麟徳暦経・五星術
又法:置節刻位,通作分,列為根法。術曰:置根法,以定日行分,(謂日域術中,相法之下,所標五十七等是也。)乘之,以三千六百除之,得分;其餘損益,定日分。(其損益法,損之而得均者,即便損之;益之而得均者,即便益之。)又置根法,以日域乘之,以三千六百除之,得分;其分又以六十除之,得度,不盡為分;以其度及分損益,定月度分。(日若益之,月亦益之;日若損之,月亦損之。)如是損益訖,置為均分法。(俱損俱益,是均分也;一損一益,非均分也。)
別に一法:節刻の位を摆し、通折して分とし、根法に列し作る。術文はいう:根法を摆し、定日の行分をもってそれを乗じ(原書の小注:すなわち日域術の中の相法の下に標した57等の数)、3600をもって除し、分を得る。その余をもって定日の分を損益す。(原書の小注:損益の准則は:減じて日月を斉しく取りうる者はすなわち便ち減じ、加えて日月を斉しく取りうる者はすなわち便ち加える。)更に根法を摆し、日域をもって乗じ、3600をもって除し、分を得る。その分を更に60をもって除し、度を得、除し尽くせないのを分とし、その度と分をもって定月の度分を損益す。(原書の小注:太陽のあちらが加えれば、月のこちらも加え、太陽のあちらが減ぜば、月のこちらも減ず。)こうして損益し畢わって、「均分法」に摆し作る。(原書の小注:日月が同じく減じあるいは同じく加えてこそ、均分と算え、一辺減じ一辺加えるは、均分でない。)
九執暦・日月蝕法
推阿修章:(承前或譯為風,或譯為蝕神,梵之日呼為羅睺。《釋典》所云:“羅睺,阿修王,即此臣靈也。”又《河圖》云:“暗虛值月,則月蝕;值星,則星亡;亦謂此怪靈也。”又諸曜則巡宿順行,其阿修則巡宿逆轉,掩蔽日月,以亦交蝕。)
阿修を推求するこの章。(原書の小注:この名目は先前ある人は「風」と訳し、ある人は「蝕神」と訳し、梵語では「羅睺」と称す。仏典《釈典》はいう:羅睺は阿修羅王で、指す所はこの神霊である。《河図》もまたいう:暗虚が月に遇えば、すなわち月食が発生し、星辰に遇えば、星辰は隠沒して見えない。謂う所もまたこの一種の怪異の霊である。また、諸曜は皆二十八宿に沿って順行し、唯だ阿修は宿に沿って逆転し、それが日月を遮掩し、これによっりて交蝕を造成する。)今日の天文学をもって見れば、いわゆる阿修・羅睺とは、まさに黄白の二道の交点である。交点は黄道上で逆行し、日月が交点の附近に行ってこそ交食が発生しうる。古人が神霊の名をもって記録したのは、実は一箇の精確に推算しうる天文量である。
術曰:置積日,以六千七百九十四除之,得為已過遍數,棄之,餘以十二乘之,準前除之。(謂亦以六千九百九十四除之也)得相;餘以十三乘之,準前除之,得度;餘以六十乘之,準前除之,得分;列為前位。又別置五相二十四度四十分,以其前位減之,(若不足減,於五相位上,更加十二相,減之。)減訖,餘相度分,置為阿修位。
術文はいう:積日を摆し、6794をもって除し、得た商は阿修がすでに転じ過ぎた周数で、舎去して用いない。余る所を12をもって乗じ、なお前法に照らして除し(原書の小注:すなわちなお6794をもって除す。小注は「六千九百九十四」と作り、当に筆誤)、相を得る。余る所を13をもって乗じ、前法に照らして除し、度を得る。余る所を更に60をもって乗じ、前法に照らして除し、分を得る。この相・度・分を前位に列し作る。更に別に5相24度40分を摆し、前位の数をもってそれを減じ(原書の小注:もし減ずるに足らなければ、すなわち五相の上に更に十二相を加えて然る後減ず)、減じ畢わって余る相・度・分を「阿修」の位に摆し作る。除数6794日は、まさに交点が逆行して一周するのに需る日数で、今測の交点の退行周期の十八年余と相合する。
敘日月蝕法:凡算蝕者,先置均分及阿修位,從前蝕之後,斗至六個月白博義,(天竺每月二博義,從月初至十五日,為白博義,從十六日至月盡,為黑博義。其博義,譯雲翅也。)十五日,月當交蝕之限,從前蝕後,斗至六個月黑博義,(月盡日也)日當交蝕之限,月或個月白博義蝕,或五個月白博義蝕,或十四日蝕,或十六日蝕。日或七個月蝕,或五個月蝕,或十六日蝕,日或七個月蝕,或五個月蝕。
以下に日月の交蝕の法を総叙する。およそ交蝕を推算するには、まず均分と阿修の两位を摆す。前回の交蝕以後、満六箇月の白博義を数え(原書の小注:天竺は每月を二箇の博義に分け、月初から十五日までを白博義とし、十六日から月尽までを黒博義とする。「博義」は漢語に訳せばすなわち「翅」)、第十五日に至り、まさに月食の発生すべき界限である。前回の交蝕以後、満六箇月の黒博義を数え(原書の小注:すなわち月尽の日)、まさに日食の発生すべき界限である。月食はある時は六箇月の白博義を隔てて食し、ある時は五箇月の白博義を隔てて食し、ある時は十四日に食し、ある時は十六日に食す。日食はある時は七箇月を隔てて食し、ある時は五箇月を隔てて食し、ある時は十六日に食す。文中の「或个月」の上に「六」の字を脱し、末の句にまた一度重出し、皆底本の誤りである。
又,日蝕初虧,皆在西方,月蝕初虧,皆在東方,蝕既者,雖亦帶隅,正方之數俱多也。(其正方,謂東西方也。)蝕鮮者,雖亦帶隅,正方之數小也。又蝕所從方,進而虧黑,還於其方,退而放明也。又蝕色初至如煙,於時亦如煙,又蝕不盡,缺處黑;如盡,外赤色,中赤黑色。
また、日食の起亏は皆西の辺にあり、月食の起亏は皆東の辺にある。およそ食の深いものは、角隅に偏るけれども、正方の占める分数はつねに多い。(原書の小注:いわゆる正方とは、正東と正西を指す。)およそ食の浅いものは、角隅を帯びるけれども、正方の占める分数はすなわち小さい。また、食はつねに或る一方から進み入り、これによっりて漸々亏れ漸々黒くなり、更に原来の那一方から退出して復明する。また、食色は剛に来た時は煙気の如く、食の去る時もまた煙気の如し。食い尽くさないものは、缺えた処は黒色を呈し、食い尽くすものは、外圈に赤色を現れ、中央に赤黒色を現す。この一段に記する日月食の色象と起亏の方位は、肉眼の実測に靠って積累した経験で、前の純粋に算術を用いて推歩する各章と互いに表裏を為す。
推間量府章:(日月有蝕,無蝕,及起虧方隅,並在此術中。)置均分,以阿修減之,(如不足減,加十二相於均分相位上減之。)記減,得羖首,為北行;(若得北行,其有日蝕,初起西北;其有月蝕,初起東南。)得秤首,為南行。(若得南行,其有日蝕,初起西南;其有月蝕,初起東北。)
間量府を推求するこの章。(原書の小注:日月が食あるか食ないか、および起亏がどの方隅にあるかは、皆この術に拠って決まる。)均分を摆し、阿修をもってそれを減じ(原書の小注:もし減ずるに足らなければ、すなわち均分の相位の上に十二相を加えて然る後減ず)、減じ畢わって得た所が、もし羖首に落ちれば、すなわち北行である。(原書の小注:もし北行を得れば、それの日食は西北の角から起亏し、月食は東南の角から起亏する。)もし秤首に落ちれば、すなわち南行である。(原書の小注:もし南行を得れば、それの日食は西南の角から起亏し、月食は東北の角から起亏する。)均分が阿修を減ずるは、実際には日月と交点との角距を求めるので、その正負が月を交点の北からか南からか通らせることを決め、これによっりて起亏の方位を決める。
餘者,置為間量府。(凡有蝕法減阿修訖,餘者即是間量府也。如十二度已下,月即有蝕;十二度已上,無蝕。凡日蝕法減阿修訖,餘者即是間量府也。兼有日成間量訖,有十二度已上,日即有蝕;十二度已下,無蝕。)如其加十二相,減阿修者還,卻置十二相減訖蝕者,置為間量府;如其減阿修有六相已上者,置棄六相,餘者置為間量府;如其減阿修訖,有五相已上者,別置六相減之,減訖,餘者置為間量府。
減じた後の余る所を、「間量府」に摆し作る。(原書の小注:およそ月食の法に拠って阿修を減じ畢わった後、余る所がすなわち間量府である。もし十二度以下ならば、月はすなわち食し、十二度以上ならば、食しない。およそ日食の法に拠って阿修を減じ畢わった後、余る所もまた間量府である。併せて日の成した間量を合して、もし十二度以上ならば、日はすなわち食し、十二度以下ならば、食しない。)もしそれが十二相を加えて阿修を減じた者を還すは、更に十二相を摆して減じ畢わった食の者を、「間量府」に摆し作る。もしそれが阿修を減じて六相以上ある者は、六相を摆して棄て、余る者を間量府に摆し作る。もしそれが阿修を減じ畢わって五相以上ある者は、別に六相を摆してそれを減じ、減じ畢わって、余る者を間量府に摆し作る。この几条は皆、角距を最小の一段の範囲に折り返して、表を查しやすくするためである。
