歳星與填星相犯 二
石氏曰:“地侯雌雄,所出之宿國,亡地;所入之宿國,得地。地侯為雌,歲星為雄。郗萌曰:“填星干木星,野有兵相攻。填星所在,歲星從之,伐者利。”《荊州占》曰:“歲星所在,填星從之,伐者不利;又曰歲星土星,皆出東方,夕入西方,百九十日皆正中者,兵發東方國勝,當入不入,反東行九十日正中者,當發兵主死,人民流亡。”
石氏がいう、「地侯」は填星(土星)の別名なり、それは歳星と雌雄を分かつ。填星の離れたるあの一宿は、その分野の国は土地を喪失し、それの進入したるあの一宿は、その分野の国は土地を獲得す。地侯は雌と為り、歳星は雄と為る。郗萌がいう、填星が木星(歳星)を干犯すれば、原野の上に兵馬ありて交攻す。填星の所在する位置に、歳星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐する一方は利あり。《荊州占》にいう、歳星の所在する位置に、填星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐する一方は利なし。またいう、歳星と土星とが皆東方より出現し、傍晚に西方に没し、一百九十日の内は皆正しく天中に当たるは、東方の国が兵を発せば勝を得ん。当に没すべき時に到りて没せず、反りて東行して九十日もなお正しく天中に当たるは、則ち兵を発する一方の主将はまさに死せんとし、人民は流亡せん。
《文曜鉤》曰:“填星與木星合,則變謀更事,主且失勢。”石氏曰:“地侯與攝提所合之宿,大戰不勝亡地主死。”甘氏曰:“歲星土星合,則為內亂。”(按《宋書天文志》曰:“惡光熙元年九月填星犯歲星,是時司馬越專權,終以無禮晉簡文帝。咸安二年正月己酉,歲星犯填星在須女,七月帝疾甚,詔桓溫曰:少子可輔則輔之,不可輔君自取之。顏侍中王坦之毀手詔,改使為王導輔政,故事溫聞之,大怒將誅坦之等,內亂之應也。安帝義熙七年丁卯,歲星犯填星,在參邊,時朱齡石克蜀,蜀民人尋反,又討滅之。)
《文曜鈎》にいう、填星と木星(歳星)とが會合すれば、則ち謀劃を改変し・辦する所の事を更換し、君主はまさに勢いを失わんとす。石氏がいう、地侯(填星)と摂提星とが會合するあの一宿は、その分野は大戦して勝を得る能わず、土地を喪失し、国主は死去す。甘氏がいう、歳星と土星とが會合すれば、内乱を主る。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の恵帝・光熙元年九月に填星は歳星を侵犯せり。当時司馬越は朝政を専擅し、終に君上に對して無礼なりき。晋の簡文帝・咸安二年正月己酉の日、歳星は填星を侵犯し、位置は須女宿に在りき。七月に簡文帝は病しく重し、詔を下して桓温に對していわく、小兒子は輔佐する可ければ彼を輔佐し、輔佐する可からざれば爾は自らこれに取代われ、と。侍中・王坦之は当に面してこの手詔を撕毀し、改めて王導に輔政せしむるに成り(ここ人名、底本は疑わしく訛誤あらん)。桓温は聞きての後に大怒し、王坦之らを誅殺せんことを打算す、則ちこれ内乱の応験なり。晋の安帝・義熙七年丁卯、歳星は填星を侵犯し、位置は参宿の旁に在りき。当時朱齢石は蜀地を攻克し、蜀地の民衆は随いて反叛し、朝廷はまた兵を出でて彼らを討平せり、と。
郗萌曰:“歲星填星合於張者,則太陽晝;太陽晝者,天必有變,不傷為政者,則害於民。又曰井泉高則平原出雲,歲不調和,貴人多內亂,有大水。又曰天下易令,民流千里,魚鱉死於陸,道民憂盜賊。又曰歲星與土星合,不過十日離;十日不離,天禍且降,不義者乃合之,其禍甚久。”《天官書》曰:“歲星與木合,亂飢生,勿用戰,必敗。”
郗萌がいう、歳星と填星とが張宿に會合すれば、則ち「太陽昼」の異象を出現せん。いわゆる太陽昼とは、白日の中に天上に必ず変異あるを謂い、若し執政の人に傷つかざれば、まさに百姓を危害せんとす。またいう、井中の泉水は上漲し・平原は雲気を升起し、年成は調わず、貴人の間に内乱多く、還って大水あらん。またいう、天下はまさに政令を更改し、百姓は千里に流亡し、魚鱉は陸地上に死し、路上の百姓は盗賊を憂懼せん。またいう、歳星と土星とが會合すれば、一般に十天を超過せずして分かれる。十天にしてなお分かれざれば、上天の災禍はまさに降り下さんとし、不義の人は正しくこれと相合し、あの禍患は拖えて甚だ久しからん。《天官書》にいう、歳星と木星とが會合すれば——歳星はもと即ち木星なり、この句の底本の文字は当に訛誤あるべし——禍乱と飢饉とが発生し、兵を用い作戦するを用うる勿れ、必ず失敗せん。
《荊州占》曰:“歲星與填星同舍,相去三尺以內,相守二十日以上至百九十二日,其國更主,立王。天下大爭,大臣相殘,王者易統,天下存亡半其守;夕逆行而復相守,以所近之宿位當之,相守一年,期三年。歲星填星合,以合日占其國;色蒼為水,赤為兵,黃為旱,白為喪。歲星與填星合,其國熟,若主吏死。
《荊州占》にいう、歳星と填星とが同じく一個の宿舍に在り、相距ること三尺以内にして、互相に停守すること二十日以上にして一百九十二日に至れば、あの一分野の国はまさに君主を更換し・新王を別立せん。天下は大いに争闘を起こし、大臣は互相に殺し合い、王者は正統を更換し、天下の存亡は各々半を占め、それらの相守する情形を看るに在り。若し傍晚に逆行してまた重ねて相守れば、則ちそれらの靠近する宿位の分野によって承当せしめ、相守すること一年に満てば、期は三年に応ず。歳星と填星とが會合すれば、會合の当日の日辰によって応ずる所はいずれの国かを占すべし。星の色が青を発すれば水災を主り、赤を発すれば兵事を主り、黄を発すれば旱災を主り、白を発すれば丧事を主る。歳星と填星とが會合すれば、あの一分野の国は庄稼が成熟し、あるいは事を主る官吏の死去するを主る。
填星與歲星合,相犯為內亂,不可舉用兵,土在木下,利為主人,土為木上,利為客。六十日不下,其國凶,失地。填星與歲星合一舍,歲星在下,填星在上,名曰雌雄間,客軍大破主人勝,在下六十日,不下,必有空邦徙主;填星為雌,歲星為雄。填星為歲星合,為飢、為旱、為兵,填星與歲星合,有軍在外,戰不勝,失地。”巫咸曰:“填星與歲星斗,不出其年,王者亡地,將軍死之。”
填星と歳星とが會合し、互相に侵犯するは内乱を主り、兵を発する可からず。土星が木星の下方に在れば、拠守する主人の一方に利あり。土星が木星の上方に在れば、遠来の客軍の一方に利あり。六十日を過ぎて填星がなお下移せざれば、あの一分野の国に凶事あり、まさに土地を喪失せん。填星と歳星とが同一の宿舍に會合し、歳星が下に在り・填星が上に在れば、これを「雌雄間」と謂い、客軍は大敗して主人は勝を取る。填星が下方に在ること六十日に満ち、若しなお下移せざれば、必ず国家の空虚・君主の遷徙するの事あらん。填星は雌と為り、歳星は雄と為る。填星と歳星とが會合すれば、飢饉を主り・旱災を主り・兵事を主る。填星と歳星とが會合し、若し軍隊の境外に在るあれば、作戦は勝を得る能わず、還って土地を喪失せん。巫咸がいう、填星と歳星とが相闘えば、当年を出でずして、王者は土地を喪失し、将軍はこれがために戦死せん。
