Libo

蛇が君室に鳴く 蛇が市廷に交る・腹に冲す 蛇の斗ふ

唐 · 瞿昙悉达 · 第119巻 / 119

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

《淮南萬畢術》曰:“為死事則蛇鳴君室。”京房曰:“蛇鳴君室,凶。”《地鏡》曰:“蛇交於市及廷中者,不出三年,必有亡主,各以其國君應之。”《運斗樞》曰:“君失政,臣挾私,期(期字當作則)蛇沖巴。”(巴,腹蟲也。)《河圖》曰:“大蛇朝市路群鬥,又去不去,霸者當路。”《淮南萬畢術》曰:“蛇無故斗於君室,後必爭立。小死,小不勝;大死,大不勝;小大皆死,皆不立也。”

《淮南萬畢術》にいう:まさに死喪の事あらんとすれば、蛇は即ち君主の屋裏に鳴叫す。京房がいう:蛇が君主の屋裏に鳴叫するは、凶を主る。《地鏡》にいう:蛇が集市上或いは朝廷の中に交尾するは、三年を出ずして、必定に君主の敗亡有りて、各々所在の国の君主に按じて応験す。《春秋運斗樞》にいう:君主の政事が失当にして、臣下が私意を心に懐けば、蛇は即ち腹中の虫に衝撞す(原書夾注:「期」字は當に「則」と作るべし。又注:「巴」とは、即ち腹虫である)。《河図》にいう:大蛇が朝廷・集市の路上に成群して相い斗い、行かんと欲して肯んじて行かざるは、称霸する人の路上に擋さるるを主る。《淮南萬畢術》にいう:蛇が故なく君主の屋中に相い斗うは、此の後に必定君位を争奪するの事あり。小蛇が死するは、年幼の一方が勝する能わざるなり。大蛇が死するは、年長の一方が勝する能わざるなり。大小が皆死すれば、即ち両方とも立つる能わざるなり。

《漢書五行志》曰:“《左傳》鄭厲公時,有內蛇與外蛇斗鄭南門中,內蛇死。劉向以為,先是鄭厲公劫相祭仲,而逐昭公代立,後厲公奔出。公復入,弟子儀代立。厲公自外劫大夫傅瑕,使戮子儀,此外蛇殺內蛇之象。”《趙書》曰:“前趙時,安定太守邵琨上言,蛇與鼠斗於郡門而蛇自死。”

《漢書・五行志》に記す:《左傳》の記す所の鄭の厲公のとき、内蛇と外蛇と有りて鄭国の南門の中に相い斗い、内蛇は咬死せられた。劉向が以為するに、この前に鄭の厲公は国相の祭仲を脅迫し、鄭の昭公を赶走して自立して君と為り、後に厲公は自ら外に出奔せり。昭公が復位して国に帰り、その弟の子儀がまた接替して君と為れり。厲公は外より大夫の傅瑕を脅迫して、彼をして子儀を殺せしめ、これは正に外蛇が内蛇を咬死するの象徴である。《趙書》に記す:前趙のとき、安定太守の邵琨が上奏して説くに、蛇と老鼠とが郡府の門前に相い斗い、結果は蛇が自ら死せり。

蛙の聚る 蛙と蝦蟆と斗ふ

《易辨終備》曰:“蛙聚,大盜出。”《運斗樞》曰:“妃色惑主,蛙累入邦門。”《漢書》曰:“武帝元鼎五年秋,蛙與蝦蟆群鬥,是歲四將軍眾十萬征南越。”

《易辨終備》にいう:青蛙が成群して聚集するは、まさに大盗賊を出現せんとす。《春秋運斗樞》にいう:妃嬪が美色を以て君主を迷惑せば、青蛙は即ち接連して断えず国門に進入す。《漢書》に記す:漢の武帝の元鼎五年の秋、青蛙と蛤蟆とが成群して相い斗えり。この一年、四位の将軍が十万の大軍を率領して南越を征討せり。

