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綱領二・《易》道の精蘊と経伝の義例を論ず

清 · 李光地 · 第3巻 / 87

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

《易》只是為卜筮而作,故《周禮》分明言太卜掌三《易》:《連山》、《歸藏》、《周易》。古人於卜筮之官,立之凡數人。秦去古未遠,故《周易》亦以卜筮得不焚。今人說《易》是卜筮之書,便以為辱累了易。見夫子說許多義理,便以為《易》只是說道理,殊不知其言吉凶悔吝皆有理,而其教人之意無不在也。

《易》はもともとただ卜筮のために作られた。だから《周礼》は明白に太卜の官職が三種の《易》——《連山》《帰蔵》《周易》——を掌ると言う。古人は卜筮の職事に全部で数員の官を設けた。秦代は古に距ること遠からず、なお《易》の本来の用处を知っていたので、《周易》もまた卜筮の書であることをもって焚毀を免れた。今の人は《易》が卜筮の書と聞けば、これは《易》を玷辱するものだと感じ、孔子が多くの義理を講じたのを見れば、《易》はただ道理を講ずる書だと思い込む。しかし知らない、それの言う吉・凶・悔・吝は件件に理があり、人を教誨する用心も一処としてその中に寓らないところがないことを。

今人卻道聖人言理,而其中固有卜筮之說,他說理後,說從那卜筮上來作麼?上古之時,民心昧然,不知吉凶之所在。故聖人作《易》,教之卜筮,使吉則行之,凶則避之。此是開物成務之道。故《繫辭》云:“以通天下之志,以定天下之業,以斷天下之疑”,正謂此也。

今の人はかえって聖人は義理を講ずるもので、その中に固より卜筮の説が夾雑していると言う——このように講ずれば、聖人はすでに理を説いているのに、何の必要があって卜筮にまで扯げるのか。上古の時、民衆の心智は蒙昧で、吉凶の在処を知らなかった。だから聖人は《易》を作り、彼らに卜筮を教え、吉に遇えばこれを為し、凶に遇えばこれを避けさせた。これ正に「万物を開通し事業を成就する」方法である。だから《系辞伝》は「天下人の心志を通達するため、天下人の功業を奠定するため、天下人の疑惑を裁断するため」という。講ずるのはこの事である。

初但有占而無文,往往如今之環環相似耳。今人因《火珠林》起課者,但用其爻而不用其辭,則知古者之占,往往不待辭而後見吉凶。又云,如左氏所載得《屯》之比,既不用《屯》之辭,亦不用《比》之辭,卻自別推一法。

最初には占法のみあって文字がなかった。情形は往々にして今日の民間の珓を擲つ類の簡便な法に似る。いま《火珠林》一系の納甲法によって課を起こす者は、爻位のみを用いて卦爻辞を用いない。これで見れば古人の占いはしばしば辞あるを俟たずして吉凶を判定した。朱熹またいう:《左伝》の記す《屯》卦を占して《比》卦に変じたあの例のように、《屯》卦の辞を用いず《比》卦の辞も用いず、別に一套の方法によって推断したのである。

至文王周公,方作彖爻之辭,使人得此爻者,便觀此辭之吉凶。至孔子,又恐人不知其所以然,故又復逐爻解之。謂此爻所以吉者,謂以中正也。此爻所以凶者,謂不當位也。明明言之,使人易曉耳。至如《文言》之類,卻是就上面發明道理,非是聖人作《易》,專為說道理以教人也。須見聖人本意,方可學易。

文王・周公に至り、はじめて卦辞と爻辞を作り出し、人がある一爻を占得すれば、この条の辞に憑って吉凶を見ることができるようにした。孔子に至り、また人がその中の所以然を明らめぬことを恐れ、ここに爻を逐って解釈を加えた:この一爻が吉である所以は、それが中に居りまた正を得たから。この一爻が凶である所以は、その処する位が相當でないから。件件明白に講じて、人に会得し易くさせた。《文言》の類に至っては、経文に就着きさらに上に義理を発揮したもので、聖人が《易》を作ったのが専ら道理を講じて人に教えるためだというのではない。必ずまず聖人の本意を見清めて、然る後に《易》を学ぶことを談じうる。

聖人作易,本是使人卜筮,以決所行之可否,而因之以教人為善。如嚴君平所謂與人子言依於孝,與人臣言依於忠者。故卦爻之辭,只是因依象類,虛設於此,以待叩而決者,使以所值之辭,決所疑之事。似若假之神明,而亦必有是理而後有是辭。理無不正,故其丁寧告戒之辭,皆依於正。天下之動,所以正夫一,而不謬於所之也。

聖人が《易》を作った本意は、人に卜筮をもって行う事の可と否を判定させ、この機会を借りて人に善に向かうを教えることにある。ちょうど漢代の厳君平が成都で卜を売り、子たる者には孝道に依って講じ、臣たる者には忠道に依って講じたがごとし。だから卦爻辞はただ物象の門類に依傍して、虚にここに設け、人の来て問うを俟って彼のために決断し、彼が占い得たあの条の辞に憑って疑う事を解决させる。見れば神明に借重するようだが、実は必ずまずこの理があり、然る後にこういう辞がある。理に正しからざるなし。だからあれらの叮咛告戒の言はみな「正」に帰結する。天下の一切の行動が純一の正に帰しうる所以であり、方向を誤らない所以である。

卦爻之辭,本為卜筮者斷吉凶,而因以訓戒。至《彖》、像》、《文言》之作,始因其吉凶訓戒之意,而推說其義理以明之。後人但見於孔子所說義理,而不復推本文王周公之本意。因鄙卜筮為不足言,而其所以言《易》者,遂遠於日用之實,類皆牽合委曲,偏主一事而言,無復包含該貫曲暢旁通之妙。

