離珠星占 二十六
石氏曰:“離珠五星,在須女北。”(北星入須女初,去極九十四度,在黃道內二十度。)郗萌曰:“離珠、女子之星也。”石氏曰:“離珠星者,御後宮離袿衣也;環珮玉珠,后夫人之盛飾也;主進王后之衣服也。”
石氏はいう、離珠は全部で五つの星で、位置は二十八宿の須女宿の北にある。原書の小注にいう、離珠の最北のあの星は須女宿の起始度に入り、北天極から九十四度、黄道以内二十度にある。郗萌はいう、離珠は女子を象徴する星である。石氏はいう、離珠のこの一つの星官は、後宮の穿用する「離袿衣」——すなわち垂れ下がる裾飾りのある礼服——を主管し、環佩と玉珠は王后と衆夫人の盛飾の飾物で、離珠はもっぱら王后の衣服を進献することを管掌する。
《黃帝》曰:“離珠星明,如其常,則宮人妃后安身;其星不明,易其故,則宮人不安。”石氏曰:“離珠非其故,後宮亂;從危之陽,天旱;危之陰,大水,五穀不登;離珠明大,則後宮昌;失色不明,則後勢任子不顯,所近不正。”《石氏贊》曰:“離五星、御後宮。”
《黄帝》にいう、離珠の諸星が明亮して平常と同じであれば、宮中の女官・妃嬪と王后はみなその位に安居できる。もし星光が暗淡してもとの常態を変えれば、宮人は安寧を得ない。石氏はいう、離珠が常態を失えば、後宮は乱れを出す。星体が危宿の南面の陽位に偏向すれば、天下は大旱し、危宿の北面の陰位に偏向すれば、大水があり五穀は歉収する。離珠が明亮碩大であれば、後宮は興盛し、星色が黯淡して明るくなければ、王后の権勢と彼女の倚重する子嗣はいずれも顕達できず、彼女に親近する人の行事も端正でない。《石氏賛》にいう、離珠の五星は、職は後宮に侍奉するに在り。
匏瓜星 二十七
石氏:“匏瓜星五星,在離珠北。”(西星入須女少,去極七十一度半,在黃道內三十三度。)《黃帝》曰:“匏瓜,一名天鳥,一名天雞,其四星,劍鐔之形;其星明大,如其故,則果物皆實,歲熟;星若不明,非其常,果物皆惡,歲不登;有大水,川道不通。”
石氏はいう、匏瓜は全部で五つの星で、位置は離珠の北にある。原書の小注にいう、匏瓜の最西のあの星は須女宿少半度に入り、北天極から七十一度半、黄道以内三十三度にある。《黄帝》にいう、匏瓜はまた「天鳥」ともいい、また「天鶏」ともいい、その中の四つの星は剣の柄の護手(剣鐔)の形に排する。これらの星が明亮碩大で旧観のごとくであれば、瓜果のたぐいはみな結実し、年成は豊収する。星光がもし暗淡して常態を失えば、果実はいずれもよく育たず、年成は歉収し、さらに大水が発して河道は阻塞されて通じない。
石氏曰:“匏瓜者,一名天匏,一名天雞;匏瓜大,則歲熟;星微,則歲惡。”《黃帝占》曰:“匏瓜星,主後宮;匏瓜,天雞也,主司中;所以和五味。”《元命包》曰:“匏瓜,主陰謀。”郗萌曰:“天子果園,為獻食者。”《星官訓》曰:“匏瓜,大瓜也;性內、文明而有子,美盡在內。”
石氏はいう、匏瓜のこの一つの星官は、また「天匏」とも称し、また「天鶏」とも称す。匏瓜の星体が碩大であれば、年成はよく、星光が微弱であれば、年成は悪い。《黄帝占》にいう、匏瓜は後宮の事を主管する。匏瓜はすなわち天鶏で、「司中」の職を掌り、ゆえに酸・苦・甘・辛・鹹の五味を調和できる。《春秋元命包》にいう、匏瓜は隠秘の謀劃を主管する。郗萌はいう、匏瓜は天子の果園で、食物を進献することを司る星官である。《星官訓》にいう、匏瓜はすなわち大きな瓠瓜で、それは性が内に斂まり、外表は文采明麗で腹中に子があり、美好なところはすべて裏に蔵されている。
《黃帝》曰:“匏瓜星明,則野瓜甘露生;庖廚後宮官多子孫;星不明,後失勢;又其星非其故,則山搖。”石氏曰:“匏瓜非其故,則山谷多水,天下不通。”焦延壽曰:“匏瓜星不見,若不正、動搖,皆為有賊人主者;若以果實為敗。”《石氏贊》曰:“匏瓜五星,司謀忠。”
《黄帝》にいう、匏瓜の諸星が明亮すれば、野生の瓜類は繁茂し、甘露が降り生ずる。膳食を掌る庖厨の官と後宮の女官はみな多くの子孫を得る。星光が明るくなければ、王后はまさに勢いを失う。これらの星がもし常態を失えば、さらに山体の震動がある。石氏はいう、匏瓜が常態を失えば、山谷の中に水患が氾濫し、天下の道路は阻絶する。焦延寿はいう、匏瓜の諸星が隠没して見えないか、あるいは位置が歪斜して揺動して定まらなければ、いずれも人があって君主に加害を図謀することを主り、また瓜果のたぐいが歉収・敗壊することをも主る。《石氏賛》にいう、匏瓜の五星は、職は謀議を司りて忠貞を守持する。
天津星占 二十八
石氏曰:“天津九星,在須女北河中。”(西北星入斗二度,去極四十九度,在黃道內四十九度少。)《黃帝占》曰:“天津者,一名天潢,一名潢中,一名巨潢,一名江星,一名水王柱,一名格星,一名潢星,一名天津;天津有潢四星,在危之北,居漢。”郗萌曰:“天潢者,天津也,一名天漢。”《元命包》曰:“天潢,主河梁,所以度神,通四方也。”又曰:“天潢一星,天子都船也。”
