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繋辞上伝(下) 第七章

清 · 李光地 · 第67巻 / 87

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

子曰:《易》其至矣乎!夫《易》,聖人所以崇德而廣業也。知崇禮卑,崇效天,卑法地。本義 “十翼”皆夫子所作,不應自著“子曰”字,疑皆後人所加也,窮理則知崇如天而德崇,循理則禮卑如地而業廣,此其取類,又以清濁言也。

《繋辞》はいう:孔子は講じ、《周易》は大概最高のものであろう。《周易》は聖人のもって徳を崇高にし・業を広大にする所以のものなり。智慧は崇高く、礼節は卑下なり。崇高なるは天に效うなり。卑下なるは地に法るなり。朱熹《本義》はいう:《易伝》の「十翼」はみな孔子の所作にして、自ら「子曰」の两字を写るべからず。これらの「子曰」はみな後人の添加したるを疑う。事理を窮究すれば、智慧は天の如く崇高くなり、徳行もまたこれに随いて崇高なり。事理に依循すれば、礼節は地の如く卑下になり、功業もまたこれに随いて広大なり。ここに象を取り類を比するは、また清と濁の分別の上より言えるなり。

集說 韓氏伯曰:極知之崇,象天高而統物,備禮之用。象地廣而載物也。孔氏穎達曰:言《易》道至極,聖人用之以增崇其德,廣大其業。《朱子語類》云:知識貴乎高明,踐履貴乎著實,知既高明,須放低著實作去。

「集説」に韓康伯の言を引く:智慧を極高に推すは、天の高遠にして能く万物を統摂するに象を取るなり。礼の功用を備至するは、地の広寛にして能く万物を承載するに象を取るなり。「集説」に孔穎達の言を引く:これは《易》道の極処に達するを講じ、聖人はそれを運用して自己の徳行を增高し・自己の功業を拡大するなり。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:見識は高明なるを貴び、実行は切实なるを貴ぶ。見識すでに高明なる以上、便ち低く放し下げて切切实実に做し往くを要す。

又云:“知祟”者,德之所以祟;“禮卑”者,業之所以廣,蓋禮才有些不到處,便有所欠闕,業便不廣矣,唯極卑無所欠闕,所以廣。又云:“禮卑”是卑順之意,卑便廣,地卑便廣,高則狹了,人若只揀取高底作便狹,兩腳踏地作方得。

朱熹はまたいう:「知崇」は徳の崇高なる所以の縁由にして、「礼卑」は業の広大なる所以の縁由なり。礼はただ一点の為し到らざる処あれば、便ち欠缺ありて、功業は広からず。唯だ低く極処に到り・一処も欠缺なければ、功業やっと広し。朱熹はまたいう:「礼卑」は卑下柔順の意なり。低く下れば便ち広し。地は低下するゆえに広く、高く起れば却って狭窄となるなり。人はもしあの高き処の事のみを挑んで為さば、路子は便ち窄し。両の脚を地上に踏んで為して、やっと行き通り得るなり。

吳氏澄曰:“崇德”者,立心之易,而所得日進日新也。“廣業”者,行事之簡,而所就日充日富也。德之進而新,由所知之崇,高明如天業之充而富,由所履之卑,平實如地。張氏振淵曰:“知”,即德之虛明炯於中者。“禮”,即業之矩矱成於外者。天運於萬物之上,而聖心之知,亦獨超於萬象之表,故曰“崇效天”。地包細微,不遺一物,而聖人之禮,亦不忽於纖悉細微之際,故曰“卑法地”。

「集説」に呉澄の言を引く:いわゆる「崇徳」とは、心を立つること平易にして、因って所得るところ一天に長進し・一天に更新す。いわゆる「広業」とは、事を為すこと簡約にして、因って成就するところ一天に充実し・一天に富足す。徳行の長進して更新するは、所知の崇高より来る。天の如く高明なり。功業の充実して富足するは、所行の卑下より来る。地の如く平実なり。「集説」に張振淵の言を引く:「知」はすなわち徳の心中に虚明照徹するあの一面にして、「礼」はすなわち業の外面に規矩法度を成就するあの一面なり。天は万物の上に運行して、聖人の心中の知もまた独り万象の外に超出す。ゆえに「崇は天に效う」という。地は細小微末を包容して、一件の物も遺漏せず、聖人の礼もまたあの瑣細微小の処を軽忽せず。ゆえに「卑は地に法る」という。

天地設位,而《易》行乎其中矣。成性存存,道義之門。本義 天地設位而變化行,猶知禮存性而道義出也。成性,本成之性也。存存,謂存而又存,不已之意也。此第七章集說 《朱子語類》云:識見高於上,所行實於下,中間便生生而不窮,故說《易》行乎其中,“成性存存,道義之門”。

《繋辞》はいう:天地は上下の位置を設定して、《易》は便ちその中間に運行す。本来成就の性は存養してまた存養す。これがすなわち道義の出入する門戸なり。朱熹《本義》はいう:天地は位置を設定して変化流行す。たとえば人に知あり礼ありて、本性を存養して道義これに随って生出するが如し。「成性」は本来成就の性にして、「存存」は存養して再び存養して停歇せざるの意なり。これは第七章なり。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:見識は高く上に懸り、実行は実に下に落ち、中間は便ち生生して窮まらず。ゆえに《易》はその中に運行すという。すなわち「成性存存、道義之門」なり。

俞氏琰曰:人之性,渾然天成,蓋無有不善者,更加以涵養功夫,存之又存,則無所往而非道,無所往而非義矣。林氏希元曰:此承上文“知崇禮卑,崇效天,卑法地”而言,意謂“天地設位”,則陰陽變化,“而《易》行乎其中矣”,聖人知禮至於效天法地,則本成之性,存存不已,而道義從此出,故曰“道義之門。”蓋道義之得於心者,日新月盛,則德於是乎祟矣,道義之見於事者,日積月累,則業於是乎廣矣,此《易》所以為聖人之崇德廣業,而《易》書所以為至也。

「集説」に兪琰の言を引く:人の本性は渾然天成にして、本来不善なるものなし。さらに涵養の工夫を加え、存養してまた存養せば、すなわち何れの処に走到するも道にして、何れの処に走到するも義なり。「集説」に林希元の言を引く:これは上文の「知崇礼卑、崇は天に效う、卑は地に法る」を承けて説き下したるなり。彼は解釈していう:天地は一旦上下の位置を設定すれば、陰陽は便ち変化流行して、《易》は便ちこの中間に運行す。聖人の知と礼とが天に效い・地に法ることを為し到れば、すなわち本来成就の性は便ち存養して已まず、道義はここより出ず。ゆえに「道義之門」という。道義の心の裏に得るところは、日新月盛にして、徳行ここに崇高なり。道義の事の上に表れるところは、日積月累にして、功業ここに広大なり。これがすなわち《周易》の能く聖人をして徳を崇め業を広めしむる所以にして、《易》書の「至」と称するに足る所以の縁由なり。

吳氏曰慎曰:道義之出不窮,猶《易》之生生不已也,然未有不存存而能生生者。案 “門”字不可專以出說,須知兼出入兩意,“知崇”於內,則萬里由此生,是道所從出之門也,“禮卑”於外,則萬行由此成,是義所從入之門也。若以四德配,則知屬冬,禮屬夏,道即仁也,屬春,義屬秋,仁主出而發用,然非一心虛明,萬理畢照,則無以為發用之源,義主入而收斂,然非百行萬善,具足完滿,亦無以為收斂之地矣,此造化動靜互根,顯諸仁藏諸用之妙,其在人則性之德也,合內外之道也。

