Libo

易学啓蒙

清 · 李光地 · 第81巻 / 87

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

聖人現象以畫卦,揲蓍以命爻,使天下後世之人,皆有以決嫌疑,定猶豫,而為迷於吉凶悔吝之途,其功可謂盛矣。然其為卦也,自本而乾,自乾而枝,其勢若有所迫而自不能已;其為蓍也,分合進退,從橫逆順,亦無往而不相值焉,是豈聖人心思智慮之所得為也哉。特氣數之自然,形於法象,見於圖書者,有以啟於其心而假手焉爾。

朱熹《易学啓蒙》の自序:聖人は物象を観察して卦体を画き、蓍草を分揲して爻位を断定し、天下後世の人をしてみなこれを借りて嫌疑を決断し猶豫を平定せしめ、吉凶悔吝の途路において迷失するに至らざらしむ(底本は「不迷」を「而為迷」と誤る)。この功労は極めて大と称し得る。しかるに卦の生成は、根本より主干を長じ、主干より枝條を長ず。その勢いはなにかに背後より逼られているがごとく、自ら停め得ず。蓍草の運算は、分かれてまた合攏し、前進してまた退回し、縦にも横にも、順推にも逆推にも、一処として恰も相值せざるなし。これはなんぞ聖人が心思智慮を憑って安排し出せるものであらんや。ただ気と数との自然の理が法象と顕現し、《河図》《洛書》の上に呈露して、聖人の心を啓発したに過ぎず。聖人はただ手を借りてそれを画き出したのみである。

近世學者,類喜談《易》而不察乎此,其專於文義者,既支離散漫,而無所根著,其涉於象數者,又皆牽合傅會,而或以為出於聖人心思智慮之所為也,若是者予竊病焉,因與同志,頗輯舊文,為書四篇,以示初學,使毋疑於其說雲。淳熙丙午暮春既望魏氏了翁曰:朱文公《易》,得於邵子為多。蓋不讀邵《易》,則茫不知《啟蒙》、《本義》之所以作。

近來の学者は大いに《易》を談ずるを好むも、かつてこの一層に留意せず。専ら文辞義理を講ずるは、説くこと支離散漫にして、附着すべき根柢なし。象数に渉るは、またすべて牽強附会で、甚だしきはこれらが聖人の心思智慮の造作に出づと以為するに至る。この種の情形に対して私くしに深く安んぜず。これにより志を同じくする朋友と一道に、前人の旧説を輯録を加えて、四篇に編成し、初学の人に拿し看せしめ、彼らをしてこれらの説法に再び疑惑せざらしむ。淳熙丙午年暮春十六日に写す。集説:魏了翁がいう、朱文公の《易》を講ずるは、邵雍より得る所最多し。もし邵雍の《易》学を読まざれば、《易学啓蒙》と《周易本義》とがなぜあのように写したかを茫然として知らざるなり。

啓蒙上・本図書第一

《易大傳》曰:“河出圖,洛出書,聖人則之。”孔安國云:“河圖者,伏羲氏王天下,龍馬出河遂則其文,以畫八卦。洛書者,禹治水時,神龜負文而列於背,有數至九,禹遂因而第之,以成九類。

《易大伝》、すなわち《繋辞上伝》にいう:「河出図、洛出書、聖人則之。」孔安国がいう:いわゆる《河図》は、伏羲氏が天下を統治したとき、竜馬が黄河の裏より出づ。伏羲は便ちその身上の纹路を取法して、因りて八卦を画成す。いわゆる《洛書》は、大禹が水を治めたとき、神亀が文理を背負いて亀背の上に排列す。数目は一直に九まで排す。大禹はここにおいてそれに依りて次第を編定し、写し成して《洪範》の九類の大法と為す。

集說 朱子答袁樞曰:以《河圖》、《洛書》為不足信,自歐陽公以來,已有此說,然終無奈《顧命》、《繫辭》、《論語》皆有是言,而諸儒所傳二圖之數,雖有交互而無乖戾,順數逆推,縱橫曲直皆有明法,不可得而破除也。至如《河圖》與《易》之天一至 劉歆云:伏羲氏繼天而王,受《河圖》而畫之,八卦是也。禹治洪水,錫《洛書》法而陳之,九疇是也。《河圖》、《洛書》相為經緯、八卦九章相為表裡。

集説:朱熹が袁枢に答えた信の裏にいう、《河図》《洛書》を以て憑信するに足らずと看作すは、欧陽修以来この主張あり。しかるに奈何せん、《尚書・顧命》《繋辞伝》《論語》の裏にみなこのような話あり。而して諸儒の伝うる両図の数目は、彼此交錯するといえども、並びて互相に抵触せず。順に数え逆に推し、縦向横向および斜向に至るまでみな明白の法則あり。実に一笔で抹掉する術なし。《河図》と《易》の天一より……に至っては底本はここに脱文あり、朱子の言は説き終えず、下面に直ちに劉歆の言を接ぐ。劉歆がいう:伏羲氏は天命を承継して王と為り、《河図》を接受して之に摹画を加う。それはすなわち八卦である。大禹は洪水を治平し、上天が《洛書》を賜い、彼はそれに依りて法を鋪陳す。それはすなわち《洪範》の九疇である。《河図》と《洛書》とは互いに経緯を為し、八卦と九章とは互いに表裏を為す。

關子明云:《河圖》之文,七前六後,八左九右,《洛書》之文,九前一後,三左七右,四前左,二前右,八後左,六後右。集說 朱子書《河圖》、《洛書》曰:讀《大戴禮》書,又得一證甚明。其《明堂》篇有“二九四七五三六一八”之語,而鄭氏注云:“法龜文也”,然則漢人固以九數者為《洛書》也。