石氏はいう、天津は全部で九つの星で、須女宿の北の天河の中に位置する。原書の小注にいう、天津の西北のあの星は南斗宿二度に入り、北天極から四十九度、黄道以内四十九度少半にある。《黄帝占》にいう、天津のこの一つの星官は、また「天潢」ともいい、また「潢中」ともいい、また「巨潢」ともいい、また「江星」ともいい、また「水王柱」ともいい、また「格星」ともいい、また「潢星」ともいい、本名は天津と称す。天津の内に別に天潢の四星があって、危宿の北にあり、天河の中に居る。郗萌はいう、天潢はすなわち天津で、また「天漢」とも称す。《春秋元命包》にいう、天潢は河上の橋梁を主管し、神霊が河を渡り四方を貫通するためのところである。またいう、天潢の一星は、天子の舟船を統轄する官署である。
《黃帝占》曰:“天津有變,水賊稱王,水道不通。”石氏曰:“天津處,河溢;天津覆水,水滔天;天津亡,河水為害,天下不通。”石氏曰:“天津亡,津道不通;天津張,天下安。”郗萌曰:“天潢星不具,天下津河關道絕不通。”《石氏贊》曰:“天津九星,通厄窮。”
《黄帝占》にいう、天津の諸星に変異が生じれば、水上の盗匪が僭号して王を称し、水路は阻塞されて通じない。石氏はいう、天津の星が停滞して移らなければ、河水は氾濫し、天津が傾覆して水を倒せば、洪水は滔天し、天津が隠没消亡すれば、河水が患をなし、天下の交通は断絶する。石氏にまたいう、天津が隠没すれば、渡口と津梁の道路は通じず、天津の星が張布して舒展すれば、天下は安寧する。郗萌はいう、天潢の諸星が残欠して全からなければ、天下の渡口・河道と関隘はすべて阻絶して通じない。《石氏賛》にいう、天津の九星は、職は厄難困窮のところを疏通するに在り。
螣蛇星占 二十九
石氏曰:“螣蛇二十二星,在營室北。(螣星入營室一度半,去極五十一度,在黃道內五十三度少。)螣蛇、天蛇也,主水蟲;又螣蛇,蛇之牡也,與龜鱉交,水蟲之長也;水中之蟲,皆屬螣蛇。”
石氏はいう、螣蛇は全部で二十二の星で、営室宿の北に位置する。原書の小注にいう、螣蛇の星は営室宿一度半に入り、北天極から五十一度、黄道以内五十三度少半にある。螣蛇はすなわち天上の蛇で、水中の虫類を主管する。螣蛇はまた蛇の中の雄性で、亀鱉と交配でき、水族の首領である。およそ水中の虫類は、すべて螣蛇の統属に帰する。
《黃帝》曰:“螣蛇星明,水蟲茂,魚鹽賤;星不明,則水蟲衰耗,魚鹽貴。”石氏曰:“螣蛇星移南,則軍兵起;移北,大水;若星明,不安;微,則安。”《石氏贊》曰:“螣蛇之星,主水蟲。”
《黄帝》にいう、螣蛇の諸星が明亮すれば、水中の虫魚は繁盛し、魚と鹽の価格は廉価である。星光が暗淡ならば、水族は衰敗耗損し、魚鹽の価格は高価となる。石氏はいう、螣蛇の星が南に移動すれば、軍隊が兵を興し、北に移動すれば、大水があり、星光が過度に明亮であれば、天下は安寧を得ず、星光が微弱であれば、かえって安定する。《石氏賛》にいう、螣蛇のこの一つの星官は、水中の虫類を主管する。
王良星占 三十
石氏曰:“王良五星,在奎北。”(居河中,西星入壁半度,去極四十二度半,在黃道內五十七度。)郗萌曰:“王良、一名天津;一名王濟。”(案《荊州占》云:王良,或占車騎,或占津樑,且古安通用故二字,並依舊本。)《元命包》曰:“天騎四星,在漢中;一名天駟,傍一名,王良;主天馬。”郗萌曰:“王良,一名天馬。”
石氏はいう、王良は全部で五つの星で、奎宿の北にある。原書の小注にいう、王良は天河の中に位し、最西のあの星は壁宿半度に入り、北天極から四十二度半、黄道以内五十七度にある。郗萌はいう、王良はまた「天津」ともいい、また「王済」ともいう。原書の小注にいう、《荊州占》の講法を査するに、王良はときに車馬・騎乗を占い、ときに渡口・橋梁を占うのに用いられ、しかもこの二字は古来一向に通用するので、いずれも旧本に照らして原様を保留する。《春秋元命包》にいう、天騎の四星は天河の中にあり、また「天駟」とも名づき、そばのあの一つは王良と名づき、天上の馬匹を主管する。郗萌はいう、王良にはまた「天馬」という名がある。
《黃帝占》曰:“王良,主御風雨,水道,主河梁。”《河圖》曰:“王良為天橋。”巫咸曰:“王良,天子道橋之度水之官。”郗萌曰:“王良者,天子奉車。”郗萌曰:“王良策馬,前與馬等,後與馬等。”《荊州占》曰:“王良為西橋,故或占車騎;或占津樑。”
《黄帝占》にいう、王良は風雨と水道の駕御を主管し、また河上の橋梁をも主管する。《河図》にいう、王良は天上の橋である。巫咸はいう、王良は天子の手下で道路・橋梁、渡水通行を掌る官である。郗萌はいう、王良はすなわち天子のために車を駕し御を奉ずる人である。郗萌にまたいう、王良が馬に策する象は、策星が前に在って馬星と斉平であり、後に在っても馬星と斉平である。《荊州占》にいう、王良は西方の橋で、ゆえにときにそれをもって車馬・騎乗を占い、ときにそれをもって渡口・橋梁を占う。
《黃帝》曰:“駟馬參差,不行列,天下安;若駟馬齊行,王良舉策,天子自臨兵,國不安。”《黃帝》曰:“王良發者,河水出。”《河圖》曰:“王良策馬,此皆諸侯聖雄並起,期不出九年,天下之兵擾。”《考靈曜》曰:“王良策馬,狼弧張,咄咀害,出血將將。”(王良傍一星,名策,策馬謂有光芒也。張猶明也,咄咀大星名也,血將將,兵起死傷以眾也。)
