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《象伝》・観卦

清 · 李光地 · 第54巻 / 87

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

風行地上,觀。先王以省方觀民設教。 本義 “省方”以“觀民”,“設教”以為“觀”。 程傳 “風行地上”,周及庶物,為遊歷周覽之象。故先王體之,為省方之禮,以觀民俗而設政教也,天子巡省四方,觀視民俗,設為政教,如奢則約之以儉,儉則示之以禮是也。“省方”,觀民也,“設教”,為民觀也。

《象伝》にいう:風は大地の上に吹行す、これが《観》卦の「大象」なり。先王はこれに倣って、四方を巡視し民情を観察し教化を設立す。朱熹《本義》にいう:「省方」は「観民」を為るがため、「設教」は己をして百姓の観仰する對象と為さんがためなり。程頤《伊川易伝》にいう:「風行地上」は、万物に遍及するは遊歴・周覧の象なり。ゆえに先王はそれを體察して、四方を巡視するの礼制を制定し、以て民風・民俗を観察して政令・教化を設立す。天子は四方を巡行し、各地の風俗を察看して、拠りて政教を訂立す。たとえば風気奢靡なれば則ち節儉を以て約束し、風気過儉なれば則ち礼節を以て開示す。いわゆる「省方」は、往きて百姓を観察するなり。いわゆる「設教」は、己をして百姓の観仰する所の榜様と為らしむるなり。

集說 《九家易》曰:“風行地上,草木必偃,故以省察四方,觀視民俗,而設其教也。”

集説に引く《九家易》の説:風は地面の上に吹き過ぐれば、草木は必ずこれに随いて伏倒す。ゆえに先王はこの象を取りて、往きて天下四方を省察し、各地の民風・民俗を察看し、これに拠りて己の教化を設立す。

《象伝》・観卦(前に承ぐ)

劉氏牧曰:“風行地上”,無所不至,散採萬國之聲詩,省察其俗,有不同者,教之使同。

この条はなお《観》卦「大象」より承く。集説に引く劉牧の説:いわゆる「風行地上」は、風が大地の上に吹行して、到らざるの角落なし。先王はこの象に倣って出巡・四方し、広く各邦国の歌謡・詩篇を采集し、これらの声詩を憑りて当地の風俗・民情を考察す。凡そ風俗の王道・教化に合せず彼此参差不齊なるは、則ち之に教導を加えて、天下の礼俗をして同一の準則に帰せしむ。

初六,童觀,小人道也。 程傳 所觀不明如童稚,乃小人之分,故曰“小人道也”。 集說 王氏申子曰:卑下而無遠見,在凡民為可恕,在君子為可羞。

《象伝》が初六を解していう:孩童のごとく浅陋に観看するは、小人の路数なり。程頤《伊川易伝》にいう:見る所・観る所は昏昧・不明にして、幼童のごとく無知、これはもとより小人の分際の限る所なり。ゆえに《象伝》は「小人道也」と断ず。集説に引く王申子の説:地位卑下にしてまた遠見なし、この種の情形は普通百姓の身上に出現すればなお原谅すべし、もし君子の身上に出現せば、則ち十分に可羞の事なり。

窺觀女貞,亦可醜也。 本義 在丈夫則為丑也。 程傳 君子不能觀見剛陽中正之大道,而僅窺覘其彷彿,雖能順從,乃同女子之貞,亦可羞丑也。 集說 郭氏忠孝曰:男女吉凶不同,故《恆》卦曰:“婦人吉,夫子凶。”則知“利女貞”者,固為男之丑也。

《象伝》が六二を解していう:門縫より偷看するは、ただ女子の貞を守るの分寸に合す、これは男子に於ても亦た可羞なり。朱熹《本義》にいう:このごとき「窺観」は、成年男子の身上に放てば則ち醜事と成る。程頤《伊川易伝》にいう:君子は能く正面に九五のあの剛陽「中正」の大道を観見せず、ただ縫隙の間より一個の仿佛の影子を窺見す。雖も亦た能く順従すると算すれども、却って女子の貞を守るの順従と同属・一層次なり。ゆえに可羞・可醜と言う。集説に引く郭忠孝の説:同じ一件事、男女の吉凶の断法は并びに相同じからず。ゆえに《恒》卦六五は「婦人吉、夫子凶」と言う。これに由りて《観》六二が「利女貞」と言うを知るべし、反ってこれは男子に於てはもとより醜事なるを正しく点出す。

觀我生進退,未失道也。 程傳 觀己之生,而進退以順乎宜,故未至於失道也。 案 “道”,即進退之道。量而後入,則不失乎進退之道矣。

《象伝》が六三を解していう:己の作為する所を観察して以て進退を決定す、いまだ正道を走失せざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:反観して己の平生の行事を、拠りて進むべきか退くべきかを決定し、処処時勢の宜しき所に順う。ゆえに正道を走失するに至らず。李光地按す:ここの「道」とは、指す所は則ち進退の道なり。先に自身の才徳と時勢を衡量して、然る後にこそ出仕を決定す、就ち進退の分寸を違失せざるなり。

程傳 君子懷負才業,志在乎兼善天下,然有卷懷自守者,蓋時無明君,莫能用其道,不得已也!豈君子之志哉。故孟子曰:中天下而立,定四海之民,君子樂之,既觀見國之盛德光華。古人所謂非常之遇也,所以志願登進王朝,以行其道,故云“觀國之光尚賓也”。尚,謂志尚,其志意願慕賓于王朝也。 集說 楊氏簡曰:言其國貴“尚”賓賢,可以進也。

底本ここに六四の小象「観国之光、尚賓也」の一句を脱し、直ちに程伝に接続す。程頤《伊川易伝》にいう:君子は身に才能・学業を懐き、志向はもとより兼ねて天下を善くするに在り。然而亦た抱負を收巻して、ただ独善・自守を求める者あり、それは時代に明君なく、人にその道を用うる能わざるに因り、迫不得已に出づるにして、何処が君子の本願ならん。ゆえに《孟子・盡心上》に言う、天下の中央に立身して四海の百姓を安定する、これこそ君子の楽しむ所なり。如今すでに親しく一国の盛徳の光輝を見、まさに古人のいわゆる千載・難逢の際遇なり。ここを以て彼は情願に朝廷に進身して、己の道を施行し往かんとす。《象伝》はこそ「観国之光、尚賓也」と言う。「尚」は志尚の意にして、彼の心中が王朝に到りて賓客を為さんと向往するを指す。集説に引く楊簡の説:この句はあの国家が賢者を賓礼にて待することを看重・崇尚するを言う。ゆえに賢者は以て進身すべし。

