柳占 三
石氏曰:“柳八星,十五度。(古十八度)度距西頭第三星先至,去極七十七度。(在黃道外十二度)春夏為水,秋冬為火。(巫咸曰:“柳,土星。)柳北六尺,是中道。”(周之分野)《南官候》曰:“柳,天府也,一名天相;一名天大將軍,天少府也;其國、狄也;其木、桑也;其物、羊豕也。”
石申がいう、柳宿は八颗の星から組成され十五度を横に跨る。原書小注:古度は十八度を作る。量度は西端の第三星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること七十七度である。原書小注:黄道以南の十二度に位する。柳宿は春夏は水に配し秋冬は火に配す。原書小注が巫咸を引いていう、柳は土に属す。柳宿以北の六尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:柳の分野は周の地に在りすなわち今の洛陽一帯である。《南官候》にいう、柳は天府で一名「天相」であり一名「天大将軍」でありまた天少府と叫ばれる。対応する国は狄で配属する木は桑で配属する物産は羊と猪である。
《爾雅》曰:“咮,謂之柳;柳、鶉火也;一曰注,音相近也。”《聖洽符》曰:“注者,木功也。”《孝經章句》曰:“柳,天庫也。”巫咸曰:“柳為木官,主工匠;又曰:柳為天庫。”《天官書》曰:“柳為鳥注,主草木。”齊伯曰:“柳者,生於道澤之山。為其國府庭也。”郗萌曰:“將有木功,則占於柳。”
《爾雅》にいう、「咮」はすなわち柳宿である。柳は十二次の中の鶉火に属す。また「注」と作る両字の読音が相近ければこそ。《聖洽符》にいう、注は木工の事を主る。《孝経章句》にいう、柳は天庫である。巫咸がいう、柳は木を掌る官で工匠を主る。またいう、柳は天庫である。《史記・天官書》にいう、柳は朱鳥の喙で草木を主る。斉伯がいう、柳宿の気は道沢の山に生じあの一方の府廷である。郗萌がいう、およそまさに木工の营造の事あらんとすればすなわち柳宿の上に到って推占する。
《二十八宿山經》曰:“柳山、七星山、張山;皆相連,在周嵩高山東北;柳、七星、張星神,常居其上。”《黃帝占》曰:“柳者,朱雀頸也;主卿相大臣之廚。凡八星,以防詐偽;其星欲明,明則大臣重鎮;以防不虞;其不明,王者失令,宮室不安。”《春秋緯》曰:“參、注滅絕,臣弒君,子弒父。”
《二十八宿山経》にいう、柳山・七星山・張山は彼此に相連なりみな周の地の嵩高山の東北に在り柳・七星・張の三宿の星神は常年に山上に駐在する。《黄帝占》にいう、柳は朱雀の脖頸で卿相の大臣の膳食を主る。合わせて八颗の星でもって詐欺・作偽を防範する。これらの星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち大臣が穏重に鎮守し意外の変に防備する能し星が若し明ならざれば君王の政令が失当で宮室が安寧を得ざる。《春秋緯》にいう、参宿と柳宿が熄滅・断絶するは臣下が君を弑し儿子が父を弑することを主る。
郗萌曰:“柳星位直,天下謀伐主;其星就聚,兵滿國;其星不明,德弊離;其星明,國安昌。注星明,廚養具。注舉首,王命興,輔佐良。”《石氏贊》曰:“柳主上食,和味滋;故置天稷,以祭祀。柳主上食,長養形仁以行恩,成其名。”
郗萌がいう、柳宿の諸星が直線に排成して正対すれば天下に人が図謀して君主を討伐する者あり。諸星が内に向かって挤聚すれば兵馬が国中に充満する。星が若し明ならざれば徳沢が衰败・離散する。星が若し明亮なれば国家が安定・昌盛する。柳星が明亮なれば庖厨の供養が斉備する。柳宿が首を昂げて上擧すれば王命が興起し輔佐の臣が賢良である。《石氏賛》にいう、柳は君王の膳食を進献することを主り滋味を調和するゆえに傍らに「天稷」の諸星を設けてもって祭祀に供する。柳は食を進むを主り万物を長養し仁徳の形を以て恩沢を施行しその名分を成就する。
七星占 四
石氏曰:“七星七度。(古十三度)度距中央大星先至,去極九十度。(在黃道外二十一度少)春夏為火,秋冬為水。(巫咸曰:七星,水星也)七星北十三度,是中道。”(周之分野)《黃帝占》曰:“七星,赤帝也;一名天庫,一名天御府。於午火隆,入中宮,德於上星;主衣裳、帝冠、被服、繡之屬。”
石申がいう、七星のこの一宿は七度を横に跨る。原書小注:古度は十三度を作る。量度は中央の那颗の大星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十度である。原書小注:黄道以南の二十一度稍弱に位する。七星は春夏は火に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、七星は水に属す。七星以北の十三度は日月・五星が運行する中道である。原書小注:七星の分野は周の地に在る。《黄帝占》にいう、七星は南方の赤帝に属し一名「天庫」であり一名「天御府」である。それは午位に当たり火気が隆盛で気が中宮に入り徳沢が上面の星に施される。衣裳・帝王の冠冕・服飾および刺繍の一類の事物を主る。
皇甫謐曰:“七星、一名延頸。”《南官候》曰:“七星,一名天員,天府也;主保葆旅之事。”《玉曆》曰:“七星,一名天河。”《百二十占》曰:“七星,為員官;一名津橋。”宋均曰:“注,候七星也。”《聖洽符》曰:“七星者,倍海也。”巫咸曰:“七星,為賜貨;又天廷。”《天官書》曰:“七星頸為天員官,主急事。”郗萌曰:“七星,為天帝守諸群盜賊。”《列宿占》曰:“七星,主兵。”
皇甫謐がいう、七星は一名「延頸」である。《南官候》にいう、七星は一名「天員」で天府で野生の草木・菜蔬を守護する事を主る。《玉暦》にいう、七星は一名「天河」である。《百二十占》にいう、七星は員官で一名「津橋」である。宋均がいう、いわゆる「注」は七星を候察する意思である。《聖洽符》にいう、七星は背海の地を主る。巫咸がいう、七星は財貨を賞賜することを主りまた天廷である。《史記・天官書》にいう、朱雀の頸はすなわち七星で天員官で緊急の事を主る。郗萌がいう、七星は天帝に替わって群盗・賊寇を看守する。《列宿占》にいう、七星は兵事を主る。
《黃帝占》曰:“七星正,主陽,朱雀心也;星主衣裳,鳥之翅也,以覆鳥身,以主衣裳也;其星欲明,明則王道大昌,君子家不穩,賢人不逃藏;其星不明,中輔逃亡,賢良不處,天下虛空;王者開四門,則七星光澤,天援綱紀。”
《黄帝占》にいう、七星は正位に居り陽気を主り朱雀の心である。この星は衣裳を主り鳥の翅膀の如くでもって鳥身を覆蓋し因而に衣裳を主る。これらの星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち王道が大いに昌盛し君子が家に安居せざるに安んぜずして仕に出るを願い賢人がもはや隠匿・逃避せざる。星が若し明ならざれば中枢の輔臣が逃亡し賢良の士が安処を得ず天下が空虚である。君王が四方の門を広く開き賢を招き諫を納れれば七星はすなわち光潤・沢あり上天もまた人間の綱紀を扶持する。
甘氏曰:“七星動者,兵起。”郗萌曰:“七星大,則麻熟成。七星明,執政者平;不明,天子疾。七星離,天下易政,家殊計。”《石氏贊》曰:“七星主衣裳,蓋身軀;故置軒轅裁制之。又曰德歸好,性信有成,故以衣裳屬七星。”
甘徳がいう、七星が移動すればまさに兵を起こさんとする。郗萌がいう、七星が変大すれば麻は便ち成熟する。七星が明亮なれば執政の人が事を処するに公平である。明ならざれば天子に疾病がある。七星が彼此に散開すれば天下が政令を変更し各家が各々打算を有して同心する能わざる。《石氏賛》にいう、七星は衣裳を主りもって身軀を遮蓋するゆえに傍らに「軒轅」の諸星を設けて裁剪・制作する。またいう、徳沢が美善に帰し性情が誠信にして成就あるゆえに衣裳の事を七星に帰属する。
張宿占 五
石氏曰:“張六星,十八度。(古十三度)度距應前第一星先至,去極九十七度。(在黃道外二十六度半)春夏為木,秋冬為水。(巫咸曰:張,水星也。)張北十三尺,是中道。”(周之分野)《南官候》曰:“張為天府也,一名御府,寶文王神之藏也,一名天王,被服也,一名天倡,其星明,即天子昌。”
石申がいう、張宿は六颗の星から組成され十八度を横に跨る。原書小注:古度は十三度を作る。量度は応前の第一星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十七度である。原書小注:黄道以南の二十六度半に位する。張宿は春夏は木に配し秋冬は水に配す。原書小注が巫咸を引いていう、張は水に属す。張宿以北の十三尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:張の分野は周の地に在る。《南官候》にいう、張は天府で一名「御府」で珍宝・典籍と王者の神明が貯蔵する処である。一名「天王」で服飾を主る。一名「天倡」である。この星が明亮なれば天子はすなわち昌盛する。
