Libo

水中火出 水鳴 水出異物 井自出 井中気出 沢枯 火不炎上

唐 · 瞿昙悉达 · 第103巻 / 119

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

京房《對災異》曰:“水中火出,何?所謂陰氣溢,亡陽施也。女妃無陽,則敵氣溢,至水中火出。不救,有天殃,陰害陽。其救也,正妃妾,率後宮,施命令,誥四方,嫁貞女,賜鰥寡,此災即消。”《地鏡》曰:“澤水忽自鳴,百姓哀;若作金聲,土地分裂;國及家井有音聲,皆君主將亡覆之,期三十日。”《地鏡》曰:“凡水中忽見異物,皆為大旱。”

京房の《対災異》はいう:「水の中に火が現れ出るのは、なんの故か。いわゆる陰気が盛んすぎて外に溢れ、陽気の施化が亡失したのである。后妃の位にそれと相配する陽気がなければ、陽と敵する陰気が外に溢れ、水の中に火が現れ出るに至る。補救を加えなければ、天の降す災殃があり、陰気が陽気を傷害する。その補救の法は、妃妾の名分を端正し、後宮を統率し、命令を頒布し、四方に告諭し、貞潔の女子に婚嫁を執り行い、鰥夫・寡婦を賑済すれば、この災異は即座に消解する。」《地鏡》はいう:「湖沢の水が忽然として自ら声響を発すれば、百姓が哀苦することを主る。もし金属のような声を発すれば、土地が分裂することを主る。国中と人家の井に声響があれば、皆、君主がまさに覆亡しようとしていることを主り、期限は三十日である。」《地鏡》はいう:「およそ水の中に忽然として異物が現れれば、皆、大旱を主る。」

《瑞應圖》曰:“井不鑿自成,王者清淨,則出流,有仙人至之徵。”《地鏡》曰:“井中氣直上叩天,而王走民間,國大衰損,兵起。”京房曰:“澤枯歲貧,國易臣,不出三年,客辭。”《尚書大傳》曰:“棄法律,逐功臣,殺冢子,妾為妻,則火不炎上。”(君上行此四者,為天南宮之政官,於地,為火無故燔熾為害,是不上。)《漢五行志》曰:“讒夫昌,邪勝正,則火失其性,宗廟宮館災,是火不炎上也。”

《瑞応図》はいう:「井が凿らずして自然に形成されるのは、君王が清静・無為であれば、泉水は自ずから湧流し、これは仙人がまさに至らんとする徴兆である。」《地鏡》はいう:「井の中の気が筆直に上に冲って天を叩けば、君王が民間に流落し、国勢が大いに衰損し、兵事が興起することを主る。」京房はいう:「湖沢が干枯すれば、年成が貧薄で、国の中で政を執る臣子を更換し、三年を出ずして、客居の臣が辞去する。」《尚書大伝》はいう:「法律を廃棄し、功臣を駆逐し、嫡長子を殺害し、妾を立てて正妻とすれば、『火不炎上』が現れる。」原書の小注はいう:君主がこの四つの事を行えば、天では南宮の政官に対応し、地では火が故なく燃え熾って害をなす。これが火が上に向かって本性に順わないことである。《漢書・五行志》はいう:「讒言を進める者が勢いを得て、邪が正を圧倒すれば、火はその本性を失い、宗廟・宮館に火災が発生する。これが『火不炎上』である。」

火無煙

《南燕錄》曰:“慕容超大正五年,南郊柴燎焰起而煙不出,靈臺張光令私於中書侍郎王景暉曰:煙者,國之種,今火旺煙滅,國其亡乎。”

《南燕録》に記す:「南燕の慕容超大正五年、南郊で柴を積み燔いて天を祭るに、火焔が騰り上がったのに煙が出なかった。天象を観るを掌る霊台令・張光は私に中書侍郎・王景暉にいう:煙は国家の種苗です。いま火が旺なのに煙が滅しているのは、国家はおそらく亡びるのではないでしょうか、と。」南郊で柴を燔くのは天子が天を祭る大礼で、煙気が上って天に達して初めて礼が成る。火が盛んなのに煙がなければ凶兆と見なされる。

開元占経巻一百零一

霜占

《元命包》曰:“陰陽凝為霜。”《易坤卦》曰:“初六,履霜堅水至。象曰:履霜堅水,陰始凝也。馴致其道,至堅水也。”《禮記月令》曰:“季秋之月,霜始降,百工休。孟冬行秋令,則雪霜不時。”《考異郵》曰:“霜者陰精,冬令也。四時相代,以霜收殺,霜之為言亡也,物以終也。”曾子曰:“陰氣勝,凝為霜。”《地鏡》曰:“視屋上瓦,獨無霜者,其下有寶藏。”《援神契》曰:“霜挫物。”京房曰:“凡候霜下早晚,若正月一日雷,知七月一日霜下;若二月一日雷,即知八月一日霜下。”

《元命包》はいう:「陰気と陽気が凝結すれば霜となる。」《周易・坤卦》はいう:「初六、履霜堅水至。象辞はいう:履霜堅水は、陰気が凝まり始めたのである。その道に順馴して進めば、堅水に至る。」ここの「堅水」は通行本では「堅冰」としており、足の下に霜を踏めば、堅い氷が結ぶ時節がまもなく来ることを知ると謂うのである。《礼記・月令》はいう:「季秋の九月、霜が降り始め、百工は停歇する。孟冬の十月にもし秋に属する政令を施行すれば、雪と霜は時節に合わずして至る。」《考異郵》はいう:「霜は陰の精気で、冬の時令に属する。四季が輪番で交替し、霜によって収斂・粛殺する。霜という字の意味は亡で、万物がここに終結する。」曽子はいう:「陰気が陽気に勝れば、凝結して霜となる。」《地鏡》はいう:「屋上の瓦を察して、ただ一カ所だけ霜のない所があれば、その下に宝蔵が埋まっている。」《援神契》はいう:「霜は万物を挫傷することができる。」京房はいう:「およそ降霜の早晚を推候するに、もし正月一日に雷が鳴れば、七月一日に霜が降ることを知る。もし二月一日に雷が鳴れば、すなわち八月一日に霜が降ることを知る。」

又曰:“霜者,刑罰行也。霜者,所以成萬物也。刑罰者,所以誅惡人者也。刑一以懲十,殺一以全萬。非聖君居位,則刑罰妄行,誅殺不當,故天應以殞霜,於春於夏。臣依公結私,誅殺無罪,霜下在土;卻忠臣,依公結私,以緩有罪,霜附木;殺罰不由上,霜見風而飛;此皆刑罰不法之應。”

またいう:「霜とは、刑罰の施行である。霜は万物を促成するためのもので、刑罰は悪人を誅除するためのものである。一人に刑を加えれば十人を警戒することができ、一人を処死すれば一万の人を保全することができる。もし聖明の君主が位に居らなければ、刑罰は胡乱に施行され、誅殺が当を得なくなるから、天は降霜をもって応え、春にあっても夏にあってもそうする。臣子が公事を假借して私党を結び、罪なき人を誅殺すれば、霜は土の上に降る。忠臣を斥退し、公事を假借して私党を結び、かえって罪ある人を寛縦すれば、霜は樹木に附着する。殺戮・刑罰が君上に由らず行われれば、霜は風に随って飛散する。これらは皆、刑罰が法度に合わない応験である。」

又曰:“霜下,或未見日而欲曦者,此人君以喜怒行刑罰也;霜或見日而不曦,此人君執法堅不可犯也;霜或天陰不見星而有霜者,此臣下擅行誅罰也。興兵妄誅,厥災其霜殺五穀;誅不原情,茲謂不仁,冬先雨乃殞霜;有芒角,賢聖遭害,其霜附木,不下地。”《考異郵》曰:“穆公即位,仲夏霜殺草,日不消。僖公即位,殞霜不殺草,梅李實。不殺草者,臣威強;梅李大樹,此果為實,是君不能伐也。定公即位,殞霜殺菽;菽者,稼最強,季氏之萌也。”

またいう:「霜が降って、あるものはまだ太陽を見ずに消融しようとするのは、これは君主が一時の喜怒によって刑罰を施行するのである。あるものは太陽を見ても消融しないのは、これは君主が法を執して堅く犯し難いのである。あるものは天が陰って星が見えないのに霜が降るのは、これは臣下が勝手に誅罰を施行するのである。兵を興して胡乱に誅殺すれば、その災異は霜が降って五穀を殺すことである。罪を判じて実情を推究しなければ、これを不仁と謂い、冬は先に雨が降って然る後に霜が降る。霜が芒角を結べば、賢人・聖者が迫害を受けることを主り、この種の霜は樹木に附して地面に降りない。」《考異郵》はいう:「魯の穆公が即位し、仲夏に霜が降って野草を殺し、太陽が照っても消えなかった。魯の僖公が即位し、霜が降っても草を殺さず、梅樹・李樹はかえって果実を結んだ。霜が草を殺さないのは、臣下の威権が強すぎるからである。梅・李は大樹で、この時かえって結実したのは、君主がこれを裁抑することができないからである。魯の定公が即位し、霜が降って豆の苗を殺した。豆は稼の中で最も強健なもので、季氏の勢力の萌生を象徴する。」