推月間量命段法:(凡一段,管三度四十五分,每八段管一相,總有二十四段,用管三相。其段下側注者,是積段,併成三數。)第一段,(二百二十五)第二段,(二百二十四,並四百四十九。)第一相;第三段,(二百二十二,六百七十一。)第四段,(一百一十九,並八百九十。)第五段,(二百一十五,一千一百五。)第六段,(二百一十,並一千三百一十五。)第七段,(二百五,並一千五百二十)第八段,(一百九十九,並一千七百一十九。)
月間量の段を取る法を推求する:(原書の小注:およそ一段は三度四十五分を管し、每八段で一相を管し、総計二十四段で、三相九十度を管する。各段の下に側注する数は、累積の数で、段を逐えた数を加え合わせて成したもの。)第一段225。第二段224、累積449、以上は第一相。第三段222、累積671。第四段219、累積890(原文は「一百一十九」と作るが、累積の差に拠れば当に「二百一十九」で、底本は「二」の字を脱す)。第五段215、累積1105。第六段210、累積1315。第七段205、累積1520。第八段199、累積1719。段を逐えた数は225から緩緩と逓減し、累積数は則ち一路に上昇する。これはまさに一張の角距に拠って分段した改正・累加表である。
第九段,(一百九十一,並一千九百一。)第十段,(一百八十三,並二千九十三。)第二相;第十一段,(一百七十四,並二千二百六十七。)第十二段,(一百六十四,並二千四百三十一。)第十三段,(一百五十四,並二千五百八十五。)第十四段,(一百四十三,並二千七百二十八。)第十五段,(一百三十一,並二千八百五十九。)第十六段,(一百一十九,並二千九百七十八。)第十七段,(一百六,並三千八十四。)第十八段,(九十三,並三千一百七十七。)第三相;第十九段,(七十九,並三千二百五十六。)第二十段,(六十五,並三千三百二十一。)第二十一段,(五十一,並三千三百七十二。)第二十二段,(三十七,並三千四百九。)第二十三段,(二十二,並三千四百三十一。)第二十四段。(七,並三千四百三十八。)
第九段191、累積1901(第八段の1719に191を加えて照れば当に1910であるべきに、底本は「一千九百一」と作り、おそらく一字を脱す)。第十段183、累積2093、以上は第二相。第十一段174、累積2267。第十二段164、累積2431。第十三段154、累積2585。第十四段143、累積2728。第十五段131、累積2859。第十六段119、累積2978。第十七段106、累積3084。第十八段93、累積3177、以上は第三相。第十九段79、累積3256。第二十段65、累積3321。第二十一段51、累積3372。第二十二段37、累積3409。第二十三段22、累積3431。第二十四段7、累積3438。二十四段の数は225から7まで逓減し、累積は3438に至って止まる。この3438はまさに天竺の算法の中で半径の当たる分数で、全表は実に一張の正弦表である。
術曰:置間量府,通作分,以二百二十五除之,得者為段。以其段下並數列為上位,(假令除得一,其第一段下無並,即直列二百二十五為上位;如其除得二,即例側注並數四百四十九為上位;如其除得三,例側注並數六百七十一為上位。他皆仿此。)餘,以次段乘之。(假令除得三,例側注並數為上位訖,即以第四段二百一十九乘之,他皆仿此。)以二百二十五除之,得者並上位,置為間量命。(非月蝕用之)
術文はいう:間量府を摆し、通折して分とし、225をもって除し、得た者がすなわち段数である。その段の下に注する累積数を取って上位に列す。(原書の小注:たとえば除して一を得れば、第一段の下に累積数がなく、直ちに225を列して上位とする。もしそれが除して二を得れば、すなわち側注の累積数449に例って上位とする。もしそれが除して三を得れば、側注の累積数671に例って上位とする。以下は皆この類に推す。)除した後の余る所を、次の段の数をもって乗ず。(原書の小注:たとえば除して三を得れば、側注の累積数に例って上位とし畢わって後、すなわち第四段の219をもって乗ず。以下は皆この類に推す。)更に225をもって除し、得た者を上位に併し、「間量命」に摆し作る。(原書の小注:月食でなくてもまたこの一法を用いる。)この一整套の算法は、正弦表の中に整段に拠って値を取り、零頭は比例に拠って内挿するに等しく、後世の線形補間と完全に一致する。
推月間量法:術曰:置間量命,以四乘之,置為初位;又列置四萬三千四十一,以月域除之,得者(假令除得五十一,即以五十一除初位。)以除初位,得度,不盡,六十乘之,依前除之,得分,置為月間量位。(如推日蝕例算日間星法)
月間量を推求する方法。術文はいう:間量命を摆し、4をもって乗じ、初位に摆し作る。また別に43041を列摆し、月域をもってそれを除し、得た者(原書の小注:たとえば除して51を得れば、すなわち51をもって初位を除す)、この商をもって初位を除し、度を得、除し尽くせなければ、60をもって乗じ、なお前法に依りて除し、分を得、「月間量」の位に摆し作る。(原書の小注:もし日食を推すに日間量の法を算すれば、またこの様子に照らす。)月間量の表示する所は、交蝕の時に月心と日心との間の視距離で、それを後の月量・阿修量と相較すれば、すなわち食分の多少を定めることができる。
推月量法:術曰:置月域,以二乘之,以四十九除之,得度,不盡,以六十乘之,依前除之,得分,置是月量位。推阿修量法:術曰:置月域,以五乘之,以四十八除之,得度,不盡,以六十乘之,依前除之,得分,置為阿修量位。推阿修及月全位半位法:置阿修量與月量,並之為全位;又半之,為半位;其全位、其半位,各列為位。
月量を推求する方法。術文はいう:月域を摆し、2をもって乗じ、49をもって除し、度を得、除し尽くせなければ、60をもって乗じ、なお前法に依りて除し、分を得、この「月量」の位に摆す。阿修量を推求する方法。術文はいう:月域を摆し、5をもって乗じ、48をもって除し、度を得、除し尽くせなければ、60をもって乗じ、前法に照らして除し、分を得、「阿修量」の位に摆し作る。阿修および月の全位・半位を推求する方法:阿修量と月量を摆し、それを併せて「全位」とし、またそれを半として「半位」とし、その全位・その半位は、各々位に列し作る。月量は月輪の視径に相当し、阿修量は掩わるる影の視径に相当し、両者の和の半は、まさに恰好相切する時の両心の距離である。
推蝕經刻法:(謂初虧至復滿所經刻數也)術曰:置量,自相乘,(先以度自相乘,列為上位,又以分自相乘,以三上除之,加上位,凡三十分從度者,謂收半已上也。)又置半位,亦自相乘,(亦如收分法為之)置半位相乘訖數減之,減餘以開方除之,(其開方,梵音雲根法也。)得者,以六十乘之,又以日域除之,得刻;不盡,又乘又除,得分;其刻及分,二乘之,(謂位分也)置為虧滿刻法。
交蝕の経る刻数を推求する方法。(原書の小注:初亏から復円までの経歴する刻数を指す。)術文はいう:量数を摆し、自ら相乗し(原書の小注:まず度をもって自乗し、上位に列し、また分をもって自乗し、三十をもってそれを除し、上位の上に加える。およそ三十分に満てば度に従るは、半以上を收めると謂う)、また半位を摆し、また同様に自乗す(原書の小注:分を收める法も上と同じくこれを為す)。半位の相乗し畢わった数を摆してそれを減じ、減じた余を開方して除し(原書の小注:その開方は、梵音で「根法」と謂う)、得た者を60をもって乗じ、また日域をもって除し、刻を得、除し尽くせなければ、更に乗じ更に除し、分を得る。その刻と分を二に乗じ(原書の小注:その位分を謂う)、「亏満刻法」に摆し作る。これは実際には先に両心距の平方の差を求め、開方して半弦を得、更に時間に折算するので、今日の勾股を用いて食延を求める思路と一致する。
(又以其數加節斷刻上,節斷是,若初虧得此刻,通至復滿時。)推月規法:(此術中,備載日月虧缺多少,及蝕既深淺等事。)術曰:置月量半,準其數,或用綎,或用木,為規限,繞作光明壇。又置間量,準其數,或以綎,或以木,從光明壇正中心向蝕方引出至末際,置為位。
(原書の小注:またこの数を節断の刻の上に加える。節断はすなわち食甚の時である。もし初亏から算え起こしてこの刻数を得れば、便ち復円の時に通推することができる。)月規を推求する方法。(原書の小注:この術の中に、日月の亏缺の多少および蝕既の深淺などの事を備載する。)術文はいう:月量の半を摆し、その数に准じて、あるいは綖を用い、あるいは木条を用いて半径とし、環り繞って一箇の円を画き、「光明壇」と呼び、月輪を代表する。更に間量を摆し、その数に准じて、あるいは綖あるいは木条をもって、光明壇の正中心から起亏の方向に向かって引き出して末端に至り、その位置を摆して定める。いわゆる月規とは、すなわち作図の法を用いて交蝕の情形を画き出し、もって繁複の計算に代えるのである。
