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開元占経 巻七十三

唐 · 瞿昙悉达 · 第74巻 / 119

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

流星占 三

流星犯摂提 一

《黃帝占》曰:“流星入攝提,外國當以兵為使來者,若有急;流星出之,王者以兵出使,各以五色占。”

《黄帝占》にいう、流星が摂提星に進入するは、外国はまさに兵を帯びる使者を派して前来せん、あるいは緊急の軍情あるべし。流星が摂提より飞出するは、すなわち君王が兵を帯びる使者を派して外出せしむ。以上はいずれもさらに星の五色に按じて分別して吉凶を占断す。

流星犯大角 二

《黃帝占》曰:“流星抵破大角,兵大起,四塞有急,若刺大角過,王者失位;期三年。”

《黄帝占》にいう、流星が大角星に抵触し冲破するは、大挙して兵を興し、四方の辺塞はいずれも緊急の軍情あり。もしそれが大角を直刺して穿って過ぎれば、君王はまさに帝位を失わん。応期は三年。大角は帝王の座星である。ゆえにそれを犯すは最も重し。

石氏曰:“流星抵大角,有兵起,大將出,人主憂;期百八十日。流星觸破大角,四兵合,有急。刺大角,主失位,裂之,尤甚。流星發大角,盛光明耀,大將出;破大角,亡;不吉。”

石申はいう、流星が大角に抵触するは、兵事の興起あり、大将は出師し、君主に憂患あり、応期は百八十日。流星が大角に触破するは、四方の兵馬は会合し、情勢は緊急なり。大角を直刺するは、君主はまさに位を失わん。もし大角を沖裂せば、禍を為すことさらに厳重なり。流星が大角より発し、光芒が盛大にして明耀なるは、大将の出師を主る。もし大角を冲破せば、すなわち敗亡を主り、不吉の象である。

流星犯梗河 三

陳卓曰:“流星入梗河,王者誅夷國,不出三年。”《玉曆》曰:“流星入犯梗河,王者誅四夷,若邊兵起,一曰蠻王死,期一年,遠二年。”

陳卓はいう、流星が梗河星に進入するは、君王はまさに夷狄の国を誅滅し、三年を出ず。《玉曆》にいう、流星が飞入して梗河を侵犯するは、君王はまさに四方の夷狄を征討し、あるいは辺境に兵を興さん。もう一説は蛮族の王はまさに死せん、応期は一年、遠ければ二年。

流星犯招摇 四

《黃帝占》曰:“流星起招搖,其所向者,兵在焉;又曰賊寇大敗。”石氏曰:“流星入抵招搖,四夷兵來,邊兵大敗;若王敗,敵有憂,期一年。”

《黄帝占》にいう、流星が招摇星より起飞するは、それが指向するあの方にすなわち兵事あり。またいう、賊寇の大敗を主るという。石申はいう、流星が飞入して招摇に抵触するは、四方の夷狄の軍隊が来犯し、辺境の軍隊は大敗す。もし我が方の敗れに非ざれば、すなわち敵方に憂患あり、応期は一年。

流星犯玄戈 五

《聖洽符》曰:“流星入抵玄戈,夷欲入中國,戰大敗,流星所抵,兵徙來,期不出二年。”

《聖洽符》にいう、流星が飞入して玄戈星に抵触するは、夷狄は中原に侵入せんと欲し、交戦すればまさに大敗せん。流星の抵触したあの方向は、すなわち兵馬の遷移して来る方向で、応期は二年を出ず。

流星犯天槍 六

齊伯曰:“流星入天槍,外夷來侵,防戍有急者;邊境憂。”

斉伯はいう、流星が天槍星に進入するは、外族の夷狄は前来して入侵し、辺防の戍守に緊急の情況あり、辺境の一帯に憂患あり。天槍はもともと天上の兵器の星である。ゆえに流星がそれを犯すは専ら辺警に応ず。

流星犯天棓 七

《甄曜度》曰:“流星入天棓,兵大起,五丈長,國有兵,王者憂,期二年。”陳卓曰:“流星入天棓,諸侯多訟地者,部分不均平也。出,四夷安。”

