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庚寅日・少宗伯の馬康荘が入相し得るかを占う

清 · 程树勋 · 第24巻 / 50

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

崇正戊辰十二月庚寅日庚辰時,徽州汪仙民、邵無奇在京,占少宗伯馬康莊能入相否,涉害、顧祖,午未空、寅卯落空。(指南)

崇禎戊辰年(原書は「崇正」と作す)十二月庚寅日庚辰時、徽州人の汪仙民・邵无奇がちょうど京城におり、礼部侍郎の馬康荘が閣に入り相を拝し得るかを占った。課体は「渉害」で「顧祖」を帯びる:四課の中に両重の上克下があり、渉害の深い午を取って初伝とす。これは渉害である。末伝の寅木は回頭して初伝の午火を生ずる。これは顧祖である。午・未の二支はまさに甲申旬の旬空に当たる。(原注にまた「寅卯落空」と云うが、附する課盤と対せないので、姑くその旧を存す。)本例は『六壬指南』に出る。

六勾 朱卯辰巳午青 玄后六龍 鬼甲午龍 蛇寅 未空 戌子辰午 印壬辰六 貴丑 申虎 子寅午庚 財庚寅蛇 后子亥戌酉常 陰玄

この盤は天盤が地盤より二位退く。辰時は昼に属し、庚日の昼貴である丑を用い、貴人は地盤の卯位に臨んで順行する。故に天盤各支の乗ずる天将は:丑は貴人、寅は螣蛇、卯は朱雀、辰は六合、巳は勾陳、午は青竜(盤中は「青」と書く)、未は天空、申は白虎、酉は太常、戌は玄武、亥は太陰、子は天后を乗せる。四課は右から左へ:第一課、日干の庚は寄宮が申、申上に午を得、午は青竜を乗せる。第二課、午上に辰を得、辰は六合を乗せる。第三課、日支の寅上に子を得、子は天后を乗せる。第四課、子上に戌を得、戌は玄武を乗せる。三伝は初伝の午で、青竜を乗せ、午火は庚金を克するので官鬼である(底本は遁干を「甲午」と作すが、しかし午は甲申旬の中でまさに旬空に当たり、本条の標題もまた明らかに「午未空」と言うので、当に空亡を以て論ずべき)。中伝は辰で、遁干は壬辰、六合を乗せ、辰土は庚金を生ずるので印綬である。末伝は寅で、遁干は庚寅、螣蛇を乗せ、妻財である。午・辰・寅が位を逐って後退し各々一支を隔てるは、退間伝である。

斷:不但不能入相,且不日歸鄉。凡在朝為官占得顧祖,多不滿仕。又初中空亡,龍化為蛇,只宜猛省退步,且龍神克下,倘欲強進,定遭不足。後果枚卜不就,次年察處歸里。未久棄人間事從赤松子遊矣。

断語に言う:入閣できないばかりでなく、また幾日もせずに郷に帰らなければならない。およそ朝に官を為す人が「顧祖」の課を占い得れば、多くは任期を満たさない。加えるに初伝は空に落ち、中伝もまた空地にあり、初伝の青竜は末伝に到って螣蛇に変ずる。竜が蛇に化するは気勢が下に墜ちる象で、ただ猛然と醒悟し、及び早く退步すべきである。まして青竜の神はかえって往きて下を克するので、もし一意に上進を強求すれば、必ず挫折を遭わん。後に果たして廷推して入閣せず、第二年に考察処分されて郷に帰った。ほどなくして人間世事を抛て、張良に学んで赤松子に従いに往った。

庚寅日・虞本忠が会試を占う

丁丑年二月庚寅日亥將丑時為金壇虞本忠孝廉占會試。(郭氏占案)

丁丑年二月庚寅日、亥月将を丑時の上に加えて課を起し、金壇の挙人虞本忠のために会試を占った。本例は『郭氏占案』に出る。亥将の丑に加わるは、天盤が同じく地盤より二位退くので、前の課と同盤である。前の課は入閣拝相を問い、こんどの課は会試の中るか否かを問う。

六勾 朱卯辰巳午青 玄后六龍 鬼甲午龍 蛇寅 未空 戌子辰午 印壬辰六 貴丑 申虎 子寅午庚 財庚寅蛇 后子亥戌酉常 陰玄

課盤は前の例と同じ:天盤は丑に貴人、寅に螣蛇、卯に朱雀、辰に六合、巳に勾陳、午に青竜、未に天空、申に白虎、酉に太常、戌に玄武、亥に太陰、子に天后を乗せる。四課は右から左へ午が庚に加わり(庚は申に寄す)、辰が午に加わり、子が寅に加わり、戌が子に加わる。天将は順に青竜・六合・天后・玄武。三伝は初伝の午は青竜を乗せて官鬼でしかも旬空に落ち、中伝の辰は六合を乗せて印綬、末伝の寅は螣蛇を乗せて妻財。日干上の午は庚金の敗絶の地で、日支上の子は寅木の沐浴の郷で、干支ともに敗気を乗せる。これがすなわち下文で彼が中らないと断ずる根拠である。

郭御青曰:干支俱乘敗氣,課傳無馬、無簾幕。初中空陷,不中之象。其親荊君庭實問余數次,餘皆不放,後果不中。

郭御青が言う:日干と日支はともに敗絶の気を乗せ、課と伝の中には駅馬もなく、また帘幕貴人もない。初伝は空に落ち、中伝もまた空地に陥る——これは中らない象である。彼の親戚の荊君庭實が彼のために幾度も私に問うたが、私は一度も口を緩めなかった。後に果たして中らなかった。

吳稼云曰:日干支俱乘敗氣,即文職而敗之象,安能中?