蚯蚓の出るを候す 蜈蚣が邑に入る 蟻が土を聚む 螳蜋の生るを候す 蜩の鳴くを候す

《周書時訓》曰:“立夏後五日,蚯蚓出,不出則臣奪後令;冬至之日,蚯蚓結,不結則君政不行。”京房曰:“見山蝍蛆入於邑,內殺。”(《廣雅》曰:蜈蚣也。)又曰:“蟻無故當道,若門戶,城聚土,水且傷人。”

《逸周書・時訓解》にいう:立夏の後の五日、蚯蚓は土より出づ。若し出でざれば、即ち臣下が王后の号令を奪取するを主る。冬至のこの日、蚯蚓は蜷結して団と為す。若し蜷結せざれば、即ち君主の政令の推行する能わざるを主る。京房がいう:山裏の蜈蚣が城邑に爬進するを見るは、内部に殺戮の事あるを主る。原書夾注に《廣雅》を引いていう:蝍蛆は即ち蜈蚣である。又いう:螞蟻が故なく路上に擋さるか、或いは門戸の処に堵塞し、土を堆積して小城を成すは、大水まさに人を傷害せんとするを主る。

《易通卦驗》曰:“螳蜋,搏蟬之蟲,乘虛而殺物,自隱蔽而有所害,捕搏之象也;奸人性陰邪,行令失節,所生武官,不務詰奸,故為奸猾事發。”《月令》云:“小暑至,螳螂生。”《周書》曰:“夏至後五日,蜩始鳴,不鳴則貴臣放逸;立秋之日,寒蜩不鳴。”《通卦驗》曰:“遁上九候,蟬始鳴,蟬不鳴,人臣力爭,國多妖言。”

《易通卦驗》にいう:螳螂は蝉を捕るの虫にして、虚に乗じて別の生物を殺害し、自らの形跡を隱蔽して暗中に加害す、「捕搏」の象徴である。奸人の秉性は陰険・邪僻にして、政令を施行するに節度を失い、設置せる所の武官はまた奸惡を査究するに尽力せざれば、故に奸猾の事の発作有り。《礼記・月令》にいう:小暑が到来すれば、螳螂は出生す。《逸周書》にいう:夏至の後の五日、蝉は始めて鳴叫す。若し鳴かざれば、即ち顕貴の大臣が放縱・逸楽するを主る。立秋のこの日、寒蝉は鳴かざるなり。《易通卦驗》にいう:《遁》卦の上九爻の値する所の物候は蝉の始めて鳴くなり。蝉が鳴かざれば、臣下が極力に権を争い、国中に妖妄の言多きを主る。

螻蛄が朝廷に集る 蚯蚓・螻蛄が軍中に見ゆ 螻蛄の大きさ牛の如し

《京房易飛候》曰:“螻蛄集朝廷,厥咎黜。”又曰:“蚯蚓螻蛄見,軍中尤多,師將罷,有謀者不久;地生諸蟲,將軍急去,大凶。”《抱朴子》曰:“螻蛄見,軍尤生多,有軍罷,又宜備叛。”京氏曰:“螻蛄大如牛,長一丈,見,邑且有賤人貴。”

《京房易飛候》にいう:螻蛄が朝廷上に聚集するは、その咎征は人有りて罷黜せらるるなり。又いう:蚯蚓・螻蛄が出現し、而も軍営の中に特別に多きは、軍隊まさに解散し、不軌を図謀する人も亦支撐する久しからざるを主る。地裏に各種の虫子を生出するは、将軍は応に急いで撤離すべきを主り、然らざれば大凶なり。《抱朴子》にいう:螻蛄が出現し、軍中に生ずること尤も多きは、軍隊まさに解散せんとするを主り、還りて叛変を防備すべし。京房がいう:螻蛄の大きさ牛の如く、長さ一丈に達するは、それが一たび出現すれば、城邑の中にまさに出身の低賤なる人の顕貴と為り起るあらん。

