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辛亥日・金陵の王養吾が占を索む(指南)

清 · 程树勋 · 第40巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

乙丑年十月辛亥日午時,金陵王養吾索占。(指南)

乙丑年十月の辛亥日、午時、南京の人王養吾が前に来て占を求めた。案は『六壬指南』から出る。原文はただ正時を記すのみで月将を載せず、四課より推算すれば、天盤は地盤より順に九位進む。占を求める者は問う所が何事かを説明せず、陳公献が課象の上から先に彼が問うは家中の婦人の病だと看出した。これもまた六壬の「占うはこれにして現るは彼」という一種の験法である。

六朱|勾寅卯辰巳蛇 蛇陰朱后 鬼 乙巳 蛇|龍丑 午貴 巳申辰未 財 甲寅 勾|空子 未后 申亥未辛 子 辛亥 白|虎亥戌酉申陰|常玄

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は勾陳、卯の上は六合、辰の上は朱雀、巳の上は螣蛇、丑の上は青竜、午の上は貴人、子の上は天空、未の上は天后、亥の上は白虎、戌の上は太常、酉の上は玄武、申の上は太陰。貴人は午に落ち、衆将は午より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に未を見、未の上に辰を見、日支の亥の上に申を見、申の上に巳を見る。四課の上神の乗ずるは依次に螣蛇・太陰・朱雀・天后。三伝は上より下へ:初伝の巳は旬遁して乙巳、巳火は辛金を克して官鬼と為り、螣蛇を乗せる。中伝の寅は辛金の妻財で、勾陳を乗せる(三伝の下の遁干は「甲寅」と写作するが、断語は明らかに財爻が空に落ちると説くので、この課は実に寅をもって旬空とする)。末伝の亥は旬遁して辛亥、辛金の生ずる子孫で、白虎を乗せる――「白」は則ち白虎の簡称。四課の中で第四課の「申上見巳」は上神の巳火が下神の申金を克し、上が下を克するに属し、巳を取って発用として元首課を成す。巳火は鬼を為しまた螣蛇を乗せ、螣蛇は惊惧閉結を主るので、故に胸膈の寛からざるを主る。子孫の亥水は鬼を制し得るとはいえ遠く末伝に在るので、ただ一時を保ち得るのみである。

陳公獻曰:公為陰人占病。主胸膈不寬,飲食少進。曰:果婦病,若何?傳得病玄胎,又四課德鬼發用,巳作閉口,食神乘空,依知病在胸膈,不能飲食。且祿臨絕地,何以養生?目今子支制鬼無妨,恐來年初夏太歲生鬼可慮;況夫占妻豈宜財空,主半路斷絃續娶也。辛日亦不宜占病,因辛作亡神故也。

陳公献が言うには、あなたは家の裏の女眷のために病を占っているのです。主として胸口の膈間が舒暢せず、ものを喫し下ることができません。その人が答えて道く:果たして内人が生病しており、究竟どうなりますか。陳公献が言うには、三伝は「病玄胎」の象を現し、四課の中はまたすでに徳を為しまた鬼を為す巳火が発用する。巳は六壬の裏で口を閉じて通ぜざるを主り、しかも食神の子孫はまた旬空の内に落ちるので、これに拠って病は胸膈に在り、飯を喫し下ることができないと知る。何况日干の禄神は絶地に落ち、何をもって命を養わんか。目下は日支の上の子孫が官鬼を制住し得て、暫く妨げはない。ただ明年の初夏に至り、太歳が轉じて來て官鬼を生助するを恐れ、則ち慮るべきである。況んや丈夫が妻子のために占うに、最も忌むべきは財爻が空に落ちることで、中途に妻を喪い日後に別に娶ることを主る。さらに言えば、辛日はもともと病を占うに宜しくない。辛は神煞の上でまさに亡神の位に当たるからである。

辛亥日・趙主簿が赴任及び前程を占う(方本占案)

建炎己酉年九月辛亥日卯將巳時,趙主簿丙子生三十四歲,占赴任及前程。(方本占案)

南宋建炎己酉年九月の辛亥日、月将は卯で正時は巳、趙主簿――丙子年生まれ・時年三十四歳――が赴任し得るか及び一生の前程を占問した。案は『方本占案』から出る。月将の卯は巳時の上に加わり、天盤は地盤より退く二位である。「主簿」は州縣の裏で文書簿籍を掌管する属官である。下文の「岳廟」は宫觀祠禄の職を指し、宋代に於ける閑散官員への挂名の差遣で、俸あって事なしである。

朱蛇|六卯辰巳午貴|陳寅 未后 后玄貴陰 鬼 丙午 貴|龍丑 申陰 未酉午申 父 甲辰 朱|空子亥戌酉玄 酉亥申辛 財 空寅 陳|虎常

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:卯の上は六合、辰の上は朱雀、巳の上は螣蛇、午の上は貴人、寅の上は勾陳、未の上は天后、丑の上は青竜、申の上は太陰、子の上は天空、亥の上は白虎、戌の上は太常、酉の上は玄武。貴人は午に落ち、衆将は午より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に申を見、申の上に午を見、日支の亥の上に酉を見、酉の上に未を見る。四課の上神の乗ずるは依次に太陰・貴人・玄武・天后。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、午火は辛金を克して官鬼と為り、貴人を乗せる。中伝の辰は旬遁して甲辰、辰土は辛金を生じて父母と為り、朱雀を乗せる。末伝の寅は「空寅」を標して旬空に落ちることを示し、辛金の妻財で、勾陳を乗せる。第二課の「申上見午」は上神の午火が下神の申金を克し、上が下を克するに属し、午を取って発用として元首課を成す。初伝の午の上に乗ずるは昼貴で、末伝は却って夜貴の主る地に転じ帰り、一昼一夜の間は、まさに邵彦和が彼を「自ら事を治め、終に反って事を治めず」と断じた着眼の処である。

邵彥和曰:主簿美差不能赴,自是岳廟,兩次二任岳廟,後雖授美差,不得赴而丁憂,服滿更授差遣,下稍喪妻,以妾為主,貪酒中風而死。庚戌年當赴任,因新任運使是姑丈,遂迴避就岳廟,二任既滿,受烏江丞,丁父母憂,服滿授壽昌令,諸賓作賀,醉後不幸中風而死。

