周星占 二十九
周二星,在越東北。
周の星は二つで、位は越星の東北の方に在る。それは周天子の王畿の地に対応し、今の河南の洛陽の一帯に在り、主る所は天下の共主の居するあの一片の分野である。
秦星占 三十
秦二星,在周東南。
秦国の星は二つで、位は周星の東南の方に在る。それは秦の地に対応し、即ち関中の一帯で、西方の大国の分野で、西辺の兵事と政令を占候するはいずれもそれに取験す。
代星占 三十一
代二星,在秦東南。
代国の星は二つで、位は秦星の東南の方に在る。それは代の地に対応し、今の河北西北部と山西北部に在り、地は辺塞に鄰する。ゆえに多く胡漢の交兵・辺境の戍守の事を主る。
晋星占 三十二
晉一星,在代西南。
晋国の星はただ一つで、位は代星の西南の方に在る。それは晋の地に対応し、即ち今の山西の中部南部で、春秋の覇主の国の分野である。
韓星占 三十三
韓一星,在晉北。
韓国の星はただ一つで、位は晋星の北の北辺に在る。それは韓の地に対応し、今の河南の中部西部の一帯に在る。韓はもともと晋国より分かれ出でたる。ゆえに星位もまた晋星に緊く挨着す。
魏星占 三十四
魏一星,在韓,近秦星。
魏国の星はただ一つで、すなわち韓星のあの処に在り、秦星に靠近す。それは魏の地に対応し、今の山西南部と河南北部に在る。魏は韓と同じく晋より出で、星位は相い並び、また秦の地の星と相隣る。
楚星占 三十五
楚一星,在魏西南,近鄭星。
楚国の星はただ一つで、位は魏星の西南の方に在り、鄭星に靠近す。それは楚の地に対応し、即ち江漢の流域と淮南の一帯の広大の区域で、南方の大国の分野である。
燕星占 三十六
燕一星,在楚東南,近晉星。巫咸曰:“齊趙諸國,應天列宿,土地九州;其星有變,各為其國。”
燕国の星はただ一つで、位は楚星の東南の方に在り、晋星に靠近す。それは燕の地に対応し、即ち今の河北北部と遼西の一帯である。巫咸が総じていう、斉・趙などのこの一批の国星は、上は天上の列宿と相応じ、下は九州の土地と相配す。いずれか一つの星に変異が発生すれば、災祥はすなわち各々それが主るあの国家に応験す。
離瑜星占 三十七
巫咸曰:“離瑜三星,在代東,南北列。”(離,鵟衣也。瑜,玉飾,此婦人服也。)《巫咸贊》曰:“離瑜玩飾,並見舅姑。”
巫咸はいう、「離瑜」は全部で三つの星で、位は代星の東辺に在り、南北に一列に排す。原書の小注にいう、「離」は鵟鳥の羽毛を以て製る衣飾で、「瑜」は美玉の佩飾で、この二様はいずれも婦人の服用の物である。《巫咸賛》にいう、離瑜は玩賞に供する衣飾・佩件で、婦人は穿戴を斉整し、一同に姑舅に拝見しに往く。この一組の星は専ら婦人の服飾と礼容を主る。
天塁城星占 三十八
巫咸曰:“天壘城十三星,如貫索狀,在哭泣南。”《巫咸贊》曰:“天壘主北夷,丁零匈奴。”
巫咸はいう、「天塁城」は全部で十三の星で、貫索のごとく囲んで一圈を成し、位は哭星・泣星の南辺に在る。《巫咸賛》にいう、天塁城は北方の夷狄を主管し、すなわち丁零・匈奴のこれら部族である。それは天上の辺城・壁塁で、以て北辺の入寇と我が方の防守を占候す。
虚梁星占 三十九
巫咸曰:“虛梁四星,在危南。”(虛梁,園陵也,非人所處,故曰虛梁也。)《巫咸贊》曰:“虛梁宮室,屋室謹禱。”
巫咸はいう、「虚梁」は全部で四つの星で、位は危宿の南辺に在る。原書の小注にいう、虚梁が指すは園陵の墓地で、活人の居住する処所に非ず。ゆえにこれを「虚梁」と呼ぶ。《巫咸賛》にいう、虚梁は宮室・屋宇の形制あれど、実は陵寝で、人々はこれらの屋室の中で謹んで先霊を祭祷す。
天銭星占 四十
巫咸曰:“天錢十星,在北落西北。”《巫咸贊》曰:“天錢藏府,聚眾談誇。”
巫咸はいう、「天銭」は全部で十の星で、位は北落星の西北の方に在る。《巫咸賛》にいう、天銭は銭財を收藏する府庫で、衆人は一処に聚まって財貨を談論夸耀す。この一組の星は国家の銭幣の積貯と貨財の流通・聚散を主る。
天綱星占 四十一