《黄帝》にいう、駟馬の四星が参差して行列を成さなければ、天下は安定する。もし四馬が頭をそろえて並進し、王良がまた馬鞭を挙げれば、それはすなわち天子が自ら兵を統べて陣に臨むので、国家は安寧を得ない。《黄帝》にまたいう、王良の星が発動すれば、黄河の水はまさに氾濫する。《河図》にいう、王良が鞭を挙げて馬に策すれば、これはすべて諸侯と豪傑がいっせいに興起することを予示し、期限は九年を出ず、天下は兵禍に攪擾されるであろう。《考霊曜》にいう、王良が馬に策すれば、天狼・弧矢の二星は張明し、咄咀の星が害をなし、流血の多さは連なりて一片となる。原書の小注にいう、王良のそばに一つの星があって「策」と名づく。いわゆる「策馬」とはこの星が光芒を発することを指す。「張」とはすなわち明亮の意で、「咄咀」は一つの大星の名で、「血将将」とは戦事が興起し死傷が衆多であることをいう。
《含文嘉》曰:“天子乘舟,得其所,貴賤不相逾僭,則王良附路星明,常在河中,天子壽昌,萬民無疫癘之殃。”《論讖》曰:“王良策馬,野骨曝。”石氏曰:“王良星移,則有兵,以東西南北處所在,王良星不具;津河道不道。王良策馬,車騎滿野,天下大亂,兵大起,明君出;期不出三年。”
《礼緯含文嘉》にいう、天子が船に乗って出行するのがすべて礼制に合し、貴賤上下が互いに僭越しなければ、王良と附路の二星は明亮し、常に天河の中に居り、天子は長寿で国運は昌隆し、万民にも瘟疫の災殃がない。《論讖》にいう、王良が馬に策すれば、荒野に白骨が暴露する。石氏はいう、王良の星が移位すれば、戦事があり、それが東西南北のどの方位に移ったかに拠って兵の起こるところを判断する。王良の諸星が残欠して全からなければ、渡口と河道は通じない。王良が馬に策すれば、車騎は郊野に塞がり満ち、天下は大いに乱れ、戦事は大いに起こり、その後に聖明の君主が出現する。期限は三年を出ない。
《海中占》曰:“駟馬不動,天子安營。”焦延壽曰:“天駟星前與閣道相近,有江河之變。”郗萌曰:“王良正,馬疾病。王良與馬齊,天子有疾馬。”《荊州占》曰:“王良與馬齊,天下有急。”郗萌曰:“王良向造父,馬賤。”《赫連圖》曰:“王良策馬,北夷制號。”(宋均曰:策星在王良傍,若移在王良前,居馬後,是謂策馬。)
《海中占》にいう、駟馬の四星が安静に動かなければ、天子は営中に安坐して、師を興す必要がない。焦延寿はいう、天駟の星が前に向かって閣道の星と相接近すれば、江河に変故があるであろう。郗萌はいう、王良の星が端正に位に当たれば、馬匹に疾病が生じ、王良が馬星と斉平であれば、天子の馬匹に病がある。《荊州占》にいう、王良が馬星と斉平であれば、天下に緊急の事がある。郗萌はいう、王良が造父の星に向かえば、馬価は低賤である。《赫連図》にいう、王良が馬に策すれば、北方の夷狄はまさに号を建て令を発するであろう。原書の小注に宋均を引いていう、策星は王良のそばにあり、もし王良の前に移って馬星の後に居れば、これを「策馬」という。
石氏曰:“王良星常在漢中,則吉;不可移動,移動則有兵。王良駟馬動搖,天子欲出;小動、小出;大動、大出;千里駟馬。有芒角,天子兵期二年;王者必有所在,惟意有所想,未發顏色,王良星。”《石氏贊》曰:“王良五星,知王莊。”
石氏はいう、王良の星が常に天河の中に居れば吉利で、移動すべきでなく、ひとたび移動すれば兵事がある。王良と駟馬が揺動すれば、天子はまさに出行する。小幅に揺動すれば小規模に出行し、大幅に揺動すれば大規模に出行し、車駕は千里を遠行できる。星体が芒角を発すれば、天子に兵事があり、期限は二年である。君王は心中に必ず別に図るところがあり、ただ意念はなお盤算の中にあって、いまだ辞色に形さず、これらはみな王良の星の動静を見て推知する。《石氏賛》にいう、王良の五星は、君王の行止の荘重な威儀を予知できる。
開元占経 巻六十六
石氏中官
閣道星占 三十一
石氏曰:“閣道六星,(司馬遷《天官書》云:後六星,絕漢抵營室,曰閣道。案圖薄,營室北有螣蛇二十二星,其閣道止六星,恐由子長之謬矣。)在王良東北。”(南星入奎五度,去極四十三度少。在黃道內五十八度少。)巫咸曰:“閣道,水官也。”石氏曰:“閣道形如飛閣之狀,從紫微北門出,至河上,天子法駕乘其行,神乘也。”石氏曰:“閣道,王良旗也;一名紫宮旗;在王良傍,而抵紫宮垣,旗動搖,不如其故,旗所指者,兵所起。”《春秋緯》曰:“閣道,所以捍沖,難滅諸咎。”
石氏はいう、閣道は全部で六つの星である。原書の小注にいう、司馬遷《史記・天官書》が講じるに、王良の後の六星は横に天河を絶って直に営室宿に抵り、閣道と呼ばれる。星図簿録を査するに、営室宿の北に別に螣蛇の二十二星があり、しかるに閣道は六星のみで、《天官書》のこの一か所はおそらく司馬子長の疏誤であろう。閣道は王良の東北方にある。原書の小注にいう、閣道の最南のあの星は奎宿五度に入り、北天極から四十三度少半、黄道以内五十八度少半にある。巫咸はいう、閣道は水の官に属する。石氏はいう、閣道の形状は凌空に架けた複道・飛閣のようで、紫微垣の北門から通じ出て、まっすぐに天河の辺りにまで伸び、天子の法駕はそれに沿って出行し、神霊の乗ずる通道である。石氏にまたいう、閣道は王良の旗で、また「紫宮旗」ともいい、それは王良のそばにあって、一端が紫宮の垣墻に抵り当たり、旗星が揺動して常態を失えば、旗の指す方向がすなわち戦事の発生する処である。《春秋緯》にいう、閣道は衝撃を抵当し、諸種の災咎を消解するために用いられる。
