Libo

巫咸中官二

唐 · 瞿昙悉达 · 第108巻 / 119

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

大尊,舊在中臺西,子規外。今在中臺北,子規內。一星,中臺北。三師,古今同,三星,北斗魁第一星西。大理,古今同,二星,紫微宮門老星內。御女,古今同,四星,鉤陳後北。天相,古今同,三星,七星大星北。長垣,舊在黃道外有二星,今並在黃道內。四星,少微西,南北列。

以下に巫咸一家の伝えた中官の諸座と実測の天象の異同を覈対す。大尊は、旧図は中台の西・子規圈の外に定め、如今実に中台の北・子規圈の内にあり。一星、位は中台の北にあり。三師は古今の載せる所が同じく、三星、北斗の斗魁の第一星の西にあり。大理は古今の載せる所が同じく、二星、紫微宮門の老星の内にあり。御女は古今の載せる所が同じく、四星、鈎陳の後に偏りて北にあり。天相は古今の載せる所が同じく、三星、星宿の大星の北にあり。長垣は、旧図は二星が黄道の外にあると謂い、如今は四星が皆黄道の内にあり。共に四星、位は少微の西にあり、南北に列を成す。

虎賁,古今同,一星,下臺南。軍門、土司空二座,舊並在軫星南,今在軫星西南,近翼。軍門二星,青邱西。土司空四星,軍門南。陽門,古今同,二星,庫樓東北。頓頑,古今同,二星,折威東南。從官,古今同,二星,房星南。天輻,古今同,二星,房距星西。鍵閉,古今同,一星,房東北。罰星,古今同,三星,東咸北列。

虎賁は古今の載せる所が同じく、一星、下台の南にあり。軍門と土司空の二座は、旧図は皆軫宿の南に定め、如今実に軫宿の西南にあり、翼宿に近づく。軍門は二星、青丘の西にあり。土司空は四星、軍門の南にあり。陽門は古今の載せる所が同じく、二星、庫楼の東北にあり。頓頑は古今の載せる所が同じく、二星、折威の東南にあり。従官は古今の載せる所が同じく、二星、房宿の南にあり。天輻は古今の載せる所が同じく、二星、房宿の距星の西にあり。鍵閉は古今の載せる所が同じく、一星、房宿の東北にあり。罰星は古今の載せる所が同じく、三星、東咸の北に列を成す。

列肆,古今同,二星,天市中,斛西北。車肆,古今同,二星,天市門左星內。帛度,古今同,二星,宗星東北。屠肆,古今同,二星,帛度北。奚仲,舊三星在虛度,一星入女度,其星在子規外豎立。今三星在牽牛度,一星在南斗度,泊子規,東南、西北斜列。四星如衡狀,天津北。鉤星,古今同,九星如鉤狀,造父北。

列肆は古今の載せる所が同じく、二星、天市垣の中・斛星の西北にあり。車肆は古今の載せる所が同じく、二星、天市垣門内の左星の内にあり。帛度は古今の載せる所が同じく、二星、宗星の東北にあり。屠肆は古今の載せる所が同じく、二星、帛度の北にあり。奚仲は、旧図は三星が虚宿の度・一星が須女宿の度に入ると謂い、衆星は子規圈の外に竪立す。如今実測すれば三星は牵牛宿の度・一星は南斗宿の度にあり、子規圈に緊貼して、東南・西北向に斜列を作す。共に四星、形状は一支の衡杆の如く、位は天津の北にあり。鈎星は古今の載せる所が同じく、九星、形状は鈎の如く、位は造父の北にあり。

天桴,舊在赤道外,今在赤道內,四星,河鼓左旗端,南北列。天鑰,古今同,八星,南斗柄第二星西。天淵,古今同,十星,在鱉東南,九坎間。一名三泉。齊,一星,九坎東,沖星東北。趙,二星,在齊西北。鄭,一星,在趙東北。越,一星,在鄭西北。周,二星,在趙東北。秦,二星,在周東。代,二星,在周東南。晉,一星,在周西南。韓,一星,在晉北。魏,一星,在韓北,近秦星。楚,一星,在魏西南,近鄭星。燕,一星,在楚東南,近晉星。

天桴は、旧図は赤道の外に定め、如今実に赤道の内にあり。共に四星、位は河鼓左旗の一端にあり、南北に列を成す。天鑰は古今の載せる所が同じく、八星、南斗の斗柄の第二星の西にあり。天淵は古今の載せる所が同じく、十星、鼈星の東南・九坎の間にあり、一名を三泉と謂う。以下は列国をもって名と為す十二座である:斉は一星、九坎の東・衝星の東北にあり。趙は二星、斉星の西北にあり。鄭は一星、趙星の東北にあり。越は一星、鄭星の西北にあり。周は二星、趙星の東北にあり。秦は二星、周星の東にあり。代は二星、周星の東南にあり。晋は一星、周星の西南にあり。韓は一星、晋星の北にあり。魏は一星、韓星の北にあり、秦星に近づく。楚は一星、魏星の西南にあり、鄭星に近づく。燕は一星、楚星の東南にあり、晋星に近づく。

秦趙等十二星座,舊《圖》並須女度,今齊、鄭、趙、越、周等五座在須女度,又列位不同。璃瑜,古今同,三星,在代東南北外。天壘城,古今同,十三星,如貫索狀,哭泣西。虛梁,古今同,四星,在危南。天錢,古今同,十星,在北落東北。天網,古今同,一星,在北落西南。斧鉞,古今同,三星,在八魁西北。東廄,舊絡東壁距道,又在河外,今測絡奎距道仍北,三星入河,不絡東壁距道。十星,東壁北,近王良。天陰,舊騎赤道,今測近黃道,五車、畢柄西。

秦・趙等の十二座は、旧《星図》は一概に須女宿の度に定め、如今はただ斉・鄭・趙・越・周等の五座がなお須女宿の度にあり、しかも排列の位次もまた旧図と同じでない。璃瑜は古今の載せる所が同じく、三星、代星の東南に偏りて北の外にあり。天塁城は古今の載せる所が同じく、十三星、形状は貫索の如く、位は哭星・泣星の西にあり。虚梁は古今の載せる所が同じく、四星、危宿の南にあり。天銭は古今の載せる所が同じく、十星、北落師門の東北にあり。天網は古今の載せる所が同じく、一星、北落師門の西南にあり。斧鉞は古今の載せる所が同じく、三星、八魁の西北にあり。東厩は、旧図はそれが東壁の距道に連絡し、また銀河の外にあると謂い、如今実測すればそれは奎宿の距道に連絡してかつ北方に偏り、三星が河の中に入り、東壁の距道には連絡しない。共に十星、位は東壁の北、王良に近づく。天陰は、旧図はそれが赤道に跨騎すると画き、如今実測すれば黄道に近づき、位は五車と畢柄の西にあり。

開元占経巻一百一十一

八谷占

八谷の生長

《神農》曰:禾生於棗,出於上黨羊頭之山右谷中,生七十日秀,六十日熟,凡一百三十日成,忌於寅卯;黍生於榆出於大梁之山左谷中,生六十日秀,四十日熟,凡一百日成,忌於丑;大豆生於槐,出於沮石之山谷中,九十日華,六十日熟,凡一百五十日成,忌於卯。

《神農》の書はいう:禾(すなわち粟)は棗と同気にして生まれ、産地は上党の羊頭山の右の山谷の中にあり、種を下して後七十日に穂を抽き、更に六十日に成熟し、前後共に一百三十日にして成る。忌む所の日辰は寅日と卯日である。黍は楡と同気にして生まれ、産地は大梁の山の左の山谷の中にあり、六十日に穂を抽き、四十日に成熟し、前後共に一百日にして成る。忌む所の日辰は丑日である。大豆は槐と同気にして生まれ、産地は沮石の山の山谷の中にあり、九十日に華を開き、六十日に成熟し、前後共に一百五十日にして成る。忌む所の日辰は卯日である。いわゆる「某の木に生ず」とは、この一種の穀とあの一種の草木とが同じ一気を禀け、気類が相通ずるを謂い、故にその栄枯・貴賤は互いに占験しうる。