関朗がいう:《河図》の紋数は、七を前、六を後、八を左、九を右とす。《洛書》の紋数は、九を前、一を後、三を左、七を右、四を前左角、二を前右角、八を後左角、六を後右角とす。ここにいう「前」は南方を指し、「後」は北方を指し、「左」は東方を指し、「右」は西方を指す。集説:朱熹は《書河囖洛書後》の一文の裏にいう、《大戴礼記》を読みて、また一条の極めて明白なる証拠を得たり。書中の《明堂》篇に「二九四、七五三、六一八」のこのような話あり。鄭玄の注に「これは亀背の紋理を取法す」という。見るべし、漢朝の人はもとより九個の数位のあの一幅を以て《洛書》と当作せり。

又偶讀《漫記》曰:子華子論《河圖》之二與四抱九而上躋,六與八蹈一而下沈,五居其中,據三持七,巧亦甚矣,唯其甚巧,所以知其非古書也。案 鄭注《大戴禮》是確證,至子華子,則位置雖明,但錯以《洛書》為《河圖》,故朱子疑其非古書。

朱熹がまた一則の読書随記の裏にいう:《子華子》の《河図》を論ずるは、二と四とが九を抱えて向上に躋升し、六と八とが一を踏んで向下に沈降し、五は正中に居り、左は三に拠り右は七を持つと講ず――説くこともまた巧みなること極点に到ると算し得る。まさに太も巧みなるがゆえに、それを先秦の古書に非ずと断定す。案ずるに:鄭玄が《大戴礼記》を注するあの一条は確鑿の証拠である。《子華子》に至っては、それの講ずる方位は清楚なるといえども、ただ《洛書》を錯って《河図》と當成したり。ゆえに朱子はそれが古書に非ずと疑心す。

邵子曰:圓者星也,曆紀之數,其肇於此乎。曆法合二始以定剛柔,二中以定律曆,二終以紀閏餘,足所謂曆紀也。方者土也,畫州井地之法,其仿於此乎。州有九,井九百畝,是所謂畫州井地也。蓋圓者《河圖》之數,方者《洛書》之文,故羲文因之而造《易》,禹箕敘之而作《範》也。

邵雍がいう:円なるは星象で、歴法紀年の数目を推排するは、大概ここに発端せり。歴法は両箇の起始の数を相合して剛日柔日を定め、両箇の居中の数を相合して律吕歴数を定め、両箇の終末の数を相合して閏余を記す。これがすなわちいわゆる「歴紀」である。方なるは土地で、州域を劃分し井田を経営するの办法は、大概ここに仿效せり。州は九箇あり、一井は九百畝である。これがすなわちいわゆる「画州井地」である。大体に言えば、円は《河図》の数に属し、方は《洛書》の文に属す。ゆえに伏羲・文王はそれに依りて《周易》を造り出し、大禹・箕子はそれに依りて《洪範》を排出す。

蔡元定曰:古今傳記,自孔安國劉向父子、班固皆以為《河圖》授羲,《洛書》錫禹。關子明、邵康節,皆以十為《河圖》,九為《洛書》。蓋《大傳》既陳“天地五十有五”之數,《洪範》又明言“天乃錫禹洪範九疇”,而九宮之數,戴九履一,左三右七,二四為肩,六八為足,正龜背之象也。唯劉牧臆見,以九為《河圖》,十為《洛書》,託言出於希夷,既與諸儒舊說不合,又引《大傳》以為二者皆出於伏羲之世,其《易》置圖書,並無明驗,但謂伏羲兼取圖書,則《易》、《範》之數誠相表裡,為可疑耳。

蔡元定がいう:古今の伝記は、孔安国、劉向劉歆父子より班固に至るまで、みな《河図》は伏羲に授け、《洛書》は大禹に賜うと認む。関朗と邵雍もまた十位のあの一幅を以て《河図》と為し、九位のあの一幅を以て《洛書》と為す。《繋辞伝》がすでに「天地之数五十有五」を陳述し、《洪範》がまた明らかに「天乃錫禹洪範九疇」というがゆえに。而して九宮の数目は頭に九を頂き足に一を踏み、左辺に三、右辺に七、二と四とが両肩を為し、六と八とが両足を為す。まさに亀背の形象である。ただ劉牧のみ主観臆断を憑って説を立て、九位を《河図》に當て十位を《洛書》に當て、なお辞に托して陳摶に源出すという。このようはすでに前代諸儒の旧説に合せず、彼はまた《繋辞伝》を引き、両図とも伏羲の時代に出づと主張す――彼が両図の名目を対調したるは、もとより確証なし。ただ伏羲が同時に図と書とを取用したといえば、《周易》と《洪範》の数は確かに互いに表裏を為す。この一層はなお斟酌に値す。

其實天地之理,一而已矣,雖時有古今先後之不同,而其理則不容於有二也。故伏羲但據《河圖》以作《易》,則不必豫見《洛書》,而已逆與之合矣。大禹但據《洛書》以作《範》,則亦不必追考《河圖》,而已暗與之符矣。其所以然者何戰?誠以此理之外,無復它理故也。

実に天地間の道理はただ一つである。時代に古今先後の分别あるといえども、道理は両套あるを容れず。ゆえに伏羲はただ《河図》を憑って《易》を作り、預め《洛書》を見るを用いずして、《易》はすでに先行して《洛書》と相合す。大禹はただ《洛書》を憑って《洪範》を作り、また回頭して《河図》を考究するを用いずして、《洪範》はすでに暗に《河図》と相符す。なんぞや(底本は「何哉」を「何戦」と誤る)。実にこの道理のほか、再び別の道理なきがゆえに。

然不特此爾,律呂有五聲十二律,而其相乘之數,究於六十,日名有十干十二支,而其相乘之數,亦究於六十,二者皆出於《易》之後,其起數又各不同,然與《易》之陰陽策數多少自相配合,皆為六十者無不合若符契也。下至運氣參同太乙之屬雖不足道,然亦無不相通,蓋自然之理也。

