彖上伝・坤
至哉坤元,萬物資生,乃順承天。本義 此以地道明《坤》之義,而首言元也。“至”,極也,比“大”義差緩,“始”者氣之始,“生”者形之始。順承天施,地之道也、集說 呂氏大臨曰:《乾》之體大矣,《坤》之效乾之法,至乾之大而後已,故“乾元”曰“大哉”,“坤元”曰“至哉”。《朱子語類》云:資乾以始,便資坤以生,不爭得霎時間。萬物資乾以始而有氣,資坤以生而有形,氣至而生,即“坤元”也。
《彖伝》はいう:至極なるかな坤元、万物は皆それに靠りて生長し、それは順い承けて天を接続す。朱熹《周易本義》はいう:ここは地道を用いて《坤》卦の含义を闡明し、先に「元」を講ず。「至」は極の意で、「大」に比ぶれば語気やや緩なり。「始」は気の開端、「生」は形の開端なり。順い承けて上天の施与を接続す、これがすなわち地の道なり。集説に呂大臨の言を引く:《乾》の本体は大きさ足れるなり、《坤》は乾の法度を效法して、一直に乾のごとき大に達してのち罷む。ゆえに「乾元」は「大哉」と称し、「坤元」は「至哉」と称す。集説にまた《朱子語類》を引いていう:乾に靠りて始まり、緊接してすなわち坤に靠りて生成す。中間は一霎時の間隔をも容れず。万物は乾に靠りて始まりて気を有し、坤に靠りて生成して形を有す。気は一到すればすなわち形を生出す。これがすなわち「坤元」なり。
坤厚載物,德合無疆。含弘光大,品物咸亨。本義 言“亨”也,“德合無疆”,謂配乾也。集說 崔氏憬曰:含育萬物為“弘”,光華萬物為“大”。動植各遂其性,故曰“品物咸亨”也。
《彖伝》はいう:坤地は厚重にして万物を承載し、その徳性は無辺無際の天と相合す。包容寛厚・光明博大にして、各類の事物は皆これによりて亨通す。朱熹《周易本義》はいう:この一節の講ずるは「亨」なり。「徳合无疆」はそれが乾と相配するを説くなり。集説に崔憬の言を引く:万物を含育するを「弘」といい、万物をして光華煥発せしむるを「大」という。動物植物は各々自らの本性を遂げ、ゆえに「品物咸亨」という。
游氏酢曰:“其靜也翕”,故曰“含弘”。“含”言無所不容,“弘”言無所不有,“其動也闢”,故曰“光大”。“光”言無所不著,“大”言無所不被,此所以“德合無疆”也。
集説にまた游酢の言を引く:《繋辞伝》は坤の「其静也翕」――静なる時は収斂す――を講じ、ゆえに「含弘」という。「含」は容れざるなく、「弘」は有さざるなし。坤の「其動也辟」――動く時は開張す――を講じ、ゆえに「光大」という。「光」は照らさざるなく、「大」は覆わざるなし。これがすなわちそれの「徳合无疆」なるの縁故なり。
林氏希元曰:無所不包,可見其弘。無所不達,可見其大。“含弘光大”,坤之“亨”也。“品物咸亨”,是物隨《坤》亨而亨也。變“萬”言“品”者,與《乾》“雲行雨施品物流形”一般。
集説にまた林希元の言を引く:包まざるなく、以てその「弘」を看るべし。達せざるなく、以てその「大」を看るべし。「含弘光大」は坤自身の「亨」を講じ、「品物咸亨」はすなわち万物が《坤》の亨通に跟いて亨通するなり。ここは「万」の字を換えて「品」の字と為す。《乾》卦《彖伝》の「雲行雨施、品物流形」の用法と同じなり。
牝馬地類,行地無疆。柔順利貞,君子攸行。本義 言“利貞”也。“馬”,乾之象,而以為地類者,牝陰物,而馬又行地之物也,“行地無疆”,則順而健也。“柔順利貞”,《坤》之德也。君子攸行,人之所行,如《坤》之德也。所行如是,則其占如下文所云也。
《彖伝》はいう:母馬は地のこの類に属し、大地の上を行きて辺界なし。柔順にして正を守るに宜しく、これがまさに君子の走るべき路なり。朱熹《周易本義》はいう:この一節の講ずるは「利貞」なり。「馬」は本来乾の象なり、ここはしかしそれを算えて地のこの類と為す。母馬は陰性の物にして、馬はまた地上を行くものなるがゆえなり。「行地无疆」とは、すなわち既に柔順にしてまた剛健なり。「柔順利貞」は《坤》の徳性なり。「君子攸行」とは、人の行う路は《坤》の徳性のあのようたるべきをいう。行うところがよくこのようであれば、占断はすなわち卦辞の下文の説くがごとくならん。
程傳 資生之道,可謂大矣。《乾》既稱“大”,故《坤》稱“至”。“至”義差緩,不若“大”之盛也,聖人於尊卑之辨,謹嚴如此。萬物資《乾》以始,資《坤》以生,父母之道也。順承無施,以成其功。《坤》之厚德,持載萬物,合於乾之無疆也。以“含弘光大”四者形容《坤》道,猶《乾》之剛健中正純粹也。
程頤《伊川易伝》はいう:万物の頼りて生長する道理は、大いに極まれりと謂うべし。《乾》はすでに「大」と称せば、ゆえに《坤》はすなわち「至」と称す。「至」の語気はやや緩にして、「大」のごとく盛ならず。聖人の尊卑の分辨におけるはすなわちこのように謹厳なり。万物は《乾》に靠りて始まり、《坤》に靠りて生成す。これがすなわち父と母の分工なり。坤は順い承けて上天の施与を接続し、来りてその功業を成就す。《坤》の厚徳は万物を承載し、正に乾の無辺無際と相合す。「含弘光大」の四字を用いて《坤》道を形容するは、「剛健中正純粹」を用いて《乾》道を形容するがごとし。