觀我生,觀民也。 本義 此夫子以義言之,明人君現己所行,不但一身之得失,又當觀民德之善否,以自省察也。 程傳 我生出於己者,人君欲觀己之施為善否,當觀於民,民俗善則政化善也。王弼云,觀民以察己之道是也。 集說 胡氏瑗曰:觀流則可以知源,觀影則可以知表,觀民則可以知己政之得失也。

《象伝》が九五を解していう:いわゆる「観我生」は、其の実は則ち百姓を観察するなり。朱熹《本義》にいう:これは孔子が義理に就きて立言し、人君の己の作為する所を観照するに、ただ一身の得失を看るべからず、なおまさに百姓の徳行の善あるいは不善を看て、以て自ら省察すべきを点明す(底本は「現己所行」と作る、「現」は「観」とすべし)。程頤《伊川易伝》にいう:「我生」は己の身上より発し出でたる種種の作為を指す。人君は己の施政の好壊を知らんと欲せば、就ち百姓の彼処に到りて看るべし。民風淳善なれば、則ち政教の化の好しと説明す。王弼が言う、百姓を観察するはまさに己を考察するの办法なり、則ちこの意なり。集説に引く胡瑗の説:水流を看れば則ち源頭を知ること能く、影子を看れば則ち形體を知ること能く、百姓を看れば則ち己の為政の得失を知ること能し。

觀其生,志未平也。 本義 “志未平”,言雖不得位,未可忘戒懼也。 程傳 雖不在位,然以人觀其德,用為儀法,故當自慎省。觀其所生,常不失於君子,則人不失所望而化之矣。不可以不在於位,故安然放意無所事也,是其志意未得安也,故云“志未平”也。“平”,謂安寧也。 集說 陸氏希聲曰:民之善惡,由我德化,其志未平,憂民之未化也。

《象伝》が上九を解していう:彼の作為する所を観察して、心志いまだ安然とすること能わざるなり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「志未平」は、上九が雖も身に无位の地に処ると雖も、亦た戒慎・恐懼を忘掉すべからずを言う。程頤《伊川易伝》にいう:上九は雖も職位の上に在らざれども、天下人は仍旧彼の徳行を看て、以て準則と為して效法す。ゆえに彼は必ず自ら謹慎・省察せざるべからず。彼は己の平日の作為を省視して、常に君子の分寸を失わざれば、人々の期望は落空せず、亦た之に随いて感化せらる。己の位に在らざるに因りて、便ち安然として心意を放縦し何事も管せざること能わず。まさにこのよう故に、彼の心志は終始安適を得ず、《象伝》はこそ「志未平」と言う。「平」は則ち安寧の意なり。集説に引く陸希声の説:百姓の善悪は、我の徳化に取決す。いわゆる心志未平は、百姓のいまだ教化せらるるに至らざるを憂慮するなり。

《象伝》・噬嗑卦

雷電,噬嗑。先王以明罰敕法。 本義 “雷電”當作“電雷”。 程傳 象無倒置者,疑此文互也。“雷電”相須並見之物,亦有嗑象,電明而雷威,先王觀“雷電”之象,法其明與威,以明其刑罰,飭其法令。法者,明事理而為之防者也。

《大象伝》にいう:雷と電と交作す、《噬嗑》卦の象なり。先王はこれに倣って刑罰を昭明にし法令を整飭す。朱熹《本義》にいう:《噬嗑》の下體は震(雷)、上體は離(電)、上下體の次序に依れば、「雷電」の二字はまさに「電雷」と作るべし。程頤《伊川易伝》にいう:諸卦の「大象」に上下體を倒して言うはなし、疑うにここは文字の互いに倒れたるなり。雷と電はもとより相須・併見の物、両者の相合も亦た「嗑」(咬合)の象を含む。電はその明照を取り、雷はその威震を取る。先王は雷電の象を観て、その中の明と威を效法し、以て刑罰を昭明にし法令を整飭す。いわゆる法とは、事理を講明白にして、拠りて防禁を設下するなり。

集說 侯氏行果曰:雷所以動物,電所以照物,雷電震照,則萬物不能懷邪,故先王則之,明罰敕法,以示萬物也。 項氏安世曰:陰陽相噬而有聲則為雷,有光則為電,二物因噬而嗑,故曰“雷電噬嗑”。

集説に引く侯行果の説:雷は以て万物を震動するに用いられ、電は以て万物を照亮するに用いられる。雷震・電照が一齊に加臨すれば、万物は敢えて邪僻を心懐かず。ゆえに先王はこれに倣って、刑罰を昭明にし法令を整飭し、好悪を天下万物に昭示す。集説に引く項安世の説:陰気と陽気とが相互に咬齧・激盪して、声響を発するは則ち雷、光亮を発するは則ち電なり。この両様の東西はまさに相咬(噬)して後相合(嗑)するに因り、ゆえに《象伝》はそれらを連ねて「雷電噬嗑」と称す。

徐氏幾曰:“明罰”者,所以示民而使之知所避;“敕法”者,所以防民而使之知所畏。此先王忠厚之意也,未至折獄致刑處,故與《豐》象異。 張氏清子曰:蔡邕石經本作“電雷”。 蔡氏清曰:先王以明罰敕法,此以立法言,故曰“先王”,若《豐》折獄致刑,以用法言,則曰君子矣。

集説に引く徐幾の説:「明罰」は刑罰を公布し出でて百姓に看せしむ、彼らをして何が躲くべきかを知らしむなり。「敕法」は法令を以て百姓を防範し、彼らをして何が畏懼すべきかを知らしむなり。これ皆な先王の忠厚・存心する処にして、いまだ案を断じ刑を用うるの一歩に走到せず。ゆえに《豐》卦の大象が「折獄致刑」と言うとは取象を異にす。集説に引く張清子の説:漢代の蔡邕の刻せる熹平石経の本子は、ここ正に「電雷」と作る。集説に引く蔡清の説:ここに「先王以明罰敕法」と講ずるは、法度を訂立するに就きて言う。ゆえに「先王」と称す。《豐》卦の大象の「折獄致刑」と講ずるは、法律を施用するに就きて言う。就ち改めて「君子」と称す。