卦爻辞はもともと卜筮する人のために吉凶を判断し、この機会を借りて訓誡を施加するものである。《彖伝》《象伝》《文言》が写成して後、はじめてこれらの吉凶訓誡の用意に順って義理を推衍して闡明した。後人はただ孔子の講じた義理のみを見て、顧みて文王・周公が当初辞を繫いだ本意を推究せず、ここに卜筮を鄙薄し、談ずるに足らないとした。こうして彼らの《易》を講ずることは日用の実事からいよいよ遠ざかり、大抵は牽強附会して曲げて説を為し、某一件の事に偏執して講じ、あの包羅貫通して曲尽しまた旁達する妙処はもはやない。

若但如此,則聖人當時,自可別作一書,明言義理,以詔後世。何用假託卦象,為此艱深隱晦之辭乎?大抵《易》之書,本為卜筮而作,故其辭必根於象數,而非聖人己意之所為。其所勸戒,亦以施諸筮得此卦此爻之人,而非反以戒夫卦爻者。

もし《易》が真にただこのようなものであるなら、聖人は当年尽く別に一部の書を書き、明白に義理を講じて後世に暁諭すれば足りたはずだ。何のために卦象に仮托して、これらの艱深隠晦な文辞を書き記したのか。大体言えば、《易》という書はもと卜筮のために作られた。だからその辞は必ず象と数に植根するのであって、聖人が自己の心意に憑って随口に造り出したものではない。それの勧勉告戒する対象もまたこの一卦・この一爻を筮得した人であって、反って卦爻そのものを告戒するのではない。

近世言《易》者,殊不如此,所以其說雖有義理,而無情意。雖大儒先生,有所不免。比因玩索,偶幸及此,私竊自慶,以為天啟其衷,而以語人,人亦未見有深曉者。

近世《易》を講ずる者はすべてこのようでない。だから彼らの解説は一見の義理はあるが、人事に切なる情味がない。大儒先生であってもこの病を免れない。私は近ごろ玩味探索して、僥幸にもこの一層を想到し、私かに自ら慶び、天が私の心思を啓発したのだと思った。しかし取って他人に告げても、深切に体会する者がいるのを見ない。

《易》中都是貞吉,不曾有不貞吉;都是利貞,不曾說利不貞。如占得《乾》卦,

《易》の中で言うのはみな「正を守ってはじめて吉」であって、正を守らずして吉となりうると言ったことはない。みな「正を守るに利あり」であって、正を守らないに利ありと言ったことはない。たとえば《乾》卦を占得すれば——ここで底本に脱文がある。

蔡氏元定曰:天下之萬聲,出於一闔一闢。天下之萬理,出於一動一靜。天下之萬數,出於一奇一偶。天下之萬象,出於一方一圓。盡起於乾坤二畫。

蔡元定(朱熹の摯友にして助手、朱熹とともに《易学啓蒙》を撰した)はいう:天下の千万種の声音は、口の一合一開に出る。天下の千万条の道理は、一動一静に出る。天下の千万種の数目は、一奇一偶に出る。天下の千万種の形象は、一方一円に出る。根に帰し底に至れば、すべて《乾》《坤》のあの一陽一陰の両画に発端する。

許氏衡曰:初,位之下,事之始也,以陽居之,才可以有為矣。或恐其不安於分也,以陰居之,不患其過越矣。或恐其軟弱昏滯,未足以趨時也。大抵柔弱則難濟,剛健則易行。或諸卦柔弱而致凶者,其數居多。

許衡(元初の大儒)はいう:初爻は最も下の位置に処し、一件の事の開端である。陽爻をもって初に居れば、才具は為すあるに足るが、あるいは彼が本分に安んじないを憂うべきかもしれない。陰爻をもって初に居れば、彼が分を越えて躁進することを憂慮する必要はないが、あるいは彼が軟弱昏沈で、時に乗じて動くに足らないを憂うべきかもしれない。大体、柔弱は事を済し難く、剛健は行われ易い。各卦の中で柔弱によって兇険を招くものは、数として多く居る。

若總言之,居初者,易貞。居上者,難貞。易貞者,由其所適之道多。難貞者,以其所處之位極。故六十四卦初爻多得免咎,而上每有不可救者。始終之際,其難易之不同蓋如此。

もし総べて言えば、初位に居る者は正を守り易く、上位に居る者は正を守り難い。守り易いのは、彼の前に行くべき路がなお多いからである。守り難いのは、彼の処する位置がすでに尽頭に至ったからである。だから六十四卦の初爻は多く過ちを免れ、上爻はことごとに救いようのないものがある。一始一終の間、難易の分別は大致このとおりである。

二與四,皆陰位也:四雖得正,而猶有不中之累,況不得其正乎?二雖不正,而猶有得中之美,況正而得中者乎?四,近君之位也。二,遠君之位也。其勢又不同。此二之所以“多譽”,四之所以“多懼”也。二中位,陰陽處之,皆為得中。中者,不偏不倚、無過不及之謂。具才若此,故於時義為易合。時義既合,則吉可斷矣。

二と四はともに陰位に属す。四爻はたとえ陰をもって陰に居り正を得ても、なお中に居らない拖累がある。いわんやもともと正を得ないものをや。二爻はたとえ陽をもって陰に居り正でなくとも、なお中に居る好処がある。いわんや正を得てまた中に居るものをや。さらに言えば、四は君位に接近する場所、二は君位に遠離する場所で、処境はまた各々相同じでない。これが《系辞伝》のいう二爻「多誉」・四爻「多惧」の故である。二は下卦の中位で、陰爻・陽爻がそれに居ればみな中を得たと算する。いわゆる「中」とは、偏らず倚らず、過ぎず及ばざることである。才質がこのようであれば、一時の卦義と相契合し易い。時義と相合すれば、吉は断定できる。