《天鏡》曰:“霜非時而殺草,是時而不殺,併為蟲蝗,是謂大飢;春隕霜殺草木,是謂陰隆,臣強君弱,下不事上。”京房曰:“春下霜七日,七年聖人滅。”《春秋命曆序》曰:“桀無道,夏隕霜。”《師曠占》曰:“春夏一日,有霜雲者,君父治政,大嚴大苦大殺,天以示之。何以言之,霜威殺萬草,坐大殺也,見變如此,宜損威殺,重人命。”

《天鏡》はいう:「霜が降るべき時でないのに降って草を殺し、降るべき時にかえって草を殺さないのは、いっしょに虫蝗の害を招き、これを大飢饉と謂う。春に霜が降って草木を殺すのは、これを『陰隆』と謂い、臣が強く君が弱く、下にある者が上にある者に事奉しようとしないことを主る。」京房はいう:「春に七日連続して霜が降れば、七年以内に聖人が滅亡する。」《春秋命暦序》はいう:「夏の桀は道なく、夏に霜が降った。」《師曠占》はいう:「春・夏の或る日に霜と霜雲が現れるのは、これは君父が政事を治めるのがあまりに厳厲・苛酷で殺伐が重すぎるのを、天がそれをもって示すのである。なにをもってこう謂うか。霜の威力は百草を殺すことができ、まさに大いに殺戮するに対応する。こうした変異を見れば、威刑・殺伐を損減し、人の性命を重くすべきである。」

京氏曰:“夏霜,君死國亡;霜下或無芒者,此人君行刑罰,而哀恕其人也;霜下或無芒者,此人君觀過,刺不深也;芒或旁指者,此人君旁言而刑人也;霜下或芒嚴者,此人君刺過深克者;芒或向下者,或如露微者,此人君盡欲加法一姓服屬也;霜下,或同類之物或不死,此人君知人有罰同,獨有所緩不誅,有以平法誅者;霜下或翩翩狀如雪者,此人君知人有罪,不以為意也,亦不出於狴牢也;霜或止於樹頭而不下地者,此下請決罪而上不下也;霜下,或有澤於物者,此人君欲殺直而下卻之也;霜下,晝夜不明而隕霜者,皆君臣誅,或心疑而逕行之,霜亦隨之於春;霜下,或重其日溫者,此行誅或依法深淺,故其日溫也;霜不下而物自以寒死者,此邪臣執法周密,眾人不知,物不得霜而死也;夜雨雪且為霜,為人君率臣重以為嚴也。”

京氏はいう:「夏に霜が降れば、君主が死に国家が亡ぶことを主る。霜が降って芒刺のないものは、これは君主が刑罰を施行しながら刑を受ける人に対してなお哀怜・寛恕の心を存するのである。霜が降って芒刺のないものは、また君主が過錯の表面のみ見て、指摘が深くないこともありうる。芒刺が傍に偏指すれば、これは君主が傍人の言を聴いて人に罪を定めるのである。霜の芒刺が森厳ならば、これは君主が過失を指摘するのが深すぎて刻苛である。芒刺が下に向かうか、あるいは細微で露水のようなものは、これは君主が一心に刑法を或る一姓の親族全体に加えようと欲するのである。霜が降って、同類の物が或は死なないのは、これは君主が或る人は同じく処罰を受けるべきと知りながら、偏に或る人には緩にして誅せず、別の或る人には平常の法度に依って処死するのである。霜が降って軽く飄々として雪のようなものは、これは君主が或る人に罪があると知りながら、心に留めず、また彼を牢獄に入れもしないのである。霜が樹の梢に止まるだけで地面に降りないものは、これは下が罪案の判決を請うて上が批复しないのである。霜が降って、物の上に落ちて水沢に化するものは、これは君主が正直の人を殺そうと欲して下が彼を駁り返したのである。霜が降って、昼夜昏暗・不明で霜が降るものは、皆、君臣が誅されることを主り、あるいは心に疑いを存して直ちに照らして行えば、このような霜もまた引き続き春に降る。霜が降って、その日がかえって温暖なものは、これは刑を行うに法条に依って軽重を分けたから、その日は温暖なのである。霜が降らないのに万物が自ら寒冷で凍死するのは、これは奸邪の臣が法を執して周密で、衆人は皆知らず、万物は霜に遭わずして死んだのである。夜に雪が降りしかも霜に結ぶのは、これは君主が臣下を率いて刑罰を加重して厳を求めたのである。」

雪

《元命包》曰:“陰陽凝為雪。”《氾勝書》曰:“雪者,五穀之精。”曾子曰;“陰氣勝,則凝為雪。”《穆天子傳》曰:“雪盈數尺,年豐。”《八節占》曰:“冬有積雪,歲美人和。”又曰:“冬祁寒,降雪盈尺,年豐歲稔之候。”董仲舒曰:“太平之世,雪不封條,凌彌毒害而已。”《考異郵》曰:“庚辰,大雪深七尺,並者丈四尺。”京房曰:“雪附木者,此人君聽言殺忠臣也;雪未至地而復上,久而復下,此人君欲寬死罪;雪而溫者,此人君脫有罪。凡雪者,陰氣盛也,小人繫公結私,以脅其主而專其權,二月、九月而不已,此執法權正引邪以成賊理,故雪厚,為旱;薄,則為水;皆一百九十二日。”

《元命包》はいう:「陰気と陽気が凝結すれば雪となる。」《氾勝之書》はいう:「雪は五穀の精華である。」曽子はいう:「陰気が陽気に勝てば、凝結して雪となる。」《穆天子伝》はいう:「雪が数尺積もれば、豊年である。」《八節占》はいう:「冬に積雪があれば、年成が良く人事が和順である。」またいう:「冬に極寒で、雪が降って一尺積もれば、これは年豊かに穀が熟れる徴候である。」董仲舒はいう:「太平の世では、雪は樹枝を封じ圧せず、ただ氷凌が多少侵害するだけである。」《考異郵》はいう:「庚辰のこの日、大雪が深さ七尺、併せ集めた所は一丈四尺あった。」京房はいう:「雪が樹木に附着するのは、これは君主が讒言を聴き信じて忠臣を殺害するのである。雪がまだ地面に至らずしてまた上に飄い、久しくしてまた降るのは、これは君主が死罪を寛赦しようと欲するのである。雪が降って天気がかえって暖かいのは、これは君主が罪ある人を開脱しようとするのである。およそ雪が降るのは、皆、陰気が盛んな表れで、小人が公事に牽連して私党を結び、もって君主を脅迫して権柄を独り占めする。二月・九月に到っても止まなければ、これは法を執る者が公権を把持し、邪佞を引き入れて害をなす理を形成する。故に雪が厚く降れば、旱を主り、薄く降れば、水を主る。応験は皆一百九十二日以内である。」

《天鏡》曰:“春雨雪不消,妻黨專政,擅持君威,天下飢,民死亡。”《易通卦驗》曰:“乾得坎之寒,則夏雨雪。”《天鏡》曰:“夏雨雪,必有大喪,天下兵起。”《詩推度災》曰:“違天地,絕人倫,則夏雨雪。”《晉朝雜事》曰:“太康七年,河陰雨赤雪二頃。”京房《易候》曰:“夏雨雪,國殃,必有喪,司馬為亂。”又曰:“君死國亡。”《天鏡》曰:“秋雨雪,百姓多死,草木零落,天下大喪。雪下,厚三尺以上,大兵方起。”

《天鏡》はいう:「春に雪が降って消融しなければ、妻族が権を専らにし、勝手に君主の威柄を把持し、天下が飢饉し、百姓が死亡することを主る。」いわゆる妻党とは、皇后の一族の外家を指す。《易通卦験》はいう:「乾卦が坎卦の寒気を感受すれば、夏に雪が降る。」《天鏡》はいう:「夏に雪が降れば、必ず大きな喪事があり、天下に兵事が興起する。」《詩推度災》はいう:「天地の道に背き、人倫の常を断絶すれば、夏に雪が降る。」《晋朝雑事》に記す:「太康七年、河陰の一帯に赤い雪が降り、二頃の地を覆った。」京房の《易候》はいう:「夏に雪が降れば、国家に殃禍があり、必ず喪事があり、兵を掌る司馬の官が乱をなす。」またいう:「君主が死に国家が亡ぶことを主る。」《天鏡》はいう:「秋に雪が降れば、百姓に死が多く、草木が凋落し、天下に大きな喪事がある。雪の降るが厚さ三尺以上になれば、大きな兵事がまさに興起せんとする。」

雹

《考異郵》曰:“陰陽專精,凝合生雹。雹之言合也。”董仲舒曰:“雹者,陰氣脅陽也。”京房曰:“凡雹過大,人君惡聞其過也,抑賢不與共位,小人取利,布幣私施,所愛人專,施不普,當雨不雨,天反下雹,人有釁則嚴威集,人慾惑其君,故雹傷生。雹或殺飛鳥者,此人君信讒佞之言,行謫罰於廢人。”《月令》曰:“仲夏行冬令,則雹凍傷谷。”《感精符》曰:“大臣擅法,則雨雹。”