《黃帝占》曰:“閣道,天子御道也;絕漢,直紫宮,後名曰閣道。其星明,行列正直,人主吉,天下安;其星動搖,不如其故;若星不具,則天子津道不通,有謀臣;閣道星,主道星,天子私出入。王者別宮以候,近出星明大,則王者聖明,四方大通;若星不具,天子道津不通。”焦延壽曰:“閣道星與紫宮藩星同行,闢溺河梁;若王者宮闕道有害者。”《石氏贊》曰:“閣道六星,神所乘。”
《黄帝占》にいう、閣道は天子専用の御道で、それは横に天河を絶ち、直に紫宮に通じ、後世はこれを閣道と呼んだ。これらの星が明亮し排列が整斉笔直であれば、君主は吉利で天下は安定する。星体が揺動し旧観を失い、あるいは星数が残欠して全からなければ、天子の津渡・道路は通暢せず、朝中に図謀を懐く臣子がある。閣道は道路を主管する星で、天子の私出入もそれの主管に帰する。君王が別宮に住むときはそれに憑って占候し、もし出行が遠からず星光が明亮碩大であれば、君王が聖明で四方の道路が大いに暢通することを説明し、もし星数が残欠すれば、天子の道路と渡口は通じない。焦延寿はいう、閣道の星が紫宮の藩垣の星と同じ方向に運行すれば、河梁で溺れる患を免除でき、さもなければ君王の宮闕の道路上に禍害がある。《石氏賛》にいう、閣道の六星は、神霊の乗行する通道である。
附路星占 三十二
石氏曰:“附路一星,在閣道兩傍。”(入奎三度,去極四十三度,在黃道內五十七度。)郗萌曰:“附路,一名王濟之太僕;一名伯樂;一名就父。”《論讖》曰:“附路,主掃除。”郗萌曰:“附路,主御風雨。”石氏曰:“附路以通道,若閣道;道壞當從附路,道備,豫不虞,以候災害;故曰備路。”
石氏はいう、附路はただ一つの星で、閣道の両側にある。原書の小注にいう、附路は奎宿三度に入り、北天極から四十三度、黄道以内五十七度にある。郗萌はいう、附路はまた「王済の太僕」ともいい、また「伯楽」ともいい、また「就父」ともいい、いずれも馬を相し御するに善なる名号である。《論讖》にいう、附路は道路の清掃を主管する。郗萌はいう、附路は風雨の駕御を主管する。石氏はいう、附路の用いるところは道路を通行させることで、作用は閣道と同じである。閣道がひとたび損壊すれば、改めて附路を行き、道路に備えあれば、意外を予防でき、また以て災害を占候するので、また「備路」ともいう。
《禮緯》曰:“附路明,天子壽昌,萬民無疫病之殃。”《論識》曰:“附路亡,道塗塞。”石氏曰:“附路星芒,則車騎滿野。”郗萌曰:“附路正,馬車騎滿野,天下大亂,期十月。王良,駟馬也;正馬,謂移在駟馬之前。”《石氏贊》曰:“附路一星,備敗傷。”
《礼緯》にいう、附路の星が明亮すれば、天子は長寿で国運は昌隆し、万民に瘟疫の災殃がない。《論識》にいう、附路の星が隠没消亡すれば、道路はまさに堵塞する。石氏はいう、附路の星が芒角を発すれば、車馬・騎兵が郊野に塞がり満ちる。郗萌はいう、附路が馬星の真正面に移れば、車騎は郊野に塞がり満ち、天下は大いに乱れ、期限は十か月である。王良の配するところはすなわち駟馬の四星で、いわゆる「正馬」とは、附路が駟馬の前に移ることを指す。《石氏賛》にいう、附路の一星は、道路の敗壊・損傷に備えるために設けられたものである。
天将軍占 三十三
石氏曰:“天將十一星,在婁北。”(大星入奎十五度半,去極六十度少強,在黃道內二十九度少。)巫咸曰:“天將軍,金官也。”郗萌曰:“天將軍者,天所以將,率忠正之群士而自衛者。”石氏曰:“天將軍者,天之大將軍也;中大星,大將也;外衛,小吏士也;大將星動搖,兵起,大將出。”
石氏はいう、天将軍は全部で十一の星で、婁宿の北にある。原書の小注にいう、その中の大星は奎宿十五度半に入り、北天極から六十度少半強、黄道以内二十九度少半にある。巫咸はいう、天将軍は金の官に属する。郗萌はいう、天将軍は上天が兵衆を統率するために用いる星官で、それは忠誠正直な将士を統領して天廷を護衛する。石氏はいう、天将軍はすなわち天上の大将軍で、中に居るあの大星は大将本人で、外囲に拱衛する諸星は低階の将吏・兵士である。大将の星が揺動すれば、戦事が興起し、大将は出征する。
《黃帝占》曰:“天將軍小星動搖,不具,兵發。”又占曰:“天將軍星欲明,安靜,天下無兵,大將安寧;其星不明,搖動,天下大兵,大將出行。”《海中占》曰:“天將軍星動搖,天子自將兵出。”郗萌曰:“天將軍旗陳直揚者,所指者勝,所背者負;旗者,左右星也。”《石氏贊》曰:“天將軍十一星,主武兵。”
《黄帝占》にいう、天将軍の小星が揺動するか、あるいは星数が残欠して全からなければ、兵を興す。また一条の占辞にいう、天将軍の諸星は明亮安静なのをよしとし、そうであれば天下に戦事なく、大将は平安無事である。星光が暗淡して揺動して定まらなければ、天下に大戦があり、大将は出行して征伐する。《海中占》にいう、天将軍の星が揺動すれば、天子はまさに自ら兵を率いて出征する。郗萌はいう、天将軍の旗星が排布して挺り直く、揚げ挙がって起これば、旗の指す一方は勝ちを得て、旗の背く一方は敗れる。いわゆる旗とは、大将の星の左右のあれらの星である。《石氏賛》にいう、天将軍の十一星は、武事・兵戎を主管する。
大陵星占 三十四
石氏曰:“大陵八里,在胃北。”(北星入婁六度少,去極四十三度少,在黃道內四十度少。)石氏曰:“大陵,一名積京;其星明,藩國多有大喪,民多疾病,諸侯有喪。”