薛氏瑄曰:《噬嗑》、《賁》、《豐》、《旅》四卦論用刑,皆離火之用,以是見用法貴 屨校滅趾,不行也。

集説に引く薛瑄の説:《噬嗑》《賁》《豐》《旅》の四卦は皆な刑を用うるに談及し、而してこの四卦は皆な離體を含有す。取る所は離火の明の功用なり。これに由りて法を用うるは……に貴ぶを見るべし。ここに底本脱文あり、薛瑄の話は未だ言い盡さずして断たれ、下は直接《噬嗑》初九の小象「屨校滅趾、不行也」に接上す――脚上に木械を戴きて遮り併せて脚趾を傷うは、彼をして更に前に往き行かざらしめんと欲するなり。

本義 “滅趾”,又有不進於惡之象。 程傳 “屨校”而滅傷其趾,則知懲誡而不敢長其惡,故云“不行也”。古人制刑,有小罪則校其趾,蓋取禁止其行,使不進於惡也。 集說 胡氏炳文曰:下卦為震,“滅趾”使其不敢如震之動也,動則進於惡矣。

朱熹《本義》にいう:「滅趾」は脚趾を傷うを指すを除き、なお更に悪の裏に発展せざるの象を含む。程頤《伊川易伝》にいう:脚上に械を戴きて脚趾を傷えば、刑を受くる人は則ち警戒を知りて、敢えて更に己の悪行を長養せず。ゆえに《象伝》は「不行也」と言う。古人の刑を立つるに、小罪を犯す者は則ち脚の上に木械を加う。用意はまさに彼の行走を禁止して、彼をして悪路の上に愈々走り深からざらしむるに在り。集説に引く胡炳文の説:《噬嗑》の下體は震、震は動を主とす。「滅趾」はまさに彼をして敢えて震のごとく妄動せざらしめんと欲するなり。一動すれば則ち悪の上に往くなり。

噬膚滅鼻,乘剛也。 程傳 深至滅鼻者,“乘剛”故也。“乘剛”乃用刑于剛強之人,不得不深嚴也,深嚴則得宜,乃所謂中也。 集說 孔氏穎達曰:乘剛者,釋“噬膚滅鼻”之義,以其乘剛,故用刑深也。

《象伝》が六二を解していう:軟肉を咬齧して一直に深く鼻子を没するに至るは、六二が剛爻の上に乘凌するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:刑を用うること深くして「滅鼻」の歩地に到るは、まさに六二が「乗剛」するに因る。いわゆる「乗剛」とは、柔爻が剛爻の上面に壓するにして、剛強・難制の人に對して刑を用うるに等しく、深切・厳厲せざるを得ず。深嚴にして恰々その分に如れば、これ則ちいわゆる中道に合乎するなり。集説に引く孔穎達の説:「乗剛」の二字は「噬膚滅鼻」の縁由を解釈す、それが剛爻の上に乗るが故に、刑を用うることこそこのごとく深し。

遇毒,位不當也。 程傳 六三以陰居陽,處位不當。自處不當,故所刑者難服,而反毒之也。 案 此亦借爻位之不當,以明其所處之難爾。非其所行有不當也,若所行有不當,則施之刑獄,其失大矣,安得無咎,又豈獨“小吝”而已乎。

《象伝》が六三を解していう:毒ある腊肉を食うは、処する所の爻位正當ならざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は陰爻を以て陽位に居り、「不當位」に属す。己の処する所すでに正當ならざれば、刑を受くる人は便ち心服し難く、反ってなお彼を毒害せんとす。李光地按す:ここも亦たただ「爻位」の不當を借りて、六三の処する境地の艱難なるを説明するのみ、并びに彼の行う所の事に何らの不正當あるを言うに非ず。假使行う所真に不當あらば、一旦刑獄の上に施用すれば、過失は大なり。何処にかなお「无咎」を談ずべく、また豈にただ「小吝」のこのごとく軽からんや。

利艱貞吉,未光也。 程傳 凡言“未光”,其道未光大也。戒於“利艱貞”,蓋其所不足也,不得中正故也。 集說 方氏應樣曰:慮聽訟者之心有所末光,故以“利艱貞”為戒。

《象伝》が九四を解していう:艱難の中に正を守りて後に吉を得るに利ありとするは、その道いまだ光大せざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:凡そ《象伝》が「未光」と言うは、皆なその道いまだ広大・顕明ならざるを指す。爻辞が「利艱貞」を以て彼を告誡するは、まさに彼に不足する所有るに因る。九四は剛を以て柔に居り、すでに中位に居らず、亦た「當位」に合せず、「中正」を得ざるの縁故なり。集説に引く方應祥の説(底本は「方氏應様」と作る、「末光」は「未光」とすべし):まさに訟獄を審理する人の心裏になお光明足らざるの処あるを顧慮す、ゆえに「利艱貞」を以て彼を警戒す。

貞厲無咎,得當也。 程傳 所以能“無咎”者,以所為得其當也,所謂“當”,居中用剛,而能守正慮危也。 集說 趙氏汝楳曰:釋《彖》言“不當位”,此言“得當”者,釋《彖》以位言,此以事言。六五以柔用獄,行以正厲,其“無咎”者,得用獄之當者也。 林氏希元曰:“得當”,即是得用刑之道,不就爻位說。若果是說位得中,當以解“得黃金”,不宜以解“貞厲無咎”矣。

《象伝》が六五を解していう:正を守りて常に危懼を存せば過錯あらざるは、處置・得當なるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六五の能く「无咎」なる所以は、作為する所皆な恰當なるに因る。いわゆる「當」とは、則ち身に中位に居りて能く剛斷を用い、同時に正道を守りて危険を顧慮するなり。集説に引く趙汝楳の説:《彖伝》は《噬嗑》六五を「不當位」と言うに、ここでは却って「得當」と言う。因るに《彖伝》は爻位に就きて講ず、ここは事情に就きて講ず。六五は柔を以て尊位に居りて刑獄を主持し、行事は正を守りて常に危厲の心を懐く。その「无咎」は、まさに獄を用うるの道の恰當を得たるなり。集説に引く林希元の説:「得當」は則ち刑を用うるの道を得るにして、爻位に就きて言うに非ず。若し真に位置の居中を指さば、則ちまさに以て爻辞の「得黄金」を解釈すべく、「貞厲无咎」を解釈するに用うべからず。