巫咸曰:“天綱一星,在北落西南。”(天綱,大絙索也;以張帳幔,天子游犒,野次所須。)《巫咸贊》曰:“天綱武帳,宮府置衛。”
巫咸はいう、「天綱」はただ一つの星で、位は北落星の西南の方に在る。原書の小注にいう、天綱は粗大の繩索で、以て帳幔を張設す。天子の出巡して軍を犒め、野外に臨時に駐蹕するにいずれもそれを欠かず。《巫咸賛》にいう、天綱は武帳を張起し、宮府はそれに依って警衛を布置す。この星は行幸・駐蹕の帳幕と守衛を主る。
鈇鑕星占 四十二
巫咸曰:“鈇鑕三星,在八魁西北;一曰鈇鉞。”《元命苞》曰:“鈇鑕,主亂行斬,誅枉詐。”郗萌曰:“星欲不明,明若動,皆為鈇鑕用。”又曰:“鈇鑕非其故,兵起,鈇鉞用。”《荊州占》曰:“星非其故,兵將有憂。”《巫咸贊》曰:“鈇鑕拒難,斬伐奸謀。”
巫咸はいう、この一組の「鈇鑕」は全部で三つの星で、位は八魁の西北の方に在り、また「鈇鉞」とも名づく——それは前の甘氏の記した天倉の西南のあの五つの鈇鑕と名は同じくして位は異なり。《元命苞》にいう、鈇鑕は犯乱の人に斬刑を施行することを主り、枉法・欺詐の徒を誅戮す。郗萌はいう、この幾つの星は暗淡不明を以て常態とし、一旦明亮するかあるいは動揺あれば、いずれも鈇鑕がまさに動用し刑を行い人を殺すを預示す。またいう、鈇鑕がもし変じて元来の様子に似ざれば、まさに兵を興し、斧鉞はまさに用場に派する。《荊州占》にいう、星象が変じて元来の様子に似ざれば、兵を帯ぶる将領にすなわち憂患あり。《巫咸賛》にいう、鈇鑕は患難を抵御し、奸邪の図謀を斬除す。
天廐星占 四十三
巫咸曰:“天廄十星,在東壁北,近王良。”《合誠圖》曰:“天廄官,主傳舍。”巫咸曰:“天廄星非其故,有廟戒之事,人主以馬為憂;否則馬疾。”《巫咸贊》曰:“天廄置驛,逐漏馳鶩。天廄主馬,如今驛馬其行,急疾與晷漏競也。”
巫咸はいう、「天廐」は全部で十の星で、位は東壁宿の北辺に在り、王良星に靠近す。《合誠図》にいう、天廐の官は駅站・伝舎を主管す。巫咸にまたいう、天廐星がもし変じて元来の様子に似ざれば、すなわち宗廟の警戒の事あり、君主はまさに馬匹のために愁う。然らざれば、馬はすなわち病を生ぜん。《巫咸賛》にいう、天廐は駅站を設置し、漏刻の刻数を追って飛馳奔走す。天廐は馬政を主管し、今の駅馬の奔行するがごとく、急速なるはほとんど日晷と漏刻と賽走する在り。
天陰星占 四十四
巫咸曰:“天陰五星,在畢柄西。”《巫咸贊》曰:“天陰羽獵,附耳密謀。”
巫咸はいう、「天陰」は全部で五つの星で、位は畢宿の柄部の西辺に在る。《巫咸賛》にいう、天陰は天子の羽林・田猟の事を主り、また附耳星のごとく、耳辺に凑り寄る暗中の密謀を象徴す。ゆえにこの一組の星は既に校猟・講武を占し、また隠秘の謀議をも占す。
開元占経 巻七十一
流星占 一
流星名状 一
《河圖》曰:“諸流星,皆鉤陳之精,天一之御也。流星大如缶若甕,行絕跡,名曰飛星。其跡著天,名曰流星。”孟康曰:“流星,光相連也,大如瓜桃,名曰使星、飛星,主謀事。流星主兵事,使星主行事,以所出入宿占之。”(自上而降曰流,自下而升曰飛。)
《河図》にいう、各種の流星は、いずれも鉤陳星の精気の化するところで、天一の神の駆使する所である。流星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、飛過して痕跡を留めざるを、「飛星」と呼ぶ。飛過した後に痕跡がなお天上に留まるを、こそ「流星」と呼ぶ。孟康はいう、流星は光焰が一条の線に連なるで、大きさが瓜のごとく桃のごとくを「使星」と呼び、また「飛星」とも呼び、謀議の事を主る。流星は兵戈の事を主り、使星は出行して差を办する事を主り、いずれもそれがいずれの宿より飛出でまたいずれの宿に進入するかを看て以て推断す。原書の小注にいう、上より下に降るを「流」と呼び、下より上に升るを「飛」と呼ぶ。