《荊州占》曰:“歲星與填星斗,此謂離德,不出三月,必有亡國。歲星逢填星,曰斗;先作事者敗,兵起必受其殃。歲星填星數合斗,使客接道,冠蓋相望,其下國哭泣,期不出六十日。歲星填星斗,其色青為喪;赤為兵。白為旱;黑為水潦。填星與歲星合斗,有軍必戰,無軍起兵,土木交行,必有破傷。”
《荊州占》にいう、歳星と填星とが相闘うは、これを「離徳」と謂い、三か月を出でずして、必ず国家の滅亡するあらん。歳星が填星に遇上るを、「闘」と謂う。先に手を動かし事を行う一方は失敗し、兵を興せば必ず災殃を招来せん。歳星と填星とが屡屡會合して相闘えば、使者と賓客とは道に往来し、冠蓋は絡繹として相望み、あの一分野の国に哭泣の事あり、期は六十日を出でずに応ず。歳星と填星とが相闘い、星の色が青を発すれば丧事を主り、赤を発すれば兵事を主り、白を発すれば旱災を主り、黒を発すれば水涝を主る。填星と歳星とが會合して相闘えば、軍隊あれば則ち必ず交戦し、軍隊なきもまた兵を起こさんとす。土と木とが交錯して行くは、必ず破敗・傷損あらん。
歳星與太白相犯 三
巫咸曰:“太白犯木星,為飢。期三年。”(按《宋書天文志》曰:晉孝武太元十年十二月己丑,太白犯歲星,是時河朔禾一連。兵在外,冬大飢之應。)《荊州占》曰:“太白犯歲星,為旱,為兵,若環繞與之並光,有兵戰,破軍,殺將。”石氏曰:“太白與歲星相犯而有滅者,諸侯相滅所宿之國受之。”甘氏曰:“歲星干金星,軍再死再生,殺大將。”《荊州占》曰:“太白入木星次中,君賊死。”
巫咸がいう、太白(金星)が木星(歳星)を侵犯すれば、飢饉を主り、期は三年に応ず。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、東晋の孝武帝・太元十年十二月己丑の日、太白は歳星を侵犯せり。当時黄河以北は禾稼が歉収し、兵馬はまた境外に在り、正しく冬天の大飢饉の応験なりき、と。《荊州占》にいう、太白が歳星を侵犯すれば、旱を主り・兵を主る。若し歳星を環繞してそれと光芒を併耀せば、則ち兵戦あり、軍を破り将を殺さん。石氏がいう、太白と歳星とが互相に侵犯して一方の光芒の掩滅せらるるあるは、諸侯の間の互相に吞滅するを主り、所在する宿次の分野の国に由りて承受せん。甘氏がいう、歳星が金星を干犯すれば、軍隊は死して復た生き・反覆して再び三たびし、主将は殺せらるるを主る。《荊州占》にいう、太白が木星(歳星)の所在する星次の中に進入すれば、国君の賊人に殺せらるるを主る。
《海中占》曰:“太白出歲星北,客利;歲星出太白北,主人利。”《荊州占》曰:“太白環繞歲星,有亡主。”甘氏曰:“太白與歲星並,太白在南,歲星在北,名曰牝牡相承,五穀成熟;太白在北,歲星在南,年或有或無,歲不熟,飢。”(晉灼曰:歲星陽,太白陰,故曰牝牡;又曰太白在歲星南,以兵飢,在歲星北,以水飢,一曰有亡國。)
《海中占》にいう、太白が歳星の北に出現すれば、遠来の客軍は利あり。歳星が太白の北に出現すれば、拠守する主人は利あり。《荊州占》にいう、太白が歳星を環繞すれば、君主の敗亡を主る。甘氏がいう、太白と歳星とが並列し、太白が南に在り・歳星が北に在れば、これを「牝牡相承」と謂い、五穀は成熟す。太白が北に在り・歳星が南に在れば、年成は時に有り時に無く、庄稼は熟せず、飢饉を鬧す。原書小注に晋灼を引いていう、歳星は陽に属し、太白は陰に属す、故に牝牡と謂う。またいう、太白が歳星の南に在れば、兵禍に因りて飢ゆ。歳星の北に在れば、水患に因りて飢ゆ。別の一説には国家の滅亡するあるなり、と。
又曰:“歲星太白相去尺,若不能天下有兵,不出四旬中,戰。色青,則東方勝;赤,則南方勝;黃,即中央勝;白,則西方勝。黑,則北方勝。歲星所在,太白從之,伐者利,有功;太白所在,歲星從之,伐者不利,無功。歲星與太白相遇,有兵兵罷。太白與歲星過,木金也,命曰伐其野戰。入太白中,次中大將必死。太白歲星俱出東方,若併入西方,王者亡地。”
またいう、歳星と太白とが相距ること一尺にして、若し両星は相容るる能わざれば、天下はまさに兵事あり、四十日の内を出でずして交戦せん。星の色が青を発すれば、東方は勝を獲す。赤を発すれば、南方は勝を獲す。黄を発すれば、中央は勝を獲す。白を発すれば、西方は勝を獲す。黒を発すれば、北方は勝を獲す。歳星の所在する位置に、太白が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利あり、戦功を立つる能し。太白の所在する位置に、歳星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利なし、戦功なし。歳星と太白とが相遇うは、兵事ありと雖もまた兵を罷めん。太白と歳星とが相過ぐるは、これ木と金との相犯するにして、これを「伐」と謂い、その分野に野戦あるを主る。歳星が太白の中に進入し、星次の当中に進み入れば、大将は必ず死せん。太白と歳星とが一同に東方より出現し、あるいは一同に西方に没入すれば、王者は土地を喪失せん。
《洪範傳》曰:“金木舍於觜,為白衣之會。”《黃帝占》曰:“歲星與太白合,為飢、為疾、為內兵。”《文耀鉤》曰:“太白與木合光,大戰不勝,兵雖起,不成。”《天宮書》曰:“不斗,合相毀,野有破城。”《荊州占》曰:“歲星太白合光,所合之野、謀兵,其相環也,乍居西,乍居東,有逐相,兵起不戰。又曰歲星犯太白,為訴死,外將軍慎之;無將軍不出四十日拜將軍,期九十日。歲星與太白同光,殺大將,相去一尺,天下治兵,不出四十日。”
《洪範伝》にいう、金星と木星とが觜宿に同宿すれば、身に素服を穿く丧会あるを主る。《黄帝占》にいう、歳星と太白とが會合すれば、飢饉を主り・疾疫を主り・内部の兵乱を主る。《文曜鈎》にいう、太白と木星とが光芒を相合すれば、大戦して勝を得る能わず、兵事は興起すと雖も、また成就する能わざるなり。《天官書》にいう、両星が相闘わず、ただ會合して互相に毀損するは、原野の上に城池の攻破せらるるあるを主る。《荊州占》にいう、歳星と太白とが光芒を相合すれば、合する所の分野に興兵の図謀あり。両星が互相に環繞し、忽ち西に居り・忽ち東に居れば、宰相の駆逐せらるるを主り、兵事は起こるも交戦せざるなり。またいう、歳星が太白を侵犯すれば、人ありて訟に死するに至るを主り、外に在る将軍は謹慎すべし。国中に将軍なからば、四十日を出でずして則ち将を拝し、期は九十日に応ず。歳星と太白との光色が相同じければ、大将の殺せらるるを主る。相距ること一尺なれば、天下は兵備を整治し、四十日を出でず。