蜂が苗を食ふ 蜂が国に生ず 蜂が軍中に入る 蛾が飛びて日を蔽ふ

《五行傳》曰:“秦昭王委事太后弟穰侯為丞相,弟謙蕩君皆用事私門,權傾公朝。三十八年,上郡大飢,山東盡死,民無所食,蜂食民苗。蜂食民苗者,赤祥之災也。能飛揚之類,赤挾毒火之色也。不當食苗,象不當位也,故見災以蜚之蜂,見挾毒物之害也。天意若曰:君不明臣,下若蜂蔓而奪民,將為國家害也。”

《五行傳》にいう:秦の昭王は政事を太后の弟・穰侯に委託し、彼を任じて丞相と為し、太后の其の他の幾位の弟も亦皆私門を以て権を當り、権勢は朝廷に圧倒せり。昭王三十八年、上郡は大いに飢荒し、崤山の以東に餓死すること数無し、百姓は以て食する所なく、而も蜂がまた百姓の禾苗を吃掉せり。蜂の禾苗を吃するは、「赤祥」の灾に属す。蜂は能く飛揚するの一類にして、赤は毒火を挾帯するの色である。蜂は本より禾苗を吃すべからず、あれらの人が本よりその位に居るべからざるを象徴す。故に灾異を顕示するに飛ぶ能き蜂を用い、毒を挾む物有りて害を為すを表明す。上天の意思は説かんとするが如し:君主は臣下を明察する能わず、下の人たちは蜂群の如く蔓延して百姓を侵奪し、まさに国家の禍害と為らんとす。

《天鏡》曰:“蜂生國,舍內空,亡象。”《兵書》曰:“軍行,蜂群飛,蜂及蜜蜂尤多者,必大戰道路,防之。”又曰:“軍中有蜂鳴移,主將敗,士卒亡矣。”《漢書元帝紀》曰:“建昭元年春三月,上幸雍祠五畤,秋八月,有白蛾飛蔽日,從東都至軹道。(注:“如淳曰:《三輔黃圖》:長安城東北次門號曰宣平城門,其外郭曰東都門也。”)冬,河間王元有罪廢遷房陵。”

《天鏡》にいう:蜂が国中に巢を做るは、屋舎が空虚にして人なく、これは敗亡の征象である。《兵書》にいう:軍隊が行進するに蜂が成群して飛舞し、大蜂と蜜蜂とが特別に多きは、必定道路上に大戦を発生せん、防備すべし。又いう:軍中に蜂有りて鳴叫して遷移するは、将領まさに戦敗し、士卒まさに死亡せんとするを主る。《漢書・元帝紀》に記す:建昭元年の春三月、皇帝が雍地に到りて五畤を祭祀せり。秋八月、白色の蛾有りて飛舞して太陽を遮蔽し、東都門より轵道まで一直せり。原書夾注に如淳を引いていう:《三輔黄図》に記す、長安城の東北の第二座の門は号して宣平城門と曰い、その外郭門は即ち東都門と呼ぶ。この年の冬、河間王劉元は罪に因りて廃せられ、房陵に遷往せり。

蝗の生ず

《五行傳》曰:“介蟲者,小蟲有甲能蜚揚之類,陽氣所生,於《春秋》為象蟲,今謂之蝗,皆其類也,曰介蟲之孽也。”《說文》曰:“蝗,螽也。旱氣動象,至使乞貸,則生螣。舊說螟、螣、蟊、賊,一種蟲也。如言寇、盜、奸、宄,內外言之耳,故捷為文學曰:此四種,皆蝗也。”《禮月令》曰:“孟夏行春令,則蝗蟲為災。”《春秋緯》曰:“愁精所感,擾氣所生,螽冬生,天不能滅,地不能藏。”《潛潭巴》曰:“生蝗蟲,兵大起,行千里。”