“含”,包容也。“弘”,寬裕也。“光”,昭明也。“大”,博厚也。有此四者,故能成承天之功,品物咸得亨遂,取牝馬為象者,以其柔順而健,行地之類也。“行地無疆”,謂健也。《乾》健《坤》順,《坤》亦健乎?曰:非健何以配《乾》,未有《乾》行而《坤》止也。其動也剛,不害其為柔也。“柔順”而“利貞”,乃《坤》德也。君子之所行也,君子之道,合坤德也。
程頤は続けていう:「含」は包容、「弘」は寛裕、「光」は昭明、「大」は博厚なり。この四様を具備す。ゆえに上天を承接する功業を完成し、各類の事物は亨通遂長することを得たり。母馬に象を取るは、それが柔順にしてまた強健で、地上を行くの類に属するがゆえなり。「行地无疆」の説くはまさに「健」なり。乾は健を主とし坤は順を主とす。坤は豈にまた「健」ならんや。答えていわく:健ならざればまた何を憑りて乾に配せんや。かつて乾が運行して坤が停まりて動かざるはなし。坤の「動也剛」は、それが本質上は柔なるを妨げず。柔順にしてまた正を守るに宜しく、これがこそ《坤》の徳性にして、また君子の走るべき路なり――君子の道は、正に坤徳に合す。
集說 王氏弼曰:地之所以得“無疆”者,以卑順行之故也。《乾》以龍“御天”,《坤》以馬“行地”。《朱子語類》云:“牝馬地類,行地無疆”,便是那“柔順利貞,君子攸行”。本連下面,緣它趁押韻後,故說在此。
集説に王弼の言を引く:大地のよく「无疆」たる所以は、それが卑下柔順の方式を用いて運行するがゆえなり。《乾》は竜を用いて「御天」し、《坤》は馬を用いて「行地」す。集説にまた《朱子語類》を引いていう:「牝馬地類、行地无疆」の説くところは、すなわち「柔順利貞、君子攸行」のこの件の事なり。この二句は本は当に下文に連なるべし、ただ押韻に順わんがために、ここに擺置せられたり。
又云:《程傳》云,未有《乾》行而《坤》止,此說是。且如《乾》施物,《坤》不應,則不能生物。既會生物,便是動,若不是它健後,如何配《乾》,只是健得來順。
集説にまた《朱子語類》を引いていう:《程伝》の「かつて乾が運行して坤が停まりて動かざるはなし」と講ずるは、この説法は対である。譬えば乾が生意を万物に施与すれば、坤もし呼応を作さざれば、すなわち物を生出すこと能わず。すでによく物を生出すは、すなわちそれは動けるなり。もしそれもまた剛健ならざれば、どうして乾に配すること足らんや。ただそれは健なること柔順なるのみ。
龔氏煥曰:《坤》“先迷後得”而亦有“元亨”者,《坤》之“元亨”,承《乾》而已。故曰“至哉坤元”、“乃順承天”,又曰“德合無疆”、“品物咸亨”。《坤》之“利貞”。乃《坤》之德,故曰“牝馬地類,行地無疆,柔順利貞”。此亦“先迷後得”之意。《坤》所以能承《乾》之“元亨”以為“元亨”者,以其“柔順利貞”也。
集説にまた龔煥の言を引く:《坤》卦辞は「先迷後得」を講ずるも、同じく「元亨」有り。あれは《坤》の「元亨」は不過《乾》を承接して来るのみなるがゆえなり。ゆえに《彖伝》は「至哉坤元」「乃順承天」といい、また「徳合无疆」「品物咸亨」という。至るや《坤》の「利貞」は、あれはこそ《坤》自身の徳性なり。ゆえに「牝馬地類、行地无疆、柔順利貞」という。これもまさに「先迷後得」の意思なり。《坤》のよく《乾》の「元亨」を承接して自らの「元亨」と當為する所以は、靠るはまさにそれの「柔順利貞」なり。
蔡氏清曰:以象言則為“牝馬地類,行地無疆”。以義言則為“柔順利貞”。《本義》謂馬行地之物者,明龍之能飛乎天,而為《乾》之象也。林氏希元曰:“牝馬地類”,順也。“行地無疆”,順而健也。故承之曰“柔順利貞”,言此即《坤》德之順健云爾。不敢自主,承天之施以生萬物,“柔順”也。承天生物,直至於有終,“利貞”也。彖辭“利牝馬之貞”,本無四德,夫子以四德解,故為之說如此。
集説に蔡清の言を引く:象の上より講ずれば、すなわち「牝馬地類、行地无疆」なり。義理の上より講ずれば、すなわち「柔順利貞」なり。《本義》は馬は地上を行くものという。まさにそれを拿りて竜のよく天上を飛びて《乾》の象と為るに反襯するなり。集説にまた林希元の言を引く:「牝馬地類」の講ずるは順なり、「行地无疆」の講ずるは順にしてまた健なり。ゆえに接ぎて「柔順利貞」という。意はこれがすなわち《坤》徳のうちの順と健なり。敢えて自ら主張を作さず、上天の施与を承接して万物を生養す、これは「柔順」なり。上天を承接して万物を生養し、一直に做りて結局あるに至る、これは「利貞」なり。卦辞の原文はただ「利牝馬之貞」と説くのみ、本来併せて四徳の分別なし。孔子は四徳を用いてそれを解説す。ゆえに《彖伝》はこそこのように講ずるなり。