石氏曰:“太白與歲星合於一宿,西方凶;歲星出左有年,出右無年;合之日以知五穀之有無。”(陳卓曰:甲乙為麥,丙丁為黍,戌己為粟,庚辛為稻,壬癸為豆。)巫咸曰:“太白與木星合,有白衣之會,為水。”
石氏がいう、太白と歳星とが同一の宿に會合すれば、西方に凶事あり。歳星が太白の左辺に出現すれば、年成は好し。右辺に出現すれば、年成は好からず。會合のあの日の日辰より以て則ち五穀の豊歉を知る可し。原書小注に陳卓を引いていう、會合が甲乙日のは麦に応じ、丙丁日のは黍に応じ、戊己日のは粟に応じ、庚辛日のは稲に応じ、壬癸日のは豆に応ず、と。巫咸がいう、太白と木星(歳星)とが會合すれば、身に素服を穿く丧会あるを主り、また水患を主る。
《荊州占》曰:“歲星與太白合,為喪;歲星與太白同舍,相去三尺以內,七寸以外,金木不當同舍,七日以上,王者誅將軍,其歲星往犯太白,為誅死,國有將軍慎之,乘犯於外官之中,則外將軍慎之,乘犯於內官之中,內將軍慎之;其國無將軍而犯太白,不出四十日,拜將,期九十日。歲星與太合於西方,木在金位,命曰伐,其國凶,為白依之會;木在金北,年不熟。歲星與太白合,其分兵起。”
《荊州占》にいう、歳星と太白とが會合すれば、丧事を主る。歳星と太白とが同じく一個の宿舍に在り、相距ること三尺以内・七寸以外——金と木とはもと同じく一舍に処るべからず——七天以上に達すれば、王者はまさに将軍を誅殺せん。若し歳星が前去りて太白を侵犯すれば、人ありて誅せられて死するを主り、国中に将軍あるは則ち謹慎すべし。乗凌・冲犯が外官の諸星の中に発生すれば、則ち外任の将軍は謹慎すべし。内官の諸星の中に発生すれば、則ち内廷の将軍は謹慎すべし。あの国家に将軍なくして歳星が太白を犯せば、四十日を出でずして則ち将を拝し、期は九十日に応ず。歳星と太白とが西方に會合するは、木が金の位置に進入するにして、これを「伐」と謂い、あの一分野の国に凶事あり、素服の丧会あるを主る。木が金の北に在れば、年成は熟せず。歳星と太白とが會合すれば、あの一分野はまさに兵を興さん。
(按《宋書天文志》曰:魏明帝太和四年十一月壬戌,太白犯歲星,五年三月,諸葛亮以大眾寇天水,遣大將軍司馬懿拒,退之。惡元帝大興元年八月乙未,太白又犯歲星,三年六月丙辰,太白與歲星合。永昌元年三月,王敦率江荊之眾來次京都,大軍拒戰敗績,於是殺護將軍周凱,尚書令刁歷縹騎將軍戴淵又鎮北將軍劉隗出奔,四月又殺湘州刺史譙王承鎮南將軍甘卓。《晉陽秋》曰:孝武寧康二年二月丙申,太白犯歲星,太元元年九月,元帥符堅屠諒州,擄刺史西平侯張天錫。冬十月,車騎桓伊遣軍泛舟淮泗,以救諒州,又發二州員吏,移積流民,患置淮南。太元五年辛卯,歲星與太白相犯於東井,十二月元帥符堅圍襄陽。)
原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、魏の明帝・太和四年十一月壬戌の日、太白は歳星を侵犯せり。太和五年三月、諸葛亮は大軍を率い天水を進犯し、魏は大将軍・司馬懿を派して抵御し、彼を逼退せしめき。晋の元帝・大興元年八月乙未の日、太白はまた歳星を侵犯せり。大興三年六月丙辰の日、太白と歳星とは會合せり。永昌元年三月、王敦は江州・荊州の兵衆を率領して京城を進逼し、朝廷の大軍は迎戦して敗れ、是に護軍将軍・周顗・尚書令・刁協・驃騎将軍・戴淵を殺し、鎮北将軍・劉隗は出逃せり。四月にまた湘州刺史・譙王・司馬承・鎮南将軍・甘卓を殺せり、と。《晋陽秋》にいう、孝武帝・寧康二年二月丙申の日、太白は歳星を侵犯せり。太元元年九月、前秦の国主・苻堅は涼州を攻屠し、刺史・西平侯・張天錫を俘獲せり。この年の冬十月、車騎将軍・桓伊は軍隊を派して淮水・泗水を泛舟して前りて涼州を救援せしめ、また二州の属吏を徴発し、流民を遷移・聚集し、淮南に安置せり。太元五年辛卯、歳星と太白とが東井宿にて互相に侵犯せり。十二月、苻堅は襄陽を囲攻せり、と。
《荊州占》曰:“太白居歲星南,南國敗;居歲星北,北國敗。歲星出,隨太白於西方,相遠,天下無兵。太白與歲星合,未至,太白從歲星疾,主人急憂,失城;歲星從太白疾,客急。太白與歲星合,其國有謀兵;一曰金木合於一舍,其分有蝗;太白與木星會相去五尺,戰;三尺,有破軍;二尺,拔國;光芒相及,大亂;其分民飢,兵起。”
《荊州占》にいう、太白が歳星の南に居れば、南方の国は敗る。歳星の北に居れば、北方の国は敗る。歳星が出現し、太白に随いて西方に行き、両星の相距ること甚だ遠ければ、天下に兵事なし。太白と歳星とがまさに合せんとして未だ合せざるの時、若し太白が歳星を追趕して行くこと急なれば、拠守する主人の一方に緊急の憂患あり、まさに城池を失掉せんとす。若し歳星が太白を追趕して行くこと急なれば、遠来の客軍の一方は吃緊せん。太白と歳星とが會合すれば、あの一分野の国に興兵の図謀あり。別の一説には金と木とが同一の宿舍に會合すれば、あの一分野に蝗災あるなり。太白と木星とが相會し、相距ること五尺なれば、交戦を主る。相距ること三尺なれば、軍隊の撃破せらるるを主る。相距ること二尺なれば、城国の攻陷せらるるを主る。両星の光芒が互相に触及すれば、大乱を主り、あの一分野の百姓は飢饉し、兵事は興起せん。
司馬彪《天文志》曰:“歲星與太白斗,其野有破軍,國有內亂。”《荊州占》曰:“歲星與太白斗西方,八日兵起,不則八歲兵起,有流血其下。”《黃帝占》曰:“太白與歲星斗,強國易相。”石氏曰:“太白與歲星斗所在之國,有內亂。”《文耀鉤》曰:“太白與歲星斗,將軍殺;若軍在外,破軍、殺將;有夷狄害。”巫咸曰:“太白與歲星斗,名雄,無戈兵。太白與木星合斗,兵在外為亂。”
司馬彪《続漢書・天文志》にいう、歳星と太白とが相闘えば、あの一分野に軍隊の撃破せらるるあり、国中に内乱あり。《荊州占》にいう、歳星と太白とが西方にて相闘えば、八日の内に兵を興す。若し八日に非ざれば、則ち八年の内に兵を興し、彼処はまさに血を流さんとす。《黄帝占》にいう、太白と歳星とが相闘えば、強国は宰相を更換せんとす。石氏がいう、太白と歳星とが相闘えば、所在の分野の国家に内乱あり。《文曜鈎》にいう、太白と歳星とが相闘えば、将軍は殺せらるる。若し軍隊が境外に在れば、則ち軍を破り将を殺し、還って夷狄の害と為るあり。巫咸がいう、太白と歳星とが相闘い、太白は雄星と称して、占して兵戈の事なきと為す。太白と木星(歳星)とが會合して相闘えば、軍隊の境外に在るはまさに作乱せんとす。