邵彦和が言うには、主簿のこの好い差事は赴き成らず、ただ岳廟に挂名し行くのみで、しかも連なって二任とも岳廟の祠禄である。その後好い差事を授けられたとはいえ、も到任に及ばずして父母の喪に遇い守制を要す。服満の後に別に差遣を派せられ、晚年に妻を喪い、妾室に内事を主持せしめ、最後に杯を貪って中風によって死す。その後果たして:庚戌年にもと赴任すべきだったが、新任の転運使がまさに彼の姑丈なので、例に按じて須く回避すべく、便ち岳廟の閑職に就いた。両任が満ちて、烏江縣丞を授けられ、また父母の喪に碰上した。服喪期満して壽昌縣令に改授され、賓客はみな来て道賀し、彼は酔い盡くした後に不幸にも中風して身亡した。

蓋初傳日貴,傳歸夜貴,自治事終反不治事。日上申作太陰,申為神佛,太陰管陰私,寅為廟,艮為山嶽,自日歸夜,自然監廟,又是顧祖,何能赴任?自宅上一帶引去,直至東南而止潭州岳廟,正在東南上也。一味投絕,又自日傳夜,所以如此。

その理を細かく説く:初伝の午の上に乗ずるは白天に当値する昼貴で、末伝に伝わるに至っては却って夜貴の所轄する位に帰入し、昼より夜に入るは、もと事を管する最後に反って事を管しない。日干の上神の申は太陰を乗せ、申は物象の上で神佛を主り、太陰はまた専ら隠私幽暗の事を管する。末伝の寅は物象の上で廟宇で、寅の属する艮方はまた山岳を主る。昼貴より夜貴に転入するは、自然に祠廟を看管する類の閑職に応ずる。何况三伝は外より内に向かって回頭し、「顧祖」の象で、どうしてなお赴任し得られようか。課気は日支の宅上より一路に牽引して出て行き、ずっと東南方に走り至ってやっと停まる――彼が後に監した潭州岳廟は、ちょうど東南の方位の上に在った。三伝は一味に絶地に投じて往き、また昼より夜に転ずるので、結局はこのようなものである。

辛亥日・失鶏を占う(方本占案・張本占案)

十二月辛亥日子時丑將占失雞。(方本占案、張本占案)

十二月の辛亥日、子時・丑将、丢失した鶏を占問した。案は『方本占案』と『張本占案』の両種の伝本に見える。四課に按じて推算すれば、この盤の天盤は地盤より退く一位である。もし字面に照らして「丑将を子時に加う」と作れば則ち天盤は応に順に一位進むべきで、課の上の四課と合わず、底本の時・将の両字はあるいは倒錯があるやもしれない。ここはただ課盤の示す実際の関係に拠って説を立て、妄りに原文を改めない。

六陳|朱辰巳午未龍|蛇卯 申空 虎常空虎 父 庚戌 常|貴寅 酉虎 酉戌申酉 兄 己酉 虎|後丑子亥戌常 戌亥酉辛 兄 戊申 空|陰玄

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:辰の上は朱雀、巳の上は六合、午の上は勾陳、未の上は青竜、卯の上は螣蛇、申の上は天空、寅の上は貴人、酉の上は白虎、丑の上は天后、子の上は太陰、亥の上は玄武、戌の上は太常。貴人は寅に落ち、衆将は寅より起こり順行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に酉を見、酉の上に申を見、日支の亥の上に戌を見、戌の上に酉を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・天空・太常・白虎。三伝は上より下へ:初伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は辛金を生じて父母と為り、太常を乗せる。中伝の酉は旬遁して己酉、辛金と同類で兄弟と為り、白虎を乗せる。末伝の申は旬遁して戊申、もまた兄弟で、天空を乗せる。第三課の「亥上見戌」は上神の戌土が下神の亥水を克し、上が下を克するに属し、戌を取って発用として元首課を成し、三伝の戌・酉・申は位を逐うて後退する。失物の占は類神を重んずる:酉はまさに鶏の類神で、今酉の上に白虎を乗せ、白虎は宰殺を主る。申は白虎の本家で、また酉の上に壓する。末伝の申は天空を乗せ、天空は瓦器空器を主る。この一連はまさに邵彦和が鶏はすでに宰殺され、暫く瓦盆の下に扣せられたと断じた全部の憑拠である。

邵彥和曰:雞尋不見矣。被犬沖入鄰家,一奴便捉去,殺而食之矣。蓋戌為用,奴偷也。鄰近人家者,酉為刃作虎,申亦是虎加酉,酉與戌鄰故也。酉為雞,雖類神入傳,加日主自歸,奈何加戌,陽刃殺上作虎,如何得活。蓋申為白虎之本家,臨於酉上亦為宰割,乘天空,為瓦器,此時覆在瓦盆之下,尚未烹飪耳。

邵彦和が言うには、この鶏は探し帰って来られない。それは狗に撵せられて鄰家に冲り入り、一人の奴僕に手順よく捉え去られ、宰して喫し尽くされた。道理は:初伝の戌が発用し、戌は物象の上で奴僕を主るので、奴僕の偷んだ所と見える。緊鄰の人家に断じたのは、酉が辛日の陽刃で白虎を乗せ、申はまた白虎の本家で酉の上に壓し、しかも酉と戌は正好く相鄰するからである。酉は鶏の類神で、類神は三伝に入ったとはいえ、また日干の上に加わって自ら帰り来るかのようだが、無奈それが戌の上に壓し、陽刃の殺がまた白虎を驮るので、どうしてなお活き成ることがあろうか。さらに申は白虎の本家で、酉の上に臨み到るは宰割の象である。申はまた天空を乗せ、天空は瓦盆瓦器を主るので、此刻鶏はなお瓦盆の底下に扣せられ、まだ鍋に下して烹煮されていない。

辛亥日・射覆(苗公達斷經)

六月辛亥日午將酉時射覆。(苗公達斷經)

六月の辛亥日、月将は午で正時は酉、射覆の占を作した。案は『苗公達斷經』から出る。「射覆」は物を器皿の底下に盖って、占者に課象に凭って蔵する所が何の物かを説き出させる、六壬の験術の一種である。月将の午は酉時の上に加わり、天盤は地盤より順に九位進み、前面の王養吾の一課の天地盤と同じである。