又起末際位,據為正中心,置阿修量半,準其數,或用綎,或用木,為規限,繞作黑暗壇,據黑暗壇掩著處,以定虧缺多少,蝕既深淺,一如其事。(若推日蝕掩規,置月量半,為光明壇,以日成間量府,得作間量者,為間量。以月量半,為黑暗壇,自餘算術,並同月規法。)
更にさっき引き出した末端を新しい正中心とし、阿修量の半を摆し、その数に准じて、あるいは綖あるいは木条をもって半径とし、環り繞って別の一箇の円を画き、「黒暗壇」と呼び、掩わるる影を代表する。黒暗壇が光明壇を掩い著した那一部分を見れば、すなわち亏缺の多少・蝕既の深淺を定めることができ、実際に見る所と完全に相符する。(原書の小注:もし日食の掩規を推せば、すなわち月量の半をもって光明壇とし、日の成した間量府の得た間量をもって間量とし、更に月量の半をもって黒暗壇とする。其余の算法は皆月規の法と同じ。)両円の相掩う重畳の部分がすなわち食分で、これは一種の図をもって算に代える直観の办法である。
推蝕甚法:(謂蝕後更停,經一刻,或二刻,或半刻,方始退蝕放明也。)術曰:置阿修量半,以月量半減之,餘又以月間量減之,(如其減間量盡,為蝕盡;如其減不盡,為蝕不盡。若盡即有蝕甚法,若不盡則無蝕甚法。)減餘,以六十乘之,以日域除之,得刻,不盡,又乘又除,得分,其刻及分,二乘之,(謂倍也)置為蝕甚刻位。
蝕甚を推求する方法。(原書の小注:食既の後に更に一刻・二刻あるいは半刻停留し、然る後に退蝕して復明するを指す。)術文はいう:阿修量の半を摆し、月量の半をもってそれを減じ、余る所を更に月間量をもって減ず。(原書の小注:もしそれが間量を減じ尽くせば、すなわち皆既食で、もし減じ尽くせなければ、すなわち皆既食でない。尽くしうればすなわち蝕甚のこの一歩があり、尽くせなければすなわち蝕甚のこの一歩がない。)減じた後の余る所を60をもって乗じ、日域をもって除し、刻を得、除し尽くせなければ、更に乗じ更に除し、分を得る。その刻と分を二に乗じ(原書の小注:その倍を取るを謂う)、「蝕甚刻」の位に摆し作る。この一段に求める所は、まさに皆既食の持続する時間、すなわち食既から生光までの間の一段である。
推蝕刻位:(謂左右用行數推步,蝕隅畔劑並圖如左。)術曰:置間量,以九十乘之,以半位除之,得度,置為蝕行法。蝕行法:度二十分州。度二十分州。
蝕刻位を推求する。(原書の小注:左右の両辺が皆行数を用いて推歩し、交蝕の角隅の界限は図と併せて下に附するを謂う。)術文はいう:間量を摆し、90をもって乗じ、半位をもって除し、度を得、「蝕行法」に摆し作る。以下は蝕行法に附する図である:図の上下の両処に各々「度二十分州」と標し、「州」は当に「分」の下の重文符号の訛で、二十度二十分の類の分划を指す。この図は伝写の中にすでに残欠し、方位と度数の零星の標注のみ残り、原様はすでに復元し難い。
右先為八方,訖東西正中加一晝,各中通,以成十方。諸方各置四十五度,其東西二分頭加一中晝,便是各半其方,即東西各四半方也。各置二十二度三十分,言觸從北虧者,是從中道北入也;言從南虧者,是從中道南入也者。度四十五,西,度四十五。南度四十五,度四十五北。度四十五,東,度四十五。
上の図はまず八箇の方位を画き、更に正東・正西の両処に各々一条の中線を加え、各々中を貫通して、十箇の方位を合成する。每一方は各々四十五度を占め、東西の両頭に各々一条の中線を加えれば、すなわち那一方を各々両半に分かち、ここにおいて東西は各々四箇の半方を得る。毎半方は各々二十二度三十分を占める。およそ北の辺から亏れ起こると謂うは、中線の北から進み入るを指し、南の辺から亏れ起こると謂うは、中線の南から進み入るを指す。図上に標注するは:西の辺の左右は各々四十五度。南・北の両辺は各々四十五度。東の辺の左右は各々四十五度。全円は四十五度に八を乗じて正しく三百六十度に合し、これは交蝕の起亏の方位角を八方十位に画分して記録するのである。
度二十分州。度二十分州。若從東北隅入,月蝕即從東中道北行,以蝕行減方數盡,則蝕初之分。(南入法準此)若從西北隅入,日蝕即從西中道北行,以蝕行減方數盡,即蝕初之分。(南入法準此)
図の下に更に「度二十分州」の両行を標し、図上に標したと同じ。およそ東北の角から進み入れば、月食はすなわち東方の中線から北に推して行き、蝕行の数をもって这一方の度数を減じ、減り尽くす処が、便ち起亏のある分度である。(原書の小注:南から進み入るは、この办法に准って推す。)およそ西北の角から進み入れば、日食はすなわち西方の中線から北に推して行き、同様に蝕行の数をもって这一方の度数を減じ、減り尽くす処が便ち起亏のある分度である。(原書の小注:南から進み入るもまたこの办法に照らす。)月食は東から先に亏れ、日食は西から先に亏れるから、両者の拠る中線は一は東にあり、一は西にある。
推日量法:術曰:置日行分,(謂日減術先所標五十七等數)以六十乘之,以十一除之,得度,餘以六十乘之,依前除,得分,置為日量法。推日蝕法:(凡雲日蝕,太白從月,星伐阿修星;又並日月二為半位,其所用間量之,並以日間為之,日蝕術算,亦同月蝕也。)術曰:置節斷刻位,通作分,謂六十乘刻內分也,別置之,為刻分位。
日量を推求する方法。術文はいう:日行分を摆し(原書の小注:すなわち前の日域術の中に標した57等の数)、60をもって乗じ、11をもって除し、度を得、余る所を60をもって乗じ、なお前に依りて除し、分を得、「日量法」に摆し作る。日食を推求する方法。(原書の小注:およそ日食と謂うは、太白が月に随って行き、星が阿修の星を侵すの致す所である。また日・月の両者を併せてその半位を取り、用いる間量は一律に日間量を取る。日食の算法は、其余の部分は皆月食と同じ。)術文はいう:節断の刻位を摆し、通折して分とし、すなわち60をもって刻を乗じて更に分を納れ、別に一処に摆して、「刻分」の位とする。
推日上星駟法:術曰:置定日,以半夜刻及全晝刻並之,並訖,所行刻以減定日分行,減訖,置為日蝕出位。又別置三十度,以日出位度及分減分,(其減分法,退一度,破為六十分而減之。)減餘,通作分,置為上虛駟。
日上の星駟を推求する方法。術文はいう:定日を摆し、半夜の刻数と全昼の刻数を併せ、併せ畢わって、行った刻数をもって定日の行分を減じ、減じ畢わって、「日蝕出」の位に摆し作る。すなわち日出の時に太陽のある処である。更に別に三十度を摆し、日出位の度と分をもって分を減じ(原書の小注:その分を減ずる法は、一度を退して、六十分に破りて然る後減ず)、減じた後の余る所を通折して分とし、「上虚駟」に摆し作る。「駟」はここに黄道上の一段の区画を指し、上虚駟はすなわち日出の点から本相の末端までの間になお空いている那一段である。
段法:第一段,(一百九十八)第二段,(二百三十二)第三段,(二百九十)第四段,(三百五十一)第五段,(二百六十)第六段,(三百五十八)右六段,從上向下,為羖首次;從下向上,為秤首;及置上虛駟,恆視日出相,得羖首、秤首次第;(假令日出相定,即得羖首也,謂即須用羖首第一段乘也,他皆仿此。)
段を取る法:第一段198、第二段232、第三段290、第四段351、第五段260、第六段358。以上の六段は、上から下へ数えて羖首の次第とし、下から上へ数えて秤首の次第とする。上虚駟を摆し畢わった後、つねに日出の時のある相を察し、それが羖首に属するか秤首に属するかの次第を判定する。(原書の小注:たとえば日出の時の相位がすでに零と定まれば、あれはすなわち羖首に属し、すなわち須く羖首の第一段の数をもって乗ずべし。以下は皆この類に推す。)第五段の数は第四段よりかえって小さく、段を逐えて逓増の勢いと合わず、底本に誤りあるを疑う。
其段乘之,以一千八百除之,所得者,謂所得數也。以減刻分位,成減為一相,即以一相加日出相位。(日出位中度及分並棄之)即以次段減段,令用羖首第段棄上虛駟訖,即第刻分位乘三十,段二百三十二減之,又以一相準前加日出相位,又以其次段減刻分位,成減,又以一相加日出相位,視刻分位數,堪更減之,他皆仿此。至不成減止,餘刻分位不成減,雲餘也。
定まった那一段の数をもって乗じ、1800をもって除し、得る所がすなわち応用の数である。それを取って刻分位を減じ、減じて一次を成せば、すなわち一相を算え、即座に一相を日出の相位の上に加える。(原書の小注:日出位の中の原有の度と分は併せて舎去する。)続いて改めて次の段の数をもって減ず:まず羖首の定めた段数に拠って上虚駟を扣除し畢われば、すなわち刻分位に三十を乗じ、更に第二段の232をもってそれを減ず。減じて成った後、前に照らして更に一相を日出の相位の上に加える。かくのごとく更に次の段をもって刻分位を減じ、減じて成ればまた一相を加え、つねに刻分位になおどれだけ残るかを見て、減じうれば引き続き減じ、以下は皆この類に推し、減ずるに足らなくなるまで至る。残って更に減じうべからざる那一部分の刻分位を、「余」と呼ぶ。
