《象伝》・豫卦
本義 “雷出地奮”,和之至也,先王作樂,既象其聲,又取其義。殷,盛也。 程傳 雷者,陽氣奮發,陰陽相薄而成聲也。陽始潛閉地中,及其動,則出地奮震也,始閉鬱,及奮發則通暢和豫,故為《豫》也。坤順震發,和順積中而發於聲,樂之象也。先王觀雷出地而奮,和暢發於聲之象,作聲樂以褒崇功德,其殷盛至於薦之上帝,推配之以祖考。“殷”,盛也。禮有殷奠,謂盛也,薦上帝,配祖考,盛之至也。
朱熹《本義》にいう:「雷出地奮」は、和暢の極処に至るなり。先王が音楽を制作す、すでに雷の声音に取法し、またその意義を取用す。「殷」は則ち盛大なり。程頤《伊川易伝》にいう:雷とは、陽気の奮発、陰陽相互の激盪して声を成すなり。陽気は起初潜蔵・閉鎖して地中に在り、それの一動を待ちて、便ち地面に冲出して震動・奮発す。起初は郁閉せしが、一旦奮発し出でれば通暢・和楽す。ゆえに《豫》と言う。下卦の坤は順、上卦の震は動、和順が中に積蓄して声音に発露す、まさに音楽の象なり。先王は雷が地に出でて奮発し和暢の気が声音に発するこの象を観て、於是楽曲を制作して功德を褒揚・崇奉し、その隆盛に至りては以て上帝に献祭し、併せて祖先を推尊して配享せしむ。「殷」は則ち盛、礼制の中に「殷奠」あり、言う所は盛大なり。上帝に献祭し祖考を以て配享するは、あれは隆盛の頂点に至るなり。
集說 荀氏爽曰:樂者,聖人因人之豫而節之,所以養其正而閒其邪,其和可以感鬼神,而況於人乎。 鄭氏康成曰:“奮”,動也。雷動於地上,萬物乃豫也,人至樂則手欲鼓之,足欲舞之,王者功成作樂,以文得之者作龠舞,以武得之者作萬舞,各充其德而為制,祀天帝以配祖考者,使與天同饗其功也,故《孝經》云,郊祀后稷以配天,宗祀文王於明堂以配上帝也。
集説に引く荀爽の説:音楽とは、聖人が人心の歓愉に順いて之に節制を加え、もってその正を涵養しその邪を防閑するなり。あの和気は鬼神をも感動するに連なり、何況や人をば。集説に引く鄭玄(字は康成)の説:「奮」は則ち動。雷は地の上に震動し、万物は於是歓暢す。人は快楽の極処に到れば、手は撃拍せんと思い足は起舞せんと思う。王者は功業成就すれば便ち楽舞を制作す。文徳を以て天下を取得するは「龠舞」を作り、武功を以て天下を取得するは「万舞」を作る。各々己の徳行に按りて制度を定む。天帝を祭祀して祖先を以て配享するは、祖先をして上天と一同にこの功業を享受せしめんと欲するなり。ゆえに《孝経》に言う、郊に於て天を祭るに后稷を以て配享し、明堂に於て文王を尊祀して以て上帝に配すと。
胡氏炳文曰:《本義》云象其聲者,樂之聲法雷之聲,又取其義者,豫以和為義,雷所以發揚化功,而鼓天地之和,樂所以發揚功德,而召神人之和也。 初六,鳴豫,志窮凶也。 本義 窮,謂滿極。 程傳 雲初六,謂其以陰柔處下,而志意窮極,不勝其豫,至於鳴也,必驕肆而致凶矣。
集説に引く胡炳文の説:朱熹《本義》が「象其声」と講ずるは、楽の声音が雷の声音に取法するを言う。「又取其義」と講ずるは、《豫》が和を以て義とするを言う――雷はもって造化の功を発揚し天地の和気を鼓動するに用いられ、楽は則ちもって功業・徳行を発揚し神と人の和気を召来す。《象伝》にいう:初六が歓愉に叫び声を出すは、心志すでに窮極して凶を致すなり。朱熹《本義》にいう:「窮」とは満の極処に至るを言う。程頤《伊川易伝》にいう:《象伝》がことさら「初六」を標出するは、それが陰柔の質を以て最下に処りて、而して心意はすでに窮極し、あの得意を按抑すること能わず、叫び声を出すに至るを指す。このようであれば必ず驕縦・放肆にして兇険を招く。
集說 楊氏簡曰:位之在下,未為窮也,豫而鳴,其志窮矣。 趙氏汝楳曰:位方在初,時勢未窮,而競躁如此,是志已先窮,自取其凶者也。 不終曰貞吉,以中正也。 程傳 能‘不終日’而‘貞’且‘吉’者,以有中正之德也。中正故其守堅而能辨之早,去之速,爻言六二處豫之道,為教之意深矣。
集説に引く楊簡の説:位置は下に在り、本身はなお窮と算せず。一たび得意して叫び声を出せば、あの心志は是れ真に窮なり。集説に引く趙汝楳の説:位置は才に初爻に在り、時勢はいまだ尽頭に至らず、すでにこのごとく争競・浮躁す。これにより心志は先に自ら窮尽したるを見る。凶は自ら招来するなり。《象伝》にいう:一日を用いずして正を守りて吉を得るは、「中正」の徳を具えるが故なり(底本「不終曰」は「曰」を「日」の訛りとす)。程頤《伊川易伝》にいう:能く「不終日」にしてまた「貞」また「吉」なるは、それに中正の徳行あるが故なり。惟れそれ中正なるが故に、操守は堅定にして、能く及早に辨明し迅速に抽身す。爻辞の講ずる六二が《豫》の時に処身するの道は、垂教の用意は甚だ深し。
集說 黃氏淳耀曰:“中正”,即“介石”意,是推明所以“不終日”之故。 盱豫有悔,位不當也。 程傳 自處不當,失中正也,是以進退有悔。 集說 王氏申子曰:此爻與六二相反,‘盱’則不能“介于石”,“遲”則不能“不終日”,中正與不中正故也。
集説に引く黄淳耀の説:「中正」は則ち爻辞「介于石」の意にして、「不終日」の縁由を推究したるなり。《象伝》にいう:顔を仰いで楽を求めて悔ありとあるは、居る所の位恰當ならざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は自処當ならず、中正を失う。ゆえに進めば悔、退けば悔なり。集説に引く王申子の説:この一爻は六二と正反対なり。一味に「盱」して臉色を上に仰望すれば、「介于石」のごとき耿介を致すこと能わず。一味に遅疑・拖延すれば、「不終日」のごとき果斷を致すこと能わず。分別はただ中正と不中正にあるのみ。