勾合朱蛇|寅卯辰巳 蛇陰朱后 鬼 乙巳 蛇|龍丑 午貴 巳申辰未 財 ◎寅 勾|空子 未后 申亥未辛 子 辛亥 虎|亥戌酉申|虎常玄陰

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は勾陳、卯の上は六合、辰の上は朱雀、巳の上は螣蛇、丑の上は青竜、午の上は貴人、子の上は天空、未の上は天后、亥の上は白虎、戌の上は太常、酉の上は玄武、申の上は太陰。貴人は午に落ち、衆将は午より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の辛の寄宮は戌に在り、戌の上に未を見、未の上に辰を見、日支の亥の上に申を見、申の上に巳を見る。四課の上神の乗ずるは依次に螣蛇・太陰・朱雀・天后。三伝は上より下へ:初伝の巳は旬遁して乙巳、官鬼と為り、螣蛇を乗せる。中伝の寅は「◎」を標して旬空に落ちることを示し、妻財で、勾陳を乗せる。末伝の亥は旬遁して辛亥、子孫と為り、白虎を乗せる。射覆は専ら発用の神を看る:巳の上に螣蛇を乗せ、螣蛇は虫蛇飛走の物を主る。巳はまた六月の月厭と生気に当たり、活物を主る。巳の納音は水に属し水の数は一なので、一隻の小飛虫と断じる。これが下文の師徒問答の争う所の「水数一」である。

苗公達之師斷曰:必有一個小飛蟲活物,須至壬癸日,被小兒將銅鐵物或刀杖物作害而死。蓋發用是癸巳納音屬水,水主一數,又帶死數,故主小物之象。發用見月厭生氣,更有蛇加巳,故主飛蟲活物。公達問曰:陰神是寅,何為水數一?師曰:此法數與諸經不同,勿輕傳於世也。此法更知數目多少,無不驗也。公達曰:弟子堅心二十餘年,未嘗聞此數,求師父教之。師曰:此法授於汝,切宜秘之。只如此,謂射物在發用,是太乙。以五子元遁之。即見納音甚數也,故遁得癸巳,水數一也。甲乙日用干遁,庚午之數八五也。其間更看四時休旺,加減乘除相因,請秘言之。

苗公達の老師が断じて道く:裏面は必ず一隻の小飛虫の類の活物で、壬日か癸日に至るのを待ち、小孩子に銅鉄の器物あるいは刀杖の類のものをもって弄し殺される。原因は発用の神が五子元遁を経て癸巳を得、癸巳の納音は水に属し、水は数理の上で一を主り、また死気の数を帯びるので、小物の象を顕出する。発用はまたちょうど六月の月厭と生気に逢い、これに螣蛇がまさに巳の上に駕することを加えるので、飛ぶ能い活虫と断じた。苗公達が問うには:巳の陰神は寅なのに、どうしてかえって水の一数を取るのか。老師が言うには:この一路の数法は各家の経書とみな異なり、軽々しく外人に伝えるべからず。この法子を用いればなお数目的多寡を推知し得て、応験しないことがない。公達が言うには:弟子は专心して学を求むること二十余年、未だかつてこの套の数法を聴いたことがなく、師父に我に教えるを求めます。老師が言うには:この法はあなたに伝える、千万に保密を要す。要点はただ:射覆の蔵する物は発用を看、発用は便ち太乙の在る所。さらに「五子元遁」を用いてそれを遁せば、則ち納音が何に属するか、数目はいくらかを見出す。この課は遁じて癸巳を得、癸巳の納音は水に属し、水の数は則ち一である。もし甲日乙日ならば、則ち日干を用いて遁を起こし、遁じて庚午を得、庚午の数は八と五である。その間はなお四季の休囚旺相を参看し、加減乘除が彼此に相因する――これらは務めて秘して宣らざるを請う。

余謂壬癸日,被小兒將銅鐵物或刀杖作害死者,為壬癸所克,騰蛇勝光月厭生氣。小兒者,末傳亥加寅。白虎銅鐵刀杖者,為支上見申,又辛日占言也。作害者,巳申相傷。死者,末傳白虎帶死氣。後果應其課也。

程樹勲が言うには:壬日癸日に断じ、小孩に銅鉄器あるいは刀杖をもって弄し殺されるとしたのは、発用の癸巳が火土の位に属して壬癸水に克されるからである。螣蛇が勝光(午)の位を乗じ、また月厭と生気に逢うは、まさに虫豸の類を主る。「小児」と説くは、末伝の亥が寅の上に加わるを取る――寅亥が相合ししかも亥は幼小の神と為すからである。「銅鉄刀杖」と説くは、白虎が金刃を主り、日支の上にまた申金を見、何况この課はもともと辛金の日に占ったからである。「害を作す」と説くは、巳と申が相刑相傷するからである。「死」と説くは、末伝の亥の上に白虎を乗せて死気を帯びるからである。その後果たしてこの課に照らして応験した。

壬子日

壬子日・邵木匠が終身を占う(方本占案・口鑑)

建炎戊申年十月初一壬子日卯將丑時,邵木匠乙丑年六月六日未時生四十四歲,占終身。(方本占案、口鑑)

南宋建炎戊申年十月初一の壬子日、月将は卯で正時は丑、一人の邵と姓する木匠――乙丑年六月初六未時生まれ・時年四十四歳――が一生の運命を占問した。案は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。彼の生辰の裏の「未時」は十二時辰の一つで、すなわち午後一時から三時である。月将の卯は丑時の上に加わり、天盤は地盤より順に二位進む。「終身を占う」は一世の貧富寿夭子嗣を問うことで、六壬の中で最も重んずるは三伝の生克と長生墓絶の落点である。

龍空|陳未申酉戌虎|六午 亥常 蛇后貴陰 鬼 甲辰 蛇|朱巳 子玄 辰寅卯丑 財 丙午 六|蛇辰卯寅丑陰 寅子丑壬 父 戊申 龍|貴後

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:未の上は勾陳、申の上は青竜、酉の上は天空、戌の上は白虎、午の上は六合、亥の上は太常、巳の上は朱雀、子の上は玄武、辰の上は螣蛇、卯の上は貴人、寅の上は天后、丑の上は太陰。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に丑を見、丑の上に卯を見、日支の子の上に寅を見、寅の上に辰を見る。四課の上神の乗ずるは依次に太陰・貴人・天后・螣蛇。三伝は上より下へ:初伝の辰は旬遁して甲辰、辰土は壬水を克して官鬼と為り、螣蛇を乗せる。中伝の午は旬遁して丙午、壬水の妻財で、六合を乗せる。末伝の申は旬遁して戊申、申金は壬水を生じて父母と為り、青竜を乗せる。四課の中でただ第四課の「寅上見辰」が下神の寅木が反って上神の辰土を克し、下が上を賊するに属するので、故に辰を取って発用として重審課を成し、さらに辰より二位を進めて午を得、午より二位を進めて申を得る。辰・午・申は位を隔てて逓進し、六壬は「登三天」と称し、低き処より一歩一歩升りて高き処に上る象である。末伝の申はまた壬水の長生で、中伝の午は財なので、彼に財あり寿ありと断じた。

