衣服に血の汗が滲む 衣服が自ら亡く 衣服に光あり 衣が自ら匣より出る
《兵書》曰:“將軍衣無故自汗血,臣下欲殺之。”京房曰:“君朝服無故自亡,君有事,臣大凶。”《兵書》曰:“衣無故自亡,將且死,人家亦然。”《異苑》曰:“晉惠帝羊皇后將入宮,衣中忽有光若火,後藩王構兵,四廢四立,及洛陽失御,復為劉曜所嬪。”
《兵書》にいう:将軍の衣服が故なく血のごとき汗漬を滲み出すは、臣下が彼を謀殺せんと欲することを主る。京房がいう:君主の朝服が故なく自ら丢失するは、君主に変故あり、臣下に大凶あるを主る。《兵書》にいう:衣服が故なく自ら丢失するは、将領がまさに死せんとするを主り、尋常人家に此の事現るるも亦同じ。《異苑》に記す:晋の恵帝の羊皇后がまさに入宮せんとするとき、衣服の裏に忽然として火のごとき光を発した。後に諸藩王が起兵して混戦し、彼女は四度廃され四度復立し、洛陽の失守に至って、また劉曜に納められ妃嬪と為った。
《漢書》曰:“平帝元始元年二月乙未,義陵寢衣在匣中,忽出在床上。”又曰《王莽傳》:“杜陵便殿乘輿,宮府衣在藏中,忽自倒去外堂上,良久委地,莽惡之。”
《漢書》に記す:漢の平帝の元始元年二月乙未日、義陵の寝殿に匣に収めたる衣服が、忽然として自ら床上に跑り出た。《漢書・王莽傳》がまた記す:杜陵の便殿の乗輿車服は、もと宮府庫中に収蔵せしが、忽然として自ら翻倒し外堂上に跑り出で、久しきを過ぎて始めて地上に落ちた。王莽はこれを以て心に厭悪を生じた。
綬帯に光あり
《天鏡》曰:“印綬有光者,免官;帶有光,賀事。”
《天鏡》にいう:印綬が光亮を発するは、官職を免去するを主る。衣帯が光亮を発するは、喜ばしく賀すべき事あるを主る。印綬は官位の凭信であり、光が綬より発するは、即ち官位に変動あらんとする兆頭である。
履が改変す
《搜神記》曰:“昔初作履者,婦人員頭,男子方頭。員者順之義,蓋作者之意,所以別男女也。履者,所履踐而行者也。太康初,婦人皆方頭履,言去其從,與男女無別。”
《搜神記》にいう:昔、初めて鞋子を制作したとき、婦人の鞋は円頭に作り、男子の鞋は方頭に作った。円は柔順の義を取る。見れば制作者の用意は、鞋頭をもって男女を区別せんとするにあった。鞋とは、人に践踏せられて行走する物を供するものである。晋の武帝の太康初年、婦人は皆方頭の鞋に改穿し、これは彼女らが女子従順の道を去り、男女の間にもう区別なきを説明する。
履が自ら足に着く 履が自ら亡く
京氏曰:“君履無故自著於君足,有遠行。”京氏曰:“君履無故自亡,君且不復,遠行。”《天鏡》曰:“人君履無故夜亡,其處近臣為踐。”
京房がいう:君主の鞋が故なく自ら君主の足に套るは、まさに遠行あらんとするを主る。京房がまたいう:君主の鞋が故なく自ら丢失するは、君主が一たび去りて再び回らず、まさに遠行して返らざる事あらんとするを主る。《天鏡》にいう:君主の鞋が故なく夜に丢失するは、その地の近臣が人に践踏欺凌せらるるを主る。
敗屩が自ら聚る
《搜神記》曰:“元康之末,以至於太安之間,江淮之域有敗屩自聚於道,多者至四五十量,余嘗視之,時人散而去之,明日悉復,或見狸銜而聚之,說者曰:‘屩,人之賤服,處於下,當勞辱下民之象;敗者,疲斃之象;道者,地理四方所以交通,王命所由。敗屩聚道,民罷病,將構聚為亂。’後張昌逆亂。”
