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未済 第六十四

汉 · 焦延寿 · 第72巻 / 72

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

節。兩足四翼,飛入家國。寧我伯姊,與母相得。詳《同人》之《謙》。姊,宋元本作叔,依汲古。

《未済》が《節》に変わる。林辞は祥禽の宅に入るを写す:兩足・四翼を生やした瑞鳥が、我が家国の中に飛び入る。我が長姉をして安寧を得せしめ、彼女は母と相処して融洽なり。尚秉和先生の注:取象は詳しく《同人》卦の《謙》に変じる一条を見よ。校記:「姉」の字は宋・元本で「叔」と作るが、ここでは汲古閣本に依る。

中孚。春秋禱祝,解禍除憂,君無災咎。互震為春,兌為秋、為禱祝、為君、為解。○祝,宋元本作祀,災咎作咎憂,均依汲古。

《未済》が《中孚》に変わる。林辞は禳災の吉である:春も秋も時に按じて禱告祝祭し、禍事は化解し憂患は消除す、国君は災禍過咎なからん。尚秉和先生の解象:互体の震は春、兌は秋・禱祝・君・解散を為す——一つの兌象が下半句の幾層の意を兼ねて攝る。校記:「祝」の字は宋・元本で「祀」と作り、「災咎」の二字は「咎憂」と作るが、いずれも汲古閣本に依る。

小過。牧羊稻園,聞虎喧讙。畏懼悚息,終無禍患。詳《隨》之《漸》。

《未済》が《小過》に変わる。林辞は前の《中孚》の《小過》に変じる一条とほぼ同じ:稻田園圃にて羊を放ち、忽ち虎の嘯き鬧ぐを聞き、嚇えて息を屏し心膽は戰慄す。幸いに終に禍患を招かず。尚秉和先生の注:取象は詳しく《随》卦の《漸》に変じる一条を見よ。

既濟。大蛇巨魚,相搏於郊。君臣隔塞,衛侯廬漕。詳《噬嗑》之《訟》。第四句依校。各本皆作郭公出廬。

《未済》が《既済》に変わる。林辞は國破れ君遷るを写す:大蛇と巨魚とが郊野の上にて相鬥す。君臣は隔絶して阻塞し、衛侯は止むを得ず漕邑に廬を搭てて棲身す。尚秉和先生の注:取象は詳しく《噬嗑》卦の《訟》に変じる一条を見よ。校記:第四句は他処に依って校定せるもの、各本皆「郭公出廬」と作る。按ずるに衛懿公は狄人のために滅ぼされ、衛の遺民は黄河を東渡りて漕邑に寄居せり、事は《左伝》閔公二年と《詩・鄘風・載馳》に見ゆ。

焦氏易林注跋

昔楊子云著《太玄》,人皆笑之,子云曰:是不足病也。後世復有楊子云則好之矣。

嘗て揚雄(字は子雲)は《太玄》の一書を著わしたるに、同時の人は皆彼を笑い、自らの力を量らぬとなしたり。揚雄は言う、これは憂患と為すに足らず、将来世上にまた一人の揚雄出ずれば、彼は自ずからこの書を好まん、と。跋文は開篇にこの典故を擧ぐ、その意は真正に深奥なる著述は知音の出現を待って始めて人に読み得らるるにあり、《焦氏易林》と先師のこの注解とは、處境は正に《太玄》と相仿ぶるなり。

《焦氏易林》自來學者多愛其詞,而莫有通其義者,今經吾師尚節之先生按照易象句解字釋,凡昔人不知其所謂者,經先生以易象釋之,則機趣環生,神妙盡出,如《復》之《頤》云噂噂所言,噂,對語也。震為言,頤初至上正反震相對,儼然對語,故曰噂噂。

《焦氏易林》が世に出でてより、學者は大抵その文辭を愛するも、一人としてその義理を貫通する能うる者なし。今我が師尚節之先生——先生の名は秉和、節之はその字——に依り、《周易》の卦象に按じて句ごとに解説し字ごとに疏釋すれば、凡そ前人の讀み得ざりし處は、先生の易象を以ての一講を經て、便ち機趣は環を生じ神妙は畢竟現る。譬へば《復》の《頤》に「噂噂所言」と言う、「噂」は相對して談ずるの意なり:震は言語を為し、《頤》卦は初爻より上爻に至るまで恰好一正一反の二つの震が彼此相向し、儼然として兩人の對面して話する様なり、ゆえに「噂噂」と言う。