彖上伝・坤(前に承く)
先迷失道,後順得常,西南得朋,乃與類行,東北喪朋,乃終有慶。 本義 陽大陰小,陽得兼陰,陰不得兼陽。故《坤》之德,常減於《乾》之半也。“東北”雖“喪朋”,然反之“西南”,則“終有慶”矣。
《彖伝》はいう:坤道は前に搶えば方向を迷失し、後に随い順承してこそ常規を守住す。西南に往けば同類の友を得るは、同類と同行するなり。東北に往けば朋類を喪うと雖も、最終に喜慶あり。朱熹《本義》はいう、陽は大と為し陰は小と為す。陽は陰を兼包すべく、陰は陽を兼包すること能わず。ゆえに《坤》卦の徳性は総じて《乾》卦より一半を減ずべし。東北に往けば「喪朋」と雖も、ただ回身して西南に転向すれば、終に喜慶有らん。
集說 程子曰:“東北喪朋”,陰必從陽,然後“乃終有慶”也。 項氏安世曰:“東北喪朋,乃終有慶”者,所以發文王盲外之意也。地之交乎天,臣之事乎君,婦之從乎夫,皆“喪朋”之“慶”也。
「集説」に程頤の言を引く、「東北喪朋」は陰が必ず陽に跟従してのち、こそ「乃終有慶」を談じ得べしを講ず。項安世の言を引く、「東北喪朋、乃終有慶」のこの一句は、周文王の卦辞の言外の意を発揮せんと欲するなり(底本は「言」を「盲」と訛作す)。大地の上天と交合し、臣子の君主に事え、妻子の丈夫に順従するは、皆同類の朋を捨棄して換え来たる喜慶に属す。
邱氏富國曰:《坤》道主成,成在後,故先《乾》而動,則迷而失其道,從《乾》而動,則順而得其常。“西南”為後,於《坤》為得地,故往“西南”則與類行,東北為先,於《坤》為不得地,故往“東北”則必”喪朋”。
邱富国の言を引く、《坤》道は万物を成就するを職分と為す。成就は総じて造始の後に在り。ゆえに《乾》の前に搶えて発動すれば、すなわち迷惑して本分を失い、《乾》の後に跟いて発動すれば、すなわち順遂して常規を守住す。「西南」は方位の上において後に属し、《坤》に対しては各々その所を得る本土なり。ゆえに西南に走向すればすなわち同類と同行す。東北は方位の上において先に属し、《坤》に対しては本土にあらず。ゆえに東北に走向すればすなわち必ず朋類を喪失す。
王氏申子曰:馬而非牝,則不順而非地之類。牝而非馬,則不能配《乾》而“行地無疆”,此《坤》之“柔順利貞”也。故君子行《坤》之道者,先乎陽,則迷而失。後乎陽,則順而得。以陰從陰,猶與類行,以陰從陽,然後有慶。
王申子の言を引く、卦辞は母馬に象を取る。若しただ馬にして母馬ならざれば、便ちに剛にして順ならず、地の一類に属さず。若しただ母馬にして馬ならざれば、また力《乾》の健行に配合して「行地无疆」するなし。これがまさに《坤》のいう「柔順利貞」なり。ゆえに君子が《坤》道を施行するに、陽の前に搶えばすなわち迷惑して依拠を失い、陽の後に跟えばすなわち順遂して得るところあり。陰をもって陰に追随するは、不過同類と同行するのみ。陰をもって陽に追随して、のちに喜慶有らん。
林氏希元曰:“先迷失道”,是以失道解先迷。蓋陰本居後,今居先是失道,故“迷”也。“後順得常”,是以順解得常。蓋陰本居後,居先為逆,居後為順,故得其常道也。 金氏賁亨曰:“喪朋”,猶《泰》之“朋亡”。舍其朋而從陽,則有“得主”之“慶”。
林希元の言を引く、「先迷失道」は「失道」を用いて「先迷」を解釈するなり。陰は本来当に後に居るべく、如今前に搶居すればすなわち本分を失う。ゆえにこそ迷惑す。「後順得常」は「順」を用いて「得常」を解釈するなり。陰は本来当に後に居るべく、前に居るを逆と為し後に居るを順と為す。ゆえによく恒常の道を守住す。金賁亨の言を引く、ここの「喪朋」は、《泰》卦九二爻辞の「朋亡」と是一個の道理なり。自らの朋党を捨棄して陽剛に追随すれば、便ちに卦辞のいわゆる「得主」の喜慶あり。
何氏楷曰:“君子攸行”,雖趁上韻,然意連下文,釋卦辭“君子有攸往也”。君子之行,以陽剛為主。以陰抗陽,故迷而失道。以陰順陽,故得所主而不失其常。蓋陽為主,陰承之,此天地不易之常理也。“得朋”者,合群陰以從陽,後代終也。“喪朋”者,斂群陰以避陽,先無成也。
何楷の言を引く、「君子攸行」の一句は押韻のために上文の韻脚に合わせたると雖も、語意はしかして下文に連なり、用いて卦辞の「君子有攸往」を解釈す。君子の行事は陽剛を主宰と為す。陰を用いて陽に対抗する、ゆえに迷惑して正道を失う。陰を用いて陽に順従する、ゆえに主宰を尋得して恒常を失わず。陽は主と為り陰はこれを承奉す、これは天地間の更易すべからざる常理なり。いわゆる「得朋」は、衆陰を聚合して一同に陽に追随し、後に居るゆえに終有るなり。いわゆる「喪朋」は、衆陰を収斂して以て陽を回避し、先に搶えばすなわち事を成すこと能わず。