卦爻六位,惟三為難處。蓋上下之交,內外之際,非平易安和之所也。

一卦の六つの爻位のうち、ただ第三位のみが最も安処し難い。それは正に上卦と下卦の交接し、内体と外体の交界する場所に当たり、平易安穏の処所ではない。

四之位近君,“多懼”之地也。以柔居之,則有順從之美。以剛居之,則有僭逼之嫌。然又須問,居五者,陰邪陽邪?以陰承陽,則得於君而勢順。以陽承陰,則得於君而勢逆。勢順則無不可也,勢逆則尤忌上行,而凶咎必至。

四位は君位に靠近し、いわゆる「多惧」の地である。柔爻をもってこれに居れば順従の美德があり、剛爻をもってこれに居れば僭越逼上の嫌疑がある。ただしなお一句追問すべし:五位に居るのは陰爻か陽爻か。陰爻をもって上に陽爻を承ければ、君心を得て形勢もまた順である。陽爻をもって上に陰爻を承ければ、君心を得ても形勢は却って逆である。形勢順なれば不可なきことなく、形勢逆なれば特にさらに上に向かい進逼することを忌諱する。さもなくば兇険と災咎は必ず招来される。

以陽承陽,以陰承陰,皆不得於君也。然陽以不正而有才,陰以得正而無才,故其勢不同。有才而不正,則貴於寡慾,故乾之諸四,多得免咎。無才而得正,則貴乎有應,故艮之諸四,皆以有應為優,無應為劣。獨坤之諸四,能以柔順處之,雖無應援,亦皆免咎。此又隨時之義也。

陽爻をもって上に陽爻を承け、陰爻をもって上に陰爻を承くるは、同性は相求めず、ともに君主の信任を得られない。ただし陽が四位に居れば正を得ないが才干があり、陰が四位に居れば正を得るが才干が少ない。だから両者の情勢は同じでない。才干あって正を得ない者の貴ぶべきところは寡欲自斂にある。だから凡そ《乾》を体とする各卦は、四爻が多く過ちを免れる。才干なくて正を得る者の貴ぶべきところは上下に応援あるにある。だから凡そ《艮》を体とする各卦は、四爻が応あるを優とし応なきを劣とする。ただ《坤》を体とする各卦のみ、四爻は柔順をもって自ら処し、応援する人なくともみな災咎を免れる。これまた時に随い宜に制する道理である。

五,上卦之中,乃人君之位也。諸爻之德,莫精於此。能首出乎庶物,不問何時,克濟大事。《傳》謂五“多功”者此也。

五爻は上卦の中に居り、正に君主の位置である。各爻の徳性でこの一爻より精粹なものはない。それは《乾・彖伝》のいうがごとく「庶物の首と出で」、超然として群倫を領袖し、どんな時勢に碰上しても大事を成就できる。《系辞伝》の五爻「多功」というのは、この故である。

上,事之終,時之極也。其才之剛柔,內之應否,雖或取義,然終莫及上與終之重也。是故難之將出者,則指其可由之方。事之既成者,則亦以可保之道。義之善或不必勸,則直云其吉也。勢之惡或不可解,則但言其凶也。質雖不美,而冀其或改焉,則猶告之。位雖處極,而見其可行焉,則亦諭之。大抵積微而盛,過盛而衰,有不可變者,有不能不變者。《大傳》謂“其上易知”,豈非事之已成乎?

上爻は一件の事の終点、一つの時局の尽頭である。それ自身の才質の剛柔・内卦と相応するか否かは、時に取義するのに用いられるが、終に「上に居る」「終に処る」この二点の分量には及ばない。ゆえに、災難をまさに脱出せんとする目の前の者には、行くべき一条の路を指し点し、事がすでに完成した者には成果を保つ方法を告げる。もし義理がもと善でさらに勧勉を加える必要なければ、直ちにそれが吉と言う。もし形勢が険悪で化解する由なければ、ただそれが凶と言う。禀質は美ならざれども、なお彼が或いは改めうるを指望すれば、依然として彼を告戒する。位置はすでに極処に至れども、彼になお行くべき路あるを見出せば、これをまた開導する。大体言えば、事は細微より積累して昌盛し、昌盛すぎれば転じて衰敗に向かう。その中に改変しえざるものあり、変ぜざるをえざるものあり。《系辞伝》の「上爻の吉凶は看清し易い」というは、事がすでに定局したからではないか。

胡氏一桂曰:上下體雖相應,其實陽爻與陰爻應,陰爻與陽爻應,若皆陽皆陰,雖屬相應之位,則亦不應矣。然事固多變,動在因時,故有以有應而得者,有以有應而失者,亦有以無應而吉者,有以無應而凶者,斯皆時事之使然,不可執一而定淪也。

胡一桂(元代の学者、《周易本義附録纂疏》を著わす)はいう:上下両体は位位相対するが、実は陽爻と陰爻が相応じ、陰爻と陽爻が相応じてはじめて数に入る。もし両爻がともに陽またはともに陰なら、たとえ相応する位次に処しても、相応とは算されない。しかし事はもと変化多く、行動は時に随い宜に制しなければならない。だから応あるによって利を得る者もあり、応あるによってかえって利を失う者もある。応なきによって吉を得る者もあり、応なきによって凶を致す者もある。これらはみな時勢事態の造成する所で、一端を執定して断語を下すことはできない(底本の「定淪」は即ち「定論」)。