《甄曜度》にいう、流星が天棓星に進入するは、大挙して兵を興さん。もし星の長さが五丈ならば、国中に兵事あり、君王に憂患あり、応期は二年。陳卓はいう、流星が天棓に進入するは、諸侯の間に多く土地を争訟するあり、起因は疆界の分划の均平ならざるに在り。もし流星が天棓より飞出せば、すなわち四方の夷狄は安定す。

流星犯女床 八

《海中占》曰:“流星入女床,後宮有憂,貴女當有暴誅者;期百八十日。”

《海中占》にいう、流星が女床星に進入するは、後宮に憂患あり、貴族の女子の中にまさに突然誅殺せらるるあらん。応期は百八十日。女床はもともと後宮の嬪御の位を主る。ゆえに災応は宮闈の女眷の身の上に落つ。

流星犯七公 九

《玄冥》曰:“流星入七公,人主信讒佞,誅忠直諫者,凶人起兵,義人入獄,期一年。”石氏曰:“流星經七公,當有兵將出。”《文曜鉤》曰:“流星入抵七公,有兵起,大將出,一曰輔臣有誅,不出二年。”

《玄冥占》にいう、流星が七公星に進入するは、君主は讒佞の言を聴信し、忠直にして敢えて諫むる人を誅殺し、凶悪の徒は兵を起こして乱を作し、仗義の人は反って獄に下せられ、応期は一年。石申はいう、流星が七公を経過するは、当に兵を帯びる将領の出師あるべし。《文曜鈎》にいう、流星が飞入して七公に抵触するは、兵事の興起あり、大将は出師す。もう一説は輔政の大臣に誅殺せらるるあり、二年を出ず。

流星犯貫索 十

巫咸曰:“流星入貫索,天下有獄事,多有死者,一曰臣有入獄者,期一年。”(案《異苑》曰:田鎮之夜,傍階墀走,忽值流星入貫索天獄也,舊傳若見此者,必致死兵,要應,拔頭仰瞻須星,出則無禍矣;鎮懼,潛語其婦,散髮屋上,兄霄起,見上有物,謂是怪鳥,引弓射之,應弦而墜,乃其弟也。)

巫咸はいう、流星が貫索星に進入するは、天下に獄訟の事あり、死人は多し。もう一説は臣下の中に獄に下せらるるあり、応期は一年。原書の案語にいう、《異苑》に記す、田鎮之が夜に階段に沿って走动するに、忽然として流星が貫索に飞入するに遇上った——貫索とはすなわち天上の牢獄である。旧時に相い伝う、およそこの種の星象を見る人は、必ず兵刃の禍を招来す。化解せんと欲せば、すなわち頭巾を脱ぎ去りて頭を仰ぎてあの星を望み、それが飞出するを待てばすなわち禍なかるべし。田鎮之は心の裡に害怕し、悄々として妻子に告げ、自ら頭髪を披散して屋頂に爬り上った。彼の兄の田霄は身を起こし、屋上に一個の東西あるを見て、怪鳥と認め、弓を拉いて射去し、弦に応じて落ち、墜ちて来たはなんと自らの弟であった。

陳卓曰:“流星入貫索中,女主死,若有兵。”又曰:“使星入天牢,有赦。”(案檀道鸞《晉陽秋》曰:孝武大元三年三月庚辰,夜流星大如三斗器,尾長三丈,從七公西行至招搖,須臾轉還,東行至貫索而沒,六月,苻堅遣其子丕等十萬餘人,五道寇襄陽,四年正月辛酉,大赦天下。)

陳卓はいう、流星が貫索の中に飞進するは、女主はまさに死し、あるいは兵事あり。またいう、使星が天牢星に進入するは、まさに赦令あるべし。原書の案語にいう、檀道鸞《晋陽秋》に記す、晋の孝武帝の太元三年三月庚辰に、夜の裡に流星ありて大きさは三斗の器皿に似て、尾の長さは三丈、七公星より西に向かって招摇に飞至し、片刻の後にまた折り返して来り、東に向かって貫索に飞至してこそ隠没した。この年の六月に、苻堅はその子の苻丕らを派して十幾万の人を率い、五路に分かれて襄陽を進犯せしめた。太元四年正月辛酉に、朝廷は天下を大赦した——まさに「使星が天牢に入れば赦あり」の占と相合す。