安貞之吉,應地無疆。 本義 安而且貞,地之德也。 程傳 《乾》之用,陽之為也。《坤》之用,陰之為也。形而上曰天地之道,形而下曰陰陽之功。“先迷後得”以下,言陰道也。先唱則迷失陰道,後和則順而得其常理。
《彖伝》はいう:安静に正を守るゆえに吉利なり、正に大地のあの辺際なき徳行に合す。朱熹《本義》はいう、既に安静にしてまた貞正なり、これがすなわち大地の徳性なり。程頤《伊川易伝》はいう、《乾》の功用は陽の作為、《坤》の功用は陰の作為なり。形而上の一層に就きて講ずれば、天地の道と呼ぶ。形而下の一層に就きて講ずれば、陰陽の功と呼ぶ。「先迷後得」以下の幾句の講ずるは皆陰道なり。先に搶えて倡導すればすなわち陰道を迷失し、後に随いて応和すればすなわち順遂してその常理に合す。
西南陰方,從其類“得朋”也。東北陽方,離其類“喪朋”也。離其類而從陽,則能成生物之功,終有吉慶也;“與類行’’者本也,從於陽者用也。陰體柔躁,故從於陽,則能安貞而吉,應地道之無疆也。
西南は陰の方位で、同類に跟従す。ゆえに「得朋」という。東北は陽の方位で、同類を離る。ゆえに「喪朋」という。同類を離れて陽に追随して、こそ万物を生養する功業を成就し、終に吉慶有らん。「与類行」の講ずるは本体、「従于陽」の講ずるは功用なり。陰の体性は柔弱にして躁動す。ゆえに必ず陽に追随して、こそ安静貞正にして吉を獲得し、大地の道の無辺無際と相応ずることを得べし。
陰而不安貞,豈能應地之道,《彖》有三“無疆”,蓋不 集說 孔氏穎達曰:“萬物資生”者,言萬物資地而生。《乾》本氣初,故云“資始”。《坤》據成形,放云“資生”。
陰もし安静に正を守ること能わざれば、どうして地道と相応ずるを談じ得んや。《彖伝》のうちに三処の「无疆」出現す――ここで底本に脱文あり、程頤のこの段の言は言い尽くされず。「集説」に孔穎達の言を引く、「万物资生」は万物が大地に依頼して生長するを講ずるなり。《乾》は気の初起を主とす、ゆえに「資始」という。《坤》は形体の成就を據る、ゆえに「資生」という。
“乃順承天”者,《乾》是剛健,能統領於天,《坤》是陰柔,以和順承奉於天。以其廣厚,故能載物。有此生長之德,合會“無疆”。凡言“無疆”者有二義,一是廣博無疆,二是長久無疆也。自此以上,論“坤元”之德也。
いわゆる「乃順承天」とは、《乾》の性は剛健にしてよく上天を統領し、《坤》の性は陰柔にして和順を用いて上天を承奉するをいう。大地は広大深厚なるがゆえに、よく万物を承載す。かくのごとき生養の徳性有れば、便ちに「无疆」と相合す。およそ「无疆」と説くは皆二層の意思を含む。一は空間上に広博にして辺なく、二は時間上に長久にして尽きざるなり。開頭よりここに至るまで、講ずるは皆「坤元」の徳性なり。
包含弘厚,光著盛大,故品類之物,皆得亨通。此二句釋“亨”也。牝馬以其柔順,故云“地類”。以柔順為體,故“行地無疆”,不復窮已。此二句釋“利貞”。故上文云“利牝馬之貞”是也。“柔順利貞,君子攸行”者,重釋“利貞”之義。是君子之所行,兼釋前文“君子有攸往”也。
大地は包容弘大深厚にして、光華顕著盛大なり。ゆえに各類の物種は皆亨通生長し得べし。この二句は卦辞の「亨」を解釈す。母馬は柔順なるがゆえに、《彖伝》はそれを「地類」と称す。柔順を本体と為すがゆえに、よく「行地无疆」にして永く窮尽せず。この二句は「利貞」を解釈す、すなわち卦辞のいう「利牝馬之貞」なり。至るや「柔順利貞、君子攸行」は、再び一たび「利貞」の含义を申説し、君子の当に践行すべき路数を指し、同時にまた前面の卦辞の「君子有攸往」を解釈したり。
“先迷失道”者,以陰在物之先,失其為陰之道。“後順得常”者,以陰在物之後,陽唱而陰和,是後順得常。“乃與類行”者,以陰而造坤位,是乃與類行。“乃終有慶”者,以陰而詣陽,初雖離群,乃終久有慶善也。“安”謂安靜,“貞”謂貞正也。地體安靜而貞正,人若靜而能正,即得其吉,應合地之無疆也。
いわゆる「先迷失道」は、陰が万物の先に搶えて、陰たるの本分を失うなり。「後順得常」は、陰が万物の後に処して、陽が倡導して陰が応和し、随い順承して便ちに常規を守住するなり。「乃与類行」は、陰が陰に属する坤位の上に走到し、ゆえに同類と同行す。「乃終有慶」は、陰が陽に属する方位に前往し、起初は同伴を離れたりと雖も、最終長久にして必ず喜慶善果あり。「安」は安静を指し、「貞」は貞正を指す。大地の体性は安静にして貞正なり。人もしよく安静にして正を守れば、すなわち吉利を得て、正に大地のあの辺際なき徳行に合す。
彖上伝・屯