《五行傳》にいう:所謂「介虫」とは、甲殻を身に披き、飛揚する能きの小虫の一類にして、陽気に由りて生ずる所なり。《春秋》の裏には象虫と称し、今は蝗と呼び、皆同類に属し、之を「介虫之孽」と称す。《説文》にいう:蝗は即ち螽である。旱気の発動するの征象、百姓を逼迫して債を挙げ貸を求むるに至りて、即ち螣を生出す。旧説に螟・螣・蟊・賊は同一種の虫にして、譬えば寇・盗・奸・宄を説くが如く、不過内外の異なる角度より分別して称呼するのみ。故に犍為郡の文学の官が説く:この四種は皆蝗である。《礼記・月令》にいう:孟夏の月に春天の政令を施行すれば、蝗虫はまさに灾を成さんとす。《春秋緯》にいう:愁苦の精の感召する所、扰乱の気の生成する所、螽は冬天に出生し、天はそれを消滅する能わず、地はそれを收藏する能わず。《春秋潜潭巴》にいう:蝗虫を生出するは、兵事が大いに起り、軍を行うこと千里なり。

《五行傳》曰:“君行暴虐,而賦稅貪叨無厭,以師動眾,取邑治城而失眾心,則蟲為害。”《爾雅》曰:“蝗蟲食苗心曰螟,食苗葉曰蟘,食苗根曰蟊,食苗節曰賊。”董仲舒《對災異》曰:“佞臣居位,貪叨之徵,邪人在位,則蝗蟲食菜;君用臣才不任職,則蟲食莖;君用佞人在朝,則蟲食節;君用奸賊在位,則蟲食根。”《禮月令》:“仲春行夏令,蟲蝗為害。”

《五行傳》にいう:君主の行事が暴虐にして、賦税を徴収するに貪得無厭にして、師を興し衆を動かし、城邑を攻取し、城池を修治して人心を失去せば、虫は即ち灾を成す。《爾雅》にいう:蝗虫の禾苗の心を吃するを「螟」と呼び、禾苗の葉を吃するを「蟘」と呼び、禾苗の根を吃するを「蟊」と呼び、禾苗の節を吃するを「賊」と呼ぶ。董仲舒《對灾異》にいう:佞臣が高位に居るは、これは貪婪の征象である。邪僻の人が位に在れば、蝗虫は即ち菜蔬を吃す。君主の任用する臣子の才具がその職に称えざれば、虫は即ち禾莖を吃す。君主が佞人を任用して朝に在らしめば、虫は即ち禾節を吃す。君主が奸賊を任用して位に在らしめば、虫は即ち禾根を吃す。《礼記・月令》にいう:仲春の月に夏天の政令を施行すれば、虫蝗はまさに灾を成さんとす。

《說文》曰:“螟蟲食穀心,從冥聲,吏冥冥犯法,即生螟。”《呂氏春秋》曰:“亂國之妖,有螟集其國,其年凶。”《淮南子》曰:“政惡生孽,蟲食心。”京房曰:“吏為貪狼,多螟螣;宮室奢,蟲食菜。”《漢書五行志》曰:“《春秋》魯哀公十二年十二月,螟。十三年九月,螟。十二月,螟。劉向以為,春用田賦,冬而螟。此三螟皆虐取民之效。”

《説文》にいう:螟は穀の心を吃するの虫にして、字は「冥」より声を得る——官吏が昏昧・不明にして法度に触犯すれば、即ち螟を生出す。《吕氏春秋》にいう:乱国の妖異に、螟虫が国中に聚集する有り、この一年は即ち凶荒なり。《淮南子》にいう:政事が敗壞すれば即ち妖孽を生出し、虫が来りて禾の心を吃す。京房がいう:官吏が貪婪して狼の如くなれば、即ち螟・螣を多く生出す。宮室が奢侈なれば、虫は即ち菜蔬を吃す。《漢書・五行志》に記す:《春秋》の載する所の魯の哀公十二年十二月に螟を生じ、十三年九月に螟を生じ、十二月にまた螟を生じたり。劉向が以為するに、春天に按田畝の賦を徴すを推行せば、冬天に即ち螟を生ず。この三次の螟灾は皆苛虐に百姓を搾取するの招来する所の応験である。