何校滅耳,聰不明也。 本義 “滅耳”,蓋罪其聽之不聰也,若能審聽而早圖之,則無此凶矣。 程傳 人之聾暗不悟,積其罪惡以至於極,古人制法,罪之大者,何之以校,為其無所聞知,積成其惡,故以校而滅傷其耳,誡“聰”之“不明”也。 集說 胡氏炳文曰:上卦為離,“滅耳”,言其不能如離之明也。

《象伝》が上九を解していう:肩上に大枷を負いて耳朵をも遮没するは、彼の事を聴くこと明ならざるを責むなり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「滅耳」は、彼の聴くこと聰ならざるに帰罪す。假如彼が能く仔細に聴取して及早に圖謀せば、則ちこのごとき兇険あらじ。程頤《伊川易伝》にいう:人は耳聾・心暗にして執迷・不悟、罪悪は愈々積み愈々多く、極点に至るまで。古人の法を立つるに、罪の大なるは則ち木枷を肩颈の上に加う(「何」は「荷」に同じ、負荷の意なり)。まさに彼が何をも聴き入れざるに因りて、こそ大悪を積成す。ゆえに枷を以て彼の耳朵を遮傷し、彼の聴覚の「聰」は并びに「明」ならざるを警戒す。集説に引く胡炳文の説:《噬嗑》の上體は離、離は明を主とす。「滅耳」は上九が能く離のごとく明察すること能わざるを言う。

《象伝》・賁卦

山下有火,賁。君子以明庶政,無敢折獄。 本義 “山下有火”,明不及遠;“明庶政”,事之小者;“折獄”,事之大者,內離明而外艮止,故取象如此。

《大象伝》にいう:山下に火あり、《賁》卦の象なり。君子はこれに倣って各種の政務を修明にして、而して敢えて軽率に獄訟を断決せず。朱熹《本義》にいう:火は山下に在りて光照限りあり、明は遠きに及ぶこと能わず。「庶政」を修明するは事情の中の小者に属し、「折獄」は事情の中の大者に属す。《賁》卦の内體は離にしてその明照を取り、外體は艮にしてその静止を取る。ゆえに取象することこのごとし。明はただ小事に施し、大事に遇えば便ち停住するを知る。

程傳 山者,草木百物之所聚生也,火在其下而上照:庶類皆被其光明,為賁飾之象也。君子觀山下有火,明照之象,以修明其庶政,成文明之治,而無敢果於“折獄”也。“折獄”者,人君之所致慎也,豈可恃其明而輕自用乎,乃聖人之用心也,為戒深矣。象之所取,唯以山下有火,明照庶物,以用明為戒。而《賁》亦自有“無敢折獄”之義,折獄者專用情實,有文飾則沒其情矣,故無敢用文以折獄也。

程頤《伊川易伝》にいう:山は草木・百物の聚生する所、火は山下に在りて上に向かいて照耀すれば、各類の物象は皆なその光明を蒙受す。これ則ち文飾・増彩の「賁」の象なり。君子は山下に火ありて万物を光照するの象を見て、就ちそれを以て各項の政務を修明にし、文明の治道を成就す。而して敢えて果決に案を断ぜず。案を断ずるは人君の最も慎重すべきの事、怎んぞ己の明察に仗恃して輕率に一己の見に憑りて處断せんや。これまさに聖人の用心にして、警戒すること極めて深し。取象に就きて言えば、ただ山下に火ありて庶物を明照するを取り、「用明」の上に戒を立つ。而して《賁》卦の本身も亦た別に「无敢折獄」の道理あり――案を断ずるは専ら事情の真相に憑る、一たび文飾あれば、真相は則ち掩没せらる。ゆえに敢えて文飾を以て獄を断ぜず。

集說 王氏弼曰:處賁之時,止物以文明,不可以威刑,故“君子以明庶政,而無敢折獄”。 《朱子語類》:問:“明庶政,無敢折獄”。曰:此與《旅》卦都說刑獄事,但爭艮與離之在內外,故其說相反。止在外,明在內,故明政而不敢折獄。止在內,明在外,故明謹用刑而不敢留獄。如今州縣治獄,禁勘審覆,自有許多節次,過乎此而不決,便是留獄,不及乎此而決,便是敢於折獄,《尚書》要囚至於旬時,它須有許多時日,與《周禮秋官》同意。

集説に引く王弼の説:《賁》卦の文飾を講ずる時に処りて、事物を約束するは文徳の昭明に頼り、威勢・刑罰に頼るべからず。ゆえに「君子以明庶政、而无敢折獄」と言う。集説に引く《朱子語類》:ある人が問う「明庶政、无敢折獄」はまさに怎んぞ講ずべき。朱熹が答えていう:この一条は《旅》卦の言う所と皆な刑獄の事、分別はただ艮と離とが一個は内に居り一個は外に居るに在り。ゆえに両処の説法は正に相反す。《賁》は艮止は外に在り離明は内に在り、ゆえにただ政務を修明にして敢えて案を断ぜず。《旅》は艮止は内に在り離明は外に在り、ゆえに明慎に刑を用いて敢えて案子を積壓せず。まさに如今の州県の案を審するに、收禁・勘問・復審あり、もとより若干道の程序あり。これらの程序を超過してなお判決せざれば、則ち「留獄」なり。程序いまだ走り盡さずして判決すれば、則ち「敢于折獄」なり。《尚書・康誥》の講ずる拘繫・待審の囚犯は五六天乃至十天・三月の期限を経るを要す、もとよりまさにこの許多の時日あるべし、《周礼・秋官》の記する所の用意と相同じ。