至若《比》五以剛中,上下五陰應之;《大有》五以柔中,上下五陽應之;《小畜》四以柔得應,上下五剛亦應之,又不以六爻之應例淪也。

《比》卦九五が陽剛をもって中に居り、上下五つの陰爻がみな帰附してそれに応从するがごとき。《大有》卦六五が陰柔をもって中に居り、上下五つの陽爻がみな帰附してそれに応从するがごとき。《小畜》卦六四が柔をもって位を得て応があり、上下五つの剛爻もみなそれに応从するがごとき——これらの数種の情形は、六爻が両々相応する常例をもって評断できない。

六十四卦皆以五為君位者,此《易》之大略也。此間或有居此位而非君義者,有居他位而有君義者,斯易之變,不可滯於常例。

六十四卦はみな第五爻をもって君位とする。これは《易》の大致の通例である。その中にも偶々五位に身居しても君主の義を取らないものがあり、別の爻位に居してかえって君主の義を含むものもある。これは《易》の変例に属し、常規に拘泥できない。

胡氏炳文曰:《易》卦之占,亨多,元亨少。爻之占,吉多,元吉少。元亨,大善而亨。元吉,大善而吉也。人之行事,善百一,大善千一,故以元為貴。然茲事也,請

胡炳文(元代の学者、《周易本義通釈》を著わす)はいう:《易》中の卦辞の占断は、「亨」というものが多く「元亨」というものが少ない。爻辞の占断は、「吉」というものが多く「元吉」というものが少ない。いわゆる「元亨」は極善にして亨通すること、いわゆる「元吉」は極善にして吉利することである。人が事を為すに、善に足る者は百中に一あり、大善に足る者は千中に一あるのみ。だから「元」をもって貴しとする。しかしこの事は、請う——ここで底本に脱文がある。

吳氏澄曰:時之為時,莫備於《易》。程子謂之隨時變易以從道。夫子《傳》六十四《彖》,獨於十二卦發其凡,而贊其時與時義、時用之大,一卦一時,則六十四時不同也。一爻一時,則三百八十四時不同也。始於《乾》之《乾》,終於《未濟》之《未濟》,則四千九十六時,各有所值。引而伸,觸類而長,時之百千萬變無窮,而吾之所以時其時者,則一而已。

呉澄(元代の大儒、《易纂言》を著わす)はいう:「時」の道理を講ずるに、《易》より完備なものはない。程頤のいわゆる「時勢に随って変易して道に順従する」は正にこの意である。孔子は六十四卦のために《彖伝》を作ったが、ただ十二の卦の下でのみ通例を掲出し、それらの「時」「時義」「時用」の重大を讃嘆した。一卦は一つの時を代表し、六十四卦は六十四種の不同の時である。一爻は一つの時を代表し、三百八十四爻は三百八十四種の不同の時である。もし卦卦が相変ずれば、《乾》の《乾》に起こり《未済》の《未済》に止まり、全部で四千九十六種の時、各々値る所がある。さらにこれを推引伸展し触類増益すれば、時の変化は千百万端にして窮尽なく、しかも我がもって各種の時に因応するあの根本は、終始ただ一つである。

薛氏瑄:六十四卦,只是一奇一偶。但因所遇之時,所居之位不同,故有無窮之事變。如人只是一動一靜,但因時位不同,故有無窮之道理。此所以為《易》也。

薛瑄(明代の理学者、学者は敬軒先生と称す)はいう:六十四卦は、結局言えばただ一奇一偶両画の排布である。ただ遇う時勢・居る位次が各々相同じでないために、はじめて窮尽なき事変を生ずる。ちょうど人の挙止が一動一静に過ぎないのに、ただ時と位が同じでないために窮尽なき道理を生ずるがごとし。これ正に《易》の《易》たる所以である。

蔡氏清曰:《乾》卦卦辭,只是要人如《乾》。《坤》卦卦辭,只是要人如《坤》,至如《蒙》、《蠱》等卦,則又須反其義。此有隨時而順之者,有隨時而制之者。易道只是時。時則有此二義,在學者細察之。

蔡清(明代の学者、《易経蒙引》を著わす)はいう:《乾》卦の卦辞は、人に《乾》の剛健を效法せよというに外ならない。《坤》卦の卦辞は、人に《坤》の柔順を效法せよというに外ならない。《蒙》《蠱》の類の卦に至っては、また反ってその意を用いなければならない——蒙昧なれば啓発に行き、敗壊なれば整治に行く。これで見れば、時勢に順随して因任するものもあり、時勢に対して裁制するものもある。《易》道は結局ただ一つの「時」の字であり、「時」の裡に順と制の二層の意を含む。学者は仔細に体察すべきである。

周公之繫爻辭,或取爻德,或取爻位,又或取本卦之時與本爻之時,又或兼取應爻,或取所承、所乘之爻。有承、乘、應與時位兼取者,有僅取其一二節者,又有取一爻為眾爻之主者。大概不出此數端。

周公が各爻に爻辞を繫ぐに、あるものはこの一爻自身の徳性即ち剛柔中正を取り、あるものはその処する位次を取り、あるものは全卦の時勢とその爻の当下の時機を取り、あるものは兼ねてそれと相応するあの一爻を取り、あるものはその承ける上爻あるいは乗ずる下爻を取る。承・乗・応と時・位の数項を合併して取用するものあり、その中の一二項のみを取るものあり、また某一爻を衆爻の主として取義するものもある。大致この数種の情形を出ない。