齊伯曰:“張者,生於江水之山,為天庫;一曰生於道釋之山,為周庫;又為都官。”《黃帝占》曰:“張,天府也,朱雀嗉也;主帝之珠玉寶,宗廟所用,天王內官衣服;其輔帝中宮內,張外翼以衛帝宮。”《聖洽符》曰:“張者,主酒食。”
斉伯がいう、張宿の気は江水の山に生じ天庫である。別の一説では道釈の山に生じ周の地の府庫でまた都官である。《黄帝占》にいう、張は天府で朱雀の嗉嚢の部位に処り帝王の珠玉・珍宝・宗廟に用いる礼器および天王の内官の衣服を主る。それは内に在っては帝座が居る所の中宮を輔佐し外に在ってはすなわち翅翼を張開してもって帝宮を護衛する。《聖洽符》にいう、張は酒食を主る。
《孝經章句》曰:“張為天相,王者珍寶物,宗廟所用;其西四星,四輔也;帝宮內翼、外張;以匡帝宮。”《天官書》曰:“張嗉為廚,主觴客。”《南官候》曰:“張者為廚,主觴客之事;其木,梧桐;其物,粟,雞、狗、羊皮;其國,周也。”《列宿說》曰:“張主賞與;星動者,有賞與之事。”
《孝経章句》にいう、張は天相で君王の珍宝・器物と宗廟に用いる物を主る。その西辺の四颗の星は四輔である。帝宮の内に翼宿あり外に張宿ありもって帝宮を匡護する。《史記・天官書》にいう、朱雀の嗉嚢はすなわち張宿で庖厨で宴で宴飲・賓客を主る。《南官候》にいう、張は庖厨で宴飲・賓客の事を主る。配属する木は梧桐で配属する物産は粟および鶏・狗と羊皮である。対応する国は周である。《列宿説》にいう、張は賞賜・給与を主る。この星が移動すればすなわち賞賜の事がある。
《黃帝占》曰:“張星明大,則王者行五禮,得天下之中;其不明,修禮退金官,以木官代之,則星光明。”《海中占》曰:“張星不明,王者少子孫。”郗萌曰:“張星明大,則廚養具;若張星不明,多病者、移徙者;天下有逆民就聚者;有兵。”《石氏贊》曰:“張主賜客;賓主嬉,故近(一本雲故置之)少微,禮義時。張主長養,位盛陽;人君向治,統綱紀。”
《黄帝占》にいう、張星が明亮・碩大なれば君王が吉・凶・軍・賓・嘉の五礼を施行し天下の中正を得る。星が若し明ならざればまさに礼制を修明し金に属する官を罷退し木に属する官に改用すべく星は便ち再び光明を放たんとする。《海中占》にいう、張星が明ならざれば君王の子孫が稀少である。郗萌がいう、張星が明亮・碩大なれば庖厨の供養が斉備する。若し張星が明ならざればすなわち病人が多く遷徙する人が多く天下に叛民が聚集しさらに兵事があらん。《石氏賛》にいう、張は賓客に宴を賜うことを主り賓主が歓洽するゆえに「少微」の諸星に靠近する——原書小注:一本は「故置之」と作る——礼義を時宜に合わしむ。張は生長・養育を主り位は陽気の極盛の処に当たる。人君はこれにより治平に趨り綱紀を総攬する。
翼宿占 六
石氏曰:“翼二十二星,十八度。(古十三度)度距中央西星先至,去極九十九度。(在黃道外二十度半)春夏為金,秋冬為土。(巫咸曰:翼,金星也)翼北十二尺,是中道。”(楚之分野)《南官候》曰:“翼主天昌,五樂八佾也;一名化宮;一名天都市;一名天徐,以和五音。”
石申がいう、翼宿は二十二颗の星から組成され十八度を横に跨る。原書小注:古度は十三度を作る。量度は中央の西に偏する那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十九度である。原書小注:黄道以南の二十度半に位する。翼宿は春夏は金に配し秋冬は土に配す。原書小注が巫咸を引いていう、翼は金に属す。翼宿以北の十二尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:翼の分野は楚国に在る。《南官候》にいう、翼は天下の昌盛を主り五種の楽舞と天子の八佾の舞を象徴する。一名「化宮」であり一名「天都市」であり一名「天徐」でありもって五音を調和する。
石氏曰:“翼,天樂府也,主輔;翼以衛太微宮。法九州之位。入為將士相,繩直有例;內外小星四十六,官各隨其度,小臣之象也。”《聖洽符》曰:“翼者,賓客也。”《孝經章句》曰:“翼者,市也。”《百二十占》曰:“翼為天倡,倍海也,天旗天都也,其國,楚;其木,茱萸也;其物轅干也,奴婢、毛羽、節器也。”
石申がいう、翼は天上の楽府で輔佐の職を主りもって太微宮を護衛しその布列は九州の方位に取法する。朝廷に列入すればすなわち将・士・相と為り縄墨の如く端直にして条例あり。宿内・宿外に合わせて四十六颗の小星があり各官が居る所の度次に依って排列し小臣の象徴である。《聖洽符》にいう、翼は賓客を主る。《孝経章句》にいう、翼は市集である。《百二十占》にいう、翼は天倡で背海の地を主りまた天旗・天都でもある。対応する国は楚で配属する木は茱萸で配属する物産は車轅の木杆および奴婢・毛羽と符節の器物である。
《黃帝占》曰:“翼和五音,調笙律;五輔,以衛太微宮,九州之位;入為宰相,其星明,則帝德明;王者納賢徵聖,有進言之慶;禮樂大興,天下和平;其星不明,天子有憂,將有負海之客,禮樂不和,律呂不調。”
《黄帝占》にいう、翼は五音を調和し笙管の音律を校正する。それは五輔の一と為り太微宮を護衛し布列は九州の方位に合する。朝に入ればすなわち宰相と為る。この星が明亮なれば帝王の徳行はすなわち昭明する。君王が賢才を延納し聖哲を徴召すれば臣下が進言・献策する喜慶があり礼楽が大いに興盛し天下が和平する。星が若し明ならざれば天子に憂患がありまさに海浜の遠方からの客人があり礼楽が和を失し十二律呂が調諧する能わざらん。
巫咸曰:“翼,天羽翼,又為負海。”《天官書》曰:“翼為羽翮,主遠客。”《二十八宿山經》曰:“翼山、軫山相連,在楚門山中央最高,翼、軫星神,常居其上。”郗萌曰:“將有負海之事,則占於翼也。”《列宿說》曰:“翼主蠻夷,其星動,則蠻夷來見天子者。”
巫咸がいう、翼は天上の羽翼でまた背海の地を主る。《史記・天官書》にいう、翼は鳥の羽翮で遠方の来客を主る。《二十八宿山経》にいう、翼山と軫山は彼此に相連なり楚国の門山の中部に在り地勢が最も高く翼・軫の両宿の星神は常年に山上に駐在する。郗萌がいう、およそまさに浜海の遠方の事あらんとすればすなわち翼宿の上に到って推占する。《列宿説》にいう、翼は四方の蛮夷を主りこの星が移動すればすなわち蛮夷が前来して天子を朝見する。
《黃帝占》曰:“翼星光芒明,帝臣群聖,三王清徹,聖賢有期,集會之慶,禮樂大興,天下和平。”郗萌曰:“翼明大,則四夷賓服,翼星從天子;舉兵征伐,其星就聚,天下相伐;其星明,旗用,其星不明,天下無憂。”《石氏贊》曰:“翼主天倡;以戲娛,故近太微,並尊嬉。翼二十二星,主天倡,建旗秉節,物滿張。”
《黄帝占》にいう、翼星の光芒が明亮なれば帝王の臣子の群賢が畢集し三王の道が清明・通徹し聖賢が期に応じて出で会聚の喜慶があり礼楽が大いに興盛し天下が和平する。郗萌がいう、翼星が明亮・碩大なれば四方の夷人が賓服し翼星が天子に随従して師を出して征伐する。諸星が内に向かって挤聚すれば天下が互相に攻伐する。星が明なれば旌旗がまさに動用せんとする。星が明ならざれば天下は便ち憂患なし。《石氏賛》にいう、翼は天倡を主り歌舞の娯楽を事と為すゆえに太微垣に靠近し一同に尊貴の歓娯を承接する。翼宿の二十二星は天倡を主り旌旗を樹起し符節を執掌し万物が充盈・張揚する。
軫宿占 七
石氏曰:“軫四星,長沙一星,轄二星,十七度。(古十六度)度距西北星先至,去極九十九度。(在黃道外十五度少)春夏為木,秋冬為土。(巫咸曰:軫,金星也。)軫北十三尺,是中道。”(楚之分野)《南官候》曰:“軫,一名天志,主風、死喪;東小星,轄;西小星,轄膏;軫同合,邊兵起;膏去軫二尺,所進近軫,名為天膏;轄者,車騎發,膏轄反;故車騎罷,遠兵息。”
石申がいう、軫宿の四星は別に長沙の一星・轄の二星を附し本宿は十七度を横に跨る。原書小注:古度は十六度を作る。量度は西北の那颗の星を距星と為しそれが最も先に中天に到達し北天極を距ること九十九度である。原書小注:黄道以南の十五度稍弱に位する。軫宿は春夏は木に配し秋冬は土に配す。原書小注が巫咸を引いていう、軫は金に属す。軫宿以北の十三尺は日月・五星が運行する中道である。原書小注:軫の分野は楚国に在る。《南官候》にいう、軫は一名「天志」で風を主り死喪を主る。東辺の小星を「轄」と叫びすなわち車軸の頭の銷釘である。西辺の小星を「轄膏」と叫びすなわち車軸の上の潤滑の油である。轄と軫が一処に合すれば辺地にまさに兵を起こさんとする。膏星が軫を距ること二尺で若し前移して軫宿に靠近すればすなわち「天膏」と叫ぶ。轄星が顕現すれば車騎が出動する。膏と轄が各々原処に返回すれば車騎は便ち兵を収め遠方の戦事が平息する。
《聖洽符》曰:“軫者,車事也。”《孝經章句》曰:“軫、府廷也;車也。”巫咸曰:“軫,天庫;楚國星也;會稽也;軫,天子政朝也。”《南官候》曰:“軫者,天員府也;其國楚也;漢江荊湘衡也;其木、松柏弓;其物、青枲帛也。”齊伯曰:“軫者,生於蒙山,長為楚之國,為府廷。”《黃帝占》曰:“軫,主察凶災,冢宰之臣;四輔也。”《天官書》曰:“軫主風。”