《爾雅》曰:“奔星,謂之彴(便窕切)約。”(流星大時疾,曰奔。)郭璞曰:“彴而約,流星別名也。”石氏曰:“流星如缶甕,初直後白,其前分為兩,是為使星;所之國,受福。”
《爾雅》にいう、奔星は、また「彴約」と作る——「彴」の字の読音は「便」「窕」の二字の反切である。原書の小注にいう、流星の形体が大きくして行動が疾速なるを、すなわち「奔」と称す。郭璞はいう、「彴約」は流星のもう一つの名称である。石申はいう、流星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、初めは笔直にして、その後に白色の尾跡を拖出し、それの前端が二股に分かれるは、これすなわち「使星」である。それが飞向するあの国家は、まさに福慶を承受せん。
《帝覽嬉》曰:“流星夜見光,望之有尾,離離如貫珠,名曰天狗;從所下,兵大起,王者徙都邑,期三年。”巫咸曰:“流星有光,見面墜地,若不至地,望之有足,名曰天狗;所往之鄉,有戰流血,其君失地,期不出三年,災應。”
《帝覧嬉》にいう、流星が夜の裡に光亮を顕し、望むに尾を帯び、一点一点に排列して穿きたる珠串のごとくなるを、この種を「天狗」と呼ぶ。それが降落して対応する処は、まさに大挙して兵を興し、君王は都城を遷移し、応期は三年の内にある。巫咸はいう、流星が光を帯び、迎面に地に墜落し、あるいは地面に落ちざるも、望むに脚を長じたるがごとく、これもまた「天狗」と呼ぶ。それが去るあの方に、戦事の流血あり、そこの国君は土地を丟失し、災応は三年を出ず。
又曰:“大流星,墮破如金,散而有音聲,野雉盡呴,名曰天狗;其所之地,必有戰流血。”班固《天文志》曰:“流星有聲,止地類狗,墮望如火,光炎炎中天。”《天官書》曰:“沖天其下,圓照數頃處,上銳,有黃色,名曰天狗;見則兵起千里、破軍殺將;一曰狀如大鏡。”《玄冥占》曰:“流星夜見,頭足如奮火,名曰天狗;其所下,有兵起,必有戰,期二年。”
巫咸にまたいう、大流星が墜落する時に碎裂して金属の崩散するがごとく、散じてなお響声を帯び、野雉もいずれも驚きて鳴き叫ぶを、これを「天狗」と呼ぶ。それが落到する処は、必ず戦事の流血あり。班固《漢書・天文志》にいう、流星は響声を帯び、地に落到して形状は狗に似て、墜落する時に望むに一団の火のごとく、光焰は炎炎として半空に直沖す。《史記・天官書》にいう、気ありて天に直沖し、その下方は円くして幾頃の地面を照亮し、上端は尖鋭で、黄色を帯び、これを「天狗」と呼ぶ。それが一たび出現すれば、千里の内にまさに兵を興し、軍隊は潰敗し大将は殺される。もう一説はその形状は一面の大鏡に似るという。《玄冥占》にいう、流星が夜の裡に出現し、頭と脚はいずれも騰起する火焰に似るを、これを「天狗」と呼ぶ。それが降落する処はまさに兵を興し、必ず戦事あり、応期は二年。
《黃帝占》曰:“流星大如甕,頭大尾小,長可三四尺,其後形跡皎皎然,赤白色、名曰天棓;見則其國兵起,流血,有死將,期一年,遠三年。”《雒書》曰:“飛星大如缶甕,而行絕跡,色如煙火,墮,名曰天保;此星所往者,其分受福,有利;若有吉事,期不出年。”
《黄帝占》にいう、流星の大きさが瓮のごとく、頭は大きく尾は小さく、長さ約三四尺、身後の痕跡は皎潔分明で、赤白の色を呈するを、これを「天棓」と呼ぶ。それが一たび出現すれば、あの国家はまさに兵を興し流血し、将領の陣亡するあり、近ければ一年に応じ、遠ければ三年に応ず。《雒書》にいう、飛星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、飛行する時に痕跡を留めず、顔色は烟火に似て、墜落して下るを、これを「天保」と呼ぶ。この星が前往する処は、あの一分野は福慶を承受し便利を得る。もし喜慶の事あれば、応期は一年を出ず。
《文耀鉤》曰:“流星有光,夜見牆垣,而有聲音,野雞盡呴;名天保,所止之野,大兵起。”《荊州占》曰:“流星有光黃白,從天墮有音;如炬煙火下地,雞盡鳴,名天保也,所墜國安,有喜,若水。”石氏曰:“流星如缶甕,其後縵縵,白亙天;王者吏均封疆。”《荊州占》曰:“將軍均封疆。”