《考異郵》はいう:「陰気と陽気が各々精華を専らに聚め、凝り合わさって雹を生ずる。雹という字の意味は合である。」董仲舒はいう:「雹とは、陰気が陽気を脅迫するのである。」京房はいう:「およそ雹が大きすぎて降るのは、君主が自分の過失を聞くのを悪み、賢人を圧制して彼らと位を共にしようとせず、小人がこれに乗じて利を取り、財貨を散して私に施し与え、寵愛する人が独り占めし、恩の施しが普く及ばないからである。雨の降るべき時に降らず、天はかえって氷雹を降す。人事に嫌隙があれば、厳酷の威罰が集まり来る。或る人がその君主を惑わそうと欲すれば、雹は生物を傷害する。雹が或は飛鳥を打ち殺すのは、これは君主が讒佞の言を聴き信じて、すでに廃黜された人に対してもなお貶謫の責罰を加えるのである。」《礼記・月令》はいう:「仲夏の五月にもし冬に属する政令を施行すれば、氷雹が凍って穀物を傷つけることがある。」《感精符》はいう:「大臣が勝手に法令を操れば、雹が降る。」

京房曰:“雹下,或毀瓦,碎破車,殺馬牛者,此人君任小人,伐其人;雹下盡剝樹木之枝,又害五穀者,此人君賦斂酷,民有殺者;雹下,或多狀如積雪者,此臣欲弒君也;雹下,或盡敗人禾稼者,此人君因春夏庶人有罪,執殺之;雹下,或霜俱降者,此人君私邪人從後退而誅之;雹下,極地而曎者,此人君私施邪人而下成之;雹下,或狀如積水者,此臣欲殺人君;雹下,或多芒,狀如雪者,此人君欲害人而甚者;雹下,或如梨實者,此人君大亂庶人而惡甚者;雹下,或與風俱降者,此人君施大亂其寒過度罰深;雹下,或狀如珠者,此人君欲害人而甚也。”

京房はいう:「雹が降って、あるものは屋瓦を毀壊し、車輛を砕き、馬牛を打ち殺すのは、これは君主が小人を任用して他人を残害するのである。雹が降って樹木の枝を剥ぎ尽くし、また五穀を損害するのは、これは君主が賦税の徴斂を苛酷にして、百姓の中に害されて死ぬ者があるのである。雹が降って多く積もった雪のようなのは、これは臣下が君主を弑殺しようと欲するのである。雹が降って人の稼をことごとく毀壊するのは、これは君主が春夏の時に乗じて百姓に罪があれば、彼らを捕えて処死するのである。雹が降って同時に霜も降るものは、これは君主が私に邪佞の人に親しみ、事が済んで後にまた彼らを退斥・誅除するのである。雹が地面に落ちてすぐ化けてしまうのは、これは君主が私に邪佞の人に恩を施して下が彼のためにそれを促成したのである。雹が降って形が積水のようなものは、これは臣下が君主を殺害しようと欲するのである。雹が降って芒刺が多く形が雪のようなものは、これは君主が人を害そうと欲してしかも甚だしく害するのである。雹が降って梨のように大きいのは、これは君主が大いに百姓を撹乱して悪行が甚だしいのである。雹が降ってまた同時に風が吹くものは、これは君主の施政が大いに乱れて寒罰が過度で刑責が深すぎるのである。雹が降って形が珠のようなものは、これも君主が人を害そうと欲してしかも甚だしく害するのである。」

《漢書五行志》曰:“大雨雹,常寒之罰。武帝元封三年十二月,雨雹,大如馬頭;宣帝地節四年,山陽、濟陰雨雹,如雞子,深二尺五寸,殺二十餘人,皆霍氏誅征也。”《續漢書五行志》曰:“孝安永初三年,雨雹,大如雁子,傷稼。是時,鄧太后專陽政。”《晉中興書》曰:“太和三年四月,雨雹,是時海西昏亂,相龍朱實等淫逆。太元二十一年四月,雨雹,是時王道子輔政,奸佞競進,烈宗不能禁絕,王室大亂。”《天鏡》曰:“夏雨雹,民飢。”

《漢書・五行志》はいう:「大きな氷雹が降るのは、常寒の罰である。漢の武帝元封三年十二月に雹が降り、大きさは馬頭のようであった。漢の宣帝地節四年、山陽・済陰の一帯に雹が降り、鶏卵のように大きく、深さ二尺五寸積もり、二十余人を打ち殺した。これらは皆、霍氏の一族がまさに誅滅されようとする徴兆である。」霍氏はすなわち霍光の一族で、宣帝の時に外戚として権を専らにし、後に族誅された。《続漢書・五行志》に記す:「漢の安帝永初三年に雹が降り、大きさは雁卵のようで、稼を傷害した。この時、鄧太后は女主の身をもってもともと君主に属する政権を独り占めしていた。」《晋中興書》に記す:「太和三年四月に雹が降った。この時、海西公は昏乱で、相竜・朱実らは淫佚・悖逆であった。太元二十一年四月に雹が降った。この時、会稽王・司馬道子が輔政し、奸佞の徒が競い合って進用され、烈宗・孝武帝は禁絶することができず、王室は大いに乱れた。」《天鏡》はいう:「夏に雹が降れば、百姓が飢饉する。」

氷

《地鏡》曰:“冰以春冰,有兵,其歲不成;冰夏冰,胡兵將起,人民無病而死,大飢,民流;秋冰,下臣憂,大兵起。”《左傳》:“成公十六年春正月,雨木冰,寒過節,冰著樹也。”《谷粱傳》曰:“陰陽失度,時寒過節,雨而木冰,志異也,根枝折。”《墨子》曰:“三苗大亂,天命殛之,夏冰。”京房曰:“夏水冰凍者,國君有疾病,民流亡,五穀不成,人民飢。”《說苑》曰:“秦始皇即位,夏凍。”《地鏡》曰:“水三月至八月忽有冰者,大兵喪。”

《地鏡》はいう:「春に氷が結べば、兵事があり、その年は稼が成らない。夏に氷が結べば、胡人の兵馬がまさに興起し、百姓は病なくても死に、大いに飢饉して、民は流亡する。秋に氷が結べば、下位の臣子に憂患があり、大きな兵事が起こる。」《左伝》に記す:「魯の成公十六年春正月、雨が降って木に氷が着く。これは寒気が時節を超過したので、氷が樹に附着したのである。」《穀梁伝》はいう:「陰陽が常度を失い、当令の寒気が節度を超過し、雨が降って樹木に氷が結ぶ。これは変異を記したもので、樹の根と枝が皆折られた。」《墨子》はいう:「三苗が大いに乱れ、天が彼らを誅滅せよと命じ、夏に氷が結んだ。」京房はいう:「夏に水が氷に結ぶのは、国君に疾病があり、百姓が流亡し、五穀が成らず、人民が飢えることを主る。」《説苑》に記す:「秦の始皇が即位し、夏なのに凍えた。」《地鏡》はいう:「三月から八月の間に水が忽然として氷を結ぶものは、大きな兵災・喪乱があることを主る。」

《漢書五行志》曰:“劉歆云:陽強不下通,陰弛不上達,故雨而木為冰。木,曲直也。劉向以為:水,陰之隆;木,少陽,貴臣象。此人將有害,則陰氣脅木。叔孫喬如出奔,公子偃誅死,公見執辱之異也。”或曰:“長老名木,水為木介,介甲兵象也。”《晉中興書》曰:“大興三年二月,雨木冰,其後有王敦之難。”京房《易候》曰:“夏而凍,其鄉有流亡。”《地鏡》曰:“水冬不冰,易王,或飢兵。”

《漢書・五行志》に記す:「劉歆はいう:陽気が強盛で下に貫通できず、陰気が鬆弛して上に通達できないから、雨が降って樹木が氷に結ぶ。木の徳性は曲がることも直なることもできる。劉向は認めるに:水は陰気の極盛、木は少陽に属し、貴臣の象徴である。貴臣にまさに禍害があらんとすれば、陰気は木に属する象を脅迫する。後に叔孫僑如が出奔し、公子偃が誅されて死に、成公が拘執されて辱められたのが、この変異の応験である。」或る人はいう:「年高・徳劭の人を木と称し、水が木に凝るのを木介と呼び、介はすなわち甲で、甲兵の象徴である。」《晋中興書》に記す:「大興三年二月、雨が降って樹木に氷が結んだ。その後、王敦の乱が発生した。」京房の《易候》はいう:「夏なのに凍えれば、その地方に流亡の事がある。」《地鏡》はいう:「水が冬になっても氷が結ばなければ、君王を更換し、あるいは飢饉・兵禍があることを主る。」

寒

京房曰:“有德遭險,茲謂逆命,厥異寒。”《洪範五行傳》曰:“聽之不聰,是謂不謀,厥罰恆寒。”《晉中興書》曰:“大興四年冬,大寒,民凍死。是時,王敦肆亂而天子不能禁,任意,專殺戮,及忠良。”京房《易候》曰:“夏有遺冬,人民行訴;夏而欠寒,其國有急;冬而不凍澤,其鄉有疾疫;冬至後十日不凍者,人君不行,刑不嚴;一曰:緩死罪,不誅。”

京房はいう:「徳ある人がかえって険難に遭うのは、これを天命に違逆すると謂い、その変異は異常な寒冷である。」《洪範五行伝》はいう:「事を聴くに聡敏でないのは、これを善く謀らないと謂い、その罰は常に寒冷である。」《晋中興書》に記す:「大興四年の冬に大寒があり、百姓が凍死した。この時、王敦は肆図に乱をなして天子は禁止することができず、彼は意のままに妄為し、殺戮を専らにし、忠良の士にまで及んだ。」京房の《易候》はいう:「夏にまだ冬の寒気が残留していれば、百姓は出て訴えに行く。夏に暑いべきなのにかえって寒ければ、その国家に急難がある。冬に湖沢が凍らなければ、その地方に疾疫がある。冬至以後十日たっても氷が結ばないのは、君主の政令が推行できず、刑罰が厳でない。別の説では、死罪を寛緩して誅殺を加えない。」