小豆生於李,出於農石之山谷中,生六十日華,五十日熟,凡一百一十日成,忌於卯;秫生於楊,出於農石之山谷中,七十日秀,六十日熟,凡一百三十日成,忌於午;蕎麥生於杏,出於長石之山谷中,生二十四日秀,五十日熟,凡七十五日成,忌於子;麻生於荊,出於農石之山谷中,生七十日秀,六十日熟,凡一百三十日成,忌於未、午、辰、亥日;小麥生於桃,出於須石之山谷中,生三百日秀,三十日熟,凡三百三十日成,忌於子;稻生於柳,出於農石之山谷中,生八十日秀,七十日熟,凡百五十日成,忌於亥。

小豆は李と同気にして生まれ、産は農石の山の山谷の中にあり、六十日に華を開き、五十日に成熟し、共に一百一十日にして成る。忌む所は卯日である。秫(黏粟)は楊と同気にして生まれ、産は農石の山の山谷の中にあり、七十日に穂を抽き、六十日に成熟し、共に一百三十日にして成る。忌む所は午日である。蕎麦は杏と同気にして生まれ、産は長石の山の山谷の中にあり、二十四日に穂を抽き、五十日に成熟し、共に七十五日にして成る。忌む所は子日である。麻は荊と同気にして生まれ、産は農石の山の山谷の中にあり、七十日に穂を抽き、六十日に成熟し、共に一百三十日にして成る。忌む所は未日・午日・辰日・亥日である。小麦は桃と同気にして生まれ、産は須石の山の山谷の中にあり、三百日に穂を抽き、三十日に成熟し、共に三百三十日にして成る。忌む所は子日である。小麦は冬を越す物なるが故に、歴る日数は独り長い。稲は柳と同気にして生まれ、産は農石の山の山谷の中にあり、八十日に穂を抽き、七十日に成熟し、共に一百五十日にして成る。忌む所は亥日である。

五穀,生長日種者多實;以老死日種者無實,又難生;以忌日種之,一人不食。禾生於已,疾於酉,長於子,老於戌,惡於丙丁,忌於寅卯;黍生於寅,疾於午,長於丙丁,老於戌,死於申,惡於壬,忌於丑;豆生於申,疾於子,長於壬,老於丑,惡於甲乙,忌於丙丁;麥生於酉,疾於卯,長於辰,老於午,死於已,惡於戌,忌於子。

五穀の中、およそ「生」の日・「長」の日に種を下す者は、結実は必ず多く、「老」の日・「死」の日に種を下す者は、結実しないのみならず、苗を出すことすら難く、もし忌む所の日に種を下せば、収穫は一人をも養うことを得ない。禾の生の日は巳にあり(底本は「巳」を「已」と訛る)、病の日は酉にあり、長の日は子にあり、老の日は戌にあり、悪む所は丙丁、忌む所は寅卯である。黍の生の日は寅にあり、病の日は午にあり、長の日は丙丁にあり、老の日は戌にあり、死の日は申にあり、悪む所は壬、忌む所は丑である。豆の生の日は申にあり、病の日は子にあり、長の日は壬にあり、老の日は丑にあり、悪む所は甲乙、忌む所は丙丁である。麦の生の日は酉にあり、病の日は卯にあり、長の日は辰にあり、老の日は午にあり、死の日は巳にあり、悪む所は戌、忌む所は子である。

太歲在四季,葶藶子熟時,可種禾豆;夏至時,可種黍麻;夏至後百五十日,地氣上時,可種麥。(丑辰未戌是也)太歲在四仲,椹熟時,可種禾豆;夏至,可種黍糜;夏至後九十日,地氣上,可麥。(子午卯酉是也)太歲在四孟,以蠶臥起時,可種禾豆;夏至前五十日,可種稻黍糜;夏至後八十日,地氣上,可種麥。(寅申巳亥是也)

太歳が四季の年に落つれば(原書の小注:すなわち丑・辰・未・戌の四支の年)、葶藶の子の熟する時に至り、禾と豆を種くべし。夏至の前後に至り、黍と麻を種くべし。夏至以後一百五十日・地気の上がる時に至り、麦を種くべし。太歳が四仲の年に落つれば(小注:すなわち子・午・卯・酉の四支の年)、桑の椹の熟する時に至り、禾と豆を種くべし。夏至に至り、黍と糜を種くべし。夏至以後九十日・地気の上がる時に、麦を種くべし。太歳が四孟の年に落つれば(小注:すなわち寅・申・巳・亥の四支の年)、春蚕の眠りて復び起つ時に至り、禾と豆を種くべし。夏至以前の五十日に、稲・黍と糜を種くべし。夏至以後八十日・地気の上がる時に、麦を種くべし。

八谷の陰陽の相衝

《黃帝占》曰:「谷有陰陽,沖位相當,王相廢休,名在其鄉。」《黃帝要經》曰:「春夏為陽,秋冬為陰,陰當合賤,陽當合貴,春夏賤為順,秋冬貴為逆。」《黃帝占》曰:「稻與小麥為陰陽,稻賤時,小麥貴,十五日反之,亦等;黍與小豆為陰陽,黍賤時,小豆貴;麻與大麥為陰陽,麻賤時,大麥貴,大麥賤時,麻貴;粟與大豆為陰陽,粟賤,大豆貴,大豆賤,粟貴。」

《黄帝占》はいう:「穀物は各々陰陽に分れ、衝する两位は彼此に対当し、王・相・廃・休のこの四種の盛衰の名は、各々それの属する方位に係る。」《黄帝要経》はいう:「春夏は陽に属し、秋冬は陰に属す。陰に属する時節は応に賎価を配すべく、陽に属する時節は応に貴価を配すべし。故に春夏に価賎しきは順、秋冬に価貴しきは逆である。」《黄帝占》はまたいう:「稲と小麦とは互いに陰陽と為り、稲価の賎しき時は小麦すなわち貴く、十五日を過ぎて則ち反転して、両者の価はまた持平す。黍と小豆とは互いに陰陽と為り、黍の賎しき時は小豆すなわち貴し。麻と大麦とは互いに陰陽と為り、麻賎しき時は大麦貴く、大麦賎しき時は麻貴し。粟と大豆とは互いに陰陽と為り、粟賎しければ則ち大豆貴く、大豆、大豆賎しければ則ち粟貴し。」

八谷の貴賤および歳・雑物・蚕の善悪を候す

《黃帝占》曰:「粟常以建戌之月下旬二十五日下價為本,以建亥之月上旬上價為末,乘本貴之一錢以五,並本價,以為來年春夏極貴定,即亥月與戌月平者,更以建子之月乘亥月價,見一貴之,一貴之以三,皆並本價,以為來年春夏極貴,各在其沖月,即冬三月皆不貴,各平,平者來年春不復貴矣。

《黄帝占》はいう:粟価を推す办法は、つねに斗柄の戌を建する月(夏暦の九月)下旬の二十五日の最低価を取って「本」とし、亥を建する月(十月)上旬の最高価を取って「末」とす。末価が本価より貴しきこと一銭ごとに、すなわち五をもって相乗じ、更に本価を併せ入れ、これに拠って来年の春夏の最高価を定める。もし亥月の価が戌月と持平すれば、すなわち更に子を建する月(十一月)の価をもって亥月の価に乗じ、貴しき一銭を見るごとに、すなわち三をもって相乗じ、同様に本価に併入し、これに拠って来年の春夏の最高価を定める。応験する時は、各々それと相衝するあの月にあり。もし冬季の三箇月が穀価は皆漲らず各自持平すれば、価すでに持平すれば、来年の春もまた復び貴からざるなり。

黍常以建酉之月下旬二十五日下價為本,以建戌之月上價上旬為末,本一錢貴之以五,並本價,以為來年春夏極價定,即冬三月平,平者春夏不復貴。麻常以建戌之月下旬二十五日價為本,以建亥之月上旬價為末,末乘其本一錢貴之以五,並本價,以為來年春夏價定,即冬三月皆平,平者春夏不復貴。