干宝《搜神記》に記す:晋の恵帝の元康末年より太安年間に至るまで、江淮一帯に破れた草鞋が自ら道路上に聚まり、多いときは四五十双に達した。私はかつて親しく往きてこれを見た。当時人ある者がこれを蹴散らして丢き去ったが、翌日またことごとく原の処に聚り回った。また人ある者は狐狸がこれを銜えて来て堆く積むのを見た。解説する人がいう:草鞋は人の穿く下賤の物で、最も下面に処り、正に労苦し辱めを受ける下層の百姓の象徴である。破敗とは疲弊困斃の象徴である。道路とは大地の四方が依りて交通し、王命が此より伝布する所である。破れた草鞋が道路に聚集するは、即ち百姓が疲敝して病み、まさに糾合聚衆して乱を作さんとするものである。後に果して張昌の叛乱が発生した。
城邑・宮殿の怪
邑が壅塞して山を成す
《地鏡》曰:“邑無故壅成山,是謂陽反為陰,君淫,為婦人所謀,不出一年,兵起。”
《地鏡》にいう:城邑が故なく壅塞堆積して一座の山を成すは、これを「陽反りて陰と為る」と謂い、即ち陽に属する城邑が反りて陰に属する丘阜と変ずることで、君主の淫乱にして婦人に算计せらるるを主り、応験一年を出ず、兵禍興起す。
邑が没して池と為る
又曰:“邑沒為池,是謂侵陽,人主徵發無道,不出一年,兵馬興。”
《地鏡》がまたいう:城邑が陥没して一片の水池と化すは、これを「侵陽」と謂い、即ち陰に属する水が陽に属する位置を侵奪したもので、君主が賦役を徴発するに毫も法度なきを主り、応験一年を出ず、兵馬まさに興動せんとす。
門が崩壊す
京氏曰:“上下咸悖,厥妖城門壞。”《天鏡》曰:“君門傾,君不安上。”《洪範五行傳》曰:“秦世,都門無故崩。都門者,秦東郭門,通山東者也,亦崩者,象趙高殺二世時,外降,政內敗。一曰:西郭莫崩,而東獨然又先崩者,象山東兵至,滅壞出二世不踰,楚漢之兵皆自都門而入,此皆內不平,外不敬之所致。”
京房がいう:上下ともに理に背き妄行すれば、その妖異は城門の崩壊に表れる。《天鏡》にいう:君主の門が傾斜するは、君主が上位に在りて安穩を得ざるを主る。《洪範五行傳》にいう:秦朝の時、都門が故なく崩塌した。いわゆる都門とは、秦の都の東面の外城の門で、山東に通ずる要道である。それさえ崩塌するは、趙高が秦の二世を殺すとき、外に対して敵に降り、内に対して政事敗壊することを象徴す。別の一説:西面の外城の門は皆崩れず、唯だ東面のこの一座が先に崩れたるは、山東の兵馬がまさに至らんとし、秦の覆滅は二世の身を出ざるを象徴す。後に楚漢の軍隊は皆都門より攻め入った。これらは皆内部不和・外部不敬の招く所である。
《漢書五行志》曰:“景帝三年十二月,吳二城門傾,大船自覆。劉向以為近金沴木,木動也。先是吳王濞以太子死於漢,稱疾不朝,陰與楚王戊謀為逆亂。城猶國也,其一門名曰楚門,一門名曰魚門,吳地以船為家,以魚為食,天戒若曰與楚所謀,傾國覆家。吳地以王不悟,正月與楚俱舉兵,身死國亡。”
《漢書・五行志》に記す:漢の景帝三年十二月、呉国の二つの城門が傾倒し、大船が自ら翻覆した。劉向はこれを金気が木気を侵害し、木動の変に属すると認めた。この前、呉王の劉濞は太子が漢廷に死したが故に、病を託して入朝せず、暗中に楚王の劉戊と叛乱を図謀した。城は即ち国に等しく、呉国のこの二門は一を楚門・一を魚門と名づく。呉の地は船を以て家とし、魚を以て食と為す。天が警を示すはあたかもいうがごとく:楚国と合謀すれば、まさに国家を傾覆し家業を翻覆せんと。呉王は省悟すること能わず、正月に楚国と一同に起兵し、結果身死し国滅した。