《荊州占》曰:“太白與歲星斗,相亂,有滅諸侯,人民離其鄉;一曰民多死者。歲星逢太白,曰斗,有土功,歲旱,天下大飢;先舉兵不勝,必受其殃。太白與歲星合斗於東方,有兵於外,必有戰鬥。於西方,必有亡國,死王,白衣之會。”
《荊州占》にいう、太白と歳星とが相闘い、彼此に擾乱すれば、諸侯の消滅せられ・人民は故郷を離るるを主る。別の一説には百姓の死亡の众多なり。歳星が太白に遇上るを、「闘」と謂い、土木の工の興動し・年成の干旱し・天下の大いに飢うるを主る。先に兵を発する一方は勝を得る能わず、必ず災殃を承受せん。太白と歳星とが東方にて會合して相闘えば、境外に兵あり、必ず戦闘の発生せん。西方にて會合して相闘えば、必ず国家の滅亡・君王の死去あり、還って身に素服を穿く丧会あらん。
歳星與辰星相犯 四
司馬彪《天文志》曰:“辰星犯歲星,為兵。”《荊州占》曰:“辰星與歲星合而犯之,為隕霜;若合而斗,其國亂。歲星與辰星合,相去七寸,則交芒相接,七日以上至二十日,天下民流水,泉湧出,期三年;一曰有女喪。”郗萌曰:“歲星干辰星,冬洩疾。”《荊州占》曰:“歲星掩辰星,客將死,期不出其年。”《黃帝占》曰:“歲星與辰星合,則為變謀而更事,國多水,民飢。”
司馬彪《続漢書・天文志》にいう、辰星(水星)が歳星(木星)を侵犯すれば、兵事を主る。《荊州占》にいう、辰星と歳星とが會合してまたそれを侵犯すれば、降霜を主る。若し會合して相闘えば、あの一分野の国はまさに乱れんとす。歳星と辰星とが會合し、相距ること七寸なれば、両星の芒角は則ち交接・相触し、このごとく持続すること七天以上にして二十天に至れば、天下の百姓は流亡し、泉水は地面に涌出し、期は三年に応ず。別の一説には女子の丧あるなり。郗萌がいう、歳星が辰星を干犯すれば、冬に泄瀉の疾の流行するを主る。《荊州占》にいう、歳星が辰星を掩えば、遠来の客軍の将領はまさに死せんとし、期は当年を出でずに応ず。《黄帝占》にいう、歳星と辰星とが會合すれば、則ち謀劃を改変し・辦する所の事を更換し、あの国家は水患多く、百姓は飢饉せん。
《荊州占》曰:“歲星與辰星合舍,相去三尺,相守七日以上,其國君臣俱和,道德相生;期百八十日,有衣榮。歲星與辰星合,先起兵者凶,後起兵者吉。辰星與歲星合,其分有水,兵飢並起。”甘氏曰:“歲星與辰星合、斗,軍在外則有戰兵,兵不在外為內亂。”郗萌曰:“歲星辰星斗,滅之,殺大將;薄之、貫之,殺偏將。”《荊州占》曰:“歲星與免星斗,將軍死,期一年。”
《荊州占》にいう、歳星と辰星とが同一の宿舍に會合し、相距ること三尺にして、互相に停守すること七天以上なれば、あの一分野の国は君臣は和睦し、道徳は互相に滋生す。期は一百八十日に応じ、加官・進服の栄顕の事あらん。歳星と辰星とが會合すれば、先に兵を起こす一方は凶、後に兵を起こす一方は吉なり。辰星と歳星とが會合すれば、あの一分野に水患あり、兵禍と飢饉とが一同に興起せん。甘氏がいう、歳星と辰星とが會合し・相闘えば、軍隊が境外に在れば則ち戦事あり。兵馬が境外に在らざれば、則ち内乱に応ずべし。郗萌がいう、歳星と辰星とが相闘い、相手方の光芒を掩滅するは、大将の殺せらるるを主る。ただ迫近し・穿貫するは、偏将の殺せらるるを主る。《荊州占》にいう、歳星と兎星とが相闘えば、将軍はまさに死せんとし、期は一年に応ず。この書およそ「兎星」と称するは、皆辰星(水星)の別写なり。
開元占經 卷二十一
五星占 四
熒惑與填星相犯 一
巫咸曰:“熒惑犯填星,兵大起。(按《宋書天文志》曰:“晉穆帝昇平二年八月戊午,熒惑犯填星,三年十月,諸葛攸舟軍入河,敗績。”)《荊州占》曰:“熒惑與填星合而犯,大將軍為亂;若守之,女主凶,期三年。”司馬彪《天文志》曰:“熒惑犯填星,大人忌。”《春秋緯》曰:“熒惑干填星,大旱。”《荊州占》曰:“熒惑入填星中,將軍為亂。”《文耀鉤》曰:“主喜不失政,則熒惑與填星相扶。”
巫咸がいう、熒惑(火星)が填星(土星)を侵犯すれば、大挙して兵を興すを主る。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の穆帝・升平二年八月戊午の日、熒惑は填星を侵犯せり。升平三年十月、諸葛攸は水軍を率い黄河に進入して作戦し、大敗せり、と。《荊州占》にいう、熒惑と填星とが會合してまたそれを侵犯すれば、大将軍の作乱を主る。若し填星の旁に停守すれば、女主に凶あるを主り、期は三年に応ず。司馬彪《続漢書・天文志》にいう、熒惑が填星を侵犯すれば、位尊き大人物は忌諱する所有り。《春秋緯》にいう、熒惑が填星を干犯すれば、大旱を主る。《荊州占》にいう、熒惑が填星の星域の中に進入すれば、将軍の作乱を主る。《文曜鈎》にいう、君主が善政を喜好して政道を失わざれば、熒惑と填星とは則ち互相に扶持して行かんとす。
《荊州占》曰:“熒惑去填星而復歸環繞之,不出六年,中國亡主;又曰為獄事。”石氏曰:“熒惑與填星會,主走出。”巫咸曰:“熒惑與土合,是謂內亂。”班固《天文志》曰:“土與水合為壅沮,(晉灼曰:水性壅而溺土,故曰壅沮,一曰壅填也。)不可舉事用兵;又曰國亡地。”郗萌曰:“熒惑與填星合,其國爭者坐之;又曰熒惑與填星環繞之,不出三年,天子失位;又曰熒惑與填星合,女子坐之。”
《荊州占》にいう、熒惑が填星を離れて之後また折り返りてそれを環繞せば、六年を出でずして、中原はまさに君主を失わんとす。別の一説には刑獄の事を主る。石氏がいう、熒惑と填星とが相會すれば、君主の出走を主る。巫咸がいう、熒惑と土星とが會合すれば、これを内乱と謂う。班固《漢書・天文志》にいう、土星と水星とが會合するを、「壅沮」と謂う。原書小注に晋灼を引いていう、水の性質は壅塞して能く土を淹没す、故に壅沮と謂い、別の一説に「壅填」と謂う、と。この時は事を挙げ兵を用うる可からず。またいう、国家の土地を喪失するを主る。郗萌がいう、熒惑と填星とが會合すれば、あの一分野の国の位を争う人はまさに罪を獲て連坐せんとす。またいう、熒惑と填星とが互相に環繞すれば、三年を出でずして、天子は位を失わん。またいう、熒惑と填星とが會合すれば、女子ありて罪を獲て連坐せん。
《文耀鉤》曰:“填星與火合,則大旱,陽行害;又曰火與土合,憂,主孽祥。”石氏曰:“填星與火合,大人惡之。”《海中占》曰:“填星與熒惑合,女子為天下害。”郗萌曰:“填星與熒惑合,為禍喪,其國不可舉事,用兵必受其殃。”(按司馬彪《天文志》曰:孝順帝漢安二年六月乙丑,熒惑光芒犯填星。明年八月,孝順帝崩,孝沖即位。明年正月,又崩。)