黍価を推す办法は、つねに酉を建する月(八月)下旬の二十五日の最低価を取って本とし、戌を建する月(九月)上旬の最高価を取って末とす。本価より貴しきこと一銭ごとにすなわち五をもって相乗じ、更に本価を加え、これに拠って来年の春夏の最高価を定める。もし冬季の三箇月が価格持平すれば、来年の春夏もまた復び貴からざるなり。麻価を推す办法は、つねに戌を建する月下旬の二十五日の価を取って本とし、亥を建する月上旬の価を取って末とす。末価をもってその本価に乗じ、貴しき一銭ごとにすなわち五をもって相乗じ、更に本価を加え、これに拠って来年の春夏の価を定める。もし冬季の三箇月が皆持平すれば、春夏もまた復び貴からざるなり。

大豆常以建亥之月下旬二十五日下價為本,以建子之月上旬上價為末,末乘其本一錢貴之以五,並本價,以為來年春夏極價定矣,即冬三月皆平,平者春夏不復貴。麥常以建午之月下旬二十五日下價為本,以建未之月上旬上價為末,末乘本一錢貴之五,並本價,以為來冬春價極責定矣,夏秋三月平,平者冬不復貴。」

大豆価を推す办法は、つねに亥を建する月下旬の二十五日の最低価を取って本とし、子を建する月上旬の最高価を取って末とす。末価をもってその本価に乗じ、貴しき一銭ごとにすなわち五をもって相乗じ、更に本価を加え、これに拠って来年の春夏の最高価を定める。もし冬季の三箇月が皆持平すれば、春夏もまた復び貴からざるなり。麦価を推す办法は、つねに午を建する月下旬の二十五日の最低価を取って本とし、未を建する月上旬の最高価を取って末とす。末価をもって本価に乗じ、貴しき一銭ごとにすなわち五をもって相乗じ、更に本価を加え、これに拠って来冬から来春までの最高価を定める(底本の「極責」は当に「極貴」の訛)。もし夏秋の三箇月が価格持平すれば、冬に至ってもまた復び貴からざるなり。

《師曠占》曰:「常以正月一日迄十二日,以占十二月,以日易月。每歲黃氣,其氣為差歲,風從西來,西南來,皆為穀貴;從東,即穀賤。」《黃帝占》曰:「正月上卯日候風,其有寒風者,谷小貴;若至沖,必貴矣。其卯日不風寒而溫者,即中平也。春雨甲申,五穀熟;夏雨甲申,五穀大好。」《神農占》曰:「正月上朔有風雨,三月穀貴,石五百錢。」

《師曠占》はいう:つねに正月の初一から十二日までのこの十二日を用い、各々一年の十二箇月の豊歉を占候し、一日をもって一箇月に当てて見る。每年に現わる黄気は、気色がもし正ならざれば、すなわち年成の参差不斉を主り、正月の内に風が西方より来たり、西南方より来たれば、皆穀価の騰貴を主り、風が東方より来たれば、穀価すなわち賎し。《黄帝占》はいう:正月の頭の一箇の卯日に風を候し、もし寒風の刮るあれば、穀価は小貴し。卯と相衝する月に至れば、必ず大貴なり。あの卯日に寒風刮らずして天気温和なれば、年景はすなわち中平である。春に甲申の日に雨下れば、五穀は成熟す。夏に甲申の日に雨下れば、五穀は大好なり。《神農占》はいう:正月の初一に風あれば雨あれば、三月に至りて穀価は必ず貴く、每石は五百銭に売らん。

《黃帝占》曰:「春雨甲寅、乙卯,入地五寸,糴小貴,若不貴,夏穀貴。正月丙丁為朔,穄黍貴;戊己為朔,粟貴;庚辛為朔,麻稻貴;甲乙為朔,大小麥貴;壬癸為朔,大小豆貴。正月三日,當風不風,則莫不同者,謂無黍。」《東方朔占》曰:「正月朔日雨,歲中,下田麥成,禾黍小貴。」《沛公占》曰:「常以正月,甲辰先至,大麥貴;丙辰先至,黍貴;戊辰先至,粟貴;庚辰先至,大豆貴;壬辰先至,小豆貴。正月一日得寅,貴,盡十二日,以占十二月。」

《黄帝占》はいう:春に甲寅・乙卯の日に雨下り、雨水が地下に浸み入ること五寸なれば、糧価は小漲す。もし当時漲らざれば、夏に至りて穀価は必ず貴し。正月の初一が丙日・丁日に逢えば、穄と黍は貴し。戊日・己日に逢えば、粟は貴し。庚日・辛日に逢えば、麻と稲は貴し。甲日・乙日に逢えば、大麦・小麦は貴し。壬日・癸日に逢えば、大豆・小豆は貴し。正月の初三、本当に風あるべきに竟に風なければ、各処の年景は便ち歉薄ならざるはなく、これは黍の絶収せんことを謂う。《東方朔占》はいう:正月の初一に雨下れば、一年の中に低窪の田の麦子は成熟することを得、禾と黍の価は則ち小ありて上揚す。《沛公占》はいう:つねに正月の内にどの辰日が先に至るかを見る——甲辰が先に至れば、大麦は貴く、丙辰が先に至れば、黍は貴く、戊辰が先に至れば、粟は貴く、庚辰が先に至れば、大豆は貴く、壬辰が先に至れば、小豆は貴し。正月の初一がもし寅日に逢えば、穀価の騰貴を主り、初一から数えて十二日に満てば、すなわちこの十二日を用いて十二箇月の貴賤を分占す。

《黃帝占》曰:「正月晦,二月朔,有風雨,稻惡,糴貴;二月晦,三月朔,有風雨,其年大水,麥惡;十二月晦,正月朔,風雨,春旱;三月晦,四月朔,有風雨,春糴貴;四月晦,五月朔,有風雨,其年大水,麥惡;五月晦,六月朔,有風雨,春旱;六月晦,七月朔,有風雨,春糴貴;七月晦,八月朔,有風雨,歲糴貴。」

《黄帝占》はいう:正月の末日と二月の初一に風あれば雨あれば、稲子は歉薄し、糧価は騰貴す。二月の末日と三月の初一に風あれば雨あれば、この年は大水を発し、麦子は歉薄す。十二月の末日と正月の初一に風あれば雨あれば、春は旱せんとす。三月の末日と四月の初一に風あれば雨あれば、春の糧価は貴し。四月の末日と五月の初一に風あれば雨あれば、この年は大水を発し、麦子は歉薄す。五月の末日と六月の初一に風あれば雨あれば、春は旱せんとす。六月の末日と七月の初一に風あれば雨あれば、春の糧価は貴し。七月の末日と八月の初一に風あれば雨あれば、全年の糧価は皆貴し。

《東方朔占》曰:「三月得己朔,大麥熟;庚朔,禾熟,兵賊起;辛朔,下田不收;壬朔,赤地千里,米穀貴;癸朔,熟。三月有三卯,大豆好,無三卯,旱,種禾。四月丙午,夏苗長,四月無三卯,旱,種麻。」《京房占》曰:「五月無三卯,旱,種大豆;六月無三卯,穄不好。」《神農占》曰:「八月有三卯,麥大善,無三卯,麥不善。」《京房占》曰:「八月無三卯,旱,種麥。」

《東方朔占》はいう:三月の初一が己日に逢えば、大麦は成熟す。庚日に逢えば、禾は熟すると雖も兵禍・盗賊は併せて起る。辛日に逢えば、低窪の田は顆粒の収なし。壬日に逢えば、赤地千里にして米穀は騰貴す。癸日に逢えば、年成は成熟す。三月の内に三箇の卯日あれば、大豆の生えること好し。三箇の卯日なければ、旱を主り、改めて禾を種くに宜し。四月に丙午の日に逢えば、夏苗は滋長す。四月に三箇の卯日なければ、旱を主り、改めて麻を種くに宜し。《京房占》はいう:五月に三箇の卯日なければ、旱を主り、大豆を種くに宜し。六月に三箇の卯日なければ、穄の生えること好からず。《神農占》はいう:八月に三箇の卯日あれば、麦子は大善。三箇の卯日なければ、麦子は善ならず。《京房占》はいう:八月に三箇の卯日なければ、旱を主り、麦を種くに宜し。