しかもただこの一件に止まらず。律吕に五声十二律ありて、両者相乗の数は六十に終止す。日名に十天干十二地支ありて、両者相乗の数もまた六十に終止す。この両套はみな《周易》の後に出現し、数を起こすの办法もまた各々相同じからざるに、《周易》の陰陽策数の多寡と互相に配搭して、およそ六十を得る所は、吻合して符节の対合するがごとくならざるなし。下って再び運気の学、《周易参同契》、太乙数の一類に説き至れば、推重するに値せざるといえども、またそれと相通ぜざる一样なし――これはみな自然而然の道理である。

假令今世復有圖書者出,其數亦必相符,可謂伏羲有取於今日而作《易》乎?《大傳》所謂“河出圖,洛出書,聖人則之”者,亦汛言聖人作《易》作《範》,其原皆出於天之意,如言“以卜筮者尚其占”,與“莫大乎蓍龜”之類,《易》之書豈有龜與卜之法子?亦言其理無二而已爾。

假使当今の世に再びこの類の図書が出現せんにも、その数も必ずそれと相符す。なんぞ伏羲が今天の図書に取材してはじめて《易》を作ったと言い得んや。《繋辞伝》のいう「河出図、洛出書、聖人則之」も、またただ泛泛と聖人が《易》を作り《洪範》を作るを講じ、その本原はみな天より出づるに過ぎず。それが「以卜筮者尚其占」といい、および「莫大乎蓍亀」の一類の話のごとし。《周易》のこの部書のうちに、なんぞ真に亀を灼き卜を行うの法式あらんや(底本は「乎」を「子」と誤る)。またただ卜と筮との道理は並びて両様ならざるを説くに過ぎず。

此一節,夫子所以發明《河圖》之數也。天地之間,一氣而已,分而為二,則為陰陽,而五行造化,萬物始終,無不管於是焉。故《河圖》之位,一與六共宗而居乎北,二與七為朋而居乎南,三與八同道而居乎東,四與九為友而居乎西,五與十相守而居乎中。蓋其所以為數者,不過一陰一陽,以兩其五行而已。

《啓蒙》の本文にいう:《繋辞》が「天一地二」より「此所以成変化而行鬼神也」のこの一節に至るは、孔子が《河図》の数を闡発するに用いるものである。天地のあいだはただ一気のみ。一を二に分かてばすなわち陰陽で、而して五行の造化、万物の始終は、これにより統攝せられざるなし。ゆえに《河図》の方位は、一と六とが同宗して北方に居り、二と七とが結伴して南方に居り、三と八とが同道して東方に居り、四と九とが友を為して西方に居り、五と十とが相守して中央に居る。そのこのような数と為る所以は、ただ一陰一陽にして、五行を各々両重に配成するに過ぎず。

所謂天者,陽之輕清而位乎上者也。所謂地者,陰之重濁而位乎下者也,陽數奇,故一三五七九皆屬乎天,所謂“天數五”也。陰數偶,故二四六八十皆屬乎地,所謂“地數五”也,天數地數,各以類而相求,所謂“五位之相得”者然也。

いうところの「天」とは、陽気のうち軽清にして上位に居るあの一面である。いうところの「地」とは、陰気のうち重濁にして下位に居るあの一面である。陽数は奇数である。ゆえに一・三・五・七・九はみな天に帰属す。これがすなわち《繋辞》のいわゆる「天数五」。陰数は偶数である。ゆえに二・四・六・八・十はみな地に帰属す。これがすなわちいわゆる「地数五」。天数と地数とは各々同類を按じて互相に配対を尋求す。これがすなわちいわゆる「五位相得」の意である。

天以一生水,而地以六成之,地以二生火,而天以七成之,天以三生木,而地以八成之,地以四生金,而天以九成之,天以五生土,而地以十成之,此又其所謂“各有合”焉者也。積五奇而為二十五,積五偶而為三十,合是二者而為五十有五,此《河圖》之全數,皆夫子之意,而諾儒之說也。至於《洛書》,則雖夫子之所未言,然其象其說,已具於前,有以通之,則劉歆所謂經緯,表裡者可見矣。

天は一を以て水を生出し、地は六を以てそれに成形せしむ。地は二を以て火を生出し、天は七を以てそれに成形せしむ。天は三を以て木を生出し、地は八を以てそれに成形せしむ。地は四を以て金を生出し、天は九を以てそれに成形せしむ。天は五を以て土を生出し、地は十を以てそれに成形せしむ――これはまた《繋辞》のいわゆる「各有合」の意である。五つの奇数を累積すれば二十五、五つの偶数を累積すれば三十、両項を合計すれば五十五。これがすなわち《河図》の全数である。そのうち天地之数を講ずるは孔子の本意で、五行生成を講ずるはすなわち漢以来諸儒の説法である(底本は「諸儒」を「諾儒」と誤る)。《洛書》に至っては、孔子はかつて説き及ばざるといえども、その図象と相関の説法は前面にすでに具備す。ただ両辺を貫通して看れば、劉歆のいうところの互いに経緯を為し互いに表裏を為すは、また見出し得るなり。

案 中間述《大傳》處,是夫子之意,天一生水之類,則是諸儒之說,蓋諸儒舊說,皆以五行說圖書,故朱子於《啟蒙》、《本義》,因而仍之,它日又曰:《河圖》、《洛書》於八卦九章不相著,未知如何也。然則朱子之意,蓋疑圖書之精蘊,不盡於諸儒之所云者爾。

