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明夷卦・大象与爻象

清 · 李光地 · 第58巻 / 87

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

明入地中,明夷。君子以蒞眾,用晦而明。程傳 明所以照,君子無所不照,然用明之過,則傷於察,太察則盡事而無含弘之度,故君子觀“明入地中”之象,於“蒞眾”也,不極其明察而“用晦”,然後能容物和眾,眾親而安。是用晦乃所以為明也。若自任其明,無所不察,則己不勝其忿疾,而無寬厚含容之德,人情睽疑而不安,失蒞眾之道,適所以為不明也,古之聖人設前旒屏樹者,不欲明之盡乎隱也。

《大象伝》にいう:光明は地中に沈入す、これ則ち《明夷》なり。君子はこれに由りて領悟す、衆人に臨御するにまさに鋒芒を収斂して、反って能く真正に明察す。程頤《伊川易伝》にいう:明は以て物を照るに用いられ、君子はもとより以て照らざる所なかるべし。然而明を用うること頭を過ぐれば、則ち苛察に傷し、苛察に太れば則ち事情を看得ること一糸も漏らさず、含容・寛大の氣度なし。ゆえに君子は「明入地中」の物象を観て、「蒞衆」のこの件の事の上に於て明察を用い盡くさずして、而して「用晦」す、これに如かずしてこそ衆人を容納し衆心を調和すること能し、衆人は親附して安定す。これにより「用晦」はまさにその明を成就するの办法なるを見るべし。もし一味に己の明を逞恃して、何をも察り透らんと要せば、則ち己の忿恨・憎悪をも按捺し住むこと能わず、寛厚・含容の徳なくして、人心は疑懼・不安にして、反って衆に臨むの道を失掉し、恰も不明と変成す。古代の聖人は冕の前に旒を垂れ門外に屏樹を設くるは、まさに明を用いて隱微の処に至るまで放さざるを願わざるなり。

集說 孔氏穎達曰:冕旒垂目,黃主纊塞耳,無為清淨,民化不欺,若運其聰明,顯其智慧,民即逃其密綱,奸詐愈生。豈非藏明用晦,反得其明也。張子曰;不任察而不失其治也。

集説に引く孔穎達の説:冕上の玉旒は眼前に垂れて、黄色の糸纊は耳朵を塞ぐ、君主は清靜・無為にして、百姓はその感化を受けて欺瞞せず。もし一味に聡明を運用し智慧を炫耀せば、百姓は則ち方を想して法を設けて彼の細密の法網を躲開せん、奸詐の事は反って愈々生じて愈々多し。これ豈にまさに明を蔵めて晦を以て用と為し、反って真正にその明を得るに非ずや。張載に言う、専ら明察に靠らず、而して并びにこれに因りて治理を失わず。

林氏希元曰:“用晦而明”,不是以晦為明,亦不是晦其明。蓋雖明而用晦,雖用晦而明也。“用晦而明”,只是不盡用其明,蓋盡用其明,則傷於太察,而無含弘之道,唯明而用晦,則既不汶汶而暗,亦不察察而明,雖無所不照,而有不盡照者,此古先帝王所以蒞眾之術也。何氏楷曰:晦其明,謂藏明於晦;晦而明,謂生明於晦。意實相發。

集説に引く林希元の説:「用晦而明」は、すでに晦を以て明と當てるに非ず、亦た己の明を遮掉せんと要するに非ず。それは雖も明ありて晦を以て用と為し、雖も晦を用うと雖もその明は仍お在るを言うなり。「用晦而明」は、不過己の明を用い盡くさざるのみ。明を用い盡くせば則ち苛察に傷して、含容・寛大の道を失掉す。ただすでに明にしてまた晦を用うるのみこそ、すでに糊裏・糊塗に暗なるに至らず、亦た錙銖・必較に明なるに至らず。雖も照らざる所なしと雖も、却って意に照らざる地方を留下す、これまさに古代の帝王の衆人に臨御するの方術なり。何楷に言う、「晦其明」は、明を晦の当中に蔵むるなり。「晦而明」は、晦の当中より明を生出するなり。この両層の意思は其実互相に発明す。

君子于行,義不食也。本義 唯義所在不食可也。程傳 君子遯藏而困窮,義當然也。唯義之當然,故安處而無悶,雖不食可也。集說 王氏申子曰:義所不食,則于飛攸往,義所當行亦明矣,去之可不速乎,此伯夷太公之事。

《象伝》にいう:「君子于行」は、道義の上に於てもとより禄を受けて食すべからざるに因る。朱熹《本義》にいう:ただ道義の在る所にあらば、食せざるも亦た曽て不可ならず。程頤《伊川易伝》にいう:君子は隱遯して身を蔵めて困窮に陷るは、これは道義の上に於てもとよりまさに當然なり。まさに道義の上に於てまさに然るべしに因りて、ゆえに彼はその中に安処して煩悶を覚えず、縱使三日食せざると雖も妨げなし。集説に引く王申子の説:道義の上に於てすでに食を受くべからざれば、則ち爻辞の講ずる「明夷于飛」、講ずる「有攸往」は、亦た則ち道義の上に於てまさに行動すべきにして、この一層も亦た則ち清楚なり。すでに然れば、离去すること怎んぞ快からざるを得んや。これまさに伯夷・姜太公が商紂を避けて遠走したるのあの一類の事なり。

六二之吉,順以則也。程傳 六二之得吉者,以其順處而有法則也。“則”,謂中正之道。能順而得中正,所以處明傷之時,而能保其吉也。王氏申子曰:以柔順處之而不失其中正之則,昔者文王用明夷之道,其如是乎。

《象伝》にいう:「六二之吉」は、彼がすでに柔順にしてまた法則を守るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六二の吉を得る所以は、彼が柔順・自処にしてまた循るべきの法則あるに由る。「則」とは、中正の道を指す。すでに能く順にして、また能く中正を得、ゆえに身に光明の損傷せらるるの時に処りて、仍お能く彼の吉を保住す。集説に引く王申子の説:柔順の道を以て自処してその中正の法則を失わず――當年の周文王が《明夷》の道を施行せしは、大概まさにこの様子ならん。