「集説」に呉曰慎の言を引く:道義は源源として湧出して窮尽せず。たとえば《周易》の生生不已の如し。然るに何れの人か存養を肯ぜずして能く生生不已たらんや。李光地の按:「門」の字はただ出づるを当てて講ずべからず。それが兼ねて出と入の両層の意あるを知るを要す。「知崇」は内に在りて、万種の道理ここより生出す。これは道の出づる所以の門なり。「礼卑」は外に在りて、万種の行為ここより成就す。これは義の入る所以の門なり。もし元亨利貞の四徳をもって配せば、知は冬に属し、礼は夏に属す。道はすなわち仁にして、春に属す。義は秋に属す。仁は出を主りて、発露作用なり。然るに一心虚明にして万理を照徹せざれば、便ち発用の源頭なし。義は入を主りて、収斂帰蔵なり。然るに百行万善様様具足円満せざれば、また収斂する処なし。これが正に造化の中の動と静と互いに根柢と為り・「顕諸仁」と「蔵諸用」の微妙の処にして、人の身上に落れば、すなわち本性の中の徳にして、内外を貫通する道理なり。

總論 項氏安世曰:此章言聖人體《易》於身也,知窮萬理之原,則乾之始萬物也,禮循萬理之則,則坤之成萬物也,道者義之體,智之所知也,義者道之用,禮之所行也。

「総論」に項安世の言を引く:この一章の講ずるところは、聖人の《周易》を自己の身上に體現するなり。智慧は万理の本原を窮究す。あれはすなわち乾の万物を開始する一面なり。礼は万理の法則に依循す。あれはすなわち坤の万物を成就する一面なり。道は義の本体にして、智の認識する対象なり。義は道の発用にして、礼の実行する内容なり。

繋辞上伝 第八章

聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜,是故謂之象。本義 賾,雜亂也。象,卦之象,如說卦所列者。巢說《朱子語類》云:賾,雜亂也,古無此字,只是“嘖”字,今從臣,亦是口之義,與《左傳》嘖有繁言之嘖同,是口裡說話多雜亂底意思,所以下文說不可惡,先儒多以“賾”為至妙之意,若如此說,何從謂之不可惡,“賾”只是一個雜亂冗鬧底意思。

《繋辞》はいう:聖人は天下万象の紛雑を見るに本事ありて、便ちそれらの形態容貌を比擬し、それらの各々相宜の様子を摹画す。ゆえに「象」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:「賾」は雑乱にして、「象」は卦の象なり。《説卦伝》の裏に排列するあの類の如し。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「賾」は雑乱の意なり。古はこの字なかりき。本来ただ「嘖」の字のみ。今は「臣」に従う賾と作るも、また仍お口の意を帯びて、《左伝》の「嘖有煩言」の「嘖」と相同じく、口の裏に話を説くこと又多く又乱るるの意なり。ゆえに下文にやっとそれを「悪むべからず」という。前代の儒者は多く「賾」を極めて精妙と講ずるも、もしあの様に講ぜば、何をもってそれを「悪むべからず」と言わんや。「賾」はただ一個の雑乱嘈雑の意なり。

吳氏澄曰:不以“彖”對爻言,而以“象”對爻言者,文王未繫彖辭之先,重卦之名謂之“象”,“象”先於“彖”,言“象”則“彖”在其中。胡氏炳文曰:擬者象之未成,象者擬之已定,姑以乾坤二卦言之,未畫則擬陰陽之形容,於是為奇偶之畫,畫則象也,已畫又取象天地、首腹、牛馬以至於為金、為玉、為釜、為布之類,皆象也。

「集説」に呉澄の言を引く:ここに「彖」と爻と相対して言わずして、「象」と爻と相対して言うは、文王のまだ「彖辞」を繫がざる以前に、重卦の名目は便ち「象」と呼ばれたればなり。「象」は「彖」の前に在りて、「象」を講ずれば、「彖」もまたその裏に包まる。「集説」に胡炳文の言を引く:「擬」は象のまだ成形せざるときにして、「象」は擬のすでに定まり下したるときなり。姑く乾坤の両卦をもって言わば:まだ卦を画かざるに、まず陰陽の形態容貌を比擬して、ここに奇画と偶画ありて、画き出せば便ち象なり。画き好しの後、また象を天と地・頭と腹・馬と牛と為すに取り、象を金と為し・玉と為し・釜と為し・布と為すのこの類に到るまで、またみな象なり。

鄭氏維嶽曰:擬之在心,象之在畫。張氏振淵曰:擬諸形容者,擬之陰陽也,在未畫卦之先。“象其物宜”,正畫卦之事,“擬”是擬其所象,“象”是象其所擬,物而曰“宜”,不獨肖其形,兼欲盡其理。

「集説」に鄭維岳の言を引く:「擬」は心の裏に比量するにして、「象」は卦画の上に摹写するなり。「集説」に張振淵の言を引く:「諸を形容に擬す」は、比擬するは陰陽にして、まだ卦を画かざるの前に在り。「其の物宜に象る」は、正に卦を画くこの事なり。「擬」は将に摹画せんとする対象を比量するにして、「象」はすでに比量し好したるものを摹画するなり。物に対して一個の「宜」の字を説くは、単にその形状に肖似するを要せずして、またその道理を一併に表達し尽すを言うなり。

聖人有以見天下之動,而觀其會通,以行其典禮,繫辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。本義 會,謂理之所聚而不可遺處,通,謂理之可行而無所礙處,如庖丁解牛,會則其族,而通則其虛也。

《繋辞》はいう:聖人は天下万事の変動を見るに本事ありて、便ちその中の会合と通達の所在を観察し、これに拠って典章礼法を推行し、再び文辞を繫げて吉凶を判断す。ゆえに「爻」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:「会」は衆理の聚集して一点も遺漏し得ざる処にして、「通」は道理の行き過ぐるに障碍なき処なり。《荘子》の裏の庖丁の牛を解くが如く、「会」は筋骨の盤結する族聚の処に相当し、「通」は骨節の間の空隙の処に相当す。

集說 《朱子語類》云:“會”以物之所聚而言,“通”以事之所宜而言。“會”是眾理聚處,雖覺得有許多難易窒礙,必於其中卻得個通底道理,乃可行爾,且如事理間,若不於會處理會,卻只見得一偏,便如何行得通,須是於會處都理會,其間卻自有個通處,這“禮”字又說得闊,凡事物之常理皆是。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「会」は事物の聚集する一面に就いて言い、「通」は事情の宜しき一面に就いて言う。「会」は衆多の道理の聚まり合わせたる処にして、裏面に許多の難処・易処・堵塞処あるを覚ゆといえども、必ずこの中に一条の走り通り得る道理を尋ね出ださば、やっと以て行い得べし。たとえば事理の間において、もし会聚の処に理会せざれば、ただ一偏を見るのみ。あれは何ぞ行き通らんや。必ず会聚の処に於て通遍に理会し一遍せば、あの裏面に自然に一個の通達の処あらん。ここの「礼」の字は講くこと極めて寛く、およそ事物の常理はみなその内に算入す。

又云:會而不通,便窒塞而不可行,通而不會,便不知許多曲直錯雜處。吳氏澄曰:會通,謂大中至正之理,非一偏一曲有所拘礙者也,聖人見天下不一之動,而觀其極善之理以行其事,見理精審,則行事允當也,以處事之法為辭,繫於各爻之下,使筮而遇此爻者,如此處事則吉,不如此處事則凶也。

朱熹はまたいう:ただ会聚して通達せざれば、便ち堵塞して行き通らず。ただ通達して会聚せざれば、便ちその中のあの許多の曲折錯雑の処を知らず。「集説」に呉澄の言を引く:いわゆる「会通」とは、大中至正の道理を指して、一角に偏り・拘泥して化せざるものにあらず。聖人は天下の変動紛紜として一ならざるを見て、便ちその中の最善の道理を観察して自己の事を推行す。理を看ること精細審慎なれば、行事は自然に妥当なり。彼は処事の法則を写して文辞と為し、每の一爻の下に繫げて、占筮してこの一爻に遇う人をして知らしむ:この様に処事すれば則ち吉にして、この様に処事せざれば則ち凶なり。

言天下之至賾而不可惡也,言天下之至動而不可亂也。本義 惡,猶厭也。集說 《朱子語類》云:雜亂處人易得厭惡,然都是道理中合有底事,自合理會,故“不可惡”。動亦是合有底,上面各自有道理故自“不可亂”。