蔡氏淵曰:有山之材,而照之以火,則光彩外著,《賁》之象也。“明庶政”,離明象,政者治之具,所當文飾也,“無敢折獄”,艮止象,折獄貴乎情實,賁則文飾而沒其情矣。 何氏楷曰:《呂刑》曰:非佞折獄,惟良折獄,苟恃其明察,而緣飾以沒其情,民且有含冤矣。故言刻核者曰深文,言鍛鍊者曰文致,法曰文綱,弄法者曰舞文,治獄之多冤,未有不起於文者,此皆敢心誤之也。

集説に引く蔡淵の説:山の中にもとより草木・百物の材あり、再用びて火を以てそれを照れば、光彩は則ち外に顕露す。これまさに《賁》卦の象なり。「明庶政」は離明の象を取る、政事は天下を治理するの器具にして、もとよりまさに之に文飾を加えてそれを灿然として可観ならしむべし。「无敢折獄」は艮止の象を取る、案を断ずるは真実の情状を得るに貴し、一経て文飾あれば、真情は則ち淹没せらる。集説に引く何楷の説:《尚書・呂刑》にいう、巧言の人に案を断ぜしむるなかれ、ただ賢良の人に案を断ぜしめよ。假如己の明察に仗恃して、文辞を以て粉飾して案情を掩没せば、百姓は就ち冤を含まん。ゆえに苛刻・深究を形容して「深文」と言い、羅織して罪を成すを形容して「文致」と言い、法網を「文網」と言い、法条を玩弄するを「舞文」と言う。獄を断ずるの多く冤なる所以は、一樁としてこの「文」の字より生ぜざるなし。これら皆なあの一点の敢作・敢為の心が事を誤るなり。

舍車而徒,義弗乘也。 本義 君子之取舍,決於義而已。 程傳 “舍車而徒”行者,於義不可以乘也,初應四正也,從二非正也,近舍二之易,而從四之難,舍車而徒行也,君子之賁,守其義而已。

《象伝》が初九を解していう:車子を舍てて徒歩にて行走するは、道義に按りてあの輛の車に乘るべからざるが故なり。朱熹《本義》にいう:君子は取と舍との間に在りて、ただ一個の「義」の字に憑りて決断す。程頤《伊川易伝》にいう:車を舍て徒歩するは、義理の上に於て乘るべからず。初九と六四とは正応にして、六二に跟従すれば則ち正道に合せず。近処の六二のあの容易に走る路を舍掉して、往きて遠処の六四のあの難く走る路に跟従するは、則ち車子を舍掉して徒歩・行走するに等し。君子の文飾は、ただ己の義を守るに在るのみ。

賁其須,與上興也。 程傳 以須為象者,謂其與上同興也,隨上而動,動止唯繫所附也,猶加飾於物,因其質而賁之,善惡在其質也。

《象伝》が六二を解していう:その鬍鬚を文飾するは、上面に随いて一同に興動するなり。程頤《伊川易伝》にいう:鬍鬚を以て取象するは、六二が上面の爻と一同に興起するを言う。鬍鬚は面頰に附し、面頰動いてこそそれ動く、動くや止まるや、全てそれが依附する所の東西に繫る。これ則ち物件に装飾を加うるがごとく、ただあの物の本来の質地に順いて文飾する能く、最終の善悪はなお質地の本身に取決するがごとし。

集說 候氏行果曰:自三至上,有《頤》之象,二在《頤》下,須之象也,上無其應,三亦無應,若能上承於三,與之同德,雖俱無應,可相與而興起也。 袁氏樞曰:陰不能以自明也,得陽而後明;柔不能以自立也,得剛而後立;下不能以自興也,得上而後興也。

集説に引く侯行果の説(底本は「候氏行果」と作る、則ち侯行果):九三より上九に至るの這幾爻は合して《頤》卦の象を成す。六二は《頤》口の下に在り、まさに鬍鬚の象なり。上九はそれと相応する爻なく、九三も亦た応爻なし。六二がもし能く上に向かいて九三を承奉し、それと同徳・相与ならば、則ち両爻は雖も皆な「応与」を缺く、仍旧として彼此扶持して一同に興起すること能し。集説に引く袁枢の説:陰は能く自ら光を発せず、陽を得てこそ明なり。柔は能く自ら立たず、剛を得てこそ立つ。下位に居る者は能く自ら興起せず、上面の援引を得てこそ興る。

永貞之吉,終莫之陵也。 程傳 飾而不常且非正,人所陵侮也,故戒能永正則言也,其賁既常而正,誰能陵之乎。 集說 蔡氏淵曰:“陵”,侮也。三能“永貞”,則二柔雖比己而“濡如”,然終莫之陵侮,而不至陷溺也。 沈氏一貫曰:下三爻皆取離義,至三而文明極矣,有溺質之象。唯“永貞”則濟之以艮止,故吉而莫之陵。

《象伝》が九三を解していう:長久に正を守りてこそ吉なり、最終に彼を欺凌する能う者なし。程頤《伊川易伝》にいう:文飾もし能く持久せざらば、また正に合せず、就ち人に欺侮せられん。ゆえに爻辞は彼を告誡して能く長久に正を守りてこそ好しとす(底本「則言也」は「言」を疑い「吉」とすべし)。彼の文飾すでに能く持久してまた端正なれば、なお彼を欺凌する能う者あらんや。集説に引く蔡淵の説:「陵」は欺侮の意なり。九三が能く「永貞」せば、則ち六二のこの柔爻は雖も自らに緊挨して「濡如」のあの潤沢・相親の様子を呈すと雖も、終に彼を欺凌すること能わず、彼も亦た陷溺し入るに至らず。集説に引く沈一貫の説:《賁》卦の下面の三爻は皆な離の義理を取る、九三に到りて文明すでに極点に至り、柔潤の質に沉溺するの象あり。ただ「永貞」のみ、こそ艮の静止を以てそれを救済す。ゆえに吉を得て人の欺凌する能う者なし。

六四,當位疑也。匪寇婚媾,終無尤也。 本義 “當位疑”,謂所當之位可疑也。“終無尤”,謂若守正而不與,亦無它患也。 程傳 四與初相遠,而三介於其間,是所當之位為可疑也,雖為三寇仇所隔,未得親於婚媾,然其正應,理直義勝,終必得合,故云“終無尤也”。“尤”,怨也。終得相賁,故無怨尤也。