屯,剛柔始交而難生。 本義 以二體釋卦名義,“始交”,謂震。“難生”,謂坎。 集說 朱氏震曰:“震”者,《乾》交於《坤》,一索得之,“剛柔始交”也。坎險難,“剛柔始交而難生”也。 張氏清子曰:《乾》、《坤》之後,一索得震為“始交”,再索得坎為“難生”,而承上接下之辭,所以合震坎之義,而釋其為《屯》也。
《彖伝》はいう:《屯》は剛と柔が初次に交合して艱難はこれに随いて産生す。朱熹《本義》はいう、これは上下二個の「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。「始交」は下卦の震を指し、「難生」は上卦の坎を指す。「集説」に朱震の言を引く、震は《乾》と《坤》の相交りて初次求索して得たる長男で、正に「剛柔始交」に合す。坎は険陥艱難なり。合わせれば便ちに「剛柔始交而難生」なり。張清子の言を引く、《乾》《坤》の両卦の後において、一索して震を得るを「始交」と為し、再索して坎を得るを「難生」と為す。この句の上を承け下を接ぐの言は、震・坎両卦の意思を一処に合し、用いて卦名のなぜ《屯》と呼ぶかを解釈す。
動乎險中,大亨貞。 本義 以二體之德釋卦辭,“動”。震之為也。“險”,坎之地也。自此以下,釋“元亨利貞”,乃用文王本意。
《彖伝》はいう:険難のうちに発動し、ゆえに大いに亨通して正を守るに利あり。朱熹《本義》はいう、これは上下両体の「卦徳」を用いて卦辞を解釈す。「動」は震の作為、「険」は坎の処する境地なり。ここより往下に「元亨利貞」の四字を解説するに、採用するは周文王の卦辞を作りし時の本意で、後来の四徳の説にあらず。
集說 《朱子語類》:問:《本義》云,此以下釋“元亨利貞”,用文王本意,何也?曰:《乾》“元亨利貞”,至孔子方作四德說,後人不知,將謂文王作《易》,便作四德說,即非也。如《屯》卦所謂“元亨利貞”者,以其能動雖可以“亨”,而在險則宜守正。 故筮得之者,其占為“大亨”而利於正,初非謂四德也。故孔子釋此彖辭,只曰“動乎險中,大亨貞”,是用文王本意釋之也。
「集説」に《朱子語類》を引く。ある人問う:《本義》はここより往下は文王の本意を用いて「元亨利貞」を解釈すという、なぜか。朱熹答えていわく:《乾》卦の「元亨利貞」は、孔子が《文言》を作りてこそ四種の徳性の説と為立せられたり。後人は明白せず、以て文王の《易》を作りし時すでに四徳を按じて説を立てたりと為す、これは錯なり。《屯》卦の説く「元亨利貞」のごときは、それがよく発動するによる。亨通すべくと雖も、しかし身は険中に処して当に正を守るべし。ゆえに占筮がこの一卦に遇えば、占断は便ちに大いに亨通して正を守るに利あり。本来併せて四徳を講ずるにあらず。ゆえに孔子のこの条の彖辞を解釈するは、ただ「動乎険中、大亨貞」と説くのみ、まさに文王の本意を用いて解説するなり。
雷雨之動滿盈,天造草昧,宜建侯而不寧。 本義 以二體之象釋卦辭。“雷”,震象。“雨”,坎象。“天造”,猶言天運。“草”,雜亂。“昧”,晦冥也。陰陽交而雷雨作,雜亂晦冥,塞乎兩間。天下未定,名分未明。 宜立君以統治,而未可遽謂安寧之時也。不取初九爻義者,取義多端,姑舉其一也。
《彖伝》はいう:雷雨の鼓動は天地の間に充満し、天運はまさに草創晦暗の際に処す。当に諸侯を封建して安居すべからず。朱熹《本義》はいう、これは上下両体の物象を用いて卦辞を解釈す。「雷」は震の象、「雨」は坎の象、「天造」は天運を説くに等し、「草」は雑乱、「昧」は昏暗なり。陰陽交合すれば便ちに雷雨を生出し、雑乱昏暗の気は天地の間に塞満す。天下はいまだ安定せず、名分はいまだ分明ならず。当に君長を確立して統轄治理すべく、なおこれを安寧の時と説くべからず。ここで初九爻の意思を取らざるは、一句の彖辞の義を取り得る方面は甚だ多く、姑らくそのうちの一端を挙出するのみなるがゆえなり。
程傳 以雲雷二象言之,則“剛柔始交”也。以坎震二體言之,“動乎險中”也。“剛柔始交”,未能通暢則艱屯,故云“難生”。又“動於險中”,為艱屯之義,所謂“大亨”而“貞”者,“雷雨之動滿盈”也。陰陽始交,則艱屯未能通暢。及其和洽,則成雷雨滿盈於天地之間,生物乃遂。《屯》有“大亨”之道也,所以能“大亨”,由夫“貞”也。
程頤《伊川易伝》はいう、雲と雷の二個の物象に就きて講ずれば、これは「剛柔始交」なり。坎と震の二個の卦体に就きて講ずれば、これは「動乎険中」なり。剛柔は剛に交接し、気機はなお通暢すること能わず。ここにおいて艱難屯結し、ゆえに「難生」という。さらに加えて険陥のうちに発動するも、また艱難屯結の意なり。いわゆる「大亨」にして「貞」なるは、指すはまさに「雷雨之動満盈」なり。陰陽初交の時は艱難にして通暢せず、彼此和洽するに及んで、便ちに雷雨と化して天地の間に充満し、万物はこれによりて生長を得たり。《屯》卦は本に大いに亨通するの道理あり、しかして大亨通し得る所以は、全て一「貞」の字に靠るなり。