案ずるに:上面のあの一段のうち、中間に《繋辞伝》を引述する所は孔子の本意である。「天以一生水」の一類は、すなわち漢以来諸儒の説法である。諸儒の旧説はみな五行を以て《河図》《洛書》を解釈す。ゆえに朱子は《易学啓蒙》と《周易本義》の裏にてもすなわちそれを沿用して下り来たり。しかるに彼はその後また言いていう:「《河図》《洛書》と八卦・九章とのあいだは並びて密合せず、一体どう講ずべきかを知らず。」このよう見れば、朱子の意は、図書の裏のあれらの精微の蘊含が、並びて諸儒の説法に講じ尽くされざるを疑心するなり。

或曰:《河圖》、《洛書》之位與數其所以不同何也?曰《河圖》以五生數統五成數而同處其方,蓋揭其全以示人而道其常,數之體也。《洛書》以五奇數統四偶數而各居其所,蓋主於陽以統陰而肇其變,數之用也。

ある人が問う:《河図》と《洛書》の方位と数目とは、なぜ彼此同じからざるか。答えて曰く:《河図》は五つの生数を用いて五つの成数を統領し、生数成数は同一の方位の上に同処す。これは全体を和盤に托出して人に見せ、常道を講ずるなり。「数之体」に属す。《洛書》は五つの奇数を用いて四つの偶数を統領し、奇数偶数は各々自己の位置の上に安居す。これは陽を主と為して陰を統領し、ここにより変化を開啓するなり。「数之用」に属す。

集說 趙氏汝楳曰:一對二,三對四,而五居中,六七合一二,八九合三四,而十合五,奇偶數對,陰陽有合,而數之體以立。聖人所謂“陰陽合德而剛柔有體”者,此其類也。

集説:趙汝楳がいう、一と二と相対し、三と四と相対し、而して五は正中に居る。六七は一二に相配し、八九は三四に相配し、十は五に相配す。奇数偶数は両々対を成し、陰陽は彼此合あり。「数之体」はこのようにして確立し起こる。《繋辞伝》のいう「陰陽合徳而剛柔有体」は、講ずる所まさにこの類の道理である。

體立矣不變則數不行,故陽以三左行,陰以二右行,三其一為三,而居東,三其三為九,而居南,三其九為二十七,而七居西,三其二十七為八十一,而一復居北,等而上之,至於億兆,其餘數之位皆然。二其二為四而居東南,二其四為八而居東北,二其八為十六,而六居西北,二其十六為三十二,而二復居西南,上而億兆亦然。八位既列,五仍居中,而數之用以通,聖人所謂“參伍以變,錯綜其數”者,此其類也。

体はすでに立ったれども、もし変動を発生せざれば、数は運行し起こらず。ゆえに陽は三を倍率として左に推行し、陰は二を倍率として右に推行す。一の三倍は三、三は便ち東方に居る。三の三倍は九、九は便ち南方に居る。九の三倍は二十七、余る七を取りて西方に居る。二十七の三倍は八十一、余る一を取りてまた北方に帰る。このようのごとく一層一層と遞推し上りて、億兆の数に至るまで、余る数の落ちる方位もまたこのようである。陰数の一辺:二の二倍は四、四は東南に居る。四の二倍は八、八は東北に居る。八の二倍は十六、余る六を取りて西北に居る。十六の二倍は三十二、余る二を取りてまた西南に帰る。上に推して億兆に至るもまたこの様子である。八つの方位すでに排定し、五はなお中央に居る。「数之用」はここにおいて貫通す。《繋辞伝》のいう「参伍以変、錯綜其数」は、講ずる所まさにこの類の道理である。

鮑氏云龍曰:以《洛書》變數推之,陽以三左行,天圓徑一圍三。三,天數也。一在北:一而三之,三在東;三其三為九,而居南;九而三之,三九二十七而居西;三其二十七為八十一,而一復居於北。北而東,東而由,南而西,西而復北,循環不窮,有以符;天道左旋之義。

鮑雲龍がいう:《洛書》の変数を以て推算すれば、陽は三を倍率として左に推行す。これは天体が円なるにより、直径が一のとき周長は三、三はすなわち天数である。一は北方に在り:一に三を乗じて三を得、三は便ち東方に在る。三に三を乗じて九を得、九は便ち南方に在る。九に三を乗じて二十七を得、余る七を取りて便ち西方に在る。二十七に三を乗じて八十一を得、余る一を取りてまた北方に帰る。北より東、東より南(底本は「東而南」を「東而由」と誤る)、南より西、西よりまた北に帰り、循環して已まず。まさに天道の自左に旋るの意に合す。

地方徑一圍四,兩其二也,蓋以地上之數起於二,而陰資以為始,位在西南而右行,二而二之為四,而居東南,二而四之為八,而居東北:二其八為十六,而居西北,二其十六為三十二,而二復居西南本位。西南而東南,東南而東北,東北而

地体は方で、直径が一のとき周長は四、四はまさに二の两倍である。地上の数が二に起こるにより、陰気はそれを憑って開端と為す。ゆえに二の本位は西南に在り、しかも右に推行す。二の二倍は四、四は東南に居る。四の二倍は八、八は東北に居る。八の二倍は十六、余る六を取りて西北に居る。十六の二倍は三十二、余る二を取りてまた西南の本位に帰る。西南より東南、東南より東北、東北より再び下に……底本はここに脱文あり、鮑氏のこの段話は説き終えず、下面に直ちに李光地の按語を接ぐ。

案 朱子此條,己盡圖書之大義。蓋以生數統成數而同處其方者,自五以前為方生之數,自五以後為既成之數。陰生則陽成,陽生則陰成,陰陽二氣,相為終始,而未嘗相離也。以奇數統偶數而各居其所者,四正之位,奇數居之;四維之位,偶數居之。陰統於陽,地統於天,天地同流,而定分不易也。揭其至以示人,而道其常者數至十而始全,缺一則不全矣。故曰數之體主於陽以統陰,而肇其變者,始於一,終於九,所以起因乘歸除之法,故曰數之用。然生成之理則明矣,而正維之位所自定者,唯趙氏鮑氏之說,為能推明其義,諸家皆不及也。