《文耀鈎》にいう、流星が光を帯び、夜の裡に墻垣をも照見し、しかも声响を発し、野鶏は全て驚きて鳴くを、これを「天保」と呼ぶ。それが停落するあの片の原野は、大挙して兵を興す。《荊州占》にいう、流星の光色が黄白で、天上より墜落してまた響声を帯び、火炬・烟火のごとく地に落到し、鶏も皆驚きて斉鳴くを、これもまた「天保」と呼ぶ。それが墜落するあの国家は安定し、喜事あり、あるいは水患あり。石申はいう、流星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、身後に長長の白気を拖して長空を横貫するは、これは帝王の官吏が疆界を划定・斉整しに往くを預示す。《荊州占》はすなわちいう、将軍が疆界を划定斉整しに往くと。
《海中占》曰:“流星有聲如雷,其音止地,野雞盡呴,名曰天鼓;其所止國,兵大起,必有戰,殭尸滿野,期三年。”巫咸曰:“流星有光青赤,其長二三丈,名曰天雁,將軍之精也,其國起兵,將軍當從星所之。”《荊州占》曰:“流星,其色青,名曰地雁;其所墜者,起兵。”
《海中占》にいう、流星が雷のごとき声音を発し、声响は地面に落到し、野鶏はいずれも驚きて鳴き叫ぶを、これを「天鼓」と呼ぶ。それが停落するあの国家は大挙して兵を興し、必ず戦事あり、僵尸は原野に遍布し、応期は三年。巫咸はいう、流星の光色が青の中に赤を帯び、長さ二三丈を、これを「天雁」と呼び、将軍の精気の化するところである。あの国家はまさに兵を起こし、兵を帯ぶる将軍は当に星の去る方向に順って行動すべし。《荊州占》にいう、流星の顔色が青に発するを、「地雁」と呼ぶ。それが墜落する処は、まさに兵を興す。
《聖洽符》曰:“流星大如甕,其光赤黑,有喙者,名曰頓頑,見則其國有兵,有失地君,期二年。”《荊州占》曰:“飛星大如缶若甕,後皎然白,前卑後高,此為頓頑,其所從者,多死亡,削邑而不戰。”
《聖洽符》にいう、流星の大きさが瓮のごとく、光色は赤の中に黒を帯び、前端に鳥喙のごとき尖角あるを、これを「頓頑」と呼ぶ。それが一たび出現すれば、あの国家にすなわち兵事あり、国君ありて土地を丟失し、応期は二年。《荊州占》にいう、飛星の大きさが缶のごとく瓮のごとく、後面は白くして皎潔で、前頭は低く後頭は高くを、これすなわち「頓頑」である。それが跟従するあの方は、死亡が衆多で、城邑は削奪されながらも戦いを打ち成さず。
《聖洽符》曰:“飛星如甕。(《荊州占》曰:大而赤,若甕。)後皎然白,長可一丈。(《荊州占》雲;長數丈)其星滅化為雲,周流天下,名曰浩滑。(《荊州占》曰:名曰大滑。《海中占》曰:名曰否顛。)見則其國必有大戰,流血積骨,期一年,遠二年。”
《聖洽符》にいう、飛星の大きさが瓮のごとく——原書の小注に《荊州占》を引いていう、それはまた大きくまた紅くして、一只の瓮に似る——後面は白くして皎潔で、長さ約一丈(小注に《荊州占》を引けばすなわち長さ数丈と作る)。この星が熄滅して後に云気と化し、天下の四処に周流し、名を「浩滑」といい(小注:《荊州占》はこれを「大滑」と称し、《海中占》はこれを「否顛」と称す)。それが一たび出現すれば、あの国家に必ず大戦あり、流血して骨を積み、応期は一年、遠ければ二年。
齊伯曰:“飛星如甕。(《荊州占》曰:如缶若甕。)其後皎然白,前卑後高,名曰浩亢。(《荊州占》曰:名曰降石。)搖頭,乍上、乍下;大飢,人相食。(《荊州占》曰:人食不足。)期三年。”
斉伯はいう、飛星の大きさが瓮のごとく(小注に《荊州占》を引けば作す:缶のごとく瓮のごとし)、それの後面は白くして皎潔で、前頭は低く後頭は高くを、名を「浩亢」といい(小注:《荊州占》はこれを「降石」と称す)。この種の星は一路に頭を揺りて、忽ち升高し、忽ち低落す。大饑饉を主り、人の人を食うに至る(小注に《荊州占》を引けば作す:人の口糧が足らず)。応期は三年。