《文曜鈎》にいう、填星と火星とが會合すれば、則ち大いに旱して、陽気は過盛にして害と為る。またいう、火と土とが會合すれば、憂患を主り、妖孽の徴兆あるを主る。石氏がいう、填星と火星とが會合すれば、位尊き大人物はこの種の星象を厭惡す。《海中占》にいう、填星と熒惑とが會合すれば、女子ありて天下の害と成るを主る。郗萌がいう、填星と熒惑とが會合すれば、禍乱・丧亡を主り、あの一分野の国は事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。原書小注にいう、按ずるに司馬彪《続漢書・天文志》の記載に、漢の順帝・漢安二年六月乙丑の日、熒惑の光芒は填星を侵犯せり。第二年八月、順帝は駕崩し、沖帝は即位せり。さらに一年を過ぎて正月、沖帝もまた駕崩せり、と。
《荊州占》曰:“填星與熒惑合,土在火上,他兵加之必有克;土在火下,各不動者,名曰子母同光,其國得地,猛強;若同上下,民有逆心,其分兵起,更王。”石氏曰:“地侯與熒惑所合宿,戰不勝,國飢。”(按《宋書天文志》曰:宋武大明五年正月,火土同在須女,占曰:女主惡之;三月孝穆皇后崩,此其應也。)
《荊州占》にいう、填星と熒惑とが會合し、土星が火星の上方に在れば、別国の兵馬が我に加わるも、必ず戦勝を得る能し。土星が火星の下方に在り、両星が各自動かざれば、これを「子母同光」と謂い、あの一分野の国家は土地を獲得し、勇猛・強盛ならん。若し上下の位置が相同じくして一処に挨れば、百姓に叛逆の心あり、あの一分野は兵を興し、まさに君王を更換せん。石氏がいう、地侯(填星)と熒惑とが會合するあの一宿は、その分野は作戦して勝を得る能わず、国中は飢饉せん。原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、宋の孝武帝・大明五年正月、火星と土星とは同じく須女宿に在りき。占辞にいう、女主はこの種の星象を厭惡す、と。三月に孝穆皇后は去世せり、則ちこれその応験なり、と。
石氏曰:“熒惑從填星,聚於一舍,名曰大陽,其下國且有重德致天下,期在十年。”《文耀鉤》曰:“熒惑與土斗,則子弟亂。”巫咸曰:“填星與熒惑斗,不出其年,有亡國。”郗萌曰:“熒惑與土合斗,兵起,近期十五日,中期三十日,遠期六十日。”
石氏がいう、熒惑が填星に跟随し、同一の宿舍に聚まれば、これを「大陽」と謂い、あの一分野の国家はまさに深厚の德行を憑にして天下を取得せん、期は十年に応ず。《文曜鈎》にいう、熒惑と土星とが相闘えば、子弟の作乱を主る。巫咸がいう、填星と熒惑とが相闘えば、当年を出でずして、国家の滅亡するあらん。郗萌がいう、熒惑と土星とが會合して相闘えば、兵を興すを主り、近きは十五日に応じ、中なるは三十日に応じ、遠きは六十日に応ず。
《荊州占》曰:“填星與熒惑合斗,必有叛臣為亂,有兵起,期不出二年;又曰熒惑與填星斗,不出三年,有亡國。又曰熒惑與填星斗,王者亡地,將軍死之。又曰填星與熒惑合,相守,主以孽為憂,其下國失地,若有圍邑。又曰熒惑與填星相守,為憂喪。”石氏曰:“熒惑守填星,旱;一曰兵大起。”
《荊州占》にいう、填星と熒惑とが會合して相闘えば、必ず叛臣ありて作乱し、兵事の興起あり、期は二年を出でずに応ず。またいう、熒惑と填星とが相闘えば、三年を出でずして、国家の滅亡するあらん。またいう、熒惑と填星とが相闘えば、王者は土地を喪失し、将軍はこれがために戦死せん。またいう、填星と熒惑とが會合して互相に停守すれば、君主は庶出の子弟に因りて憂慮し、あの一分野の国は土地を喪失し、あるいは城邑の囲まるるあらん。またいう、熒惑と填星とが互相に停守すれば、憂患と丧事とを主る。石氏がいう、熒惑が填星に停守すれば、旱を主る。別の一説には大挙して兵を興すなり。
熒惑與太白相犯 二
《荊州占》曰:“熒惑與太白相犯,大戰;太白在熒惑南,南國敗;在熒惑北,北國敗。”《文耀鉤》曰:“熒惑從太白,軍憂;離之軍卻出太白之陰,有分軍出其陽,有偏將之戰當其行,太白逮之,破軍殺將。”《荊州占》曰:“熒惑太白相犯,為兵喪,為逆謀。”甘氏曰:“熒惑干太白,草木傷華妨政。”石氏曰:“熒惑與太白會,為鑠。”《荊州占》曰:“太白熒惑合,去之一尺,曰鑠;其下之國,不可舉事,用兵必受其殃。”《荊州占》曰:“熒惑入太白,將軍戮。”《海中占》曰:“與熒惑合,金從火,有兵罷;火從金,兵大起。”
《荊州占》にいう、熒惑(火星)と太白(金星)とが互相に侵犯すれば、大戦あるを主る。太白が熒惑の南に在れば、南方の国は敗る。熒惑の北に在れば、北方の国は敗る。《文曜鈎》にいう、熒惑が太白に跟随すれば、軍中に憂いあり。太白を離れれば則ち軍隊は退却す。熒惑が太白の陰面・即ち北辺に出づれば、則ち分かち出づるの偏師あり。陽面・即ち南辺に出づれば、則ち偏将の戦事ありてまさにその行に当たらん。太白がそれに追い着けば、軍を破り将を殺すを主る。《荊州占》にいう、熒惑と太白とが互相に侵犯すれば、兵禍・丧乱を主り、叛逆の陰謀を主る。甘氏がいう、熒惑が太白を干犯すれば、草木の花朵の受損するを主り、また政事を妨害す。石氏がいう、熒惑と太白とが相會するを、「鑠」と謂い、金の火に鎔かさるるの義を取る。《荊州占》にいう、太白と熒惑とが會合し、相距ること一尺なれば、則ち鑠と謂う。あの一分野の国家は事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。《荊州占》にいう、熒惑が太白の中に進入すれば、将軍の殺せらるるを主る。《海中占》にいう、太白と熒惑とが會合し、金が火に跟随すれば、兵を罷むを主る。火が金に跟随すれば、大挙して兵を興すを主る。
(按張璠《漢紀》曰:初王師敗於河陽,欲浮河東,下太史令王立曰:春太白犯填星於斗,過天津熒惑又逆行,守北河,不犯也。由是遂渡北河,將自幟關東出,立又謂宋開鄧艾曰:太白守天關,與熒惑會,金火交,金革之象也,漢祚終矣,晉魏必有興者。後立數言於帝曰,天命有去就,五行不常恆,代火者土也,承漢者魏也,能安天下者曹姓,惟委任曹氏而已。公聞之語立曰:知公忠於朝延,然天道深遠,幸勿多言。)
原書小注にいう、按ずるに張璠《漢紀》の記載に、当初王師は河陽にて戦敗し、黄河を渡りて東に下らんと打算せり。太史令・王立がいう、この年の春に太白は斗宿にて填星を侵犯し、また天津星を越過し、熒惑もまた逆行して北河を守住せるも、却りて真に相犯せざりき、と。是に便ち北河を渡りて、幟関より東に向かい出行せんことを准備せり。王立はまた宋開・鄧艾に對していう、太白は天関星に停守し、熒惑と相會し、金と火とが交接す、これ兵戈の象なり、漢の国祚はまさに終結せんとし、晋・魏の間に必ず興起するあらん、と。後に王立は屡屡献帝に對していう、天命には去る有り就く有り、五行は恒久に変わらざるに非ず、火徳に取代わるは土徳にして、漢朝に承接するは魏なり、能く天下を安定するは曹姓なり、ただ曹氏を委任すれば則ち行けり、と。曹公は聞きての後に王立に對していう、あなたの朝廷に忠なるを知る、然るも天道は深遠なり、あなたに多く言わざるを希望す、と。