南獰之志,乃大得也。程傳 夫以下之明,除上之暗,其志在去害而已,如商周之湯武,豈有意於利天下乎。“得其大首”,是能去害而大得其志矣。志苟不然,乃悖亂之事也。入于左腹,獲心意也。程傳 “入于左腹”,謂以邪僻之道,入於君而得其心意也,得其心,所以終不悟也。

《象伝》にいう:「南狩之志」(底本「狩」は「狞」と訛作す)は、ここに到りて大いに実現せられたり。程頤《伊川易伝》にいう:下の者の光明を以て上の者の昏暗を除すは、その志向はただ害を除くに在るのみ。商湯・周武のあのごときの人は、豈に心を存して天下を拿りて以て己に利を謀らんとしたや。「得其大首」とは、則ち能く害を除きて大いに己の志を遂げるなり。志向はもしこのごとくならざらば、則ち悖逆・作乱の事と成る。《象伝》にまたいう:「入于左腹」は、君主の心意を摸透したるなり。程頤《伊川易伝》にいう:「入于左腹」は、六四が邪僻の路数を以て君主の身辺に鑽入して彼の心意を摸透したるを言う。彼の心を摸住せば、ゆえにあの位の君主は終始醒悟すること能わず。

箕子之貞,明不可息也。程傳 箕子晦藏,不失其貞固,雖遭患難,其明自存,不可滅息也。若逼禍患,遂失其所守,則是亡其明,乃滅息也。古之人,如揚雄者是也。集說 蘇氏軾曰:六五之於上六,正之則勢不敵,救之則力不能,去之則義不可,此最難處者也,如箕子而後可,箕子之處於此,身可辱也,而“明不可息也”。

《象伝》にいう:「箕子之貞」は、彼の光明の熄滅すべからざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:箕子は韜晦して身を蔵むれど、却って曽て彼の貞固を失掉せず。雖も患難に遭遇すと雖も、彼の内心の光明は自ずから在りて、誰もそれを滅掉すること能わず。もし禍患に逼迫せられて、於是己の守る所を丢掉せば、則ちあれは己の明をも丢きたるにして、あれこそ熄滅と謂うべし。古人の当中に、揚雄のごときは則ちこのごときの例子なり。集説に引く蘇軾の説:六五は上六のこの昏暗の主に面對して、彼を糾正せんと要せば則ち勢力は敵せず、彼を挽救せんと要せば則ち力量は足らず、彼を離去せんと要せば則ち道義の上に於て許可せず、これは最も自処し難きの境地なり。非ずば箕子のごときに如くしてこそ行ふべし。箕子はこの種の境地に処りて、身子は受辱すべく、可是彼の「明不可息也」なり。

初登于天,照四國也。後入于地,失則也。本義 “照四國”,以位言。程傳 “初登于天”,居高而明,則當照及四方也,乃被傷而昏暗,是“後人於地”,火明之道也。“失則”,失其道也。集說 胡氏炳文曰:“則”者,不可逾之理,失則所以為紂,順則所以為文王。

《象伝》にいう:「初登于天」は、もとより四方の國に照臨すべし。「後入于地」は、法則を失掉したるなり。朱熹《本義》にいう:「照四國」は、彼の居する所の位置に就きて講ず。程頤《伊川易伝》にいう:「初登于天」は、身に高位を居して光明あるを言う、もとより四方に照到るべし。却って别人を傷害するに因りて自ら昏暗に陷る、これ則ち「後入于地」にして、亦た則ち光明の自滅するの道なり。「失則」とは、則ち彼の正道を丢掉したるなり。集説に引く胡炳文の説:「則」とは、逾越すべからざるの道理なり。法則を失掉せば、ゆえに商紂と成れり。法則に順従せば、ゆえに周文王と成れり。

家人卦・大象与爻象

風自火出,家人。君子以言有物而行有恆。本義 身修則家治矣。程傳 正家之本,在正其身。正身之道,一言一動,不可易也,君子觀風自火出之象,知事之由內而出,故所言必有物,所行必有恆也。“物”,謂事實。“恆”,謂常度法則也。德業之著於外,由言行之謹於內也,言慎行修,則身正而家治矣。

《大象伝》にいう:風は火の中より生出す、これ則ち《家人》なり。君子はこれに由りて領悟す、言語には必ず実事あり、行事には必ず常度あるべし。朱熹《本義》にいう:自身は修め好ければ、家は自ずから治まる。程頤《伊川易伝》にいう:家を正すの根本は自身を端正するに在り、自身を正すの門道は則ち一言・一動も皆な軽忽すべからざるに在り。君子は「風自火出」の物象を観て、事情は皆な内より外に向かいて発し出づるを明白す。ゆえに説き出だす所の話に必ず実事あり、做し出だす所の事に必ず常度あり。「物」は事実を指し、「恒」は恒常の法度・準則を指す。徳業の能く外に顕揚する所以は、言行は先に内裏に於て謹厳せるに因る。言語は謹慎にして行為は修整なれば、則ち自身は端正にして家道も亦た就ち治まる。

集說 孔氏穎達曰:“物”,事也。言必有事,即口無擇言。行必有常,即身無擇行,正家之義,修於近小,言之與行,君子樞機,出身加人,發邇化遠,故舉言行以為之誡。楊氏時曰:言忠信則有物,行篤敬則有常。胡氏炳文曰:風自火出,一家之化,自吾言行出,皆由內及外,自然薰蒸而咸者也。

集説に引く孔穎達の説:「物」は則ち事なり。説話に必ず事実を以て憑と為すは、亦た則ち《孝経》の講ずる所の「口无擇言」なり。行事に必ず常度あるは、亦た則ち「身无擇行」なり。家を正すの義理は、切近・細小の地方より修め起こすを要す。言と行とは君子の発動の枢機にして、自身より発し出でて他人に加え、近処より発動して遠方に化及す。ゆえに言行の両項を挙出して以て告誡と作す。楊時に言う、説話は忠信なれば則ち実事あり、行事は篤敬なれば則ち常度あり。胡炳文に言う、風は火の中より出で來る。一家の風化は、我自己の言行より出で來る。両者は皆な内より外に及びて、自ずから熏蒸・浸染して及ばざる所なし。