《荊州占》曰:“飛星大如缶,若甕;後皎然白;星滅後白者曲環如車輪,此謂解銜;其國人相斬,為爵祿;此謂自相齧食。”《荊州占》曰:“流星大如缶,其光赤黑,有喙者;名曰梁星,其所墜之鄉,有兵,君失地。”
《荊州占》にいう、飛星の大きさが缶のごとく、瓮のごとく、後面は白くして皎潔である。星光が熄滅した後、あの道の白気は彎曲盤繞して車輪の形状を成すを、これを「解銜」と呼ぶ。あの国家の人は爵位・俸禄を争奪するために相い殺し、これをすなわち自ら相い啗噬するという。《荊州占》にまたいう、流星の大きさが缶のごとく、光色は赤の中に黒を帯び、前端に鳥喙のごとき尖角あるを、名を「梁星」という。それが墜落するあの方に、兵事あり、国君は土地を丟失す。
《太公陰秘》曰:“凡出軍擊賊,見大流星所指向者,將之用兵,順之行則勝。”又曰:“流星下入軍,營必空,主將無功,避之則吉。”《推度災》曰:“奔星所墜,其下有兵。”《文耀鉤》曰:“流星前如缶盆,後皎然白,其欲入時施,施如金散,此謂使星;其所入宿受福,期一年,遠二年。”
《太公陰秘》にいう、およそ兵を出して敵寇を討伐するに、大流星の指す方向を見れば、将領が兵を用いてそれが去る方向に順って進軍すればすなわち勝ちを取るべし。またいう、流星が下に落ちて軍中に入れば、営塁は必ず空虚で、主将は功を立てることなく、それを避けてこそ吉利なり。《推度災》にいう、奔星が墜落する処は、下方にすなわち兵事あり。《文耀鈎》にいう、流星の前端は缶のごとく盆のごとく、後面は白くして皎潔で、まさに没入せんとして四面に鋪散し、散じて金屑のごとくを、これを「使星」と呼ぶ。それが進入するあの一宿は福慶を承受し、応期は一年、遠ければ二年。
《春秋緯》曰:“大奔星有聲,望之如火光,見則破軍,四方相射。”(案《續漢書》曰:靈帝中平二年,邊章韓遂將數萬騎,寇三輔,五月夜,有流星如火光,長十餘丈,照章遂營中,驢馬盡鳴,賊以為不祥,欲走,董卓聞之喜,明日並兵俱攻,大破之,斬首數千級,章遂敗走。《魏志》曰:司馬宣王圍公孫文懿,夜有大流星,長數十丈,從首山東北墜襄平城東南,及文懿走當流星處,斬之。又近驗前代邊將敗績,多有奔星墜其營中。)
《春秋緯》にいう、大奔星が響声を帯び、望むに一団の火光に似て、それが一たび出現すれば、まさに軍隊の潰敗あり、四方は相い攻射す。原書の案語にいう、《続漢書》に記す、漢の霊帝の中平二年に、辺章・韓遂が几万の騎兵を率いて三輔を進犯した。五月の夜に流星ありて火光のごとく、長さ十幾丈、辺章・韓遂の営中に照り入り、驢馬はいずれも驚きて乱れ叫び、賊衆は不祥と認め、逃げ去らんと打算した。董卓はこれを聞いて大いに喜び、明日に兵を合わせて一斉に進攻し、大いに敵軍を破り、幾千級を斬首し、辺章・韓遂は敗逃した。《三国志・魏志》に記す、司馬宣王(司馬懿)が公孫文懿(公孫淵)を囲攻するに、夜に大流星あり、長さ数十丈、首山の東北より襄平城の東南に墜落した。公孫文懿が出逃するに及んで、ちょうど流星の墜落したあの処所で死し、斬殺された。また近世の事を以て験証すれば、前代の辺将の敗績は、多く半ば奔星が彼らの営中に墜落する有り。
石氏曰:“流星落落,如遺大光,其下有戰傷。”又曰:“赤流星,其後圓如輪,所之國有兵,其將有他意。”甘氏曰:“流星色黃,其後如一疋帛練,所之國,增地,有喜,期一百八十日。”
石申はいう、流星が紛紛として墜落し、一大片の光を遺落するがごとく、それの下方にすなわち戦事の傷亡あり。またいう、赤色の流星は、身後は円くして車輪に似て、それが去る国家に兵事あり、そこの将領は別に異心を存す。甘徳はいう、流星が黄色を呈し、身後の尾跡は一匹の白練帛に似て、それが去る国家は土地を増拓し、喜慶の事あり、応期は百八十日。
班固《天文志》曰:“漢孝昭始,兀中流星下燕萬載宮極東去;(李奇曰:極屋樑也,三輔間名為極,或曰極楝也,尋楝東去也,延篤謂之堂前欄楯也。)法曰:國恐,有誅。其後左將軍與長公主燕刺王,謀作亂,咸伏其罪。”