《春秋緯》曰:“大流星赤黃,出貫索中者,怪獲死者,女子也。”石氏曰:“大奔星赤黃,出貫索中,其國貴女有死者。”《荊州占》曰:“流星絕連貫索,國城屠。”

《春秋緯》にいう、大流星が赤黄色を呈し、貫索の中より飞出するは、怪異が擒獲せらるる事あるを主り、死するは女子である。石申はいう、大奔星が赤黄色で、貫索の中より飞出するは、あの国家の貴族の女子の中に死亡するあり。《荊州占》にいう、流星が横穿して貫索の諸星を貫断するは、あの国家の城池はまさに屠戮を遭わん。

流星犯天紀 十一

《黃帝占》曰:“流星入天紀,大臣為亂,兵起宮中,妃后有出者,期二年。”

《黄帝占》にいう、流星が天紀星に進入するは、大臣は乱を作し、兵禍は宮中に起こり、妃后の中に遣出せらるるあり、応期は二年。ここの天紀は貫索の一帯の星官で、前の甘氏の記した外厨の南のあの一つの天紀と名は同じくして位は異なり、混じて看るべからず。

流星犯織女 十二

石氏曰:“流星入織女,貴女有憂,若有白衣女來者;一曰后族當有出者,期不出百八十日,遠則一年。”司馬彪《天文志》曰:“孝明永平七年正月戊子,流星大如杯,從織女西行,照地;織女,天之貴女,流星出之,女王憂;其月癸卯,光烈皇后崩。”巫咸曰:“流星入織女,有使從諸侯所來者;出織女,有使之諸侯。”韓楊曰:“流星入織女,有白衣女子會;其出也,賊將出。”石氏曰:“流星入織女,有大水。”

石申はいう、流星が織女星に進入するは、貴族の女子に憂患あり、あるいは白衣を穿く女子の前来するあり。もう一説は后族・外戚の中に人ありて遣出せらるるべく、応期は百八十日を出ず、遠ければ一年。司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の明帝の永平七年正月戊子に、流星ありて大きさは杯子に似て、織女星より西に向かって飛行し、光は地面を照らした。織女は天上の貴女で、流星がそこより飞出するは、女主に憂あるを主る。すなわちこの月の癸卯の日に、光烈皇后の陰氏が去世した。巫咸はいう、流星が織女に進入するは、使者ありて諸侯の彼処より前来す。織女より飞出するは、すなわち使者ありて諸侯に前往す。韓楊はいう、流星が織女に進入するは、白衣を穿く女子の聚会あり。もし飞出するは、すなわち賊寇はまさに出現せん。石申はいう、流星が織女に進入するは、大水あるべし。

《黃帝占》曰:“流星出織女,有白衣會,為賊兵吏凶,淫內。”《宋書天文志》曰:“穆帝永和十年四月癸未,流星大如斗,色赤黃。出織女,沒造父,有聲如雷。占曰:‘燕齊有兵,民流。’昇平元年,慕容雋遂據臨潼,盡有幽並青冀之地,綠河諸將,漸奔散,河津隔絕矣。”

《黄帝占》にいう、流星が織女より飞出するは、喪服を穿くの聚会あり、賊兵と官吏に於てはいずれも凶兆で、さらに宮内の淫乱を主る。《宋書・天文志》に記す、晋の穆帝の永和十年四月癸未に、流星ありて大きさは斗に似て、顔色は赤黄、織女より飞出し、造父星に没入し、声音は雷のごとし。占辞にいう、燕・斉の一帯に兵事あり、百姓は流亡す。升平元年に至って、慕容儁はここにおいて臨潼を占拠し、幽州・并州・青州・冀州の地を尽く得て、黄河に沿って駐守する各路の将領は漸々に奔逃・潰散し、黄河の渡口もまた隔絶して通ぜずとなった。