石氏はいう、大陵は全部で八つの星で、胃宿の北にある(源文はここに「八里」と作るが、「八星」の訛りであるべく、なお底本に依って録存する)。原書の小注にいう、大陵の最北のあの星は婁宿六度少半に入り、北天極から四十三度少半、黄道以内四十度少半にある。石氏はいう、大陵はまた「積京」ともいう。これらの星が明亮すれば、各藩属の国に大喪が多く、百姓に疾病が多く生じ、諸侯の家に喪事がある。
石氏曰:“大陵中有積尸星,明則有大喪,死人如丘山。”甘氏曰:“大陵喪墓,積尸隨居。”郗萌曰:“積京者,大陵也;捲舌之口也;大陵曲而北向,捲舌曲而南向,相為牝牡。”郗萌曰:“積京中星眾,則粟聚,星少,則粟散。”《石氏贊》曰:“大陵八星,主崩喪。”
石氏はいう、大陵の中に積尸の星があり、積尸が明亮すれば大喪があり、死者は丘陵・山岡のごとく堆積する。甘氏はいう、大陵は丧葬・墳墓を象徴し、積尸の星はすなわちその中に随附する。郗萌はいう、いわゆる積京とは大陵で、すなわち巻舌の口部である。大陵は弯曲して北に向かい、巻舌は弯曲して南に向かい、両者は一雌一雄で、互いに配偶をなす。郗萌にまたいう、積京の中の星数が衆多であれば、穀穀は積聚し、星数が稀少であれば、穀穀は散失する。《石氏賛》にいう、大陵の八星は、死亡・丧葬の事を主管する。
天船星占 三十五
石氏曰:“天船九星,在大陵北河中。”(北星入婁九度,去極四十三度半,在黃道內四十三度少。)郗萌曰:“天船九星,一名王船;中有四星,常欲均明,即天下大安;不明,移處,消小不見,天下有兵,若有喪。”
石氏はいう、天船は全部で九つの星で、大陵の北の天河の中にある。原書の小注にいう、天船の最北のあの星は婁宿九度に入り、北天極から四十三度半、黄道以内四十三度少半にある。郗萌はいう、天船の九星はまた「王船」ともいう。その中に四つの星があって、常に亮度の均斉なのをよしとし、そうであれば天下は大いに安定する。もし星光が暗淡し、本位を離れ、縮小して隠没して見えないに至れば、天下に戦事があるか、あるいは喪事がある。
石氏曰:“天船主水旱之事,一名天更。”《黃帝占》曰:“天船主帝王濟渡之官,常居漢中。”郗萌曰:“天船,天將軍兵船也。”石氏曰:“天船常在漢中;不明,天下兵起,津河不通,川水大出,舟船用。”焦延壽曰:“舟星頭四星,常在漢中,將以水戰不成;若有沒國,水大出。”《石氏贊》曰:“船九星,濟不通。”
石氏はいう、天船は水災と旱災の事を主管し、また「天更」ともいう。《黄帝占》にいう、天船は帝王の渡河を主管する官で、常に天河の中に居る。郗萌はいう、天船はすなわち天将軍の用いる兵船である。石氏はいう、天船が常に天河の内に居るのを正とし、星光が暗淡すれば、天下はまさに兵を興し、渡口と河道は通じず、江河の水は暴漲し、舟船に頼って通行するほかない。焦延寿はいう、船星の前頭の四つの星は、常に天河の中に居り、もし位を離れれば、将領は水戦を発動しようと企てて成功できず、また国家が淹没され、洪水が大いに発することをも主る。《石氏賛》にいう、天船の九星は、職は通ぜざるところを渡済するに在り。
巻舌占 三十六
石氏曰:“捲舌六星,在昴北。”(北星入胃十度少,去極五十六度,在黃道內四十一度太。)《黃帝占》曰:“卷星,一名勝舌;一名左舌;一名積京;一名積薪。”《春秋合誠圖》曰:“捲舌,主口語。”石氏曰:“捲舌主利口,明大,則利口用事。”
石氏はいう、巻舌は全部で六つの星で、昴宿の北にある。原書の小注にいう、巻舌の最北のあの星は胃宿十度少半に入り、北天極から五十六度、黄道以内四十一度太半にある。《黄帝占》にいう、巻舌の星はまた「勝舌」ともいい、また「左舌」ともいい、また「積京」ともいい、また「積薪」ともいう。《春秋合誠図》にいう、巻舌は言談・口舌を主管する。石氏はいう、巻舌は伶牙俐歯の人を主管し、星光が明亮碩大であれば、すなわち巧言善弁の徒が権を当て事を用いる。
石氏曰:“捲舌星欲微小不明;明大,多讒言,下多讒,口舌作也。”石氏曰:“捲舌星曲如舌,即吉;舌直,天下多口舌之害。”《聖洽符》曰:“捲舌動,其中星眾,兵大起,多口舌;捲舌安靜,其中星希,則國寧,無兵。”
石氏はいう、巻舌の星は細小暗淡なのをよしとする。ひとたび明亮碩大となれば、讒言は多く、下の讒を進める人が群を成し、口舌の争いはこれより起こる。石氏にまたいう、巻舌の諸星が舌形のごとく弯曲していれば、吉利で、舌形が伸直すれば、天下に口舌の招く禍害が多い。《聖洽符》にいう、巻舌が揺動して、その中の星数がまた多ければ、大戦が興起し、口舌の紛争が断えず、巻舌が安静に動かず、その中の星数が稀少であれば、国家は安寧し、戦事がない。
郗萌曰:“捲舌星藩盛,天下多口舌,民多疾死;一日兵起,人死如丘山。”郗萌曰:“捲舌星動,兵大起,多口舌;星希,則無兵。”郗萌曰:“捲舌星出守,不居漢中,天下盡為口舌妄言。”《石氏贊》曰:“捲舌六星,知讒謗。”
郗萌はいう、巻舌の諸星が繁密旺盛であれば、天下に口舌の争いが多く、百姓は疾病によって死する者が多い。別の一つの説は戦事が興起し、死者は丘陵・山岡のごとく堆積するという。郗萌にまたいう、巻舌の星が揺動すれば、大戦が興起し、口舌の紛争が衆多で、星数が稀少であれば、戦事がない。郗萌にまたいう、巻舌の星が位を離れて外に出て他処に留守し、天河の中に居らなければ、天下は至るところ口舌を搬弄し胡言乱語する風気となる。《石氏賛》にいう、巻舌の六星は、讒言と毀謗を予知できる。