霧

《元命包》曰:“陰陽亂為霧。”《莊子》曰:“騰水上溢,故為霧。”《爾雅》曰:“地氣發,天不應,曰霧。”董仲舒曰:“太平之世,霧不塞望。”東方朔曰:“凡霧氣,不順四時,逆相交錯,微風小雨,為陰陽氣亂之象,從寅至辰巳上,周而復始,為逆者不成,積日不解,晝夜昏暗,天下欲分離。”《京房易候》曰:“甲乙有霧,疾疫;丙丁有霧,旱;戊己有霧,鄰國有城拔,無軍,有土功事;庚辛有霧,兵;壬癸有霧,為水。冬霧及其門,日懸而霧,馬馳人起,不雨霧曰兵所走。”

《元命包》はいう:「陰気と陽気が錯乱すれば霧となる。」《荘子》はいう:「水気が昇騰して上に漫溢するから、霧となる。」《爾雅》はいう:「地気が昇発して、天気がそれに応じないのを霧という。」董仲舒はいう:「太平の世では、霧は人の視野を塞がない。」東方朔はいう:「およそ霧気は、四季の常度に順応せず、逆行して交錯し、また微風・小雨がある。これは陰陽の二気が錯乱する徴象である。寅の時から辰の時・巳の時に及び、周而復始すれば、叛逆を図謀する者が事成らないことを主る。もし连日散らず、昼夜昏暗ならば、天下がまさに分裂・離析せんとすることを主る。」《京房易候》はいう:「甲の日・乙の日に霧があれば、疾疫を主る。丙の日・丁の日に霧があれば、旱を主る。戊の日・己の日に霧があれば、隣国に城池が攻め拔かれることを主り、もし兵を動かさなければ、土木の工事の事がある。庚の日・辛の日に霧があれば、兵事を主る。壬の日・癸の日に霧があれば、水災を主る。冬の霧が門前に漫じ、太陽がすでに高く懸かっても霧が散らなければ、馬が馳せ人が起つ・兵事が騒動することを主る。雨を降らせずして霧を起こすのは、兵衆が奔走することを謂う。」

《帝王世紀》曰:“黃帝五十年秋七月庚申,天大霧三日三夜,霧除,帝遊洛水之上,見大魚負圖書,今《河圖帝視萌》篇是也。”《河圖》曰:“山,冬大霧十日以上不除者,山崩之候也。山,水脈也。”郗萌曰:“凡霧四合,有虹各見其方,隨四時凶氣,青黃更相掩。”《運斗樞》曰:“四獨霧下,天下寬。”《晉書天文志》曰:“晝霧夜明,臣志得伸。”《孝經洞寶冊》曰:“世無道,皇不用孝,法去兵經,五霧並起,蒼蒼鬱鬱淫淫,蔽四方。”

《帝王世紀》に記す:「黄帝五十年秋七月庚申の日、天に大霧が三日三夜降った。霧が除いた後、黄帝は洛水の上を游賞し、大魚が図書を負って現れるのを見た。それが現在の《河図帝視萌》篇である。」《河図》はいう:「山上に冬に大霧が起こり、十日以上散らないのは、山がまさに崩塌せんとする徴候である。山とは、水気の脈絡である。」郗萌はいう:「およそ霧が四面から合囲し、また虹が各々の方位に現れれば、四季の主する凶気に随って占断し、青色と黄色が交替して掩映する。」《運斗枢》はいう:「四方に独り霧が降れば、天下は寛舒である。」《晋書・天文志》はいう:「昼に霧があり夜が明朗ならば、臣子の志向が伸ばすことができることを主る。」《孝経洞宝冊》はいう:「世に道なく、君王が孝道を行わず、法度が廃弛し兵書が廃置されれば、五色の霧がいっしょに湧き起こり、蒼蒼鬱鬱・淫淫として絶えず、四方を遮蔽する。」

《天鏡》曰:“天雨霧如黃土,百姓勞苦、奔亡、不安,名曰黃霧。”《漢書元后傳》曰:“成帝時,王大弟封侯,其夏,黃霧四塞終日。”《晉中興書》曰:“大寧元年,黃霧四塞,王敦之應。成和元年,大霧,步武不相見,會稽王道子專政之應也。”《陸機別傳》曰:“機被誅日,大風折木,天地霧合。”《兵書》曰:“白霧四面圍城,必有兵到城下,不出其日。”《史記》曰:“上至平城,匈奴圍王,七日大霧,漢使人來往,胡不覺。”《抱朴子》曰:“白霧四面圍城,不出百日,大兵至城下。”

《天鏡》はいう:「天から降る霧が黄土の色のようであれば、百姓が労苦し、奔逃・流亡し、安寧を得ないことを主る。この種の霧を『黄霧』と呼ぶ。」《漢書・元后伝》に記す:「漢の成帝の時、王氏の諸弟が侯に封ぜられ、その年の夏、黄霧が終日弥漫して四塞した。」《晋中興書》に記す:「太寧元年、黄霧が四塞した。これは王敦が乱をなす応験である。咸和元年に大霧があり、半步の距離でも互いに見えなかった。これは会稽王・司馬道子が権を専らにする応験である。」《陸機別伝》に記す:「陸機が殺された日、大風が樹木を折り、天地の間は霧気が合囲した。」《兵書》はいう:「白霧が四面から城池を囲めば、必ず兵馬が城下に開き、当日を出ずして至る。」《史記》に記す:「皇上が平城に至り、匈奴に囲まれた時、七日の大霧で、漢の使者は霧の中を往来しても、匈奴人は皆察しなかった。」《抱朴子》はいう:「白霧が四面から城を囲めば、百日を出ずして、大軍が城下に開き至る。」

《黃帝》曰:“霧者,百邪之氣,陰來昌陽,奸臣擅君權立威。”《荊州占》曰:“晝霧夜明,臣志得伸;夜霧晝明,臣志不伸;霧終日終時,君有憂色;黃,小雨。”郗萌曰:“霧從夜半至日中不解,遂上為霧,君不悟,行邪政於百姓,過日中而似雨,強氣所避。”《河圖》曰:“霧乍散,臣欲謀君,為逆者不成,自亡。”《荊州占》曰:“凡霧氣四方俱起,百步不見人,名曰昏,不有破國,必有滅門。”甘氏曰:“霧,秋以庚申、辛酉日,氣色白,東行為利客,先舉兵者勝,後舉兵者敗。”巫咸曰:“霧,夏以丙丁、巳午日,赤黃氣,西行為利客,主人凶。”《海中占》曰:“霧,冬以壬癸、亥子日,氣青黑色,南行,興軍動眾。”

《黄帝》はいう:「霧は諸々の邪気の結んだもので、陰気が来て陽気を侵奪し、奸臣が君権を擅り奪い個人の威勢を立てることを主る。」《荊州占》はいう:「昼に霧があり夜が明朗ならば、臣子の志向が伸ばされることを主る。夜に霧があり昼が明朗ならば、臣子の志向が伸ばされないことを主る。霧が終日・終時散らなければ、君主が憂いの色を帯びることを主る。霧の色が黄であれば、小雨があることを主る。」郗萌はいう:「霧が夜半から日中まで散解せず、引き続き上に昇騰して霧となるのは、これは君主が覚悟せず、百姓に邪僻の政令を施行するのである。日中を過ぎて雨の降りそうになるのは、強盛の気に回避されたのである。」《河図》はいう:「霧が忽ち散じ忽ち起これば、臣下が君主を図謀しようとすることを主り、乱をなす者は事成らず、自ら亡びる。」《荊州占》はいう:「およそ霧気が四方からいっしょに湧き起こり、百歩以外に人が見えなければ、これを『昏』と名づけ、国家の破亡があるか、必ず家族の滅門がある。」甘氏はいう:「霧が秋季に庚申・辛酉の日に現れ、気色が白を発し、東に向かって行くのは、客軍に利あり、先に兵を起こす方が勝ち、後に兵を起こす方が敗れる。」巫咸はいう:「霧が夏季に丙丁の日・巳午の日に現れ、気が赤黄色を呈し、西に向かって行くのは、客軍に利あり、守る方は凶である。」《海中占》はいう:「霧が冬季に壬癸の日・亥子の日に現れ、気が青黒色を呈し、南に向かって行くのは、師を興し衆を動かすことを主る。」

露

《元命包》曰:“陰陽散為露。”曾子曰:“陽勝則散為露。”蔡氏《月令》曰:“露者,陰液也,曎為露。”《論衡》曰:“露,秋氣所生也。”《易通卦驗》曰:“立秋,白露下。”《元命包》曰:“露以潤草。”《運斗樞》曰:“天樞得則甘露濁。”《五經通義》曰:“和氣津凝,為露從地出。”《禮運》曰:“聖王所以為而弗悖也,天降甘露,地出醴泉。”《命曆序》曰:“桀紂無道,露冬下。”《呂氏春秋》:“伊尹說湯曰:水之美者,三危之露;和之美者,雩揭之露,其色紫。”《地鏡》曰:“圖視山川,多露無霜者,其下有美玉。”《瑞應圖》云:“耆老得敬,則柘受甘露;尊賢愛老,不失細微,則竹葦受甘露。”