俞氏琰曰:齊家之道,自修身始,此風自火出,所以為《家人》之象也。君子知風之自,於是齊家以修身為本,而修身以言行為先,言必有物而無妄,行必有恆而不改。“物”,謂事實,言而誠實則有物,不誠實,則無物也。“恆”,謂常度,行而常久則有恆,不常久,則無恆也。

集説に引く俞琰の説:家を斉えるの道は身を修めるより入手すべし、これ則ち「風自火出」の《家人》の物象と成る所以の縁故なり。君子は風の何の処より來るを懂得して、於是家を斉えるに身を修めるを以て根本と爲し、而して身を修めるにまた言行を以て先務と爲す。説話に必ず実事ありて虚妄せず、行事に必ず常度ありて軽改せず。以下の几句は《程伝》釈文の余句なり:「物」は事実を指し、説話は誠実なれば則ち実事あり、誠実ならざれば則ち実事なし。「恒」は常度を指し、行事は能く長久なれば則ち恒あり、能く長久ならざれば則ち恒なし。

本義 志未變而豫防之。程傳 閒之於始,家人志意未變動之前也。正志未流散,變動而閒之,則不傷恩,不失義,處家之善也,是以“悔亡”。志變而後治,則所傷多矣,乃有悔也。集說 蘇氏軾曰:忘閒焉則志變矣,及其未變而閒之,故“悔亡,”楊氏簡曰:治家之道,當防閒其初,及其心志未變而閒之以禮,邪僻之意,無由而興矣。

以下は初九の《象伝》「閑有家、志未変也」を解す、この句の伝文は底本未だ収めず。朱熹《本義》にいう:心志のいまだ改変せざるに趁りて、就ち予め之に防范を加う。程頤《伊川易伝》にいう:起頭の処に於て則ち防閑を設下すは、家人の心意のいまだ変動せざるの前に於て手を動かすなり。心志のなお端正にしていまだ涣散・変動せざるに趁りて之に防閑を加えれば、則ち恩情を傷するに至らず、亦た義理を失うに至らず、これは家を治むるの好き办法なり。ゆえに「悔亡」。心志のすでに変われるを待ちてこそ往きて整治せば、損傷は就ち多し、於是悔あり。集説に引く蘇軾の説:防を設くるを忘れれば、心志は就ち変わる。それの未だ変わらざるに趁りて就ち防を設く、ゆえに「悔亡」。楊簡に言う、家を治むるの道は、まさに最初に於て防閑を設下すべし。人の心志のいまだ改変せざるに趁りて、礼を以て彼を防閑せば、あれらの邪僻の念頭は則ち生起するの由なからん。

六二之吉,順以巽也。程傳 二以陰柔居中正,能順從而卑巽者也,故為婦人之貞吉也。案 六二六四之力順同,順者女之貞也,四位高,故曰順在位,二位卑,故曰“順以巽”。

《象伝》にいう:「六二之吉」は、彼がすでに柔順にしてまた謙巽なるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六二は陰柔の質を以て中正の位に居りて、是れ能く順従してまた卑下・謙巽なる人なり。ゆえに婦人の貞正の吉を成就す。李光地按す:六二と六四とは同じく柔順を以て徳と為し、順正は婦人の貞なり。六四の居する所の位は高し、ゆえに《象伝》は彼を「順在位」と言う。六二の居する所の位は卑し、ゆえに彼を「順以巽」と言う。

家人嗃嗃,未失也。婦子嘻嘻,失家節也。程傳 雖“嗃嗃”於治家之道,未為甚失,若“婦子嘻嘻”,是無禮法,失家之節,家必亂矣。集說 王氏弼曰:以陽處陽,剛嚴者也。處下體之極,為一家之長者也。行與其慢,寧過乎恭,家與其瀆,寧過乎嚴,是以家人雖“嗃嗃悔厲”,猶得其道,“婦子嘻嘻”,乃失其節也。

《象伝》にいう:「家人嗃嗃」は、なお失当と算上せず。「婦子嘻嘻」は、則ちあれは家を治むるの節度を失掉したるなり。程頤《伊川易伝》にいう:雖も「嗃嗃」として厳厲しきに過ぐると雖も、家を治むるの道の上に於てはなお大過失と算上せず。もし「婦子嘻嘻」ならば、則ちあれは毫も礼法の言うべきなし、家中の節度を失掉して、家は必ず乱れん。集説に引く王弼の説:九三は陽爻を以て陽位に居り、是れ剛強・厳厲の人なり。また下卦の頂端に処りて、是れ一家の長なり。行事は怠慢に失するに如かず寧ろ恭謹に過ぐるべく、家中は褻狎に失するに如かず寧ろ厳厲に過ぐるべし。ゆえに家人は雖も「嗃嗃」にして「悔厲」あると雖も、なお正道に合乎と算す。「婦子嘻嘻」は、則ちあれは節度を失うなり。

富家大吉,順在位也。程傳 以巽順而居正,位正而巽順,能保有其富者也,“富家”之“大吉”也。集說 俞氏琰曰:《禮運》云,父子篤,兄弟睦,夫婦和,家之肥也。豈以多財為吉哉,以順居之,則滿而不溢,可以保其家而長守其富,吉孰大焉。

《象伝》にいう:「富家大吉」は、彼が順徳を以て正位に居るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六四は謙巽・柔順の徳を以て「當位」して正を得、位はすでに正にして人はまた柔順、まさに能く自家の富厚を保住する人なり。ゆえに「富家」にして「大吉」。集説に引く俞琰の説:《礼記・礼運》に講ず、父子は篤厚、兄弟は和睦、夫妻は和諧、これをこそ「家之肥」と謂う。何処にか銭財の多きを以て吉と當てんや。柔順の徳を以てその位に居守せば、則ち能く盈満して外に溢れず、以てこの家を保住して長久にこの分の富を守住すべし、また何の吉かこれより大ならん。

王假有家,交相愛也。本義 程子曰:夫愛其內助,婦愛其刑家。程傳 “王假有家”之道者,非止能使之順從而已,必致其心化誠合,夫愛其內助,婦愛其刑家,“交相愛”也。能如是者,文王之妃乎,若身修法立而家末化,未得為“假有家”之道也。集說 郭氏雍曰:父父子子,兄兄弟弟、夫夫婦婦、同大順而無逆焉者,“交相愛”之義也。龔氏煥曰:“交相愛”則一家之父子兄弟,夫婦長幼,莫不相愛,非特夫婦而已也。