《春秋漢含孳》曰:“魯室履畝而稅,貪恣太過,則蝝生。”《漢書五行志》曰:“劉歆以為,蝝,媲蠢之有翼,(音蚍蜉)食穀為災。黑,青也。董仲舒以為,蝝,螟始生也。是時初稅畝,亂先王制,故應是而蟓生。”《詩推度災》曰:“在下不臣,蟲食葉。貸者,伐也。小臣為政事,變其法,故立字貸,與伐同其變,臣欲殺也。”京房曰:“得無節,蟲食葉。”

《春秋漢含孳》にいう:魯国の王室が田畝に按じて税を徴し、貪婪・放縱すること太过なれば、即ち蝝を生出す。《漢書・五行志》に記す:劉歆が以為するに、蝝は翅膀を長じたる蚍蜉の類(原書夾注:読音は「蚍蜉」と同じ)にして、穀物を吃して灾を成す。その色は黒、即ち青色である。董仲舒が以為するに、蝝は螟の剛に生出せる幼虫である。当時魯国は始めて「税畝」の法を行い、先王の旧制を扰乱したれば、故に之に応じて蝝を生ぜり。《詩推度灾》にいう:下位に在る人が臣道を守らざれば、虫は即ち禾の葉を吃す。「貸」は即ち「伐」の義である。小臣が政事を主持して、原有の法度を改動したれば、故に字を造して「貸」を作す——「伐」と同じく変改を表示し、臣下が君上を謀害せんと欲するなり。京房がいう:取用に節制なければ、虫は即ち禾の葉を吃す。

《說文》曰:“野蟲食草根者也。吏抵,冒取民,則生[蟲弟]。”京房曰:“臣安祿,厥災蟲食根;不絀無德,蟲食本;害忠孝,蟲食根。”《握鏡》曰:“螟蟲食根,咎在女主社稷。”《毛詩義禮》曰:“蟊長而細,或說云:蟊,螻蛄也。螻蛄食苗根,為人患。”《詩推度災》曰:“傷苗食之賊也。”京房曰:“與公侯爭,蟲食蛬,傷忠臣,蟲食蛬。”《史記》:“秦始皇四年十月,螟蟲從東方來,蔽天,如嚴雪。是歲天下失苽瓠。”

《説文》にいう:これは野地の裏に草の根を吃するの虫にして、官吏が法紀に抵触し、強く百姓の財物を取れば、即ちこの種の虫を生出す(原書は此の字を「虫弟」と作る)。京房がいう:臣下が俸禄を貪れば、その灾異は虫が禾根を吃するなり。徳なきの人を斥退せざれば、虫は即ち禾本を吃す。忠孝の士を傷害すれば、虫も亦禾根を吃す。《握鏡》にいう:螟虫が禾根を吃するは、咎征は女主と社稷との上に応ずべし。《毛詩義礼》にいう:蟊虫の身子は長にして細し。別の一説は蟊は即ち螻蛄と以為し、螻蛄は禾苗の根を吃して、人の禍患と為る。《詩推度灾》にいう:禾苗を傷害し、禾苗を吞食するは即ち「賊」である。京房がいう:公侯と相い争えば、虫は即ち禾稈を吃す。忠臣を傷害すれば、虫も亦禾稈を吃す。《史記》に記す:秦の始皇四年十月、螟虫が東方より飛来し、天空を遮蔽し、密なること鵞毛の大雪の如し。この一年、天下の瓜瓠は皆失収せり。