邵彥和曰:登三天本是至高至危之象,今細微中出入人,卻能顯煥又富貴也。蓋身宅皆居西北極地,迤邐出東南來,將來必做富人。中傳見財,末長生,有財有壽,長生入財位,子先死,孫送終矣。長生能害子孫故也。邵仁占課時,四十四歲正窘,與人工作,後七年與城山寺造殿,從此興旺。六十左右,家典錢,連喪三子。丙寅又喪一子,辛未癸酉又喪二子,是時七十九,充保正。甲午年九十七歲卒,七孫送葬。

邵彦和が言うには:「登三天」のこの格局はもともと登ること極めて高く、則ち極めて危い象なのに、今この人は微賤より出身し、細微の処に於いて進退して生を謀れば、反って能く顕達して發迹し、終に富貴に至る。彼の日干と日支がともに西北の極陰の地に落ち、課気がさらに迤邐して轉じて東南の旺方より来るので、将来必ず富人と為る。中伝に妻財を見、末伝は長生で、すでに財がありまた寿がある。ただ長生が財位に落ち込んだので、息子は先に彼より死し、最後に孫輩が来て終を送る――長生は一頭では自身を旺し、一頭では則ち子孫を妨害するからである。邵仁がこの課を起こした時は四十四歳で、ちょうど困窘の中に在り、人のために工を作っていた。この後第七年に城山寺のために大殿を建造し、これより家道が興旺した。六十歳の前後、家の裏はすでに債を放ち銭を典する能くし、しかも接続して三人の息子が死んだ。丙寅年にまた一子が死に、辛未・癸酉の両年にさらに二子が死んだ。あの時彼は七十九歳で、保正に充任した。甲午年に九十七歳をもって去世し、七人の孫子が送葬した。

蓋壬子皆西北方,至幽至陰之地,轉出東南旺方,宅上有寅,寅為子息空初亡,辰為鬼,又臨寅地,中午為財,末申為長生,故有財有壽。宅上有寅為子息,奈作空亡,初罡為鬼又臨子息之地,故難為子息也。邵公蓋取中午為孫。愚按:李衛公十韻內有云,問子須看脫氣星,財宿逢之曰見孫。邵公以午財為孫,可知矣。午財乘六合相生,故孫吉也。

その理を細かく説く:壬と子はともに西北方に属し、最も幽暗で最も陰冷なる所在で、しかも課気は一路に東南の旺方に轉じる。日支の宅の上に寅を見、寅は子息の神なのに、偏しくも旬空に落ちるので、頭の幾人かの息子は早く亡んだ。初伝の辰は官鬼で、またまさに寅のこの子息の地に臨む。中伝の午は妻財で、末伝の申は長生なので、彼に財あり寿ありと断じた。宅上の寅はもと子息を主るが、無奈旬空に落ち込んだ。初伝の天罡の辰はすでに官鬼であり、また子息の位の上に壓するので、子嗣は艱難である。邵公は大概、中伝の午財を孫輩として看たのであろう。程樹勲按:李衛公『十韻』の裏に一句「問子須看脱氣星、財宿逢之曰見孫」があるので、邵公が午財を拿って孫輩としたは、出処があることが見える。午財の上に六合を乗せ、六合は財と相生するので、孫輩は吉利である。

壬子日・御筆を奉じて京邑の風燭の休祥を占う(一針見血)

丁未年十月初三壬子日子時,奉御筆占向去京邑風燭休祥。(一針見血)

丁未年十月初三の壬子日、子時、皇帝の御筆の旨意を奉じて、今後京城が風災火燭の方面で禍か福かを占問した。案は『一針見血』から出る、宋代の祝泌の奏対の辞である。年号の中の「丁未」は干支紀年で、未は地支、他の解を為さない。「風燭」は風災と火患を指し、「休祥」は則ち吉凶禍福である。原文はただ正時を記すのみで、四課より推算すれば、天盤は地盤より順に三位進む。

龍空虎常|申酉戌亥 合貴朱后 財 丙午 合|勾未 子玄 午卯巳寅 父 己酉 空|合午 丑陰 卯子寅壬 兄 壬子 玄|巳辰卯寅|朱蛇貴後

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:申の上は青竜、酉の上は天空、戌の上は白虎、亥の上は太常、未の上は勾陳、子の上は玄武、午の上は六合、丑の上は太陰、巳の上は朱雀、辰の上は螣蛇、卯の上は貴人、寅の上は天后。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に寅を見、寅の上に巳を見、日支の子の上に卯を見、卯の上に午を見る。四課の上神の乗ずるは依次に天后・朱雀・貴人・六合。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、壬水の妻財で、六合を乗せる。中伝の酉は旬遁して己酉、酉金は壬水を生じて父母と為り、天空を乗せる。末伝の子は旬遁して壬子、壬水と同類で兄弟と為り、玄武を乗せる。四課の上下は全く相克なく、ただ日干の壬水が午火を克し得、「日が神を克す」に属するので、故に午を取って発用とする。午は囚死の火で卯の上に加臨し、卯は物象の上で城門を主る。末伝の子水は玄武を乗せて局を収め、水が来て火を壓するので、祝泌は城中にたとえ小火あっても随い起き随い滅すると断じた。子と卯は相刑するが、また貴人が卯の上に鎮在するので、宫禁の内は反って安寧を主る。

祝泌奏曰:午加卯為用,六合乘之。囚死之火,來加城門而今日之水及傳終於子之水。玄武水人乘其上,縱城內有小小驚恐,隨見撲滅,不至動眾。若宮闈之間,更有天乙貴人,則子卯為刑,自主安寧。只有感冒風寒之疾,在後宮之屬耳。