以三十乘,以所至段除,能止,從羖首加三相於星相位訖,即取決四段除之,他皆仿此。得此度不盡,以六十乘,依前除,得分,以所得度及分,並加日出位,加訖,即是節斷。恆減三相,減訖,(羖首為北行,秤首為南行。)日間如是量府三相已上,準減相例為如之,為其相定及三相已下,總通作分,謂三十乘內度,六十乘度也。一如前推月間量命法為之,置為月間量命,以一百四十六數除之,所得為度,餘以六十乘之,依前除之,所得為分,置為位。恆觀月間量府,若羖首減,謂隨方眼法。隨方眼法:(其隨方眼,中國用三十五分也。)
この余数を30をもって乗じ、減じ至った那一段の数をもって除し、除して停まることができるまでにする。もし羖首の序に照らしてすでに星の相位の上に三相を加え満てば、すなわち第四段の数を取ってそれを除す。以下は皆この類に推す。得たのを度とし、除し尽くせなければ60をもって乗じ、なお前法に依りて除し、分を得る。得た度と分を併せて日出位の上に加え、加え畢わればすなわち「節断」である。この後固定に三相を減じ、減じ畢わって(原書の小注:羖首に属するを北行と為し、秤首に属するを南行と為す)、日間量府がもし三相以上あれば、すなわち前に相を減ずる通例に照らして之を為し、もしその相位が零および三相以下ならば、すなわち全数を通折して分とし、すなわち30をもって相を乗じて度を納れ、60をもって度を乗じて分を納る。この後全く前に月間量命を推す法に照らして之を為し、「月間量命」に摆し作り、146をもって除し、得る所を度とし、余る所を60をもって乗じ、前法に照らして除し、得る所を分とし、一位に摆して成す。つねに月間量府を察し、もし羖首に属すればすなわち減ず。これがいわゆる随方眼の法である。随方眼法:(原書の小注:この随方眼は、中国は三十五分を用いる。)本巻はここに至って止まり、その下の応有の日食の掩規の諸術は、底本はすでに残欠して全からず。
若秤首以加隨方眼法之置以位,為中命,置中命又一如前命法為之,置為後命,月域乘之,以五萬一千五百六除之,所得為度,餘以六十乘之,依前除之,所得分。所得度及分,恆視間量府,(謂均分,減阿修訖,間量府也。)得羖首減之,(亦為均分,減阿修訖,間量府也。)得秤首加之,(亦謂如均分,間量府也。)減阿修訖,置為日間量;(如十一度已下,有蝕;十一度已上,無蝕。)
もし秤首にあればすなわち随方眼の法を加えて之を一位に置き、「中命」とし、中命を置き、また一たび前の命法に照らして之を為し、「後命」に置き作る。月域をもってそれを乗じ、51506(五万一千五百六)をもって除し、得る所を度とし、余を60をもって乗じ、なお前法に依りて除し、得る所を分とする。得た度と分は、つねに「間量府」(両天体の間の度距。原書の小注に説明する:ここに指すは均分の後、阿修を減じた時の分の存する間量府)を察する:ある宮がもし「羖首」(白羊宮の宮首)ならば、すなわち間量府の中からこの度分を減じ去り(小注も同様に阿修を減じた後の間量府を指す)、ある宮がもし「秤首」ならば、すなわちこの度分をその上に加える(小注:また均分の後の間量府に就いて謂う)。阿修を減じ畢わった後、得る所を便ち「日間量」に安置し、すなわち日輪の視径の量度である。原書の小注はここに蝕限の判拠を点明する:得る所が十一度以下にあれば、蝕あり。十一度以上にあれば、蝕なし。
又並日月二量為全位,復半之,為半位,置半位自相至,又置日間量,亦自相乘訖,即以半位數內減卻日成數,成減有蝕,不成減無蝕,餘並一如蝕中敘。(凡在歷大側,如其分不足減,退度一,置為六十分而減之;如其度不足,退相一,置為三十度而減之;如其相不足減,加十二相而減之。)
更に日・月の二つの「量」(日輪と月輪の視径の量度)を相加して「全位」を合成し、更に半として「半位」を得。この半位がすなわち日月の両半径の和である。半位を自乗一次し、また日間量を置いてまた自乗し畢わって、即ち半位の自乗して得た数の中から日間量の自乗して得た数を減じ去る:減じ得られれば、すなわち蝕あり。減じ得られなければ、すなわち蝕なし。其余の推算の次第は、一概に《九執暦》の月食を推す那一節に叙する办法に照らして行う。原書の小注はここに借位の法を交代する:およそ暦表の両側で運算する時、もし分数が減ずるに足らなければ、すなわち度の上から一度を退借し、六十分に化作して然る後減ず。もし度数が減ずるに足らなければ、すなわち宮(相)の上から一宮を退借し、三十度に化作して然る後減ず。もし宮数が減ずるに足らなければ、すなわちまず十二宮(黄道の一周は十二宮)を加えて、然る後減ず。
置上虛駟,恆日出相,依羖首、秤首次第,(假令日出相定,即得羖首也,謂即用羖首第二段乘也,他皆仿此。)以其段乘之,以一千八百除之,所得者,(謂所除得數也)以減刻分位,成減,為一相,即以一相加日出相位,(其日出位所有度及分並棄之)又即以次段減刻分位,(假令用羖首第一段乘上虛駟訖,即用以第二段二百三十二減之,他皆仿此。)成減,又以一相加日出相位,又以次段分減刻位,成減,又以一相加日出相位;
「上虚駟」のこの数を安置し、つねに「日出相」(日出の時に太陽のある宮)と配合して取用し、羖首・秤首の先後の次第に拠って各宮の段数を取る。原書の小注は例を挙げていう:もし日出相がすでに定まり、取る所が羖首ならば、すなわち羖首の第二段の数をもって乗ず。其余の各宮は皆この办法に倣う。その段数をもって上虚駟を乗じ、更に1800をもって除し、得た商(小注:すなわち除して出したあの数)を、取って「刻分位」を減ず。もし減じ動かせば、すなわち一宮を算え、即座にこの一宮を日出の相位の上に加える(小注:日出位の上の原有の度と分は一概に舎去して用いない)。続いて即ち次の段の数をもって刻分位を減ず(小注:たとえば先前に羖首の第一段をもって上虚駟を乗じ畢われば、この一歩はすなわち第二段の二百三十二をもってそれを減ず。其余は此に倣う)。なお減じ動かせば、すなわち更に一宮を日出の相位の上に加える。更にまた次の段の分数をもって刻位を減じ、なお減じ動かせば、また一宮を日出の相位の上に加える。
每視刻分位數,堪更減段者,恆教此法,減而加之,至不成減止,餘以三千乘,以所至段除之,日得度,不盡,六十乘,依前除之,得分,以此度及分並加日出位,(其日出位度分先並棄之,令以此度加及分,置之。)加訖,即是節斷著也。
每一歩を為すごとに皆刻分位の上に残る数を察する:ただなお一段を更に減じうれば、始終この办法に照らして行い、一段を減ずれば便ち一宮を加え、一直に減じ動かせなくなるまで為し続ける。残った余数に3000をもって乗じ、更に最後に減じ至った那一段の数をもって除し、度を出し得、除し尽くせない部分を60をもって乗じ、前法に照らして更に一度除し、分を出す。この度と分を併せて日出位の上に加え(原書の小注:日出位の上の原有の度分は先前すでに舎去したから、今すなわちここに算え出した度と分をその上に安置する)、加え畢わって得る結果が、すなわち「節断著」である。
其節斷著恆減三相,減訖,(得羖首,為北行;得秤首,為南行。)置為日間量府。如其有三相已上,(謂日間量府有三相已上也)準減相例(其例在定日術後者是也)為之;如其三相已下,總通作分,(謂三十乘相內度,六十乘度內分也。)
求めた節断著は、例に照らして三宮を減ずべく、減じ畢わって(原書の小注:結果が羖首に落ちるは、北行と為し、秤首に落ちるは、南行と為す)、それを「日間量府」に安置し、すなわち太陽の一側の度距である。もし得る所が三宮以上あれば(小注:謂う所は日間量府が三宮以上ある)、すなわち宮を減ずる通例に依りて処理する(小注:あの通例は「定日術」の後に載する)。もし得る所が三宮以下ならば、すなわち宮・度・分を一総に通算して分とし(小注:三十をもって宮数を乗じて度の中に併入し、更に六十をもって度数を乗じて分の中に併入する)。
如推月間量命法為之,置為日間量命,以一百四十六除之,得度;餘以六十乘之,依前除之,得分;恆視日間量府,若得羖首,即以此度分數內減卻隨方;(其隨方眼,中國用三十五分。)若得秤首,即以此度分數內更並隨方眼,置為中命;置中命,又再更一如前命法為之,置為後命;