《漢書五行志》曰:“景帝中元三年秋,蝗,匈奴寇邊。武帝元光五年秋,蝗,五將眾三十萬伏馬邑,又四將征匈奴。元鼎五年秋,蝗,四將征南越。元封六年秋,蝗,兩將征朝鮮。太初元年夏,蝗從東方飛至敦煌。三年秋,復蝗,其年貳師徵大宛,天下奉其役連年。徵和三年秋,蝗,四年,夏蝗,先是一年,三將連眾十餘萬征匈奴,貳師七萬人沒不還。平帝元始二年秋,蝗偏天下,是時王莽秉政。”《漢書》:“王莽地皇三年夏,蝗從東方來,蔽天,至長安,入未央宮緣殿。四年,漢兵斬莽。”

《漢書・五行志》に記す:漢の景帝の中元三年の秋に蝗灾を発生し、匈奴が邊境に入侵せり。武帝の元光五年の秋に蝗灾、五位の将軍が三十万の兵を統領して馬邑に埋伏し、又有りて四位の将軍が出征して匈奴を討てり。元鼎五年の秋に蝗灾、四位の将軍が南越を征討せり。元封六年の秋に蝗灾、两位の将軍が朝鮮を征討せり。太初元年の夏、蝗虫が東方より敦煌まで一直に飛来せり。三年の秋にまた蝗灾を発し、この一年に貳師将軍が大宛を征討し、天下は年を連ねてこの場の戦役の徭役を供応せり。征和三年の秋に蝗灾、四年の夏にまた蝗。この前の一年、三位の将軍が連兵十数万を以て匈奴を征討し、貳師将軍の所部の七万人は陥没して還らざりき。平帝の元始二年の秋、蝗虫は天下に遍布し、当時は正に王莽の執政なりき。《漢書》に記す:王莽の地皇三年の夏、蝗虫が東方より飛来し、天を遮り日を蔽い、長安に至り、未央宮に飛進し、殿宇に沿いて爬り満たせり。第四年、漢軍は即ち王莽を斬殺せり。

《續漢書五行志》曰:“安帝永初四年夏,蝗,是時西羌寇亂,軍眾徵,距之連年。五年夏,九州蝗。六年三月,去年蝗處復蝗子生。七年二月,郡國蝗。順帝永建五年,郡國十二蝗,是時鮮卑寇朔方,用眾征之。永和元年秋七月,偃師蝗。去年年冬,烏桓寇沙南,用眾征之。”《續漢書五行志》曰:“桓帝永興元年七月,郡國三十二,大蝗,是時梁冀秉政。”《東觀漢記》曰:“馬稜伯威為廣陵太守,連年有蝗,穀貴,稜奏罷強官,薄賦稅,蝗蟲飛入海中,化為魚蝦。”

《續漢書・五行志》に記す:漢の安帝の永初四年の夏に蝗灾、当時は西羌が入寇して乱を作し、朝廷は年を連ねて兵を発して抵御せり。五年の夏、九州に皆蝗灾を発せり。六年三月、去年の蝗を生ぜし地方にまた蝗子を孵出せり。七年二月、各郡国に蝗灾。順帝の永建五年、十二の郡国に蝗灾、当時は鮮卑が朔方を侵擾し、朝廷は兵を発して征討せり。永和元年の秋七月、偃師に蝗灾。上一年の冬、烏桓が沙南に入寇し、朝廷も亦兵を発して征討せり。《續漢書・五行志》がまた記す:桓帝の永興元年七月、三十二の郡国に大いに蝗灾を鬧し、当時は正に梁冀の権を専らするなりき。《東觀漢記》に記す:馬稜は、字は伯威にして、廣陵太守を做り、年を連ねて蝗灾、穀価が騰貴せり。馬稜は上奏して豪強の出身の属官を罷免し、賦税を減軽せば、蝗虫は即ち海中に飛入し、魚蝦と化成せり。