呉稼云が言う:日干と日支がともに敗気を乗せる。これはまさに文職の運がまさに衰敗する象で、どうして中り得よう。

庚寅日子時に王猷のために会試を占う(郭氏占案)

同日子時為王君諱猷占會試,辰命。(郭氏占案)

この課は前の例と同じく丁丑年二月の庚寅日で、ただ子時に改めて課を起し、王猷先生のために会試が中式し得るかを占い、「辰」を取って彼の本命とした。会試は各省の挙人が京師に斉集し、礼部の主持する春闈の大比で、中式して後に初めて殿試に進み得るので、この占は功名の占に属する。「辰命」は彼の本命が辰にあると言うので、課を断ずる時は天盤上のどの支神・どの天将が地盤の辰位の上に加わるかを看て、これに憑って功名の成敗を定める。本条は『郭氏占案』より採る。

合勾龍空 辰巳午未 后貴龍空 子 戊子 后 朱卯 申虎 子丑午未 子 丁亥 陰 蛇寅 酉常 丑寅未庚 父 丙戌 玄 丑子亥戌 貴后陰玄

これは排定した課盤で、原書は天地盤・四課・三伝を数行に挤し込めているので、ここでは順に読み出す。冒頭の「合勾竜空」は「辰巳午未」に配し、天将を連ねて排して支に配する:六合が辰を乗せ、勾陳が巳を乗せ、青竜が午を乗せ、天空が未を乗せる——ここでの「未」は十二地支の未で、盤上の方位を指し、別解しない。左辺の「朱卯」「蛇寅」は朱雀が卯を乗せ、螣蛇が寅を乗せる。右辺の「申虎」「酉常」は白虎が申を乗せ、太常が酉を乗せる。下排の「丑子亥戌」は「貴后陰玄」に配し、貴人が丑を乗せ、天后が子を乗せ、太陰が亥を乗せ、玄武が戌を乗せる。貴人が丑の上に落ちて十二将が順行するは、昼貴を用いる。中間の一塊は四課で、右から左へ看る:日干の庚は寄宮が申にあり、申上に未を得るは第一課。未上に午を得るは第二課。日支の寅上に丑を得るは第三課。丑上に子を得るは第四課。故に「丑寅未庚」と書して「子丑午未」に配し、上排の「后貴竜空」はすなわちこの四つの上神の乗ずる将である。最も右の一列は三伝:初伝の戊子は子孫爻で、天后を乗せる。中伝の丁亥は子孫爻で、太陰を乗せる。末伝の丙戌は父母爻で、玄武を乗せる。庚寅日は甲申旬に属し、午・未の二支は空亡するので、日干上の未は旬空の神である。

郭御青曰:此課余初斷,簾幕覆日,旬空,馬少。是日同袍數十人,眾中雖皆面談,實未深許。王君中後,細詳課情:渡天門臨行年,玄武入廟不能為惡,月建作朱雀臨本命,太歲作生氣貴人臨宅,簾幕雖空,得支上太歲沖之,不空。天空如不見貴人,當作空論,今與支上太歲貴人對面則為奏書之神,其高中,宜也。遭一蹶,長一智,乃知妙理無窮也。

郭御青が言う:この課で私が初めに断じた時、ただ帘幕貴人の未位が日干の頭に圧してまた旬空に落ち、駅馬も少ないを見たのみで、だから看好しなかった。あの日同じく来て占いを求めた同輩は数十人あり、衆人の面前で私もまた一々談じたが、実は心の中では真に彼が中ると請け合わなかった。王君が中式した後、私はさらに課情を細かく看て、やっと別の道理を看出した:乗ずる神が天門の亥位を渡って、まさに彼の行年の上に加わる。玄武が亥に臨むは入廟で、廟に入る将は悪を為せない。二月の月建の卯は朱雀を作し、彼の本命の辰上に加臨する。朱雀は文書の神で、まさに考巻文章を主る。丁丑年の太歳の丑は生気を作し、また貴人を乗せ、日支の寅位に加臨する——日支は宅で、これがすなわち太歳貴人が宅に臨むのであり、貴人はまた主考の象である。帘幕は旬空に落ちたけれども、日支上の太歳の丑が未を冲するを得て、空を冲せばすなわち空として論じない。天空の一将は、もし貴人と相対しなければ、本当は空虚として断ずべきところ、今は日干上に天空を乗せた未と日支上に貴人を乗せた太歳の丑とが両々相対するので、転じて「奏書」の神と為り、文書を上呈し栄身顕達することを主る。このように看れば、彼が高中したのはもとより応当である。一転びして一智を長ず。初めて六壬の妙理が無窮無尽なるを知った。

愚按:此斷皆牽強。予以載之者,嘉郭君之直也。此課惟有朱雀旺而臨命,中傳生之,末傳合之,可望其中。然不能中處甚多,似未可以一端而許之也。殆郭君逢人便占是日占多而神不告與?抑另有妙義非淺學者所能窺測也?