由豫大有得,志大行也。 集說 喬氏中和曰;剛應而志行,蓋由四以陽剛為群陰所應,故其志得以大行也。 六五貞疾,乘剛也。恆不死,中未亡也。 程傳 貞而疾,由乘剛為剛所逼也。“恆不死”,中之尊位未亡也。
《象伝》にいう:衆人が彼に由りて歓楽を得て、因りて大いに獲る所有るは、彼の心志が大いに施行することを得たるなり。集説に引く喬中和の説:陽剛の爻が応和を得て心志を施行するは、まさに九四が陽剛の質を以て一群の陰爻に応和せられるが故に、その志向が大行すること能うなり。《象伝》にいう:六五が正を守りて疾患あるは、それが陽剛の上に凌駕するが故なり。長久にして死亡に至らざるは、居中の尊位いまだ丟れざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:正を守るも疾患を生ずるは、それが「乗剛」にして、下面の陽剛に逼られしに由る。いわゆる「恒不死」は、それが居中の尊位をいまだ失わざるを言う。
集說 楊氏時曰:居豫之時,無剛健之才,逸於豫者也。孟子曰:入則無法家拂士,出則無敵國外患者,國常亡。六五之乘剛,有法家拂士敵國外患之謂也,左右救正之故以正為疾,雖未能執其中而中未亡,則不死於安樂矣,故“常不死”。 鄭氏汝諧曰:二與五皆不言豫,二靜晦,不為豫也,五乘剛,不敢豫也,若人得一固疾,雖不快於已,亦足以久其生者,有戒心也,是以終未亡而常存。
集説に引く楊時の説:《豫》の時に処りて、また剛健の才具なければ、則ち安逸・享楽の人なり。孟子が言いしことあらん:国の内に法度を守る世臣と輔弼の賢士なく、国の外に敵対の邦国と外来の憂患なきがごとき国は、往々にして滅亡す。六五の「乗剛」は、まさに法家・拂士あり敵国・外患あるの処境に相当す。左右に人あってそれを匡救・扶正すれば、ゆえにそれは反ってこの匡正を以て疾患と為す。それは雖もなお真に中道を執守すること能わざれども、居中の位は并びに丟れず。就中や安楽の裏に死するに至らず、ゆえに「常不死」と言う。集説に引く鄭汝諧の説:六二と六五は皆な「豫」の字を提げず。六二は安静・晦蔵して逸楽せず。六五は下面の陽剛に逼られて、敢えて逸楽せず。人が一種の痼疾を得るがごとく、自ら痛快ならざると雖も、亦た以て寿命を延長するに足る。心中に常に戒懼を存するが故に、終に亡びずして長く存す。
胡氏炳文曰:豫最易以溺人,六二柔中且正,能不終日而去之。六五陰柔不正,未免溺於豫矣!猶得不死者,“中未亡”也。人莫不生於憂患,而死於逸樂,以六五之中,僅得不死,然則初之“鳴”,三之“盱”,上之“冥”,其不中者,皆非生道矣。
集説に引く胡炳文の説:安楽は最も容易に人を淹没す。六二は柔順にして中に居りてまた「當位」の正を得て、能く一天の過ぐるを待たずして抽身・離去す。六五は陰柔にして當位ならず、難免や安楽の裏に沈溺せん。居然としてなお死せざるは、「中未亡」に頼るなり。人に憂患に生まれ安楽に死せざるはなし。六五を憑りて一個の「中」の字を占むるも、不過勉强にして不死を保住するのみ。然らば則ち初六の「鳴豫」、六三の「盱豫」、上六の「冥豫」、これらすでに中に居らざるは、則ち皆な活路に非ず。
冥豫在上,何可長也。 程傳 昏冥於豫。至於終極,災咎行及矣,其可長然乎,當速渝也。 集說 胡氏瑗曰:“何可長”者,言其悅豫過甚,至於情蕩性冥而不知所止,是“何可長”如此乎,言能渝變,則可以無咎也:王氏申子曰:豫至於上極矣,極則不可以久,速渝可也。
《象伝》にいう:逸楽に昏昧してまた最上に居る、これ何ぞ長くすること能わん。程頤《伊川易伝》にいう:昏昏然として安楽の裏に沈迷し、一直に尽頭に到れば、災禍・過咎はまさに臨頭せんとす。豈になおこのまま下去ること能わんや。まさに赶快に改変すべし。集説に引く胡瑗の説:いわゆる「何可長」とは、彼が喜悦・逸楽に過頭して、情感放蕩・心性昏昧にして何処に止まるを知らざるに至るを言う。このごとくして何ぞ長久ならん。言外の意はただ能く改変すれば、即ち以て過錯なかるべし。集説に引く王申子の説:《豫》は上爻に到れば則ち極点なり。極点に到れば便ち持久すべからず。赶快に改変してこそ對なり。
《象伝》・随卦
澤中有雷,隨。君子以嚮晦入宴息。 本義 雷藏澤中,隨時休息。 程傳 雷震於澤中,澤隨震而動,為《隨》之象。君子觀象,以隨時而動,隨時之宜,萬事皆然,取其最明且近者言之。“君子以嚮晦入宴息”,君子晝則自強不息,及向昏晦,則入居於內,宴息以安其身,起居隨時,適其宜也。禮君子晝不居內,夜不居外,隨時之道也。
《象伝》にいう:大沢の中に雷の潜伏あり、これが《随》卦の「大象」なり。君子はこれに倣って、天色の晩に向かえば屋に入りて歇息す。朱熹《本義》にいう:雷は沢中に収蔵す、まさに時令に順いて休息するなり。程頤《伊川易伝》にいう:雷は沢中に震動し、沢水は雷震に随いて動盪す、これは《随》の象なり。君子はこの象を観て、就ち時勢に随いて行動す。時勢の宜しき所に順随するは、万事皆なこの道理なり。ここではただ最も明白・最も切近の一件を取りて講ず。「君子以向晦入宴息」とは、君子は白天に自強・不息にして事を為し、天色の昏晩に到れば、就ち屋の裏に進み入り、安歇して身体を休息せしむ。起居・作息は時候に順いて、各々その宜を得る。礼制に按れば、君子は白天に内室を待たず、夜裏に外面を待たず。これまさに随時の道理なり。