綱領三・《易》を読む法および諸家の醇疵を論ず

王氏通曰:《易》之憂患,業業焉,孜孜焉。其畏天憫人,思及時而動乎!繁師玄曰:遠矣!吾視《易》易之道何其難乎!曰:有是夫!“終日乾乾”可也。

王通はいう:《易》の含む憂患意識は、かように兢兢として孜々と倦まない。それは天命を敬畏し世人を悲愍する。おそらく人に時に及んで動けというのであろう。弟子の繁師玄はいう:甚だ深遠です。私が《易》を見るに、《易》道のなんと懂り難いことかと思うのみです。王通はいう:正にそのとおりだ。《乾》卦九三の講ずる「終日勤勉して懈らない」ができれば、それでよいのだ。

劉炫問《易》,曰:聖人於《易》,沒身而已,況吾儕乎?炫曰:吾談之於朝,無我敵者。不答。退謂門人曰:“默而成之,不言而信,存乎德行”。

劉炫が王通に《易》を請教すると、王通はいう:聖人も《易》に対しては終身鑽研するのみである。いわんや我らこれらの人をや。劉炫はいう:私が朝廷で《易》を談ずれば、私を駁倒できる者はいません。王通は回答しなかった。劉炫が退くを俟って、王通は門人に言った:《系辞伝》に「黙々としてこれを成就し、言わずとも人は自ら信服する。全く徳行に在り」と講じている。

北山黃公善醫,先寢食而後針藥。汾陰侯生善筮,先人事而後說卦。

北山の黄公は医術に長じ、つねに先ず病人の睡眠飲食を調理し、然る後に鍼砭湯薬を用いた。汾陰の侯生は筮占に長じ、つねに先ず人事の是非曲直を考察し、然る後に卦象を講解した。

邵子曰:知《易》者不必引用講解,是為知《易》。孟子之言,未嘗及《易》,其間《易》道存焉,但人見之者鮮耳。人能用《易》,是為知《易》。如孟子,可謂善用《易》者也。

邵雍はいう:真に《易》を懂る人は、口を開くに必ずしも経に引き典に拠って講解する必要がない。これを《易》を懂るという。孟子の言葉はかつて《易》に提及しなかったが、彼の言葉の裡には処処に《易》道がある。ただそれを見出せる人が少ないだけである。人が《易》を自身の行事に用いうることを、《易》を懂るという。孟子のごときは、善く《易》を用いる人と言える。

程子曰:觀《易》須看時,然後觀逐爻之才。一爻之中,當包函數意,聖人常取其重者而為之辭。亦有《易》中言之已多,取其未嘗言者,又有且言其時,不及其爻之才者。皆臨時參考,須先看卦,乃看得辭。

程頤はいう:《易》を読むには必ずまず全卦の時勢を看清め、然る後に爻を逐って各爻の才質を考察しなければならない。一爻の中には往々にして数層の意思を含む。聖人は通常その中の最も要緊な一層のみを取って辞を繫ぐ。ある意思は《易》中ですでに多く講じられていれば、転じてまだ講じていない一面を取る。あるものはただこの一爻の処する時勢のみを講じて、その才質に渉らない。これらはみな文に臨んで参酌し、要するに必ずまず卦を見て、はじめて辞を懂り得る。

古之學者,皆有傳授。如聖人作經,本欲明道。今人若不先明義理,不可治經。蓋不得傳授之意云爾。如《繫辭》本欲明《易》,若不先求卦義,則看《繫辭》不得。

古の学問を為す者は、みな師徒の伝授があった。聖人が経を作った本意は大道を闡明せんとするにあった。今の人はもし先ず義理を弄明白にせずんば、経を治める法なく、師承伝授の用意を得ていないからである。たとえば《系辞伝》はもともと《易》を闡明するために作られた。もし先ず卦自身の意義を求め得ざれば、《系辞伝》もまた読み懂せない。

《易》須是默識心通,只窮文意,徒費力。

《易》を読むには必ず黙々として体会し、心中自ら貫通せしめなければならない。もし字面文句の上で死に物狂いで抠るのみならば、気力を費やすばかりである。

朱子曰:看《易》須是看他卦爻未畫以前,是怎模樣,卻就這上見得他許多卦爻象數,是自然如此,不是杜撰。且《詩》則因風俗世變而作,《書》則因帝王政事而作。《易》初未有物,只是懸空說出。當其未有卦畫,則渾然一太極。在人則是喜怒哀樂未發之中,一旦發出,則陰陽吉凶,事事都有在裡面。人須是就至虛靜中,見得這道理周遮通瓏方

朱熹はいう:《易》を読むには必ず卦爻がまだ画かれない以前がどのようなものだったかを見に行かねばならない。まさにこの上において、あの多くの卦爻象数はもとより自然にこのようであって、人が憑空に杜撰したものではないことを見るのである。《詩》は風俗世道の変遷によって作られ、《書》は帝王の政事によって作られたが、《易》は起初に一つの現成の事物がなく、ただ憑空に説き出したものである。卦画がまだなかったとき、渾然としてただ一つの太極である。人の身上に就いて言えば、《中庸》のいう喜怒哀楽がまだ発動しないときの「中」である。いったん発動して出れば、陰陽吉凶が样样その裡にある。人は必ず極虚極静の心境の中において、はじめてこの道理の周遍円通を見ることができる——ここで底本に脱文がある。

經書難讀,而此經為尤難。蓋末開卷時,已有一重象數大概功夫。開卷之後,經文本意,又多被先儒硬說殺了,令人看得意思侷促,不見本來“開物成務”活法。

経書はみな読み難いが、この《易》は特に難しい。まだ書本を翻開しないうちに、まず一重の象数方面の基本功夫があるからである。翻開して後は、経文の本意は多く前代儒者に生硬に講じ死なれて、人に見れば意思は局促し、《易》本来の「万物を開通し事業を成就する」あの灵活な用法を見ることができなくなっている。

《易》不比《詩》《書》,他是說盡天下後世無窮無盡底事理,只一兩個字,便是一個道理。人須是經歷天下許多事變,讀易方知各有一理,精審端正。今既未盡經歷,非是此心大段虛明寧靜,如何見得?