《繋辞》はいう:《周易》は天下の最も紛雑なる事物を講じて人をして厭悪せしめず、天下の最も紛紜なる変動を講じて混乱に至らず。朱熹《本義》はいう:「悪」はすなわち厭棄なり。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:雑乱の処は、人は厭悪を生じ易し。然るにこれらはみな道理の裏に本来あるべき事にして、本来便ち理会し往くべし。ゆえに「悪むべからず」という。変動もまた本来あるべきものにして、每の一件の上に各々その道理あり。ゆえに自然に「乱るべからず」なり。

吳氏澄曰:六十四卦之義,所以章顯天下至幽之義而名言宜稱,人所易知,則自不至厭惡其賾矣,三百八十四爻之辭,所以該載天下至多之事,而處決精當,人所易從,則自不至棼亂其動矣。潘氏士藻曰:有至一者存,所以“不可惡”,有至常者存,所以“不可亂”。

「集説」に呉澄の言を引く:六十四卦の卦義は、もって天下の最も幽深なる道理を彰顕して、卦名と文辞とは取得恰当にして、人は明白し易し。すなわち自然にその紛雑を厭悪するに至らず。三百八十四爻の爻辞は、もって天下の最も繁多なる事情を包載して、処置決断は精确妥当にして、人は依従し易し。すなわち自然にあの変動に攪乱せらるるに至らず。「集説」に潘士藻の言を引く:裏面に一個の至純一なる理在るがゆえに「悪むべからず」。一個の至恒常なる則在るがゆえに「乱るべからず」。

擬之而後言,議之而後動,擬議以成其變化。本義 觀象玩辭,觀變玩占,而法行之,此下七爻,則其例也。集說 王氏宗傳曰:“擬之而後言”,“擬”是象而言也,“擬”是而言,則言有物矣。“議之而後動”,“議”是爻而動也,“議”是而動,則動唯厥時矣。

《繋辞》はいう:比擬しての後やっと口を開いて説き、商議しての後やっと手を動かして為す。かの比擬と商議とに靠りて、自己の変化を成就す。朱熹《本義》はいう:卦象を観察し・卦辞を玩味し、爻変を観察し・占断を玩味して、然る後に照らして做し往く。下に挙ぐるところの七条の爻例は、すなわちこの様の示範なり。「集説」に王宗伝の言を引く:いわゆる「之を擬して後に言う」は、この「象」を比擬しての後に口を開くなり。比擬准えての後に説けば、説き出だす話は便ち実在の内容あらん。いわゆる「之を議して後に動く」は、この「爻」を商議しての後に行動す。商議定まりての後に動けば、行動は便ち総じてその時機に合し得るなり。

《朱子語類》云:“擬議”只是裁度,自家言動,使合此理,變易以從道之意。胡氏炳文曰:聖人之於象,擬之而後成,學《易》者如之何不擬之而後言,聖人之於爻,必觀會通以行典禮,學《易》者如之何不議之而後動,前言變化,《易》之變化也,此言成其變化,學《易》者之變化也。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:いわゆる「擬議」は、ただ自己の言語行動を裁量斟酌して、それらをしてこの道理に合せしむるなり。すなわち自己を改変して道に順従するの意なり。「集説」に胡炳文の言を引く:聖人の象に対するや、比擬しての後やっと画き成す。学《易》の人は何ぞ比擬しての後にやっと口を開かざるを得んや。聖人の爻に対するや、必ず会通を観察してやっと典礼を推行す。学《易》の人は何ぞ商議しての後にやっと行動せざるを得んや。前に講じたる変化は、《周易》その身の変化なり。ここに「其の変化を成す」を講ずるは、学《易》の人自身の変化なり。

嗚鶴在陰,其子和之,我有好爵,吾與爾靡之。子曰:君子居其室,出其言善,則千里之外應之,況其邇者乎?居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者平?言出乎身,加乎民,行發乎邇,見乎遠。言行君子之樞機。樞機之發,榮辱之主也。言行,君子之所以動天地也,可不慎乎?本義 釋《中孚》,九二爻義。

《繋辞》に《中孚》の九二の爻辞を引く:鶴は幽陰の処に鳴いて、その小鶴は声に応じて相和す。我に一杯の好酒あり。願わくは汝と共に享けん。孔子はいう:君子は自己の屋裏に居りて、説き出だす話が善に合せば、千里の外も皆彼に响应す。何に況や近処の人をや。自己の屋裏に居りて、説き出だす話が善に合せざれば、千里の外も皆彼に背離す。何に況や近処の人をや。話は自身より出だすも、影響は却って百姓の身上に加わる。行為は近処より発動するも、效験は却って遠方に顕現す。言と行は君子の門軸と弩牙にして、門軸弩牙は一旦発動すれば、すなわち栄と辱の関鍵の所在なり。言と行は君子のもって天地を感動するものにして、何ぞ慎重ならざるを得んや。朱熹《本義》はいう:この一段は《中孚》卦の九二爻の義理を解釈するなり。

集說 韓氏伯曰:鶴鳴於陰,氣同則和,出言戶庭,千里或應,出言猶然,況其大 蔡氏淵曰:居其室,即在陰之義。出其言,即鳴之義。千里之外應之,即和之之義。感應者心也,言者心之聲,行者心之跡,言行乃感應之樞機也。

「集説」に韓康伯の言を引く:鶴は幽陰の処に鳴けば、気類相同のものは便ち来りて応和す。話は自家の門庭の内より出だすも、千里の外もまた人の响应あらん。一句の話尚且かくの如し。何に況やあの更に大なるをや——ここに底本に脱文あり、韓康伯の言は説き終えず。「集説」に蔡淵の言を引く:「其の室に居る」は、すなわち爻辞の「陰に在る」の意なり。「其の言を出だす」は、すなわち「鳴く」の意なり。「千里の外之に応ず」は、すなわち「其の子和す」の意なり。感と応とは心に靠る。言語は心の発し出だす声にして、行為は心の留め下す痕迹なり。ゆえに言と行は正に感应の枢機なり。

保氏八曰:“言出乎身加乎民,行發乎邇見乎遠。”樞動而戶開,機動而矢發,小則招榮辱,大則動天地,皆此唱而彼和,感應之最捷也。汪氏砥之曰:居室照在陰看《中孚》者,誠積於中,在陰居室,正當慎獨以修言行而進於誠也。

「集説」に保八の言を引く:「言は身に出乎、民に加わる。行は邇に発し、遠に見る」——門軸一旦動けば、門は便ち開く。弩牙一旦動けば、箭は便ち射出だす。小なれば栄辱を招来し、大なれば天地を感動す。みなこちらに一唱し・かちらに和するにして、感应の中の最も迅捷なるなり。「集説」に汪砥之の言を引く:「其の室に居る」は爻辞の「陰に在る」に対照して看るを要す。《中孚》の一卦の講ずるところは、誠の心中に積むなり。正当幽陰の地に処り・独居一室のときに当たれば、便ち自己の独処する時の念頭を謹慎し、言行を修治して「誠」の上に進むべし。

同人先號咷而後笑。子曰:君子之道,或出或處,或默或語。二人同心,其利斷金。同心之言,其臭如蘭。本義 釋《同人》九五爻義。言君子之道,初若不同,而後實無間,斷金如蘭,言物莫能問,而其言有味也。

《繋辞》に《同人》の九五の爻辞を引く:先には声を放ちて痛哭し、後には却って歓笑し起る。孔子はいう:君子の立身の道は、時に出仕し、時に退処し、時に沈黙し、時に進言す。両人の心意相同なれば、あの份の鋭利は以て金属を断断するに足る。心意相同なる話語は、あの気味は蘭の如く芬芳なり。朱熹《本義》はいう:この一段は《同人》卦の九五爻の義理を解釈するなり。これは君子の道を説き、起初は看去て各々相同ならざるが如く、後来に到れば其の実は毫も隔閡なし。「断金」「如蘭」は、物の彼らを離間し得るものなきを説きて、彼らの話語は甚だ滋味あるなり。

集說 韓氏伯曰:君子出處默語,不違其中,其跡雖異,道同則應。耿氏南仲曰:“或出或處,或默或語”者,物或間之,而其跡異也,跡雖異而心同,故物不得而終間焉。“其利斷金”,則其間除矣,間除則合,故又曰“同心之言,其臭如蘭”,其相好之無斁也。