《聖洽符》にいう、軫は車馬の事を主る。《孝経章句》にいう、軫は府廷でありまた車である。巫咸がいう、軫は天庫で楚国の星でまた会稽に応ずる。軫はまた天子が政を聴く朝堂である。《南官候》にいう、軫は天員府である。対応する国は楚で兼ねて漢水・長江・荊州・湘水・衡山一帯に及ぶ。配属する木は松柏と弓材で配属する物産は青麻と布帛である。斉伯がいう、軫宿の気は蒙山に生じ長成して楚国の星と為り楚の地の府廷である。《黄帝占》にいう、軫は凶災を察知することを主り冢宰の臣でありまた四輔である。《史記・天官書》にいう、軫は風を主る。
《黃帝》曰:“軫者,以候王者壽命,故置長沙一星,主延期;轄二星,主侯王;左轄為同姓;右轄為異姓;長沙、轄星欲明,明則壽命長,天下不亡也;細微,亡;不見七日,其位王侯當之。”《天官書》曰:“長沙星不欲明,明與四星等若五星,入軫中;兵大起。”
《黄帝占》にいう、軫宿はもって君王の寿命を候察するゆえに傍らに長沙の一星を設けて寿数を延長することを主る。轄の二星は諸侯王を主り左轄は同姓の諸侯を代表し右轄は異姓の諸侯を代表する。長沙と轄星は明亮を以て好しと為し明亮なればすなわち寿命が長久で天下が覆亡に至らざる。星が若し細弱なれば死亡を主る。連続して七日見えざればすなわち王侯の身に応ずる。《史記・天官書》にいう、長沙星は明亮するに宜しからずもし亮くして軫宿の四星と相当し五颗の星が一同に軫宿の中に入るが如くなればまさに兵事が大いに起きんとする。
郗萌曰:“軫北小星,去軫數寸者,轄也;轄明,與四星等,若轄進退,兵大起,軫南小星,去軫二尺者,膏也;轄進膏博軫,是謂天亡,膏三日,車騎發;轄膏各反其處,車騎罷;有兵而轄遠軫者,兵罷。”《百二十占》曰:“軫為天車,車失轄,則傾。”
郗萌がいう、軫宿の北面の那颗の小星で軫を距ること数寸のはすなわち轄である。轄星が明亮して四星と相当するかあるいは轄星が進退・位を移すかはみな兵事が大いに起きることを主る。軫宿の南面の那颗の小星で軫を距ること二尺のはすなわち膏である。轄星が前進し膏星が軫宿に迫近するこれを「天亡」と叫び膏星がこのよう三日なれば車騎はまさに出動せんとする。轄と膏が各々本位に退回すれば車騎は便ち兵を収める。すでに戦事ありて轄星が軫宿に遠離すればすなわち兵事が罷息する。《百二十占》にいう、軫は天上の車で車が轄銷を失せばまさに傾覆せんとする。
郗萌曰:“軫星明大,則車駕備。軫星及長沙星明,天子內佐親強。軫星移徙,天子憂謀兵;其星就聚,兵大起。軫星流,不正,又無一星,如車無轄,國主憂。將有軍出入,則占於軫。軫轄舉,南蠻侵。”《列宿說》曰:“轄星動,車騎用。”石氏曰:“轄二星,不欲明,明則轁;車行罔,轄欲進,相去七寸;相去一尺以外皆凶。”
郗萌がいう、軫星が明亮・碩大なれば車駕が斉備する。軫星と長沙星がみな明亮なれば天子の内廷の輔佐が親近にして強固である。軫星が位を移せば天子が兵を用いる謀を憂う。諸星が内に向かって挤聚すれば兵事が大いに起きる。軫星が流散して正ならずまた一颗の星を缺けば車に轄銷なきが如く国君に憂患あり。およそまさに軍隊が出入あらんとすればすなわち軫宿の上に到って推占する。軫宿の轄星が上擧すれば南方の蛮族が入侵する。《列宿説》にいう、轄星が移動すれば車騎はまさに動用せんとする。石申がいう、轄の二星は明亮するに宜しからず明亮なればすなわち車軸が滞渋し車行が受阻する。轄星は稍稍前進するに宜しく軫と相距ること七寸を以て好しと為し相距ること一尺以外はみな凶象である。
郗萌曰:“軫星明,兵大起。”《百二十占》曰:“轄星動搖三月,車馬大凶。”《黃帝占》曰:“長沙明,則主壽長。”《洛書》曰:“長沙明,下大臣逆謀,兵乃生。”《春秋緯》曰:“長沙左轄中星,不欲明;明與四星等,兵大起。”石氏曰:“長沙星明,王者保慶,子孫昌。”巫咸曰:“長沙明,天子壽豐。”
郗萌がいう、軫星が明亮なれば兵事が大いに起きる。《百二十占》にいう、轄星が連続して三箇月揺動すれば車馬が大凶である。《黄帝占》にいう、長沙星が明亮なれば君王の寿命が長久なるを主る。《洛書》にいう、長沙星が明亮なれば下面の大臣に叛逆の謀があり兵禍がこれに随いて生ずる。《春秋緯》にいう、長沙と左轄の当中の星は明亮するに宜しからずもし亮くして軫宿の四星と相当なれば兵事が大いに起きる。石申がいう、長沙星が明亮なれば君王が福慶を安享し子孫が昌盛する。巫咸がいう、長沙星が明亮なれば天子の寿数が豊厚である。
石氏曰:“軫,主死喪,知凶災;故設長沙,以延期。”石氏曰:“軫四星,主死喪,建時立節,威嚴莊,春王小終,季夏殃。”巫咸曰:“長沙,木官也。長沙一星,主囚亡。”《洪範傳》曰:“南方一百七度。今一百十二度。”
石申がいう、軫は死喪を主り凶災を察知する能しゆえに傍らに長沙の一星を設けてもって寿期を延續する。石申がまたいう、軫宿の四星は死喪を主り時令・節度を確立し威儀が厳整・荘重である。春季は王気と為るも略々終尽を見て季夏に到ればすなわち災殃がある。巫咸がいう、長沙は木官である。長沙の一星は囚繫と逃亡の事を主る。《洪範伝》にいう、南方の七宿は合わせて百七度で今測れば百十二度である。
開元占経 巻六十四・分野略例
宿次分野 一
角、亢,鄭之分野,自軫十二度至氐四度,於辰在辰,為壽星。三月之時,萬物始達於地,春氣布養萬物,各盡於其天性,不罹天天,故曰壽星。(《爾雅》曰:“壽星,角亢也。鄭玄《注月令》曰:“仲秋者,日月會於壽星,一名庫營。”皇甫謐曰:“壽星,一名天庫,一名天翼,一名天正。”《天官書》曰:“角亢氐兗州。”《淮南子》曰:“角亢,鄭也。”費直《周易分野》曰:“自軫七度至氐十一度,為壽星。”蔡伯喈《月令章句》曰:“自軫六度至亢八度,謂之壽星之次,鄭之分野,曰鄭星,得角亢也。”)
角・亢の二宿は鄭国の分野で、轄する天区は軫宿十二度から氐宿四度まで、十二辰では辰の位に配され、「寿星」の次と呼ばれる。三月の時節、万物は地を破って芽生え始め、春気が布散して万物を養い、それぞれが生まれつきの性分を尽くして夭折の害に遭わないので「寿星」と呼ぶ——原文は「不罹天天」で、後の「天」の字は「夭」に当たる。原書小注:《爾雅》にいう、寿星とは角・亢である。鄭玄の《月令》注にいう、仲秋に日月が寿星で会し、一に「庫営」ともいう。皇甫謐はいう、寿星は一に「天庫」、一に「天翼」、一に「天正」ともいう。《天官書》にいう、角・亢・氐は兗州に対応する。《淮南子》にいう、角・亢は鄭である。費直の《周易分野》にいう、軫宿七度から氐宿十一度までを寿星とする。蔡邕の《月令章句》にいう、軫宿六度から亢宿八度までを寿星の次といい、鄭国の分野で、鄭星と称して角・亢の二宿を得たものである。
穎川之文城、定陵、襄城、隸陽、穎陰、長社、陽曜、郟,(八縣,穎川郡,秦置。)東接汝南,西接弘農,特得新安、宜陽,(二縣屬弘農郡,漢武帝置。)皆韓之分野。(《韓世家》曰:韓氏,姬之苗裔也,韓武子事晉,得封於韓也。)《詩風》陳鄭之國,與韓同星分也。(《陳世家》曰:陳本太昊之虛也,周武王克殷,求舜後,得媯滿封之於陳,以奉舜祀,為胡公,淮陽國之陳縣,則其地也。)
潁川郡の文城・定陵・襄城・隷陽・潁陰・長社・陽曜・郟——原書小注:この八県は潁川郡に属し、秦が置いた——東は汝南に接し、西は弘農に接し、さらに新安・宜陽を兼ねる——小注:この二県は弘農郡に属し、漢の武帝が置いた——いずれも韓国の分野である。原書小注:《史記・韓世家》にいう、韓氏は姫姓の末裔で、韓武子が晋に仕えて韓に封じられた。《詩経》国風の陳・鄭の二国は、韓国と同じ星野に属する。原書小注:《陳世家》にいう、陳はもと太昊氏の旧墟である。周の武王が殷を滅ぼした後、舜の後裔を尋ね求め、嬀満を得て陳の地に封じて舜の祭祀を奉じさせた。これが胡公である。漢代の淮陽国の陳県がその地である。
鄭國,今河南之新鄭是也,(新鄭縣也,河南郡,秦三川郡也,漢高帝改名焉。)本高辛氏之火正,祝融之虛,(重黎為帝營高辛氏居太正,甚有功,能光融天下,帝營命曰祝融,祝大也,融明也。)及成皋、滎陽,(二縣也,屬河南郡戶也。)穎川之嵩陽城,(二縣也)皆鄭之分也。(《鄭世家》曰:周宣王封庶弟友于鄭,是為桓公也。)屬兗州。(《尚書禹貢》曰:齊河惟兗州,《周官》曰:河東曰兗州,《未央分野》曰:鄭治穎川,從滎陽南至梁山,東至龍山,今為穎川。)
鄭国は今日の河南の新鄭である——原書小注:すなわち新鄭県で、河南郡に属する。河南郡はもと秦の三川郡で、漢の高帝が改めて名づけた——そこはもともと高辛氏の火正の旧地、祝融の故墟である。原書小注:重黎が帝嚳高辛氏のもとで火正を務め、功績が大きく、天下に明るく融和を及ぼすことができたので、帝嚳は「祝融」の名を賜った。「祝」は大、「融」は明である——文中の二箇所の「帝営」はいずれも「帝嚳」に当たる。また成皋・滎陽——小注:この二県は河南郡に属する——および潁川の嵩陽・城——小注は二県とするが、おそらく嵩高・陽城の二県で、伝写に脱誤がある——もいずれも鄭国の分野である。原書小注:《鄭世家》にいう、周の宣王が庶弟の友を鄭に封じた。これが鄭桓公である。この一帯は州域では兗州に属する。原書小注:《尚書・禹貢》にいう、済水と黄河の間が兗州である。《周官》にいう、黄河の東を兗州という。《未央分野》にいう、鄭国の治所は潁川にあり、滎陽から南は梁山まで、東は龍山まで、現在は潁川に属する。