《元命包》はいう:「陰気と陽気が消散すれば露となる。」曽子はいう:「陽気が陰気に勝てば、散じて露となる。」蔡氏の《月令章句》はいう:「露は陰の津液で、融け釈して露となる。」《論衡》はいう:「露は秋気の生ずる所である。」《易通卦験》はいう:「立秋のこの節気に、白露が降りる。」《元命包》はいう:「露は草木を潤すために用いられる。」《運斗枢》はいう:「北斗第一星・天枢の運行が当を得れば、甘露が濃厚になる。」《五経通義》はいう:「和気の津液が凝聚し、露となって地の上から生ずる。」《礼記・礼運》はいう:「聖王の為す所が常理に悖らないのは、天が甘露を降し、地が醴泉を湧き出すからである。」《命暦序》はいう:「夏の桀・商の紂は道がなく、露が冬に降った。」《呂氏春秋》に記す:「伊尹は商の湯を説いていう:水の中で最も美しいのは三危山の露。味を調えるに最も美しいのは雩掲山の露で、その色は紫を発する。」《地鏡》はいう:「図に拠って山川を察し、露が多くて霜のない地方は、その下に美玉が蔵されている。」《瑞応図》はいう:「年高の人が敬重を得れば、柘の樹が甘露を受ける。賢者を尊崇し老人を愛護し、細微の処も遺漏しなければ、竹と芦が甘露を受ける。」

霾 噎(噎、于計切、陰にして風なり)

《爾雅》曰:“風而雨土,為霾。”郝萌曰:“凡天地四方,昏蒙若下塵,十五日以上,或一月,或一時,雨不沾衣而有土,名曰霾。故曰:天地霾,君臣乖,若不大旱,外人來。”《爾雅》曰:“陰而風為噎。”《說文》曰:“噎,天地陰沉也。”《紀年》曰:“帝辛受時,周大噎。周昭王十九年,天大噎,雉兔皆震。惠成王元年,晝晦。十六年,邯鄲四噎,室多壞,民多死。”

《爾雅》はいう:「風が吹きまた塵土が落ちるのを霾とする。」郝萌はいう:「およそ天地四方が昏蒙として塵を下すがごとく、十五日以上続き、あるいは一箇月、あるいは一時節続き、落ちるものは衣裳を沾さずに泥土を帯びれば、これを『霾』と名づける。故にいう:天地に霾が起これば、君臣が乖違することを主り、もし大旱を鬧らさなければ、外敵の到来がある。」《爾雅》はいう:「天が陰ってまた風が吹くのを噎という。」《説文解字》はいう:「噎とは、天地が陰沈することである。」《竹書紀年》に記す:「帝辛・紂が位に在る時、周の地に大噎があった。周の昭王十九年、天に大噎があり、雉と兎が皆驚き震動した。梁の恵成王元年、白昼が昏暗であった。十六年、邯鄲に四面の昏噎があり、房屋に毀壊が多く、百姓に死亡が多かった。」

霰

《說文》曰:“霰,稷雪也。從雨,散聲。”《釋名》曰:“霰,星也。水雪相搏,如星而霰。”曾子曰:“陰之專氣為霰。”《爾雅》曰:“霰為消雪。”郭璞注云:“霰水雪雜下,故為消雪也。”《毛詩》曰:“如彼雨雪,先集維霰。”注云:“霰,暴雪也。或云:雪上遇溫氣而搏之,霰也。”

《説文解字》はいう:「霰とは、稷米のような雪粒である。字形は雨に従い、散が声である。」《釈名》はいう:「霰とは星である。水と雪が相撃搏し、粒が星子のようだから、霰と呼ぶ。」曽子はいう:「陰気が専らに凝聚すれば霰となる。」《爾雅》はいう:「霰は消雪である。」郭璞の注はいう:「霰は水と雪が雑り合って降るから、消雪と呼ぶ。」《毛詩》はいう:「あの雪の降る前のように、先に集まるのは霰である。」注文はいう:「霰は急遽の雪である。別の説では、雪が上層で暖気に遭って搏し結ばれて粒となるのが霰である。」

霽

《說文》曰:“霽者,雨止也,雲罷貌。”《晉中興徵祥說》曰:“咸和四年,陰霖五十餘日,蘇峻滅後,乃霽。”《魏略五行志》曰:“延康元年,大霖雨五十餘日,魏有天下乃霽,將受大祚之應也。”

《説文解字》はいう:「霽とは、雨が止むことで、雲が散開する貌である。」《晋中興征祥説》に記す:「咸和四年、陰雨が連綿と五十余日続き、蘇峻が消滅されて後、天は乃ち晴れた。」《魏略・五行志》に記す:「延康元年、大雨が連なり五十余日降り、魏が天下を取得して後に天は乃ち晴れた。これはまさに大命を承けようとする応験である。」

蒙

《釋名》曰:“蒙,日不明,蒙,濛濛然也。”京房曰:“臣私祿及親,茲謂罔闢,厥異蒙行。善不請於上,茲謂祚福,蒙一日五起五解,闢不謀臣,臣闢異道,上蒙下霧;立嗣子疑,茲謂動欲,蒙赤,日不明;利邪以食,茲謂閉上,蒙大起,日不見,若雨不雨,十二日解;祿生於下,茲謂誣君,蒙微而小雨,已乃大雨;下相攘善,茲謂盜明,蒙黃濁;下陳功於上,茲謂不知,蒙微而赤,風鳴條,夜復蒙,不解。”

《釈名》はいう:「蒙とは、太陽が明るくないこと。蒙とは、蒙蒙として昏暗の様子である。」京房はいう:「臣子が俸禄を私に親属に分けるのは、これを君主を目にかけないと謂い、その変異は蒙気が流行することである。好事を行って君上に禀報しないのは、これを福分を窃取すると謂い、蒙気は一日の内に五次興起し五次消解する。君主が臣下と商議せず、君と臣が各々その道を行えば、上は蒙・下は霧となる。継嗣の子を立てるに猶豫・不決なのは、これを心が動き欲が生ずると謂い、蒙気は赤を発し、太陽が明るくない。邪佞の利のために食禄を聚斂するのは、これを君上を蒙蔽すると謂い、蒙気が大いに起こり、太陽が見えず、雨が降りそうで降らず、十二日にして消解する。俸禄が下から私に生ずるのは、これを君主を欺罔すると謂い、蒙気は輕微で小雨を降らせ、続いて大雨を降らせる。下が互いに他人の善行を攘奪するのは、これを光明を窃取すると謂い、蒙気は黄を発して渾濁する。下が君上に自分の功労を陳述するのは、これを君上が情を知らないと謂い、蒙気は輕微で赤を発し、風が吹いて樹枝を鳴らし、夜にまた蒙が起こり、消散しない。」

《春秋潛潭巴》曰:“大蒙三十日,群猾起。”《抱朴子》曰:“若蒙氣圍城,或入於城,則外兵得入;若蒙氣從內出,主人出戰。”《尚書中候》曰:“桀無道,地吐黃,黃是蒙也。”《禮記月令》曰:“仲冬行夏令,氣蒙冥冥。”《演孔圖》曰:“猾待期,則赤蒙沾冠。”《黃帝占》曰:“凡連陰十日,晝不見日,夜不見月,亂風四起,欲雨而無雨,名曰蒙,臣謀君。故曰:久陰不雨,臣謀主。”郗萌曰:“濛霧者,邪氣也,陰來沖陽,奸臣謀君,在天為蒙,在人為霧。日月不見,為蒙;前後人不相見,為霧。”《荊州占》曰:“夜蒙晝明,臣謀政;晝霧夜明,臣得伸志。”

《春秋潜潭巴》はいう:「大蒙が三十日続けば、群れたる奸猾の徒がまさに発難せんとする。」《抱朴子》はいう:「もし蒙気が城池を囲み、あるいは城の中に潜り入れば、城外の兵が攻め入ることができる。もし蒙気が城内から外に現れ出れば、城を守る側が出戦するのである。」《尚書中候》はいう:「夏の桀は道がなく、大地が黄気を吐き、この黄気が蒙である。」《礼記・月令》はいう:「仲冬の十一月にもし夏に属する政令を施行すれば、気は蒙蒙として昏暗になる。」《演孔図》はいう:「奸猾の徒が時機を待てば、赤色の蒙気が人の衣冠を沾す。」《黄帝占》はいう:「およそ陰天が十日連なり、昼に太陽が見えず、夜に月が見えず、乱風が四方から起こり、雨が降りそうでまた降らなければ、これを『蒙』と名づけ、臣下が君主を図謀することを主る。故にいう:久しく陰って雨が降らないのは、臣下が君主を図謀するのである。」郗萌はいう:「蒙と霧は皆、邪気で、陰気が来て陽気を冲犯し、奸臣が君主を図謀することを主る。天にあるのを蒙と呼び、人の間にあるのを霧と呼ぶ。日月が見えないのが蒙。前後の人が互いに見えないのが霧である。」《荊州占》はいう:「夜に蒙が起こり昼が明朗ならば、臣下が政権を図謀することを主る。昼に霧が起こり夜が明朗ならば、臣子が志向を伸ばすことができることを主る。」