「集説」に韓康伯の言を引く:君子は出仕と退処・沈黙と進言の間において、みなあの「中」に違背せず。彼らの行跡は相同ならざるといえども、ただ道相同なれば便ち彼此感应す。「集説」に耿南仲の言を引く:いわゆる「或は出で或は処り、或は黙し或は語る」は、外物の時に彼らを隔開するゆえに行跡同じからず。行跡は相同ならざるも心は相同なるがゆえに、外物は終に彼らを隔断し得ず。「其の利は金を断つ」は、あの層の間隔の斬除せられたるを説くなり。間隔除去せられれば便ち一つに合到す。ゆえに接続して「同心之言、其の臭は蘭の如し」といい、彼らの彼此相好して厭倦を生ぜざるを形容す。

《朱子語類》云:同心之利,雖金石之堅,亦被他斷決將去,斷是斷作兩段。俞氏琰曰:出處語默,即“先號咷後笑”之義。“二人同心”,斷金臭蘭,即相遇之義。錢氏志立曰:斷金,言其心志之堅,物不得間也。如蘭,言其氣味之一,物不能雜也。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:同心のあの份の鋭利は、たとえ金石の如く堅硬なるも、またそれに斬断せられん。「断」はすなわち両截に断つなり。「集説」に兪琰の言を引く:出仕と退処・進言と沈黙は、すなわち爻辞の「先に号咷して後に笑う」の意なり。「二人同心」にして能く金を断ち・気味蘭の如くは、すなわち後に彼此相遇会合するの意なり。「集説」に銭志立の言を引く:「断金」は、彼らの心志の堅定にして外物の挿入し得ざるを形容す。「如蘭」は、彼らの気味の純一にして外物の攙入し得ざるを形容す。

初六,藉用白茅無咎。子曰:苟錯諸地而可矣,藉之用茅,何咎之有?慎之至也,夫茅之為物薄而用可重也。慎斯術也以往,其無所失矣。本義 釋《大過》初六爻義。集說 程氏敬承曰:天下事成於慎而敗於忽,況當《大過》時,時事艱難,慎心不到,便有所失,故有取於慎之至,言寧過於畏慎也。

《繋辞》に《大過》の初六の爻辞を引く:洁白の茅草をもって襯墊と為せば、過錯あらじ。孔子はいう:随りに地上に放るは本来また可なり。なお茅草をもって下に墊かん。何ぞ過錯あらんや。これは謹慎の極処に到れるなり。茅草のこの物は本身甚だ軽薄なれども、用処は以て重たるべし。この様の謹慎の弁法を一路に推行し下せば、便ち何の閃失もあらじ。朱熹《本義》はいう:この一段は《大過》卦の初六爻の義理を解釈するなり。「集説」に程敬承の言を引く:天下の事は謹慎に成り・疏忽に敗る。何に況や正当《大過》のとき、時局艱難にして、謹慎の心稍々到らざれば、便ち岔子を出ださん。ゆえに「慎之至」に取りて義を立つるなり。意は寧ろ敬畏謹慎の上に一点頭を過ぐるを言うなり。

案 茅之為物薄而用可重,此句須對卦義看,卦取“棟”為義者,任重者也。茅之視棟,為物薄矣,然棟雖任重而猶有橈之患,故當大事者,每憂其傾墜也。若藉茅於地,則雖重物而不憂於傾墜也。豈非物薄而用可重乎,自古圖大事必以小心為基,故《大過》之時義雖用剛,而以初爻之柔為基者此也。

李光地の按:「茅の物と為るや薄くして用は重たるべし」のこの一句は、《大過》の卦義に対して看るを要す。この一卦は「棟」に取りて義を立つ。棟は重量を承担するものなり。茅草は棟梁に比べば、実に軽薄の物と算作すべし。然るに棟梁は重量を担い得るといえども、なお圧弯せらるるの隠患あり。ゆえに大事を担当する人は常にその傾倒墜落を担心す。もし茅草を地上に墊かば、すなわち物は再び重たるも傾倒墜落を担心するを要せず。これ豈に正に物は軽薄にして用処は以て重たるべきにあらずや。古来より大事を図謀するは、必ず小心謹慎をもって根基と為す。ゆえに《大過》の一卦の時と義とは剛を用うるを要するといえども、却って最も下のあの一柔爻をもって根基と当作す。道理はすなわちここに在るなり。

勞謙,君子有終,吉。子曰:勞而不伐,有功而不德,厚之至也。語以其功,下人者也。德言盛,禮言恭。謙也者,致恭以存其位者也。本義 釋《謙》九三爻義。:“德言盛,禮言恭。”言德欲其盛,禮欲其恭也。

《繋辞》に《謙》の九三の爻辞を引く:功労ありて能く謙遜なれば、君子は以て最後まで保持し得。吉なり。孔子はいう:力を出だして誇耀せず、功労ありてその徳を自居せず。これは敦厚の極処に到れるなり。彼の功労を説くに到れば、彼は却って人の下に甘居する人なり。徳行に就いてはそれを盛大なるを要し、礼節に就いてはそれを恭敬なるを要す。いわゆる「謙」とは、すなわち恭敬を極処に為して、因って自己の位置を保住するなり。朱熹《本義》はいう:この一段は《謙》卦の九三爻の義理を解釈するなり。「徳は盛を言い、礼は恭を言う」は、徳行はそれを盛大なるを要し、礼節はそれを恭敬なるを要することを説くなり。

亢龍有悔。子曰:貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。本義 釋《乾》上九爻義,當屬《文言》,此蓋重出。集說 孔氏穎達曰:上既以謙德保位,此明無謙則有悔,故引《乾》之上九,“亢龍有悔。”證驕亢不謙也。

《繋辞》に《乾》の上九の爻辞を引く:竜は過高く飛べば、悔恨あらん。孔子はいう:地位は尊貴なれども実際の爵位なし。高く站るも百姓の管すべきなし。賢人はみな下位に在りて来りて彼を輔佐する者なし。ゆえに一たび動けば便ち悔あり。朱熹《本義》はいう:この一段は《乾》卦の上九爻の義理を解釈するにして、本来《文言伝》の裏に帰すべし。ここは大概重複して出現するなり。「集説」に孔穎達の言を引く:上文すでに謙徳をもって地位を保住するを講じたる以上、ここに便ち謙ならざれば便ち悔あるを説明す。ゆえに《乾》卦の上九の「亢竜有悔」を引きて、もって驕矜高亢・謙下を肯ぜざるの害処を証明す。

王氏宗傳曰:知聖人深予乎《謙》之九三,則知聖人深戒乎《乾》之上九,何也,亢者謙之反也,九三致恭存位,上九則“貴而無位”,九三“萬民服”,上九則“高而無民”,九三“能以功下人”,上九則“賢人在下位而無輔”,此九三所以謙而有終,上九所以亢而有悔也。

「集説」に王宗伝の言を引く:聖人の何がし《謙》卦の九三を深く賛許するかを懂れば、便ち聖人の何がし《乾》卦の上九を深く告誡するかをも懂る。何をもっての故にや。「亢」は正に「謙」の反面なり。九三は恭敬を極処に為して因って地位を保住す。上九は却って「貴にして位なし」。九三は能く万民をして帰服せしむ。上九は却って「高にして民なし」。九三は能く功労に憑りて人の下に甘居す。上九は却って「賢人下位に在りて輔なし」。これがすなわち九三の能く謙にして終あり・上九の亢にして悔を生ずる所以の縁故なり。

不出戶庭,無咎。子曰:亂之所生也,則言語以為階,君不密則失臣,臣不密則失身,凡事不密則害成,是以君子慎密而不出也。本義 釋《節》初九爻義。集說 蔡氏淵曰:不言則是非不形,人之招禍,唯言為甚,故言所當節也,密於言語,即“不出戶庭”之義。吳氏澄曰:此爻辭所象慎動之節,而夫子以發言之辭釋之。程子曰:在人所節,唯言與行,節於言則行可知,言當在先也。