以下は「月間量」を推す命法に照らして之を為し、得る所を「日間量命」に安置し、146をもって除し、度を出し得、余数を60をもって乗じ、前法に照らして更に一度除し、分を出す。つねに日間量府の落ちる何の宮かを察する:もし羖首に落ちれば、すなわちこの度分の数の中から「随方」の改正を減じ去る(原書の小注:随方眼のこの一項は、中国では三十五分を取る)。もし秤首に落ちれば、すなわちこの度分の数の上に更に随方眼を併し入れ、加減し停当して、「中命」に安置す。更に中命を前の命法に照らして重ねて算え、「後命」に安置す。
置後命,以月城乘之,以五萬一千五百六十六除之,得度,餘以六十乘,依前除之,得分;恆視間量府,(得均分,減阿修訖,間量府也。)得羖首,以此度分損之;(謂損其減阿修訖,間量府也。)得秤首,以此度分益之;(謂其減益阿修訖,間量府也。)如此損益訖,置為日間量位。
後命を取出し、「月城」をもってそれを乗じ、更に51566をもって除し、度を出し得、余数を60をもって乗じ、前法に照らして更に一度除し、分を出す。つねに間量府を察し(原書の小注:ここに指すは均分の後、阿修を減じた時の分の存する間量府):羖首に落ちるは、すなわちこの度分をもってそれを損減し(小注:損減する所は阿修を減じた後の間量府)、秤首に落ちるは、すなわちこの度分をもってそれを增益す(小注:增益する所も同様に阿修を減じた後の間量府)。こうして一損一益を為し畢わって、得る所を便ち「日間量位」に安置す。
其間量數,有十一度已下,日即占蝕;十一度已上,又並日月二量為全位,又半之,占無蝕;為半位,置半位自相乘,又置日間量亦自相乘,即以半位數,謂有相乘訖數也。內減卻日間量數,謂自相訖數也。成減,有蝕;不成減,無蝕。自餘術理咸悉,一如月蝕中術。
その間量の数がもし十一度以下あれば、日はすなわち蝕ありと占し、十一度以上あれば、すなわち蝕なしと占す。このほかなお日・月の両量を相加して「全位」を合成し、更に半として「半位」を得る。半位を自乗一次し、また日間量を置いてまた自乗し、然る後に半位の自乗の数を取り(小注:自ら相乗し畢わった後のあの数を指す)、その中から日間量の自乗の数を減じ去る(小注:同様に自ら相乗し畢わった後のあの数を指す):減じて成れば、蝕あり。減じて成らなければ、蝕なし。そのほかの術理の次第は、全て月蝕を推す那一節の算法と同じである。
開元占経巻一百零五
古今暦の積年および章率
古今曆積年及章率:古今曆上元已來,至今開元二年甲寅歲積。《黃帝曆》上元辛卯,至今二百七十六萬八百六十三算外。章歲十九,章閏七,章月二百三十五,蔀歲七十九,蔀月九百四十,蔀日二萬七千七百五十九,元法四千五百六十,紀法一千五百二十,蝕月一百三十五,蝕法二十三,蝕歲五百一十三,蝕數一千八十一。
この篇は古今の各家の暦法の積年と章率を総列する:各暦の定めた「上元」(推歩の起算の暦元の年)から算え起こして、当今の開元二年甲寅のこの年に至るまでに、各々どれだけの年を積んだか。《黄帝暦》の上元は辛卯年に起こり、開元二年に至って共に2760863年を積み、「算外」と謂うは得た数が当年を内に計えないを謂う。その章歳は十九年、章閏は七(十九年の中に七箇の閏月を安排)、章月は二百三十五箇月、蔀歳は七十九年、蔀月は九百四十箇月、蔀日は二万七千七百五十九日、元法は四千五百六十、紀法は一千五百二十、蝕月は一百三十五、蝕法は二十三、蝕歳は五百一十三、蝕数は一千八十一。
《顓頊曆》上元乙卯,至今二百七十六萬一千一十九算外。章歲十九,章閏七。《夏曆》上元乙丑,至今二百七十六萬五百八十九算外。章歲十九,章閏七。《殷曆》上元甲寅,至今二百七十六萬一千八十算外。章歲十九,章閏七。《周曆》上元丁巳,至今二百七十六萬一千一百三十算外。章歲十九,章閏七。《魯曆》上元庚子,至今二百七十六萬一千三百三十四算外。章歲十九,章閏七。
《顓頊暦》の上元は乙卯年に起こり、開元二年に至って共に2761019年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。《夏暦》の上元は乙丑年に起こり、共に2760589年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。《殷暦》の上元は甲寅年に起こり、共に2761080年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。《周暦》の上元は丁巳年に起こり、共に2761130年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。《魯暦》の上元は庚子年に起こり、共に2761334年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。この五家は前の《黄帝暦》に連ねて、すなわち旧時に称した「古六暦」で、皆十九年七閏の章法を用いる。
前漢劉歆《三統曆》上元庚戌,至今一十四萬三千九百三十四算外。章歲十九,章閏七,日法八十一,統法一千五百三十九,朔望會一百三十五,元法四千六百一十七。冬至牛初,歲星一百四十四年起一次,歲數一百四十四,周數一百四十五。
西漢の劉歆の造った《三統暦》は、上元は庚戌年に起こり、開元二年に至って共に143934年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七。日法八十一、すなわち一日を八十一分に分けるから、この暦にまた「八十一分律暦」の称あり。統法一千五百三十九、朔望会一百三十五、元法四千六百一十七。それは冬至点を牵牛初度に定め、また歳星(木星)を每一百四十四年に超辰一次と定め、歳数一百四十四、周数一百四十五とする。
後漢《四分曆》上元庚辰,至今九千九百九十五算外。元法四千五百六十,紀法一千五百二十,紀月一萬八千八百,蔀法七十六,蔀月九百四十,章法十九,章月二百四十五,周天一千四百六十一,日法四,蔀日二萬七千七百五十九,沒數二十一,通法四百八十七,沒法七,(亦為章閏)日餘一百六十八,中法三十三,大周三十四萬三千三百三十五,月周一千一十六。
東漢の行った《四分暦》は、上元は庚辰年に起こり、開元二年に至って共に9995年を積み、当年を計えず。元法四千五百六十、紀法一千五百二十、紀月一万八千八百、蔀法七十六、蔀月九百四十、章法十九、章月二百四十五、周天一千四百六十一——一歳は三百六十五・四分の一日で、四をもって日法として通ずれば恰好この数を得、「四分」の名はすなわちこれに由る。日法四、蔀日二万七千七百五十九、没数二十一、通法四百八十七、没法七(原書の小注:この数は同時にすなわち章閏の数)、日余一百六十八、中法三十三、大周三十四万三千三百三十五、月周一千一十六。
吳劉洪《乾象曆》上元己丑,至今七千八百八十五算外。乾法一千一百七十八歲,會通七千一百七十一,紀法五百八十九,周天二十一萬五千一百三十,通法四萬三千二十六,通數三十一,日法一千四百五十七,歲中十二,餘數三千九十,章歲十九,沒法一百三,章閏七,會數四十七,會歲八百九十三,章月二百三十五,會率一千八百八十三,朔望合數九百四十一,會月一萬四千四十五,紀月七千二百八十五,元月一萬四千五百七十,月周七千八百七十四,小周二百五十四。
三国の呉の人・劉洪の造った《乾象暦》は、上元は己丑年に起こり、開元二年に至って共に7885年を積み、当年を計えず。乾法一千一百七十八年、会通七千一百七十一、紀法五百八十九、周天二十一万五千一百三十、通法四万三千二十六、通数三十一、日法一千四百五十七、歳中十二(一年に十二箇の中気あり)、余数三千九十、章歳十九年、没法一百三、章閏七、会数四十七、会歳八百九十三年、章月二百三十五、会率一千八百八十三、朔望合数九百四十一、会月一万四千四十五、紀月七千二百八十五、元月一万四千五百七十、月周七千八百七十四、小周二百五十四。この暦は始めて月行の遲疾と交食の周期を推算に納れ、中土の暦法のこの一門における開創の功が甚だ大きい。
魏韓詡《黃初曆》上元壬午,至今三萬二千七十二算外。章歲一十九,章閏七,紀法二千八百八十三,斗分一千二百五,周天一百七十八萬三千五百,日法一萬二千七十九,經六千四百九,月法三十五萬六千七百。
曹魏の韓詡の造った《黄初暦》は、上元は壬午年に起こり、開元二年に至って共に32072年を積み、当年を計えず。章歳一十九年、章閏七、紀法二千八百八十三。斗分一千二百五、指す所は周天の日数の整日の外に余る零分で、暦家はこれを藉りて一歳の実を定める。周天一百七十八万三千五百、日法一万二千七十九、経六千四百九、月法三十五万六千七百。