開元占経巻一百零二

雷

《易說卦》曰:“震為雷,動萬物者,莫疾乎雷。”《河圖始開圖》曰:“陰陽相薄為雷。”《河圖帝通紀》曰:“雷,天地之鼓也。”《洪範五行傳》曰:“雷者,諸侯之象也。”《河圖》曰:“黃帝以雷精起。”《尚書中候》曰:“秦穆公出狩,天震大雷,下有火,化為白雀,銜丹書,集公車。”《史記》曰:“高祖母劉媼,嘗息大澤之陂,夢與神遇,時雷霆冥晦,見蛟龍於其上,已而有娠,遂產高祖。”《元命包》曰:“陰陽為雷。”

《周易・説卦伝》はいう:「震卦は雷を象徴し、万物を鼓動するのに、雷より迅疾なものはない。」《河図始開図》はいう:「陰気と陽気が相迫撃すれば雷となる。」《河図帝通紀》はいう:「雷は天地の鼓である。」《洪範五行伝》はいう:「雷は諸侯の象徴である。」《河図》はいう:「黄帝は雷の精気に凭って興起した。」《尚書中候》に記す:「秦の穆公が外出して狩猟した時、天に大雷が震響し、下に火があり、白雀に化して、丹書を銜え、穆公の車に集まった。」《史記》に記す:「漢の高祖の母・劉媼は、かつて大沢の岸辺で休息し、夢に神と遇い、その時雷電が交り作り天色が晦暗で、蛟龍が彼女の上に現れ、この後妊娠し、すなわち高祖を産んだ。」《元命包》はいう:「陰気と陽気が相激して雷となる。」

京房曰:“凡雷者,陰陽合和,震動萬物,使各戴其元而起,故雷以動,聞百里,或聞七十里,或聞五十里,或聞二十里,各應其德而起,以應人君行之動靜。或雨且雷,和氣令雷,聲或殷殷轢轢,風雨微,皆陰陽和,利稼之雨,象君臣百姓和合也。”《論衡》曰:“圖畫之士,圖雷之狀,累累如連鼓形,又圖一人若力士之容,謂之雷公。”京房曰:“雷者,月當有效於消息,以為主聲聞於人,雷之為政,大壯始,君臣強,從解起。”《風俗通》曰:“雷已發聲,作醬,令人腸中雷鳴,故雷不作醬也。”

京房はいう:「およそ雷は、陰陽の二気が交合・調和し、万物を震動し、万物をして各々その元気を頂いて生発せしめる。故に雷が一たび発動すれば、あるものは百里以内に聞こえ、あるものは七十里、あるものは五十里、あるものは二十里で、各々その徳の厚薄に拠って発作し、もって君主の行事の動静に対応する。ある時は一方で雨を降らせ一方で雷を鳴らすのは、和気が雷に声を発せしめるので、雷の声が殷殷隆隆として、風雨は皆大きくなく、これは皆、陰陽が調和し稼に利ある雨で、君臣・百姓が和睦・融洽するのを象徴する。」《論衡》はいう:「画を描く士が雷の様子を描く時、累々として連なった鼓の形に描き、また一人の人を力士の模様に描き、彼を雷公と称する。」京房はいう:「雷は毎月の消息・盈虚の中に応験を顕すべく、その声を人間に伝える。雷の主する政事は、大壮卦から始まり、君臣が皆強盛で、続いて解卦から発動する。」《風俗通》はいう:「雷がすでに声を発した後に醤を作ると、人の腹の中に雷鳴のように鳴り響くことがあるから、雷が鳴る時は醤を作らない。」

京房曰:“雷起乾宮,人民多疾病;雷起坎宮,國邑多雨;雷起艮宮,禾好枲長,五穀賤;雷起震宮,五穀暴貴,多傷;雷起箕宮,雨霜傷五穀;雷起離宮,夏少水,旱,蝗蟲;雷起坤宮,蝗蟲害五穀;雷起兌官,兵起,銅鐵貴;雷起水門,流潦滂沱;雷起天門,人不安;雷起石門,蝗蟲食,大凶;雷起木門,棺木貴,歲大熟;雷起風門,霜禾傷;雷起金門,銅鐵貴;雷起火門,夏旱,蝗蟲食;雷起土門,五穀賤,魚不長;雷起鬼門,人民常暴死。

京房はいう:ここの乾・坎・艮・震・離・坤・兌は八卦の配する方位で、箕は箕宿の当たる方位を指す。水門・天門以下の諸々の「門」は、式盤の上に五行・八方に拠って立てた門戸の名である。雷が乾宮の方位から発すれば、百姓に疾病が多い。坎宮から発すれば、国邑に雨が多い。艮宮から発すれば、禾苗が良く育ち麻が高く伸び、五穀の値が賤い。震宮から発すれば、五穀の値が暴騰し、損傷が多い。箕宮から発すれば、雨・霜が五穀を損傷する。離宮から発すれば、夏に水が少なく、旱し、蝗虫が生ずる。坤宮から発すれば、蝗虫が五穀を危害する。兌宮から発すれば、兵事が興起し、銅・鉄の値が貴い。雷が水門から発すれば、積水が滂沱として災いをなす。天門から発すれば、人心が安まらない。石門から発すれば、蝗虫が稼を食い、大凶である。木門から発すれば、棺木の値が貴く、年成が大熟する。風門から発すれば、霜が凍って禾を傷つける。金門から発すれば、銅・鉄の値が貴い。火門から発すれば、夏に旱し、蝗虫が苗を食う。土門から発すれば、五穀の値が賤く、魚が成長しない。鬼門から発すれば、百姓に常に暴死がある。

春始雷東方,東方五穀盡熟,人民蕃殖,以夜雷,歲半熟;雷始南方,歲小旱,夜雷,大旱,糴倍,種不成;雷始西方,谷小熟,有蟲,夜雷,六畜病;雷始西方,五穀不熟,有曝骨其野,馬牛大病,夜雷,赤地千里,糴貴;雷始北方,海水出,百川皆流溢,五穀不成,夜雷,百川皆溢。春不雷而霜,樹木以風落,皆為人疾病。

以下もなお京房の言である:春に第一声の雷が東方で鳴り響けば、東方の五穀が皆熟れ、人口が繁衍する。もし夜に雷を鳴らせば、年成は半分しか熟れない。第一声の雷が南方から起これば、年成に小旱があり、もし夜に雷を鳴らせば、大旱で、糧価は倍加し、種子も成り立たない。第一声の雷が西方から起これば、穀物は僅かに収穫があるが虫害を生ずる。もし夜に雷を鳴らせば、六畜が病む。第一声の雷が西方から起これば(底本重出)、五穀が熟さず、野外に暴露の白骨があり、馬牛に大病がある。もし夜に雷を鳴らせば、赤地千里で、糧価が貴い。第一声の雷が北方から起これば、海水が漫出し、百川が皆泛濫・漫溢し、五穀が成らない。もし夜に雷を鳴らせば、百川が全て漫溢する。春に雷を鳴らさずして霜が降れば、樹木は風に枝葉を落とされ、これらは皆、人が疾病を生ずることを主る。

春三月,甲子、己壬、戊寅、辛卯、戊午,有雷霹靂石,其下有兵;春夏甲子、丙寅、戊子,有雷殺人,有將軍在外大戰,期不出三十日;夏三月,雷電不聞,多疾病,害五穀;夏三月甲子、己壬、戊寅、辛卯,疾風雷,其在城壞軍,在外大戰。戊子雷,雲露變,土易民,以其雷入月深淺,日當一月,或當一歲,不出其月,必有亡國、死王;庚子雷,必有惡令,期不出三十日,或日有令;庚午日雷,不出其月,兵起;甲子雷,亦兵矣。春己壬、丁壬,夏甲午、壬戌、己亥、丁未,冬甲寅。

以下もなお京房の説を承ける:春季三月の中に、甲子・己壬・戊寅・辛卯・戊午のこれらの日にあたり、雷が石を劈き裂けば、その下に兵事がある。春夏の交に甲子・丙寅・戊子の日にあたり、雷が人を撃ち殺せば、将軍が外にあって大戦することを主り、期限は三十日を出ない。夏季三月に雷電の声が聞こえなければ、疾病が多く、五穀を損害する。夏季三月に甲子・己壬・戊寅・辛卯の日にあたり、疾風・迅雷が起これば、城中では軍隊を毀壊し、外では大戦がある。戊子の日に雷を鳴らせば、雲気・露水が変異し、土地は主を易え百姓は遷徙する。雷がこの月に入る深浅に拠って推算し、一日をもって一箇月に当てることもでき、一年に当てることもでき、当月を出ずして、必ず亡国・死王の事がある。庚子の日に雷を鳴らせば、必ず暴虐の政令があり、期限は三十日を出ず、あるいは当日に号令が頒下される。庚午の日に雷を鳴らせば、当月を出ずして、兵事が興起する。甲子の日に雷を鳴らせば、また兵事を主る。春の己壬・丁壬の日、夏の甲午・壬戌・己亥・丁未の日、冬の甲寅の日も、皆、この類の応候の日に属する。