《象伝》が六四を解していう:六四が面對する所の處境は人をして疑を生ぜしむ。来るは強寇に非ずして求婚する者、最終に怨尤あらざるなり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「當位疑」は、それが面對する所の位置の可疑なるを言う。いわゆる「終无尤」は、假如正道を守りて相与せずと雖も、亦た別の禍患あらざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:六四と初九とは相隔たること遠く、九三はまた両者の中間に橫插す。ゆえにそれが面對する所の位置は人をして懐疑せしむ。雖も九三のこの寇仇のごとき爻に阻隔せられて、いまだ婚媾の對象と親近する能わざれども、それと初九とはもとより「応与」の中の正応にして、理直にして義勝る、終に必ず能く會合せん。ゆえに「終无尤也」と言う。「尤」は怨の意なり。最後に能く彼此文飾・相親すれば、ゆえに怨尤なし。

集說 朱氏震曰:純白無偽,誰能間之,始疑而終合,故曰“終無尤也”。 郭氏雍曰:四雖自飾,亦有“皤如”之質,猶丘園之賁,虛己待物之象也。初飾其趾而來,翰如之馬也,以剛下柔而來,應匪寇也,婚媾之道也,四雖懷疑,終何尤哉。

集説に引く朱震の説:両方とも純白・无偽なれば、彼らを離間する能う者あらんや。開頭は雖も疑を生ず、最後は終に會合せん。ゆえに「終无尤也」と言う。集説に引く郭雍の説:六四は雖も自ら文飾を加うるも、却って亦た爻辞の言う所の「皤如」のあの素白の本質あり、六五の「丘園之賁」に比す、己を虚にして外物を等待するの象なり。初九はその脚趾を文飾して前來す、まさに「白馬翰如」のあの匹の馬なり。それは剛爻を以て柔爻の下に屈居して来る、来るは相応の正応にして、并びに強寇に非ず、走る所は婚媾の道なり。六四は雖も心中に疑を生ず、最終にまた何の怨尤あらんや。

六五之吉,有喜也。 程傳 能從人以成賁之功,享其吉美?是“有喜”也。 集說 方氏應祥曰:於文勝之時,而為丘園之賁,豈不甚可喜乎。非自喜也,為世道喜也。

《象伝》が六五を解していう:六五の吉なる所以は、可喜の事あるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六五は能く上九に聴従して文飾の功效を成就し、因りてその吉美を享有す、これ則ち「有喜」なり。集説に引く方應祥の説:まさに文采の盛んに過ぐる時に当たりて、六五は却って「丘園之賁」を行い、田園の質朴を以て文飾とす。これ豈に甚だ可喜ならざらんや。彼は己の一身を為して喜ぶに非ず、世道・人心を替えて喜ぶなり。

案 《傳》:於五位多言“有慶”,慶大而喜小也,此爻居尊而返樸祟儉,亦可以易俗移風,而但曰有喜者,且就一身無過言爾。如《無妄》五、《損》四、《兌》四之例,皆以無疾為喜,若推其用,則化成天下,慶在其中矣。

李光地按す:《象伝》は第五のこの爻位の上に於て多く「有慶」と言う。「慶」は大にして天下に遍及し、「喜」は小にして一身に止まる。この爻は身に尊位に居りて質朴に返帰し、儉素を崇尚す(底本「祟」は「崇」とすべし)。もとより亦た以て風を移し俗を易うるに足るも、《象伝》は却ってただ「有喜」と言う、あれは姑らく彼の一身に過失なきに就きて言うなり。《无妄》九五、《損》六四、《兌》九四の體例のごとく、皆な疾患なきを以て喜と算す。もし推廣し開きてその功用を講ぜば、則ち天下を化成し、「慶」は自ずからその中に含まるなり。

白賁無咎,上得志也。 程傳 “白賁無咎”,以其在上而得志也。上九為得志者,在上而文柔,成賁之功,六五之君,又受其賁,故雖居無位之地,而實尸賁之功,為得志也。與它卦居極者異矣,既在上而得志,處賁之極,將有華偽失實之咎,故戒以質素則無咎,飾不可過也。

《象伝》が上九を解していう:素白を以て飾と為して過錯あらざるは、上位に居りて心志の行うを得たるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「白賁无咎」は、上九が上位に処りてその志を遂げ得たるに因る。上九の得志を言うは、彼が上に居りて文飾を以て下面の柔爻に施して、整卦の文飾の功を成就したるに因る。六五のこの君主はまた彼の文飾を接受す。ゆえに彼は雖も身に職位なき処に処ると雖も、実際は却って文飾の功業を主持す、これを得志と謂う。この一点は他の卦の裏の極上の位に居るの爻と不同なり。すでに上に在りて得志し、また《賁》卦の文飾の極点に処れば、浮華・失実の過失を有さん。ゆえに《象伝》は素朴・无華を以て彼を告誡す。能く質素を守れば則ち過錯なし、文飾は以て太過すべからず。

集說 《朱子語類》:問:何謂得志。曰:居卦之上,在事之外,不假文飾,而有自然之文,便是優遊自得也。

集説に引く《朱子語類》:ある人が問う、何を「得志」と謂う。朱熹が答えていう:身に一卦の最上に居り、事務の外に站りて、人為の修飾に借助せざるも、却って自ずから一種の天然の文采あり。これ則ち従容・自在、優游・自得なり。

項氏安世曰:六二柔來而文剛,主內卦之文者也,內卦以文為文,故曰:“賁其須”,須之麗於身,最為虛文也,然陽氣不盛,不足以賁其須,故曰“與上興也”,二與上交而成卦,二以上為主,猶須以陽為主也,深明文之與質,未嘗相離,故不言吉凶,吉凶繫於質也,上九分剛上而文柔,主外卦之文者也,外卦以質為文,故曰“白賁”。白本 案 項氏以“與上興”為上九,不如指九三言為當。