《象伝》にいう:「王假有家」は、一家人の互相・親愛するなり。朱熹《本義》に引く程子の説:丈夫を為すは妻子の内助の功を愛重し、妻子を為すは丈夫の家を治むるの法を愛重す。程頤《伊川易伝》にいう:能く「王假有家」の道を行う人は、ただ能く家人をして順従せしむるのみならず、必ず人心に感化を受け誠意の相契合するを致さんと要す。丈夫は妻子の内助を愛重し、妻子は丈夫の家を治むを愛重す、これをこそ「交相爱」と謂う。能くこの一歩を致すは、大概ただ周文王の后妃ならん。もしただ自身は修め好く法度は立ち起こるに、而して全家は并びに真正に感化を受けざらば、あれはなお「假有家」の道と算上せず。集説に引く郭雍の説:父は父の道を盡くし、子は子の道を盡くし、兄は兄の道を盡くし、弟は弟の道を盡くし、夫は夫の道を盡くし、妻は妻の道を盡くし、同じく大順に帰して一処として相違逆するなし、これ則ち「交相爱」の意なり。龔煥に言う、「交相爱」とは、一家の父子・兄弟、夫婦・長幼は相親愛せざるなきなり、并びにただ夫妻の両人を指すのみならず。

威如之吉,反身之謂也。本義 謂非作威也,反身自治,則人畏服之矣。程傳 治家之道,以正身為本,故云“反身之謂”。爻辭謂治家當有威嚴,而夫子 集說 朱氏震曰:威非外求,反諸身而已,反身則正,正則誠,誠則不怒而威,後世不知所謂威嚴者正其身也,或不正而尚威怒,則父子相夷,愈不服矣,安得吉。

《象伝》にいう:「威如之吉」は、講ずる所は反って己に求むるなり。朱熹《本義》にいう:これは并びに威勢を装い出だすを要するに非ず、而して反って己を管好せば、别人は自ずから敬畏・順服するなり。程頤《伊川易伝》にいう:家を治むるの道は自身を端正するを以て根本と為す、ゆえに《象伝》は「反身之謂」と言う。爻辞は家を治むるにまさに威厳あるべきを講ず、而して孔子は――ここに底本脱文あり、程頤の下文はまさに孔子の惟るらく人が誤って威厳を以て声色・倶厲と看做さんことを恐れて、ゆえにことさら「反身」を以て解釈せんと要するを言うべし。集説に引く朱震の説:威厳は外に向かいて求むるに非ず、自身に反求すれば則ち足る。身に反れば則ち自身正しく、正しければ則ち誠にして、誠なれば則ち必ずしも怒を発せずして自ずから威厳あり。後世の人はいわゆる威厳が則ち自身を端正するなるを懂得せず、或るは己并びに端正ならずして却って威嚇・発怒を崇尚して、結局は父子は互相に傷害して愈々服せず、何処にかなお吉を得んや。

郭氏雍曰:《象》明“言有物而行有恆”,而此又言“反身之謂”者,家人之道,所以成始成終者,修身而已。趙氏汝楳曰:爻於初言“閒”,三言“嗃嗃”,上言“威”。聖人慮後世以為威嚴有餘,而親睦不足,故特釋之以“反身”。謂“威如”者,非嚴厲以為威。反求諸己而已。

集説に引く郭雍の説:《大象》はすでに「言有物而行有恒」を点明せるに、ここにまた「反身之謂」と言う、これにより《家人》の道は頭より尾まで能く成就するは、不過則ち修身の両字なるを見るべし。趙汝楳に言う、爻辞は初九に於て「閑」を講じ、九三に於て「嗃嗃」を講じ、上九に於て「威」を講ず。聖人は後世の人がこの一卦を以て威厳は余りて親睦は足らずと為さんことを擔心し、ゆえにことさら「反身」を以てそれを解釈す。いわゆる「威如」とは、并びに厳厲を靠りて以て威を立つるに非ず、ただ反って己に要求するのみ。

睽卦・大象与爻象

上火下澤,睽,君子以同而異。本義 二卦合體,而性不同。程傳 “上火下澤”,二物之性違異,所以為睽離之象。君子觀睽異之象,於大同之中,而知所當異也。夫聖賢之處世,在人理之常,莫不大同,於世俗所同者,則有時而獨異。蓋於秉彝則同矣,於世俗之失則異也,不能大同者,亂常拂理之人也,不能獨異者,隨俗習非之人也,要在同而能異耳。《中庸》曰和而不流是也。

《大象伝》にいう:上面は火、下面は沢、これ則ち《睽》なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに大同の中に於て有所不同なるを懂得すべし。朱熹《本義》にいう:離・兌の両卦は一體に合成すれど、それらの性情は并びに相同じからず。程頤《伊川易伝》にいう:「上火下沢」は、両様の東西の性情は相違・相異す、ゆえに乖離の物象と成る。君子はこの睽異の象を観て、大同の当中に於てまさに何れの地方に於て人と同じからざるべきを懂得す。聖賢は世に処りて、人倫・常理の上に於ては衆人と大同ならざるなし。可是世俗の共同に認可する所のあの一套に對しては、時に偏に独異せんと要す。これは因るに秉受する所の常性の上に於ては彼は人と相同じく、世俗の偏失の上に於ては彼は人と相異なるが故なり。能く大同せざるは、綱常を擾乱し事理に違逆する人なり。能く独異せざるは、波に随り流に逐い非を習いて是と成すの人なり。関鍵は則ち能く同じく能く異なるに在り。《中庸》の講ずる「和而不流」は、言う所はまさにこれなり。

集說 荀氏爽曰:火性炎上,澤性潤下,故曰睽也。大歸雖同,小事當異,百官殊職,四民異業,文武並用,威德相反,共歸於治,故曰“君子以同而異”也。項氏安世曰:同象《兌》之“說”,異象《離》之“明”。