又曰:“宣帝時,大司馬霍禹所居第門自壞,時禹內不順,外不敬,見戒不改,卒受滅亡之誅。”又曰:“哀帝時,大司馬董賢第門自壞,時賢以私愛居大位,賞賜無度,驕慢不敬,大失臣道,見戒不改,後賢夫妻自殺,家徙合浦。”《續漢書》曰:“桓帝延熹五年,太學門無故自壞,裴楷以為,太學者教化所居,其門自壞,文德將衰,教化廢也。是後,天下遂至大亂。”
《漢書・五行志》がまたいう:漢の宣帝の時、大司馬の霍禹の住む宅第の大門が自ら倒塌した。当時霍禹は内心馴順せず、上に対して恭敬せず、警戒を見ても悔改せず、終に滅族の誅を遭った。又いう:漢の哀帝の時、大司馬の董賢の宅第の大門が自ら倒塌した。当時董賢は皇帝の私寵を凭りて高位に居り、賞賜は毫も限度なく、驕慢不敬で、臣と為る道を大いに失い、警戒を見ても悔改せず、後に董賢の夫妻は自殺し、家屬は合浦に遷徙せられた。《續漢書》に記す:漢の桓帝の延熹五年、太学の門が故なく自ら倒塌した。裴楷は認めていう:太学は教化の在る所であり、その門が自ら壊れたるは、文徳がまさに衰落し教化が廃棄せらるるを説明す。此の後天下は果して大乱に陷入した。
《魏志》曰:“黃初二年春,文帝幸許昌城,南門無故自崩,帝心惡之,遂不入,還洛陽。五月,帝崩。”《晉中興徵祥說》曰:“元興二年,大桁門層屋自壞。桁門者,蓋古之雞門,都城之門也,王者所由出入。是孝安靜默,警蹕之響,未嘗至於雞門。而桓玄之篡,乘間也。”
《魏志》に記す:黄初二年の春、魏の文帝は許昌城に駕臨し、南門が故なく自行崩塌したので、文帝は心に厭悪し、便ち城に入らず、径自に洛陽に返回した。五月に至り、文帝は駕崩した。《晋中興征祥説》にいう:元興二年、大桁門の重楼が自ら倒塌した。桁門は大概古代の鶏門で、都城の城門で、君王は此より出入す。当時晋の安帝は沈黙無為で、清道戒厳の声響は従来曽て鶏門に至らず。而るに桓玄の簒位は、正にこの空隙に乗じて下手したのである。
門關が折る 門鑰が自ら亡く
《地鏡》曰:“城門關無故自折,將有賊至,為人所開,邑敗。”京氏曰:“君門戶自亡,其君且殺。”《漢書五行志》曰:“咸帝元延元年,長安章城門牡自亡,函谷關決,門牡自亡。(晉灼曰:牡出龠也。孟康曰:決門,聚落門也。)谷永對曰:‘章城通路寢之路,函谷關阻山東之險,城門關守國之固,固將去焉,故牡飛。’”
《地鏡》にいう:城門の門閂が故なく自ら折断するは、まさに賊寇の到来ありて城門が人に開かれ、城邑は因りて敗亡するを主る。京房がいう:君主の門戸が自ら見えなくなるは、この君主がまさに殺害されんとするを主る。《漢書・五行志》に記す:漢の成帝の元延元年、長安の章城門の門牡が自ら見えなくなり、函谷関の関門が開裂し、門牡も同じく自ら見えなくなった。原書小注:晋灼がいう、牡とは鎖孔の中より脱出する那一部分である。孟康がいう、「決門」とは聚落の門を指す。谷永が回答していう:「章城門は直達して路寝に通ずる大道に通じ、函谷関は山東の険要を拠守す。城門と門閂は一国が依りて堅固とする凭借である。今この堅固さがまさに去らんとするゆえ、門牡こそ飛び去ったのです。」
門が自ら開閉す