集說 孔氏穎達曰:“草”,謂草創。“昧”,謂冥昧。言天造萬物於草創之始,如在冥味之時也。於此草昧之時,王者宜建立諸侯,以撫卹萬方之物,而不得安居無事。 王氏安石曰:“難生”也,“動乎險中”也,此雲雷之時也,故曰雲雷《屯》。卒至於“雷雨之動滿盈”,然後能免乎險而《屯》難解,“大亨貞”。要《屯》之終而為言也。
「集説」に孔穎達の言を引く、「草」は草創を指し、「昧」は昏暗不明を指す。これは上天の万物を造化するがまさに草創の初に在り、昏昧未開の時に処するがごときを説く。かくのごとき草創昏暗の時において、王者たるは当に分封して諸侯を建立し、来りて四方万物を安撫体恤すべく、安坐して事なきを能わず。王安石の言を引く、「難生」なるも「動乎険中」なるも、講ずるは皆雲雷の時なり。ゆえに《大象伝》は「雲雷屯」と称す。「雷雨之動満盈」に至るまで、こそ険陥を脱出して屯難消解し、「大亨貞」に達達す。これは《屯》の結局に就きて言を立つるなり。
《朱子語類》:問:“剛柔始交而難生”,《程傳》以雲雷之象為“始交”,謂震始交於下,坎始交於中,如何?曰:“剛柔始交”,只指震言。所謂震一索而得男也,此三句各有所指,“剛柔始交而難生”,是以二體釋卦名義。“動乎險中大亨貞”,是以二體之德釋卦辭,“雷雨之動滿盈,天造草昧,宜建侯而不寧”,是以二體之象釋卦辭,只如此看甚明,緣後來說者交雜混了,故覺語意重複。
《朱子語類》を引く。ある人問う:「剛柔始交而難生」の一句、《程伝》は雲雷の象を拿りて「始交」を解し、震は下卦に初交し坎は中爻に初交すと説く。このように講じて対なるか。朱熹答えていわく:「剛柔始交」はただ震を指して言うのみ、すなわち《説卦伝》のいわゆる震は一索して男を得るなり。この三句は各々指すところあり。「剛柔始交而難生」は両体を用いて卦名の含义を解釈し、「動乎険中大亨貞」は両体の「卦徳」を用いて卦辞を解釈し、「雷雨之動満盈、天造草昧、宜建侯而不寧」は両体の物象を用いて卦辞を解釈す。このように分け開きて看ればすなわち甚だ清楚なり。ただ後来の《易》を解する人が三層を一処に攪拌したるがゆえに、こそ語意の重復するを覚えたり。
蔡氏清曰:草雜亂則不定矣,故下雲天下未定。昧晦冥則不明矣,故下雲名分未明。 名分不獨謂君臣上下,如父子夫婦昆弟之類皆是也,立君統治者,君臣,人道之綱也。 何氏楷曰:震之未動,坎氣為雲,雲上雷下鬱結而未成雨,所以為《屯》。動則云化為雨,雷上雨下,《屯》之鬱結者變而為解,而未亨者果“大亨”矣。
蔡清の言を引く、「草」は雑乱なり、雑乱なれば便ちに安定を談じ上ぐること能わず。ゆえに《本義》は接ぎて「天下未定」という。「昧」は昏暗なり、昏暗なれば便ちに明晰を談じ上ぐること能わず。ゆえに接ぎて「名分未明」という。名分は単に君臣上下を指すのみならず、父子・夫妻・兄弟の類は皆そのうちに在り。しかして君長を確立して統轄治理せしむる所以は、君臣の一倫はこそ人道的綱領なるがゆえなり。何楷の言を引く、震はいまだ発動せざる時、坎気は結成して雲と為り、雲は上に在り雷は下に在り、鬱結して雨を成さず。ゆえに《屯》なり。一旦発動すれば、雲はすなわち化して雨と成り、雷は上に在り雨は下に在り、《屯》の鬱結は《解》の舒散に転成し、原先通ぜざりしは便ちに真に大いに亨通したり。
案 《本義》以“動乎險中”釋“大亨貞”,“雷雨之動”以下釋“建侯”。《程傳》則以“動乎險中”屬上句,總釋卦名,而以“雷雨之動滿盈”一句釋“大亨貞”。今觀《屯》稱雲雷,《解》稱“雷雨”,則《屯》之時猶未解也。夫子欲明“元亨”之義,故變“雲雷”言“雷雨”,以見《屯》之必《解》,則觀其動也,而《屯》之“元亨”可知矣。然動者亨之機爾,其醞釀姻媼以滿盈其氣,又足以見貞固之義,《程傳》說可從,故王氏何氏同。
李光地は案ずる:《本義》は「動乎険中」を用いて「大亨貞」を解釈し、「雷雨之動」以下を用いて「建侯」を解釈す。《程伝》はすなわち「動乎険中」を帰して上一句に入れ、合わせて総じて卦名を解し、単に「雷雨之動満盈」の一句を用いて「大亨貞」を解釈す。今按ずるに《屯》卦の《大象》は「雲雷」と称し、《解》卦の《大象》は「雷雨」と称す。見れば《屯》の時勢はなお舒解の地步に至らざるを知る。孔子は「元亨」の意思を闡明せんと欲し、ゆえに「雲雷」を改めて「雷雨」と説き、以て《屯》の必ず《解》に走向するを顕示す。その発動を観察すれば、《屯》の「元亨」はすなわち知るべし。不過発動はただ亨通の契机のみ、あの氤氳醞釀して以てその気を充盈するの過程は、また足りて貞固の意思を見出すに足る。《程伝》の説法は依従すべし。ゆえに上文の王安石・何楷両家の講法はこれと同じなり。
彖上伝・蒙