集說 翟氏玄曰:“晦”者冥也,雷者陽氣,春夏用事,今在澤中,秋冬時也。故君子象之,日出視事,其將晦冥,退入宴寢而休息也。 《朱子語類》:問:程子云澤隨雷動,君子當隨時宴息,是否?曰:既曰雷動,何不言君子以動作,卻言宴息,蓋其卦震下兌上,乃雷入地中之象,雷隨時伏藏,故君子亦“嚮晦入宴息”。
集説に引く翟玄の説:「晦」は則ち昏暗なり。雷は陽気に属し、春夏に当令す。如今却って沢中に伏す、これにより秋冬の時節を見るべし。ゆえに君子はこれに倣って、太陽出でれば出でて理事し、天色まさに昏黒せんとすれば、就ち退回して内室に安寝・休息す。集説に引く《朱子語類》:ある人が問う、程頤が沢は雷に随いて動き、君子はまさに時に随いて安息すべしと言う、この話は對か。朱熹が答えていう:すでに雷は動くと言う、何を以て君子のまさに起きて行動すべきを講ぜず、反って安息を講ずるや。因るにこの一卦は震は下に在り兌は上に在り、まさに雷が地中に潜入するの象なり。雷は時令に順いて伏蔵す。ゆえに君子も亦た「向晦入宴息」す。
官有渝,從正吉也。出門交有功,不失也。 程傳 既有隨而變,必所從得正則吉也,所從不止。則有悔吝。出門而交,非牽於私,其交必正矣,正則無失而有功。 集說 俞氏琰曰:卦以陽爻為主,為主者故不當隨人,而陽亦不當隨陰,然以正從正,則隨道之當然也。
《象伝》にいう:主とする所の事に変動ありて、正道に跟従すれば則ち吉なり。門外に走り出でて交往して功あるは、閃失あらざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:すでに形勢に随いて改変する所あれば、必ず跟従する所の一方端正なるを須としてこそ吉なり。跟従の對象端正ならざれば、悔恨・羞吝を招来せん(底本「所従不止」は「止」を「正」とすべし)。門外に走り出でて交往し、私情の牽累を受けざれば、交往の對象は必ず端正なり。端正なれば則ち閃失なくして建功すること能う。集説に引く俞琰の説:この一卦は陽爻を以て主とす。主を為すはもとより人に随うべからず、陽もまた陰に随うべからず。不過もし正を以て正に随わば、則ちあれは道に随う当然の様子なり。
程傳 人之所隨,得正則遠邪,從非則失是,無兩從之理,二苟繫初,則失五矣,弗能兼與也,所以戒人從正當專一也。 案 九五、六二之應同也,在《比》、《萃》則“吉”,在《同人》則“吝”,在《隨》則“係小子”,而吝亦可知矣。所以然者。皆因卦義而變,卦義以剛下柔,柔必繫之。 故推之爻義,而知其“弗兼與也。”
(六二《象伝》の本文「繋小子、弗兼与也」は底本脱漏す。)程頤《伊川易伝》にいう:人の跟従する對象は、その正を得れば則ち邪に遠ざかる。錯の一頭に跟従すれば、則ち對の一頭を失う。両頭兼ねて従うの道理なし。六二がもし初九を牽繋すれば、則ち九五を失う。両辺は兼顧すること能わず。これは人を誡めて正道に跟従するに必ず専一ならしむるなり。李光地按す:九五と六二の相応は、各卦もとより一樣なり。可是《比》《萃》の両卦に於ては「吉」と言い、《同人》卦に於ては「吝」と言い、《随》卦に於ては「繋小子」と言う。然らば則ちその羞吝も亦た想見すべし。然る所以は、皆な各卦の卦義に随いて変ずるなり。《随》卦の卦義は陽剛が柔下に屈居すれば、柔は就ち必ず往きてそれを牽繋す。ゆえに爻義に推して、便ちそれが「弗兼与也」なるを知る。
繫丈失,志舍下也。 程傳 既隨於上,則是其志舍下而不從也。舍下而從上,舍卑而從高也,於隨為善矣。 集說 黃氏淳耀曰:人之取舍繫乎志,三志既繫於四,則所舍必在於初矣。在二則因繫以明其弗兼,在三則因舍以堅其所繫。
《象伝》にいう:成年の男子を牽繋するは、心志が下面を捨棄したるなり(底本「繋丈失」は「失」を「夫」の訛りとす)。程頤《伊川易伝》にいう:六三すでに上面の九四に随従すれば、則ちあれはその心志が下面を捨棄して更に跟従せず。下を捨てて上に従うは、卑者を捨棄して尊者に跟従するにして、《随》卦の裏に於ては好しと算す。集説に引く黄淳耀の説:人の取り捨ては心志に繋る。六三の心志すでに九四に牽繋すれば、然らば則ちそれが捨棄する所は必ず初九なり。六二に於ては、「繋」のこの一面に就きてそれが両頭を兼顧すること能わざるを点明す。六三のここに於ては、「捨」のこの一面に就きてそれが牽繋する所の一頭を堅定す。
案 此爻何以知其志舍下,以無剛來下之,則必從上之剛矣,四近而初遠故也。卦義以剛下柔,而此爻以柔從剛,於時義則不合,而不失乎陽唱陰隨之常理,故聖人猶嘉其志焉。
李光地按す:この一爻は何を憑りてその心志が下面を捨棄したると断定せん。因るに下面に陽剛のそれに屈就するなく、則ちそれは必ず往きて上面の陽剛に跟従す。何況や九四は近く初九は遠し。全卦の卦義は陽剛が柔下に屈居するにして、而してこの一爻は却って柔が剛に跟従し往くなり。一卦の当時の意旨に就きて言えば并びに吻合せざれども、仍旧として陽唱・陰随の常理に違背せず。ゆえに聖人はその心志に対してなお嘉許を加う。
隨有獲,其義凶也。有孚在道,明功也。 程傳 居近君之位而有獲,其義固凶,能有孚而在道則無咎,蓋明哲之功也。 集說 袁氏樞曰:其義凶者,有凶之理也,處得其道如下所云,則無咎矣。