集説に引く荀爽の説:火の性情は上に向かいて燃焼し、沢の性情は下に向かいて浸潤す、ゆえに「睽」と謂作る。大方向は雖も一致すと雖も、具体の事情の上に於ては却ってまさに各々分别あるべし。百官は各々その職守あり、士農工商は各々その行業あり、文治と武功とは并用して、威厳と恩徳とは看似相反すれど、却って共同に一個の「治」の字に帰結す。ゆえに「君子以同而異」と言う。項安世に言う、「同」は下卦《兌》の「説」に取象し、「異」は上卦《離》の「明」に取象す。

見惡人,以辟咎也。程傳 睽離之時,人情乖違,求和合之,且病其不能得也,若以惡人而拒絕之,則將眾仇於君子,而禍咎至矣,故必見之,所以免避怨咎也,無怨咎,則有可合之道。

《象伝》にいう:「見悪人」は、以て咎害を避ける為なり。程頤《伊川易伝》にいう:乖離の時に當たりて、人心は互相に違背し、和合を求得せんと欲してなお求め得らざるを怕る。もし對方の悪人なるに因りて一口に回絶せば、則ち衆人は皆な君子と仇を結ばん、禍患・災咎は跟いて則ち來る。ゆえに必ず彼に一面を見んと要す、為むる所は怨咎を免かれ開かんが為なり。怨咎なければ、こそ一條の以て和合すべきの路を留下すること能し。

遇主于巷,未失道也。本義 本其正應,非有邪也。程傳 當睽之時,君心未合,賢臣在下,竭力盡誠,期使之信合而已。至誠以感動之,盡力以扶持之,明義理以致其知,杜蔽惑以誠其意,如是宛轉以求其合也。“遇”非枉道迎逢也,“巷”非邪僻由徑也,故夫子特云“遇主于巷,未失道也”,未非此也,非必謂失道也。集說 王氏申子曰:處上下睽離之時,不得不委曲以求合,故曰“未失道”,言於正道未為失也。

《象伝》にいう:「遇主于巷」は、并びに正道を偏离せざるなり。朱熹《本義》にいう:これはもとより則ち九二と六五とが正相「応与」するにして、并びに邪曲の何物もなし。程頤《伊川易伝》にいう:乖離の時に當たりて、君主の心はいまだ臣下と契合せず、賢臣は身に下位に在りて、全力を竭くし全副の誠意を拿出して、ただ君主に信任せしめ己と契合せんことを求む。至誠を以て彼を感動し、全力を以て彼を扶持し、義理を講明して彼をして明白ならしめ、蒙蔽・疑惑を堵住して彼の心意をして誠実ならしむ――則ちこのごとく婉転・曲折して以て契合を求得せんとす。いわゆる「遇」は、正道を歪曲して逢迎するに非ず。いわゆる「巷」は、邪僻の小路を走るに非ず。ゆえに孔子はことさら「遇主于巷、未失道也」と講ず、このごとく做すれば并びに不對の何物もなきを言うにして、并びに彼が道を失いたるを言うに非ず。集説に引く王申子の説:身に上下・乖離の時に処りて、幾分を委曲して以て契合を求むるを得ざれば、ゆえに「未失道」と言う、意思は正道の上に於てはなお失と算すべからざるなり。

見輿曳,位不當也。無初有終,遇剛也。程傳 以六居三,非正也。非正則不安,又在二陽之間,所以有如是艱厄,由“位不當也,無初有終”者,終必與上九相遇而合,乃“遇剛也”,不正而合,未有久而不離者也,合以正道,自無終睽之理,故賢者順理而安行,知者知幾而固守。

《象伝》にいう:「見輿曳」は、「位不當」に因る。「无初有終」は、終に陽剛に遇上するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六のこの陰爻を以て三のこの陽位に居るは、正位に非ず。位正ならざれば則ち安寧を得ず、また両個の陽爻の当中に夾まれて、ゆえにこそこのごときの艱難・困厄あるなり、これは皆な「位不當」に由る。いわゆる「无初有終」は、彼が最終に必ず上九と相遇して契合するを言う、これ則ち「遇剛也」なり。正道を以て結合せざるは、能く長久に分離せざるなし。正道を以て結合すれば、もとより終身・乖離の道理なし。ゆえに賢者は道理に順いて安然として行い、智者は幾微の兆を看出して堅守・不移す。

集說 胡氏瑗曰:“無初有終,遇剛也”者,言初為上之見疑,然終則知己之誠而 案 爻有兩喻,而《象傳》偏舉者,舉其重者也,此舉“見輿曳”,以乘剛也,《困》三舉“據于蒺藜”,亦以乘剛也,《易》例乘剛之危最甚。

集説に引く胡瑗の説:「无初有終、遇剛也」は、起初は上九に猜疑せられて、最後に到りて上九は終に六三の誠意を明白せるを言う――ここに底本脱文あり、胡瑗の下文はまさに両者は於是相合したるを言うべし。李光地按す:この一爻の爻辞は両個の比喻を用いたるに、《象伝》は却ってただその中の一個を挙ぐ、あれは分量の重きあの個を挙ぐなり。ここに「見輿曳」を挙ぐるは、それが「乗剛」するに因る。《困》卦六三に「据于蒺藜」を挙ぐるも、亦た「乗剛」に因る。《周易》の通例に按れば、陰爻の陽爻の上に凌駕するは、この種の危険は最も厳重なり。

交孚無咎,志行也。程傳 初四皆陽剛君子,當睽乖之時,上下以至誠相交,協志同力,則其志可以行,不止無咎而已。卦辭但言“無咎”,夫子又從而明之,雲可以行其志,救時之睽也,蓋以君子陽剛之才,而至誠相輔,何所不能濟也,唯有君子,則能行其志矣。

《象伝》にいう:「交孚无咎」は、彼らの志向の以て推行すべきを言う。程頤《伊川易伝》にいう:初九と九四とは皆な陽剛の君子にして、まさに乖離の時に當たりて、上下は至誠を以て相交わり、志同じくして力合わせば、則ち彼らの志向は則ち以て推行すべし、好処はただ「无咎」のみに止まらず。爻辞はただ「无咎」を講ず、孔子はまた接いで話を説き透して、彼らは以て己の志向を推行して往きてこの乖離の時局を挽救すべしと言う。君子の陽剛の才を憑りて、また至誠を以て互相に輔助せば、また何の事か済えざらんや。ただ君子のみ、こそ能く己の志向を推行す。