魏楊偉《景初曆》上元壬辰,至今四千五百二十三算上。元法一萬一千五十八,紀法一千八百四十三,紀月二萬二千七百九十五,章歲十九,章月二百三十五,章閏七,通數一十三萬四千六百三十,日法四千五百五十九,餘數九千六百七十,周天六十七萬三千一百五十紀日,歲中一十二,氣法一十二,沒分六萬七千三百一十五,沒法九百六十七,月周二萬四千六百三十八,通法四十七,會通七十九萬一百一十,朔望合數六萬七千三百一十五,入交限數七十二萬二千七百九十五,通周一十二萬五千六百二十一,周日日餘二千五百二十八,周虛二千三十一,斗分四百五十五。
曹魏の楊偉の造った《景初暦》は、上元は壬辰年に起こり、開元二年に至って共に4523年を積み、「算上」と謂うは得た数が当年を併せて内に計えるを謂い、前の各条の「算外」と正しく相対す。元法一万一千五十八、紀法一千八百四十三、紀月二万二千七百九十五、章歳十九年、章月二百三十五、章閏七、通数一十三万四千六百三十、日法四千五百五十九、余数九千六百七十、周天六十七万三千一百五十紀日、歳中一十二、気法一十二、没分六万七千三百一十五、没法九百六十七、月周二万四千六百三十八、通法四十七、会通七十九万一百一十、朔望合数六万七千三百一十五、入交限数七十二万二千七百九十五(日月の交蝕を推すのに用いる限数)、通周一十二万五千六百二十一、周日日余二千五百二十八、周虚二千三十一、斗分四百五十五。
晉劉智《正歷》上元甲子,至今九萬七千八百五十算外。章歲十九,章閏七,紀日一百四萬九百五十三,交會通六百一十萬九千一百七十四,紀歲二千八百五十,冬至斗二十一,紀月三萬五千二百五十,餘一萬八千七百三。《姜岌曆》上元甲子,至今八萬四千一百七十算外。章歲十九,章閏七,紀二千四百五十一,斗分六百五,日法六千六十三,經餘三千二百一十七,歷餘三千三百六十二,冬至在斗十七。
西晋の劉智の造った《正暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に97850年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七、紀日一百四万九百五十三、交会通六百一十万九千一百七十四、紀歳二千八百五十年、冬至の日は南斗二十一度にあり、紀月三万五千二百五十、余一万八千七百三。《姜岌暦》の上元も同様に甲子年に起こり、開元二年に至って共に84170年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七、紀二千四百五十一、斗分六百五、日法六千六十三、経余三千二百一十七、暦余三千三百六十二。その定めた冬至の日は南斗十七度にあり。
《梁趙曆》上元甲寅,至今六萬一千七百四十算上。元法四十三萬二千,紀法七萬二千,蔀法七千二百,章歲六百,章月七千四百二十一,(亦曰時法)章閏二百二十二,周天二百六十二萬九千七百五十九,(亦曰通數)餘數三萬七千七百五十九,斗分一千七百五十九,日法八萬九千五十二,(亦曰蔀日)月周九萬六千二百五十二,小周八千二十二,會數一百七十三,度餘二萬七千七百一十九,會虛六萬一千三百三十三,交會差一百四十七,度餘三千三百一十一,遲疾差六百餘四千五百三十,周日二十七日,餘四萬九千三百八十,周虛三萬九千六百七十二。
《梁趙暦》の上元は甲寅年に起こり、開元二年に至って共に61740年を積み、「算上」は当年をも計える。元法四十三万二千、紀法七万二千、蔀法七千二百、章歳六百年、章月七千四百二十一(原書の小注:この一項をまた時法と呼ぶ)、章閏二百二十二、周天二百六十二万九千七百五十九(小注:また通数と呼ぶ)、余数三万七千七百五十九、斗分一千七百五十九、日法八万九千五十二(小注:また蔀日と呼ぶ)、月周九万六千二百五十二、小周八千二十二、会数一百七十三、度余二万七千七百一十九、会虚六万一千三百三十三、交会差一百四十七、度余三千三百一十一、遲疾差六百・余四千五百三十、周日二十七日・余四万九千三百八十、周虚三万九千六百七十二。
宋何承天《元嘉曆》上元庚辰,至今五千九百七十四算外。章歲十九,章閏七,紀法六百八,日法九百五十二,歷餘四百一十七,經歷三百九十九,度法三百四,度分七十五,會月九百三十九,會數一百六十,雨水室二度。
劉宋の何承天の造った《元嘉暦》は、上元は庚辰年に起こり、開元二年に至って共に5974年を積み、当年を計えず。章歳十九年、章閏七、紀法六百八、日法九百五十二、暦余四百一十七、経暦三百九十九、度法三百四、度分七十五、会月九百三十九、会数一百六十。この暦は雨水のこの節気の時に太陽を営室二度に定める。
宋祖沖之《大明曆》上元甲子,至今五萬二千一百九十算外。元法五十九萬二千三百六十五,紀法三萬九千四百九十一,章歲三百九十一,章月四千八百三十六,小周五千二百二十七,章閏一百四十四,閏法十二,月周五十二萬七千九百二十七,日餘十六萬九千七百七十五,月法十一萬六千三百二十一,日法三千九百三十九,歲分一千四百四十二萬三千八百四,歲餘九千五百八十九,餘數二十萬七千四十四,沒分三百六十萬五千九百五十一,沒法五萬一千七百六十一,周天一千四百四十二萬四千六百六十四,度分一萬四百四十九,差八百六十,行分法二十三,小分法一千七百一十七,通周七十二萬六千八百一十,會周七十一萬七千七百七十七,通法二萬六千三百七十七。
劉宋の祖沖之の造った《大明暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に52190年を積み、当年を計えず。元法五十九万二千三百六十五、紀法三万九千四百九十一、章歳三百九十一年、章月四千八百三十六、小周五千二百二十七、章閏一百四十四——祖沖之は十九年七閏の旧章を廃去し、改用して三百九十一年に一百四十四閏を安排し、これは彼が暦法の上で最も著名な一項の改作である。閏法十二、月周五十二万七千九百二十七、日余十六万九千七百七十五、月法十一万六千三百二十一、日法三千九百三十九、歳分一千四百四十二万三千八百四、歳余九千五百八十九、余数二十万七千四十四、没分三百六十万五千九百五十一、没法五万一千七百六十一、周天一千四百四十二万四千六百六十四、度分一万四百四十九、差八百六十(すなわち歳差の数で、歳差を暦法の推算に引入するもこの暦に始まる)、行分法二十三、小分法一千七百一十七、通周七十二万六千八百一十、会周七十一万七千七百七十七、通法二万六千三百七十七。
梁武《大同歷》上元甲子,至今一百二萬五千八百七十算外。章歲六百一十九,日法一千五百三十六,紀法三萬九千六百一十六。後魏張龍祥《正光曆》上元壬子,至今一十六萬七千九百四十二算外。章歲五百五,章閏一百八十六,章月六千二百四十六,蔀法六千六十,斗分一千四百七十七,紀法六萬六百,統法十二萬一千二百,元法三十六萬三千六百,日法七萬四千九百五十二,周天分二百二十一萬三千三百七十七,氣法二十四,經月大餘二十九,(小餘三萬九千七百六十九)會數一百七十三餘二萬三千二百八,含通一千二百九十八萬九千九百四,周日二十七,餘四萬一千五百六十二,通周二百六萬五千二百六十六,小周六千七百五十一,月周八萬一千一十二。
梁の武帝の時に行った《大同暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に1025870年を積み、当年を計えず。章歳六百一十九年、日法一千五百三十六、紀法三万九千六百一十六。後魏の張竜祥の造った《正光暦》は、上元は壬子年に起こり、開元二年に至って共に167942年を積み、当年を計えず。章歳五百五年、章閏一百八十六、章月六千二百四十六、蔀法六千六十、斗分一千四百七十七、紀法六万六百、統法十二万一千二百、元法三十六万三千六百、日法七万四千九百五十二、周天分二百二十一万三千三百七十七、気法二十四、経月大余二十九(原書の小注:小余三万九千七百六十九)、会数一百七十三・余二万三千二百八、含通一千二百九十八万九千九百四、周日二十七・余四万一千五百六十二、通周二百六万五千二百六十六、小周六千七百五十一、月周八万一千一十二。
東魏《興和曆》上元甲子,至今二十九萬四千一百七十算外。章歲五百六十二,度法一萬六千八百八十,章閏二百七,斗分四千一百一十七,日法二十萬八千五百三十,餘十一萬六百四十七,周天六百一十五萬八千一十七,歷餘一十萬五千六百三十一,會數一百七十三,日餘六萬七千一百一十七,木終餘一萬五千六百八,火終餘一萬五千一百四十三,土終餘九百八十一,金終餘一萬四千五百二,水終餘一萬四千八百一十八,冬至斗。