《荊州占》曰:“太白與熒惑遇,謂金入火,有兵兵罷,國安無禍。”《海中占》曰:“熒惑太白合,野有破軍,將死。”按班固《天文志》曰:“孝景后元年五月壬午,火金會合於輿鬼之東北,不至柳,出輿鬼北可五寸。丙戌地大動,鈴鈴然,民大疫死,棺貴至秋止。”司馬彪《天文志》曰:“孝殤延平元年正月丁酉,金火在婁,金火合,大人憂。是歲八月辛亥,孝殤帝崩。
《荊州占》にいう、太白と熒惑とが相遇うを、金の火に入ると謂い、兵事ありと雖もまた兵を罷め、国家は安定して禍患なし。《海中占》にいう、熒惑と太白とが會合すれば、原野の上に軍隊の撃破せられ・将領の戦死するを主る。按ずるに班固《漢書・天文志》にいう、漢の景帝・後元年五月壬午の日、火星と金星とは輿鬼宿の東北に會合し、柳宿には到らず、輿鬼の北の約五寸に出でたり。丙戌の日に大地は震動し、隆々として響き作し、百姓は大いに疫して死し、棺木は価を漲げ、秋に到りて始めて止息せり。司馬彪《続漢書・天文志》にいう、漢の殤帝・延平元年正月丁酉の日、金星・火星は婁宿に在り、金・火は會合し、位尊き大人物に憂いあるを主る。この年の八月辛亥の日、殤帝は駕崩せり。
《荊州占》曰:熒惑與太白合,主人兵不勝;又曰所合國,野有殃;二旬四五日,兵過其野;三旬四五日,兵宿其野;三月不去,其國亡。”又曰:“熒惑與太白合同舍,其分有兵戰,相離則軍離。”(按檀道鸞《晉陽秋》曰:“孝武寧康二年十一月癸酉,太白掩熒惑,在營室。時桓石虔破氐賊姚萇於江。)又曰:“熒惑秋與太白合,其國不可以舉兵,反受其殃。”
《荊州占》にいう、熒惑と太白とが會合すれば、拠守する主人の一方は兵は勝つ能わず。またいう、會合する所の分野の国は、原野の上に殃禍あらん。両星が相守すること二十四五日なれば、則ち兵馬ありてあの片の原野を経過せん。相守すること三十四五日なれば、則ち兵馬ありてあの片の原野に駐紮せん。三か月にしてなお去らざれば、あの国家はまさに滅亡せん。またいう、熒惑と太白とが同一の宿舍に會合すれば、あの一分野に兵戦あり。両星が分離すれば、軍隊もまたこれに随いて散ず。原書小注にいう、按ずるに檀道鸞《晋陽秋》の記載に、晋の孝武帝・寧康二年十一月癸酉の日、太白は熒惑を掩い、位置は営室宿に在りき。当時桓石虔は江上にて氐族の賊首・姚萇を撃破せり、と。またいう、熒惑が秋に太白と會合すれば、あの一分野の国家は兵を発する可からず、否らずんば反りて災殃を承受せん。
《黃帝占》曰:“熒惑太白俱入斗,不出其年,國亂有憂;又曰熒惑入東井,太白隨之,兵喪並起。”郗萌曰:“熒惑入東井,太白隨之,將若相死;一曰君死,又曰糴貴。”《荊州占》曰:“熒惑入東井,太白隨之,道上多死人。”陳卓曰:“熒惑入東井,太白隨之,百川皆溢。”韓楊曰:“熒惑太白接,皆赤而芒,三十日舍天津,關河不渡,諸侯不通,其君死之。”
《黄帝占》にいう、熒惑と太白とが一同に斗宿に進入すれば、当年を出でずして、国内は動乱して憂患あり。またいう、熒惑が東井宿に進入し、太白が随い過ぎ行けば、兵禍と丧事とが一同に興起するを主る。郗萌がいう、熒惑が東井に進入し、太白が随い過ぎ行けば、将軍あるいは宰相の死去するを主る。別の一説には国君の死、さらに一説には米価の昂貴なり。《荊州占》にいう、熒惑が東井に進入し、太白が随い過ぎ行けば、道路上に死人多きを主る。陳卓がいう、熒惑が東井に進入し、太白が随い過ぎ行けば、百川の氾濫を主る。韓楊がいう、熒惑と太白とが相接し、両星ともに赤を発して芒角を帯び、三十日の内は皆天津星に宿すれば、関口と河渡との通ぜざるを主り、諸侯の間は相往来せず、あの一分野の国君はまさに死せんとす。
石氏曰:“熒惑與太白相隨西行,熒惑舍天門西,太白舍天門中;一曰舍天津,人主無出國。”《荊州占》曰:“太白從熒惑聚於一舍,熒惑在上,名曰乘太白,其歲多兵不用,其國將以武致天下,逆行兵起。”石氏曰:“熒惑太白所守之宿在東方,女勝男。”《海中占》曰:“熒惑太白中上出,破軍殺將,客勝。”
石氏がいう、熒惑と太白とが相随い西に向かい行き、熒惑は天門星の西に宿し、太白は天門星の中に宿す。別の一説には天津星に宿すと謂い、則ち君主は国を出でて遠行する勿れ。《荊州占》にいう、太白が熒惑に随いて同一の宿舍に聚まり、熒惑が上に在れば、これを「太白に乗る」と謂い、この年は兵事多しと雖も用いる所なく、あの一分野の国家はまさに武力を憑にして天下を取得せん。若し両星が逆行すれば、則ち兵事の興起あらん。石氏がいう、熒惑と太白との停守する所の宿次が東方に在れば、女子の男子に勝るを主る。《海中占》にいう、熒惑と太白とが当中より上に向かい冒出すれば、軍を破り将を殺し・遠来の客軍は勝を獲るを主る。
《荊州占》曰:“熒惑入太白中,五十日,將死。又曰熒惑與太白相入,入而不出,其國亂,有憂。又曰熒惑出太白之左,小戰;出太白右,去之三尺,軍小敗。”《黃帝兵法》曰:“熒惑出太白之陰,若不有分軍,必有他急,分大軍也。”《荊州占》曰:“熒惑所在,太白從之,伐不利,無功;太白所在,熒惑從之,伐者利,有功。”石氏曰:“熒惑往從太白,聚於一舍,太白為失明,熒惑赤色而光,環繞太白所守之國,大兵起。”
《荊州占》にいう、熒惑が太白の中に進入し、五十日なれば、将領の死を主る。またいう、熒惑と太白とが互相に侵入し、入りて去りて出でざれば、あの一分野の国はまさに乱れ、憂患あらん。またいう、熒惑が太白の左辺に出づれば、小規模の交戦を主る。太白の右辺に出で、相距ること三尺なれば、軍隊の小敗を主る。《黄帝兵法》にいう、熒惑が太白の北面に出づれば、若し兵を分かつに非ざれば、必ず別に急難あり、則ち大軍を分かち出でて応付することを要せん。《荊州占》にいう、熒惑の所在する位置に、太白が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利なし、戦功なし。太白の所在する位置に、熒惑が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利あり、能く戦功を立つ。石氏がいう、熒惑が前去りて太白に跟随し、同一の宿舍に聚まり、太白は因りて光明を失い、而して熒惑は色赤にして光あり、太白の守る所の分野の国に環繞せば、大挙して兵を興すを主る。