《晉中興徵祥說》曰:“元帝大興二年,徐州及揚州之西江郡蝗。三年,冀州蝗。皆胡肆暴之徵。武帝太元十六年五月,棠邑界有蝗,廣千里,長三十里許,從南來,其飛蔽天,害苗稼,是時官以賄成,皆入私庫,貪私苟得之征也。”《趙書》曰:“石勒十四年五月,飛蝗穿地而生,二十日化如蠶,七八日而臥,四日蛻則飛,周遍河朔,百草無遺,唯不食三豆及麻。”

《晋中興征祥説》に記す:晋の元帝の大興二年、徐州および揚州西部の江郡に蝗灾を発生せり。三年、冀州に蝗灾。これらは皆胡人の肆行・暴虐するの征兆である。孝武帝の太元十六年五月、棠邑の境内に蝗有りて、寛さ一千里、長さ三十里ほどにして、南面より飛来し、飛ぶ時は天を遮り日を蔽い、庄稼を損害せり。当時官位は皆賄賂を行うに由りて取得し、賦入は皆私庫に進入したれば、これは貪私・苟得の征兆である。《趙書》に記す:後趙の石勒の十四年五月、飛蝗が地面を穿透して孵出し、二十日の後に蚕の如くに長じ、再び七八日を過ごして伏臥して動かず、又四日を過ごして皮を蜕けば即ち飛ぶ能く、黄河の以北に遍布し、百草は一も幸免するなく、只だ三種の豆子と麻とを吃せざるのみ。

蜮の生ず 蠅の蔽ふ 蚊・虻の興る 虻の大きさ牛の如く・蠛蠓が野に滿つ

《春秋漢含孳》曰:“妃黨縱橫,佞人潛世,則蜮生。”《春秋》:“魯莊公十八年秋,有蜮。”注云:“蜮,短狐也,蓋以含沙射人為災也。”《漢書五行志》曰:“莊公十八年有蜮,劉向以為蜮生南越之地,多淫婦人,男女同川,淫女為主,亂氣所生,故宣武名之蜮。(蜮由惑也,謂之短弧。)是時莊公將取齊之淫女,故蜮至。”《五行傳》曰:“《詩》云:‘為鬼為蜮,則不可得。’蓋氣精也。”《詩義禮》曰:“一名射景,如鱉三足。”

《春秋漢含孳》にいう:后妃の党羽が縦横に事を用い、佞人が世に潜蔵すれば、即ち蜮を生出す。《春秋》に記す:魯の荘公十八年の秋、蜮を出現せり。注にいう:蜮は即ち短狐にして、大概それが沙を含みて人を射て灾を成すが故なり。《漢書・五行志》に記す:荘公十八年に蜮有りて、劉向は蜮を以て南越の地に産生すと為す。あの処に淫蕩の婦人が多く、男女は同一の条の河裏に洗浴し、淫女を以て主と為す。これは乱気の生ずる所にして、故にそれを蜮と称す(原書夾注:蜮は「惑」に由りて名を得、亦短弧と呼ぶ)。当時魯の荘公はまさに斉国の淫女を迎娶せんとしたれば、故に蜮は即ち来た。《五行傳》にいう:《詩經》に講する「鬼を為し蜮を為せば、則ち捉摸する無き」は、大概気の化する所の精怪である。《詩義礼》にいう:蜮は又名を射影と曰い、形状は鱉に似て三隻の脚有り。

《紀年》:“晉獻公二年春,周惠王居於鄭,鄭人入王府,多取玉,玉化為蜮射人。”《古今注》曰:“成帝建始元年六月,蒼蠅萬數,集白虎門朝坐處,蔽地。”《漢書》:“昌邑王賀夢青蠅矢,積西階東河,五六石,以屋瓦覆,發視之,青蠅矢也。以問龔遂,遂曰:‘階下左側讒人眾多,願皆放之。’賀不用其言,卒至於廢。”