流星犯天市 十三

石氏曰:“流星入天市,色蒼白,萬物貴;赤,必大災,民多疾。”又云:“大臣有罪,戮於市者;若市吏有憂者。”巫咸曰:“流星入天市,亂度量,不平,執命者死。”郗萌曰:“流星入天市而出,死罪復生。”《玉曆》曰:“流星入天市,若有死罪,當戮入市而得免者;不出二年。”

石申はいう、流星が天市垣に進入し、星色が蒼白なるは、万物は騰貴す。星色が赤に発するは、必ず大災あり、百姓は疾病多し。またいう、大臣が罪を犯し、市上に於て処死せらるを主る。あるいは市易を管理する官吏に憂患あり。巫咸はいう、流星が天市に進入するは、度量衡は紊乱して公ならず、政令を執掌する人はまさに死せん。郗萌はいう、流星が天市に飞進してまた飞出去るは、死罪を判決された人はなお命を活くべし。《玉曆》にいう、流星が天市に進入するは、もし死罪の人ありて本当に市上に押赴して処決すべきが、かえって赦免を獲得すべく、二年を出ずして応験す。

司馬彪《天文志》曰:“孝明永平元年四月丁酉,流星大如斗,起天市樓,西南行,光照地,流星為使天市,為外兵西南行,為西南夷;是時益州發兵擊姑復,蠻夷大牟替陵斬首,傳諸雒陽。”

司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の明帝の永平元年四月丁酉に、流星ありて大きさは斗に似て、天市垣の市楼星に起こり、西南に向かって飛行し、光亮は地を照らした。流星は使者を主り、天市は外来の兵を主り、それが西南に向かって飛行するは、すなわち西南方の夷人の身の上に応ず。当時、益州は兵を発して姑復を攻打し、蛮夷の首領の大牟替陵は斬首せられ、首級は雒陽に伝送された。

流星犯帝座 十四

甘氏曰:“流星抵帝座,諸侯兵起,臣謀主;若貴人變更政,期年。”

甘徳はいう、流星が帝座星に抵触するは、諸侯はまさに兵を起こし、臣下は君主を図謀せん。あるいは貴人ありて擅りに政令を変更す。応期は一年。帝座は天市垣の中の天帝の居する位で、流星がそれを犯すは、最も君臣の間の僭越に応ず。

流星犯候 十五

《聖洽符》曰:“流星抵候星,有兵起,近臣相攻;夷狄內侵;王者有憂。”

《聖洽符》にいう、流星が候星に抵触するは、兵事の興起あり、君主の近臣は互いに攻訐し、夷狄は内地に侵入し、君王に憂患あり。候星はもともと候望・伺察を主る。それが一たび侵犯せられれば、内外の警備はすなわち皆失う。

流星犯宦者 十六

齊伯曰:“流星入宦者,左右臣不寧,若有憂;一曰當有被黜者,期一年。”

斉伯はいう、流星が宦者星に進入するは、君主の左右の近侍は安寧を得ず、あるいは憂患あり。もう一説は当中に人ありて貶黜せらるるべし、応期は一年。

流星犯斗星 十七

郗萌曰:“流星抵斗星,權量不平,市吏有憂;一曰五穀貴,斗不用事。”

郗萌はいう、流星が天市垣の中の斗星に抵触するは、権衡・量器は公平ならず、市易を管理する官吏に憂患あり。もう一説は五穀の価は貴しく、斗斛の量は形同して虚設し、用場に派さず。

流星犯宗正 十八

《海中占》曰:“流星入宗正,左右貴臣多死,若帝宗后族有黜者,期百八十日,遠一年。”

《海中占》にいう、流星が宗正星に進入するは、君主の左右の貴臣は死亡多く、あるいは皇族・宗室と后族の中に貶黜せらるるあり、応期は百八十日、遠ければ一年。

流星犯宗人 十九

《甄曜度》曰:“流星入宗人,親戚臣為亂,若宗中有變事,親戚離別,期不出年。”