東魏の行った《興和暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に294170年を積み、当年を計えず。章歳五百六十二年、度法一万六千八百八十、章閏二百七、斗分四千一百一十七、日法二十万八千五百三十、余十一万六百四十七、周天六百一十五万八千一十七、暦余一十万五千六百三十一、会数一百七十三、日余六万七千一百一十七。以下は五星の一終の後に余る分数である:木星の終余一万五千六百八、火星の終余一万五千一百四十三、土星の終余九百八十一、金星の終余一万四千五百二、水星の終余一万四千八百一十八。その定めた冬至の日は南斗宿にあり。
《劉孝孫曆》上元甲子,至今四十三萬五千二百三十算外。章歲六百一十九,元法一十六萬九百四十,紀法九千四十七,日法一千一百四十四,歲餘一千九百六十六,虛分六千四百七,差分五百九,度法二萬四千一百四十一,行分三十九,會月二千一十三,會率三百四十一,周法三萬四千三百二十,歷朔差分六萬七千四百四十二,冬至命度,起危前五度。
《劉孝孫暦》の上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に435230年を積み、当年を計えず。章歳六百一十九年、元法一十六万九百四十、紀法九千四十七、日法一千一百四十四、歳余一千九百六十六、虚分六千四百七、差分五百九、度法二万四千一百四十一、行分三十九、会月二千一十三、会率三百四十一、周法三万四千三百二十、暦朔差分六万七千四百四十二。それは冬至の命ずる度数を、危宿の前の五度から起算する。
齊宋景《天保曆》上元甲子,至今一十一萬六百九十算外。元法一百四十一萬九千六百,紀法二千三萬六千六百,蔀法三萬三千六百六十,(亦名日度法)章歲六百七十六,(亦名日度法)章閏二百四十九,(亦名閏法)章中八千一百一十二,章月八個三百六十一,日法二十九萬二十六百三十五,周天八百六十四萬一千六百八十五,(亦名通數,亦名蔀法,亦名沒分。)餘數一十二萬四千八十七,(亦名沒分)斗名五千七百八十七,歲中十二,氣法二十四,
北斉の宋景の造った《天保暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に110690年を積み、当年を計えず。元法一百四十一万九千六百、紀法二千三万六千六百、蔀法三万三千六百六十(原書の小注:この一項をまた日度法と呼ぶ)、章歳六百七十六年(小注:また日度法と呼ぶ)、章閏二百四十九(小注:また閏法と呼ぶ)、章中八千一百一十二、章月八箇三百六十一——「八个」は当に「八千」の訛で、底本はかくのごとく、今なお照録して改めず。日法二十九万二十六百三十五、この数も底本にまた衍誤あり。周天八百六十四万一千六百八十五(小注:また通数と呼び、また蔀法と呼び、また没分と呼ぶ)、余数一十二万四千八十七(小注:また没分と呼ぶ)、斗名五千七百八十七、歳中十二、気法二十四。
會數一百七十三,餘九萬一千五十八,會通五千七十一萬六千九百一十三,會虛二十七萬一千五百七十七,周日二十七,餘一十六萬二千二百六十一,通周八百六萬三千四百六,周虛一十三萬三百七十四,小周九千三十七,月周三十一萬六千二百九十五,望十四,餘二十二萬三千九百五十三半,交限數一百五十八,餘一十五萬九千七百三十九半,經月二十九,餘一十五萬五千二百七十二,虛分十三萬七千三百六十三。
以下は《天保暦》の交会と月行の各項の常数である:会数一百七十三、余九万一千五十八。会通五千七十一万六千九百一十三、会虚二十七万一千五百七十七。周日二十七・余一十六万二千二百六十一、これは月行・遲疾が一周するのに歴る日数と余分。通周八百六万三千四百六、周虚一十三万三百七十四、小周九千三十七、月周三十一万六千二百九十五。望十四・余二十二万三千九百五十三半、これは朔から望に至る日数と余分。交限数一百五十八・余一十五万九千七百三十九半、これは日月が交蝕しうるかを判定する界限。経月二十九・余一十五万五千二百七十二、これは一箇の平朔望月の日数と余分。虚分十三万七千三百六十三。
周甄鸞《天和曆》上元甲寅,至今八十七萬五千九百四十算外。章歲三百九十一,章閏一百四十四,蔀法三萬三千四百六十,日法二十九萬一百六十,朔餘一十九萬三千九百九十一,斗分五千七百三十一,會餘九萬三千五百一十六,歷餘一十六萬八百三十,冬至日在斗十五度。周馬顯《景寅元曆》上元景寅,至今四萬一千六百八十八算外。章歲四百四十八,章閏一百六十五,斗分三千一百六十七,蔀法一萬三千九百九十二,日法五萬三千五百六十三,(亦曰蔀會法)歷餘二萬九千六百九十三,會日一百七十三,會餘一萬六千六百一十九,冬至日在斗十二度。
北周の甄鸞の造った《天和暦》は、上元は甲寅年に起こり、開元二年に至って共に875940年を積み、当年を計えず。章歳三百九十一年、章閏一百四十四(祖沖之の閏周を沿用)、蔀法三万三千四百六十、日法二十九万一百六十、朔余一十九万三千九百九十一、斗分五千七百三十一、会余九万三千五百一十六、暦余一十六万八百三十。その定めた冬至の日は南斗十五度にあり。北周の馬顕の造った《景寅元暦》は、上元は景寅年に起こり(唐の人は高祖・李淵の父・李昞の名諱を避け、およそ「丙」の字は皆「景」と改書す。ここの景寅はすなわち丙寅)、開元二年に至って共に41688年を積み、当年を計えず。章歳四百四十八年、章閏一百六十五、斗分三千一百六十七、蔀法一万三千九百九十二、日法五万三千五百六十三(原書の小注:また蔀会法と呼ぶ)、暦余二万九千六百九十三、会日一百七十三、会余一万六千六百一十九。その定めた冬至の日は南斗十二度にあり。
隋《張賓曆》上元甲子,至今四百一十二萬九千一百三十算外。元法六百一十七萬七千六百,紀法一百二萬九千六百,蔀法十萬二千九百六十,(亦名度法)章歲四百二十九,章閏一百五十八,章月五千三百六,通月五百三十七萬二千二百九,日法十八萬一千一百二十,(亦曰周法)虛分八萬五千三百九十一,朔時法一萬五千六百一十,周天分三千七百六十萬五千四百六十三,(亦曰沒分)餘數五十三萬九千八百六十三,(亦曰沒法)歲中十二,斗分三萬五千六十三,氣法二十四,氣時法八千五百八十,
隋代の張賓の造った暦法は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に4129130年を積み、当年を計えず。元法六百一十七万七千六百、紀法一百二万九千六百、蔀法十万二千九百六十(原書の小注:また度法と呼ぶ)、章歳四百二十九年、章閏一百五十八、章月五千三百六、通月五百三十七万二千二百九、日法十八万一千一百二十(小注:また周法と呼ぶ)、虚分八万五千三百九十一、朔時法一万五千六百一十、周天分三千七百六十万五千四百六十三(小注:また没分と呼ぶ)、余数五十三万九千八百六十三(小注:また没法と呼ぶ)、歳中十二、斗分三万五千六十三、気法二十四、気時法八千五百八十。この暦は常数が極めて繁密で、以下に交会・交食・遲疾の三類に分けて続けて列す。
會月一千二百九十七,會率二百二十二,合數一百一十半,會分一十一億八千七百二十五萬八千一百八十九,會通六十九億六千七百七十五萬五千七十三,(亦曰交數)會日法四千二十萬四千三百二十,會日一百七十三,餘五萬六千一百四十三,小分一百一十,會虛一十二萬五千七百七十六,小分一百一十一,會日限一百五十八,會九萬八千八百三十八,小分二百二十半,朔望合日數十四,餘一十三萬九千二百二十四,小分一百一十半,
《張賓暦》の交会を推すのに用いる各数:会月一千二百九十七、会率二百二十二、合数一百一十半(「半」は二分之一を帯びるを謂い、下同)。会分一十一億八千七百二十五万八千一百八十九、会通六十九億六千七百七十五万五千七十三(原書の小注:また交数と呼ぶ)。会日法四千二十万四千三百二十、会日一百七十三・余五万六千一百四十三・小分一百一十。会虚一十二万五千七百七十六・小分一百一十一。会日限一百五十八、会九万八千八百三十八・小分二百二十半。朔望合日数十四・余一十三万九千二百二十四・小分一百一十半、これは朔から望までに歴る日数と余分。
交法五億一千二百一十萬四千八百三,分法二千八百一十五,陰陽曆一十三,餘三萬二百六十三,小分二千三百二十八,歷合二十七,餘三萬八個六百七,小分一千八百四十一,朔差二,餘五萬七千九百二十二,小分九百七十四,望差一,餘二萬八千九百六十一,小分一千八百九十四半,蝕限十二,餘八萬一千三百三,小分四百三十三半,定差四萬四千五百四十八,通周五百一萬二千六百九十九,餘歲一萬三千八百九十七,限三千入百一十三,周日二十七,餘十萬八百五十九,(亦名小大法)周虛八萬一千六十一,通率七,差虛十三萬七千三百七十二,轉率二百四十,分率七百五十八,日周一百三十七萬六千四百,小周五千七百三十五,朔望合數十四,度餘一十三萬九千二百二十四半。