《荊州占》曰:“太白與熒惑遇,是謂金入火,有兵罷,無徭投,又曰太白在熒惑之上,所聚之國,且以義致天下;若在左右,名曰秋兵,其國必大敗。又曰熒惑在太白前後左右,成戰,客勝。又曰太白出熒惑之東,不出三月兵起;又曰太白居熒惑之後而相及,破軍殺將。又曰太白上居熒惑上,復下成熒惑下,有反者。”《宋武兵法》曰:“太白熒惑,一南一北,為死喪。”
《荊州占》にいう、太白と熒惑とが相遇うは、これを金の火に入ると謂い、兵事ありと雖もまた兵を罷め、徭役・徴発なし。またいう、太白が熒惑の上方に在れば、聚まる所の分野の国はまさに道義を憑にして天下を取得せん。若し太白が熒惑の左右に在れば、これを「秋兵」と謂い、あの国家は必ず大敗せん。またいう、熒惑が太白の前後・左右に在れば、戦事を形成するを主り、遠来の客軍は勝を獲る。またいう、太白が熒惑の東に出づれば、三か月を出でずして兵を興す。またいう、太白が熒惑の後に居りてそれに追及すれば、軍を破り将を殺すを主る。またいう、太白がもと熒惑の上方に在り、後にまた転じて熒惑の下方に到れば、人ありて謀反するを主る。《宋武兵法》にいう、太白と熒惑とが一南・一北に分列すれば、死亡・丧事を主る。
郗萌曰:“太白乘熒惑,軍敗;隨熒惑,軍憂。又曰熒惑太白合,而太白起角芒,而光居熒惑之上,其國且有用兵,三十日不去,天下三年兵起,六十日不去,下有空國,死主。”《荊州占》曰:“太白與熒惑相留,十日如去,有兵大戰;其不滿十日,有兵而不戰,期不出一年中。又曰熒惑環太白,大將死。”《文耀鉤》曰:“熒惑方行,太白環之,破軍殺將。”石氏曰:“熒惑薄太白,亡偏將。”
郗萌がいう、太白が熒惑を乗凌すれば、軍隊の敗れるを主る。熒惑に跟随すれば、軍中に憂いあるを主る。またいう、熒惑と太白とが會合して、太白が芒角を生出し、光芒は熒惑の上に居れば、あの一分野の国家はまさに兵を用いんとす。三十日にして離れざれば、天下は三年の内に兵を興さん。六十日にして離れざれば、その下に国家の空虚・君主の死去するあらん。《荊州占》にいう、太白と熒惑とが互相に滞留し、十天に満ちて始めて去れば、兵事の大戦あるを主る。十天に満たざれば、兵事ありと雖も交戦せず、期は一年の中を出でずに応ず。またいう、熒惑が太白を環繞すれば、大将の死を主る。《文曜鈎》にいう、熒惑がまさに行進するに、太白がそれを環繞せば、軍を破り将を殺すを主る。石氏がいう、熒惑が太白に迫近すれば、偏将を損失するを主る。
《荊州占》曰:“熒惑從太白下,上抵太白,不主,軍急不戰;又曰熒惑正抵太白,不去,客將死。又曰熒惑摩太白下,破軍,主將死。又曰熒惑摩太白,有數萬人戰,軍敗,人主死。又曰太白貫熒惑,亡偏將。”《春秋緯》曰:“熒惑與太白相逢而斗,勝太白,破軍殺將,熒惑破,人主弱,名聞海內。”《文耀鉤》曰:“熒惑與金斗,陰不制,又曰有戰兵,兵不在外,為在內。”
《荊州占》にいう、熒惑が太白の下より上に向かい太白に抵住すれば、自主する能わざるを主り、軍情は緊急なるも交戦せざるなり。またいう、熒惑が正面より太白に抵住して去らざれば、遠来の客軍の将領はまさに死せんとす。またいう、熒惑が太白の下方にて摩擦・挨蹭すれば、軍隊の撃破せられ・主将の戦死するを主る。またいう、熒惑が太白を摩擦すれば、数万人の交戦あり・軍隊は敗れ・君主は死すを主る。またいう、太白が熒惑を穿貫すれば、偏将を損失するを主る。《春秋緯》にいう、熒惑と太白とが相逢い相闘い、若し熒惑が太白に勝れば、軍を破り将を殺すを主る。若し熒惑が撃破せらるれば、君主の衰弱するを主り、然るもその名は却って海内に傳聞せん。《文曜鈎》にいう、熒惑と金星とが相闘えば、陰気の制約を受けざるを主る。またいう、戦事あるを主り、兵馬が境外に在らざれば、則ち境内に応ずべし。
(按《宋書天文志》曰:晉患帝永寧二年十月,熒惑太白斗於虛危,十二月,熒惑就太白於營室,初齊王礒定京教,因留輔政,遂專傲無君,是月,成都河間長沙王討之,礒又交戰攻焚宮闕。礒兵敗,夷滅又殺其兄上將軍實以下二十餘人也。)
原書小注にいう、按ずるに《宋書・天文志》の記載に、晋の恵帝・永寧二年十月、熒惑と太白とは虚宿・危宿にて相闘えり。十二月、熒惑はまた営室宿にて太白に逼近せり。当初斉王・司馬冏は京城の乱を平定し、因りて留まりて輔政し、是に専擅・驕横にして君上を目にせず。この月、成都王・河間王・長沙王は一同に彼を討伐し、司馬冏はまた彼らと交戦し、宮闕を攻打・焚焼せり。司馬冏は兵敗れ誅滅せられ、還って彼の兄・上将軍・司馬寔以下二十余人を殺せり、と。
巫咸曰:“太白與熒惑斗,不出其年,兵起。又曰太白與熒惑春斗,歲旱,夏斗,不出其年,易相;科斗,不出其年兵起;冬斗,不出二年,有喪。”《荊州占》曰:“熒惑與太白相過而斗,不勝,有憂。又曰太白與熒惑斗,大將戰死。又曰熒惑與太白斗,諸侯王有喪,若離國,若多口舌,有內疾,人民尚伐,好戰,殺大將,歲大飢。又曰熒惑與太白斗,不出三年,易相。又曰春太白與熒惑斗,亡君之戒也。夏斗,不出三年,名山破;冬斗,不出其年,有大喪;一曰女喪。”
巫咸がいう、太白と熒惑とが相闘えば、当年を出でずしてまさに兵を興さん。またいう、太白と熒惑とが春に相闘えば、この年は干旱す。夏に相闘えば、当年を出でずして宰相を更換す。秋に相闘えば、当年を出でずして兵を興す。冬に相闘えば、二年を出でずして丧事あらん。《荊州占》にいう、熒惑と太白とが相過ぎて相闘い、勝を得る能わざる一方に憂患あり。またいう、太白と熒惑とが相闘えば、大将の戦死を主る。またいう、熒惑と太白とが相闘えば、諸侯王に丧事あり、あるいは封国を離れ、あるいは口舌の是非多く、別に内里の疾患あるを主る。人民は征伐を崇尚し・争戦を喜好し、主将は殺せられ、この年は大いに飢荒せん。またいう、熒惑と太白とが相闘えば、三年を出でずして宰相を更換す。またいう、春に太白と熒惑とが相闘うは、亡国の君の警戒なり。夏に相闘えば、三年を出でずして名山は崩壊す。冬に相闘えば、当年を出でずして大丧あり。別の一説には女子の丧なり。
郗萌曰:“熒惑守太白北,太子終若皇子終;守其南,劈人死若季子死;居東西,亦然,若相死,皆期三月。”《荊州占》曰:“太白與熒惑相守,其間容斧,血滿其野;其間容矛,有血流,久相守,血盈滿。”
郗萌がいう、熒惑が太白の北に停守すれば、太子の亡故あるいは皇子の亡故を主る。太白の南に停守すれば、寵幸を受くる人の死去あるいは幼子の死去するを主る(「劈人」は底本、疑わしく当に「嬖人」と作るべし)。東辺あるいは西辺に居れば、占断もまた同じきなり、あるいは宰相の死去するを主り、いずれも期は三か月の内に応ず。《荊州占》にいう、太白と熒惑とが互相に停守し、両星の間の空隙は一把の斧头を容れるを得れば、鮮血の原野に洒き满つるを主る。一支の長矛を容れるを得れば、血の流出するあるを主る。長く互相に停守すれば、血は則ち満地に流れ尽くさん。