五車星占 三十七
石氏曰:“五車五星,三柱九星;凡十四星,在畢東北。”(西星入畢三度,去極六十三度,在黃道內十度太。)石氏曰:“五車,一名天庫;一名天倉;凡五星,在畢昴北,大陵東;其西北端一大星,曰天庫,天庫將,畢也,秦也,太白也,其神名曰令尉;次東北星,名曰獄,燕趙也,辰星也;其神名曰風伯;次東星,名曰天倉,天倉,衛魯也,其神名曰雨師;次東南星,名曰司空,楚也,鎮星也,其神名曰雷公;次西南星,名曰鄉,鄉,韓、魏也,熒惑也,其神名曰豐隆。”
石氏はいう、五車はそれ自体五つの星、別に三柱の九つの星があって、合計十四で、畢宿の東北に位置する。原書の小注にいう、五車の最西のあの星は畢宿三度に入り、北天極から六十三度、黄道以内十度太半にある。石氏にまたいう、五車はまた「天庫」ともいい、また「天倉」ともいう。五つの星は畢宿・昴宿の北、大陵の東にある。西北端のあの大星を天庫といい、天庫は将領の職に配し、畢宿に対応し、分野は秦の地に属し、五星の中では太白に配し、主るところの神の名は令尉という。続いて東北の一星は名を獄といい、分野は燕・趙に属し、辰星に配し、主るところの神の名は風伯という。さらに東の一星は名を天倉といい、分野は衛・魯に属し、主るところの神の名は雨師という。さらに東南の一星は名を司空といい、分野は楚に属し、鎮星に配し、主るところの神の名は雷公という。さらに西南の一星は名を郷といい、分野は韓・魏に属し、熒惑に配し、主るところの神の名は豊隆という。
石氏曰:“五車中,有三柱;(晉灼曰:柱解音注)三星鼎足居;柱一名休格;一名旗。”郗萌曰:“五車一名咸池;一名為五潢;一名為重華;居豐隆也。”《天文志》曰:“三淵者,五車柱也。”《黃帝占》曰:“五車者,五帝之座。”巫咸曰:“五車,天子五兵,水官。”郗革曰:“五車,天子大澤也,主輕車。”
石氏はいう、五車の中に三柱がある。原書の小注に晋灼を引いていう、「柱」の字の解釈は音注に見る。三柱は各々三星で、鼎の三足のように分かれ立つ。柱はまた「休格」ともいい、また「旗」ともいう。郗萌はいう、五車はまた「咸池」ともいい、また「五潢」ともいい、また「重華」ともいい、雷神・豊隆の居るところである。《天文志》にいう、いわゆる「三淵」とは、すなわち五車の三柱である。《黄帝占》にいう、五車は五方の天帝の座位である。巫咸はいう、五車は天子の五種の兵器を象徴し、水の官に属する。郗革はいう、五車は天子の大沢で、軽捷の戦車を主管する。
石氏曰:“五車,西北大星,大豆;東北星、稻也;東南星,麻也;正南星,粟也;西北、麥也。”甘氏曰:“五車星,五穀各有所主分野,其星動搖變色,其國有後,五穀大貴,人民飢亡,隨(闕)決吉凶。”郗萌曰:“五車主五穀;一車主蕡,蕡麻也;一車主麥;一車主赤黑豆;一車主黍;一車主稻米。”《黃帝占》曰:“五車三柱,星動,期三十日,車騎發。”
石氏はいう、五車の中で、西北の大星は大豆を主り、東北の星は稲を主り、東南の星は麻を主り、正南の星は粟を主り、西北の星は麦を主る。甘氏はいう、五車の諸星の主る五穀には各々対応する分野があり、ある星が揺動して色を変えれば、その一分野の国に後患があり、五穀の価格は暴騰し、百姓は飢餓して死亡し、続いて(底本はここに闕文あり)吉凶を判定する。郗萌はいう、五車は五穀を主管する。一車は蕡を主り、蕡とはすなわち麻で、一車は麦を主り、一車は赤豆・黒豆を主り、一車は黍を主り、一車は稲米を主る。《黄帝占》にいう、五車と三柱の諸星が揺動すれば、期限三十日以内に、車騎はまさに出動する。
《禮緯含文嘉》曰:“天子觀天文,察地理,和陰陽,揆星度,原神明之變,獲福於無方,得靈臺之視,則五車三柱均明,不離其常,川原陸澤,年豐穰。”(宋均注曰:天子考察天氣,若祥填見,赤星之薐者也,所以獲福穰災、五車主五穀、為民穰災得民福,民無飢寒之困,故五車星均明,以應之也。)
《礼緯含文嘉》にいう、天子が天象を観測し、地理を考察し、陰陽を調和し、星辰の度数を推算し、神明変化の本原を推究し、各方各面から福祐を取り得、霊台の観象の正しい結論を得れば、それならば五車と三柱は亮度が均斉で常度を離れず、川流・原野・陸地・湖沢はみな各々その位に安んじ、年成は豊饒である。原書の小注に宋均の注を引いていう、天子が天時・気象を考察して、もし祥瑞の気が出現すれば、すなわち赤色の星辰が稜芒を放つ様子で、これに憑って福を獲得し災を禳除できる。五車は五穀を主管し、百姓のために災害を禳除して福祐を求め、百姓に飢寒の苦しみを受けさせないので、五車の諸星の亮度が均斉なのは、まさにこれと相応するのである。
《春秋元命包》曰:“五車三柱,象天下之車;一柱不見,三分一車行;二柱不見,三分二車行;三柱不見,天子自將兵。”《文曜鉤》曰:“咸池中三柱不具,兵革起。”石氏曰:“五車中,一柱出若不見,兵少半出;二柱出若不見,兵大半出;三柱盡出若不見,兵盡出;柱入而兵入。柱外出,不與天庫相近者,軍出,穀貴,轉谷千里;柱外出一月,穀貴,期一歲;出二月,穀貴六倍,期二歲;出三月,穀貴九倍,期三歲;出三月不入,穀貴十倍。”