《象伝》にいう:随従して獲取する所有るは、道理に就きて講ずれば凶なり。心に誠信を懐きて正道に合乎するは、これは明智の帶来する功效なり。程頤《伊川易伝》にいう:身に君主に貼近する位置に居りてまた収穫あるは、道理に就きて本来凶なり。能く誠信を懐きて正道に合乎すれば、過錯なし、これは明達・睿智の功效なり。集説に引く袁枢の説:いわゆる「其義凶」とは、この裏頭に凶を招くの道理を含むを言う。もし能く下文の言うごとく処置・得當ならば、亦た過錯なかるべし。
案 義者,謂卦義也,卦義剛下於柔,而四剛為柔隨,且處近君之地,尤有招納之嫌,故曰“其艾凶也”。 孚于嘉,吉。位正中也。 程傳 處正中之位,由正中之道,孚誠所隨者正中也,所謂“嘉”也,其吉可知。 所孚之嘉謂六二也,隨以得中為善,隨之所防者過也,蓋心所說隨,則不知其過矣。
李光地按す:ここの「義」は卦義を指す。《随》卦の卦義は陽剛が柔下に屈居するにして、而して九四は陽剛の質を以て反って柔に随従せられ、また君主に貼近する処に処れば、格外に人心を招引・収納するの嫌疑あり。ゆえに「其義凶也」と言う(底本「其艾凶也」は「艾」を「義」の訛りとす)。《象伝》にいう:誠信にて美善の一方に随従して吉を得るは、九五の位すでに正にして且つ中なるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:正中の位に処り、正中の道を走り、誠信にて随従する所も亦た正中の一方なり、これ則ちいわゆる「嘉」なり。その吉は想知すべし。それが誠信にて随従する「嘉」は六二を指す。随従は中を得るを以て好しと為し、随従の提防すべき所は過分なり。因るに心中一たび喜べば則ち随い下りて、往々自らの過分を察覚せず。
案 當隨之時,居尊位而有正中之德,則所孚者皆善矣,初五皆言吉,而五尤吉,以其正中故爾。 拘係之,上窮也。 本義 “窮”,極也。 程傳 隨之固如“拘繫”維持,隨道之窮極也。
李光地按す:《随》の時に当たりて、身に尊位に居りて正中の徳を具えれば、然らば則ちそれが信従する人は自ずから皆な善類なり。初九と九五は皆な吉に言及す、而して九五は尤も吉なり、まさにそれがすでに正にして且つ中なるに因る。《象伝》にいう:彼を拘捕・捆縛し起きるは、上六すでに尽頭に到れるなり。朱熹《本義》にいう:「窮」は則ち極なり。程頤《伊川易伝》にいう:随従が堅固にして拘禁・捆縛せらるるがごとく維系せられるに至るは、これは随道の窮極に走到したるなり。
案 上窮則有高亢之意,在人如絕世離群,往而不返者是也。卦之陰爻皆云“繫”,至上六獨曰“拘係之”,故未子發明其義,以為因上六之不易繫也。
李光地按す:上爻は窮極なれば、便ち高亢・孤絶の意味を帶び、人事の上に於てはあの世と隔絶し人群を離れ一去・不返の人のごとし。この一卦の陰爻は皆な「繋」と言う、上六に到りて却って単に「拘繋之」と言う。ゆえに朱熹はことさらその意を闡発して、これは上六がもとより繋住し易からざるに因ると認む(底本「未子」は「朱子」とすべし)。
《象伝》・蠱卦
山下有風,蠱。君子以振民育德。 本義 “山下有風”,物壞而有事矣。而事莫大於二者,乃治己治人之道也。 程傳 “山下有風”,風遇山而回,則物皆散亂,故為有事之象。君子觀有事之象, 集說 李氏舜臣曰:“山下有風”,則風落山之謂。山木摧落,蠱敗之象。飭蠱者,必須有以振起之。“振民”者,猶巽風之鼓為號令也。“育德”者,猶艮山之養成材力也。
《象伝》にいう:山の下面に風が刮く、これが《蠱》卦の「大象」なり。君子はこれに倣って、百姓を振奮し徳行を培育す。朱熹《本義》にいう:「山下有風」は、東西が吹き壊されて、於是為すべき事あり。而して事はこの両件より大なるはなし、則ち己を治理し人を治理するの道理なり。程頤《伊川易伝》にいう:「山下有風」は、風は山に碰上れば便ち回旋し、万物は皆な吹き散乱せらる。ゆえに「有事」の象なり。君子はこの有事の象を観て、……ここに底本脱文あり、程氏の語未完、下は直ちに集説に接続す。集説に引く李舜臣の説:「山下有風」と言う所は、風が山上の東西を吹き落とすを講ず。山上の林木は摧折・凋零し、まさに敗壊・生蠹の象なり。敗壊を整治せんと要すれば、必ずそれを振作し起こすの办法あらん。いわゆる「振民」は、巽風の鼓盪して号令と化するに比す。いわゆる「育徳」は、艮山の涵養して材質・力量を成就するに比す。
《易》中育德多取于山,故《蒙》亦曰“果行育德”。 楊氏文煥曰:振萬物者莫如風,育萬物者莫如山。 李氏簡曰:“山下有風”,振物之象也。《蠱》之時,民德敗矣,敗而育之,必振動之,使離其故習可也,猶風之撓物,適所以養之也。
李舜臣が接続して言う:《周易》の裏に「育徳」を講ずるは多半山に取象す。ゆえに《蒙》卦《大象》も亦た「果行育徳」と言う。集説に引く楊文煥の説:能く万物を振動するは、風に比するなし。能く万物を養育するは、山に比するなし。集説に引く李簡の説:「山下有風」は、万物を振動するの象なり。《蠱》の時に到れば、民風・徳行すでに敗壊す。敗壊したるを培育せんと要すれば、必ず先にそれを振動し起こして、それを旧有の習気に脱離せしめてこそ可なり。まさに風が草木を揺撼するは、恰々則ちそれらを養育するがごとし。