《易》は《詩》《書》に比べず、それは天下後世の窮尽なき事理を説き尽くし、往々にして一二字が一層の道理を含む。人は必ず身自ら天下の多くの事変を経歴して、はじめて《易》を読めば每一条が各々その理あるを知り、精細審慎・端正不偏に体会し得る。いま閲歴がなお足りない以上、この心が格別虚明宁静でなければ、どうして見えようか。

看《易》若是靠定象去看,便滋味長。若只憑地懸空看,也沒甚意思。又曰:說《易》“得其理,則象數在其中”,固是如此。然泝流以觀,卻須先見象數的當下落,方說得理不走作。不然,事無實證,則虛理易差也。

《易》を読むに、もし卦象に緊扣して見れば、滋味は格別に悠長である。もしただこのように憑空に懸想して見れば、大した意味もない。朱熹またいう:《易》を講ずる者が「義理を把握すれば、象数は自然にその中にある」と言うのは固よりそうだが、流れを溯って考察するには、なお先ず象数の確切な着落処を看清めて、はじめて理を講じるに走样せず。さもなくば事に実証なく、憑空に説く理は偏差を出し易い。

今人讀《易》,當分為三等。看伏犧之《易》,如未有許多《彖》、《象》、《文言》說話,方見得《易》之本意,只是要作卜筮用。及文王周公分為六十四卦,添入《乾》“元亨利貞”,《坤》“元亨利牝馬之貞”,已是文王周公自說出一般道理了。

今日の人が《易》を読むには、三層に分けて見るべきである。伏羲の《易》を見れば、あの多くの《彖伝》《象伝》《文言》の言葉がまだなかったものとし、ただ六画の卦のみが残る。これで《易》の本意はただ卜筮の用に供するのみであることを見る。文王・周公に至り、それを六十四卦に分けて文辞を繫いだ。《乾》卦の「元亨利貞」、《坤》卦の「元亨、利牝馬之貞」を添え入れれば、あれはすでに文王・周公が自ら説き出した一套の道理である。

然猶是就人占處說。如占得《乾》卦,則大亭而利於正耳。及孔子繫《易》,作《彖》、《象》、《文言》,則以“元亨利貞”為乾之四德。以上論讀《易》。

ただしこれはなお人の卦を占する角度に就いて講じたものである:《乾》卦を占得すれば、大いに亨通して正を守るに利あるというに外ならない(底本の「亭」は「亨」の誤り)。孔子に至り《易》のために辞を繫ぎ、《彖伝》《象伝》《文言》を作り、はじめて「元・亨・利・貞」を《乾》の四種の徳性として講じた。以上は《易》を読む方法を討論したものである。

孔氏穎達曰;龍出於河,則八卦宣其象。麟傷於澤,則“十翼”彰其用。業資幾聖,時歷三古。及秦亡金鏡,未墜斯文。漢理珠囊,重興儒雅。其傳《易》者,西都則有丁、孟、京、田,東都則有荀、劉、馬、鄭。大體更相祖述,非有絕倫。唯魏世王輔嗣之注,獨冠古今。所以江左諸儒,並傳其學,河北學者,罕能及之。

孔穎達はいう:龍馬が図を負いて黄河に出で、八卦はすなわちその物象を宣示した。麒麟が大野の沢に獲られ傷つけられ(孔子はこれによって《春秋》に絶筆した)、「十翼」はすなわち《易》の功用を彰明した。この番の事業は数人の聖人が接続して完成したものに憑り、時間は上古・中古・下古の三時代を跨越する。秦朝が治国の明鏡を失うに及んでも、この一脉の斯文は地に墜ちなかった。漢朝が秘府蔵書を整理すれば、儒雅の学はあらためて興起した。《易》を伝えた者は、西漢の長安に丁寛・孟喜・京房・田王孫、東漢の洛陽に荀爽・劉表・馬融・鄭玄がいて、大体互いに因襲祖述して、特に出衆した者はいなかった。ただ魏代王弼の注のみが古今に冠たる。だから江東一帯の学者はみな彼の学問を伝習し、黄河以北の学者は及ぶ者が少なかった。

其江南義疏,十有餘家,皆辭尚虛玄,義多浮誕。原夫《易》理難窮,雖復玄之又玄,至於垂範作則,便是有而教有。若論住內住外之空,就能就所之說,斯乃義涉於釋氏,非為教於孔門也。

江南一帯の《易》義疏は十数家あり、文辞はみな虚玄を尚び、義理は多く浮夸荒誕であった。推究すれば、《易》理は固より窮尽し難い。たとえ玄妙に「玄之又玄」の地に至るとも、垂範示典して法則を樹立する層面に至れば、即ち実有に就着けて人に実有を応付するを教えるのである。心識が内に住するか外に住するかのあの「空」を討論し、能観の心と所観の境のあの一套を講ずるものは、義理はすでに仏家に滑入して、孔門の教法ではない。

程子曰:邵堯夫先生之學,得之於李挺之。挺之得之穆伯長,伯長得之華山希夷陳圖南先生。朔其源流,遠有端緒。今穆李之言,及其行事,概可見矣。而先生淳一不雜,汪洋浩大,乃其所自得者多矣。

程颢はいう:邵雍(字は堯夫)の学問は李之才(字は挺之)から得たものである。李之才是穆修(字は伯長)から得、穆修是華山の陳摶(字は図南、号は希夷先生)から得た。その源流を追溯すれば、遥かに自ら頭緒の尋ねうるものがある。いま穆修・李之才の言論と行事は、およそなお見ることができる。しかし邵先生の学問の純一にして雑らず、汪洋浩大なるは、彼自身が体悟して得たものが多い。