程樹勲が按ずる:郭氏が事後に補い出したこの一串の解説はみな牽強の嫌いがある。私がなおそれを収め入れるのは、郭君が自分の看違えたを照実に言い出すことを肯んじたあの直爽を嘉むからである。この一課に就いて論ずれば、取るべきはただ朱雀の乗ずる卯木が二月に令を得て旺しく、また本命の辰上に加臨し、中伝の亥水が卯木を生じ、末伝の戌と卯とが相合するのこの一点で、なお彼が中式することを指望し得る。しかし課裏の中らざる所は実にあまりに多く、一端のみに憑って人に高中を許すべきでないらしい。あるいは郭君が人を見ればすなわち占い、あの日は占い得ることが多すぎて、神明が明らかに告げるを肯んじなかったのであろうか。それともまた精微の義理があって、学問の浅い人の窺測し得るところでないのであろうか。

庚寅日子将の丑時に胎産を占う(牧夫占験)

乾隆戊辰年丑建庚寅日子將丑時占胎產,母丁夫人二十二歲。(牧夫占驗)

乾隆戊辰年十二月(月建は丑にある)の庚寅日、子将を用いて丑時に加えて課を起し、胎産の吉凶を占った。産婦の丁夫人は二十二歳。十二月の用いる月将は神后の子で、これを占時の丑の上に加えれば、天地の二盤はこれに由って排定される。本条は『牧夫占験』より採り、王牧夫の占う所である。

合朱蛇貴 辰巳午未 虎空蛇貴 子 戊子 虎 勾卯 申后 子丑午未 子 丁亥 常 龍寅 酉陰 丑寅未庚 父 丙戌 玄 丑子亥戌 空虎常玄

この課は前の例と同日に起し、四課・三伝の支神は全く同じで、ただ乗ずる天将が一輪換わった。天盤の上排は「辰巳午未」に「合朱蛇貴」を配し、六合が辰を乗せ、朱雀が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、貴人が未を乗せる。左辺は勾陳が卯を乗せ、青竜が寅を乗せる。右辺は天后が申を乗せ、太陰が酉を乗せる。下排は「丑子亥戌」に「空虎常玄」を配し、天空が丑を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が亥を乗せ、玄武が戌を乗せる。貴人が未の上に落ちて十二将が逆行するは、夜貴を用いる。四課はなお旧のまま日干の庚は寄宮が申で申上に未を得、未上に午を得、日支の寅上に丑を得、丑上に子を得る:第一課の庚上の未は貴人を乗せ、第二課の未上の午は螣蛇を乗せ、第三課の寅上の丑は天空を乗せ、第四課の丑上の子は白虎を乗せる。三伝は初伝の戊子は子孫爻で白虎を乗せ、中伝の丁亥は子孫爻で太常を乗せ、末伝の丙戌は父母爻で玄武を乗せる。

王牧夫曰:占胎產,主易生。母無恙,子難保也。凡占孕,與產不同。孕忌蛇虎,產喜蛇虎,以其為血神也。干位為子,支位為母,定體也。今干支俱乘墓,互相制,是懷此孕,即當有病。母子俱不安寧。產易生者,蛇虎在干支之陰,為其輔也。母無恙者,支寅木春占得旺氣也。子難保者,傳歸夜時而得遁出丙丁,皆克干之鬼也。生女者何?干支上神相比,皆陰,而正時又下克土上也。

王牧夫が言う:この課は胎産を占うに、生産が順利で、母は恙なく、子どもは保ち難いと主る。およそ懐孕を占うと分娩を占うとは同じでない:懐孕は螣蛇・白虎を見るを忌み、臨盆はかえって螣蛇・白虎を見るを喜ぶ。この両位はともに「血神」で血光を主り、産期にまさに分娩の象に合するからである。産を占うは日干の位を以て子どもとし、日支の位を以て母親とするは、固定した体例である。今、日干上は未を乗せ、日支上は丑を乗せ、両処とも墓神である——未は日支寅木の墓、丑は日干庚金の墓——彼此交互に制伏するので、この一胎を懐く時にすなわち病むべく、母子ともに安寧を得ないことが見える。生産が容易いと言うのは、螣蛇・白虎がそれぞれ日干・日支の陰神の上に落ちるからで、すなわち第二課の午は螣蛇を乗せ、第四課の子は白虎を乗せ、まさに傍らで輔助している。母が恙なしと言うのは、日支の寅は春木に属し、占時が旺気を得ているからである。子が保ち難いと言うのは、三伝が夜時の神に帰し、遁干で丙・丁を得て、丙丁火はいずれも日干の庚金を克する鬼だからである。何を以て生れるは女と断ずるか。日干上の未と日支上の丑とは同じく土に属して彼此相比し、両者はまたともに陰に属し、加えるに占時はまさに丑に当たり、地盤の丑土はかえってその上の天盤の子水を克する、下克上の象だからである。

推而言之,戌為蛇足,加於亥,亥為天頭,足上頭下,亦易產也。傳退,亦易生也。三奇,亦無恙也。干空,子不利也,母位之丑乃庚日之墓,又帶丁克干,子亦不利。干上之未,雖墓母位之支,然帶癸水生神,母亦無恙也。子午道路也,蛇虎血神也,故產一女而後不育也。後果一一俱驗。

さらに推し広げて言う:戌は螣蛇の足で、今は亥の上に加わり、亥は天門で頭である。足が上にして頭が下は、まさに胎位が頭下・足上の順産の象に合するので、だから易く生まれることをも主る。三伝の子・亥・戌は位を逐って後退するは、退茹の伝で、同じく生産が順当なることを主る。三伝はまた「三奇」の吉格に合するので、母子は総じて大害に至らない。ただ日干上の未は旬空に落ち、子どもに不利である。母位の臨む丑はもともと庚日の墓神で、また丁神を帯びて来て日干を克するので、子どもにも不利である。日干上の未は母位の日支寅木の墓神であるけれども、癸水のこの我を生ずる神を帯びるので、母親は依然として恙なし。子と午は道路の象で、螣蛇・白虎は血神なので、一女を生み而して後に養いえなかったと断じた。事後に果たして一一みな応験した。

庚寅日伏吟に官を求めるを占う(一針見血)