俞氏琰曰:《小畜》之風在天上,《觀》之風在地上,《渙》之風在水上,並無所阻,故皆言行。《蠱》之風則止於山下,為山所阻,而不能條達,故不言行而言有。 沈氏一貫曰:風遇山而回,物皆擾亂,是為有事之象,君子以振起民心而育其德,“作新民”也。
集説に引く俞琰の説:《小畜》の風は天上に在り、《観》の風は地上に在り、《涣》の風は水上に在り、皆な何らの阻碍なし。ゆえに《大象》は一概に「風行」と言う。《蠱》の風は却って山下に停りて、山に挡がれて、舒展・通達すること能わず。ゆえに「行」と言わずして「有」と言う。集説に引く沈一貫の説:風は山に碰上れば便ち回旋し、万物は皆な攪擾・紛乱せらる。これは有事の象なり。君子は因りて民心を振作し彼らの徳行を培育す、亦た則ち《大学》の引く所の「作新民」なり。
案 諸家“以振民育德”,懼為治人之事。與傳義不同,考其文意似為得之,蓋治己不應後於治人,而《蒙》之“果行育德”,亦施於蒙者之事也,若《漸》之“居賢德善俗”,為治己治人,則語次先後判然,且“居”與“育”亦有別。
李光地按す:各家は「以振民育徳」を皆な人を治するの事と看作す(底本「惧」は「俱」とすべし)、程頤《伊川易伝》、朱熹《本義》の講法と相同じからず。文意を考究すれば、各家の説法は似かより妥當なり。因るに己を治理するは人を治理するの後に排すべからず、而して《蒙》卦の「果行育徳」も亦た蒙昧の者の身上に施加するの事なり。《漸》卦の「居賢徳善俗」に至りては、あれこそ己を治と人を治とを兼ねて言うなり。語句の先後は分かること清清楚楚、何況や「居」の字と「育」の字も亦た自ずから分別あり。
幹父之蠱,意承考也。 程傳 子幹父蠱之道,意在承當於父之事也,故祗敬其事,以置父於無咎之地,常懷惕厲,則終得其吉也,盡誠於父事,吉之道也。 集說 項氏安世曰:“幹父之蠱”,跡若不順,意則承之也。跡隨時而遷,久則有敝,何可承也。孝子之於父,不失其忠愛之意而已。
《象伝》にいう:父輩の遺留したる弊壊を匡正するは、用意は父を承継するに在り。程頤《伊川易伝》にいう:児子の父輩の弊壊を匡正するは、用意は父の事を担当し起こすに在り。ゆえに恭敬・謹慎にしてこの件を辦し、好く父を過錯なき地位に摆めん。心中に常に警惕・憂懼を懐けば、最終に能く吉を得ん。父の事に一片の誠心を尽くすは、まさに吉を得るの路数なり。集説に引く項安世の説:「幹父之蠱」は、行跡より見れば好像順従せざるがごとく、用意の上に於ては却ってまさに承継なり。行跡は時代に随いて変遷し、年深・日久なれば総じて弊を生ず。あの種の東西は怎んぞ承継し下去ること得せん。孝子の父に対するは、ただあの忠誠・愛敬の心意を失わざるのみ。
楊氏簡曰:不得已而幹父之蠱,其意未嘗不順承者也。其意則承,其事則不可得而承矣,承其事則蠱不除,乃所以彰父之惡,非孝也。 張氏清子曰:不承其事而承其意,此善繼父之志者也。 楊氏啟新曰:前人以失而致蠱,未必無悔過之心。“幹父之蠱”,乃承考之意,而置之無過之地也,此聖人以子之賢善,歸之於父,為訓之義大矣。
集説に引く楊簡の説:迫不得已にしてこそ往きて父輩の弊壊を匡正す、用意の上に於て何嘗順従・承継ならざらん。用意は承継すべし、あの件事の本身は却って承継すること得ず。もしあの件事を照舊承継し下去れば、弊壊は除き去らず、反って父の過失を張揚し出さん。則ちあれは孝に非ず。集説に引く張清子の説:彼の為したるあの件事を承継せず、而して彼の用意を承継す、これこそ父の志向を善く継承する人なり。集説に引く楊啓新の説:前人は失誤に因りて弊壊を造成す、未だ必ずしも悔過の心なからざらん。「幹父之蠱」は、まさに先父の本意を承接し、彼を過失なき地位に摆むるなり。これは聖人が児子の賢良を父に帰美するにして、その中の垂訓の意義は非常に重大なり。
案 “意承考”,釋“考”所以無咎,如楊氏之說。 幹母之蠱,得中道也。 程傳 二得中道而不過剛,幹母蠱之善者也。 集說 吳氏曰慎曰:爻曰“不可貞”,所以戒占者,《傳》:曰“得中道”,則是本爻象。言其能不至於貞者也,貞則非中道矣。
李光地按す:「意承考」は先父の何を以てか能く過錯なからんを解釈す、まさに楊啓新の言う所のごとし。《象伝》にいう:母輩の遺留の弊壞を匡正するは、中道を得着するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:九二は中道を得て剛硬に過ぎず、これは母輩の弊壞を匡正することの好く為せる一等なり。集説に引く呉曰慎の説:爻辞が「不可貞」と言うは、以て占筮者を誡告するなり。《象伝》が「得中道」と言うは、あれは本爻の象に就きて立説し、それが能く固執・到底に至らざるを講ず――一味固執すれば、則ち中道に非ず。
幹父之蠱,終無咎也。 程傳 以三之才,幹父之蠱,雖小有悔,終無大咎也。蓋剛斷能幹,不失正而有順,所以“終無咎也”。 集說 蔡氏清曰:不曰無大咎,而只曰“無咎”,蓋不但無大咎也,有進而勉之之意。
《象伝》にいう:父輩の遺留の弊壞を匡正するは、最終に過錯あらざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:九三の才具を憑りて父輩の弊壞を匡正し往くは、雖も略や悔恨あらん、最終に大なる過失あらじ。因るに彼は剛強・果斷にして事を辦め得、すでに正を失わず、また順を帶びる。ゆえに「終无咎也」と言う。集説に引く蔡清の説:《象伝》は「无大咎」と言わず、ただ「无咎」と言うは、因るに単に大なる過失なきのみならず、裏頭になお更に一歩進みて彼を勉励するの意を含むなり。