《繋辞》に《節》の初九の爻辞を引く:自家の門庭より走出せざれば、過錯なし。孔子はいう:禍乱の発生する所以は、往往言語をもって階梯と当作す。君主は慎密せざれば便ち臣子を失い、臣子は慎密せざれば便ち性命を丟失し、凡事は慎密せざれば便ち禍害を醸成す。ゆえに君子は謹慎に守密して軽易に吐露せず。朱熹《本義》はいう:この一段は《節》卦の初九爻の義理を解釈するなり。「集説」に蔡淵の言を引く:話を説かざれば、是非は便ち成形するに由なし。人の禍患を招惹するは、言語をもって最烈と為す。ゆえに言語は応当に節制すべきなり。言語の上に守密するは、すなわち「戸庭を出でず」の意なり。「集説」に呉澄の言を引く:この条の爻辞の取るところの象は、行動の上に節制あるを要するにして、孔子は話を説くこの事を拿来してそれを解釈す。「集説」にまた程頤の言を引く:人の節制すべきところは、ただ言と行のみ。能く言語の上に節制せば、行為の如何なるもまた以て知るべし。ゆえに言語は応に前面に摆きて説くべし。

子曰:作《易》者其知盜乎!《易》曰:“負且乘,致寇至。”負也者,小人之事也;乘也者,君子之器也。小人而乘君子之器,盜思奪之矣。上慢下暴,盜思伐之矣。慢藏誨盜,冶容誨淫。《易》曰:“負且乘致寇至。”盜之招也。本義 釋《解》六三爻艾。此第八章,言卦爻之用。

《繋辞》はいう:孔子は講じ、《周易》を作る人は大概盗賊の何をもって来るかを懂れるであろう。《周易》《解》卦の六三はいう「物を背負いながら車に坐るは、強盗を招来せり」。物を背負うは、小人の幹る事なり。車子は、君子の使用する器物なり。小人は却って君子の車に坐上せば、盗賊は便ち奪取の念頭を動かす。上に対して傲慢にして、下に対して暴虐なれば、盗賊は便ち討伐の念頭を動かす。財物は収蔵すること随便なれば、人を教えて来りて盗ましむるに等し。容貌は打扮すること妖冶なれば、人を教えて来りて淫せしむるに等し。《周易》の「負にして且つ乗るは、寇を致す」と言うは、正に自己の盗賊を招来するなり。朱熹《本義》はいう:この一段は《解》卦の六三爻の義理を解釈するなり。これは第八章にして、卦爻の功用を講ず。

集說 孔氏穎達曰:此結上不密失身之事,事若不密,人則乘此機危而害之,猶若財之不密,盜則乘此機危而竊之。胡氏瑗曰:小人居君子之位,不唯盜之所奪,抑亦為盜之侵伐矣。蓋在上之人,不能選賢任能,遂使小人乘時得勢而至於高位,非小人之然也。

「集説」に孔穎達の言を引く:この一段は上文の「密せざれば則ち身を失う」のあの事を収束するなり。事情はもし慎密せざれば、别人は便ちこの乗ずべき隙に趁着して来りて加害す。正に財物の収蔵すること厳密ならざれば、盗賊は便ちこの乗ずべき隙に趁着して来りて偸窃するが如し。「集説」に胡瑗の言を引く:小人は君子の位置を占拠すれば、ただ盗賊に奪取せらるるを要するのみならず、しかも盗賊の攻伐を遭うを要す。これは元来上位に在る人の能く賢者を選抜し・能者を任用せざるによりて、やっと小人をして時勢に趁着して得志して高位に爬上せしめたるにして、小人の自己の能くかくのごときなりにはあらず。

陳氏琛曰:小人而乘君子之器,則處非其據,而“盜思奪之矣”,且小人在位,則慢上暴下,人所不堪,而“盜思伐之矣”。趙氏光大曰:強取曰“奪”,執辭曰“伐”。案 “慢”、“暴”如陳氏說亦通,然以“慢”字對下文慢藏觀之,則當為上褻慢其 總論 谷氏家傑曰:此章重擬議成變化句,前章以存存用《易》,尊德性也,此章以擬議用《易》,道問學也。

「集説」に陳琛の言を引く:小人は却って君子の車に乘坐するは、あれは占むべからざる位置を占めたれば、ゆえに「盗は之を奪わんと思う」。況んや小人は位に在れば、便ち上に対して傲慢・下に対して暴虐にして、人々は受け堪えず。ゆえに「盗は之を伐たんと思う」。「集説」に趙光大の言を引く:硬く奪い過ぐるを「奪」と呼び、話柄を抓みて師を興して罪を問うを「伐」と呼ぶ。李光地の按:「慢」「暴」は陳琛のあの様に講ずるもまた説き通り得べし。ただ「慢」の字を拿りて下文の「慢蔵」に対して看れば、便ち上位に在る人の軽慢亵渎するあの——ここに底本に脱文あり、按語は説き終えず。「総論」に谷家傑の言を引く:この一章の重心は「擬議して以て其の変化を成す」の一句に在り。前の一章は「成性存存」の工夫を用いて《周易》を運用するを講じ、あれは《中庸》の説くところの「尊徳性」なり。この一章は「擬議」の工夫を用いて《周易》を運用するを講じ、あれは《中庸》の説くところの「道問学」なり。

案 此上二章中“君子所居而安者”一節之義,得《易》理於心之謂德,成《易》理於事之謂業,聖人猶然,況學者乎,是故不可以至賾而惡也,不可以至動而亂也,擬之於至賾之中,得聖人所謂“擬諸形容”者,則沛然無疑而可以言矣,議之於至動之際,得聖人所謂觀其會通者,則確然不《易》而可以動矣,知禮成性,不待擬議而變化出焉者,聖人之事也,精義利用,擬議以成其變化者,學者之功也,《中孚》以下七爻舉例言之。

李光地の按:以上の両章は、第二章の「君子の居りて安んずる所以」のあの一節の意を申説したるなり。《易》理を心の裏に領会するを「徳」と呼び、《易》理を事の上に成就するを「業」と呼ぶ。聖人尚且かくの如し。何に況や学《易》の人をや。ゆえに事物の極めて紛雑なるに因りてそれを厭悪すべからず、変動の極めて紛紜なるに因りてそれに攪乱せらるべからず。極めて紛雑の中に於て比擬し往きて、聖人のいわゆる「諸を形容に擬す」のあの門径を得れば、便ち沛然として疑惑なく、口を開いて説くべし。極めて紛紜の際に於て商議し往きて、聖人のいわゆる「其の会通を観る」のあの門径を得れば、便ち確然として移易すべからず、手を動かして為すべし。知と礼とに憑りて本性を成就し、比擬商議を待たずして変化は自然に生出するは、あれは聖人の事なり。義理を精研し・実用を便利にして、比擬商議に靠りて自己の変化を成就するは、あれは学者の工夫なり。《中孚》以下に挙げたる七条の爻例は、すなわち拿来して示範と為せるものなり。

繋辞上伝 第九章

天一,地二;天三,地四;天五,地六;天七,地八;天九,地十。本義 此簡本在第十章之首。程子曰:宜在此,今從之,此言天地之數,陽奇陰偶,即所謂河圖者也,其位一六居下,二七居上,三八居左,四九居右,五十居中。就此章而言之,則中五為衍母,次十為衍子,次一二三四為四象之位,次六七八九為四象之數,二老位於西北,二少位於東南,其數則各以其類交錯於外也。

《繋辞》はいう:天数は一、地数は二。天数は三、地数は四。天数は五、地数は六。天数は七、地数は八。天数は九、地数は十。朱熹《本義》はいう:この一簡は原本第十章の開頭に排せられたるを、程頤は応にここに移すべしと認め、今は彼に依る。ここに講ずるところは天地の数にして、陽は奇数・陰は偶数なり。すなわちいわゆる「河図」なり。その方位は:一と六とは下方に居り、二と七とは上方に居り、三と八とは左方に居り、四と九とは右方に居り、五と十とは中央に居る。本章に就いて言えば、中間の五は「大衍」の数の母にして、其次の十はその子なり。再び次に、一・二・三・四は「四象」の位にして、六・七・八・九は「四象」の数なり。老陽老陰のこの両個の「老」は西方と北方に処り、少陽少陰のこの両個の「少」は東方と南方に処りて、それらの数は則ち各々同類に按じて交錯して外囲に排布す。