祝泌が上奏して言うには:この課は午を卯の上に加えて発用とし、六合がその上に乗ります。午は囚死して力なき火で、来て城門を主る卯位に加臨します。しかも今日の日辰はもともと水に属し、三伝は最後にまた子水の上に帰結します。玄武はもともと水に属する天将で、今まさにこの子水の上に乗っているので、城の裏にたとえ些かの小小的火警惊擾あっても、随い起き随い滅し、衆人を惊動するに至りません。宫禁の内に至っては、卯の上にさらに天乙貴人が鎮守し、子と卯は相刑するとはいえ、反って自然安寧を主ります。ただ些かの感冒風寒の小病があり、しかも後宫の嬪御の類の人の身に発生するのみです。

壬子日・御筆を奉じて再び丙子女命の懐孕を占う(一針見血)

淳祐丁未年九月壬子日卯將戌時,奉御筆再占丙子女命懷孕或是或非、或男或女,具奏。(一針見血。先是七月戊戌日占遏,見戊戌日干上戌。)

南宋淳祐丁未年九月の壬子日、月将は卯で正時は戌、再び皇帝の御筆の旨意を奉じて、一人の丙子年生まれの宫人が究竟孕有るかどうか、もし孕有れば男か女かを占問し、併せて折を具えて上奏を要した。案は『一針見血』から出る。原注に説く:これに先だつ七月戊戌日にかつて一たび占ったことがあり、あの一課は戊戌日の日干の上神が戌であるのを見る。月将の卯は戌時の上に加わり、天盤は地盤より順に五位進む。

龍勾合朱|戌亥子丑 龍陰空后 財 乙巳 陰|空酉 寅蛇 戌巳酉辰 鬼 庚戌 龍|虎申 卯貴 巳子辰壬 子 ◎卯 貴|未午巳辰|常玄陰后

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:戌の上は青竜、亥の上は勾陳、子の上は六合、丑の上は朱雀、酉の上は天空、寅の上は螣蛇、申の上は白虎、卯の上は貴人、未の上は太常、午の上は玄武、巳の上は太陰、辰の上は天后。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に辰を見、辰の上に酉を見、日支の子の上に巳を見、巳の上に戌を見る。四課の上神の乗ずるは依次に天后・天空・太陰・青竜。三伝は上より下へ:初伝の巳は旬遁して乙巳、壬水の妻財で、太陰を乗せる。中伝の戌は旬遁して庚戌、戌土は壬水を克して官鬼と為り、青竜を乗せる。末伝の卯は「◎」を標して旬空に落ちることを示し、壬水の生ずる子孫で、貴人を乗せる。第三課の「子上見巳」は下神の子水が反って上神の巳火を克し、下が上を賊するに属し、巳を取って発用として重審課を成す。巳より五位を進めて戌を得、戌より五位を進めて卯を得る。巳は子の中の蔵する戊癸と相合し、戌は巳の中の蔵する辛丙と相合し、卯と戌は本身また六合で、三伝は字字に合を帯びる。これはまさに祝泌がそれを「鑄印乘軒」の吉課と称した由来である。

祝泌奏曰:此課三傳巳戌卯,皆有合,巳加子,巳中有戊,子中有癸,戊與癸合。中傳戌加巳,戌中有辛,巳中有丙,丙與辛合。末傳卯加戌,卯與戌合。臣故曰:三傳皆有合,此課名鑄印乘軒,真吉課也。但三傳陰將神稍多,中傳戌與陰,恰見為諸臣之主照。自是陽胎未可必。

祝泌が上奏して言うには:この課の三伝は巳・戌・卯で、字字みな相合あり。初伝の巳は子の上に加わり、巳の中に戊土を蔵し、子の中に癸水を蔵し、戊と癸は相合します。中伝の戌は巳の上に加わり、戌の中に辛金を蔵し、巳の中に丙火を蔵し、丙と辛は相合します。末伝の卯は戌の上に加わり、卯と戌はもともと六合です。だから臣が三伝はみな合を帯びると説き、この課の名を「鑄印乘軒」といい、実に吉課です。ただ三伝の上に乗ずる陰性の天将は偏多く、中伝の戌はまた太陰と相接し、恰も群臣の拱照する象を現出します。このようで看れば、男胎かどうかは、なお断定する能わざるです。

壬子日・蓋判院が前程を占う(方本占案・口鑑)

己酉年六月壬子日未將子時,蓋判院辛未生三十九歲,占前程。(方本占案、口鑑)

己酉年六月の壬子日、月将は未で正時は子、蓋判院――辛未年生まれ・時年三十九歳――が自分の前程を占問した。案は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。「判院」は宋代の審官院・審刑院などの衙門の中の判事官の省称である。ここの「未将」は六月に用いる未月将を指し、「辛未生」は彼が辛未年に生まれたを指し、二つの「未」はともに地支である。月将の未は子時の上に加わり、天盤は地盤より順に七位進む。

朱蛇|六子丑寅卯貴|陳亥 辰后 蛇常朱玄 財 丙午 玄|龍戌 巳陰 寅未丑午 鬼 癸丑 朱|空酉申未午玄 未子午壬 父 戊申 虎|虎常

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:子の上は六合、丑の上は朱雀、寅の上は螣蛇、卯の上は貴人、亥の上は勾陳、辰の上は天后、戌の上は青竜、巳の上は太陰、酉の上は天空、申の上は白虎、未の上は太常、午の上は玄武。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に午を見、午の上に丑を見、日支の子の上に未を見、未の上に寅を見る。四課の上神の乗ずるは依次に玄武・朱雀・太常・螣蛇。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、壬水の妻財で、玄武を乗せる。中伝の丑は旬遁して癸丑、丑土は壬水を克して官鬼と為り、朱雀を乗せる。末伝の申は旬遁して戊申、申金は壬水を生じて父母と為り、白虎を乗せる。第一課の「亥上見午」は下神の亥水(日干の寄宮)が反って上神の午火を克し、下が上を賊するに属し、午を取って発用として重審課を成す。午より七位を進めて丑を得、丑より七位を進めて申を得る。日干の上神と初伝は同じ午で玄武を乗せて廟に入り、中伝の丑の上の朱雀はまた午と相害し、末伝の申の上の白虎はまた丑墓に入り、一路みな傷損の象である。