《甄曜度》にいう、流星が宗人星に進入するは、身が親戚たる臣子はまさに乱を作し、あるいは宗族の中に変故が発生し、親戚は彼此に離散・分別し、応期は一年を出ず。

流星犯宗星 二十

《玄冥》曰:“流星抵宗星,王者宗族不相親,宗室相疑,以親為疏。”

《玄冥占》にいう、流星が宗星に抵触するは、君王の宗族の間は再び親睦せず、宗室は彼此に猜疑し、もとは至親なるに、反って疏遠の外人と作して看待す。

流星犯東咸 二十一

《黃帝占》曰:“流星入抵東咸,后出入不得時,淫泆自恣;一曰女主亂宮,王者憂;期一年,遠二年。”

《黄帝占》にいう、流星が飞入して東咸星に抵触するは、皇后の出入りは時宜に合せず、淫佚・放縦して任意に妄為す。もう一説は女主が宮廷を擾乱し、君王に憂患あり。応期は一年、遠ければ二年。

流星犯天江 二十二

石氏曰:“流星入天江,有大水,河海溢,人民飢。”

石申はいう、流星が天江星に進入するは、まさに大水あるべく、江河と海水は泛濫・漫溢し、百姓は饑荒を遭う。天江はもともと水道・津梁を主る。ゆえにそれが犯せられれば専ら水患に応ず。

流星犯建星 二十三

《玉曆》曰:“流星入建星,關道不通,若有使來者;一曰兵起,四塞民多盜賊,不出三年。”陳卓曰:“流星入建星,天下謀亂,赤者昌。”

《玉曆》にいう、流星が建星に進入するは、関隘の道路は阻塞して通ぜず、あるいは使者の到来あり。もう一説はまさに兵を興し、四方の辺塞の百姓は盗賊多く、三年を出ず。陳卓はいう、流星が建星に進入するは、天下に人ありて謀反し乱を作す。もし流星の顔色が赤に発すれば、すなわちあの一方は反って昌盛す。

流星犯天弁 二十四

甘氏曰:“流星入天弁,糴大貴,人民飢;若抵犯之,有兵起,將士行,期二年。”

甘徳はいう、流星が天弁星に進入するは、糴価(糧食を買い入れる価銭)は大いに漲り、百姓は饑饉す。もしこれが抵触し侵犯するは、すなわち兵事の興起あり、将士は出行し、応期は二年。天弁はもともと天市垣の中の市易を主る星官である。ゆえにそれが犯せられれば先ず糧価の上に応ず。

流星犯河鼓 二十五

《海中占》曰:“流星入河鼓,有兵起,大將出;若抵之,有死將,隨其所犯將當之,期一年,遠二年;大星,為大將;小星,為小將。”郗萌曰:“使星入河鼓,大將亡其旗鼓。”石氏曰:“流星出河鼓,兵出;入河鼓,兵入。”又曰:“流星入河鼓,所入將驚死;出河鼓,所出將廢。”

《海中占》にいう、流星が河鼓星に進入するは、兵事の興起あり、大将は出師す。もしこれがそれに抵触するは、すなわち将領の陣亡あり、それが侵犯したはいずれの一顆なるかに按じて、すなわち相応するあの位の将領が承当し、応期は一年、遠ければ二年。大星は大将の身の上に応じ、小星は偏将の身の上に応ず。郗萌はいう、使星が河鼓に進入するは、大将はまさにその旗鼓を丟失せん。石申はいう、流星が河鼓より飞出するは、兵馬の出境で、河鼓に飞入するは、兵馬の入境である。またいう、流星が河鼓に飞入するは、入る所の処の将領はまさに驚懼して死せん。河鼓より飞出するは、出る所の処の将領はまさに罷廃せられん。

《宋書天文志》曰:“宋明帝太始二年六月巳卯,竟夜有流星百餘,西南行,有一大如甌,尾大餘黑色,從河鼓出,南行至尾沒,占曰:天下鼓出,其年四方反叛,內兵出,大帥親戎。”