《竹書紀年》に記す:晋の獻公二年の春、周の惠王は鄭国に避居し、鄭国の人は王室の府庫に闖進し、許多の玉を拿走せり。あれらの玉は後に蜮と化して人を射ん。《古今注》に記す:漢の成帝の建始元年六月、成千上万隻の蒼蠅が白虎門の朝に臨み座に就く処に聚集し、地面に遮満せり。《漢書》に記す:昌邑王劉賀が夢に蒼蠅の糞便が西階の東辺に堆積し、五六石の多き有りて、上は屋瓦を以て蓋えり。掀開して一見すれば、果して蒼蠅の糞なりき。彼はこの件の事を以て龔遂に問うに、龔遂がいう:陛下の左右の讒を進む小人が太多なり、望みに彼らを皆放逐して出で去らしめん。劉賀はその話を聴かず、終に廃黜せらるるの下場に落ちた。

《詩推度災》曰:“逆天地,絕人倫,則蚊虻興。”《兵書》曰:“軍行逢虻尤多者,必大戰道路,防之。”《考異郵》曰:“陳涉即亡,景駒為主,項羽誅嬰,都制九塞,自稱楚王,地生神虻,大如牛。”《淮南子》:“衰世,飛蛩滿野。”許慎曰:“蛩,蠛蒙也。”

《詩推度灾》にいう:天地に違逆し、人倫を断絶すれば、蚊子と牛虻とは即ち大量に興起す。《兵書》にいう:軍隊が行進するに牛虻の特別に多きに遇上するは、必定道路上に大戦を発生せん、防備すべし。《春秋考異郵》にいう:陳渉が剛に死し、景駒が立てられて主と為り、項羽が秦の王子嬰を誅殺し、九処の険塞を控制し、自ら楚王と称せり。当時地裏に神虻を生出し、大きさは牛の如し。《淮南子》にいう:衰乱の世に、飛蛩が原野に布満す。許慎が解釋していう:蛩は即ち蠛蒙にして、亦蠛蠓なり。

蟄虫が藏らず 虫に両足あり 飛虫が反つて墜つ 虫が宗廟に生ず

《春秋繁露》曰:“木干水,冬蟄蟲不藏;土乾水,蟄蟲冬出。”《潛潭巴》曰:“蟲兩足赤口,諸侯強。”《五經異義公羊說》:“后夫人之家,專權擅勢,秉持國政,蠶食百姓,則蟲飛反墜。”《握鏡》曰:“甲蟲無故生宗廟中,不出三年,臣背叛,兵興,國憂,亡天下;蟲無故自死,用刑暴,戕害過。”京房曰:“軍行道,逢蟲蛇怒,必大戰,吏兵與馬,賊將死,以君大就,五校亂錯,故致以怪。”

《春秋繁露》にいう:木気が水気を干犯すれば、冬天に蟄虫は肯んじて潜蔵せざらん。土気が水気を干犯すれば、蟄虫は冬天に土を出でん。《春秋潜潭巴》にいう:虫に両隻の脚を長じ、紅嘴巴なるは、諸侯の強横なるを主る。《五経異義》の載する所の公羊家の説法:太后と夫人の娘家が権を専らして勢を擅ね、国政を把持し、蚕が桑葉を食するが如く百姓を侵奪すれば、飛虫は即ち反って墜落せん。《握鏡》にいう:甲虫が故なく宗廟の中に生ずるは、三年を出ずして、臣下が背叛し、兵事が興起し、国家に憂患有りて、以て天下を喪失す。虫が故なく自行して死去するは、刑を用うるに残暴にして、殺傷が過度なるを主る。京房がいう:軍隊が路上に行進して、虫蛇の怒りて相い向かうに遇うは、必定に大戦有りて、官兵と馬匹および敵方の将領は皆死傷せんとす。君主が大いに兵を興し、五校の軍が錯乱・失序するに因りて、故に此の如きの怪異を招致す。

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