江府左府年二十五歲白身要求陰授,又無學術,一日往苗叔芳家卜課得庚寅日伏吟。(一針見血)

江府の左府は、年二十五歳、なお功名なき白身で、科挙の正途を行かない「陰授」の官职を一つ求めようとしたが、偏に自分には学問・才藝がなかった。ある日、彼は苗叔芳の家中に到って課を卜し、起して出たのは庚寅日の伏吟課であった。伏吟は月将と占時とが同位で、天盤が地盤の本位に圧して動かず、静守・遅滞・内事を主る。本条は『一針見血』より採る。

朱蛇貴后 巳午未申 龍龍后后 兄 甲申 后 合辰 酉陰 寅寅申申 財 庚寅 龍 勾卯 戌玄 寅寅申庚 鬼 癸巳 朱 寅丑子亥 龍空虎常

天盤の上排は「巳午未申」に「朱蛇貴后」を配し、朱雀が巳を乗せ、螣蛇が午を乗せ、貴人が未を乗せ、天后が申を乗せる。左辺は六合が辰を乗せ、勾陳が卯を乗せる。右辺は太陰が酉を乗せ、玄武が戌を乗せる。下排は「寅丑子亥」に「竜空虎常」を配し、青竜が寅を乗せ、天空が丑を乗せ、白虎が子を乗せ、太常が亥を乗せる。貴人が未を乗せて十二将が逆行するは、夜貴を用いる。四課は右から左へ:日干の庚は寄宮が申にあり、申上になお申を得、申上にまた申。日支の寅上になお寅を得、寅上にまた寅——上下が同位で動かず、まさに伏吟の課である。四課の上神は順に天后・天后・青竜・青竜を乗せる。三伝は初伝の申は兄弟爻で、遁干で甲を得、天后を乗せる。中伝の寅は妻財爻で、青竜を乗せる。末伝の巳は官鬼爻で、遁干で癸を得、朱雀を乗せる。申・寅・巳の三字は互いに刑害する、三刑の伝である。

苗叔芳曰:天后、朱雀、青龍三吉將,末又與初傳合,可以進身。且始終德合,天城、天吏入傳,維持必可成就。天后為用神,須得陰貴人之力,可求刑官,以三傳三刑之故,然不免艱辛耳。後果授泉州司學,乃刑官也,終得陰貴人之力而成。

苗叔芳が言う:この課は三伝がそれぞれ天后・青竜・朱雀の三つの吉将を乗せ、末伝の巳はまた初伝の申と相合する。進身して官を得られる象である。しかも首尾ともに徳神の相合があり、「天城」「天吏」の官職を主る二神はまた三伝に入る。それらの維持するがあれば、この事は必ず弁じ成ることができる。初伝は天后を乗せ、天后はすなわち用神で、天后は陰に属するので、陰貴人すなわち夜貴人の力を借りざるをえない。求むる官は刑名の一路に在るべきで、これは三伝の申・寅・巳が互いに成す三刑に因る。ただ三刑は奔波を主るので、事は一番の艱辛を少なからず。後に彼は果たして泉州司学に授けられ、苗氏の言う「刑官」はまさにこの職を指し、そしてこの事はついに陰貴人の力に靠って弁じ成された。

庚寅日戌将の申時に来意を占う(五要権衡)

丁巳年三月庚寅日戌將申時占來意。(五要權衡)

丁巳年三月の庚寅日、戌将を用いて申時に加えて課を起し、来る人の為す所の事を占った。「来意を占う」は六壬の中の一門の専功で、来客が自分から口を開くを待たず、単に課体に凭って彼が心裏に占う所が何事かを推断する。本条は『五要権衡』より採る。

空虎常玄 未申酉戌 龍合後玄 父 壬辰 合 龍午 亥陰 午辰子戌 鬼 ◎午 龍 勾巳 子后 辰寅戌庚 兄 甲申 虎 辰卯寅丑 合朱蛇貴

天盤の上排は「未申酉戌」に「空虎常玄」を配し、天空が未を乗せ、白虎が申を乗せ、太常が酉を乗せ、玄武が戌を乗せる。左辺は青竜が午を乗せ、勾陳が巳を乗せる。右辺は太陰が亥を乗せ、天后が子を乗せる。下排は「辰卯寅丑」に「合朱蛇貴」を配し、六合が辰を乗せ、朱雀が卯を乗せ、螣蛇が寅を乗せ、貴人が丑を乗せる。貴人が丑を乗せて十二将が順行するは、昼貴を用いる。戌将の申時に加わるは、天盤が地盤より二位進む。四課は右から左へ:日干の庚は寄宮が申で申上に戌を得るは第一課。戌上に子を得るは第二課。日支の寅上に辰を得るは第三課。辰上に午を得るは第四課。四つの上神の戌・子・辰・午はそれぞれ玄武・天后・六合・青竜を乗せる。三伝は初伝の辰は父母爻で、遁干で壬を得、六合を乗せる。中伝の午は官鬼爻で、青竜を乗せ、午の字の上に加えた「◎」は旬空の記号——庚寅日は甲申旬に属し、午・未は空亡する。末伝の申は兄弟爻で、遁干で甲を得、白虎を乗せる。

朱氏恆曰:來意失去鈔二百張。據經:行鋒門是內動又是馬,值事是白虎為驚憂。中傳見午作龍為財物,旬空未敢以賊盜言。雖玄武乘戌,是庚日之印,又未敢言賊。初建論之為丙戌為庚之鬼,復建論之,符甲戌是復建生初,初建鬼旺矣,況玄武是盜失。