班固《漢書・天文志》にいう、漢の昭帝の始元年間に(原文は「始元」が「始兀」と訛る)、流星ありて燕の地の万載宮の屋極の上に降り、随いて東に向かって去った。原書の小注に李奇を引いていう、「極」とはすなわち屋梁で、三輔の一帯は屋梁を極と呼び、ある人はまた極はすなわち棟で、「尋楝して東に去る」は屋棟に沿って東に往くを講うといい、延篤はすなわち極は堂前の欄干を指すという。占法にいう、これは国中が恐慌し、誅戮の事あるべしを主る。後に左将軍の上官桀と長公主・燕刺王が合わせて乱を謀り、いずれも法に伏して罪を受けた。
《荊州占》曰:“大流星赤光照地,流而東,吳越部兵;(一書云:齊地部兵。)流而南,楚宋部兵;流而西,秦鄭部兵;流而北,燕趙部兵。”(案《宋天文志》曰:晉孝懷永嘉元年九月辛卯,有大流星自西南流於東北,小者如斗,相隨,天盡赤,聲如雷,是年五月,汲桑殺東燕王勝,遂據河北。十一月始遣和鬱為徵北將軍,鎮鄴西田甄等。大破汲桑,斬於樂凌,於是以甄為汲郡太守,弟蘭鉅鹿太守,小星相隨,小將副帥之象也。司馬越忿魏郡以東平原以南皆黨於桑,悉以賞甄等,於是侵掠桑地,有聲如雷,忿怒之象也。)
《荊州占》にいう、大流星の赤光が地を照らし、東に向かって流れ去るは、呉・越の地に兵を出す(小注:もう一本は斉の地に兵を出すと作る)。南に向かって流れ去るは、楚・宋の地に兵を出す。西に向かって流れ去るは、秦・鄭の地に兵を出す。北に向かって流れ去るは、燕・趙の地に兵を出す。原書の案語にいう、《宋書・天文志》に記す、晋の懐帝の永嘉元年九月辛卯に、大流星ありて西南より東北に飞向し、また斗のごとき大きさの小星が相随し、天空は一片に紅く透り、声响は雷のごとし。この年の五月に、汲桑が東燕王の勝を殺し、ここにおいて河北を占拠した。十一月に、朝廷は始めて和郁を遣わして征北将軍と為し、鄴城を鎮守させ、西辺に田甄らの人が汲桑を大いに破り、これを楽凌に斬殺した。ここにおいて田甄を汲郡太守と任じ、その弟の田蘭を鉅鹿太守と為した——小星が大星に跟随するは、まさに偏将・副帥の象徴である。司馬越は魏郡より以東・平原より以南の地方が皆汲桑に党附するを怨恨し、悉く以て田甄らの人に賞給し、ここにおいてこれらの人は汲桑の旧地を侵掠した。流星に声ありて雷のごとくは、すなわち忿怒の象徴である。
《荊州占》曰:“流星耀然有光,色白,長竟天者,人主之星也;星之所往,人主從之,人主不從,即將軍,若相從之;星如甕者,為發謀起事;大如桃者,為使事也。”《荊州占》曰:“流星之尾,長二三丈,耀然有光競天,其色白者,主使也;其色赤者,將軍使也。”
《荊州占》にいう、流星の光耀が目を奪い、顔色は白に発し、長くして天空の全体を横貫するは、これは君主の星である。星がいずれかに飞向すれば、君主はすなわち随いて前往す。君主がもし去らざれば、すなわち将軍あるいは丞相がそれに随いて行す。星の大きさが瓮のごとくは、謀画を興起し大事を発動するを主る。ただ桃子ほどの大きさのは、出使して差を办する事を主る。《荊州占》にまたいう、流星の尾巴が長さ二三丈、光耀は目を奪って長空を横亙し、顔色が白に発するは、君主の使者で、顔色が赤に発するは、将軍の使者である。
流星昼行 三
《黃帝占》曰:“流星名曰營頭;營頭所之下,流血滂沱,赤地三千里;若過四關,天下道不通,期不出三年。”
《黄帝占》にいう、一種の流星ありて名を「営頭」といい、営頭の降臨する処は、まさに血が流れて滂沱とし、赤地三千里と為る。もしそれが四方の関塞を掠過すれば、天下の道路はまさに断絶して通ぜず、応期は三年を出ず。これは白天に出現する流星の中の最も凶の一種である。