集說 郭氏雍曰:天數五,地數五者,此也,《漢志》言天以一生水,地以二生火,天以三生木,地以四生金,天以五生土,故或謂天一至五為五行生數,地六至地十為五行成數,雖有此五行之說,而於易無所見,故五行之說,出於曆數之學,非《易》之道也。

「集説」に郭雍の言を引く:下文のいわゆる「天数五、地数五」とは、指すところはこの十个の数なり。《漢書・律暦志》はいう、天は一をもって水を生じ、地は二をもって火を生じ、天は三をもって木を生じ、地は四をもって金を生じ、天は五をもって土を生ず。ゆえに人ありて天一より五に至るを五行の「生数」と呼び、地六より地十に至るを五行の「成数」と呼ぶ。この一套の五行の講法あるといえども、《周易》の裏には根拠を尋ね得ず。見るべし、五行の説は暦法算数の学より出でて、《易》其の身の道理にあらざるなり。

《朱子語類》云:自“大衍之數五十”,至“再扐而後掛”,便接“乾之策二百一十有六”,至“可與祐神矣”為一節,是論大衍之數,自“天一至地十”,卻連“天數五至而行鬼神也”為一節,是論河圖五十五之數,今其文間斷差錯,不相連接,舛誤甚明。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「大衍之数五十」より「再扐而後挂」に到るまで、応に直截に「乾之策二百一十有六」に接続して、「可に神を祐するに与る」と至るまで、一節に合成して、講ずるところは大衍の数なり。「天一」より「地十」に到るまでは、則ち応に「天数五」に連ねて「而行鬼神也」に至るまで、一節に合成して、講ずるところは河図五十五の数なり。今やこの両段の文字は打断錯置せられて、前後接続せず、錯乱すること十分に明顯なり。

項氏安世曰:姚大老云,天一地二至天九地十,班固《律曆志》及衛元嵩《元包運蓍篇》,皆在天數五地數五之上。吳氏澄曰:案《漢書律曆志》,引此章“天一地二至行鬼神也”,六十四字相連,則是班固時此簡猶未錯也。

「集説」に項安世の言を引く:姚大老は講じたり、「天一地二」より「天九地十」に到るまでのこの一段は、班固《漢書・律暦志》および衛元嵩《元包運蓍篇》の裏に、みな「天数五、地数五」の前面に排せり。「集説」に呉澄の言を引く:《漢書・律暦志》の引くところの本章を査すれば、「天一地二」より「行鬼神也」に到るまで共に六十四個の字は連ねて一つに在り。見るべし、班固のあの時候には、この一簡はなお錯乱せざりしなり。

天數五,地數五。五位相得而各有合,天數二十有五,地數三十,凡天地之數,五十有五,此所以成變化而行鬼神也。本義 此簡本在大衍之後,今按宜在此,天數五者,一三五七九皆奇也,地數五者,二四六八十皆偶也。相得,謂一與二,三與四,五與六,七與八,九與十,各以奇偶為類而自相得。有合,謂一與六,二與七,三與八,四與九,五與十,皆兩相合。

《繋辞》はいう:天数は五個あり、地数は五個あり。この五組の位次は両々相次いでまた各々会合あり。天数は合計二十五、地数は合計三十、天地の数は総じて五十五なり。これがすなわち変化を成就し・鬼神を運行する根拠なり。朱熹《本義》はいう:この一簡は原本「大衍之数」の後に排せられたるを、今按ずるに応にここに移すべし。いわゆる天数五個とは、一・三・五・七・九はみな奇数なり。地数五個とは、二・四・六・八・十はみな偶数なり。いわゆる「相得」とは、一と二・三と四・五と六・七と八・九と十とは、各々奇偶に按じて分類して彼此相次ぐなり。いわゆる「有合」とは、一と六・二と七・三と八・四と九・五と十とは、みな両々相合するなり。

二十有五者,五奇之積也。三十者,五偶之積也。變化,謂一變生水,而六化成之,二化生火,而七變成之,三變生木,而八化成之,四化生金,而九變成之,五變生土,而十化成之。

《本義》は続けていう:二十五は、五個の奇数を相加したる総和にして、三十は、五個の偶数を相加したる総和なり。いわゆる「変化」とは、一が「変」じて水を生じ、六が「化」してそれを成就し、二が「化」して火を生じ、七が「変」じてそれを成就し、三が「変」じて木を生じ、八が「化」してそれを成就し、四が「化」して金を生じ、九が「変」じてそれを成就し、五が「変」じて土を生じ、十が「化」してそれを成就することを指す。生数と成数とは一変一化して、五行に配成す。

集說 孔氏穎達曰:言此陽奇陰偶之數,成就其變化,而宣行鬼神之用。程子曰:數只是氣,變化鬼神亦只是氣,天地之數五十有五,變化鬼神,皆不越於其間。龔氏煥曰:“五位相得”之說,當從孔氏,蓋既謂之“五位相得”,則是指一六居北,二七居南,三八居東,四九居西,五十居中而言,且一二三四之相得不見其用,不若孔之的也。

「集説」に孔穎達の言を引く:これは陽奇陰偶のこれらの数の、天地の変化を成就し、しかも鬼神の作用を宣発運行するを講ずるなり。「集説」に程頤の言を引く:数は過ぎず気なり、変化と鬼神ともまた過ぎず気なり。天地の数は五十五にして、変化と鬼神とはみなこの範囲を跳出せず。「集説」に龔煥の言を引く:「五位相得」の講法は、応に孔穎達に依従すべし。すでに「五位相得」と呼ぶ以上、あれはすなわち一と六とが北に居り・二と七とが南に居り・三と八とが東に居り・四と九とが西に居り・五と十とが中に居るに就いて言うなり。況んや一と二・三と四のあの様の相得は、それに何の用処あるかを看出だし得ず。孔穎達の説法の来たること确切なるに如かず。

案 龔氏之意,謂“相得”者,言四方相次,如一三七九,二四六八是也。“有合”昔,言四方相交,如一六二七,三八四九是也,此說極合圖意。蓋“相得”者,是二氣之迭運,四時之順播,所以成變化者此也。“有合”者,是動靜之互根,陰陽之互藏,所以行鬼神者此也,然成變化行鬼神,不直言於相得有合之後,必重敘天地之數五十有五者,蓋非重敘細數,則無以見相得者之自少而多,自微而盛,有合者之多少相間,微盛相錯,而往來積漸之跡,屈伸交互之機,有所未明者矣。

李光地の按:龔煥の意思は、いわゆる「相得」は、四方の依次に相接するを講じ、たとえば一・三・七・九の一路に排し下り、二・四・六・八の一路に排し下るがごときなり。いわゆる「有合」は、四方の彼此交会するを講じ、たとえば一と六・二と七・三と八・四と九と相配するがごときなり。この講法は極めて河図の本意に合す。「相得」は陰陽二気の輪流運転・四季の依次流布にして、変化を成就する根拠はすなわちここに在り。「有合」は動と静と互いに根柢と為り・陰と陽と互相包蔵するにして、鬼神を運行する根拠はすなわちここに在るなり。按語は続けていう:然るに「変化を成し」「鬼神を行う」のこの両句は、直截に「相得」「有合」の後面に接続して説き出ださずして、必ず天地の数五十五を重新して叙述し一遍するは、あれはこれらの細数を重新して点出せざれば、「相得」の一路の由少より多へ・由微より盛へなると、「有合」の一路の多と少と相間じ・微と盛と交錯するとを看出だし得ざればなり。あの様に一来すれば、往来して積累漸進する蹤跡・屈伸交互する枢機は、便ち講じ明白ならざる処あらんなり。

大衍之數五十,其用四十有九,分而為二以象兩,掛一以象三,揲之以四,以象四時,歸奇於扐以象閏。五歲再閏,故再扐而後掛。本義 “大衍之數五十”,蓋以河圖中宮,天五乘地十而得之。至用以筮,則又止用四十有九,蓋皆出於理勢之自然,而非人之知力所能損益也。兩,謂天地也。掛,懸其一於左手小指之間也。三,三才也。揲,間而數之也。奇,所揲四數之餘也。扐,勒於左手中三指之兩間也。