《天鏡》曰:“晝夜門自開閉,方有大兵至,大憂。”《京房傳》曰:“君門戶無故自闔,臣殺其君。”又曰:“國門無故夜自開,且有晝閉之憂。”《天鏡》曰:“殿閣門夜自開,其下方有大兵。”《地鏡》曰:“人家門戶無故自開自閉,有力兵事。”《京房傳》曰:“城門無故不可開,邑有憂。”又曰:“君門無故不可開者,君凶,人家亦然。”《地鏡》曰:“凡門無故不可開,是謂戒過,不出三年,必有兵從近城郭起。”
《天鏡》にいう:門が白天黑夜に自ら開き自ら関るは、正に大軍まさに至らんとし、大なる憂患あるを主る。《京房傳》にいう:君主の門戸が故なく自ら関閉するは、臣下がその君主を弑殺するを主る。又いう:国都の門が故なく夜に自ら打開するは、まさに白天に門を閉じて戒厳する憂患あらんとするを主る。《天鏡》にいう:殿閣の門が夜に自ら打開するは、その下方に正に大軍あるを主る。《地鏡》にいう:民家の門戸が故なく自ら開き自ら閉るは、強力の兵事あるを主る。《京房傳》にいう:城門が故なく打ち開かれざるは、この城邑に憂患あるを主る。又いう:君主の門が故なく打ち開かれざるは、君主に凶険あり、尋常人家も亦同じ。《地鏡》にいう:凡そ門が故なく打ち開かれざるは、これを「戒過」と謂い、上天が其の過失を警戒するもので、応験三年を出ず、必ず兵禍が附近の城郭より興起す。
《洪範五行傳》曰:“燕王明光宮臥內,三戶閉不可開,王使二十餘人疏戶,終不開,久甚。王意以為內有人,使奴踞屋視內,中無人。小臣者趙聖推戶,戶開,視其戶不開。夫戶,以出入屋室者也。無故不開,且不居也。”
《洪範五行傳》に記す:燕王の明光宮の卧室の内に、三扇の門が関まりて打ち開かれず、燕王は二十余人を派して門枢を疏通せしめたが、始終打ち開く能わず、僵持すること甚だ久しかった。燕王は心の内に人が蔵れていると以為し、奴僕を叫んで屋頂に蹲らせて裏を查看せしめたが、屋中に人はいなかった。小臣の趙聖という者が上がって一推すれば、門は即ち開いた。再びその門を検査するに、門自体に打ち開かれざる毛病はなかった。門とは、もと人の屋室に出入するを供するものである。故なく打ち開かれざれば、即ちこの屋はまさに人の居ることなからんことを預示す。
屋室が自ら壊る
《干寶晉紀》曰:“武帝大熙元年,太廟梁折。四月,世祖崩。”《晉中興徵祥說》曰:“大興二年,吳郡米廡無故壞。米廡,貨糴之屋;無故自壞,天戒若曰五穀踴貴,無所糴買,不復須屋。是歲,人大飢,餓死者十二三萬。”又云:“王敦在武昌架屋,五間已構五木,一宿梁墜地,栿在柱上,甚危,無幾作亂,敦滅。”
干宝《晋紀》に記す:晋の武帝の太熙元年、太廟の大梁が折断した。四月、世祖武帝が駕崩した。《晋中興征祥説》にいう:大興二年、呉郡の米を儲する廊屋が故なく倒壊した。米廡は糴米を売買する屋である。それが故なく自ら壊れるは、天が警を示すにあたかもいうがごとく:五穀の価格が飛漲し、根本的に糴買する処なく、則ちこの屋を用るに及ばずと。この年、人々は大いに飢饉し、餓死する者十二三万。又いう:王敦が武昌に房屋を搭建し、五間の屋にすでに五根の木料を架したが、一夜に大梁が墜地し、横木が柱子上に圧し、十分に危険であった。没だ久しからずして彼は起兵して乱を作し、王敦は終に覆滅した。
殿の名の妖異
《晉中興徵祥說》曰:“烈宗起清暑殿,識者非之:‘清暑,楚聲。今起殿以楚之聲為號,非吉祥。’後桓楚篡。”《續陽秋》曰:“桓玄在姑熟起齋,畫為龍,名曰盤龍齋,及敗,劉毅居之,毅小字盤龍。”