集説に引く項安世の説:六二は柔爻が下體に來りて剛爻を文飾するにして、内卦の文采を主持する一爻なり。内卦は文采を以て文采と為す。ゆえに爻辞は「賁其須」と言う。鬍鬚は身上に附して、最も虚なる一種の文飾なり。然而陽氣足りて旺盛ならざれば、則ち以てその鬍鬚を潤飾するに足らず。ゆえに《象伝》は「與上興也」と言う。六二と上面の爻と交換して《賁》卦を成せば、六二は上爻を以て主と為す、まさに鬍鬚が陽氣を以て主と為すがごとし。ここに切深く文と質とは従来曽て相離れざるを説明す。ゆえに爻辞は吉凶を講ぜず、吉凶は「質」の上に繫るなり。上九は剛爻を分出して上に居りて柔爻を文飾するにして、外卦の文采を主持する一爻なり。外卦は質朴を以て文采と為す。ゆえに爻辞は「白賁」と言う――以下底本はただ「白本」の二字を剩して便ち断たれ、項氏の話は未だ言い盡さず。李光地按す:項氏は「與上興」の「上」を上九と認む、指して九三に就きて講ずるに及ばざるが更に妥當なり。

《象伝》・剥卦

山附於地,剝。上以厚下安宅。 程傳 艮重於坤,“山附於地”也。山高起於地而反附著於地,圮剝之象也。上,謂人君與居人上者,觀《剝》之象,而厚固其下,以安其居也,下者上之本,未有基本固而能剝者也。故上之剝必自下,下剝則上危矣。為人上者,知理之如是,則安養人民,以厚其本,乃所以安其居也,《書》曰:民唯邦本,本固邦寧。

《大象伝》にいう:山は地上に依附す、《剥》卦の象なり。上位に居る人はこれに倣って下民を厚待し己の居所を安定す。程頤《伊川易伝》にいう:艮體は坤體の上に疊れば、則ち「山附于地」なり。山はもとより地面より高く聳起したるに、如今反って地上に貼附す、まさに坍塌・剥落の象なり。「上」とは、人君および一切人の上に居る者を指す。彼らは《剥》卦の象を観て、就ち下面を培厚・加固して、以て己の居處を安定せん。下面は上面の根本なり、従来根基牢固にして崩剥するあらず。ゆえに上面の崩剥は必ず下面より始まる、下面一たび剥れれば、上面は則ち危険なり。上位の人を為すは道理の然るを明白すれば、則ち百姓を安養し根本を厚培せん、これまさに己の居處を安定するの办法なり。《尚書・五子之歌》にいう、百姓はこそ国家の根本、根本牢固なれば、国家こそ安寧なりと。

集說 虞氏翻曰:山高絕於地,今附地者,明被剝矣,君當厚錫於下,然後得安其居。 劉氏牧曰:山以地為基,厚具地,則山保其高;君以民為本,厚其下,則君安於上。 司馬氏光曰:基薄則牆頹,下薄則上危,故君子厚其下者,所以自安其居也。 《朱子語類》云:唯其地厚,所以山安其居而不搖,人君厚下以得民,則其位亦安而不搖,猶所謂本固邦寧也。

集説に引く虞翻の説:山は本来高聳にして地面と判然別あり、如今却って地上に貼附す、これによりそれがすでに剥蝕せられたるを見るべし。君主はまさに厚厚と下民を賞賜して、然る後に能くその位に安居すべし。集説に引く劉牧の説:山は大地を以て根基と為し、地を培厚すれば(底本「厚具地」は「具」を「其」とすべし)、山こそその高峻を保住す。君主は百姓を以て根本と為し、下民を厚待すれば、君主こそ上に安居すること能し。集説に引く司馬光の説:地基薄ければ、牆は就ち倒れん。下面薄ければ、上面は則ち危険なり。ゆえに君子はその下面を厚待す、まさに以て己の居處を安定するなり。集説に引く《朱子語類》の説:まさに大地の深厚に因りて、山こそ安穏に立ちて揺動せず。人君は下民を厚待して民心を得れば、彼の君位も亦た安穏・不揺なり、則ちいわゆる「本固邦寧」なり。

剝床以足,以滅下也。 程傳 取床足為象者,以陰侵沒陽於下也,“滅”,沒也,侵滅正道,自下而上也。 集說 虞氏翻曰:床所以安人,在下故稱足。先從下剝,漸及於上,故曰“以滅下也”。

《象伝》が初六を解していう:牀を剥落するは先に牀脚より剥起す、侵滅が下面より始まるを言うなり。程頤《伊川易伝》にいう:牀脚を以て取象するは、陰気が下面に在りて陽を侵蝕・淹没するに因る。「滅」は則ち淹没なり。正道を侵蝕・淹没するは、下より上に向かい一歩一歩に來るなり。集説に引く虞翻の説:牀は以て人を安頓するに用いられ、牀脚は最も下面に在り。ゆえに「足」と称す。剥落は先に下面より始まりて、漸々上面に波及す。ゆえに「以滅下也」と言う。

剝床以辨,未有與也。 本義 言未大盛。 程傳 陰之侵剝於陽,得以益盛,至於剝“辨”者,以陽未有應與故也。小人侵剝君子。若君子有與,則可以勝小人,不能為害矣。唯其無與,所以被“蔑”而凶。當消剝之時,而無徒與,豈能自存也。言未有與,剝之未盛,“有與”,猶可勝也,示人之意深矣。

《象伝》が六二を解していう:牀を剥落して牀身と牀脚と相接する処に剥到るは、陽がいまだ応与を得ざるが故なり。朱熹《本義》にいう:これは陰の剥勢がいまだ大盛ならざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:陰の陽に對する侵剥の能く一歩一歩に加劇して、「辨」のこの部位に剥及するに至る所以は、陽に「応与」なきに因る、亦た則ち相応・相助の同伴なし。小人は君子を侵剥す、君子もし同伴あらば、則ち能く小人に勝たん、小人は便ち彼を害うること得ず。まさに同伴なきに因りて、こそ侵蔑せられて凶を致す。陽氣消剥の時に処りて、また同類相与なければ、怎んぞ能く自保せんや。《象伝》の言う「未有与」は、剥勢のいまだ大盛ならざるを言う。ただなお「有与」あれば、則ち仍旧として勝取すること能し――聖人の人に示すの用意は甚だ深し。

集說 崔氏憬曰:“辨”當在第足之間,是床梐也,“未有與”者,言至三則應,故二“未有與也”。 吳氏澄曰:若六三之剝之,唯其有與也。

集説に引く崔憬の説:「辨」はまさに牀簀と牀脚との間に當るべし、則ち牀身の横木・欄干なり(底本「第」は「簀」とすべし)。いわゆる「未有与」は、剥が六三に到りてこそ相応の陽爻あるを言う。ゆえに六二のこの爻はなお「未有与」なり。集説に引く呉澄の説:六三の爻辞の言う所の「剥之」にして能く无咎なるは、まさに独りそれに相応の爻あるに因る。