《繋辞》はいう:「大衍」の数は五十にして、実際の使用は四十九根なり。それを分かちて両份と為すは、もって天地両儀を象徴す。その中より一根を取りて挂け置くは、もって天地人の三才を象徴す。四根ずつ四根ずつ数え過ぐるは、もって四季を象徴す。数え剩る零頭を指縫の間に挟むは、もって閏月を象徴す。五年の中に両個の閏あるゆえに、両次挟みての後に再び重新して挂一す。朱熹《本義》はいう:「大衍之数五十」は、大概河図の中央宮位の天五を拿りて地十に乗じて得来たるなり。実際に占筮に用うるに及んで、却又だただ四十九根のみを用う。これはみな理と勢の自然より出でて、人の智力の能く増減し得るところにあらず。「両」は天地を指し、「挂」はその中の一根を左手の小指の間に懸くるを言い、「三」は三才を指し、「揲」は隔開して一組ずつ一組ずつ数えるを言い、「奇」は四根ずつ数え過ぎたる後に剩る零頭にして、「扐」は零頭を左手の中間の三個の指頭の縫隙の裏に勒夹するを言うなり。

閏,積月之餘日而成月者也。五歲之間,再積日而再成月,故五歲之中,凡有再閏,然後別起積分,如一掛之後,左右各一揲而一扐,故五者之中,凡有再扐,然後別起一掛也。

《本義》は続けていう:いわゆる「閏」とは、每月の剩余の日子を累積して凑りて一個月と成すなり。五年の間、両次に余日を累積し・両次に閏月を凑成す。ゆえに五年の当中に共に両個の閏ありて、然る後にやっと重新して零分を累積し始む。揲蓍もまた一様なり:挂一の後、左右両辺は各々一次数え・各々一次零頭を挟む。ゆえにこの一套の五個の步驟の当中に共に両次の「扐」ありて、然る後にやっと重新して下一次の「挂一」を開始す。

集說 韓氏伯曰:王弼曰:演天地之數者,五十也,其用四十有九,則其一不用也,不用而用以之通,非數而數以之成,斯易之太極也。孔氏穎達曰:分而為二以象兩者,五十之內去其一,餘有四十九,合同未分。今以四十九分而為二,以象兩儀也。掛一以象三者,就兩儀之間,於天數之中,分掛其一以象三才也。

「集説」に韓康伯の王弼の言を転述するを引く:天地の数を推演するは、五十なり。実際の使用は四十九なれば、すなわちその中の一根は用いざるなり。この一根は運用に参与せざるも、全部の運用は却ってそれに靠りてやっと通行す。それは本身は数と算作せざるも、所有の数は却ってそれに靠りてやっと成立す——これがすなわち《易》の「太極」なり。「集説」に孔穎達の言を引く:いわゆる「分かちて二と為し以て両に象る」は、五十根の裏より一根を去掉して、余下四十九根は、本来一処に合して未だ分かれず。今やこの四十九根を分かちて両份と為すは、もって「両儀」を象徴す。いわゆる「一を挂けて以て三に象る」は、両儀の間に於て、天数のあの一份の裏より一根を分出して挂け置くは、もって「三才」を象徴す。

揲之以四以象四時者,分揲其蓍,皆以四四為數,以象四時。歸奇於扐以象閏者,謂四揲之餘,歸此殘奇於扐而成數,以象天道歸殘聚餘分而成閏也。五歲再閏者,凡前閏後閏,相去大略三十二月,在五歲之中,故五歲再閏。

孔穎達は続けていう:いわゆる「之を揲するに四をもってし以て四時に象る」は、蓍草を分数するとき、みな四根をもって一組と為して計数するは、もって四季を象徴す。いわゆる「奇を扐に帰して以て閏に象る」は、四根ずつ四根ずつ数え下りて剩余する零頭を説きて、これらの残余を指縫の中に帰夹して凑りて一個の数と成すは、もって天道の零碎の余分を聚攏して閏月と為るを象徴す。いわゆる「五歳再閏」は、前の一個の閏月と後の一個の閏月と相隔ること大約三十二個月にして、五年の内に落るを説く。ゆえに五年に両個の閏ありという。

張氏浚曰:“歸奇於扐以象閏”,何也?大衍用四十有九,老陽餘數十有三,老陰餘數二十有五,合之為三十有八,少陽餘數二十有一,少陰餘數十有七,合之亦為三十有八,乘以六爻之位,則二百二十有八也,凡術於筭者,率以二百二十八為求閏之法,蓋自然之紀如此。

「集説」に張浚の言を引く:何がして「奇を扐に帰して以て閏に象る」というや。大衍は四十九根を用い、ここの余数は三変の当中に挂扐し得る策数を指す。老陽の三変はみな少の一辺に落ちて、合計十三。老陰の三変はみな多の一辺に落ちて、合計二十五。両者相加すれば三十八なり。少陽は合計二十一、少陰は合計十七、両者相加すればまた三十八なり。再び六爻の位数を拿りて乗ずれば、便ち二百二十八なり。およそ算術に精なる者は、大都二百二十八を拿りて閏余を推求する算法と為す。見るべし、自然の法度は本来便ちこの様にして、蓍策の余数と暦法の閏余とは暗暗に相通ずるなり。

朱子《蓍卦考誤》曰;五十之內去其一,但用四十九策,合同未分,是象太一也。以四十九策分置左右兩手,左手象天,右手象地,是象兩儀也。掛,猶懸也,於右手之中,取其一策,懸於左手小指之間,所以象人而配天地,是象三才。揲,數之也。謂先

「集説」に朱熹《蓍卦考誤》の言を引く:五十根の裏より一根を去掉して、ただ四十九策のみを用い、一処に合してなお分かれず。これは「太一」を象徴す。四十九策を分かちて左右両手に放つは、左手は天を象り、右手は地を象る。これは「両儀」を象徴す。「挂」はすなわち懸挂にして、右手のあの一份の裏より一策を取り出だし、左手の小指の間に懸くるは、もって人の天地と相配するを象徴す。これは「三才」を象徴す。「揲」はすなわち数にして、まず——ここに底本に脱文あり、この一段は説き終えず。

又答郭雍曰:過揲之數,雖先得之,然其數眾而繁,歸奇之數,雖後得之,然其數寡而約,紀數之法,以約御繁,不以眾制寡,故先儒舊說,專以多少決陰陽之老少,而過揲之數,亦冥會焉,初非有異說也。然七八九六所以為陰陽之老少者,其說又本於圖書。定於四象,其歸奇之數,亦因揲而得之耳。大抵河圖洛書者,七八九六之祖也。四象之形體次第者,其父也。歸奇之奇偶方園者,其子也。過揲而以四乘之者,其孫也。今自歸奇以上,皆棄不錄,而獨以過揲四乘之數為說,恐或未究象數之本原也。

朱熹はまた郭雍に答える信の裏にいう:数え過ぎたるあの策は、すなわち「過揲」の数にして、先に得たるといえども、数目は衆多にして繁瑣なり。指の間に挟まる零頭は、すなわち「帰奇」の数にして、後に得たるといえども、数目は少なくして簡約なり。数を記する弁法は、簡約を拿りて繁多を駕馭するにして、繁多を拿りて少数を管束するにあらず。ゆえに前代儒者の旧説は、専ら零頭の多少を用いて陰陽の老少を判定して、過揲の数もまた暗暗にそれと相合す。本来並びて両套の説法あらざるなり。七・八・九・六の陰陽の老少と為る所以に至っては、この道理はまた河図洛書に本づき、四象に於て定形して、帰奇の数もまた過ぎず揲蓍に随って得来したるのみなり。大体に言えば、河図洛書は七八九六の祖にして、四象の形体次第はそれらの父にして、帰奇の得るところの奇偶方円はそれらの子にして、過揲の数の四をもって乗ずるはそれらの孫なり。今や帰奇以上のをことごとく丟開して録せず、単に過揲の四をもって乗じ得る数を拿りて説を立つるは、恐怕らくは象と数の本原に推究し到らざるなり。