司馬《天文志》曰:“王莽地皇四年六月,莽使司徙王尋、司空王邑將兵;號百萬眾。驅犀象虎狼放之道路,晝有雲氣如壞山,墜其軍上,人皆似壓,所為營頭之星也;是時,光武將數千人,赴昆陽,奔擊二公兵,併力猋發,號呼聲動天地,虎狼豹驚怪散,會天大風,飛屋瓦,雨如注水;二公兵敵敗,自相賊殺者數萬人,競赴滍水,死者委積,滍水為之不流。殺司徙王尋,軍人皆散走,歸本郡;王邑還長安,莽敗,俱訴死。晉大安二年十一月辛已,有星晝隕中天,北下,有聲如雷;明年劉淵、石勒攻掠幷州,多所殘滅,王浚起燕代,百姓塗地。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す、王莽の地皇四年六月に、王莽は司徒の王尋・司空の王邑を遣わして兵を領せしめ、百万の衆と号し、さらに犀・象・虎・狼を駆りて道路上に置いて声勢を壮とした。白天に云気ありて崩れし山のごとく彼らの軍隊の上空に墜落し、人は皆おもむろに圧されるがごとく、これすなわちいわゆる「営頭」の星である。当時、光武帝の劉秀は幾千の人を率いて昆陽に赴き、直ちに王尋・王邑の二公の軍隊に沖し、力を合わせて猛攻し、呼喚の声は天地を驚かし、虎狼・豹獣は驚駭して四散した。また大風に逢い、屋瓦をも刮き飛ばし、大雨は水を傾けるがごとし。二公の軍隊は潰敗し、自ら相い践踏して残殺する幾万の人あり、争って滍水に跳び入り、尸首は堆堆積し、滍水もまたこれに因って流通すること能わず。司徒の王尋は殺され、兵士は皆散走し、各々本郡に帰り、王邑は長安に退回した。王莽は兵に敗れ、君臣は一同に誅に伏した(原文の「訴」は当に「誅」と作るべし)。また記す、晋の恵帝の太安二年十一月辛巳に、星ありて白天に中天に陨落し、北に向かって下墜し、声音は雷のごとし。第二年に劉淵・石勒が并州を攻掠し、残破は極めて多く、王浚が燕・代に兵を起こし、百姓は肝脳を地に塗った。
《洛書摘亡闢》曰:“流星晝行,亡君之誡。”甘氏曰:“星晝行,名曰營首;營首所在,有流血滂沱,則天下不通;一曰大旱,赤地千里;所謂晝行者,日未入也。”巫咸曰:“流星晝行,名曰爭明,其分有兵,國破君亡;期一年,遠三年。”京房曰:“星晝行,唯百姓不安。”《荊州占》曰:“暮若晝,有流星甚大而長,兵從之其後,散,無功。”又曰:“流星晝見,墜邑都中,有王來入都邑者。”《玉曆》曰:“流星晝行,下都邑中。赤;不出二年,外國相有來者;色白,臣謀主,不成,戮死。”
《洛書摘亡辟》にいう、流星が白天に飛行するは、亡国の君の警誡である。甘徳はいう、星が白天に飛行するを、名を「営首」といい、営首の臨む処は、まさに血が流れて滂沱とし、天下の道路は通ぜず。もう一説は大旱にして赤地千里である。いわゆる白天の飛行とは、太陽がまだ山に落ちざる時を指す。巫咸はいう、流星が白天に飛行するを、名を「争明」といい、それが対応する分野はまさに兵事あり、国は破れ君は亡び、応期は一年、遠ければ三年。京房はいう、星が白天に飛行するは、ただ百姓が安寧を得ざるのみ。《荊州占》にいう、傍晚に亮きこと白天のごとく、流星ありて極めて大きくしかも長く、兵衆はそれに随いて動き、随いて潰散し、功なくして返る。またいう、流星が白天に出現し、城邑・都会の中に墜落すれば、すなわち王と称する人ありてこの都邑に進入せん。《玉曆》にいう、流星が白天に飛行し、都邑の中に落到し、顔色が赤に発するは、二年を出ずに、外国の相の前来するあり。顔色が白に発するは、臣下が君主を図謀し、事は成らずして誅殺せらる。
班固《天文志》曰:“成帝元延元年,四月丁酉日,晡時;天清晏,殷殷如雷電,有流星,頭大如缶,長十餘丈,皎然赤白色,從日下東南去;四面或如大盆,或如雞子,耀耀如雨下,至昏止;郡國皆言星隕。《春秋》星隕如雨,王者失勢,諸侯起霸之異也。其後,王莽遂專國政,王氏之興,萌於是也。是時,已有星隕之變,後王莽遂篡國。”