程傳 以四之才,守常居寬裕之時則可矣,欲有所往,則未得也,加其所任,則不勝矣。 集說 趙氏汝楳曰:謂重柔之往,未得遂其有事之志,斯其為於蠱者之吝。 幹父用譽,承以德也。 程傳 幹父之蠱,而用有令譽者,以其在下之賢,承輔之以剛中之德也。
(六四《象伝》本文「裕父之蠱、往未得也」は底本脱漏す。)程頤《伊川易伝》にいう:六四の才具を憑れば、寛緩・従容の時に常規を守るはなお可なり。もし行動あるを欲せば、則ち辦し成らず。更にその担子を加重すれば、それは担い起こさず。集説に引く趙汝楳の説:これは柔を以て柔に居り、重畳して柔なる一爻が前に往き進まんとするを言う。遂にその弊壊を整治するの志向を成さず、これ則ち蠱を治する人の羞吝なり。《象伝》にいう:父輩の弊壞を匡正して美譽を博するは、徳行を以て承継するに依るなり。程頤《伊川易伝》にいう:父輩の弊壞を匡正して能く美好の声譽あるは、下面の賢臣が剛健・居中の徳行を以て彼を承輔するに因るなり。
集說 項氏安世曰:六五得尊位,行大中,能以令名掩前人之蠱者也。故曰“幹父用譽,承以德也”,言不以才幹,而以德干也。 鄭氏維嶽曰:既曰蠱矣,何德之可承,夫使人不曰承敝而承德,若不知其為前人之蠱然者。 案 《程傳》謂九二承以剛中之德,然凡言“承”者,皆就父子之繼而言,故初之“意承考”,此之“承以德”,文義相似也,不以事承考,而以意承考。不承父以事,而承父以德,父之德著,則譽亦彰矣,承以德,正釋“用譽”之意。
集説に引く項安世の説:六五は尊位を得着し、行う所は大中の道なり。能く美好の名声を以て前人の弊壞を遮蓋し過ぐす。ゆえに「幹父用譽、承以徳也」と言う。意は才干を以て匡正せず、而して徳行を以て匡正するなり。集説に引く鄭維岳の説:すでに「蠱」と称したる以上、また何の徳の承継すべきあらん。可是彼は能く人をして前人の弊敗を承接したと言わしめず、而して前人の徳を承接したと言わしむ。好像まったくあれがもと前人の弊壞なるを知らざるがごとし。李光地按す:《程伝》はこれを九二の剛健・居中の徳行を承受するとなす。不過凡そ「承」に言及するは、皆な父子相継に就きて言う。ゆえに初六は「意承考」と言い、ここは「承以徳」と言う。文義まさに相類似す。事を以て先父を承継せず、而して心意を以て先父を承継す。事を用いて父を承接せず、而して徳行を用いて父を承接す。父の徳は一旦顕揚せば、美譽は自ずから彰著す。「承以徳」は、まさに「用譽」の意を解釈す。
不事王侯,志可則也。 程傳 如上九之處事外,不累於世務,不臣事於王侯,蓋進退以道,用舍隨時,非賢者能之乎,其所存之志,可為法則也。 集說 陸氏銓曰:士何事尚志,志可則也,正是“高尚其事”。
《象伝》にいう:往きて王侯に事奉せざるは、彼の心志が人の法則を為すに足るが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:上九のこのごとく事外に置身し、世俗の事務に牽累せられず、臣子の身分を以て王侯に事奉せず、進と退とは皆な道に依り、出仕と退隠とは皆な時に順う。これは賢者に非ざれば何処にか能く致せん。彼の心裏に存する所の志向は、以て法則と為すべし。集説に引く陸銓の説:《孟子》の裏に「士何事」と問い、答うる所は「尚志」なり。ここの「志可則也」と言うは、まさに爻辞「高尚其事」の上に落つ。
《象伝》・臨卦
澤上有地,臨。君子以教思無窮,容保民無疆。 本義 地臨於澤,上臨下也,二者皆臨下之事,教之無窮者兌也,容之無疆者坤也。 程傳 澤之上有地,澤岸也,水之際也。物之相臨與含容,無若水之在地,故澤上有地為臨也。君於觀親臨之象,則教思無窮,親臨於民,則有教導之意思也,“無窮”,至誠無敦也,觀含容之象,則有容保民之心;“無疆”,廣大無疆限也,含容有廣大之意,故為無窮無疆之義。
《象伝》にいう:大沢の上面に地あり、これが《臨》卦の「大象」なり。君子はこれに倣って、百姓を教導するの心思は窮尽なく、容納・保護して百姓に辺際なし。朱熹《本義》にいう:地は沢に臨むは、上の者が下の者を俯臨するなり。この両句の講ずるは皆な上に居りて下に臨むの事なり。教導の無窮なる所以は、下卦の兌に取象す。容納の無疆なる所以は、上卦の坤に取象す。程頤《伊川易伝》にいう:沢の上面に地あり、則ちあれは沢岸にして、水の辺際なり。事物の間の相臨と含容は、水の地の裏に盛るに比するなし。ゆえに「沢上有地」は《臨》を成す。君子は親身に下に臨むの象を観て、就ち無窮の教導の思を生ず――親身に百姓に臨撫すれば、自ずから教導の心意あり。「无窮」は、至誠にして毫も倦怠なし(底本「无敦」は「无斁」とすべし)。含容の象を観て、就ち百姓を容納・保護するの心を生ず。「无疆」は、広大にして界限なし。含容はもとより広大の意を帶び、ゆえに「无窮」「无疆」と成す。
集說 王氏弼曰:相臨之道,莫若悅順,不恃威制,得物之誠,故物無違也。是以“君子教思無窮,容保民無疆”。 劉氏牧曰:岸高於澤,俯臨之也。 胡氏炳文曰:不徒曰教,而曰“教思”,其意思如兌澤之深,不徒曰“保民”,而曰“容保民”,其度量如坤土之大。