邵彥和曰:此課動涉中皆有利害,又名四絕,偃蹇不通,身與初傳玄武入廟,中雀又害,末申作虎入墓,宅未作常六害,又兼四絕體,前程如此,主妻不足妻死,又主親戚入宅亦死。只因損掘艮方父母墳,所以前程不通也。蓋與妻果不和,辛亥妻死卻令姨母來家住,又死。因開墳,果如先生言。壬以申為父母,申墓於丑,是父母墳也。白虎主損壞,以致家敗身不榮也,至癸丑年亡。

邵彦和が言うには:この課は一動一渉の間に処処に利害を夾み、またの名を「四絶」といい、前路は困頓して通せない。日干の上神と初伝は同じ午で玄武を乗せて廟に入り、中伝の丑の上の朱雀はまた午と相害し、末伝の申の上は白虎を乗せて丑墓に落入する。日支のこの一頭は、宅上の未がまた太常を乗せて午と六害を構成し、さらに四絶の課体を加える。前程はすでにこのようであれば、則ち妻子に虧損あって死に至ることを主り、また親戚が家の裏に住み込んでもまた死することを主る。この一切はただ彼が東北艮方の父母の墳塋を損毀挖動したため、だから前程はやっと通じ得ない。その後果たして妻子と和せず、辛亥年に妻子が死に、便ち姨母を請うて家中に同じく住ませたが、姨母もまた死んだ。父母の墳を掘り開いて一看すれば、果たして先生の説く様子と同じであった。壬日は申金をもって父母とし、申の墓庫は丑に在るので、申丑の相連はまさに父母の墳に応ずる。白虎はまた損壊を主り、家道が敗落し自身が顕榮し得ないに致り、癸丑年に至って則ち去世した。

壬子日・未命の人が流年を占う(牧夫占験)

乾隆甲戌年十月壬子日卯將申時,未命人占流年。(牧夫占驗)

乾隆甲戌年十月の壬子日、月将は卯で正時は申、一人の本命が未に属する(未年に生まれた)人が当年の流年の吉凶を占問した。案は『牧夫占験』から出る。「未命」は六壬の術語で、問事人の出生年份の地支が未であるを指し、「まだない」とは毫も相干らない。月将の卯は申時の上に加わり、天盤は地盤より順に七位進み、上の一課の蓋判院の占ったと同一天地盤である。

朱蛇|六子丑寅卯貴|陳亥 辰后 蛇常朱玄 財 丙午 玄|龍戌 巳陰 寅未丑午 鬼 癸丑 朱|空酉申未午玄 未子午壬 父 戊申 虎|虎常

十二宫の天将の分布は:子は六合を乗せ、丑は朱雀を乗せ、寅は螣蛇を乗せ、卯は貴人を乗せ、亥は勾陳を乗せ、辰は天后を乗せ、戌は青竜を乗せ、巳は太陰を乗せ、酉は天空を乗せ、申は白虎を乗せ、未は太常を乗せ、午は玄武を乗せる。四課は右より左へ:壬は亥に寄せ、亥の上に午を見、午の上に丑を見、日支の子の上に未を見、未の上に寅を見る。上神の乗ずるは依次に玄武・朱雀・太常・螣蛇。三伝は初伝の午(妻財、玄武を乗せる)、中伝の丑(官鬼、朱雀を乗せる)、末伝の申(父母、白虎を乗せる)。流年に就いて論ずれば:日干の上神の午と日支の上神の未は正好く相合し、看るに和順のようだが、ただ初伝の午財は前後に夾克され、また暗昧私情を主る玄武を驮り、財爻と官鬼の丑の間にまた穿害を構成する。長生の申金はまた白虎を乗せて傷を受ける。問事人の本命は未に在り、未はまさに日支の上に立って午と相穿し、行年は子に落ち、子はまた日干の上神の午を冲す。命・年・日・支の四処が互いに冲穿する。これが王牧夫が彼の家中は口舌で寧らざると断じた全部の根拠である。

王牧夫曰:此課干支上神,維作合。然大象頗有事故,心甚不寧,恐有私情口舌也。初傳午為財,被夾克,玄武逼迫,論財有失而無得,況財與鬼穿害乎?長生又作虎,本源受傷,年境何能得佳?以支辰論,子沖干上午,午為心,受支沖剋,而本命又立支上穿害。自又午未作合,干為妻,主妻宮口舌不安,牽連父母亦不安也。且子見於行年,而未又是本命,玄武為用,畢竟由己不正,惹起事端,以致如此。後知其私乳婦,為妻撞遇,歸母家,同岳母來作吵。彼時,余謂彼當出門,以避口舌,為吉。後因出門始免。行動免者,以馬在寅能制丑上朱雀也。

王牧夫が言うには:この課は日干の上神と日支の上神がただ彼此に相合するのみだが、課象全体は却って頗る事故多く、人心の裏は甚だ安寧でなく、ただ私情によって口舌を惹き出すことを恐れる。初伝の午は財爻で、前後に夾まれて克制され、また玄武に逼迫されるので、財を論ずれば損失あるのみで進項なし。何况財爻と官鬼の間にまた穿害がある。日干の長生の申金はまた白虎を乗せ、本源が傷を受けるので、この一年の光景はどうして好からんか。日支の上から看れば、子が来て日干の上神の午を冲し、午は人身に於いて心を主り、日支に冲克される。しかも問事人の本命の未はまたまさに日支の上に立って午と相穿する。これに午と未が相合することを加え、日干のこの一頭はもと妻室を代表するので、妻宫に口舌が安からず、さらに父母に牽連しても安寧を得ないことを主る。さらに子はまさに彼の当年の行年で、しかも未はまた彼の本命で、発用の神は偏しくも玄武を乗ずる――玄武は暗昧不正を主り、説き尽くせば自ら行事が正しくなく、やっと事端を惹き出し、鬧してこの様子を成した。後にやっと彼が一人の乳母と私通し、妻子に撞破され、妻子は娘家に帰り、さらに岳母とともに門に上り吵鬧したことを知った。当時我は彼に門を出てこの場の口舌を躲けるを吉と勧め、後に彼は門を出たために免れることを得た。走動に依って避け得る所以は、駅馬が寅に在り、寅木が丑の上の朱雀を制住し得、朱雀はまさに口舌を主るからである。

壬子日・妻の病を占う(説約)