《晋中興征祥説》にいう:晋の孝武帝(廟号は烈宗)が清暑殿を興建したとき、見識ある者が非議していう:「清暑」とは楚地の声調である。今殿を造るに楚声を以て命名するは、吉祥の兆頭ではない。後に果して桓玄が号を楚と建てて簒位する事があった。檀道鸞《續晋陽秋》に記す:桓玄が姑熟に書斎を営建し、斎中に龍を畫き、名を取りて盤龍斎と曰した。彼の兵敗に及び、劉毅が此に住み入り、而して劉毅の小名は正に盤龍と呼ばれた。
城郭・宮闕に声あり崩側す
《天鏡》曰:“城郭宮闕廷棟樑頭鳴,不出二年二月,國亡削地。”京氏曰:“邑城門無故夜鳴,邑有大喪,人家亦然。”《地鏡》曰:“邑城門忽夜鳴者,將有兵喪。”《王莽傳》曰:“天鳳二年,朱鳥門鳴,晝夜不絕也。(雲雲)”王隱《晉書》曰:“城有聲,若牛出許昌城,此應主為愍懷太子。”《潛潭巴》曰:“宮柱自鳴,下土諸侯號有聲。”
《天鏡》にいう:城郭・宮闕の殿廷の棟梁の頂端が鳴響を発するは、応験二年零二箇月を出ず、国家が覆亡して土地が削減さる。京房がいう:城邑の城門が故なく夜に鳴響するは、城邑に大喪あるを主り、尋常人家も亦同じ。《地鏡》にいう:城邑の城門が忽然として夜に鳴響するは、まさに兵禍と喪事あらんとするを主る。《漢書・王莽傳》に記す:天鳳二年、朱鳥門が鳴響し、昼夜停まらず(原書は此処を「云云」を以て下文を省略す)。王隠《晋書》に記す:城墻が声響を発し、牛が許昌城中より走り出るがごとく、この異象は愍懐太子の身に応じた。《春秋潜潭巴》にいう:宮中の柱子が自ら鳴響するは、下方の州国の諸侯が号令を発して声あり、擅自に号令するを主る。
《天鏡》曰:“宮殿廷門自鳴,動搖有聲音,不出三年,有流血交兵,從近臣親戚起。”《京房傳》曰:“邑君屋無故自動,動而大聲者,邑且虛。”《天鏡》曰:“君府門閣自鳴,強兵方至。”京氏曰:“君室中無故有人聲,且有大奸。”又曰:“君室殿無故有哭聲,國家大凶。”又曰:“賤人將貴,則城復于隍。”
《天鏡》にいう:宮殿の廷門が自ら鳴響し、搖動して声音を発するは、応験三年を出ず、流血交兵の禍あり、しかも近臣と親戚の中間より発起す。《京房傳》にいう:城邑の主の屋宇が故なく自ら晃动し、晃动して巨響を発するは、この城邑がまさに空虚と変らんとするを主る。《天鏡》にいう:君主の府第の門閣が自ら鳴響するは、強敵の兵馬が正に到来せんとするを主る。京房がいう:君主の居室の中に故なく人の說話する声あるは、まさに大奸の人出でんとするを主る。又いう:君主の宮室・殿堂に故なく哭声あるは、国家の大凶を主る。又いう:卑賤の人がまさに顕貴せんとすれば、城墻は倒塌して城壕の裏に回填す。
社が鳴りおよび自ら移る
《潛潭巴》曰:“里社鳴,此裡有聖人,其響百姓歸之,天子走。”(鳴則教令行善,湯放桀也。響鳴之怒。)京房曰:“社鳴,實邑虛,虛邑實。”又曰:“里社鳴,聖人出。”又曰:“社樹自移,君有大行,有凶,移來,國昌。”
《春秋潜潭巴》にいう:里中の社壇が鳴響を発すれば、この里中に聖人が世に出る。鳴響の及ぶ所、百姓は皆来り帰附し、天子は出走するのみ。原書小注:社鳴とは即ち教令が通行し善道が推広し得ること、商湯が夏桀を放逐したがごときである。いわゆる「響」とは、鳴声の中に憤怒の気を含むを指す。京房がいう:社壇が鳴響するは、原本充実なる城邑が空虚に転じ、原本空虚なる城邑が充実に転ずるを主る。京房がまたいう:里社が鳴響するは、聖人が世に出るを主る。又いう:社壇の神樹が自ら移り去るは、君主に遠行の大事あるを主り、凶兆である。もし移り来れば、則ち国家が昌盛するを主る。