案ずるに:朱子のこの一条は、すでに《河図》《洛書》の大義を説き尽くせり。いわゆる「以生数統成数而同処其方」とは、五以前の一二三四はまさに生じつつある数、五以後の六七八九十はすでに成った数をいう。陰が生出せばすなわち陽によりてそれを成就し、陽が生出せばすなわち陰によりてそれを成就し、陰陽二気は互いに終始を為して、從來かつて相離れず。いわゆる「以奇数統偶数而各居其所」とは、東南西北の四正の位置は奇数が占拠し、東南・西南・東北・西北の四隅の位置は偶数が占拠するをいう。陰は陽に統を受け、地は天に統を受く。天地は一気のうちに同流するといえども、尊卑の定分は移易せず。「掲其全以示人而道其常」は、数が十に至ってはじめて完備と算し、一を欠けば不完備なるがゆえに「数之体」と呼ぶ。「主于陽以統陰而肇其変」は、一に始まり九に終わり、ここにより因・乗・帰・除の算法を起し出し得るがゆえに「数之用」と呼ぶ。生成の道理は固より講じ明かしたれども、四正四隅の方位がいかに定め下されたかに至っては、ただ趙汝楳・鮑雲龍の両家の説法のみがその義理を推闡し得、其余の各家はみな及ばず。

曰:其皆以五居中者何也?曰:凡數之始,一陰一陽而已矣。陽之象圓,圓者徑一而圍三,陰之象方,方者徑一而圍四,圍三者以一為一,故參其一陽而為三。圍四者以二為一,故兩其一陰而為二,是所謂“參天兩地”者也。二二之合,則為五矣,此《河圖》、《洛書》之數,所以皆以五為中也。案 三二之合,五也,一四之合,亦五也,一一二二之積,又五也,三二四四之積,又五之積也,此五所以為數之會而位之中與。

問う:両図はなぜいずれも五を以て中に居るか。答えて曰く:およそ数の開端は、ただ一陰一陽のみ。陽の象は円で、円形は直径が一のとき周長は三。陰の象は方で、方形は直径が一のとき周長は四。周長が三なるは、一を一個の単位と為す。ゆえにあの一陽を三を以て参じて三を成す。周長が四なるは、二を一個の単位と為す。ゆえにあの一陰を二にして二を成す――これがすなわち《説卦伝》のいわゆる「参天両地」。三と二と相合すればすなわち五(底本は「三二」を「二二」と誤る)。これがまさに《河図》《洛書》がともに五を以て中に居るの縁故である。案ずるに:三と二と相合は五、一と四と相合もまた五。一・一・二・二のこの幾つの数を積むもなお五を出でず、三・二・四・四のこの幾つの数を積むも、ただ五の倍積に過ぎず。五が衆数の会帰・方位の中心と為る所以は、道理はここに在り。

然《河圖》以生數為主,故其中之所以為五者,亦具五生數之象焉。其下一點,天一之象也,其卜一點,地二之象也,其左一點,天三之象也,其右一點,地四之象也,其中一點,天五之象也。

ただし《河図》は生数を主と為す。ゆえにその中央のあの五つの点は、本身もまた五つの生数の形象を具備す。下面の一点は、天一の象。上面の一点は(底本は「上」を「卜」と誤る)、地二の象。左辺の一点は、天三の象。右辺の一点は、地四の象。居中の一点は、天五の象。

《洛書》以奇數為主,故其中之所以為五者,亦具五奇數之象焉。其下一點,亦天一之象也,其左一點,亦天三之象也,其中一點,亦天五之象也,其右一點,則天七之象也,其上一點,則天九之象也,其數與位,皆三同而二異,蓋陽不可易,而陰可易,成數雖陽,固亦生之陰也。

《洛書》は奇数を主と為す。ゆえにその中央のあの五つの点は、本身もまた五つの奇数の形象を具備す。下面の一点は、同じく天一の象。左辺の一点は、同じく天三の象。居中の一点は、同じく天五の象。右辺の一点は、すなわち天七の象。上面の一点は、すなわち天九の象。両図の中央五点の数と位とは、三処相同じく、両処相異なる。これは陽に属するは改易すべからず、陰に属するは改易し得るがゆえに。七・九は陽の成数に属するといえども、生数の一・三に対して言えば、それらはなお後成の一辺に処る。

曰:中央之五,既為五數之象矣,然其為數也,奈何?曰:以數言之通乎一圖,由內及外,固各有積實可紀之數矣,然《河圖》之一二三四各居其五象本方之外,而六七八九十者,又各因五而得數,以附於其生數之外。《洛書》之一三七九,亦各居其五象本方之外,而二四六八者,又各因其類以附於奇數之側,蓋中者為主,而外者為客,正者為君,而側者為臣,亦各有條而不紊也。

問う:中央の五はすでに五つの数の形象なれば、それ自身を数として就いて言えば、またどう講ずべきか。答えて曰く:ただ数目に就いて言えば、整幅の図を通看し、裏より外に向かい、もとより各々実在に計点し得べき数目あり。ただし《河図》の一二三四は、各々中央の五象の対する本方の外面に居り、而して六七八九十はまた各々中央の五に因りて数を加出し、各自の生数の外側に附す。《洛書》の一三七九もまた、各々中央の五象の対する本方の外面に居り、而して二四六八はまた各々同類に依りて奇数の傍に附す。総じて中に居るは主、外に在るは客、正位に居るは君、側位に居るは臣で、各々条理ありて紊乱せず。

集說 翁氏泳曰:《河圖》東北陽方,則主之以奇,而與合者偶,西南陰方,則主之以偶,而與合者奇。吳氏曰慎曰:陽始北而終西,一三陽尚微,故居內。七九陽盛而著於外也,必實其中而後能著乎外,故五居中。陰始南而終東,二四陰尚微,故居內。六八陰盛而凝於外也,必堅乎外而後能實其內,故十居中。自中而外,陽之生長,自外而中,陰之收藏,觀於草木之枝葉果實,亦可見矣。

