を起こした。伍七二秀才は辛未年生まれ、三十九歳で、家宅を占問した。この条は『一針見血』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「酉戌亥子」で、その上に「朱、合、勾、龍」(朱雀、六合、勾陳、青竜)を乗せる。左側は「蛇(螣蛇)申」「貴(貴人)未」、右側は「丑、空(天空)」「寅、虎(白虎)」、下に排するは「午巳辰卯」で、その下は「后、陰、玄、常」(天后、太陰、玄武、太常)。四課の下神は右から左へ「寅戌子庚」で、上神は「午寅辰子」で、各々「后、虎、玄、龍」を乗せ、すなわち第一課は子が庚に加わり、第二課は辰が子に加わり、第三課は寅が戌に加わり(日支の戌の上に寅を見る)、第四課は午が寅に加わる。三伝は辰・申・子で、まさに申子辰の水局である:初伝の辰は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。中伝の申は兄弟爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。末伝の子は子孫爻で、遁干は壬、青竜を乗せる。
邵彥和曰:此課第二課發用,末傳又歸日上,水自墓中發出,中傳同類去受生,而為騰蛇所克,後歸本宮,又被子蝕,得一而失十。龍武蛇,皆水獸,盡取辨於我,宅上又得三傳之驛馬,家勢更進,子孫好勝而敗。宅中馬作虎,家中必喧吵之人,定主分離。壬子年因喜事而破產。甲寅年因爭競而分開。丙辰受制於人,庚申自身傷喪矣。庚日得水局,又傳歸日上,自他更蝕來,最是怕人,兼龍蛇武,愈緊來蝕庚,便無事之人。亦為病者,若占病人,無疑是亡。今占宅,是財退之兆也,子女皆因緣而敗也。
邵彦和が言うには、この課は第二課を取って発用とし、末伝はまた日干の上に帰る。水は墓庫の中より発出し、中伝は日干と同類の申が往きて生を受けるが、螣蛇に克せられる。末伝に至って本宫に帰れば、また子水に耗蝕される――一分を得て、倒れて十分を失う。青竜・玄武・螣蛇はみな水属の獣で、一斉に我に向かって索取する。宅位の上にまた三伝の駅馬を得るは、家勢が看るに更に一層進むようで、実は子孫が勝を好んで終に敗落する。宅中の駅馬はまた白虎を乗せ、家の裏に必ず喧鬧を愛する人あり、一定に分家離散を主る。壬子年に喜事によって破産し、甲寅年に争執によって分家し、丙辰年に人に制せられ、庚申年に自身すなわち傷亡する。庚日は水局を得て、また日干の上に伝帰し、別処より層層に来て我を耗蝕するは、これ最も可怕である。これに青竜・螣蛇・玄武が斉しく来て緊く庚金を咬着することを加えれば、もと无事の人もまた病人を成す。もし病を占うならば、則ち必ず死して疑いなし。今占うは宅なので、則ち財産が退敗する兆で、子女もみな各々の姻縁によって家を敗る。
伍七二秀才自他尊丈及令嗣,好賓客筵宴,凡事好勝家勢盡退。宅中弟兄不齊,又不和睦,值白虎作驛馬在宅也。壬子年,女嫁有官便家,皆出產為之。冬又為兒子納婦,亦出產為之。甲寅諸子喧爭,遂至私給,少汪定錢文千貫,為他追擾,自此困窘,不無數年。庚申年十一月喪矣,果如先生之言也。
伍七二秀才の家の裏は、彼の父から彼の息子に至るまで、みな賓客を招待し筵席を大いに擺すことを好み、凡事争強好勝で、家業はこれによって敗れて乾淨になった。宅中の兄弟の人数は斉しくなく、また彼此に和睦せず、まさに白虎が駅馬を乗せて宅位の上に落ちるに應じた。壬子年、娘は一戸の官職ある人家に嫁し、嫁粧は全く産業を変売して置辦した。あの年の冬にまた息子のために媳婦を娶り、もまた産業を変売して辦した。甲寅年に幾人かの息子が吵鬧して産を争い、鬧げて私分するに至り、また汪家に定銭一千貫を欠き、人に追討騷擾され、これより困窘に陥り、前後幾年の光景に過ぎなかった。庚申年十一月に至り、彼本人は則ち去世し、果たして先生の言葉に応じた。
庚戌日・楊秀才が前程を占う(己酉年二月、宋本邵案・口鑑)