氐、房、心,宋之分野;自氐五度至尾九度;於辰在卯,為大火;東方為木,心星在卯,火出木心,故曰大火。(《爾雅》曰:大辰,房心尾也,大火謂之辰也。《語》曰:參辰,亦曰參商,謂參星與心星也,已釋於魏次注中。鄭玄注《禮記月令》曰:季秋者,曰月會於大火,斗建戍之辰也。《周禮》曰:大火一名味;一名天馬。皇甫謐曰:大火一名天相;一名天府。《天官書》曰:房心豫州。《淮南子》曰:氐房心,宋也。費直曰:自氐十一度至尾八度,為大火。蔡氏曰:自亢八度至尾四度謂之大火之次。《未央分野》曰:家星得房心,今為梁也。)
氐・房・心の三宿は宋国の分野で、轄する天区は氐宿五度から尾宿九度まで、十二辰では卯の位に配され、「大火」と呼ばれる。東方は木に属し、心星がちょうど卯の位に当たり、火は木の心から生じるので「大火」と呼ぶ。原書小注:《爾雅》にいう、大辰とは房・心・尾で、大火を辰ともいう。俗にいう「参辰」は「参商」ともいい、参星と心星を指し、魏地の星次の注文ですでに解釈した。鄭玄の《礼記・月令》注にいう、季秋に日月が大火で会し、斗柄が戌を指す月である。《周礼》にいう、大火は一に「味」、一に「天馬」ともいう。皇甫謐はいう、大火は一に「天相」、一に「天府」ともいう。《天官書》にいう、房・心は豫州に対応する。《淮南子》にいう、氐・房・心は宋に属す。費直はいう、氐宿十一度から尾宿八度までを大火とする。蔡邕はいう、亢宿八度から尾宿四度までを大火の次という。《未央分野》にいう、家星は房・心を占め、現在は梁の地に属する。
梁(泰碭郡,漢高帝改為梁國也。)楚(漢高帝置楚周,宣帝以為彭城郡也。)山陽郡(漢景帝分梁國置。)東平(漢景帝分梁國置濟東國,宣帝改為東平國也。)濟陰(漢景帝分梁國為濟陰國。)東郡之須昌、壽張,(二縣也,壽張本名壽良,漢光武避叔諱,改為壽張也。)
この分野に属する郡国には、梁——原書小注:もと秦の碭郡で、漢の高帝が改めて梁国とした——、楚——小注:漢の高帝が楚国を設置し、漢の宣帝が彭城郡と改めた——、山陽郡——小注:漢の景帝が梁国から分けて設置した——、東平——小注:漢の景帝が梁国から分けて済東国とし、宣帝が東平国と改称した——、済陰——小注:漢の景帝が梁国を分けて済陰国とした——があり、さらに東郡の須昌・寿張の二県——小注:寿張はもとの名を寿良といい、漢の光武帝が叔父の名を避けて寿張と改称した——がある。
皆宋之分野。周分微子於宋,今之睢陽是也。(睢陽縣屬梁國,周成王封紂庶兄微子於宋,以奉殷祀。)本陶唐火正閼伯之虛也。(閼伯、高辛氏之長子也,居商丘也。)濟陰定陶(定陶縣也,屬濟陰國。)《詩風》曹國是也。(周武王封弟叔振鐸於曹,定陶縣是也。)屬豫州。(《尚書禹貢》荊河惟豫州,《周官》河南曰豫州,《未央分野》曰:宋治下蔡、淮陽、從南恆至濟、漢水、沛郡、濟陽、太行、東海,今為梁也。)
以上の各地はいずれも宋国の分野に属する。周が微子を宋に分封した。すなわち今日の睢陽一帯である。(原書小注:睢陽県は梁国に隷属する。周の成王が商の紂王の庶兄である微子を宋の地に封じて、殷商の宗廟の祭祀を承奉させた。)ここはもともと陶唐氏の時代に火を掌る官であった閼伯が居した故墟である。(原書小注:閼伯は高辛氏帝嚳の長男で、商丘に住んでいた。)済陰郡の定陶(原書小注:定陶は県名で、済陰国に隷属する。)は、《詩経・国風》にいう曹国である。(原書小注:周の武王が弟の叔振鐸を曹国に封じた。すなわち定陶県一帯である。)この一帯は九州では豫州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「荆河惟豫州」、《周官》にいう、黄河の南を豫州という。《未央分野》にいう、宋国は下蔡・淮陽を統轄し、南恒から済水・漢水まで、および沛郡・済陽・太行・東海一帯に及び、現在は梁の地である。)
尾、箕,燕之分野;自尾十度至南斗十一度,於辰在寅,為析木。尾東方木宿之末;斗、北方水宿之初;次在其間,隔別水木,故曰析木。(《爾雅》曰:析木謂之津、箕斗之間、漢津也。鄭玄注《月令》曰:孟冬者,日月會於析木,而斗建,亥之辰也。《周禮》曰:析木之津,一名天昭,一名漢津。皇甫謐曰:析木,一名天丞相;一名天司空,一名天家子;一名天津。《天宮書》曰:尾箕,幽州。《淮南子》曰:尾箕,燕也。費直曰:自尾九度至南斗九度,為析木之津。蔡氏曰:自尾四度至南斗六度,謂之析木之次。《未央》曰:燕星得尾箕也。)
尾宿・箕宿は燕国の分野である。尾宿十度から南斗十一度までのこの天区は、十二辰では「寅」に配され、星次を「析木」という。尾宿は東方の木性の星宿の末尾であり、南斗は北方の水性の星宿の初めであり、析木という星次はちょうど両者の中間に挟まって、水・木の二類の星宿を隔てているので「析木」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、析木はまた「津」ともいい、箕宿と斗宿の間にあり、天漢の渡しである。鄭玄の《月令》注にいう、孟冬十月に日月が析木で会し、斗柄は亥の位を指す。《周礼》にいう、析木の津は一に「天昭」、一に「漢津」ともいう。皇甫謐はいう、析木は一に「天丞相」、一に「天司空」、一に「天家子」、一に「天津」ともいう。《天官書》にいう、尾・箕は幽州に対応する。《淮南子》にいう、尾・箕は燕に属す。費直はいう、尾宿九度から南斗九度までが析木の津である。蔡邕はいう、尾宿四度から南斗六度までを析木の次という。《未央》にいう、燕国の分星は尾宿・箕宿である。)
周武王定殷,封召公於燕;其後三十六世,與六國並稱王。(王易王也)東有漁陽,右北平,遼東,遼西;西有上谷,代郡,(六郡、並秦置。)雁門,(郡,秦置。)南得涿郡之易、容城,范陽、北新城,故涿縣良鄉、新昌。(八縣也,涿郡秦置。)勃海之安次,(安次,縣也,勃海漢高帝置。)皆燕之分也,屬幽州。(周分翼州、置幽州。《周官》曰:東北曰幽州。《爾雅》曰:燕,幽州,《未央》曰:幽州治薊,南至積石,東至恆山,今為上谷,漁陽,右北平,遼東、遼西,涿郡也。)
周の武王が殷商を平定した後、召公を燕の地に分封した。その後三十六代を伝え、燕国は残りの六国とともに王号を僭称した。(原書小注:ここでいう「王」とは王と称することである。)燕国の東には漁陽・右北平・遼東・遼西があり、西には上谷・代郡(原書小注:以上の六郡はいずれも秦が設置した。)、雁門(原書小注:雁門は郡で、秦が設置した。)があり、南には涿郡の易県・容城・范陽・北新城、および旧涿県・良鄉・新昌(原書小注:全部で八県。涿郡は秦が設置した。)を得て、さらに勃海郡の安次(原書小注:安次は県名。勃海郡は漢の高帝が置いた。)がある。これらの地はいずれも燕国の分野に属し、九州では幽州に隷属する。(原書小注:周が冀州の地を分けて幽州を設けた。《周官》にいう、東北の方を幽州という。《爾雅》にいう、燕の地が幽州である。《未央》にいう、幽州の治所は薊にあり、南は積石まで、東は恒山まで、現在は上谷・漁陽・右北平・遼東・遼西・涿郡一帯である。)
南斗牽牛,吳越之分野;自南斗十二度至須女七度,於辰在世,為星紀;星紀者,言其統紀萬物,十二月之位,萬物之所終始,故曰星紀也。(《爾雅》曰:星紀,斗、牽牛也。鄭玄注《月令》曰:仲冬者,日月會於星紀,建子之辰也。皇甫謐《年曆》曰:星紀,一名天津;一名天府;一名天苟;一名天雞。《天官書》曰:斗,江湖,牽牛,婺女,柳州。《淮南子》曰:斗,吳越也,高誘注《呂氏春秋》曰:斗、吳也,牛、越也。費直曰:自南斗十度、至須女五度,為星紀。蔡氏《月令章句》曰:自南斗六度至須女二度,謂之星紀之次。《未央》曰:吳越星、得牛斗。)
南斗宿・牽牛宿は呉・越両国の分野である。南斗十二度から須女七度までのこの天区は、十二辰では「丑」の位に当たり(底本は「世」としており、「丑」の字の誤りであろう)、星次を「星紀」という。「星紀」とは、万物の紀綱を総べ統べ、十二月の方位にあり、万物が終わりまた始まるところなので「星紀」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、星紀とは斗宿と牽牛宿である。鄭玄の《月令》注にいう、仲冬十一月に日月が星紀で会し、斗柄は子の位を指す。皇甫謐の《年暦》にいう、星紀は一に「天津」、一に「天府」、一に「天苟」、一に「天鶏」ともいう。《天官書》にいう、斗宿は江湖を主り、牽牛・婺女は揚州に対応する(底本は「柳州」と誤る)。《淮南子》にいう、斗宿は呉越に属す。高誘の《呂氏春秋》注にいう、斗宿は呉に属し、牛宿は越に属す。費直はいう、南斗十度から須女五度までが星紀である。蔡邕の《月令章句》にいう、南斗六度から須女二度までを星紀の次という。《未央》にいう、呉越の分星は牛宿・斗宿である。)