龔氏渙曰:六二陰柔中正,使上有陽剛之與,則必應之助之,而不為剝矣,唯其無與,所以雜於群陰之中而為剝,若三則有與,故雖不如二之中正而得無咎。 案 崔氏、吳氏、龔氏之說,皆得文意,六三不中正而辭優於二,故聖人以“未有與”失上下明之。

集説に引く龔渙の説:六二は陰柔にしてまた居中・得正、假使上面に陽剛の爻あってそれと相応せば、それは一定に往きてあの陽爻を応和・幇助して、剥落に参與せざらん。まさに応与なきに因りて、こそ混雑して一群の陰爻の当中に在りて一同に剥を為す。六三に至りては、それに応与あり。ゆえに雖も六二の「中正」に及ばざれども、爻辞は反ってそれに過錯なしと言う。李光地按す:崔憬・呉澄・龔渙の三家の説法は皆な《象伝》の文意に合乎す。六三はすでに居中せず當位せざるに、爻辞は却って六二より言うこと好し。ゆえに聖人は六二の「未有与」と六三の「失上下」のこの両句を以て、その中の道理を点明したるなり。

本義 “上下”,謂四陰。 程傳 三居剝而“無咎”者,其所處與上下諸陰不同。是與其同類相失,於處剝之道為“無咎”,如東漢之呂強是也。 集說 王氏弼曰:三上下各有二陰,而三獨應於陽,則“失上下”也。 邱氏富國曰:上謂四五,下謂初二,違去四陰而獨從剛,故曰“失上下也”。

底本ここに六三の小象「剥之无咎、失上下也」の一句を脱し、直ちに本義に接続す。朱熹《本義》にいう:いわゆる「上下」とは、指す所は六三以外の其余の四個の陰爻なり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は身に剥落の世に処りて能く「无咎」なるは、それが処する立場が上下の衆陰と同じからざるが故なり。それは己の同類と離心・相失し、剥に処するの道理の上に於てはまさに過錯なし、東漢の宦官の裏の呂強は則ちこのごとき人なり。集説に引く王弼の説:六三の上面と下面とは各々両個の陰爻あり、而して独り六三のみ上九の陽爻と相応す、これ則ち「失上下」なり。集説に引く邱富国の説:「上」は六四・六五を指し、「下」は初六・六二を指す。六三はこの四個の陰爻に背離して独り剛爻に跟従す。ゆえに「失上下也」と言う。

剝床以膚,切近災也。 程傳 五為君位,剝已及四,在人則剝其膚矣,剝及其膚,身垂於亡矣,“切近”於災禍也。

《象伝》が六四を解していう:剥落すでに人の肌膚に剥到るは、災禍すでに身に貼り逼近したるを言うなり。程頤《伊川易伝》にいう:五は君位、剥落すでに六四に到れる。もし人身に比作せば、則ち皮膚に剥到るなり。皮膚に剥到れば、性命は就ち保たれざらんとす。ゆえに災禍に「切近」と言う。

以宮人寵,終無尤也。 程傳 群陰消剝於陽,以至於極,六五若能長率群陰,駢首順序,反獲寵愛於陽,則終無過尤也,於剝之將終,復發此義,聖人勸遷善之意,深切之至也。 案 五以陰居尊,取后妃之象,而為“貫魚以宮人寵”,則豈有妒害潰亂,以剝其君之尤哉。

《象伝》が六五を解していう:宮人のごとく寵愛を承受するは、最終に怨尤あらざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:衆陰は陽爻を消剥し、すでに極点に到れる。六五がもし能く帶頭して群陰を率領し、魚貫して行くがごとく併頭・依次に進みて、反って陽爻の寵愛を承受せば、最終に過失・怨尤あらじ。剥落まさに盡きんとする時に於てまたこの層の意を発す、聖人の人に勧めて善に遷らしむるの用心は、実に深切の極処に到れる。李光地按す:六五は陰爻を以て尊位に居り、取る所は后妃の象なり。すでに「貫魚以宮人寵」を致し到れば、何処にかなお嫉妬・残害、宮闈を潰乱して以てその君を剥傷するの過錯あらんや。

君子得輿,民所載也。小人剝廬,終不可用也。 程傳 正道消剝既極,則人復思治,故陽剛君子,為民所承載也。若小人處剝之極,則小人之窮耳。“終不可用也”,非謂九為小人,但言剝極之時,小人則是也。

《象伝》が上九を解していう:君子は車輿を得るは、百姓の擁戴・承載する所なり。小人は己の房舍をも剥掉す、終に任用すべからず。程頤《伊川易伝》にいう:正道は消剥せられて極点に到れば、人心は重新して治世を思念す。ゆえに陽剛の君子は百姓に承載・擁戴せらる。倘若小人にして剥落の極点に処らば、則ちあれは小人の窮途に走到せるなり。「終不可用也」と言うは、并びに上九のこの爻を指して則ち小人と為すに非ず、ただ剥極の時に到れば、小人の下場は便ちこのごとしと言うのみ。

集說 《朱子語類》云:唯君子乃能覆蓋小人,小人必賴君子以保其身。今小人慾剝君子,則君子亡,而小人亦無所容其身,如自剝其廬也。且看自古小人慾害君子,到害得盡後,國破家亡,其小人曾有存活得者否?故聖人於《象》曰:“君子得輿,民所載也,小人剝廬,終不可用也”。

集説に引く《朱子語類》の説:ただ君子のみ能く小人を庇覆し、小人も亦た必ず君子に依頼してこそ自身を保住すること能す。如今小人は一心に君子を剥落せんと要す、君子一旦覆亡せば、小人も亦た安身の処なし、己が己の房子を拆掉するに等し。且らく自古以来小人の君子を害せんと要するを看よ、害を到ること干干净净の後に至れば、国破・家亡、あれらの小人に曽て活きて下来る一人ありや。ゆえに聖人は《象伝》の裏に言う:「君子得輿、民所載也。小人剥廬、終不可用也。」

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