熒惑與辰星相犯 三
劉向《洪範傳》曰:“火水合於斗,不可舉事,用兵必受其殃。”(按《洪範天文星辰變占》曰:漢景帝初元年十一月,熒惑與辰星合於斗,後三年,吳王濞變,七國同舉兵反漢,太尉周亞夫敗之。)
劉向《洪範伝》にいう、火星と水星とが斗宿に會合すれば、事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。原書小注にいう、按ずるに《洪範天文星辰変占》の記載に、漢の景帝・初元年十一月、熒惑(火星)と辰星(水星)とは斗宿に會合せり。三年の後、呉王・劉濞は難を発し、七国は一同に兵を起こして漢朝に反叛し、太尉・周亜夫は彼らを打敗りき、と。
《荊州占》曰:“熒惑與辰星秋合,有兵;冬合,有喪。又曰熒惑與免星合東方,免星白而火,兵在外,削地為和;又曰熒惑與辰星合,大水交行,其國不可以先起兵;合於東方,臣謀其主;合於西方,不出九十日,其國宮中有事。又曰熒惑與辰星合於尾、箕,其國大臣凶;春復為兵,秋冬為喪,凶。”郗萌曰:“熒惑與辰星在尾、箕相近,天下將大赦。又曰熒惑與辰星處虛北,冬雷雨水流,忌甲子。”
《荊州占》にいう、熒惑と辰星とが秋に會合すれば、兵事あるを主る。冬に會合すれば、丧事あるを主る。またいう、熒惑と兎星(この書およそ兎星と称するは、皆辰星・水星の別写なり)とが東方に會合し、兎星は色白にして火星は旁に在れば、兵馬の境外に在るを主り、まさに地を割きて和を求めんとす。またいう、熒惑と辰星とが會合すれば、大水の横流するを主り、あの一分野の国家は先に兵を起こす可からず。東方に會合すれば、臣下のその君を図謀するを主る。西方に會合すれば、九十日を出でずして、あの国家の宮中にまさに事あらん。またいう、熒惑と辰星とが尾宿・箕宿に會合すれば、あの一分野の大臣に凶あり。春に到ればまた兵事を主り、秋冬は則ち丧事を主り、いずれも凶なり。郗萌がいう、熒惑と辰星とが尾・箕の二宿の附近にて彼此に逼近すれば、天下はまさに大赦せんとす。またいう、熒惑と辰星とが虚宿の北に処れば、冬に雷鳴し雨降り・大水は流溢するを主り、甲子日を忌諱すべし。
石氏曰:“熒惑與辰星合,為水,必飢,舉事用兵有內亂。又曰熒惑與辰星相去三尺,大人當之;一曰天下大赦。又曰免星與熒惑會,冬為刑;他時為淬。(晉灼曰火入水故曰淬也。)其下之國,不可舉事,用兵必受其殃。”(《天官書》曰:為喪。)甘氏曰:“免星干火星,雨雹;上即妨太子嬖人,下即妨太尉司馬。”《荊州占》曰:“辰星與熒惑合而相守,水火亂行,國有兵喪;若不,有兵,疾疫流行。”(按班固《天文志》曰:孝景五年四月乙巳,水火合於參,其年四月,梁孝王死。)
石氏がいう、熒惑と辰星とが會合すれば、水患を主り、必ず飢饉を鬧し、事を挙げ兵を用うれば内乱に遇上らん。またいう、熒惑と辰星とが相距ること三尺なれば、位尊き大人物の災咎を承当するを主る。別の一説には天下の大赦なり。またいう、兎星(辰星)と熒惑とが相會すれば、冬に在れば刑戮を主り、別の季節に在れば「淬」を主る。原書小注に晋灼を引いていう、火は水の中に入る、故に淬と謂う、と。あの一分野の国家は事を挙ぐる可からず、兵を用うれば必ず災殃を承受せん。原書小注またいう、《天官書》はこれを丧事を主ると為す、と。甘氏がいう、兎星が火星を干犯すれば、冰雹を下すを主る。上に在れば則ち太子と寵幸を受くる人とを妨害し、下に在れば則ち太尉・司馬のこれらの武職を妨害す。《荊州占》にいう、辰星と熒惑とが會合して互相に停守すれば、水火の乱行を主り、国中に兵禍・丧事あり。若しこのごとくならざれば、また兵事あり、併せて疫病は流行せん。原書小注にいう、按ずるに班固《漢書・天文志》の記載に、漢の景帝五年四月乙巳の日、水星と火星とは参宿に會合せり。この年の四月、梁の孝王は去世せり、と。
《荊州占》曰:“免星與熒惑合,其國大旱,赤地千里;又為飢,將行舉事大敗,有覆軍殺將。”陳卓曰:“免星與熒惑合,其國主出走。又曰熒惑所在,辰星從之,伐者利,有功;辰星所在,熒惑從之,伐者不利。又曰熒惑與辰星相過,是謂不祥,不可用兵,命曰自伐。一曰野有兵,不戰;兵在外,亦罷。”《文耀鉤》曰:“辰星牴觸熒惑,展轉復離而合,河漂山,天雨蛤,國主哭於宮。”
《荊州占》にいう、兎星(辰星)と熒惑とが會合すれば、あの一分野の国家は大旱し、赤地千里ならん。また飢饉を主り、将領が出行して事を挙げれば大敗し、全軍覆没・主将殺害の禍あらん。陳卓がいう、兎星と熒惑とが會合すれば、あの一分野の国主はまさに出逃せんとす。またいう、熒惑の所在する位置に、辰星が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利あり、能く戦功を立つ。辰星の所在する位置に、熒惑が随い過ぎ行けば、兵を出でて討伐すること利なし。またいう、熒惑と辰星とが互相に経過するは、これを不祥と謂い、兵を用うる可からず、「自伐」と名づけ、自ら自らを攻打するに等し。別の一説には原野の上に兵ありて交戦せざるなり。兵馬の境外に在るも、また兵を罷めん。《文曜鈎》にいう、辰星が熒惑に抵触し、輾転して分かれまた重ねて會合すれば、黄河の山陵を漂走し・天上より蛤蚌を落下するを主り、国主は宮中にて痛哭せん。
《荊州占》曰:“熒惑薄辰星,抵之、貫之,殺偏將。”《文耀鉤》曰:“熒惑與水斗,則以暴敗。”班固《天文志》曰:“火與水合,為北軍角。”《荊州占》曰:“火與水合斗,女子為天下害。又曰熒惑與辰星斗,相毀敗也,則有外後,不即內亂其國,斗東方,臣伐王;斗西方,期九十日,強國;宮中有亂。又曰熒惑與辰星斗;辰星滅,將死;又曰熒惑與辰星合斗,其國內亂,有兵起,其分凶。”
《荊州占》にいう、熒惑が辰星に迫近し、それに抵住し・それを穿貫せば、偏将の殺せらるるを主る。《文曜鈎》にいう、熒惑と水星とが相闘えば、暴虐に因りて敗亡するを主る。班固《漢書・天文志》にいう、火星と水星とが會合するは、北方の軍隊の角力の象なり。《荊州占》にいう、火と水とが會合して相闘えば、女子ありて天下の害と成るを主る。またいう、熒惑と辰星とが相闘い、彼此に毀損すれば、則ち外家の后妃ありて政に干る。若しこのごとくならざれば、則ちあの国家は内乱す。東方にて相闘えば、臣下の君王を攻伐するを主る。西方にて相闘えば、期は九十日に応じ、強国の宮中に乱あらん。またいう、熒惑と辰星とが相闘い、辰星の光芒の掩滅せらるるは、将領の死を主る。またいう、熒惑と辰星とが會合して相闘えば、あの国家は内乱し、兵事の興起あり、あの一分野に凶あらん。