《春秋元命包》にいう、五車と三柱は天下の車乗を象徴する。一柱が隠没して見えなければ、全国の三分の一の車輛が出動し、二柱が隠没して見えなければ、三分の二の車輛が出動し、三柱がすべて隠没して見えなければ、天子は自ら兵を率いて出征する。《文曜鈎》にいう、咸池(すなわち五車)の中の三柱が残欠して全からなければ、兵禍はまさに興起する。石氏はいう、五車の中で、一柱が位を離れて外に出るか隠没して見えなければ、出動する兵力は半ばに及ばず、二柱が位を離れて外に出るか隠没して見えなければ、出動する兵力は半ばを過ぎ、三柱がすべて位を離れて外に出るか隠没して見えなければ、兵力は全部出動する。柱星が本位に回帰すれば、軍隊もまた回師する。柱星が外に移り出て天庫の星と相近づかなければ、軍隊が出動し、穀価は上騰し、千里に転運して糧食を運ぶ。柱星が外出して一か月満てば、穀価は上騰し、応期は一年で、外出して二か月満てば、穀価は六倍に騰り、応期は二年で、外出して三か月満てば、穀価は九倍に騰り、応期は三年で、外出して三か月経ってもなお位に回らなければ、穀価は十倍に騰るであろう。
石氏曰:“五車柱外出,不居兩星之間者,天下大水,木大貴;柱倒立者,就車行,土大貴;轉土千里。”石氏曰:“五車星欲其均明,闊狹有常,五車天庫星,中河而不見,天下有積尸,人不可度河,河不通,即有軍。”石氏曰:“五車明大,若星繁眾,兵革大起。”
石氏はいう、五車の柱星が外に移り出て両星の間に居らなければ、天下に大水があり、木材の価格は暴騰する。柱星が倒れ豎れて立てば、車輛がまさに駛動する象で、土木の工の価格は暴騰し、千里に転運して土石を運ぶ。石氏にまたいう、五車の諸星は亮度が均斉で間隔の疎密が常度に合するのをよしとする。五車の中の天庫の星がもし天河の中に淪入して隠没して見えなければ、天下に尸骸が堆積し、人は河を渡ることができず、河道は通じず、つづいて兵事がある。石氏にまたいう、五車の星が明亮碩大であるか、あるいは周囲の星点が繁密衆多であれば、兵禍は大いに起こる。
石氏曰:“五車休出庫者,甲兵強,輕車騎出;休出倉者,大車出,婦女挽糧;休格所指者,車從之。”石氏曰:“五車倉星不見,其所臨之軍,必絕食,大窮而亡。”郗萌曰:“五車旗不見,天下大風,發屋折木。”又占曰:“五車休,旗動,四夷畔。”又占曰:“五軍休,格反,抵大星,兵起天下,先兵者勝。”
石氏はいう、五車の休格の星が天庫の一側から移り出れば、甲士・兵器は強盛で、軽車・騎兵が出動し、天倉の一側から移り出れば、大車が出動し、婦女もまた車を牽いて糧を運ぶ。休格の指す方向に、車駕はそれに随ってそこへ開往する。石氏にまたいう、五車の中の天倉の星が隠没して見えなければ、それに対応するあの軍隊は必ず糧を断ち、困窮きわまりて覆亡する。郗萌はいう、五車の旗星が隠没して見えなければ、天下に大風が起こり、屋舎を掀き翻し、樹木を折り断つ。また一条の占辞にいう、五車の休格が移位し旗星が揺動すれば、四方の夷狄はまさに反叛する。また一条の占辞にいう、五車の休格が反向して行き、大星に抵り当たれば、天下はまさに兵を興し、先に手を動かす一方が勝ちを得る。
《荊州占》曰:“五車柱倒立,占軍行。”石氏曰:“五車星俱明,五穀豐;一星不明,則其谷不升。”又占曰:“五車星失色,赤地三千里,不生。”石氏曰:“五車星有不見,其國飢,有兵憂。”《石氏贊》曰:“五車三柱欲均明,主谷豐耗知敗傷。”
《荊州占》にいう、五車の柱星が倒れ豎れて立つのは、軍隊の行止を占断するために用いる。石氏はいう、五車の諸星がみな明亮すれば、五穀は豊収する。その中の一つの星が明るくなければ、それが主るあの一種の穀物はよく育たず収穫できない。また一条の占辞にいう、五車の星が正常な色を失えば、赤地三千里、寸草も生えない。石氏はいう、五車の諸星に隠没して見えないものがあれば、対応するあの一国は飢饉を鬧かし、さらに兵事の憂いがある。《石氏賛》にいう、五車と三柱は亮度が均斉なのをよしとし、それらは穀物の豊収と耗損を主管し、また敗亡・損傷を予知できる。
天関星占 三十八
石氏曰:“天關星在五車南,參西北。”(入觜初度,去極七十三度半,在黃道外二度太。)郗萌曰:“天關,天門也;在黃道中,日月不出其中行,必有一國之主不朝者;一曰柱不道者,五星不出其中,臣必有不道者。”
石氏はいう、天関の星は五車の南、参宿の西北にある。原書の小注にいう、天関は觜宿の起始度に入り、北天極から七十三度半、黄道以外二度太半にある。郗萌はいう、天関はすなわち天上の門戸で、それは正に黄道の上に当たり、日月の運行がもしこの門の中から通過しなければ、必ず一国の君が朝覲に来ない。別の一つの説は、柱星が道を失い、五星の運行がこの門の中から通過しなければ、臣下に必ず理に背き妄為する人があるという。
《黃帝占》曰:“日月五星不出天關中者,必有叛臣,不從君命,若主不道,臣謀君,有兵起。”石氏曰:“天關星芒角,有兵。”焦延壽曰:“天關星不在,若與五車星舍,大將披甲,國門閉。”《天官書》曰:“黑帝行德,天關為之動。”石氏曰:“天關星欲大明,明大,則王道平通。”《石氏贊》曰:“天關一星,道所從。”