今之會稽、九江、(二郡,秦置。)丹陽、(秦為漳郡、漢武改為丹陽。)豫章、(漢高帝置)廬江、(漢文帝分淮南置)廣陵、六安、(漢武帝改江都國為廣陵國,分衡山,立六安國也。)臨淮、(郡、漢武帝置也。)皆吳之分也。(《史記、吳世家》曰:吳太伯、周太王之長子也。與弟仲雍讓國於季,乃奔荊蠻之地,斷髮文身,荊蠻義而歸之,自號句吳國,武王克殷,求太伯仲雍之後,得仲雍曾孫周章,封之於吳也。)
今日の会稽・九江(原書小注:この二郡はいずれも秦が設置した。)、丹陽(原書小注:秦には鄣郡と呼ばれ、漢の武帝が丹陽と改名した。)、豫章(原書小注:漢の高帝が設置した。)、廬江(原書小注:漢の文帝が淮南国の地を分けて設置した。)、広陵・六安(原書小注:漢の武帝が江都国を広陵国と改め、また衡山の地を分けて六安国を設けた。)、臨淮(原書小注:臨淮は郡で、漢の武帝が設置した。)は、いずれも呉国の分野に属する。(原書小注:《史記・呉世家》にいう、呉の太伯は周の太王の長男で、弟の仲雍とともに君位を末弟の季歴に譲り、そこで荊蛮の地に逃れて、髪を短く切り、身に文身を刻んだ。荊蛮の人々はその義行に感服して帰服しに来たので、太伯は自ら句呉国と号した。周の武王が商を滅ぼした後、太伯・仲雍の後人を尋ね、仲雍の曾孫の周章を見つけて、正式に呉の地に封じた。)
今之蒼梧、鬱林、合浦,交趾、九真、日南、南海,皆越之分也。(《越世家》曰:越之先,夏少康之庶子,封會稽,曰無餘,以奉禹祀,十有餘世,微弱為民,禹祀中絕,千有餘載,後有子,生而能言,我無餘之苗裔也,越人尊以為君、號曰無餘王也,至孫允常,越復興焉。)並屬揚州。(《禹貢》曰:淮海惟揚州,《周官》曰:東南曰揚州,《未央》曰:吳越北至大江,南至山,東至海,西至洞庭。)
今日の蒼梧・鬱林・合浦・交趾・九真・日南・南海は、いずれも越国の分野に属する。(原書小注:《史記・越世家》にいう、越国の祖先は夏の少康の庶子で、会稽に封じられ、無余と号して大禹の祭祀を承奉した。十数代を伝えた後、子孫は衰微して庶民に落ち、大禹の祭祀は千余年も中断した。後に一人の子がいて、生まれるとすぐ言葉を話し、自ら無余の後裔と称したので、越人は彼を尊奉して君主とし、無余王と号した。その孫の允常に伝わると、越国は再び興隆した。)呉・越の二地は九州ではいずれも揚州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「淮海惟揚州」。《周官》にいう、東南の方を揚州という。《未央》にいう、呉越の地は北は長江まで、南は山地まで、東は大海まで、西は洞庭まで及ぶ。)
須女、虛,齊之分野;自須女八度至危十五度,於辰在子,為玄枵也;玄者黑,北方之色;枵者,耗也;十一月之時,陽氣在下,陰氣在上、萬物幽死,未有生者,天地空虛,故曰玄枵也。(鄭玄注《月令》曰:季冬者,日月會於玄枵,斗建世之辰也。《周禮》曰:玄枵、一名天一,顓頊之虛。皇甫謐曰:玄枵,一名婺女;一名少府;一名河鼓;一名天機。《天官書》曰:虛、危,青州。《淮南子》曰:虛危,齊也。費直曰:自須女六度至危十三度,為玄枵。蔡氏曰,自須女二度至危十度,謂之玄枵之次。《未央》曰:齊星得虛危。)
須女宿・虚宿は斉国の分野である。須女八度から危宿十五度までのこの天区は、十二辰では「子」に配され、星次を「玄枵」という。「玄」は黒色で、北方の色に属する。「枵」は耗損して空虚の意である。十一月のとき、陽気は下に潜伏し、陰気は上に弥漫し、万物は幽閉されて死に絶え、生長するものが一つもなく、天地は一片の空虚となるので「玄枵」と呼ぶ。(原書小注:鄭玄の《月令》注にいう、季冬十二月に日月が玄枵で会し、斗柄は丑の位を指す(底本は「世」とする)。《周礼》にいう、玄枵は一に「天一」ともいい、顓頊の故墟である。皇甫謐はいう、玄枵は一に「婺女」、一に「少府」、一に「河鼓」、一に「天機」ともいう。《天官書》にいう、虚・危は青州に対応する。《淮南子》にいう、虚・危は斉に属す。費直はいう、須女六度から危宿十三度までが玄枵である。蔡邕はいう、須女二度から危宿十度までを玄枵の次という。《未央》にいう、斉国の分星は虚宿・危宿である。)
東有菑川、(漢文帝分齊國為藩川國)東萊、(郡,漢高帝置。)琅邪、(郡,秦置。)高密、(漢宣帝改膠西國為高密國)膠東、(漢高帝分齊為膠東國)南有太山、(郡,漢高帝置。)城陽、(漢文帝分齊國立城陽國)北有千乘、(漢高帝立為國)得清河以南,勃海之高樂、高城、重合、陽信、西有濟南,(漢文帝分濟國立濟南國)平原、(漢高帝置)皆齊之分也;(《齊世家》曰:齊太公望,佐周武王、而王乃封太公於齊,武王崩,成王命齊國東至於海,西至於河,南至於穆陵,北至於無棣,而都營丘也。)屬青州。(《禹貢》海岱惟青州,《周官》曰:東曰青州、《爾雅》曰:齊曰營州、則青州也,《未央》曰:齊治營,依於營丘、北至燕、西至九河、南至藺水,東至海。)
斉の地の東には菑川(原書小注:漢の文帝が斉国の地を分けて菑川国とした。)、東萊(原書小注:東萊は郡で、漢の高帝が設置した。)、琅邪(原書小注:琅邪は郡で、秦が設置した。)、高密(原書小注:漢の宣帝が膠西国を高密国と改めた。)、膠東(原書小注:漢の高帝が斉国の地を分けて膠東国とした。)があり、南には太山(原書小注:太山は郡で、漢の高帝が設置した。)、城陽(原書小注:漢の文帝が斉国の地を分けて城陽国を設立した。)があり、北には千乘(原書小注:漢の高帝が封国として立てた。)があり、また清河以南および勃海郡の高楽・高城・重合・陽信を得て、西には済南(原書小注:漢の文帝が済国の地を分けて済南国を設立した。)、平原(原書小注:漢の高帝が設置した。)がある。これらの地はいずれも斉国の分野に属する。(原書小注:《史記・斉世家》にいう、斉の太公呂望は周の武王を輔佐し、武王は太公を斉の地に封じた。武王が亡くなると、成王は斉国の疆界を定め、東は大海まで、西は黄河まで、南は穆陵まで、北は無棣までとし、営丘に都を建てた。)斉の地は九州では青州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「海岱惟青州」。《周官》にいう、東の方を青州という。《爾雅》にいう、斉の地を営州といい、すなわち青州である。《未央》にいう、斉国の治所は営にあり、営丘に依拠し、北は燕の地まで、西は九河まで、南は藺水まで、東は大海まで及ぶ。)
危、室、壁,衛之分野,自危十六度至奎四度、於辰在亥,為諏訾,諏訾嘆息也。十月之時,陰氣始盛,陽氣伏藏,萬物失歲養育之氣、故哀愁而歡、悲嫌無陽,故曰諏訾。(諏訾者,古諸侯也,帝嚳娶諏訾氏女,生摯,堯兄也。《爾雅》曰:諏訾曰營室東壁也,一曰豕韋,夏氏之御龍氏國也,《左傳》曰:萇弘對周景王曰:蔡侯弒其君之歲,歲在豕韋也。鄭玄注《月令》曰:孟春者,日月會於諏訾,而斗建寅之辰也。《周禮》曰:諏訾:一名豕韋,一名顓頊,一名諏訾,一名天府,一名北陵,一名卿中。《天官書》曰:營室、東壁,幷州。《淮南子》曰:營室,東壁也。費直曰:自危十四度至奎一度,為諏訾。蔡氏曰:自危十度至東壁八度,謂之豕韋之次。《未央》曰:衛星得營室東壁也。)
危宿・室宿・壁宿は衛国の分野である。危宿十六度から奎宿四度までのこの天区は、十二辰では「亥」に配され、星次を「諏訾」という。「諏訾」とは嘆息の意である。十月のとき、陰気が盛んになり始め、陽気は潜伏して収蔵され、万物は一年の養育生長の気を失い、そこで哀愁し悲嘆して、陽気の存しないことを恨むので「諏訾」と呼ぶ。(原書小注:諏訾はもと古代の諸侯で、帝嚳が諏訾氏の女を娶り、摯を生んだ。これが堯の兄である。《爾雅》にいう、諏訾とは営室・東壁の二宿で、また「豕韋」ともいい、夏の御龍氏の封国である。《左伝》に記す、萇弘が周の景王に答えていう、蔡侯が君を弑した年、歳星はちょうど豕韋に行っていた。鄭玄の《月令》注にいう、孟春正月に日月が諏訾で会し、斗柄は寅の位を指す。《周礼》にいう、諏訾は一に「豕韋」、一に「顓頊」、一に「諏訾」、一に「天府」、一に「北陵」、一に「卿中」ともいう。《天官書》にいう、営室・東壁は并州に対応する。《淮南子》にいう、并州に対応するのは営室・東壁である。費直はいう、危宿十四度から奎宿一度までが諏訾である。蔡邕はいう、危宿十度から東壁八度までを豕韋の次という。《未央》にいう、衛国の分星は営室・東壁である。)
今東郡、(秦置)魏郡、(漢高帝置之)黎陽河內郡(漢高帝置,本殷之舊都,周既克殷,分其畿內為三國,《詩風》鄘鄰,衛國是也。)野王朝歌、皆衛之分也。衛為翟人所滅,文公徙封楚丘,後三十年,子成公遷於帝丘,今濮陽是也,屬幷州。(周分冀州、置幷州,《周官》曰:正北曰幷州,今分野無幷州所部郡縣,幷州凡九郡,悉在燕趙秦次中,未詳也。《未央》曰:衛置濮陽,其地從王水以東至沛,今為東郡也。)