集説:翁泳がいう、《河図》の東方北方は陽に属す。すなわち奇数を主と為し、それと相配合するは偶数である。西方南方は陰に属す。すなわち偶数を主と為し、それと相配合するは奇数である。呉曰慎がいう、陽は北方より起こり、西方に至って終わる。一と三とは陽気まだ微弱ゆえに裏層に居る。七と九とは陽気盛大にして外層に顕露す。必ず先に内裏を充実せしめて、しかるのちに外に顕発し得る。ゆえに五は中央に居る。陰は南方より起こり、東方に至って終わる。二と四とは陰気まだ微弱ゆえに裏層に居る。六と八とは陰気盛大にして外層に凝聚す。必ず先に外囲を堅固にして、しかるのちに内裏を充実し得る。ゆえに十は中央に居る。中央より外に向かうは陽気の生長、外より中央に向かうは陰気の収蔵。草木が先に枝葉を発して後に果実を結ぶの過程を見れば、すなわち明白にし得るなり。

五,生數之終,十,成數之終,而藏於中,此“太和”之所以“保合”深固,而生機之所以充實於內也。案 此段即與上生數統成數奇數,統偶數一段相發明。以生數統成數者,生數常居內而為主,成數常居外而為客。如一歲之寒暑往來,一月之陰魄死生,一日之晝夜進退,

呉曰慎がまたいう:五は生数の末位、十は成数の末位で、両者とも中央に収蔵す。これがまさに《乾・彖伝》のいう「保合太和」の深厚牢固なる所以、生機の内に充実する所以の縁故である。案ずるに:この一段はちょうど上面の「以生数統成数、以奇数統偶数」のあの一段と互相に発明す。いわゆる以生数統成数とは、生数はつねに内に居りて主を為し、成数はつねに外に居りて客を為すをいう。一年のうちの寒暑の往来、一月のうちの月魄の生死、一日のうちの昼夜の進退のごとし……底本はここに脱文あり、按語は説き終えず、下面に直ちに《啓蒙》本文の問答を接ぐ。

曰:其多寡之不同何也?曰:《河圖》主全,故極於十,而奇偶之位均,論其積實,然後見其偶贏而奇乏也。洛書主變,故極於九,而具位與實,皆奇贏而偶乏也。必皆虛其中也,然後陰陽之數,均於二十而無偏耳。案 此段亦與上段數之體、數之用相發明。

問う:両図の数目の多と少とはなぜ同じからざるか。答えて曰く:《河図》は完備を主と為す。ゆえに数は十に至って止まり、奇位偶位各々五つを占め、两下均等である。各位の実数を累加するに及んで、はじめて偶数三十、奇数二十五を見出し、偶多くして奇少なし。《洛書》は変化を主と為す。ゆえに数は九に至って止まり、位次を論ずるも実数を論ずるも、みな奇数が五位を占めて共に二十五、偶数が四位を占めて共に二十、奇多くして偶少なし。必ず両図の中央の数を一併に虚去して計せざるを要し、しかるのちに陰陽両辺の数はじめて各々二十を得て、均平にして偏重なし。案ずるに:この一段もまた上の一段の「数之体」「数之用」を講ずると互相に発明す。

曰:其序之不同何也?曰《河圖》以生出之次言之,則始下次上次左次右以復於中,而又始下也。以運行之次言之,則始東次南次中次西次北,左旋一周而又始於東也。其生數之在內者,則陽居下左而陰居上右也,共成數之在外者,則陰居下左,而陽居上右也。《洛書》之次,其陽數,則首北次東次中次西次南,其陰數,則首西南次東南次西北次東北也。合而言之,則首北次西南次東次東南次中次西北次西次東北而究於南也。

問う:両図の次序の不同はまたどう講ずるか。答えて曰く:《河図》はもし生出の先後を按じて言えば、先に下面北方の一、次に上面南方の二、次に左辺東方の三、次に右辺西方の四、中央の五に回り、しかるのちにまた下面北方の六より重新開始す。もし五行運行の先後を按じて言えば、先に東方の木、次に南方の火、次に中央の土、次に西方の金、次に北方の水、左に旋りて一周し、また東方より頭を起こす。そのうち内に居る生数は、陽数は下方と左方に在り、陰数は上方と右方に在る。外に居る成数は、すなわち陰数は下方と左方に在り、陽数は上方と右方に在る。《洛書》の次序は、陽数に就いて言えば、先に北方の一、次に東方の三、次に中央の五、次に西方の七、次に南方の九。陰数に就いて言えば、先に西南の二、次に東南の四、次に西北の六、次に東北の八。合わせて通じて言えば、すなわち先に北、次に西南、次に東、次に東南、次に中、次に西北、次に西、次に東北、而して南方に終結す。

其運行,則水克火,火克金,金克木,木克土,右旋一周,而土復克水也,是亦各有說矣。曰:其七八九六之數不同何也?曰《河圖》六七八九,既附於生數之外矣,此陰陽老少進退饒乏之正也,其九者,生數一三五之積也,故自北而東,自東而西,以成於四之外。其六者,生數二四之積也,故自南而西,自西而北,以成於一之外。七則九之自西而南者也,八則六之自北而東者也,此又陰陽老少、互藏其宅之變也。