蒙,山下有險。險而止,蒙。 本義 以卦象卦德釋卦名,有兩義。
《彖伝》はいう:《蒙》は山下に険陥伏したり、険に遇いて停止して前まず、ゆえに蒙と呼ぶ。朱熹《本義》はいう、これは分別して「卦象」と「卦徳」を用いて卦名を解釈し、ここにおいて二層の意思を含む。象に就きて講ずれば、艮山の下に坎水の険伏したり。徳に就きて講ずれば、険に遇いて歩を止むるは、まさに蒙昧不明の様子なり。
蒙,亨,以亨行時中也。匪我求童蒙,童蒙求我,志應也。初筮告,以剛中也。再三瀆,瀆則不告,瀆蒙也。蒙以養正,聖功也。 本義 以卦體釋卦辭也。九二以可亨之道,發人之蒙,而又得其時之中,謂如下文所指之事,皆以亨行而當其可也:“志應”者。二剛明,五柔暗,故二不求五而五求二,其志自相應也。“以剛中”者,以剛而中,故能告而有節也。“瀆”,筮者二三,則問者固瀆,而告者亦瀆矣。“蒙以養正”,乃作聖之功,所以釋“利貞”之義也。
《彖伝》はいう:《蒙》の亨通する所以は、亨すべきの道を用いて施行し、また恰らく時宜の中道に合するなり。我の求むるあの蒙昧の童子にあらずして、蒙昧の童子の来りて我を求むるなり、これは彼此心志相応ずるなり。初次占問せばすなわち彼に告ぐるは、九二の剛健にして居中するによる。反復三次すればすなわち亵渎なり、亵渎せば便ちに更に告げず、あの様はかえって童蒙を渎乱するに在り。蒙昧未開の時に趁りてその正性を涵養す、これは聖人を成就するの功夫なり。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」を用いて卦辞を解釈す。九二は以て亨を致すべきの道を用いて別人の蒙昧を啓発し、また時勢の中道を得たり。指すはすなわち下文の挙ぐる各事で、皆亨道を以て施行して恰らくその可に当たるなり。「志応」は、九二は剛明・六五は柔暗なるがゆえに、二の往きて五を求むるにあらずして五の来りて二を求むるなり。両者の心志は自然に相応ず。「以剛中」は、九二は剛を以て中に居るがゆえに、告示する時よく節制有らん。「涜」は、占筮する人の再三反復せば、すなわち発問するは固より亵渎にして、回答するもまた跟いて亵渎なり。「蒙以養正」は聖を作るの功夫で、用いて卦辞の「利貞」を解釈す。
程傳 山下有險,內險不可處,外止莫能進,未知所為,故為昏蒙之義。“蒙亨”,以亨行時中也。蒙之能亨,以亨道行也。所謂亨道時中也。“時”,謂得君之應。“中”,謂處得其中。得中則時也。“匪我求童蒙,童蒙求我,志應也”。二以剛明之賢處於下, 集說 《朱子語類》云:“蒙以養正聖功也”,蓋言蒙昧之時,先自養教正當了,到那開發時,便有作聖之功。若蒙昧之中,已自不正,他日何由會有聖功。
程頤《伊川易伝》はいう、山下に険あり、内に向かえば険陥にして安処すべからず、外に向かえば艮止に挡かれて前進すること能わず、如何に為すべきかを知らず。ゆえに昏昧蒙蔽の義を取る。「蒙亨、以亨行時中也」とは、《蒙》のよく亨する所以は、亨通の道を用いて施行するに在り、この条の亨道はすなわち時に合乎するの中道なりを説く。「時」は君上の应与を得るを指し、「中」は処する所が恰らく中位に在るを指す。中を得ればすなわち時をも得たり。「匪我求童蒙、童蒙求我、志応也」とは、九二が剛明の賢者を以て下位に処するを説く――ここで底本に脱文あり、程頤の言は言い尽くされず。「集説」に《朱子語類》を引いていう、「蒙以養正聖功也」とは、蒙昧未開の時において、先に自身を涵養教導して端正と為し、日後の開明発達の時に到りて、便ちに聖人を成就するの功效有らんを講ずるなり。假如蒙昧のうちに本身就でに不正なれば、日後どこでかなお聖功を談じ得んや。
胡氏炳文曰:《程傳》云,亨道即時中也。《本義》謂九二以可亨之道,發人之蒙,而又得其時之中,蓋蒙豈無可亨之道,但恐亨之不得乎時之中耳。《本義》謂如下文所指之事,蓋謂志未應而遽欲亨之,非時中也。再三瀆而亦告之,非時中也。蒙宜養正,過此而後養之,非時中也。
胡炳文の言を引く、《程伝》は亨道はすなわち時中と講じ、《本義》はすなわち九二が以て亨すべきの道を用いて別人の蒙昧を啓発し、また時勢の中道を得たりと講ず。蒙昧の人はかつて致亨すべきの門路なきにあらず、怕るるは致亨する時に時中を錯過せんことを。「如下文所指之事」と《本義》が説く意は:心志いまだ相応せざるに急いで往きて彼を開導すれば、時中に合せず。反復亵渎するもなお照らして告げて誤らざれば、時中に合せず。童蒙は本来当に時に及んで正性を涵養すべく、この段の時候を錯過して更に涵養せんとすれば、また時中に合せず。