《黃帝占》曰:「四月朔日,風起,東來,雞鳴至日出,禾黍畝三斛;至日中,畝二十斛;至夜半,畝三十斛,以中田準之。」《黃帝占》曰:「夏至,以五月朔日至者,其國大驚,谷小貴;四月五日、六日至者,谷大貴;十日、十二日至者,五穀大貴;二十七日、二十九日至者,國王大驚;以晦日至者,國有大喪;六月朔至者,人民相食,及五年事,四月至上。」

《黄帝占》はいう:四月の初一に風起り、風が東方より吹き来り、鶏鳴の時から直に日出に至るまで刮けば、禾黍は每亩に三斛を収むべし。日中に至るまで刮けば、每亩に二十斛。夜半に至るまで刮けば、每亩に三十斛——これは皆中などの田地を准として折算す。《黄帝占》はまたいう:夏至のこの節気、もし五月の初一に落てば、その国は大いに驚擾を受け、穀価は小貴し。四月の初五・初六に落てば、穀価は大貴し。初十・十二に落てば、五穀の価格は大貴し。二十七・二十九に落てば、国君は大いに驚擾を受く。月末の最後の一日に落てば、国中に大喪あり。六月の初一に落てば、百姓は竟に人相食むに至り、その応験は五年の内に及ぶ。大抵夏至は四月に落つるをもって上と為す。

又云:「夏至在天門,土國大驚;在地戶,穀雨五穀大貴;在人門,為三公群臣大夫。穀貴,必察之二日之中。」又:「五六月晦朔日夏至者,賣田宅,穀貴十倍,人民相食,其歲惡,田宅雖賤,慎勿取之。立夏戊子,大風自北來,糴石三百倍貴。」

またいう:夏至が天門(西北の乾位)の位に落てば、その国土は大いに驚擾を受け、地戸(東南の巽位)に落てば、穀雨以後に五穀は大貴し、人門(西南の坤位)に落てば、応験は三公・群臣・大夫の身に在り。およそ穀価の騰貴を占するには、必ずこの前後の二日の内に仔細に察看すべし。またいう:五月・六月の月末あるいは月初に夏至を交る者は、人々は田宅を変売せんとし、穀価は十倍に貴く、百姓は人相食み、この一年の年成は極めて悪し。田宅は縦い価賎しきと雖も、切に買い入るること勿れ。立夏のこの一日がもし戊子に逢い、また大風が北方より吹き来たれば、糧価は每石に三百倍に貴からんとす。

《黃帝要經》曰:「春雨乙卯,夏糴貴;夏雨丁卯,秋糴貴;秋雨辛卯,冬糴貴;冬雨癸卯,春糴貴。倍,雨一卯,斛百文;雨二卯,斛二百;雨三卯,斛三百;雨四卯,斛一斤金。」《沛公占》曰:「三月一日乙卯,荊楚賤;得丁卯,周秦貴;得己卯,燕趙貴;得辛卯,韓魏貴;得癸卯,梁魯貴。」

《黄帝要経》はいう:春に乙卯の日に雨下れば、夏の糧価は貴し。夏に丁卯の日に雨下れば、秋の糧価は貴し。秋に辛卯の日に雨下れば、冬の糧価は貴し。冬に癸卯の日に雨下れば、春の糧価は貴し。漲価は倍に拠って推算す:一箇の卯日に雨下れば、每斛は一百文を漲じ、二箇の卯日に雨下れば、每斛は二百、三箇の卯日に雨下れば、每斛は三百、四箇の卯日に雨下れば、每斛は竟に黄金の一斤に抵当す。《沛公占》はいう:三月の初一に乙卯に逢えば、荊楚の一帯は糧価賎しく、丁卯に逢えば、周・秦の地は貴く、己卯に逢えば、燕・趙の地は貴く、辛卯に逢えば、韓・魏の地は貴く、癸卯に逢えば、梁・魯の地は貴し。

《神農占》曰:「凡蟲食李,則黍貴;食棗,粟貴;食杏,麥貴;食荊,麻貴;食桑,絲貴。正月上朔日,風從東來,植米善;風從南來,植黍善;風從北來,稚禾善。四月四日,風從東來,植豆善;西來,四日至七日,中善;七日至十日,稚禾善;十四日無風,不可種豆。從冬至日到來年滿六十日,有大風雨,折樹木,麥大善。從平朔至食時,植麥善;至日中,中麥善;至日入,稚麥善;常以夏至後九十日,可種。

《神農占》はいう:およそ虫が李樹を啃食すれば、黍はすなわち貴く、棗樹を啃食すれば、粟は貴く、杏樹を啃食すれば、麦は貴く、荊条を啃食すれば、麻は貴く、桑樹を啃食すれば、絲は貴し——これはまさに前文の「禾は棗に生じ」「黍は楡に生ず」の道理で、穀と草木とは同気に相通じ、草木が傷を受ければ、それの応ずる穀物は便ち歉薄して価貴し。正月の初一、風が東方より吹き来たれば、早種の米は生えること好し。風が南方より来たれば、早種の黍は生えること好し。風が北方より来たれば、晩種の禾は生えること好し。四月の初四、風が東方より吹き来たれば、早種の豆は生えること好し。風がもし西方より来たれば、初四から初七の間に刮り起これば、中期に種きし所は好し。初七から初十に刮り起これば、晩種の禾は好し。十四日に至るまでなお風なければ、すなわち豆を種くに宜しからず。冬至のこの日から算え起こして、来年に満六十日の内に、もし大風大雨あって樹木を吹き折れば、麦子は大好なり。風がもし天の明けんとする時から直に朝飯を喫する時に至るまで刮けば、早種の麦は好し。日中に至るまで刮けば、中期に種きし麦は好し。日落に至るまで刮けば、晩種の麦は好し。種を下す時節に至っては、つねに夏至以後の九十日をもって宜しと為す。

四月朔日,風從東來,從平明至辰時,植黍善;至日中,中黍善;至日入,稚黍善。正月朔日,日清明,蠶善。”《京房占》曰:“正月一日候風,平明和調不風,植稼蠶善;日中和調,中稼稚蠶善;至暮無風,五穀桑蠶滋茂,人民六畜無病。”《沛公占》曰:“正月一日,平明溫不風,早蠶善;日中不風,中蠶善;日入不風,稚蠶善;終日不風,植稚皆善。”《東方朔》曰:“正月朔日,當溫更風雨者,米大貴,蠶傷;風起西方,來年兵革貴。”

四月の初一のこの日、風が東方より吹き来たれば:天の剛に亮きた時から辰時(午前七時より九時)まで刮けば、早種の黍子の収成は好し。正午に至るまで刮けば、中期に種を下しし黍子の収成は好し。日落に至るまで刮けば、晩種の黍子の収成は好し。正月の初一に日色が晴朗・明浄なれば、この一年は蚕を養うこと順利なり。」《京房占》はいう:「正月の初一に風候を守候すべし、天の剛に亮きた時に気候が温和・平順にして風を起こさざれば、早種の庄稼と早蚕は皆好し。正午に至ってなお和順なれば、中期に種を下しし庄稼と中蚕は皆好し。傍晚に至って始終風なければ、五穀・桑樹・蚕事は皆繁茂せんとし、百姓と牛馬羊鶏犬豕の六畜は皆病を生ぜず。」《沛公占》はいう:「正月の初一に天の剛に亮きた時に暖和にして風を起こさざれば、早蚕は好し。正午に風なければ、中蚕は好し。日落の時に風なければ、晩蚕は好し。一整天を通じて皆風を起こさざれば、早種・晩種は一概に皆好し。」《東方朔》はいう:「正月の初一は本当に暖に転ずべきに、却って風を刮り雨を下らす者は、米価は大漲し、蚕事は損傷を受く。風が西方より刮り起これば、来年は兵禍に因りて兵器・甲仗の価銭は昂貴せん。」