又曰:春戊寅,夏戊申,冬戊子,不雨而雷,雷之所建有所將流血。戊子雷,雨三日止,其下大戰,不雨而雷,外兵必歸,不雨而雷,兵起必阻。王者動事不時,正月大雷;動事不明,但雷而不電。當雷不雷,太陽弱,此君弱臣強,臣奪君政,故春分之後,雷不發聲,君當揚威武,退強臣,正治道,當發聲矣。人神德隆,雷鳴盛春。秋分雷,春分不雷;秋分不雷,春分雷。春過一日,秋亦過一日。春雷不發,秋雷不藏,君死國亡。冬雷上朔,皆為所當之鄉,骸骨盈野,夜雷亦然。冬雷者,陽氣之盛應之,各以雷之日,知何方鳴。東方各以其辰為方。冬三月,有大雷聞千里者,人君絕令;霹霹者,以兵去;溫者,以弱去矣。天冬雷,地必震,教令撓,則冬雷,民飢。冬雷不蟄,茲謂自藏,萬物化不成。”

またいう:春の戊寅の日、夏の戊申の日、冬の戊子の日に、雨を降らせずして雷を鳴らせば、雷の指す方位にまさに流血があろう。戊子の日に雷を鳴らし、三日雨を降って止めば、その地に大戦がある。雨を降らせずして雷を鳴らせば、外の軍隊は必ず回師する。雨を降らせずして雷を鳴らせば、兵を興すも必ず阻まれる。君王が事を挙げて時宜に合わなければ、正月に大雷が鳴る。事を挙げて明智でなければ、雷を鳴らすだけで電を発しない。雷の鳴るべき時に鳴らないのは、太陽の気が衰弱で、これは君が弱く臣が強く、臣下が君主の政権を奪ったからである。故に春分以後に雷がなお声を発しなければ、君主は威武を振揚し、強横の臣を斥退し、治国の道を端正すべきで、そうすれば雷は声を発する。人と神の徳が隆盛ならば、雷は盛春の時節に鳴り響く。秋分に雷を鳴らせば、春分に雷を鳴らさない。秋分に雷を鳴らさなければ、春分に雷を鳴らす。春が一日推遅すれば、秋も一日推遅する。春雷が発せず、秋雷が蔵せなければ、君主が死に国家が亡ぶことを主る。冬に朔日に雷を鳴らせば、皆、雷の対するその地方に応じ、骸骨が野に満ちる。夜に雷を鳴らすのも同じである。冬に雷を鳴らすのは、陽気の過盛の応験で、各々雷を鳴らす日辰に拠れば、どの方が鳴り響くかを知ることができる。東方の各々はそれの属する辰位をもって方位を定める。冬季三月の中に、大雷が千里の外にまで響くものは、君主の政令が断絶することを主る。霹靂するものは、兵事がそれに随って去る。温和な雷は、勢い弱く收まる。天に冬雷があれば、地に必ず地震がある。教化・政令が撹乱すれば、冬雷が起こり、百姓が飢饉する。冬に雷を鳴らして虫豸が蟄伏しなければ、これを自蔵と謂い、万物の化生は成就できない。」

《天官書》云:“無雲而雷,是謂天狗,所當之國,必有甲兵,王國偏虛。冬雷而星下,胡蠻之王死中野;不雷而星下,其國兵起。又曰:冬雷而星不下,當日之國王死其所;冬雷屈折,不及三年,有兵喪,有更政;天無雲而雷者,此君無恩澤於百姓,國將易君,萬人不靜,小人失命,雷聲掩掩,狀如欲息,雨疏無風,此人君深念憂百姓。又曰:雷或一聲而止,此人君出令重也。雷而不雨,此人君欲動,其事無補於百姓,有風,令行;無風,令不行。

《史記・天官書》はいう:雲なくして雷を鳴らすのは、これを「天狗」と謂い、それが対応する国家に必ず甲兵の事があり、王国はこれによって偏枯・空虚となる。冬に雷を鳴らして星が墜落すれば、胡蛮の君王が荒野で死ぬ。雷を鳴らさずして星が墜落すれば、その国家に兵事が興起する。またいう:冬に雷を鳴らして星が墜落しなければ、当値するその日の主する国家の君王が彼自身の処所で死ぬ。冬雷が曲折・断続すれば、三年に及ばずして、兵事・喪乱があり、政権の更替がある。天に雲なくして雷を鳴らすのは、これは君主が百姓に恩沢なく、国家がまさに君主を更換し、万民が安寧を得ず、小人が命を喪うことを示す。雷の声が隠隠として、止まらんと欲する様で、雨が疏らで風がなければ、これは君主が深く百姓を憂念するのである。またいう:雷が一声のみ響いて止むのは、これは君主の発する号令が厳重である。雷を鳴らして雨を降らせないのは、これは君主が挙動せんと欲するが、その事は百姓に対して補益がない。同時に風があれば、号令は推行できる。風がなければ、号令は推行できない。

雷風雨霹靂丘陵者,逆先人之令;雷或霹靂,大風甚雨,發屋折木,此皆小人處位,賢士隱;雷雨大風霹靂,此皆人君用讒言,刑殺正人。上下不和,歲少雷。雷不雨者,有聲無實也,士走。霹靂,破害也。賢人興道,雷止其處,不然夜半雷,一聞其聲,若電無雷,皆為人君絕令,一名枉矢。雷或霆,此人君動令,下不蔽欺明君。雷,蛟龍出,國有賢士,止言不詘者,陰中陰也。

雷・風・雨・霹靂が丘陵の上に打つのは、先人の法令に背逆したのである。雷が時に霹靂を挟み、大風・暴雨で、房屋を掀き倒し樹木を折れば、これは皆、小人が高位を窃び据え、賢士が隠退したのである。雷雨・大風に霹靂を加えるのは、これは皆、君主が讒言を聴用し、正直の人を刑殺したのである。上下が和睦しなければ、一年の中に雷が少ない。雷を鳴らして雨を降らせないのは、声があって実がなく、士人が出走することを主る。霹靂とは、破壊・損害である。賢人が正道を興せば、雷は彼のある所で止まる。さもなくば夜半に雷を鳴らし、一声を聞くだけで再び聞かず、あるいは電はあって雷がなければ、皆、君主の政令が断絶することを主り、この情形をまた「枉矢」と名づける。雷が時に霆に化するのは、これは君主が号令を発布し、下が明君を蒙蔽・欺瞞できないのである。雷を鳴らす時に蛟龍が現れれば、国の中に賢士があることを主る。言を進めて屈従しようとしない者は、陰の中の陰である。

雷之發聲,於坎多水,於艮山崩,於震多風,於箕必大風起,於離大旱,於坤土功,於兌兵起,於乾天象。雷聲或格格,雨下籍籍,此人君施,百姓侮之。雷聲深轢轢,狀如欲伏,雨疏無風者,此人君深憂念百姓。入震卦,雷一聞聲後不復聞,若有電無雷,皆為人君絕令,亦名枉矢。雷如聚火而徙,此人君且絕之象。雷電皆生火,有所擊,極陰生陽也。雷或霹靂無風雨者,此皆剛柔不均,激氣並作,此君臣相忿爭,惡令暴出。雷或霹靂甚大風雨俱至者,此皆亂令大作,以動百姓。雷聲或在南,或在北,或在西,或在東,此人君為政不知所去就也。先雷後雨,不溼土;先雨後雷,屋舍崩潰。”

雷が声を発するのに、坎位では水が多く、艮位では山崩を主り、震位では風が多く、箕位では必ず大風が起こり、離位では大旱を主り、坤位では土木の工事を主り、兌位では兵事の興起を主り、乾位では天象の変異を主る。雷の声が格格と響き、雨の降るが紛紛籍籍たるのは、これは君主が施為する所がありながら百姓が彼を軽侮するのである。雷の声が深く隆隆として、伏せんと欲する様で、雨が疏らで風がなければ、これは君主が深く百姓を憂念するのである。震卦の時位に入ると、雷は一声を聞いた後再び聞かず、あるいは電はあって雷がなければ、皆、君主の政令が断絶することを主り、また「枉矢」と名づく。雷が聚まった火のように移動するのは、これは君主がまさに政令を断絶せんとする象徴である。雷と電は皆火を生じることができ、およそ撃つ所があれば、陰が極まりて陽を生ずる。雷が霹靂を挟んで風雨がないものは、これは皆、剛柔が均ならず、激蕩の気がいっしょに発作し、君臣が互いに忿争い、暴虐の号令が突然発せられることを主る。雷が霹靂を挟んで狂風・暴雨がいっしょに至るものは、これは皆、乱命が大いに行われ、もって百姓を驚扰するのである。雷の声がある時は南に、ある時は北に、ある時は西に、ある時は東にあるのは、これは君主が政事を処理するに取るべき捨てるべきを知らないのである。先に雷を鳴らして後に雨を降らせば、雨は泥土を沾すことができない。先に雨を降らせて後に雷を鳴らせば、屋舎が崩塌する。」

《師曠占》曰:“春雷始起,其音柏柏格格霹靂者,謂雄雷,旱氣也。其鳴依依音音不大霹露者,謂雌雷,水氣也。春不雨,有雷音在地中,其所有兵起其下。”《禮記月令》曰:“春日夜分,雷乃發聲,有不戒其客止者,生子不備必有凶災。”《天鏡》曰:“冬震,兵飢。”《晉中興書》曰:“昇平二年十一月,雷,是時皇太后臨朝,政舒緩。”《洪範五行傳》曰:“秦二世元年,無雲而雷。雷,陽也;雲,陰也。有雲然後有雷,有臣然後有君也。無雲而雷,示君獨處,無人民也。”