朱氏恒が言う:来る人の心事は鈔票二百張を失ったこと。経書の講法に按ずるに:行鋒のこの一門は内動に属し、また駅馬に逢う。当値の一門は白虎を乗せ、白虎は驚憂を主るので、家内で物を失い心中驚懼することが見える。中伝に午が青竜を乗ずるを見、青竜は財物を主るけれども、ただ午は旬空に落ちるので、なお敢えて一口に賊盗と断じない。玄武は戌を乗せ、玄武はもともと盗神であるけれども、戌土は庚金を生じ得るので、庚日の印綬である。これによってまたなお敢えてすなわち賊と言わない。もし初建に按って論ずれば、戌の遁は丙を得て、丙火は庚金の鬼である。さらに復建に按って論ずれば、符上の甲は戌と相配し、復建が来て初建を生ずるは、初建の鬼気がすなわち旺する。まして玄武はもともと盗がして物を失うを主る。

若以戌為僕,太陽在戌又是晝日,為白日賊也。戌與酉交合,是同類之人,否則屋主之親。自西南而來,藏於正南,為何居於西北?相去甚近,戌至申相隔一辰耳。亥戌申,純陽,為男,臨孟,為少,自申至戌二辰,不過二人耳。後獲鈔一半。

もし戌を奴僕と看做せば、太陽はまさに戌位に行き到り、占時はまた白天にあるので、白日に室に入る賊である。戌と酉の两位は交々相会合するので、手を下したのは同類の身分の人で、さもなければ房主の親属である。賊は西南方より来り、贓物を正南に蔵めたのに、何がしか人は西北に住むか。彼此の相隔たるが甚だ近く、戌から申まではただ一辰を隔てるのみだからである。亥・戌・申の三字は純ら陽支で、男子を主る。また四孟の位に臨み、年紀が軽いを主る。申から戌までただ二辰なので、人数は二つを過ぎない。後に果たして鈔票の一半を追回した。

巳是得之,終是巳生干。中末空,盜者利。經纏以辰上見者為所失之物。今寅上見辰,乃月建,月建為貴物,以此知鈔是世之中現者。發用助日,我為有氣矣。由是觀之,生中有鬼,財中有克,皆在建於變化也。此凝神子郭璞所以妙出人表也。若取來情當以聚散鬼救論,若斷休咎,只用干為主,三傳生克正時論始終平安,不必用變求奇。古人有云:求奇及不奇也。

一半を追回し得たのは、関鍵は巳のこの一位にある:庚金は巳に長生し、巳はついに日干を生扶し得る。中伝・末伝は空に落ち、かえって盗者に対して利あるので、ただ一半を討い返したのみ。経書の纏度の法に按ずるに、日支上に見える神を以て失った物と為す。今、日支の寅上に辰を見、辰はまさに三月の月建で、月建は貴重の物を主る。これに由って失った鈔は当世に通行する現鈔と知れる。発用の神は来て日干を助けるので、我がこの一方はすなわち気あり。これに由って看れば、相生の中に鬼を蔵め、財爻の中に克を帯び、関節はことごとく月建の変化の上にある。これがまさに凝神子の郭璞の高妙にして人に過ぎた所以である。もしただ来人の情由を取れば、当に聚散・鬼救の法に按って論ずべき。もし吉凶・休咎を断ずれば、ただ日干を以て主と為し、三伝の生克と占時の正時とを看て、その終始の平安を論ずれば足りる。変を求め奇を弄するを須いない。古人が言った:奇を求める結果はかえって奇ならず。

庚寅日未将の巳時に家下行人を占う(郭氏占案)

戊寅年五月二十八庚寅日未將巳時傅太尊占家下行人。(郭氏占案)

戊寅年五月二十八日、庚寅日、未将を用いて巳時に加えて課を起し、傅太尊が自家の門を出て外にある人が幾時か帰るを占った。「太尊」は当時の知府に対する尊称で、「家下行人」は自家に外出して未帰の人を指す。本条は『郭氏占案』より採る。

空虎常玄 未申酉戌 龍合後玄 父 壬辰 合 龍午 亥陰 午辰子戌 鬼 ◎午 龍 勾巳 子后 辰寅戌庚 兄 甲申 虎 辰卯寅丑 合朱蛇貴

この課は前の一例と課体が全く同じ:天盤の上排は未・申・酉・戌が天空・白虎・太常・玄武を乗せ、左辺は青竜が午を乗せ勾陳が巳を乗せ、右辺は太陰が亥を乗せ天后が子を乗せ、下排は辰・卯・寅・丑が六合・朱雀・螣蛇・貴人を乗せる。未将の巳時に加わるは、天盤が同じく地盤より二位進むので、日干の庚は寄宮が申で申上に戌を得、第一課は戌の庚に加わると作す。四課の四つの上神の戌・子・辰・午は順に玄武・天后・六合・青竜を乗せる。三伝は初伝の辰は父母爻・遁壬・六合を乗せ、中伝の午は官鬼爻・青竜を乗せ・「◎」を帯びて旬空を表し、末伝の申は兄弟爻・遁甲・白虎を乗せる。この課の要緊なる処は:地盤の亥位は天門で、その上に正に貴人を乗せた丑を得る。すなわち下文の言う所の「貴登天門」である。

郭御青曰:課名斬關,又名登三天,貴登天門,自是行路程北走之象。初傳天馬不久即至,但中末空陷,須到甲午旬六月初三以後,可到,以午字填實,三天可登也。然甲午旬,辰字又空,天馬本行空之物,不怕空也。子孫爻劫煞臨酉,當在酉日到。課名涉害,路中有阻,果於六月初六丁酉日到,路中家人附騾數次,幾傷。