甲寅年七月壬子日午將酉時占妻病。(說約)

甲寅年七月の壬子日、月将は午で正時は酉、妻子の病を占問した。案は『六壬説約』から出る。月将の午は酉時の上に加わり、天盤は地盤より順に九位進む。この条の特別の処は:張江村は先前に自分のために館の事を謀るを占い、あの一の一課の裏より先に妻子に病あるを看出し、七月に至り妻の病が重く轉じてやっと別にこの課を起こして死生を占ったので、下文は兼ねて両課を説く。

蛇貴后陰|寅卯辰巳 玄空陰虎 財 丙午 玄|朱丑 午玄 午酉巳申 子 ◎卯 貴|合子 未常 酉子申壬 兄 壬子 合|亥戌酉申|勾龍空虎

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は螣蛇、卯の上は貴人、辰の上は天后、巳の上は太陰、丑の上は朱雀、午の上は玄武、子の上は六合、未の上は太常、亥の上は勾陳、戌の上は青竜、酉の上は天空、申の上は白虎。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に申を見、申の上に巳を見、日支の子の上に酉を見、酉の上に午を見る。四午を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・天空・玄武。三伝は上より下へ:初伝の午は旬遁して丙午、壬水の妻財で、玄武を乗せる。中伝の卯は「◎」を標して旬空に落ちることを示し、壬水の生ずる子孫で、貴人を乗せる。末伝の子は旬遁して壬子、壬水と同類で兄弟と為り、六合を乗せる。第二課の「申上見巳」と第四課の「酉上見午」はともに上が下を克し、両克が并び見えて日干と同じく陽の午を取って発用とし、比用の課を成す。妻の病を占うに財爻をもって妻とし、午財が発用するはまさに妻の位である。申金は日干の寄宮の上に臨み、申はまた壬水の長生なので、人の挙薦あると断じた。下面の断語は午の上の乗ずるを天后と称するが、本盤の標する玄武と合わず、当に伝本の互いに異なるとすべく、ここは照録して改めない。

張江村曰:占此現彼,往往有之。餘甲寅四月初一丁巳日酉將申時,因占幕館。而知妻有病(見丁巳日干上申)。及於七月間妻患病甚重,為占死生得此課,午為妻,發用乘天后外戰,幸午為太陽,病雖重無妨。又看干為我,申作長生臨干,主有人作薦,巳作貴人臨申六合,餘亦有館矣。

張江村が言うには:この一件の事を占うに却ってあの一件の事を顕出する、この種の情形は常に有る。我は甲寅年四月初一の丁巳日・月将が酉で正時が申の時に、もと一人の幕僚の館職を謀るために課を起こしたが、課の上より妻子に病あるを看出した(丁巳日の日干の上神の申に応ずる)。七月の間に至り妻子の病が甚だ重くなり、彼女のために生死を占い、得たのが則ちこの課である:午は妻財すなわち妻子の位置で、発用の神は天后を乗せて外神と交戦する。所幸午は太陽の居する位なので、病は重いとはいえ大きな礙はない。さらに日干が我自己を代表するを看れば、申は壬水の長生で日干の上に臨むは、人が我のために挙薦することを主る。巳の上に貴人を乗せて申に臨み、また申と相合するので、我の館職もまた着落あると見える。

壬子日・酒を求めるを占う(方本占案)

壬子日申將亥時,或占求酒。(方本占案)

壬子日、月将は申で正時は亥、ある人が酒を討ち得るかどうかを占問した。案は『方本占案』から出る。月将の申は亥時の上に加わり、天盤は地盤より順に九位進み、上の一課の妻の病を占ったのと同一天地盤である。この条は六壬が天空をもって虚詐落空を断ずる典型の例子である:求める所の物はもともと存在せず、課の上に便ち処処に空破の象を現出する。

貴後|蛇寅卯辰巳陰|朱丑 午玄 玄空陰虎 財 戊午 玄|六子 未常 午酉巳申 子 空卯 貴|陳亥戌酉申虎 酉子申壬 兄 壬子 六|龍空

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:寅の上は螣蛇、卯の上は貴人、辰の上は天后、巳の上は太陰、丑の上は朱雀、午の上は玄武、子の上は六合、未の上は太常、亥の上は勾陳、戌の上は青竜、酉の上は天空、申の上は白虎。貴人は卯に落ち、衆将は卯より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上に申を見、申の上に巳を見、日支の子の上に酉を見、酉の上に午を見る。四課の上神の乗ずるは依次に白虎・太陰・天空・玄武。三伝は上より下へ:初伝の午は、壬水の妻財で、玄武を乗せる(三伝の下の遁干は「戊午」と写作するが、壬子日は甲辰旬に属し、午は当に丙を遁ずべきで、ここは伝本の異あり、姑くその旧に仍る)。中伝の卯は「空卯」を標して旬空に落ちることを示し、壬水の生ずる子孫で、貴人を乗せる。末伝の子は旬遁して壬子、壬水と同類で兄弟と為り、六合を乗せる。酒を求めるを断ずる關鍵は全て第三課に在る:日支の子は酒器の在る所で、その上に加わる酉はまさに酒の類神なのに、しかも酉の上に乗ずるは天空である。天空は虚詐不実を主り、酒の類神はすでに虚詐の将の上に落ち、中伝はまた旬空に墜入するので、根本に酒は求むべからずと断じた。

邵彥和曰:酉加子作天空,支為酒,其酒必敗,器必破,必無酒也。酉為酒加子,酉破子,乃破器也。子水敗於酉,酉金死於子,乘空為虛詐,又傳入空亡,是以無酒。

邵彦和が言うには:酉は子の上に加わって天空を乗せ、日支のこの一頭はもと酒を主るので、この酒は必ずすでに敗壊し、酒を盛る器皿もまた必ず破損し、実際に根本に酒がないと見える。酉は酒の類神で、今子の上に加臨し、しかも酉と子はまさに相破するので、破器の象である。さらに子水の沐浴敗地はまさに酉に在り、酉金の死地はまたまさに子に在り、両下が互いに敗死する。酉の上に乗ずる天空はまた専ら虚詐不実を主り、三伝はなお旬空の裏に墜ち込む――種種が湊り合わさるので、酒なしと断定した。

壬子日・王徳卿が宅を占う(方本占案・口鑑)