《京房》曰:“太歲在寅,歲中三十日大陰,蠶不登,菽麥昌,人民食四升;太歲在卯,中調和,豆麥昌,人民食五升,旱四十日,在六月;太歲在辰,歲中旱三十日,六月大風,旱六十日,歲人病,豆成;太歲在巳,小兵起,大麥登,四十日旱,在六月,百物賤,不宜早蠶,晚者成,五穀熟;太歲在午,五百日旱,蠶登,百穀不為,晚蠶傷,兵革起,六畜、小兒死;太歲在未,十月小兵,豆登,麥惡,旱,蠶不成,晚者好,旱六十日,在二月;太歲在申,蠶登,麥熟,五穀,旱五十日,人多病,兵革起,早蠶不成,晚者好;太歲在酉,兵起,人病,早蠶不登,晚者好,六畜傷,六月、七月旱;太歲在戌,兵起,蠶不登,肉賤,牛馬貴,高山旱,人飢,米斗七十文;太歲在亥,兵起,人飢,人多病憂,在四十日,在州,旱七十日,豆麥好,五穀成,蠶子如星;太歲在子,水旱不時,五穀不成,旱三十三日,在六月,西方米麥暴貴;太歲在丑,有兵起,早蠶不成,晚者好,人民不安。”

《京房》はいう:「太歳(紀年に用いる歳陰の神)が寅位に行る年は、一年の中に三十天の陰気の過盛あり、蚕は豊収せず、豆類と麦子は茂盛し、百姓は每人毎日に糧を食むこと四升(この類の占辞は「几升を食む」を用いて年成の豊歉と耗用を標記す)。太歳が卯にあれば、年中に気候は調和し、豆麦は茂盛し、百姓は五升を食み、四十天の旱情あり、六月に応ず。太歳が辰にあれば、年中に旱三十天、六月に大風を刮り、また六十天を旱し、この年に人は多く病を生じ、豆子は収成あり。太歳が巳にあれば、小規模の兵事あり、大麦は豊収し、四十天を旱し、六月に応じ、百物の価は賎しく、早蚕を養うに宜しからず、晩蚕は成ることを得、五穀は成熟す。太歳が午にあれば、旱情は五百天に長く(日数はおそらく訛誤あり、要するに旱期は極めて久しい)、蚕事は豊収するも百穀は結実せず、晩蚕は損を受け、兵禍は興起し、六畜と幼児は多く死す。太歳が未にあれば、十月に小さき兵事あり、豆子は豊収し、麦子は歉収し、天は旱し、蚕は成らず、晩蚕は好し、六十天を旱し、二月に応ず。太歳が申にあれば、蚕事は豊収し、麦子は成熟し、五穀は穫あり、五十天を旱し、人は多く疾病し、兵禍は興起し、早蚕は成らず、晩蚕は好し。太歳が酉にあれば、兵を興し、人は病を生じ、早蚕は収せず、晩蚕は好し、六畜は損を受け、六月・七月は干と旱す。太歳が戌にあれば、兵を興し、蚕は豊収せず、肉価は便宜にして牛馬は昂貴し、高山の一帯は干と旱し、人に飢荒あり、米は每斗に七十文を値す。太歳が亥にあれば、兵を興し、人に飢荒あり、病多く憂多くして、期は四十天を為し、応験は州郡に在り、七十天を旱し、豆麦の生えることは好し、五穀は成熟し、蚕種は満天の星の如くに多し。太歳が子にあれば、水旱は時を失し、五穀は成らず、三十三天を旱し、六月に応じ、西方の米麦の価格は暴漲す。太歳が丑にあれば、兵事の興起するあり、早蚕は成らず、晩蚕は好し、百姓は安寧を得ず。」

《黃帝占》曰“太歲在亥,名曰天空,糴法當貴;太歲在丑,名曰陰盡陽起,可取陽谷,陽穀者,粟也;太歲在巳,名曰地空,糴法當貴;太歲在未,名曰陽盡陰起,可取陰谷,陰谷者,黍也;太陰乘寅,旱水晚旱,蠶禾菽麥昌,人食四升;太陰乘卯,禾稻菽麥黍昌,人食二升;太陰乘辰,早旱,晚水,人飢,豆昌,麥熟,民食二升;太歲乘巳,小兵動,蠶麥昌,二升;太陰乘午,大旱,蠶成,稻菽麥昌,禾不為,二升;太歲乘未,小兵起,蠶稻昌菽麥不為,三升;太陰乘酉,大兵,民疫,蠶菽麥皆不成,民食七升,大耗;太陰乘亥,有兵,麥禾善,五升;太陰乘子,天大霧,歲水大出,稻麥蠶禾昌,民食三升;大陰乘丑,歲小兵,早蠶不登,稻疾菽不成,麥昌,民食三升。”

《黄帝占》はいう:「太歳が亥に在る年は、名づけて『天空』と謂い、糧を買う占法に拠れば、糧価は応に昂貴すべし。太歳が丑にあれば、名づけて『陰尽・陽起』と謂い、陽穀を買い進むべく、陽穀とは粟を指す。太歳が巳にあれば、名づけて『地空』と謂い、糧を買う占法に拠れば、糧価は応に昂貴すべし。太歳が未にあれば、名づけて『陽尽・陰起』と謂い、陰穀を買い進むべく、陰穀とは黍を指す。太陰(太歳と相対して行る歳神)が寅位に行り至れば、先に旱して後に涝し、後期にまた旱し、蚕・禾・豆・麦は皆興旺し、每人の日食は四升。太陰が卯に行り至れば、禾・稲・豆・麦・黍は皆興旺し、每人の日食は二升。太陰が辰に行り至れば、前期は旱し、後期は涝し、人に飢荒あり、豆子は興旺し、麦子は成熟し、百姓の日食は二升。太歳が巳に行り至れば、小股の兵事の発動あり、蚕と麦は興旺し、日食は二升。太陰が午に行り至れば、大いに旱し、蚕は成ることを得、稲・豆・麦は興旺し、禾は結実せず、日食は二升。太歳が未に行り至れば、小さき兵事の興起あり、蚕と稲は興旺するも豆麦は結実せず、日食は三升。太陰が酉に行り至れば、大さなる兵事あり、百姓は瘟疫に遭い、蚕・豆・麦は皆成らず、百姓の日食は七升、耗費は極めて大なり。太陰が亥に行り至れば、兵事あり、麦と禾の生えることは好し、日食は五升。太陰が子に行り至れば、天は大霧を降し、この年は大水に氾濫し、稲・麦・蚕・禾は皆興旺し、百姓の日食は三升。太陰が丑に行り至れば、この年に小さき兵事あり、早蚕は収せず、稲子は病を生じ・豆子は成らず、麦子は興旺し、百姓の日食は三升。」

《黃帝占》曰:“正月一日、二日雨,民食二升;三日、四日雨,民食四升;五日、六日雨,民食六升;七日、八日雨,民食一升;十日雨,不占。”《師曠占》曰:“正月七日,風從西北來,起荊地,弱來,人民霖變訟,六畜貴,谷亦貴,過度,歲不善。”《京房占》曰:“正月初一日為雞,二日為狗,三日為羊,四日為豬,五日為牛,六日為馬,七日為人,八日為谷,和調不風寒,即人不病,六畜不死亡。”

《黄帝占》はいう:「正月の初一・初二に雨下れば、百姓は每人の日食は二升。初三・初四に雨下れば、日食は四升。初五・初六に雨下れば、日食は六升。初七・初八に雨下れば、日食は一升。初十に雨下れば、占断を作さず。」《師曠占》(春秋の楽師・師曠に托名した占候の書)はいう:「正月の初七日、風が西北の方より吹き来たり、荊楚の地に発端し、来勢は微弱なれば、百姓は連綿の陰雨に因りて変故・争訟を生じ、六畜の価は貴く、穀価もまた貴し。もし風勢が過猛なれば、この一年の年景は好からず。」《京房占》はいう:「正月の初一日は鶏に属し、初二は狗に属し、初三は羊に属し、初四は猪に属し、初五は牛に属し、初六は馬に属し、初七は人に属し、初八は穀に属す。どの一日か気候が和順にして風を刮らず寒冷ならざれば、属するあの一類はすなわち吉利にして、人は病を生ぜず、六畜もまた死亡せず。」これがすなわち古俗の正月初七をもって『人日』と為す由来である。