己酉年二月庚戌日亥將辰時楊秀才辛未生三十九歲占前程。宋本邵案 口鑑 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 蛇常六陰 父 庚戌 六 六戌 巳常 子巳戌卯 鬼 乙巳 常 陳酉申未午虎 巳戌卯庚 子 壬子 蛇 龍空
己酉年二月庚戌日、月将の亥を用いて辰時の上に加えて課を起こした。楊秀才は辛未年生まれ、三十九歳で、前程を占問した。この条は宋本『邵案』から出て、また『口鑑』に見える。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:起首は「貴、后」(貴人、天后)。一列は「蛇(螣蛇)子、丑、寅、卯、陰(太陰)」。左側は「朱(朱雀)亥」で右側の「辰、玄(玄武)」に対し、「六(六合)戌」は「巳、常(太常)」に対する。下の列は「陳(勾陳)酉、申、未、午、虎(白虎)」で、末に「龍、空」(青竜、天空)を綴る。四課の下神は右から左へ「巳戌卯庚」で、上神は「子巳戌卯」で、各々「蛇、常、六、陰」を乗せ、すなわち第一課は卯が庚に加わり、第二課は戌が卯に加わり、第三課は巳が戌に加わり(日支の戌の上に巳を見る)、第四課は子が巳に加わる。三伝は戌・巳・子:初伝の戌は父母爻で、遁干は庚、六合を乗せる。中伝の巳は官鬼爻で、遁干は乙、太常を乗せる。末伝の子は子孫爻で、遁干は壬、螣蛇を乗せる。
邵彥和曰:到老奔波,只是士人書會而已。庚上見卯空,已是朽木,不堪琢雕。徒有斫輪虛名,戌為模範,亦落空地,雖是巳之爐火,卻無模範鑄,末傳盜氣,主子孫不讀書,宜改業臨於店業之上,四年後得店屋為宅,家計雖不寬,亦不飢寒,子孫以水磨水碓為生計頗好。蓋斫輪不成,正可作水碓之論,磨舂之範而已。雖不富貴,卻有壽。金長生在巳,巳四,二巳得八,巳上見子得九,八九七十二也。楊讀書淹博,累試不中,後徐侍郎知州,令權教授,人稱楊教授,果是虛名。四十二分得店屋居住,其子作水碓生理,果如先生之言。
邵彦和が言うには、この人は奔波して老いるまで、終にただ読書人が聚会して講学する角色に過ぎない。日干の庚の上に卯を見て卯は空亡に落ち、すでに一段の朽木で、雕琢しても器を成さない。空しく一個の「斫輪老手」の虚名がある。戌はもと器を鋳る模範なのに、も空地に落ちる。巳のこの一炉火があるとはいえ、鋳るべき模子がない。末伝は盗泄の気で、子孫が書を読まず、当に行を改めて店鋪の生意を為すべく、四年の後に一処の店屋を得て住宅と作し、家計は寛裕ではないが、飢餓凍餒に至ることもなく、子孫が水磨水碓に頼って営生すれば倒れても悪くない。すでに斫輪の才は成すことができないので、正好く持って来て水碓として論ずる――ただ米を磨き穀を舂くの模子に過ぎない。このようで富貴ではないが、寿数はある。金の長生は巳にあり、巳の数は四で、二つの巳が合して八を成す。巳の上に子を見、子の数は九――八九を相乗して七十二、則ち彼の寿限である。楊秀才は書を読むこと淵博で、屢試して中らなかった。後に徐侍郎が知州を為し、彼をして暫く教授の職を代わらせ、人は「楊教授」と称したが、果たしてただ虚名に過ぎなかった。四十二歳に店屋を分け得て居住し、彼の息子は水碓の生意を起こし、一々みな先生の言葉に応じた。
庚戌日・王知縣が前程を占う(己酉年八月、一針見血)
己酉年八月庚戌日巳將酉時王知縣丙子生三十四歲占前程。一針見血 空虎常玄 丑寅卯辰 虎后龍玄 子 壬子 龍 龍子 巳陰 寅午子辰 兄 戊申 蛇 勾亥 午后 午戌辰庚 父 甲辰 玄 戌酉申未 合朱蛇貴
己酉年八月庚戌日、月将の巳を用いて酉時の上に加えて課を起こした。王知縣は丙子年生まれ、三十四歳で、前程を占問した。この条は『一針見血』から出ている。課盤を一行に圧して如左。天地盤の一圏:上に排するは「丑寅卯辰」で、その上に「空、虎、常、玄」(天空、白虎、太常、玄武)を乗せる。左側は「龍(青竜)子」「勾(勾陳)亥」、右側は「巳、陰(太陰)」「午、后(天后)」、下に排するは「戌酉申未」で、その下は「合、朱、蛇、貴」(六合、朱雀、螣蛇、貴人)。四課の下神は右から左へ「午戌辰庚」で、上神は「寅午子辰」で、各々「虎、后、龍、玄」を乗せ、すなわち第一課は辰が庚に加わり、第二課は子が辰に加わり、第三課は午が戌に加わり(日支の戌の上に午を見る)、第四課は寅が午に加わる。三伝は子・申・辰:初伝の子は子孫爻で、遁干は壬、青竜を乗せる。中伝の申は兄弟爻で、遁干は戊、螣蛇を乗せる。末伝の辰は父母爻で、遁干は甲、玄武を乗せる。