戊申年十月壬子日卯將卯時,王德卿辛酉生四十八歲,占宅。(方本占案、口鑑)

戊申年十月の壬子日、月将は卯で正時も卯、王徳卿――辛酉年生まれ・時年四十八歳――が家宅を占問した。案は『方本占案』と『六壬口鑑』に見える。月将と正時がともに卯で、天盤地盤が完全に重合するは、伏吟課である。伏吟は事情が原地に停まって動かないを主り、宅を占えば則ち宅が遷移せず旧況が相沿することを主る。

後陰|貴巳午未申玄|蛇辰 酉常 龍龍空空 兄 辛亥 空|朱卯 戌虎 子子亥亥 兄 壬子 龍|六寅丑子亥空 子子亥壬 子 空卯 朱|陳龍

課盤の十二宫の地支と乗ずる天将:巳の上は貴人、午の上は天后、未の上は太陰、申の上は玄武、辰の上は螣蛇、酉の上は太常、卯の上は朱雀、戌の上は白虎、寅の上は六合、丑の上は勾陳、子の上は青竜、亥の上は天空。貴人は巳に落ち、衆将は巳より起こり逆行する。四課は右より左に向かって読む:日干の壬の寄宮は亥に在り、亥の上はなお亥、亥の上はまた亥、日支の子の上は子、子の上はなおも子――上下が同位で、まさに伏吟である。四課の上神の乗ずるは依次に天空・天空・青竜・青竜。三伝は上より下へ:初伝の亥は旬遁して辛亥、壬水と同類で兄弟と為り、天空を乗せる。中伝の子は旬遁して壬子、もまた兄弟で、青竜を乗せる。末伝の卯は「空卯」を標して旬空に落ちることを示し、壬水の生ずる子孫で、朱雀を乗せる。伏吟には克なく、陽日は日干の上神を取って発用とするので、故に初伝は亥。亥は自刑を為すので、改めて日支の上神の子を取って中伝とし、子は卯を刑して、末伝の卯を得る。十月の亥子水はまさに旺に当たり、日支の上は帝旺の気なので、財物が興隆すると断ずる。末伝の卯は朱雀を乗せて日支を刑し、朱雀は口舌文書を主るので、門戸が寧からず差役が聒擾すると断じた。

邵彥和曰:此課財祿極穩,但自有膀胱氣及陰腫水氣之擾。宅上帝旺,財物興隆。今年進子又添孫,中傳及支子也。子邊作亥,乃孫字也。末傳卯乘朱雀,主門戶不寧,戶役事擾。堂上不合安符,主家中無一時安靜(蓋卯雀脫壬子而刑子支,故其斷如此,若不刑支,不可如是斷也),家資得地,池塘之利,必然大發。尚有二十六年壽,主水腫而亡。王乃士人,善治家,只是受膀胱病累,本年三月生子,十二月又添孫,常為戶役聒吵。堂上掛一天師,自此夢寐不安,怪異影響,遂去之,果無事。其家池塘最盛,一年有數萬魚利,越十六年果死。

邵彦和が言うには:この課は財と禄がともに極めて穏当で、ただ自身は膀胱の疾と下部の浮腫・水気の類の病擾を受ける。日支の宅上はまさに帝旺の地に当たり、財物は必ず興隆する。今年はすでに息子を添えまた孫を添える――中伝の子と日支の子はともに子息を主り、子の傍らにまた亥が連なり、合わせてまさに「孫」の意である。末伝の卯は朱雀を乗せ、門戸が安寧を得ず、差役賦税の事が来て攪擾することを主る。廳堂の上に符籙を懸挂すべきでなく、一たび挂ければ則ち家の裏に一刻の安静なきを主る(これは卯の上の朱雀がすでに壬子の気を泄し、また日支の子を刑するため、かく断ずるのであって、仮使日支を刑せざれば、かく断ずる能わざる)。家産の在る所は地を得て、池塘の出息は必ず大いに發する。彼はなお二十六年の寿数があり、最後に水腫によって死す。王徳卿は読書人で、甚だ家を治めるに能くし、ただ常に膀胱の病に拖累される。この一年の三月に息子を生み、十二月にまた孫を添え、平常は常に戸役の事に攪擾された。彼の廳堂の上にかつて一幅の天師像を挂け、挂けてより以來夜に睡って安穩せず、怪異の事に時々響動あり、後に像を撤したるに、果たして事なし。彼の家の池塘の出息は最も好く、一年に幾万銭の魚利あり。十六年を過ぎて、果たして去世した。

蓋壬子日十月亥子水旺,又壬祿居亥,而旺於子,亥四數,課中四個亥,四四一十六年也。此非先生意,乃及門諸子增入之辭也。何則?課傳止二亥,亥為旺氣,當倍進,即曰伏吟,斷少則二亥八年,又不可云十六年矣。且亥乃日祿,何反之決死?是此說之謬可知矣。按邵公之意,或用越十六年而行年在辰,辰為壬日之墓,流年太歲在亥,太歲乘空臨身,所謂當頭立也。太歲即臨身而行年又入墓地,故主十六年而亡耳。邵公之意,毋乃在此乎?

ある人がこのように解釈する:壬子日は十月に在り、亥水子水がまさに旺に当たる。壬の禄は亥に在り、また子に於いて旺する。亥は六壬の中で数が四で、課の裏に四つの亥あり、四に四を乘ずれば則ち十六年。程樹勲按:これは邵先生本人の意ではなく、彼の門下の弟子が後に添え入れた言である。なぜか。課と伝の裏には実は二つの亥しかない。亥はすでに旺気であれば、理に照らして倍に推進すべく、何况これは伏吟課で、断じて少なくとも二つの亥が合して八年を成すのみで、どうしても十六年に到ると説き得ない。さらに亥はもと壬日の禄神なのに、どうしてかえってそれを拿って死期を決断するか。この説法の謬誤は明らかに擺れていると見える。私の推想する邵公の本意に依れば、あるいは十六年後に彼の行年がまさに辰に走り到るを取るのであろう。辰は壬日の墓庫で、しかもあの一年の太歳は亥に在り、太歳は旬空を乗せて本命の身に臨到するは、すなわち術家のいわゆる「当頭立」である。太歳がすでに身に臨み、行年はまた墓地に落ち込むので、やっと十六年にして亡すると断じた。邵公の意は、恐らくこの處に在るのであろう。

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