郗萌曰:“常以正月朔日暮,候東井,上有雲,歲水潦,務耕山田、高處。”《東方朔》曰:“常以正月一日夜半子時,候東方,有黃色雲者,春大赦;南方有黃雲者,夏有赦;西方有黃雲者,秋有赦;北方有黃雲者,冬有赦;雜者,皇太子有赦;有黑雲雜者,必有皇后若女子之赦。”《京房易占》曰:“正月一日,雲氣五色備且精神,十二律氣各具,歲則天下太平。風雨從西北起,糴貴。”

漢代の占候家・郗萌はいう:「つねに正月の初一の傍晚に東井宿(南方朱雀の七宿の首で、水を主る)を望観し、井宿の上方に雲気あれば、この一年に水涝あり、応に力を尽くして山田と高処の田地を耕すべし。」《東方朔》はいう:「つねに正月の初一の夜半の子時に東方を望観し、黄色の雲気の現わるる者は、春に大赦あり。南方に黄雲の現わるるは、夏に赦あり。西方に黄雲の現わるるは、秋に赦あり。北方に黄雲の現わるるは、冬に赦あり。黄雲に別色の雑る者は、皇太子を赦免す。黒雲の其間に夾雑するは、必ず皇后あるいは宮中の女子に関渉する赦令あり。」《京房易占》はいう:「正月の初一、雲気の五色が斉備してしかも鮮明にして神采あれば、十二律の対応する節気の気もまた各自に具足し、この一年は天下は太平なり。もし風雨が西北の方より刮り起これば、糧価は昂貴す。」

《神農》曰:“正月有甲子,糴初貴後賤。”《沛公》曰:“正月,甲寅先至,棺木貴;丙寅先至,絲帛貴;壬寅先至,魚鹽貴;各三倍。正月朔日,大風發屋、折木、揚沙、動石,其歲惡;風從東方來,人民多疾病;風從南方來,大旱;風從西方來,六畜死亡傷;風從北方來,下田不收,高田好。常從冬至後卻數,到來年正月上午,滿五十日,食足;不滿,一日之月,過一日,長一月。”

《神農》(神農氏に托名した農占の書)はいう:「正月の内に甲子の日に遇えば、糧を買う行情は先に貴くして後に賎し。」《沛公》はいう:「正月の内に、甲寅の日が最も先に至れば、棺木の価は貴く、丙寅の日が最も先に至れば、絲帛の価は貴く、壬寅の日が最も先に至れば、魚鹽の価は貴し。漲幅は各々三倍に達す。正月の初一、大風が屋頂を掀翻し・樹木を吹き折り・沙塵を揚げ・石塊を撼動せば、この一年の年景は悪劣なり。風が東方より来たれば、百姓は多く疾病す。風が南方より来たれば、大いに旱す。風が西方より来たれば、六畜は死傷す。風が北方より来たれば、低窪の田地は収成なく、高処の田地はかえって好し。つねに冬至以後より下に推算し、来年の正月の上旬の午日に至り、もし五十天に満てば、口糧は充足す。五十天に満たざる者は、一天少なければ一箇月の口糧を少なくし、一天多ければ、一箇月の口糧を多くす。」

《神農》曰:“正月上辛,溫者善,風寒者不好。”《黃帝占》曰:“常以正月、八月夜,候月在昴東,年中大喜;月在昴西,歲多雨;月在昴北,其年大惡;月在昴南,其年大旱。”《京房》曰:“正月、八月候月在參東,大善;在參西,多水蟲;在參北,大惡。”《黃帝占》曰:“春不欲雨乙卯,夏不欲雨丁卯,秋不欲雨辛卯,冬不欲雨癸卯,以此四卯日雨者,人民多病。”

《神農》はいう:「正月の上旬の辛日、天気が温暖なればすなわち吉利にして、風を刮り寒冷なればすなわち好からず。」《黄帝占》はいう:「つねに正月と八月の夜に月亮を望観す:月が昴宿の東にあれば、この一年に大喜慶あり。月が昴宿の西にあれば、この一年に雨多し。月が昴宿の北にあれば、この一年は極めて悪劣なり。月が昴宿の南にあれば、この一年に大いに旱す。」《京房》はいう:「正月・八月に月亮を望観して参宿の東にあれば、大いに吉なり。参宿の西にあれば、水中の虫害は多し。参宿の北にあれば、大いに凶なり。」《黄帝占》はいう:「春は乙卯の日に雨下るを欲せず、夏は丁卯の日に雨下るを欲せず、秋は辛卯の日に雨下るを欲せず、冬は癸卯の日に雨下るを欲せず。この四箇の卯日に雨下る者は、百姓は多く疾病を生ず。」

《黃帝占》曰:“常以正月一日,夜半子時至明,視北方,有黑雲,七月水四丈七尺;青雲,必有疾病流行,燕趙當之;赤黃雲,人民大飢,國多刑獄;白雲,素服之變;赤雲,國有喜,母子同光,女有昌。視南,有赤雲,當大旱,赤地千里,五月炎旱,六月有風雨,發屋折木;有白雲,國有大喪,天子失喪坐;有黑雲,大水,不出其年五月;有青雲者,大吉,婦女謀內。視西方,有白雲,秋有兵,內相走,宮鐘不鳴,劍戟交鋒;有青雲,大凶,君克臣必死,物在市,不出其年九月;黑雲者,大吉,利。

《黄帝占》はいう:「つねに正月の初一、夜半の子時から直に天亮に至るまで望む。北方を望めば:黒雲の現わるるは、七月の内に洪水は四丈七尺に達せんとす。青雲の現わるるは、必ず疾疫の流行あり、燕・趙の一帯に応ず。赤黄色の雲の現わるるは、百姓は大いに飢荒を鬧し、国中に刑獄は繁多す。白雲の現わるるは、素服を穿いて喪を挙ぐる変故有り。赤雲の現わるるは、国家に喜慶あり、母と子は一同に顕耀し、女子は昌盛す。南方を望めば:赤雲の現わるるは、将に大旱せんとし、赤地は千里にして、五月は酷熱・干と旱し、六月に風あれば雨あり、屋を掀き樹を折る。白雲の現わるるは、国に大喪あり、天子はその位を失う。黒雲の現わるるは、大水を発し、この一年の五月を出でず。青雲の現わるる者は、大いに吉なり、宮中の婦女は内に事を謀りて成るを得。西方を望めば:白雲の現わるるは、秋に兵事あり、朝廷の内部に宰輔は出奔し、宮中の鐘は更に鳴らず、刀剣・戈戟は相交る。青雲の現わるるは、大いに凶なり、君主は臣下を克伐し、臣は必ず死し、その応験の物は市上に陳して、この一年の九月を出でず。黒雲の現わるる者は、大いに吉なり、利あり。」

秋雨甲申,六畜多死;冬雨甲申,人民疾病。九月晦,十月朔,有風雨,其歲惡,有小水;十月晦,十一月朔,有風雨,人民多死。四月一日、二日得酉,人民大樂;三日、四日得酉,人民悅和;五日、六日得酉,人民多疾病;七日、八日得酉,人民多病;九日、十日得酉,人民多流;十一日、十二日得酉,人民自相食,大凶。”

秋に甲申の日に雨下れば、六畜は多く死す。冬に甲申の日に雨下れば、百姓は病を生ず。九月の最後の一日と十月の初一に風あれば雨あれば、この一年の年景は悪劣にして、小さき水患ありてあらん。十月の最後の一日と十一月の初一に風あれば雨あれば、百姓は多く死亡す。四月の初一・初二に酉日に逢上れば、百姓は大いに歓楽す。初三・初四に酉日に逢えば、百姓は和悦す。初五・初六に酉日に逢えば、百姓は多く疾病す。初七・初八に酉日に逢えば、百姓は多く病す。初九・初十に酉日に逢えば、百姓は多く他郷に流散す。十一・十二に酉日に逢えば、百姓は自ら相殘食し、大いに凶なり。」この一段は干支の日と月末月初の相交る日を用いて年景を推す:甲申は五行に属して金にして、秋冬は本より金水が令に当たり、更に雨水に逢えばすなわち寒濕の太過なり。晦朔の交接の際に風あれば雨あれば、則ち節気が転関の処に序を失するを謂い、故に一概に凶と断ず。