《宋書・天文志》に記す、宋の明帝の泰始二年六月己卯に、整整たる一夜に百余の流星ありて西南に向かって飛行し、その中の一つの大きさは甌に似て、尾部は粗大にして黒色を呈し、河鼓より飞出し、南に向かって尾宿に飞至して隠没した。占辞にいう、天下は戦鼓斉く鳴り、この年に四方は反叛し、内地は兵を出し、主帥はまさに自ら兵を領して作戦せん。

流星犯離珠 二十六

《聖洽符》曰:“流星入離珠,兵宮中起,其宮人有罪及誅者。”

《聖洽符》にいう、流星が離珠星に進入するは、兵禍は宮中に起こり、そこの宮人に罪を獲て誅殺せらるるに至るあり。離珠はもともと後宮の珠玉・服玩を主る。ゆえに災応は宮人の身の上に落つ。

流星犯匏瓜 二十七

齊伯曰:“流星入匏瓜,天下有憂,若有獻果者;中有藥,不可食,防備之,期百八十日。”《甄曜度》曰:“流星出匏瓜,食官有憂;一曰魚鹽價千倍。”

斉伯はいう、流星が匏瓜星に進入するは、天下に憂患あり、あるいは人ありて果品を進献す。果の中に毒薬を掺し、食用すべからず、防備を加えるを須う、応期は百八十日。《甄曜度》にいう、流星が匏瓜より飞出するは、膳食を掌管する官に憂患あり。もう一説は魚塩の価銭はまさに上千倍に漲らん。

流星犯天津 二十八

《帝覽嬉》曰:“流星入漢中而不出,士卒不可以涉;星若絕漢,即可涉;三日內雨則不吉。”石氏曰:“流星入天津,必有大使,隨星所之,期一年。”《海中占》曰:“流星入天津,水道不通,梁塞若津渡有憂。”

《帝覧嬉》にいう、流星が天河(銀漢)の中に飞入して再び飞出せざるは、士卒は水を渉り河を渡るべからず。星がもし天河を横断して過ぎれば、すなわち渡るべし。三日の内に雨が降れば、すなわち不吉利なり。石申はいう、流星が天津星に進入するは、必ず大使の出行あり、星の去る方向に随って応験し、応期は一年。《海中占》にいう、流星が天津に進入するは、水道は通ぜず、橋梁は堵塞し、あるいは渡口に憂患あり。

石氏曰:“流星出北斗,人主使於諸侯。”郗萌曰:“流星入漢中不出,軍不可渡水,先渡者不還。”又曰:“使星入河津,有大眾行者。”《荊州占》曰:“流星入漢中,貴人有戮死者,若溺死。”

石申はいう、流星が北斗より飞出するは、君主はまさに使者を派して諸侯の彼処に往かしめん。郗萌はいう、流星が天河の中に飞入して出でざるは、軍隊は水を渡るべからず、先んじて河を渡る人は帰り来らず。またいう、使星が河津に進入するは、大批の人馬のまさに出行するあり。《荊州占》にいう、流星が天河の中に飞入するは、貴人の中に誅殺せらるるあり、あるいは淹死するあり。

流星犯螣蛇 二十九

《玄冥》曰:“流星入螣蛇,雨水為害,魚鹽貴,水物不成,期不出年。”

《玄冥占》にいう、流星が螣蛇星に進入するは、雨水は災を成し為害し、魚と塩の価銭は騰貴し、水中に出産する物は皆長じ成ること能わず、応期は一年を出ず。

流星犯王良 三十

《文曜鉤》曰:“流星入王良,天下有急,關津不通;有兵起,及牛馬多死。”陳卓曰:“流星入王良,天下兵盡起。”

《文曜鈎》にいう、流星が王良星に進入するは、天下に緊急の事あり、関隘と渡口は阻塞して通ぜず。兵事の興起あり、しかも牛馬の死亡多し。陳卓はいう、流星が王良に進入するは、天下の兵馬は全てまさに起こらん。王良はもともと善く御する臣・車騎を主る星である。ゆえにそれが犯せられれば兵馬の上に応ず。