吳氏澄曰:衍毋之一,數之所起,故大衍五十之數,虛其一而不用,所用者四十有九,其數七七,蓋以一一為體,七七為用也。胡氏炳文曰:曆法再閏之後,又從積分而起,則筮法再扐之後,又必從掛一而起也。

「集説」に呉澄の言を引く:衍母と為るあの「一」は、数の起点なり。ゆえに大衍五十の数は一根を空け出だして用いず、実際の使用は四十九にして、恰好七乘七の数なり。これは「一乘一」を拿りて体と為し、「七乘七」を拿りて用と為すなり。「集説」に胡炳文の言を引く:暦法の上は両個の閏月の後、また頭より零分を累積して算え起すを要す。すなわち筮法の上の両次の「扐」の後も、また必ず重新して「挂一」より開始するを要す。

附錄 虞氏翻曰:奇此掛一策,扐所揲之餘,不一則二,不三則四也。取奇以歸扐,以閏月定四時成歲,故“歸奇於扐以象閏也”。張子曰:奇,所掛之一也。劫,左右手四揲之餘也。再扐後掛者,每成一爻而後掛也。謂第二第三揲不掛也。閏嘗不及三歲而再至,故曰五歲再閏,此歸奇必俟於再扐者,象閏之中間再歲也。

「附録」に虞翻の言を引く:「奇」はすなわちこの挂けたる一策にして、「扐」は数え過ぎたる後に剩る零頭——一ならざればすなわち二、三ならざればすなわち四なり。あの一策を取り来りて零頭の裏に帰するは、たとえば閏月を拿りて四時を定め・一年を凑成するが如し。ゆえに「奇を扐に帰して以て閏に象る」という。「附録」に張載の言を引く:「奇」は挂けたるあの一根にして、「扐」は左右両手の四四に数え過ぎたる後の零頭なり。いわゆる「再扐而後挂」は、一爻を成就する毎にやっと重新して挂一するを説きて、すなわち第二変・第三変は挂せざるを言うなり。閏月は往往三年に到らずして再び一回来る。ゆえに「五歳再閏」という。ここの「帰奇」は必ず両次の「扐」の後を待つを要す。正に両個の閏の間に両年を隔つるを象徴す。

郭氏忠孝曰:奇者,所掛之一也。扐者,左右兩揲之餘也。得左右兩揲之餘寘於前,以奇歸之也。歸奇,象閏也。五歲再閏,非以再扐象再閏也,蓋閏之後有再歲,故歸奇之後亦有再扐也。再扐而後復掛,掛而復歸,則五歲再閏之義矣。自唐初以來,以奇為扐,故揲法多誤,至橫渠先生而後奇扐復分。

「附録」に郭忠孝の言を引く:「奇」は挂けたるあの一根にして、「扐」は左右両次に揲数したる後の零頭なり。左右両次の揲余を面前に摆き、再び挂けたるあの一根を帰併し入る。これがすなわち「帰奇」にして、もって閏月を象徴す。いわゆる「五歳再閏」は、並びて両次の「扐」を拿りて両個の閏を象るにあらず。閏月の後になお両年あるによりて、ゆえに「帰奇」の後にもまた両次の「扐」に随うなり。両次の「扐」の後に重新して挂一し、挂一の後に再び帰奇す。これがすなわち「五歳再閏」の含義なり。唐朝初年より来りて、人々は「奇」をもって「扐」と当作せり。ゆえに揲蓍の法は多く錯誤あり。張載先生の手裏に到って、「奇」と「扐」とはやっと重新して分清せられたり。

又曰:扐者數之餘也,如《禮》言祭用數之仂是也,或謂指間為扐者非,《繫辭》言“歸奇於扐”,則奇與扐為二事也。又言“再扐而後掛”,則扐與奇亦二事也,由是知《正義》誤以奇為扐,又誤以左右手揲為再扐,如曰最末之餘,歸之合於扐掛之一處,其說自相抵捂,莫知所從,唯當從橫渠先生之說為正。

郭忠孝はまたいう:「扐」は数目の余数なり。たとえば《礼記・王制》の祭祀の取用する「数之仂」——十分の一の余数——を講ずるがあの様なり。ある人は指頭の縫を便ち「扐」と呼ぶというも、あれは対ならず。《繋辞》は「奇を扐に帰す」と講ず。見るべし、「奇」と「扐」とは両件の事なり。又「再扐而後挂」と講ず。見るべし、「扐」と「奇」ともまた両件の事なり。これによりて孔穎達《周易正義》の錯りて「奇」をもって「扐」と当作し、又錯りて左右両手の各々一次揲するを算作して両次の「扐」と為せるを知る。その最末に剩る余数を扐と挂のあの一処に帰併するを説くが如くは、この講法は自ら相抵触して、人をして適従する処なからしむ。ただ応に張載先生の説法をもって正と為すべし。

又曰:《繫辭》以兩扐一掛為三變而成一爻,是有三歲一閏之象,《正義》以每一揲左右兩手之餘即為再扐,是一變之中,再扐一掛皆具,則一歲一閏之象也。凡揲蓍第一變必掛一者,謂不掛一則無變,所餘皆得五也,唯掛一則所餘非五則九,故能變,第二第三揲雖不掛,亦有四八之變,蓋不必掛也,故聖人必再扐後掛者以此。

郭忠孝はまたいう:《繋辞》は両次の「扐」・一次の「挂」を拿りて三変に合成して一爻を成す。ここの裏面には三年に一閏の象を含む。《周易正義》は却って毎一次揲蓍するときの左右両手の余数を便ち算作して両次の「扐」と為す。すなわち一変の中に「再扐」「一挂」は全て斉備して、一年に一閏の象と成れり。およそ揲蓍は、第一変は必ず「挂一」を要す。挂一せざれば便ち変化なく——余るところはみな五と為らんからなり。唯だ挂一して、余るところは五ならざればすなわち九にして、やっと変化を生出し得。第二変・第三変は挂せざるといえども、また仍お四と八の分別あり。見るべし、再び挂くるを要せず。聖人の必ず両次の「扐」の後にやっと重新して挂くる所以は、道理はすなわちここに在るなり。

案 郭雍本其先人郭忠孝之說,以為蓍說,引張子之言為據,朱子與之往復辨論,今附錄於後以備參考,大約孔《疏》、《本義》,則以左右揲餘為奇,而即以再扐象再閏,張子郭氏則以先掛一者為奇,而歸之於扐以象閏,其說謂唯初變掛一而後二變不掛,故

李光地の按:郭雍はその父郭忠孝の説法に依据して蓍を論ずる作を写成し、張載の言を引きて根拠と為し、朱熹は彼と往復して辯論せり。今やこれらを附録して後面に在りて参考に備ゆ。大致に言えば、孔穎達《周易正義》と朱熹《本義》とは、左右両手の揲剩の零頭を拿りて「奇」と当作し、しかも便ち両次の「扐」を用いて両個の閏に象る。張載と郭氏父子とは、則ち先に挂けたるあの一根を拿りて「奇」と当作し、それを「扐」の裏に帰して閏に象る。彼らの説法はただ第一変のみ挂一し・後面の両変は挂せざるを主張す。ゆえに——ここに底本に脱文あり、按語は説き終えず。

乾之策二百一十有六,坤之策百四十有四,凡三百有六十,當期之日。

《繋辞》はいう:乾の一卦の策数は二百一十六にして、坤の一卦の策数は一百四十四なり。両者合計すれば三百六十にして、正に一整年の日数に相当す。これは老陽の一爻は三変を経過して、過揲の策は三十六にして、乾卦の六爻は全て老陽なれば、六に三十六を乗ずれば便ち二百一十六なり。老陰の一爻の過揲の策は二十四にして、坤卦の六爻は全て老陰なれば、六に二十四を乗ずれば便ち一百四十四なり。両数相加すれば三百六十を得て、恰も古暦の一年三百六十日の常数と相当す。ゆえに「期の日に当たる」という。

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