今日の東郡(原書小注:秦が設置した。)、魏郡(原書小注:漢の高帝が設置した。)、黎陽および河内郡(原書小注:河内郡は漢の高帝が置いた。もと殷商の旧都で、周が商を滅ぼした後、商都の畿内の地を三つの封国に分けた。《詩経・国風》の鄘風・衛風が詠んだのはこの一帯である。)、および野王・朝歌は、いずれも衛国の分野に属する。衛国はかつて狄人に攻め滅ぼされ、衛の文公は楚丘に封を移し、三十年後、その子の成公はまた帝丘に移った。すなわち今日の濮陽である。衛の地は九州では并州に隷属する。(原書小注:周が冀州の地を分けて并州を設けた。《周官》にいう、正北の方を并州という。現在のこの分野体系には并州の轄する郡県が列されていない。并州は全部で九郡で、すべて燕・趙・秦のいくつかの星次の中に帰せられており、その理由は詳かでない。《未央》にいう、衛国の治所は濮陽に設けられ、その地は王水の東から沛まで、現在は東郡である。)
奎、婁,魯之分野,自奎五度至胃六度,於辰在戌,為降婁,降下婁曲也。陰生於午,與陽俱行至八月,陽遂下;九月陽微,剝卦用事,陽淨剝盡;陽在上,萬物枯落,捲縮而死,故曰降婁。(《爾雅》曰:降婁,奎婁也。鄭玄注《月令》曰:仲春者,日月會於降婁,而斗建卯之辰也,《周禮》曰:降婁一名清明。皇甫謐曰:降婁一名天官。《天官書》曰:降婁,魯徐州。《淮南子》曰:奎、婁,魯地。費直曰:自奎二度至胃三度,謂之降婁之次。《未央》曰:魯星得奎婁。)
奎宿・婁宿は魯国の分野である。奎宿五度から胃宿六度までのこの天区は、十二辰では「戌」に配され、星次を「降婁」という。「降」は降り下がること、「婁」は巻き縮むことである。陰気は午の月に生じ、陽気とともに運行して八月に至ると、陽気は次第に沈下する。九月になると陽気は衰微し、《剥》卦が当令し、陽気はほとんど剥落し尽くして、ただ一陽が上位に居るのみとなり、万物は枯れ凋落して巻き縮んで死ぬので「降婁」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、降婁とは奎宿・婁宿である。鄭玄の《月令》注にいう、仲春二月に日月が降婁で会し、斗柄は卯の位を指す。《周礼》にいう、降婁は一に「清明」ともいう。皇甫謐はいう、降婁は一に「天官」ともいう。《天官書》にいう、降婁は魯の地の徐州に対応する。《淮南子》にいう、奎・婁は魯の地である。費直はいう、奎宿二度から胃宿三度までを降婁の次という。《未央》にいう、魯国の分星は奎宿・婁宿である。)
東至東海、(郡,漢高置)南有泗水、(泗水國,漢武帝分東海郡立也)至淮、得臨淮之下,相睢、陵僮、取慮,皆魯之分也。周成王以少昊之虛曲阜,封周公子伯禽為魯侯,以為周公主也;(《魯世家》曰:周武王克殷,封弟周公旦於少吳之虛,周公佐武王,不就封,武王崩,成王命周公子伯禽代居國,是為魯公也。)屬徐州。(《禹貢》曰:海岱及淮、惟徐州,《爾雅》曰:齊東曰徐州,而周罷徐合青,漢武復置徐州。《未央》曰:東至溫水,西至滎陽,北至代,南至江。)
魯の地は東は東海郡まで及ぶ(原書小注:東海は郡で、漢の高帝が設置した。)。南には泗水国(原書小注:泗水国は漢の武帝が東海郡の地を分けて設立した。)があり、淮水にまで達し、また臨淮郡の下相・睢陵・僮・取慮などの県を得た。これらはいずれも魯国の分野に属する。周の成王は少昊の故墟である曲阜一帯を、周公の子の伯禽に封じて魯侯とし、周公の後嗣として祭祀を主催させた。(原書小注:《史記・魯世家》にいう、周の武王が商を滅ぼした後、弟の周公旦を少昊の故墟に封じた。周公は武王を輔佐するために留まり、封国に赴いて就位しなかった。武王が亡くなると、成王は周公の子の伯禽に父に代わって封国を治めさせた。これが魯公である。)魯の地は九州では徐州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「海岱及淮惟徐州」。《爾雅》にいう、斉の地の東を徐州という。周はかつて徐州を廃して青州に併せ、漢の武帝が改めて徐州を設置した。《未央》にいう、魯の地は東は温水まで、西は滎陽まで、北は代まで、南は長江まで及ぶ。)
胃、昴,趙之分野,自胃七度至畢十一度,於辰在酉,為大梁;梁強也,八月之時,白露始降,萬物於是堅成而強,故曰大梁。(《爾雅》曰:大梁,昴也。鄭玄注《月令》曰:季春日月會於大梁,斗建辰之辰也。《注同禮》曰:大梁一名太陽,一名西陵。皇甫謐曰:大梁一名耕田,一名天倉,一名天獄,一名大軍,一名偏將軍。《天官書》曰:昴畢,冀州。《淮南子》曰:昴畢,魏也。費直曰:自胃四度至畢八度,為大梁。蔡氏曰:自胃一度至畢二度,為大梁之次。《未央》曰:趙星得參伐他。)
胃宿・昴宿は趙国の分野である。胃宿七度から畢宿十一度までのこの天区は、十二辰では「酉」に配され、星次を「大梁」という。「梁」は強健の義である。八月のとき白露が降り始め、万物はこれによって堅実に成熟して強壮となるので「大梁」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、大梁とは昴宿である。鄭玄の《月令》注にいう、季春三月に日月が大梁で会し、斗柄は辰の位を指す。《周礼》にいう、大梁は一に「太陽」、一に「西陵」ともいう。皇甫謐はいう、大梁は一に「耕田」、一に「天倉」、一に「天獄」、一に「大軍」、一に「偏将軍」ともいう。《天官書》にいう、昴・畢は冀州に対応する。《淮南子》にいう、昴・畢は魏に属す。費直はいう、胃宿四度から畢宿八度までが大梁である。蔡邕はいう、胃宿一度から畢宿二度までが大梁の次である。《未央》にいう、趙国の分星は参宿・伐星を兼ねて得る。)
趙本晉地,分晉得趙國;(漢高帝以邯鄲郡為趙國)北有信都、(漢高帝立)真定、(國,漢武帝立)常山、(郡、漢高帝置。本因山為名恆山郡,漢文帝諱恆,故改曰常山也。)又得涿郡之高陽、鄭州鄉,(二縣也。涿郡,漢高帝立。)東有廣平、(國,漢武帝立。)鉅鹿、(郡,漢高帝置。)清河,(國,漢文帝分趙國立。)又得勃海之東平、舒中、武邑、文安、東州、城平、童武,(六縣也,漢置河以北也)南至浮水,(水名,一作漳水。)繁陽、內黃、斥丘,(三縣,屬魏郡,高帝置。)西有太原、(郡,秦置。)定襄、(郡,漢高置。)雲中、(秦置)五原、(秦九原郡,漢武帝改。)朔方、(漢武帝開置)上黨、(秦置)本韓之別郡,元韓近趙,後卒降趙,皆得之自趙,夙後九世,稱侯四世,敬侯徙都邯鄲,後三世有武靈王,五世為秦所滅。
趙国はもと晋国の土地で、三家が晋を分けた後に趙国ができた。(原書小注:漢の高帝が邯鄲郡を趙国と改めた。)趙の地の北には信都(原書小注:漢の高帝が設立した。)、真定(原書小注:真定は封国で、漢の武帝が設立した。)、常山(原書小注:常山は郡で、漢の高帝が設置した。もと山に因んで恒山郡と名づけられたが、漢の文帝劉恒の名を避けて常山と改称した。)があり、また涿郡の高陽・鄭州郷(原書小注:この二県である。涿郡は漢の高帝が立てた。)を得た。東には広平(原書小注:広平は封国で、漢の武帝が設立した。)、鉅鹿(原書小注:鉅鹿は郡で、漢の高帝が設置した。)、清河(原書小注:清河は封国で、漢の文帝が趙国の地を分けて設立した。)があり、また勃海郡の東平・舒中・武邑・文安・東州・城平・童武(原書小注:これらの県はいずれも漢朝が黄河以北に設置した。)を得た。南には浮水(原書小注:浮水は水名で、一説に漳水である。)まで及び、および繁陽・内黄・斥丘(原書小注:この三県は魏郡に隷属し、漢の高帝が設置した。)があり、西には太原(原書小注:太原は郡で、秦が設置した。)、定襄(原書小注:定襄は郡で、漢の高帝が設置した。)、雲中(原書小注:秦が設置した。)、五原(原書小注:秦には九原郡と呼ばれ、漢の武帝が改名した。)、朔方(原書小注:漢の武帝が開拓して設置した。)、上党(原書小注:秦が設置した。)がある。上党はもと韓国の別属の一郡で、韓国が趙国に近かったため、後にとうとう趙国に降って帰属したので、これも併せて趙の地と算える。趙氏は趙夙以降九代を伝え、侯と称してさらに四代を経て、敬侯が邯鄲に都を遷し、その後三代で武霊王が出て、さらに五代を伝えて秦に滅ぼされた。
(《趙世家》曰:趙氏之先,帝顓頊之苗裔,伯益之後也,又虞舜妻子,姚姓之女賜姓贏氏,歷夏殷,世為諸侯,後造父為周穆王御,而西巡狩,而偃王反繆王,日馳千里,還攻徐,破之,乃賜造父趙城,由此為趙氏。)屬冀州。(《禹貢》曰:冀州既載壺口,治梁及歧《周官》曰:河內曰冀州,《未央》曰:趙治邯鄲,北至常山,代郡。)
(原書小注:《史記・趙世家》にいう、趙氏の祖先は帝顓頊の後裔、伯益の子孫である。虞舜がかつて姚姓の女をその家に嫁がせ、嬴氏の姓を賜った。夏・商の二代を経て、代々諸侯となった。後に造父が周の穆王のために車を御し、穆王の西巡に従い、ちょうど徐偃王が乱を起こしたところ、造父は車を駆って一日に千里を行き、穆王を載せて戻って徐国を討ち、徐人を打ち破った。穆王はそこで趙城を造父に賜い、趙氏の姓はこれに由来する。)趙の地は九州では冀州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう、冀州の治水は壺口から始め、さらに梁山と岐山を治めた。《周官》にいう、黄河以内を冀州という。《未央》にいう、趙国の治所は邯鄲にあり、北は常山・代郡まで及ぶ。)