《師曠占》はいう:「春に雷が鳴り始め、その音が柏柏格格として霹靂を帯びるのを雄雷と謂い、旱気を主る。その鳴くが依依音音として大きく霹靂を伴わないのを雌雷と謂い、水気を主る。春に雨を降らせずして、雷の音が地中に轟くものは、その対応する所の下に兵事が興起する。」《礼記・月令》はいう:「春に日夜が平分する時節に、雷は乃ち声を発する。もし禁戒を聴かず房事を止息しようとしない者があれば、生まれる子は肢体が全からず、かつ必ず凶災がある。」《天鏡》はいう:「冬に雷震すれば、兵事・飢饉を主る。」《晋中興書》に記す:「升平二年十一月に雷が鳴った。この時、皇太后が朝に臨んで政を聴き、政令は寛緩であった。」《洪範五行伝》に記す:「秦の二世元年、雲なくして雷が鳴った。雷は陽に属し、雲は陰に属す。雲あって然る後に雷があり、臣あって然る後に君がある。雲なくして雷が鳴るのは、君主が孤立して独り処り、百姓の擁戴がないことを示す。」

《河圖》曰:“臣僭大者不犯主,則雷電擊朝。”京氏《五星占》曰:“人君承用節度,即雷風以節;暴行威福,則雷霆擊人。其救也,議獄緩死,則災消矣。”京氏《對災異》曰:“雷鳴,連而不絕者,此謂人君政事,民不恐懼。”又曰:“雷電俱出,或先鳴而後電者,此謂執法貪苛。”

《河図》はいう:「臣子が僭越して甚だしくてもなお直接君主を冒犯しなければ、雷電は朝廷を撃つ。」京氏の《五星占》はいう:「君主が法度を秉承し遵用すれば、雷と風は皆節度がある。暴虐に威罰・恩賞を施行すれば、雷霆は人を撃つ。その補救の法は獄案を審議し死刑を寛緩すれば、災異は消解する。」京氏の《対災異》はいう:「雷の鳴るが連なって絶えないのは、これは君主が政事を処理して、百姓が畏懼しないと謂う。」またいう:「雷と電が同時に現れ、あるいは先に雷が鳴って後に電が閃くのは、これは法を執る者が貪婪・苛刻であると謂う。」

霹靂占

《春秋繁露》曰:“霹靂者,金氣也,其音商,故應以霹靂。”《說文》曰:“震,霹靂振物也。”《釋名》曰:“霹靂,折也。所歷皆破折;震,戰也,所擊輒破,若攻戰也。”《范子計然》曰:“天者變化,行精氣者也。令者,謂暴風雨霹靂也。”《晉朝雜事》曰:“元康七年,霹震破城南高媒石。高媒,中宮求子像也。賈后妒忌,將殺懷愍,天怒,霹靂之,賈后將誅應也。”

《春秋繁露》はいう:「霹靂は金気に属し、それは五音の中で商に配するから、霹靂をもって相応ずる。」《説文解字》はいう:「震とは、霹靂が万物を振動することである。」《釈名》はいう:「霹靂とは折ることで、およそそれの経歴する所は皆破撃し折る。震とは戦うことで、およそそれに撃たれるものはすぐに破裂し、攻戦のようである。」《范子計然》はいう:「天とは変化して測るべからず、精気を運行する者である。いわゆる『令』とは、暴風・暴雨と霹靂を指す。」《晋朝雑事》に記す:「元康七年、霹靂が城南の高禖石を震い破った。高禖とは、中宮が子を生むことを祈るために立てた神像である。賈后が妒忌して、まさに懐愍太子を殺害しようとし、天が怒り震え、霹靂をもってそれを撃った。これは賈后がまさに誅殺されようとする応験である。」

《搜神記》曰:“扶風楊道和,夏于田中,值天雷雨,止桑樹下,霹震擊之,道和以鋤格,折其左股,遂落地不得去,赤如丹,目如鏡,手如牛,角長三尺餘,狀如六畜,頭似彌猴。”《續搜神記》曰:“吳興人章狗者,五月中於田中耕,以飯蘿置菰裡,晚飢求食而飯已盡,如此非一。後日於菰中伺之,見一大蛇偷食其飯,狗即以鑊刈之,蛇便走去,狗乘船逐之,至一坂,有穴,蛇便入穴,但聞啼哭人云:斫某甲。或云:當何如?或言:符雷公,命霹靂殺奴。須臾雲雨四合,震電傷狗,狗於是跳梁大罵云:天公,我貧窮展力耕墾,蛇來偷食我飯,罪應在蛇,反更來霹靂,許是無知,雷公若來,今當以鑊斫汝腹破!須臾,雲雨輒開,乃更還霹靂向穴,諸蛇死者數十。”

《捜神記》に記す:「扶風の人・楊道和は、夏に田の中にいて、天の雷雨に遭い、桑樹の下に避けたところ、霹靂が彼を撃ち、道和は鍬頭をもってこれを格し、雷神の左股を折った。雷神はすなわち地に落ちて去ることができず、身は赤く丹砂のよう、目は鏡のよう、手は牛蹄のよう、角は三尺余の長さ、形は牲畜のよう、頭は獼猴に似ていた。」《続捜神記》に記す:「呉興の人・章狗は、五月中に田の中で耕作し、飯を盛った籮筐を菰草叢の中に置いたところ、夕方に飢えて飯を取りに行くと飯はすでに食べ尽くされており、こうしたことが一度ならずあった。後日彼は菰草の中に隠れて守候し、一条の大蛇が彼の飯を偸食するのを見て、章狗はすなわち鑊刃をもってそれを刈ると、蛇はすなわち逃げ去り、章狗は船に乗って追いかけ、一カ所の坡地に追い至ると、そこに洞穴があり、蛇はすなわち洞穴に潜り込んだ。中から人が啼哭していうのが聞こえた:某人を斫り傷つけた、と。あるいはいう:どうすべきか。あるいはいう:符を雷公に発し、彼に霹靂をもってこの奴を打ち殺させよ、と。片刻の間に雲雨が四面から合攏し、雷電が章狗を撃ち傷つけた。章狗はここにおいて跳ね起きて大いに罵っていう:天公よ、わたしこの貧窮の者は力を尽くして耕墾し、蛇が来てわたしの飯を偸食した。罪は蛇にあるべきなのに、かえってまた来てわたしに霹靂を撃つとは!これを見ればまことに事理に明らかでない。雷公がもし再来すれば、わたしは今日鑊刃をもって汝の腹を劈き開くぞ!片刻の間に、雲雨はすなわち散開し、雷電は転じて戻りてあの洞穴を撃ち、洞穴の中で撃ち殺された蛇は数十条に及んだ。」

《天鏡》曰:“雷霆擊宮庭中,大夫欲逆,不出五年,交兵流血。”《合誠圖》曰:“霹靂擊於殿,女宮急。”《潛潭巴》曰:“霹靂擊宮室,君情洩,下有謀起。”《天鏡》曰:“雷霆擊宗廟,是謂天戒人君暴雲,不出八年,削地奪國。”《春秋繁露》曰:“王言,下不從革,而秋多霹靂。”《天鏡》曰:“雷電擊貴人、從官、車騎,此乃人君惑於佞人,失眾和。”《漢獻帝紀》曰:“初平二年,無雲而霹靂殺人。”《天鏡》曰:“雷霆擊貴人正殿,此謂重陽之戒,此佞人持政,不出六年,地削君亡。”《晉中興書》曰:“元興三年秋,永安王皇后自巴陵將設威儀入宮,天大雷震,人馬一時俱悚。”《續晉陽秋》曰:“大元年,震含章殿四柱,殺內侍二人。”

《天鏡》はいう:「雷霆が宮庭の中を撃てば、大夫が叛逆しようと欲することを主り、五年を出ずして、交兵して流血する。」《合誠図》はいう:「霹靂が殿の上を撃てば、女宮に急難があることを主る。」ここの「女宮」は後宮・嬪御の居る所を指す。《潜潭巴》はいう:「霹靂が宮室に撃ち中れば、君主の心事が外に洩れ、下に陰謀が興起することを主る。」《天鏡》はいう:「雷霆が宗廟に撃ち中れば、これを上天が君主の暴虐を戒めると謂い、八年を出ずして、土地を削奪し国家を喪失する。」《春秋繁露》はいう:「君王が言を発して、下が聴従して改易しようとしなければ、秋に霹靂が多い。」《天鏡》はいう:「雷電が貴人・侍従の官と車騎に撃ち中れば、これは君主が佞人に迷惑され、衆人の和睦を失ったのである。」《漢献帝紀》に記す:「初平二年、雲なくして霹靂が人を撃ち殺した。」《天鏡》はいう:「雷霆が貴人の正殿に撃ち中れば、これを『重陽の戒』と謂う。正殿は至尊の居る所で陽に属し、雷霆もまた陽に属し、両陽が相加重なれば、故に重陽と称する。これは佞人が朝政を把持する徴象で、六年を出ずして、地を削り君を亡ぼす。」《晋中興書》に記す:「元興三年の秋、永安王皇后が巴陵から儀仗を備えて宮に入ろうとした時、天に大雷が震響し、人と馬が一時に皆驚悚して安まなかった。」《続晋陽秋》に記す:「太元年間、雷が含章殿の四柱を震い、内侍二人を撃ち殺した。」

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