流星犯閣道 三十一

巫咸曰:“流星入閣道,王者有憂,左右有謀,道中有伏兵,若道不通,期百十日,遠一年。”

巫咸はいう、流星が閣道星に進入するは、君王に憂患あり、左右の近臣は心に図謀を懐き、道路の中に埋伏する兵あり、あるいは道路は阻塞して通ぜず、応期は百一十日、遠ければ一年。閣道は天子の出行の複道である。ゆえに専ら行幸の途中の安危に応ず。

流星犯附路 三十二

《帝覽嬉》曰:“流星抵附路,太僕有憂,若馬多死,若馬大出,期二年。”

《帝覧嬉》にいう、流星が附路星に抵触するは、太僕に憂患あり、あるいは馬匹は大批に死亡し、あるいは馬匹は大批に出動し、応期は二年。附路は閣道に緊く挨き、太僕は輿馬を掌管す。ゆえに災応はすなわち馬政の上に落つ。

流星犯天将軍 三十三

《黃帝占》曰:“流星入天將軍,大將出,士卒用;若抵犯之,將有憂;星所之,兵所來,期三年。”石氏曰:“流星入天將軍,大將驚出。”

《黄帝占》にいう、流星が天将軍星に進入するは、大将はまさに出師し、士卒はまさに征調・動用せん。もしこれが抵触し侵犯するは、将領に憂患あり。星の飞向する方位は、すなわち兵馬の来犯する方位で、応期は三年。石申はいう、流星が天将軍に進入するは、大将はまさに驚惶して出動せん。

(案司馬彪《天文志》曰:孝和永元元年正月辛卯,有流星起參,長四丈,有光,色黃白。二月,流星起天棓,東北行,三丈,所滅色青白。壬申夜,有流星起太微東蕃,長三丈。

原書の案語にいう、司馬彪《続漢書・天文志》に記す、漢の和帝の永元元年正月辛卯に、流星ありて参宿に起こり、長さ四丈、光あり、顔色は黄白。二月に、流星ありて天棓に起こり、東北に向かって三丈飛行し、熄滅する時の顔色は青白。壬申の夜に、流星ありて太微垣の東藩に起こり、長さ三丈。この段の案語は前の参宿の条の下に引く所と同じ一事で、ここに重出す。案語の文字は本分片の末尾に至って中断し、未完の部分は次の分片に見る。

三月丙辰,流星起天津。壬戍,有流星起天將軍,東北行。參為邊兵,天棓為兵,太微為天庭,天津為水,天將軍為兵,流星起之為兵。其六月,漢車騎將軍竇憲執金吾,耿康度遼,將軍鄧陟出朔方,並進,兵臨私渠北鞮海,斬虜首萬餘級,獲生口牛馬羊百萬差別,日逐王至西海,是歲七月,又雨水,漂人民也。)

この年の三月丙辰の日に、流星ありて「天津」の星官より升起し、壬戌の日に、また流星ありて「天将軍」の星官より升起し、東北方に向かって飞去した。星占の分職に按じて講えば、「参宿」は辺地の屯兵を主り、「天棓」は兵戈を主り、「太微」は天上の朝廷で、「天津」は水道を主り、「天将軍」は兵事を主る。流星がこの幾処より発起するは、いずれもまさに干戈を動かすの征兆である。この年の六月に到りて、漢朝の車騎将軍の竇憲・執金吾の耿康・度遼将軍の鄧陟は朔方より出師し、幾路も併進し、兵鋒は直ちに私渠北鞮海に抵り、敵虜の首級一万余を斬り得て、俘獲の人口と牛馬羊は各々百万を以て計り、多寡は等しからず、日逐王は一に西海に退いた。この年の七月に、また大雨を下り水を積み、百姓の廬舎・田産を皆漂没した。以上の一段は上文を承接する原書の小注で、漢代の実例を挙げて以て前の占辞を験証す。

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