俞氏琰曰:聖者無所不通之謂,“童蒙”之時,便當以正道涵養其正性,是乃作聖之功也。古之人,含德之厚,比於赤子,大人之所以為大人者,不失其赤子之心而已。 童蒙之時,情竇未開,天真未散,粹然一出於正,所謂赤子之心是也。涵養正性,全在“童蒙”之時。若“童蒙”之時,無所養而失其正,則他日慾望其作聖,不可得矣。 林氏希元曰:養蒙發蒙原非二事,對前日之蒙言,則曰發,對後日之作聖言,則曰養利貞之語。實《蒙》上文,加《咸》、《恆》“利貞”之例,非發蒙之後,又別出養蒙之義也。
兪琰の言を引く、いわゆる聖とは、通ぜざるところなきの意なり。「童蒙」の時はすなわち当に正道を用いてその正性を涵養すべく、これがこそ聖を作るの功夫なり。古人の徳性は醇厚にして、《老子》はこの種の人を初生の嬰児に比作したり。孟子の講ずる大人の大人たる所以は、也不過赤子の心を失わざるのみ。童蒙の時は情竇未開・天真未散にして、純粹に正より出づ、すなわちいわゆる赤子の心なり。正性を涵養するは、全てこの時候に在り。倘若童蒙の時に涵養する人なくして正を失わば、日後に彼が聖徳を成就せんことを指望するは、成すこと能わざるなり。林希元の言を引く、養蒙と発蒙は本来二件の事にあらず。先前の蒙昧に対して説けばすなわち「発」と呼び、日後の作聖に対して説けばすなわち「養」と呼ぶ。「利貞」の二字は実際は《蒙》卦の上文より承け来るもので、《咸》《恒》両卦の「利貞」を系うるの体例と同じく、併せて発蒙の後に另外更に一個の養蒙の意思を立つるにあらず。
彖上伝・需
需,須也,險在前也,剛健而不陷,其義不困窮矣。 本義 此以卦德釋卦名義。 程傳 “需”之義,須也。以險在於前,未可遽進,故需待而行也。以《乾》之剛健,而能需待不輕動,故不陷於險,其義不至於困窮也。剛健之人,其動必躁,乃能需待而動,處之至善者也。故夫子贊之云“其義不困窮矣”。
《彖伝》はいう:《需》はすなわち等待で、険陥が前に横たわる。剛健にして陥落して入らざれば、義理の上より説いて困窮の地步に走到することなからん。朱熹《本義》はいう、これは「卦徳」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、「需」の意思は等待なり。険陥が前に在るがゆえに、冒然と前進すべからず。ゆえに時機を等待してのち行うなり。《乾》の剛健を憑りてしかして等待して軽挙妄動せず。ゆえに険中に陥るに至らず、義理の上にまた困窮せず。剛健の人は一動するや往々にして急躁に失す。如今竟に時機を等待して再び動くことを得、これは処置し得て最も好いの一種なり。ゆえに孔子は讃嘆して「其義不困窮矣」という。
集說 王氏申子曰:“需”者,坎險在前,須而後進也。唯剛則內,有所主,故能需。唯健則動不可御,故能濟。 蔡氏清曰:以剛遇險,而不遽進以陷於險者,蓋陰柔不能寧耐,乾剛則沈毅不苟,而能寧耐,所謂乾天下之至健也,德行恆易以知險。
「集説」に王申子の言を引く、「需」は坎険が前に横たわり、等待してのち前進す。唯だ剛有ればこそ内心に主宰あり、ゆえに能く等ぐ。唯だ健有ればこそ一動きすればすなわち擋当すべきなく、ゆえに能く険を済す。蔡清の言を引く、剛健を以て険陥に遇上して冒然と前進せず、以てそのうちに陥落せざるは、陰柔の人は性子に耐えず、乾の剛健はしかして沈毅不苟にして、よく気を沈め得るによる。これがすなわち《繋辞伝》のいう「夫乾、天下之至健也、徳行恒易以知険」なり。
需,有孚,光亨,貞吉,位乎天位,以正中也。利涉大川,往有功也。 本義 以卦體及兩象釋卦辭。 程傳 五以剛實居中,為孚之象,而得其所需,亦為“有孚”之義。以乾剛而至誠,故其德光明而能亨通,得貞正而吉也。所以能然者,以居天位而得正中也。居大位,指 集說 谷氏家傑曰:此卦合坎乾成《需》。唯乾易而知險,故曰“剛健”,曰“正中”。 見有天德者,能需也。
《彖伝》はいう:《需》は誠信有りて光明亨通し、正を守りて吉を得るは、九五が天位に居りてまた能く正を守り中に居るがゆえなり。大川を渡渉するに利あるは、前往すれば必ず功效あるを説く。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」および上下両象を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、九五は剛実の爻を以て中位に居るは、まさに誠信の象にして、しかも自らの等待する所を得たり、また「有孚」の意思に合す。乾の剛健にしてまた至誠を憑るがゆえに、徳性は光明にして亨通し得て、その貞正を得て吉利なり。よくこのようたる所以は、身が天子の位に居りてまた正を得中を得るがゆえなり。大位に居るは、指すは――ここで底本に脱文あり。「集説」に谷家傑の言を引く、この一卦は坎と乾が合成して《需》と為る。唯だ乾道は平易にして能く険難を預知す。ゆえに《彖伝》は「剛健」といい「正中」という。見れば天徳を具有する人こそ等待すること能うを知るべし。