集説に引く王弼の説:彼此相臨の道理は、和悦・順従に比するなし。威勢に倚仗して壓制せざれば、こそ對方の真心を得ん。ゆえに人人違逆せず。ここを以て「君子教思无窮、容保民无疆」と言う。集説に引く劉牧の説:岸は沢より高く、これは高きに居りてそれを俯臨するなり。集説に引く胡炳文の説:単に「教」と言わずして「教思」と言う、あの心意は兌沢のごとく深し。単に「保民」と言わずして「容保民」と言う、あの気量は坤土のごとく大なり。
俞氏琰曰:《臨》有二義,以爻之陰陽言,則為大臨小,以象之地澤言,則為上臨下。 蔡氏清曰:“教思”,謂其一段教育成就人底意思也,教人以善謂之忠,味“忠”之一字,方見此之所謂“教思”者。
集説に引く俞琰の説:《臨》に両層の意あり。爻の陰陽に就きて言えば、大者の小者に臨むなり。地と沢の物象に就きて言えば、上の者の下の者に臨むなり。集説に引く蔡清の説:いわゆる「教思」とは、あの一段の教育・培養して他人を成就するの心意を指す。《孟子》に「教人以善謂之忠」と言う、この「忠」の字を細かく體味して、はじめてここの講ずる所の「教思」が究竟何なるかを見出だすべし。
又曰:勞之來之,匡之直之,輔之翼之,使自得之,又從而振德之,此可見君子教 案 臨者,大也。“澤上有地”。澤之盛滿,將與地平,大之義也。“教思無窮”,容保無疆,蓋言王澤之盛大,所以淪浹之深,而漸被之廣者。
蔡清また言う:《孟子》の引く堯の話「労之来之、匡之直之、輔之翼之、使自得之、又従而振徳之」――彼らを慰労し、彼らを招徠し、彼らを糾正し、彼らを扶直し、彼らを幇扶し、彼らを衛護して、彼らをして各々得る所有らしめ、再び進んで恩恵を彼らに施加す。これに由りて君子の教……を見出すべし。ここに底本脱文あり、蔡氏の語未完、下は直ちに李光地の按語に接続す。李光地按す:「臨」は則ち大なり。「沢上有地」は、沢水盛満にして、まさに岸地と齊平せんとす、これ則ち大の意なり。「教思无窮」「容保无疆」は、言う所は王者の恩沢の盛大にして、因りて浸潤すること深く漸々覆被すること広し。
咸臨,貞吉,志行正也。 程傳 所謂貞吉,九之志在於行正也,以九居陽,又應四之正,其志正也。 集說 吳氏曰慎曰:有守正,有行正,《臨》初正與《屯》同。
《象伝》にいう:感応の心を以て上に居りて下に臨み、正を守りて吉を得るは、その心志が端正に行うに在るが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「貞吉」は、初九の心志が正を行うに在るを言う。陽爻を以て陽位に居るは「當位」なり。また六四のこの正を得るの爻と相応す。ゆえにその心志は端正なり。集説に引く呉曰慎の説:正に「守正」の一路あり、亦た「行正」の一路あり。《臨》卦初爻の講ずる所の正は、《屯》卦初爻と同じ路数なり。
咸臨,吉無不利,未順命也。 本義 未詳。 程傳 未者非遽之辭。孟子或問勸齊伐燕有諸,曰:未也。又云:仲子所食之粟,伯夷之所樹與,抑亦盜跖之所樹與,是未可知也。《史記》侯羸曰:人固未易知。古人用字之意皆如此。今人大率用對巳字,故意似異,然實不殊也。九二與五感應以臨下,蓋以剛德之長,而又得中,至誠相感,非由順上之命也,是以“吉”而“無不利”。五順體而二說體,又陰陽相應,故象特明其非由說順也。
《象伝》にいう:感応の心を以て上に居りて下に臨み、吉にして不利なきは、上面の命令に順従するに出づるに非ざるが故なり。朱熹《本義》にいう:この一句は確かに解き清楚ならず。程頤《伊川易伝》にいう:「未」のこの字は「不遽然如此」の語気なり。《孟子》の裏にある人が問う、あなたは斉国に勧めて燕国を討伐せしめ、こんな事あるか。孟子が答えていう「未也」。また言う、陳仲子の食う所の糧食は、伯夷の種し下す所か、盗跖の種し下す所か、これは「未可知」なり。《史記》の裏に侯嬴がいう:「人固未易知」。古人がこの字を用うるの語意は皆なこのごとし。今人は大抵それを「已」の字と相對に用う。ゆえに意思は看似不同なれど、其の実并びに両樣なし。九二と六五は感応・相通して上に居りて下に臨むは、剛徳のまさに生長するを憑り、また中位を占め、至誠を以て彼此相感ずるにして、并びに上面の命令に順従するに由るに非ず。ゆえに「吉」にして「无不利」なり。六五は坤順の体に属し、九二は兌説の体に属し、両者はまた陰陽相応す。ゆえに《象伝》はことさらそれが取悦と順従に出づるに非ざるを点明す。
案 君子道長,天之命也,然命不於常,故《彖》言“八月有凶”,而《傳》:言“消不久”,君子處此,唯知持盈若虛,所謂大亨以正天之道者,則順道而非順命矣,以二為剛長之主,即卦主也,故特發此義,以與《彖》意相應。凡天之命,消長焉而已,方其長也,則不順命,不受命,知盈不可久,而進不可恃也。及其消也,則志不舍命。知物不可窮,而往之必復也,《易》之大義,盡在於斯。
李光地按す:君子の道はまさに生長す、これは上天の命なり。然而天命は一処に固定せず。ゆえに《彖伝》は「八月有凶」と言い、《伝》の裏に消退は期に遠からずと言う。君子はこの局面に処り、ただ盈満を守るを知るも空虚のごとくす。亦た則ち《彖伝》の言う所の「大亨以正、天之道也」――あれは道に順うにして、命に順うに非ず。因るに九二は陽剛・生長の主爻にして、亦た則ち全卦の卦主なり。ゆえにことさらこの層の意を発揮して、《彖伝》の意旨と相呼応す。大凡天命は、非ず一消・一長のみ。まさに生長の時に当たれば、就ち命に順わず命を受けず、盈満の長久すること能わざる、上進の倚仗すべからざるを明白す。消退の時に到れば、就ち心志は天命を捨棄せず、事物は絶路に走らず、去りて必ず回り来るを明白す。《周易》の大義は、全てここに在り。