市が驚きおよび泉が出る
《天鏡》曰:“民人市驚,大兵至,失政之象也。”京房曰:“市人無故自驚者,春驚,期一年;夏驚,期二年;秋驚,期三年;冬驚,期四年。案《握鏡》曰:叛兵起,失政之象也。”又曰:“天不雨,糴肆自出泉,百姓亂。”又曰:“糴肆無故自出泉,民人相食;君肆無故自出泉,將軍與相為亂。一曰:國內亂,期三年。”
《天鏡》にいう:集市の百姓が故なく驚乱するは、大軍まさに至らんとするを主り、これは政令失当の象徴である。京房がいう:集市の人が故なく自相驚擾し、春に驚擾すれば応期一年、夏に驚擾すれば応期二年、秋に驚擾すれば応期三年、冬に驚擾すれば応期四年。また按ずるに《握鏡》にいう:これは叛兵の興起を主り、失政の象徴である。京房がまたいう:天が雨を降さずして、糶米の店舗が自ら泉水を冒き出すは、百姓が乱を作すを主る。又いう:糶米の店舗が故なく自ら泉水を冒き出すは、百姓が相食するを主る。君主の市肆が故なく自ら泉水を冒き出すは、将軍と丞相が一同に乱を作すを主る。別の一説:国内の動乱を主り、応期三年。
城・廟・宮殿が濡湿す
京房曰:“天不雨,廟自濡者,其國大飢,人主當之。”《天鏡》曰:“人君宮殿門牆潤濡,不出一年,獄失囚。”又曰:“宮殿及垣牆無故汁出,如水濯之狀,不出八十日,亡國。”《述異記》曰:“宋臨王子項在荊州,永光元年,所住庭柘折,棟裂,並自濡,溼汁滴地。明年,被誅。”京房曰:“天不雨而城自濡者,其國大潰亂,相當之。”
京房がいう:天が雨を降さずして、宗廟が自ら潮湿して水を滲するは、この国家が大いに飢饉し、君主がこの灾禍を承受するを主る。《天鏡》にいう:君主の宮殿の門と墻が潤湿して水を滲するは、応験一年を出ず、牢獄が囚犯を走失する。又いう:宮殿および垣墻が故なく汁液を滲み出し、水に洗われたがごときは、応験八十日を出ず、国家滅亡す。《述異記》に記す:宋の臨王子項が荊州に在り、永光元年、彼の住む院中の柘樹が折断し、屋棟が開裂し、同時に自行滲湿し、汁液が地面に滴落した。第二年、彼は即ち誅殺せられた。京房がいう:天が雨を降さずして城墻が自ら潮湿するは、この国家が大いに潰乱し、宰相がこの灾禍を承受するを主る。
宮殿が自動す
《天鏡》曰:“人君宮闕宮廷門戶無故自動,不出期年,有流民,且交兵。”京房曰:“君宮室無故自動者,且為兵墟。”
《天鏡》にいう:君主の宮闕・宮廷の門戸が故なく自ら晃動するは、応験一年を出ず、流民が出現し、しかも交兵して戦うことあり。京房がいう:君主の宮室が故なく自ら晃動するは、ここがまさに兵火の後の廃墟と変らんとするを主る。
宮殿が臭し
《天鏡》曰:“宮殿中及宮府間,聞腐臭,不出一年,有暴喪,若婦人暴死。”又曰:“宮殿聞血腥腐臭,是謂(闕),不出一年,有大水,流血。”又曰:“宮殿中聞焦臭,是謂移妖,不出一年,以火為災。”又曰:“宮殿聞臭,是謂陽動,不出一年,宗廟社稷移徙。”