邵彥和曰:尚是七月節,天馬帶將星入宅,中傳我去被脫,初傳脫神受制,末傳土來生金,此名潤下,其實先脫後生也。天馬入宅,來年會起寅午戌,望見今冬十二月,即赴任也。本是九月動,被婦人病阻,故少遲也。初上任,彼處財賦雖缺,本制治有法,後為失財所苦,甚是不明,即終任必竟為此困也。
邵彦和が言うには、目下はなお七月の節気の内に在る。天馬が将星を帯びて宅位に進入する。中伝は我が往きて人に泄脱され、初伝の泄脱の神はまた制伏を受け、末伝は土が来て金を生ずる――この課の名を「潤下」といい、実際の走勢は先に脱を被り後に生を得る。天馬が宅に入り、明年は寅午戌の三合火局が会して起こるので、看るに今年の冬十二月に則ち赴任する。もと九月に身を動かすべきだったが、家の裏の婦人の病気に耽搁され、だから稍々推遅した。ちょうど上任した時、あの地方の財賦は虧空していたが、彼本人は治理に法度があった。後に却って銭財を丢失したことに苦しめられ、事情は甚だ明白でなく、任満に至るまで、終にこの事のために困せられた。
王知縣待次年庚戌,不見從人來催,八月初五日,忽交待文書至,催赴任,十二月十九日,交割。二十二日立春,本年九月起程,緣尊堂太宜人病極,遂未成行。十一月全安,遂行。初上任,為官缺乏錢,措置亦不費力,只是一年零三月餘,倉庫中失銀七片,庫門封鑽如舊,業勘了無限人。外人傳言曰:是知縣與庫子合盜,遂將官誥勅書,往州府納,州府不受,諸人勘無去著而止。自此不如意,卻喜終任,全璧而歸。此課先脫後生,文到生日。只不合玄武偷庫中物,本喜土來生金,所以不成事也。若子加庚作玄武在末,則歷底費力矣。
王知縣は第二年の庚戌を待つまで、ずっと随従が来て催促するのを見なかった。八月初五日、忽然として交接の文書が送り届けられ、彼を催して赴任せしめた。十二月十九日に交割を辦し、二十二日に則ち立春した。本年九月、彼はもと起程しようとしていたが、母の太宜人が病重したために、成行かなかった。十一月に母が痊愈し、これでやっと身を動かした。ちょうど上任した時、衙門の裏は銭を缺いていたが、彼が措置するに労力を費さなかった。ただ任上で一年零三ヶ月余り、倉庫の裏で七錠の銀子を丢失し、しかも庫門の封条と鑽記はみな原様と同じで、前後に審問した人は計数できなかった。外に伝言して、知縣と庫を看る人が合夥して盗取したと説き、彼は便ち官誥敕書を州府に送って繳還したが、州府は肯んじて収めず、衆人は査して査しても着落なく、事情は已むなく作罷した。これより諸事意の如くならず、幸いに終に任満し、完璧を得て帰ることができた。この課は先に脱し後に生じ、文書がちょうど生日に到来した。ただ玄武が来て庫中の物を偷んだを以て然るべからず――もとは土が来て金を生ずるを喜ぶので、だから事情は終に辦り得て円満ではなかった。倘もし子が庚の上に加わり、玄武が末伝に落ちるならば、則ちさらに頭から尾まで労力する。
庚戌日・憂疑を占う(直指の『三車一覧』を引く)
俞大師在祥符寺,一人於庚戌日酉將戌時占憂疑。(直指引三車一覽)
兪大師が祥符寺に在る時、ある人が庚戌日・月将が酉で正時が戌の時刻に、来て心中の憂疑の事を占問した。「占憂疑」は六壬に常見の課題で、問うは胸中に懸かる一桩の心事が究竟了結し得るかどうか、暗より禍を生ぜざるかである。この類の事を断ずるに最も重ずるは螣蛇・玄武・天空のここ数人の天将で、螣蛇は惊恐虚驚を主り、玄武は暗昧隠情を主り、天空は虚詐不実を主り、憂疑の事の真偽深浅はまさに彼らの身より看るべきである。案末に「直指の『三車一覧』を引く」と標するは、この条は程樹勲が直接『三車一覧』から採ったのではなく、清代の『六壬直指』の中から転引して出したのである――『六壬直指』が先に『三車一覧』を引き、本書はまた『六壬直指』の裏から録出したので、中間に一層を隔てた。