郭御青が言う:この課の名は「斬関」、また「登三天」と名づけ、加えるに貴人が亥に臨み、まさに「貴登天門」である。もとより路に上り程を趕り、北に向かって行く象である。初伝は天馬を帯び、行人が久しからずして便ち至ることを主る。ただ中伝・末伝はともに空陥に落ち、甲午旬に交進して、六月初三以後を須ち待って始めて到り得る。あの時午の字が填実して、初めて「三天」に登り得るからである。ただし一たび甲午旬に入れば、辰の字はまた空亡に変ずる。天馬はもとより空を行く物で、空に落ちるを怕れない。子孫爻上の劫煞は酉に臨むので、当に酉日に家に到るべき。この課はまた「渉害」と名づけ、路上に阻碍あることを主る。後に行人は果たして六月初六丁酉日に家に到り、路上であの家人は幾度も騾子の上で険を出し、ほぼ傷を受けんとした。

庚寅日辰将の丑時に繞九公が店業を占う(方本占案)

戊申年九月初九庚寅日辰將丑時繞九公癸卯生(生於十月初四日亥時)六十六歲占店業。(方本占案、口鑑)

戊申年九月初九日、庚寅日、辰将を用いて丑時に加えて課を起した。占を求めた繞九公は癸卯年生まれで、十月初四日亥時の生人、時年六十六歳、自家の店業の興衰を占いに来た。本条は『方本占案』と『口鑑』に同じく見える。

朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇陰虎陳 兄 甲申 蛇 后午 丑空 申巳寅亥 子 丁亥 六 陰巳辰卯寅虎 巳寅亥庚 財 庚寅 虎 玄常

この一組の課盤の排法は前の幾例と略や異なり、天将は徑りに天盤各支の傍らに書く。上排は「申酉戌亥」:螣蛇が申を乗せ、朱雀が酉を乗せ、六合が戌を乗せ、勾陳が亥を乗せ、「朱六」の二字は酉戌の上に標し、「陳」の字は亥の傍に綴る。左辺は貴人が未を乗せ、天后が午を乗せ、太陰が巳を乗せる。右辺は青竜が子を乗せ、天空が丑を乗せ、白虎が寅を乗せる。下排の卯・辰の两位は太常・玄武を配す。貴人が未を乗せて十二将が順行し、丑時は夜に属し、夜貴を用いる。辰将の丑時に加わるは、天盤が地盤より三位進む。四課は右から左へ:日干の庚は寄宮が申で申上に亥を得るは第一課。亥上に寅を得るは第二課。日支の寅上に巳を得るは第三課。巳上に申を得るは第四課。四つの上神の亥・寅・巳・申は順に勾陳・白虎・太陰・螣蛇を乗せる。三伝は初伝の申は兄弟爻で、遁干で甲を得、螣蛇を乗せる。中伝の亥は子孫爻で、ここではそれが六合を乗せると記すが、四課のあそこでは亥が勾陳を乗せると記し、底本の両処の記す所は一ならず。末伝の寅は妻財爻で、白虎を乗せる。

邵彥和曰:干支上皆盜氣,其家世店業,十退五六矣。初申加巳,庚祿在申,祿來加蛇上,又蛇擾,是少人錢物;中亥加日上,脫氣太重;末財在脫上,又遭虎克,到此十分去盡矣。

邵彦和が言う:日干上に亥を得、日支上に巳を得る。庚金は亥水を生じ、寅木は巳火を生ず。両処とも我を泄らす気で、すなわちいわゆる「盗気」である。彼の家は世々代々店業を為し、如今すでに十分の五六を退けた。初伝の申は地盤の巳上に加わる。庚金の禄はもと申に在り、禄神は却って螣蛇の位の上に加わり、螣蛇はまた驚擾を主る。これは人に銭物を欠き、人に纏繞せられる象である。中伝の亥は日干の頭上に加わり、泄気が重すぎる。末伝の寅は財爻で、偏に脱気の位に落ち、また乗ずる所の白虎に来て克せられる。この一歩に到って、十分の家業はすなわち去って干々浄くなる。

主四十八年中去一半,七年中全退。又妻生病死,占時家甚費力,至辛亥年兩店皆歇。亥為庚脫,且巳為店,亥又克之,故重會亥而歇業。甲寅欠債狼狽,為人所訟。寅爻為店,既為巳脫,故至寅而廢也,妻病浮腫而死也。

四十八年の中に家業が先ず半分去り、さらに七年を過ぎて便ち全部退け尽くし、妻子はまた病んで亡故すると断じた。占った時、彼の家はすでに十分に吃力であったが、辛亥年に到って両処の店舗がみな歇業した。亥は庚金の脱気の神で、そして巳は店舗と為り、亥水はまた来て巳火を克するので、流年が重複して亥に会えば、店はすなわち歇する。甲寅年に到って債を欠き狼狽し、人に官府に告げられた。寅爻もまた店で、寅木はすでに巳火に脱せられたので、寅年に到って店業はすなわち廃れた。妻子はすなわち浮腫の病に害して死んだ。

庚寅日辰将の丑時に張逸士が病を占う(口鑑)

同年月日時張逸士庚戌生五十九歲占病,戊申年九月庚寅日辰將丑時。(口鑑、方本占案)

前の例と同年・同月・同日・同時——すなわち戊申年九月庚寅日、辰将の丑時に加わる——に張逸士が自分の病を占いに来た。彼は庚戌年生まれ、時年五十九歳。本条は『口鑑』と『方本占案』に同じく見える。

朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇陰虎陳 兄 甲申 蛇 后午 丑空 申巳寅亥 子 丁亥 陳 陰巳辰卯寅虎 巳寅亥庚 財 庚寅 虎 玄常

課盤は前の例と同じ:螣蛇が申を乗せ、朱雀が酉を乗せ、六合が戌を乗せ、勾陳が亥を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が丑を乗せ、白虎が寅を乗せ、太常が卯を乗せ、玄武が辰を乗せ、太陰が巳を乗せ、天后が午を乗せ、貴人が未を乗せ、貴人は未にあって順行する。四課は日干の庚は寄宮が申で申上に亥を得、亥上に寅を得、日支の寅上に巳を得、巳上に申を得る。四つの上神は順に勾陳・白虎・太陰・螣蛇を乗せる。三伝は初伝の申は兄弟爻で螣蛇を乗せ、中伝の亥は子孫爻で勾陳を乗せ、末伝の寅は妻財爻で白虎を乗せる。病を占うは日干を以て人身と為し、今、日干上に亥を得、日支上に巳を得、上下の両処とも泄気である。これがまさに下に病を断ずる着眼の所在である。

邵彥和曰:此課大凶,上下俱脫,其病恐是洩瀉上得之,自後寒熱往來,必成五癆七傷。又兼翻胃吐食,況日上生水,金去生水,多主冷涎,支上見巳,木生虛火,必心下不寧,遂至此病。兼之白濁,死在二十八日,不然再歷二十八日,難過矣。此課始終見凶神,上下皆盜氣,巳亥俱四數,申數七,四七二十八,兩處皆見,五十六日也。日干為上部,支辰為下部。

邵彦和が言う:この課は大凶で、上下ともに脱気である。病根はおそらく泄瀉の上より得たのであろう。此の後、寒熱が往来し、必ず五労七傷に拖り成り、さらに翻胃・吐食の毛病を添えよう。まして日干上に亥を得るは、庚金が往きて亥水を生じ、金気は水の上に泄らすので、多くは冷涎の上涌を主る。日支上に巳を見るは、寅木が巳火を生起するは虚火で、必ず心口以下が安寧を得ず、ここにおいてこの場の病を醸成した。加えるに白濁の症あり、二十八日の上に便ち死すべし。もし過ぎ去り得れば、さらに二十八日を挨えても過ぎ難かろう。この課は首尾ともに凶神を見、上下はまたともに盗気である。巳と亥の数はともに四で、申の数は七で、四七は二十八、両処ともに見えて、合わせて便ち五十六日。病を断ずる時は日干を以て上半身を管とし、日支を以て下半身を管とする。

庚寅日子将の酉時に雨雪を占う(牧夫占験)

戊寅年正月庚寅日子將酉時占何日雨雪。(牧夫占驗)

戊寅年正月の庚寅日、子将を用いて酉時に加えて課を起し、いずれの日に雨が降り雪が降るかを占った。天時を占うは六壬の常課で、重きを三伝の値する水・火・風・雪の諸神とそれらの乗ずる天将を看るに置く。本条は『牧夫占験』より採る。

朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇陰虎陳 兄 甲申 蛇 后午 丑空 申巳寅亥 子 丁亥 陳 陰巳辰卯寅虎 巳寅亥庚 財 庚寅 虎 玄常

課盤は前の両例と同じ。子将の酉時に加わるは、天盤が同じく地盤より三位進む:螣蛇が申を乗せ、朱雀が酉を乗せ、六合が戌を乗せ、勾陳が亥を乗せ、青竜が子を乗せ、天空が丑を乗せ、白虎が寅を乗せ、太常が卯を乗せ、玄武が辰を乗せ、太陰が巳を乗せ、天后が午を乗せ、貴人が未を乗せる。四課は庚が申に寄り、申上に亥を得、亥上に寅を得、日支の寅上に巳を得、巳上に申を得る。三伝は申・亥・寅:初伝の申は兄弟爻で螣蛇を乗せ、中伝の亥は子孫爻で勾陳を乗せ、末伝の寅は妻財爻で白虎を乗せる。雨雪を占う時、申は水の長生の地で、水母と称し、亥は水で、寅は風である。この三字がまさに本課に雪を断出し得る関目である。

王牧夫曰:水母發用,蛇乘干上,中見亥水,末見風神,用傳日支,今日當雪,來日當大雪。蓋蛇乃雪象,中見極陰之水,寅為東北,風從東北當有雪也。況三傳遞生乎,今日雪小者,寅與亥合也。來日雪大者,太陽與卯相刑,春夏主雷,冬主雪,各因時而論耳。

王牧夫が言う:初伝の申は水の長生の地、すなわちいわゆる「水母」で、それに由って発用する。螣蛇はまた日干の寄宮の申上に乗ずる。中伝に亥水を見、末伝の寅は風神で、そして寅はまさに本日の日支で、三伝は日支の上に帰して来る。これに拠って断ずる:当日は雪降るべく、第二天は大雪降るべし。螣蛇はもともと雪の象で、中伝にまた亥のこの極陰の水を見るからである。寅は東北方にあり、風は東北より来るので、当に雪あるべし。まして三伝の申は亥を生じ、亥は寅を生じ、一路に遞々相生する。当日は雪が小さいと言うのは、寅と亥とが相合し、合すればすなわち収斂するからである。次日は雪が大きいと言うのは、太陽の乗ずる月将の子が卯と相刑し、子卯が一たび刑すれば、春夏には雷を打つを主り、冬には雪を降るを主る——同じく一つの刑が、各々時令に按って分けて論ずるだけである。