厥宗噬膚,往有慶也。程傳 爻辭但言“厥宗噬膚”,則可以往而無咎,《象》復推明其義,言人君雖己才不足,若能信任賢鋪,使以其道深入於己,則可以有為,是往而有福慶也。

《象伝》にいう:「厥宗噬膚」、前往すれば則ち喜慶あり。程頤《伊川易伝》にいう:爻辞はただ「厥宗噬膚」を講ずるに、便ち以て前往して過錯なし。《象伝》はまたこの層の義理を推闡し出だして、君主を為すは縱使己の才具足らずと雖も、ただ能く賢能の輔臣を信任して、彼をして己の主張を君心の裏に深く送進せしめば、則ち以て作為あるべし、これ則ち前往して福慶あるなり。

集說 項氏安世曰:二以五為主,而委曲以入之,巷雖曲而通諸道,“遇主于巷”,將以行道,非為邪也。五以二為宗而親之,二五以中道相應,當睽之時,其間也,微而易合,如膚之柔,噬之則人,豈獨“無咎”,又將“有慶”,二五陰陽正應,故其辭如此。何氏楷曰:“厥宗”既“噬膚”矣,往則有相合之慶,蓋決之也。

集説に引く項安世の説:九二は六五を以て君主と為して、委曲・婉転してまさに君心の裏に打進せんと欲す。小巷は雖も曲折すれど、却って終に大道に通向す、いわゆる「遇主于巷」は、往きて大道を推行せんと要するにして、并びに邪曲の事を干すに非ず。六五は九二を以て同宗と當てて彼を親近す。二と五とは中道を以て相「応与」し、まさに乖離の時に當たりて、両人の間の隔閡は細微にして弥合すること易く、皮膚のあのごとく柔軟にして、一たび咬めば則ち進み入る。このごとくにしてまた豈にただ「无咎」ならんや、還將「有慶」ならん。二と五とは一陰・一陽にして正相「応与」す、ゆえに爻辞はこそこのごとく言う。何楷に言う、「厥宗」はすでに「噬膚」せる以上、前往すれば則ち彼此・契合の喜慶あり、これは断然・肯定の話なり。

遇雨之吉,群疑亡也。程傳 “雨”者,陰陽和也,始睽而能終和,故吉也。所以能和者,以群疑盡亡也,其始睽也,無所不疑,故云“群疑”,睽極而合,則皆亡也。集說 孔氏穎達曰:“群疑亡”者,往與三合,如雨之和,向之“見豕”、“見鬼”、“張弧”之疑,並消釋矣,故曰“群疑亡也”。

《象伝》にいう:「遇雨之吉」は、種種の疑虑の全く消ゆるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「雨」は、陰陽・交和の産物なり。起初は乖離にして最終は能く和す、ゆえに吉なり。能く和する所以は、種種の疑虑が皆な消盡するに因る。當初の乖離の時、彼は何をも懐疑す、ゆえに「群疑」と謂う。乖離は極点に到りて反転して相合すれば、あれらの疑虑は則ち全てなし。集説に引く孔穎達の説:いわゆる「群疑亡」は、上九が前往して六三と契合して、雨のあのごとく和洽するを言う、先前の「見豕負塗」「載鬼一車」「先張之弧」の種種の疑心は、一併に消釋す。ゆえに「群疑亡也」と言う。

王氏安石曰:上九《睽》極有應而疑之,夫《睽》之極,則物有似是而非者,雖明猶疑,疑之已甚,則以無為有,無所不至,況於不明者乎,上九剛過中,用明而過者也,故其始不能無疑。《朱子語類》云:諸爻立象,聖人必有所據,非是自撰,但今不可考耳。到孔子方不說象,如“見豕負塗”、“載鬼一車”之類,孔子只說“群疑亡也”,便見得上面許多,皆是狐惑可疑之事而已,到後人解說,便多牽強。

集説に引く王安石の説:上九は《睽》の極点に処りて、もとより相「応与」するの六三あるに、却って反ってそれを疑心す。乖離は極点に到れば、事物は則ち似是・而非の様子を出現す、縱使眼力の明なる人と雖も生疑を免れ難し。疑心は一たび重くなれば、則ち無きを有りと當てて、何の荒唐の念頭をも冒出す、何況や眼力はもとより明ならざるの人や。上九は陽剛にして中位を過ぐるは、「明」を用うること頭に過ぐるの人なり。ゆえに起初は疑あるを免れ難し。《朱子語類》にいう:各爻の立つる所の物象は、聖人は必ず依拠する所有りて、己が空を憑りて編造するに非ず、ただ今はすでに考え出だすこと能わず。孔子の経を解するに到りて、こそ更にあれらの象を講ぜず。「見豕負塗」「載鬼一車」のこの一類のごときは、孔子はただ一句の「群疑亡也」を言うに、則ち人をして上面のあの許多の話は不過皆な狐疑・惑乱の事なるを看出せしむ。後人の解説に往くに到りては、則ち多半は牽強・附会なり。

趙氏汝楳曰:怪力亂神,聖人所不語,而此卦言之甚詳,故聖人斷之曰“疑”。蓋心疑則境見,心明則疑亡,知此者,志怪之書可焚,無鬼之論可熄。王氏申子曰:孤生於睽,睽生於疑,今群疑既亡,則睽而合,合而和,所以吉也。

集説に引く趙汝楳の説:怪異・勇力・悖乱・鬼神、これらは聖人の談ぜざる所に、可この一卦は却って講ずること甚だ詳細なり。ゆえに聖人は一句の話を以てそれを「疑」と断定す。心の裏に疑を生ぜば、境相は就ち現出す。心の裏に明白なれば、疑は就ちなし。この道理を懂得せば、あれらの志怪の書は以て焼掉すべく、あれらの鬼あり鬼なしを論辯するの文章も亦た以て搁下すべし。王申子に言う、孤独は乖離より生産し、乖離は疑心より生産す。如今種種の疑心はすでに消盡せり、則ち乖離より轉じて契合と為し、契合より轉じて和洽と為す。ゆえに吉を得。