畢、觜、參,魏之分野,自畢十二度至東井十五度,於辰在申,為實沈;言七月之時,萬物極茂,陰氣沈重,降實,萬物故曰實沈。(高卒氏有二子,伯曰閼伯,季曰實沈,而不相能,后帝不藏,遷閼伯於商丘,主辰,商人是因,故為商星;遷實沈於大夏,主參,唐人是因,故參為唐星,至周武王感靈夢,而生叔虞,成王時唐有亂,周公滅唐,成王因戲而封虞於唐河,汾之東方百里,太原郡之晉陽縣是也,實沈參之辰也,因名次焉。鄭玄注《禮記月令》曰:孟夏者,日月會於實沈,斗建已之辰。《周禮》曰:實沈一名不疑,皇甫謐曰:實沈一名大唐,一名中尉,一名天路,一名天溝,一名天京,一名旄頭。《天官書》曰:觜觴,參、益州。《淮南子》曰:觜觴、參,趙也。鄭玄注《周禮保章氏》曰:實沈,晉也。費直曰:自畢九度至東井十一度,為實沈。蔡氏曰:自畢六度至東井十度為實沈之次。《未央》曰:魏星得胃,昴、畢也。)
畢宿・觜宿・参宿は魏国の分野である。畢宿十二度から東井十五度までのこの天区は、十二辰では「申」に配され、星次を「実沈」という。これは七月のとき万物がきわめて茂盛で、陰気が重く沈み降りて、果実が熟れ落ちることをいうので「実沈」と呼ぶ。(原書小注:高辛氏に二子がおり、長子を閼伯、幼子を実沈といい、二人は互いに相容れなかった。帝堯はこれによって閼伯を商丘に遷し、辰星の祭祀を主らせた。商人がこれに沿い襲ったので、辰星はまた商星ともいう。実沈を大夏に遷し、参星の祭祀を主らせた。唐人がこれに沿い襲ったので、参星は唐の星である。周の武王のとき、霊夢に感応して叔虞を生み、成王のとき唐国に変乱が起こり、周公が唐国を滅ぼすと、成王は一句の戯言に乗じて叔虞を唐の地に封じた。すなわち河水・汾水の東の方百里、太原郡の晋陽県である。実沈はまさに参星の値する辰であり、星次はこれによって名を得た。鄭玄の《礼記・月令》注にいう、孟夏四月に日月が実沈で会し、斗柄は巳の位を指す。《周礼》にいう、実沈は一に「不疑」ともいう。皇甫謐はいう、実沈は一に「大唐」、一に「中尉」、一に「天路」、一に「天溝」、一に「天京」、一に「旄頭」ともいう。《天官書》にいう、觜・参は益州に対応する。《淮南子》にいう、觜・参は趙に属す。鄭玄の《周礼・保章氏》注にいう、実沈は晋に属す。費直はいう、畢宿九度から東井十一度までが実沈である。蔡邕はいう、畢宿六度から東井十度までが実沈の次である。《未央》にいう、魏国の分星は胃・昴・畢である。)
自高陵(縣也,屬益州。)以東,盡河東、(郡,秦置。)河內、(漢高帝置)南有陳留、(郡,漢武帝置。)汝南、之邵陵、隱強、新汲,(秦置)及西華、長平、穎川、之舞陽、郾許、鄢陵、河南之開封、中牟、陽武、酸棗,(酸棗、縣,屬陳留,縣,則為重見也。)皆魏之分也。
高陵(原書小注:高陵は県で、益州に隷属する。)から東へ、河東(原書小注:河東は郡で、秦が設置した。)、河内(原書小注:漢の高帝が設置した。)の全域まで及ぶ。南には陳留(原書小注:陳留は郡で、漢の武帝が設置した。)、汝南郡の邵陵・隠強・新汲(原書小注:秦が設置した。)、および西華・長平、潁川郡の舞陽・郾・許・鄢陵、河南郡の開封・中牟・陽武・酸棗(原書小注:酸棗は県で、陳留に隷属する。ここに再び現れるのは重複して著録したものである。)がある。これらの地はいずれも魏国の分野に属する。
(《魏世家》曰:畢公高之兵也,與周同姓,高佐同武王,得封於畢,更為畢氏,後封其苗裔曰畢萬,事晉獻公從伐霍耿,魏滅之,獻公以魏封萬魏,河東郡之永安縣是也,武子子悼子,徙治霍,霍平陽郡之永安縣是也,悼子子昭子,徙安邑河東之安邑縣,是昭子孫獻子與趙鞅共謀,祁羊舌氏,分其地、獻子曾孫恆子與趙韓滅智伯桓子,孫文侯,時,魏為強大,周烈王賜命為諸侯,文侯子武侯,與趙韓滅晉,分其地,故參為魏之分野也。)屬益州,(漢武帝改梁州,為益州,非魏地,益州地盡在秦楚次中,為甚略,未詳其旨,《未央》曰:晉治太原,從魏以西至襄治之,今為河東、河內、上黨、雲中。)
(原書小注:《史記・魏世家》にいう、魏氏は畢公高の後代で、周王室と同姓である。畢公高は周の武王を輔佐し、畢の地に封じられ、そこで改めて畢を氏とした。後にその後裔の畢万が封を受け、晋の献公に仕え、軍に従って霍・耿・魏の三国を討って滅ぼしたので、献公は魏の地を畢万に封じた。すなわち河東郡の永安県である。畢万の子が魏武子で、武子の子の悼子は霍に治を遷した。霍は平陽郡の永安県にある。悼子の子の昭子はまた安邑に遷した。すなわち河東郡の安邑県である。昭子の孫の献子は趙鞅と合謀して、祁氏・羊舌氏の封地を分割した。献子の曾孫の桓子はまた趙・韓の両家と共に智伯を滅ぼした。桓子の孫の文侯が位にあったとき、魏国は強盛となり、周の烈王が正式に諸侯に冊命した。文侯の子の武侯は趙・韓とともに晋国を滅ぼして晋の地を分けたので、参宿が魏国の分野となった。)魏の地は九州では益州に隷属する。(原書小注:漢の武帝が梁州を益州と改称したが、益州はもと魏の地ではない。益州の地面はすべて秦・楚の二つの星次の中に帰せられており、ここでいうのはきわめて疎略で、趣意が明らかでない。《未央》にいう、晋国の治所は太原にあり、魏の地から西は襄一帯までみなその管轄に帰し、現在は河東・河内・上党・雲中である。)
東井、輿鬼、秦之分野,自東井十六度至柳八度,於辰在未,為鶉首,南方七宿,其形象鳥,以井為冠,以柳為口;鶉鳥也,首,頭也,故曰鶉首。(《爾雅》曰:咮謂之柳,鄭玄注《禮記月令》曰:仲夏者日月會於鶉首,斗建午之辰也,《周禮》曰:鶉首一名小章,皇甫謐曰:鶉首一名天祿,一名天子市,一名白虎將,一名斧鉞,《天官書》曰:東井輿鬼,雍州,《淮南子》曰:東井、輿鬼,秦也,費直曰:自東井十二度,至柳四度,為鶉首,蔡氏曰:自東井十度,至柳四度,謂之鶉首,《未央》曰:秦星得東井輿鬼也。)
東井宿・輿鬼宿は秦国の分野である。東井十六度から柳宿八度までのこの天区は、十二辰では「未」に配され、星次を「鶉首」という。南方の七宿は全体の形が一羽の鳥のようであり、井宿を鳥の冠とし、柳宿を鳥の嘴とする。「鶉」は鳥の名、「首」は頭である。ゆえに「鶉首」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、鳥の嘴を「咮」といい、指すのは柳宿である。鄭玄の《礼記・月令》注にいう、仲夏五月に日月が鶉首で会し、斗柄は午の位を指す。《周礼》にいう、鶉首は一に「小章」ともいう。皇甫謐はいう、鶉首は一に「天禄」、一に「天子市」、一に「白虎将」、一に「斧鉞」ともいう。《天官書》にいう、東井・輿鬼は雍州に対応する。《淮南子》にいう、東井・輿鬼は秦に属す。費直はいう、東井十二度から柳宿四度までが鶉首である。蔡邕はいう、東井十度から柳宿四度までを鶉首という。《未央》にいう、秦国の分星は東井・輿鬼である。)
自弘農故關以西,(故關、古函谷關也弘家郡、漢武帝置。)京兆、扶風、馮翊、(並秦內史,漢武帝分為三輔。)北地、上郡、(二郡,秦置。)西河、安定、天水、(三郡,漢武帝置。)隴西、(秦置)南有巴郡、蜀郡、(二郡,秦置。)廣漢、(漢置)犍為、(漢武帝置)武都,西北有金城、(漢置)武威、(本休屠王地也)張掖、(本昆耶王地)酒泉、敦煌、(敦煌本屬酒泉,漢武帝置。)又西有牂牁、越巂、益州,皆秦也。(三郡,並漢武帝開置。)
弘農郡の故関から西へ(原書小注:故関はすなわち古代の函谷関。弘農郡は漢の武帝が置いた。)、京兆・扶風・馮翊(原書小注:この三か所はもと秦代の内史の轄地で、漢の武帝が分けて三輔とした。)、北地・上郡(原書小注:この二郡は秦が設置した。)、西河・安定・天水(原書小注:この三郡は漢の武帝が設置した。)、隴西(原書小注:秦が設置した。)がある。南には巴郡・蜀郡(原書小注:この二郡は秦が設置した。)、広漢(原書小注:漢代に設置した。)、犍為(原書小注:漢の武帝が設置した。)、武都がある。西北には金城(原書小注:漢代に設置した。)、武威(原書小注:もと匈奴の休屠王の地面である。)、張掖(原書小注:もと匈奴の昆邪王の地面である。)、酒泉・敦煌(原書小注:敦煌はもと酒泉に隷属し、漢の武帝が分けて郡とした。)がある。さらに西には牂牁・越巂・益州がある。これらはみな秦の地である。(原書小注:この三郡はいずれも漢の武帝が開拓して設置した。)
秦之分也,(《秦世家》曰:秦之先曰非子,與趙同姓,伯益之十六世孫也,為周孝王養馬,甚息,孝王封為附庸,邑之於秦,號曰秦贏,天水之隴縣,則其地也,秦贏曾孫曰秦仲、周宣王使伐西戎,為戎所殺,宣王復命仲子莊公與四弟伐戎,破之,賜仲大駱之地,於是居大丘,扶風之槐裡縣是也。)屬雍州。(《禹貢》曰黑水西河惟雍州,《周官》曰:正西曰雍州,漢武帝改為涼州,《未央》曰:秦治機陽,又治咸陽,今為長安,北地從華山,西至隨神流沙,今為三輔,巴蜀、漢中、隴西,北地,上郡也。)