甘臨,位不當也。既憂之,咎不長也。 程傳 陰柔之人,處不中正,而居下之上,復乘二陽,是處不當位也。既能知懼而憂之,則必強勉自改,故其過咎不長也。 集說 李氏簡曰:六三不中不正,處不當位,雖甘說此位,亦安足以有臨乎?能知而憂之,強勉自改,則過咎不長也。
《象伝》にいう:甜言・媚態を以て上に居りて下に臨むは、居る所の位恰當ならざるが故なり。すでにそれを憂えたれば、過錯は拖長せざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は陰柔の人にして、処身すでに中に居らず正を得ず、却って下卦の最も上頭に踞り、また下面の両個の陽爻の上に凌駕す。これ則ち処する所の位置恰當ならず。すでに能く畏懼する所を知りてそれを憂うれば、就ち必ず勉力して自ら改正す。ゆえに彼の過錯は拖長せざるなり。集説に引く李簡の説:六三はすでに中に居らず正を得ず、処する所の位は恰當ならず。縦使この位置に甘心・喜悦すと雖も、また何処にか上に居りて下に臨むの資格足らん。能く醒悟して来りてそれを憂え、勉力して自ら改正すれば、過錯は拖長せざるなり。
案 三之爻位不當,而四之爻位當,故其德有善否。然三之所處,位高勢盛,不可甘也,而甘之,此其所以為不當也。四之所處,與下相親,最切至也,而能至焉,此其所以為當也。是為借爻位之當不當,以明所處位之當不當,《易》之例也。
李光地按す:六三の「爻位」は當ならず、六四の「爻位」は當なり。ゆえに両者の徳行に好壊あり。不過六三の処する所の地は、位すでに高く勢また盛ん、もとより甘之如飴とすべからず、それは偏に甘之如飴とす、これこそその「不當」なり。六四の処する所の地は、下面と相親近し、これは下に臨む最も貼切の位置にして、而してそれは果として貼切を致し到る、これこそその「當」なり。これ則ち爻位の當と不當に借りて、処する境地の當と不當を説明するにして、《周易》の一個の通例なり。
至臨,無咎,位當也。 程傳 居近君之位,為得其任,以陰處四,為得其正,與初相應,為下賢,所以“無咎”,蓋由位之當也。 集說 鄭氏汝諧曰:其位在上下之際,《臨》之切至也,凡上之臨下,唯患其遠而不相通,四既近於下,其所處之位至當,是以“無咎”。
《象伝》にいう:貼切に上に居りて下に臨みて過錯なきは、居る所の位恰當なるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六四は身に君主に貼近する位置に居り、算じてこの職任を担い起こすに足る。陰爻を以て第四のこの陰位に処るは、「當位」の正を得ると算す。また初九と相応するは、能く下面の賢者を礼敬すると算す。ゆえに「无咎」、全て位置の恰當に由るなり。集説に引く鄭汝諧の説:その位置はまさに上下卦の交界の処に在り、《臨》卦の裏の最も貼切の一爻なり。凡そ上の者が下の者に臨撫するは、最怕するは則ち距離遠くして彼此通ぜざるなり。六四すでに下面に靠近し、処する所の位置極めて恰當、ゆえに「无咎」なり。
程傳 君臣道合,蓋以氣類相求,五有中德,故能倚任剛中之賢,得“大君之宜”,成“知臨”之功,蓋由行其中德也。人君之於賢才,非道同德合,豈能用也。 集說 沈氏該曰:能以其知行中者也。
(六五《象伝》本文「大君之宜、行中之謂也」は底本脱漏す。)程頤《伊川易伝》にいう:君臣の道の相契合するは、同気相求・同類相応に頼るなり。六五は居中の徳あり、ゆえに能く剛健・居中の賢臣を倚重・任用し、「大君之宜」を得着し、「知臨」の功業を成就す。これ皆なそれが己の中徳を施行したるに由る。人君の賢才に對するは、若し道相同じく徳相合せざらば、何処にか用い起こすこと得せん。集説に引く沈該の説:これは能くその明智を以て中道を施行する人なり。
敦臨之吉,志在內也。 程傳 志在內,應乎初與二也,志順剛陽而敦篤,其吉可知也。 集說 張氏振淵曰:志在內,即萬物一體之意。所以能敦,若將天下國家置在度外,雖有些小德澤,終是淺薄。
《象伝》にいう:敦厚に上に居りて下に臨みて吉を得るは、心志が内卦に放在るが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「志在内」は、上六が初九・九二と相応するを指す。心志は陽剛に順従してまた厚重・篤実、その吉は想知すべし。集説に引く張振淵の説:「志在内」は則ち万物と同じく一体と為るの意なり。惟れこのよう故にこそ「敦」を致すべし。假如天下・国家を己の心思の外に撇き置かば、縦使一点の小恩・小惠あらんも、終に究めて浅薄なり。
案 此志在內,當與《泰》初“志在外”反觀,同是天下國家也,自初言之則為外,自上言之則為內。伊尹躬耕,而自任以天下之重,可謂志在外矣。堯舜耄期倦勤,而念不忘民,可謂志在內矣。
李光地按す:ここの「志在内」は、まさに《泰》卦初九の「志在外」と対照して看るべし。同じく天下・国家なり。初爻の位置より言い出せば則ち「外」と言い、上爻の位置より言い回せば則ち「内」と言う。伊尹は有莘の野に親身耕作するも、却って天下の重任を己の肩上に担う、以て「志在外」と言うべし。堯舜は年事已高く勤政に倦むも、心中は終始百姓を挂念す、以て「志在内」と言うべし。