《張賓暦》の交食と月行・遲疾を推すのに用いる各数:交法五億一千二百一十万四千八百三、分法二千八百一十五。陰陽暦一十三・余三万二百六十三・小分二千三百二十八、これは月行が黄道の南北に出入り一次するのに歴る日数。暦合二十七・余三万八箇六百七(「八个」は当に「八千」の訛、底本はかくのごとく)・小分一千八百四十一。朔差二・余五万七千九百二十二・小分九百七十四。望差一・余二万八千九百六十一・小分一千八百九十四半。蝕限十二・余八万一千三百三・小分四百三十三半、およそ交に入るものがこの限の内にあってこそ蝕が見えうる。定差四万四千五百四十八。通周五百一万二千六百九十九、余歳一万三千八百九十七、限三千入百一十三(「入」は当に「八」の訛)。周日二十七・余十万八百五十九(原書の小注:また小大法と呼ぶ)。周虚八万一千六十一、通率七、差虚十三万七千三百七十二、転率二百四十、分率七百五十八。日周一百三十七万六千四百、小周五千七百三十五。朔望合数十四、度余一十三万九千二百二十四半。
《張曹玄曆》上元甲子,至今一百四十二萬七千七百五十算外。章歲四百一十,章閏一百五十一,日法一千一百四十四,度法四萬二千六百四十,朔餘六百,斗分一萬八千八百六十六,歲差五百三,周法二千五百四十八,餘一千四百一十三,冬至命度虛,(初五,後七。)交會通一千六十四萬六千七百二十九,(比古會日)朔差九十萬七千五十七。(比古會數)劉焯《皇極曆》上元甲子,至今一百萬八千九百五十算外。章歲六百七十六,度法九萬三千二百八十八,日法一千二百四十二,餘六百五十九,歲餘二萬二千八百一十三,歲差一千四百二十三,會月二千七百二十九,會率四百六十五,周法二千二百六十三,餘一千二百五十五。
《張曹玄暦》の上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に1427750年を積み、当年を計えず。章歳四百一十年、章閏一百五十一、日法一千一百四十四、度法四万二千六百四十、朔余六百、斗分一万八千八百六十六、歳差五百三、周法二千五百四十八、余一千四百一十三。それは冬至の命ずる度数を虚宿に落とす(原書の小注:起初は五、その後は七)。交会通一千六十四万六千七百二十九(小注:古暦の会日の一項に相当)、朔差九十万七千五十七(小注:古暦の会数の一項に相当)。隋代の劉焯の造った《皇極暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に1008950年を積み、当年を計えず。章歳六百七十六年、度法九万三千二百八十八、日法一千二百四十二・余六百五十九、歳余二万二千八百一十三、歳差一千四百二十三、会月二千七百二十九、会率四百六十五、周法二千二百六十三・余一千二百五十五。
傅仁均《戊寅歷》上元戊寅,至今一十六萬四千四百三十六算外。章歲六百七十六,(亦名行分法)章閏二百四十九,章月八千六百六十一,月法三十八萬四千七十五,日法一萬三千六,時法六千五百三,度法九千四百六十四,(亦名氣法)氣時法一千一百八十三,歲分三百四十五萬六千六百七十五,歲餘二千三百一十五,周天分三百四十五萬六千八百四十五,斗分二千四百八十五半,沒分七萬六千八百一十五,沒法一千一百三,歷日二十七,歷日餘一萬六千六十四,歷周七十九萬八千二百,曆法二萬八千九百六十八,餘數四萬九千六百三十五。
唐初の傅仁均の造った《戊寅暦》は、上元は戊寅年に起こり、開元二年に至って共に164436年を積み、当年を計えず。この暦は唐朝が開国して後に頒行した第一部の暦である。章歳六百七十六年(原書の小注:また行分法と呼ぶ)、章閏二百四十九、章月八千六百六十一、月法三十八万四千七十五、日法一万三千六、時法六千五百三、度法九千四百六十四(小注:また気法と呼ぶ)、気時法一千一百八十三。歳分三百四十五万六千六百七十五、歳余二千三百一十五。周天分三百四十五万六千八百四十五、斗分二千四百八十五半。没分七万六千八百一十五、没法一千一百三。暦日二十七・暦日余一万六千六十四、暦周七十九万八千二百、暦法二万八千九百六十八、余数四万九千六百三十五。
《神龍曆》上元乙巳,至今四十一萬四千三百七十算外。母法一百,旬周六十,辰法八刻三十三分二十半。期周三百六十五日,餘二十四,奇四十八。氣法十五日,餘二十一,奇八十五少半。月法二十九日,餘五十三,奇六。候法五日,餘七,奇二十八。遊分四,望法十四日,餘七十六,奇五十三。弦法七日,餘三十八,奇二十六半。閏差十日,餘八十七,奇七十六。沒數九十一,餘三十一,奇十二。沒法一,餘三十一,奇十二。日周法二十七日,餘五十五,奇四十五,小分五十九。日差法一百,餘九十七,奇六十,小分四十一。天周三百六十五,度餘二十五,奇七十一,小分七十一。
《神竜暦》の上元は乙巳年に起こり、開元二年に至って共に414370年を積み、当年を計えず。この暦は一百をもって母法とし、およそ余数は皆百分に拠って計える。旬周六十、すなわち六十干支をもって一輪とする。辰法八刻三十三分二十半、これは一箇の時辰の当たる刻分である。期周三百六十五日・余二十四・奇四十八、これは一回帰年の長さ。気法十五日・余二十一・奇八十五少半、これは一箇の節気に歴る日数。月法二十九日・余五十三・奇六、これは一箇の朔望月の長さ。候法五日・余七・奇二十八、これは一候の日数。游分四。望法十四日・余七十六・奇五十三、これは朔から望に至る日数。弦法七日・余三十八・奇二十六半、これは朔から上弦に至る日数。閏差十日・余八十七・奇七十六。没数九十一・余三十一・奇十二。没法一・余三十一・奇十二。日周法二十七日・余五十五・奇四十五・小分五十九。日差法一百・余九十七・奇六十・小分四十一。天周三百六十五・度余二十五・奇七十一・小分七十一、これは周天の度数。
交周法二十七日,餘二十一,奇二十二,小分十六七分。交差法二日,餘二十一,奇八十三,小分八十三三分。交中十三日,餘六十,奇六十一,小分八三分半。陽前限十二日,餘四十四,奇六十九,小分十六七分。陽後限一日,餘十五,奇九十一,小分九十一六分半。陰前限二十六日,餘十五,奇三十,小分二十五分半。歲星合法三百九十三日,餘八十六,奇七十九,小分八十。熒惑合法七百七十九日,餘九十一,奇五十五,小分四十五。鎮星合法三千七十九日,餘八,奇四,小分八十。太白合法五百八十三日,餘九十一,奇七十七,小分七十。中合法二百九十日,餘九十五,奇八十八,小分八十五。辰星合法一百一十五日,餘八十七,奇九十五,小分七十。中合法五十七日,餘九十三,奇九十七,小分八十五。
以下は《神竜暦》の交食と五星を推すのに用いる各数。交周法二十七日・余二十一・奇二十二・小分十六七分、これは月行の一箇の交点月の長さ。交差法二日・余二十一・奇八十三・小分八十三三分。交中十三日・余六十・奇六十一・小分八三分半、これは交点月の半。陽前限十二日・余四十四・奇六十九・小分十六七分。陽後限一日・余十五・奇九十一・小分九十一六分半。陰前限二十六日・余十五・奇三十・小分二十五分半:この几项は月行が黄道の内外で蝕が見えうる前後の界限。歳星(木星)の合法三百九十三日・余八十六・奇七十九・小分八十。熒惑(火星)の合法七百七十九日・余九十一・奇五十五・小分四十五。鎮星(土星)の合法三千七十九日・余八・奇四・小分八十。太白(金星)の合法五百八十三日・余九十一・奇七十七・小分七十、中合法二百九十日・余九十五・奇八十八・小分八十五。辰星(水星)の合法一百一十五日・余八十七・奇九十五・小分七十、中合法五十七日・余九十三・奇九十七・小分八十五。いわゆる合法とは、すなわちその星が太陽と一会合してから再び会合するまでに歴る日数。
李淳風見行《麟德曆》上元甲子,至今二十六萬九千九百三十算外。章歲三萬九千五百七十一,總法一千三百四十,章月三十八萬九千四百二十八,半總六百七十,章閏一萬四千五百七十六,辰率三百三十五,閏分一千二百一十四奇八,奇率一十二。歷周四十四萬三千七十七,旬周六十。月法二十九日,餘七百一十一。弦法七日,餘五百一十二,奇九。氣法十五日,餘二百九十二,奇十。曆法二十七日,餘七百四十三,奇。
李淳風の造った、当今なお施行中の《麟徳暦》は、上元は甲子年に起こり、開元二年に至って共に269930年を積み、当年を計えず。章歳三万九千五百七十一、総法一千三百四十、章月三十八万九千四百二十八、半総六百七十(すなわち総法の半)、章閏一万四千五百七十六、辰率三百三十五、閏分一千二百一十四奇八、奇率一十二。この暦は古来の章・蔀・紀・元の諸法を廃去し、一に総法をもって通率と為し、暦家の一大の変革である。暦周四十四万三千七十七、旬周六十。月法二十九日・余七百一十一、すなわち一朔望月の長さ。弦法七日・余五百一十二・奇九、これは朔から弦に至る日数。気法十五日・余二百九十二・奇十、これは一節気の日数。暦法二十七日・余七百四十三・奇若干、これは月行・遲疾が一周する日数。