《需》之《小過》猋風阻越,《月令注》:猋風,迴風也。小過二至五正反巽,儼象迴風,故曰猋風。《家人》之《小畜》曰杲杲白日,為月所蝕,小畜互離,離為日,而下兌為月,侵入離體之半,故曰為月所蝕。

また《需》の《小過》に「猋風阻越」の一句あり、《禮記・月令》の鄭玄注は「猋風」はすなわち回旋の風と言う。《小過》は二爻より五爻は一正一反の二つの巽にして、形状は儼然として一股の旋風に似たり、ゆえに「猋風」と言う。さらに《家人》の《小畜》に「杲杲白日、為月所蝕」と言う、《小畜》は互体にて離と成り、離は日にして、下卦の兌は月なり、兌は正に離体の半分に侵入せり、ゆえに「為月所蝕」と言う。

若是者不知其幾千百,又如林詞極幽深晦,闇不易明者,如《大壯》之《離》丑寅不徙、辰巳有咎,離伏坎,坎上互艮,下互震,震先天居丑寅,艮後天居丑寅,故曰不徙,言艮震同居丑寅也。離上互兌,下互巽,兌先天居辰巳,巽後天居辰巳,澤風大過故曰有咎。

このごとき一点すれば即ち透る處は、幾千幾百あるかを知らず。さらにあの林辭の極めて幽深晦昧にして本より講じ明かし難きを言えば、例へば《大壯》の《離》の「丑寅不徙、辰巳有咎」:《離》の伏する所は坎にして、坎の上互は艮・下互は震なり、震は先天卦位に丑寅に居り、艮は後天卦位にもまた丑寅に居る、ゆえに「不徙」と言う、これは艮震が同じく丑寅に處りて遷移を須せざるを講ずるなり。《離》の上互は兌・下互は巽にして、兌は先天に辰巳に居り、巽は後天にもまた辰巳に居る、沢の下に風あり正に《大過》の象に合し、《大過》は凶を主る、ゆえに「有咎」と言う。

又如《井》之《震》三男從父,三女從母,至巳而反,各得其所。震上下互坎艮,共三男,而震為父,故曰從父。震伏巽,巽上下互離兌,共三女,而巽為母,故曰從母。震巽相反覆,至巳而反者,言至巳震究仍為巽也。

また《井》の《震》に「三男従父、三女従母、至巳而反、各得其所」と言う:《震》卦は上下互いに坎と艮と出ず、本卦の震を加えて共に三つの男卦なり、而して震はここにまた父に充つ、ゆえに「従父」と言う。震の伏する所は巽にして、巽は上下互いに離と兌と出ず、巽自身を加えて共に三つの女卦なり、而して巽はここにまた母に充つ、ゆえに「従母」と言う。震と巽は互いに反覆の卦を為す、いわゆる「至巳而反」は、行きて巳位に至れば、震は終にまた巽に変じ返るを言うなり。

又如《需》之《晉》咸陽辰巳,長安戌亥,晉坤為安,消息卦坤居西北,故曰長安戌亥。坤伏乾,消息卦乾盈於巳,故曰咸陽辰巳,言乾至巳而為純陽也。

また《需》の《晋》に「咸陽辰巳、長安戌亥」と言う:《晋》の上体の坤は安を為し、十二消息卦の方位の上に坤は西北に居り、正に戌亥に當る、ゆえに「長安戌亥」と言う。坤の伏する所は乾にして、消息卦の中に乾の陽氣は巳に盈滿す、ゆえに「咸陽辰巳」と言う、その意は乾の行きて巳位に至れば便ち純陽と成る、「咸陽」は正に陽氣の咸び備わるの義を取るなり。地名と卦位とはここに合成して双關と成る。

又如《履》之《既濟》不忍主母,為失醴酒,冤尤誰告,經先生疏明,知用《列女傳》侍婢進毒酒事;《豫》之《恆》梟鳴室北,聲丑可惡,經先生疏明,知用《說苑》齊景公築臺不通為梟鳴事;《蠱》之《中孚》商人子孫,資所無有。貪狼逐狐,留連都市。貪狼逐狐,注家皆認為訛字,經先生註明,狼狐二星皆主盜賊,見《史記天官書》,貪狼逐狐者,言流為盜賊也。