《洛書》の運行に至っては、水が火に剋ち、火が金に剋ち、金が木に剋ち、木が土に剋ち、右に旋りて一周し、而して土はまた轉じ回りて水に剋つ。これもまた各々その説法あり。問う:七・八・九・六のこの四つの数は両図の裏にてなぜ同じからざるか。答えて曰く:《河図》の六七八九はすでに生数の外囲に附す。これは陰陽老少進退多寡の正例である。そのうちの九は、生数の一・三・五を累加した和である。ゆえに北より東、東より西に至り、四の外面に成形す。そのうちの六は、生数の二・四を累加した和である。ゆえに南より西、西より北に至り、一の外面に成形す。七は九が西方より南方に移りしもの、八は六が北方より東方に移りしもの――これはまた陰陽老少が互いに対方の居所の裏に蔵するの変例である。

《洛書》之縱橫十五而七八九六,迭為消長,虛五分十,而一含九,二含八,三含七,四含六,則參伍錯綜,無適而不遇其合焉,此變化無窮之所以為妙也。曰:然則聖人之則之也,奈何?曰:則《河圖》者虛其中,則《洛書》者總其實也。《河圖》之虛五與十者,太極也,奇數二十偶數二十者,兩儀也。以一二三四為六七八九者,四象也,析四方之合,以為乾坤離坎,補四隅之空,以為兌震巽艮者,八卦也。

《洛書》は縦にも横にも相加すればみな十五で、而して七・八・九・六はそのあいだにて輪番に消長す。中央の五を虚去し、再び十を分派し開かば、ここにおいて一と九と相含み、二と八と相含み、三と七と相含み、四と六と相含み、三三五五錯綜配搭して、一処として恰も十に凑成せざるなし。これがすなわちそれの変化無窮の奇妙の処である。問う:それならば聖人の両図に取法するは、一体どう取ったか。答えて曰く:《河図》に取法するは、その中央を虚去す。《洛書》に取法するは、その実数を総括す。《河図》が五と十とを虚去すれば、余るはすなわち太極。奇数二十、偶数二十はすなわち両儀。一二三四を配成して六七八九と為せばすなわち四象。四正方位の上の生成両数の合処を剖き開き、乾・坤・離・坎に配し、再び四隅の空缺を補して兌・震・巽・艮に配せば、すなわち八卦である。

《洛書》之實,其一為五行,其二為五事,其三為八政,其四為五紀,其五為皇極,其六為三德,其七為稽疑,其八為庶徽,其九為福極,其位與數尤曉然矣。

《洛書》の総括する実数は、一は《洪範》の「五行」に対応し、二は「五事」に対応し、三は「八政」に対応し、四は「五紀」に対応し、五は「皇極」に対応し、六は「三徳」に対応し、七は「稽疑」に対応し、八は「庶征」に対応し(底本は「征」を「徽」と誤る)、九は「五福六極」に対応す。方位と数目との対応は、ここにてとくに一目了然である。

集說 《朱於語類》云:《洛書》本文,只四十五點。班固云:六十五字,皆《洛書》本文,古字畫少,恐或有模樣,但今無所考。漢儒此說未是,恐只是以義起之,不是數如此,蓋皆以天道人事參互言之:五行最急,故第一;五事又參之,故第二;身既修,可推之於政,故八政次之;政既成,又驗之於天道,故五紀次之;

集説:《朱子語類》(底本は「子」を「于」と誤る)にいう、《洛書》の本文はただ四十五個の点のみ。班固は《洪範》の裏のあの六十五個の字はみな《洛書》の本文という。古時の字体は笔画簡省ゆえに、あるいは真にあのような写法ありしか。ただ今天考証する術なし。漢儒のこの説法は必ずしも対ならず。九疇の次第はおそらくただ義理を按じて排出したのみで、《洛書》の数が本身このようとは並びて非ざる。九疇は大体天道と人事とを交錯して講ず。五行は最も切要ゆえに第一に列す。五事はまた五行を参照するを須む。ゆえに第二に列す。自身すでに修治せられれば、政事の上に推行し得る。ゆえに八政を第三に列す。政事すでに辧成せられれば、また天時を以て験証するを要す。ゆえに五紀を第四に列す。

又繼之以皇極居五,蓋能推五行,正五事,用八政,修五紀,乃可以建極也,六三德,乃是權衡此皇極者也,德既修矣,稽疑庶徵繼之者,著其驗也,又繼之以福極,則善惡之效,至是不可加矣,皇極非大中也,皇乃天子,極乃極至,言皇建此極也。

これに接ぐは皇極が第五位に居る。必ず能く五行を推明し、五事を端正し、八政を施行し、五紀を修治して、しかるのちにはじめて至極の準則を建立するを談じ得るがゆえに。第六の三徳は、この皇極を権衡し、時に随い軽重取舍するに用いる。徳すでに修成せられれば、再接ぐに稽疑と庶征とを以てし、その応験を顕示するに用いる。また再接ぐに五福六極を以てすれば、善悪の招致する効果は、ここに至りて再び添加すべきなし。いわゆる「皇極」は「大中」の意ではない。「皇」は天子を指し、「極」は至極の準則を指し、天子がこの準則を建立起こすを説く。

吳氏曰慎曰:《河圖》虛中宮以象太極,故周子曰“無極而太極”,《洛書》主中五以為皇極,故曰皇建其有極。陰陽皆自內始生,窮外而盡,觀四時之寒暑相推,萬物之榮枯生死可見。《河圖》 《洛書》上三數象天,中三數象人,下三數象地,人能參天地,贊化育,建中和,故歸重於五皇極焉。

呉曰慎がいう:《河図》は中宮を虚去して太極を象徴す。ゆえに周敦頤は「无極而太極」という。《洛書》は中央の五を以て主と為して皇極と立つ。ゆえに《洪範》は「皇建其有極」という。陰陽はみな内裏より生発し始め、一直に最外層に窮尽するまで至る。四季寒暑の遞相推移、万物の栄枯生死を看れば、すなわち明白にし得るなり。《河図》……《洛書》(底本はここに脱文あり、両書名のあいだの話はすでに缺く)上面の三つの数は天を象徴し、中間の三つの数は人を象徴し、下面の三つの数は地を象徴す。人は能く天地と並立して三を為し、天地の化育を輔助し、中和の徳を建立す。ゆえに九疇は重きを第五の皇極に帰す。

案 吳氏三條,於圖書卦疇,深有發明。所謂無極有極雲者,則《易》、《範》之第一義也,其以先天圖合《河圖》,語尤真切。聖人所謂則之者,為其理之符契耳,豈必規規於點畫方位而求密合哉!