蹇卦・大象与爻象

山上有水,蹇。君子以反身修德。程傳 山之峻阻。上覆有水,坎水為險陷之象,上下險阻,故為蹇也。君子觀蹇難之象,而以“反身修德”,君子之遇艱阻,必反求諸己而益自修。孟子曰:行有不得者,皆反求諸己。故遇艱蹇,必自省於身有失而致之乎,是反身也,有所未善,則改之。無歉於心,則加勉,乃自修其德也,君子修德以俟時而已。

《大象伝》にいう:山上に水あり、これ則ち《蹇》なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに反って自身の上に功を用いて己の徳を修養すべし。程頤《伊川易伝》にいう:山はもとより険峻・難行にして、上面にまた水あり、坎水はまさに険陷の物象なり。上下は皆な険阻、ゆえに《蹇》と成る。君子はこの蹇難の象を観て、因りて「反身修徳」す。君子は艱難・険阻に遇上すれば、必ず反って己に責求して愈々自修す。孟子は言う、凡そ事は做して却って預期の結果を得ざれば、皆な反って己の身上に於て原因を找むべし。ゆえに艱難・蹇滞に遭遇すれば、必ず自我・省察す。是か非か自身に何の過失あってこそ招來せしか。これ則ち「反身」なり。做し好からざるあるを発見すれば則ちそれを改め、心に問えば愧なければ更に勉励す、これ則ちその徳を自修するなり。君子は不過徳行を修養して静かに時機を待つのみ。

《朱子語類》云:潘謙之書曰:《蹇》與《困》相似,“致命遂志”,“反身修德”亦一般,殊不知不然。《象》曰“澤無水,困”,處困之極,事無可為者,故只得“致命遂志”,若蹇則猶可進步,如山上之泉,曲折多艱阻,然猶可行,故教人以“反身修德”,只觀“澤無水,困”,與“山上有水,蹇”二句,便全不同。項氏安世曰:反身象艮之背,修德象坎之勞。

集説に引く《朱子語類》の説:潘謙之は來信に講ず、《蹇》と《困》と相似たり、「致命遂志」と「反身修徳」とも亦た一回事なりと。殊不知并びに然らず。《大象》の講ずる「沢无水、困」は、あれは困窮の極点に処りて事情に作為すべきなきの歩地なり。ゆえにただ「致命遂志」する能く、生死を天命に付与して己の志向を成全す。至って《蹇》は、則ちなお能く前に向かいて歩を挪ぐ、山上の泉水のごとく、雖も曲折して艱阻多しと雖も、畢竟なお走り通ずること能し。ゆえに人に「反身修徳」を教う。単に「沢无水、困」と「山上有水、蹇」のこの両句を看れば、両者は則ち全然相同じからず。項安世に言う、「反身」は艮卦の「背」に取象し、「修徳」は坎卦の「労」に取象す。

往蹇來譽,宜待也。程傳 方蹇之初,進則益蹇,時之未可進也,故宜見幾而止,以待時可行而後行也。諸爻皆蹇往而善來,然則無出蹇之義乎。曰:在蹇而往,則蹇也,蹇終則變矣,故上已有碩義。集說 王氏申子曰:往而行險,不如居易以俟之為宜也。龔氏煥曰:居止之初,去險尚遠,見險而即止,《彖傳》之所謂知也。

《象伝》にいう:「往蹇來誉」は、この時宜しく等待すべきを言う。程頤《伊川易伝》にいう:まさに蹇難の初に當たりて、前進すればただ更に蹇なり、時機はなお前進を容許せず。ゆえにまさに苗頭を看出して就ち停住し、時機の可行なるを待ちて再び動くべし。ある人が問う、各爻は皆な往かば則ち蹇、來れば則ち善、豈に則ち蹇難を走出するの義理なからんや。回答は、蹇難の中に於て前往すれば、あれは自ずから仍お蹇なり。蹇難は終点に到れば就ち転変せん、ゆえに上六はすでに「來碩」のこの層の意あるなり。集説に引く王申子の説:前往して険を渉るは、平易の地に安居して静かに時機を待つが來りて合宜するに如かず。龔煥に言う、初六は艮止の體の開頭に処りて、険を離るることなお遠く、一たび険を見れば則ち立刻に停住す、これまさに《彖伝》の言う所の「知」なり。

王臣蹇蹇,終無尤也。本義 事雖不濟,亦無可尤。程傳 雖艱厄於蹇時,然其志在濟君難,雖未能成功,然終無過尤也,聖人取其志義而謂其“無尤”,所以勸忠藎也。集說 侯氏行果曰:二上應於五,五在坎中,險而又險,志在匡弼,匪惜其躬,故曰“王臣蹇蹇,匪躬之故”,輔君以此,“終無尤也”。

《象伝》にいう:「王臣蹇蹇」は、終に責怪すべきの何物もなし。朱熹《本義》にいう:事情は雖も成し辦せざると雖も、亦た彼を責怪するの由なし。程頤《伊川易伝》にいう:六二は雖も蹇難の時に於て艱厄を受け盡くすと雖も、可彼の志向は君主の危難を解救するに在り。雖も未だ成功すること能わざると雖も、最終に亦た責むべきの過錯なし。聖人は彼のこの分の志向と道義とを取りて彼を「无尤」と言う、為むる所は天下の忠誠の士を勉励するなり。集説に引く侯行果の説:六二は上に向かいて九五と相「応与」し、九五は身に坎険の中に在りて、険の上に険を加う。六二は志に匡正・輔佐するに在りて、自身を惜しまず。ゆえに爻辞は「王臣蹇蹇、匪躬之故」と言う。このごときの態度を以て君主を輔佐すれば、自ずから「終无尤也」なり。

往蹇來反,內喜之也。程傳 “內”,在下之陰也。方蹇之時,陰柔不能自立,故皆附於九三之陽而喜愛之。九之處三,在蹇為得其所也,處蹇而得下之心,可以求安,故以“來”為“反”,猶春秋之言歸也。集說 孔氏穎達曰:內卦三爻,唯九三一陽,居二陰之上,是內之所恃,故云“內喜之也”。