また《履》の《既済》の「不忍主母、為失醴酒、冤尤誰告」は、先生の疏解を經て、始めて《列女傳》の侍婢がわざと毒酒を打翻し、寧ろ自ら冤を蒙りて主母を保全せし故事を用いるを知れり。《豫》の《恒》の「梟鳴室北、聲醜可惡」は、先生の疏解を經て、始めて《説苑》の載する齊景公が臺を築き成らず、梟鳥が夜鳴するの故事を用いるを知れり。さらに《蠱》の《中孚》の「商人子孫、資所無有。貪狼逐狐、留連都市」——「貪狼逐狐」の四字は、從來の注家は皆訛字と視なせしが、先生の注明を經て、始めて貪狼と天狐との二星は皆盗賊を主り、《史記・天官書》に見え、「貪狼逐狐」はこの人たちの流落して盗賊と為るを言うを知れり。

又如《漸》之《比》曰文山鴻豹,依《埤雅》釋鴻豹為鴇;《小畜》之《革》曰晨風文翰,據《周書》,《釋文》翰為鳥,復據《說文》知文翰即晨風;《小畜》之《未濟》曰靈明督郵,依《古今注》定督郵為龜名,關於前者非易理易象熟於胸中,不能識其義;關於後者非博覽群書不能通其詞。

また《漸》の《比》に「文山鴻豹」と言う、先生は陸佃《埤雅》に依りて「鴻豹」を鴇鳥と釋す。《小畜》の《革》に「晨風文翰」と言う、先生は《逸周書》と《經典釋文》とに據りて「翰」は鳥名と確定し、さらに《説文解字》に據りて「文翰」はすなわち晨風のこの鳥と斷定す。《小畜》の《未済》に「靈明督郵」と言う、先生は崔豹《古今注》に依りて「督郵」は龜の別名と定む。前の卦象を講ずるこの一類は、易理易象を胸に爛熟せざれば、その義蘊を認める能わず。後の名物を考するこの一類は、群書を博覧せざれば、その文辭を講じ通ずべからず。

全書四千九十六林畢釋無遺,無匿象,無遯形,然則二千年來易林之詞不能通者,徒以世不復有焦延壽耳。有之,則如鏡燭形,一讀其詞,即知其於易象何屬,鳥足為病哉。

全書四千九十六條の林辭を、先生は一々解釋し、一條の遺漏なく、一個の卦象も隱匿せられず、一處の形跡も遁走する能わず。これを以て觀れば、二千年の間《易林》の文辭が人に通ぜられざりし所以は、ただ世上に第二の焦延壽あらざるのみ。儻し真にかくのごとき人あらば、すなわち明鏡の形を照らすがごとく、一たび林辭を讀めば便ちその何れの一路の易象に属するかを知らん、何ぞ更に難の有るを言わん。(末句「鳥足為病哉」の「鳥」は「烏」の字の訛、「烏足」はすなわち「何足」なり。)

至於是書一出,所有二千年周易舊解王陶廬所謂盲詞囈說者,盡行改革,於經學所關至巨,又非第易林一書之顯晦也,其可寶貴為何如哉!

況んやこの書の一たび出れば、二千年來《周易》の種種の舊注舊解——すなわち王樹枏(號は陶廬)の「盲詞囈説」と譏る所のそれらの講法——は皆これに隨いて一併に革新せんことを要す。その經學に關る分量は極めて重大にして、已に《易林》一書の顯晦如何のみの事にあらず、かくのごとき一書は寶貴するに至りて如何ほどの地步ぞや!

顧是書脫稿巳十餘年,徒以卷帙浩博,印行匪易益,與豐潤董宗之作人昆仲皆從先生遊,遂合力舉辦成此寶書,公之於世,以己卯夏開雕,至庚辰春竣事。

ただこの書稿は手を脱して已に十餘年、卷帙の浩繁を以て、付印は實に易からず。我が仵道益と豐潤の董宗之・董作人の兄弟とは皆先生に従い學を問い、ここにおいて力を合わせて操辦し、始めてこの寶書を成就し、世に公にす:己卯年の夏(一九三九年夏)に雕を開き版に上げ、庚辰年の春(一九四〇年春)に至りて完工す。文中の「印行匪易益」は當に「印行匪易。益……」と讀むべく、「益」は跋者の自ら其の名を称するなり。

至於校訂之役,益與宗之等雖分任其勞,然以易象之故,有非先生自任不可者,此亦無如之何也!庚辰正月受業仵道益謹跋。

校訂のこの差事に至りては、我と董宗之らとは分かれてその大半の労苦を擔當したれども、易象の推求に牽涉するがゆえに、或る處は先生の親ら手を動かすに非ざれば可ならず、これもまた奈何すべきなき事なり。庚辰年の正月(一九四〇年正月)、受業の弟子仵道益謹んで跋す。

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