辛卯日

辛卯日午将の辰時に林丞務が平生を占う(方本占案)

建炎己酉年七月辛卯日午將辰時,林丞務丙辰生五十四歲占平生。(方本占案、口鑑)

南宋の建炎己酉年七月の辛卯日、午将を用いて辰時に加えて課を起した。占を求めた人の林丞務は丙辰年生まれ、時年五十四歳、自分の一生の窮通・得失を占った。「丞務」は彼の官称である。本条は『方本占案』と『口鑑』に同じく見える。

朱六 蛇未申酉戌陳 貴午 亥龍 蛇后常空 官癸巳 后 后巳 子空 未巳寅子 父空未 蛇 陰辰卯寅丑虎 巳卯子辛 兄乙酉 陳 玄常

上排は「未申酉戌」:螣蛇が未を乗せ、朱雀が申を乗せ、六合が酉を乗せ、勾陳が戌を乗せる。左辺は貴人が午を乗せ、天后が巳を乗せ、太陰が辰を乗せる。右辺は青竜が亥を乗せ、天空が子を乗せ、白虎が丑を乗せる。下排の寅・卯の两位は太常・玄武を配す。貴人が午を乗せて十二将が順行し、辰時は昼に属し、昼貴を用いる。午将の辰時に加わるは、天盤が地盤より二位進む。四課は右から左へ:日干の辛は寄宮が戌にあり、戌上に子を得るは第一課。子上に寅を得るは第二課。日支の卯上に巳を得るは第三課。巳上に未を得るは第四課。四つの上神の子・寅・巳・未は順に天空・太常・天后・螣蛇を乗せる。三伝は初伝の巳は官鬼爻で、遁干で癸を得、天后を乗せる。中伝の未は父母爻で、螣蛇を乗せ、「父空未」の中の「空」の字は未の旬空に落つるを標明する——辛卯日は甲申旬に属し、午・未は空亡する。末伝の酉は兄弟爻で、遁干で乙を得、勾陳を乗せ、そして酉はまさに辛日の禄神の在る所である。

邵彥和曰:日上子為盜氣,又見天空,主下部遺洩,兼子息不美。支上破碎,又兼發用、中傳空亡,末傳又加空亡之上,作今日祿神,祿神即空,前程不永。宅犯破碎,子作盜氣,是諸子耗盜財物,各抽入己,於我則空。除非另爨,可以少延。否則家破財散矣。林丞務有四子,二妻所出,家道不齊,堂前之物,子盡盜之,為之一空。本身常有淋疾。家計漸覺退敗。

邵彦和が言う:日干上に子を見るは、辛金が子水を生ずるは我を泄らす盗気で、子上にまた天空を乗せるは、下身に遺泄の疾あることと、また子息が好くないことを主る。日支上は破碎煞を犯し、加えるに発用と中伝はともに空亡に逢い、末伝はまた空亡の位の上に加わり、そして末伝の酉はまさに本日の禄神である——禄神が空に落つれば、前程は便ち長久ならず。宅位は破碎を犯し、子孫爻はまた盗気を作す。これは幾人かの息子が家中の財物を耗散・偸取して、各自己の腰包に抽き入れ、我がここにおいてすなわち空となる。分家して別に竈を起こさなければ、なお少しく延引し得るけれども、さもなければ便ち家破・財散の局面である。林丞務は四人の息子があり、两位の妻子の生む所で、家道はもともと斉整でなかった。堂前の東西は、息子たちに盗まれて干々浄くなった。彼自身は常に淋病に患い、家業もまた日に日に敗落して往った。

蓋辛見了盜氣,宅上又見破碎,子為一陽之始,巳為六陽之終,始於身、終於宅也,故始主自身下部遺洩,而卒於破家。子為子息,所以敗家由子也。初傳宅上,中末俱空,號曰不行,故只以干支二處分斷,中末皆空,初仍宅上,等之無傳矣,故只就干支分斷。

もとより辛金は泄気の神を見、宅位上にまた破碎煞を見た。子は一陽の初生の始で、巳は六陽の窮尽の終である。一頭は自身に起り、一頭は家宅に落ちる。だから初めは自身の下部の遺泄に応じ、最後は破家の上に収まる。子はまた子息の神なので、家を敗すはまさに息子である。初伝は宅位上より発して出で、中伝・末伝は却ってともに空亡に落つ。これを「不行」と名づけ、ただ日干・日支の両処を取って分けて断ずるのみ。中末はすでにともに空で、初伝はまた依然として宅の上に落つる。これは三伝がないに等しいので、ただ干支の两位に就きて分断する。

若初傳不從宅與日上起,則又當細審,不得概為不行也。然初傳更加一重破碎,子為脫空,六陽至此極處;又見破碎作初傳,上見天后,數又名泆女卦,其妻最淫蕩,第四子最蠢者是其所生,更有兩子尤作手腳。若占病必死之課,占前程脫精而亡。

たとい初伝が宅位と日干上から起して出でたでなければ、すなわち別に作して細かく審るを要し、一概に「不行」と断じてはならない。しかしこの課の初伝上にはまた一重の破碎が加わり、子はすでに脱気でまた空に落ち、六陽はここに到ってすでに尽頭である。破碎はまた初伝を充作し、その上は天后を乗せ、数に按って算すればまた「泆女卦」と名づけ、彼の妻子が極めて淫蕩なることを主る。四つの息子の中の最も蠢い第四子はすなわち彼女の生む所で、別にまた二つの息子がことさら暗中に手を回すを会す。このようの課は、もし持ち来りて病を占えば、必死の課である。もし持ち来りて前程を占えば、精気が脱尽して亡ぶを主る。

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