《天鏡》にいう:宮殿の中および宮内の官府の間に腐臭の気を嗅ぐは、応験一年を出ず、暴亡の喪あり、あるいは婦人の猝死あり。又いう:宮殿の裏に血腥い腐臭を嗅ぐは、これを某々の妖と謂う(原書此処字欠く)、応験一年を出ず、大水あり、流血の禍あり。又いう:宮殿の裏に焦げ臭い気を嗅ぐは、これを「移妖」と謂い、応験一年を出ず、火を以て灾を成す。又いう:宮殿の裏に臭気を嗅ぐは、これを「陽動」と謂い、応験一年を出ず、宗廟・社稷は皆遷移す。
宮室の柱に芝生ず
《握鏡》曰:“宮室屋木無故生芝者,白為喪,赤為血及火,青為獄,黑為賊,黃為吉。”
《握鏡》にいう:宮室の屋木に故なく霊芝の類の菌蕈が生えるは、色を按じて分かち占う:白色は喪事を主り、赤色は流血と火災を主り、青色は牢獄の事を主り、黒色は盗賊を主り、黄色は吉兆である。
宮殿に点生ず
《地鏡》曰:“宮室中壁,無故生點者,白為喪,赤為血及火,青為獄,玄為虛耗亡遺,黃為吉。”
《地鏡》にいう:宮室の裏の墻壁に故なく斑点が生ずるは、同じく色を按じて分かち占う:白色は喪事を主り、赤色は流血と火災を主り、青色は牢獄の事を主り、黒色は耗損・空虚にして財物が散失するを主り、黄色は吉兆である。
宮殿の瓦自ら堕つ
《潛潭巴》曰:“宮瓦自墮,諸侯強凌,主身不祥。”
《春秋潜潭巴》にいう:宮室の瓦片が自ら墜落するは、諸侯が強横に朝廷を欺凌し、君主自身に不祥の事あるを主る。瓦が屋上に覆うは、譬えば臣子が君上を拱衛するがごとし。瓦が一たび墜落すれば、即ち護衛する者の离散の象徴である。
宮殿の柱自ら鳴る
又曰:“宮室柱自鳴,下土諸侯號有聲。”
《春秋潜潭巴》がまたいう:宮室の柱子が自ら鳴響するは、下方の州国の諸侯が号を発して尊を称し、声勢が外に露われるを主る。柱子は屋宇を撑持する根本であり、柱が先ず自鳴するは、正に国家を支撑する諸侯が先んじて声を出す事に応ずる。
開元占經 卷一百十五
鳥の休征
鳳凰
《尚書考靈曜》曰:“通天文者明,審地理者昌,鳳凰下之。”《地鏡》曰:“鳳凰,赤精。顓頊德。”《尚書中候》曰:“堯即政,鳳凰巢阿閣。”《禮斗威儀》曰:“君乘土德而王,其政太平,鳳凰集於苑林。”京房曰:“鳳凰來儀,翩翩其羽,茲謂休德。”《抱朴子》曰:“古者太平之世,鳳凰常居其國而生光。”《淮南子》曰:“鳳凰之翔,至德也。”《禮稽命徵》曰:“父子、君臣、夫婦,尊卑有別,鳳凰至,飛翔,盛於明堂。”
書緯《尚書考霊曜》にいう:天文に通暁する君主は聖明にして、地理を審察する君主は昌盛し、鳳凰は即ち彼の為に降臨す。《地鏡》にいう:鳳凰は赤色の精にして、応ずる所は顓頊の徳である。《尚書中候》にいう:唐堯が即位して政を主れば、鳳凰は即ち阿閣の上に巣を築いた。礼緯《礼斗威儀》にいう:君主が土徳を承けて王と称し、政事が太平なれば、鳳凰は苑囿・林木の間に聚集す。京房がいう:鳳凰が来りて儀容を展げ、翩翩として羽翼を舒展するは、これを美善の徳の応験と謂う。葛洪《抱朴子》にいう:古の太平の世には、鳳凰は常にその国に留居して光彩を放った。《淮南子》にいう:鳳凰が高翔し得るは、国に至徳あるが為である。礼緯《礼稽命徴》にいう:父子・君臣・夫婦の間に尊卑各々分際あれば、鳳凰は飛来し、盤旋して飛舞し、明堂の上に極めて興盛す。
鸞
《京房易候》曰:“鸞見於國,天下大安。”《中候》曰:“周公歸政於成王,鸞凰見。”