《黄帝占》にいう、日月と五星の運行が天関の中から通過しなければ、必ず叛臣があって君命を聴かず、あるいは君主の行事が道なく、臣子が君主に加害を図謀し、戦事が興起するであろう。石氏はいう、天関の星が芒角を発すれば、兵事がある。焦延寿はいう、天関の星が位を離れて本処に在らず、あるいは五車の諸星と同じく一舎に居れば、大将はまさに甲を披って戦に備え、国都の城門もまた閉鎖する。《史記・天官書》にいう、北方の黒帝が恩徳を施行すれば、天関の星はそれがために震動する。石氏はいう、天関の星は明亮碩大なのをよしとし、明亮碩大であれば王道が平正で通達することを表示する。《石氏賛》にいう、天関の一星は、日月・五星の運行が必ず経る通道である。
南北河戍占 三十九
石氏曰:“南河北河,六星;夾東井。”(東河中央,入井十七度少,去極八十度,在黃道外十四度。)《春秋緯》曰:“井鉞北,曰北河;南,曰南河;兩河天關門,為關梁也。”
石氏はいう、南河と北河は合計六つの星で、東井宿の南北両側に分列し、井宿を中に挟んでいる。原書の小注にいう、東の一つの河戍の中央のあの星は、井宿十七度少半に入り、北天極から八十度、黄道以外十四度にある。《春秋緯》にいう、井宿の鉞星の北を北河といい、南を南河という。両河は合わせてすなわち天上の関門で、関隘・橋梁の作用を起こす。
《黃帝占》曰:“南河戍,名曰南紀,陽門,南宮,南高,南關,越門。”《黃帝占》曰:“南北河戍,一名天高;一名天亭;兩河戍間為天道。”郗萌曰:“南河戍,一名南藏;北河戍,一名北藏;一名天門。”《黃帝占》曰:“北河戍名曰北橫;陰門,北宮,北高,北關,胡門。”
《黄帝占》にいう、南河戍はまた「南紀」「陽門」「南宮」「南高」「南関」「越門」ともいう。《黄帝占》にまたいう、南北の河戍は合わせて「天高」と称し、また「天亭」ともいい、二つの河戍の間の空き間はすなわち「天道」である。郗萌はいう、南河戍はまた「南蔵」ともいい、北河戍はまた「北蔵」ともいい、また「天門」ともいう。《黄帝占》にいう、北河戍はまた「北横」ともいい、ほかに「陰門」「北宮」「北高」「北関」「胡門」などの名号がある。
《黃帝占》曰:“南河戍為權,北河戌為衡;權不正則天傾,所謂不正者,南河戍南五尺。”《黃帝占》曰:“南北河戍為天街,天街流相抵,天下大亂,親離也。”巫咸曰:“南北戍,北門,水官也。”石氏曰:“天關者,河戍也。主中國之難,此皆天之度,以昭示人也。”郗萌曰:“兩河戍,與戍俱為帝關。”
《黄帝占》にいう、南河戍は秤の錘にたとえ、北河戍は秤の杆にたとえる。秤の錘が正しくなければ、天は傾側し、いわゆる正しくないとは、南河戍が南に五尺偏移したことを指す。《黄帝占》にまたいう、南北の河戍は天上の街道で、天街の星が流動して互いに抵触すれば、天下はまさに大いに乱れ、親族は離散する。巫咸はいう、南北の両戍は北面の門戸で、水の官に属する。石氏はいう、いわゆる天関とは、すなわち河戍である。それは中原地区の患難を主管し、これらはみな上天の設けた法度で、世人に昭示するために用いられる。郗萌はいう、二つの河戍は、戍守する諸星とともに、みな天帝の関隘である。
又占曰:“兩戍間為天門;日月五星常出其門中,經行吉;不得久留守馬,日月五星不出其中者,為王失道,行其南,以刑法舉錯,不當失道;行其北,以女及財物金錢失道;近期三年,中期六年,遠期九年。”
また一条の占辞にいう、両戍の間はすなわち天門で、日月と五星は常にこの門の中から通過し、これに順って運行すれば吉利である。ただしここに長く滞留して守候すべきでない。日月・五星がもし門の中から通過しなければ、すなわち君王が正道に背いたのである。門の南から経過するのは、刑法の措置が失当で正道に背いたのであり、門の北から経過するのは、女色および財物・金銭の事によって正道に背いたのである。応験の期限は、近くは三年、中ほどは六年、遠くは九年である。
韓揚曰:“南北戍者,天門也;兩戍間,為天道;日月五星常出南北戍間。出北,旱。”《黃帝占》曰:“兩河星欲明,大小如其故,則天下安寧,四夷來朝;其星不明,若動搖不於其常,則邊兵大動,交侵中國,人主有憂。”
韓揚はいう、南北の両戍はすなわち天門で、両戍の間は天道で、日月と五星は常に南北の両戍の間から通過する。もし偏り出て北戍の外に出れば、天下は干ばつする。《黄帝占》にいう、南北の両河の星は明亮し大小が旧観のごとくなのをよしとし、そうであれば天下は安寧し、四方の夷狄はみな朝貢に来る。星光が暗淡するか、あるいは揺動して定まらず常態を失えば、辺境の戦事は大規模に爆発し、四夷は交々中原を侵犯し、君主はこれがために憂慮する。
郗萌曰:“北河戍下多小星,有民不治,將不明,多失職。”《黃帝占》曰:“日月五星行不出天道間,必有不道之臣;一曰必有道不通。”石氏曰:“南戍主夷狄,北戍主中國;兩戍之間,天關門。”石氏曰:“南北河星不具,道不通,一曰大水。”《石氏贊》曰:“兩河六星,知逆邪。”
郗萌はいう、北河戍の下方に小星が密布すれば、百姓が管治に服さず、将領は昏昧で明らかでなく、官吏には失職が多い。《黄帝占》にいう、日月・五星の運行が天道の間から通過しなければ、必ず理に背き妄為する臣子があり、別の一つの説は必ず道路が阻絶して通じないという。石氏はいう、南戍は夷狄の事を主管し、北戍は中原の事を主管し、両戍の間はすなわち天上の関門である。石氏にまたいう、南北両河の星が残欠して全からなければ、道路は通じず、別の一つの説は大水が発するという。《石氏賛》にいう、両河の六星は、悖逆・邪僻の事を予知できる。