尹氏火享曰;伊川先生踐履盡易,其作《傳》只是因而寫成。熟讀玩味,既可見矣。

尹焞(程頤の門人、底本の「火享」の二字は「焞」の拆訛)はいう:伊川先生程頤の一生の躬行実践は、《易》理を体現して余すところがなかった。彼が《伊川易伝》を作ったのは、ただ自己の行うところに順って書き出したにすぎない。この書を反復熟読玩味すれば、自然にこの点を見出せる。

朱子門人間“當期”,曰:《易》卦之位,震東、離南、兌西、坎北者為一說,十二闢卦分屬十二辰者為一說。及焦延壽為卦氣直日之法,乃合二說而一之。既以八卦之震離兌坎二十四爻直四時,又以十二闢卦直十二月。且為分四十八卦為之公侯卿大夫,而六日七分之說生焉。

朱熹の門人が「当期之日」の算法を問うと、朱熹はいう:《易》卦の方位について、一説は《震》は東に居り、《離》は南に居り、《兌》は西に居り、《坎》は北に居るというもの。これは後天卦位である。もう一説は十二消息卦(辟卦)がそれぞれ十二地支に配属するというもの。焦延寿に至り「卦気直日」の法を創出し、はじめて両説を合して一とした:すなわち《震》《離》《兌》《坎》の四卦の二十四爻をもって四時二十四節気に分値し、また十二辟卦をもって十二か月に分値する。さらにその余の四十八卦を公・侯・卿・大夫の四等に分け、ここにおいて每卦が「六日七分」を値るという説が生じた。

若以八卦為主,則十二卦之乾不當為巳之闢。坤不當為亥之闢,艮不當侯於申酉,巽不當侯於戌亥。若以十二卦為主,則八卦之乾不當在西北,坤不當在西南,艮不當在東北,巽不當在東南。彼此二說,互為矛盾。且其分四十八卦為公侯卿大夫,以附於十二闢卦,初無法象,而直以意言,本已無所據矣。不待論其減去四卦二十四爻,而後可以見其失也。

もし八卦方位を準とすれば、十二辟卦中の《乾》は巳月の辟とすべきでなく、《坤》は亥月の辟とすべきでなく、《艮》は申・酉に値すべきでなく、《巽》は戌・亥に値すべきでない。もし十二辟卦を準とすれば、八卦方位中の《乾》は西北に居るべきでなく、《坤》は西南に居るべきでなく、《艮》は東北に居るべきでなく、《巽》は東南に居るべきでない。両説は彼此矛盾する。いわんや四十八卦を公・侯・卿・大夫の四等に分けて十二辟卦に附属するのは、もともと取象の法則に依るべきがなく、ただ主観の意見に憑って排定したもので、元より毫も根拠がない。それが坎離震兌の四卦・二十四爻を減じたという一層を指出するを俟たずとも、その失誤を見出しうるのである。

揚雄《太玄》次第,乃是全用焦法。其八十一苜,蓋亦去其震離兌坎者,而但擬其六十卦耳。諸家於八十一首,多有作擬震離兌坎者。近世許翰始正其誤。至立踦蠃二贊,則正以七百二十九贊,又不足乎六十卦六日七分之數而益之。

揚雄《太玄経》の次第は、全く焦延寿のあの套の办法を採用した。その八十一「首」(底本の「苜」は「首」の誤り)も、大抵は《震》《離》《兌》《坎》の四卦を撇き開いて、ただその余の六十卦に比拟したのみである。各家の《太玄》を解する者は、多く或る「首」を震・離・兌・坎に比拟したと説いたが、近世の許翰に至りはじめてこの錯誤を糾正した。《太玄》が別に「踦」「嬴」の两条の賛辞を立てたのは、正に原有の七百二十九賛がなお六十卦の「六日七分」の数に足らなかったため、添えて補足したのである。

恐不可反據其說,以正焦氏之說也。

だからおそらく反って《太玄》の做法を根拠として、焦延寿のあの一套の卦気の説を校正することはできない。

先天圖非某之說,乃康節之說。非康節之說,乃希夷之說。非希夷之說,乃孔子之

「先天図」は我朱熹の説ではない。邵雍(諡は康節)の説である。邵雍の説でもない。陳摶(希夷先生)の説である。陳摶の説でもなく、孔子の——ここで底本に脱文がある。

問伊川《易》說理太多,曰:伊川言聖人有聖人用,賢人有賢人用。若一爻只作一事,則三百八十四爻,止作得三百八十四事也。說得極好,然他解,依舊是三百八十四爻,止作得三百八十四事用也。

或る人が問う:伊川の《易伝》は義理を講じすぎている。朱熹はいう:伊川はかつて聖人には聖人の用法があり、賢人には賢人の用法があると講じ、またもし一爻をただ一件事とすれば、三百八十四爻は三百八十四件の事に用いるに足るのみだと言った——この言は極めて善く講じている。しかし彼の実際の解説を見れば、依然として三百八十四爻をただ三百八十四件の事として用いている。

《詩》《書》略看訓詁,解釋文義令通而已。卻只玩味本文,其道理只在本文。下面小字盡說,如何會過得他?若《易傳》卻可脫去本文。程子此書平淡地漫漫委曲,說得更無餘蘊,不是那敲磕逼匝出底義理,平鋪地放在面前,只如此等行文,亦自難學,如其他峭拔雄健之文卻可作,若《易傳》淡底文字,如何可及?