以上はすべて秦国の分野と算える。(原書小注:《史記・秦本紀》にいう、秦の祖先を非子といい、趙氏と同姓で、伯益の第十六代の孫である。彼は周の孝王のために馬を養い、馬がきわめてよく繁息したので、孝王は彼を附庸に封じ、秦の地をその采邑とし、秦嬴と号した。天水郡の隴県がその地である。秦嬴の曾孫を秦仲といい、周の宣王は彼を派遣して西戎を討たせたが、戎人に殺された。宣王はまた秦仲の子の荘公と四人の弟に西戎を討たせ、戎人を打ち破り、先祖の大駱の封地を賜った。そこで大丘に定住した。すなわち扶風郡の槐里県である。)秦の地は九州では雍州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「黒水西河惟雍州」。《周官》にいう、正西の方を雍州という。漢の武帝が涼州と改称した。《未央》にいう、秦国の治所はまず櫟陽にあり、また咸陽に遷り、現在は長安である。北地一帯は華山から始まり、西は随神・流沙まで、現在は三輔・巴蜀・漢中・隴西・北地・上郡である。)
柳、七星、張,周之分野,自柳九度至張十七度,於辰在午,為鶉火,南方為火,言五月之時,陽氣始隆,火星昏中,在七星朱鳥之處,故曰鶉火。(《爾雅》曰:柳、鶉火也,柳、七星、張,南方之中宿也,故曰火。《周禮》曰:鳥與七遊,象以鶉大也。鄭玄注《禮記月令》曰:季夏者、日月會於鶉火,斗建未之辰也。《周禮》曰:天井一名致方。注《天官書》曰:七星、張、三河。《淮南子》曰:七星、張,周也。費直曰:自柳五度至張十二度,為鶉火。蔡氏曰:自柳三度至張二十度,謂之鶉火之次。《未央》曰:周星得注張。)
柳宿・七星・張宿は周王室の分野である。柳宿九度から張宿十七度までのこの天区は、十二辰では「午」に配され、星次を「鶉火」という。南方は五行で火に属する。これは五月のとき陽気が隆盛になり始め、大火の星が黄昏時にちょうど南天に当たり、その位置が七星朱鳥の居るところにあるので「鶉火」と呼ぶ。(原書小注:《爾雅》にいう、柳宿がすなわち鶉火である。柳・七星・張は南方七宿の中段なので「火」と称する。《周礼》にいう、旗に鳥を画き七旒を繋ぐのは、鶉に象を取ったものである。鄭玄の《礼記・月令》注にいう、季夏六月に日月が鶉火で会し、斗柄は未の位を指す。《周礼》にいう、天井は一に「致方」ともいう。《天官書》にいう、七星・張は三河に対応する。《淮南子》にいう、七星・張は周に属す。費直はいう、柳宿五度から張宿十二度までが鶉火である。蔡邕はいう、柳宿三度から張宿二十度までを鶉火の次という。《未央》にいう、周の分星は注宿(すなわち柳宿)と張宿である。)
今之河南雒陽、穀城、平陽、偃師、鞏維氏(北七縣,屬河南郡。)並周分也。(《周世家》曰:周之先曰棄、秦生有神怪,長好稼穡,為舜播植百穀,舜封之於邰,扶風是也,號曰後,稷姓,為姬氏,曾孫公劉、國於分扶風是也,十世孫曰太王,為狄所侵,遷於歧挾風之美陽是也,大王孫,文王有聖德,周室方隆,從都於酆、酆在京兆之杜縣、文王子武王,滅商,徙都於鎬,鎬在京兆之長安縣,武王子成王營雒邑都河南郡之河南縣是也,或雲成王居雒邑,六世孫懿王,遷大丘也。)
今日の河南郡の雒陽・穀城・平陽・偃師・鞏・維氏(すなわち緱氏)(原書小注:以上の七県は河南郡に隷属する。)一帯は、いずれも周の分野に属する。(原書小注:《史記・周本紀》にいう、周の祖先を棄といい、生まれたとき神異の兆があり、長じて農事を好み、虞舜のために百穀を播いた。舜は彼を邰に封じた。すなわち扶風一帯で、后稷と号し、姓を姫氏とした。その曾孫の公劉が豳に国を建てた。これも扶風の境内にある。第十代の孫を太王といい、狄人に侵されたため岐に遷った。すなわち扶風の美陽である。太王の孫の文王は聖徳があり、周室はまさに興隆していたので、酆に都を遷した。酆は京兆の杜県にある。文王の子の武王が商を滅ぼし、鎬に都を遷した。鎬は京兆の長安県にある。武王の子の成王が雒邑を営建した。すなわち河南郡の河南県である。成王本人が雒邑に居したという説もある。第六代の孫の懿王はまた犬丘に遷った。)
屬三河。(河南、河內、河東三郡是也,案周之將亡,惟河南一郡,故以為周分野,其河內河東,乃在魏次中,未詳周分野稱三河之謂矣,《未央》曰:周治洛陽,西至華山。東至榮澤,少室,北至河南。至濮水,今為河東、陳留。)
周の地は漢代の建置では三河に帰属する。(原書小注:三河とは河南・河内・河東の三郡を指す。按すれば、周朝が亡びようとしたとき河南の一郡しか残っていなかったので、これをもって周の分野とした。河内・河東の二郡はかえって魏の星次の中に列せられている。それゆえ周の分野がなぜ「三河」と称されるのか、その道理は明らかでない。《未央》にいう、周の治所は洛陽にあり、西は華山まで、東は滎沢・少室まで、北は河南まで、濮水にまで延びており、現在は河東・陳留一帯である。)
翼、軫,楚分野,自張十八度至軫十一度,於辰在已,為鶉尾;南方朱雀七宿,以軫為尾,故曰鶉尾。(鄭玄注《禮記月令》曰:孟秋者,日月會於鶉尾,斗建申之辰。《周禮》曰:鶉尾一名鳥帑。皇甫謐曰:鶉尾一名鳥注,一名天根,一名旄,一名柳。《天官書》曰:翼軫到。《淮南子》曰:翼楚也。費直曰:自張十三度至軫六度為鶉尾。蔡氏曰:自翼十二度,至軫六度,為鶉尾之次。《未央》曰:楚星得翼軫也。)
翼宿・軫宿は楚国の分野である。張宿十八度から軫宿十一度までのこの天区は、十二辰では「巳」に配され(底本は「巳」を「已」と作る)、星次を「鶉尾」という。南方の朱雀七宿は軫宿をもって鳥の尾とするので「鶉尾」と呼ぶ。(原書小注:鄭玄の《礼記・月令》注にいう、孟秋七月に日月が鶉尾で会し、斗柄は申の位を指す。《周礼》にいう、鶉尾は一に「鳥帑」ともいう。皇甫謐はいう、鶉尾は一に「鳥注」、一に「天根」、一に「旄」、一に「柳」ともいう。《天官書》にいう、翼・軫は荊州に対応する(底本は「翼軫到」と誤る)。《淮南子》にいう、翼宿は楚に属す。費直はいう、張宿十三度から軫宿六度までが鶉尾である。蔡邕はいう、翼宿十二度から軫宿六度までが鶉尾の次である。《未央》にいう、楚国の分星は翼宿・軫宿である。)
今之南郡、(秦置)江陵、(江陵即南郡,所部縣,即重見矣)江夏、(漢高帝置)零陵、(郡,漢武帝置。)桂陽、武陵、(二郡,漢高帝置。)長沙,(郡,秦為郡,漢高帝改為國。)及江中、(秦置)汝南,(漢高帝置)皆楚之分也。周成王先師鬻熊之曾孫。熊繹,於荊蠻為楚子,居丹陽,後十餘世,至熊通,號武王、浸以強大,後五世,有莊王,並有江漢之間,吞陳蔡縣,申息服隨唐,後十世頃,王徙於東焉。
今日の南郡(原書小注:秦が設置した。)、江陵(原書小注:江陵はもと南郡の轄する県で、ここは重複して著録したものである。)、江夏(原書小注:漢の高帝が設置した。)、零陵(原書小注:零陵は郡で、漢の武帝が設置した。)、桂陽・武陵(原書小注:この二郡は漢の高帝が設置した。)、長沙(原書小注:長沙は秦には郡で、漢の高帝が封国と改めた。)、および江中(原書小注:秦が設置した。)、汝南(原書小注:漢の高帝が設置した。)は、いずれも楚国の分野に属する。周の成王のとき、先王の師であった鬻熊の曾孫の熊繹が、荊蛮の地で楚子に封じられ、丹陽に定住した。その後十数代を伝えて熊通に至り、自ら武王と号して国勢は次第に強盛となった。さらに五代を経て荘王が出て、長江・漢水の間の地を兼併し、陳・蔡を呑み滅ぼし、申・息・随・唐などの国を従えた。また十代を伝えて頃襄王に至り、ようやく国都を東に遷した。
(《楚世家》曰:鬻熊,祝融之苗裔也,姓芊氏,丹陽,今南郡之枝江縣是也,武子文王,都於郢,江陵是也,莊王曾孫昭王、為吳所破,吳兵入郢,昭王奔隨,楚大夫申句胥求救於秦,秦乃救楚,大敗吳師,闔廬弟夫梁王反,自立為王、闔廬班師,昭王乃得反國,更都於郡南郡,鄭縣是也。)屬荊州。(《禹貢》曰:荊及衡陽惟荊州,《周官》曰:正南曰荊州,《未央》曰:楚治,南至九江、北至淮水,東至海、西至魚腹山,今為淮陽、汝陽、廬江、長沙、南海,故楚治南郢也。)
(原書小注:《史記・楚世家》にいう、鬻熊は祝融の後裔で、芊姓である。丹陽は今日の南郡の枝江県である。武王の子の文王は郢に都を建てた。すなわち江陵である。荘王の曾孫の昭王は呉国に敗れ、呉兵が郢都に攻め入ると、昭王は随国に逃げ奔った。楚の大夫の申包胥が秦国に赴いて救いを求め、秦国はそこで兵を出して楚を救い、呉軍を大いに破った。ちょうど呉王闔廬の弟の夫概が叛いて自ら王と立ったので、闔廬はやむを得ず兵を引き揚げ、昭王はようやく国に帰ることができて、南郡の鄀県に都を改めた。底本のここの文字には誤りがある。)楚の地は九州では荊州に隷属する。(原書小注:《尚書・禹貢》にいう「荆及衡陽惟荊州」。《周官》にいう、正南の方を荊州という。《未央》にいう、楚国の轄境は南は九江まで、北は淮水まで、東は大海まで、西は魚腹山まで、現在は淮陽・汝陽・廬江・長沙・南海一帯で、旧時楚国の治所は南郢にあった。)