《象伝》にいう:「往蹇來反」は、内卦の陰爻が彼を歡喜するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「内」とは、下面のあの両個の陰爻を指す。まさに蹇難の時に當たりて、陰柔の爻は己が脚を立ち住むこと能わず、ゆえに皆な九三のこの陽爻に依附して彼を喜愛す。九のこの陽爻は三位に処りて、蹇難の時に於てはその所在を得ると算す。身に蹇難に処りて下面の人心を得れば、則ち以て安穏を謀るべし。ゆえに「來」を「反」と講ずるにして、《春秋》の裏の言う所の「帰」のごとし。集説に引く孔穎達の説:内卦の三爻にただ九三の一個の陽爻ありて、両個の陰爻の上に居り、是れ内卦の倚仗する所なり。ゆえに「内喜之也」と言う。

往蹇來連,當位實也。程傳 四當蹇之時,居上位,不往而來,與下同志,固足以得眾矣,又以陰居陰,為得其實,以誠實與下,故能連合而下之。二三亦各得其實,初以陰居下,亦其實也,當同患之時,相交以實其合可知,故來而連者,當位以實也,處蹇難,非誠實何以濟,當位不曰正而曰實,上下之交,主於誠實,用各有其所也。

《象伝》にいう:「往蹇來連」は、彼が「當位」して而且實なるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六四はまさに蹇難の時に當たりて身に上位を居りて、前に往かずして退き回りて、下面の人と心を同じく志を同じくす、もとより以て衆を得るに足る。また陰爻を以て陰位に居るは、是れその「實」を得るにして、誠実の心を以て下面の人を對待す、ゆえに能く彼らと連ねて一片と成りて甘んじてその下に居る。六二・九三も亦た各々その實を得、初六は陰爻を以て最下に居りて、同じく是れ實なり。まさに患難を共にする時に當たりて、彼此は誠実を以て相交われば、あの契合は想知すべし。ゆえに「來而連」は、則ち「當位」にして誠実を以て相待するなり。身に蹇難に処りて、誠実に靠らざれば怎んぞ済し得んや。ここに「當位」を講じて「正」を言わずして「実」を言うは、上下の間の交往は誠実を以て主と為すに因り、各々の字眼は各々の用処あるなり。

集說 荀氏爽曰:處正承陽,故曰“當位實也”。沈氏該曰:四當位可進,而陰柔不能獨濟,來而承五,連於陽實,則得所輔也。案 荀氏、沈氏、姜氏之說皆是,然如此,則當位兩字,宜著。九五說,言當尊位者有實德也,如“敵剛也”之例。

集説に引く荀爽の説:六四は正位に処りて上に九五の陽を承えば、ゆえに「當位實也」と言う。沈該に言う、六四は雖も「當位」にして前進すべくと雖も、但し陰柔の質は能く独力にて難を済せず。ゆえに退き回りて九五を承奉して、陽剛の実徳と相連わる、これ則ち依靠を得たるなり。李光地按す:荀爽・沈該・姜氏の説法は皆な對なり。不過このごとくに講ずれば、「當位」の両字は則ちまさに九五の身上に落として言うべく、意思は尊位を占据する人に実実在在の徳あるを言うにして、《象伝》の講ずる「敵剛也」のあの種の用法のごとし。

大蹇朋來,以中節也。程傳 “朋”者,其朋類也。五有中正之德,而二亦中正,雖大蹇之時,不失其守,蹇與蹇以相應助,是以其中正之節也。上下中正而弗濟者,臣之才不足也。自古守節秉義,而才不足以濟者,豈少乎,漢李固、王允,晉周豈頁、王導之徒是也。

《象伝》にいう:「大蹇朋來」は、九五が中道の節操を守住したるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「朋」とは、彼と同類の人を指す。九五に中正の徳あり、六二も亦た中正にして、縱使大蹇の時に於ても守る所を失わず、両個の身に蹇難に処る人は互相に「応与」・援助す、靠る所はまさに彼らの中正の節操なり。上下は皆な中正にして却って仍お難を済すこと能わざるは、あれは臣子を為すの才具の足らざるなり。古より來りて節を守り義を秉りて才具の難を済すに足らざる人は、豈に還少なからんや。漢朝の李固・王允、晋朝の周顗・王導のこれらの人は則ち然り。

集說 孔氏穎達曰:得位履中,不改其節,則同志者自遠而來,故曰“朋來”。案 《蹇》卦之義,在乎進止得宜,爻之往來,即進止也。九五雖不言往來,而傳明其為“中節”,則進止之宜不失,可以濟難而不至於犯難矣。裴度云,朝延處置得宜,有以服其心,其“中節”之謂乎。

集説に引く孔穎達の説:その位を得てその中を履みて、己の節操を更改せざれば、則ち志同く道合わすの人は自ずから遠方より趕來す。ゆえに「朋來」と言う。李光地按す:《蹇》卦の義理は、進と止との分寸の當を得るの上に落つ。各爻の講ずる往と來とは、則ち進と止なり。九五は雖も往來を講ぜずと雖も、但し《象伝》は彼を「中節」と点明す、これにより彼の進止の分寸は曽て失わざるを見るべし。因りて能く難を済して身を以て難に犯するに至らず。唐朝の裴度は説いたり、朝廷は處置を當を得ば、こそ人をして心服せしむ。大概ここに言う所の「中節」ならん。

往蹇來碩,志在內也。利見大人,以從貴也。程傳 上六應三而從五,志在內也。蹇既極而有助,是以碩而吉也。六以陰柔當蹇之極,密近剛陽中正之君,自然其志從附以來自濟,故“利見大人”,謂從九五之貴也,所以云“從貴”,恐人不知大人為指五也。集說 蘇氏軾曰:內與貴,皆五之謂。

《象伝》にいう:「往蹇來碩」は、彼の心志の内に向かうに因る。「利見大人」は、まさに尊貴の人に追随せんと要するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:上六は九三と相「応与」してまた九五に追随す、これ則ち「志在内」なり。蹇難はすでに盡頭に到りてまた助ける人あれば、ゆえに碩大にして吉なり。上六は陰柔の質を以て蹇難の極点に処りて、緊く陽剛・中正の君主に挨れば、自ずから心志を托付し過ぎ去りて追随・來りて以て自済を求めん。ゆえに「利見大人」と言う、指す所は九五のあの尊貴者に追随するなり。要点出する所以の「従貴」は、人が「大人」の指す所を知らざるを怕るるに因る。集説に引く蘇軾の説:ここの「内」と「貴」は、講ずる所は皆な九五なり。

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