《詩》《書》を読むには、ただ訓詁を略見して文義を解釈し通順にすれば足りる。主たるはやはり経文それ自体を玩味することで、道理はみな本文の裡にある。底下の小字注解がどんなに多く説いても、どうして本文に比べられよう。《伊川易伝》に至っては、経文を脱開して単独で見ることができる。程頤のこの書は平平淡淡に、緩やかに曲折して説き来り、道理を講じて剰義なく、硬く敲き硬く逼りて挤り出した義理ではなく、平铺直叙して人の面前に摆く。単にこの行文だけでも、それ自体が学び難い。別の峭拔雄健な文章はなお書き出せるが、《易伝》のごとき平淡の文字は、どうして追いつけよう。

問《易傳》大概將三百八十四爻作人說,恐通未盡否?曰:也是。即是不可裝定作人說,看占得如何。有就事言者,有以位言者。以吉凶言之則為事,以終始言之則為時,以高下言之則為位,隨所作而看皆通。《繫辭》云:“不可為典要,唯變所適。”豈可裝定作人說?

或る人が問う:《伊川易伝》は大体三百八十四爻をみな人として講じているが、処々に講じ通らないのではないか。朱熹はいう:正にそのとおり。即ち死板的に一律に人として講じてはならず、なお占うところが何であるかを見なければならない。爻辞には事に就いて説くものあり、爻位に就いて説くものあり:吉凶の上から言えば即ち事であり、始終の上から言えば即ち時であり、高下の上から言えば即ち位である。占う対象に随って見れば、みな講じ通る。《系辞伝》は「一成不変の規条としてはならず、ただ変化に随って適応する」という。どうして死板的に一律に人として講じることができよう。

此書近細讀之,恐程《傳》得之已多,但不合全說作義理,不就卜筮上看,故其說有無頓著處耳。今但作卜筮看,而以其說推之,道理自不可易。

この書を私は近ごろ仔細に読んだ。程頤《易伝》の所得はすでに多いと感じる。ただ全てを義理として講ずべきではなく、卜筮の角度から見ることを肯んじないので、彼の解説にはある箇所で安放不下・実処に落ちないところがある。いまただ《易》を卜筮の書として見て、再び彼の説法をもって推衍すれば、あの道理は自然に顚撲不破である。

自秦漢以來,考象辭者,泥於術數,而不得其弘通簡易之法。談義理者,淪於空寂,而不適乎仁義中正之歸。求其因時立教以承三聖,不同於法而同於道者,則唯伊川先生程氏之書而已。

秦漢以来、卦象と文辞を考究した者は術数に拘泥して、あの弘大通達・簡易平実の法門を得なかった。義理を談論した者はまた空虚寂滅に淪入して、仁・義・中・正の帰宿に落ちなかった。時代に因応して教法を設立し、上は伏羲・文王・孔子の三位の聖人を承け、做法は前聖と同じでなくても守る道は相同じという者を求めれば、それは伊川先生程頤のこの書のみである。

老蘇說《易》,專得於“愛惡相攻而吉凶生”以下三句。他把這六爻,似那累世相仇相殺底人相似看。這一爻攻那一爻,這一畫克那一畫,全不近人情。東坡見他恁地太粗疎,卻添得些佛老在裡面,其書自作兩樣。

蘇洵(人は老蘇と称す)の《易》を講ずるは、全く《系辞伝》の「愛悪相攻而吉凶生」以下の三句から得たものである。彼は一卦六爻を、世代仇を結び相殺する人のごとく見た:この一爻があの一爻を攻め、この一画があの一画を克する。全然人情に近くない。彼の息子蘇軾(東坡)は父の講ずるのがあまりに粗疏なのを見て、そこに些かの仏家老荘のものを掺れ入れた。ここにおいて《東坡易伝》一書は自ら別の一副の面貌を成した。

王氏應麟曰:以義理解易,自王弼始,何晏非弼比也。清談亡晉,衍也,非弼也:范寧以王弼何晏並言,過矣。

王応麟はいう:義理をもって《易》を解するは、王弼から始まった。何晏の学問は遠く王弼に比すべきでない。清談が国を誤り西晋を断送したのは王衍であって、王弼ではない。范寧が王弼・何晏を併提して同じく責難したのは、実に過分であった。

程子言《易》,謂得其義則象數在其中。朱子以為先見象數,方說得理,不然,事無實證,則虛理易差。愚嘗觀顏延之《庭誥》云:馬、陸得其象數,取之於物;荀、王舉其正宗,得之於心。其說以荀、於為長。

程頤は《易》を講じて、ただ義理を把握すれば象数は自ずからその中にあると言った。朱熹はかえって先ず象数を看清めてはじめて道理を講じ得るとし、さもなくば事に実証が欠け、空談の理は偏を出し易いとした。私、王応麟はかつて南朝顔延之の《庭誥》を読んだ。その中にいう:馬融・陸績の得たものは象数で、外物に取法した。荀爽・王弼の挙出したものは正宗で、内心より得た——顔氏の意思は荀・王両家を優とするにある(底本の「荀、于」は「荀、王」とすべし)。

李泰發亦謂一行明數而不知其義,管輅明象而不通其理。蓋自輔嗣之學行,而象數之說隱。然義理象數,一以貫之,乃為盡善。以上論諸家說《易》。

李光(字は泰発、宋代の名臣)もまたいう:唐代の僧一行は暦数に精しいがその中の義理を懂らず、三国の管輅は卦象に精しいがその中の道理に通じない。大抵王弼の学が盛行して以来、象数の一路の学説は隠没した。しかし義理と象数は一をもって貫き打通して、はじめて尽く善と算すべきである。以上は各家の《易》を解する得失を討論したものである。

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