班固《漢書・天文志》にいう、漢の成帝の元延元年四月丁酉のこの日、申の時の前後に、天色は清朗なるも、隠隠として轟き響くこと雷電のごとし。流星ありて出現し、頭の大きさは缶のごとく、長さ十幾丈、皎潔にして赤白色を呈し、太陽の下方より東南に向かって飞去した。四周に散落するは、あるいは大盆に似て、あるいは鶏蛋に似て、閃耀して雨の降るがごとく紛紛として落ち、黄昏に至るまでにやんで止んだ。各郡国はいずれも星の陨るを上報した。《春秋》の記す「星の隕ること雨のごとし」は、帝王が権勢を失い、諸侯が起こって覇を争うの異象である。後に王莽は果して国政を専擅し、王氏の興起は、この時に萌芽した。当時既に星陨の変異が出現し、その後王莽は終に国家を簒奪した。
流星犯日 四
《荊州占》曰:“奔星入日中,有臣欲謀其主,凡流星貫日不中者,臣謀主,事不成而戮死也。”
《荊州占》にいう、奔星が太陽の中に飞入すれば、すなわち臣子ありてその君主を図謀せんと欲す。およそ流星が太陽の旁より穿過して日体に正中せざるも、同じく臣下が君主を図謀するを主り、ただ事は成ること能わず、反って自ら誅殺せらる。
流星犯月 五
《河圖》曰:“天無雲,有流星過月下,若月上,其國有喜。”《洛書》曰:“流星入月中,不出三年,有主憂。”《海中占》曰:“流星入月中,星無光,不出其年,亡國;星出,亡國復立。”《海中占》曰:“使星入月中,女主疾。”《荊州占》曰:“流星入月中,無光,四夷侵中國,不出十月。”又:“奔星入月中,有臣謀其君。又使星入月中,有君失地者。”又曰:“使星入月中,無光,將軍戮,期十年。”
《河図》にいう、天上に云なく、流星ありて月亮の下方より掠過し、あるいは月亮の上方より掠過するは、あの国家に喜事あり。《洛書》にいう、流星が月中に進入するは、三年を出ずに、君主に憂患あり。《海中占》にいう、流星が月中に進入し、星光が随いて消失するは、当年を出ずにまさに亡国す。星がもしまた月中より飞出せば、亡びた国はなお復立すべし。《海中占》にまたいう、使星が月中に進入するは、女主に疾病あり。《荊州占》にいう、流星が月中に進入して光なきは、四方の夷狄はまさに中原を侵犯し、十箇月を出ず。またいう、奔星が月中に進入するは、臣子ありてその君主を図謀す。使星が月中に進入するは、国君ありて土地を丟失せん。またいう、使星が月中に進入して光なきは、将軍はまさに誅戮せられん、応期は十年。
流星犯五星 六
郗萌曰:“流星抵歲星,大臣弒主;一曰相戮死。”又云:“流星抵歲星,歲星沒不見,流星反為歲星,人主死,相出走。”《荊州占》曰:“使星入歲星,色蒼黑,則大農、相國死;赤,歲大病,天下飢;黃白,飢;青,足食。”
郗萌はいう、流星が木星(歳星)に抵触するは、大臣はまさに君主を弑殺せん。もう一説は丞相が誅殺されて死す。またいう、流星が歳星に抵触し、歳星が隠没して見えず、流星は反って歳星の位置を占踞するは、君主はまさに死し、丞相は出逃す。《荊州占》にいう、使星が歳星に進入し、顔色が蒼黒なるは、農事を掌る大農と相国はまさに死せん。顔色が赤に発するは、当年に疫病多く、天下は饑饉す。顔色が黄白なるも、また饑饉を主る。顔色が青に発するは、糧食は充足す。
又:“流星抵熒惑,天子將大將,國旱飢。”又:“使星入熒惑,國多讒臣,天子備火。”《黃帝》曰:“流星抵填星,後忌之。”郗萌曰:“流星抵太白,有喜令。”《天官書》曰:“流星抵太白,太白沒不見,流星反為太白,更國政令,將戮死,有內兵。”又云:“流星抵辰星,辰星沒不見;流星反為辰星,國大亂。”
またいう、流星が火星(熒惑)に抵触するは、天子はまさに大将を任命して出師せしめ、国中は旱災・饑饉す。またいう、使星が熒惑に進入するは、国中に讒佞の臣多く、天子は火災を防備せん。《黄帝占》にいう、流星が土星(填星)に抵触するは、此の後に忌避する所有らん。郗萌はいう、流星が金星(太白)に抵触するは、喜慶の政令あるべし。《史記・天官書》にいう、流星が太白に抵触し、太白が隠没して見えず、流星は反って太白の位置を占するは、国家の政令はまさに更改し、将領は誅殺せられ、さらに内乱の兵禍あるべし。またいう、流星が水星(辰星)に抵触し、辰星が隠没して見えず、流星は反って辰星の位置を占するは、国家はまさに大いに乱れん。