案ずるに:呉曰慎のこの三条は、《河図》《洛書》と八卦九疇との関係に対して、甚だ発明あり。彼のいう「无極」「有極」は、まさに《周易》と《洪範》の第一義である。彼が先天図を以て《河図》に比合するは、話はとくに貼切を説き得たり。聖人のいわゆる「則之」は、ただその道理の上の相符相合を取るに過ぎず。なんぞ必ず点数画位を死に摳り、処処にその密合を求めざるべからざらんや。

《洛書》以四正之參數象天,四隅之兩數象地,中宮之合數象人,吳氏分三重者,似亦本於《大戴禮》子華子之說,然今以《洪範》考之,蓋始於一二三,中於四五六,終於七八九,而各以相天道,建主極,協民居,為之先後次第,自日用飲食修己治人之近,層累增高,至於上下同流而後已焉,皆所謂得其理而不規規於點畫方位以求密合者。大抵《易》卦以八為節,其根起於兩儀也,《範疇》以九為節,其根起於三才也,知《易》、《範》所起之根,則知“圖書”所蘊之妙矣。

《洛書》は四正位の上の奇数を以て天を象徴し、四隅位の上の偶数を以て地を象徴し、中宮の合成する数を以て人を象徴す。呉氏はそれを三層に分かちて看る。もしかするとまた《大戴礼記》と《子華子》の説法に本づく。ただし今天《洪範》を以て核対すれば、九疇は大体一・二・三に始まり、四・五・六に中り、七・八・九に終わり、各々天道を輔相し、君極を建立し、民居を協和するを以て先後の次第と為す。日用飲食、修己治人のこれら切近の処より歩を起こし、一層一層と上に加高し、天地上下と同流するに至って罷む。これらはみなその義理の相通ずるを取りて、点数方位を死に摳りて密合を求めざるの做法に属す。大体に言えば、《易》の卦は八を以て一個の節段と為し、根子は両儀に起こる。《洪範》の疇は九を以て一個の節段と為し、根子は三才に起こる。《易》と《范》とが数を起こすの根子を解れば、すなわち《河図》《洛書》の蘊含する奥妙をも解す。

曰:《洛書》而虛其中,則亦太極也,奇偶各居二十,則亦兩儀也,一二三四而含九八七六,縱橫十五而互為七八九六,則亦四象也,四方之正,以為乾坤離坎,四隅之偏,以為兌震巽艮,則亦八卦也。《河圖》之一六為水,二七為火,三八為木,四九為金,五十為土,則固《洪範》之五行,而五十有五者,又九疇之子目也,是則《洛書》固可以為《易》,而《河圖》亦可以為《範》矣。且又安知“圖”之不為書,“書”之不為“圖”也邪!

問う:《洛書》はもし中央を虚去せば、あれもすなわち太極である。奇数偶数各々二十を占めれば、あれもすなわち両儀である。一二三四が各々九八七六を含み、縦横相加してみな十五にして七八九六が互相に配換すれば、あれもすなわち四象である。四方の正位を乾・坤・離・坎に配し、四隅の偏位を兌・震・巽・艮に配せば、あれもすなわち八卦である。《河図》に至っては、一と六とを水と為し、二と七とを火と為し、三と八とを木と為し、四と九とを金と為し、五と十とを土と為すは、もとより《洪範》の五行である。而して五十五のこの総数は、またまさに九疇の下の各条細目の数目である。このよう見れば、《洛書》は固より《周易》を推出し得べく、《河図》もまた同じく《洪範》を推出し得べし。それならばまたなんぞ図がすなわち書にあらず、書がすなわち図にあらざるを知らんや。

曰:是其時雖有先後,數雖有多寡,然其為理則一而已。但《易》乃伏羲之所先得乎“圖”,而初無所待於“書”,《範》則大禹之所獨得乎“書”,而未必追考於“圖”耳。且以《河圖》而虛十,則《洛書》四十有五之數也,虛五則大衍五十之數也,積五與十,則《洛書》縱橫十五之數也,以五乘十,以十乘五,則又皆大衍之數也。

答えて曰く:両図の出現の時代は先後あるといえども、数目は多少あるといえども、そのうちの道理はただ一つである。ただ《周易》は伏羲が先に《河図》より得たるで、当初かつて《洛書》を借助せず。《洪範》は大禹が単に《洛書》より得たるで、また必ずしも回頭して《河図》を考究せず。何況や《河図》の十を虚去すれば、余るはまさに《洛書》四十五の数。五を虚去すれば、余るはまさに大衍五十の数。五と十と相加えば十五を得、まさに《洛書》の縦横相加の十五の数。五に十を乗じ、十に五を乗じてみな五十を得、またみな大衍の数である。

《洛書》之五,又自含五而得十,而通為大衍之數矣,積五與十,則得十五,而通為《河圖》之數矣,苟明乎此,則橫斜曲直,無所不通,而《河圖》、《洛書》,又豈有先後彼此之間哉!

《洛書》の中央の五は、本身に再び一つの五を含めばすなわち十を成し、四十と合わせて便ち通じて大衍五十の数と為る。五と十と相加えば十五を得、八方相加え合わせて便ち通じて《河図》の数と為る。もしこの一層を看明白にせば、それならば横に算え、斜に算え、曲に算え、直に算え、一路として通ぜざるなし。《河図》と《洛書》とのあいだには、またなんぞ先後彼此の界限を分かち出さんや。

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