合朱蛇貴|辰巳午未 后陰蛇貴 鬼 丙午 蛇|勾卯 申后 申酉午未 鬼 乙巳 朱|龍寅 酉陰 酉戌未庚 父 甲辰 合|丑子亥戌|空虎常玄
これは展平して文字とした課盤である。前後の両組は十二宫の地支と乗ずる天将である:辰は六合を乗せ、巳は朱雀を乗せ、午は螣蛇を乗せ、未は貴人を乗せ、申は天后を乗せ、酉は太陰を乗せ、戌は玄武を乗せ、亥は太常を乗せ、子は白虎を乗せ、丑は天空を乗せ、寅は青竜を乗せ、卯は勾陳を乗せる。貴人は未に落ち、十二天将は未より起こり逆行して排布する。中間の八个字は四課で、下の一行は下神、上の一行は上神で、右より左に向かって読む:第一課は日干の庚(寄宫は申に在り)の上に未を見、第二課は未の上に午を見、第三課は日支の戌の上に酉を見、第四課は酉の上に申を見る。四課の上神の乗ずる天将は依次に貴人・螣蛇・太陰・天后。右側の竪列は三伝で、上より下へ依次に初伝・中伝・末伝:初伝は午で、旬遁して丙午を得、午火は庚金を克して官鬼と為り、螣蛇を乗せる。中伝は巳で、旬遁して乙巳を得、もまた官鬼で、朱雀を乗せる。末伝は辰で、旬遁して甲辰を得、辰土は庚金を生じて父母と為り、六合を乗せる。四課の中で上下に一処も相克する所なく、ただ日干の外の午火をもって遥かに庚金を克して発用とするしかなく、午・巳の両重の火神が接続して身を克し、また分別に螣蛇の惊恐と朱雀の口舌を驮っており、これが全課の凶象の根柢で、まさに「占憂疑」は当に螣蛇・朱雀を取って惊惧口舌を断ずるの成法に合する。
俞曰:庚日陽刃在酉,酉為金,戌為足,恐刃斧傷足。其人因秀才讀書有名聲,實為積盜,後事敗,太歲刖其足。此課午巳二火克干,又作騰蛇朱雀,疊疊火神,固已凶矣,而日上貴人又遁丁火,安得不凶?但貴人生日,想不必五六月間,為太守誘去,以致露敗,而後刖其足耳。惜三車一覽,餘未之見。而直指所引各書,僅寥寥數語,無從印證,為可惜也。
兪大師が言うには、庚日の陽刃は酉に在り、酉は金に属し、刀斧の器を主る。戌は人身の上で足部に応ずるので、この人が金刃に脚を傷られようとすることを懸念する。この人は秀才の名分を頂いて書を読み、郷里に於いて頗る声望があるが、実際には惯れの偷り手である。後に事情が敗露し、当年の太歳の上に応じて、官府が彼の脚を砍り去った。課象に就いて言えば、午火・巳火の両重の火神がともに来て日干の庚金を克し、また分別に螣蛇と朱雀を乗せ、火神が層層畳畳するは、もともとすでに凶である。しかも日干の上神の未はまた旬遁して丁火を出し、暗中に等しくさらに一重の火を添えるので、どうして凶ならざることがあろうか。ただ未の上に乗ずるは貴人で、未土はまた庚金を生じ得、一分の回護の力があるので、事発は必ずしも五六月の火土が当令する時節に落ちないと推想し、太守に設法して誘い出され、やっと行跡が敗露し、この後にやっと足を砍る刑を受けた。惜しむべきは『三車一覧』のこの部の書、私は終に見る能わず。『六壬直指』の転引する所の各家の占書も、またただ寥寥数語を残すのみで、原書を拿って来て印証する由なく、実に人をして惋惜せしめる。
又一人占出入,酉加卯為行年,曰:陽刃得子,懼有所傷,不出一月,其人果斷其手,蓋酉為刃,卯為手也。
また一人の人が来て出行の進退を占い、課の中で天盤の酉がまさに地盤の卯の上に加わり、しかも卯はまたちょうど彼の当年の行年の値する位であった。兪大師が断じて曰く:陽刃が権を当て勢を得(原文の「得子」の二字は課理に於いて甚だ通ずべからず、姑く照録して改めず)、ただ身上に損傷あるを恐れ、一ヶ月の内に則ち見る。結果一ヶ月を出ずに、この人は果たして手臂を折断した。その中の道理は:酉は庚日の陽刃で、刀刃の傷を主る。卯は人身に於いて手に応じ、酉金が卯木の上に壓するは、まさに利刃が手を斫る象である。