《京房易候》にいう:鸞鳥が国中に現れるは、天下が大いに安定するを主る。《尚書中候》にいう:周公が政権を成王に交還すると、鸞鳥と鳳凰が出現した。鸞は鳳凰の類の神鳥で、古人はこれが太平の世に応じて至ると認め、故に政を帰し賢に譲るの日に始めて現身する。
白烏
《地鏡》曰:“條庶感,則白烏來。”《瑞應圖》曰:“白烏者,宗廟肅則至。”
《地鏡》にいう:政令が条理分明にして庶民が之に感化せられれば、白烏が飛来す。《瑞応図》にいう:白烏という瑞鳥は、宗廟の祭祀が荘厳恭敬なるときに到来する。烏は本より反哺し、孝を以て著わるゆえ、その瑞応は専ら宗廟の事に属す。
白燕
《京房易妖占》曰:“山見白燕,其君且得貴女。”《地鏡》曰:“妾媵有制,白燕來巢。”
《京房易妖占》にいう:山中に白燕が出現するは、この君主が尊貴の出の女子を娶るあたらんを主る。《地鏡》にいう:妾媵の名分と数目が制度に合せば、白燕が飛来して巣を築く。燕は雛を育てる鳥なるがゆえ、その応験は多く後宮の嫁娶・生育の事に落着す。
朱雀
《地鏡》曰:“赤雀銜書,文王德。”《瑞應圖》曰:“赤雀者,王者動應於天時,則銜書來。”
《地鏡》にいう:赤雀が丹書を銜えて飛来するは、応ずる所は周の文王の徳である。《瑞応図》にいう:赤雀という瑞鳥は、君王の一挙一動が皆天時に合応するときに、符命の書を銜えて飛来する。
黄雀
《禮稽命徵》曰:“祭五嶽四瀆得其宜,則黃雀集。”
礼緯《礼稽命徴》にいう:五岳と四瀆への祭祀が皆応に有るべき礼数に合せば、黄雀が成群して飛来聚集す。五岳・四瀆は山川の主にして、祭祀が宜しきを得れば地祇が順応し、黄雀は便ち之に随って至る。
白鳩
《瑞應圖》曰:“白鳩,王者養耆老,尊道德,不以新失舊,則至。”
《瑞応図》にいう:白鳩という瑞鳥は、君王が年高徳劭の長者を奉養し、道徳を尊崇し、寵信する新人の故に旧臣を棄てざれば、即ち飛来す。古代に老人に賜る手杖の頂端は即ち鳩の形に雕られ、故に白鳩は専ら養老敬賢の徳に応ずる。
玉鵝
又云:“玉雞者,王者德令神明則出。”
《瑞応図》がまたいう:玉鶏という瑞物は、君王の徳政と号令が皆神明に通達すれば、即ち出現す。本条の標目は「玉鵝」と題して引文は「玉鶏」と作るは、当に同一の祥瑞の異名か、或いは伝写の時やや出入あるものとすべし。
比翼鳥
《地鏡》曰:“王者德綦高遠,則比翼鳥來至。”
《地鏡》にいう:君王の徳行が極めて高遠なれば、比翼鳥が飛来す。比翼鳥は伝説に両隻が翼を並べて始めて飛行し得るといい、取る所は上下が相輔きて彼此相い棄てざるの義である。
三足烏
又曰:“王者德不任卜筮,則三足鳥來。”
《地鏡》がまたいう:君王が徳を以て国を治めて専ら卜筮に倚仗して決断せざれば、三足烏が飛来す。三足烏は日中の烏にして至陽の精たり。故に用いて君徳の昭明にして鬼神に惑わざるに応ずる。
鷃が園の樹に巣す
京房曰:“鷃巢園樹,歲安熟。”
京房がいう:鷃雀が園中の樹上に巣を築くは、この年が平安にして五穀豊熟するを主る。鷃は小鳥にして、専ら安穩の処を択びて巣を営む。それが肯んじて来りて巣を築くは、正に歳事に驚擾なきを説明す。
鳥の咎征
鸞の三指
《地鏡》曰:“鸞三指,其下不以德,所下之國,有易王。”
《地鏡》にいう:鸞鳥が落地するとき三箇の爪趾の痕のみ留めるは、それが降臨する所は徳を以て招いたのではないことを説明す。この如くなれば、それが降落したその国家は君王を改換す。