京房曰:“五月朔日,當熱而風雨者,米貴,人食草木。風從北方來,禾大敗,人民相食。”《黃帝占》曰:“立夏後五日,虹始出者,萬物皆實。冬至後一日、二日得酉,其歲半熟;三日、四日得酉,人民大樂;五日、六日得酉,田禾大熟;七日、八日得酉,大惡;九日得酉,五穀大貴;十日、十一二日得酉,五穀大成,傷害六畜,寇賊多興;十三日得酉,人民相戰,大凶災,八方俱沸沸。酉者金,兵之本,收成之元首。”

京房はいう:「五月の初一は本当に炎熱なるべきに、却って風を刮り雨を下らす者は、米価は昂貴にして、人は草木を食んで飢を充たす。風が北方より吹き来たれば、禾稼は大敗にして、百姓は相食す。」《黄帝占》はいう:「立夏以後の第五天、虹が始めて出現する者は、万物は皆結実せんとす。冬至以後の第一天・第二天に酉日に逢上れば、この一年は半分の収成あるのみ。第三・第四天に酉日に逢えば、百姓は大いに歓楽す。第五・第六天に酉日に逢えば、田の内の禾稼は大熟す。第七・第八天に酉日に逢えば、年景は極めて悪し。第九天に酉日に逢えば、五穀の価格は大漲す。第十天・第十一・十二天に酉日に逢えば、五穀は大豊収するも、六畜は損を受け、盗賊は四起す。第十三天に酉日に逢えば、百姓は互相いに攻戦し、大さなる凶灾あり、八方は皆紛擾して寧まらず。酉は五行に属して金にして、金は兵器の本にして、また収成の首要の神なり。」

京房曰:“冬至後一日有壬,無雨;二日有壬,稚再生;三日、四日有壬,上下皆熟;五日、六日有壬,溝渠溢,苗易治;七日、八日有壬,水橫流;九日、十日有壬,無立牆;過十日有壬,還一等,至後三日、七日有壬,苗難治。”

京房はいう:「冬至以後の第一天に壬日に遇えば、来年は雨なし。第二天に壬日に遇えば、晩種の庄稼は再び生長することを得。第三・第四天に壬日に遇えば、高田・低田は皆成熟することを得。第五・第六天に壬日に遇えば、溝渠は漲満して溢出し、禾苗は料理し易し。第七・第八天に壬日に遇えば、大水は横流す。第九・第十天に壬日に遇えば、水は墻すら立つるを得ざるに大なり。十天を過ぎて後に壬日に遇えば、水勢はすなわち一等を退回す。冬至後の第三日・第七日に壬日に遇えば、禾苗は料理し難し。」壬は十干の中に水に属すから、それの出現の早晩を用いて来年の水勢の大小を推測す。

《黃帝占》曰:“青車木位,甲寅之精,不周風至,一曰賊風至,棺木貴,葦蓆賤;廣莫風至,材木貴,葵韭賤;條風至,蔥薤賤,芻藁貴;明庶風至,梏朽賤,蒲席貴;清明風至,棺木賤,葦蓆貴;景風至,材木賤,葵韮貴;涼風至,芻藁賤,蔥薤貴;閶闔風至,蒲席賤,梏朽貴。火車,丙寅之精,不周風至,枲麻絡賤,黃白綠貴;廣莫風至,纑縷賤,錦繡貴;條風至,布縷賤,繒帛貴;明庶風至,綿皮革賤,絓絮貴;清明風至,黃白綠賤,枲麻絡貴;景風至,錦繡絓賤,纑貴;涼風至,繒席賤,布縷貴;閶闔風至,絓絮賤,綿皮革貴。

《黄帝占》はいう:「青車は木の方位に属し、甲寅の日の精気の主る所である。八風の中、不周風(西北風)の吹き来たるは、一説に賊風の到ると謂い、棺木は漲価し、葦席は跌価す。広莫風(北風)の吹き来たるは、木材は漲価し、葵菜・韭菜は跌価す。条風(東北風)の吹き来たるは、葱と薤は跌価し、草料・柴薪は漲価す。明庶風(東風)の吹き来たるは、朽木は跌価し、蒲席は漲価す。清明風(東南風)の吹き来たるは、棺木は跌価し、葦席は漲価す。景風(南風)の吹き来たるは、木材は跌価し、葵韭は漲価す。涼風(西南風)の吹き来たるは、草料・柴薪は跌価し、葱薤は漲価す。閶闔風(西風)の吹き来たるは、蒲席は跌価し、朽木は漲価す。火車は丙寅の日の精気の主る所である:不周風の吹き来たるは、麻類の繊維は跌価し、黄白緑の各色の染帛は漲価す。広莫風の吹き来たるは、麻縷は跌価し、錦繍は漲価す。条風の吹き来たるは、布縷は跌価し、繒帛は漲価す。明庶風の吹き来たるは、絲綿と皮革は跌価し、粗絲綿絮は漲価す。清明風の吹き来たるは、黄白緑の各色の染帛は跌価し、麻類の繊維は漲価す。景風の吹き来たるは、錦繍と粗絲は跌価し、麻縷は漲価す。涼風の吹き来たるは、繒帛・席具は跌価し、布縷は漲価す。閶闔風の吹き来たるは、粗絲綿絮は跌価し、絲綿・皮革は漲価す。」

土車,戊寅之精,不周風至,稻賤,秫術麥貴;廣莫風至,小豆賤,黍貴;條風至,大豆賤,粟貴;明庶風至,大麥賤,麻縑貴;清明風至,秫與小麥賤,稻貴;景風至,黍賤,小豆貴;涼風至,粟賤,大豆貴;閶闔風至,麻縑賤,大麥貴;金車,庚寅之精,不周風至,鐵器賤,鉛錫貴;廣莫風至,膠漆賤,黃金貴;條風至,珠璣賤,銅器貴;明庶風至,玉器賤,田宅貴;清明風至,鉛錫賤,鐵器貴;景風至,黃金賤,膠漆貴;涼風至,銅器賤,珠璣貴;閶闔風至,田宅賤,玉器貴;

土車は、戊寅の日の精気の主る所である:不周風(西北風)の吹き来たるは、稲米は跌価し、黏高粱と麦子は漲価す。広莫風(北風)の吹き来たるは、小豆は跌価し、黍子は漲価す。条風(東北風)の吹き来たるは、大豆は跌価し、粟米は漲価す。明庶風(東風)の吹き来たるは、大麦は跌価し、麻布・細絹は漲価す。清明風(東南風)の吹き来たるは、黏高粱と小麦は跌は跌価し、稲米は漲価す。景風(南風)の吹き来たるは、黍子は跌価し、小豆は漲価す。涼風(西南風)の吹き来たるは、粟米は跌価し、大豆は漲価す。閶闔風(西風)の吹き来たるは、麻布・細絹は跌価し、大麦は漲価す。金車は、庚寅の日の精気の主る所である:不周風の吹き来たるは、鉄器は跌価し、鉛錫は漲価す。広莫風の吹き来たるは、膠と漆は跌価し、黄金は漲価す。条風の吹き来たるは、珠玉は跌価し、銅器は漲価す。明庶風の吹き来たるは、玉器は跌価し、田地・房宅は漲価す。清明風の吹き来たるは、鉛錫は跌価し、鉄器は漲価す。景風の吹き来たるは、黄金は跌価し、膠漆は漲価す。涼風の吹き来たるは、銅器は跌価し、珠玉は漲価す。閶闔風の吹き来たるは、田地・房宅は跌価し、玉器は漲価す。

水車,壬寅之精,不周風發,鹽豉賤,海錯貴;廣莫風至,雞犬賤,鯉魚貴;條風發,豬豚賤,生魚貴;明庶風發,牛馬賤,羊羔貴;清明風發,海魚賤,鹽豉貴;景風發,鯉魚賤,雞犬貴;涼風發,生魚賤,豬豚貴;閶闔風至,羊羔賤,牛馬貴。凡五寅之風,所從吹本鄉來之處賤,風往所沖之處為貴。一日分出時,終日,貴在六十日;從日入至夜半,貴在二旬中;從夜半至雞鳴平明,貴在一時。

水車は、壬寅の日の精気の主る所である:不周風(西北風)の刮り起これば、鹽と豆豉は跌価し、海産は漲価す。広莫風(北風)の吹き来たるは、鶏犬は跌価し、鯉魚は漲価す。条風(東北風)の刮り起これば、猪豚は跌価し、鮮魚は漲価す。明庶風(東風)の刮り起これば、牛馬は跌価し、羊羔は漲価す。清明風(東南風)の刮り起これば、海魚は跌価し、鹽豉は漲価す。景風(南風)の刮り起これば、鯉魚は跌価し、鶏犬は漲価す。涼風(西南風)の刮り起これば、鮮魚は跌価し、猪豚は漲価す。閶闔風(西風)の吹き来たるは、羊羔は跌価し、牛馬は漲価す。およそこの五箇の寅日の風は、風の従り来たるあの方位の属する物はすなわち便宜にして、風の吹き向かい・正面に衝撃するあの方位の属する物はすなわち昂貴す。風が一天の中のどの時辰に起るかにもまた分別あり:日出から起こりて一整天を刮けば、漲価は六十天の内に応ず。日落から夜半に至るまで刮けば、漲価は二十天の内に応ず。夜半から鶏鳴・天亮に至るまで刮けば、漲価はただ一箇の時辰の間に応ず。

常以庚寅之日,候五車,金星動,故有耗,其物金鐵貴;動而不明,即貴;有大風寒,折木發屋,即大貴;大風寒大貴,小風寒小貴,其溫即賤,不風寒自如。常以壬寅之日,候五車,水星主船筏、六畜、水中自行者,故水車星動,微黑,即貴水物;有大風寒,折木發屋者,大貴;大風寒大貴,小風寒小貴,不風寒自如。

つねに庚寅のこの一天に五車星を観察す:金車の星が動揺すれば、故に耗損あるべく、金銀・鉄器の一類の東西は漲価す。星が動きて光色が明ならざるも、また漲価の兆である。もし大し大風・厳寒あって、樹木を吹き折り・屋頂を掀翻せば、すなわち大漲なり。風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、天気が温和なればすなわち跌価し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。つねに壬寅のこの一天に五車星を観察す:水星は船筏・六畜および水中に自ら行るを得る魚鼈の属を主管するが故に、水車の星が動揺して色澤が微かに黒ければ、水産の物はすなわち漲価す。もし大風・厳寒あって、樹木を吹き折り・屋頂を掀翻する者は、すなわち大漲なり。風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。

常以甲寅之日,候五車,木星立柱材、木苗、蘆薪、苛茅,故木車星動,微青,即貴;有風寒,折木發屋,大風寒大貴,小風寒小貴,其溫即賤,不風寒自如。常以丙寅之日,候五車,火星主蟲採、繒帛、皮革,色赤,動,即貴;有大風,發屋折木,大風寒大貴,小風寒小貴,其溫即賤,不風寒自如。常以戊寅之日,候五車,土星主土公、田宅、五穀,其星赤黃,有柱動,即穀貴;有大風寒,發屋折木,大風寒大貴,小風寒小貴,溫即賤,不風寒自如。

つねに甲寅のこの一天に五車星を観察す:木星は柱を立てる木材・樹苗・芦柴・茅草を主管するが故に、木車の星が動揺して色澤が微かに青ければ、この東西はすなわち漲価す。もし風寒あって、樹木を吹き折り・屋頂を掀翻せば、風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、天気が温和なればすなわち跌価し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。つねに丙寅のこの一天に五車星を観察す:火星は蚕を養い絲を採る・繒帛・皮革を主管し、その色は赤紅にして、星体が動揺すれば、この東西はすなわち漲価す。もし大風あって、屋を掀き樹を折れば、風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、天気が温和なればすなわち跌価し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。つねに戊寅のこの一天に五車星を観察す:土星は土地の神・田地・房宅・五穀を主管し、その星の色は赤黄にして、星柱が動揺すれば、穀価はすなわち上漲す。もし大風・厳寒あって、屋を掀き樹を折れば、風寒が大なればすなわち大漲し、風寒が小なればすなわち小漲し、天気が温和なればすなわち跌価し、風を刮らず寒冷ならざれば行情は旧の如し。

開元占経巻一百一十二

竹木草薬占

草木の休征

朱草

《孫氏瑞應圖》曰:“朱草者,草之精也。聖人之德,無所不至,則生。”《鶡冠子》曰:“惟聖人能正其音,調其聲,故德上及泰清,下及泰寧,中及萬靈,朱草生。”《尚書大傳》曰:“德先地序,則朱草生。”《淮南子》曰:“太清之世,流黃出,朱草生。”《春秋運斗樞》曰:“璇星得則朱草生。”《尚書侯》曰:“文命得成,俊乂在官,朱草生郊。”《魏略》曰:“文帝欲禪,朱草生於文昌殿側。”《大戴禮》曰:“朱草生,日生一葉,至十五日止,十六日,落一葉。”

孫氏《瑞応図》(もっぱら祥瑞の徴応を記録した図籍)はいう:「朱草は百草の精華である。聖人の徳が到らぬ所なく至れば、それは生ずる。」《鶡冠子》はいう:「ただ聖人のみ能くその音を正しくし、その声を調えるが故に、徳沢は上は泰清の天に達し、下は泰寧の地に及び、中は万物の霊に遍く及ぶが故に、朱草はこれに因りて生ず。」《尚書大伝》(漢代の伏生の一派が《尚書》を解説した書)はいう:「徳教が先に上に行なわれ、地道が下に序あれば、朱草はすなわち生ず。」《淮南子》はいう:「太清のあの清明・渾朴なる時代は、流黄のこの宝玉は出で、朱草もまた生い出ず。」《春秋運斗枢》(漢代に天象の符応を講じた緯書)はいう:「北斗第二星の天璇が運行してその常度を得れば、朱草はすなわち生ず。」《尚書侯》はいう:「文徳の教令が成就することを得、才徳の出衆した人が皆官位にあれば、朱草は便ち郊野に生ず。」《魏略》はいう:「魏の文帝・曹丕が将に漢室の禅譲を受けんとする時、朱草が文昌殿の傍に生じた。」《大戴礼》はいう:「朱草は生長し、毎日に一片の葉を長出し、第十五日に至って止まり、十六日より、毎日に一片の葉を落とす。」これは朱草の栄落を朔望月の盈虚に配合し、もってそれが天に応ずる瑞なるを見んとするものである。

嘉禾

《春秋感精符》曰:“德淪於地,則嘉禾生。”《春秋運斗樞》曰:“璇星得則嘉禾液。”

《春秋感精符》(漢代の春秋緯の一つで、人事と天象の感応を講ず)はいう:「君王の徳沢が大地に浸潤すれば、すなわち嘉禾を長出せん。」《春秋運斗枢》はいう:「北斗第二星の天璇が運行してその常度を得れば、嘉禾は便ち滋潤・飽満す。」いわゆる嘉禾とは、一本の禾茎の上に数穂を併生した穀子で、古人はそれを至徳の感召して来た豊年の祥瑞と看作す。

福草

《禮斗威儀》曰:“君乘木而王,福草生於廟中。”《瑞應圖》曰:“福草者,宗廟齋敬,則生宗廟中。”

《礼斗威儀》(漢代の礼緯で、北斗をもって王者の威儀に配す)はいう:「君主が木徳を承けて王と称せば、福草はすなわち宗廟の中に生ず。」《瑞応図》はいう:「いわゆる福草とは、宗廟の祭祀に斎戒・恭敬なる時、宗廟の内に生ずる一種の瑞草である。」古人は五行の徳をもって王朝に配し、「木を乗じて王たる」はすなわち木徳をもって命を受くるを謂い、木は春の生発を主るが故に、その応験は草木の瑞の上に落ちる。

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